函館校の記事

2009年07月01日

現代ロシアの大学システムについて

一般向け文化講座「はこだてベリョースカクラブ」の今年度第2回目の講話内容です。

  テーマ:「現代ロシアの大学システムについて」
  講 師:グラチェンコフ・アンドレイ(本校教授)

 ロシア国内の統計によれば、大学の数は1273校(2006年)です。国立大学が55%、私立大学が45%の割合です。国立大学は教員数も学生数も多く、ロシアにおいて非常に重要な位置を占めています。

 ロシアの国立大学の財政基盤は連邦政府からの資金です。それが教員の給料や大学の建物の修理、新しい設備の購入資金になります。ところが政府からの資金を大学が勝手に分配することはできません。資金も不足しています。ですから大学は資金を捻出するために様々な商業活動を行いますが、課税の対象となっています。
 近年、国立大学の中から選ばれた大学が連邦大学になるという構想が政府の中で生まれました。連邦大学になると政府から受け取る資金を自由に使えるなど、財政上の特権が与えられます。2010年には極東大学本学も連邦大学になる予定です。

 国立大学は専門学校が権威付けのために、かさ上げして大学と称しているものが多くあります。カレッジやインスティテュート(単科大学)は少数派です。数年前に短大もできました。学部によって変わりますが、基本的には修業年限は文系大学4~5年、理系大学6年、短大3年、専門学校は2年です。大学を卒業すると、「専門家」という資格が与えられます。その後進学を希望し、3年間の大学院課程を修了、論文審査にパスしたものはカンディダート・ナウク、つまり学士院会員候補の称号が与えられます。これは北米における博士号と同等の学位です。

 現在ロシア国内の有力大学ではヨーロッパや北米の大学と交流協定を持っています。3~4年修了時に学士号を与え、その後1~2年ヨーロッパや北米に留学し、ロシアで論文を仕上げてパスすれば両方のマスターが得られるというシステムも現代の学生には人気があります。

 ソ連時代は、学費は全て無料でした。今でも無料の学部はありますが、人気や需要のある学部は有料です。例えば、モスクワのプレハーノフ経済アカデミー(国立大学)の学費は年間約6,000ドル、成績により割増があり、8,000~10,000ドルになります。さらに成績下位の者は、両親が大学へ寄付金を支払うことにより入学が許可されていることもあります。

 国立大学教授の月給平均は150~250ドルです。先ほどのプレハーノフ大学では、付近の駐車場は学生が乗ってくるベンツなど高級車で溢れ、整理ができないほどですが、その横を年老いた教授がトボトボと徒歩で通勤している、そんな光景が今のロシアを象徴していると思います。
 ロシアも日本と変わらぬ学歴社会であり、親は教育にお金を惜しみません。しかし、金持ちの子弟だけが良い教育を受けられる現状は、機会均等の点から見て問題です。
 また、国土が広いロシアでは通信教育が発達しており、向学心に燃えた若者は昼間働きながら、がんばっています。今日のような変革の時代には、この中から次代を担う人材が出てくることが期待されます。

 ロシアの入試は筆記と口答両建てです。○×やマークシートはほとんどありません。箱の中から封筒に入った問題を選び、口述で答える。ロシア人は日本人より雄弁です。なぜなら小中学校から自己表現能力・発表能力が鍛えられているからです。しかし、金持ちが幅を利かせるロシアの口答試験よりは、公正の点から日本式の方が優れていると言えます。

 現在でもロシアでは小・中学校は公立で、高校を含めて教育は全て無料です。しかし、約10年前に始まった経済改革で、私立学校が出現しました。私立学校はロシア教育省が定めた科目以外にも日本語・上級英語・雄弁術などがあります。私立学校は受験があり、競争が厳しく、授業料も高い。負担できるのは高収入の家庭に限られます。

 日本では、医学や法律など専門的な大学以外は主に一般常識を学び、会社に入ってからその会社に役立つことを勉強することが一般的ですが、ロシアでは高校時代にすでに将来の職業を決めて、学部を選びます。ロシアでは大学間にあまり差はありません。ペレストロイカ以降、経済・経営・法律・外国語などの学部が、ビジネスに興味のある若者に人気があります。旧ソ連では成績により勤務先が決まりました。4年生にもなると就職活動の代わりに会社の秘書補佐やマネージャー補佐、通訳など本格的なアルバイトや研修に力を入れます。講義を休み、ビジネススーツを着て会社訪問に明け暮れる、居酒屋やコンビ二でサービス業のアルバイトする日本の学生とは違います。

 13~20歳の子を持つ両親の63%が大学を出てほしいと願っています。54%が高い授業料を払うことに理解を示しています。最近では大学とその学生数が増加、それによりレベルは低下しています。人物・学力ともにレベルに達していなければ、わいろが必要です。
 徴兵免除が理由の大学入学もあります。学生の間は軍隊に入らなくてもよいので、大学院に進む男子学生の割合も高いのです。
 レベルの高い学生を増やすため、大学は地方に分校や特別な学部などを増やし、地方の者も進学できるよう努力しています。ロシアでは近くの大学に行くのが普通です。地方に住む若者も簡単に進学できるようになりましたが、すると学生も教員もレベルが低下します。

 大学の教員の給料が低いことも問題で、そのために教員たちは塾を開くなどの兼業をするようになります。年金支給は65歳からですが、大学の教員の平均年齢はそれに近い。70~80歳まで働く教授も珍しくありません。理由の一つは、大学の教員の仕事は人気がない。以前のような大学教員の重要性や意義は完全に失われ、魅力のない仕事になってしまったのです。もう一つは国立大学では高い学位を持つ教官の率が高いほど、ロシアの大学ランキングで上位を占めるので、大学も年老いたドクターを離さないのです。そしてこのランキングは連邦政府から獲得できる資金と非常に関係があります。

 ロシアも少子化で、国立大学は付属の幼稚園の時から未来の学生を管理しています。昨今の金融危機により雇用機会が減少と、大卒者が増加することで、大学を出ても車を洗ったり、キオスクで新聞を売る、朝市の人夫になるといった若者が増えています。卒業証書の価値は紙くず同様になり、若者達の希望と現実の間に大きな差が生まれています。


<今日のひとことロシア語> 
 Как ваши дела(カク ヴァシ デェラー=ご機嫌いかが)?

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2009年06月26日

大森巳喜生・訳「地下洞窟の子どもたち」

 鹿児島県曽於市在住の大森巳喜生さんが、В.Г.コロレンコの短編小説「地下洞窟の子どもたち(ДЕТИ ПОДЗЕМЕЛЬЯ)」を翻訳し、自費出版しました。
この作品は1954年発刊のソ連中等学校第5年生用の読本教科書「国民文学」からの抜粋で、既に岩波文庫から「悪い仲間・マカールの夢(中村融・訳)」として出版されたものがあります。

 大森さんは大学時代から独学でロシア語の勉強を続け、中学校の教員を定年退職後の2001年、函館校で2週間のプライベートレッスンを受けました。自身で選んだА.С.グリーンの「Алые парса(真紅の帆)」を購読するという授業を、イリイナ・タチヤーナ准教授と鳥飼やよい准教授が担当しました。大森さんは非常に熱意ある学生となり、2003年にも再び本校を訪れ、デルカーチ・フョードル講師の指導で「За даль земли(大地のはるか彼方に)」の和訳に取り組まれました。

 その後も晴耕雨読の生活をしながら勉強を重ね、このたび晴れて「地下洞窟の子どもたち」出版の運びとなった訳です。この翻訳の際には同じ鹿児島県出身の鳥飼准教授が監修を務め、1年半に渡るFAXのやり取りの中で推敲を重ねました。また、挿絵は大森さんの娘さんが描くなど、大森さんの人柄が伺われる、温かみが感じられる本になっています。
 大森さんは訳者あとがきの中で、「和訳本を上梓するのは不遜ではないか、と何度も考えたが、ロシア語を学んだ者としての意地・決意があった。合わせて等身大のロシア語学習歴の集大成を世に問うてみたいという願望が私を突き動かした」と述べています。

 大森さんの夢の実現に私たちが関われたことを嬉しく思います。そして何より、勉強を続ける大森さんの根気強さと「地下洞窟の子どもたち」の完成に心から拍手を送りたいと思います。
(*現在はプライベートレッスンは受け付けておりません。)

ロシア極東国立総合大学函館校 事務局 大 渡 涼 子

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2009年06月17日

オープンキャンパスとロシアまつりのお知らせ

ロシア極東大学函館校では様々なイベントを通して、函館校に、そしてロシアに親しんでいただきたいと思っております。
 この機会に、函館・元町にあるキャンパスを気軽に訪れてみませんか?
 詳しくは函館校ホームページでご確認ください。

第1回 オープンキャンパス 
2009年6月27日(土) 13:00~15:00

2009はこだてロシアまつり
2009年7月18日(土) 11:00~15:00

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2009年05月26日

20世紀のポピュラー音楽(ソ連・ロシア)

 一般向け文化講座「はこだてベリョースカクラブ」の今年度第1回目の講話内容です。

  テーマ:「20世紀のポピュラー音楽(ソ連・ロシア)」
  講 師:デルカーチ・フョードル(本校講師)

 音楽は言語に合わせて出来ています。日本には日本語に合った音楽、ロシアにはロシア語に合った音楽というように、です。加えて、ソ連時代には社会主義の国を作るための音楽や美術といったものが存在していました。労働組合が文化・芸術をコントロールしていたのです。例えば、労働組合から外れた人間は音楽をリリースしたり、画材を購入したりすることも出来ませんでした。ですから従うしかない。アメリカのブルジョア音楽であるジャズを聴いた者は、明日は国の裏切り者になる、とされたのです。
 ソ連は多民族国家であるため、それぞれの民族のスターが集まるという意味で、モスクワに集まる歌手たちの層は厚いものでした。また、国家から優遇される国民的芸術家となるため、彼らは優先権を争いました。国民的芸術家、日本の人間国宝のようなものになれば、生活は保障され、待遇が全然違いましたから。
 ソ連のポピュラー音楽は、“ロマンス”という特別なメロディーに乗せて心で歌う、日本の演歌に当たるものです。
 例えて言うなら、イオシフ・コブソンは日本の北島三郎、エディータ・ピエーハは小林幸子、といったところでしょうか。

 以下、実際に画像を見ながら曲を聴きました。

  ①レオニード・ウチョーソフ Леонид Утёсов 「月のラプソディー」
  ②マルク・ベルネス Марк Бернес 「オデッサの船乗り」
  ③ムスリム・マゴマエフ Муслим Магомаев 「結婚式」
  ④エドワード・ヒーリ Эдуард Хиль 「冬」
  ⑤エディータ・ピエーハ Эдита Пьеха 「隣の音楽家」
  ⑥イオシフ・コブソン Иосиф Кобзон 「ノクターン」
  ⑦ソフィア・ロタル София Ротару 「赤のヘンルーダ」
  ⑧アラー・プガチョワ Алла Пугачёва 「アルルカン」


<今日のひとことロシア語> 
 Доброе утро(ドーブラエ・ウートラ=おはようございます)!

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2009年05月15日

ゲオルギーのリボン

 ロシアが対ドイツ戦に勝利した戦勝記念日5月9日は、60年以上経った今でも重要な祝日として位置づけられている。近年、その傾向がより強くなり、「強いロシア」を誇示するための軍事パレードがモスクワの赤の広場で盛大に行われるようになった。日本のニュースでもその様子が報じられているが、ミサイルや戦闘機といった最新兵器が続々と登場し、一糸乱れず兵士が行進する姿は圧巻である。

 戦勝記念日に合わせて、2005年から行われている「ゲオルギー・リボン活動(Георгиевская ленточка)」というものがある。この日が近づく頃、オレンジと黒のストライプ模様のリボンが街なかで配布される。これは帝政時代の聖ゲオルギー勲章やソ連時代の栄光勲章の綬を模したもので、兵士の勇敢さを讃え、記憶するものとして、人々は車のアンテナや、バックの持ち手に結んだりするそうだ。

 先日、この活動に賛同しているモスクワの放送局「ロシアの声」から世界各地にある「ロシアの世界」基金ロシアセンターにこのリボンが送られた。ロシア文化への接点として、訪問者に配布してほしいとのことだ。到着が遅れ、今年の記念日は過ぎてしまったが函館校のロシアセンターでも配布していますので、興味のある方はお洒落にご利用を。

ロシア極東国立総合大学函館校 事務局 大 渡 涼 子

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2009年04月23日

開校15周年パンフレット・記念文集を発行しました

ph0904-3.jpg 1994年4月11日に開校した函館校は、おかげさまで本年15周年を迎えることができました。それにあたり、今までの本校の活動をまとめたパンフレット「15年の歩み」と、学報「ミリオン・ズビョースト」やブログ「極東の窓」を中心に読み物としてまとめた記念文集を作成しました。

 15年間は極東大学本学の110年の歴史と比較するとまだ浅いものではありますが、函館校も時代に即応した様々な変化を遂げており、パンフレットと文集はそれがわかる内容となっております。

 同窓生や学校関係者にはお送りする予定ですが、その他ご希望の方には事務局にて配布しておりますのでご連絡ください。

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2009年04月17日

ロシアを知る講演会「ロシアの復活祭」

 4月14日(火)の夜、函館ハリストス正教会で、まもなく行われる復活祭を前に、その伝統や習慣を紹介する講演会が開かれました。ドミートリエフ・ニコライ神父は、「今日は伝道ではありません」と断りながらも、文学や社会を勉強するためには宗教を知らないと正しい理解ができないと、集まった市民や函館校の学生を前に、わかりやすく説明してくれました。コーディネーターは北海道新聞社モスクワ支局駐在の経歴を持つ藤盛一朗記者が務めました。
  
 復活祭は、一般的にイースターとも呼ばれる、正教会最大のお祭りです。なぜ復活祭がクリスマスなど他のお祭りより重要視されるかというと、ハリストス(キリスト)が復活された、つまり我々も死後復活できる、という希望があるからだそうです。
 正教会の行事は一年をサイクルとする教会暦に基づいて行われますが、それは教会での祈祷に関係するだけでなく、ロシアでは民衆の生活サイクルの拠りどころとなっています。復活祭の前、49日間は物忌みで肉や卵、乳製品を避けて過ごします。そういった力のつく食べ物を控えることによって、心が穏やかになり、自分を高め、神に近づけるという意味があるそうです。

 物忌みが済み、いよいよ復活祭を迎えると、クリーチ、パスハ、イースターエッグなど喜びを表す特別の料理が準備されます。クリーチはドライフルーツなどが入った丸いケーキ、パスハは専用の型を使って作る四角錘のチーズケーキのようなお菓子。どちらもとても甘いものですが、神父の話によると、甘い味は天国の喜びを表すものだからだそうです。

 正教会の祭日はそれぞれ色を持っていて、復活祭の色は赤。「祭りの祭り、祝いの祝い」と呼ばれる復活祭を迎えた最高の喜びを表す色だそうで、神父の祭服も行事に合わせて色が決められているとのことです。やはりロシアでは赤は特別な色なのですね。

 元町の函館ハリストス正教会の周りにはカトリックやプロテスタントの教会もありますが、同じキリスト教でも各教派によって習慣が異なるそうで、ニコライ神父がその違いを例を挙げて説明してくださり、大変勉強になりました。
 
 今年の正教会の復活祭は4月18日(土)の深夜11時30分から夜通し行われるそうです。信徒ではない方でも一部参加できるので、この機会に教会に来て、世界一美しいと言われる正教会の行事に触れてほしい、とのことでした。


ロシア極東国立総合大学函館校 事務局 大 渡 涼 子

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2009年04月15日

ミリオン・ズビョースト 第59号

 函館校の学報であり、函館日ロ親善協会の会報であるミリオン・ズビョースト/百万の星 第59号を函館校のページに掲載しました。

 今回の巻頭言は、イリイン・セルゲイ校長による「開校15周年を迎えて」です。1973年に始まった函館とロシアの交流、そしてその流れを受けてこの15年の間、函館校が目指してきた日本におけるロシア語教育について書かれています。

 また、3月に卒業した学生の感想文もあります。是非ご覧ください。

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2009年04月07日

「イースター・エッグ」展示会のご案内


 函館ハリストス正教会で、復活祭で使われる「イースター・エッグ」の展示会が行われています。 来る4月19日(日)に行われる復活祭と函館開港150周年に合わせて開催されているもので、今回が初めての展示です。信者が巡礼で訪れ、各地の教会や修道院から贈られたものを中心に、信者手作りのものも展示されています。


教会のドミートリエフ・ニコライ神父によると、イースター・エッグは命の象徴だそうです。中身を抜いた鶏卵の殻に彩色を施したものが一般的です。典型的なものはウクライナのもので、きれいな幾何学模様や絵が描かれていますが、ルーマニアのものは表面に一分のすきもなくビーズを貼り付けてあるなど、どれもとても美しい芸術品です。

また、このほかにもめずらしいダチョウのイースター・エッグや、玉ねぎの皮と一緒に茹でることによって、茶色に染付けされたゆで卵なども展示されています。

ロシアでは通常、これらの図案は母から娘へと手ずから伝承するものだそうです。ウクライナやルーマニアの図案集も展示されていますが、これらはアメリカで発行された英語の本で、ニコライ神父の話によると、アメリカに移民した人々が自分達の文化を守り伝えるために作ったものでしょう、とのことでした。

公開は下記の通りです。信徒会館に担当者が不在の場合、教会に声を掛けるとよいそうです。

日 時:2009年4月2日(木)~4月26日(日)
     10:00~17:00
場 所:函館ハリストス正教会 信徒会館(函館市元町3-13)

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2009年04月03日

函館ロシアセンター 一般開放のご案内

 昨年11月、校内にオープンした「ロシアの世界」基金 函館ロシアセンターの一般開放を、4月1日(水)より開始しております。
 どなたでもご利用いただけますが、当面下記のとおりとなります。みなさまのお越しをお待ちしております。

開館時間:月~金曜日  9:00~17:00 
*土日祝日は閉館します。
*また4月13日(月)は本校入学式のため、利用できません。
 その他、本校行事で利用できない場合がありますのでご了承ください。  

利用内容:館内にて図書・雑誌の閲覧およびDVDの視聴
      (現在、貸出は行っておりません)

教員が在室して対応いたします。詳細は本校事務局(TEL0138-26-6523)までお問い合わせください。

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2009年03月25日

米原万里の朝食

 昨年秋、山形県川西町にある「遅筆堂文庫」という図書館の方からお電話をいただいた。念のため申し上げると、遅筆堂とは直木賞作家・井上ひさし氏のことであり、井上氏の夫人は米原万里さんの実妹、井上ユリさんである。米原万里展を開催するにあたり、資料を集めているが、米原さんが函館で講演したときの新聞記事があったら送ってほしい、ということであったので、早速お送りした。

 米原万里さんが亡くなって、もうすぐ3年になる。米原万里は言わずと知れた、ロシア語界のスーパー・スターである。私は、その米原さんと朝ごはんをご一緒したことがある。これは相当な自慢である。ロシア語を学ぶ函館校の学生には、米原さんのファンが多い。米原さんのお話を聞きたい、是非学生に聞かせたい、という思いから、様々な方の協力を得て、2002年11月6日、函館での講演会が実現した。

 米原さんは、鎌倉の自宅から寝台列車に乗って函館にやってきた。早朝6時半に着いた北斗星の駅のホームまで、事務局数人でお迎えに上がった。当時、週刊文春で書評コーナーを担当していた米原さんは、南京大虐殺について書かれた本を取り上げたために脅迫を受け、飛行機に乗るのが怖いのでJRで行きます、とのことであったのだ。
 列車を降りた米原さんはすぐに公衆電話で、鎌倉の自宅に連絡をとった。お母さんと猫たちの様子を心配してのことだ。愛情深い人柄が垣間見えた。
 その足で朝市の食堂に移動し、みんなで朝ごはんを食べた。米原さんが食べたのは、確か銀だら定食だったと記憶している。そして、函館に来たのだから、是非イカ刺しを召し上がってください!とすすめたところ、どれもおいしいと言って食べてくださった。

 講演会は「ロシア人に学ぶ小咄の作り方」というテーマで、金森ホールを会場に約250人の聴衆を集めて行われた。正直、ロシア語を学ぶ学生たちに聞かせるためには、通訳の作法や裏話などを話してほしいと思っていたので少し残念に思ったが、その講演でお話された内容が後日、集英社新書「必笑小咄のテクニック」と題して出版されたことを思えば、当時最も興味があったテーマを先んじてお話くださったのだと思う。
 
 その頃は「オリガ・モリソヴナの反語法」を上梓したばかりだったので、私はそれを2冊携え、楽屋でサインをしていただいた。1冊は大学の図書館のもの、もう1冊は自分のために。そして私も以前猫を飼っていたことなどをほんの少しお話しした。イリイン校長が挨拶をしたとき、「あら、イリインさんというのはロシア人にしては言いやすいお名前ですねえ」と、あのゆっくりとした口調で言ったのが、とても印象に残った。

 講演を終えた米原さんは、函館校に寄ってくれた。そして玄関前で、学生や教職員、ちょうどロシアから来ていた留学生と一緒に記念撮影をして、そのまままたJRで鎌倉に帰っていった。戻ってすぐ、今度は松山に講演に行くという。「さすがに四国には、飛行機で行こうと思うんです」と言い残して。

 昨年暮れになって、遅筆堂文庫から図録「米原万里展『ロシア語通訳から作家へ』」が届いた。井上ユリさんが企画・構成・編集をしたこの図録は、米原さんの仕事、そして人生が凝縮された素晴らしいものだった。それにしても、米原万里の仕事を振り返り見るにつけ、本当に惜しい人を失くしたと、心から思う。

ロシア極東国立総合大学函館校 事務局 大 渡 涼 子

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2009年02月13日

ラジオ番組のお知らせ

 2月も半ばに入りましたが、函館校では来年度の入学生をまだまだ募集しております。つきましては、以下のラジオ番組に職員が出演し、みなさんからご質問の多い、函館校のしくみや卒業時の資格等について、ご説明いたします。
 また、函館校が行っている市民向けの講座や取り組みについてもご紹介します。函館地区のみの放送となりますが、是非お聴きください。


HBCラジオ 函館市広報番組「市民の時間(市政パトロール)」
2009年2月17日(火)、18日(水) 11:45~11:50
出演:ロシア極東国立総合大学函館校
   事務局次長  三浦 祐一

FMいるか 函館市広報番組「市政だより」
2009年2月19日(木) 8:20~8:25、17:45~17:50(再放送)
出演:ロシア極東国立総合大学函館校
   事務局  大渡 涼子

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2009年02月06日

ロシアの引越し祝い、ノボセリエ

 先日、アニケーエフ副校長が引越しをし、ノボセリエ(новоселье)にお呼ばれしました。これはロシア式引越し祝いのことで、新居に友人や親類を招いてもてなすことを意味します。

この夜は函館ハリストス正教会のニコライ神父も招待されていたため、成聖式が執り行われ、新しい住まいの安全と家族の幸福をみんなで祈りました。神父がリビングの東側に小さなイコンを置き、聖歌を唱え、聖水を部屋中に振り掛けて清めます。ロシア人たちは「ここで十字を切る」、といったタイミングがわかっていますが、作法のわからない我々日本人は、ただただ神妙な面持ちでじっとしていました。

 静寂な時が終わると、あとはにぎやかなパーティーです。この日集まった約20名がリビングの一つのテーブルにぎゅうぎゅうに座ります。その家の主(男性はハジャイン:хозяин、女性はハジャイカ:хозяйка)は人数分のお料理を用意するのに朝から大忙しです。例えば、この日テーブルに並んだお料理はヴィネグレット(スビョークラのサラダ)やガルプツィ(ロシア風ロールキャベツ)、ロシアのイクラ缶詰とパン等々。
 おばあちゃんが作った3つの鍋いっぱいのガルプツィは、大きく細長くて食べ応えがあり、日本の食材で作ったのにどうしてこんな味が!と不思議に思えるほど、ロシアの味でした。おばあちゃんにそのことを伝えると、「それは思いが味に出ているから」とにっこり。恐るべし、おばあちゃんの魔法の手。

 招かれた方は好きな飲み物を持ってくるように、とのハジャインの指示だったので、ワインやウォッカ、日本酒など思い思いの飲み物がテーブルに並びました。そして、いつものように乾杯、少し飲んでおしゃべりをしては、また誰かが立ち上がり、乾杯。
 ハジャインにとって準備は大変でも、こうして多くの友人や家族とともにお祝いできるのは、とても幸せなこと。幸せなハジャインは、この夜一番先につぶれてしまいました。

ロシア極東国立総合大学函館校 事務局 大 渡 涼 子

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2009年01月10日

ミリオン・ズビョースト 第58号

 函館校の学報であり、函館日ロ親善協会の会報であるミリオン・ズビョースト/百万の星 第58号を函館校のページに掲載しました。

 今回の巻頭言は、アニケーエフ・セルゲイ副校長による「ロシアのお正月」です。ソ連からロシアへ、国家が変化しようとも変わらない人々の慣わしに、心が温かくなる文章です。アニケーエフ副校長が日本語で書いた、達者な文章にも注目してください!

 また、3ヵ月のウラジオストク留学から帰国したばかりの3年生の感想文や、この秋行事が続いた函館日ロ親善協会の活動報告もあります。是非ご覧ください。

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2008年12月25日

2008年の出来事

 今年も一年、この「極東の窓」をご愛読いただき、ありがとうございました。この一年綴った記事を読み返してみると、今年も多くの方々に支えられたことに感謝の気持ちでいっぱいです。
 
 「はこだて外国人居留地マップ:ロシア編」作成までの思いを書いて下さった、はこだて外国人居留地研究会代表の岸甫一さんは引き続き活動を続けておられます。
 函館東高校(現市立函館高校)で開いていた「ロシア語クラブ」の様子を書いて下さった俵浩治さんは実は私の担任であり、世界史を教わっていた縁から執筆をお願いし、快く引き受けていただいたものです。
 このお二人のように、函館校が開校するずっと前から、この地でロシアへの思いを持ち、活動していた方々に寄稿していただいたことは大変ありがたいことでした。
  
 “グータラ猫”の長谷川里子さんは本当にグータラで、さっぱり更新してくれませんが、彼女は今、ウラジオストクでの日本語教師の任を終え、青森の実家で次のステップを目指して猛勉強中です。力を蓄え、一層立派な日本語教師として、活躍の場を世界に求めて羽ばたいてくれることでしょう。
 “元気娘”寺越弓恵さんも先日、大学に顔を出してくれました。現在は東京の船舶会社に勤務、ロシアとの取引も行い、ウラジオストクへの出張もあるとのこと。彼女も次の目標に向けて勉強を続けているようです。
 ペリメニ作りの記事を寄せて下さった小寺光美さんは来春から、ご主人(こちらも卒業生)のお仕事の関係でサンクトペテルブルグに滞在する予定だとか。
 こうした卒業生の姿を見るにつけ、本当に頼もしく思います。ここで学ぶ在校生たちも自分の力と可能性を信じて、いずれ先輩たちに続いてほしいと願います。

 また、函館在住のロシア人も増えつつあります。函館ハリストス正教会に115年ぶりのロシア人司祭として赴任されたドミトリーエフ・ニコライ神父は、すぐに函館校の家族の一員となりました。
 以前FMいるかの番組でロシアのことを語ってくれた遠峯エレーナさんご夫妻には待望の赤ちゃんが生まれました。日本人としても、ロシア人としても通じるようにと将真(ショーマ)ちゃんと名づけられたこの男の子の成長がとても楽しみです。
 
 ところで今年は来客、それも要人が多く訪れた年でもありました。象徴的なのが2月のサフォーノフ・オレグ ロシア大統領府極東連邦管区大統領全権代表、そして11月のラブロフ・セルゲイ ロシア連邦外務大臣の来校。函館入りこそ叶わなかったものの、メドベージェフ大統領が7月の北海道洞爺湖サミットで来道するという歴史的な出来事。確実にロシアと日本が近づいていることを感じます。

 要人と言えば、2000年5月に函館校を訪れたロシア正教の最高指導者、アレクシーⅡ世総主教が12月にお亡くなりになりました。
 この時のことは、先日工藤講師が書いてくれましたが、当時の学報ミリオン・ズビョースト第24号によると、「総主教は日本滞在中の5月17日、皇居・宮殿で天皇陛下と会見されました。席上、天皇陛下が『総主教を迎えて日ロの友好関係が一層発展することを喜ばしく思います』と述べたのに対して、総主教は美智子皇后の講演『橋をかける』を読み、『人々の心に橋を懸けるという点に感銘を受けた』と話し、さらに本校でロシア語を学ぶ学生たちと触れ合ったことを紹介し、『これが日ロ両国に橋をかけることになる』と強調してくださいました。」とあります。
 会見の中で函館校を話題にされたことは、当時産経新聞1面にも掲載され、その記事は来校時の写真とともに今も大学の廊下に飾ってあります。

 このとき、学生たちはアレクシーⅡ世総主教に、「プーチン大統領に函館来訪を働きかけていただきたい」、という内容のロシア語で書いた手紙を手渡していたのです。プーチン大統領というわけには行きませんでしたが、このような形でロシアの要人の来訪が実現しました。やはり思いがどこかでつながっているのでしょう。

 来る2009年、函館校は開校15周年を迎えます。また函館港が1859年に国際貿易港として開港してから150年に当たります。日本でいち早く世界に開かれた函館、ハイカラで先取の気質に富んだ当時の函館人。逆境のときではありますが、そのことを思い出すいい機会だと思いませんか。来年もにぎやかな年になりそうです。どうぞよろしくお付き合い下さい。

ロシア極東国立総合大学函館校 事務局 大 渡 涼 子

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2008年12月15日

アレクシーⅡ世総主教訃報に寄せて

 12月5日(金)、ロシア正教会アレクシーⅡ世総主教が79歳で逝去した。長く心臓を患っていたとのことで、死因は心不全と伝えられた。その訃報は本校でも瞬く間に広がり、翌6日(土)には函館ハリストス正教会で旧ソビエト連邦時代にアレクシーⅡ世総主教の補祭を務め、現在は函館ハリストス正教会の司祭であるドミトリーエフ・ニコライ神父が追悼の式を静粛に執り行った。式にはイリイン・セルゲイ函館校校長やサプリン・ワシーリー総領事、ブロワレツ・アンドレイ領事などの関係者が集まった。しかしその日、この訃報に特別な哀しみを感じたのは私を含め、函館市にはまだ多くいたことと思われる。
 信者の数が7500万人とも9000万人とも言われるロシア正教会。その首座主教に激動の1990年から第15代総主教に就任し、ソビエト時代に抑圧された正教会の政治への影響力、発言力を取り戻したのがアレクシーⅡ世総主教と言われている。

 アレクシーⅡ世総主教は1929年、旧ソビエト連邦エストニアの首都タリンに生まれた。父も聖職者でアレクシーⅡ世総主教本人もレニングラード神学大学を卒業後、聖職の道へ入った。
 対外的にも終始友好的な姿勢を取り続け、今年2008年8月のグルジア紛争では政権間同士の批判の最中、グルジア正教会とは良好な関係を維持することに努め、また昨年2007年5月にはアメリカ、ニューヨークに本部を置く在外ロシア正教会との再統合を実現、11世紀に分裂したカトリック教会との対話実現にも熱心だったという。
 ロシア正教会ではアレクシーⅡ世総主教が逝去した後、半年間の間に第16代総主教を選出する。
 そしてこのロシア正教会の頂点に立つアレクシーⅡ世総主教は今から8年以上も前の2000年5月に総主教としての初来日を実現し、天皇陛下と会見しただけではなく、函館市にも、さらには函館校にも来校した。

 アレクシーⅡ世総主教が来校した2000年の当時、私はまだ函館校の学生だったが、大学全体の来校に備えた異様なまでの盛り上がりにただ事ではないと学生なりに感じていた。
 怖いもの知らずで何気なく引き受けたアレクシーⅡ世総主教へ宛てた歓迎の挨拶。8年経った今でも学校関係者の方から「あの時挨拶したんだよなあ」と覚えていただいていることがある。ロシア語での挨拶をイリイン校長と一緒に準備し本番に臨んだが、挨拶を読み終わった後、アレクシーⅡ世総主教はロシア語を学ぶ一学生の手を固く握り続け、目を真っ直ぐに見ながら話しかけてくださった。
 ―何年生ですか?どうしてロシア語を勉強しているのですか?ロシア語は好きですか?
 もちろん現実には、そのような貴重な経験ができたのは単純に運が良かっただけかもしれないが、最後の質問に「はい」と答えたその言葉はただの「はい」ではなかったとしてやって行きたい。
 アレクシーⅡ世総主教は短い函館での滞在時間を使って、多くの函館市民にさまざまな形で大切な贈り物をしてくれたことだろう。また当時のことを覚えている私たちは今一度、8年前の時間に戻って、日ロ交流からつながる日ロ友好への道を考え直さなければならないと思う。

ロシア極東国立総合大学函館校 講師 工 藤 久 栄

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2008年11月28日

サハリン写真・絵画展のお知らせ

 本校付属「ロシアの世界」基金 函館ロシアセンターにて標記展覧会を開催します。元大統領報道官が撮影したサハリンを紹介する風景写真と、サハリンの子どもたちが日ロ友好をテーマに描いた絵画の展示もあります。

 主催は在北海道札幌サハリン州代表部で、北海道・サハリン州 友好経済交流提携10周年を記念し、函館市の「函館におけるロシア年」事業にも協賛しています。

 11月4日にオープンしたロシアセンターですが、一般の方に公開するのは今回が初めてです。センターの見学も兼ねておりますので、この機会に是非お越しください。

  会 期:平成20年12月6日(土)~12月12日(金) 10:00~17:00
  場 所:ロシア極東国立総合大学函館校付属
       「ロシアの世界」基金 函館ロシアセンター

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2008年11月19日

ドキュメント・ラブロフ外相来校

 11月4日(火)、函館校に設置された「『ロシアの世界』基金 函館ロシアセンター」のオープニング・セレモニー出席のため、ラブロフ・セルゲイ ロシア連邦外務大臣が来校されました。
 モスクワから政府専用機で直接函館空港へ降り立ったのが当日の朝10時。夕方16時10分、函館空港を離れ東京に向かうまでの約6時間という短い函館滞在中、函館校に立ち寄られたのはわずか30分でしたが、それはもう嵐のような一瞬でした。
 その様子を少しだけお伝えしましょう。

函館に初雪が降った寒い朝、まだ静かな八幡坂、とは言えすでに警察官の姿がちらほら…。この日は両脇に歓迎のロシア国旗が掲げられました。
外相一行を玄関前で待ち構える日本の報道陣。このほか在京のロシアマスコミ、政府専用機で同行したモスクワのマスコミと、報道陣の数だけでも相当なもの。注目度の高さが伺えます。
函館校の学生と一緒に、近くの遺愛幼稚園の園児たちが日ロの小旗を振って外相が来るのを待っています。
物々しい警備の中、ついにラブロフ外相が到着、本学クリーロフ学長がお出迎え。右端はベールィ・ミハイル駐日ロシア大使。この後、セレモニーへと移ります。
函館ハリストス正教会 ドミトリーエフ・ニコライ司祭により執り行われた成聖式で用いられたお道具。
手前はラブロフ外相に頂いた絵皿。真ん中にロシア外務省の建物、周りにはクレムリンや聖ワシリー寺院などモスクワの名所が描かれています。奥に見えるのはニコライ神父より寄贈の「三本の手を持つマリア」のイコン。
パトカーに先導され、外相一行は次の目的地へ。滅多にない外国からの賓客来訪とあって、この日一日、上空にはヘリコプターが飛び、函館市内では厳戒な警備が敷かれました。

セレモニーの様子はこちらをご覧ください。

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2008年11月13日

第2回「函館市西部地区教育芸術祭」のお知らせ

 地域の文化発展と交流を目指し、保育園から大学・町内会までが集まって日頃の活動の成果を発表する芸術祭が下記日程で開催されます。
 あいにくステージ部門は終了済みですが、各団体による音楽発表が行われる中、本校合唱サークル「コール八幡坂」とロシア人留学生が「美しい未来」と「モスクワ郊外の夕べ」の2曲を美しい民族衣装に身を包み、ロシア語歌唱で披露したことを報告します。また、会場合唱の「函館賛歌」は日本に来てから練習して覚えたロシア人留学生も参加しました。
 
 展示部門ではロシアの民芸品・衣装の展示のほか、ロシア人留学生による書道展、函館市と姉妹都市であるユジノサハリンスク市の子どもたちが描いた絵画展示もあります。
 どうぞ足を運んでください。


<ステージ部門>

日 時:平成20年11月13日(木) 13:30~
場 所:函館市立西中学校体育館
内 容:各団体による音楽発表と会場合唱及び書道作品紹介


<展示部門>

日 時:平成20年11月14日(金)~17日(月)
     9:00~20:00(最終日は17:00で終了)
場 所:函館市地域交流まちづくりセンター 2F
内 容:各団体による作品展示(絵画・書道・陶芸・工芸品等)

* 参加団体
駒止保育園、市立弥生小学校、市立西小学校、市立潮見中学校、市立西中学校、北海道函館西高等学校、ロシア極東国立総合大学函館校、西部地区7町内会

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2008年10月31日

ロシア語市民講座・番外編

 ロシア語市民講座中級コースでは、現在6名の受講生がテキストに従って翻訳や会話の勉強をしていますが、今回初めて教室を出て、課外授業を行いました。

 実は函館ハリストス正教会のニコライ神父のところに新車が届き、聖水をかけてお祈りする儀式を行うということで、イリイン校長と受講生が招待されたのです。日本でも神社でお祓いするのと同じことなんですね。

 まず、車のドアやボンネットをすべて開け、神父が聖歌を歌いながら聖水を振り掛けてお祈りする夜の教会の見慣れない光景を、一同静まり返って見守ります。
 無事儀式が終わった後は楽しいパーティーです。テーブルには奥様の用意してくださったおいしいロシア料理が並びます。シューバ(ニシンとスビョークラの前菜)、スタリーチヌイ(じゃがいものサラダ)、キャベツのピローク(パイ)、ペリメニ(ロシア餃子)、などなど。ロシア語の授業の一環ですから、ロシア語しか話してはいけないというルールに口も重くなりがちですが、ちょうど中級コースでは現在、ロシア人の誕生パーティーに招かれたという場面のテキストを読んでいるところなので、いい勉強になりました。
 こんな楽しい授業は滅多にないことですが、生のロシア語を学ぶ絶好の機会となりました。

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2008年10月22日

函館校学生とロシア人留学生による3ヵ国語朗読のお知らせ

 2009年の函館開港150周年を記念し、今年から来年にかけて様々なイベントが市内各地で行われる予定です。
 そして開港の1年前、日本で初めての混声合唱としてロシア正教の聖歌が日本のお寺で響いたという史実をもとにして書かれた絵本「実行寺の小坊主 とっ珍さんはおおいそがし」が今年出版されました。本編は日本語・ロシア語・英語で書かれており、解説とあとがきのロシア語訳は本校のグラチェンコフ・アンドレイ教授が、英訳は鳥飼やよい准教授が担当しました。

 今回、まちづくりフォーラム「開港がくれたおくりもの~未来へ~」が下記の日程で開催されることとなり、その中で函館校の日本人学生がロシア語と英語で、ウラジオストク本学から来日したばかりのロシア人留学生が日本語で絵本を朗読します。学生たちは当日に向け、練習に励んでいます。フォーラムの入場は無料です。みなさまのご来場をお待ちしております。

 日 時:2008年10月26日(日) 14:00~
 場 所:五島軒本店(函館市末広町4-5)

 詳しくは下記ホームページをご覧ください。
 http://www.hakodate150.com/modules/d3blog2/details.php?bid=256

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2008年10月10日

道南青年の家の思い出

 今年は、1858年函館に日本で最初のロシア領事館が置かれてから150年、また現存する旧ロシア領事館の建物が竣工した1908年から数えて100年の記念すべき年である。現在この建物を所有する函館市はこの2008年を「函館におけるロシア年」とし、市内各所で様々な展示やイベントを行っている。
 今では旧ロシア領事館といえば明治期の面影を伝える観光名所として、外から眺めることしか許されていないが、1965年から1996年までの間は「函館市立道南青年の家」という名の青少年のための宿泊研修施設であった。私を含め、この時期に函館で子供時代を過ごした者は、一度は泊まったことがあるのではないだろうか。考えてみればとても贅沢な話だ。

 赤レンガの外壁と白漆喰の縁取りが目を引く2階建ての建物は、幸坂の途中に面している。幸坂はとても急な坂で、玄関の前で集合写真を撮るためにしゃがむと、シャッターが切られるのを待つ間によろけてしまうほどである。冬などは道が凍れば、車で上がるのはもちろん、歩くのも困難だ。こんな急坂の上にあるのは、領事館として港を一望の下に把握するためであろう。実際、港に向かった談話室の窓からは出船入船がよく見え、とても素晴らしい眺めである。内部は宿泊施設用に改装してあったが、玄関を入るとすぐ目に入る洋式の木造階段が領事館時代の名残をとどめていた。

 宿泊研修は、学校のクラス単位やサークルなどで申し込む。明るいうちは周辺の名所・旧跡を散策、夜は食堂で自分たちで配膳し、食事を取り、入浴。朝は早起きして、国旗掲揚とラジオ体操、のち朝食。このような規則正しいスケジュールでの集団生活を通して、協調性や自発性を身につけるのである。
 しかし、子供にとっては研修というより、楽しい“お泊り会”である。寝る前にホールに集まり、歌ったりダンスやゲームをする。特に興味深かったのはキャンドルサービスである。今では一般的になったが、宗教でも結婚式でもなく、なぜかみんなでろうそくを灯して語らうというその光景は、昭和時代の子供にとってはハイカラかつ神秘的なものであり、今でも強く印象に残っている。
 たしか10名ほど泊まれるよう2段ベットの入った部屋がいくつかあり、消灯後も楽しいおしゃべりは続く。朝は談話室でまぶしい日を浴びながら本を読んだり、オセロをしたりして過ごすのだ。

 私は小学生のときと中学生のときに一度ずつ、学校の行事として参加した。そして高校1年の冬休みにも、クラスの仲間を募り、自分たちで申し込んだことがある。高校では函館市以外の出身者、つまり未経験者もいたので、その楽しさを力説したおかげで、クラスのほとんどが参加したように記憶している。

 今は宿泊研修施設としての役割を終え、高台から静かに港を見下ろしているこの旧ロシア領事館であるが、函館の大切な財産として、人々の心にも思い出を刻んでいるのだ。

ロシア極東国立総合大学函館校 事務局 大 渡 涼 子

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2008年10月02日

ミリオン・ズビョースト 第57号

 函館校の学報であり、函館日ロ親善協会の会報であるミリオン・ズビョースト/百万の星 第57号を函館校のページに掲載しました。

 今回の巻頭言は、今年4月、新たに函館校事務局に仲間入りした三浦祐一次長による「一隅を照らす。これ国の宝なり」です。世界を取り巻く経済情勢の中で、函館校に何ができるのか、という期待が寄せられています。

 また、この夏休み、北方四島交流事業で択捉島を訪問した学生や、サハリンから函館を訪れたロシア人学生を観光ガイドした学生サークル「訳者小屋」の活動についての感想が寄せられています。様々な体験ができる函館校ならではの様子を垣間見ることができます。是非ご覧ください。

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2008年09月25日

Wellbeingロシア語ポータルサイトのご紹介

 北海道八雲町の美容関連商品のインターネット販売会社「株式会社Wellbeing(ウェルビング)」がロシア語ポータルサイトを開設し、裾野を広げています。
 山内智子社長は保健師として八雲町役場に勤務されていた経験を活かし、2007年に会社を設立。海外市場に目を向ける中、隣国であり、個人消費が拡大しているロシアに着目。ロシア人観光客が増えているにも関わらず、日本から発信するロシア語情報サイトがほとんどない状況をみて、北海道から情報発信しようとサイトを開設したのだそうです。

 観光情報を柱に、不動産やショッピング、サービス情報といったビジネスも視野に入れたサイトです。山内社長は起業家支援の場で積極的にビジネスプランのプレゼンテーションを行うなど、今後の活躍がますます期待されます。

 函館校は同じ道南で活動するもの同士として、一部翻訳業務等で協力しています。リンク集に入れましたので、是非ご覧ください。

http://www.japan-russia.info/ ロシア語ポータルサイト

http://www.wellbeing-hokkaido.jp/index.html Wellbeingのサイト

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2008年09月24日

「函館におけるロシア年」展示のお知らせ

 ロシアが函館に日本で最初の領事館を開設してから150年、大火の後現在の旧ロシア領事館が再建されて100年にあたる今年は、函館市が「函館におけるロシア年」と位置づけ、さまざまな関連行事が開催されています。

 現在、函館市地域交流まちづくりセンター1Fでは「ロシア領事館函館 開設150年展」を開催中。150年前の開設から、函館市の研修施設「道南青年の家」として使われていたころの資料、今の在札幌ロシア連邦総領事館函館事務所所長であるブロワレツ領事のメッセージなどが展示されています。

 また、函館市中央図書館では入り口に「函館におけるロシア年」展示コーナーを設け、収蔵する図書218冊や映像資料6点を展示しています。中には1861年、函館の領事館付司祭が日本の子ども向けに作成した木版刷りの語学教本「ろしやのいろは」の複製本など貴重な資料もあり、実際に手にとって見ることができます。その他、歴史、経済などの専門書から絵本、料理本といった身近なものまであり、一部は貸し出しも行っています。ブックリストは中央図書館のホームページからダウンロードすることもできます。読書の秋、ロシアに触れるいい機会です。

 ともに入場無料です。それぞれの詳細は下記をご覧ください。

函館市地域交流まちづくりセンター「ロシア領事館函館 開設150年展」
9月29日(月)まで

函館市中央図書館「函館におけるロシア年」展示
10月21日(火)まで


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2008年09月18日

オープンキャンパスと地球祭のお知らせ

 ロシア極東大学函館校ではこの秋も様々なイベントを通して、函館校に、そしてロシアに親しんでいただきたいと考えております。

 オープンキャンパスではデルカーチ講師の模擬授業をはじめ、現役の学生が学校生活の様子を紹介したり、卒業生による仕事紹介などもあります。疑問に思うところを教職員に直接聞くこともできますので、この機会に、函館・元町にあるキャンパスを気軽に訪れてみませんか?
 詳しくは函館校ホームページでご確認ください。

第2回 オープンキャンパス 
2008年9月28日(日) 10:00~12:00


 また、函館市内の国際交流団体が一堂に会し、世界の文化や環境について考えるイベント、第4回 地球祭が下記の通り開催されます。
 本校と函館日ロ親善協会も参加し、ロシアに触れるイベントとして、民族衣装試着体験や民芸品・通貨のパネル展示などを予定しています。世界の料理レストランでは、ピロシキの販売もあります。会場は本校の建物で行いますので、この機会にも是非訪れてください。
 詳しくは下記ホームページをご覧ください。

第4回 地球祭
2008年10月5日(日) 10:00~15:00

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2008年09月09日

FMいるか「デルカーチ先生に聞く 3」

FMいるか「ONE WORLD WAVE」で放送された内容をご紹介する最終回です。

ゲスト:ロシア極東国立総合大学函館校 
     講師 デルカーチ・フョードル(以下デル)

聞き手:財団法人 北海道国際交流センター 
     事務局長 池田 誠(以下池田)
    
<7月19日放送 第3回 イルクーツク・函館・ウラジオストク三都物語>

池田:実は今日はロシアまつり。この番組は事前に収録したものを放送しているんですけれども、ロシアまつりが今、行われているという状況ですね。

デル:でしょうかね?

池田:みなさん楽しんでいただいていると思いますけれども。今回は、極東大の話とか、函館とロシアのこととか、お聞きしたいなと思いますけれども、デルカーチ先生は函館に来てからもう10年以上…。

デル:経っていると思いますけれども。

池田:その間ずっと函館ですか?

デル:途中で一度だけよそに行ってるんですけれども、ほんのわずかなので、だいたいずっと函館と言ってもいいと思います。

池田:もともと出身はロシアのどの辺なんですか?

デル:イルクーツクです。バイカル湖ってご存知でしょうか?

池田:ああ、バイカル湖ね!

デル:そこにイルクーツクという町がありまして、そこの出身です。私は生まれも育ちもシベリア人です。

池田:寒いんですよね、ということは。

デル:冬はですね。夏は函館より暑いと思います。

池田:でも、湖があるってことは、そこで泳げるんですか?

デル:泳げますけど、バイカル湖は冷たいね。とても大きな湖で、冬には完全に凍ってしまうわけなんです。完全に凍ってしまうという時期は、2月にあたります。そして氷がなくなる時期は6月の下旬なので、それは一番水の冷たい時期なんです。ちょうど氷水状態だから。すなわち水が一番温かいのは10月に入ってからですね。ですから逆に10月に泳げるぐらい。

池田:へえー、そうですか。場所的にはモンゴルに近いんですよね?

デル:モンゴルの真上なんです。ですから周りの民族もモンゴル系が多いですね。イルクーツクの3分の1はモンゴル系の顔をしていらっしゃる方ですね。

池田:じゃあ、日本人に似ている感じですね。

デル:そうですね、とても似ています。

池田:それで、函館に10年以上暮らして、生活的にはどうですか?函館とイルクーツクは。

デル:イルクーツクですか?比べにくいですね。

池田:例えばですね、ロシア料理が食べたいなと思ったときにはどうするんですか?

デル:作りますよ、そのときは。まあ、ちょこちょこ材料が足りない場合もありますけど、だいたい問題ないですね。特に北海道料理って、ロシア料理に似た点がいっぱいあります。それで材料もだいたい似ています。

池田:冬に食べるボルシチなんかも、入っているものはジャガイモとかビーツとか…。

デル:なんか、“鍋”ですね。

池田:同じ“鍋”ですよね。そういう意味では似ている部分があるんですよね。お酒なんかはどうですか?ウォッカがほしい、なんてことには。

デル:たまにありますけど、だけどロシア料理に合わせないとだめですね。普通の時にはもうちょっと軽いものでいいです。

池田:軽いって言っても実はものすごく飲んだりするんですかね。

デル:こう見えてもそんなに飲んでないんです。私はどっちかというとワイン派ですね。

池田:ワインですか。ワインも有名なんですよね、ロシアは。

デル:ロシアですか?いや、それほどでもないですね。旧ソ連の国なんですけれども、グルジアというところでは、たしかに有名です。まだフランスにもワインがなかったときにも、もうグルジアでは作っていたんです。それはとても有名なんですね。

池田:あとはパンとかどうなんですか。

デル:パンはですね、主食ですから、例えば日本でいえば米を売る店は特別なライセンスが必要なんですね。ロシアでも食パンを作る会社は同じようにライセンスをもらわなければならなくて、それで種類とか決められていて、種類もそんなに多くないんです。菓子パンはいっぱいありますけれども、食パンはだいたい1種類だけで、黒パンが多いんですけれども、ロシア人から見れば、黒パンはやっぱり食べ物、白パンはお菓子っぽいですね。

池田:なるほどね。黒パン、重い感じですよね、結構。

デル:そうです。

池田:じゃあ、食事的には別に、今のところロシアでも日本でも不自由しないですね。

デル:あまりしないですね。例えば極東あたりは魚も同じくらい食べていますし、作り方だけが違うんですね。

池田:そしてこんなにもう、日本語も上手ですから、全然不自由ないですね。

デル:いや、それはわかりません。ありますよ、不自由は。あります、あります、細かいところで。店とかで品物がほしいんだけれども、それは実際は日本語でなんというのか、一生懸命説明しようとしても、あまり通じないかな。私はまだまだ勉強不足だ。

池田:いやいや、結構なじみのお店とかあるんじゃないんですか?ああ、こんにちは、デルカーチさん!って。

デル:それはありますね。

池田:函館はわりとロシアとゆかりのある町だと言われてるんですが、デルカーチさんから見てどうですか?例えばハリストス正教会とかありますし。

デル:そうですね。私もそういえば、最初に日本に興味を持ったところなんですね。高校に入ってからなんですが、いろんな資料を探してたとき、最初に手に当たったものは、ゴロウニン事件に関係するものなんですね。だからゴロウニンがいたところに私がこれから住むようになるとは思ってもいなかったんですね。やっぱり運命っておもしろいもんだなと思いますけれども。こういう風に運ばれてきたんだ、私は、って。

池田:ゴロウニンのことはもちろん知っているわけですよね。

デル:そうですね、高田屋嘉兵衛とか、日本関連でよく知られている人なんですね。

池田:高田屋嘉兵衛も有名ですか?

デル:そうですね、とてもいい人という評価ですね、その当時のロシアでは。いろいろな交渉をしてた人って。版画の肖像画とか残ったりしてるんですね。

池田:あと、ロシアにいるときに函館の情報で知っていたことってありますか?

デル:夜景のこと。

池田:夜景を知ってたんですか!

デル:ウラジオストクで何人かの知り合いのところで写真を見たんですね。おみやげのカレンダーとか、時計とかで。ああ、おもしろい夜景だな、と思ったら、これは函館っていう町だよ、って。そういうようなものぐらいですかね。

池田:やっぱり夜景はちょっと有名かもしれないですよね。そしてそんな町に住んでいるということなんですけれども。

デル:まあ、ウラジオストクにとても似ています、気候的に。函館には必ず風が吹きます。港町なんですね。ウラジオストクもそうなんですね。

池田:今はロシア極東大学ということで、ロシアの先生もたくさんいますし、ロシア領事館もあるわけですから、そういう意味ではロシアの方々とロシア語で話す機会というのも結構あるわけですね。

デル:ほとんどもう、飽きるぐらいあります。

池田:じゃあ、あんまり問題ないですね、自分の言葉が話せないというようなこともないですね。

デル:逆に日本語を忘れないことが大事だと思います。

池田:じゃあ、あまり極東大学の先生方とばかり話さないで、地域の人と話をしたほうがいいという感じですよね。

デル:そうですね。

池田:いやあ、でも本当に流暢な日本語なので、ロシアの人と話しているというのをこっちが忘れてしまいそうですけど。

デル:よかったですね。

池田:今後、函館とロシアと、もっともっとつながりが出来ていくと思うんですけれども、どんなことでつながったらいいでしょう。

デル:直行便がほしいね。やっぱり函館と大陸が結ばれれば。サハリンはサハリンでいいけれども。観光面でもビジネス面でも、ウラジオストクもとてもおもしろい町ですし、ちょっとだけ飛べばもう別世界になる。とてもヨーロッパ風の光景が見られるし、ウラジオストクはなかなかダイナミックな町で、最近は高層ビルは増えていますし、ずっと何かが建設されている光景です。車は多いし、ありの巣みたいに見える町なんですね。

池田:ということは、函館とウラジオストクが結ばれるといいということですね。ここから大陸がずーっと続いていますから、いろんなところにつながりが出来ると。

デル:そうですね、季節便とかでも考えて。例えばロシアでもスキーとかスノボはとても人気があるわけですが、比較的にスキー場とか少ないし、作るとしても冬がとても寒いので、気持ちよく滑るということはないと思います。それで友だちから、日本にスキーとかに行ってみたいという声が多いんですね。ですから、例えばウラジオストクから函館に便があれば、函館の周りのスキー場も生かして使えるんじゃないかな、と思います。よくサハリンの方からも来ています。それと夏になれば、函館から観光客がウラジオストクにいらっしゃると思います。

池田:行ったらいろいろありますよね。

デル:函館にはロシアの領事館もありますし、ビザの関係とかもいろいろ解決できると思います。

池田:どんどん飛行機とばしちゃいたいですね。

デル:そうですね。青森は季節便なんですけれどもハバロフスク便がありますから、函館はウラジオストク便があれば、いい三角形になるんじゃないかなと思います。

池田:そうですね。ここからデルカーチ先生と何かビジネスにも出来るかもしれないし、観光のいろいろなプログラムとか作れるかなっていう気もしますし。ロシア極東大学が函館にあるということで、情報もありますから、是非ね。

デル:もちろん、興味がある方がいらっしゃれば、アドバイスできると思います。

池田:今後、函館-ウラジオストク、定期便が飛ぶように、そこまで目標を持ってどんどん交流をしていきたいなという感じがします。

デル:夢だなあ、私もロシアに簡単に行けるように。今は新潟経由ですから、やっぱり直接行けば、里帰りも簡単に出来るなあ、と思います。

池田:デルカーチさんのためだけじゃなくて、みんなのためにね。みんなにもウラジオストクから大陸を見てもらおうということで、是非つながりを作っていければなあ、と思いますね。3回に渡りまして、お話を伺い、どうもありがとうございました。


■ウラジオストク

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ロシアの文化,歴史,経済,政治などを学ぶ、日本で唯一のロシアの大学の分校です。

2008年08月28日

FMいるか「デルカーチ先生に聞く 2」

 今年のロシアまつりには、ロシアの伝説的オートバイ、ウラル・バイクチームがやってきました。ロシアゆかりの地を巡るツーリング・ツアー、「全日本ウラル・マラソン」が今年のまつり会場でフィニッシュを迎えたのです。迫力あるサイドカーつきのウラルが6台連なり、日ロの国旗をはためかせながらゴールした姿は大変感動的でありました。
 今回は、その「全日本ウラル・マラソン」について、主催者であるウラル・ジャパン社のオレーシャさんが電話で特別参加、詳しいお話をしてくださいました。

ゲスト:ロシア極東国立総合大学函館校
     講師 デルカーチ・フョードル(以下デル)
     ウラル・ジャパン株式会社 マーケティング・マネージャー
     リャチェンコ・オレーシャ(以下オレ)

聞き手:財団法人 北海道国際交流センター
     事務局長 池田 誠(以下池田)
    
<7月12日放送 第2回 ロシアの大型バイク・ウラルについて>

池田:今週も引き続きロシアまつりについてお伺いします。デルカーチ先生、こんにちは。

デル:こんにちは。Здравствуйте(ズドゥラーストゥヴィチェ)!

池田:今までやっていた11月から、今年は7月ということで、本当に季節が変わりましたよね。今年は夏ならではの色々な企画があるということで、先週もちょっとお聞きしましたが、今年のスペシャル…、何ですか、ロシア産のバイク?

デル:そうですね、それはかなり長い歴史を持っているバイクなんですけれども、第二次世界大戦が終わってから作られた、ロシアでもベテランのブランドなんです。ウラルという大型バイクで、いつもサイドカーつきのものなんです。

池田:へえー、かっこいいですね。ナナハンなんですか?

デル:そうですね、750ccと書いてありますね。

池田:サイドカーというのは、横に何を付けて走るんですか?

デル:人が乗ります。

池田:あ、なるほど、隣に人が乗れるんだ。

デル:そうですね。ですから、免許も普通免許らしいです。

池田:乗ったことありますか?

デル:ないんですね。私はバイクを運転したことがないので、やっぱり普通免許でもちょっと勉強が必要じゃないかな、と。

池田:乗ってみたいですねー、ロシアまつりに来るわけですよね?見たいですね。

デル:私も乗ってみたいです。

池田:では、このウラルの会社の方にお話をお聞きしてみたいなと思いますけど、このバイクを扱っているところの方とはお知り合いなんですか?

デル:極東大学の人なんですね。同じ大学の卒業生です。卒業生はいろんなところにいるんです。

池田:じゃあ、ちょっと電話してみましょうか。もしもし、オレーシャさんですか?よろしくお願いします。こちらにデルカーチ先生もいらっしゃいます。

デル:Привет(プリヴェット=やあ)!

オレ:プリヴェット、プリヴェット!!

池田:今ですね、ちょうどお話をしていまして、ロシア産大型バイク、ウラルがやって来るということなんですが、どんな感じで来るんですかね?

オレ:そうですね、スタートポイントは長崎。

池田:これはオレーシャさんが運転してやってくるんですか?

オレ:いえ、私はまだ運転できないんですけれども、ロシアからこの行事のためにわざわざ友だちはたくさん来ていますので、ウラルの運転には結構慣れています。

デル:じゃあ、オレーシャさんはサイドカーに乗るわけですか?

オレ:サイドカーに乗る人もいますし、運転する人もいます。私はサイドカーに乗ります。

デル:疲れるでしょうね、全部でポイントの町は何ヵ所あるんですか?

オレ:まだ数えていないんですけれども、最初は長崎、その次は大分、大分の次は松山、松山から岡山県の津山市、そしてその次は神戸、福井、富山、新潟、秋田、秋田から青森まで行って、青森からフェリーに乗って函館まで、函館でフィニッシュ。

池田:へえー、長そうですね。サイドカーというのは例えば雨が降った場合には雨にあたっちゃうんですかね?

オレ:あたりますけど、あたってもフレームはとても丈夫なので、全然差し支えはないです。

池田:傘を差して、とかじゃないですよね。

オレ:みんなレインコートを持っています。雨の中で走ります。

池田:そうですよね、傘は危ないですもんね。デルカーチ先生も乗りたいって言ってるんですけれども、乗せてもらえるんですか?

デル:是非乗せてくださいね、函館に着いてから。

オレ:もし怖くなければ、是非試乗してください。

デル:オレーシャさんが運転していない限り、怖くないと思います。

オレ:わかりました、プロの人に任せます。

池田:オレーシャさんとデルカーチ先生は同級生なんですか?

デル:まあ、同級生ではないんですけれども、二人とも極東大学の本学の卒業生ですね。

オレ:でもデルカーチさんはずっと先輩ですよ。

池田:オレーシャさん、日本語上手ですね。

デル:そうですね、あなたの日本語をはじめて聞いた。

池田:ところで、オレーシャさんは音楽もやられてるんですか?

デル:実はオレーシャさんにはかくし芸があります。

池田:何ですか?

オレ:何があるでしょう、歌も歌っていますし、作曲も暇な時間がある時にやっています。

デル:実はこういう偉い方と話しているんです。

池田:本当ですよね。そして今、会社を経営されてるんですか?

オレ:そうですね、社長はいますけれども、社長はいろんな仕事で忙しくって、私が経営を任されています。

池田:へえー、じゃあこのウラル・ジャパンの経営をしていて、なおかつ歌手でもある…。

デル:ウラルはロシア産のバイクなんですけれども、ウラル・ジャパンのような支店があるのは日本だけですか?

オレ:いえいえ、日本だけではないです。最近は世界でアメリカとかカナダ、そしてヨーロッパの各国でも、南アフリカでも販売されています。

デル:オートバイ関係の英語の雑誌なんかでたまたま見ますね。ウラル関連の記事とか載っていますね。

オレ:そして近いうちにアジアの各市場にも進出する予定です。例えば韓国でも近いうちに販売が始まります。

池田:すごいですね、ロシアまつりでお会い出来るんですよね?楽しみですねー。

オレ:はい、こちらも楽しみにしています。

デル:暴走だけはいけないね。

オレ:いや、ウラルはそんなにスピードを出すオートバイではないんです。

デル:うるさいんですか?

オレ:うるさくはないんです。サイドカーが付いていますので、そんなにスピードを出してはいけないので、地方の道をゆっくり走りながら周りの景色を見るオートバイです。

池田:わかりました。じゃあ、ロシアまつりでお会いできるのを楽しみにしておりますので。今日はありがとうございました。

デル:とにかく気をつけてください、マラソン中は。

オレ:ありがとうございます。失礼します。(電話終了)

池田:ということで、なかなか楽しいですね。オレーシャさん、後輩なんですか?

デル:そうですね、何年でしょう、3年くらい違うと思いますけれど。

池田:10年ぐらい前ですかね、函館で「日ロック」というライブがあって…。

デル:そうですね、ムミー・トローリというバンドが来て、当時はロシアのトップだったんです。オレーシャさんはその時には来なかったんですけれども、実際にはアルバムのバック・ヴォーカルでした。とても素晴らしい声の持ち主です。

池田:いやー、楽しみですね。ウラルも楽しみだし、オレーシャさんにも会いたいな。

デル:そうですね、私も会いたいな、久しぶりで。

池田:あとはお天気だけですね。

デル:神様に電話しなければならないね。これから祈るだけです!


ゴールしたオレーシャさんたちにデルカーチ先生がインタビュー

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2008年08月25日

リンクのお知らせ

 リンク集に「日本・ウラジオストク協会」を追加しました。

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2008年08月12日

FMいるか「デルカーチ先生に聞く 1」

 今回は2008年7月、FMいるか「ONE WORLD WAVE」で放送された内容をご紹介します。
 この番組では月替わりでいろいろな国の方をゲストに迎えてお話を聞いています。7月は本校のデルカーチ講師がゲスト出演し、ロシアまつりの話題をメインにお話しました。

 デルカーチ先生はロシアまつりでは常に企画、広報などで中心的役割を果たしています。ポスターやチラシなども毎回デルカーチ先生のデザインによるものです。
ロシアまつりは終了してしまいましたが、今読んでもまつりの側面がわかるおもしろい内容ですので、どうぞご一読ください。
 3回に渡り放送された内容を随時掲載しますので、今後もお楽しみに!

ゲスト:ロシア極東国立総合大学函館校
    講師 デルカーチ・フョードル(以下デル)

聞き手:財団法人 北海道国際交流センター
    事務局長 池田 誠(以下池田)
    
<7月5日放送 第1回 2008はこだてロシアまつりについて>

池田:デルカーチ先生、こんにちは。

デル:こんにちは。Здравствуйте(ズドゥラーストゥヴィチェ)!

池田:いよいよ7月に入りましたけれども。

デル:そうですね、また忙しくなりますね。

池田:なんで忙しくなるんでしょうかね。

デル:みなさん多分、おなじみになりましたロシアまつりというものが、今まで10回やりまして、今回は少しプログラムを変えようかということで、夏に回してみました。

池田:今までは11月ですよね。

デル:そうですね、11月上旬です。

池田:みなさんもう、その時期はロシアまつりだと思っていたんですけれども、なんと今年は夏にやります、と。

デル:そうですね、暖かい天気になりますように、今は祈るだけなんですけれども、外でやりたいとずっと前から考えておりまして、今年ついに実現させます。

池田:ちなみに先生は極東大学に来て何年ですか?

デル:函館の極東大学は1997年からですね。私はその大学(ウラジオストクの本学)の教え子でもあるわけですから、それは1987年に入学して、それからなぜかずっと、母校と関係を持っているわけです。

池田:卒業してから先生をやっているということですよね。さて、第11回はこだてロシアまつりですね。毎回テーマが決まっているようなんですが、今年はどんな?

デル:せっかく外でやるということで、ロシアには昔からある、まあ日本にもあるようなものだと思いますけれども、“ヤールマルカ”というものがあって、それはどうやって日本語に翻訳すればいいか、大学のみんなでその言葉を考えていたんですけれども、結局“楽市楽座”という言葉が一番当たるんじゃないかと思って、「ヤールマルカ~ろしあ楽市楽座~」というテーマにしたんですね。それは昔から、ヤールマルカというものは主に商業祭なんですね。様々な商人がいろいろなところから一つのところに集まって、例えばモスクワとか、ニジニ・ノヴゴロドとか、とても有名なところがあって、そこで大きな商業祭をやりますね。日本でもよく“フェア”という言葉が使われますが、実際にヤールマルカは英語のフェアに一番近いと言われています。そこで様々なパフォーマンスとかアトラクションとかもやっているわけですね。

池田:じゃあ、実際に今年のはこだてロシアまつりもそういうパフォーマンスがあるということなんですね?

デル:それに近づけばいいな、と思いますけど。

池田:さて、中身のほうはどんな感じなのでしょう。

デル:まずステージショーがありますけれども、いつもうちの鳥飼先生が担当しているコール八幡坂(合唱サークル)は、いつもは女子が多いのですが、今年は男子が多く集まっています。とても楽しみです。

池田:デルカーチ先生はコール八幡坂ではないんですか?

デル:私もその中に入ると思います。声だけはうるさいんです。また、今年3回目になりますが、人形劇をやります。今年は「三つの願い」という小さな劇をご紹介させていただきます。また、今年スペシャルのものもありますが、実はちょうどロシアまつりを行うときに、長崎からロシア製のバイクのマラソンがスタートして、ロシアまつりの現場でフィニッシュが予定されています。ナナハン(750㏄)ですね。そこでフィニッシュして、プレゼンテーションなどもします。

池田:単なる7月19日一日だけのおまつりじゃなく、その前から始まっているということですね。

デル:そうですね、向こうもとても楽しみだと言っています。またその当日は青函カップヨットレースもありますので、ロシアからヨットも入ります。海からも陸からもロシア人が来るということです。

池田:ロシア船上陸、みたいな感じですかね。いつも僕が楽しみにしているのはロシア料理なんですが、今年はどうですか?

デル:今年はきのこのスープが中心だと思いますけれども、串焼肉とかいろいろなものがあります。サラダとか、夏のメニューをちょっと出したいな、と思いますね。

池田:ちょっと違うんですね。ボルシチというのは冬のメニューですよね。

デル:そうですね、ボルシチに使う赤カブを収穫するシーズンは、秋に入ってからですね。今は夏なので、手に入らないという理由もありますけれども、夏のスープはきのことかいっぱい入っているので、それも出したいと思います。

池田:おもしろいですね。じゃあ、違った“夏のロシア”を楽しんでもらえるという…。

デル:そうですね、ロシアにも実は夏があります!暑いです、30℃を超えます。

池田:半袖は要らないのかと思いました。

デル:みんな半袖ですね。

池田:そうですか。まもなくということで、みんな準備をしているところですね。

デル:そうですね、学生たちも忙しくて忙しくて、勉強が間に合うか心配です。

池田:勉強もしながら、ロシアまつりの準備もする、ということですね。デルカーチ先生から、今年はこんなだから是非来てください、というのを一言いただきたいと思います。

デル:一生懸命がんばりますので、みなさん是非来てください。楽しみを保証します!


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2008年08月07日

「ロシア民謡と踊りの夕べ」函館公演のお知らせ

 社団法人 北方圏センターと函館日ロ親善協会が主催するサハリン芸術交流団「ロシア民謡と踊りの夕べ」函館公演を下記のとおり開催します。北方圏センター設立30周年を記念し、また函館市の「函館におけるロシア年」事業にも協賛しております。
 ロシア民謡舞踊団「エキゾチック」とロシア民謡アンサンブル「エトノス」が躍動感溢れる素敵なステージを披露します。「カチューシャ」、「カリンカ」、「百万本のバラ」など日本人にもおなじみの曲をメインに、多彩なレパートリーと美しい衣装で観客を魅了します。どなたでもお楽しみいただける内容ですので、是非ご覧ください。


日  時:平成20年9月12日(金) 開場18:00 開演18:30
場  所:金森ホール 函館市末広町14-12
入場料:自由席 1,500円 (当日券2,000円)
お問い合せ:函館日ロ親善協会(ロシア極東国立総合大学函館校内)
      TEL0138-26-6523

※ 前売り券は本校事務局でも取り扱っております。
※ 公演についての詳細はこちらをご覧ください。
http://www.nrc.or.jp/hakodateansanburu.pdf

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2008年08月05日

サミット狂想曲

 2007年4月、夕刊一面に“サミット開催地、洞爺湖に決定”の文字が躍った。私は、あるロシア人の先生にこう言った。「サミットが北海道で行われるんですって、プーチン大統領が来るかもしれませんよ!」
 先生はこう応えた。「サミットって何の?日本には何とかサミットというのが多すぎる。それにその時の大統領はプーチンじゃありませんよ。」
 しかし、この場合のサミットは紛うことなきG8サミット。世界の首脳がこの北海道の地に集結するのだ。誰になるにせよ、ロシアの首脳が来るとなれば、当然我々ロシア極東国立総合大学函館校も何らかの形で関わることになるだろう。
 函館市は大統領招致をロシア政府に要請した。ほかにも、根室市と白老町がそれぞれロシアとのゆかりをアピールし、招致に名乗りを上げたが、函館市がその縁の深さから最有力とされた。一生に一度あるかないかの経験、期待に胸がふくらんだ。

 年が明け、2008年2月、サフォーノフ・オレグ ロシア大統領府極東連邦管区大統領全権代表が初来日、大統領に直結する全権代表7人のうちの1人という要人が函館校を訪れた。その直前、また新聞が“ロシア大統領、函館訪問へ”と一面で報じた。サフォーノフ氏の来函はその伏線であり、大統領来訪の際には旧ロシア領事館や函館ハリストス正教会、ロシア人墓地、そして極東大学にも立ち寄ると書いてある。朝、家でそれを目にしたときには眠気も覚めた。

 それからがちょっとした騒ぎであった。会う人ごとに、大統領が来るんでしょ、すごいですね、などと言われ、貸切バス業者やホテルなどから問い合わせが相次いだ。函館校と同じ建物の中に在札幌ロシア連邦総領事館函館事務所があることもあり、警察のパトロールも強化された。消防署からの要請で、特別に避難訓練も行われた。だが、あくまでも我々は訪問される側であり、これらの手配に関してはロシア政府と函館市が主に行うことを説明し続けた。むしろ周りの方が熱を帯びている感じであった。
 様々なことが想定されていたようだ。洞爺湖に最も近い新千歳空港は、サミット時には参加国の特別機でいっぱいになってしまうことから、函館空港にも各国の政府専用機が駐機するのでは、との観測が流れる中、アエロ・フロート社の日本支社長が視察に訪れもした。函館港を埋め立てて造られた緑の島も、緊急のヘリポートになるのでは、と伝えられた。


■モスクワ第一テレビの取材

 マスコミの注目度も上がり、校長や学生に対する取材もかなりの数に上った。日本国内のテレビ、新聞、通信社はもとより、ウラジオストクの通信社、ボストーク・メディアやモスクワの経済新聞コメルサント、モスクワ第一テレビの取材も受けた。モスクワ第一テレビのクルーは、サミット直前から札幌に滞在し取材を進めていたが、ロシアと古くから関わりがあり、今も交流が盛んである函館を日帰りで取材に来たのだった。
 函館校では学生の授業風景を撮影したり、函館日ロ親善協会会長へのインタビューなども行った。函館ハリストス正教会や高田屋嘉兵衛の子孫への取材、函館市長への表敬訪問など、札幌へ戻る列車の時刻を遅らせるほど一日を精力的に使い、最後には「番組の中で、函館の話が一番長くなるかもしれません。」との言葉を置いていった。

 本当のところ、直前まで誰が函館入りするのか、誰もしないのかはわからなかった。5月に就任したばかりのメドベージェフ大統領は、洞爺湖サミットが本格的な外交デビューの場となることから、各国首脳との会談予定がびっしりで、函館まで来る時間が確保できないとのことであった。
 だが、プーチン首相が来るかもしれない、大統領夫人になるかもしれない、別の大臣かもしれない、など、サミット開幕の2、3日前までその状態が続いた。私たちはいつ誰が来てもいいように、廊下に赤絨毯を敷く準備までしていた。

 そしていよいよサミットの開幕。道内はもちろん、東京や大阪など本州の大都市でもテロを恐れ、厳戒態勢が取られた。洞爺湖周辺では一般客の出入りや上空の飛行などが厳しく制限された。テレビで“サミット警戒のため、通行止め”などという交通情報のテロップが流れ、現地とは離れている私たちにもなんとなく緊張感と高揚感が漂った。
 結局、函館には誰も来なかった。サミットに参加した首脳のうち、地方自治体を訪れたのは伊達市へ出向いたカナダ首相だけに留まった。窮屈な日程だったことと、9.11以降初めて日本で行われる今回は、前回の九州・沖縄サミットにも増してテロを警戒したため、首脳たちが各地を訪問しての交流が見送られたのだ。

 終わってみれば、この1年ちょっとの騒ぎは何だったのか、とも思う。しかし、我がロシア極東大学函館校への注目度が高まったのは事実である。それは昔からロシアとの交流を続け、今もなお深いつながりを持つ函館に対する評価でもあるだろう。
 来道直前、北海道新聞一面に、メドベージェフ大統領が読者に寄せたサインつきのメッセージが掲載された。大統領は日ロ両国の交流の歴史に触れ、この善隣と信頼の伝統は、今日も生き続けている、とした中で、極東大学の分校が函館に開校したことを一つの例に挙げ、こうした事実がいずれも、友好的な交流を強め、発展させていきたいとの双方の思いを物語っているからだと述べている。
 
 サミットが終了した7月末、また新聞が伝えた。今度は11月にラブロフ外相が“日ロ外交の出発地”である函館への訪問、講演を検討しているという。狂想曲はまだまだ続くようだ。

ロシア極東国立総合大学函館校 事務局 大 渡 涼 子

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2008年07月22日

私と函館日ロ交流史・・・・「はこだてと外国人居留地:ロシア編」を作成するまで

 憧れの地であった函館で教員生活を送りたいという願いを抱いて、美瑛高校から上磯高校に赴任したのは1999年(平成11年)4月ですから、函館地域での生活は10年目を迎えました。
 もともと、幕末から明治維新期の外国との関係に興味を持ち、30年前頃から箱館開港史について研究をはじめました。当初は横浜でのイギリスとの関係から始めたのですが、“北海道に生活していながら、横浜でもないだろう、函館があるじゃないか”という思いでズーと遠くで函館を見つめてきました。

 函館への赴任の思いを加速させたのは、函館日ロ交流史研究会の設立とロシア極東国立総合大学函館校の開校でした。このころから函館とロシアが自ずと2重写しになってきました。函館日ロ交流史研究会には1998年、市史編纂室を訪ね、亡くなられた清水恵さんに入会を申し込んだ記憶があります。当時は清水さんが函館の日ロ交流史研究を精力的に進められていて、函館日ロ交流史研究会の一つの黄金時代だった気がします。

 この頃から、私の関心は開港期よりも半世紀以前のラクスマン来航からゴロヴニン事件の頃に移っていましたが、函館日ロ交流史研究会や清水さんの著作に学ぶなかで、20世紀初頭から30年代にかけての露領漁業時代に函館がウラジオストクとカムチャッツカ方面の中継港として今日では想像できない活気があったことを知りました。
 そのことは、函館のシンボルともいうべきハリストス正教会復活聖堂のように幕末開港期から始まる史跡でも今日の姿になったのは、1916年という露領漁業の全盛期であったことに象徴されています。今回のマップ掲載の史跡でも、旧ロシア領事館、旧シュウエツ邸、旧リューリ商会店舗、旧堤商会事務所など現存するものはほとんどこの時期のものです。

 ただ、露領漁業の先駆者が、幕末の箱館でニコライにロシア語を学んだ合田光正という人物であったこと、そのニコライが箱館に来た重要な動機がゴロヴニンの『日本幽囚記』を読んだこと、これらを考えると函館日ロ交流史には浮沈はあるものの、切れ目なく一本の糸が貫いていることが読み取れます。この辺は、リーフレットの「はこだてとロシアの交流の歴史」、「はこだてとロシアの交流史・ミニ年表」や参考資料として函館日ロ交流史研究会HPに掲載の「函館に関わる日露交流史」(2005年「日露修好150周年回航事業」船上セミナー)などをご覧頂ければと思います。
 函館日ロ交流史研究会でお迎えした、函館で育ったガリーナさんやオリガさんのお話を聞いても戦前は市民レベルのロシア人との交流が連綿とあり、むしろ戦後の米ソ冷戦期の交流断絶のほうが深刻な気がします。
 
 ところで、私は上磯高校に赴任すると同時にロシア極東国立総合大学函館校のロシア語市民講座に通い始めました。それまでロシア語を学んだ経験はなく、50の手習いで、函館日ロ交流史研究には必須条件と思い、苦しみながらも楽しく学習を続けてきました。5年目にユーラシア協会の講座に移りましたが、ロシア極東国立総合大学函館校の諸先生には今も感謝しています。一昨年、目標としてきた、あるロシア語の研究論文(露米会社に関するもの)を翻訳しました。最近は幕末開港期に研究関心を集中しているので、この時期のロシア語史料に挑戦しようかと・・・・私の場合、こうでもしないとロシア語学習のモチベーションが低下してしまうのです。目下、NHKの講座で錆び付かないように心がけていますが、かなり錆び付いています。

 昨年、数人の同じ関心を持つ仲間と「はこだて外国人居留地研究会」を設立し、「はこだて外国人居留地マップ」を作ろうという構想も出てきました。たまたま2009年の「開港150周年」に出会い、今年は、函館市「函館におけるロシア年事業」もあり、ロシア編から作成しました。ロシア編は函館日ロ交流史研究会の中心メンバーでもある倉田有佳会員から、とくに20世紀の事項について全面的な協力を得ました。本来、函館日ロ交流史研究会でも計画していたことでもあり、開港期を中心にという条件はありましたが、新しい研究会の息吹きで完成にこぎつけたことを嬉しく思っています。

 最後に、サミットでのロシア大統領の来函はかなわず残念でしたが、市民レベルの日ロの日常的交流がなければ、国レベルの理解も進まないのも事実です。このマップ・ロシア編が市民レベルの日ロ交流の一助となればと願うものです。

はこだて外国人居留地研究会 代表 岸 甫一

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2008年07月02日

ラジオ番組のお知らせ

 7月に入り、いよいよ「2008はこだてロシアまつり」も近づいてまいりました。このまつりのご紹介を兼ねて、以下のラジオ番組に教職員が出演します。

 特に、FMいるか「ONE WORLD WAVE」では3週に渡り、まつりのこと、ロシアの現状などをデルカーチ講師が軽妙洒脱に語ります。ウラル・ジャパン社のオレーシャさんも東京から電話出演し、まつりに合わせて来函するオートバイ・ツーリング・ツアー「全日本ウラル・マラソン」のことをお話ししてくれます。
 函館地区のみの放送となりますが、是非お聴きください。


 FMいるか 「ハッピーサタデーまるチャンネル」内
  「ONE WORLD WAVE」 
 2008年7月5日、12日、19日(土)3週連続 13:10~13:30
 出演:ロシア極東国立総合大学函館校
     講師 デルカーチ・フョードル

 HBCラジオ 函館市広報番組「市民の時間(市政パトロール)」
 2008年7月14日(月) 11:45~11:50
 出演:ロシア極東国立総合大学函館校
     事務局  大渡 涼子

 FMいるか 函館市広報番組「市政だより」
 2008年7月17日(木) 8:20~8:25、17:45~17:50(再放送)
 出演:ロシア極東国立総合大学函館校
     事務局  大渡 涼子

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2008年06月27日

ミリオン・ズビョースト 第56号

 函館校の学報であり、函館日ロ親善協会の会報であるミリオン・ズビョースト/百万の星 第56号を函館校のページに掲載しました。

 今回の巻頭言は、パドスーシヌィ・ワレリー教授による「『主要8カ国』サミット-歴史と意義-」。まもなく開催のG8北海道洞爺湖サミットと、関連行事であり我が極東大学も参加するG8大学サミットについてのお話です。

 また、今春日本各地から函館校の仲間となった1年生による投稿では、3ヵ月を過ぎた学生生活について、それぞれの思いが語られています。ウラジオストク1ヵ月留学を終えた2年生による感想文もあります。是非ご一読を。

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2008年06月18日

北海道しらかばラムネ

 白樺(берёза:ベリョーザ)はロシアで最も愛されている木。函館校で市民向けに開催しているロシア文化講座、「はこだてベリョースカ(берёзка:白樺の若木)クラブ」は、白樺のように親しまれる講座になるように、との願いを込めて名づけられたものです。
 白樺はまた、古くから習俗やロシア正教会の儀式の中で使用されるなど、重要な役割を果たしてきました。ロシア人は白樺を特別な力が備わったものと考えていたのです。
 ベレスタ(бреста)という白樺の皮でできた小箱や櫛、髪飾りなどは、精巧な細工が施され、軽くて柔らかい手触りを特徴とする、シベリア特産の工芸品です。白樺には自然の防腐・殺菌作用があるため、食料品の保存や薬箱としても重宝されていました。ガムでおなじみのキシリトールは白樺から採れる甘味料。そのほか、抗酸化作用や保湿効果もあるため、最近では化粧品にも白樺エキスが配合されるなど、注目を集めています。

 でも、白樺の一番の楽しみ方はその樹液(берёзовый сок)を飲むこと。雪解けが始まるとロシア人は森に入り、白樺の幹に小さな穴を開け、ストローを差し込んで樹液を吸います。春を目の前に、大地の養分をぐんぐんと吸った白樺の木は、樹液を豊潤に蓄えています。樹液といっても水のようにさらさらで、そのまま飲むことができるのです。ロシア人はこの白樺樹液が大好きです。無色透明でほのかに甘く、くせがない柔らかな口当たり。白樺の恩恵に与ったら、今度はその穴から虫が入り込まないように、松脂などできちんと蓋をします。
 残念なことに、貴重な樹液は雪解けからのほんの4週間ほどしか採取できません。芽が吹く季節になると、樹液はぴたりと流れ出るのをやめてしまうのです。樹液自体も時間が経つとすぐに味が変わってしまうほどデリケートなので、保存するのも難しい、だからこそロシア人は厳しい冬を越え、春の訪れを待ちわびて森に入るのです。この習慣はアイヌや他の北方民族にもあるようです。

 北海道でも最近では白樺樹液を製品化し、販売しているところがあります。函館の隣町、七飯町にはこの白樺樹液を10%配合した「北海道しらかばラムネ」を作っている工場があります。コアップ・ガラナで有名な株式会社小原さんが、今年はじめて、道内限定で3万本生産したもので、空港や道の駅などの土産物屋でしか手に入れることが出来ません。

 このラムネを今年のロシアまつりで販売できることになりました。暑い夏、北海道の青空の下でさわやかにラムネをあおる姿を想像してみてください。少しでもロシアの風を感じませんか?

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2008年06月09日

シャシリクは男の料理

 シャシリク、と言えばロシア人の大好きな串焼肉。ハーブやスパイスを用いてマリネにした肉を炭火で焼く料理です。
 ボルシチがそうであるように、シャシリクの味付けも地域や作る人によって様々。使う肉も豚だったり牛だったり、時には羊だったり。3cm角の肉を金串に刺し、炭火でふっくらジューシーに焼き上げます。
 函館校でも年に何回か、シャシリクパーティーを開きます。シャシリクというのはたくさん作らなければおいしくないし、大勢で食べたほうが絶対においしい!つまり家のキッチンで作るものではなく、屋外でわいわいと楽しむものなのです。

 函館校では毎年、教職員がロシア人墓地の清掃作業をしたあとはシャシリクパーティーと決まっています。これを楽しみに、札幌の領事館からも大勢のロシア人が集まります。仕込みを担当するのは、シャシリク名人・アニケーエフ先生です。
 アニケーエフ先生のシャシリクはいつも豚肉。目分量で味を見ながら漬けていくので、決まったレシピはありませんが、それはもう、先生の魔法としかいいようがないくらい、おいしい。誰にも真似が出来ないのです。
 味付けにはたくさんの野菜とスパイスを使います。玉ねぎ、パセリ、万能ねぎ、ときには三つ葉(ロシア人にとって香りのいい草は全部ハーブだそうです。日本人は通常、おひたしやお吸い物など日本料理にしか使いませんけど!)などを刻みます。つぶしたにんにく、塩、黒胡椒、ローリエ、レモン汁、酢などで味付け、アニケーエフ先生は使いませんが、赤ワインを混ぜる場合もあります。そして一晩寝かせるのですが、大量に作るので、肉を揉み込んで味を浸み込ませるのも一仕事。だからシャシリクは男の料理なのです。

 翌日、よく漬かった肉を串に刺し、炭をおこしてじっくりと焼く。そこら中に香ばしい匂いが広がります。熱々をほおばると肉汁が滴り落ちて、そのおいしいことと言ったら!
 集まった仲間で酒を酌み交わし、話に花を咲かせ、興に乗じて歌が飛び出す。だからみんな、シャシリクパーティーが大好きなのです。

*そのシャシリクが今年のはこだてロシアまつりで味わえます。是非ご来場を!

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2008年05月20日

「ゆきのまち通信」をご存知ですか?

 「ゆきのまち通信」という雑誌をご存知でしょうか?雪降る地方の暮らしをつなぐコミュニケーション誌として、青森の企画集団ぷりずむが年6回発行しているものです。今年18回目を迎えた「ゆきのまち幻想文学賞」は、地方の文学賞としては応募作品数も多く、レベルの高いものとして評価されるなど、志の高い雑誌としておもに雪の降る地域で読まれています。
 
 この雑誌の最新巻116号(2008年5月1日発行)に縁あって本校パドスーシヌィ・ワレリー教授のエッセイが掲載されました。“THE ゆきのまちNEWS [WORLD編]”というコーナーに「雪の想い出」と題して、ウラジオストクで生まれ過ごした子ども時代のことや、大学院生の時3年間暮らしたレニングラード(現在のサンクトペテルブルグ)のことを書いています。
 機会がありましたら是非お手にとってみてください。

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2008年05月15日

オープンキャンパスとロシアまつりのお知らせ

 ロシア極東大学函館校では様々なイベントを通して、函館校に、そしてロシアに親しんでいただきたいと思っております。
 この機会に、函館・元町にあるキャンパスを気軽に訪れてみませんか?
 詳しくは函館校ホームページでご確認ください。

第1回 オープンキャンパス 
2008年6月14日(土) 13:00~15:00


2008はこだてロシアまつり
2008年7月19日(土) 12:00~17:00

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2008年05月09日

ロシア語クラブ

 1945(昭和20)年の敗戦後間もなく私が中学生だったころ、当時盛んに流れ込んでいた欧米の映画に混じって、1本のソ連映画が紹介され評判になりました。「石の花」というその作品は、当時まだ珍しかった“総天然色(カラー)”映画で、それを観たのが今にして思えばロシア語に接した私の初体験でした。
 その後大学に入り、社会主義への関心の高まりを背景に、個人的にはトルストイの『戦争と平和』にのめり込むなど、ロシア語を勉強してみたいという気持ちが深まったように思います。大学2年の時、教養科目におかれていたロシア語を選択することにしました。ところが、地道でまじめな努力を怠ったせいで、一夜漬けの試験勉強で何とか単位はとれたものの、“基本のアルファビート”すら身につかず、結局20年も経って一から学び直すことになります。
 
 大学を卒業し母校の函館東高校に勤め始めて10数年経った頃、私は当時図書館分館で毎年開かれていたロシア語講座に思いきって参加することにしました。1973(昭和48)年から2年間通いました。この講座は戦後の函館で長い歴史を持ち、年齢・職業の様々な方がおられて男性、女性も半々くらいでした。1年目の初級クラスでは、高専のY先生から基本をしっかり教えて頂き、私もようやく33のロシア語字母と簡単な挨拶・文章が頭に入るようになりましたが、この教室の特色は何と言っても、かつて日魯漁業の社員の奥さんとなられ永く函館に在住されていた成田ナデジダさんに、発音の指導を受けることができたことでしょう。

 ところで本題のロシア語クラブについてです。昭和48年というのは、高校の新学習指導要領でいわゆる“ゆとり教育”の導入が決められ、本来の自発的な部活動とは別に、生徒全員が何らかのクラブ活動に参加する「必修クラブ」制が始まった年でした。東高校でも初年度は文化系・運動系合わせて20のクラブが設けられ、ペン習字・囲碁将棋・凧などといったものもありました。私はさっそくこの機会に便乗して、2年目から「必修ロシア語クラブ」を開設したというわけです。

 昔から、人に教えることで自分が一番学ぶことができる、と言われています。ロシア語クラブを始めた年、分館の講座は中級に進んではおりましたが、自分自身がまだまだ未熟なのに大胆にも教えたとは、今考えれば冷や汗ものです。ただ、集まってくれたあまり多くない(多分5、6人の)生徒たちと一緒に、日本では少数派の外国語であるロシア語を学び楽しめたのは幸いでした。手元に残るノートによれば、第1回目はロシア語の系譜について、インド=ヨーロッパ語族に属する言語として英語と共通するвода(water)といった単語があることを専門の世界史と結びつけて説明したり、アルファベットを覚える際は英語を忘れること、などと強調した覚えがあります。

 必修クラブ制は結局なし崩し的に廃止となります。ロシア語クラブもどれ位のことを勉強できたのか、今では記憶があいまいです。多分、ロシア極東国立総合大学函館校の玄関脇の易しいロシア語くらいは分かるようになったと思いますが、そのほかロシアの民謡やポップス――「ともしび」「カチューシャ」「モスクワ郊外の夕べ」など――をテープで聞き、一緒に歌ってみたことも、今や懐かしい思い出となりました。

 ロシア語クラブから30数年、去年、函館東高校と函館北高校が統合され発足した市立函館高校では、生徒諸君にロシア語を学ばせるカリキュラムを作ったと聞きました。日ロの正式な国交樹立で函館に最初の領事館がおかれてから丁度150年の今年は、色々な行事が行われるようです。地元の若い人たちが、これをきっかけとして、“懐の深い北方の隣人”ロシアへの関心と新たな経済・文化の交流を深めてくれれば、と願っております。

元函館東高校教諭  俵  浩 治

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2008年05月07日

世界がガチャガチャした夜

 春の宵、八幡坂が一夜限りのお祭りでにぎわいました。
 4月18日(金)に開催された「バル街」の中のイベント、“フィエスタ・デ・バル~世界ガチャガチャ夜市~”の中で、我々函館校は学生によるロシア民族衣装体験コーナーを出展しました。

 その夜は我々ロシアチームの右隣がアラブやポルトガルの焼き菓子を売るチーム、左隣は香港の胡桃のおしるこを売るチームとまさにワールド・ワイド。1時間ごとに演者が交代するライブではアメリカ・カントリーあり、フルートとピアノのジャズあり、お抹茶席やバングラディッシュの雑貨を中心としたフェアトレードショップも出店しました。

 はじめは子供連れなど、このガチャガチャ市がお目当てのお客さんが多かったようですが、夜が更けるほどに、「灯りが付いているので寄ってみた」というバル街参加者が気軽に訪れてくれました。ほろ酔い気分のお客さんで会場は大いに盛り上がり、急きょ終了時刻を延長するほど、世界がガチャガチャしたいい夜でした。

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2008年04月25日

映画のエキストラに挑戦!

 絵になる街・函館では、昔から映画やドラマのロケーションがよく行われる。函館には市や経済界を中心に構成された「はこだてフィルムコミッション」という団体があり、あらゆる面で撮影をサポートしている。
 ロケにはエキストラが付き物である。たとえ主役はきれいな女優さんでも、脇役の脇役だとしても、エキストラがいなければ臨場感のない映像になってしまうことだろう。
 2006年の秋から2007年の夏にかけて、映画「犬と私の10の約束」の撮影が、ここ函館を舞台に行われた。その最初の頃のロケで、私たちの大学にも、フィルムコミッションからお呼びがかかった。卒業式の後の謝恩会のシーンを撮りたいので、女子学生を集めてほしい、袴を履かせてあげるから楽しいよ、と。ついでにあなたもいらっしゃい、とのことで、私も学生を連れて初めてのロケに喜び勇んで出かけた。
 夕方5時に撮影場所である金森赤レンガ倉庫に行くと、まず食事をしてくださいということで、カレーライスが振舞われる。他大学からもたくさん学生が集まっていたので、その場はちょっとした交流の場となった。
食事が済んだ人から着付けや髪のセットをしてもらい、立派な袴姿になっていく。私も袴を履きたかったのだが、学生にしては無理があると言われ、残念ながらスーツ姿で大学の先生役となった(さすがに厚かましかったと反省。父兄にされなかっただけ、まだまし)。
 
 謝恩会場となるレストランに移動し、いよいよ撮影開始となる。女優さんに話しかけてはいけません、とか置かれている食べ物を全部食べてはいけません、など注意事項の説明を受ける。そしてついに、主演の田中麗奈さんと池脇千鶴さんが現れた。二人とも小柄だけどとっても光り輝いている!さすがは名の通った女優さんたち。そしてうちの学生たちはこの二人の同級生役となり、私はその先生役だ。主人公が獣医学部を卒業という設定だったため、私は助監督から“バイオテクノロジーを研究する助教授”という、自分とは全くかけ離れたイメージで演じるよう指示された。
 とは言え、セリフがあるでもなく、どの場面がどう使われるのかもわからないまま、謝恩会にお決まりのみんなで記念撮影、や不出来な卒業生を激励する、等を繰り返し繰り返し行う。これなら普段からしていることなので簡単である。撮影は休憩も入れながら、深夜12時近くまで行われた。
 終了後、夜食のお弁当と記念のTシャツをもらう。ただ働きのエキストラでも、2食分とおみやげまでいただいて、きれいな女優さんも間近で見られたし、とても貴重な経験だったと思う。うちの学生たちもかわいらしく着飾ってもらえたし、満足満足。

 そして、2008年春、その映画がようやく公開になった。長期に渡ったロケにより、函館の街並み、特に函館校のある西部地区の様子が四季折々に美しく描かれていた。函館をよく知る人なら、あれはここ、あれはあそこ、と一々嬉しくなるだろう。犬のソックスの名演技には会場全体が泣いていた。
 肝心の出演場面は、というと、窓に背を向けて座る私に、よその学生が何かを説明しているところが遠くから3秒ほど写っているだけであった。それでも自分たちが映っているかもしれないと思いながら映画を見る高揚感は、エキストラ参加でもしていなければ味わえないもの。いい思い出になりました。
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ロシア極東国立総合大学函館校事務局 大 渡 涼 子

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2008年04月21日

WELCOME TO RUSSIA ~函館からの発信~ 2

 今回の広告制作の手順は以下のとおり。
 まずロシア連邦観光局から委託を請けたモスクワの広告代理店ターゲット・メディア社から提供された資料を元に、写真を選定し、コピーを考えます。ポスターなら教会の尖塔が立ち並ぶロストフ・ヴェリキーの写真を選び、「そこにしかない風景。」をキャッチコピーに、「そこにはアジアでもヨーロッパでもない風景があります。石造りの聖堂や教会、修道院、クレムリン…。はじめて見るけれどどこか懐かしい、日本から最も近い異国ロシアへ。」という文章が続くといった具合です。

 新聞広告は計8回、ヴォルガ川やタイガ、田舎暮らし、バイカル湖など、多岐に渡るロシアの魅力にスポットを当てました。シベリア鉄道の回では「またとない退屈」と題し、「はじまりは富山。フェリーに乗りウラジオストクへ。そこから、世界最長のシベリア鉄道にゆられ、モスクワまで1週間の旅。同乗する人々との語らい、車窓に広がる広大なタイガやバイカル湖の眺め。心地よい退屈に身をまかせましょう。」という感じです。

 函館校教職員が写真を選びながら活発なブレーン・ストーミングをして文章をひねり出す。写真と文章を函館の広告代理店に渡すと、それをもとにデザインしたものを4パターンほど作ってくる。その中から、ロシア人と日本人がそれぞれの感覚で意見を出し合い、1つの案に絞る。ロシア側から提供された写真に思い描くようなものがない場合は、我々の手持ちの写真を使うほか、時にはロシア在住の卒業生に頼み、写真を撮って送ってもらう。
 そう、特筆すべきは、この卒業生による協力です。日本側代理店である(株)函館国際貿易センターでも、函館市内で屋外広告を製作・設置した会社でも、中心になって働いたのは、実は函館校の卒業生たちなのです。
 函館校から発信するこのキャンペーンが、教職員そして卒業生の英知を結集し、日本とロシアをつなぐとしたら、なんと素敵なことでしょう!

 “WELCOME TO RUSSIA” ~またロシアへ行きたくなりませんか?(おわり)

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2008年04月16日

世界ガチャガチャ夜市のお知らせ

 今回で9回目となり、函館にすっかり定着したイベント、「バル街」。函館の旧市街(西部地区)をスペインのバル街に見立てて飲み歩くというもので、バル街のある夜は函館校の周りも陽気な酔客で賑わいます。

 しくみを簡単に説明すると、5枚綴り3,000円のバル街チケットを買い、バル街マップを見ながらいろいろなお店をはしご酒するというイベント。各店ではチケット1枚につき、自慢のピンチョー(おつまみ)と飲み物を提供します。ここ西部地区には素敵なお店がたくさんありますが、普段興味があっても入りづらかったお店にも気軽に入ることができると評判です。

 そのほか、人力車の無料乗車体験やフラメンコの上演など、チケットを使わなくても楽しめるイベントもたくさん予定されています。
 そんな中、北海道国際交流センター(HIF)が主催する“フィエスタ・デ・バル~世界ガチャガチャ夜市~”に私たち函館校も協力することになりました。
 当日はアメリカン・カントリーやジャズのライブ、ポルトガル・タイ・中東などの世界のお菓子&お茶コーナー、フェアトレードショップなどが楽しめます。
 函館校が参加するのは世界の民族衣装試着コーナー。ベトナム・インド・マレーシアなどの国とともに参加します。お手持ちのカメラで自由に撮影していただけますので、デジカメやカメラ付き携帯を手に、是非遊びにいらしてください。

<フィエスタ・デ・バル~世界ガチャガチャ夜市~>

日 時:平成20年4月18日(金) 18:00~21:00
場 所:函館市国際交流プラザ 大会議室
   (函館市元町14-1 函館校建物の1階です)
*バル街チケットは必要ありませんので、どなたでもお気軽に。

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2008年04月14日

ミリオン・ズビョースト 第55号

 函館校の学報であり、函館日ロ親善協会の会報であるミリオン・ズビョースト/百万の星 第55号を函館校のページに掲載しました。

 今回の巻頭言は、中村勇人 前事務局次長による「タイドプールとしての函館校」。先頃本校での2年間の任期を終え、函館市に復帰した中村さんが、函館校での出会いについて語っています。

 また、今春函館校を卒業し、社会への第一歩を踏み出した若者たちが、学生生活に対する思いも寄らない心の内を述べていて、興味をそそります。是非ご一読ください。

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2008年04月08日

WELCOME TO RUSSIA ~函館からの発信~ 1

 美しく重厚な文化遺産と個性豊かな自然があふれるロシア。
 連邦政府は現在、アジアやヨーロッパ諸国からの観光客誘致に力を入れており、2007年からは日本もキャンペーン対象国となりました。日本でまだ知られていない魅力を紹介すべく、ロシア連邦観光局がキャンペーンを進めるにあたり、函館にいる私たちがそのお手伝いをした顛末をお話しましょう。

 この仕事は株式会社函館国際貿易センターが日本側代理店として受託、日ロ双方の事情に精通するわが函館校がアドバイザーとして、ポスターや新聞広告制作などに協力したものです。

 すべてに共通するキャッチフレーズは“WELCOME TO RUSSIA”。
そして2007年、第1回目のキャンペーンとして函館市内の空港や電停・観光地など約30ヵ所に屋外広告を設置すると同時に、北海道内で新聞広告を掲載することから始まりました。
 このときには「ロシア歴史に出会う旅」と題し、モスクワからサンクトペテルブルクへと続く“NEW GOLDEN WAY”の8都市について紹介しました。
 ロシアと言えば、モスクワ北東部の古都を結ぶ“GOLDEN RING”、いわゆる「黄金の輪」が有名ですが、今回はまだあまり知られていない町、トルジョクやヴェリキー・ノブゴロドなどを紹介するのが目的でした。

 この函館市内での広告が好評だったため、次なる展開としてロシア側は東京でのキャンペーンを提案してきました。たとえば、東京の広告代理店が地方へ発信するのは普通のことですが、地方から東京へ、しかも外国政府の仕事を請け、仕掛けることは、異例のことと言えるでしょう。
 第2回目のキャンペーンとして、B0サイズ(1.5×1メートル)のポスターが国会議事堂や桜田門といった東京メトロ40駅に2008年3月中の約2週間、貼り出されたのです。

 同時に2~3月の間、北海道およびウラジオストクとの定期航空路を持つ富山県にて新聞広告によるPRも展開しました。(つづく)

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2008年03月26日

「ボルシチ」を中国の上海で。

080327.jpg上海で? そう上海で。
上海では、洋食としてロシア料理が浸透していた。
レストランから家庭にまで普及し、根づいた洋食料理のひとつに「ボルシチ」がある。
祖界時代に、ロシア人から伝わったものだ。

中国語で「羅宋湯(ルオスンタン)」、ロシアのスープ=ボルシチとして伝わっている。
そのころ、洋食を口にした事のない中国の人々にとって、ハイカラなスープだったに違いない。
若者たちがデートでボルシチを食べに行き、また、親子の団らんの中にもボルシチがあったのだろう。
そして時の経過とともに、お洒落な洋食から家庭の味にもなった上海の洋食の1つである。
日本のカレーライスのような感覚なのかな?と思いつつ、ボルシチが上海の食文化に深く根づいていた事は今まで気が付かなかった。

上海の祖界時代中、フランス租界には、外国人として一番多く生活していたのがロシア人である。
街はロシア料理店が並び、人々が行き交い、またロシア語を大事にもしていたらしい。
今なお残るロシア教会が、その時を教えてくれるようだ。

がっ、しかし。ボルシチといえども、このスープ「羅宋湯」は、赤ビーツを使ったものではない。
「赤ビーツを使ってないならボルシチじゃないよ。」と言いたいところなのだが、私はあえて「羅宋湯」を「上海ボルシチ」と呼んでしまいたくなる。
本当に上海の「羅宋湯」に出会うまで、私は日本で赤ビーツを使わないボルシチが「ボルシチ」として提供されていることに違和感すらあった。

だが、旅の終わりとともにその違和感は、なんと綺麗さっぱりと消え去ってしまった。
各国のさまざまな店で、ボルシチをトマトベースで作っていることに対してさえ、やさしい眼差しに変わった。そんな「上海ボルシチ」との出会いであるのだ。
日本でも同じように、ボルシチはロシア人から伝わったもののはず。
今も作られつづけている上海のボルシチと日本のボルシチの味も似ている。

「トマトベースのボルシチとは、ロシア人が教えてくれたロシア風スープ」という大きい括りを勝手に作り、トマトベースのボルシチも「ボルシチ」であるとした今日この頃の私。
当時のことを考えると、上海でも日本でも赤ビーツの入手または栽培は、大変難しかったのではないだろうか? 租界で生活するロシア人でさえ、もしかすると赤ビーツのボルシチは口にはできなかったかもしれない。日本でもようやくビーツが周囲に認知され、栽培されはじめ、食卓にのぼりつつあるのだから。数十年も昔には赤ビーツは、アジアでは珍しいものだったに違いない。しかも赤ビーツは寒冷地野菜のイメージもある。上海は温かいと、こぎつけて思うのであった。

愛国心を一杯のスープに…、心の味、ビーツの味。心の色、ビーツの色…。
きっとそれをトマトに託したのであろう。
洋食が広まっていく中で、ロシア人から教えてもらった料理の一品に、ボルシチ(ロシア風スープ)として教えてもらったスープがあったのなら、それは「ボルシチ」なのだ。
たとえ、ビーツが入っていなかったとしても…、それでいいのだ。

トマトベースのボルシチを「ボルシチ」じゃないと思っていると、その流れを見失う。
文化の流れ、食の流れ。時の流れ。
もっと簡単に、日本国内で提供されているトマトベースのボルシチも「ボルシチ」であると考えて良かったのかもしれない。食の歴史は、自分の思考の時間よりも古くて長い。
ルーツは、はるか大陸から、そして島国へ…。

そう、そうなのである。ボルシチに、ビーツがあるなしを問うのではなく、両者を認めずして語れずといったところである。
もっと気持ちを整理するなら、例えば餃子がシルクロードを渡り、各地で形を変え名称を変え、独自に味が変わり民族の食卓に浸透していくように、「ペリメニ」を「ロシア風水餃子」なんて言ってみたりしているではないか。
そんな「ペリメニ」のように、「上海風ボルシチ」などとして「羅宋湯」をそう呼んでみようと思う。
赤ビーツを使ったボルシチを「ロシアンボルシチ」。トマトベースのボルシチを「上海風ボルシチ」。そんな感じだろうか…。

この「上海風ボルシチ」もまた美味である。牛肉ブイヨンにトマトベースの野菜スープ。
ポタージュまでのとろみはないが、シャバシャバした感じではない。
残念ながら、私が食べたかったお店は、万博に向けての改装工事地域内のようで、営業していなかったため、別のお店で「ボルシチ」をいただいた。
食しながら、「上海風ボルシチは、ロシアへのつながり。明日、日本へ帰ってからは日本のボルシチをも愛そうと…。ロシアへとつながるのだ…。などと考えていた…。どこで食べても、奥深い一品に変わりなく。」そう、思っていた。
作る人への感謝を込めて。これからも、いろんなレストランヘ足を運んでいきたい。

函館校卒業生 山 名 康 恵

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2008年02月28日

ロシア人が好きな日本のお菓子とは?

 そう問われたら、私は間髪入れずこう答える。間違いなく答える。
それは「六花亭のマルセイバターサンド」。説明するまでもない、北海道みやげの定番である。六花亭は道東・帯広市に本社があるお菓子屋さんであり、以前は札幌のデパートまで行かなくては買えなかった。この頃は六花亭のお店が函館市内にも出来、購入しやすくなったとは言え、自分ではなかなか買わないものだ。
 私も子供の頃、初めて口にしたときには文字通りバタくさい味がそれはそれは衝撃的で、世の中にこんなにおいしいお菓子があるのか!と大げさでなくそう思ったが、それにしてもうちのロシア人たちの喜びようは尋常ではない。
 
 函館校の教職員室には小さなお茶コーナーがあり、休み時間にはみんな自由にお茶を楽しむ。頂き物のお菓子があるとそこに置いておき、好きなときに好きなようにつまむ。
 大概のお菓子はそれで済む。だがバターサンドの時だけは違う。先日もいつものようにテーブルの上に箱を載せておいた。すると最初に見つけた先生が「おお!誰からですか?」と声を上げる。そしてその様子を見て別な先生が「はー、あるなんて知らなかった!」と言い、その場所に集まると、次々とバターサンドを手にお茶を入れ始める。挙句、これを差し入れた人に向かい、(そこに姿があろうとなかろうと)「ああ、俺たちのことをわかっていてくれてありがとう!」と感謝する。何年経っても、何度頂いてもこうだ。まるでバターサンド祭りである。

 年齢・性別にも関係がないらしい。うちの先生に限らず、誰にあげても喜ばれる。たしかにおいしいが、それにしてもこの喜びよう。あるとき、「なぜそんなにバターサンドが好きなんですか?」と聞いてみた。返ってきた答えは「乳製品の嫌いなロシア人はいない」という至ってシンプルなものであった。ストレート過ぎる答えだ。

 ともかく、ロシアからお客さんが来た時、あるいはロシアへ行く時のおみやげは、マルセイバターサンドにすれば間違いなく先方は喜んでくれるだろう。函館校への差し入れも。そしてまだまだ、函館校のバターサンド狂騒は続く。

ロシア極東国立総合大学函館校 事務局 大 渡 涼 子

  

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2008年02月22日

FMいるか 遠峯エレーナさんを迎えて 3

FMいるか「ONE WORLD WAVE」で放送された内容をご紹介する最終回です。

ゲスト:遠峯 エレーナ(以下レナ)

聞き手:財団法人 北海道国際交流センター
      事務局長 池田 誠(以下池田)
     ロシア極東国立総合大学函館校
      事務局 大渡 涼子(以下大渡)

<11月17日放送 第3回 函館での通訳の仕事>

池田:さて、3週目に入りました。
エレーナさんはまだ函館に来て1年経たないそうですけれども、どういう生活をしているのかなあ、と。今週はエレーナさんの日々のことをお伺いしたいと思いますが、どうですか、落ち着きましたか?

レナ:そうですね、落ち着いて専業主婦にも慣れて、だんだん仕事をやりたいなと思っていろんな仕事を探しているんですけれども。

池田:毎日料理は作らねばならない、という話でしたけれども、仕事もちょっとずつやっているということですか?

レナ:まだ正社員ではないんですけれども、バイトとして通訳とか翻訳もやっていますね。通訳は極東大学から頼まれたり…。

大渡:ええ、これだけ日本語がお上手ですから。

池田:上手ですよね。

レナ:いえ、まだまだですけど。

池田:ロシア極東大学でも先生方は通訳もやってるんですか?

大渡:ええ、ロシアといえば、ということでうちに通訳依頼が来るんですけれども、うちの先生たちも学生に授業をするのが本業で、なかなかそれが本業ではないものですから、うちでまかなえきれない時にはエレーナさんにお願いしたりとか。

レナ:よくあります。嬉しいことです。

池田:極東大学は函館だけじゃなく、ほかからも翻訳の依頼とか来るんですか?

大渡:そうですね。たとえば夏場、日本のいか釣り漁船がロシアの海域内に入るときには必ずロシア人のオブザーバーを乗せなくてはいけないんですよ。

池田:いか釣り漁船に?

大渡:ええ、中型の漁船だったら日本人船員が7~8人のところにロシア人がたった一人で乗り込んで、日本側が決められた漁獲量を守るか、きちんと監視するんですよ。

池田:日本人がイカを釣っている訳ですよね、それにロシア人が必ず乗っていると…。
今、漁火がたくさん見えてますけれども、あれにも乗っているんですか?

大渡:あれは小型でロシアの海域まで入らないので乗っていないと思いますけれども。中型だと例えばカムチャッカとかサハリンとか、ロシアの海域内に入ることがあるんですね。それはロシアの国と日本の国との取り決めで、入って獲ってもいいけれども必ずロシア人オブザーバーを乗せてくださいね、と。

池田:エレーナさんはそれに乗ったことがあるんですか?

レナ:いか釣りに行ったことはないんですけれども、オブザーバーが函館に来たときに、1ヵ月とか2ヵ月とか長い間船に乗るので、その間の食べ物とか作業服とかの買い物をするときに私が通訳したり。あとは船に乗った時点で書類検査がありますね、それで書類が全部そろっているかとか、ハンコが足りないとか、そういうのを通訳しています。

大渡:函館から船が出港しますよね。そのときに去年はサハリン、今年はカムチャッカからオブザーバーが来る、そのように決まっていて、函館から乗り込むときに1ヵ月分の必要なものを買いに行ったり、お食事に付き合ったり、ホテルのチェックインを手伝ったり。

池田:長くないですか?

レナ:日本にいる間だけなので、一日二日です。出航に関係あるので、例えば台風が来たときにみんな船が港に戻ってきて急に頼まれたりもします。

池田:どうですか、おもしろいですか?

レナ:おもしろいんですが…、ロシア人として恥ずかしいこともいっぱいあって、必要以上の物を日本側に買ってほしいだとか、態度が悪かったり。日本の船頭さんに悪くて悪くて私が自分から謝ったら、「ロシア人とは前にも働いたことあるけど、みんなそうですよ」って言われてすごく落ち込んで。みんなそうではない、って自分が例になって見せたいんですけれども、自分は一人だけ。オブザーバーは何人も。

池田:オブザーバーになったらいいじゃないですか!そしてロシア人は違うんだぞ!って。

レナ:船を見送るときに「さようなら、いってらっしゃい!」って私が言うと、「なんで、どこ行くの?一緒に乗って行こう」って言われたりしています。

池田:オブザーバーは、女性はならないんでしょうね。

大渡:今のところ見たことはないですね。

池田:ほかに函館で仕事しているんですか?あるいはこんなことやりたいな、ってことがあれば。

レナ:函館はロシアのウラジオストクとユジノサハリンスク、二つの市と姉妹都市交流をしていますね。それで毎年青少年交流団が来ています。旦那は市役所に勤めて、その青少年交流の担当です。それで交流団が来たときに私が通訳として一週間ずっとついてガイドしたり学校訪問したり、いろいろしています。

池田:そういうのって、日本の学校を見れたりするいいチャンスですよね。いろんな知り合いも増えていきますもんね。

レナ:そうですね。より多くの人たちにロシアの紹介も出来ますし。子どもたち、特に中学生なんか私が通訳したときにみんなびっくりしてますよ。英語じゃない!なんか変な言葉だ!って。

池田:みんな英語を話すと思ってますからね。

レナ:それと身体障害者の交流もやっていますが、スポーツ大会に来たんですね。サハリンから来たロシア人もみんな参加して、楽しくやっていました。

池田:いい交流ですね。でも、今年の3月に来てそれだけいろいろな活動をするっていうのは素晴らしいですね。

レナ:そうですね、でもシーズンは夏です。

大渡:季節的なものもありますけれど、函館とロシアって繋がりが非常に深いので、需要はたくさんあります。ですからエレーナさんのように上手な方がいるととっても助かります。

レナ:私も助かります。仕事があって楽しくやってて。

池田:やっぱり仕事したいですか?

レナ:ずっと家にいると落ち込むこともあるので、外に出ていろいろ活発にやったほうがいいですね。

池田:結構お友だちはいるんじゃないですか?

レナ:仲いい友だちは二人ぐらいですけれども、これからまたいろんな人と知り合って。

池田:函館は結構おもしろい人たちもいますし、極東大学の先生方もそれぞれおもしろいですから。

大渡:とても個性的な先生が多いので。

池田:極東大学の先生は標準ではなくて、個性的な人が多いんでしょうかね。いろんなことが出来る人が多いような。

大渡:どうでしょうね。ロシア人って、みんないろんなことが出来ますよね。

池田:音楽が出来たりとかね、料理が得意だったり。

大渡:家の修理なんかもロシア人は全部自分でやりますよね。エレーナさんも床の修理とかね。

レナ:はい、床を張り替えたり。

池田:えっ、日本に来てから床を張り替えたんですか?

レナ:はい。うちの床を張り替えました。

池田:借りてる家じゃないですよね?

レナ:ばあちゃんの家ですね、一応ばあちゃんに借りてるんですけど、ばあちゃんなので。大阪でやろうとしたときには旦那にやめて、って言われて…。

池田:なかなかおもしろいですね。自分のことは自分でやるっていうのがロシア人。

レナ:私が思うには日本人は自分の家でも業者に頼むんですよね。それだとかなり高くなるので、家の修理とかリフォームとかなかなかしないですよね。ですけどロシアでは4、5年に1回壁紙を張り替えたり。床は悪くなったときに張り替えますけれども、壁紙は模様を変えたいとき、気分転換にって感じでやってますね。

池田:いいですね、そういう精神はね。
いやー、いろいろお話をお伺いしましたが、3回はあっという間だったような気がします。今度はエレーナさんのコーナーを設けてもいいぐらい、まだまだお話ありますよね。

レナ:ありますよ、いっぱい。

池田:また是非、今度はボルシチでも食べながらお話を伺いたいと思います。
ますます函館でご活躍していただけるようにと思っております。

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2008年02月18日

原産国ロシアの皆様

ペットとの生活でもしようか……、と思う2008年。
皆様は、かわいいペットといかがお過ごしですか?
いつもなんとなく、ロシアが原産国となるペットにそそられます。
ロシアン家族としてかわいらしさをかもし出してくれること間違いなしでしょう。
ペットショップなどでロシアが原産国となるものを見かけますが、「あなた、ロシアのどちらのご出身で?」そんな彼らの会話が聞こえてきそうです。


≪≪ 犬 ≫≫

★ シベリアンハスキー
 ( 英:Siberian Husky , 露:Сибирский хаски )
シベリアのツンドラ地帯チュコート半島に住む民族のチュクチ人を、北方の狩猟民族を含めてエスキモーという呼称が、やがてハスキーという呼称に変化しました。
橇を引く運搬、また狩猟といった生活を支える犬として生活を伴にしていたのでしょう。
キリリとした青い目は、北極海の氷河の色のようですね。 

★ サモエド = シベリアンスピッツ 
( 英:Samoyed , 露:Самоедская лайка )
中央シベリアで狩猟や漁業でくらすサモエド族のこの民族名が由来。
サモエド(Самоед)は、サモジー語を話す民族であるサモジー人(Самодиец )の旧称。
さらにサモジー人(Самодиец )は、ネネツ人Ненец、エネツ人Энец,ヌガナサン人Нганасан、セリクープ人Селькупなどの総称です。
この犬もまた人々と生活を伴にしていたことでしょう。
とても綺麗な真っ白な毛で、まさにシベリアの樹氷のような白さに、心に癒されること間違いなしです。

★ ボルゾイ = ロシアンウルフハウンド
( 英:Russian wolfhounds Borzoi , 露:Русская псовая борзая )
ロシアウルフハウンドと呼ばれていたが、ボルゾイに改名されました。
ボルゾイ(Борзой)には、1.ボルゾイ種の~ 2.ボルゾイ犬 という2つ意味がありますが、この語源にはボルジー(Борзий)があると思われます。
ボルジー(Борзий)は、民衆語の形容詞で廃語になっていますが、(馬の)足の速い~、
駿足の~ という意味です。
この足の速さを活かして、狼の狩に使われていたようです。
ロシアの皇帝や貴族に愛され、狩のお伴はもちろん、かわいがられいつも優雅に長い毛並みをフサフサさせながら走っていた事でしょうね。

ただ、革命とともに種の存続の危機に陥った事があるようです。
気品さえ感じられるそんな立ち振る舞いは、ロシア貴族のあのころのままのようです。
ロシア語にボルゾイ(борзой)が付く犬で、アフガンハウンド(Афганская борзая)
と、ボルゾイ種の和名がわからないのですが(Южнорусская степная борзая ←ロシア南部のステップに生息するボルゾイ)というのもありました。

★ ロシアン・シープドッグ
( 英:Russian Sheepdog=South Russian Ovcharka , 露:Южнорусская овчарка )
次の3種類の犬を総称してロシアン・シープドッグと呼んでいるそうです。

☆セントラル・アジア・シープドッグ 
( Central Asia shepherd Dog , Среднеазиатская овчарка )

☆サウス・ロシアン・シープドッグ
( South Russian Ovcharka , Южнорусская овчарка )

☆コーカサス・シープドッグ
( Caucasian Shepherd Dog , Кавказская овчарка )

牧羊犬としてつくられ、これもまた人々と生活を伴にしていますね。
かわいいモップのようなフワフワ感があるシープドックがたまりません。

ちなみに、日本のお犬様のロシア語を…、
チンはЯпоннский хин 、秋田犬はАкита ину です。


犬ばかりじゃなく猫たちからの会話も聞こえてきますよ。


≪≪ 猫 ≫≫

★ ロシアンブルー
( 英:Russian Blue , 露:Русская голбая кошка )
起源説があるようですが、アルハンゲリスクというのが外せないようですね。
この色の毛の猫が、ロシアで自然発生したようです。
ブルーとは、猫の毛ではグレーを表す用語なのだそうで、見た目はグレーですが、
ロシアの青い猫なのです。
私は、ロシアの空の色を表して、ブルーと思っていました…。
その艶々のグレーの毛に、アルハンゲリスクの夜空に輝くオーロラのような緑の目が
とっても魅力的です。

★ スキフ トーイ ボブテイル
( 英:Skif Toy Bobtail , 露: Скиф Той-Бобтейл )
スキフ(Скиф)は、黒海北岸の古代民族であったスキタイ人の意味です。
黒海北部の内海であるアゾフ海に面する、ロストス州のロスト-ナ-ドヌ市で
シャム猫とシャム猫との間からできた子が起源です。
その後の交配で、世界一小さい猫となっているそうです。

ボブテイルの種類として、クリルボブテイル( Kurilian Bobtail ,Курильский бобтейл )、ジャパニーズボブテイル( Japanese Bobtail ,Японский бобтейл )というのがあって、ジャパニーズボブテイルは日本産の猫をアメリカで改良した種ですが、クリルボブテイルとの遺伝子に関係があるとか…。


≪≪ 人気の今年の干支たち≫≫

★ ロボロフスキー
( 英:Roborovsky hamster )
フセーヴォロド・イヴァナヴィチ・ロボロフスキー(Всеволод Иванович Роборовский)氏が発見したとされている。
彼は、ペテルブルグの生まれ。旅行家そして探検家としてプルジェヴァリスク、キリギス、カラコルム、天山、チベットなどで動植物学や地理学からさまざまなものをコレクトしている。生息が今ではモンゴルやカザフスタンで多いので、この当りで発見されたのだろう。
不思議な事に、このハムスターを示すロシア語があてはまるものがない。
Роборовский хомячокとして良いのかどうか…?

★ ジャンガリアン=ヒメキヌゲネズミ
( 露:Ждунгарский хомячок )
中国のウイグル自治区にあるジャンガル盆地が名前の由来のようで、その地方で発見され、多く生息していたのでしょう。
ジャンガルとはモンゴル語で、民族の間での「左翼」というのを表していたそうです。
そしてなぜかこちらは、英語にあてはまるものがありませんでした。
シベリアに多く分布していてロシアンハムスターとも呼ばれることもあります。
ということで、Russian hamsterといって良いのかどうか…?


≪≪ おまけに≫≫

★ ロシア陸ガメ
( 英:Forsfield's Tortoise ,露:Сухопутные черпах )
「ホルスフィールドリクガメ」と「ヨツユビリクガメ」という種類が、日本でロシア陸ガメといわれているようです。
ヨツユビリクガメは名前のとおり指が四つ、チェブラーシカみたいな手です。
ロシア陸ガメといっても、生息はカザフスタン、ウズベキスタンです。

chebu.jpg
©Leonid Shvartsman

迷いますね。
さて、あなたならどのペットを選びますか?
もちろん、きちんと育てなくてはなりません。
家族ですから。
さて、私は…っと、チェブラーシカと暮らすことにします。

函館校卒業生 山 名 康 恵

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2008年01月31日

ペリメニづくりは癒しの効果?

こんにちは!卒業生の小寺光美です。
私の事、ご存知の方はいらっしゃいますか~?(笑)
特に1997年から1999年までの間に在籍されてた方、
是非コメントをよろしくお願いします♪

早いもので、卒業してからもう9年経ちました。
地元の函館から東京へ、主人と引っ越してきたのが7年前。
最初は新しい場所に、友人も知人も殆どいなかった私達。
でもお陰様で、今ではたくさんの友人に恵まれてます☆

さてさて、先日はそんな友人たちと、新年会がありました。

お料理のテーマは・・・「餃子とモツ鍋」(笑)
みんなで餃子とモツ鍋をワイワイ作りながら
楽しく飲もうじゃないか♪という企画でした。
(メニューがメタボ?ええ、承知の上ですともっ。)
餃子なら・・・じゃあ、うちはペリメニでも作る?
と、主人に提案。(彼も卒業生です。念の為。)

「いいんじゃないか?美味いし。」と、あっさり快諾。

そして当日。友人宅のパーティールームへ
向かう前に、せっせと皮を仕込む私。
そうそう。水にはローリエで香りをつけておくんだっけ♪



まぜまぜ、こねこね・・・。

こねるのが結構大変。でも、久しぶりで楽しい♪
おっと、中身も作って行かなくちゃ。
玉ねぎやニンニクはフードプロセッサーで簡単にみじん切り。
ひき肉に混ぜて、塩、胡椒、お砂糖。
(私はハチミツもちょっぴり入れました)
皮で中身を包むのは、パーティールームで
みんなでやる事になってるけど、
ちょっと練習しなきゃね。



うん。形はまあまあかな。
・・・でも、時間がかかるな。大丈夫かな。
まあ、皆でやれば何とかなるか♪
そして皮と中身を持って、いそいそと友人宅へ。

モツ鍋班は一生懸命仕込中。
私は空いているところで、ペリメニ作成開始!

「ロシア餃子ってあるの?へえ~。」と
珍しがって、友人たちもお手伝いしてくれました☆



↑(一番左が私の主人です)
よく働く男性陣、素敵です。

「この形、どうやるの?」
「皮の感触が気持ちいい~。癒されるう。」
「ちっちゃくて可愛い♪」
なんだか、みなさんペリメニの皮(の感触?)と形が
すっかりお気に入りのようです。



おお!皆さん、お上手じゃないですか!!
あっという間に皮も中身もなくなり、
私たちは、他の皆さんの餃子をお手伝い。
・・・そういえば、私達夫婦は

普通の餃子って、あまり作ったことが無かったです。
ペリメニは、在学中に何度か体験したのだけど・・・。
友人に教えてもらいながら、えっちら、おっちら
餃子の皮と格闘しました(笑)

そして、いよいよ、かんぱーい!!!!

まずは皆さんの焼き餃子から。



皮ぱりぱり、中身ふんわり。おいしいぃぃぃ~~~!!

そして、モツ鍋。



これも・・・美味っ。
このモツは、なんと飛騨牛のモツだとか。

そしてコンロが空いた頃、いよいよペリメニを茹でる作業です♪



どきどき・・・わくわく・・・。
うまく出来るかなあ~~~~?
あ、何分茹でるんだっけ?
いいや、野生のカンで!



味付け二種類。

スープペリメニと、バターを絡めたペリメニ♪
人気投票は・・・同じくらいでした☆



わーい!ペリメニができちゃった!!
・・・でも、私、すっぴんだ・・・(恥)



↑ペリメニできて喜びのポーズ♪

いやはや。皆さんにも喜んで頂けて、よかった、よかった。

それにしても・・・ペリメニの皮って
こんなに癒しの効果があるとは(笑)

「今度、おうちに作りに行っていい~?」という
オファーまで頂いてしまいました。

いつでも、是非、喜んで☆

なんだか、学生時代を思い出す新年会でした。
またいつか、みんなで作ろうっと!

函館校卒業生 小 寺 光 美

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2008年01月23日

ウラジオストク新聞が注目する洞爺湖サミット

 今年7月に開催される北海道洞爺湖サミットの準備に追われる洞爺湖町や北海道庁などをウラジオストク新聞が取材しました。その様子が2回に渡り特集記事として掲載され、注目の高さを窺わせています。

 ウラジオストクは、2012年に開催されるアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会合が開催される予定で、それに向けて空港や道路整備など大規模な開発が予想されます。同じく大きな国際会議が開催される2つの地域ですが、環境をテーマに、自然と人間の調和を目指した洞爺湖サミットとの違いは大いにあるようです。
 「ハーモニーを崩さないことが重要だ」と題された記事は、こちらからご覧ください。

2007年12月7日号≫
2007年12月14日号≫

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2008年01月17日

ミリオン・ズビョースト 第54号

 函館校の学報であり、函館日ロ親善協会の会報であるミリオン・ズビョースト/百万の星 第54号を函館校のページに掲載しました。

 今回の巻頭言は鳥飼やよい准教授による「ロシア人の法則」です。アメリカでロシア語を学び、日本語・英語・ロシア語を自在に操る鳥飼先生が見つけた法則とは?

 また、ウラジオストク留学実習から帰ったばかりの3年生の感想も寄せられています。是非ご一読ください。

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2008年01月15日

FMいるか 遠峯エレーナさんを迎えて 2

FMいるか「ONE WORLD WAVE」で放送された内容をご紹介する第2回目です。

ゲスト:遠峯 エレーナ(以下レナ)

聞き手:財団法人 北海道国際交流センター 
      事務局長 池田 誠(以下池田)
     ロシア極東国立総合大学函館校
      事務局 大渡 涼子(以下大渡)

<11月10日放送 第2回 ロシア料理について>

池田:さて、2週目に入りました。前回はエカテリンブルグ、エレーナさんの出身地についてお話をお聞きしましたが、やはり食べ物の話を聞きたいですよね。

大渡:そうですね。みなさん共通に興味があるのは食べ物だと思いますよね。

池田:僕も興味があるんですけれども、エレーナさんは料理はされるんでしょうか?

レナ:専業主婦ってことで、毎日することになっていますね。

池田:義務!?

レナ:義務ですね。

池田:あんまりやる気がないけれども、しょうがないと…。

レナ:それは女性同士だとすごくわかると思うんですけれども、義務になるとやる気がある日とやりたくない日がありますね。

池田:作るのはロシア料理なんですか?

レナ:ロシア料理も作るんですけれども、やはり旦那は日本人なので和食も勉強して作っています。

池田:大変ですねー、ロシア料理も和食も。

レナ:洋食もお弁当も。料理の本を買って、それと旦那のお母さんに教えてもらってますね。

池田:なるほどね。味が違いますよね、日本食とロシアの料理では。

レナ:そうですね。味も違いますし、私は和食の味、もちろんわからないんですね。なのでレストランとか、お母さんのうちで食べたりするんですけれども、なかなか、自分で作るとなると、この味でいいのかなって迷ったりしてますね。

池田:しょうゆとか使わないんですよね、ロシアでは。

レナ:最近は使ってるんですけれども、ロシア料理には使わないですね。

池田:ではここで、エレーナさんの得意料理を伺いたいと思いますが、ベスト3を教えてください。

レナ:そうですねー、みなさんよく知っているピロシキ。ロシアでは作ったことがない料理だったんですけれども。

池田:ロシアでは売ってるの?

レナ:はい、売ってますが、どちらかと言えばみんな作っていますね。うちだけは作らなかったんですけれども。函館でも売ってますよ。

池田:僕も買って食べるんですけれども、揚げた感じのと焼いた感じのがありますよね。どっちが主流なんでしょう?

レナ:どっちもやってますね。たぶんシベリアのほうは揚げていて、ヨーロッパのほうは焼いたもの。

池田:大渡さんはどっちが好きですか?

大渡:私は焼いたのも好きですね。日本だとパン粉がついて揚げてますけれどもロシアじゃパン粉はついてないですもんね。

レナ:ついてないですね。

大渡:あれは日本だけなんですよ。

レナ:日本人はやっぱりピロシキって言うと多くの人は揚げたものって思ってますね。

大渡:あと日本人はひき肉が入ったものがピロシキと思ってますけれども、中身もいろいろあるんですよ。

池田:えーっ!

レナ:でもお肉が一番おいしいです。

池田:肉が入ってると思って餡とかジャムが入ってたら大変ですよね。

レナ:ジャムは入ってますよ。

大渡:りんごの、アップルパイの中身みたいのが入ってたり、じゃがいものつぶしたのとか、卵とか…。

レナ:きのことか。

大渡:キャベツとか。いろいろおいしいですよ。

池田:へえー、ちゃんと表示しておいてほしいですよね。食べるときの覚悟ってありますからね。ほかの料理はどうですか?

レナ:あとは日本にない赤カブを使ってボルシチを作りますね。

大渡:日本の赤カブは外が赤くて中は白いんですけど、中まで赤いカブですね。

池田:知ってます、赤ビーツ。僕、昔農業やってましたから、赤ビーツ作ってたんですよ。真っ赤になりますよね、ほんとにすごい色ですよね。あれがないとボルシチは作れない?

レナ:作れますが、ロシアは広いので、家庭によってボルシチの作り方は違いますね。ウラルは赤カブがないとボルシチじゃないって言われますけれども、私のおばあちゃんがウクライナに近いところの出身で、ウクライナのほうは、トマトと酢を使って作りますね。

池田:ボルシチにはどんな野菜が入ってるんですか?

レナ:まずお肉が入って、キャベツとじゃがいもと玉ねぎとにんじんと、赤カブ。

池田:上にサワークリームかなんかかけますよね。

レナ:サワークリームですね。私サワークリームがなくて本当に困っています。大好きでロシアではサワークリームだけをスプーンで食べるくらいだったので、日本にはなくてちょっと…。

池田:あれは売ってないですか?

大渡:最近売ってますけど、小さくて高くて、硬いですよね。

レナ:硬いですよね、ちょっと違います。

大渡:だからうちの学校で何かやるときには生クリームとプレーンヨーグルトを1パックづつ混ぜ合わせて、そうするとゆるい、ロシアのサワークリームに近いものになります。

池田:ボルシチはエレーナさんの家では週1回くらい?

レナ:週1回はないんですけれども、1ヵ月に2回は絶対作ります。

池田:あともう一つくらい得意な料理を教えてください。

レナ:クレープかな。

池田:クレープ?ロシア料理ですか?

レナ:ロシア料理ですね。ロシア語ではブリヌィって言いますけど。

池田:あれはデザートですか?

レナ:食事にもなります。作り方によっては食べ方も違います。

大渡:日本だとクリームとかジャムとか、甘いイメージしかないですけど、きのこを炒めたり、ひき肉を炒めたり、そういうものを包むと食事になりますよね。

池田:そうかそうか、それはピロシキと一緒ですね。食べたくなってきましたね。ロシア料理は特に冬の季節にいいような気がしますけどね。

大渡:あったまるような気がしますよね。

池田:あとそうだ、極東大学でお祝い事にでっかいパンで何かやってましたよね、なんでしたっけ?

大渡:「フレップ・ソリ」という歓迎の儀式がロシアにありまして、直径40センチくらいで高さが20センチくらいある大きいパンを用意して、お客様がいらしたときにパンをちぎって塩をつけて食べていただく。「フレップ・ソリ」というのは「パンと塩」という意味なんですけれど、それで歓迎するという儀式があります。

レナ:それはなぜかというと、パンは主食ですよね、塩はどの料理にも必ず使うものですよね、一番大事なものです。そういうことで、お客さんが来たときに一番大事なものを出します。

池田:なるほどね。意外とあれがおいしいですよね。パンと塩だけなのにね。

大渡:うちの学校では入学式に必ずやります。新入生をお迎えします、ということで。あとはこの前、ベールィ駐日ロシア大使が函館にいらしたときにもうちの学生がロシアの民族衣装を着て、フレップ・ソリでお出迎えしました。

池田:エレーナさんはフレップ・ソリのパンは作りますか?

大渡:あの大きいのは家庭のオーブンでは作れないんじゃないですか?

レナ:そうですよね。

池田:ロシアというと、やはりパンは黒パンという感じがするんですけれど、食べてますか?

レナ:黒パンはサハリンから飛行機の直行便で、友だちとか知り合いが持ってきてくれますけども、1回だけ自分で作ってみたんです。ロシア料理の本に載ってて、ライ麦を買ってきて、作ったんですけれども、ちょっと失敗して。おいしいのはおいしいんですけれど重くなって。

大渡:もともとむっちりしてますよね。

レナ:はい。またがんばりますので、作れたら黒パン屋さんでも。

池田:是非是非!そのときには連絡ください。

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2007年12月28日

2007年を思う

 今年も残りわずかとなりました。こうして1年を振り返ると、実に様々な人の手をお借りして、この「極東の窓」は成り立っていると感じます。書き手はもちろんのこと、こちらからは見えない、どこかで読んでいてくださるみなさんにも。

 このブログにとっての今年は、新コーナー「八幡坂ノート」や、通訳・翻訳サークル「訳者小屋」の活動紹介など、函館校をもっと身近に感じていただこうという思いとともに、外へも広げるべく、ロシアという国を様々な角度から紹介しようと試みてきました。そんな中、「ウラジオストクのうまいものめぐり」を書いてくださった山崎淳司さんや、いつも楽しい話題を提供してくれる卒業生のみなさんには大変感謝しております。

 一番嬉しかった出来事は、「元気娘のウラジオ便り」を連載してくれていた寺越弓恵さんが、外国人として初めて極東大学本学の修士号を取り、卒業されたということでしょう。函館校の卒業生が世界のどこかでがんばっている、彼女はその好例だと思います。ウラジオ便りとしての連載は終了しましたが、また新たな形で参加してくれることを望んでいます。
 そのほか、今まで函館校および領事館関係者だけだった函館市在住のロシア人に遠峯エレーナさんが加わり、ラジオ出演という形でこのブログにも参加してくださったことも喜びです。こうして函館校に関わる人が増え、ロシアの輪が広がっていくことが私たちの願いです。

 来る2008年は、北海道洞爺湖サミットが開催されます。ロシア関係のイベントも増え、私たちがお手伝いできることも出てくるでしょう。サミット関連の行事として開催されるG8大学サミットにはロシアを代表して極東大学本学が招待される予定です。世界各国から錚々たる大学が集まる中に名を連ねることは、函館校にとっても誇りです。

 まだまだ寒い日が続きますが、学校の裏にある猫柳はもう赤い芽をつけ始めました。この芽がふくらみ、3月頃、銀色の花穂に変わるのをいつも楽しみに眺めています。みなさまにもよい春が訪れますように。

函館校の前「八幡坂のイルミネーション」

ロシア極東国立総合大学函館校 事務局 大 渡 涼 子


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2007年12月21日

FMいるか 遠峯エレーナさんを迎えて 1

 今回は2007年11月、FMいるか「ONE WORLD WAVE」で放送された内容をご紹介します。
 この番組では毎月いろいろな国の方をゲストに迎えてお話を聞いていますが、11月はロシアをテーマに、遠峯エレーナさんがゲスト出演しました。

 エレーナさんはロシア・エカテリンブルグ出身。大阪留学中に知り合った現在のご主人と結婚して、2007年3月から函館在住になりました。主婦をしながら通訳・翻訳の仕事もこなされるエレーナさんのバイタリティあふれるお話を聞いてみましょう。
 3回に渡り放送された内容を随時掲載しますので、今後もお楽しみに!

ゲスト:遠峯 エレーナ(以下 レナ)

聞き手:財団法人  北海道国際交流センター
     事務局長 池田 誠(以下 池田)
    ロシア極東国立総合大学函館校 
     事務局 大渡 涼子(以下 大渡)

<11月3日放送 第1回 エカテリンブルグについて>

池田:今月はロシアということでお届けしていきたいと思いますが、特別にロシア極東大学の大渡涼子さんと一緒にお届けしたいと思います。大渡さんにロシアの方をご紹介していただきました。遠峯エレーナさんをお迎えしています。こんにちは。

レナ:こんにちは。

池田:エレーナさんはエカテリンブルグ出身ということなんですが、場所がどの辺かをイメージしたいので教えてください。

レナ:まず、みなさんはモスクワがどこにあるか知っているかと思うんですけれども、モスクワからシベリア鉄道に乗って列車で30時間ぐらいかかりますね。

池田:30時間!?

レナ:飛行機だと2時間くらいで着きますね。モスクワから東の方ですね。

池田:遠いですねー。ちなみに乗ったことはないと思いますが、モスクワからシベリア鉄道で一番端のウラジオストクまではどのくらい時間がかかるんですか?

レナ:ウラジオストクまでは8日間ですね。

池田:じゃあ30時間は近いんだ。

レナ:そうですね。ちょっと覚えてないんですけど、千七百何十キロですね。

池田:大渡さんもロシアは何回か行ってると思いますけど…。

大渡:私はウラジオストクに1回行っただけなので、エカテリンブルグの方は行ったことはないんです。

池田:今は函館に住んでいらっしゃるんですけれども、気候的にはどうなんでしょうか。

レナ:気候は、エカテリンブルグよりも、ちょっとこちらがやわらかい。

池田:それじゃあ、エカテリンブルグは寒いんですね。

レナ:はい。

池田:実は今日は半袖でいらしてるんですけれども、寒くないですか?

レナ:寒くないです。

池田:冬が本当に寒いということなんですけれども、暖房なんかはどういう感じなんですか?

レナ:暖房は集中暖房なので…。

池田:集中暖房。別に自分で灯油を買ってきたりはしなくても。

レナ:しないんですね。町が管理しているので、光熱費として毎月料金を払って、町が決めた日に暖房が点くっていう形になっています。

池田:ああ、ちょっと今日は寒いからストーブ点けよう、なんて言っても点かないってことですよね。

レナ:そうですね。

池田:ロシアには極東大学の学生さんも行っていると思いますが…。

大渡:うちの学生はウラジオストクに留学するんですけれども、寮もそういう感じで夏場はお湯も出ないし…。

池田:夏はお湯ないの!?

大渡:はい。

池田:寒くないですかね。

大渡:そんなに函館と変わりはないと思うんですけれども。ただ社会主義時代の名残なんでしょうかね、国が管理して一斉に暖房が入る、切るっていうのは。

レナ:例えば真冬にとても熱くなることがありますよ。最近ロシアもちょっと変わって、お金持ちの人が結構出てきて、家の暖房機械を変えて、それでお湯を切って冷たくすることは出来るんですけれども、暖房はなかったらないってことですね。それだけは自分で管理出来ないんです。

池田:すごい、国の力!夏の冷房なんて入れてくれないんですよね?

レナ:冷房はないんですけれどもエアコンを付ける人はいますね。

池田:それはOKなんですね。そういう意味ではだんだんお金持ちの人も出てきてると。

レナ:はい。

池田:今エカテリンブルグを地図で見てたら、ここにウラル山脈ってありますけど、聞いたことないですか?

大渡:地理で必ず習いますよね。

池田:習ったような気がしますよね!

レナ:でも、日本のイメージでは山脈って山が高いですよね。だけどウラル山脈ってそんなに高くはないんですよ。山がもう古いので、低くなってますね。

池田:またまたー、そんな知らないと思って!山が低くなりますか?

レナ:はい。もう低くなってて、町から山は見えないし、私が大阪に行ったときに山の景色はどちらかというと不思議に思いました。

池田:だんだん低くなるんですか?

レナ:はい、古くなるとそうですね。

池田:へえー。なかなか興味深いですね、エカテリンブルグ。ここは観光地なんでしょうかね。

レナ:私は大学にいたときに日本人の団体旅行者のガイドをしていたんですね。それでシベリア鉄道に乗っている人が、ウラジオストクからモスクワまで8日間はちょっとつらいので、途中で降りたりしています。
エカテリンブルグは大きな町なので、途中で降りる人がいて、それでガイドしたりしてたんですけれども、観光地としてはまだ有名ではないと思います。なぜかというと、ソ連の時には外国人は入っちゃだめな都市だったんです。

池田:じゃあ、今は入れるんですね。

レナ:入れるのは入れるんですけど、まだそんな有名ではないので、観光客の数が少ないです。

池田:でも行ったことないところはみんな行きたいですからね、これから来るかもしれませんよね。

レナ:よろしくお願いします。

池田:そういえば僕、ご紹介もせず、遠峯エレーナさんがなぜ函館にいるのかを説明してませんでしたが…。

レナ:エカテリンブルグで生まれて、ウラル大学で日本学を勉強して、一回短期留学で大阪外国語大学で勉強して、そのときに今の旦那と知り合ったんです。
それからまたロシアに帰って、それでまた日本に戻るってことになって、大阪外大で修士課程を卒業して、旦那と結婚して、旦那の仕事の関係で函館に引っ越して来ました。

池田:ほおー、すごいですね。ますます日本が好きになりましたよね。どうですか、函館は。

レナ:函館は大阪よりはエカテリンブルグに近いという感じで、それとロシアとの関係・歴史が深いので、好きなところです。どちらかというと、函館に住みたいと思っていました。

池田:よかったですね。極東大学にロシアの先生方がいらっしゃいますけど、お話とかはされます?

大渡:ときどき遊びに来てくれます。

池田:いいですよね、やっぱりいるとね。日本語で話すんですか?

大渡:ロシア人同士が?

池田:でも、みんな日本語が上手だから、日本語で話してますよね?

大渡:ロシア人同士はやっぱりロシア語ですよ。

池田:そうですよね。でも、ここはいいですよね、ロシアのハリストス正教会もありますしね。

レナ:日本のロシア正教会で一番古いって言われています。

池田:何回も行きましたか?

レナ:はい、何回も行っています。ガイドとかもしてるし、友だちを誘ったときも必ず行く場所なので、百回近く行ってますね。

池田:百回!? 来たのは今年の3月ですよね。百回ってのはちょっとオーバーじゃないですか?

レナ:函館に来たのは今年の3月ですが、大阪にいたのは合わせて5年間です。
今の旦那は最初は大阪にいたんですけれども、その後2年間函館にいて、旦那の実家も函館なので、夏休み・春休みは絶対函館に来てたんですね。それと大阪から友だちも連れて来たり、ロシア人の友だちも連れて来たり。私は函館行きの飛行機のスチュワーデスさんの顔を知っています。スチュワーデスさんも私の顔を知っています。

大渡:いつも函館に来る人って?

池田:顔なじみになるくらいってすごいですよね。楽しいですね、函館。

レナ:そうですね、観光地もたくさんありますし、おもしろいところに友だちを連れて行けるんです。主婦なので、時々自分一人でも散歩したり写真撮ったりしています。

池田:大渡さんと遊びに行ったりするんですか?

大渡:それはまだないんですけれども、毎年函館公園で学校のお花見をするんですね。ちょうど今年、エレーナさんのお母様もエカテリンブルグからいらしたのでご招待して、みんなでお花見しました。

池田:ロシアにはお花見の習慣はあるんですか?

レナ:ロシアではまず桜がないんですね。

池田:日本もでも、桜がなくても別にいいんですよ、お酒があれば。桜じゃなくても花は何かあります?

レナ:りんごの木とか咲いてますけれども、5月末ですね。

池田:だんだんエカテリンブルグがわかってきたような気分になりましたね。この続きはまた来週お伺いしたいと思います。
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2007年11月08日

バイカル民話集5(最終回) オリホン島の王

オリホン島の王
Хозьяин Ольхона

とある島に、それはそれは恐ろしい洞窟がありました。島はオリホン島と呼ばれ、洞窟はシャーマン洞窟と呼ばれていました。その訳はモンゴル人の王ゲゲン・ブルハンと地下帝国の支配者でありブルハンの弟であるエルレン・ハナが住んでいたからでした。兄弟は残虐さを武器に、日頃から島の人々に恐怖を与えていました。この兄弟の恐ろしさといったら、シャーマンさえも怯えるほどでした。中でも、兄のブルハンは恐怖の王でした。この冷酷かつ残虐な男が地上に出る時、それは災いが起こる時である、と島の人々はわかっていました。罪のない多くの人々が血を流し、人々は苦しんでいました。
 一方、この島のイジメイ山の奥には街での生活を捨てた一人の賢者ハン・グタ・ババイが暮らしていました。彼はゲゲン・ブルハンの権力を認めず、見て見ぬ振りをし、山を降りてくることはありませんでした。人々は山の頂上で夜な夜な火をつけ、夕食に羊の肉を食べる彼の姿を目にしていましたが、山への道はなく、そこは人々にとって近寄ることのできない場所でした。ブルハンはババイを自分の支配下に置こうと試みましたが、結局、諦めることにしました。何度自分の兵士を山へ送りこんでも、山は誰一人として通しませんでした。勇気を出して山を登ろうとしたあらゆる兵士の頭上には、轟音と共に巨大な岩が落ちてきました。こうして次第にハン・グタ・ババイには誰も関わらなくなりました。

 ある日、ゲゲン・ブルハンが牧場の若い男の目つきが無礼であるとの理由からこの男を処刑するという事件が起こりました。男の妻は悲しみの涙を流し続けましたが、やがて、ゲゲン・ブルハンへの激しい憎しみが湧き上がってきました。そして、どうすれば自分の一族をこの残酷な支配者から救えるのかを考えるようになりました。彼女はイジメイ山を登り、ハン・グタ・ババイに島の人々の苦しみを伝えることにしました。彼には島の人々に味方し、ゲゲン・ブルハンを倒してほしいと思ったのです。
 この若くして未亡人となった女性は山へ向かって出発しました。驚いたことに、多くの優秀な兵士さえもが山を登れなかったのに、彼女はいとも簡単に登りきりました。イジメイ山の頂上に着くまで、彼女の頭上に岩は一つも落ちてきませんでした。この勇敢で自由を愛する女性の話を聞き終わると、ハン・グタ・ババイはこう彼女に言いました。
「よろしい、私があなたとあなたの一族を救いましょう。あなたはすぐに町へ戻り、このことを島のみんなに伝えなさい」
 彼女は大変喜びながら山を降り、ハン・グタ・ババイの言った通りにしました。ハン・グタ・ババイはある月の見える夜に雲に乗ってオリホン島の街へやって来ました。彼は地面に耳を近づけると、下からゲゲン・ブルハンによって罪のない人々が苦しめられている悲鳴が聞こえてきました。
「確かに。オリホンの大地が不幸な人々の血によって満たされている。」激怒したハン・グタ・ババイは誓いました。「必ずやゲゲン・ブルハンを倒して見せる。だだし、そのためには君たちの協力が必要だ。私が合図したら、地面を赤色に染めるのだ!」
 そして朝方、彼はシャーマン洞窟に向かいました。怒りに燃える支配者は彼を迎えるため洞窟の外に出てきて、尋ねました。「何のためにここへ来た?」ハン・グタ・ババイは静かに答えました。「お前にはこの島を出て行ってもらいたい」ゲゲン・ブルハンはさらに激怒しました。「それはありえん話だ!私はこの島の王だ!ならばお前を片付けるとしよう」
「お前など怖くはない」ハン・グタ・ババイはあたりを見回しながら言いました。「お前を倒す方法ならあるのだ!」ゲゲン・ブルハンはあたりを見回すと、驚きのあまり叫びました。すぐそばに島の人々が集まっていたのです。「お前は我々と戦でもしようというのか?」
「そんなつもりはない」とハン・グタ・ババイは静かに答えました。「これ以上血を流す必要がどこにあるのだ?私とお前で決着をつけよう。それが一番いい方法だ!」
「いいだろう!」
 2人は長時間闘い続けましたが、どちらも優位に立つことはできず、力は全くの互角でした。結局その日は決着がつかず、次の日に賭けをする事にしました。容器に土を入れ、眠る前にその容器を自分の足元に置く。そして次の日に土の色が赤色に変わっていたら、島を出て行く。もし土の色が変わっていなかったら、島を自分のものにできる、という取り決めをしました。次の日の夜、二人は約束通りシャーマン洞窟の中でそばに座り、土を入れた容器を足元に置き眠りました。

 夜になり、地下世界の支配者であり、ゲゲン・ブルハンの弟であるエルレン・ハナの影が現れました。影はゲゲン・ブルハンの容器の土が赤色に染まっている事に気づきました。エルレン・ハナはすぐにその容器をハン・グタ・ババイの物と取りかえました。しかし血はエルレン・ハナの影よりも濃く、朝日が洞窟に差し込んできた時、ハン・グタ・ババイの容器の土は消え去り、ゲゲン・ブルハンの容器の土は真っ赤に染まってしまいました。そしてその時、二人は目を覚ましました。土はハン・グタ・ババイとの約束を果たしたのです。
自分の容器を見たゲゲン・ブルハンは大きく息をしました。
「さあ、この島はお前のものだ、そして私はこの島を出て行く」
ゲゲン・ブルハンは家来のモンゴル人たちに、速やかに財産をラクダに乗せ、住居を分解してしまうように命令しました。夜になり、ゲゲン・ブルハンは皆にもう眠るようにと命令しました。そしてエルレン・ハナの強い影によって持ち上げられたモンゴル人たちはラクダと財産と共にバイカル湖の奥地へと飛ばされました。朝、彼らが目覚めると、もうすでにそこはバイカル湖の岸でした。しかし島に残されたかわいそうなモンゴル人たちもたくさんいました。彼らこそが、現在この島に住むオリホンブリャートの祖先だと言われています。

訳:ロシア極東国立総合大学函館校

  講 師  工 藤 久 栄

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2007年11月01日

バイカル民話集4 魔法の角

魔法の角
Волшебные рога Огайло

 昔々あるところにガンボとバドマという双子の兄弟が住んでいました。二人の村はバイカル湖の近くにあり、母親も一緒に住んでいました。彼らの木でできた五角形の家の中は、大鹿や山羊やトナカイの角で飾られていました。兄のガンボはその地で一番腕がよく、勇敢で強い狩人として知られていました。しかし、弟のバドマは小さい頃に病気にかかり、ずっと動けず、獣の皮でできたベッドに寝たきりでした。ガンボは弟のことが大好きでした。バドマも兄が好きでしたが、よくこんなことを言っていました。
「僕だって兄ちゃんやおっかさんのために役立ちたいなあ」
「心配しないで、バドマ、お前の病気は必ず治るよ」
「ダメだよ、僕はもう起き上がれないみたいだ。二人の重荷になるんだったら、死んだほうがマシだよ」
「そんなこと言うなよ、俺やお袋の気持ちはどうなるんだよ。病気が治る時は必ず来るから今は我慢しろ」
 ガンボがまた狩りに出ようとした日に、彼は弟にこう言いました。
「山で羊を捕って、新鮮な肉を食べさせてやるからな。留守を頼むよ」

 そのころ、バルグジン山脈の密林や崖に大きな雪羊がたくさんいて、ガンボはそれを獲物にしていました。長い間歩くと、大きな岩に挟まれた谷に出ました。すると、崖の上に大きな雪羊がいました。なんと大きくて、しなやかで強そうな羊でしょう。頭には大きな太く曲がった角があり、その角はこの羊がずいぶんと長く生きていることを物語っていました。雪羊の角には木の様な年輪があり、一年ごとに増えるのです。
 ガンボは銃を上げると、狙いを定め撃ちました。しかし、羊は立ったままガンボの方を一度見ただけでした。ガンボは再び撃ちましたが、羊は頭を震わせただけで、穏やかに周りを見ると、崖をゆっくりと登って行きました。ガンボはびっくりしました。今まで一度も自分の腕を疑うことはありませんでしたが、今回は一体どうしたことでしょう?不思議で仕方がありませんでした。ひょっとして、あの羊は不死身の魔法の羊ではないだろうか?
「その通りさ」
 崖の峰から声が響きました。
「あれは森の神ヘテン様がお飼いになっている羊のオガイロさ。人間であいつを見たのはお前が初めてだ」
 ガンボは上の方に目を向けさらに驚きました。たった今、雪羊が立っていた所に山猫の毛皮を身にまとった、若く、美しい娘がいました。
「君はいったい何者だ?」ガンボは勇気を出して尋ねました。
「私はヘテン様の使いのヤンジマ」と娘は答えました。
「言っておくけど、オガイロを追うのは無駄よ。だからお止めなさい。後悔するだけよ。捕まえてどうするつもり?オガイロの角が無くてもお前は強くて元気な男じゃないか?」
「角?何のことだ?」ガンボは気になって聞きました。
「分かってるくせに」ヤンジマは笑いました。「お前は誰よりも強くなりたいから角を手に入れようとしているのでしょう?」
「さっぱり分からない」ガンボは言いました。
「当然の事よ。オガイロの角は人間に力と健康を与える魔法の薬なのだ。それを持っている限り、オガイロ自身も不死身なのさ。痛い目に逢わないうちに帰った方が身のためよ」
 ヤンジマはそう言うと岩の隙間へ姿を消しました。ガンボはしばらく考えた後、その場を去ることにしました。ガンボが立ち去ると、ヤンジマが再び現れ、黄色い布を振りました。すると空に銀色の雲が現れて、その上には肩に毛皮をかけた朝日のように輝いている絶世の美女が乗っていました。美女は雲から降り、ヤンジマに言いました。「どうしましたか?」
「光り輝く女神、密林の支配者ヘテン様。オガイロを狙うたくましい狩人が現れました。オガイロが捕まったら大変です」
「魔法の角を手に入れたいのですか?」へテンは言いました。
「悪い人だったらどうしましょう?」
「ヤンジマ、オガイロの角が人間の手に渡る事を絶対に許してはなりません」
 そう言うとヘテンは雲に乗り、消えて行きました。

 ガンボは約束通りバドマに新鮮な肉を持ち帰りましたが、とても気が重かったのです。「魔法の角を持った羊を何故逃がしてしまったんだ?それを手に入れれば大事な弟の病気も治るのに。必ず手に入れてみせるぞ!」と自分に誓い、また狩りへ出る前に母に言いました。
「お袋、バドマを守って、励ましてやってくれ」
 ガンボは狩りの道具を持ち、バイカルの岸を歩きました。するとすぐに風が吹き、ほとんど歩けなくなりました。「何かが俺を止めようとしている」とガンボは思いましたが、諦めずに前へ進みました。それがヤンジマの仕業だと彼は知る由もなかったのです。長いこと歩き、ガンボは松の森へ入りました。すると森の木々は枝を伸ばし、彼を捕らえようとしました。そして岸から飛んで来た砂も彼の目に入りました。松の木々はガラガラと音を立て、ガンボを捕らえ、バイカル湖へ投げ込みました。ガンボはバイカルの冷たい水に落ち、湖の底へと沈んで行きました。すると深海に住む透明な魚ゴロミャンカ達が集まり,ガンボの体に噛み付きました。しかしガンボはここでも諦めず、魚達を一つの群れに集め、水面に運ぶように命じました。
 水面へ上がるとそこにはバイカルアザラシがいました。ガンボは一番大きなアザラシの後ろ足を掴み、岸まで無事に運んでもらいました。ガンボは旅を続けました。暗い森を抜けると、明るい谷間へ出ました。ようやく歩きやすくなりました。しかし夕方になると、谷間に真っ黒な雲がかかり、辺りは見えにくくなりました。空を見上げ、ガンボはぞっとしました。雲の中に長いひげときらめく眼を持った大きな顔が現れました。恐ろしい声が響きました。
「頑固な狩人よ。家へ帰るのだ。さもないとワシは雨を降らせ、お前はびしょ濡れになり、寒い夜に凍え死ぬ事になるぞ」
 ガンボは笑って答えました。「無駄だ、怖くなんてないぞ」
 その瞬間、稲妻が光り、雷が鳴り、土砂降りになりました。ガンボはこれまでこんな大雨を見たことがなかったが、恐怖に負けませんでした。衣服を脱ぎ、朝まで体をこすり、温めました。夜が明けると、雨は止みましたが今度は突然濃い霧がかかりました。その霧の中から長く真っ白なひげの頭が現れ、冷たい声で言いました。
「頑固な狩人よ。家へ帰るのだ。さもないとお前の首を絞め、息の根を止めるぞ」
 すると霧の中からガンボの首をめがけて、長い手が伸びました。
「いやだ、負けるものか」とガンボは叫び霧と戦いました。
 1時間そして2時間戦い続けると、霧は諦め、逃げ出しました。今度は青空から桃色の衣を着たヘテンが雲に乗って現れました。
「たくましく強い狩人よ。なぜオガイロの角を狙っているのだ?角がなくてもお前は充分強いだろう?」とヘテンはガンボに言いました。
「この方は密林の女神ヘテン様に違いない」そう思ったガンボは、心を開き答えました。
「自分のためじゃなく、病気の弟を助けたいのです」
「それはよい事です」ヘテンは顔を輝かせ言いました。「他人を助ける事はすばらしい行いです。つまり、おまえは善人です。名前は何と言うのですか?」
「狩人のガンボです」
「ガンボ、ならば探し続けるがよい」ヘテンはそう言うと岩の向こう側へ姿を消しました。
「美しい女神ヤンジマ様」ヤンジマがヘテンを迎えました。
「あの頑固な男を止めようと私にできることは何もかもしたのに、彼はどうしても諦めないのです」
「あの男に魔法は効きません」ヘテンは言いました。
「正直言うと、私はあの男が気に入ってしまいました。彼の強い意志は私の心を惹き付けたのです。私は強く立派な人間が好きなのです」
「ヘテン様、何を言っているのですか」ヤンジマは叫びました。あのよそ者に魔法の角が渡ってもよいのですか?あれはあなただけの物でしょう!」
「その通りです、ヤンジマ。でも仕方がないのです。あのたくましく、力強い狩人に私は惚れてしまったのです」
「ヘテン様、よく考えてください」ヤンジマは叫びました。
「あなたは彼に勝てる力を持っているじゃありませんか?それでも彼はあなたの愛に釣り合うほどの男なのですか?」
「そうです」ヘテンはきっぱりと言いました。「彼をこちらまで来させましょう。その後で様子を見るのです」

 ガンボは暗い森、流れの速い川、鋭い岩を越えて目的地へ近づいて行きました。やがて見覚えのある谷間が見えてきました。高い崖の上を見て、ガンボの息は止まりました。あの不死身の雪羊が以前のように穏やかに立っていました。「オガイロだ」ガンボはドキドキしました。
「今度こそ逃がさないぞ。何としてもお前の角を手に入れ、弟にあげるんだ。そうすればバドマは元気で力強い男になれるんだ」
「無駄なことは止めなさい、ガンボ」岩の隙間からヘテンの声が響きました。「こちらへおいでなさい。あなたに魔法の角を与えましょう」
 それはガンボが予想していなかったことでした。心を震わせ、彼はおとなしく崖を登りました。「オガイロを見て何か気づきませんか?」とヘテンが訊きました。オガイロの方を見ると雪羊の頭には普通の角が生えていました。そして、魔法の角はヘテンが持っていました。
「善い人の善い行いのために差しあげましょう」
「なんとお優しいお方だ。感謝の気持ちで心がいっぱいです。このご恩をどうやってお返しましょう?」
「恩返しをするのは私の方かもしれません」とヘテンは言いました。
「一体誰に?」
「私のオガイロにです」
 ヘテンは雪羊に近づき首を抱きました。
「なぜ彼に恩返しを?」ガンボは尋ねました。
「だってオガイロは私とあなたを引き合わせたんですもの」
 ヘテンが黄色い布を振ると、空から雲が降りてきました。
「みんなであなたの家へ行きましょう」とヘテンは言い、「大事な衣を持って来るのを忘れないで」とヤンジマに言いました。
 三人は雲に乗り空に浮かびました。空の下には密林が広がり、銀の糸のように川が伸びていました。そしてオガイロは崖に立ち三人を見送っていました。
「さよなら、オガイロ」ヘテンは手を振りました。「恩返しとしてあなたには決して狩人の立ち入れない山をあげましょう。そこで仲間たちに囲まれ,安全に暮らすがよい」
 バイカル湖が見えてきました。ガンボが空の下を見ると、家の前で母親が空を見上げていました。
「俺たちを迎えてくれているんだ」とガンボは言い手を振りました。
 雲が下がって魔法の角を持ったガンボが降りました。桃色の毛皮を身にまとったヘテン、山猫の毛皮を身にまとったヤンジマが降りると雲は消えました。
「大好きな私の子供たち、帰って来てくれて嬉しいよ」と母親は言いました。「家にお入り」
ガンボは寝たきりの弟の方へ駆けつけました。「ほら,バドマ、雪羊の角を持って来たぞ。これでお前は強くなるんだ」
そう言うと弟の寝台の壁に角を掛けました。

 一ヶ月が過ぎました。その間にバドマは起き上がり、元気で強い男になりました。家族はバドマの快復を祝いました。ある日、ヤンジマは山猫の毛皮を脱ぎ、美しい金色の衣を身にまといました。その衣のおかげで彼女はさらに美しくなりました。そのヤンジマの姿を見ると、バドマは感動しました。
「ヤンジマ、君は世界で一番美しい花だ。一生に一度でも見られれば幸せだ」
「一度だけでいいのかしら」 ヤンジマは笑いました。

 まもなく、その一家では二つの結婚式が挙げられました。ガンボとヘテン、そしてバドマとヤンジマはその日世界で一番幸せでした。それからずっと彼らは魔法の角を狙うたくましい狩人を思い出したり、不死身の雪羊オガイロに感謝の気持ちを示しながら暮らしました。

訳:ロシア極東国立総合大学函館校

ロシア地域学科4年 松井 唯寧
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2007年10月30日

露西亜は「健康」への鍵

インシュリンを打つほどでもないが糖尿病の人がいる。
運動不足、ストレス、日ごろの食生活など、ありとあらゆる要因ははかりしれない。
運動不足の原因は車。北海道は田舎に行けば田舎に行くほど歩かない。
車と家とのドアtoドアであり、寒くなればなるほど歩く事は少なくもなっていく。
さて、糖尿病というものをどう対処するのか…。
もちろん病院へ通い薬療法もある。運動のために歩く、そして食事のカロリー制限。
血糖値をいかに上げないようにするかを考えさせられる。

そんな中、頭の中で「露西亜」生活と結びついた。
ロシアで私達は歩き…歩き…歩き、買い物へ行った。
電停まで、バス停まで、駅まで。歩く距離もまた結構長かった。
帰り道、水やジャガイモなど重たい荷物を持ち、嫌々登った坂道。
汗を掻き、歩く。それによって血液の循環を良くし、健康的だったようだ…。
歩く事が知らず知らずに運動不足解消へつながっていたのだろう。
人によってさまざまだと思うが、私はロシアの食生活でも元気だった。
ロシアで食への不満は特になかった。
ロシアは黒パンが主流である…。そうこれだ、このライ麦パンが良いのだ。
最近ダイエット食とも言われているが、ライ麦パンは、食後の血糖値の上昇が少ないらしい。
日本で日常的にあまり食されていない。
ロシアの黒パンはおいしいだけでなく「健康」への道なのだ。
ロシアのパン屋さんに整然と並ぶ黒パンが、なんとも薬のように思えてくる。

「ライ麦パンだけかなぁ~」と思いにふけっていたところ、テレビ番組から情報がいくつかやってきた。
『赤ビーツに含まれるベタレイン(赤い色素は、ベタシアニン)には血糖を下げる作用があります』
これには、びっくりしました。驚きです。
いやはや、さまざまな食品を大学で研究されている教授、生徒の皆様に感謝です。
ロシアで赤ビーツはボルシチやサラダにはかかせない。
ボルシチは「多くの野菜が取れるおいしい赤いスープ」のようにただ思っていたが…。
赤ビーツが血糖を下げるとは、朗報です。
日本における赤ビーツ栽培が盛んになる事を、今まで以上に大きく期待した事はないです。
ロシアの代表的野菜とも言えるスビョークラ(赤ビーツ)は、すばらしい野菜の薬です。

その番組からの朗報は続いていきました。
『ピーナッツの渋皮にはポリフェノールを含み、これも血糖を下げる作用がある』
私の頭の中ではまた「露西亜」生活へ飛ぶ。
ロシアの市場や道端でコップに入って売られている渋皮付のピーナッツ。
それをポケットに忍ばせ歩きながらポリポリ食べるロシア男性。
ロシアで多くの渋皮が食されているであろうと推測。
そして、渋皮ごと食べていたロシア男性を教授のようにさえ思う。
渋皮を剥いて捨てて食べる私。今ごろ捨てられた渋皮が薬に見えてくる。

悩める子羊を抱える私は「露西亜ってやっぱり健康だったのだ…」と結論付けてしまった…。
まだまだいろんな「健康」要素がロシアにもいっぱいあるに違いない。
日本料理は健康的とブームを呼んでいるロシアだけれど、ロシア料理もまた健康的だと私は思うのだ。
もちろん食べ過ぎや飲み過ぎによるカロリーの取りすぎは良くない。
そう、日本食であったって、日本酒であったって、食べすぎても飲みすぎてもダメなのだ。
ライ麦パンも、赤ビーツも、渋皮も、食べすぎては「健康」にはつながらない。
でも、ほどほどの何かさらなる「健康」の鍵を、「露西亜」から見つけようとしている。

ダーチャへと向かう。
畑の土に触れ。
汗を流し。
収穫を喜ぶ。
恵みでの料理。
バーニャに入り。
家族と気の合う仲間で杯をかたむけ。
詩を歌い。
語らい。
心を休ませる。
きれいな空気を体に取り入れてながら。
ゆったりと時はながれる。

ロシアに行かなくても、少しだけ、ほんの少しだけロシアを生活に入れて…
きっと病も楽しく改善されていくに違いない。
つづく…「健康」へ……。「露西亜」ってステキ…。

函館校卒業生 山 名 康 恵

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2007年10月26日

バイカル民話集3 オームリの樽

オームリの樽
Омулевая бочка

 これは大昔のことだ。ロシア人の漁民はバイカルの海に来て、以前からその地に住んできた民族のブリャートとエヴェンキにも負けない位いい漁師になっていた。
 ロシア人漁民のなかで一番腕のいい漁師はサベリイ爺さんだった。サベリイ爺さんは子供の頃からバイカルの海で生活し、何十年も漁民組合の親方を勤めてきた。漁のことなら、知らないことはなにもない位だった。漁場も、漁に相応しい時間だって、誰よりもよく知っていて、いつも大漁だった。
 サベリイ爺さんの一番好きな漁場はバルグジン湾で、よくそこで漁をしていた。しかし、オームリの群れを探すには、もっと遠いところに行かなければいけない時もあった。ずっと同じ場所で留まれば、何もとれないからだ。
 ある日、バルグジン湾で漁をしていた昼休みのことだった。漁師たちは新鮮なオームリのスープを食べ、熱い紅茶を飲みながら岸で休んでいた。そして、魚やバイカルについての話をしていた。
 組合の中にガラーニカという若者がいた。彼は勉強好きで経験豊かな漁師の話を聞くことが大好きだった。漁のことは何もかも知りたがって、もし気になることがあれば、夜も眠れないくらいであった。だからいつもサベリイ爺さんの近くにいて、質問ばかりしていたが、サベリイ爺さんはなんでも詳しく説明してあげた。
 さて、ガラーニカはサベリイ爺さんのそばに座って、面白そうに話を聞いていた。そして、突然聞いた。
「ね、お爺さん。この辺の風は魚を操る力があるって本当?」
 サベリイ爺さんはすぐに答えず、驚いたような目でガラーニカを見て聞いた。
「あの樽の話かい?」
 今度は、ガラーニカの方がびっくりした。
「え?樽って何のこと?」
「あるんだよ。『オームリの樽』という、魔法の樽なんだ」
 ガラーニカはそれを聞くと息が止まりそうだった。
「ね、爺さん!どういうことか教えて、話してよ!」
 サベリイ爺さんは笑ったが、断れなかった。パイプにタバコを詰め込み、炭で火をつけた。そしてガラーニカだけでなく、他の漁師達も耳をすましているとわかったサベリイ爺さんはゆっくりと語り始めた。

―この話はいつからあって、いつ人に知られたかワシには分からん。長老たちから聞いたことをお前らに話そう。昔、この海の魚はすべて二人の兄弟の風に使われていたそうだ。二人の名は「クルトゥック」と「バルグジン」。二人とも巨人で、怖い顔をして、長い髪を乱し、おまけに暴れん坊だった。海の上を飛ぶと、空は真っ暗になる。最初、二人は仲良しで、一緒に遊ぶことが大好きだった。そして、バイカル様からお土産に貰った不思議な玩具を持っていたんだ。それは『オームリの樽』という物だった。
 一見すれば、ごく普通の樽、オームリの塩漬けのために使うのとそっくりだ。しかし、あの樽には魔法の力があった。どこに流されても、その周りにオームリの群れが集まってくるのだ。まるで、あの樽に自分から入りたいかのように。二人はそれをとても楽しんでいた。バルグジンはクルトゥックにぶつかって、樽を海に投げて威張るのだ。「ほら見ろ、俺様は魚をいっぱい集めたぞ!お前にはできないだろう」
 しばらくすると、今度はクルトゥックが樽を奪って、海に流して叫ぶ。「お前こそ見てみろ。おいらの方が沢山集めたぞ」こうやっていつも遊んでいた。二人はその魚を食べたり、自分の富だと思ったりすることはなかったので、考えてみれば、その遊びはとても楽しいとは思えないけれど、なぜかあきなかった。このように、本当なら今でも樽ごっこをやっていたはずだろうが、やめざるを得なくなった。あることが起きてな・・・。
 オリホン島はバイカルを二つに分け、岸と島の間は「内海」、島の外は「外海」と呼ばれるのだ。その内海の主は風の女神サルマだった。サルマは自分勝手で、クルトゥックとバルグジンよりずっと強い風だ。深い谷から突然飛び出すと大変な嵐を起こすのだ。二人はサルマ様に憧れていた。ある日、バルグジンは「俺はサルマを嫁にもらって見せるぞ」と言うと、クルトゥックは「そう早まるな。俺だって彼女と結婚したいのだから、勝負しよう」と答えた。二人ともサルマに媒酌人を送って、答えを待つことにした。まもなく、サルマの使者であるウミウが飛んできて、サルマの言葉を伝えた。
「わたしはまだ結婚を考えていないが、まず婿の候補者はどういうものか確かめたいのだ。二人とも陽気だし、いい男に見える。だから、勝負しなさい。私の内海を魚でいっぱいにしたい。だから、オームリの樽を先に持ってきたものと結婚しよう」
 ウミウが飛び去るとすぐに、クルトゥックとバルグジンは樽を奪い合い始めた。しかし、二人とも大変な力持ちで、どっちも勝てないのだ。例えバルグジンが樽を手にしても、あっという間にそれはクルトゥックに奪われた。クルトゥックが樽を持って逃げようとすると、次の瞬間にもうバルグジンがそれを奪い取った。どちらも負けたくないのだ。二人のうなり声がバイカルのどこまでも聞こえて、海には大変な嵐が吹いた。樽自体もどうやら大変な目にあったようだ。きーきーと軋んで、飛び回っているばかりだ。二人は興奮して、オームリの樽をいったん放っておいて、格闘で勝負しようとした。だけど、力が同じだからいくら戦っても勝負が決まらないのだ。
 二人は疲れて、休むことにした。そこで周りを見ると、なんと・・・樽はどこだ!いくら探しても、どこにもない。ひょっとして、少し待てばそのまま戻ってくるかと思って、待つことにした。けれども、何週間も何ヶ月も何年も樽は戻ってこなかった。二人はとても落ち込んでいた。だって嫁ももらえなかったし、おまけにお気に入りの玩具を失ったじゃないか。やがて二人は分かった、それはバイカルからの罰だと思った。バイカル様は二人の争いに怒って、お土産を取り返したのではないかと・・・。
 サルマはしばらく勝負の決着を待ったが、やがてウミウを送って「お前たちと結婚するより、一人暮らしの方がましよ」と伝えた。
 それ以来、外海には魚が前より少なくなった。オームリの樽がまた現れてくるといいが、それは無理だろう。

 サベリイ爺さんは話を終えて息をついた。ガラーニカもほっとした。彼はいつも、物語を聞いているときは、何か分からなくても質問を後にして、話が終わるとすぐに沢山の質問をする癖があった。
「ね、ね、お爺さん。ひょっとしてサルマがあの樽を二人から盗んだんじゃない?二人が格闘していた間に」
「それは分からないさ。サルマって、バイカルの一番強い風だ。おまけに自分勝手だな。ほら、いきなり襲ってきて、いつの間にか止むだろ」

 それ以来、ガラーニカは夢を持った。
「あのオームリの樽を見つけて、いつも大漁できればいいな」
 しばらく後、サベリイ爺さんの組合はまたバルグジン湾に漁をしに来た。皆はがんばって元気に働いていたが、魚はほとんどとれなかった。何度も網を打ったが、漁はほんのわずかだった。
サベリイ爺さんは顔をしかめた。「困ったなぁ」
 すると、ガラーニカは「内海に行ってみようよ」と聞いた。それにサベリイ爺さんは「そうだ、行ってみよう。クルクット湾に行けばとれるかもしれない」と答えた。他の漁師達も賛成した。
 内海のクルクット湾に着くと、白樺の皮のテントを建て、つり道具を用意した。
 確かにすばらしい漁場だった。周りに高い崖がそびえて、密林が広がって、水面の上にカモメやウミウたちが鳴きながら飛び回っている。青空にお日様がやさしく輝いて、空気が実においしい。
 しかし、サベリイ爺さんは不安そうだった。
「今日はうまくいかないな。ほら、谷間にあの丸い雲が見えるかい。きっと、今日はサルマが吹いてくるぞ」
 ガラーニカはびっくりした。
「まさか、あのサルマ様が来るの?」
「間違いないな」
 とサベリイ爺さんが言って、全ての道具と荷物を岩の溝に隠して、テントを解体するように命じた。どうせサルマが壊してしまうのだから。皆は言うとおりにした後、まもなく山の方から強い風が吹いてきて、あっという間にあたりは真っ暗になった。内海が荒れて、大きな木は音をたて、崖の上から大きな石が次々と水に崩れ落ちる。
 ガラーニカはいくら怖くても、どうなっているのかどうしても見たくて、隠れ場から頭を出して外を覗いた。見ると、海の上に煙で出来たような大きな女性の顔が浮かんでいる。乱れた灰色の髪の毛に白髪が混ざって、ほおがゆれて、口は雲を噴出している。実に恐ろしい顔だ。高い波が音を立ててお互いにぶつかっている。
 ガラーニカは「すごい力だ!」と思って、また隠れ場に戻ると、サベリイ爺さんが笑って聞いた。
「どうだ。サルマは美人だったのかい?」
「いや、もう二度と見たくない顔だよ」
「それはお前にとってな。クルトゥックとバルグジンから見ると、彼女はきっとすばらしい美女に見えるだろう」
 サルマはしばらく暴れ続けたが、やがて止んだ。空が晴れて、漁師たちは隠れ場から出た。周りを見ると、なんと浅瀬に怪しそうな樽が波に流されてきて、その樽の上に炭のように真っ黒なウミウが降りている。ウミウがまもなく飛び去ると、今度は真っ白なカモメが飛んできて、樽の上に降りて嘴で翼の掃除をする。
 もちろん、漁師達は驚いた。だって皆は「ひょっとしてあの樽か」と思ったに違いない。しかし、それを言い出すことなく、親方のサベリイ爺さんが何を言うか待ったが、ガラーニカだけが待ちきれず尋ねた。
「ね、爺さん・・・。もしかしてあれは・・・」
 しかし、サベリイ爺さんも黙ってじっとして、驚いた目で樽を見つめる。やがて決心したようで、こう指示をした。
「みんな、ついて来い」
 浅瀬に来ると、カモメが鳴いて飛び出した。すぐに、他のカモメやウミウが空も見えなくなるほど沢山集まってきた。鳥たちが高い泣き声を立て、海に飛び込んで魚を捕まえてどんどん食べ始めた。
「大漁の兆しだな」とサベリイ爺さんが言った。
 樽に近づいて見ると、間違いなく特別な樽だと分かった。驚くほどよく作られたもので、普通の樽よりずっときれいに見えるものだから。その香りだって特別で、香ばしくて美味しそうだ。
「お前の言ったとおりだな、ガラーニカ君」とサベリイ爺さんが言い、海を眺めた。バイカルの様子を見ると、水面の模様が変わったことが分かる。バイカル湖の水面を遠くから見ると、そこに大きく線が伸びている。色の濃い線は水が冷たくて、そこから魚が逃げる。色が薄いと、水が暖かく魚が集まってくるところだ。今は、水面は滑らかで全部一定の薄い色になっている。それは、大漁の兆しだった。サベリイ爺さんは皆に「今日こそ大漁になるぞ!餌もいらないかも」と自信満々で言った。

 早速、漁師たちは仕事に取り組んだ。道具を積んで、船を海に出した。ゆっくりと走りながら、網を少しずつ水に下ろす。全部下ろすと、サベリイは岸の方に向かって「引け!」と叫ぶ。船の舵をしっかり握って、顔だけがにっこりと輝いている。親方を見た他の漁師も歌い出したい位嬉しい気分だ。しかし、すぐに本音は出さない。岸にいる漁師達はウインチを回して、網を引いたが、突然仕事をやめた。船の漁師は「何だよ、引っかかったのか」と叫ぶ。
「違う」と岸の人が答える。「重くて、もう引けないんだよ」、「なに?困ったなぁ」親方のサベリイが驚いた。「手伝いに行かないと」、今度は皆で網を引っ張った。「引け・・・」
 しかし、網は一寸も進まない。一体、どういうことなのだ。漁師たちは不安を感じた。
「無理だな」と親方が言い、悔しそうに頭を掻いた。確かに大漁にはなったが、網を引き揚げなければ、まったく意味がない。
「どう見ても、無理だ。どうする?」
 仕方がなかった。網を切って、魚を逃がすことにした。空っぽの網を引き揚げて、夜までなんとか直した。ここで、あきらめの悪いサベリイ爺さんは「またやってみようじゃないか」と言い出した。漁師達は口を出せず言うとおりにした。しかし、今度も同じ結果だった。また、網を切って魚を逃がすほかなかった。そして、そのまま岸で一夜を過ごした。翌朝、親方は船を出さなかったが、そのまま何もとれずに帰るわけには行かないと思った。
 皆で打ち合わせをした。サベリイ爺さんは「魔法の樽を海に流そう。そうすると全てが元通りになる。それでいいか?」と提案した。
 ここでガラーニカが怒って叫んだ。「そんな宝物捨ててもいいのかい!今、幸運を手に握っているのに。あの樽があれば、誰でも腹いっぱい食えるじゃないか。幸せを海に流すなんて、そんなバカな!」
 サベリイ爺さんはガラーニカの言葉を冷静に聞いて、そして落ち着いてこう答えた。
「やっぱり若いな、ガラーニカ君。魚が多くても手に入らないなら、どこが幸せだよ。少なくても手に入るなら、その方がマシだ。だから、けちなサルマの真似をするな。ほら、彼女はあの樽にあきて、そいつをわざと我らに持たせて困らせるつもりだったと思う」
 
 こうして、樽を海に流すことにした。もう一度その姿を眺めた後、力を合わせて水に押し出した。サベリイ爺さんは手を振った。
「これでいいよ。あの樽はずっと一ヶ所にとどまるとよくないのだ。これで、余計な魚が内海から外海に戻る。我らは漁師の腕と技がある限り、必ず魚をとれるのだ」
 ガラーニカは悲しい顔で、波に流される樽を見送っていた。
 突然、海はまた暗くなって、空に黒い雲が浮いた。高い波がうねって、樽がもう見えなくなった。
 サベリイ爺さんは顔をしかめた。
「バルグジンが吹いたから船を出せない。皆、しばらく休むがよい」
 ガラーニカはバルグジンのことを耳にすると、一瞬で悲しみを忘れた。
「バルグジンも現れるのかい?」
「海を見れば分かるだろう」
 ガラーニカは海を見て、ぞっとした。遠い水平線の上に雲の中から巨人が現れて、大きな手を海に伸ばした。次の瞬間にその手の中に魔法のオームリの樽が現れた。雷のような声が響いた「ハハハハー!」次の瞬間に巨人が樽を遠くに投げて雲の中に消えた。あっという間に空が晴れて、お日様が輝いた。
 サベリイ爺さんは微笑んだ。
「お気に入りの玩具が見つかったか。今度はクルトゥックが答えてくるに違いない」
「本当?」とガラーニカが聞くと、また海も空も真っ暗になって、山のような大きな波が上がった。その波の中からもう一人の巨人が立ち上がった。また海の上に「ハハハハー!」と大きな声が響いた。巨人は海に手を伸ばすと、直ぐに水の中から魔法の樽をすくった。そして、手を上げて樽を水平線の向こうに投げた。
 ガラーニカは「すごいな、これからどうなるんだろう」と思った。
 しかし、どうにもならなかった。クルトゥックが姿を消すと直ぐに海が静かになり、お日様が青い波を照らした。サベリイ爺さんの顔も明るくなった。
「よかったな、二人は争いをやめたみたい。これで、魔法の樽も自然に流されて、魚の群も海に広がるだろう。サルマの内海は樽がなくても豊かだし。・・・さ、みんな働こう」
 そのとき水面が変わって、色が濃い冷たい水の線と色の薄い温かい線が見えてきたが、サベリイ爺さんはそれを気にしない。
「いつもの様に漁をしよう。皆でがんばって働けばきっと大漁だ。午後から船をだすぞ」
 午後になると、サベリイ爺さんはまた舵を握った。網を水に下ろして、岸に戻った。そして皆で引っ張り始めた・・・。
 あの日はどれだけの大漁だったか、言葉では伝えられない。それは自分の目で確かめなければ分からないだろう。
 漁師たちは、大変喜んでいた。サベリイ爺さんはにこにこして「どうだ、あの魔法の樽を逃がして、まだ悔しいかい?」と聞くと、ガラーニカは陽気な声で答える。
「いや、悔しくなんかない。だって、お爺さんの腕こそ本当の魔法なんだから」

訳:ロシア極東国立総合大学函館校

講師 デルカーチ・フョードル

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2007年10月23日

2007はこだてロシアまつりのお知らせ

今年のテーマは「ロシア民話の世界~とある見知らぬ路で~」。
詳細を函館校のホームページに掲載しましたのでご覧ください。
みなさまのご来校を心よりお待ちしております。

 第10回 はこだてロシアまつり
 2007年11月10日(土) 10:00~15:00

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2007年10月19日

バイカル民話集2 ハルデイの妻

ハルデイの妻
Жена Хордея

 昔々ある山の麓にハルデイという貧しい男が住んでいました。ハルデイは大金持ちの主人に雇われて、家畜の世話をしていました。ところが、主人はとてもケチな男だったのです。
 そして1年が過ぎたある日、主人は一生懸命働いたハルデイに、わずか3枚の銅貨しか支払いませんでした。それに腹を立てたハルデイは、別の場所で幸せを探すことに決めました。
 ハルデイにとってそれはそれは長い旅でした。深い森を抜け険しい山を越えて草原を渡り、ようやく、バイカル湖という大きな湖に辿り着きました。そしてそこからハルデイは小舟に乗って、湖の中にある一番大きな島、オリホン島へ渡りました。彼はとてもその島を気に入ったので、自分を占ってみる事にしました。「バイカルの神は誰でも好きなわけではない」、「供え物をあげても、受け取るとは限らない」ということをハルデイは知っていましたので、彼は賭けをしたのです。
「今、この3枚の銅貨を投げよう、もし、神が私を受け入れてくれるのであれば、銅貨を受け取ってくれるはずだ。それなら、私はここに残ろう。もしお金が戻ってきたら、違う場所を探そう」
 そう言いながらハルデイはバイカル湖の沖の方へ銅貨を投げました。すると海は川のようにゴオゴオと鳴り響き、波立ってきました。ハルデイは岸辺の砂利を見回しましたが、ぶくぶくと泡だけがそこにあり、他には何も現れませんでした。貧乏なハルデイは神が受け入れてくれたことを知って喜び、この島で暮らす事を決めたのでした。

 それから3年が経ちました。そこはハルデイにとってとても暮らしやすい所でした。湖ではたくさんの魚が捕れ、森も豊かでした。でもハルデイは一人でいるのが寂しくなりました。彼は妻が欲しくなったのです。
 そうしたある日、ハルデイは、自分のつまらない一人暮らしに寂しさを募らせながら、湖の岸辺に座りカモメやウミウを眺めていました。
「鳥たちは自分より、こんなにも幸せそうにしている。それはきっと家族がいるからだ」
 ハルデイはうらやましそうに深くため息を付いていました。すると突然、湖の波音の中に静かな声が聞こえました。
「嘆くな、ハルデイよ。君が惜しまず投げてくれた3枚の銅貨は無駄ではなかったのだ。3年前はここに住む場所をやったのだが、今回は妻を捜す手伝いをしてあげよう。夜明け前にここの岩の間に身を隠して待っていなさい。日が昇る頃に白鳥の群れがやってくる。白鳥達は白鳥のドレスを脱ぎ、綺麗な娘に変わる。そこで好みの娘を選ぶがいい。娘達が泳ぎ始めたら、その娘のドレスを隠しなさい。そうすればその娘は君の妻になるはずだ。おそらく娘はドレスを返すよう君に訴えてくるはずだ。だが、譲ってはいけない。後で彼女と一緒に住む事になっても、返してはいけない。もし私が言った事を忘れたのであれば、君は妻を失うであろう」
 
 声はそこで途切れました。バイカルの神の声に戸惑ったのか、夢だと思ったのか、驚いたハルデイはじっと湖の岸辺に座っていました。でも覚えている事はとにかくやってみようと決意したのでした。
 そして夜明けに彼は翼の羽ばたく大きな音を聞いて、岸に雪のような真っ白な白鳥達が舞い降りるのを見たのでした。白鳥達はドレスを脱ぎ、綺麗な女性へと変わりました。彼女達は子供のようにはしゃぎながら、泳いでいました。ハルデイの視線は彼女達に釘付けでした。特にその中で誰よりも美しく、誰よりも若い娘ホングにハルデイは心を奪われました。我に返ったハルデイは岩から飛び出し、その美しい娘のドレスを手にとり、それをすぐに洞窟に隠して、入り口を岩で塞ぎました。
 太陽が昇り、海水浴に満足した美女達は岸から上がり、急いで着替えました。しかし一人だけ、その場にあったはずの自分のドレスを見つけられませんでした。彼女は驚き、震えた声で泣きそうにこう言いました。
「ねぇ、私の軽い羽のドレスはどこ?私の速く飛べる翼はどこ?いったい誰が盗んだっていうの?どうしよう、私って本当についてないわ・・・」
 その時、彼女は一人の男が目に入りました。そう、ハルデイです。彼女はすぐにハルデイがやった事だと気づきました。彼の所に急ぎ足で向かい、膝をついて、目に涙を浮かべながらこう言いました。
「ねぇ、おにいさん、私のドレスを返してもらえませんか?返してもらえると大変嬉しいのですが。返していただけるのであれば、できることなら何でもしますから」
しかし、ハルデイはこう応えました。
「いいえ、綺麗なお嬢さん、私にはあなた以外何も、誰も必要としていません。私は、あなたが私の妻になってくれることが望みなのですから」
 若い女性は泣き崩れました。自分を自由にしてくれるよう、さらに強く懇願しました。けれどもハルデイは聞き入れませんでした。
 そうこうしている間に彼女の仲間たちは既に着替え終えて白鳥の姿に戻っていました。仲間達はホングを待つことはできませんでした。彼女達は空へと羽ばたき、別れのような悲しい鳴き声で飛び去っていったのです。ホングは仲間達に手を振っていましたが、顔を涙で濡らし、岩にしゃがみこんでしまいました。
 ハルデイは彼女を元気付けようとこう囁きました。
「泣かないで、綺麗なお嬢さん。仲良く暮らせるさ。私は君を愛するし、大切にする」
「私にはもう何もないわ・・・」
ホングは気持ちを整理して、瞳から溢れ出ている涙を拭い、立ち上がり、ハルデイにこう言いました。
「わかったわ、これが私の運命なのね。あなたの妻になります。私をあなたの住む場所へ連れてって」
 ハルデイは彼女の手をとり、家へと向かいました。

 この日からハルデイはオリホン島で妻ホングと共に仲良く幸せに暮らしました。二人の間には11人の息子が生まれ、彼らは両親をよく助けてくれました。そして息子達にも家族ができ、孫達も生まれ、ハルデイにとって寂しいなんて思う日はありませんでした。年が過ぎても老けたように見えない妻ホングも自分の家族を見て、とても喜んでいました。彼女もまた孫をあやしたりするのが大好きでした。孫達に御伽話を聞かせたり、難しいなぞなぞを出したり、良い行いや親切な行い全てを教えました。そしてこう言い聞かせたりしました。
「人生は白鳥達のように互いを信じあうことですよ。きちんと覚えておいて。そしてあなた達が大きくなった時に、誓いというものがどういうものなのか、自分で理解しなさい」
 
ある日のことです。ホングは孫達を自分の家に呼んで、次のようなことを語りました。
「大切な私の子供達よ、私は自分の全生涯をお前たちのために捧げてきました。後はもう安らかに眠るだけです。私はもうすぐ死ぬでしょう。この身体は老いたとは感じないけれど、誓いを守らなければならなかった、いつしか切り離されてしまった元の身体が年老いてしまうでしょう。お前達が私を責めない事を信じていますよ」
 祖母が何を話しているのか、何を考えているのか、孫達はほとんどわかりませんでした。でも夫ハルデイは気付いていました。綺麗な妻ホングはよく物思いにふけったり、考え込んでいたり、隠れて涙を流していたりしていたのでした。そして彼女は昔ハルデイが彼女のドレスを隠した場所によく通いつめていました。ホングは岩に座り、海を眺めて、押し寄せる波の音を聞いていました。そして空には薄暗い雲が浮かんでいて、その雲を寂しそうに目で追っていました。
 ハルデイは彼女が悲しんでいる理由を何回も聞こうとしましたが、決心が揺らいでいるのか妻はいつも黙り込んでいました。
 二人は家の中にある火の近くに座って、共にすごしてきた日々を思い出していました。そしてホングはこう言いました。
「ハルデイ、私はあなたとどのくらい共に暮らしてきたのでしょう。それに一度も喧嘩はしませんでしたね。私はあなたとの間に二人の血を継ぐ11人の子を産みました。でも私は人生の終わりになってもあなたから少しの慰めすら受けていません。どうしてですか?今もあなたは私のドレスを隠しているのですか?」
「君はなんのためにあのドレスが必要なんだい?」
 ハルデイは尋ねました。
「もう一度白鳥になって、自分の若い頃を思い出したいの。だからお願い、ハルデイ、せめて少しの間だけでも以前の姿に戻りたいの」
 
 ハルデイはしばらくの間その願いに首を頷かず、彼女を思いとどまらせました。しかし、自分の愛する妻が可哀想になり、彼女を慰めるために、ドレスを渡したのです。
 ホングはどれほど喜んだでしょうか。そして彼女が自分のドレスを手にした時、彼女はより若く見え、顔にも明るさが戻り、せわしなく動き始めました。
 使っていなかった羽を一生懸命手入れして、ホングは今か今かとドレスを着る準備をしていました。この時ハルデイはとても頑丈な鍋で羊肉を煮ていました。火の側に立ち、彼は愛する妻をじっと目で追っていました。ハルデイは妻ホングが嬉しそうに、そして満足そうにしているのを見て喜んでいましたが、同時になぜか不安を感じていました。
 そして突然、ホングは白鳥の姿に戻ってしまいました。
「ギーギー!」
 かん高い声を上げ、彼女はゆっくりと空へと羽ばたいていきました。高く高く。
 この時ハルデイはバイカルの神が前もって彼に言っていた事を思い出しました。ハルデイは悲しみのあまり泣き出し、何とかして妻を家に連れ戻そうと、家の外に駆け出しました。しかし既に時は遅すぎました。白鳥は空を高く舞い、徐々に遠く離れていきました。彼女の後を目で追い、ハルデイは嘆きました。
「なぜ私はホングの言うことを聞いて、ドレスを渡したんだ?なんのために?」
 しばらくハルデイは落ち込んでいました。けれども絶望を乗り越え、理性を取り戻した頃、彼は、辛いこととはいえ、実は妻の最後の喜びを奪う権利がなかったのではないかと悟りました。「白鳥として生まれてきた者は、死ぬときも白鳥であるべきで、騙して手に入れたものは、それ故にこそ失われて然るべきものなのだ」と。
 どんな悲しみも、それを分かち合える相手がいれば、辛さは半分になると言われています。ハルデイは既に独りではありませんでした。息子達やその嫁、そしてたくさんの孫に囲まれて、年老いた今そこに慰みを見出していたのです。

訳:ロシア極東国立総合大学函館校

ロシア地域学科4年 久田 賢明

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2007年10月18日

芸術の秋、いざ青森へ!

 日帰りで函館から青森へ出かけた。青森県立美術館で開催中の「舞台芸術の世界~ディアギレフのロシアバレエと舞台デザイン」を見るためである。この美術館は2006年開館と新しく、国の特別史跡・三内丸山遺跡の隣にある。せっかくだもの、両方見たい!青森駅からバスに乗り約20分、まずは三内丸山遺跡へ。

 ここは入場料無料で楽しめる。三内丸山の象徴とも言えるのが復元された大型掘立柱建物である。直径約1メートルもある六本柱からなる構造物は、実際目の前に立ってみると、その高さ、その大きさに圧倒される。何に使用していたものかは諸説に分かれるが、このような大きなものを重機もない時代によくもまあ、と縄文人の文明に驚かされる。ちなみにこの六本柱に使われている栗の木は、はるばるロシア・チタから運ばれてきたものだ。日本国内ではこれだけのものが用意できなかったのであろう。
 また、遺跡をビデオで紹介する縄文シアターではロシア語の翻訳機の貸し出しがあり、その他展示室などにもロシア語の表示があった。さすがはハバロフスクと定期航空路を結ぶ青森県である。

 三内丸山から美術館までは無料のシャトルバスが走っている。私は時間が合わなかったので歩いて行ったが、それでも15分くらいで着く。
 そしてお目当ての「舞台芸術の世界」。展示品のほとんどは舞台衣装のデザイン画やポスターであるが、絵画として鑑賞できるほどの完成度。どれもこれもがおとぎ話から切り取られたような、見ているだけで夢膨らみ心踊るような画である。
 実際に使用された衣装も展示してある。館内では舞台のビデオも上映され、「バレエこそが舞踏、美術、音楽を統合させた『総合芸術』である」という信念を持っていたディアギレフの世界に触れることが出来る。

 展示を見た後のお楽しみに、先着でロシア雑貨があたるくじ引きも用意されていた。出口でチケットの半券を見せ、「マトリョーシカさんスタンプ」を押してもらえば、くじ引きの権利獲得。賞品はマトリョーシカ・キーホルダーや小さなおもちゃカメラなど様々。私はマトリョーシカ型の笛を狙ったが、はずれ。でも残念賞をもらうことが出来た。

 そのほか、常設展示もおもしろい。青森県ゆかりの棟方志功、寺山修司、奈良美智の作品たち。特に奈良美智の作による鉄筋コンクリート像、全長8.5メートルの「あおもり犬」は何とも言えぬ脱力感を漂わせながらも、眺めているうちにいろいろなメッセージを発しているように思えてくる。三内丸山遺跡の発掘現場に着想を得たというこの作品は、発掘されたよう下半身を地中にもぐらせており、本当はもっともっと大きいのだ。

 結局閉館の17時までいたのだが、常設展示の方はすべて見ることができなかった。見応えがあるのでこのようなことにならないよう、お出かけの際は時間に余裕を持って行くことをお勧めする。
 参考までに函館から特急で片道2時間ちょっと。函館-青森自由席往復きっぷというのを利用すると、5,500円で行って来ることができる。
 縄文遺跡と現代美術が隣り合うこの素敵な空間。秋晴れの一日、歴史と文化と自然に触れ、青森の奥深さを知りました。

ロシア極東国立総合大学函館校 事務局 大 渡 涼 子

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2007年10月16日

「ロ・マン」で見えたもの

 先日の10月6日(土)、7日(日)に新潟県十日町市松代において、「第17回24時間耐久リレーマラソンinまつだい」が開催された。
 その名も「ロ・マン24」。
 その名の通り、1チームは10数名から構成され、正午12時に各チーム一斉にスタートした後は1周2.13キロのアップダウンの激しいコースを次の日の12時までチームメンバーでたすきを回し、最終的に何周回れるかを競うという過酷かつ忍耐力を要するイベントなのだ。

 私も今年初めてこのマラソン大会に出場してみた。
 参加チームは全部で32チーム。先の中越沖地震の影響でチーム数は例年より若干減ったそうだが、それでも最も大きな被害を受けた柏崎市からも4チームがエントリーし、1日も早い復興を願う人々の強い精神力が見えた。
 私がこの貴重な経験をできたのは、ウラジオストク在住時代に親交を深めた新潟市役所Y氏並びに新潟県庁H氏が以前から参加に向けて声を掛けてくれていたからであった。私自身以前から一度参加してみたいと思っていたので、今年意を決して参加することにした。
 こちらの両名はこの大会にもう7年も前から参加しているとの事で、チームは新潟県庁、新潟市役所、富山県庁からウラジオストクに研修で1年間派遣されていた人達がメンバーの中心となっている。加えて毎年ウラジオストクから来日しているロシア人が数名チームに加わっている。このウラジオストクに関わりの深い日ロ混成チームの名も「Ура(ウラー)!じお」となかなか粋なネーミングである。

 各チーム決まった区画にテントを設営し、食事を作り、暖を取り、体育館に寝袋を持ち込み交替で仮眠を取り、また走り出す…。我がチーム「Ура!じお」はその食事メニューもオリジナリティが効いていた。定番のカレーなどに加えてロシア人が作るピロシキ、ボルシチも並ぶ。みんなロシアでの日々を思い出していたに違いない。
 今大会のエピソードではないが、以前新潟市役所Y氏が1周走り終えて戻ってきたら、次に走るはずのランナーがいなかったということがあったらしい。どうやらそのランナーは食事中だったらしく、Y氏はたすきを誰にも渡す事ができず、泣く泣くまた2周目に向かって足取り重く去って行ったとか。そして身も心も疲れ果て、ようやく2周走り終えて戻って来たY氏は、物凄い形相で次の遅れてきたランナーを睨みつけたという。その時遅れてきたランナーはY氏の目に殺意を感じたというコメントを残したそうだ。普段温厚な人柄で知られるY氏がここまで怒りを表現することは珍しい、と知る人ぞ知る伝説になっている。それほどまでにこの大会は過酷であり、「うっかり」が許されないのだ。

 我がチーム「Ура!じお」も他のチーム同様、みんながそれぞれにベストを尽くしたかいあって、無事フィナーレを迎えることができた。フィナーレは感動的だった。24時間はスタートされた時から刻一刻とカウント・ダウンされて行くのだが、全32チーム中終了の合図と同時にフィニッシュのゴールをくぐったのはチーム「Ура!じお」のみであった。ロシア人美女のランナーがドラマチックにフィニッシュする姿に観客の皆さんは拍手喝采だったし、私たちは皆、誇らしげに喜びを分かち合った。
 そして大会終了後は「また来年会いましょう!」と別れて行った。私はそのまま新潟、富山、ロシア人の皆さんと一緒に温泉旅館に一泊して次の日函館に戻って来たのであった。温泉旅館での楽しいエピソードは残念ながら今回はブログの趣旨からも外れているので割愛させてもらおう。
 
 新潟県庁、新潟市役所、富山県庁のウラジオストク派遣職員の方々は皆さんロシアでの1年間ないし2年間の思い出をとても大切にしている。それぞれにロシアで素晴らしい時間を過ごしたのであろう。会えば昔話に花を咲かせ、笑い話が尽きない。私自身もロシア時代は公私共々大変お世話になり、今でも仕事で新潟市に行くと、忙しい中にも時間を作って会ってもらっている。彼らはロシアではロシア人との交流にも、ロシア語の勉強にも積極的な姿勢の人達が多く、同じ寮に住む多くの留学生にとっても良き相談役であり模範であった。
 新潟県も富山県も地理的にロシアとの交流が欠かせない地域だ。
 富山に来ているロシア人の研修員も新潟に来ているロシア人留学生もそれぞれに「富山が好き」「新潟に住みたい」と語っていた。
 彼らはウラジオストクでの研修後も自分達の県を越えて、派遣されていた研修時期を越えて横に固い絆で結ばれており、今回のマラソン大会のように来日するロシア人へよい思い出をプレゼントしているのであろう。
 もちろん残念ながら、組織の中で全員がロシアに係わる業務に就いている訳ではないようだが、彼らは新潟、富山の日ロ交流を陰で支え、そしてよい物に作り上げて行くための一つの力であることは真実であろう。

ロシア極東国立総合大学函館校 講師 工 藤 久 栄

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2007年10月12日

バイカル民話集1 象の鼻岩

 11月10日(土)に行われる2007はこだてロシアまつりのテーマは「ロシア民話の世界~とある見知らぬ路で」に決まりました。
 それにちなみ、函館校の通訳・翻訳サークル「訳者小屋」が翻訳したバイカル民話を5回に渡り、お届けします。
 「訳者小屋」は平成17年12月に発足、ロシア語力向上を目指し、さまざまなボランティア通訳・翻訳、観光ガイドなどを行っています。
 この民話集は、バイカル湖をテーマにした昨年のロシアまつりのために翻訳されたもので、まつり当日は読み聞かせも行い、大変好評でした。翻訳者の所属は昨年時のものです。
 それでは奥深いロシア民話の世界をお楽しみください。

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象の鼻岩
Скала-хобот

 昔々、聖なる海、バイカル湖の岸辺には、とても暖かな時代がありました。大きな見たこともない木々が空高く生い茂り、今の動物たちより、ずっと、ずっと大きな動物が棲んでいました。面白い形の角をした大きなサイや剣のように鋭くて長い牙をもった虎や洞窟に棲む大きなクマもいましたし、とてつもなく大きな毛むくじゃらのマンモスがいました。マンモスの長いラッパのような鳴き声は山を振るわせるほどでした。マンモスは地上のすべての動物の中で、一番、大きくて力強いと思われていました。けれど、マンモスはとても性格が優しく、おとなしい動物でした。
 しかし、バイカル湖の近くに棲んでいる中で、一頭だけ、怒りっぽく、とてもわがままで頑固なマンモスが、おりました。いつも、1人ぼっちで、通り道で他の誰かに出会っても、鼻高々と偉そうにしては、相手をいじめていました。
 小さい動物たちを長い鼻でつかまえて、茂みの中へほうり投げました。大きな動物たちには、太い牙で、ひっかけて持ち上げて、地面にたたきつけました。うぬぼれマンモスは、気晴らしのため大きな木の根っこを掘りました。また、大きな丸い石を引き抜いてバイカル湖へ流れる小川をせき止めたりもしました。
 マンモスの長老は、何度もうぬぼれマンモスを説得しようとしました。
「いいか、考え直すのだ、強情者め!弱い動物たちをいじめちゃいかん!訳もなく木を引っこ抜くな、小川をふさぐな、そんなことをしていると、今にバチが当たるぞ!」
 うぬぼれマンモスは、長老マンモスの話を聞いてはいましたが、全然、言う事を聞かず、自分の好き勝手にし続けていました。
 ある日のことです。うぬぼれマンモスは全くいい気になって歯止めが効かなくなってしまいました。
「オレ様にツベコベ言うな!」 長老マンモスに怒鳴りだしました。
「オレ様をおどすな、オレ様はマンモスの中で一番強いのだ。やってみろというなら、小川だけでなく、バイカル湖も水たまりのように石で埋めてやるぞ」
 長老マンモスは、ぞっとしました。他のマンモスたちも興奮してうぬぼれマンモスへ、いっせいに鼻をブンブン振り始めました。
 この様子を見ていたバイカル湖が荒れだしました。大きな波が岸に打ち寄せました。波には、神様の、さあ、こらしめてやるぞ、という恐ろしい微笑みが満ちていました。
 けれど、我を失ったうぬぼれマンモスは、そんなことには全く気付きませんでした。勢いよく走って、大きな岩に自分の牙を突き刺しました。湖の中へ投げるために持ち上げたのです。しかし、突然大きな岩は、重く重くなりました。あまりの重さに、牙にメリメリとヒビが入り、とうとう牙はボキリと折れてバイカル湖の中へ岩もろとも落ちてしまいました。うぬぼれマンモスは牙を失ったのが悲しくて大声で鳴きました。自分の折れた牙を取り戻すために水の中へ長い鼻をのばしました。その時です。バイカル湖の神様は、うぬぼれマンモスを石に変身させてしまいました。
 それ以来、バイカル湖の岸辺には巨大な岩がそびえ立っています。岩は、象の鼻のような形で水面の上に垂れ下がっています。今、人々は、その岩を「象の鼻岩」と呼んでいます。

訳:ロシア極東国立総合大学函館校

ロシア地域学科1年 佐藤 輪太郎

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2007年10月06日

タマサイの美~アイヌ女性の魂~

 函館市北方民族資料館は、世界的に数少ない北方民族資料を収蔵し、その文化を知る上で貴重な博物館である。特にアイヌ民族資料は学術的にも価値の高い資料として、昭和34年、国の重要有形民俗文化財にも指定されている。建物自体も昭和元年に建てられた旧日本銀行函館支店を再利用しており、なるほど、昔函館が栄えていた頃の趣がある。

 今回この資料館で開催された、表題の企画展を観た。案内のチラシには“母から娘へと受け継がれたアイヌ伝統の首飾り、その造形や色彩をはじめ魅力あふれるタマサイの美”の言葉と美しい写真があった。
 さて、タマサイとは?アイヌの女性の玉飾り-装飾品であり、山丹貿易などで毛皮と交換で中国から得たガラス玉を繋いだものである。ガラス玉は非常に貴重だったため、このタマサイは母から娘へ、そして孫へと受け継がれ、ガラス玉が手に入るたび継ぎ足しては長くしていったものだそうだ。

 ペンダントトップとして、中央に大きな飾りがついているものも多い。漆塗りで鶴が描かれていたり、鉄瓶の蓋みたいだったり、やけにジャパネスクだなあ、と思っていると係の方が「これ、何で出来ていると思います?なんと鉄瓶の蓋なんですよ!」と説明してくださった。どうりで。
 でもなぜ、鉄瓶の蓋が?と質問したところ、当時のアイヌにとって、日本人がもたらすこれらの物は美しく珍しいものであったらしく、大切に加工し、儀式の時などに身に着けたそうだ。中には和菓子の抜き型などもあった。漆塗りや木製品は丁寧に補強してある。このことからも大事に大事に受け継がれてきたことが窺える。これこそ民族の融合、中国とロシアと日本の出会いである。しかもこれは今流行のリフォームではないか!
 
 また、北海道アイヌと樺太アイヌでは服装も若干違ったようで、タマサイも6連だったり網模様になっていたりと樺太のほうが心持ちゴージャスだ。
 残念ながら企画展は終わってしまったが、常設展示でもタマサイは見ることができる。北方民族の美しい衣装や生活ぶりを垣間見ることができるこの資料館に、一度足を運んでみてはいかがでしょうか。
 

ロシア極東国立総合大学函館校 事務局 大渡 涼子

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2007年10月04日

ミリオン・ズビョースト 第53号

 函館校の学報であり、函館日ロ親善協会の会報であるミリオン・ズビョースト/百万の星 第53号を函館校のページに掲載しました。
 今回の巻頭言は長年函館校の図書館司書として、また時には学生たちのよき相談相手として、いつも私たちを支えてくださる吉﨑侑さんによる「私とロシア」です。ロシア語の専門書を扱う苦労がうかがえます。
 また、今年の夏は学生たちは学外活動の機会に多く恵まれましたが、その思い思いの感想のほか、函館日ロ親善協会によるユジノサハリンスク市訪問団の様子も寄せられています。是非ご一読ください。

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2007年09月20日

ロシア語版「千の風になって」

 函館校卒業生の山名康恵さんが、「千の風になって」のオリジナルと言われているものをロシア語に訳してくれました。


【Do not stand at my grave and weep】
~I am a thousand winds; 千の風になって~
“Я – тысяча ветров”


  Do not stand at my grave and weep;
  私のお墓のそばで泣かないで
  Не стойте и не плачьте у моей могилы:

  I am not there, I do not sleep.
  私はそこにはいない、私はそこに眠ってはいない
  Там нет меня, я там не сплю.

  I am a thousand winds that blow ,
  わたしはふきわたる千の風
  Я – тысяча ветров, что вечно дуют,

  I am the diamond glints on snow ,
  わたしは雪の上のきらめくダイヤモンド
   Я – искры на блистающем снегу,

  I am the sunlight on ripened grain,
  わたしは豊穣の穀物にそそぐ陽光
  Я – солнца свет на спелых зёрнах,

  I am the gentle autumn rain.
  わたしはおだやかな秋雨
  Я – ласковый осенний дождь.

  When you awaken in the morning’s hush
  あなたが朝の静けさの中で目覚めるとき
  Когда ты встанешь ранним тихим утром,

  I am the swift uplifting rush
  わたしは翔け昇る上昇気流となって
   Я – стая ввысь летящих тихих птиц,

  Of quiet birds in circled flight.
  弧を描いて飛ぶ静かな鳥たちとともにいる
  Кружащихся в своём полёте.

  I am the soft starlight at night.
  わたしは夜にやさしく輝く星々
   Я – мягкий звёздный свет ночной.

  Do not stand at my grave and cry;
  私のお墓のそばで泣かないで
   Не стойте и не плачьте у моей могилы.

  I am not there, I did not die.
  わたしはそこにはいない、わたしは死んではいない
  Там нет меня, не умер я.

(ロシア語訳:函館校卒業生 山 名 康 恵)

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2007年09月19日

2007はこだてロシアまつり ~ロシアの民話~

 今年のテーマは「ロシアの民話」。ロシアには「大きなかぶ」をはじめ、日本でもおなじみの民話がたくさんあります。そんな民話の世界へみなさまをご案内します。
 一昨年好評だった人形劇も今年復活します。もちろん前回とは違うお話ですからお楽しみに。
 毎年たくさんの来場者でにぎわう「はこだてロシアまつり」。今年もみなさまにロシアに対する見方を広げていただけるよう、学生・教職員一同準備を始めたところです。入学を検討されている方もこの機会にお気軽にお越しください。
 詳細は近くなりましたらこのページ等でお知らせします。

日 時:平成19年11月10日(土) 10:00~15:00
会 場:ロシア極東国立総合大学函館校 (函館市元町14番1号)
主 催:第10回はこだてロシアまつり実行委員会

内容(予定): ロシア料理レストラン  カフェ
       キオスク           人形劇
       民族衣装試着       ステージショー
       チェスコーナー       はじめてのロシア語教室
       講演会
       
昨年の様子>>

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2007年09月11日

舞台芸術の世界~ディアギレフのロシアバレエと舞台デザイン~

ph0709-1.jpg 青森県立美術館において、標記展覧会が開催されます。
 20世紀初頭のヨーロッパに一大センセーションを巻き起こし、世界中のエンターテインメントシーンに多大な影響を及ぼした伝説のバレエ団「バレエ・リュス」を初めとするロシア舞台芸術の世界を約190点の作品資料により紹介するものであり、同館が所蔵するマルク・シャガールによるバレエ「アレコ」の舞台背景画が制作された歴史的背景を知る上でも重要な展覧会です。

 そのほかダンス公演、記念講演会、ワークショップ、映画上映などの関連企画も充実しています。秋の青森でエンターテインメントの宝庫・ロシアに浸ってみませんか?

  会 期:平成19年9月29日(土)~10月28日(日) 会期中無休

※ 詳細は青森県立美術館のホームページをご覧ください。

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2007年08月27日

青函カップヨットレース

 青函カップヨットレースは、津軽海峡約56海里を横断する北日本最大の外洋レース。北海道・東北からはもちろん、毎年極東ロシアからも参加があります。1988年、青函トンネル開通を記念して開催された青函博覧会交流イベントとして創設され、今年20回目を迎えました。

 レースは隔年でスタートとフィニッシュが入れ代わり、今年は7月28・29日の両日、函館港スタート・青森港フィニッシュのコースで行なわれました。20回目という節目の年であることから、ロシアからもいつもより多い11艇、104名もの参加がありました。ほとんどがウラジオストクからですが、ナホトカからも来ています。
 今年は残念ながら激しい雨の中でのスタートとなりました。また、外洋では無風状態が続き、困難なレースであったようです。

 それでも楽しみは競技ばかりではありません。ヨットハーバーは函館校のある八幡坂を下ったところにあり、レースの前後数日間は日に焼けたロシア人クルーたちがこのあたりを闊歩していました。ロシア人墓地に参拝したり、函館校に来て学生や教員たちと話したり。
 港に停泊しているヨットには日ロ両国の国旗が掲げられ、夕暮れ時、甲板でビールを飲みながら歌をうたい、涼んでいるヨットマンたち。穏やかな夏の夕暮れです。

ロシア極東国立総合大学函館校事務局 大 渡 涼 子

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2007年08月20日

合同公開講座「函館学2007」のご案内

 函館市内8高等教育機関および函館市による合同公開講座が、今年も開催されます。
 好評だった昨年同様、今年も「函館」をキーワードに全10回、各講師がそれぞれの研究テーマによって講義をします。

 本校の担当は下記のとおり、「函館・姉妹都市・ウラジオストク」と題し、デルカーチ・フョードル講師がお話しします。函館市とウラジオストク市は今年姉妹都市提携15周年を迎えました。そんな姉妹都市の素顔を、デルカーチ講師がわかりやすく紹介しますので、ぜひお越しください。

  日 時:平成19年10月6日(土) 14:00~15:30
  テーマ:「函館・姉妹都市・ウラジオストク」
  講 師:本校講師 デルカーチ・フョードル
  会 場:ロシア極東国立総合大学函館校
  定 員:150名
  締 切:8月31日(金)

 お申し込み、お問い合わせは函館市高等教育機関連携推進協議会事務局(函館市企画部企画管理課)まで。詳細はこちらのホームページをご覧ください。

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2007年07月11日

ロシアの絵本紹介

 月一回開く学校ボランティアの会研修の席で、絵本紹介の順番が回ってきて、私はうろたえました。
 他の方たちのように絵本を買い集めたり、読み聞かせのボランティアを生活の中心においているわけではないので、さあ読み聞かせにふさわしいと思う絵本を10分間で紹介して、と突然言われても「さあ?」と悩んでしまうのです。それを見越していたのか、H先生が「ロシアの絵本を紹介してもらえませんか」と言うではありませんか。
 ああ、それなら何とかお見せできるかも、とロシア極東大学の書棚から何冊かの本を用意しました。プーシキンやトルストイなどの文豪が編集した民話集などもあり、外国の絵本は興味を持って受け止めてもらえたようでした。

 残念ながら、ロシア語は読めないので、感想は「絵がきれい」、「色が鮮やか」、「紙質が思ったより良い」等に終始しました。本当にあらためて日本の絵本と比較してみると、絵がしっかり描きこまれていて、色も原色に近いはっきりした色使いが際立っている感じがしました。日本に紹介されている「金のさかな」、「大きなかぶ」、「三匹の子ぶた」、「イワンの馬鹿」などのお話がロシアの寓話だったことをあらためて知りました。

 日本ではじめての天然色の映画も実はロシアの「石の花」という作品で、バジョーフという作家が苦心して集めたウラルの民話から書かれた作品でした。当日は「石の花」の絵カードを見ながらそのお話も紹介しました。この作品はロシアでは映画だけでなく、バレエやオペラにもなった傑作だったそうです。

-「石の花」の絵カード-

ロシア極東国立総合大学函館校図書館司書  吉 崎  侑

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2007年07月06日

ミリオン・ズビョースト 第52号

 2014年冬季オリンピックがロシアのソチで行われることは喜ばしいニュースですね。
 
 さて、函館校の学報であり、函館日ロ親善協会の会報であるミリオン・ズビョースト 第52号を函館校のページに掲載しました。
 今回の巻頭言は偶然にもイリイナ・タチヤーナ准教授による1980年モスクワオリンピックの裏話です。
 ほかにもウラジオストク留学を終えた2年生の感想や新入生の投稿などが載っていますので、是非ご一読ください。

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2007年06月14日

ロシアとともに

「ロシアの魅力…ってなんですか?」唐突な問い。
「魅力」の響きに、今までにない質問への違和感のようなものを感じた。
何かがぼんやりと浮かんできた。
言語の響き、人のぬくもり、スローフード、自然、文化、ロシアで得たものすべて。ロシアから得た生活など…。

しかし、どうも満足してもらえる回答ではないようだ。
質問は続く。「ロシアってどんな街ですか?」
どこの街を指して?どこの街について?……広すぎる。
比喩的に「絵本に出てくるようなステキな場所だと思いますよ。」などと答えてみる。

ああ、ダメだ。この比喩は相手に何の事なのか伝わっていない。
「絵本に出てくるような…。」その世界を創り出す私の頭の中にあったイメージは、教会や美術館。しかも、歴史的建造物。その色合い。そして、その形。
…。街…。どんな街…?その答えが上手に言えない。
「教会などがきれいです。」と手短に終えた。

言葉や音楽が耳から入る芸術音とするならば、街並みや建造物は目から入る芸術品となる。建築もまた芸術…。街の雰囲気。人々が生活する建物。
街をつくる建物を見て感じるロシアの魅力をどう答えれば良かったのだろう…。
建物のなかで生活と結びつくのは教会だけではない。
住居をはじめ、普段通り何変わりなく友と歩いた通り沿いに並ぶ景色の中の商店。
公共施設。人々が生活を営んでいる住居。学校。仕事場。
どれもがさまざまなロシア建築様式がある。

様式がばらばらであっても、古いのもであっても、新しいものであっても、街は一つとなっている。
建築様式が時代・形・色彩をともなって視覚的に存在を強くうったえる。
魅力がある街…。ロシアの街…。
建物が立ち並ぶ。 そこに人が集う。 時が流れる。 
変わる街。変わらない街。
時代とともに街は変化し、土地がキャンパスになり、人と時は歴史となって残る…。
立ち並ぶ集合住宅もソ連時代なごりかのように様式として街をつくり、今ものこりロシアの街を際立たせている。
坂道の途中…。ウラジオストクの学生寮でさえ……。

ロシアの魅力…。ロシアの魅力…。
それは…街か? それは…生活か?
人々か…?
いや、ちがう。
それは…。生きることなのかもしれない。
絵本ではない。童話の世界でもはない。
「生きること。」
魅力につながるすべてがある。

函館校卒業生  山 名 康 恵

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2007年04月16日

紅茶の日

 何気なく通う喫茶店、いつものお気に入りの紅茶。でも今日はどれにしようか迷う。「あれ?ロシアンティーもあるんだぁ~。」と思いつつ、落ち着いた音楽流れる店内でNHKロシア語講座の本をバックから出す。「Чай пожалуйста.」かぁ。確かに日本人は、ロシアンティーといえばジャム入れて飲むって、思いこみすぎ…。
 テーブルの片隅に置かれている小冊子が気になり目をとおす。なにげなく過ごしていた日々の中に『 紅茶の日 』というのがあるのをご存知でしたでしょうか?『 紅茶の日 』って??

 日本で「おいしい紅茶の店」を認定推薦している日本紅茶協会HPに書かれているので内容を引用させていただきます。

 海難にあってロシアに漂着した日本人、伊勢の国(現在の三重県)の船主、大黒屋光太夫他2名は、ロシアに10年間滞在せざるを得なかった。帰国の許可を得るまでの辛苦の生活のなかで、ロシアの上流社会に普及しつつあったお茶会に招かれる幸運に恵まれた。 とりわけ1791年の11月には女帝エカテリーナ2世にも接見の栄に浴し、茶会にも招かれたと考えられている。
 そこから、大黒屋光太夫が日本人として初めて外国での正式の茶会で紅茶を飲んだ最初の人として、この日が定められた。このことに基づいて、日本紅茶協会が1983年(昭和58年)に11月1日を「紅茶の日」と定めた。

 帰宅そうそう、井上 靖 著書「おろしや国酔夢譚」をあらためて読みふける。大黒屋光太夫がロシアで得た経験。私達の日々も経験で築き上げられているような気がしてくる。皆さんが初めて飲んだ紅茶はどんなものでしたか?
 古典的、伝統的ともいえるロシアでの紅茶。ティーポットに紅茶を濃くだし、サモワールで沸かしたお湯で好みの濃さに割りながらカップいっぱいに注ぐ。ロシア極東で飲む紅茶は、冬の冷えた体を温める。体だけではない、心も豊かになる。
 人が集い、楽しい会話の一時がうまれる。おいしいお菓子とともに。紅茶をふるまうおもてなしのロシア人の心は、お抹茶をたてる亭主の心と同じ。《色》が違えども一つ屋根の下は平等であるかのように…。

 さて紅茶でものもうかぁ…。結局、ジャムを紅茶の中に入れるのか入れないのか?その一杯をおいしく飲んでいただければ、そして飲み終えてもなおステキな時間が続けばどちらでもいいですよね。
 紅茶の湯気の向こうにロシアが広がっているような思いで飲みましょう。「光太夫が手にした茶器は、ロモノーソフ磁器だろうなぁ~。いや、グジェリかな?」と紅茶を入れるカップが決めらない……。

 皆様、今年はステキな『 紅茶の日 』を迎えてください。
 ちなみに、4月13日は、日本ではじめて喫茶店ができた『喫茶店の日』でした。


サモワールとグジェリでこんな感じ?

函館校のサモワール・コレクション

函館校卒業生 山名康恵

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2007年04月12日

ミリオン・ズビョースト 第51号

 ロシア極東大学函館校の学報であり、函館日ロ親善協会の会報でもある「ミリオン・ズビョースト/百万の星」第51号を函館校のページに掲載しました。
 今回はイリイン・ロマン講師による巻頭言や、この春函館校を卒業したみなさんからの学生生活を振り返る投稿が載っていますので、是非ご覧ください。

 函館校では4月9日に入学式が行われ、今年も日本全国から新しい顔ぶれが仲間入り、新学期がスタートしました。春休みの静けさから、大学にも活気が戻ってきましたよ。

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2007年03月20日

FMいるか 多言語みんたる 4

FMいるかで放送された ONE WORLD WAVE「多言語みんたる」の内容をご紹介する最終回です。

ゲスト:ロシア極東国立総合大学函館校
    教頭 アニケーエフ・セルゲイ(以下アニ)
聞き手:財団法人 北海道国際交流センター
    事務局長 池田 誠(以下池田)

<12月23日放送 第4回 ロシアと日本の違いとは?>

池田:こんにちは!

アニ:Добрый день(ドーブルイ ヂェーニ)!

池田:今回4回目ということで最終回になるんですが、本当に今までいろいろと楽しい話をお伺いして、僕はロシアについてずいぶん認識が変わりました。アニケーエフ先生は日本に来て10年ということで、ずいぶん日本に慣れたと思うのですが、最初に来て、「これはびっくりしたなあ」ということはあるでしょうね。

アニ:ありましたね。

池田:例えば、車を運転すると思うんですけれども、左右逆ですよね?その辺も緊張しますよね。

アニ:函館で免許を取った後、初めて乗ったときは、一度だけ反対の方向へ行ってしまいまして、大変でした。びっくりしました。だから慣れるのにちょっと時間がかかりました。

池田:学校も坂の上にありますから、坂道発進とかね。

アニ:いえ、坂道はウラジオストクも坂ばかりです。函館と違ってウラジオストクの坂道は、冬はほとんどアイスバーンなんです。スパイクなしで上れないです。

池田:うわー!もちろんロードヒーティングにはなってないですよね。

アニ:ないです。だから自然そのまま、雪が降って凍ってしまって、仕方ないです。ただ砂を撒くしかないです。手段としてあまり良くないと思うけれども、みんなスパイクを使っています。禁止されてないです。

池田:上りはいいですけど、下りが怖いですよね。

アニ:大変です。冬は事故も多いです。少しでも雪が降ってきたら、ウラジオストクはほとんど交通が麻痺します。雪は積もらないけれどもすぐ融けてしまって氷になる。スケート場です。

池田:それは怖い。

アニ:怖いです。私もウラジオストクにいて一番怖かったのは冬です。車に乗るとき。

池田:なるほど。今回日本とロシアの違いということで、お話をお聞きしたいんですが、ロシアの方はよく毛皮の帽子みたいのを被ってますけど、あれは皆さん被るんでしょうか。

アニ:ロシアは日本と違って冬が長いでしょ。例えばモスクワ辺りは9月終わり頃から雪が降ります。雪が降ったらもう融けないです。カレンダー上の冬は12月、1月、2月でしょ?でもロシアでは4月終わりまで、まだ雪が残ります。

池田:9月から4月まで。

アニ:半年以上ありますね。だから寒いときは厚いコートや帽子を被るのは普通です。函館に来てびっくりしたのは、日本人は夏に帽子を被りますね。

池田:被りますね、日焼けしないようにとか。

アニ:ロシア人は絶対しません。帽子なしで、そのままです。だから日本人は冬は帽子を被らないで、夏は帽子を被るって、逆さまですね。

池田:ああ、たしかに。

アニ:びっくりしたところです。それとロシア人の女性は必ず厚めの衣服を着ています。日本人の若い女の子は、特に函館の子は下は裸足に近いじゃないですか?びっくりしました。

池田:冬でもそうですもんね。

アニ:そうですね、特に高校生なんかミニスカートとか。
また、私がびっくりしたのは冬にちっちゃい子どもを抱えて、結構寒い体育館に集まって、そのちっちゃい子どもは裸足で歩いていますね。ロシアでは絶対にやらせないことです。子どもには必ずソックスとか靴を履かせる。日本人の子どもは裸足そのままで、それはショックでした。

池田:ああ、そのへんは結構違いがありますよね。ロシアでは子育ての仕方とか、どうなんでしょう。日本との違いなどなかなかわかりづらいと思うのですが、お子さんも小さいときからこっちに来てるんですよね。

アニ:そうですね、うちの一番下の子は5歳から函館にいます。だから幼稚園も日本の幼稚園で、そのグループと一緒にそのまま弥生小学校へ。今は高校生ですけど。

池田:勉強なんか違いますかね?

アニ:私が親として気づいたのは、日本の教育制度は大変やわらかいというか、子どもにやさしすぎます。ほとんど要求されるということはないです。強制されるとか、させられるということはあまりないです。ロシアでは義務というよりやむを得ないこと、たとえば必ず勉強しなければならない、宿題も多いですね。日本の学校ではあまり課題とか宿題とか、予習とかはない。私はうちの子が一生懸命勉強した光景は見なかったです。

池田:あら!

アニ:ほとんど遊び場みたいです。

池田:お子さんによって違うかもしれないですけどねー。でも、昔よりは緩やかになってきているかもしれないですね。それがいいのかどうかはわかんないですけどね。

アニ:子どもに対する日本人の態度は非常に優しいです。ロシアでは親子の間は厳しい。主と従ですね。従う人と従わせる側ですね。子どもは従う、親は従わせる。親は厳しく、要求的です。だから子どもは親とよくけんかします。けんかするというのはロシアの日常なんです。日本人はけんかするのは恥だと思います。ロシア人は自己主張が強いので、なんでもないことと思っています。だから別に人前でもけんかしたりしますよ。

池田:でも自己主張は意見が違うから言うだけであって、けんかではないんですよね。

アニ:でも日本人が見ると、それはロシア人はけんかしているのではないかという印象を受けると思いますね。だから言葉自体、日本語は本当に話す人の気持ちを推し量ることに慣れていますね。ロシア人はまず自分の意思、自分の気持ちを相手にすぐにでも伝えたい。その意味で日本語と違う点は、ロシア語は攻撃的な言葉じゃないかと思います。
私が言語学者として気づいたことがあります。日本に来て、一生懸命日本人とコミュニケーションをとろうと思ったんです。だから最初から函館の人に日本語で話そうとしたんです。そのときの日本人の反応は、ショックを受けているんです。日本語で話しかけたところ、返答は英語でした。その日本人は目を大きくして、私の顔をずーっとじろじろ見ながら。私には何が起こったかわからないですけど。どうして日本人は外国人が日本語をしゃべるのを不思議に思うか。あまり好きじゃないという印象ではなかったけれども。日本人は突然日本語で話しかけるとびっくりします。日本人のほうが驚くんです。

池田:びっくりしますよね。しかもロシアの人で、ヨーロッパの人でね。日本人は話しかけられるとすべて英語で答えなくちゃと思いますよね。

アニ:ロシアでは顔は東洋的な顔でも、ロシア語で全部疎通できますね。日本では日本人でないと日本語を使ってはいけないという印象を受けました。だから外で困ったときには日本人にあまり質問しないことにしています。

池田:いや、是非いろいろと話していただいたほうがいいと思うんですけど。やっぱり違いがありますね、国民性というのもあるでしょうし、文化的な部分も違いますしね。でも日本にずっといらっしゃって、ここは日本がいいな、って思うところはありますか?

アニ:治安がいいです。落ち着く場所です。ロシアではなぜか毎日問題が起こります。問題を解決することでロシア人の生活はいっぱいです。朝から晩まで。日本では仕事に出かけて帰るだけで終わりです。あとは家でのんびりごろごろテレビを見ながらで大丈夫じゃないですか。ロシアではほとんど家にいてゆっくりする時間がないです。例えば必ずロシアでは車を置く車庫を作ります。レンガ造りか、鉄で作るか。それは自分の力で作ります。

池田:盗まれるかもしれないということですね。

アニ:そうです。盗まれることはよくある話です。10分間置いておいたらもうないです。

池田:日本ではエンジンかけっぱなしの車とか、よくありますよね。

アニ:キーをかけないでそのままで置いておくじゃないですか。今は私も時々そうします。私の心の中も落ち着きすぎたじゃないですか。

池田:すっかり日本人になっちゃいましたね。まあ、でもそういう意味ではまだ治安がいいのかもしれないですね。

アニ:とても住み心地もいい。函館は特に自然そのままで。ウラジオストクは郊外へ行けば自然も見られるけれども、函館は町の中もとってもきれいで、庭の中に住んでいる感じです。私は子どもの頃から緑が好きで、だから函館はいいところです。天国です!

池田:いいことを!今回4回に渡ってロシアの話をお聞きしましたが、本当に楽しかったです。ありがとうございました。

アニ:До свидания(ダスヴィダーニヤ・さようなら)!

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2007年02月19日

ウラジオストクのうまいものめぐり 3

<老婆心ながら:アドバイス編>
その1:最低限の料理名と注文の仕方は覚えておきましょう。スタローヴァヤでは後ろに人がつかえているし、モタモタしているとスープ係のおばさんもいら立ってきます。また、カフェ以上なら、メニューを読んで手際よく注文するスタイリッシュさも持ち合わせたいものです。めったやたらに注文しても、自分が望む料理に出会える可能性は低いでしょう。それこそ「ロシアン・ルーレット」を避けたければ、予習あるのみです。

その2:「カフェに入ったが高くて注文できなかった」「メニューを見てから高いのに気づいたが、店を出るのもカッコ悪いから注文してしまった」という話を時々聞きます。もし高い店に入ってしまっても、あわてる必要はありません。紅茶だけ注文すれば良いのです。そうすれば、せいぜい20~40ルーブルです。
またはボルシチとパンだけ注文しても良いでしょう。どこの店でもボルシチの値段は安くおさえています。(80ルーブルぐらいまで。) あるいはもっと正直に、最初に店に入る時に、「この店は高いですか」「一品いくらぐらいですか」とアフィツィアントカにと聞いてもよいでしょう、もし高ければ「今お金がないのでまた来ます」と言えばいいのです。
いずれにせよ、ロシアの人達だって、皆がお金持ちではないはずなので、我々が日本的な感覚で体面を繕う必要はないと思います。実際、私もそのように言って特段恥ずかしい思いをしたことはありません。紅茶一杯でも良いかと聞けば、たいてい「ダー、ダー、パジャールスタ」と言って迎えてくれます。

その3:会計編。スタローヴァヤなら問題なさそうですが、概して「小銭ありませんか」と聞かれます。手持ちがあれば出してあげましょう。もし小銭がなければ「ニェット」といえば、レジの女性はどこかで両替して戻って来ます。
問題は183ルーブルとか端数のある時で、200ルーブル出せば、普通は3ルーブルないかと聞かれます(=この辺の感覚は日本的ですね!)が、33ルーブルくれと言われる(=50ルーブル札を釣りに出したい)こともあり、その辺は臨機応変に対応する必要があります。(皆さん、数字はしっかり覚えましょう!)。
カフェ以上だと「ショート、パジャールスタ(計算お願いします)」といえば、アフィツィアントカが計算書を持って来て、テーブルに置きます。合計額ピッタリのお金が手元にあれば、計算書のファイルの中にお金を挟んでテーブルに置き、席を立ちます。お釣りの必要な時は、アフィツィアントカに手渡します。
ただし、カフェ以上だと店によっては小額(10ルーブルぐらい)のお釣りはくれないことがあります。事情はよくわかりませんが、計算違いではないようです。その程度のサービスはしていますよと言うことでしょうか。

<おわりに:反省編> 概してウラジオストクの食料は豊富と言っていいと思います。外食をしても、肉・魚・野菜・乳製品など比較的バランスよく食事を取ることができました。(と思ったのがいけなかったです!)。
但し、インフレのせいか、思ったより食費は高くつきました。毎日夕食を外で食べていた私は、その分、朝昼を素食(粗食?)にしました。朝は部屋でパン・コーヒー・チーズ・カルバサー(ソーセージ)、昼は学食でボルシチとパン1切れ。夜だけしっかり食べれば良いだろうと思っていたのです。しかし、今思えばこれが間違いでした。毎日たくさん歩いたこともあって、夜しっかり食べたつもりが実はカロリー不足だったのです。体重は2ヶ月で4~5キロ減りました。おそらく、ご飯(米)を食べなかったのが最大の原因でしょう。ロシアの人達に黒パンが必要なように、日本人には米が欠かせないのです。帰国する少し前、函館校のK君達に招かれて、久しぶりに食べさせてもらった白いご飯と味噌鍋がとても美味かったのを思い出します。
外食は所詮外食です。当然、安全性や栄養面で問題は多いはずです。またカフェの料理が本当の意味でのロシアの家庭料理と同じはずがありません。そのあたりをくれぐれも誤解のないようにしたいものです。しかし、偉大なる好奇心と食欲をもって、うまく自炊と組み合わせて栄養のバランスを考えて食べるなら、ウラジオストクでの外食はとても楽しく、あなたをきっと満足させてくれることでしょう。

(おわり)

山崎 淳司(函館校にてロシア語研修中)

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2007年02月14日

FMいるか 多言語みんたる 3

FMいるかで放送された ONE WORLD WAVE「多言語みんたる」の内容をご紹介する第3回目です。

ゲスト:ロシア極東国立総合大学函館校
    教頭 アニケーエフ・セルゲイ(以下アニ)
聞き手:財団法人 北海道国際交流センター
    事務局長 池田 誠(以下池田)

<12月16日放送 第3回 ウラジオストクとシベリア鉄道>

池田:こんにちは!

アニ:Добрый день(ド-ブルイ ヂェーニ)!

池田:今日はアニケーエフ先生の出身地、ウラジオストクについて伺います。函館の方もずいぶん行ったことがあるのではないかと思いますが(函館市とウラジオストク市は姉妹都市)、函館よりウラジオストクのほうが北になりますかね?

アニ:場所的にはウラジオは札幌と同じ緯度ですね。だからウラジオがちょっと北にあります。でもウラジオへ行く場合、我が校の教員たちはみんな新潟経由です。新潟が一番短く感じられる。新潟まで行って、そして飛行機で1時間20分でウラジオストクへ到着。

池田:近いですよねー。

アニ:近いです。東京へ行くのと同じ時間じゃないですか?

池田:新潟へ行くまでが遠い気がしますけど。

アニ:列車で9時間。昔、夏は函館から飛行機が飛んでいましたが、今はもうないです。だから不便です。ウラジオへは富山からでも、大阪からでも、東京からでも飛んでいます。

池田:そうなると、東京から行ったほうが近いかもしれない。

アニ:うーん、なぜか新潟に親しみがあります。

池田:なるほど。気候的には函館より寒いでしょうか?

アニ:だいたい函館と同じだと思いますが、違う点はウラジオストクは大陸だから冬が寒いです。寒いというだけでなく、風が強くて雪があまり降らない。降ったとしてもすぐ飛ばされてしまいます。だから街の中の風景はほとんどグレーなんです。ホワイトクリスマスという言い方がありますが、ウラジオストクの街中は残念ながらホワイトではないです。グレークリスマスになります。郊外へ行けばスキーもスケートも出来ます。だから雪は郊外からダンプカーで運んできます。それは札幌の雪まつりと同じです。

池田:なるほど。観光で行く場合にここはお勧めですよというところはありますか?

アニ:日本人にとって、一番近いヨーロッパと言えばウラジオストクじゃないですか?アジアの中にあるヨーロッパ風の街なんです。街の景色は函館に似ていますけれども、山ではなく、丘があります。湾から見てみたら函館そのものです。きれいです。

池田:でも函館よりももっとヨーロッパ風な感じなんですよね?

アニ:建築物などはヨーロッパ風です。街の中心の古い建物は19世紀終わり頃のもの、そのままです。見どころは、私は生まれたところだから当たり前で何もおもしろいところはないと思いますが、初めてきた人は驚くところもあります。ああ、きれいだなって。時間と希望があれば必ずウラジオストクに行ってください。今は私は函館に住んでいるので、ここはきれいだなって思います。住めば都です。

池田:やっぱり僕らが行くと、新鮮に見れるものはきっといっぱいありますよね?

アニ:自然がきれいです。トラもいますよ。

池田:トラ!

アニ:街まで入ったことがあります。子どもの頃、ウラジオでも報道されたんです。トラが街にいるって。

池田:何トラですか?

アニ:アムールトラです。

池田:よく北海道では、ヒグマが家の前まで来ました、とかニュースになっていますけど…。

アニ:ウラジオストクではトラなんです。

池田:トラも怖いですよね?

アニ:怖いです。熊もいますけど、熊は近づかないんです。トラはなぜか、人間が好きじゃないかと思います。

池田:熊は食べ物がそれなりに豊富にあるということじゃないですかね?

アニ:そうでしょう。トラは肉です。野獣の肉を食べます。だからイノシシの数が少なくなったときは、郊外に住んでいる農民の飼っている家畜を狙うんです。

池田:野生のトラがたくさんいるということですよね。

アニ:数が増えているという話を聞きました。

池田:ところでウラジオには函館校の本学があるんですよね?こちらのほうはどのくらいの大きさ、学生は何名くらいいるんですか?

アニ:学生は3万6千人以上。

池田:すごいですよね?総合大学ですから大きいですよね。

アニ:非常に大きいです。先生の数は5千人です。

池田:おお、すごいですね。そこに行ってみるのもおもしろいですね。

アニ:はい。ウラジオで一番大きな大学です。歴史もあります。

池田:そこで学食に入って食べてみるなんていうのもおもしろそうですよね。
ロシアはとにかく広いんですけれども、ウラジオというと、シベリア鉄道の出発駅ですよね。ここからモスクワまで鉄道がずっとつながっているわけですよね。

アニ:列車に乗って、ずっとモスクワまで行きますよ。

池田:どのくらいかかるんですか?

アニ:それは信じがたいと思いますが、7日間です。

池田:ええっ!? 7日間!!

アニ:同じ列車に乗って、朝は窓から昇る日を見ながら、夜は沈む日を見ながら、単調でたまらない景色なんですけど。

池田:それは日本でいう普通列車なのか、あるいは特急列車なのか…。

アニ:特急です。早いほうです。

池田:特急ですか!ちなみに乗ったことはありますか?

アニ:あります。子どもの頃、7日間。

池田:食事はどうするんですか?

アニ:レストランです。あるいは停車場で停まったとき、おばさんたちが何か売っています。外へ出て、市場みたいに好きなものを買って食べます。

池田:停車時間が長い駅があるんですね。

アニ:15分から20分くらい。

池田:それにしても7日間は長いですよね。

アニ:長いです。乗り合ってる人同士、ほとんどもう親戚になるくらいです。

池田:それでまた7日かけて帰ってくるといったら…。

アニ:2週間くらいの休みが必要です。日本人にとっては、そんなに休暇が取れないでしょう。

池田:2週間だと行って帰ってくるだけですよね。やっぱり広いということがわかりますね。

アニ:だからロシア人の心も広いとよく言われます。それは自然と密接につながりがあります。

池田:たしかにそれはあるでしょうね。狭いところにいると広く考えられなかったり。

アニ:ロシア人から見れば日本人の性格は「気が短い」。結構怒るのも早いじゃないですか。ロシア人が怒るまでは時間がかかります。でもカンカンに怒ったときはもう、むき出しに、目的に向かうしかないです。

池田:だんだん怒りが溜まっていく。

アニ:そうそう。だからロシア人の性格はよく「熊」と言われます。熊みたいにのろい、のろいけれども、怒ったときは恐ろしい。熊もそうですね。

池田:日本にはよくキレる子どもがいますけれども、ロシアにはいないんですね?どちらかというと辛抱強い。

アニ:私が日本語でなぜかロシア人にぴったりだと思うのは、「一に辛抱二に我慢、三四がなくて、五が忍耐」、これがロシア人の性格なんです。

池田:いやー、毎回話を聞いてるんですけれども、本当にロシアに対する認識が変わってきますねー。それではまた来週。

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2007年02月03日

函館市国際交流展示会とロマノフ王朝展のお知らせ

2月5日(月)~9(金)の期間、函館市役所1F市民ホールにおいて、函館市国際交流展示会が開催されます。

また、3月22日(木)~4月5日(木)には北海道立函館美術館において、「ロマノフ王朝と近代日本展」が開催されます。
期間中、3月24日(土)には函館校の通訳・翻訳サークル「訳者小屋」が、バイカルに伝わる民話の朗読会を行います。

詳細は函館校のホームページをご覧ください。

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2007年01月31日

ウラジオストクのうまいものめぐり 2

<レベル4:カフェ>
 たいてい店の入り口に「カフェ」と書いてあります。2~4人ぐらいで落ち着いて食事のできるところです。カフェと総称していますが、純ロシア料理店、若者向けのホール風のもの、中華料理店(キタイスカヤ・クーフニャ)まで形はさまざまです。実際このタイプの店が最も多く、外食するとなると、たいていはカフェで食べることになるでしょう。
 スタローヴァヤとの違いは、テーブルに座ってメニューを見て注文し、後で会計すること。とは言っても、高級レストランほど堅苦しくないので、それほど服装にまで気を使う必要はありません。ただし、メニューに写真がついているわけでもないので、ロシア語が読めなければ注文できません。たいてい、メニューはとても分厚くて、ピエルバヤ(スープ類)・フタローイェ(メインディッシュ)・デザート・ナピートキ(飲み物)の順に、材料・分量・調理法が細かく記載されています。アフィツィアントカ(ウエイトレス)に聞けば説明してくれますが、もとより読んでわからなければ、ロシア語の説明を聞いたところでなかなか理解できません。主な料理の名前と注文の仕方を覚えてから出かけるのが良いでしょう。

 純ロシア料理店で評判の良いのが、フォーキナ通り(だったと思う)の「イズブーシュカ(百姓家の意味)」。その名の通り、ロシアの田舎風の内装で、アフィツィアントカも民族衣装を着ています。私達が外国人だとわかって英語のメニューを持ってきてくれました。一品100ルーブルぐらいからで、おもなロシア料理がそろっています。私は牛肉の壺焼きを注文しました。仲間3人で4~5品食べ、お酒も飲んで、一人300ルーブルぐらいでした。そのほか、映画館「オケアン」近くの「プリスティーシュ」なんかも雰囲気の良い店です。

 パグラニーチュナヤ通りと線路が交差するあたりに「スピードウェイ」(だったと思う)という名前のカフェがあります。店内にオートバイが飾ってあり、オートレースのビデオをいつも流していました。聞けばオーナーがチームを持っているということです。サッカー場にも近いせいか、土日の夕方は若者でにぎわいます。ボルシチが80ルーブルぐらいでした。鮮やかな真紅色をしていて、私が食べたボルシチの中では、ここのものが一番美味しかったです。

 オケアンスキー通りには、広場に下りる一つ手前の角に「エクスプレス」というカフェがあります。アフィツィアントカはあまり愛想よくありませんがテキパキしていて、名前の通り出てくるのが早く、値段も手頃で美味しいです。不要なものが省略されていて必要なものだけがあるという、ロシアにはありそうでなかなかない都会的なカフェでした。料理は一通りありますが、特に気に入ったのがブリヌィ。ブリヌィとはロシア風クレープのことですが、バターだけのプレーン(ス・マースラム)、サワークリーム添え(サ・スリーフカミ)などいろいろあります。蜂蜜(ミョット)・ジャムなどもつけることができます。胃にやさしく、食事にもおやつにもなります。

 またオケアンスキー通りから入る中国市場(キタイスキー・リーナク)の向かいには、朝鮮系ロシア人のやっているカフェがあります。とてもきれいな店で、よく韓国の映画や音楽ビデオを流しています。楽器やアンプも置いてあるので、夜はバンドが演奏して皆で踊るのでしょうか。メニューはロシア料理と朝鮮料理の両方があります。朝鮮料理はピビンパ・キムチチゲ(キムチ鍋)・チャプチェポックム(春雨いため)などが一品150ルーブルぐらいから。昼ごはんに函館校の仲間と行って、久しぶりの白いご飯とおかずに満足して帰りました。名物は豚の三枚肉、サムギョプサルで600ルーブルぐらいだったと思います。私は食べませんでしたが、隣の人が食べるのを見ていると、間違いなくおいしそうでした。

 最後になってしまいましたが、中華料理店もカフェの一つと言っていいと思います。たいてい「キタイスカヤ・クーフニャ(中華料理)」と看板が出ていますが、外見上普通のカフェと全く区別のつかないところもあります。ギッペル・マーケットの向かいに「カフェ・サーシャ」というのがあり、入ってみると実は中華料理店でした。仲間と行ったのはサッカー場の近くの数軒です。ポーヴァル(調理師)が中国人で、アフィツィアントカ(ウエイトレス)がロシア人というパターンが多いみたいです。経営はどちらがしているのでしょう? 店によっては中国語のメニューも置いています。漢字に自信のある人はそちらを見るのが良いかもしれません。一品最低120ルーブルぐらいから(チャーハンなど)なので、たくさん食べたければ4人以上のグループで行くのがよいでしょう。お金もそれなりに必要ですが、美味しいものに出会えれば、とても満足できると思います。料理は主に中国東北部のものが中心で、中華料理の中では比較的あっさりしている方だと思います。

<レベル5:高級レストラン・日本料理店・韓国料理店>
 残念ながら、私とは無縁なので書くことができません。私のイメージではスーツ着用で行き、クロークにコートを預けるようなところですが、何より一度も行ったことがないのでよくわかりません。一度、韓国料理店でメニューだけ見せてもらいましたが、一品が400~500ルーブル以上でした。でもチョゴリ姿のロシア人ウエイトレスがとても親切にメニューを説明してくれて、「一度ぜひ来てください」とまで言われたので、出費を覚悟で食べに行けば、相応の満足が得られるかもしれません。   (つづく)

山崎 淳司(函館校にてロシア語研修中)

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2007年01月23日

FMいるか 多言語みんたる 2

FMいるかで放送された ONE WORLD WAVE「多言語みんたる」の内容をご紹介する第2回目です。

ゲスト:ロシア極東国立総合大学函館校
    教頭 アニケーエフ・セルゲイ(以下アニ)
聞き手:財団法人 北海道国際交流センター
    事務局長 池田 誠(以下池田)

<12月9日放送 第2回 ロシアの食べ物とヴォトカ>

池田:前回はロシアのお正月や誕生日の過ごし方など、人のもてなしについてお伺いしましたが、本当にロシアの人たちは明るいな、という感じがしましたね。
今日はロシアの食べ物についてお伺いしたいなと思っています。アニケーエフ先生は函館に住んで10年くらい経つそうですが、自分で料理はしますか?

アニ:お腹がすいたときは簡単なものを作りますが、本格的にロシア式のものを食べたいときは、本格的ロシア料理の一つ、ボルシチを作ります。ボルシチはスープの種類ですが、スープではありません。

池田:あれはスープじゃないんですか?!

アニ:ロシア人はそれをメインだと思っています。だからボルシチだけ食べて満腹になる。

池田:ボルシチも食べてピロシキも食べてペリメニも、というのではなくて、もうそれだけでお腹いっぱいになる。

アニ:そうです。いっぱいいろんな具が入っているから。

池田:極東大学と僕の勤める国際交流センターは同じ建物内にありまして、僕は時々ボルシチを頂くことがあるんですけど、非常においしいですし、具がいっぱい入ってますよね。特に真っ赤になるのは、あれはなんでしたっけ?ビーツ?

アニ:ビーツが入っているからボルシチです。ビーツがなかったら本来はボルシチと呼べません。ビーツを入れると真っ赤になります。ロシア人は真っ赤な色はめでたいという気持ちもあります。

池田:なるほど。これにいろいろな野菜が入りますよね。

アニ:季節に合わせて。ビーツを収穫するのは夏の半ばごろですね。だから春はボルシチは作れないわけではないけれども偽物として、赤い色はトマトでごまかす。

池田:おー、なるほど!それでキャベツ、ジャガイモ、肉なんかも入りますよね。

アニ:普通はボルシチのスープベースは肉。肉といえば西のモスクワ辺りでは牛肉なんですが、ウラジオストクは沿海州、極東にありますね。ウラジオストクにはロシア人も非ロシア人も住んでいます。極東では肉はほとんど牛じゃなくて豚なんです。

池田:場所によって違うんですね。それでいろんなものを入れて煮込んで…。

アニ:食べるときは仕上げにサワークリームをかけて食べます。サワークリームなしでも結構ですが。

池田:ハーブを乗せたりしますよね?

アニ:ロシアの食文化は日本と違って、味付けは素朴です。昔から塩コショウしかなかった。今も塩コショウだけです。だからディルで香りをつけます。日本では「ウイキョウ(茴香)」といいます。日本人はウイキョウを生け花などで眺めるんです。ロシア人は食べるんです。日本人にとっては強烈な匂いかもしれませんが、ロシア人は大好きです。

池田:お茶にしたりしますか?

アニ:しません。病気になったときには薬だといわれますが、私は詳しくありません。
それからまず、ボルシチはお客さんに出すものではありません。それは失礼です。ボルシチは毎日のものですから、味噌汁みたいです。

池田:家庭料理なんですね。

アニ:だからお客さんをもてなすときはボルシチは絶対出しません。日本だけです。

池田:極東大学のロシアまつりでは出てましたね?あれはだめなんですね。

アニ:ほんとはだめです。

池田:ロシアの食べ物はほかにどんなものがあるかというと、僕らが知っているのはピロシキとか、餃子風のペリメニなどがありますし、海のものも結構食べますよね?

アニ:ロシアの中心といえば西のモスクワです。モスクワ辺りには海がなく、昔からロシア人には魚を食べる習慣がほとんど根付いていません。食べていたのは川魚です。でも魚ではあまり力がでないと思っています。魚ではなく肉をいっぱい食べたら動けます。だから魚は料理にはしますけれども、あまり。
断食するときには魚を食べていいといわれます。あとは何もないとき。魚に対するロシア人の態度は日本人から見ればおかしいと思われるけれども、ロシア人は魚は本格的料理じゃないと思っています。

池田:食べ物じゃないと。肉が食べ物だと。

アニ:代用品です。ロシアは広いです。ウラジオストクは日本海に面していて海に近いけれども、魚はほとんど冷凍品で、新鮮なものはないです。生を食べる習慣もありません。
ロシア人はフライパンで必ず火を通してから食べます。焼き魚という言い方は日本語でもロシア語でもありますが、日本人が思う焼き魚とロシアで出てくる焼き魚はまったく違います。それはムニエルという形です。

池田:日本のレストランではよく肉にしますか、魚にしますかと聞かれますけど、ロシアの人に聞いたら全部肉ですね。
それにしても、イクラというのはロシア語からきているんですよね。あとはルイベとか。その辺からいくと、魚の食文化もないわけではないのでは。

アニ:たとえば私の家庭は父親が漁師で船もありました。二人で船を出して、網で魚を獲っていっぱい食べました。

池田:生で食べたんですか?

アニ:いやいや、スープとかフライとか。だから私は子どもの頃から魚を食べる習慣があります。日本に来てからここは極楽ですけど、それにしても魚が高い。選ぶとすれば、肉のほうが安いから肉にします。

池田:函館は安いと思いますけどねえ。ちなみにどんな肉がメインなんでしょう。

アニ:うちは普通豚です。

池田:よくロシアの方は黒パンと豚の背脂を食べると聞きますが、それは本当ですか?

アニ:豚の貴重な部分は肉だけではありません。表面の脂だけの部分をにんにくと塩で漬けて、2~3週間ほど寝かせて食べます。あとは冷凍庫に入れて、ルイベみたいに薄くスライスして黒パンに乗せて、ヴォトカに一番のつまみになります。ヴォトカを飲まない人はただ食べますけど。

池田:ロシア人はみんなヴォトカを飲むんじゃないかという気がしますけれども。

アニ:いや、それは誤解だと思います。ロシア以外の国の人々はロシア人はみな大量に酒を飲むと思っています。でもロシアにももちろん酒を全く飲まない人、下戸もいます。そういう意味でロシア人が大酒飲みという考え方は間違いだと思います。
昔からロシアの伝統に従えば、酒を飲むのはイベントとか、めでたいときの祝い酒だったんです。だから飲む機会が限られていました。今もその流れは続いています。ロシア人は酒を飲む機会が少ない、だから飲むとなったらとことんまで飲むという習慣があります。こういうことが消費量を高めているのではないかと思います。

池田:なおかつ度数が高い。

アニ:ロシア人は、ただ単に飲みたいから飲むわけではありません。日本人は晩酌しますね?ロシアでは毎晩家に帰ってから酒を飲んでいるだんなさんを見たら、奥さんはカンカンに怒って、それが一週間続いたら離婚する。それは家庭には害だけです。その意味でロシア人の女性は男性と強く闘っています。

池田:日本とはかなり違いますね。日本では晩酌している人いっぱいいますものね。

アニ:妻も旦那に注いでくれるでしょ?ロシアではだめです。だから男性だけで集まって、妻たちから見えないところで隠れて飲みます。

池田:アニケーエフ先生は、奥さんがウラジオにいらっしゃるので、今は大丈夫ですね?

アニ:大丈夫です!

池田:今日はどうもありがとうございました。また次回よろしくお願いします。

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2007年01月17日

ウラジオストクのうまいものめぐり 1

 2か月の滞在期間中、寮で自炊をしなかったため、朝食以外はほとんど外食することになりました。おかげで街の外食事情を結構くわしく知ることができました。以下、短期間の経験からですが、ウラジオストクの外食事情について書いてみます。
 ただし私の文章は、どうすれば美味しいものを比較的心地よく食べられるかという視点で書いてあるので、いわゆるグルメ志向の方や、逆にめちゃくちゃ安く食べたいバッグパッカーの人には向いていません。また、食べ物の嗜好は人それぞれなので、私の好きな場所が皆さんの気に入るとは限りません。万一お腹をこわしても、申し訳ありませんが、私は責任を負いかねますので、食べ歩きは皆さんの自己責任で行って下さい。
 それでは、まず私の財布の重さを基準にして、街の食堂をランク分けしてみます。

<レベル1:街の屋台>
 大学前や交差点の屋台でおばさんが、ピィェンシー・ベリャーシ・チェブレキーなど(揚げパン系のもの)を売っています。アツアツをほくほくいただくのが最高です。実は屋台の下には石炭が燃えていて、おばさんが時々水を補給しながら蒸気で蒸しているので、ピロシキの入った釜の中は常にホカホカなのです。一品15~30ルーブル。
 ただし、時間が経って冷めたのを食べると、今ひとつ肉の質が良くないのに気づきます。(レバーかなんかの挽いたのが混ざっている感じです。)空腹しのぎにはいいですが、食事にはできないでしょう。看板やおばさんたちの服装がどこでも同じなのは、もしかするとチェーン形式の商売なのかもしれません。

<レベル2:大学の学食>
 夕方4時ぐらいまでやっているのではないかと思います。トレーをもって列に並び、棚から好きなものを取ります。ボルシチなどのスープ類や飲み物は、おばさん(あるいはお姉さん)に口頭で注文します。基本的に学生のために運営されているので、比較的栄養のバランスもよく、危なっかしいものは置いていません。(と信じる。) 学食によってメニュー・値段・美味しさに幾分バラツキがあります。
 私が最も美味しいと思ったのは極東大学の東洋学部の学食で、ボルシチ・じゃがいもピュレーつきカトリエタ・パン・レモンティー+αで100~200ルーブル。ここで昼にしっかり食べて、後は素食で済ませることが結構ありました。ただし、学部の建物に入るには、本当は入校許可書(プロープスク)が必要です。

<レベル3:街の食堂>
 食堂をロシア語でスタローヴァヤと言います。学食もそうで、会社などの社員食堂もスタローヴァヤです。函館校のP先生によれば、ソ連時代には街にもたくさんあったものの、今は少なくなったとのことです。スタイルは学食と同じです。トレーを持って並び、好きなものを取り、レジで計算してもらいます。
 ただし、街中にはあまり見当たらず、地元の人に聞かないとまずわかりません。韓国領事館の向かいのドーム(普通の家)の1階に、昔ながらのスタローヴァヤがあります。黄色い看板で「ザクーサチュナヤ(食堂)・プリモールスカヤ」と書いてありますが、すぐ横を通り過ぎても、ここがスタローヴァヤとは気がつきません。ここは韓国大使館警備のおまわりさんに教えてもらいました。近くにオフィスもあり、昼時には結構繁盛しています。
 値段はボルシチ・ニシンの塩漬け・サラダ・カトリエタ・紅茶+αで150~250ルーブルぐらい。駅(バグザール)向かいの郵便局前にも「スタローヴァヤNo1」というのがあって、こちらは毎日夕方6時ぐらいになると勤め帰りの人達でにぎわっています。フロアは広くて、土日だと家族連れもいます。いろいろなサラダがあり、魚料理が豊富なのがうれしいです。パルトゥス(おひょう)・ケター(さけ)が美味でした。なんと鰻丼が出ていたこともありました。もしかして日本人の調理師がいるのかもしれません。
 ただし、ボリュームのあるものを取ると、一品100ルーブル以上することもあるので要注意。駅前ですが警備員も常駐していて治安は大丈夫。トイレもあります。  (つづく)

山崎 淳司(函館校にてロシア語研修中)

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2007年01月16日

ミリオン・ズビョースト 第50号

 ロシア極東大学函館校の学報であり、函館日ロ親善協会の会報でもある「ミリオン・ズビョースト/百万の星」第50号を函館校のホームページに掲載しました。
 今回は秋にウラジオストクに留学していた学生たちが感想を寄せており、留学中の様子がよくわかります。 こちらも是非ご覧ください。 

 

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2007年01月11日

FMいるか 多言語みんたる 1

С Новым годом(新年おめでとうございます)!
今年も「極東の窓」をよろしくお願いいたします。

さて、今回は昨年12月FMいるかで放送された ONE WORLD WAVE「多言語みんたる」の内容をご紹介します。4回に渡り放送された内容を随時掲載しますので、今後もお楽しみに!


ゲスト:ロシア極東国立総合大学函館校
     教頭 アニケーエフ・セルゲイ(以下アニ)
聞き手:財団法人 北海道国際交流センター
     事務局長 池田 誠(以下池田)

<12月2日放送 第1回 ロシアの誕生日とお正月>

池田:こんにちは!

アニ:Здравствуйте(ズドゥラーストゥヴィチェ)!

池田:今のは「こん