2010年03月07日

●新帯研 第104回

今回の話題は散漫。ロシア語の隠語ではшестёрка(標準語では6番)というと三下のことだが、これはカードゲームで価値の低い取札ということから来ている。別の説では革命前のтрактир(食事処、ロシア料理のレストラン)のボーイполовойの月給が1カ月6ルーブルであり、このボーイのことをそう呼んだという説もある。половойはチップで生計を立てるのが普通で店から給与をもらわない場合も多かった。日本語では陸(ろく)というのは、「平らなこと」から「まじめなこと、きちんとしていること、十分なこと」という意味になり、「ろくでなし」は「のらくらもの、役立たず」という意味なのはなぜかおかしい。
60年代末現在のトヴェルスカーヤ通りは、若者の間でそれまでブロドウェイБродвейと呼ばれていたのがストリートСтритと変わった。厳密にはゴーリキー通りの左側でプーシュキン広場からホテル「モスクワ」までを指した。
ロシアでは第1次世界大戦が始まったころから禁酒令が敷かれ、それを革命政府も踏襲してきたが、密造酒にからむ犯罪が増えたため、酒を飲まないように1918年5月1日工業用アルコールに毒を混ぜるという政令を発布した。Постановление о добавлении яда к техническому спирту, дабы неповадно было пить.しかし、それでも酒はなくならなかった。
今回の課題は、
Жена наставила мужу рога. Узнав об этом, он откинул копыта.
設問1)和訳せよ。
設問2)イギリスのことを英国、大英帝国と日本語では言いかえるが、ロシア語ではどうか?

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2010年03月05日

●新帯研 第103回

ロシアの街でшиномонтажという看板を見かけることがある。ロシアのガソリンスタンドは給油専門でそれ以外のサービスをすることがない。タイヤがパンクして交換する場合にはшиномонтаж、故障ならремонтный заводと分業化が進んでいる。ユーザーには不便な限りと思うが、基本的にロシア人は日常の車の点検は自分でするのが普通なのであまり気にしないのかもしれない。ロシア人観光客でガソリンスタンドのピストル型給油装置が珍しいと言って写真を撮っていた人もいた。
江戸時代の奇譚や噂話、薬の処方などを記した耳嚢(根岸鎮衛)の巻之八に「チンカという病名の事」という記事があって、「歯茎など黒く成りて…其病ヲロシヤの地などは多く…」とあり、ツィンガーцинга(壊血病)のように思われる。治療法は「股の黒く成し所は針して血を取て吉し」とあるが、ビタミンCの不足からおこる病気ゆえ、これでは治らないだろう。それにしても著者の根岸鎮衛(1737~1815)は鎖国していた江戸時代の人だからその好奇心と知識欲には驚くほかはない。
(文学志望の君に贈るトルストイの言葉)
Пишите, когда приспичит.Когда чувствуете потребность писать, - пишите. Человек как чайник. Закройте чайник, - пар пойдёт носиком. Раз чай горячий!
書かねばと思ったら書きなさい。書く必要があると感じるときには書きなさい。人は急須のようなものです。急須の蓋を閉じると蒸気が口から出てきます。お茶が熱ければ。
今回の課題は、
- За что сняли Подгорного?
- За небрежность вместо «дублёнка» он сказал «дублёнька»
設問)訳せ。オチを別に解説してもよい。

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2010年02月28日

●新帯研 第102回

間宮海峡のことをロシア語でТатарский проливというが、ただ漠然とサハリン近辺にタタール人が住んでいたのだろうと思っていて深くは考えなかった。クルゼンシュテルンの「最初のロシアによる世界周航記」によると、レザーノフ使節とともに日本を離れた後、蝦夷、千島列島、サハリンを経てカムチャッカ半島に戻ったわけだが、そのときサハリン南部に住むクリール人(アイヌ人のこと)とは明らかに種族が違うサハリン・タタール(またはアムール・タタール)人について記している。つまり18世紀末から19世紀前半まではニヴヒ人(旧ギリヤーク人)をタタールと呼んでいたことが分かる。間宮海峡をタタール海峡とロシア語で呼ぶのはそのためである。今回の課題は、
Парфюмерные товары к ленинскому юбилею: одеколон «Ленинский дух», пудра «Прах Ильича», мыло «По лениским местам».
設問)訳せ。オチを別に解説してもよい。

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2010年02月23日

●新帯研 第101回

ドイツの外交官ゲルベルシュテインГерберштейн(1486~1566)はヴァシーリー3世治下のモスクワを2度(1517年と1526年)訪問した。そのときに大公(ツァーリを名乗るのは息子のイワン4世以降)であるワシーリー3世に謁見したわけだが、呼びかけのときにワシーリー3世の全肩書きを読み上げられるわけで、それにかなり時間がかかり、外国の使節は閉口したようである。16世紀末になると、最初の呼びかけのときだけ帝の全部の肩書が読み上げられ、二回目からは「帝と大公がおつかわしになるцарь и великий князь подаёт」と短くなった。大公がパンを外国の使節や臣下に下げ渡すときも同様で、このときの白パンは形状からカラーチのようである。パンを下げ渡すのは大公からの恩顧を示し、特に塩は最高の名誉とされた。宗教上肉の許される日には、一番目に出てくるのは焼き白鳥だった。あまりうまいものではなかったらしい。これを酢、塩、コショウ、酸乳(液状ヨーグルト)をつけて手で食べた。ナイフを出されたのは特別な貴賓のみで、後の人には手で食べれるようあらかじめいくつかに切って出された。西洋のようにソースとかサラダオイルのようなものは知られていなかったとゲルベルシュテインは書いている。この食事は長く、終わるのが午前1時ということもあった。政務はこの昼食前に終わらせる決まりなので、終わるまでは食事ができなかった。この食事のあとは政務はしなかったとある。
 ちなみにイワン雷帝の書簡から肩書を抜き書きしてみる。
Великий государь, царь и великий князь Иван Васильевич всея Руси, Владимирский, Московский, Новгородский, царь Казанский и царь Астраханский, государь Псковский и великий князь Смоленский, Тверский, Югорский, Пермский, Вятский, Болгарский и иных, государь и великий князь Нижнего Новкорода, Черниговский, Рязанский, Полоцкий, Ростовский, Ярославский, Белозерский и отчинный государь и обладатель земли Лифляндской Немецкого чина, Удорский, Обдорский, Кондинский и всей Сибирской земли и Северной страны повелитель(全ルーシ、ウラジーミル、モスクワ、ノーヴゴロド大君主、帝にして大公イワン・ワシーリエヴィチは、カザン帝にしてアストラハン帝、プスコフ君主、スモレンスク、トヴェーリ、ユゴール、ペルミ、ヴャーツク、ボルガール他の大公にして、ニージュニー・ノーヴゴロドの君主にして大公、チェルニゴーフ、リャザン、ポーロツク、ロストフ、ヤロスラーヴリ、ベロゼール世襲領地の君主にして、リフリャンジアドイツ位の所有者にして、ウドール、オブドール、コンヂン、全シベリア領土および北方の統治者)今回の課題は、
В Шотлландии разводят лохнесских чудовищ в пропорции: два лоха на одну Нессии.
設問)訳せ。

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2010年02月15日

●新帯研 第100回

例えば、Это проблематично в свете решений, принятых на собрании.という文があったとして、в светеの意味が分からないとしよう。岩波の露和辞典を引くと、в свете чегоで「~にかんがみて、~の見地から見て」という訳が載っている。これで終わりにしてもいいのだが、言語運用(発話)能力向上用の語彙(通訳をするための和文露訳用の語彙)を増やそうと考えるなら、さらに露露辞典を引いてみるべきだ。露露には、с учётом чего-л., в соответствии с чем происходит что-л., с точки зрения чего-л.と説明してある。辞書の説明は普通分かりやすい語句を使うのが当然で、説明にある語句を知らなかったのならこれも暗記してしまうとよい。с точки зренияは「~の見地から見て」ということだし、с учётомは「~を考慮して」(上の例文では意味が取りにくいが)であり、в соответствии сは、「~に基づいて、~に一致して」ということである。例文の前置詞句の中にсвет(光)が入っているので、これをもとに訳がずれないように和訳すれば、「会議で採択された決定に照らして、これは問題だ」というのも可能である。
外国人には風呂敷が珍しいらしいということはいろいろ書かれている。アーネスト・サトウの「一外交官の見た明治維新」(岩波文庫、1960年)にもそのようなことが書かれている。確かに一升瓶を風呂敷で包むとかいろいろな包み方があるというのは外国人にとって驚きであろう。19世紀のロシアの役人に関する本を読んでいたら、その頃の小役人は勤務時間が午前9時から午後3時で、家族持ちは в узелке из платка(プラトークを包みにして)残業の書類を持ち帰ったとあるから風呂敷ではないかと考えた次第。この時代取っ手のついたハンドバッグはまだない。今回の課題は、
設問1)和訳せよ。
-Скажите, пожалуйста, здесь живёт Эдита Пьеха?
- Нет, здесь живёт Иди Ты на Хуй.
設問2)次の語句は正しいか?
в отсутствии отца

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