<?xml version="1.0" encoding="utf-8"?>

<rdf:RDF
xmlns:rdf="http://www.w3.org/1999/02/22-rdf-syntax-ns#"
xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
xmlns:admin="http://webns.net/mvcb/"
xmlns:cc="http://web.resource.org/cc/"
xmlns="http://purl.org/rss/1.0/">

<channel rdf:about="http://www.rosianotomo.com/blog-anekdot/">
<title>閑話傍題（アネクドートの小部屋）</title>
<link>http://www.rosianotomo.com/blog-anekdot/</link>
<description>－タイトルについて－

これは閑話休題がもとですが、閑話はアネクドートのことで、小話を読んでみて、及第となるのか、はたまた「コリャ、ア閑話」となるのか受け取り方は人それぞれという意味もかけています。
傍題は「針小棒大」と「膨大」、それと「本題ではない」と言う意味を掛けています。</description>
<dc:language>ja</dc:language>
<dc:creator></dc:creator>
<dc:date>2012-02-09T06:48:11+09:00</dc:date>
<admin:generatorAgent rdf:resource="http://www.movabletype.org/?v=3.151-ja" />


<items>
<rdf:Seq><rdf:li rdf:resource="http://www.rosianotomo.com/blog-anekdot/archives/2012/02/265.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://www.rosianotomo.com/blog-anekdot/archives/2012/02/264.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://www.rosianotomo.com/blog-anekdot/archives/2012/02/263.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://www.rosianotomo.com/blog-anekdot/archives/2012/02/262.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://www.rosianotomo.com/blog-anekdot/archives/2012/02/261.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://www.rosianotomo.com/blog-anekdot/archives/2012/02/260.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://www.rosianotomo.com/blog-anekdot/archives/2012/02/259.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://www.rosianotomo.com/blog-anekdot/archives/2012/02/258.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://www.rosianotomo.com/blog-anekdot/archives/2012/02/257.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://www.rosianotomo.com/blog-anekdot/archives/2012/01/256.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://www.rosianotomo.com/blog-anekdot/archives/2012/01/255.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://www.rosianotomo.com/blog-anekdot/archives/2012/01/254.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://www.rosianotomo.com/blog-anekdot/archives/2012/01/253.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://www.rosianotomo.com/blog-anekdot/archives/2012/01/252.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://www.rosianotomo.com/blog-anekdot/archives/2012/01/251.html" />
</rdf:Seq>
</items>

</channel>

<item rdf:about="http://www.rosianotomo.com/blog-anekdot/archives/2012/02/265.html">
<title>和文解釈入門　第265回</title>
<link>http://www.rosianotomo.com/blog-anekdot/archives/2012/02/265.html</link>
<description><![CDATA[<p>私が世の中で一番幸せな人だと思うのは、コンビニに入って好きな食べ物をなんでも気にせず買える人である。若いころは安いものでもお腹いっぱい食べることが出来た。今だって身体に特に悪いところはないのだから、コンビニにあるくらいのものなら、お金を気にせずに何でも買って食べようと思えば食べられるが、余計な教養が邪魔をする。その教養と言うのは長年の健康オタクとしての知識である。毎日特に痛いところもなく、不眠症も便秘も下痢もない、それには親に感謝しなければならないが、自分なりの努力もある。そのためには我慢が必要な事を身にしみて感じている。血圧とか中性脂肪、コレステロールとか考えると、コンビニで買えるのは、おにぎり1個か、野菜サラダ、ヨーグルト、野菜ジュースぐらいだろう。そういうことを考えずにコンビニで買い物ができる人がうらやましい。ただ世の中楽ばかりはない。つけは必ず回ってくる。</p>

<p>　健康でいたいのも、毎日痛みのない生活をしたいという理由からである。ロシア語の辞書は重い。目の前にあるもので毎日使うものだけでも、40冊くらいある。ストレッチや早歩きなどの運動を毎日しないと、毎日8時間から10時間は座って読書をすることが多いので、体が持たない。その楽しみのために健康第一なのである。しかもその運動はアスレチックに通うとか有料のは、生まれつきのケチのため駄目で、タダのしか興味がないから選択も楽だ。目的があるからこういうのも苦にならない。今の願いはできるだけ長くボケないで生きて、ポックリ逝くことである。体も歳を取って悪くなるのだろうが、徐々にではなく、いっぺんにガタがくるという方向で頑張ってみたい。</p>

<p>設問）「臭いをかぎわけるのは得意ですか？」をロシア語にせよ。</p>]]></description>
<dc:subject>和文解釈入門</dc:subject>
<dc:creator>SATOH</dc:creator>
<dc:date>2012-02-09T06:48:11+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://www.rosianotomo.com/blog-anekdot/archives/2012/02/264.html">
<title>和文解釈入門　第264回</title>
<link>http://www.rosianotomo.com/blog-anekdot/archives/2012/02/264.html</link>
<description><![CDATA[<p>ロシア語でヴォールворというのは泥棒のことだが、ヴォール・ザコーニェвор в законеは今やロシアアカデミーの最新版露露辞典にも載るくらいロシアでは一般的になった。ヴォール・ザコーニェは口語ではヴォールと略されて使うのが普通で、泥棒と紛らわしいが、ヴォール・ザコーニェはケチな泥棒などはしない。自分でする必要がないからである。その歴史については、「ロシア小話アネクドート」と「ロシアのジョーク集」にゴロツキ（五露助）成金として分けて書いた。ヴォール・ザコーニェ（以下ロシア語の口語通りにヴォールとする）は日本語に訳せば日本の顔役、任侠、侠客、極道、渡世人、無頼という感じだが、犯罪エリートの階層であり、だれでもなれるわけではなく、なるには実績が要るし、二人の推薦人も要る。</p>

<p>　日本人でもソ連時代の収容所を経験した人の中には、ヴォールについて描いている人もいる。「ロシア無頼」（内村剛介、高木書房、1980年）にЧеловек есть?とヴォールが房に来て尋ねる場面がある。直訳すれば「人間はいるか？」だが、человекは隠語でヴォールвор (вор в законе) のことで、урка, уркаган, блатнойともいう。つまりヴォールは自分たち以外を人間と見なしていないから、「仲間はいるか？」と尋ねたわけである。つまりトーシローфраерはヴォールにとってカモでしかないということになる。</p>

<p>　ヴォールは当時40歳を超えて生きるのは稀だとされた。抗争事件で殺されるか、ヤク中になるかどちらかだったのである。ヴォールの残虐さについては「GULAG」, Anne Applebaum, Doubleday, 2003やシャラーモフШаламовの「コルィマー物語Корымске рассказы」でよく語られているが、ソルジェーニーツィンの「収容所列島」にも草創間もないころのヴォールについて描かれている。ちなみにヴォールは1930年代の初めの収容所（場所は特定できないがソローフキСоловкиなど特別収容所の可能性が高い）の中で差し入れなどの関係から、犯罪エリートが自分たちを守るためにできたと考えられている。</p>

<p>　1947年冬クラスノヤールスク収容所に40人の日本人将校が戦犯として移されてきた。この収容所では囚人は森林伐採の作業をさせられていたが、厳寒の候でもあり、ロシア人でもその寒さに耐えるのは大変だったとソルジェニーツィンも書いている。そこには作業拒否者отрицаловкаという筋金入りのヴォールが何人かいた。ヴォールには18条の掟があり、その中に犯罪以外のしのぎ（稼業）はしてはならないという一カ条がある。それを厳格に守れば当局と揉めるわけで、当然相当の覚悟がいる。後になって1980年代から経済マフィアが実権を握るようになると、この掟は無視されるようになった。ヤクザも霞を食っては生きていけないのである。</p>

<p>　このヴォールは入ってきた日本人捕虜を何人か丸裸にして、パンを取り上げた。それに怒った近藤という大佐は二人の将校とともにその夜収容所所長のもとを訪れ、流暢なロシアで、もしこの無法を放置しておくならば、明日日本人二人が切腹をする。それでも無法が止まなければ、切腹を続けると話したところ、所長のエゴーロフは事態の深刻さを即座に理解した。日本人の命を憐れんだのではなく、これが上に知られれば、自分もただでは済まないことに気づいたのである。かといってヴォールを処罰して彼らとももめごとを起こしたくもない。当時イヌ（スーカ、直訳は牝犬）сукаという同じ犯罪者でも、当局と慣れ合い密告者としての役割も果たしていた集団があり、これは明らかにヴォールの掟の中の、当局とはいかなる協力もしない、軍務にも服さないという掟と抵触する。そのためヴォールとスーカの間に当時すでに激しい抗争が始まっていた。ヴォールともめ事を起こせば所長といえども殺される可能性があるわけである。そこで次の二日間日本人を作業に出さず、十分食事を与え、別の収容所に移送した。これはヴォールに勝利した珍しい例としてソルジェーニツィンはほめて書いている。正に日本人の誇りである。</p>

<p>設問）「昨日彼女はなぜかいつもより早目に会社から帰った」をロシア語にせよ。</p>]]></description>
<dc:subject>和文解釈入門</dc:subject>
<dc:creator>SATOH</dc:creator>
<dc:date>2012-02-08T06:18:07+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://www.rosianotomo.com/blog-anekdot/archives/2012/02/263.html">
<title>和文解釈入門　第263回</title>
<link>http://www.rosianotomo.com/blog-anekdot/archives/2012/02/263.html</link>
<description><![CDATA[<p>会話での露文和訳および和文露訳というのには、日本語とロシア語の知識が多いほどよい。どちらかが偏っていると、文字通り偏見のもとになる。これは理屈ではともかく、実際よく分かっていない人が多い。これは二つの言語に同じくらい精通している人が少ないからだろう。しかも言語と文化は切り離すことができないし、文化と言っても本で読んで得られるものと、そうではない大衆文化があるからなおさらである。和文露訳の上達のために、現実的には日常会話ができる程度のロシア人に自分が作ったロシア語を見てもらうという事が多い。そうなるとそのロシア人はほとんどロシア語しか見ない、というか元の日本語が読めたとしても、ロシア語の方に目が行き、そのロシア語だけで判断してしまうということになりがちである。医療や技術関係の表現など万国共通のものはよいが、日本やロシアの文化がからんでくれば、単純な思い込みで、間違いが紛れ込む可能性は大きい。文化だけでなくとも、日本語の時制や単数・複数、それにロシア語の体の用法を完全に理解していないと文のニュアンスが分からないことになる。</p>

<p>設問）「この前血圧を計ってもらったのはいつですか？」をロシア語にせよ。</p>]]></description>
<dc:subject>和文解釈入門</dc:subject>
<dc:creator>SATOH</dc:creator>
<dc:date>2012-02-07T05:44:04+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://www.rosianotomo.com/blog-anekdot/archives/2012/02/262.html">
<title>和文解釈入門　第262回</title>
<link>http://www.rosianotomo.com/blog-anekdot/archives/2012/02/262.html</link>
<description><![CDATA[<p>ロシア人の酒好きは有名だが、ピョートル大帝も引けを取らない。スウェーデンとの海戦などに勝利してから毎年勝利の日を祝うのだが、それ以外にも名の日とか、軍艦の進水式とか祝うようになった。名の日というのはロシア人の名はキリスト教の聖人にちなんでつけることが多く、ミハイル（大天使から）、ソフィヤ（知恵）、ヴェーラ（信仰）、ナジェージュダ（希望）、ピョートル（ペトロから）もそうである。革命前は自分の誕生日より盛大に祝ったものである。</p>

<p>　ピョートルは皇帝だから祝い方も特別で、その日は外国人も招いて朝の4時ぐらいまで飲み続ける。しかも客が帰ろうとしても帰さず、出口には番兵をつけて帰らせないようにしたとある。ピョートルはハンガリーワイン（トカイのようなものだろうか）やアニスウオッカанисовка（これは今でも売っているがうまいとは思えない）が好きで、フランスワインなど飲んでいるのを見つけると、大きな杯に二本分の瓶のいろいろな瓶の酒を入れ（ある外交官はそのうち1本はウオッカだろうと推測している）、つまりチャンポンで飲ませ、寵臣のメーンシコフでさえ、泥酔して倒れ、かいがいしい奥方の看病で何とか息を吹き返したという。ピョートルは客が泥酔するぐらい飲めば、心から客が楽しんだことになりロシアの軍艦建造の成功を喜んでくれるという考えだった。</p>

<p>　彼は何かあると大鷲杯кубок Большого (Великого) орлаという1リットルも入る罰杯を人に飲ませた。中身はハンガリーワイやウオッカで、多くはそれらのチャンポンだった。その1リットルを一気飲みさせるわけである。ドルゴルーキー公（有名な外交官の父）はロシア人にしては珍しく酒の飲めない人だった。1710年に70歳を過ぎて再婚してから4日目のいつもの酒宴で、飲みたくないので幾分かは酒をこっそりこぼして知らんぷりをしていたが、それをピョートルに見つかり、750 ccの酒を一気に飲まされた。彼はその場で倒れ、その1時間後に亡くなったという。ピョートルは大いに悲しんだが、酒が悪いとは考えなかったし、皇帝というのは文字通り臣下の生殺与奪の権利を持っていると心から信じていた。</p>

<p>　同じような話で、クリュイス提督とゾンメル副提督はお互いいい歳をした年寄りだったが、ピョートルの開いた酒宴で飲み過ぎて、二人で殴り合いの喧嘩となり、殴られて倒れたゾンメルの頭からカツラが取れてカツラが行方不明になったという。カツラもピョートルが西欧から取り入れたもので、彼自身はカツラを好きではなかったが、冬の寒い日など礼拝に出席するときに、よくカツラを忘れたピョートルは手近にいる人から自分の頭の大きさに合うかどうかには関係なく、カツラをむしり取って自分の頭にかぶせ、礼拝が終わると相手に丁寧に返したという。彼にとってカツラは寒い時の帽子代わりだったらしい。</p>

<p>設問）「このブツブツ（発疹）は季節的なものですか？」をロシア語にせよ。</p>]]></description>
<dc:subject>和文解釈入門</dc:subject>
<dc:creator>SATOH</dc:creator>
<dc:date>2012-02-06T05:44:08+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://www.rosianotomo.com/blog-anekdot/archives/2012/02/261.html">
<title>和文解釈入門　第261回</title>
<link>http://www.rosianotomo.com/blog-anekdot/archives/2012/02/261.html</link>
<description><![CDATA[<p>「会う」はвстретиться/встречаться с + 造格だが、встретить/встречать + 対格とどう違うのだろう？前者は「予定して会う」の他に、「出くわす」という意味もあるが、後者には「（偶然・突然）見かける」という意味の他に、「出迎える」という意味がある。</p>

<p>　「保つ、もつ」という意味では、Одежда из льна хорошо носится.（亜麻の衣服はよくもつ）とか、Сметана не стоит долго.（サワークリームは長く保たない）などと、носиться（衣服）, стоять（食べ物）が使える。</p>

<p>　弁やバルブのうちклапанはポンプ、コンプレッサー、内燃機関や配管、パイプラインで使われるもので、流量を調節する（開閉も含めて）という意味がある。вентильは配管の開閉のみ（ストップバルブ、止め弁）で、ボンベбаллонなどのバルブはзапорный вентильという。кранはвентильと同義語で、配管の開閉（流路の方向調節という場合もあるが）であり、水道の蛇口водопроводный кранやサマワールの蛇口 кран самовараとしておなじみである。日本語でも蛇口をカランという人がいるが、これはオランダ語から入ったものと聞く。もっとも蛇口のカランというのは風呂でシャワーに切り替えるときに使うものである。золотникは蒸気機関、タービン、空圧機器、油圧自動機器などの作動流体の制御に使われる滑り弁slide valveである。ちなみに人体の弁もклапанといい、обратный ток крови через митральный клапан（僧帽弁からの血液の逆流）などという。клапанにはポケットなどのフラップ（ふた）という意味もあり、конверт с открытым клапаном（ふたの空いてある封筒）と使う。</p>

<p>　鉱山に対応する言葉はいくつかあるが、шахтаは立抗・傾斜抗、地下の有用鉱物採鉱システムの総称で、現在では地下鉄など地下作業の現場も指す。копиはрудникの古名、ないしは露天掘りの鉱山、рудникは鉱山会社、地下の有用鉱物採鉱システムの総称である。приискは貴金属の採掘場所で、золотые прииски（金山）、алмазные прииски（ダイヤモンド鉱山）、платиновые прииски（プラチナ鉱山）、медные прииски（銅山）などと言う。разработкаは有用鉱物の採掘場所を指し、карьерは露天掘り鉱山である。</p>

<p>設問）「寿司を食べるのは初めてですか？」をロシア語にせよ。</p>]]></description>
<dc:subject>和文解釈入門</dc:subject>
<dc:creator>SATOH</dc:creator>
<dc:date>2012-02-05T04:37:32+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://www.rosianotomo.com/blog-anekdot/archives/2012/02/260.html">
<title>和文解釈入門　第260回</title>
<link>http://www.rosianotomo.com/blog-anekdot/archives/2012/02/260.html</link>
<description><![CDATA[<p>会話で日本語からロシア語にするときに、訳がまごつくものの一つとして「可能性（～できる、～できない）」がある。例えば、「ロシア語が話せますか？」をロシア語にすれば、Вы можете говорить по-русски?というよりはВы говорите по-русски?とする方が自然である。これはговритьにобладать способностью речи（会話する能力がある）という意味があるためである。</p>

<p>　さて、Печень не пальпируются.（肝臓が触診できない〔触診で分からない〕）、Кишечные шумы выслушиваются?（腸雑音〔腹部音〕は聴診できますか〔聴診器を当てて聞こえますか〕？）やКишечные шумы не выслушиваются.（腹部音は聴診器で聞こえない）は不完了体動詞現在形なのに不可能の意味が出ている。どうしてだろう？日本語のとロシア語の違いなのだろうか？そこで露露辞典で語義を辿って見ることにした。<br />
　пальпироватьはисследовать больного посредством пальпацииであり、動作の中核はисследовать（調べる）である。この動詞は внимательно осматривать（よく見まわす）ということで、осматривать（見回す）はсмотреть（見る）という動詞から派生している。смотретьは「視線を向ける」направлять взгляд куда-либо; иметь глаза направленными на кого-либо, что-либоであり、視線взглядはнаправленность, устремлённоть глаз в сторону кого-либо, чего-лиго（何かに目を向けること）ということで、その核になる言葉は目という視覚器官である。またвыслушивать（聴診する）の方はもっと簡単に、元になった動詞слушать（聴く）からслух（聴覚）となる。感覚の意味を内在する動詞は当然その感覚の能力があるのが前提という事が分かるはずだ。ゆえに、訳語に可能性が出てくるのも当然となる。</p>

<p>　同様に、Я не понимаю.（分かりません）〔Я не пойму.というのは完了体動詞未来形の否定であるから用法的には文脈によるが不可能か、否定の強調である〕は「理解できない」ということである。「知らない」と言いたければ、Я не знаю.と言えばよい。понять/понимать（理解する）を上記同様露露辞典で辿ってみれば、уяснить себе, уразуметь смысл, сущность（意味や本質を自分に分からせる）ということであり、уяснить（分からせる）はсделать ясным, понятным для себя（自分にとってはっきりと理解するようにする）であり、ясный（はっきりしている、明確である）はхорошо видимый, слышимы, осязаемый, воспринимаемый; отчётливый（よく見える、聞こえる、触れる、感知できる、明確な）と感覚のオンパレードであり、感覚的に分かるいう意味である。つまり「分かる・分からない」というのも、後天的か先天的かは別にして知力ум = познавательная и мыслительная способность человека（人の認識能力や思考能力）という一種の能力であり、これが内在する語彙は訳語に可能性が出てくるのだと思う。<br />
「分かる・分からない」を端的に示したものとして、病院で使われる文例にАртериальное давление не определяется.というのがある。これは一般的にこうだというのではなく、ある患者の血圧に関する所見である。これを「動脈圧は測らない」と訳せば誤訳となる。不完了体現在形に意志の意味はない。だから（動脈圧は測れない〔診断がつかない、分からない〕）と訳さざるを得ない。これの英訳はNo measurable blood pressure.（血圧は測定不可能である）となっていて、英語でも不可能で訳している。определять（～と診断する）はвыяснять посредством измерений, подсчётов, вычислять（測定や計算によって明らかにする、算出する）であり、выяснятьはделать ясным, понятным（明らかに、理解できるようにする）であり、だから過程の意味で使えば、Количество - выясняется.（数量調査中〔明らかにしつつある〕）ということになる。また受け身のвыяснятьсяはстановиться ясным, понятным（明らかになる、理解できるようになる）となる。つまり、この文を無理に言い換えればАртериальное давление не становится (делается) ясным.（動脈圧は明らかにならない）という事になる。ясныйが感覚全てを包含している形容詞であることはすでに述べた。だから、Пульс на сонных и бедренных артериях не определяется.（頚動脈や股動脈で脈が分からない、はっきりしない）とかИнфильтрат в молочной железе определяется чётко.（乳腺の浸潤〔物〕がはっきりと分かる、診断できる）となるわけである。</p>

<p>　結論として言えるのは、露訳をする上で、「～できる、～できない」を何でもかんでもмочьやнельзяをつければよいという事にはならないということである。感覚的な能力や理解力を語義に含む動詞は不完了体現在形だけで可能性や不可能を示すことができるし、その形で使うのがロシア語として自然であるということになる。</p>

<p>設問）医者から患者への問い「便秘（下痢）していますか？」をロシア語にせよ。</p>]]></description>
<dc:subject>和文解釈入門</dc:subject>
<dc:creator>SATOH</dc:creator>
<dc:date>2012-02-04T07:48:28+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://www.rosianotomo.com/blog-anekdot/archives/2012/02/259.html">
<title>和文解釈入門　第259回</title>
<link>http://www.rosianotomo.com/blog-anekdot/archives/2012/02/259.html</link>
<description><![CDATA[<p>設問が難しいと考えて投稿を控える人もいるようだ。いわゆるやさしいと称する問題を作るのもそれほど簡単なことではない。例えば、「赤い花が咲いている」を出題したとする。答えはКрасные цветы цветут.だから、投稿する人数も増えるかもしれない。しかし、この日本語を見れば分かるが、日常会話でこのような文を使うだろうか？ロシア人と話していて、こう言いたければ、目の前の赤い花を指でさせばよい。目の前にこういう花がなくて、いきなりこのような文を言えば気違いと思われるだろう。初心者向けのロシア語作文には基本的な語彙を使う事、不完了体現在形を使うことなどの制約もありそうだが、そうなると出題しようとする日本語の文はまずます現実とかけ離れて行き、人工的な文とならざるを得ない。しかもほとんど実用にならないものである。このような初心者向けの文で少しでも実用性のありそうなものは露文解釈の教科書や参考書にすでにある。</p>

<p>　これまではロシア語作文というと、ある程度文法（それを中級文法と言いたければそれでもよいが）を終えた後は基本的に丸暗記する以外に道はなかったように思う。二十歳を越えたいい大人に対して、丸暗記しか残されていないというのはおかしい話で、自分で丸暗記のみの道を選ぶというなら別だが、普通は他にやりかたがあるのではないかと思うはずだ。ロシア語で会話したいなら、会話用に全てを丸暗記するのではなく、文法の助けを借りてその暗記の負担を少しでも減らすべきだというのが私のロシア語学習法の基本的な考え方である。だから設問は実戦で使え、かつ応用力があるものをできるだけ出題するようにして、難問とかひっかけるような問題を意識的に出すつもりはない。第257回の設問も時制的には不完了体現在形であり、反復という用法で分かりやすいものだが、ガイドをしていれば絶対に覚えておかなければならない語結合である。ロシア人と温泉に同行した時、薬、食べ物など広く使えるだろうと思い、出題している。</p>

<p>　全ての出題が個々の投稿者にとって必要なものだとは思わないし、特定の個人に対してではないので、的を絞った出題が出来ないのは事実ではある。これによって自分のロシア語の具体的な弱点を見つけ、今後の勉強の方向性を見定め、それに資するものがあればよいと思う。出題については、成功しているかどうかは別にして、出題の意図というのはある。これがなくして、ただ興味本位に出題するとするなら、あるいはそういうものがなくなったのなら出題を続ける意味はない。</p>

<p>設問）「狼に出くわせば人命にかかわる」をロシア語にせよ。</p>]]></description>
<dc:subject>和文解釈入門</dc:subject>
<dc:creator>SATOH</dc:creator>
<dc:date>2012-02-03T07:09:17+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://www.rosianotomo.com/blog-anekdot/archives/2012/02/258.html">
<title>和文解釈入門　第258回</title>
<link>http://www.rosianotomo.com/blog-anekdot/archives/2012/02/258.html</link>
<description><![CDATA[<p>胃石безоар желудкаは胃から出ることが出来ない部分的に消化された物質、ないしは未消化の物質が密集したもの（胃石症）、またはアザラシ、アシカ、ワニ、草食性の鳥類が歯の代わりに胃で食べ物をすりつぶすために用いられる結石またはそのために飲み込む自然の石である。結石のほうで昔から価値があるとされるのには、漢方では牛黄、熊の胆があるが、ヨーロッパでは馬糞石безоар, безуйが有名である。これは馬の腸内結石（炭酸カルシウム、リン酸マグネシウム）で解毒、解熱剤であり、別名ペトラ・べゾアール、ヘーサラ・バサラ、鮓答（さくとう）という。ロシア史の専門家ザベーリン（1820～1908）の「ロシア皇后の家庭習俗Домашний быт русских цариц в 16 – 17 столетиях, Иван Забелин, Языки русской культуры, 2001の本文の注にこの馬糞石について書いてあるので、それを参考にこの石とロシアのかかわりについて書いて見る。</p>

<p>　中世にはこの石は全ての毒や病気に薬効があると考えられ、東方由来とされた。ロシアで翻訳された医学書によれば、この石は東インドよりもたらされ、色は灰色で、黒いのもあり、小さい。この石は海岸で見つかり、シカの心臓で生まれるが、蛇の胆汁中という説もあるが、いずれにせよ、この石は悪人の呪いに打ち勝つ最も強い薬である。賢者セラピオンは大麦12粒ぐらいの重さのを挽いたものを温めたラインワイン（白ワインであろう）とフランスの白ワインと共に服用し、ベッドでくるまり、汗をかけば効果絶大であると述べている。疫病のときも服用するか、持ち歩くと効能がある。指輪の中に入れて持ち歩けば、呪いを感じることが出来るし、感じたらすぐ服用すれば呪い除けとなる。</p>

<p>　1616年3月21日ツァーリ（ミハイル・フョードロヴィッチ）の最初の妃候補としてマリヤ・フローポヴァが選ばれた時に、国庫でヤロスラヴーリの人ナザーリー・チストーフから215ルーブルで3個の馬糞石を買い上げたと記述がある。これは多分解毒剤としてであろう。彼女は間もなく病死したが、症状から見て大貴族サルトィコーフに毒殺されたという噂がある。石の効き目はなかったようだが、他に代わるものがないのだからしかたがない。王妃候補の毒殺というのは珍しいことではないし、王妃になってからも毒殺の危険はあった。イワン雷帝の最初の妻も大貴族に毒殺されたと少なくとも雷帝は信じていた節がある。ロシア正教内の改革により旧教徒との対立の原因を作ったニーコン総主教も流刑された時には、毒殺を恐れ、神の恩寵により馬糞石のおかげで生きながらえているという手紙を残している。</p>

<p>　1625年に今のカザフ領にいたアッバース・シャーが金、エメラルド、ルビーに包まれた馬糞石30グラムを法会用に時のツァーリに贈ったとあるし、1626年にはカザンの人イストミーンから75グラムを国が購入とあり、1676年3月7日にも馬糞石の入った杯を用意せよという記述がある。<br />
　クルーキンとブルィチェフの共著「イワン雷帝のオプリーチニキの日常生活」に、雷帝が二番目の妃が非常に疑わしい死を遂げた後、再婚するために1570年に花嫁選びの全国美人コンテストを行い、全国から選りすぐりの美人2000人を当時彼の宮廷があったアレクサンドローフスカヤ・スロボダーに集めた。まず着飾った姿を２、3名の腹心と共に雷帝が見て、話をし、気に入らなかった女性は彼のなぐさみものになり、輩下に払い下げられ結婚させられた。あるいは無慈悲に宮廷から追い立てられたりもした。結局24名が残り、それが12名となり、1571年6月26日自分の妃と息子のイワンの妃として選ぶために、医師の立ち会いの下、彼女らを素っ裸にして調べた。結局雷帝はワシーリー・ソバーキン（コロムナの地主）の娘マールファを妃として選んだ。これは雷帝の寵臣マリュータ・スクラートフの進言によるものとされている。ところがマールファは突如病みつき、2週間後他界してしまった。マールファは毒殺されたという風評が当時もあり、ロマノフ家かチェルカースキー家の手によるものだという。雷帝は少しがっかりしたが、すぐ大貴族の娘エウドーキア・サブーロヴァと10月28日に挙式した。このように解毒剤の需要は切なるものがあったのである。</p>

<p>設問）「大きさではミラノのスカラ座に次ぐ大きい新しい建物が1824年建設された。それゆえ、劇場はボリショイと呼ばれるようになった」をロシア語にせよ。</p>]]></description>
<dc:subject>和文解釈入門</dc:subject>
<dc:creator>SATOH</dc:creator>
<dc:date>2012-02-02T06:21:36+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://www.rosianotomo.com/blog-anekdot/archives/2012/02/257.html">
<title>和文解釈入門　第257回</title>
<link>http://www.rosianotomo.com/blog-anekdot/archives/2012/02/257.html</link>
<description><![CDATA[<p>前回の出題は二重否定と部分否定の組み合わせで、「なくはない」というのは「ある」ではなく、「あるかもしれないし、ないかもしれない」という八方美人的な表現法であり、経営トップや政治家の通訳をするときに、覚えておかなければならない必須の表現法である。このほかに「前向きに対処します」があるが、これをМы отнесёмся к этому положительно (позитивно).と訳すと、ロシア人は文字通り、何かしてくれると取る。昔は日本人の庶民もそう理解したが、今ではこれはМы принимаем это к сведению.（承っておく、話だけ聞いておく、フンフン）という意味であることは分かっているので、そのように訳さないと誤解を招く。ただまれにビジネスマンで文字通りにこういう腹芸を理解せずに、そのままの意味で使う人もいるので、通訳途中で、「ほんとにやるつもりですか」と聞くわけにもいかず（私はどちらかよく分からなかったことがあり、何度か尋ねたことがある）、通訳泣かせというか、人を見る目が問われる表現でもある。</p>

<p>　色はцветだが、自然界で「色が変わる」はменять окраскуとокраскаを使う。色合い、色の組み合わせという意味で、毛皮、羽根、花など自然界の色は単色という事はあり得ず、こういう微妙な色をокраскаと表現するのである。詩はстихиだが、стихотворениеは歌謡曲の歌詞のように短いものを言い、поэмаは叙事詩である。<br />
裁判での告訴や告発はобвинениеだが、比ゆ的な意味で用いるときはобличение царизма（帝政の告発）などとする。<br />
妖精はфеяだが、神話によってもいろいろある。гном地の精、дриады森の精、наяды泉や川の精、саламандра火の精、сильф空気の精、ундины水の精、нереиды海の精などである。</p>

<p>設問）「サウナは風邪にも筋肉痛にも関節痛にも効く」をロシア語にせよ。</p>]]></description>
<dc:subject>和文解釈入門</dc:subject>
<dc:creator>SATOH</dc:creator>
<dc:date>2012-02-01T08:56:36+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://www.rosianotomo.com/blog-anekdot/archives/2012/01/256.html">
<title>和文解釈入門　第256回</title>
<link>http://www.rosianotomo.com/blog-anekdot/archives/2012/01/256.html</link>
<description><![CDATA[<p>モルタルというのはセメントと砂とを水で練ったもので、レンガ積みのつなぎ（目地шов）、壁・天井・床に使うのだが、ロシア語では(строительный, цементный) растворという。ただрастворというのはふつう溶液ということで液体である。一度モルタルを塗った壁の説明をしていた時に、ロシア人の女性からさとうさんの通訳はおかしい。これがрастворのはずがない。なぜなら乾いているからと言われてギャフンとなった。無論そのロシア人の言う事が間違いだが、そういう発想ができなかった自分にも驚いた。растворと聞けば、壁ならモルタル、化学分野なら溶液と条件反射のように訳が口をついて出てくる。語彙というのは自動翻訳機のようにロシア語から日本語、日本語からロシア語が瞬間的に出るようにこの40年訓練してきたが、それではロボット志願ではないか。いずれ自動翻訳機もできてくるだろうから、機械と張り合っても勝てる道理がない。ロシア語も挨拶や技術などの専門語彙のように、訳が決まっているものだけを覚えるのではなく、ロシア語やロシア人の本質に目を向けるというか、そういう勉強をしたいものだと思う。私はそれが体の用法だと思うし、不完了体が自然体を表すというのも、ロシア人の本質に関わるのではないかという気がする。</p>

<p>　モルタルについていえば、ソルジェニーツィンの収容所列島にНосили раствор на 4-й этаж носилками.（モルタルを４階にもっこで運んでいた）という表現を見つけたのはつい最近のことである。</p>

<p>設問）「彼が来ないとも限らない」をロシア語にせよ。</p>]]></description>
<dc:subject>和文解釈入門</dc:subject>
<dc:creator>SATOH</dc:creator>
<dc:date>2012-01-31T07:21:50+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://www.rosianotomo.com/blog-anekdot/archives/2012/01/255.html">
<title>和文解釈入門　第255回</title>
<link>http://www.rosianotomo.com/blog-anekdot/archives/2012/01/255.html</link>
<description><![CDATA[<p>大昔受けたガイド試験で一番いやだったのはロシア語作文である。もっとも大学で故岡本正巳先生（元高崎経済大学学長）のロシア語作文という講義を2年受けていたので、他の受験者に比べれば楽だったろうと思う。先生の授業では朝日新聞の天声人語を学生に一人2～3行露訳させるのである。無論正答はほとんどないが、学生の回答を基に先生が正解を講義してくれたわけである。このような授業の進め方は和文露訳の授業が確立していなかった当時（今それが確立しているのかどうか知らないが）やむを得なかったとはいえ、系統的と呼べるものではなかった。まあ行き当たりばったりと言ってもよい。当然予習していたと思うが、時事ロシア語なのにすらすらと先生が正解を黒板に書いていくのには毎度驚かされたものだった。しかし、ロシア語作文やロシア語会話の度胸はつくかもしれないが、あのようなやり方ではロシア語はうまくはならないだろうと思う。ロシア語の何を学習させるかに焦点があっていないというか、焦点自体がないのだからどうしようもない。</p>

<p>　40年ロシア語をやってきて、単語や表現を暗記しなければならないのは事実だが、それは枝葉に過ぎないと思う。それを目標に置くのであればきりがない。また英語式にSVOというように、主語 + 述語 + 目的語というふうに文を分析的に勉強させるというのを体系的と考えるかもしれないが、そういう文例は露文解釈の段階でたくさん学ぶのである。ロシア語と日本語は言語としてかけ離れているが、それでも主語、目的語、他動詞などはあてはめることができる。このように日本語でも理解できることに時間を費やすのは、それこそ時間の無断である。</p>

<p>　ロシア人と多く会話すれば、必ずしも劇的にロシア語がよくなるというわけでもない。単なる錯覚である。インプットがなくてアウトプットだけでは会話慣れするだけで、挨拶言葉から先に進めない。会話している気がするだけで、話しているのはロシア人だけで、聞く方はフンフンとうなずいている割には言っていることがよく分かっていないということになりかねない。語彙だけ覚えても、たんにロシア人と会話してもロシア語がうまくなるわけではないし、それだけでロシア語がうまくなる魔法のようなものはないが、そういう枝葉より幹である。つまり日本人がロシア語をやる上で文法的に最も理解しにくいものを先にマスターすればよい。そうすれば後は機械的に語彙を覚えればよい。私はそれを体の用法と考えた。これをマスターすれば、ロシア語の発想がロシア人の話すロシア語に近くなるし、話すロシア語はロシア人からもそれほど違和感をもたれなくなるはずだ。これまで文法的になぜそうなるか素人考えでは理解できず、文を丸ごと無理やり暗記してきたが、それを何万と続けるわけにはいかないだろう。40年ぐらいやればひょっとしたら可能かもしれないが、何十万とは言わないまでも辞書にある十万かそこらの語彙を暗記しないと満足できないということになりはしないか。それと覚えた例文以外は怖くて使えないという事にもなりかねない。ロシアを勉強するのは個人だから私の勉強法を押し付けるつもりもないし、押しつけること自体不可能である。少しでもよいと思えば、その少しを試して見るのも悪くないかもしれない。</p>

<p>設問）「その湖は植物相や動物相の多様性において類をみない」をロシア語にせよ。</p>]]></description>
<dc:subject>和文解釈入門</dc:subject>
<dc:creator>SATOH</dc:creator>
<dc:date>2012-01-30T07:27:40+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://www.rosianotomo.com/blog-anekdot/archives/2012/01/254.html">
<title>和文解釈入門　第254回</title>
<link>http://www.rosianotomo.com/blog-anekdot/archives/2012/01/254.html</link>
<description><![CDATA[<p>軸にはосьとвалがあるが、осьは車輪が保持される軸、ないしは座標軸координатная ось, ось координат、対称軸ось симметрииや重心центр тяжестиが通るような想像上の直線のことをいい、валはベアリング（軸受）подшипникなどの中にあって動きを伝える軸、つまりシャフトである。普通の日本人の知らない言葉に中実軸（ちゅうじつじく）というのがある。これは中空ではない軸ということでсплошной валといい、中空軸はполый валとなる。またсплошной контрольというのは全数検査という意味で、抜き取り検査はвыборочный контрольとなる。過失はпроступокが普通だが、ちょっとした過失ならпровинностьを用いる。грехи, прегрешения（共に複数形が普通）は現代語では皮肉や冗談っぽく用いられる。</p>

<p>　寿命は人の場合продолжительность жизниだが、機械ならресурс (моторесурс), срок службыといい、前者は修理するまでの時間（何時間количество отработанных часов）や回転数で表し、後者は～年とするのが普通である。また工具やベアリングではдолговечность（工具ではстойкость инструментаともいう）を使う。中性子などの寿命はвремя жизниで、バッテリーはАккумуляторная батарея рассчитана на 10-часовой разряд.（バッテリーの放電時間は10時間と計算〔バッテリーの寿命は10時間と計算〕）などという。バネはコイルばねがпружинаで板ばねはрессораと書いたことがあるが、厳密に言えば、板ばねには単板ばねплоская пружина (пластинчатая пружина изгиба) と重ね板ばね рессора (пластинчатая многослойная пружина изгиба) があり、自動車ではコイルばねと共に使われるのは後者である。<br />
遺跡にはостаткиとстоянкаがあるが、後者は原始人の住居跡である。「生の」は魚ならсырая рыба（生の魚）となるが、野菜ならсвежая капуста（生のキャベツ）となる。行動はдействиеだが、抗議行動、示威行動はвыступленияと複数になる。картофельное пюреはマッシュポテトと訳してよいが、ポテトピューレではないような気がする。片栗粉をкрахмал, картофельная мукаと訳してよいかというと、市販の片栗粉はほとんどがジャガイモの澱粉なので問題ない。</p>

<p>設問）「誰から聞いたとは言わないからさ、知りたいんだ」をロシア語にせよ。</p>]]></description>
<dc:subject>和文解釈入門</dc:subject>
<dc:creator>SATOH</dc:creator>
<dc:date>2012-01-29T06:43:52+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://www.rosianotomo.com/blog-anekdot/archives/2012/01/253.html">
<title>和文解釈入門　第253回</title>
<link>http://www.rosianotomo.com/blog-anekdot/archives/2012/01/253.html</link>
<description><![CDATA[<p>サン・テグジュペリの原作「夜間飛行Ночной полёт」を1936年レイモン・ベルナール監督が映画化した「夜の空を行く」というのがある。この題名を聞いてすぐ露訳するとすればどうなるだろう。「空を行く」の主語は一人称だろうが（主語がない以上、二人称だって、三人称だってありうるが、一応日本語の特性を考えると）、単数か複数か？ままよ、一人称単数にしておこう。空を行くというのだから、これは飛ぶということだろう。しかも飛びまわっているとは書いていないし、毎日とか繰り返しでもなさそうだ。となると定まった一方向への運動だから現在形の定動詞を使う事になる。「空を」だから空を移動しているわけで、その場所にいるわけではない。そうであればпо небуである。となるとЯ лечу по небуである。「夜の」は真夜中か、それとも午後5時ごろから午後10時ごろまでだろうか？夜か夜中かによってЯ лечу по ночному (вечернему) небу.と訳せる。「夜の空を行く」の訳者がどういう意味でこう日本語に訳したのか知らないが、私の解釈は「私は夜（乃至は夜中の）空を飛ぶ予定だ（ないしは「飛んでいるところだ」）である。いきなりの同時通訳が無理だというのを説明したくて、この駄文を草した次第である。</p>

<p>　一瞬でこれを露訳するときは、このようにいくつかの可能性からその時点で通訳が一番可能性が高いと思われるものを訳しているのである。事前に通訳に説明なしに訳せというのは、常に誤訳の可能性をはらんでいるのであり、結局のところ雇い主にとって損になるという事を知ってもらいたいがためでもある。ただ何かあったら、安易に全て通訳が悪いとすればいいのだろうが、通訳の現場は通訳の技能大会をしているわけではないはずで、いい結果を残すために、それがひいては雇う側の利益にもなるという事を雇う側の担当者も是非考えてほしいものだ。事前に資料か、具体的な背景を少し説明するだけでも通訳の精度はグーンと上がるのは間違いない。そういうのがなければなしで通訳にベストを尽くすだけである。</p>

<p>　技術通訳をしていた時に、ロシアのメーカーの会社案内のDVDをいきなり同時通訳してくださいとその場で言われたことがある。むろん断った。言った人はかなりロシア語ができる人だったが、自分ではできなくとも技術通訳をするプロなら、技術関係のプレゼン資料など同時通訳ができると思いこんでいたようである。断ったら嫌な顔というよりは非常にびっくりした顔をした。多分まともな技術通訳に頼めば良かったと臍をかんだのかもしれない。こういうロシアを話す人ですら同時通訳をどうやるのか知らないのである。どんな同時通訳だって、やるからにはやる内容についての資料を事前にもらい、出てくる可能性のある単語や表現を暗記しておくはずだ。この場合も、事前に少なくとも1回はDVDを見せ、そのロシアの会社のロシア語の会社案内を渡すというような配慮をすれば、同時通訳は無理でもwhisperingぐらいは可能だったかもしれない。あとでDVDを見たら、そのロシアのメーカーの製造ラインのみならず、独自のキャンペーンが早口のロシア語で全編を貫いていた。通訳はスーパーマンでもなんでもないのである。いきなり言われてアネクドートや聞いたことのない技術や新説珍説の同時通訳ができるはずがない。できたとしたら単にまぐれかラッキーである。ロシア語の修行はただたんに地道な努力の積み重ねにすぎないのである。</p>

<p>設問）「転んだのですか、それともぶつけたのですか？」をロシア語にせよ。</p>]]></description>
<dc:subject>和文解釈入門</dc:subject>
<dc:creator>SATOH</dc:creator>
<dc:date>2012-01-28T07:33:00+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://www.rosianotomo.com/blog-anekdot/archives/2012/01/252.html">
<title>和文解釈入門　第252回</title>
<link>http://www.rosianotomo.com/blog-anekdot/archives/2012/01/252.html</link>
<description><![CDATA[<p>本物の山ではなくて、比ゆ的な「～の山」はいくつか訳せるが、грудаはгруды дынь и арбузов（メロンとスイカの山）などといい、в беспорядке（整頓されていない）というニュアンスがある。штабельはВо многих местах по всему кладбищу стояли штабеля гробов.（多くの場所で棺の山が林立していた）とかСкладирование проводится в штабели.（保管は山に積んで行われる）のように、保管場所で円錐形に積み上げる鉱石、砂利などを指す。валили их в штабеля（山と積み上げた）とか、Штабелями лежали пустые бочонки из-под рыбы.（山となっているのは魚用の空き樽だった）という。</p>

<p>　столбは同じ大きさのものを積み重ねた山で、столб блюдечек（皿の山）という。軽いものの山はворохを使い、ворох словесного мусора（文学のクズの山）とかвороха новых книг（新しい本の山）という。стопаもノートなどの同じ大きさの山をいい、стопа душистого хлеба（馥郁たる香りのパンの山）となり、сложенные стопочкой（山に積み重ねられた）などと使う。бунтは袋物や資材を積み上げた山で、бунты свитых здесь канатов（ここで撚ったロープの山）という。使用に制限がなさそうなのは、кучаやгораで、кучаはкучи дел（仕事の山）とか、мусорная куча, куча мусора（ゴミの山）と使う。гораはгора оружия（武器の山）、гора винтовок（ライフルの山）とか、Поедали горы блинов.（クレープの山を食いつくした）、гора трупов（死体の山）、горы бумаги（紙の山）、горка с фарфоровой и серебряной посудой（陶器と銀の食器の山）、горка пепла（灰の山）、горка оливок（オリーブの山）という。</p>

<p>設問）「マラリアは何千人もの命を奪った」をロシア語にせよ。</p>]]></description>
<dc:subject>和文解釈入門</dc:subject>
<dc:creator>SATOH</dc:creator>
<dc:date>2012-01-27T05:54:07+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://www.rosianotomo.com/blog-anekdot/archives/2012/01/251.html">
<title>和文解釈入門　第251回</title>
<link>http://www.rosianotomo.com/blog-anekdot/archives/2012/01/251.html</link>
<description><![CDATA[<p>何が楽と言って、通訳の通訳をするのが一番楽である。ロシア語のできる人に対してロシア語で通訳することはないが、英語がかなりできる人や観光などで英語の通訳やガイドの話す日本語をロシア語にすることはある。こういう人たちは外国語慣れをしているので、短く、論理的かつ平明な日本語を話してくれるからこれをロシア語にするのは非常に簡単だが、普通の人相手ではそうはいかない。日本人同士だからといっても、発想がとびとびだったり、論旨がメチャクチャで何を言っているのかさっぱり分からないというのもままある。考えて話しているとはとても思えないし、できることなら頭の中を覗いて見たいものだと思う事もある。この方が下手なゲームよりよほど面白いだろう。特に話し慣れていない人とかおしゃべりな人にこの傾向が強い。言わんとすることを訳すのは一言で済むのだが、そうしてしまうとご機嫌を損ねてしまう。なぜ全部訳さないのかということらしい。まさか全部訳せばますますこんがらがるとは言えないので、適当にロシア人が理解できるだろう限界まで話を長引かせ、かつ要点を最後の一言で終えるようにする。例えば、いろいろ申し上げましたが、要は～ということなのですという高等（口頭）テクニックを使わざるを得ない。意味を理解してほしいのか、話の流れのままに、ただ単語の羅列だけすればいいのか悩むところだ。特に下手なダジャレや仲間内のばれ話しをされた日には泣きたくなる。これでロシア人が笑わないと、後であの通訳には高等小話は無理だったなとか陰口をきかれることになる。</p>

<p>　そうではなくてロシア人でも日本人でも非常に頭が切れて、意識的に話をはぐらかそうという人もいる。話の尻尾をつかまれたくないか、結論をあいまいなままにしておきたい場合だ。そういう場合はそのような通訳をせざるを得ない。これは文法的には正しいロシア語で、かつ何を言わんとするのか話を曖昧にするという非常に高等テクニックを要するもので、分かるようで分からないが、文法的には正しいし、言わんとするところらしきものはその通り通訳し、通訳の尻尾もつかませないというもので事実上不可能である。大概はロシア人側からあのときは通訳が下手だったからよく分からなかったの一言で終わる。ロシア人は人にもよるが、たいていは結論がすぐ出せないときはそういう。ところが日本人は、切口上というのを嫌うのでぼかして話をしたがる。無論自分の直接の利害がからむときは、非常に明快になるのは日本人ビジネスマンも同じである。ただよほど頭の悪い人以外は。</p>

<p>設問）「絆創膏をはがさないよう気をつけてください」をロシア語にせよ。</p>]]></description>
<dc:subject>和文解釈入門</dc:subject>
<dc:creator>SATOH</dc:creator>
<dc:date>2012-01-26T06:35:49+09:00</dc:date>
</item>


</rdf:RDF>
