めるのロシア日記 調子悪くてあたりまえ

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2004年8月1日(日) トルコの真実

曇り後雨。 21:50の外気温22℃、室内26℃、湿度72%

今日から8月なんですね、舞妓の花簪も今日からススキ。
夏の着物姿というものは格別な趣がありますねえ・・・ロシアで言ってもむなしいです・・。

は〜〜ゆうべは痒かったです〜〜
朝方まで眠れなかったので今日は昼近くまで寝こけていました。
昼過ぎに両親がきてバーチャンちで採って来たベリーとジャムを置いていってくれました。
あーマリーナ(ラズベリー・木苺)が最後の収穫になったかな・・・

マリーナはその辺の森に行ったらたくさんあります。
栽培種より小粒で種も大きく甘みも少ないですが、ルビーのパヴェの指輪のような美しさで
見るだけでも楽しいですけど熟していれば摘む価値も十分あります。
でも、
「マリーナの近くには黒い蛇がいるから気をつけて」 と言われてからこわくて気軽に近づけません。
「やさしくて毒のない蛇だからこわくないヨ」 と言われても、お目にかかったら
ちょっとびっくりしますもんねえ。
それに、
「クマちゃんはマリーナが好きだからクマちゃんも出る」 と言われたら、
いくら「クマちゃん」でもかなりこわいです。(ちなみにこの辺の熊はツキノワグマ)

「野生のマリーナにはアルコールがあると言われていてクマちゃんは食べだしたら酔っ払って
気持ちいいからますます食べたくなるのでマリーナを食べ始めると一生懸命探す」
そうですがほんとうでしょうかねぇ〜〜
確かにマリーナを買ってうっかりそのまま一日くらい置いておくとすぐ発酵を始めてしまいます。
よく熟していたらクマちゃんも夢中になってしまうかもしれませんね。

さて両親が置いていってくれたマリーナはあっという間にオッサンが全部食べてしまったので
発酵の心配はなくなりました。

△  △  △  △  △

8月になったのでいいかげんホンマに休暇をどうするか決めんとあかんやろ、というので
二人で旅行社のHPをいろいろ見ていました。

ビザが不要か簡単で、暖かくてきれいな海があり、異国情緒が満喫できて、お値段も手頃といえば
メジャーなところはトルコ、エジプト、ギリシア、チュニジアなんかです。
ロシアでトルコといえばアンタルヤ(海)、エジプトといえばシャルム・エル・シェイク(海)、
チュニジアといえばスース周辺(海)、ギリシアといえばハルキディキ(毛皮買いツアー)かクレタ(海)です。
それどこ?って感じです。
クレタ島はまあ日本でも有名ですがあとはこっちにくるまでぜんぜん知らない名前でした。
日本人とは目的が違うんですね〜ですから目的地も当然違います。
どこも4ツ星・5ツ星ホテル食事つき、一週間から10日の滞在航空券込みで500ドル
くらいでも十分。
モスクワから飛行機で3時間前後ですからそういうときモスクワってヨーロッパなんだあと感じますねえ。

とりあえずトルコを見ていたらホテルごとに宿泊経験者からの投稿が載っているサイトがありました。
みんな言いたいほうだいめちゃめちゃ書いていてこんなんええんかい?です。
おもしろかったのは、4ツ星ホテルの感想はほとんど「よかった」というものばかりなのに、
5ツ星ホテルのそれはほとんどボロクソに書いてあるものばかりだったことです。
そんなら4ツ星で十分ちゃうん?と思ってしまうのがシロウトの浅はかさ。←私です。
ロシアでは「トルコに行くなら5ツ星」といわれているんですねぇ〜〜
オッサンによれば、
「5ツ星ホテルに泊まらないとひどい目にあう」らしいです。
どんなめにあうんでしょうねえー
こわいですねー
投稿を一件引用しときます。
「私の投稿をみてこのホテルにいいところがまったくないと思うのは早合点だ。
砂漠への一泊ツアーに行ったときに泊まった3ツ星ホテルの経験は、
私の5ツ星ホテルに対する不満を払拭した」
ますますこわいじゃないですか。

まあ、ですから4ツ星のお客は(期待してなかったけど)案外よかったという「よかった」感想ばかりで、
5ツ星のお客は(期待していたのに)なんじゃこりゃ!という感想ばかりになるわけですから
はっきりいってどっちも当てになりません。
それじゃ見る意味がないのでは?ですって?
いいんです、おもしろいから。

二人ともこれはいいんじゃないか、と思うホテルが出てきました。
でも感想が一件しかありません。
ホテルの設備や海や周辺のことを淡々と書いてありますが最後に、
「今日トルコ滞在最後の日です、明日モスクワに帰ったら真実を書きます」

・・・・・やっぱ考えなおしまショ。


<本日の夕ご飯>
シマーの野菜甘辛ソースかけ、トマトのバジルソース和え、ポテトサラダ

2004年8月2日(月) 大陸的思考

曇り時々雨。 15:19の外気温23℃、室内25℃、湿度73%

「歯が痛いからちょっと休む」

帰ってくるなりオッサン調子が悪そうです。
軟膏を塗って床に転がってしまいました。
しばらくしてご飯ができたので呼びましたが「あと10分」といって起きてきません。
さすがの食いしん坊のオッサンも歯イタにはかなわないようです。

「どうするーコロッケ揚げるでー」
「よしっ、もうダイジョブ、起きるゾ!」
そのあとはまあ、歯が痛かった人とは思えない食いっぷりでした。

ご飯のあと、ジャムをなめながらお茶を飲んでいたところ、電話がかかってきました。
なんかハイテンションでしゃべっています。
「うあ〜めちゃくちゃ久しぶりのヒト〜北の村の友達が今休暇でこっちに
きてるんだって〜10年・・ぶりかなあ〜?」
「だれ?」
「セリョージャ」
「どのセリョージャ?」
「えーと、物理学者のセリョージャ。」

またまた出ましたね〜物理学者。※
でもこのセリョージャはホンマに頭がよくてシュコーラ時代の全ソビエト学力コンテストでは
いつも極東代表になっていた「物理学者」です。
その後リガの航空大学で飛行機の開発に携わっていましたが今は田舎の空港の管制官で
3人の子供のお父さん。

「日本にな、こういう言葉がある、十で神童、十五で才子、二十歳過ぎればただの人。」
「うーん、セリョージャはもうちょっとあとでただの人になったみたいですケド」
「ほなもう物理学者ちゃうん?」
「会って確かめなきゃ。10年ぶりだも」
「ほんま久しぶりなんやなー」
「・・でもワローヂャには12年会ってないナー」
「どのワローヂャ?」
「北の村の同級生。彼はネ、浦の船員学校に行ってたんだけど、
卒業したとき寮で使っていた自分の荷物をうちのオバアチャンのアパートに持ってきて、
(オッサンは当時バーチャンの家に居候していた)
ちょっと北の村へ帰ってくるからこの荷物あずかっといてくれないか、秋にまた就職で戻るから、
といってそれっきりまだ戻ってこないナー。
ずっとその荷物をあずかってたんだけど、いよいよ8年目くらいに彼の靴下を使って、
次にパンツを使って、服は小さいからそのままにしてたらいとこのパーシャが着てたし。
最後はバッグもパーシャが使ってたナー
もうオバアチャンも死んじゃっていないしアパートも売っちゃったし荷物もないけど
ワローヂャはいつ戻ってくるんだろ」

そう言ってオッサンはセリョージャに会いに出かけていきました。
そうか、ワローヂャがある日ひょっこり現われないとも限らないので
せめてパンツと靴下は用意しとかんとあかんな。


<本日の夕ご飯>
ネギと鶏の炒め煮、サラダの残りで芋コロッケ、コンキリエといんげんのバジルソース和え、コールスロー

※ロシアで「物理学者」とは・7月27日

2004年8月3日(火) 隠し玉

オッサンは歯いたが継続的になってきたので仕事帰りに歯医者へ行きました。
プライベート・クリニックを紹介してもらって行ったんですけど、
奥歯一本削りなおして詰めて4000円也。
保険なんて効きませんからねえ〜物価考えたらめちゃ高です。

でもロシア人というか欧米人、歯がきれいですねー
真っ白やし歯並びいいし虫歯も少ないし。
オトーサンもオカーサンも虫歯は一本もありませんでしたしオッサンもこの奥歯一本だけです。
その疑問をオッサンにぶつけてみましたところ、
「ロシアは食べる物の種類が少ないから菌が働きにくいんじゃないノ?
それに歯医者に行くとすごくお金とられるから歯がばんばってるんじゃナイ?」
なるほど。粗食と「気合」ですか。
野生の猿は虫歯も歯肉炎もないっていうし・・・

麻酔が切れてきたらしく、
「ごはん後で食べる」 と言って寝室に行ってしまったので覗きに行ったところ、
ベッドにうつぶせたデッカイかたまりがちろっと目をあげて“ヘナヘナなのワタシ”を訴える様子は
母性本能ワシ掴みなんですがこの感覚はトドの赤ちゃんが「かわいい」とか
らくだのまつげが「かわいい」とかいう「かわいい」と同じ感覚なのはなぜ??
そのうち痛み止めが効いてきたらしく元気フッカツしたのでうちのトドちゃんにエサを与えました。

食事中、オカーサンから電話がかかってきて、
「話があるからご飯食べたらこっちにきてくれない?」 とのこと。
う。
・・・・「話がある」ってのは人を不安にさせる言葉ですね〜

なんか嫌〜な感じで行ってみたら、「今週末どこの海岸に行くか真剣に話合う会」でした。
何度も書きますがホンマにみなさんどーしてそんなに海が大事なんですか?
時折激しく討論していましたが(するなヨ)一応ナホトカの北に落ち着いたようです。

「さて本題だけどあんたたち、新しいアパートを買ったらどうかと思って」
うあ!!オカーサン、とんでもない隠し玉持ってましたねッ!
そっちが本当の「話」だったんですか〜でもちょっと安心しました。 ←?
そんでもってパンフレットや間取図、金額表、どんどん出してきます。
「どうかと思って」というわりにはオカーサン、気合入っとるやないですか。
「見に行ってみたんだけどなかなかいいわよ」
もう下見もしたんですかッ!
「今のアパートは古くてボロボロだから嫌じゃない?中古アパートの値段は横ばいに入ったわよ、
今売るべきよ、そして新築を買いなさい。これから値段が上がるのは新築のアパートだけになっていくと思うわ。
ドルも横ばいだし今現金を持っておく必要は無いと思うの、貯金を頭金にして今のアパートを売って
払うのよ。駐車場も地下にあるし、内装も標準でいいとこまでやってくれるからここ(両親のアパート)より後でかかる費用は少ないと思うし」
オカーサン、それもう「どうかと思って」の範囲ちゃいます。
ちゅうかムスコの貯金の運用まで考えてくれてこちとら恐れ入りやした、です。

「ほら、これみて。全体が同じ広さで2部屋と3部屋のタイプがあるけど値段は同じ。
でも2部屋の方が場所がいいの、ほとんど売れてあと少ししか残ってないから
決めたら手続きは早いほうがいいわよ。子供が生まれて部屋が欲しくなったら
私達のこのアパートと交換して住んでもいいしね、ココとも近いし。」
畳み掛けられました。
孫の心配までして下さって重ね重ねありがとうございます。
でも孫はまだいませんしこれからもいないかもしれませんし。

でも冷静にみて悪い話ではないと思いました。
今のボロボロアパートでもそれなりに快適なのですが売るのにいい時期というのは確かです。
オッサンはとにかく急な話なので考えてみる、と言いました。
帰りにその建設中のアパートを見に寄ってみたのですが生活の場所としては
今のアパートより便利そうです。

うーーーーーん、どうする?


<本日の夕ご飯>
手羽元の中華風揚げ、春菊のサラダ、たたききゅうり、アクローシュカ、トマトサラダ

2004年8月4日(水) 優先順位

雨。 8:00の外気温21.5℃、室内26℃、湿度76%

部長が休み明けで職場に戻ってきたのでオッサンの朝は少し余裕ができました。
つまり元のように「毎朝遅刻」という事です。
ホンマにこんなことでいいんでしょうか・・・・
ある日突然クビになってしまうんやないかと心配になることもあるんですが。 ←すぐ忘れます

ロシアの失業者は現在574万人。
就労可能人口は7,210万人ということなので働ける人の8%近くが仕事がないという事になります。
仕事にありつけている人の8人に一人が期限通りに給料を支払ってもらえず、
国全体の未払い給料は約964億円。
ちなみにプーチン大統領のお給料は月59万円、フラトコフ首相は47万円、
ジューコフ副首相は38万円、その他の閣僚は36万円くらいだそうです。(ボーナス込みの月割り)
どうです〜〜日本のおとうさん、ちょっとうれしくなりましたか?

「なー、どんな条件ならモスクワに住んでもいいと思う?」
「うーん・・・地下鉄沿線のアパートでお給料は月に2,500ドル以上。」
「・・・・・だれの話?」
「だってモスクワ海ないじゃん!おいしい生魚も簡単に食べれないし。それくらいじゃないと合わないも」
なに!
海があっておいしい生魚がすぐ食べれるといえば「日本」でしょうッ、日本!!

「うーん、考えとく。」

新築アパートはおいといて、そっちのほう先に考えて欲しいです。


<本日の夕ご飯>
サツマイモのピラフ、サツマイモコロッケ、焼きなすのおひたし、野菜サラダ

2004年8月5日(木) お姉ちゃんを贔屓します

晴れ。 12:00の外気温25℃、室内26℃、湿度70%

今日は夜、セリョージャ一家がうちにくるというので大掃除をしていました。
12時ころ突然水が止まり掃除が思うように進まずイライラしていたところ、
テレビにO−ZONEの新曲(Despre tine)のビデオクリップがぁぁ〜〜!!
初めて見ました、記念すべき日です。
でもこれって・・・・・モルドヴァの盆踊りですか??

☆   ☆   ☆   ☆   ☆

食事の準備なんかをしていたらオカーサンがきました。
「海」へのいろいろな道具を取りにきたんですが、なんか来客がありそうな準備の様子をみて、
「誰か来るの?」
「うん、セリョージャ達が今夜来るの」
「なんか手伝おうか?」
「ああーそれじゃオカーサン、居間にテーブルの準備をして欲しいんだけど・・・」
「いいわよッ!」
というなりガンガンやってくれてすっかりロシア風ゴージャスおもてなしのこしらえにしてくれました。
「オカーサンとオトーサンも来たら?セリョージャに会うの久しぶりじゃない?」
「私たちはいいわよ、人数多すぎるから後で大変だしね、よろしく言っといて」
と言って風のように去っていきました。
オカーサンやっぱ主婦です、いろいろわかってます、ありがとう。

オッサンが帰ってきて
「なにこれわあーーッ、こんなしなくていいのに!」
「オカーサンがやってくれてん」
「もう、オカーサンはほんとにィ!もっと、見てすぐビンボウってわかるようにしとかなきゃだめじゃん、
よさそうな暮らししてるって思われないようにしとかなきゃ〜〜」
「何ソレ。オカーサンとしてはビンボウ臭いムスコを幼馴染に見せたくなかったんとちゃう」
「ダメダメ。日本人がいるだけで十分めずらしいんだからそれだけでおもてなしなんだヨ」
「その日本人がビンボウ臭いねんからいいんちゃうん?」

オッサンは黙ってセリョージャ達を迎えに行きました。

☆   ☆   ☆   ☆   ☆

オッサンがセリョージャ達を連れて帰ってきました。
家族全員(5人)で来ると言っていたけどセリョージャと奥さんのサーシャだけです。
小さい子供3人というのも脅威に感じていたのでちょっとホッとしていたところ、
用意してあるゴハンを見て
「おいしそうだからやっぱり子供達も連れてきていい?」 と言います。
「もちろん。どうして連れてこなかったの?」
「三人もいるからメイワクになると思って。うちの子たち食が細くてあんまり食べないのが
悩みのタネなの。でもこれならめずらしくておいしそうだからきっと食べたがると思うから呼びたいの」
「どうぞどうぞ、こっちはそのつもりだったし」
「じゃ、ちょっと戻って連れてくるわ」
と言って戻っていきました。
やっぱりコドモ3人はビビリますがそういわれちゃ悪い気はしません。
ぬいぐるみを集めてコドモコーナーなんかも作って待っていましたところ、
やってきましたお姉ちゃんとチビ二人(双子)。
なんかわかりませんがコーフンして入るなり廊下を走って行きましたがすぐ突き当たりです。
ごめんよ、狭くて。
「コラッ、こっちきなさい!これがお姉ちゃんのナスチャ、下の二人はヴァリエラとジェーニャ」
「こんばんはー」
はじめてみる日本人に緊張です。ふふふ、こわいで〜オバハン、噛み付くぞ〜

子供達はお母さんの期待通り焼きそばと手羽先のから揚げが気に入ったみたいでよく食べてました。
セリョージャはお酒が大好きです。
棚の中からどんどん出してきて味見していましたが気に入ったのはなぜかジンでした。
そんな、遠慮しなくていいんですよ、セリョージャ・・・・
サーシャとはから揚げをどうやって作るとか身振り手振りで主婦の話をしていたんですが、
コドモ達がほったらかしになっているのが気になる私です。
というのもウチはコドモがいないし、子供連れでやってくる人もほとんどいないので
コドモに慣れてなくて、家の中もコドモが触ったら危ないとかそういう配慮ができてないもんですから
何か危険なことをして怪我でもしたら大変、と気が気でなかったんです。
でも私の心配をよそにコドモ達は大人と子供、他人と自分の区別がはっきりわかっている様子で
大騒ぎしてはいるんですが勝手に触ったり取ったりしないし、はらはらするような事はまったくありませんでした。

そしてお姉ちゃんがすごく面倒見がよくて大人達が話に夢中になるとさっさとチビを連れて
キッチンの方にきてお茶を入れ、チーズとハムの皿を持ってきて食べさせたり飲ませたりしていました。
こんな楽なコドモたちははじめてです。
サーシャは、
「うちにはママが二人いるの。私はおっきいママでナスチャはちっさいママ。
ほんとうによく面倒みてくれて助かってるわ」
ほんとその通り。
でも面倒ばっかり見ていてはお姉ちゃんもつまんないやろ、と思ったので新聞を丸めて刀を作り、
サムライごっこを仕掛けたらおおはしゃぎ〜〜♪
大人たちは政治の話になって討論しているし、わけわかんないのにニコニコ笑って
オッサンの横で座ってるよりコドモと遊んじゃえ!ってなもんです。

食べるものが終わりになってきたのでお茶とバレニエ(ロシア風ジャム)をいくつか出しました。
セリョージャがマリーナ(木苺)を食べながら、
「北の村は寒いからマリーナが生えてないんだ。だから子供の時マリーナを食べることは
とても特別でうれしかったよ。僕はマリーナが大好き。」
と言っていました。
なんだか可愛らしいですねぇ〜
それにさんざんお酒を飲んだあとでこうやってジャムなめれるんですねぇ(笑)

零時もまわったのでそろそろ、と言ってセリョージャ達は帰る準備をはじめました。
セリョージャ一家はとってもお行儀のいい家族で私としてはすごく助かったし楽しかったけど
みんなは楽しめたのかなあ・・・ちょっと気になる。
帰り際ナスチャに、
「あなたはとってもいいお姉さんだったからこれはごほうび」
といって日本から持ってきた手鏡と財布をあげたら、
「これ一個はジェーニャの分?」 とあくまでお姉さんです。
「残念だけど今日はチビちゃんたちにはないの、これはいい子のナスチャ、あなたにだけよ」
「ありがとう」 
とってもうれしそう。
ごめんね、ホンマはチビちゃんたちにも何かおみやげを用意したかったけどちょうどいい物がなかってん。
いつもお姉ちゃんだから、といろいろ我慢してることもあるかもしらんで
ナスチャにだけごほうびがある日もあっていいんちゃう?

さて明日はこんなセリョージャ達と海へキャンプに行きます。


<本日の夕ご飯>
手羽先のから揚げ、カレイのから揚げ、焼きそば、焼きナスのマリネ、ジムニー、野菜サラダ、生野菜、チーズとハムとパン、くだものいろいろ

2004年8月6日(金) 荷物が少ない女

曇り。 12:30の外気温26℃、室内26℃、湿度68%

59年前の今日、広島に原子爆弾が投下されました。
このような悲劇が二度と繰返されてほしくありません。

日本は実際の戦争において戦闘のために使用された原子爆弾の唯一の被爆国ではあるけれど
唯一の被爆国民ではありません。
当時日本に強制連行されていた中国・朝鮮の方々や世界各国からの留学生、伝道のための宗教者、
アメリカ人捕虜など被爆者にはたくさんの外国人も含まれています。
あまり知られていませんが、ロシア人被爆者もいました。
アメリカの戦略爆撃調査団が面接調査した記録テープの中にひとりだけ外国人の女性がいます。
彼女はロシア革命により父母と共に日本に亡命し広島に住んでいたパルチコフ夫妻の長女、
カレリア・パルチコワさんでウラジオストク生まれです。
被爆当時パルチコフ一家が住んでいた家は修理されて今でもその家主のご家族が住んでおり、
パルチコフ氏愛用のバイオリンは広島女学院大学の資料館に展示されているそうです。

◎  ◎  ◎  ◎  ◎

ゆうべセリョージャ一家が帰った後の片付けの話をさせてください。
食事のものはもちろんですけど家具を動かしたり出したりしまったりしたので、
後片付けが結構大変になることは予想できていました。
セリョージャ達をタクシーに乗せてお見送りしたあとオッサンが、
「もう遅いから片付けは明日にして寝よう」 というので、
「うん、私もそうしたいけどアンタ明日仕事やろ?」
「ハイそうですヨ。」
「じゃ、明日片付けるのは誰やのん?」
「ごめんなさぁぁぁーーい!でも今日はもう力ない。酔っ払ったし寝マス」
といって行ってしまいました。
酔っ払いの時のしんどさは私もよくわかるので仕方ないと思い、とりあえずやれるだけやっとこ、
と思って2時間ほど片付けてヘトヘトで寝室に行くと、オッサンが「インターネットして」いました。

・・・そのあとどうなったかはご想像にお任せしますが、
今朝起きたら洗い物が全部食器棚に収まっていたのでこっちのアトミック・ボムは平和的に効いたようです。

◎  ◎  ◎  ◎  ◎

さて今日は4時半頃浦を出て、ナホトカの北の海へ向かいます。
そういえば今年は気温が高いので海も暖かく、浦近辺の入り江では毒クラゲ
(クレスタヴィーク・клестовик)が押し寄せてきてさされる人が後をたたないようです。

私たちが行くのは浦から幹線道路を3時間半、そのあと山の中のすごい道をガタガタと
40分くらい走って、吐きそうになった頃ようやく着く三湖海岸というところです。
海は北上すればするほど水がきれいで海岸も荒れていないのは当然なのですが、
この辺りからあと数キロが泳げる限界なのです。
それ以上はさすがに水が冷たくて地元の人くらしか入らなくなります。
ここでも水は十分きれいなのでうちではこれ以上北には行きません。

一番最初に来たときはホンマ衝撃的でした。
日本海なわけですが、日本でイメージする日本海とはぜんぜんちゃいます!
真っ白い砂にエメラルドグリーンの透明な水で海だけ見ていたらセーシェル?(行った事ないけど)
って勘違いしそうなほどきれいなビーチなんですッ!
そんで岸に目を移すと牛がゴミ箱あさってたりして、「やっぱロシアか」となるわけです。
ここら辺までくるとホタテもウニもようさんおりますのでボートの上でホタテの殻をナイフで開け、
もう食っては投げ、食っては投げ、です。
ワハハハハハハーーーーーロシアばんざーーーい!
たまにはいいこともないとな。

◎  ◎  ◎  ◎  ◎

さて荷物を用意してオッサンが帰ってくるのを待っていました。
「タダイマ〜。うあ!何この荷物??」
「何って2泊もすんねんから」
「それにしても・・ワタシはいつもパケット(スーパーのビニール袋)一個で行きますヨ」
「ハイハイ、女は荷物が多いんです」
「オカーサンもパケット2つくらいですヨ」
「ニホンジンは荷物が多いんですッ!」

ブツブツ文句言っているオッサンを急かしてとにかく全部積みました。
そりゃー私かて「荷物が少ない女」はかっこいいと思うけどな・・・・。

ではそろそろこの日記帳もバッグに入れます、それでは行ってきまーす。


※原爆にあったロシア人・「広島発日本で使うロシア語」さんより↓
http://www2.cc22.ne.jp/~yfukuma/rosiajin.htm

2004年8月7日(土) 三湖海岸その壱

曇り霧時々小雨。 昼間の気温は多分23℃くらい水温19℃くらい。

きのうはガレージまで行ったところで急に気分が悪くなり、もう行くのを止めようかなーと思いながら
オッサンがボートを積む間しばらく休んでいたら、手のひらが痒くなってきて・・・・
ありゃ?これはこの間のパセリらしきアレルギーとおんなじ症状ちゃうか?
と思うまもなく全身カユカユです。
さっきちょっとだけ生パセリ食べたしな〜そうか、もう確信やなパセリがあかんみたい。
まあアレルギー出てるのが原因ならこの不快感もそのうち治るやろ、と思って
やっぱり行くことにしました。
途中で薬局によって錠剤を買って飲んで、念のために注射液と注射器も買っていきました。
消毒は・・・「ウオッカあるからいいんじゃナイ?あれはなかなかよいアルコールデス。」ちゅうことで。

セリョージャ達との待ち合わせの場所へ行ったらセリョージャとナスチャしかいませんでした。
「やっぱりみんなでは大変だから二人で行くことにした」
あらら、いいのに〜〜。とっても気遣いですね。
でもチビちゃんたちにハラハラしながら人に気遣って連れて行ってもらうのも本人達が
楽しめないかもしれないし、ま、いいのかな?

でもセリョージャ達も途中、あんまり道が悪いし、小川もザブザブ数箇所渡ったし不安になったのか、
「どこへ行くのか?」「どんなところなのか?」と何回もきいてオッサンに笑われていました。
私も最初そうだったんですよ、その気持ちわかりますって〜

途中両親と合流して、海へはもう真っ暗になってから着きました。
おかげさまでカユカユも治まりました。
暗闇の中、海で合流するはずの別の連中を探して数キロの海岸を歩き回りましたがなかなか見つけらません。
「携帯に電話すれば?」
「ここ携帯なんか通じるわけないでショ」
あ、そうですか。すいません。
それがわかってるなら最初から旗を立てる(ロシア人旗たて好き)とかなんか目印を
決めときゃいいのにと思いましたがま、別に(どうでも)いいです。
それより、もう夜中なのでとにかくテントを張ってなんか適当に食べて・・・・・
「ちょっと、テントの説明書読んでくれナイ?」
「は?」
「初めて使うやつだからわかんないノ。日本製。」
「はあ」
もう一刻も早くなんか腹に入れて寝たかったのでソレを奪い取って読みはじめましたが、
私が読んでいるうちにテントは出来上がっていました。
「あの〜前後左右が逆なんですけどー」
「立ってるからいいんじゃないノ?」
そうですね。
もうなんでもいいです、早くごはん・・・
そのごはんの途中で眠くてしかたなくなったので私だけ早々に車に引き上げました。
さんざん文句言った「日産レクサス」もといラルゴ君ですが、こういうときワゴン車は
楽に寝れるから便利ですね〜〜一年かけてやっと本来の目的に使えるようになりました。
長い道のりやったな。

◇  ◇  ◇  ◇  ◇

さて今日は私ひとり昼まで寝てました。
みなさんはもう朝から海です、波の音が聞こえるのに寝てなんかおれません。
霧が出て曇っていてときどき小雨も降ってるんですケド・・・・・
「コラー起きろーホタテがきたヨ!」
オッサン達はもうすでに一回潜ったようです。
外へ出てみるとホタテとカレイが「積んで」ありました。
「ユーラが結構深くまで潜ったからいっぱい採れタ。」
うおおおおおおおーーーーーーー
今日一番最初にクチに入れるものがホタテの刺身とはおもわず合掌、です。
オカーサンが、
「アンタいまアレルギー出てるんだから生ホタテなんか食べちゃダメよッ!」
「でもあとで痒い程度なら今食べます。」 
「ま!どういう子かしらッ」
「食え食え!注射も買ってきたからダイジョブだヨ!」 ←どういうオッサンかしら
うちの家族は慣れているので生ホタテやウニを食べますが、セリョージャ達は気味悪がって
勧めても絶対に食べませんでした。

ホタテを腹いっぱい食ったあとボートで釣りに出かけました。
霧がひどくて寒いしアタリもぜんぜんないのでもう帰ろうとしたところ、
やっと私の竿にカレイがかかりました。
30センチくらいで悪くないです。
そのあとオッサンが潜ってウニを採りました。
ムラサキウニには目もくれず馬糞ウニだけ拾います。
はい本日の釣果、カレイ一匹と馬糞ウニをパケット一個分。
戻ってきたらまた別の知り合い家族が到着していました。
総勢11名です。
そっちのムスコに「なんでラルゴにレクサスって書いてあるの?」と笑われました。
ちょうどその書いた犯人がいたのでオッサンが、
「ほら見てみろ、こいつのアクアバイクにもレクサスって書いてあるやろ?」←書いてません
「おう、俺に預けたら全部レクサスになるからヴォルガでもラーダでも持ってこい」
と言って大笑いしてました。

天気が悪くて肌寒かったんですがそれでも日が出ている間はみんな泳いでいたので
どうかな?と思って海に足を入れてみたんですがめっちゃ冷たい!!!
ひぇぇぇぇぇぇーーーーこんなんよう泳がんわーーーー!!
毎度のことですがロシア人、すごい。
私は昼寝したりそのへんぶらぶらしたり火の番するくらいです・・・・オバハンですから日焼けもしませんし。

夜、カーラジオを付けたら日本のラジオ放送がいろいろ入りました。
第36回思い出のメロディーというのをやっていて「津軽海峡冬景色」なんか
一緒にフルコーラス歌えてしまった自分に驚きました。
そんな、カラオケでも一回も歌ったことないですし意識したこともありませんけど
歌詞が頭に入ってるんですねぇ〜こわいですね〜
ナホトカで、「大ヒットのなんたるか」がわかったような気がします。
続きのニュースでサッカーアジアカップの決勝で日本が3:0で中国に勝って
優勝したというのをききました。
おおおおーーよかったね、ニッポン。
おめでとうーーー!!
ナホトカの海岸からお祝いのことばを贈ります。


<本日の夕ご飯>
焼きカレイ、ゆでホタテ、生うに、いろいろバーベキュー、生野菜、スイカ

※うちの車はこんなやつ・3月23日、日産LEXUSの話・4月3日

2004年8月8日(日) 三湖海岸その弐

曇り霧、時々小雨後時々晴れ。 昼間の気温は25℃くらい水温20℃くらい。

今日もお天気が悪いです。
が。
もちろん泳いでます、ロシヤジン。
ナスチャ、唇ムラサキですけど「だいじょうぶ!」だそうです。
ナスチャは海でもみんなを手伝ってくれてホンマまめないい子でした。
こんなヨメが欲しいものです。

ゆうべ遅くセルゲイとユーリーさん達のテントへ「ごあいさつ」に行きました。
着いた日にあれほど探したけどわからなかったのに、朝になってみたらすぐ近くやったんです。
そういうことは海岸にかぎらず人生のいろんな場面でありますね。汗
このセルゲイ、ユーリーさん、オッサンの3人がおきまりの海仲間です。
セルゲイはうちのラルゴをレクサスにした張本人で、夏はキャンピングカーにアクアバイクを
引っ張ってほぼ海岸生活、冬は雪上レースそれ以外はラリーと、いつ仕事しとんのか
わからへんようなオジチャンです。
ユーリーさんは・・・ユーリーさんは私のロシアにおける「好感度No.1男性」で、潜りの名手です。
とうとうスチュワードになって今ロシア中の空を飛んでいますよ〜
「コンバンハ!(日本語)ほらこれクラスノダルのワイン、美味いよ〜飲んで飲んで」
「クラスノダル?」
「まあ、ちょっと飛行機から失敬して・・・・」
あーあーあースチュワードになってそういうことやっとんのかこのオジチャンは。
「ユーリーさん、ウラジオ航空のアレクセイ君っていうオネエキャラのスチュワードまだいる?」
「いるいる!俺最初びっくりしちゃったヨ〜なんで知ってんの?日本でも有名なの?」
「まあ若干・・」
「ヤツはモスクワでも有名だヨ」
「でもすごく優しくて気が利くから日本人には評判いいみたい」
「そうかーそうかもな。言っとくわ」
あ〜〜夢の「ユーラ兄貴&おねえリョーシャ」のウラジオ航空に乗りたいッ!!

▲  ▲  ▲  ▲  ▲

天気が悪いのでぶらぶら歩きながら海岸を見渡してみるとキャンプの人があちこちで
旗を立てているんですが、ソ連国旗やロシア国旗に混じって「Shell」とか「KYB」とか
「BRIDGESTONE」とか「大感謝祭」とか「お買い得車満載」の店頭のぼりが立っていて
極東ならではの風景やなあ〜と思いました。
テントに帰ってきたらオカーサンがタバコなど吸っていたのでびっくりして、
「オッサン、オッサン、オカーサンがタバコ吸ってる!」
「もおーオカーサンわあ〜なんかカッコつけてるつもりみたい、バカじゃないノッ!」
オッサン、きびしいです。
オカーサン、ナホトカの海岸で不良中年になってもしかたないんとちゃいますやろか。
オッサンが、オカーサンのタバコの吸いかけを紙コップのワインの中に落として、
「ところで帰ったらウニの寿司を食べたらいいと思いまセンカ?」
というので賛成したら「じゃ、とってくる」といってボートででていきました。

夕方近くなって晴れ間が覗くようになったのでせっかくここまで来てこんなに水もきれいやし
海に入ってみようかなと思い、ひざくらいまで行ったところでやはり断念。
冷たいっちゅうねんッ!
こんなきれいやのにぃ〜!ちょっとくやしいです。
両親はゆうべ真っ暗な海に泳ぎに行ったと言ってました。
昼間はまだ水が十分温まってないので夕方くらいからが水温が上がっていて泳ぐには
ちょうどいいそうで、夜でも真っ暗な海で泳いでいる人がたくさんいます。

オッサンが持ち帰り用のウニをふくろいっぱい採ってきて、そろそろ帰りの準備をしはじめましたが
オカーサンはのんきにしているので ?と思ったら
「せっかく天気がよくなってきたから明日までいることにするわ」 って。
はいはいどうぞ〜〜こんな私でも明日晴れそうやから帰るのもったいないって思うほどきれいな海やもんね。
さて我々はまだ休暇にはいってないし、セリョージャ達は明日別の町に移動するので
後ろ髪を引かれながらも帰路につきました。
ずーっと海に入っていたセリョージャ父娘、夏を満喫できたかな?
海へきたのに泳ぎもしなかった私ですがきれいな海を眺めただけでもそれなりに楽しめました。

それにしてもいつも海へきて思うのは、ロシアでは(多分欧米でも)オジチャンやオバチャンが
いっぱいいてみんな楽しそうに泳いだり焼いたりしているのがなんかいいなあ〜ってこと。
しかも夫婦二人で、とかなぁ〜。
日本で50代60代の夫婦が(どっちも)ビキニで嬉々として海に遊びに行くでしょうか?
そういうとこロシア人、かっちょええやん!と思います。
うーーーむ、私も垢抜けたババアにならんと。

▲  ▲  ▲  ▲  ▲

帰りの車の中で、運転中のオッサンにパンをちぎって食べさせていたらセリョージャがびっくりして
「なんてことだ!日本の奥さんは食べ物を口に入れてやるのか!」
いやそんな・・・自分で食べて事故られても困るし。
皮とレーズンを一緒に食べるにはどこを噛んだらいいとかジャムのたくさん入ってるのはどこかとか
食べることに夢中になって前を見てないことがあるから食べ物持たすのこわいんです。
更にセリョージャは、
「なんでもあって便利な日本からよくこんなとこへ来たなあ、まるで“デカブリストの妻”だよ、
僕は君を尊敬する。」
ワハハハハハ、そりゃまたごたいそうなことで〜〜
ちゅうことはオッサンがデカブリスト?
このレーズンパン一生懸命食ってるおじちゃんが?
でも私、うちのデカブリストも連れて絶対日本に帰ったる!という炎がメラメラ燃えてますし。
デカブリスト置き去りにしても帰ったる。という暗い炎もチロチロ燃えてますし・・・。
そんなしおらしいモンじゃないですことよ、オホホホホホホ〜〜

さて海と一緒にセリョージャ達ともお別れです。
次に会うときはナスチャもどっきりするようなロシアのジェブシカになっているかもしれんな。
みんな元気で!また会おうや。

うちに帰ってからとにかくウニとホタテを開けようというので、二人でヘトヘトになりながら
ウニを開けました。(めっちゃめんどくさい)
小ナベ一杯のウニの身を前に、「とにかくあした、片付けも食べるのも。」 といって
つまみ食いもせず倒れるように寝ましたとさ。


<本日の夕ご飯>はなし。

※デカブリストの妻↓
http://homepage3.nifty.com/mcg/mcgtext/bungaku/russia/russia4.htm
※ユーラ&リョーシャの話・3月22日

2004年8月9日(月) 危険なヤカン

一日中晴れ。 13:00の外気温28℃、室内27℃、湿度65%

みなさまこんにちは。 ←?
今日はもうダメダメです。
めっちゃだるくてだるくて朝もオッサンを送り出せませんでした。(オッサンごめん)
二度寝もしてしまってもう昼過ぎです。
外部栄養補給が何もなくて体脂肪を分解しはじめるようなしんどさというか、←わかりにくいなー
とにかく力が入りません。
たかが海で2泊キャンプしたくらいでこんな疲れるんでしょうか?
泳いでもいないのに?
日焼けもしてないのに?
寝てばっかいたのに?
普段の生活がちょっと変わるだけでこんなになるもんなんですね〜〜
なんですか?誰か突っ込んでますね?「そのこと」は言われなくてもわかってますッ!!!

ゆうべ車をガレージに入れたとたんプシューーという音がしてタイヤがパンクしてしまいました。
帰り道、右の前タイヤがヘンな音を出していたので何か踏んだかな?と言いながら帰ってきたんですが
ガレージに入れた後だったので不幸中の幸いです。
オッサンはしかたなくバスで仕事に行きました。

ぼんやりしながら3回洗濯して水のありがたさを「ぐっとかみしめてごらん〜♪」と
ママのあたたかい心をパルナスして、
留守電に入っていた「18件」という用事をいっこいっこ片付けながらホタテとウニの寿司をすべく
準備していたら、テレビから「日本」「美浜」という言葉が聞こえたので振り返ってみたら
原子力発電所が映っていました。
ガイコクの原発が映ってよいニュースのわけないので戦慄が走りました。
とそこへオッサンが帰ってきたので、
「日本海側の原発で事故があったみたい」
「ふーん、ダイジョブだヨ」 ←やはりロシヤジン
とそこにまた同じニュース。
「なんかパイプに穴があいて死んじゃった人も出たみたい。放射能漏れはないって言ってるケド」
えーえーえー死者が出たんですか?それはえらい事故なんでは・・・?
おりしも今日は「長崎・原爆の日」です。
核の「平和利用」ってほんとなんですか?
原子力発電所ってなんかすごそうですけどやってることはお湯をわかして蒸気でタービン回して
電気作ってるんじゃなかったでしたっけ?
なあ〜んだ、核分裂なんか電気と直接関係ないんだー
でっかいヤカンの湯をわかすのに核分裂のエネルギーを使こてるだけなんや。
湯をわかすだけにしてはえらい大げさで危険で後始末に困るたてものなんやなぁ〜
日本はホンマはもうやめてもいいと思てるんとちゃうかな?
ロシアはやめてもいいとは思てないみたいやけど。

そういえば浦には「今日の湾の放射線レベル」というのが天気予報とか気温とかと同じようにあります。
原潜バラしてますからねえ〜
でもそれを聞いてどうせいちゅうんでしょうかねえ?
今日は漁をやめとこか、とか泳ぎにいくのはあと2μR/h下がってからにしよ、とか
してるんですかねえ?
市場で 「ちょっと、9μR/h以下の日のカレイ1キロちょうだい」 とかそんな会話が
されてるんでしょうか。 ←されてません。
そんなことを思いながらウニもホタテもたんまり食らいました。
あ〜〜あ私の体にも放射性物質がたまってきているはずです。


<本日の夕ご飯>
ウニとホタテの手巻き寿司、ホタテの耳の炊き込みご飯、春菊のおすまし

※関西人にロシアはおとぎの国と刷り込んだ「パルナスの歌」↓
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/parunasunouta.html

2004年8月10日(火) 普段休暇の人の場合

一日中晴れ。 8:00の外気温26℃、室内25℃、湿度61%

いい天気なので洗濯しました。
洗濯は大好きです、
洗濯機がしますから。

オッサンは日焼けした背中がかゆくてかゆくて仕方ないようで、
「背中掻いてェェ〜〜」
と寄ってきたのでシャツをめくってみたらムケムケでした。

「ドウデスカ?ワタシはシャコちゃんになってマスカ?」 ←シャコは脱皮する
「うーん、十分シャコちゃんやの」
「やっぱり」
「でも背中のぽつぽつニキビがなくなったよ〜」
「あ〜そうデスカ〜、それはニキビの治療法として実際にありマス。」
「へーそうなん」
「紫外線というのはかなり殺菌消毒しますから」

ああ、そやから海ばっかり行くのか〜〜全体に脂っこいもんな。 ←ちがいます

☆   ☆   ☆   ☆   ☆

休暇をどこに行くかでいろいろもめました。
というより、どこに行くかを早く決めて欲しい私がのらりくらりしているオッサンにイライラしただけです。
いろいろ準備があるんです、女ですし(異論のある方はメール可)荷物の多い日本人ですから。
休暇なのに普段休暇の私にそれは忙しいことばかりです。


<本日の夕ご飯>
鶏肉のチーズ包み焼きウニソース、ふかし芋のウニソース、野菜サラダ、ホタテゴハン、すいか、ぶどう

2004年8月11日(水) 寂しい感じ


晴れ。 8:16の外気温25℃、室内25℃、湿度58%

朝から水が止まりました。
今年も水不足みたいです、湯は相変わらず出ていません。
コノ分だと今年は冬になるまで湯なしでしょう、あきらめモードになってます。

ニュースでモスクワの「ロシアホテル」をつぶして新しく一帯にホテルコンプレックスを
作るというのをやっていました。
日本人にも馴染み深いロシアホテルですねえ、クレムリンのすぐそばで赤の広場からよく見えますねえ、
モスクワのツアーといえばロシアホテルという時代もありましたし
今でも最もよく利用されているのではないでしょうか?
めちゃめちゃデカイホテルなんですねえ、はじめて見たときはビックリしました。
新しくて快適なホテルができるのはいいことですけど少し寂しい気もしますねえ・・
モスクワ観光に行ったら、ロシアホテルに泊まらなくても赤の広場で写真を撮る時に
ちらっとロシアホテルを入れてやってあなたのアルバムに残してやってください。

◇  ◇  ◇  ◇  ◇

あさってからいよいよアテネオリンピックですけどなんかロシアでは盛り上がってない感じが
するのは私だけでしょうか・・・??
スポンサーCMをテレビでばんばんやらないからでしょうか・・?
冬季大会じゃないから?
でも体操系とかシンクロとか女子テニスとかいけそうなの結構あると思うんですけど?
あのサッカーのユーロカップの時のすごい盛り上がりとはぜんぜん違います。
なんか寂しい感じなんですわ・・

今日は寂しい感じの話が2つでした。
オリンピックの結果は寂しい感じにならないように願いたいものですけど。


<にんじんとキャベツの浅漬け、鶏味噌味丼、ほうれん草と芋のグラタン、セロリのスープ>

2004年8月12日(木) おみやげは何がいい

曇り。 7:50の外気温18℃、室内24℃、湿度48%

今、ヴァレリのところに日本から小学生の女の子がホームステイに来ています。
その話はきいていたのでへぇ〜おもしろそう!と思ってはいたのですが・・・

「今日ヴァレリのとこに行く」
「えー日本の子来てるから見に行くの〜?」 ←ちょっとワクワク
「違いマスッ。ヴァレリからSOSが入った」

ヴァレリ一家は彼女におみやげを何か買ってあげようと思って彼女に何が欲しいかきいたところ、
ヴァレリの家で履いているビーチサンダルみたいなビニールのスリッパが欲しいと言ったそうなんですが、
「なんでもいいものをもっている日本人がこんな中国製のビニールのスリッパを本当に欲しいのか?
我々は彼女の言っていることを勘違いしているかもしれない」と心配になって
ちょっときてくれ、となったそうです。

夕ご飯を食べてからヴァレリのところに行ってみました。
彼女はそのとき一緒にステイにきた友達のところに電話していて居間にいなかったんですが、
戻ってきたので話しかけると最初きょとんとして、しーんとなり、
「え?え?ジャパニーズ?日本人??」って言ったので大笑いでした。

これはすごくよくあることで、ロシアで日本人を見て話しかけたりしても最初ぜんぜん気づかないんです。
たぶん日本人に見えるであろう人が普通の日本語で失礼のないような言葉で話しかけても
「ぜんぜん気づかなくて」無視されることはよくあります。
ちょっとちょっとおじさん、アナタですよ、アナタに話してるんですよ、って感じで。
おもしろいですね〜〜
「こんなところに日本人がいるわけない」って思ってるんでしょうか〜(笑)
オッサンなんかは見かけがガイジンですから相手はもっと極端で、
じっと固まってしまう人や「走って逃げちゃう」人もいるそうです。
・・・それは、別の意味で怖かったのでは?・・・・汗。

それでいろいろ話して、
「ところで、おみやげにそのスリッパ欲しいの?」
「うん、気に入ったもん、日本にないし」
「そぉ〜〜そんなにいいか〜」
「一緒にきたステイの子達もいい、って言ってたよー」

というのでヴァレリに言うと、信じられないという感じだったけど明日オカアサンが
「中国市場」へ買いに行くということで一件落着。

彼女達は船で浦に来たそうだけど船の食事に「あたって」みんな腹痛と下痢で大変だったそう。
それでヴァレリ達ホストにも、生ものはくだものでも与えないで下さい、と言われたそうです。
私たちが「スイカでも買っていこうか?」って電話したら「ダメダメ、生ものはダメって言われてる」
というからびっくりしたけどそういうことやったらしいです。
えらいめにあって可愛そうやったけど「浦を好き」と言ったのでよかったな〜
またおいで〜

ヴァレリの家を後にして両親のアパートへ行きました。
「新しいテレビを買ったから見に来て」というので寄ったんです。
うあ!
居間がホームシアターになっていました。
「どう〜?いいでしょう〜」
「すごーい!」

でもそのあとオッサンと両親は何か強い調子で話していました。
最初に決めたテレビじゃないやつを買ったらしいです。
別に何買ってもいいやん?と思いましたが、
どうもこのテレビは両親の財布だけで買ったんじゃないみたいです。
ま、そういうややこしいことは私は耳をギョウザにして・・・・

両親が明日からのオリンピックをデッカイテレビで見れていいじゃないですか。
ロシア選手にデッカイテレビにふさわしい活躍をしていただけるように願って両親の家を後にしました。

あ、オカーサン、うちのビデオデッキ返してください。
そう、O−ZONEを録画できなかったあのデッキですよ。

<本日の夕ご飯>
鶏からあげ、ペンネとインゲン豆のトマトソース、ゆでシャコ、野菜サラダ、すいか

2004年8月13日(金) 難航、遭難

曇り。12:30の外気温19℃、室内22度、湿度49%

ゆうべ帰ってから二人で休暇先をいろいろ検討していました。
場所というよりホテル探しです。
というのも行き先にあまり選択の余地はありません。
うちの(オッサンの)目的は「暖かくてきれいな海」と「アクアパーク」と「山」ですから
「ロシアのハワイ」のどこかを予算に応じて選ぶしかないですもん。

さてホテルです。
ロシア人の休暇はいわゆるヨーロッパ型といわれる、一つのところにずっと滞在して
ビーチで泳いで甲羅干して、日陰で本を読んだり昼寝したり夜は街をぶらぶら、
時々日帰り観光に行って、というゆったり滞在型なのでホームベースであるホテルは
非常に重要です。
食事や飲み物も込みのオールインクルーシブタイプを選ぶ人が多いので
ホテルの選択が悪いと旅行そのものが台無しになってしまいます。

ゆうべは相変わらずトルコと、チュニジアも見て見ましたがなかなか気に入るところがありませんでした。
いろいろ見ていたら日本へのツアーがありました。
モスクワから成田で、ホテルは東京・品川プリンス、ツインかダブル使用で6泊、
一週間の滞在でひとり1,180ドル。
えええーーー安くないですか???
日本からモスクワへの旅と比べてすごく安いですよね??
もうモスクワまで行って日本に行くというのはどうですか?
暖かくてきれいな海、アクアパーク、世界に名だたるフジヤマ。ゲイシャ、チョンマゲ、
じゃなくてですね、素晴らしいロケーションです。
だめですか。

もうすぐオッサンも休暇に入りますが計画は難航してます。

そのオッサンは今日、浦とその周辺に住んでいる北の村時代の連中の同窓会に行きました。
たぶん朝まで帰らないでしょう、こっちは夜の街で遭難しているようです。


<本日のひとりご飯>
とんかつ、味噌汁、野菜サラダ、ふりかけご飯

2004年8月14日(土) 窓を買うかアパートを買うか

晴れ後雷雨。 12:00の外気温20℃、室内25℃、湿度48%

テレビでゆうべのオリンピックの開会式を見ました。
なかなかおもしろい演出でした。
彫刻みたいな人、ほんまに彫刻みたいでしたねえ〜
ロシアはエレガントでとてもお金持ちそうでした、特に男子のハンチングが・汗。
(かつて新ブルジョワのおっちゃんたちにハンチングが流行った過去あり)
「モルドヴァ」のピンクのシャツが可愛かったし、スウェーデンとかノルウェーの北欧勢は
すごくセンスがよかったしユニホームを見ているだけでも楽しめます。
ところでノルウェーの貴賓席に座っていた人誰ですか?めっちゃかっこよかったです。
サウジアラビアの旗持ちの人もかっこよかったわ〜〜
そんなとこしか見てないって?
余計なお世話です。
ロシアのアナウンサーは日本のユニホームをすごく褒めてとっても気に入った、って
言うてました。
今回は「世界のケンゾー&ユニクロ」でしたっけ?
でもこのアナウンサー、「クック諸島」が入場した時にとんでもないこと言うたんですよヨ〜
「クック船長がどうなったかみんな知ってるはずです」
そ、そ、それは・・・どっちの意味ですか?????大汗。

◎  ◎  ◎  ◎  ◎

オッサンがガルビーカ(ブルーベリー)をたくさん買ってきました。
大好きなんです。
マリーナ(木苺)がほとんど終わってガルビーカの時期に入りました。
日本でもよく知られているブルーベリーですが、このへんで売っているものは野生です。
浦近郊よりもう少し寒い所、大体ハバロ州との境あたりから北に行くとたくさんあります。
浦でも植えたら収穫できないことはないんですが、ダーチャに植えている人はあまりいません。
ガルビーカは背が低くて小さい木なので1本あたりの収穫量が少なく、たくさん植えないといけないからだそうです。
うちの家族の住んでいた北の村にはたくさん生えていて実がつく時期になると、
ガルビーカの生えている一帯は遠くから見るとうっすら青く見えるほどだったという話を聞きました。
ガルビーカのアントシアニンという成分が目にとっていいというのはロシアでもよく知られていて、
タブレットなんかもよく売っていますよ。
栽培種より野生の方がアントシアニンが多いんだそうですね。
バケツいっぱい買ってきたのでバレニエ(ロシア風のゆるいジャム)にしました。
明日は冷凍して来年の時期まで一年間、ぼちぼちと食べるのです。
・・・のはずですが。
さっき見たらもう「半分」くらいになっていました。
熊はガルビーカが大好き。

◎  ◎  ◎  ◎  ◎

夜、すごい雷雨になりました。
窓の隙間からどんどん雨が入ってくるのでぞうきんで押さえて絞って押さえて絞って大変。
うちの窓はサッシじゃなくて昔ながらの木枠の二重窓なのでだんだんゆがみがでてきて
窓と壁の隙間からも、窓枠とガラスの隙間からも雨が入ってくるのであっという間に
水浸しになってしまいます。
しかも家中の窓。
状態をよく知っているオカーサンが心配して電話をしてきました。
「窓、大丈夫??」
「すごいことになってる〜〜」
「もうだめね、その窓。アンタ達が休暇に行っているうちに入れ替えなきゃね」

え?
今新しい窓を入れるなんてもったいなくないですか?
新しいアパートを買うんじゃなかったでしたっけ??


<本日の夕ご飯>
アクロシュカ、カレイの塩焼き、生野菜

2004年8月15日(日) センチメンタルな一日

晴れだけど秋の風。 22:54の外気温17℃、室内25℃、湿度42%

今日はカラッとしていい天気やったんですけど、風が「秋の風」のような一日でした。
こういう風が吹くと夏の終わりを告げられたようでちょっとセンチメンタルな
気分になったりして・・・・

うちの「センチメンタルとは無縁な人」はバリバリ海へ行きました。
短い夏なのにセンチになっとる場合ちゃう、海行って行って行きたおすんじゃ、という心意気です。
それはそれでとてもロシアっぽいですが、今日はお腹が痛くて「それ」についていけなかったので、
私はうちで半分寝ていました。

日本では今日はお盆で終戦(敗戦)記念日ですね。
うちなんかは田舎ですから、セミ時雨の墓地に線香の煙が静かに立ち上っている風景を
思い出しますけども。
墓地というのはお盆でたくさん人がいる時でもなんか静かな感じがしますねえ
それでめちゃめちゃ暑いんですけどそれがまたいっそう静かで切ない感じなんです。
あ、ヤバいですね、またセンチメンタルモードになってます、体の調子が悪いとどしても
ソッチへ傾いちゃうんでしょうか、鼻水もずるずるいってますし。
あかん、あかん、オリンピックの明るい話でもしますか。

オリンピックはロシアさっそく銀メダルとりましたね〜
おめでとう〜
そういえば金メダルは今総計で499個だそうで、今大会はじめての金が記念の500個目に
なるそうです。
寂しい感じだったテレビも開催と共にいろいろ特番とかCMとかやってますし、
少し盛り上がってきた感じですけどまだなんか・・・・
あかん、あかん、どうも元気がありませんね、しんみりした方へ転んでしまいます。
イチバンの原因は明日から「オッサンが休暇に入る=うちにいる」ということかもしれません・・・・


<本日の夕ご飯>
ざるそば、カレイのから揚げ

2004年8月16日(月) オッサン休暇に入る


晴れ。 11:00の外気温20℃、室内24℃、湿度50%

オッサンが今日から休暇に入りました。
一ヶ月間です ←職場でほぼ強制です
うらやましいですか??
日本のおとうさんはうらやましいかもしれませんね〜
日本のおかあさんにはご迷惑ですね〜
日本のお子さんには・・・普段のおとうさんの態度が「それ」を左右しますね〜
こわいですね。
だから一ヶ月なんて休みはなくていいんですよ、おとうさん。

休みなのでさっそくだらだらして朝10時によろよろ起きました。
ぼんやりテレビを見ていたらТАТУの「Я сошла с ума」のPVが流れてきました。
すごく久しぶりに見たんですけどТАТУ、あの頃めっちゃ少女っぽいですね!!
2000年のPVなんですけど今見るといや〜すごく少女です、4年の歳月を感じますねえ、
ユーリャはもうそろそろママですかー?
オッサンによればТАТУを好きなロシアの男は「ヘンタイ」だそうです、
でもТАТУを好きな日本の男は「普通」なんだそうです、ひえ〜大差別やんー
ちゅうかそれどういう意味・・・??
そういえばこっちで日本のようなローティーンの少女グループは見ませんねえ、
こっちの大多数の嗜好は「女性の魅力は大人でセクシーなこと」であるようです。

それにしても日本人の女の子は4年でこれほど変わらないような気がします。
ロシア人(というか西洋人)は時間の流れが速いというか東洋人の流れが遅いというか・・・
まあどっちでもいいんですけどねッ、私の時間は早くても遅かったとしても、
どっちにしてもすでにオバハンですから。

ロシアは全国的に休暇の時期(夏)ですから、サナトリウムのCMをよくやっています。
浦のはずれにあるサナトリウムもばんばんCMやっていて・・・
「ほらほら、これ勘違いのサナトリーだヨ」
「あ?あそこか〜」 ←大汗

まだ浦に来たばっかしの頃です。
そのサナトリウムは浦のはずれの幹線道路沿いにあるのですが、
いっつもその前を通るとき気になっていました。
「アムールなんとか」という名前で看板が出ています。
あるとき思い切って聞いてみました。
「な〜、あの赤いハートマーク何?」
「あれ?心臓。」
え。
「ぎざぎざのネオンは?」
「心電図」
え。
「あそこはサナトリウムです」

えええええーーーー
ずっとラブホテルと思うてた〜〜〜〜
アムールなんとか、って名前もそれっぽいやん・・・(アムールが読める程度)

というわけでそのCMは見るたび汗モノです。
オッサンにもからかわれるし。
ったくもう、コレがうちにいるとロクなことがない・・・


<本日の夕ご飯>
炒飯、アクロシュカ、味噌かんぷら、野菜サラダ

2004年8月17日(火) 幻のソトメシ

曇り。 12:00の外気温23℃、室内24℃、湿度59%

起きたら水が止まっていました。
これだからもう〜オッサンが休暇に入ると〜・・・・関係ありませんか。
水がないので「米を洗うのが面倒やなあ」と言ったら、
「たまには外でゴハン食べましょうか」というので用事でかけるというオッサンに
ついていくことにしました。

買い物などではなかったのでついていっても車の中で待っているか、
そのへんぶらぶらするくらいで退屈やったんですがソトメシということなので
ずっとついて回って・・・・ついて回ってまわってまわってまわって飛んで(飛びません)
「さ、うち帰りましょうか」
帰るんかい!!!
ソトメシはどうなったんじゃ!
「考えたんですが外のゴハンは値段と味があいませんネェ〜うちで食べマショウ」
食べマショウ?
作るのは私じゃ!
文句ぶつぶつ言っても、車でぶーとうちに戻されたのでしょうがないから
ピラフ炊いて食べました。

夜オカーサンから、オトーサンがひどい腹痛と下痢で熱も出ていると電話がありました。
来て欲しいと言ったらしいのですが、オッサンは症状をきいてなんとかを飲んで、と言っただけで行きませんでした。
心配する私に「あ〜、なんかにアタッタみたい。大丈夫、大丈夫、よくある。」
え。
よくあるんですか。
何にあたるんでしょう?
ちょっと嫌やな〜〜〜
もしかして今日ソトメシをやめたのは「今日食ったらアタる」と野生のカンが働いたんでしょうか?
まあ、それはないでしょうね、全員がアタってもきっとひとりだけ大丈夫なオッサンですから。


<本日の夕ご飯>
シャコのピラフ、アクロシュカ、野菜サラダ

2004年8月18日(水) 主婦とOLの願い

晴れ時々曇り。 13:00の外気温22℃、室内25℃、湿度65%

オトーサンは熱も下がって回復してきたとオカーサンから電話があったので一安心です。
オカーサンがなんでもないってことは家の食事が原因じゃないのかな?
オトーサン、なんかヤバイことしてませんよね・・?(笑)
オトーサンは腹痛ですけど私はパセリのアレルギーが出て海へキャンプに行った頃から
ずーっと鼻が詰まって目がかゆくてくしゃみも出て、まるで花粉症です。
特に鼻詰まりがひどくて薬をさして浮腫を引かせやっとやっと息しているような状態です。
家族はパリン(イラクサ)の花粉症じゃないか、というのですがはっきりとはわかりません。
こんな時日本ならアレルゲンのテストしてください〜と近所の医者でも気軽に行けますけど
ロシアではすごーくメンドクサイのでもういいや、ってなります。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆

バアチャンのところからりんごとトマトをもらいました。
りんごは小さくて酸っぱいのでジャムにしたんですけど、こんな売り物にならないような
りんごでも去年はきれーいに全部盗まれたんです。
いったいどんな魂胆ですかね?

オッサンが休暇に入ってから食事時間がめちゃくちゃになってしまって、
毎日のリズムが乱れるのでイライラします。
特に、何時に起きてもその日の一番最初に食べるのが「朝ごはん」なので
こっちは昼ごはんと思っても夕ご飯までに一回作らないと
「今日は昼ご飯無しか〜、無しデスカ?無しデスネ?」と言われるのでムカつきます。
「無しですッ」

まあ、こんなことでイライラしていては「私って毎日これでいいの?」と思いながらも
夜食のラーメンすすりながら残業残業のOLの皆さんに申し訳ないです。
「ごめんなさい」

さてオッサンは今日は昼前から夜9時までガレージに篭って車をさわっていました。
「ありがとう〜」

おたくの部長も毎日これくらい外回りしてくれることをロシアから祈っています。


<本日の夕ご飯>
チキンソテートマトソース、トマトとわかめの味噌ドレッシング和え、春雨ときゅうりのスープ、スイカ、りんご

2004年8月19日(木) 予算って何だっけ何だっけ

曇り。 14:46の外気温23℃、室内24℃、湿度59%

「なあ、休暇どこに行くかいいかげん決めんと」
この言葉を何回何十回言ったことでしょう〜〜
でも決まってません。

「休暇も大事ですが、給料もデス。休暇分がまだ入ってナイ」
ありゃ〜〜。
「ちょっと銀行まで入ったかどうか見に行ってきますけど一緒に行きマスカ?」
というので一緒に出かけました。

オッサンの職場でも最近ようやく給料が銀行振り込みになったんですが、
支払いの遅滞が続いているためにいちいち見にいくのがメンドクサイので
「こんなことなら現金の方がヨカッタ」みたいです。
支払いの遅滞っていうと日本じゃただ事じゃありませんけどロシアではしょっちゅうなので
みんなあまり気にしないようなんですがほってはおけません。
ニュースによると最近の遅滞は州の予算を他のことに使いすぎて
お金が足りなくなったためらしいです。
予算って何のために立てるのかな〜〜
コドモでもおこづかい帳なんかつけてませんか〜〜
どんなんや・・・・・・とあきれてしまいますね。そういうトコなんですよ、ロシアって。
オッサンはまだ遅れても金額は全額ちゃんと支払われるのでいいんですけど、
もらうはずの金額を全部もらえない人もいるわけで、特に今問題になっているのは
若い労働者の年金のことです。
年金は今日本のように収入金額に応じて払う額が変わるんですが、給料が少ないと
年金を積む金額も少なくなって結果もらえる金額も少ない、ということになってしまいます。
当然支払われるはずの給料から算出した支払い額をつめばいいわけですが、
実際もらっている給料が少ないのにそこから年金分だけ正規の支払いをしたら
ただでさえ少ない給料がますます少なくなってしまいます。
ある程度年齢が行った人はまだいいんですけど、こういう状態になってから働き始めた
若い人は将来どうなるのか、国や州の予算はそう簡単に回復しそうもないし、
この状態が長く続いたらいったいロシアの将来は?という問題があるのです。

ところで休暇分の給料というのはどういうことかというと、ロシアでは休暇に入る前に
休暇分(有給ですからね)の給料を前払いするのです。
もし前払いがなかったら払われるまで休暇を拒否できます。
拒否できますけどだいたいは支払い側とゴタゴタしたくないので払われなくても
決められた日になったら休暇に入る人がほとんどですけど。
そういうことですからオッサンの休暇分の給料ももう支払われて当然なのですが
まだなので見に行ってみよう、ということになったわけです。

行ってみたらまだ入っていませんでした。
いい気分はしませんけどガタガタいってもしょうがありません。
ガタガタ言えばちょっとは動くオッサンに、休暇先をはよきめるようにガタガタ言うしかないですか。


<本日の夕ご飯>
やきそば、ペンネのトマトソース和え、トマトサラダ、野菜サラダ

2004年8月20日(金) とにかくモスクワ

晴れ。 13:00の外気温22℃、室内23℃、湿度52%

「とにかくモスクワへ行ってから決める。」

オッサンの出した答えです。
休暇先はとにかく一旦モスクワへ行ってからそこで決める、というのです。
どっちみちどこを選ぼうとツアーはモスクワから飛ぶのでその意見はわからないことはありません。

本当はモスクワまでの旅費とツアー代金はあんまり変わらないので浦から
直接行ける所に行きたいのすが、極東なので浦から直に、というツアーは
中国とか韓国とか日本で希望に合わないんです。
ヨーロッパのリゾートに行こうと思うと浦の旅行社に申し込んでもどっちみち
浦→モスクワ経由でモスクワの大きな旅行社のツアーに組み込まれるので、
浦の旅行社に余計な手数料払うのもバカバカしいからいつも直接モスクワの会社に
申し込んでいます。

でもいつもは浦を発つ前に手配してから行くので行き先も決まっているし
それにあわせて準備もできるんですが、今回は行ってから決める、というので
かなりイラッときました。
それに「モスクワの近くに住んでいる幼馴染の家族と一緒に行こうかと思ってる」
と言うのでさらにイラッときました。
一緒に行くのはええけどそういうことを思ってるならなんで言わん?
おみやげとか考えなあかんし・・アンタには幼馴染でも私は初対面なんやし、とか
まあロシア人にとってはどうでもいいことをあれこれ考えて気をまわしてひとりで
イライラしてしまうワケですよ。

「そんでいつモスクワ行くん?」
「25日。」
は?
あと5日ですか?
ちゅうかそれ今聞いたし。
決めとるならなんで言わん?

オッサンは「水着とパンツがあればいいじゃん?」の人なのでいいらしいですけど
そういうこと言っといて、旅先であれなかったっけ?これなかったっけ?って言うの
誰かな〜〜
だいたいいつも「もしかして?」と思って持ってった物を使うことになってるんは誰かな〜

今回24日に知り合いの結婚式が入っていて、22日から準備のお手伝いをしないと
いけないこともあって時間がないから、この話をきいて本当にイライラしました。
前日にぱぱっとあれとこれとこれっ、ってバッグに入れてハイ行って来ます〜は、
かっこいいけど私はでけへんねん。
オバハンやから荷物多いねん。
そんでもまだ日本におるときよりは旅行の荷物半分になってんで〜
今うちのハハの準備とか見るとあきれますもん。

私がイライラしているので居心地が悪くなったのか、オッサンは両親と海にいきました。
あーあーその方がいいわ、いっそのことおらん方がイライラせんで済むし〜
相変わらず鼻も詰まってるし目もかゆいしほんま調子わるいわ。
オリンピック?そんなんどうでもええわ〜
気分転換に豚でも煮よ。


<本日の夕ご飯>
豚の紅茶煮、ゆで卵とトマトのサラダ、アクロシュカ

2004年8月21日(土) 土曜日のいろいろ

晴れ。 23:25の外気温21℃、室内26℃、湿度55%

いろいろバタバタしに二人で出かけました。

いい天気です。
気温は大したことないのに日差しがめちゃ強くて体に染み込む感じです。
帽子をかぶると目立つので(ロシア人ほとんど帽子かぶらない)そのままで出かけたら
頭が暑くて暑くてたまりません。
私があんまり頭が暑いと言うのでオッサンが私の頭を触りました。
「うあ〜ほんとダ〜熱い〜」
「なに。ちょっと、アンタの頭出してみ。」
え?
オッサンの頭、熱くありません。
頭の林がまばらなので頭皮に直接太陽光線が突き刺さっているはずなのに〜?
「やっぱ髪の毛黒いと熱いんや〜」
「何わけわなんないこと言ってるんデスカ。」
「黒は一番熱を吸収する色なんじゃ」
「それは知ってますケド」
「頭デカイから面積が広いしの〜」
「確かに東洋人の頭蓋骨は登頂が広いデス。」
「ロシア人、頭熱くないワケや〜」
「またそういうコトを」
「日本人がなんで帽子かぶりたがるのかわかったわ〜」
「じゃ、東南アジア人なんかはどうなんデスカ?」
「それは・・日本人は“不快なコト”に敏感やろ、暑いなら帽子、寒いならカイロ(ホ○ロン)と
あの手この手でなんとかしようとするけど、もともと暑すぎたらまーいっか。ってなるやん。
暑いとややこしいことは考えたくないねん」
「わけわかりませんネ」
「いや〜完璧な説やな、一冊書かんと。」 ←浮かれ気味
「・・・・・・・・・・・・・。」

さて暑いので浦に最近できたアイスクリームの「バスキン・ロビンズ」へ行ってみました。
う〜〜ん、すごく混んでます。
並んでいるのはいい大人ばっかし、しかもオジチャン率高し。

「あのネ、抹茶アイスがありますヨ」
ケースを覗いてみたら抹茶アイスがすごく減っています。
へ〜〜、ロシア人、抹茶アイス知ってるのかな?それともなんかエキゾチックだから
と食べてみたらおいしかったのかな?
でも苦味があるアイスがロシア人にウケるとは以外やな。

自分でバニラアイスに抹茶を入れてコネコネして食べているうちのオッサンですから
抹茶アイスがあるとなれば試さずにはおれません。
大きいコーンカップにトリプルでいきました。
「おーいしーーい!・・・でも高いデス。それに私の作るやつの方が本当の抹茶の味するし。」
↑本当の抹茶やもん。
でも確かに高いかも。この値段でロシアのバニラアイス1kg買えるやん・・・・・

◎  ◎  ◎  ◎  ◎

モスクワまでの往復航空券も買いました。
毎年値上がりが続いていてモスクワへ行くのも大変です。

オッサンが、なんでこんなに値上がりするかなあ〜と売り場のお姉さんに言ったところ、
「ウラジオは金持ちが多いから彼らに合わせて値段設定してるのよ、高くても絶対売れるもの。
ハバロからの値段見た?1時間しか変わらないのにウラジオよりかなり安いわよ、
ハバロまで行く費用がかかったとしてもハバロからの方が安くつくわよ、そいういう人も
多いわよ」
と冗談か本気かわかんないような事を言ったので、一応ダリアビア(ハバロの航空会社)や
ハバロからのアエロフロートの値段を調べてもらったのですが、確かに浦にくらべて
安かったので大分考えました。

だけど大きな荷物と一緒に夜行で一晩かけてハバロまで行くのを考えると私はそれならもう
旅行やめたいくらい・・・と思ったので浦から一番安いシベリア航空の乗り換え便を買いました。
往復でひとり61000円。
あーあ、
おととしはアエロフロートの直行、8時間。
去年はウラジオストク航空のアバカン経由、9時間。
今年はシベリア航空のノボシビルスク乗換え、16時間25分。
この分じゃ来年はシベリア鉄道、一週間か。
とにかくモスクワまで行けることは行けるな。

うちに帰ってから、相変わらず鼻の具合が悪いのでオッサンが何か薬(というか薬草
みたいなもの)で鼻の洗浄をする、というのでビビリました。
鼻って水が入ると痛いでしょうーーッ!
フンフンフン♪と音痴な鼻歌を歌いながら薬草を煮出しているオッサンは引け越しの私をみて、
「遺言書いてるんじゃない?命かけなくてもいいヨ〜」
と言いましたが、鼻用ポンプみたいなのでオッサンが思っきし、ぶしゅぅぅぅーっと
薬液を入れるんですわ〜
もう、ゲホッゴホッじゅるじゅるぶひぃぃぃーん、って感じで鼻と涙となんだかかんだか
とにかくぐちょぐちょになりました・・・・

この鼻、旅行に行くまでに治るんでしょうか・・・・・
ぶひーんッ。


<本日の夕ご飯>
ヒラメの香草焼き、鶏ハツのスープ、野菜サラダ、すいか、桃、ゆでトウモロコシ

2004年8月22日(日) 日本の郵便は素晴らしいという話

晴れ。 15:30の外気温25℃、室内26℃、湿度56%

ゆうべ「命をかけて」鼻洗浄したのに相変わらず鼻づまりがひどくてしんどいです。
いい天気なので花粉が飛びまくってるかな〜?
でもホンマに花粉症なのかもわからんし・・・・・

旅行の準備と結婚式の準備のお手伝いで一日中バタバタしました。
出発前日は結婚式のパーティでたぶん午前サマになるので、次の朝すぐ出られるように
しとかなあかんしな〜
なんといってもメンドクサイのは家をきれいに片付けて「オカーサンが触らないように」
しておくことです。
3週間も留守にするのにオカーサンが来ないわけありませんやん。
普段グータラ生活なので3DKのこんなアパートでもいろいろ大変です。
ちょっとでも何かがテーブル、デスク、床といった「平らなところ」に出ていたら、
全部「どこか」に姿を消してしまって後で一苦労なので(汗)

オッサンは行方不明のEMSを探しに出かけました。
リペツク(モスクワから飛行機で50分くらいの所)のサーシャがもう2週間も前にEMSを
出したのに着かないので先日も郵便局に確認にいったばかりなんです。
ちゅうか投函5日目くらいからもう5回確認に行ったんですが、着いてないし、
不在で戻ってもいないというオネエサンの返事だったんです。
車関係の大事な書類なので旅行に行く前になんとかせなあかんということで、
もしかしたら住所を書き間違えているとか?と、基本的なミスを考えてサーシャに
電話しているんですが数日前から連絡がとれないので困っていたんです。

それでよく似た住所の隣の棟とか、前に住んでいたアパートとか思いつくところに
直接行ってきいてみることにしました。

わかりました。
前の住所に送られていました。  ←サーシャ、たのむわ・・・・(涙)
今の住人はもちろん受け取らなかったので郵便局に返っているはずというのです。
でも投函してすぐから5回も確認に行ってるんですよ?
ウチすごくめずらしい名字やから聞き間違いとかないと思うし?
日本の速達書留よりすごーーく高い料金払って送った結果がコレですか?
オッサンは、
「日本なら80円でも絶対着くのにッ!」とすごーく怒っていました。

結局そのたかーい郵便はサーシャの元へ返っている途中のようです。
今頃中央シベリアあたりでしょうか・・・・

郵便より先に我々がモスクワへ着くのは確実です。


<本日の夕ご飯>
鶏のから揚げ、炒飯、野菜サラダ

2004年8月23日(月) ユーラシア横断はジャージがお似合い

曇り時々晴れ。 20:44の外気温20℃、室内25℃、湿度58%

今日も一日中掃除したり準備したりゴハン作ったりしていました。
オッサンは結婚式のお手伝いで出かけていました。

モスクワ大学の化学の学生が学校で麻薬を合成して密売していたのが発覚して逮捕されました。
日本なら東京大学の学生が、ということですか。
すごく稼いでいたみたいですよ、おりこうさんはいいですねえ〜 ←だめだめッ。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆

旅の準備をしていてハタと手が止まりました。
何着てこう・・・・・・
着てくモンだけは出しとかんと。
でも何?

みなさん旅行行く時って着る物を新調したりするのも楽しみのひとつじゃないですか?
日本ではそうでした、私。
でも家計ルーブル建ての今は他に使わなあかんコトが多いですからそんなぜータクな
ことは言っておれません。
荷物の海に沈んだり浮いたりしながら考え込んでおりますとオッサンが帰ってきました。

「なー、何着てこ?」
「普段の格好でいいんじゃないデスカ?」  ←仕事も普段も同じ格好の人
「普段ってジャージやん。」
「アエロフロトのファーストクラスで行くわけじゃないデスヨ。乗り換えしながら
ユーラシア横断するんですからジャージでいいんじゃないんデスカ?」
「そうか。」

というわけであっさりジャージに決定。
え。
そんなら今からこれ脱いで洗濯せんと。
一応アイロンもかけなあかんし。


<本日のひとりご飯>
ゴハン、梅干、玉子焼き、味噌汁

2004年8月24日(火) お幸せに。

いよいよ結婚式のお呼ばれ当日です。
オッサンは朝から(白いスーツで)出かけて行きました。 ←新郎ちゃいます

私は旅行の準備があったので披露宴だけにしてくださいとお願いして昼はバタバタと
旅の支度をしました。
夕方オッサンが迎えに来て、
「一日中でしんどいから悪いけど少し遅れて披露宴行って早めに帰ろう」
というので予定より1時間近く遅れて披露宴会場に行ったんですが、
司会のおばちゃんが手持ちぶたさにレストランの外のベンチに腰掛けています。
「まだ新郎新婦がついてないのよ、道が混んでるみたい」
あらま大誤算。
ちなみに披露宴は夜7時からエンドレスです。

ロシアの結婚式は大変です。
日本のようにホテルで3時間区切りにハイ次、ハイ次、というわけにはまいりません。
朝から翌朝までが「結婚式」です。
お客も入れ替わり立ち代わりばらばらとやってきては去ってゆき、司会者が退場して
新郎新婦が退場してもお客は朝まで飲みたいだけ飲んで騒ぎたいだけ騒いでいいんです。

私は今まで2回しかロシアの結婚式に出たことがありませんが、だいたい流れはこうです。
新郎が新婦の家へ迎えに行く⇒教会式(信仰によってやったりやらなかったり)⇒
ЗАГСで登録とお祝い(書類上の結婚)⇒記念撮影をしに市内の名所を回る
(ゴッツイアルバムができる)⇒レストランなどで披露宴

さて新郎新婦が会場に到着したのは夜9時(まだ明るい)
結局披露宴の最初のセレモニーから参加することになってしまいました。
お祝いの席なのに遅れて行こうなどと不埒な考えを起こしたのがあかんかったんでしょう。
花嫁はお人形さんのように可愛くてきれいでした。

披露宴にはプロの芸人を呼ぶことも多いんですが、今回はジプシー舞楽団でした。
宴を盛り上げてくれ最後は一緒のテーブルについて飲めや歌えや大騒ぎで、
新郎が酒注ぎにてんてこマイマイ。
ほとんどのレストランにはダンスフロアがあって、披露宴でもみなさん踊りまくりなのですが
今回花嫁さんは「タルカン」のファンだったのでDJがタルカン・スペシャルダンスMIX
みたいなのをガンガン回してくれてノリノリで踊ってましたよ、花嫁さん。
このレストランにはお立ち台があるもんですから「花嫁コスプレショー」みたいでグー。

オッサンもいつのまにかノリノリでゲームに駆り出されたり、踊ったり、食ったり(はずせません)
「遅れて行って早く帰ろう」などと言っていた人とは思えません。
ポケットからウエットティッシュを出して、「これって便利なものですねぇ」と言いながら
オッサンに「はいどうぞ」と渡す花ムコ(日本人)と、「ドーモ、ドーモ」と言いながらそのティッシュで
顔から首まで拭くオッサンの二人は両方とも「日本のおっさん」なのでありました。

新婦のご両親がごあいさつにこられました。
浦と日本はすぐ近くとはいえ、外国にムスメを嫁がせるご両親はさぞかし
心配なことやろうなあと思います。
二人が幸せな家庭を築いてくれることを願ってやみません。

午前1時を回ったのでそろそろ帰ろうかと思っていたところ、新郎新婦もホテルに帰ると
いったのですが、どうも送迎の車が帰ってしまったらしく困りました。
送ろうか、と言ったのですが「いや、ホテルまで二人で歩いて帰る」と言います。
深夜の大通りをウエディングドレスとタキシードの二人が仲良くダンスしながら(しません)
歩いて帰るのも悪くないなぁ〜と思い、お礼を言ってお先に失礼しました。

我々にとっては旅行前のしんどい日程の結婚式でしたけど、みんな楽しそうだったし
二人も幸せそうだったしお料理もおいしかったしとってもよかったです。
そして何より「O−ZONE」で花嫁とお立ち台でラインダンスしたからそれでよし。

お幸せに。


<本日の夕ご飯>
中華レストランで中華料理

2004年8月25日(水) モスクワ編・こんなはずでは

いよいよ行きます、モスクワ。(もちろんジャージ)
そんでモスクワからまた「どっか」へ。
・・・・どこなんじゃー。(どこになろうとジャージ)

ほぼ徹夜です。
ま、旅の前はいつもこんなもんですが〜
朝、オカーサンが迎えに来てくれました。
オカーサン、真っ黒になってます、ほとんどガングロ。 ←死語

空港へ向かう車の中、ラジオでゆうべドモデェドワ空港から発った2機の飛行機が爆発、
テロの可能性ありか?というニュースをやっていてちょっとドッキリ。
しかも1機はシベリア航空機。
今回シベリア航空でモスクワ行くんです〜 ひぇ〜〜
しかもドモデェドワに降りるんです〜 ひゃ〜〜

そういえば昔、日本から浦へ行く予定をしていた2日前にロシア機がウクライナで
誤爆されて墜落した事件があり、家族が心配してロシア行きを強行に反対され
当日の朝、空港のデスクに電話して泣く泣くキャンセルしたことがありました。
今思えばあのキャンセルっていったい何やったんやろう??ってモンですが。
今は、テロがおきたから安くなってるはずとか言うて休暇先を選ぶようなことで、
無神経というかアホというか・・・ホンマに慣れって怖いですね。

さてウラジオ空港に着いてみたらわかったことがありました。
「イルクーツクでも降りる」ってことです。
そんなん聞いてないッ!!
「そんなこと何も言われなかったし航空券にも書いてない・・・知ってたらいくら安くても
シベリア航空なんか買わなかったのにィ〜だまされた。」
と、オッサン。
もう遅いです。

荷物を預ける時、いきなり怖い顔でオバサンに呼ばれました。
透視画面に蛍光ミドリに光るカタマリが映っています。
「この金属のカタマリは何か?」 とオバサン。
「これって何ダッケ?」 とオッサン。
「それはあなたのブレーキパッドでは?」
「あ〜〜そうか〜〜そうそう、そうだっタ〜」
休暇でもあくまでもつきまといます、中古車関係、もおーイヤッ。

荷物を預けてから結構時間があったので空港の横にある「ベネチアホテル」の
カフェに行きました。
私は始めて入ったんですけどめっちゃきれいでした。
オネエサンもにこにこしています、トイレもきれいです、強力におすすめ。
きれいで居心地がいいのでゆっくりしていたら時間ぎりぎりになりました。
急ぎ足で空港へ戻ると「搭乗手続き終了」になっていて重たい鉄のドアが閉まっています。
ひぇぇ〜〜汗。
二人でドアをどんどん叩いて叫んでいたら少しだけドアが開き、コワーイ顔のオネエサンが
「何便ッ?」
「シビル航空3××便ッ!」
「早く入ってッ、走ってッ!」
なんとか飛行機に乗れました。

「もお〜いっつもこんなんやん、うちら!」
「こんなのまだいいデス。」
「よくないッ!」
「ワタシはあなたの飛行機はあそこに見えるやつだから走って間に合ったら乗ってクダサイって
言われて見たら、もうドアが閉まっていて階段が機体からこうネ、ぐーんと離れていくところ
だったから、待ってェー待ってクダサーイ!と言いながら飛行機に向かって走っていきマシタ。
そしたら階段の係りの人が気づいてまたこうネ、ぐーんと階段をドアにつけてくれたんだけど
ドアは閉まってるからドンドン叩いてやっと開けてもらって乗ったんデスヨ。」
「あきれるわ・・・」
「それでネ、この話は続きがあるんですヨ」 ←ちょっとうれしそう
「なんな、言うてみ」 ←ちょっと不機嫌
「ごめんなさい、ごめんなさい、ってみんなに言いながら座ったら隣のオジサンが、
“私は以前同じ目にあったことがあるが、君より運が悪かったことにはその飛行機は
私が乗るはずの飛行機じゃなかったってことだ“って言ったんだヨ〜
それで南へ行くはずがシベリヤへ行っちゃったんだって。おもしろいでショウ〜?」
「・・・・それはアネクドートか?」
(いえ、ほんとの話です)

おちついたので人々を見渡してみるとジャージ姿のオネエサンは結構いました。
ちょっと違っていたのは
オネエサン⇒おしゃれジャージ
私⇒ホンマのジャージ
「オッサン〜私がジャージで恥ずかしくない?」
「ワタシはジャージじゃないから恥ずかしくないデスヨ」
??
それってジャージなのはアナタなので恥ずかしいのはアナタですよ、って事ですか?
そんで都合悪くなったら他人のフリですか?

◇  ◇  ◇  ◇  ◇

飛行機は満席で11:28に出発、、眠くて眠くて浦からイルクーツクまでは意識朦朧、
着陸の衝撃で目が覚めたような感じでした。
イルクーツクは風が強く雨も降っていて気温7℃。さぶいっ!
しかも飛行機から建物まで歩いて移動。
空港から出ることができなかったので土産物屋をウロウロしていたら怪しい本を見つけました。
「日本の寝室のナゾ」
なんな、コレ?
その怪しい表紙から中をめくってみたい衝動に駆られたんですけど、ロシア人のオジチャンが
すぐ横に立っていたので断念しました。
そのタイトルの本をめくっている日本人のオバハンはなんかものすごう怪しいかなあと
自分で想像してしまったんです。
日本の寝巻きとか蚊帳とか和布団の種類を紹介してる本であるはずもないやろし・・・
でも帰りにイルクーツクに降りた時だれもいなかったら見ます、それまで売れていませんように。

イルクーツクはバイカル湖もすぐ近くなのにそんなことだったので、田舎の空港を見ただけ
ということでしたけどオッサンは野生なので「森の匂いがする」と言っていました。
いつかバイカル湖に行ってみたいな。

◇  ◇  ◇  ◇  ◇

2時間ほどして今度はノボシビルスクに降りました。
シベリア航空の本拠地です。
ノボシは浦より大きな町、空港も大きくて直したばかりできれい〜
2時間ほど時間があったのでマルシュルート(マイクロバスの路線タクシー)で
市内へ行ってみることにしましたがオッサンも初めての町です。
「バスセンター行」というマルシュの運転手に町までどれくらい?ときくと40分というので
乗ってみることにしました。
途中、すごく大きな川を渡りました。
「これ、何て川デスカ?」
「私に聞くな、ロシア人。」
「はい。」
「でもフタラヤレチカ(浦のドブ川)よりは大きいな」
「アムールよりは小さいネ」
「ボルガよりもなあ」
「で、何て川?」
「だから私に聞くなッ!そこのロシア人に聞かんか!」

終点のバスセンターに着きました。
降りてみたら「バスセンター」以外何もないところでした。
「なんか町の中心じゃないみたいだネ・・・・」
「途中のほうが店とかあったよなあ」
ブラブラ歩いてみたんですがホンマに何もないところでした。
「マルシュの終点だからツェントル(中心街)だと思っちゃいマシタ」
「ホンマなあーま、しゃあないわ。うーん、海のない町はなんか閉塞感があるな。」
「どして閉塞感がアル?」
「なんか海って町の口があいてるみたいやから。」
「そうデスカ?海があると逆に閉じてる感じがしますケド?」
へぇ〜おもしろいなー内から見たら外へ向かって開いてるみたいやけど、
外から見たら閉じてるみたいなんかなー。
オッサンは外から見ていて私は内から見てるんかな。
「そんでどうする?」
「もう時間ないから帰りマショウ。」
というので同じマルシュに乗ってまた40分、空港へ帰りました。
途中、2回も事故現場を見ました。ホンマどこでも事故多いなあ・・・・
空港に着いたら、「不振な荷物はありませんか、見つけたらすぐに通報してください」などと
盛んにアナウンスしていました。
やっぱり飛行機事故はテロ・・・・?
ノボシビルスクの印象は「平たくて大きい田舎の町」  ←失礼。

さてノボシを出発していよいよモスクワに近くなってきました。
「ところで我々は今日どこに泊まるんでしょうねえ?」
「ワカリマセン」
「ワカリマセンかー。」
「空港におばちゃんが迎えに来てたらムィティシ、迎えに来てなかったらスヴィプロヴォ。」

実は我々はモスクワでの滞在先がはっきり決まらないまま浦を発ってしまいました。
その事で出発前にオッサンと大分ガタガタしたのですが・・・・
バックパッカーちゃうねんからどこに行くかくらいはちゃんとしといて欲しかったんですけど。

モスクワでの滞在先は親戚の家なのですが、市内とその周辺に4軒ほどあります。
全部オカーサンの姉さん(オカーサンは6姉妹の末っ子)か、その子供(いとこ)関係なんですけど、
いろいろ姉さん同士の力関係やなんかあって、こっちであんたとこに泊まるわと
言えないようでいつも向こうにおまかせなんです。
なんか日本でもありませんか、こういうコト(汗)
それでまあ、私たちが行くまでに向こうで決着つかなかったらしく、
今回は「行ったらわかる」状態で出発したんです。
滞在先にあわせたおみやげとか持ってくもの考えなあかんし、とこっちはイライラしたんですが、
そういうところがもう日本人なんでしょうねえ。

20:40、定刻通りモスクワはドモデェドワ空港に着きました。
長かった・・・16時間25分。
疲れた・・・・アエロフロートなら8時間。
ゲートを出たらおばちゃんの息子(いとこ)が迎えにきてくれていたので、滞在先は
モスクワ州ムィティシに決定。
空港から約2時間です。
シベリア航空は航空券に空港から最寄地下鉄までの直通特急電車の料金が含まれているので
それだけはラッキーです。
ムィティシの家についたのは午前0時。
浦の家を出てから21時間の旅、長かった・・・鼻は詰まるし、疲れたホンマに。
いくら安くてもこのルートはおすすめしません。
おばちゃんが歓迎のごちそうを用意して待っていてくれたけど乾杯のコニャックを
あおっただけでもう限界、ごめんなさいで一人だけさっさと寝ました。

先が思いやられます・・・・。


<本日の夕ご飯>
どれが夕ご飯かわからんのでパス。

2004年8月26日(木) モスクワ編・なぜかモーターショー

すごーーーく長い時間寝たような気がします。
でも起きてみたら朝10時、もう1時くらいかと思っていたので意外でした。
家の人はみんな出かけていません。

「さあ、出かけマショウ〜」
「どこに。」
「シチバンク。そのあとモーターショウ。」
「モーターショーぉぉ?モーターショーってフェラーリの横で水着のオネイチャンが
こぉーんなんやっとるヤツか?」
「さあ〜それはどうかわかりまセンが、何かおもしろいカー用品があったら買おうかと思って」
「何でモスクワくんだりまで来てカー用品買わなあかんねんッ!水着のおっぱいちゃんが
ようさんおらんかったら暴れるで!」
「きっといると思いマス、行きマショウ〜」
というので時差ボケと鼻づまりがひどかったけどオッサンに引きずられて行きました。
場所をよく調べもせず出て、途中何回か地下鉄を間違えて会場も間違えて、
(ワールドトレーディングセンターの受付のお兄さんが、明らかに場違いなコ汚い二人組みに
フッと笑った顔が忘れられません)
めっちゃ不機嫌でやっとたどり着いたエキスポセンター、入場料200ルーブル也。
なんや!金とるんかい!ホンマにおっぱいちゃんがようけおらんかったら許さんで!

すごい人です。
イベント内容だけに圧倒的に男性客多し。
おっと、キャンギャルのおっぱいちゃんがおるわおるわおるわ〜ようさんおるわ〜!
しかもロシア美人で抜群ボディなので迫力満点☆
オバハンの私でも思わずカメラを向けずにおれません。
車はロシア車とヨーロッパ車、フェラーリやポルシェはありませんでしたが、
見たこともないような車や、めちゃめちゃでかいトラックとか装甲車みたいなキャンピングカーとか
公衆バスとかピンクのヴィンテージチャイカとか、車にそう興味のない私でもおもしかったですから
車好きの方やったらめっちゃ楽しいと思います。
それに展示車には助手席に露出度が高いオネイチャンが標準装備されていて、
試乗がゴックンです。
オプションだとオネイチャンが脱いで・・くれません、あしからず。

YAMAHAやKYBなんかのブースもあってもしかしたら日本人がおるかも?と思って
覗いてみましたがいませんでした。
いたらどうするって言われても困るんですが・・・まあ、「お疲れ様です」って言うくらいでしょうか。
東洋人もちらほら見かけましたが、韓国、中国の会社のブースがたくさんあったので多分韓国人か中国人でしょう。
せっかく来たんやからワケわからんでも見たれ、と思い、展示車のドアを片っ端から開けて
中を見たんですが、日本車に比べてとってもシンプルなのが印象的でした。

カー用品のブースに人だかりができていたので行って見たら、日本製のアクセサリーを
出している会社がハンディ・クリーナーのデモンストレーションをやっていました。
ブースのオバサンがオッサンに、
「市内から来られたんですか?」
「いいえ、ウラジオストクからデス」
「ウラジオからわざわざ!」 ←違いますけど
オバサンはびっくりしていましたけどオッサンは日本語で、
「どしてこんな日本の旧モデルや売れ残りみたいなものを展示会に出しているんですか、
オート○ックスのバーゲンの方がずっといいデス」
と言ったのでオバサンはますますびっくりして黙ってしまいました。
何かわからん言語で話したのでびっくりしたんやと思います・・・・多分・・・きっと。
言っていることがわかって「黙った」んとちゃうと・・・ですよね?

さて広い会場なので歩きつかれてそのへんに座っていたらオッサンは幼馴染の
サーシャに電話をかけました。
サーシャはモスクワから少し離れたリペツクという町に住んでいるんですが、
今日は商用でモスクワに出てくるときいていたんです。
以前サーシャに、モスクワ経由でどこか休暇に行くという話をしたとき
それならぜひうちにも遊びに来てくれ、そして一緒に旅行に行かないか、と言われていたので
どこかで会って話をしなければならなかったからちょうどいいので今日会おうということに
なっていました。

オッサンはモーターショーに名残惜しそうでしたが(展示会なので販売してなかったし)
私はおっぱいちゃんがようけおったので満足だったし、時間がないので会場を出て、
地下鉄の駅で待ち合わせをしてサーシャの携帯に電話したら後ろで返事の声がしました。

「おーー!サーニャ、お前やせたな〜〜、誰かわからなかったよー」
「お前も太って誰だかわからなかったよ」
まあ、いいかえれば二人とも「おっさん」になったっちゅうことですな。

すぐ近くのウズベク料理の店に入り、オッサンは手帳に貼った子供時代の写真を
サーシャに見せて「お前ぜんぜん別人じゃん」とかお互い言い合って大笑いしています。
それでこのままサーシャの車(うちが前乗っていたマツダ)でリペツクへ行くことになったんですが、
おみやげをおばちゃんの家においてきているから一回家によってから行くことになり、
3人でムィティシまで帰りました。

ムィティシに着いた時点でもう11時過ぎていて私はめっちゃしんどかったんです。
これからサーシャの車の置いてあるモスクワの南の端まで移動して、
それから5時間以上走って・・・と考えたらごめんやけど行きたくなくなりました。
鼻づまりがひどかったし、むこうで具合が悪くなって迷惑かけるのも嫌やったし、
すごく悩んだけど行くのを断わってしまいました。

おばちゃんが私を一人置いていくのをすごく心配していたのでオッサンは、
「とにかく寝てばっかりいるから寝さしとけばいいから」と言ってサーシャとリペツクに
出かけて行きました。

オッサンは私が行かないのを気に入らなくて機嫌が悪かったし、せっかく誘ってくれた
サーシャにも悪いなあと思ったんやけど、ホンマにしんどくて迷惑かけそうやったからやめたんです。
特に元気で時差ぼけもなくてどこでもうんこしてどちでもよくて何でもいいオッサンと、
特にヘボくて時差ぼけがしんどくて旅先でうんこ出なくていろいろややこしい私のコンビは
一緒に行動するにはムリがあります。
ここ何年かでそれがよおくわかったので今年はもうムリに付き合わない事にしました。

さて一人でやっかいになることになったこのオーリャおばちゃんの家ですが、
この家はこの家でややこしい問題を抱えていたのでした。
まあ、それはともかく眠さ限界、
おやすみなさい・・・・・・

2004年8月27日(金) モスクワ編・ややこしいは寝るに限る

「とにかく寝かしとけばいいから」というオッサンの言葉通り、誰も私を起こさないので
いつまでも寝ていたら昼でした。
ありがとうーみんな。

さてリペツクに行くよりはラクかもしれないこの家ですが、いろいろややこしいこともあります。
そもそもおばちゃんの家はシベリアにあって、このアパートは上の息子が
モスクワの大学に行く事になった時に買って、普段は2人の息子が住んでいるんです。
ちなみにおばちゃんも僻地への出稼ぎ組。
この息子用のアパートの隣に今建てている新しいアパートを去年買いました。
あと5年したらシベリアからモスクワに完全移住するそうです。

そんなおばちゃんが遥かシベリアから急にモスクワにすっとんでこなければならなかったのには
訳があります。
ロマ(下の息子)が大学を退学になってしまいそうだったからです。
ロマは去年こっちの大学に入ったんですけど出席日数が足りなくて1年目にして
進級の試験を受ける資格を失ってしまいました。

ロシアの大学は簡単に留年できません。
このままでは自動的に退学になってしまうのでおばちゃんはビックリしてなんとか理由をつけて
留年させてもらえるように奔走し、知り合いのドクターに長期欠席の理由となりえる診断書を
書いてもらい(ちなみに結核)大学側に留年のお願いに来たのです。
(こんなことバラしていいのか・汗)
ロシアの大学は9月が新学期ですからもうぎりぎり、すっとんでこなければならなかった訳です。

いまどきロシアでも大学の入学金もあれば授業料も要りますし、
女手ひとつで一生懸命働いてやっと大学にも入れたのに、そう簡単に
辞めてもらっては困る!というおばちゃんの気持ちもわかります。
そうですとも、ええ、ええ。
どっかの国でも聞く話ですか。
当の本人はいたってノンキでアルバイトなんかしているので ←結核なのに?
おばちゃんはますますイライラです。

おばちゃんは今日、大学に書類を出しに行ったようですが結果は即答してもらえるはずもないので
よい結果をきくまでこっちに滞在するようです。

その(結核の)ロマはとっても明るく気さくで優しいいい子なんですが、何かに付けアバウトなので
優等生で神経質な兄さんのコーリャとは以前から衝突が絶えないみたいでした。
この二人は性格から趣味嗜好に至るまでまるっきり正反対の二人なんです。
この退学騒ぎのゴタゴタでコーリャは弟の事が完全に頭にきたらしく、自分の部屋に鍵をつけて
ロマを絶対入れないようにしてしまい、二人で使っていたパソコンのパスワードも変えて
パソコンも使えなくしてしまいました。
今ではほとんど口もきかず、週末はコーリャがサナトリウムに行って二人だけで家にいる
時間をなるべく作らないようにしているようです。

私たちが来た日、コーリャはもう寝ていたのですが次の朝オッサンに自分の部屋の鍵と
パソコンのパスワードを書いた紙を渡してサナトリウムに出かけて行きました。
私は寝ていたので今回まだコーリャに会っていません。

そんな事情を知らない私はパソコンを使いたくてロマに使っていい?ときいたら
「パスワード知らないから使えない」と言われて、去年は使ってたのにどしたんや?

思ったんですけど後からオッサンに事情をきいてちょっと引きました。

ゆうべオッサンが出かける前に現金とカード類をスーツケースにしまってダイヤルロックをし、
「ワタシが帰るまで絶対に開けないようにネ」と言うので
「なんで?パンツとか入ってるから困るやん」 と言ったら
「ワタシは本当いえばここの弟を信用できない。いい子というのと金にルーズというのは
別の問題ダカラ。」と言ってリペツクに行きました。

そッ、そんな家に残される私って・・・・・・?

ややこしいことを考えたくないので今日はとりあえず、ひたすら寝とこうと思います。
あ、パンツは出したので大丈夫です。

2004年8月28日(土) モスクワ編・ややこしいはところ嫌わず

今日は自然に朝8時頃目が覚めました。
浦時間では午前1時なのでやっと時差に慣れてきたみたいです。
すごくいい天気で風は少し冷たくてイイ」かんじ。

ゆうべリペツクのオッサンから電話があり、あしたサーシャとこっちの旅行社に行って
ツアーを決めてから飛行機でモスクワに帰るということでした。

「車でリペツクに来たけどメチャクチャ眠くなって運転交代しながら途中車を止めて
仮眠もしたんだヨ〜だからこっちについたのはもう朝になってからダッタ。」
「え〜大変やったね」
「うん、来なくてよかったカモ。なんか寝るところもちゃんとベッドないし、猫がいっぱいいて
うるさくて臭いしきっと来たらタイヘン」
「私も相変わらず鼻が詰まってたいへん」
「うーん、困りましたネーあしたおばちゃんに別の薬を買うように頼むからちょっとかわって」

モスクワに来たけど鼻づまりは治りません。
飛行機の中でもノボシでもモスクワにきてからもずっとひどいので
花粉症じゃないかもしれないと思い始めています。

おばちゃんはどこかに次から次へと電話しているし、お天気もいいので出かけるには
最適の日だと思うんですが、なんかそういう気になれず一日中部屋でウダウダしていました。
アパートの周りもぶらぶら歩きたくなるような場所じゃないし。
いっそもっと田舎なら牛とかニワトリとかそのへん歩いていて散歩も楽しいんやけどなあ。
モスクワにきて2日。
ロシアの滞在時間が一分たりとも惜しいロシア好きさんには申し訳ないような毎日ですが、
どこにいてもややこしい事がおこるときは起こります。

土曜日でバイトが休みのロマがずっと家にいたんですが、彼が昼寝している間に
どうしてもパソコンを使いたくてオッサンが置いていったパスワードのメモを見て
パソコンを使っていたら、

「お茶飲もうよ〜」

ひ、ひえぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーロマ。(大汗)

パソコンの画面を見て顔色が変わりました。
「パスワード、コーリャからきいたの?」
「えーと、えーと、オッサンから」
「ふーん」

ひ、ひえぇぇぇぇぇぇぇぇーーーー(滝汗)

これでは「他人には教えるのにオレには教えない兄さん」ではないかーッ!
何かいい言い訳がなかったもんかとめちゃめちゃ後悔しました。
(あってもロシア語で言えへんけど)
どうしよう・・・・・
もう、ロシア語がぜんぜんわからんフリしとけばよかった・・・
わからんでもいい時はわかって、わからなあかん時にわからん私のロシア語、
もうサイテー。

ひとさまの家にやっかいになるのはホンマにタイヘンです。
ホームステイや他人の家なら逆にいいかも・・・・
身内だといろいろややこしい事が多すぎて・・・
正直言えば、金払ってでもホテルに泊まったほうがどれだけラクかしれません。
そういうこともあってモスクワ経由で旅行に行くのはいつも気が進まない私なのです。
が。
オッサンの「西の旅行はこれが最後」という言葉にだまされて(?)またうっかりきてしまいました。
ところで西じゃないならどこへいく気?

△  △  △  △  △

昼過ぎ、オッサンから電話がありました。
「ツアー決めてきたヨ、トルコのアンタルヤ。9月2日から10日間。」
「そうか。そんでアンタいつモスクワに帰るん、もう飛行機乗っとるはずやけど?」
「それがネェー今日飛行機なかったの。もう今日は川にエビ釣りに行こうかと思って。
今夜の夜行電車かあした飛行機でかえるつもり」
「そうかぁ〜なかったのかぁ〜なかったのなぁ〜・・・・・エビたんと持ってこいッッ!!」
「はい。トルコのこといろいろ調べといてクダサイ」
「それがな、ロマにパソコン使ってるとこを見られてな、ま、帰ってから話すわ」
「?」

そういう訳で旅行先はトルコになりました。
去年までは「なんか安っぽい(ロシアでメジャーすぎるから)」と言って候補に挙がらなかったトルコですが
年々旅費が上がっているので今年は「トルコしか」行けないようです。

ええやん?トルコ。
うまそうやし。
濃ゆいし。 ←?

2004年8月29日(日) モスクワ編・うれしさほんわり

こんなに毎日寝てばっかしなのにゆうべも9時半に寝てしまい、夜中に蚊に襲われて
目が覚めました。
カユカユカユ〜〜〜
5箇所も刺されてしもた・・・・

蚊があんまりしつこいので部屋を変えて寝ていたら今度は猫がゴソゴソと
布団に出たり入ったり腹に乗ったり耳をフンフンしたりで寝れません。
はいはい、ここアンタのベッドやもんな、すまんの。
そのうち知らんまに寝ていたんですけど目が覚めたら10時でした。

オッサンは夜行電車ならもう着いてる時間なので帰ってないということは今日の飛行機か・・・
もう3日目。

おばちゃんが家からぜんぜん出ない私を心配してか、
「スイカを買いに市場へ行くけど一緒に行く?」 といったのでついて行くことにしました。
ここはモスクワの北、モスクワ市内の最寄地下鉄まではマルシュで30分くらいです。
昼はマルシュの本数が少ないので家をでて地下鉄まで行くのに1時間くらいかかる
ので
便利とはいえないのですが、市場をみるとモスクワ市内より物価がずいぶん安いです。
主要食品類はウラジオと変わらないか逆に安いくらい。
まあ、ウラジオは町の規模にくらべて物価が高いところなんですけどもね。

麻のニットを売っている店がありました。
モスクワなどロシアの西の方では麻製品が有名で、よく麻製品の店をみます。
衣料品の店が並んでいるようなところを歩くと、カラフルな店に混じって
「ベージュや生成りの店」がぱらぱらとありますが主に麻(のニット)を扱っている店です。
立ち止まって見ていたらおばちゃんが
「小さいサイズのはないの?」
「これ、小さいわよ」
お店のオバチャンが壁にかかっているセーターを下ろしてきました。

「ほら、袖とかちょうどいいんじゃない?アンタどこの人?」
「この子日本人なの。小さいからねえ〜まあちょっと着てみなさいよ」
え。着るんですか?
買いませんよッ、買いませんッ。
「ホレホレ」
と頭からガボッとかぶせられて
「あーいいんじゃない?」
「まあちょうどいいわね。こんな小さいのもあるのねえ」
「カーディガンもあるわよ、ほらこれ。こっちも着てみる?」
バサッと肩からかけられて
「うーん、セーターの方がいいわねえ」
「そうねえ、セーターの方がいい」
「セーターにしなさいよ」
「そうね、そうするわ、じゃそれちょうだい」

ちょうだいですかッ?
誰がそうするですかッ?
誰がセーターの方がいいんですかッ?
ボーっと突っ立っている私に
「はい、これは私からのプレゼント。モスクワ土産ってことね」

え?おばちゃんが買ってくれるんですか?
ちょっとびっくりしてそのあとほんわりとうれしさが込み上げてきました。

日本ではずーっと自分で働いてきて欲しいものは自分で買って、親ももう買ってくれるより
買ってあげるような歳になったし誰かが何かを買ってくれるということは
ほとんどない生活をしていたから (それもまたトホホ)
ロシアにきてオカーサンがちょっとしたものを子供に買うみたいにホレホレ、と
買ってくれるのがすごく新鮮でうれしく不思議な懐かしさを感じたんです。
おみやげといわれればそうなんですが、今回もそんな感じ。
おばちゃんありがとう。
これ着て帰るな。
そんでオカーサンにおばちゃんが買うてくれた、って真っ先に言うから。

スイカを買って帰る途中、突然大雨になってずぶぬれになりました。
難儀したなあ〜と二人とも着替えたりしていたらオッサンが帰ってきました。

「タダイマ〜急に雨ネエ。はい、これ干し魚。」
「あのなーこのセーターさっきおばちゃんに買うてもろてん。」
「よく合うんじゃないデスカ?よかったデスネェ。あ、おでこ、蚊にかまれてマセンカ?」
「あ?蚊?ゆうべかまれた。ちゅうかなんで干し魚?」
「エビが一匹しか釣れなかったんデス。それでサーシャが釣ったフナを干したの」
「うっわーくっさーめっちゃ臭いやん!」
「まだ半干しだも。もう一回干しマス。サーシャの息子はもう8歳になってましたヨ」

はいはい、リペツクどうやったとかサーシャの家族はどうとかそゆ話はその魚しまってからにしようや〜
臭くてかなわん。

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