月別過去の記事

2019年12月27日

2019年を思う


 まもなく2019年が終わろうとしています。今年も「極東の窓」をご覧いただき、ありがとうございました。
 毎年末に一年を振り返るとき、今年もいろいろなことをやったなあ、と思い出しますが、2019年は何といっても開校25周年を記念し、7月4日に函館市芸術ホールで開催したコンサート“「極東の窓」から”が一番に挙げられるでしょう。

 そのちょうど1年前の2018年7月、私はピアニストの高実希子さん、ヴァイオリニストの田代裕貴さんが奏でるプロコフィエフ作曲の組曲「ロメオとジュリエット」を聴く機会に遭遇しました。
これだ!これを来年の函館校開校25周年の記念行事としてできないものか、市民を無料招待するコンサートを開いて、これまでの謝意を表したい!!と考えました。
 田代さんはスウェーデンのイェーテボリオペラ管弦楽団第2ヴァイオリン首席奏者ですが、ここ数年は夏になると毎年函館で演奏されています。すぐに高さんに連絡を取り、来年も田代さんが函館に来るなら、ぜひお二人によるオールロシアプログラムのコンサートを開けないものか、そして“ロメジュリ”は必ず入れてほしい。
 その時は“オールロシア”という縛りが演奏者にとってどんなに大変なものか、普通はこんなことはしない、ということもあまり考えていなかったのですが、二人とも即決で快諾してくださり、私はすぐに1年後の芸術ホールを押さえました。そこから準備が始まりました。
 
 開校当初から活動する函館校の合唱サークル「コール八幡坂」にも歌ってほしい。鳥飼やよい先生に相談すると、それなら函館市民の歌「はこだて賛歌」をロシア語で歌おう、だったらこの歌は市民なら誰でも歌えるのだから、最後は日本語で1番の歌詞で、観客とともに大合唱でグランドフィナーレにしよう!
本来歌詞を翻訳して歌うということは、作詞作曲者の承諾が得られなければできないことですが、今回は主旨をご理解のうえ特別に許可していただきました。作詞の前川和吉さんのご遺族は当日会場まで足を運ばれ、あとでご丁寧なお手紙まで頂戴しました。
 そんな街です、という歌詞を私たちはВот такой наш город(ヴォット タコイ ナシ ゴラト)と訳しました。それがメロディーに乗せると日本語に近い音の言葉に聞こえて驚きました、との感想をご遺族からいただき、意味はもちろんのこと、響きも原詞に近づけるよう、リズムにきちんと乗るようにと翻訳した苦労が報われた気がします。

 学生たちもはじめはクラシックコンサート?なんだそれ、ぐらいの気持ちだったようですが、ポスターが出来上がり、手分けして近所に貼ってもらったり、当日お客さんに配るための記念缶バッジのデザインコンテストを開いたり、スタッフTシャツを作り、役割分担をしていくうちに、自分たちが作るコンサート、という認識をもって働いてくれました。
 コンサートは平日だったため、授業が終わってから全員で芸術ホールに向かい、そろいのTシャツに着替え、楽屋でラッキーピエロのハンバーガーで腹ごしらえをして出陣しました。開場前にお客さんが列をなしているうれしい光景を見て、こんなに人が来るんですか、と驚きながらも各自役割を果たしてくれました。そしてそんな学生の姿は好感をもって観客の目にも映ったようです。
 クラシックなんて堅苦しい、と思っていた学生も中にはおりましたが、ホールで本物の演奏を聴けば理解が深まります。そして圧巻の「ロメオとジュリエット」。この曲を切望していた私は、残念ながら客席ではなく舞台袖でモニター越しに聴くことにはなりましたが、思った通りのお二人の熱演、そして大きな拍手で会を終えることができ、心より安堵いたしました。
 後々、高さんから伺った話では、昨年7月の演奏会の記録ビデオを見たら、一番前の席でのめり込むようにロメジュリを聴いている私の姿が映っていたと笑っておられました。

 また、時を同じくして、学報「ミリオン・ズビョースト/百万の星」が発行100号を迎えました。年4回の発行で25年間、たゆまず続けてきた証です。通常は8~12ページのものを特大号として16ページに増やし、開校当時の職員や卒業生にも寄稿してもらい、これをコンサート会場で配布しました。お忙しい中それぞれの思いを寄稿していただいたみなさまに、この場を借りてお礼申し上げます。

 話は変わりますが、函館ハリストス正教会は、函館校から徒歩3分のところにあります。ロシア人のニコライ・ドミートリエフ神父に用があるときは、いつもアポなしで司祭館のチャイムを鳴らします。ニコライ神父は初めて訪れた時から、この突撃訪問をロシアらしい、と歓迎してくれました。5月のとある日、記念コンサートのチケットを届けに司祭館を訪ねるとニコライ神父がちょうどいらして、出てきてくださいました。

 「大渡さん、今年のロシア人墓地清掃にも、私はぜひ参加したいです。」
 毎年5月に札幌のロシア総領事館からも数名来函し、函館山の麓にあるロシア人墓地の枝払やゴミ拾いをするのが恒例ですが、ニコライ神父は清掃が終わったあといつも、異国の地に葬られた母国の人々に祈りを捧げるのです。まさか、これがニコライ神父との最後の会話になるとは、夢にも思っていませんでした。
 函館正教会に赴任されてから11年、函館校と教会は折にふれ協力的関係を築き、2008年のロシアセンター開設時には成聖式も執り行っていただきました。ロシアセンターにはその際ニコライ神父から贈られた「三本手の生神女」のイコンが掲げられています。ニコライ神父は現在、ロシア人墓地より少し山側にある、函館湾を望むハリストス正教会の墓地に静かに眠っています。
 

 さて、今年で4年目となる極東大学オリジナルカレンダーですが、今年はすべて学生が撮影した写真を使用し、ウラジオストク・サンクトペテルブルク・モスクワ3都市の日常を伝えています。カレンダーを作るために狙った写真ではなく、学生が留学やインターンシップにおいてロシアで過ごす中、日常目にする光景を写真に収めたものが、かえって好評なのかと思います。毎年楽しみにしてくださる方も多く、発売前から予約が入るほどです。販売収益は学生の自治会活動などに使われます。事務局にて取り扱っておりますので、興味があればぜひお求めください。

 このように今年も上げたらきりがないほど、勉学に課外活動に忙しい日々で学生もなかなか大変かと思いますが、来年もまだまだいろいろなことに挑戦していきたいと思います。引き続き、函館校をよろしくお願いいたします。みなさまに取りまして来年がより良い一年となりますよう。
 

              

ロシア極東連邦総合大学函館校 事務局 大 渡 涼 子

コメントを投稿
日本にいながらロシアの大学へ!ロシア極東連邦総合大学函館校
ネイティブのロシア人教授陣より生きたロシア語と
ロシアの文化,歴史,経済,政治などを学ぶ、日本で唯一のロシアの大学の分校です。

2019年12月24日

函館郊外に暮らした旧教徒とロシヤパン

一般向け文化講座「はこだてベリョースカクラブ」の今年度第6回目の講話内容です。

テーマ: 函館郊外に暮らした旧教徒とロシヤパン

講 師: 倉田 有佳(教授)

 旧教徒(古儀式派)のことは、近年、ロシア政治史の研究者から注目されているテーマでもあります。旧教徒とは、17世紀後半、ニコンの改革に反対した人たちです。十字を切るときは二本の指ではなく三本指で切ることに代表されるように、ニコンの改革は同時代のギリシャ正教会の慣行を模範とするものでした。政府が認めない信仰であったため、旧教徒は国内ではシベリアに代表される僻地に、あるいは外国に集団で逃亡・移住する場合が多々ありました。
 函館の旧教徒に関しては、中村喜和一橋大学名誉教授の研究論文「銭亀沢にユートピアを求めたロシア人たち」(『地域史研究はこだて』17号、1993年)や『函館市史 銭亀沢編』(1998年)に詳しく紹介されています。中村教授は、旧教徒が函館を選んだ理由について、旧教徒には守るべき厳格な信仰生活があり、清い水があり、焼畑農業を行うことが可能な場所といえば北海道(函館)以外に日本の中では見いだせなかったこと、函館から樺太やカムチャツカ方面など露領漁業に出かける日本人とロシア極東の旧教徒の接点の二点を挙げています。
 函館に旧教徒が現れたのは1910年頃のことで、二家族7名が新川町や松風町(当時は函館区)に暮らしていました。数年後、笹流・団助澤(当時は銭亀沢村)に移り住むようになり、さらに数年後には湯の川(当時は湯川村)に暮らす人たちも現れました。ピーク時は1924、25年の約30名で、ワシーリエフ、サヴェーリエフ、カルーギン、ザジガルキンといった一家が暮らしていたことがわかっています。彼らは自己の信仰を守りながら、川近くで農作業を行い、厳格な宗教的規律に則って自給自足的生活を営んでいました。
 彼らの風俗習慣が当時の新聞記者には珍しかったのでしょうか、函館新聞はじめ、地元紙には旧教徒のことがあれこれ報じられています。それらを総合すると、パンの製造販売で生計を立てていたのは、1910年頃(新川町時代)と1924-26年頃(湯の川から五稜郭方面や朝早くから函館の街までに売りに行った)でした。空白の期間は、カムチャツカの漁場へ出稼ぎ(1913-14年頃)、団助澤で収穫した野菜を馬車に乗せて町で販売(1919年)、湯の川温泉の千人風呂まで馬車で送る(1921年)、ブラーガ酒という旧教徒に許されたアルコール飲料の製造販売(1923年)を行っていたことがわかります。
 ロシヤパンに関する記憶ですが、銭亀沢の漁港に黒パンを売りに来ていた姿(『函館市史 銭亀沢編』)、長谷川四兄弟の妹玉江さんが、三男濬が団助沢に行ってロシア語を覚えたため、赤ら顔のロシア人が家に黒パンをよく持ってきてくれ、それを喜んだ姿(長谷川玉江「長谷川家の人々と函館」『地域史研究はこだて』25号)が記録に残されています
 旧教徒を支援する日本人もいました。銭亀沢の名士中宮亀吉、ロシア語を解する「山崎くん」や漁業家の澤克己です。しかし、1925年を境に旧教徒は函館から去って行きます。収入の不足、野草の実が少ない、耕地が少ないなど、函館の暮らし難さを理由として挙げていたようです。結婚あるいは縁者を頼って本州(盛岡、仙台、名古屋など)へ移住する人たちもいましたが、多くの場合、地理学者の小田内通敏や木下函館税関調査課長の支援・協力を受け、樺太(旧教徒が集住する亜庭湾付近の荒栗村など)に移住しました。
 まとめてみると、函館のロシヤパンは、亡命ロシア人の記憶と共に今なお語り継がれていますが、製造販売に携わっていたのは旧教徒でした。函館に来て間もない頃、あるいはカムチャツカへの出稼ぎやブラーガ酒の製造販売などで現金収入が得られなくなった時、ロシヤパンの製造販売を生業として始めます。しかし、頼みの綱の「パン」では生計が成り立たなくなり、函館を去ることにした、と倉田は考えています。
 

コメントを投稿
日本にいながらロシアの大学へ!ロシア極東連邦総合大学函館校
ネイティブのロシア人教授陣より生きたロシア語と
ロシアの文化,歴史,経済,政治などを学ぶ、日本で唯一のロシアの大学の分校です。

2019年12月02日

2019年オリジナルカレンダー12月は??

<12月>赤の広場(モスクワ)

 ロシア随一の観光名所である赤の広場。訪れたことのある人も多いのではないでしょうか。一年を通して賑わいが絶えることのない赤の広場ですが、12月に入りスケートリンクやクリスマス市が開かれると一層あざやかに輝きだします。中でも、色とりどりの電飾で飾られた木々とグム百貨店が夜に煌めく様子は圧巻です。チャイコフスキーのバレエ音楽「くるみ割り人形」が聞こえてきそうな世界に一歩足を踏み込めば、楽しい物語が始まりそうです。

 2020年オリジナルカレンダーは近日発場合予定です。詳しくはホームページに掲載しますので、どうぞお買い求めください。
 
 

コメントを投稿
日本にいながらロシアの大学へ!ロシア極東連邦総合大学函館校
ネイティブのロシア人教授陣より生きたロシア語と
ロシアの文化,歴史,経済,政治などを学ぶ、日本で唯一のロシアの大学の分校です。