2005年06月10日

●オデッサのユーモア(第2回)

 1957年になって第6回全世界若人と学生フェスティバル開催が近づいてきたが、若者向けのテレビ番組がなかったので、チェコスロバキアの人気番組GGG (当ててみて、当ててみて、占師)という番組を参考に、「愉快問答の夕べ」という番組を作り、これが1957年春にКВН (KWN) に生まれ変わった。この番組はソ連各地の大学からいくつかのチームを集めた。主として求められたのはユーモアのセンスと頓知である。各チームにはいろいろな課題が与えられた。例えば質問に対しておもしろおかしく回答したり、音楽コンクールに出演したり、相手チームに面白い質問を出すなどである。何人かの審査員が優劣をつけ、問答や音楽コンクールで最も笑いを取ったチームがチャンピオンとなった。КВНの名はテレビКВН-49(ケニングソンКенингсон、ワルシャーフスキーВаршавский、ニコラエフスキーНиколаевскийという3人が1949年にテレビの特許を取ったことによる)から取ったもので、後から「快笑湧く湧く知恵仲間(「ホガラカ頓知クラブ」が無理のない訳)клуб веселых и находчивых」の略とされたのは後になってからのことである。この頃のテレビは「買って、ワクワクスイッチオン、ナイナイ画面が映んないКупил, включил, не работаетの略だろう」と揶揄された。1972年夏以降テレビでの放映が一時中止された。オデッサ大学チームが強かったが、特にゴルベンコГолубенко、クニェッレルКнеллер、マカーロフМакаров、スタシュケーヴィチСташкевич、スーシシェンコСущенко、ハイトХаит、ツィクンЦыкунが有名である。1972年秋このメンバーが恒例となる春のオデッサでの笑いの祭典ユモリーナЮморина(お笑いの日)を4月1日(ゴーゴリの誕生日でもある)として始めた。好評ではあったが、1976年4月1日ユモリーナの祭典にオデッサ全市民が街に繰り出し、当局は大衆のエネルギーに恐れをなしユモリーナを中止させた。そのためユモリーナは86年まで地下に潜ることになった。86年にはКВНも復活している。現在ではこの日は山車も繰り出し、市民以外の観光客も楽しみにしている。ラビーノビチ、オデッサ・ママなどの記念像が毎年1体文学博物館の庭に設置されるという伝統が出来上がった。

Posted by ruspie at 2005年06月10日 02:11
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