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2007年10月30日

露西亜は「健康」への鍵

インシュリンを打つほどでもないが糖尿病の人がいる。
運動不足、ストレス、日ごろの食生活など、ありとあらゆる要因ははかりしれない。
運動不足の原因は車。北海道は田舎に行けば田舎に行くほど歩かない。
車と家とのドアtoドアであり、寒くなればなるほど歩く事は少なくもなっていく。
さて、糖尿病というものをどう対処するのか…。
もちろん病院へ通い薬療法もある。運動のために歩く、そして食事のカロリー制限。
血糖値をいかに上げないようにするかを考えさせられる。

そんな中、頭の中で「露西亜」生活と結びついた。
ロシアで私達は歩き…歩き…歩き、買い物へ行った。
電停まで、バス停まで、駅まで。歩く距離もまた結構長かった。
帰り道、水やジャガイモなど重たい荷物を持ち、嫌々登った坂道。
汗を掻き、歩く。それによって血液の循環を良くし、健康的だったようだ…。
歩く事が知らず知らずに運動不足解消へつながっていたのだろう。
人によってさまざまだと思うが、私はロシアの食生活でも元気だった。
ロシアで食への不満は特になかった。
ロシアは黒パンが主流である…。そうこれだ、このライ麦パンが良いのだ。
最近ダイエット食とも言われているが、ライ麦パンは、食後の血糖値の上昇が少ないらしい。
日本で日常的にあまり食されていない。
ロシアの黒パンはおいしいだけでなく「健康」への道なのだ。
ロシアのパン屋さんに整然と並ぶ黒パンが、なんとも薬のように思えてくる。

「ライ麦パンだけかなぁ~」と思いにふけっていたところ、テレビ番組から情報がいくつかやってきた。
『赤ビーツに含まれるベタレイン(赤い色素は、ベタシアニン)には血糖を下げる作用があります』
これには、びっくりしました。驚きです。
いやはや、さまざまな食品を大学で研究されている教授、生徒の皆様に感謝です。
ロシアで赤ビーツはボルシチやサラダにはかかせない。
ボルシチは「多くの野菜が取れるおいしい赤いスープ」のようにただ思っていたが…。
赤ビーツが血糖を下げるとは、朗報です。
日本における赤ビーツ栽培が盛んになる事を、今まで以上に大きく期待した事はないです。
ロシアの代表的野菜とも言えるスビョークラ(赤ビーツ)は、すばらしい野菜の薬です。

その番組からの朗報は続いていきました。
『ピーナッツの渋皮にはポリフェノールを含み、これも血糖を下げる作用がある』
私の頭の中ではまた「露西亜」生活へ飛ぶ。
ロシアの市場や道端でコップに入って売られている渋皮付のピーナッツ。
それをポケットに忍ばせ歩きながらポリポリ食べるロシア男性。
ロシアで多くの渋皮が食されているであろうと推測。
そして、渋皮ごと食べていたロシア男性を教授のようにさえ思う。
渋皮を剥いて捨てて食べる私。今ごろ捨てられた渋皮が薬に見えてくる。

悩める子羊を抱える私は「露西亜ってやっぱり健康だったのだ…」と結論付けてしまった…。
まだまだいろんな「健康」要素がロシアにもいっぱいあるに違いない。
日本料理は健康的とブームを呼んでいるロシアだけれど、ロシア料理もまた健康的だと私は思うのだ。
もちろん食べ過ぎや飲み過ぎによるカロリーの取りすぎは良くない。
そう、日本食であったって、日本酒であったって、食べすぎても飲みすぎてもダメなのだ。
ライ麦パンも、赤ビーツも、渋皮も、食べすぎては「健康」にはつながらない。
でも、ほどほどの何かさらなる「健康」の鍵を、「露西亜」から見つけようとしている。

ダーチャへと向かう。
畑の土に触れ。
汗を流し。
収穫を喜ぶ。
恵みでの料理。
バーニャに入り。
家族と気の合う仲間で杯をかたむけ。
詩を歌い。
語らい。
心を休ませる。
きれいな空気を体に取り入れてながら。
ゆったりと時はながれる。

ロシアに行かなくても、少しだけ、ほんの少しだけロシアを生活に入れて…
きっと病も楽しく改善されていくに違いない。
つづく…「健康」へ……。「露西亜」ってステキ…。

函館校卒業生 山 名 康 恵

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日本にいながらロシアの大学へ!ロシア極東連邦総合大学函館校
ネイティブのロシア人教授陣より生きたロシア語と
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2007年10月26日

バイカル民話集3 オームリの樽

オームリの樽
Омулевая бочка

 これは大昔のことだ。ロシア人の漁民はバイカルの海に来て、以前からその地に住んできた民族のブリャートとエヴェンキにも負けない位いい漁師になっていた。
 ロシア人漁民のなかで一番腕のいい漁師はサベリイ爺さんだった。サベリイ爺さんは子供の頃からバイカルの海で生活し、何十年も漁民組合の親方を勤めてきた。漁のことなら、知らないことはなにもない位だった。漁場も、漁に相応しい時間だって、誰よりもよく知っていて、いつも大漁だった。
 サベリイ爺さんの一番好きな漁場はバルグジン湾で、よくそこで漁をしていた。しかし、オームリの群れを探すには、もっと遠いところに行かなければいけない時もあった。ずっと同じ場所で留まれば、何もとれないからだ。
 ある日、バルグジン湾で漁をしていた昼休みのことだった。漁師たちは新鮮なオームリのスープを食べ、熱い紅茶を飲みながら岸で休んでいた。そして、魚やバイカルについての話をしていた。
 組合の中にガラーニカという若者がいた。彼は勉強好きで経験豊かな漁師の話を聞くことが大好きだった。漁のことは何もかも知りたがって、もし気になることがあれば、夜も眠れないくらいであった。だからいつもサベリイ爺さんの近くにいて、質問ばかりしていたが、サベリイ爺さんはなんでも詳しく説明してあげた。
 さて、ガラーニカはサベリイ爺さんのそばに座って、面白そうに話を聞いていた。そして、突然聞いた。
「ね、お爺さん。この辺の風は魚を操る力があるって本当?」
 サベリイ爺さんはすぐに答えず、驚いたような目でガラーニカを見て聞いた。
「あの樽の話かい?」
 今度は、ガラーニカの方がびっくりした。
「え?樽って何のこと?」
「あるんだよ。『オームリの樽』という、魔法の樽なんだ」
 ガラーニカはそれを聞くと息が止まりそうだった。
「ね、爺さん!どういうことか教えて、話してよ!」
 サベリイ爺さんは笑ったが、断れなかった。パイプにタバコを詰め込み、炭で火をつけた。そしてガラーニカだけでなく、他の漁師達も耳をすましているとわかったサベリイ爺さんはゆっくりと語り始めた。

―この話はいつからあって、いつ人に知られたかワシには分からん。長老たちから聞いたことをお前らに話そう。昔、この海の魚はすべて二人の兄弟の風に使われていたそうだ。二人の名は「クルトゥック」と「バルグジン」。二人とも巨人で、怖い顔をして、長い髪を乱し、おまけに暴れん坊だった。海の上を飛ぶと、空は真っ暗になる。最初、二人は仲良しで、一緒に遊ぶことが大好きだった。そして、バイカル様からお土産に貰った不思議な玩具を持っていたんだ。それは『オームリの樽』という物だった。
 一見すれば、ごく普通の樽、オームリの塩漬けのために使うのとそっくりだ。しかし、あの樽には魔法の力があった。どこに流されても、その周りにオームリの群れが集まってくるのだ。まるで、あの樽に自分から入りたいかのように。二人はそれをとても楽しんでいた。バルグジンはクルトゥックにぶつかって、樽を海に投げて威張るのだ。「ほら見ろ、俺様は魚をいっぱい集めたぞ!お前にはできないだろう」
 しばらくすると、今度はクルトゥックが樽を奪って、海に流して叫ぶ。「お前こそ見てみろ。おいらの方が沢山集めたぞ」こうやっていつも遊んでいた。二人はその魚を食べたり、自分の富だと思ったりすることはなかったので、考えてみれば、その遊びはとても楽しいとは思えないけれど、なぜかあきなかった。このように、本当なら今でも樽ごっこをやっていたはずだろうが、やめざるを得なくなった。あることが起きてな・・・。
 オリホン島はバイカルを二つに分け、岸と島の間は「内海」、島の外は「外海」と呼ばれるのだ。その内海の主は風の女神サルマだった。サルマは自分勝手で、クルトゥックとバルグジンよりずっと強い風だ。深い谷から突然飛び出すと大変な嵐を起こすのだ。二人はサルマ様に憧れていた。ある日、バルグジンは「俺はサルマを嫁にもらって見せるぞ」と言うと、クルトゥックは「そう早まるな。俺だって彼女と結婚したいのだから、勝負しよう」と答えた。二人ともサルマに媒酌人を送って、答えを待つことにした。まもなく、サルマの使者であるウミウが飛んできて、サルマの言葉を伝えた。
「わたしはまだ結婚を考えていないが、まず婿の候補者はどういうものか確かめたいのだ。二人とも陽気だし、いい男に見える。だから、勝負しなさい。私の内海を魚でいっぱいにしたい。だから、オームリの樽を先に持ってきたものと結婚しよう」
 ウミウが飛び去るとすぐに、クルトゥックとバルグジンは樽を奪い合い始めた。しかし、二人とも大変な力持ちで、どっちも勝てないのだ。例えバルグジンが樽を手にしても、あっという間にそれはクルトゥックに奪われた。クルトゥックが樽を持って逃げようとすると、次の瞬間にもうバルグジンがそれを奪い取った。どちらも負けたくないのだ。二人のうなり声がバイカルのどこまでも聞こえて、海には大変な嵐が吹いた。樽自体もどうやら大変な目にあったようだ。きーきーと軋んで、飛び回っているばかりだ。二人は興奮して、オームリの樽をいったん放っておいて、格闘で勝負しようとした。だけど、力が同じだからいくら戦っても勝負が決まらないのだ。
 二人は疲れて、休むことにした。そこで周りを見ると、なんと・・・樽はどこだ!いくら探しても、どこにもない。ひょっとして、少し待てばそのまま戻ってくるかと思って、待つことにした。けれども、何週間も何ヶ月も何年も樽は戻ってこなかった。二人はとても落ち込んでいた。だって嫁ももらえなかったし、おまけにお気に入りの玩具を失ったじゃないか。やがて二人は分かった、それはバイカルからの罰だと思った。バイカル様は二人の争いに怒って、お土産を取り返したのではないかと・・・。
 サルマはしばらく勝負の決着を待ったが、やがてウミウを送って「お前たちと結婚するより、一人暮らしの方がましよ」と伝えた。
 それ以来、外海には魚が前より少なくなった。オームリの樽がまた現れてくるといいが、それは無理だろう。

 サベリイ爺さんは話を終えて息をついた。ガラーニカもほっとした。彼はいつも、物語を聞いているときは、何か分からなくても質問を後にして、話が終わるとすぐに沢山の質問をする癖があった。
「ね、ね、お爺さん。ひょっとしてサルマがあの樽を二人から盗んだんじゃない?二人が格闘していた間に」
「それは分からないさ。サルマって、バイカルの一番強い風だ。おまけに自分勝手だな。ほら、いきなり襲ってきて、いつの間にか止むだろ」

 それ以来、ガラーニカは夢を持った。
「あのオームリの樽を見つけて、いつも大漁できればいいな」
 しばらく後、サベリイ爺さんの組合はまたバルグジン湾に漁をしに来た。皆はがんばって元気に働いていたが、魚はほとんどとれなかった。何度も網を打ったが、漁はほんのわずかだった。
サベリイ爺さんは顔をしかめた。「困ったなぁ」
 すると、ガラーニカは「内海に行ってみようよ」と聞いた。それにサベリイ爺さんは「そうだ、行ってみよう。クルクット湾に行けばとれるかもしれない」と答えた。他の漁師達も賛成した。
 内海のクルクット湾に着くと、白樺の皮のテントを建て、つり道具を用意した。
 確かにすばらしい漁場だった。周りに高い崖がそびえて、密林が広がって、水面の上にカモメやウミウたちが鳴きながら飛び回っている。青空にお日様がやさしく輝いて、空気が実においしい。
 しかし、サベリイ爺さんは不安そうだった。
「今日はうまくいかないな。ほら、谷間にあの丸い雲が見えるかい。きっと、今日はサルマが吹いてくるぞ」
 ガラーニカはびっくりした。
「まさか、あのサルマ様が来るの?」
「間違いないな」
 とサベリイ爺さんが言って、全ての道具と荷物を岩の溝に隠して、テントを解体するように命じた。どうせサルマが壊してしまうのだから。皆は言うとおりにした後、まもなく山の方から強い風が吹いてきて、あっという間にあたりは真っ暗になった。内海が荒れて、大きな木は音をたて、崖の上から大きな石が次々と水に崩れ落ちる。
 ガラーニカはいくら怖くても、どうなっているのかどうしても見たくて、隠れ場から頭を出して外を覗いた。見ると、海の上に煙で出来たような大きな女性の顔が浮かんでいる。乱れた灰色の髪の毛に白髪が混ざって、ほおがゆれて、口は雲を噴出している。実に恐ろしい顔だ。高い波が音を立ててお互いにぶつかっている。
 ガラーニカは「すごい力だ!」と思って、また隠れ場に戻ると、サベリイ爺さんが笑って聞いた。
「どうだ。サルマは美人だったのかい?」
「いや、もう二度と見たくない顔だよ」
「それはお前にとってな。クルトゥックとバルグジンから見ると、彼女はきっとすばらしい美女に見えるだろう」
 サルマはしばらく暴れ続けたが、やがて止んだ。空が晴れて、漁師たちは隠れ場から出た。周りを見ると、なんと浅瀬に怪しそうな樽が波に流されてきて、その樽の上に炭のように真っ黒なウミウが降りている。ウミウがまもなく飛び去ると、今度は真っ白なカモメが飛んできて、樽の上に降りて嘴で翼の掃除をする。
 もちろん、漁師達は驚いた。だって皆は「ひょっとしてあの樽か」と思ったに違いない。しかし、それを言い出すことなく、親方のサベリイ爺さんが何を言うか待ったが、ガラーニカだけが待ちきれず尋ねた。
「ね、爺さん・・・。もしかしてあれは・・・」
 しかし、サベリイ爺さんも黙ってじっとして、驚いた目で樽を見つめる。やがて決心したようで、こう指示をした。
「みんな、ついて来い」
 浅瀬に来ると、カモメが鳴いて飛び出した。すぐに、他のカモメやウミウが空も見えなくなるほど沢山集まってきた。鳥たちが高い泣き声を立て、海に飛び込んで魚を捕まえてどんどん食べ始めた。
「大漁の兆しだな」とサベリイ爺さんが言った。
 樽に近づいて見ると、間違いなく特別な樽だと分かった。驚くほどよく作られたもので、普通の樽よりずっときれいに見えるものだから。その香りだって特別で、香ばしくて美味しそうだ。
「お前の言ったとおりだな、ガラーニカ君」とサベリイ爺さんが言い、海を眺めた。バイカルの様子を見ると、水面の模様が変わったことが分かる。バイカル湖の水面を遠くから見ると、そこに大きく線が伸びている。色の濃い線は水が冷たくて、そこから魚が逃げる。色が薄いと、水が暖かく魚が集まってくるところだ。今は、水面は滑らかで全部一定の薄い色になっている。それは、大漁の兆しだった。サベリイ爺さんは皆に「今日こそ大漁になるぞ!餌もいらないかも」と自信満々で言った。

 早速、漁師たちは仕事に取り組んだ。道具を積んで、船を海に出した。ゆっくりと走りながら、網を少しずつ水に下ろす。全部下ろすと、サベリイは岸の方に向かって「引け!」と叫ぶ。船の舵をしっかり握って、顔だけがにっこりと輝いている。親方を見た他の漁師も歌い出したい位嬉しい気分だ。しかし、すぐに本音は出さない。岸にいる漁師達はウインチを回して、網を引いたが、突然仕事をやめた。船の漁師は「何だよ、引っかかったのか」と叫ぶ。
「違う」と岸の人が答える。「重くて、もう引けないんだよ」、「なに?困ったなぁ」親方のサベリイが驚いた。「手伝いに行かないと」、今度は皆で網を引っ張った。「引け・・・」
 しかし、網は一寸も進まない。一体、どういうことなのだ。漁師たちは不安を感じた。
「無理だな」と親方が言い、悔しそうに頭を掻いた。確かに大漁にはなったが、網を引き揚げなければ、まったく意味がない。
「どう見ても、無理だ。どうする?」
 仕方がなかった。網を切って、魚を逃がすことにした。空っぽの網を引き揚げて、夜までなんとか直した。ここで、あきらめの悪いサベリイ爺さんは「またやってみようじゃないか」と言い出した。漁師達は口を出せず言うとおりにした。しかし、今度も同じ結果だった。また、網を切って魚を逃がすほかなかった。そして、そのまま岸で一夜を過ごした。翌朝、親方は船を出さなかったが、そのまま何もとれずに帰るわけには行かないと思った。
 皆で打ち合わせをした。サベリイ爺さんは「魔法の樽を海に流そう。そうすると全てが元通りになる。それでいいか?」と提案した。
 ここでガラーニカが怒って叫んだ。「そんな宝物捨ててもいいのかい!今、幸運を手に握っているのに。あの樽があれば、誰でも腹いっぱい食えるじゃないか。幸せを海に流すなんて、そんなバカな!」
 サベリイ爺さんはガラーニカの言葉を冷静に聞いて、そして落ち着いてこう答えた。
「やっぱり若いな、ガラーニカ君。魚が多くても手に入らないなら、どこが幸せだよ。少なくても手に入るなら、その方がマシだ。だから、けちなサルマの真似をするな。ほら、彼女はあの樽にあきて、そいつをわざと我らに持たせて困らせるつもりだったと思う」
 
 こうして、樽を海に流すことにした。もう一度その姿を眺めた後、力を合わせて水に押し出した。サベリイ爺さんは手を振った。
「これでいいよ。あの樽はずっと一ヶ所にとどまるとよくないのだ。これで、余計な魚が内海から外海に戻る。我らは漁師の腕と技がある限り、必ず魚をとれるのだ」
 ガラーニカは悲しい顔で、波に流される樽を見送っていた。
 突然、海はまた暗くなって、空に黒い雲が浮いた。高い波がうねって、樽がもう見えなくなった。
 サベリイ爺さんは顔をしかめた。
「バルグジンが吹いたから船を出せない。皆、しばらく休むがよい」
 ガラーニカはバルグジンのことを耳にすると、一瞬で悲しみを忘れた。
「バルグジンも現れるのかい?」
「海を見れば分かるだろう」
 ガラーニカは海を見て、ぞっとした。遠い水平線の上に雲の中から巨人が現れて、大きな手を海に伸ばした。次の瞬間にその手の中に魔法のオームリの樽が現れた。雷のような声が響いた「ハハハハー!」次の瞬間に巨人が樽を遠くに投げて雲の中に消えた。あっという間に空が晴れて、お日様が輝いた。
 サベリイ爺さんは微笑んだ。
「お気に入りの玩具が見つかったか。今度はクルトゥックが答えてくるに違いない」
「本当?」とガラーニカが聞くと、また海も空も真っ暗になって、山のような大きな波が上がった。その波の中からもう一人の巨人が立ち上がった。また海の上に「ハハハハー!」と大きな声が響いた。巨人は海に手を伸ばすと、直ぐに水の中から魔法の樽をすくった。そして、手を上げて樽を水平線の向こうに投げた。
 ガラーニカは「すごいな、これからどうなるんだろう」と思った。
 しかし、どうにもならなかった。クルトゥックが姿を消すと直ぐに海が静かになり、お日様が青い波を照らした。サベリイ爺さんの顔も明るくなった。
「よかったな、二人は争いをやめたみたい。これで、魔法の樽も自然に流されて、魚の群も海に広がるだろう。サルマの内海は樽がなくても豊かだし。・・・さ、みんな働こう」
 そのとき水面が変わって、色が濃い冷たい水の線と色の薄い温かい線が見えてきたが、サベリイ爺さんはそれを気にしない。
「いつもの様に漁をしよう。皆でがんばって働けばきっと大漁だ。午後から船をだすぞ」
 午後になると、サベリイ爺さんはまた舵を握った。網を水に下ろして、岸に戻った。そして皆で引っ張り始めた・・・。
 あの日はどれだけの大漁だったか、言葉では伝えられない。それは自分の目で確かめなければ分からないだろう。
 漁師たちは、大変喜んでいた。サベリイ爺さんはにこにこして「どうだ、あの魔法の樽を逃がして、まだ悔しいかい?」と聞くと、ガラーニカは陽気な声で答える。
「いや、悔しくなんかない。だって、お爺さんの腕こそ本当の魔法なんだから」

訳:ロシア極東国立総合大学函館校

講師 デルカーチ・フョードル

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2007年10月23日

2007はこだてロシアまつりのお知らせ

今年のテーマは「ロシア民話の世界~とある見知らぬ路で~」。
詳細を函館校のホームページに掲載しましたのでご覧ください。
みなさまのご来校を心よりお待ちしております。

 第10回 はこだてロシアまつり
 2007年11月10日(土) 10:00~15:00

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2007年10月19日

バイカル民話集2 ハルデイの妻

ハルデイの妻
Жена Хордея

 昔々ある山の麓にハルデイという貧しい男が住んでいました。ハルデイは大金持ちの主人に雇われて、家畜の世話をしていました。ところが、主人はとてもケチな男だったのです。
 そして1年が過ぎたある日、主人は一生懸命働いたハルデイに、わずか3枚の銅貨しか支払いませんでした。それに腹を立てたハルデイは、別の場所で幸せを探すことに決めました。
 ハルデイにとってそれはそれは長い旅でした。深い森を抜け険しい山を越えて草原を渡り、ようやく、バイカル湖という大きな湖に辿り着きました。そしてそこからハルデイは小舟に乗って、湖の中にある一番大きな島、オリホン島へ渡りました。彼はとてもその島を気に入ったので、自分を占ってみる事にしました。「バイカルの神は誰でも好きなわけではない」、「供え物をあげても、受け取るとは限らない」ということをハルデイは知っていましたので、彼は賭けをしたのです。
「今、この3枚の銅貨を投げよう、もし、神が私を受け入れてくれるのであれば、銅貨を受け取ってくれるはずだ。それなら、私はここに残ろう。もしお金が戻ってきたら、違う場所を探そう」
 そう言いながらハルデイはバイカル湖の沖の方へ銅貨を投げました。すると海は川のようにゴオゴオと鳴り響き、波立ってきました。ハルデイは岸辺の砂利を見回しましたが、ぶくぶくと泡だけがそこにあり、他には何も現れませんでした。貧乏なハルデイは神が受け入れてくれたことを知って喜び、この島で暮らす事を決めたのでした。

 それから3年が経ちました。そこはハルデイにとってとても暮らしやすい所でした。湖ではたくさんの魚が捕れ、森も豊かでした。でもハルデイは一人でいるのが寂しくなりました。彼は妻が欲しくなったのです。
 そうしたある日、ハルデイは、自分のつまらない一人暮らしに寂しさを募らせながら、湖の岸辺に座りカモメやウミウを眺めていました。
「鳥たちは自分より、こんなにも幸せそうにしている。それはきっと家族がいるからだ」
 ハルデイはうらやましそうに深くため息を付いていました。すると突然、湖の波音の中に静かな声が聞こえました。
「嘆くな、ハルデイよ。君が惜しまず投げてくれた3枚の銅貨は無駄ではなかったのだ。3年前はここに住む場所をやったのだが、今回は妻を捜す手伝いをしてあげよう。夜明け前にここの岩の間に身を隠して待っていなさい。日が昇る頃に白鳥の群れがやってくる。白鳥達は白鳥のドレスを脱ぎ、綺麗な娘に変わる。そこで好みの娘を選ぶがいい。娘達が泳ぎ始めたら、その娘のドレスを隠しなさい。そうすればその娘は君の妻になるはずだ。おそらく娘はドレスを返すよう君に訴えてくるはずだ。だが、譲ってはいけない。後で彼女と一緒に住む事になっても、返してはいけない。もし私が言った事を忘れたのであれば、君は妻を失うであろう」
 
 声はそこで途切れました。バイカルの神の声に戸惑ったのか、夢だと思ったのか、驚いたハルデイはじっと湖の岸辺に座っていました。でも覚えている事はとにかくやってみようと決意したのでした。
 そして夜明けに彼は翼の羽ばたく大きな音を聞いて、岸に雪のような真っ白な白鳥達が舞い降りるのを見たのでした。白鳥達はドレスを脱ぎ、綺麗な女性へと変わりました。彼女達は子供のようにはしゃぎながら、泳いでいました。ハルデイの視線は彼女達に釘付けでした。特にその中で誰よりも美しく、誰よりも若い娘ホングにハルデイは心を奪われました。我に返ったハルデイは岩から飛び出し、その美しい娘のドレスを手にとり、それをすぐに洞窟に隠して、入り口を岩で塞ぎました。
 太陽が昇り、海水浴に満足した美女達は岸から上がり、急いで着替えました。しかし一人だけ、その場にあったはずの自分のドレスを見つけられませんでした。彼女は驚き、震えた声で泣きそうにこう言いました。
「ねぇ、私の軽い羽のドレスはどこ?私の速く飛べる翼はどこ?いったい誰が盗んだっていうの?どうしよう、私って本当についてないわ・・・」
 その時、彼女は一人の男が目に入りました。そう、ハルデイです。彼女はすぐにハルデイがやった事だと気づきました。彼の所に急ぎ足で向かい、膝をついて、目に涙を浮かべながらこう言いました。
「ねぇ、おにいさん、私のドレスを返してもらえませんか?返してもらえると大変嬉しいのですが。返していただけるのであれば、できることなら何でもしますから」
しかし、ハルデイはこう応えました。
「いいえ、綺麗なお嬢さん、私にはあなた以外何も、誰も必要としていません。私は、あなたが私の妻になってくれることが望みなのですから」
 若い女性は泣き崩れました。自分を自由にしてくれるよう、さらに強く懇願しました。けれどもハルデイは聞き入れませんでした。
 そうこうしている間に彼女の仲間たちは既に着替え終えて白鳥の姿に戻っていました。仲間達はホングを待つことはできませんでした。彼女達は空へと羽ばたき、別れのような悲しい鳴き声で飛び去っていったのです。ホングは仲間達に手を振っていましたが、顔を涙で濡らし、岩にしゃがみこんでしまいました。
 ハルデイは彼女を元気付けようとこう囁きました。
「泣かないで、綺麗なお嬢さん。仲良く暮らせるさ。私は君を愛するし、大切にする」
「私にはもう何もないわ・・・」
ホングは気持ちを整理して、瞳から溢れ出ている涙を拭い、立ち上がり、ハルデイにこう言いました。
「わかったわ、これが私の運命なのね。あなたの妻になります。私をあなたの住む場所へ連れてって」
 ハルデイは彼女の手をとり、家へと向かいました。

 この日からハルデイはオリホン島で妻ホングと共に仲良く幸せに暮らしました。二人の間には11人の息子が生まれ、彼らは両親をよく助けてくれました。そして息子達にも家族ができ、孫達も生まれ、ハルデイにとって寂しいなんて思う日はありませんでした。年が過ぎても老けたように見えない妻ホングも自分の家族を見て、とても喜んでいました。彼女もまた孫をあやしたりするのが大好きでした。孫達に御伽話を聞かせたり、難しいなぞなぞを出したり、良い行いや親切な行い全てを教えました。そしてこう言い聞かせたりしました。
「人生は白鳥達のように互いを信じあうことですよ。きちんと覚えておいて。そしてあなた達が大きくなった時に、誓いというものがどういうものなのか、自分で理解しなさい」
 
ある日のことです。ホングは孫達を自分の家に呼んで、次のようなことを語りました。
「大切な私の子供達よ、私は自分の全生涯をお前たちのために捧げてきました。後はもう安らかに眠るだけです。私はもうすぐ死ぬでしょう。この身体は老いたとは感じないけれど、誓いを守らなければならなかった、いつしか切り離されてしまった元の身体が年老いてしまうでしょう。お前達が私を責めない事を信じていますよ」
 祖母が何を話しているのか、何を考えているのか、孫達はほとんどわかりませんでした。でも夫ハルデイは気付いていました。綺麗な妻ホングはよく物思いにふけったり、考え込んでいたり、隠れて涙を流していたりしていたのでした。そして彼女は昔ハルデイが彼女のドレスを隠した場所によく通いつめていました。ホングは岩に座り、海を眺めて、押し寄せる波の音を聞いていました。そして空には薄暗い雲が浮かんでいて、その雲を寂しそうに目で追っていました。
 ハルデイは彼女が悲しんでいる理由を何回も聞こうとしましたが、決心が揺らいでいるのか妻はいつも黙り込んでいました。
 二人は家の中にある火の近くに座って、共にすごしてきた日々を思い出していました。そしてホングはこう言いました。
「ハルデイ、私はあなたとどのくらい共に暮らしてきたのでしょう。それに一度も喧嘩はしませんでしたね。私はあなたとの間に二人の血を継ぐ11人の子を産みました。でも私は人生の終わりになってもあなたから少しの慰めすら受けていません。どうしてですか?今もあなたは私のドレスを隠しているのですか?」
「君はなんのためにあのドレスが必要なんだい?」
 ハルデイは尋ねました。
「もう一度白鳥になって、自分の若い頃を思い出したいの。だからお願い、ハルデイ、せめて少しの間だけでも以前の姿に戻りたいの」
 
 ハルデイはしばらくの間その願いに首を頷かず、彼女を思いとどまらせました。しかし、自分の愛する妻が可哀想になり、彼女を慰めるために、ドレスを渡したのです。
 ホングはどれほど喜んだでしょうか。そして彼女が自分のドレスを手にした時、彼女はより若く見え、顔にも明るさが戻り、せわしなく動き始めました。
 使っていなかった羽を一生懸命手入れして、ホングは今か今かとドレスを着る準備をしていました。この時ハルデイはとても頑丈な鍋で羊肉を煮ていました。火の側に立ち、彼は愛する妻をじっと目で追っていました。ハルデイは妻ホングが嬉しそうに、そして満足そうにしているのを見て喜んでいましたが、同時になぜか不安を感じていました。
 そして突然、ホングは白鳥の姿に戻ってしまいました。
「ギーギー!」
 かん高い声を上げ、彼女はゆっくりと空へと羽ばたいていきました。高く高く。
 この時ハルデイはバイカルの神が前もって彼に言っていた事を思い出しました。ハルデイは悲しみのあまり泣き出し、何とかして妻を家に連れ戻そうと、家の外に駆け出しました。しかし既に時は遅すぎました。白鳥は空を高く舞い、徐々に遠く離れていきました。彼女の後を目で追い、ハルデイは嘆きました。
「なぜ私はホングの言うことを聞いて、ドレスを渡したんだ?なんのために?」
 しばらくハルデイは落ち込んでいました。けれども絶望を乗り越え、理性を取り戻した頃、彼は、辛いこととはいえ、実は妻の最後の喜びを奪う権利がなかったのではないかと悟りました。「白鳥として生まれてきた者は、死ぬときも白鳥であるべきで、騙して手に入れたものは、それ故にこそ失われて然るべきものなのだ」と。
 どんな悲しみも、それを分かち合える相手がいれば、辛さは半分になると言われています。ハルデイは既に独りではありませんでした。息子達やその嫁、そしてたくさんの孫に囲まれて、年老いた今そこに慰みを見出していたのです。

訳:ロシア極東国立総合大学函館校

ロシア地域学科4年 久田 賢明

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2007年10月18日

芸術の秋、いざ青森へ!

 日帰りで函館から青森へ出かけた。青森県立美術館で開催中の「舞台芸術の世界~ディアギレフのロシアバレエと舞台デザイン」を見るためである。この美術館は2006年開館と新しく、国の特別史跡・三内丸山遺跡の隣にある。せっかくだもの、両方見たい!青森駅からバスに乗り約20分、まずは三内丸山遺跡へ。

 ここは入場料無料で楽しめる。三内丸山の象徴とも言えるのが復元された大型掘立柱建物である。直径約1メートルもある六本柱からなる構造物は、実際目の前に立ってみると、その高さ、その大きさに圧倒される。何に使用していたものかは諸説に分かれるが、このような大きなものを重機もない時代によくもまあ、と縄文人の文明に驚かされる。ちなみにこの六本柱に使われている栗の木は、はるばるロシア・チタから運ばれてきたものだ。日本国内ではこれだけのものが用意できなかったのであろう。
 また、遺跡をビデオで紹介する縄文シアターではロシア語の翻訳機の貸し出しがあり、その他展示室などにもロシア語の表示があった。さすがはハバロフスクと定期航空路を結ぶ青森県である。

 三内丸山から美術館までは無料のシャトルバスが走っている。私は時間が合わなかったので歩いて行ったが、それでも15分くらいで着く。
 そしてお目当ての「舞台芸術の世界」。展示品のほとんどは舞台衣装のデザイン画やポスターであるが、絵画として鑑賞できるほどの完成度。どれもこれもがおとぎ話から切り取られたような、見ているだけで夢膨らみ心踊るような画である。
 実際に使用された衣装も展示してある。館内では舞台のビデオも上映され、「バレエこそが舞踏、美術、音楽を統合させた『総合芸術』である」という信念を持っていたディアギレフの世界に触れることが出来る。

 展示を見た後のお楽しみに、先着でロシア雑貨があたるくじ引きも用意されていた。出口でチケットの半券を見せ、「マトリョーシカさんスタンプ」を押してもらえば、くじ引きの権利獲得。賞品はマトリョーシカ・キーホルダーや小さなおもちゃカメラなど様々。私はマトリョーシカ型の笛を狙ったが、はずれ。でも残念賞をもらうことが出来た。

 そのほか、常設展示もおもしろい。青森県ゆかりの棟方志功、寺山修司、奈良美智の作品たち。特に奈良美智の作による鉄筋コンクリート像、全長8.5メートルの「あおもり犬」は何とも言えぬ脱力感を漂わせながらも、眺めているうちにいろいろなメッセージを発しているように思えてくる。三内丸山遺跡の発掘現場に着想を得たというこの作品は、発掘されたよう下半身を地中にもぐらせており、本当はもっともっと大きいのだ。

 結局閉館の17時までいたのだが、常設展示の方はすべて見ることができなかった。見応えがあるのでこのようなことにならないよう、お出かけの際は時間に余裕を持って行くことをお勧めする。
 参考までに函館から特急で片道2時間ちょっと。函館-青森自由席往復きっぷというのを利用すると、5,500円で行って来ることができる。
 縄文遺跡と現代美術が隣り合うこの素敵な空間。秋晴れの一日、歴史と文化と自然に触れ、青森の奥深さを知りました。

ロシア極東国立総合大学函館校 事務局 大 渡 涼 子

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2007年10月16日

「ロ・マン」で見えたもの

 先日の10月6日(土)、7日(日)に新潟県十日町市松代において、「第17回24時間耐久リレーマラソンinまつだい」が開催された。
 その名も「ロ・マン24」。
 その名の通り、1チームは10数名から構成され、正午12時に各チーム一斉にスタートした後は1周2.13キロのアップダウンの激しいコースを次の日の12時までチームメンバーでたすきを回し、最終的に何周回れるかを競うという過酷かつ忍耐力を要するイベントなのだ。

 私も今年初めてこのマラソン大会に出場してみた。
 参加チームは全部で32チーム。先の中越沖地震の影響でチーム数は例年より若干減ったそうだが、それでも最も大きな被害を受けた柏崎市からも4チームがエントリーし、1日も早い復興を願う人々の強い精神力が見えた。
 私がこの貴重な経験をできたのは、ウラジオストク在住時代に親交を深めた新潟市役所Y氏並びに新潟県庁H氏が以前から参加に向けて声を掛けてくれていたからであった。私自身以前から一度参加してみたいと思っていたので、今年意を決して参加することにした。
 こちらの両名はこの大会にもう7年も前から参加しているとの事で、チームは新潟県庁、新潟市役所、富山県庁からウラジオストクに研修で1年間派遣されていた人達がメンバーの中心となっている。加えて毎年ウラジオストクから来日しているロシア人が数名チームに加わっている。このウラジオストクに関わりの深い日ロ混成チームの名も「Ура(ウラー)!じお」となかなか粋なネーミングである。

 各チーム決まった区画にテントを設営し、食事を作り、暖を取り、体育館に寝袋を持ち込み交替で仮眠を取り、また走り出す…。我がチーム「Ура!じお」はその食事メニューもオリジナリティが効いていた。定番のカレーなどに加えてロシア人が作るピロシキ、ボルシチも並ぶ。みんなロシアでの日々を思い出していたに違いない。
 今大会のエピソードではないが、以前新潟市役所Y氏が1周走り終えて戻ってきたら、次に走るはずのランナーがいなかったということがあったらしい。どうやらそのランナーは食事中だったらしく、Y氏はたすきを誰にも渡す事ができず、泣く泣くまた2周目に向かって足取り重く去って行ったとか。そして身も心も疲れ果て、ようやく2周走り終えて戻って来たY氏は、物凄い形相で次の遅れてきたランナーを睨みつけたという。その時遅れてきたランナーはY氏の目に殺意を感じたというコメントを残したそうだ。普段温厚な人柄で知られるY氏がここまで怒りを表現することは珍しい、と知る人ぞ知る伝説になっている。それほどまでにこの大会は過酷であり、「うっかり」が許されないのだ。

 我がチーム「Ура!じお」も他のチーム同様、みんながそれぞれにベストを尽くしたかいあって、無事フィナーレを迎えることができた。フィナーレは感動的だった。24時間はスタートされた時から刻一刻とカウント・ダウンされて行くのだが、全32チーム中終了の合図と同時にフィニッシュのゴールをくぐったのはチーム「Ура!じお」のみであった。ロシア人美女のランナーがドラマチックにフィニッシュする姿に観客の皆さんは拍手喝采だったし、私たちは皆、誇らしげに喜びを分かち合った。
 そして大会終了後は「また来年会いましょう!」と別れて行った。私はそのまま新潟、富山、ロシア人の皆さんと一緒に温泉旅館に一泊して次の日函館に戻って来たのであった。温泉旅館での楽しいエピソードは残念ながら今回はブログの趣旨からも外れているので割愛させてもらおう。
 
 新潟県庁、新潟市役所、富山県庁のウラジオストク派遣職員の方々は皆さんロシアでの1年間ないし2年間の思い出をとても大切にしている。それぞれにロシアで素晴らしい時間を過ごしたのであろう。会えば昔話に花を咲かせ、笑い話が尽きない。私自身もロシア時代は公私共々大変お世話になり、今でも仕事で新潟市に行くと、忙しい中にも時間を作って会ってもらっている。彼らはロシアではロシア人との交流にも、ロシア語の勉強にも積極的な姿勢の人達が多く、同じ寮に住む多くの留学生にとっても良き相談役であり模範であった。
 新潟県も富山県も地理的にロシアとの交流が欠かせない地域だ。
 富山に来ているロシア人の研修員も新潟に来ているロシア人留学生もそれぞれに「富山が好き」「新潟に住みたい」と語っていた。
 彼らはウラジオストクでの研修後も自分達の県を越えて、派遣されていた研修時期を越えて横に固い絆で結ばれており、今回のマラソン大会のように来日するロシア人へよい思い出をプレゼントしているのであろう。
 もちろん残念ながら、組織の中で全員がロシアに係わる業務に就いている訳ではないようだが、彼らは新潟、富山の日ロ交流を陰で支え、そしてよい物に作り上げて行くための一つの力であることは真実であろう。

ロシア極東国立総合大学函館校 講師 工 藤 久 栄

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2007年10月15日

元気娘のウラジオ便り 男の筋肉は物語る!編

 ご無沙汰しております!!!元気娘、とうとう今月末に完全帰国でございます。
 論文も書き終え、卒論発表がもうあと約1週間後に控えておりましてそれさえうまく終わればそのまま卒業でございます!!
 ということで、力が抜けてダルダル・・・が許されるわけなく、現在は発表に備えて論文すべて日本語に翻訳しておりまする。だってだって・・・心臓がガラスでできてて(誰だ、防弾ガラスとか言うやつ!!)、超ウルトラ上がり症なんだもの!!かなり短い期間で翻訳して、それをもとに10分の発表時間の原稿をこれから作るのでロシア生活のピリオドはもうすぐなのに遊べない。えーん・・・

 ただしそんな真性引き篭もりの私でも週末は別。今まで仲良かったロシア人の友達を、日本人学生に紹介すべくカフェへ。そしたらビールが飲みたいとの日本人Yの鶴の一声で近くのバー兼クラブへ行くことに。
 ちょっと一杯飲んで論文やるかなあってくらい軽い気持ちでクラブへ入り、席に座って静かに飲み始める。最初はロシア人ばかりで、しかも人数も適度に少なくてまったり。幸せ。うふふ。

 のんびりと大人の時間を堪能してたら入港中のオーストラリア軍の水兵たちがわいわい大量に店に入ってきてみんななぜか上半身裸で踊り狂う。・・・やばい、鼻血が出る。みんな本当にいい体。ロシア人もかなりいい体してるけど、毎日鍛えてる人と比べるとやっぱり見劣り。あの胸板と上腕二頭筋はほんとにいい!そしてあの腰のひきしまったたくましさ!!最高です。写真撮りたかったけどさすがに変態大披露するわけには行かずやめました。残念・・・でもしっかり触らせていただきました。汗びちゃびちゃで気持ち悪かった・・・後悔。
 もう一人、ここでたまにウラジオ便り書いてる猫いわく、私は『体目当て女』だそうな。いや、変な意味でなく純粋にきれいな体を愛でるのが好きなのです。だからそのあと二人で街に消えたりとか、変な関係になったりとかはまったく興味がないのでそこのところよろしく。純粋に体目当てなのです!!ってか筋肉目当て。

 ロシア人女性の美しさもかなりのものですが、やりすぎなのです。なんていうか、体の細さにしても極限に挑戦!!って感じで努力しすぎで、かつ自意識過剰で。セキセイインコ顔負けに、鏡ばかり見てるし。ロシア人男も、若い、美しいからだの持ち主はおなじで、鏡越しにじっとりねっとりうっとりした目で自分の体や髪型見てるとこを何度も目撃。なんていうか・・・無造作で無邪気なな美しさではないのです。気持ち悪いのです。はい。

 そういう意味では若いロシア人よりおじさんロシア人の筋肉はいい。作られた美しさでなく、日々の労働の中で培われた感じが。ビールやウォッカ飲んでるせいかほどほどにたるんでるけど、労働者のお父さんの上半身日焼けで赤くなった背中は、歴史の重みと人としての温かさを物語ってて、なんだか少し哀愁漂うって言ったらいいのでしょうか。オーストラリア人の底抜けに明るい筋肉と比べると、ロシア人にはちょっとした影が見受けられるのです!!!!!ちなみに日本人の筋肉は、西洋と比べると確かに見劣りはしますがその分しなやかで繊細な感じ。普段は目立たないけど、ふとした瞬間に存在感が増すような、静かな色気ですね。はい。
 ってことで筋肉にも国民性がしっかり表れていると思うのです。いかがです??国際筋肉分析官、いい仕事しちゃいました。

極東国立総合大学附属国際関係大学政治科学・社会経営学部

6年  寺 越 弓 恵

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2007年10月12日

バイカル民話集1 象の鼻岩

 11月10日(土)に行われる2007はこだてロシアまつりのテーマは「ロシア民話の世界~とある見知らぬ路で」に決まりました。
 それにちなみ、函館校の通訳・翻訳サークル「訳者小屋」が翻訳したバイカル民話を5回に渡り、お届けします。
 「訳者小屋」は平成17年12月に発足、ロシア語力向上を目指し、さまざまなボランティア通訳・翻訳、観光ガイドなどを行っています。
 この民話集は、バイカル湖をテーマにした昨年のロシアまつりのために翻訳されたもので、まつり当日は読み聞かせも行い、大変好評でした。翻訳者の所属は昨年時のものです。
 それでは奥深いロシア民話の世界をお楽しみください。

*   *   *   *   *   *   *

象の鼻岩
Скала-хобот

 昔々、聖なる海、バイカル湖の岸辺には、とても暖かな時代がありました。大きな見たこともない木々が空高く生い茂り、今の動物たちより、ずっと、ずっと大きな動物が棲んでいました。面白い形の角をした大きなサイや剣のように鋭くて長い牙をもった虎や洞窟に棲む大きなクマもいましたし、とてつもなく大きな毛むくじゃらのマンモスがいました。マンモスの長いラッパのような鳴き声は山を振るわせるほどでした。マンモスは地上のすべての動物の中で、一番、大きくて力強いと思われていました。けれど、マンモスはとても性格が優しく、おとなしい動物でした。
 しかし、バイカル湖の近くに棲んでいる中で、一頭だけ、怒りっぽく、とてもわがままで頑固なマンモスが、おりました。いつも、1人ぼっちで、通り道で他の誰かに出会っても、鼻高々と偉そうにしては、相手をいじめていました。
 小さい動物たちを長い鼻でつかまえて、茂みの中へほうり投げました。大きな動物たちには、太い牙で、ひっかけて持ち上げて、地面にたたきつけました。うぬぼれマンモスは、気晴らしのため大きな木の根っこを掘りました。また、大きな丸い石を引き抜いてバイカル湖へ流れる小川をせき止めたりもしました。
 マンモスの長老は、何度もうぬぼれマンモスを説得しようとしました。
「いいか、考え直すのだ、強情者め!弱い動物たちをいじめちゃいかん!訳もなく木を引っこ抜くな、小川をふさぐな、そんなことをしていると、今にバチが当たるぞ!」
 うぬぼれマンモスは、長老マンモスの話を聞いてはいましたが、全然、言う事を聞かず、自分の好き勝手にし続けていました。
 ある日のことです。うぬぼれマンモスは全くいい気になって歯止めが効かなくなってしまいました。
「オレ様にツベコベ言うな!」 長老マンモスに怒鳴りだしました。
「オレ様をおどすな、オレ様はマンモスの中で一番強いのだ。やってみろというなら、小川だけでなく、バイカル湖も水たまりのように石で埋めてやるぞ」
 長老マンモスは、ぞっとしました。他のマンモスたちも興奮してうぬぼれマンモスへ、いっせいに鼻をブンブン振り始めました。
 この様子を見ていたバイカル湖が荒れだしました。大きな波が岸に打ち寄せました。波には、神様の、さあ、こらしめてやるぞ、という恐ろしい微笑みが満ちていました。
 けれど、我を失ったうぬぼれマンモスは、そんなことには全く気付きませんでした。勢いよく走って、大きな岩に自分の牙を突き刺しました。湖の中へ投げるために持ち上げたのです。しかし、突然大きな岩は、重く重くなりました。あまりの重さに、牙にメリメリとヒビが入り、とうとう牙はボキリと折れてバイカル湖の中へ岩もろとも落ちてしまいました。うぬぼれマンモスは牙を失ったのが悲しくて大声で鳴きました。自分の折れた牙を取り戻すために水の中へ長い鼻をのばしました。その時です。バイカル湖の神様は、うぬぼれマンモスを石に変身させてしまいました。
 それ以来、バイカル湖の岸辺には巨大な岩がそびえ立っています。岩は、象の鼻のような形で水面の上に垂れ下がっています。今、人々は、その岩を「象の鼻岩」と呼んでいます。

訳:ロシア極東国立総合大学函館校

ロシア地域学科1年 佐藤 輪太郎

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2007年10月06日

タマサイの美~アイヌ女性の魂~

 函館市北方民族資料館は、世界的に数少ない北方民族資料を収蔵し、その文化を知る上で貴重な博物館である。特にアイヌ民族資料は学術的にも価値の高い資料として、昭和34年、国の重要有形民俗文化財にも指定されている。建物自体も昭和元年に建てられた旧日本銀行函館支店を再利用しており、なるほど、昔函館が栄えていた頃の趣がある。

 今回この資料館で開催された、表題の企画展を観た。案内のチラシには“母から娘へと受け継がれたアイヌ伝統の首飾り、その造形や色彩をはじめ魅力あふれるタマサイの美”の言葉と美しい写真があった。
 さて、タマサイとは?アイヌの女性の玉飾り-装飾品であり、山丹貿易などで毛皮と交換で中国から得たガラス玉を繋いだものである。ガラス玉は非常に貴重だったため、このタマサイは母から娘へ、そして孫へと受け継がれ、ガラス玉が手に入るたび継ぎ足しては長くしていったものだそうだ。

 ペンダントトップとして、中央に大きな飾りがついているものも多い。漆塗りで鶴が描かれていたり、鉄瓶の蓋みたいだったり、やけにジャパネスクだなあ、と思っていると係の方が「これ、何で出来ていると思います?なんと鉄瓶の蓋なんですよ!」と説明してくださった。どうりで。
 でもなぜ、鉄瓶の蓋が?と質問したところ、当時のアイヌにとって、日本人がもたらすこれらの物は美しく珍しいものであったらしく、大切に加工し、儀式の時などに身に着けたそうだ。中には和菓子の抜き型などもあった。漆塗りや木製品は丁寧に補強してある。このことからも大事に大事に受け継がれてきたことが窺える。これこそ民族の融合、中国とロシアと日本の出会いである。しかもこれは今流行のリフォームではないか!
 
 また、北海道アイヌと樺太アイヌでは服装も若干違ったようで、タマサイも6連だったり網模様になっていたりと樺太のほうが心持ちゴージャスだ。
 残念ながら企画展は終わってしまったが、常設展示でもタマサイは見ることができる。北方民族の美しい衣装や生活ぶりを垣間見ることができるこの資料館に、一度足を運んでみてはいかがでしょうか。
 

ロシア極東国立総合大学函館校 事務局 大渡 涼子

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2007年10月04日

ミリオン・ズビョースト 第53号

 函館校の学報であり、函館日ロ親善協会の会報であるミリオン・ズビョースト/百万の星 第53号を函館校のページに掲載しました。
 今回の巻頭言は長年函館校の図書館司書として、また時には学生たちのよき相談相手として、いつも私たちを支えてくださる吉﨑侑さんによる「私とロシア」です。ロシア語の専門書を扱う苦労がうかがえます。
 また、今年の夏は学生たちは学外活動の機会に多く恵まれましたが、その思い思いの感想のほか、函館日ロ親善協会によるユジノサハリンスク市訪問団の様子も寄せられています。是非ご一読ください。

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