2005年07月12日

●ロシアマフィアとВор в законе (законник, вор)(第6回)

1967年~69年にТрегубов, Соколов, Амбарцумянというторговая мафия (= цеховикиのトップ) がブレジネフの娘という強力な後ろ盾を武器に闇市ビジネスに進出する。彼らはヤクザではないがヤクザの庇護をも得ていた。ヤクザのシノギと言えばこれまでは麻薬、売春、密輸だけだったが、これに闇市ビジネスのみかじめ料が加わることになる。この時期のヤクザはворの伝統を守るбосяки (Слава Японичикが代表で民族を問わない)、闇のビジネスに進出した2派(正業につかないという掟と抵触することになる)、лаврушники (= пиковые カフカス系民族でГиви Резаныйなど)、славяне (Дедушка российского рэкетаと言われたТолик Черкас やАнтибиотикなどのロシア人など)の3派で争い、босякиとの間で摩擦が増え(例えばВася ОчкоとЦирульの抗争)、掟自体も修正を余儀なくされてきた。босяки派は1986年にВася Бриллиантの獄内での変死などにより勢力を削がれると共に、自らもビジネスの方に宗旨替えをするようになっていった。Ворと闇の企業家、官僚の癒着が大きな問題となり、アンドローポフのКГБが大掛かりな摘発を1980年代初めに行ったが、一時的に終息したものの、1980年代末には大きな暴力団が力をもつようになった。第5期はБеспредел (仁義なき戦い)で、主役は пиковые (主にчеченцы)とславянеの間での政治的な駆け引きも含めて利権争いが1988年後半から1989年に起こり、モスクワ、レニングラードなど大都市を中心に犯罪社会の再編成が起こった。この契機となったのは1985年のЗакон о кооперацииの制定である。これによりそれまでは闇のビジネスだったのが、おおっぴらに協同組合として合法的なビジネスとなった。それに党官僚やворが関与し、ビジネスマンの誘拐、暗殺を招くことになった。この大量殺戮は1998年ごろまで続き、現在は一段落ついたのか比較的平穏である。Общакや掟に縛られるのが嫌でворにならないавторитетыも増えている。

Posted by ruspie at 2005年07月12日 06:36
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