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2020年12月28日

2020年という年

 いつもの年のように、今年もまた暮れようとし ています。しかし、地球に住むどの人にとっても、今年は本当に困難な一年となりました。

 図らずも函館校にとっては、いつも以上に新しいことに挑戦する年となりました。
 例えば、今年度実施する入学試験は、すべてオンラインに変更されました。昨年までは4回のうち3回を函館校で行い、1回だけ東京会場で実施していました。受験生にとってオンライン入試は、函館あるいは東京会場までの移動時間と旅費を掛けず、また面接官と対峙する緊張も少なく受けられるメリットがあります。しかし面接官であるこちら側は、相手のことをより一層知るために、またこちらも相手に誤解させないよう、入学後の勉学や学生生活に向かう覚悟を確認する緊張感があります。オンライン授業もそうですが、いつもと全く同じとはいきませんから、準備や工夫が必要です。

 今年の授業最終日の放課後、教職員室で「年忘れTeaパーティー」を開催しました。といってもこのコロナ下、大勢での飲食ははばかられますので、ペットボトルの飲み物と個包装のお菓子を用意し、銘々好きなものを持ち帰ることができる形式です。今年は春の新入生歓迎会や、言語まつり「АБВГ-Day」終了後のお茶会もできなかったため、せめてこのぐらいは、という趣旨です。密を避けるため、学生と教職員が五月雨式にやってきては、一言二言近況や来年の抱負などを述べました。

 その時の話題として、函館校10大ニュースを出し合いました。10以上出ましたし、プライベートな内容もあるのでここには掲載しませんが、まさかの休校・オンライン授業をローテクながら力を合わせて何とかしたことや、卒論アーカイブ作業・ランチプロジェクトなど、学生自治会が「みんなの学校」意識で取り組んだ活動、全道ロシア語弁論大会4連覇や、「“極東の窓”から2」と題し、昨年の開校25周年の続きを内輪でこっそり開催したことなど。たとえ形を変えてでも継続してやり続けること、新しいことを始めていくことが大事だと思える一年でした。

 さて、極東大学オリジナルカレンダーの販売は今年で5年目となり、毎年問い合わせも多く、とても嬉しく思っております。今年はウラジオストク留学もサンクトペテルブルク・モスクワへの海外インターンシップも中止、モスクワにあるプーシキン大学への語学留学はオンラインに変更されました。つまり学生がロシアに行くことができなかった年でした。したがって新しい写真が集まらず、昨年まで撮りためた中からカレンダーを作りましたが、そうとは思えない、よい仕上がりになりました。この収益は学生自治会に繰り入れ、ランチプロジェクトなど学生活動の支援に充てられますので、まだの方はどうぞお求めください。そして来年は、また自由にロシアと行き来できるようになっていたいものですね。

今年もこの「極東の窓」をご愛読いただき、本当にありがとうございました。みなさまに取りまして来年がより良い一年となりますよう。

        

ロシア極東連邦総合大学函館校 事務局 大 渡 涼 子

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2020年12月14日

ロシアのお茶と歴史と伝統

一般向け文化講座「はこだてベリョースカクラブ」の今年度第3回目の講話内容です。
テーマ:「ロシアのお茶と歴史と伝統」
講 師:パドスーシヌィ・ワレリー(教授)

 飲み物の中で何が一番好きかロシア人に尋ねたなら、「もちろんお茶(紅茶)です」と答えるでしょう。いつからそれほどまでにお茶はロシアの国民的な飲み物となったのでしょうか。
 最初にお茶を飲み始めた方法と時期についてははっきり分かっていません。お茶という植物「Chinese camellia」の始まりは東アジアです。おそらくインドシナで育ち、そこからアジアの他の地域に広がりました。それを飲み物とした始まりは。中国南西部、現在の雲南省と考えられています。この地域の住民は4000年も前にお茶を飲み始めました。当初、お茶は薬と考えられていました。10世紀ころから、最初は中国で、次に東アジア全体で飲まれる日常の飲み物になりました。
 お茶の呼び名は中国の様々な言語や方言(チャ、タ、テなど)で発音が異なる中国茶に由来しています。ロシア語の「お茶」という言葉は明らかに「ツァイ」と聞こえるモンゴル語から来ました。そしてこの言葉はロシア語からブルガリア語、セルビア語、チェコ語等ほかのスラブ言語に伝わりました。
 現代のロシアで最初にお茶を飲み始めたのは、シベリアと中央アジアの人々でした。ここへは何世紀も前に中国から直接伝わりました。ヨーロッパロシアの地域の人々がお茶に出会ったのはそのずっと後のことでした。
 ロシアのお茶の歴史は、17世紀の前半に始まりました。1638年にモンゴルの支配者が当時の皇帝に贈ったのが最初です。お茶が中国から直接モスクワにもたらされたのは更にあとの1665年のことでした。皇帝アレクセイ・ミハイロビッチが味わい、次に彼に最も近い貴族たちが続きました。彼らはお茶を気に入ったようです。それ以来、お茶は中国から定期的にモスクワに届けられました。
 お茶はロシアにとってかなり高価な嗜好品でした。モンゴルと満州を経由して陸路で輸送されたため、お茶の値段はヨーロッパでの約10倍でした。ヨーロッパへは中国から海路で運ばれましたが、海上での輸送はお茶の品質低下をもたらしていました。
 19世紀半ばになると、シベリア鉄道が建設されたため、19世紀の終わりにはロシア国内全域で一般的な飲み物となっていました。
 お茶の価格は大幅に下がり、全国にいわゆる喫茶店ができました。また「人をお茶に招待する」という新たな来訪の習慣が生まれました。モスクワはロシアの「お茶の都」になり、モスクワではお茶が主な飲み物となりました。本物のモスクワのお茶は、非常に熱く、良質の茶葉で、必ず強く濃く入れたものでなければなりません。
 ロシアのお茶でかかせないものに「サモワール」があります。当初サモワールはお茶ではなく、蜂蜜、スパイス、ハーブを使った伝統的な飲み物を淹れていました。古典的なサモワールは、少なくとも5リットルの容量を持つ金属製の容器です。中には木炭で満たされた金属パイプがあり、木炭が燃焼すると、水を沸騰させます。20世紀には電気サモワールが登場しましたが、専門家は最もおいしいお茶は伝統的な木炭サモワールで淹れたものであるといいます。
 このようにして、19世紀の間に、ロシアではお茶の消費は事実上国民の伝統となりました。ロシア国内での茶葉生産を考え始め、クリミア戦争後にグルジアで実現しました。
 現在のロシアでお茶が生産される唯一の場所はクラスノダールです。1923年、クラスノダールティーは世界最北端のお茶であり、特別な賞を授与されました。また今日ロシアの店では、インド、スリランカ、中国、そして日本などの様々なお茶の種類を見ることができます。今では、どんなお茶も専門のオンラインストアで購入できます。
 しかし、ロシアで最も好まれるお茶はやはり紅茶です。毎日欠かさず、家族と、友人とお茶を楽しみます。皆さんも今夜は家族で紅茶を飲んではいかがですか?
 

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2020年12月01日

2020年オリジナルカレンダー 12月は??

<12月>モスクワのクリスマス

 新年の前である12月のモスクワは寒さも忘れるような、豪華な街景色に包まれます。
 この写真だけではなく、美しいクリスマスイルミネーション(本当は新年に向けてだが)を長い期間楽しむことができます。
 モスクワの観光名所であるボリショイ劇場周辺や赤の広場も美しくイルミネーションで飾られ、小さな出店やスケートリンクも設営されます。特に赤の広場の近くで見た、雪の巨大滑り台を滑っていた子供たちの楽しそうな風景が私の記憶に残っています。
 次は是非、гумやцумと言った大型ショッピングセンターも十分時間をとって巡りたいと思っています。

 2021年オリジナルカレンダーは近日発売予定です。。詳しくはホームページに掲載しますので、どうぞお買い求めください。

 
 

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