2005年07月30日

●化笑品 (3) 髪型

髪型はというと、ロシアの女性の髪型で面白いのは、1770年代髪を高く結い上げる髪型が流行ったことである。脂身салоで固め、小麦粉をふりかけ、鉄のピンを突き刺し、まるでリボン、花、羽根から成る一大建造物であった。名称も「ミネルバの角兜 шишак Минервинあるいは竜騎兵風 по-драгунски」、「豊饒の角 Рог изобилия」、「Пчелиный улейミツバチの巣箱」などがり、あまり高く作りすぎて天井のシャンデリア(当時は当然ロウソクだった)にあたって燃え広がりその貴婦人の髪型は全焼したという話もある。この当時の髪型はМ.И. Пыляев のСтарый Петербург(古きペテルブルグ), СП «ИКПА»,1990 (1889年版のリプリント)の終わりの方に流行に関する章があり絵がいくつか載っているのでどんなのかが分かる。たとえば1779年ロシアの流行と題した絵には頭の上に帆船の模型を載せた Убор а-ля-бельпуль貴婦人の絵もあるし、髪型が身長の1/3を占める貴婦人の絵もある。
さてソ連時代はといえば、日本ではあまり知られていないようなので少し書いてみる。戦後兵士がヨーロッパの戦場から戻り、レコードや自分の目で見た外国などからソ連が言われるほどユートピアではないことに気がついたこととあいまって、その後、モスクワの庶民にとって一大文化ショックといった出来事が起こった。それは1957年7月28日から8月11日までモスクワで行われた第6回全世界若人と学生フェスティバルである。これは1947年にプラハで行われた平和と友好をテーマにした祭典が、引き続いて東欧諸国で行われるようになったものである。世界の若者の間でゼミ討論の他に、美術的な催し物やスポーツの祭典であった。世界131カ国から34000人が参加したという。外国人の宿泊したホテルでフランス語のヴォーグ誌を入手したモスクワの雑誌の誤訳(いくつもの用語の間違いだけでなく、髪型名そのものもяблочкаだったという)から、1957年にкорзиночкаコルジーノチカ(2本のお下げを後ろにまとめたものらしい)という髪型がモスクワ中で大流行し、地方にも広がっていった。それまで女性は長髪(お下げも含めて)というのが一般的で、短髪(あるいは短髪に見せる)が流行るきっかけとなった。余談だが日本でも少し前(1952~54年)NHKラジオの「君の名は」で、ショールを首に巻く真知子巻がはやった(放送時間女湯が空になったという)。60年代にはБабетта идет на войну(1959年ブリジットバルドー主演の同名の映画から)というвысоко взбитая прическа(高く膨らませた髪型)が流行り、その後1980年代にはパンクпанкиの一派で今のготыのご先祖様が「взрыв на макаронной фабрикеマカロニ工場での爆発(髪をめちゃくちゃに突っ立てる волосы ставятся торчком в хаотическом беспорядке)」という髪型を編み出したらしい。この他に朝起きぬけなど髪型が乱れたものを「я упала с самосвала (сеновала), тормозила головой私ダンプ(干草置き場)から落っこって頭でブレーキかけたのよ」とか「я у мамы дурочка私ってママのお馬鹿さん」と言ったと言う。Корзиночкаも含め説明は説明として実際どんなものだったか、写真でも絵でも見たことはない。読者の方で写真か絵をお持ちの方はメールで送付していただければ非常に有難い。男の方は ирокезы (モヒカン刈)ぐらいであろう。

Posted by SATOH at 2005年07月30日 12:05
トラックバックURL

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.rosianotomo.com/mt/mt-tb.cgi/217

コメント
コメントしてください




保存しますか?