めるのロシア日記 調子悪くてあたりまえ

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2004年7月1日(木) 西から昇ったお日様が東に沈む(これでいいのだ)

曇り後雨。8:30の外気温16℃、室内23℃、湿度56%

おはようございます。
今日から7月です。

Eカップ(今時わたしゃAカップ・涙)、ポルトガルは2:1でオランダに勝ちました!
ヨカッタ〜〜♪
おっっしゃぁ〜次は決勝じゃ〜!

◇  ◇  ◇  ◇  ◇

「PINK」がロシアでコンサートをするニュースをやっていました。
PINKって誰?というアナタでも、ペプシのCMでローマ戦士のような格好をした
美女2人(ブリトニーとビヨンセ)と一緒に出ている怖いネエサンといえば思いつくのではないでしょうか。
Queenの「We will rock you」を歌っているドスのきいたあのネエサンがPINKです。

PINKはデビューからなんか引っかかるネエサンでした。
歌もカッチョエエんですが、どう転んでも空中2回転でも「オバハン臭い」のです。
「関西のオバハン」みたいなんです。
PINK、好きや〜〜。
オッサンもPINKが好きです。
「イリーナに似ているから」だそうですが、イリーナというのはオッサンのいとこの奥さんで、
とっても男気のあるいいアニキなのでオッサンのお気に入りなのです。
「モスクワにPINK来るやて〜いいな〜浦にも来んかな〜」
「もっとおばちゃんになったらくるかもヨ」
「あ?」
「極東にはこういう言葉がある、“ロックスターは西から昇って東に沈む”」
「へ?」
「あのねエ、有名なロックスターは売れてるときはモスクワとか西にしか来ないの。
それで、落ち目になるとここにも来るの」
なぁ〜るほど!(涙)

PINKのコンサートはモスクワ・7月6日、ペテルブルグ・7月7日です。
ロシアで「関西のオバハン」は赤の広場なんかに行くと時々見れます、
「ちょっとォ、兄チャン、シャッター押してんか」などおのぼりさんのロシヤ人をつかまえて
写真撮ったりしておりますが、
カッチョエエ「歌う関西のオバハン」はそう見れませんので行ける方はぜひ体験していただきたいものです。

<本日の夕ご飯>
ビーフシチュー、野菜サラダ、焼カバチョク

※PINKオフィシャル・サイト↓
http://www.pinkspage.com/news/index.html
※PINKはこんなネエサン↓
http://www.oops-music.com/info/view.html?oid=3418&type=A
※ペプシのCM・女性版(PINK・ブリトニー・ビヨンセ)↓
皇帝役のエンリケもグーです。(濃いぃ〜から)
http://pepsi.co.uk/music/videomusic.asp?artist_id=14
ついでにペプシのCMサッカーヒーロー編・壁紙DLもできる(ここをご覧の貴方は当然ラウルでしょう)↓
http://www.pepsi.co.uk/football/
しゃあないな、ベッカム様はこれ↓
http://www.pepsi.co.uk/football/players.asp?player=1

2004年7月2日(金) ウラジオストク市制144周年

雨・強風 7:00の外気温16℃、室内24℃、湿度58%

今日も朝からEカップです。
優勝候補チェコ×ノーマークのギリシア戦はなんとギリシアの勝利!
これだから勝負の世界はわかりません。
オッサンはヴァレリに、「うちのカミサンを空港まで送ってくれ」と頼まれて今朝は早くに家を出ていましたが、
「空港にテレビないんだもん、フトボールどうナッタ?」
と、空港から電話がかかってきてギリシアが勝ったで〜というとめっちゃびっくりしておりました。

ギリシアが勝ったらちょっといいな、とは思っていました。
濃ゆい、からじゃなくてこのユーロカップはポルトガル×ギリシア戦で幕を開けたから
ファイナルもその組み合わせになったらおもしろいな〜と思って。
それにポルトガルもギリシアもロシアと同じAグループで、
なんかの間違いでロシアはギリシアに勝っちゃったし。
もしギリシアが優勝したら今大会でギリシアが唯一負けた相手はロシアというコトになるわけです。
濃いぃ〜同士の二度目の戦いは7月4日(浦7月5日)、ファイナル戦。

ところでヴァレリの奥さんは「一人だけで」西の方へバカンスに飛び立っていきました。
お父さんは小さな娘とお留守番です。
ヴァレリ一家に何か異変が・・?

◎  ◎  ◎  ◎  ◎

今日は「ウラジオ市制144周年記念日」です。

あいにくの天気でしたが花火が上がっているのが見えました。
4月に日本でもコンサートをしたБГ(ボリス・グレベンシコフ)のコンサートもありました。

「あれ何の音?カミナリ?」 ←天気悪い
「あ〜カミナリ鳴ってるネ、雲が光ってるヨ、あ!雲光ってるんじゃなくて花火花火!
今日、ウラジオの日だった〜」
いろいろ楽しい行事があったようなんですがそれを知ったのはいろいろが終わってからでした。

電気を消して窓から花火を見ていたらオカーサンから電話がかかってきました。
「日本には男のキモノってあるの?」
ありますよ、モチロン。

オカーサン・・・何を企んでますか?


<本日の夕ご飯>
カニチャーハン、中華風スープ、トマトサラダ、スタリーチヌィ

※ロシアの伝説的バンドアクワリウムのリーダー・БГ(ベーゲー:ボリス・グレベンシコフ)とはこんな人↓
http://www.mandala.gr.jp/spc/event/040403.html
※アクワリウム・ロシぴろさんの特集記事↓
http://www.rosianotomo.com/othervideo/akvarium.htm
※ヴァレリの話・2月7日、2月20日


2004年7月3日(土) カマボコ救急車でやってきたオジチャン

曇り。 14:40の外気温24℃、室内23℃、湿度51%

台風が近づいているようです。
明日の夜から大雨という予想だけど窓が隙間だらけで困ったなぁ。
天気が悪かったので市場に食料を買い出しに行く以外、家でごそごそしていました。

オッサンが車の部品をインターネットの売買サイトにアップする作業をしていました。
「そいえばうちのマツダ君、モスクワに着いたん?」
「まだ。シベリア鉄道で走っているトコロ」
「けっこう遅くなったなーサーシャ、ずいぶん待ってるんちゃう?」
車を買ったサーシャはオッサンの幼馴染でモスクワの近くで車屋をしています。

「今モスクワへ送る列車は混んでるからネ〜いよいよモスクワ人も日本車のコストパフォーマンスが
わかったみたい。最近たくさんモスクワに入っているみたいヨ、サーシャが言ってた」
「え?それってユーロト○タとかヨーロッパ製のやつ?」
「ちがうヨ〜右ハンドルの日本の中古車だってば。西では今まで日本の中古車はあんまり人気がなかった。
右ハンドルだからかなァ?慣れれば気になることないんだけどネ〜。
だけど、たとえばドイツのオークションで左ハンドルの98年のト○タ・マクシマは6500ドルだった。
でも実はそれは日本のブルーバードのことで、日本では2500ドル。
マクシマはエアコンもついてなくて全部オプションなのにブルーバードはフル装備で半額以下。
それならブルーバード買うじゃん!」

へー、そうなんや。

「まあネ、ブルーバードは日本で人気ないからそれは極端な例だけど〜。
モスクワへ行く車はウラジオの港にあがってもウラジオは素通り。
大体2000年以降の年式で8000ドル以上のやつばっかりだし」

へー、そうなんや。

「ロシア中日本車だらけになるかな〜。と思えば日本からカマボコ救急車でやってきて
ロシアンラリーに出たオジチャンもいるし。」
「え!УАЗで?日本から?」

ロシアにУАЗ(ウァズ)という車のメーカーがあります。
ジープとかワゴンなんかを作っているのですが、私が浦へ来た頃、救急車は
このカマボコみたいな形のワゴンばっかりでした。
車体はカーキ色で赤い十字マークがポツと書いてあるんですが、
たいていカマボコ、じゃなくてボコボコで、「救急車だけは乗りたくない」と固く思わしめたシロモノです。
こんなんで迎えにこられたら、瀕死の患者も 「あ、私?歩いて帰れます。」
となるでしょう。 ←よろしいがな。

今はほとんど白に赤の十字でスタイリッシュなモスクワ風ワゴンになりました。
でもこのカマボコは四駆なので道の悪いところに行く時はまだ活躍しているようです。
現金輸送車に使われているのを見かけたりもします。
警察の車や護送車にも使われています。
あ、ちなみに黄色い車体の救急車は心蘇生装置がついているやつで、
心臓発作などを起こすとやってまいります。
発作が起こらなくても通りで手を出していると止まることもあります・汗。

で、そのカマボコのオジチャンです。
オジチャンは58歳、「Japan car」 というロシアの会社が主催する浦=モスクワを往復するラリーにたった一人の日本人としてまた、たった一台のロシア車として参加しました。
しかもオジチャンはそのУАЗを日本から船で持ってきたのです。
オジチャンは日本でもУАЗに乗っているのです。
ムチャなオジチャンですねぇーー。でなくて、イカすオジチャンですねぇー。

ラリーは5月15日から6月13日までだったのでちょうど私が帰国している時でした。
もし浦にいたら応援に駆けつけていたでしょう。
「新聞とか全国ニュースでもやってたヨ」
へー。そうか〜。

オジチャンは無事完走して日本へお帰りになりました。
そんなオジチャンのカマボコならちょっと乗ってみたい気もします。


<本日の買い物>
豚肉・1000円、牛肉・600円
ナス5本・100円、たまねぎ1`・64円、きゅうり1`・80円、にんじん6本・40円
トマト1`・160円、あんず1`・160円、さくらんぼ1`・720円
卵10個・92円、米3`・215円、ナマコ缶・150円、ツナ缶・120円×2個
カニ缶・480円、紙ナフキン2パック・80円
牛乳・68円、ぶどうジュース140円、グレープフルーツジュース・150円
水30ℓ・120円

<本日の夕ご飯>
ハヤシライス、きゅうりの中華風漬け、野菜サラダ、カニ缶

※ロシアンラリーの写真いろいろ↓
http://jp.y42.photos.yahoo.co.jp/bc/mig_jet25jp/lst?.dir=/%a5%de%a5%a4%a5%d5%a5%a9%a5%c8/UAZ2206&.src=ph&.view=t
http://granpri.japancar.ru/?code=info&mode=chroniclevlad01

※オジチャンはNo.15↓фотоをぽちっとやるとツトムさんもカマボコもよく見えます
http://granpri.japancar.ru/?code=info&mode=crewmans
※オジチャンはロシアンラリーの参加者を募っています↓
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=SP&action=m&board=1835358&tid=a57a5ya5ja5a2bgna62a3cga5ia5ja1bca4kbb22ca47a4dea4bba4sa4aba1a9&sid=1835358&mid=1
※オジチャンとУАЗの出会いから個人輸入まで↓
http://www.vividcar.com/cgi-bin/WebObjects/f1b8d82887.woa/wa/read/fa754e3ac0/
※УАЗ(Ульяновский автомобильный завод)英語有り↓
http://www.uaz.ru/
※Japan car ↓
http://www.japancar.ru/

2004年7月4日(日) ククマリヤ

曇り。12:30の外気温20℃、室内24℃、湿度58%

両親がパソコン仕事をするときにわざわざこっちのアパートへくるのがメンドクサイので
「お古のパソをくれ〜」と言っていたから先日持って行ったのですが、
今度は「プリンターをくれ〜はよくれ〜」というのでこっちで新しいやつを買って
プリンターもお古をあげることにしました。

めぼしい店に見当をつけて買いに行ったんですが、全部休みでした。
こゆ店は日曜日にやっていたほうがいいんとちゃいますか、浦。

街にキレエなオネエチャンと写真とってたりしている外国の海軍人さんがいっぱいいたので
ついでに港へ下りてみたらアメリカの戦艦が入っていました。
「ホラ、いっぱいアイス買ってる。アメリカ人、ああいうもの好きだナー」
「何言っとるんじゃ。あんたらも大好きやんか」
沈黙。

目的の物が買えなかったので余計な物を買って帰りました。
モモとかアイスクリームとかククマリヤ(кукумария)とかです。
ククマリヤとはオッサンのおやつ?でナマコの一種です。
細く胴切りにしたやつを香味酢油漬けにしてある、ま、言ってみれば
酒のつまみみたいなもんなんですが私は今までずーっとナマコだと思っていました。
けど今日市場で生のククマリヤを見てナマコ(マナマコ)とちゃう〜!とわかりました。
色は黒くて体の突起はナマコより低く、全体に丸っこくて硬そうでオレンジ色の口?があります。
オッサンによれば「下は岩にくっついている」そうなのでキンコの仲間かもしれません。
お味の方はというと、ナマコより歯ごたえがあり、ぬまぬま感が少なく私はこっちの方が好きです。

マナマコは「中国人が食っちゃった」ので激減し、今はとるのが厳しく規制されていて
値段も高いので、このへんでは代替品のククマリヤをよく食べます。
そのククマリヤも昔は「潜るとぼこぼこいた」そうですが、最近はあまり見なくなったそうです。

商品になったククマリヤの蓋にはブツブツナマコが頭をもちあげて、
ぱっちりした大きな目(まつげ付)と「ひ」型の口が書いてあり「ククちゃん」という感じで
かわいさをアピールしておりますが、かなーり無理ありますです、ハイ。

帰りにシャウルマを買い食いしてうちに帰って、ククちゃんを食べたら(しかも2個)
結構お腹がふくれました。
「もう、夕ごはんこれでいっか?」 と言ったところ、
「サビシイかんじ」 と言うので、とんかつを少し揚げて食らわせていたところ、突然
「やっぱり選挙に行ってくる。」 と言ってでかけていきました。
お腹がいっぱいになったのでやっと空腹の次に大事なことを思い出したのかもしれません。


<本日の買い物>
ククマリヤ・140円×2個、シャウルマ・140円、菓子パン・80円
アイスクリーム・120円、モモ1`・120円、牛乳・68円
ごみ袋2パック・40円、日本製ティッシュペーパー5個組・680円

<本日の夕ご飯>
とんかつ、ごはん、ククマリヤ

2004年7月5日(月) あくまでもオッサン談

雨(台風) 7:00の外気温15℃、室内22℃、湿度60%

台風の影響でゆうべから雨になりました。
風はありませんが空はまっくらです。

ユーロカップの決勝、ポルトガル×ギリシアは0:1でギリシアの初優勝!
ギリシアはオリンピックへのいい花を飾りました。
ポルトガルを応援していた私としてはサビシイですが・・・。
これでほんとに今大会、ギリシアに勝ったチームはロシアだけになったなァ。
そのロシアは・・代表選手が歌ったり売れ売れデュオのPVに出たりしていますが
МУЗ ТВ(ロシア版MTV)の司会者に、
「サッカー選手よりテニス選手を起用せい!」と言われておりました。汗
シャラポワ、ウィンブルドン優勝おめでとう。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆

オッサンは今日から一ヶ月間「部長代理」なので遅刻しないように早めに出かけました。
いつもですか?
いつもはバリバリ遅刻です。
それについてオッサンの言い分はこうです、
「みんなは朝定時に来て30分くらいお茶を飲んだりしゃべったりして仕事していない。
そんな暇な時間はワタシにはないヨ!だからみんなが仕事はじめる時間に行く。」
朝のお茶ですか〜なんか思い当たりますねえ、日本でも。
ってそうじゃなくて、定時にきてちゃんと定時に仕事するのがフツーなのでは?
もう何年もこういう状態が続いているんですけど、
「火曜日の全体カンファレンスに出るから」 ←みんな出たくない
ということで黙認されているらしい・・・。
こういうのを日本では「なれあい」といいませんか。
うーん、居心地がいいわけや・・。

さて、部長は長年この日がくるのを待っていました。
部長が心置きなく休暇を過ごすには代理をしてくれる人が必要なのですが、
それは部長の資格を持った人でないといけません。
オッサンは今年そのカテゴリの査定の年に入ったのですが、
資格をとるのがいやでいやでのらりくらりしていました。
「だって給料も上がらないのに紙の仕事ばっかり増えていいこと何もないんだも!」
でも部長は長いこと、休暇の間もしょっちゅう仕事に出てこなければならなかったので
「ささ、ぜひ、ぜひ」と、書類を用意して引け腰のオッサンのカテゴリを上げてしまいました。
というわけで部長はバカンスに飛んでいってしまったので今日から一ヶ月間は早起きです。
30分早く行ったからといって仕事せずにやっぱりお茶を飲んでいるんでしょうが。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆

きのうのウラジオ市長選挙はだれも50%+一票を獲得できなかったので
首位、次席の二人で再選挙となりました。
現職は3位で落選。
オッサンによれば、首位は30歳、「元マフィアの偉い人」で、お金をバンバンばらまいて派手に広報活動をしていたヒト。
次席は「お金は出さないけど大口をたたかない正直な人」だそうです。(あくまでもオッサン談)
「ワタシは最近不思議に思うことがある。ロシアのあちこちで選挙があっても
勝つのは元マフィアとかヤバイ人ばっかり。前にもそういう時期があったけど
今のは前とちょっと違うかんじ。これは絶対政府が操作していると思う。政府は
彼らの裏をつかんでいて何かあったらそれを持ち出して地方がモスクワの言うことを
絶対きくようにする考えがあると思う。」

ふうん。
ゆうべ投票終了15分前にあわてて投票に行った裏にはそのような考えがあったのか?
こんな(どんな?)オッサンもそんな政治に疑問を感じているからでしょうか?


<本日の夕ご飯>
シマーのつくねスープ、ジャガイモと卵の韓国風煮込、牛肉ソテー辛味だれかけ、野菜サラダ

2004年7月6日(火) 普通ちゃうやん

曇り後雨。 7:30の外気温17℃、室内22℃、湿度68%

オッサンがプリンターを買ってきました。

前のやつはすごく古かったので写真のプリントがダメダメやったから、
「今度は写真がきれいにできるやつにした」と言って試しにどんどんプリントしています。
出来上がった写真を前のプリンターで印刷した写真と比べてみたら・・・・
そう感動するほどでもありませんでした。
プリンターの問題と言うより、被写体の問題かもしれません、返品するのは思いとどまりました。

強力に催促されていたので、オッサンは両親のところにお古のプリンターを届けに行ってきました。
「プリンタ、ちゃんとセットできた?」
「うん、大丈夫。あのサー、夏の休暇だけどオトーサンがボーリャに電話したら、道とか車とか
確認して月曜日に知らせるってことだった」
ボーリャ(ボリス)さんは北の村時代の仲良しでまだ村に住んでいます。
去年の夏はうちにきて一週間毎日海へ通っていました。

「道って?道ないとこに行くんじゃなかったっけ?」
「それは行ってからの話。そうじゃなくて昔は村の近くの町まで飛行機があったけど
今はもうないからもひとつの大きい町から車で行かなきゃだめなの。」
やっぱりすごいとこみたいです・・・・。
「その道は前はモスクワまで行けたんだヨ。
でも大雨で橋が流されちゃってそのままになってるから今は冬しかいけないみたい。このあいだУАЗでモスクワまでラリーした日本人がいたじゃん、
でも村の人は夏になると「じゃあ、秋にまたねー」と言ってふつうに自分の車に荷物を積んで
モスクワまでよく行ったヨ。
ラリー仕様どころかボロボロのモスクヴィチの屋根に荷物を置いてねェ、
奥さんも子供も猫まで連れてみんな行ったんだヨー。
途中川をフェリーで渡って、ホテルなんかないから夜になったら田舎の家にこんばんはー、
泊めてくださーい、って言ってネ、田舎の人はみんな優しいからちゃんと泊めてくれたって。
それにうちは村で車を買ったけど、その頃車は簡単に買えなかった。
お金があっても車がない。だからみんな誰かの車を借りてよくモスクワまで車を買いに行ったヨ。
ウラジオからよりずっとずっと遠いんだヨー、でもそんなの別に普通だった。」

ひぇ〜〜普通だったんですかぁ〜
ところでオッサン家には車があったけど車ではモスに行かなかったんですか?
「車なんかで行かないヨ〜すごく大変じゃん!」

やっぱ普通ちゃうやん!!


<本日の夕ご飯>
たまねぎと牛肉のにんにく炒め、焼きナスのマリネ、ポテトサラダ、みそ汁

2004年7月7日(水) ニュージーランドはいい気分

雨&霧。 8:00の外気温16℃、室内20℃、湿度68%

オハヨウゴザイマス。
窓の外でカモメが鳴いてます。

浦はただいま「肌寒い梅雨」真っ最中です。
今日は七夕やけどこれじゃ年に一度の逢瀬もかなわんな。
極東の沿海部は梅雨もあるし台風もくるし黄砂もふるし日本とよく似ています。
似てはいるんですが・・・お湯は出ません、もう2ヶ月以上でてません。
雨も降っています。
洗濯物は乾きません。
乾燥機もありません。
オッサンの漬物靴下もたまります。
お湯がないので給湯パイプも冷たくてパイプに乗せて乾かすこともできません。
ということで、炊飯器の上に靴下が並んでます。

@  @  @  @  @

きのうヤーナからおみやげにもらったワインを飲んで9時に潰れました。
相変わらず気づいたら汗、いや、朝 です。

ヤーナはオッサンのプール仲間で、ニュージーランドに留学していたのですが、
向こうで結婚したのでビザの切り替えのためにお里帰りしてきました。
(NZLのビザは1500ドル!ひぇ〜)
「おみやげ持ってきたからプールまで取りに来て!」と電話がかかってきたので行ったんです。
むこうはどう?という話になり、
「最初はロシアに帰りたくて帰りたくて〜。私のいた町は田舎だったし思ったより寒いし
海が目の前なのに魚はほとんど売ってなくてがっかりしたし食べ物の種類も少ないし。
でも学校の仲間がみんないい連中だったから乗り切れたの。そうそう、日本人もいたわよ!
でもロシアに帰ってきたら、もうロシアに住むのは嫌と思っちゃった。
アンタたちは車に乗るからわかんないかもしれないけどこっちだとバスとか電車でほんとに
しょっちゅう嫌な目にあったわ〜。
それにみんなしかめっ面していて、見るだけで嫌な気分になるもの。
あー年金が少ないとか仕事がないとか病気とかそんなことばっかり考えなくちゃいけないから
仕方ないかもね。
でもニュージーランドは景色が明るくて、人が親切でニコニコしていてとってもいい気分。
少なくても理不尽なことで嫌な気分になったことはないわね。もうロシアには帰らない。」

ヤーナ、ニュージーランドべた褒めですねえ〜
そんなにみんなが親切なのはヤーナが美人だからちゃうん?? とこっそり言ってみる。
でも、ありゃーと思ったのはロシアでは「ガイジン」だから嫌な目にあうわけじゃないんだ!
ニュージーランドにいる日本人だって白人と差別されて嫌な目にあうときはある、ときいたし
そんならロシアはみんな嫌な目にあってるんだから平等なんだ〜♪
なぁ〜んだ、よかった。 ←いいのか?

でもヤーナ、一番親切でニコニコしているのはだんな様なんでしょうねー
愛があれば「こんなロシア」でも楽しく暮らせるかもしれませんよー  ←私とは関係ない
よかったね、ヤーナ。

オッサンはキウイのキーホルダーをとても気に入ったようです。
「ニュージーランドの鳥〜鳥〜ロシアにはいないヨ〜♪」と歌っております。
そうな、おらんな。
アンタはロシアで幸せかい?オッサン。

<本日の夕ご飯>
ビーフカレー、フレンチフライポテト、きのうのポテトサラダの残り、きゅうりの胡麻マヨ和え

2004年7月8日(木) よーく考えよう

雨&霧。 8:20の外気温16℃、室内20℃、湿度66%

「どう?お金出せた?」
「ひどいナー、解約したら10%とられるっていうからもうやめたヨ!」

ロシアの銀行が困ったことになっています。
政府が経営状態が怪しい?銀行の調査をする、といってから2行が潰れました。
もちろん対象銀行の名前を公表したわけじゃないんですが、噂に上がったら
あっという間に広がるのはどこでも同じ。
預金者が引き出しに殺到しました。
潰れたうちの一行はけっこう大きい銀行だったので不安が広がりました。

こんどはアルファバンクがあぶない、という噂が流れ、月曜日あたりから預金者がどんどん
引き出しをはじめCDの前には行列ができていました。
アルファバンクはロシアのTOP5に入る大手銀行で、うちも利用していますから青くなりました。
ちなみに今ロシアには信販も含めると3,218の金融機関があります。

それでアルファバンクに勤めているモスクワのいとこに電話したのですが、
「うちが危ないようなことはないと思うよ〜?アルファを潰したい誰かの策略だと思うケド・・。」
と、気弱い返事だったのでこりゃだめかもしらん、と思い引き出しに行ったんです。
政府はその後アルファバンクの経営は大丈夫、と発表しましたが、きのうもおとといも
窓口はいっぱい、CD機はカラで引き出しすることができませんでした。
懲りずに今朝も行ったのですが、預金のほとんどを占める定期を解約しようとしたところ、
「解約したら預金の10%を解約金として差し引きます」と言われ、
「そんなバカな!このあいだまでそんなのなかったのに〜」としおしおで帰ってきました。
うちでニュースを確認したらなんと「今日から」の措置とわかり更にしおしお。
「ひどいナ〜きのうだったら出せたのに〜今日は銀行が空いてるからどうしてかと
思ったけどそういうことかぁ〜」

オトーサンとオカーサンからもそれぞれ別にお金どうなった?と電話がかかってきたので説明しました。
「そんでどうするん?」
「もう仕方ないからそのままにしとく。一応暫定処置って言ってるし」
「信用ならんなー」
「でもしょうがないデショ!」
ということで不安ですが預金はそのままとなりました。

日本で銀行や保険会社が次々潰れたときは運良くそれにハマらずにこれたのに
まさかロシアでハマリそうになるとはトホホやな〜
ちゅうかロシアでハマらずいくのは難儀やな〜
人生そこです、よーく考えよう〜お金は大事だよ〜♪そう、アナタとワタシ。


<本日の夕ご飯>
ナスのひき肉サンド揚げ、コーンのメキシカンサラダ、味噌かんぷら、野菜のボルシチ

2004年7月9日(金) 日本から一番近いヨーロッパ

雨&霧。 7:50の外気温18℃、室内22℃、湿度75%

ヌマヌマ・イェイの「O−Zone」が明日、モスクワのビーチクラブというところで
ライブをやるのですがどこなん、それぇぇぇぇぇぇ〜〜!!!
ちゅうか行けんし。
12:00からです、O−Zoneはトリなので19:00くらいになるらしいです、
みなさんこぞって生ヌマを体験しに行っていただきたく候。
ロシア名物(?)国旗を振るのは微妙なものがあるのでお気をつけ候。
うっかりソ連国旗などは厳禁であります。
モルドヴァ国旗またはルーマニア国旗ならよろしいかと・・・汗。

毎日天気が悪くて寒くてオッサンも風邪気味です。
今年の6月は例年にない暑さだったのに7月に入ったらいきなり寒いです。
え?日本、35℃ですか!!年々暑くなってませんか?

浦に本当の夏がくるのは8月の2週目くらいからです。
6月7月は梅雨もあるし天気が悪くて、
「子供に夏の絵を描かせると雨の絵ばかり」とシュコーラの先生が言うほどです。
6月から8月までの夏休みがあっても2ヶ月以上天気が悪いので仕方ないでしょうねぇ・・
さて、親達の夏休みも6月から交代で始まりますが、バカンスに出かけるなら天気が悪い
6、7月に遠くへ行き、浦でも夏を味わえる8月からは浦で過ごすのがオイシイ休暇のとり方なんですが
うちは今年8月からの休暇スケジュールをきられてしまいました。
「もったいないナー、浦でも泳げるのにィ〜」
「ほんならどこも行かんと浦におったらええやん」
「いや。」
あっ、そう。

「そんで北の村はどうなったん?」
「だーかーらー、来週にならないとわからないヨー。でも向こうは8月の終わりはもう秋だから
早めに行かないと。でもオトーガンが手術しなきゃならなくなったから。」
「え!!オトーサンどっか悪いの?」
「緑内障の手術しなきゃいけなくなった」

日本でも40歳以上の30人にひとりは緑内障といわれているらしいですが、
ロシアでもとても多くて、やっぱり40歳すぎたら要注意といわれています。
オトーサンはずっと目薬で抑えていたのですが手術をしたほうがいい段階に入ってしまったので
それなら早いほうがいい、ということでこの夏休み中にすることにしたんだそうです。
ハバロフスクに極東全域から患者さんが集まる緑内障手術の専門病院があり、
「施術数が圧倒的に多いから」そこですることにしたようです。
全部で一週間くらいの入院になるそうですけど、
オトーサン、北の村なんか行っていていいんですかねえ?
くれぐれも無理はして欲しくないですが。
どうなる・・・休暇?

◇   ◇  ◇  ◇  ◇

オッサンのでっかいずぼんを洗おうと思ったらポケットに何か紙切れが入っていました。
「これ、要るやつ?」
「あ〜〜それはワタシの給料の明細じゃん!」
こんなわら半紙みたいなやつが・・・
「しょうがないナ〜、ワタシの給料の中身をおしえましょう〜」 ←偉そう
「や、別にいいわ」
「おしえましょう!」
「いいっちゅうねん」
「おしえるっちゅうネン!」
「はい。」

ということで初めてお給料の内訳をきいたのですが、こっそりばらしちゃいますと
基本給は2,726ルーブルです。
気絶しそーですねーーー!!
でもイロイロ「?」な手当てがついていました。
☆地方勤務手当=まぁ、僻地手当ですな、モスクワから9000キロです。
☆地方勤務長期手当=僻地で長いことゴクローサンちゅうことです。
☆「なんとかの日」手当=先月はギョーカイのなんとかの日があったのでお祝い金。
☆ パソコン使用手当=コンピュータは「体に悪い」ので日常的に使う仕事の人にリスク手当。ちなみに1800円。
☆ なんとかの%=オッサンにも不明ななんかの割り当て。←そんなことでいいのか。でももっとくれ。

そんでもって所得税額は支給額の12,3%でした。

うーん・・・・やっぱり休暇は「日本から一番近いヨーロッパ」、ウラジオストクにしときましょうか。


<本日の夕ご飯>
鮭のクリームソースのフェットチーネ、コンソメスープ、キャベツの浅漬け、コーンとにんじんのサラダ

2004年7月10日(土) 爆弾銃撃ウズラ卵

曇りのち雨。 23:39の外気温15℃、室内23℃、湿度73%

バスルームで顔を洗っていました。
「ワタシはトイレ。」
「はい、どうぞ?」
ドアの閉まる音がしました。
「うあ!ワタシはなんか変なウ○コのものしちゃッタ〜!」
水を流す音がします。
「何?お腹こわした?」
「ダイジョブ。変なもの、見たい?」
「見たくないって」
「今、洗って持ってくる。」
「いいっちゅうに!」
「ホラ、なんかこんなまーるい、白に黒い点々がある・・・・」
オッサンが手のひらに「ウズラ卵」を5個乗せていました。

「ほう。そりゃまたいいウ○コを。」
「きのう食べたもののせいかナ?」
「きのう何食べたっけ?そら毎日それ食べてどんどん変なウ○コのもの出してもらわんと。」
「食べるだけじゃダメなんだヨ、運動もしないと。」
「海は行かん。」
「行こうよォォォォォォォ〜〜〜〜〜〜!!!」 ←泣き入ってます

今朝両親から海へ行こうと電話がかかってきました。
かろうじて雨はこぼれてない、というくらいの空です。
でもここのところずっと天気が悪くて海に行けなかったので、この週末は土砂降りでなければ
なんでもいい、と心決めてあったんでしょう。

うちで一番海が好きなのはオカーサンです。
6月くらい、水温が15℃超えるくらいになったら海に行っちゃいます。
夏の間は平日でも仕事の帰りにそのまま海に行っちゃうこともあります。

私はニホンジンなので気温が20℃で雨が降りそうな日に海に行きたいとは思いません。
「私は留守番してるからみんなで行っておいでよ」
「そんなこと言わないでぇ〜一緒に行こうヨォ〜〜カレイも釣るしィ〜」

・・・・あまりにもばかばかしいウズラ劇場に敬意を表して一緒に行くことにしました。

バタバタと準備をしていたら両親が到着、みんなでTVを見ながら簡単なごはんを食べていると
担架に乗って運ばれるオジチャンが映りました。

ウラジオ市長選に出ているチェレプコフ議員が爆弾でけがをしたというニュースでした。
チェレプコフ議員は7月4日のウラジオ市長選挙で次席となった人で首位のニコラエフ議員と18日に決戦投票が行われる予定です。
自分の選挙事務所から帰宅しようとドアを開けた瞬間爆発がおき、首から頭にかけて
けがをして病院に運ばれました。
チェレプコフ議員側は「最近市長選への立候補を取り下げるように脅迫を受けていた」
と言っているらしいです。

「で、ニコラエフはなんて言ってるん?」
「ワーターシがヤルんだったら完全に息の根を止める。こんな中途半場なやり方はしない、
と言っている」
「ちょっとぉ〜、マジで?」
「ジョーダンだヨ。多分それくらい言いそうナーと思って。」

嫌やな〜物騒や〜!どこの国でもあるんでしょうけども、すごーく嫌な感じです。

嫌〜な気分のまま家を出て、市場で釣りえさのイカを買ってモモを買ってジュースも買ったら
なんか忘れちゃいました。
こんなことではいかーーん!!
でもみんなきっとこんな感じなんだと思います。

海に向かっている途中ラジオで、今度はモスクワで、有名なアメリカの経済誌フォーブスの
ロシアの編集長が撃たれて死んだというニュースをやっていました。
編集長はロシア系アメリカ人で、ロシアの政治経済に詳しく、2001年にロシアの新興財閥
ベレゾフスキーとエリツィン政権の癒着を暴露した本を出して注目されました。
この5月にはフォーブス誌で「ロシアの富豪100人」を発表し、資産を明らかにされたくない
富豪らを揺さぶったようです。
ロシアでは90年代以降、政治家や実業家、ジャーナリストの暗殺がしばしば起こっているけれど
アメリカ人ジャーナリストが殺されたのは初めてだそうです。

あ〜〜嫌な気分がぶり返した〜〜
やはりモモを食ったくらいで忘れてはいかん、という神のご示唆であろうか。

「暴力」がモノをいう社会というのはいかがなものか。
大人も小学生も同じようなことをやっているのはどうしたものか。
ウズラ劇場くらい頭をひねってもうちょっとそのやり方考えて欲しいです。


<本日の夕ご飯>
ふりかけご飯、味噌汁、モモ、木苺、極東サクランボ、カシス

2004年7月11日(日) 日本はアフリカだった

曇り時々雨。 16:27 の外気温20℃、室内20℃、湿度58%

きのう両親は海に対する熱い情熱が冷め遣らず、海で泊まりました。
私とオッサンはもちろんうちに帰りましたよ。

最近このあたりのビーチは車で入ろうとしたらほとんどのところが有料になってしまって
ロープやゲートがあったりして気軽に行きにくいんですが、
親戚のオバチャンがビーチハウスの管理人をしているところがあり、
そこへ行ったらやりたい放題し放題です。

海は小雨で霧で風も強くて波も高く、こういうのを「シケ」というのでは?と思いましたが
オトーサンもオカーサンも元気に泳いでいるし、いつのまにか親戚連中も集まってきて
宴会してるし、オッサンは元気ブリブリ、ボートを出して
「さあ!行くヨ!」
いや、行かないって。
行かんちゅうにぃぃぃぃーーーー!!
ひょいと持ち上げられてぽんとボートに乗せられあとはフルスロットルです。
なぁぁぁぁーーーんでこんなシケの中をボートで暴走せなあかんねぇぇぇぇーーん!!

「オッパー!ひゃっほー!○×△?◇@×※○!!!」←すでに別の世界へ逝っている人。
難行苦行のような海行きでした。(ま、いつもこんなもんです)

☆  ☆  ☆  ☆  ☆

ゆうべ海から遅く帰ったので、今日は昼近くまで寝ていました。
あわてて市場へ買い物に行き、さっと夕ご飯して7時の便で浦にくる知人を迎えに空港まで行きました。

ゲートで待っていると日本からのおみやげをどっさり抱えたロシア人が次々出てきます。
はー、「スリムホース20m」ですか、あ、それダーチャでいいですね、電源要らないし。
それは何ですか?シャッター式風呂フタですね?ジャスコでお買い上げですかー。
お兄さん、ソフマップ、そうソフマップもはずせませんね。
オカアサン、そのピンクのやつは?「スイートホームゆったりさん」、ゆったりさんですかー
リカちゃんでなくてロシアでゆったり暮らしたいものです。
あっ、オジサン、それはエアスポイラーでは?しかもバンパーまで追加ですか。
そっちのSUBARUってハコはなんでしょうね?
オトウサン、オトウサン、そんなところに座り込んで『奈良』みやげなんかみんなに
配ってる場合じゃありません、出口で子供が泣いてます。
あ、ヨド○シカメラの袋も破けてますし。
でも「日本はアフリカだった」という発言は合ってますよ、今年は暑いですからねぇ〜

日本人のお客さんはみんなスーツケースですよ。
しっかりバンドもかけて見るからに大事なものが入っていそうです。
こうしてみると荷物を荒らされないようにするにはガッチリしたケースに鍵にバンドというより
いかにビンボー臭いかというところが重要かもしれません。
実際私も某社ジュラルミンケースを並べていたときはダイヤルキーごと吹っ飛ばされたり
しましたが、一枚98円の中国製チェック柄ビニール袋にした現在では被害がありません。

ゲートを出てきた知人は荷物も本人も十分ビンボー臭かったので安心しました。
安穏な浦滞在をお約束します。

あ、すいません、入国審査で怪しまれたりするのは責任を負いかねます。


<本日の買い物>
黒木苺2ℓ・600円、きゅうり7本・100円、トマト1`・120円、キャベツ一玉・60円、
玉ねぎ1`・40円、小にんじん2束・120円、ラッディッシュ一束・60円、
卵20個・164円、パン・48円、ゆでシャコ1`・1000円、ククマリヤ2個・300円
日本製UCCのコーヒー豆250g・460円、水10ℓ・120円

<本日の夕ご飯>
ごはん、アクロシュカ(окрошка)、ククマリヤ、豚肉とキャベツの味噌炒め
ただいまクワスも作ってます・でも寒いから飲まずにどんどん溜まる・・涙

2004年7月12日(月) 休暇はいつも突然に

曇り。 8:22の外気温16℃、室内20℃、湿度63%

オッサンは今日から一週間通訳バイトなので夕ご飯は「ひとりごはん」です。
ラク〜ラク〜ラク〜♪
誰かが作ってくれるともっといいんやけど〜
そんな気楽なひとりごはんをしていたらオカーサンがやってきました。

「これ、イラからイクラ(2ℓ)とスモークサーモン(50センチ半身)よ」
「え、イリーナさん浦に来てるの?」
「そうじゃないけどむこうから休暇にきた人があずかってきてくれたのよ」

イリーナさんの住んでいる北の町は鮭がたくさん上がる所なので自家製のイクラや
スモークサーモンをたくさん作るからいつもそれをいただくのです。

「ちょっと、あの黒い大きいバッグ貸してくれない?」
「はいはい、どうぞ」
「ビデオデッキも」
「どうぞ」
「うちのカバちゃんのでっかいショートパンツも」 ←オカーサンとオッサン服共用・汗
????

「オカーサン、夕ご飯何か食べる?」
「いらないわ、もう8時の電車でいかなきゃならないから」
「へ?どこに?」
「シュマルコフカ(温泉保養地)よ」
「え!いつまで?」
「30日まで」
「オトーサンは?」
「行かないわよ、仕事。」
「じゃ、友達とか?」
「一人で行くのヨッ!」
「ちょ、ちょっと待って、オッサンに電話する」
といってオッサンの携帯に電話してオカーサンと変わりました。
電話を切るなり、
「じゃ、行ってくるから。またね!」
といってオカーサンは休暇に行ってしまいました。

オカーサンの休暇はいつも突然です。
なんせ野放しの女王なので。
今日はまだ、いったん家に帰ってきてから行ったので上々かもしれません。
オカーサーン、行ってらっしゃーい。

夜遅く帰ってきたオッサンに、
「ちょっと!オカーサンがシュマルコフカに行くことなんで教えてくれんかったん?」
と言ったら、
「ワタシだって知らなかったもん!」

いったいどうなってるんでしょうねえ、うちの家族。
まさかオトーサンまで知らないってことはないですよね?
オトーサンが仕事から帰ったら『シュマルコフカに行ってきます』なんて
メモが置いてあったらこわいな〜
ま、日本だって奥さん一人で旅行も行くし、別に変なことはないんやけど。
ただいついくかくらいは言っといてくださいね、オカーサン。


<本日のひとりごはん>
ごはん+味付けのり、味噌汁、板摺りきゅうり、塩イクラ

※イリーナさんとは・4月8日
※野放しの女王伝説・2月1日

2004年7月13日(火) 大事なこと忘れてないかなー

曇り。 7:50の外気温17℃、室内20℃、湿度68%

おはようございます、朝から油っこいです。
鶏骨付きモモなんか揚げてます。

ゆうべ通訳ガイドのアルバイトから帰ってきたオッサンが、
「Yさんはいったい日本で何を食べてるんだろ?」
「は?」
「カフェでもレストランでもおいしい、おいしいって、ホテルの朝ごはんの卵も日本のブロイラの
卵なんかとぜんぜん違う、やっぱり田舎で飼ってる鶏の卵はちがう、とか言って。
浦だって田舎のチキン工場のブロイラの卵だヨ〜。それに飛行機で出たピーナッツまで
日本よりおいしいって。どうかしてるヨ、日本に寿司イチバンっておいしい回転寿司が
ありますよ、って教えてやろうかと思った。」
「ま・・いいんちゃうん?どこつれてってもマズイマズイって言われても困るし」
「なーに言ってるか!ワタシは困ってるじゃん!なんかへんなロシアの夕ご飯ばっかり
一週間も耐えられナイ。」
「なら、アンタの食べたいもののレストランに案内したらいいんとちゃうん?」
「Yさんビンボウだからそんな店へ案内できないヨ・・・」
↑某日本料理店と察しはつく。
「まあ、日本人に和食のレストランもなぁ・・」
「彼に、Yさんは食べ物にあんまりこだわらないんですネ、って言ったら、そんなことはない、
俺は食べ物にはうるさい、って言うんだからどうかしてる。」
「困ったのー、うちでご飯食べるの朝だけやしな。オッサン、そんなら朝ごはんを
夕ご飯みたいにして食べてくか?」
オッサンは仕事からそのままバイトに行ってしまうのでいったんうちで食べて、ということもできないし。
「そうネ!!そうしよう!明日から朝ごはんは夕ごはん〜〜♪」 ←急にごきげん。

というわけで油っこい朝です。
食事のバランスはその方がいいかもしれませんが、作るのは相当面倒です・・・。

▽  ▽  ▽  ▽  ▽

オッサンはときどき通訳ガイドのアルバイトをしますが日本語を「習った」ことはありません。
専攻も語学と関係ないし、学校や人から教えてもらったことはなく独学で「日本のおっさん」になりました。
そのことはすごいなーと認めます。
オッサンが日本語をやるようになったきっかけはこんなことです。

オッサンの親友が日本語学科へ入学して、ぼちぼち通訳のアルバイトをはじめたのですが
お客さんを案内するのに車がなくてとても不便でした。
オッサンは当時、車を持っているという稀な大学生だったので(その理由について別の機会に)
運転手として彼からバイトに誘われました。
彼が席をはずして日本人と車の中で二人っきりになったとき、なんか気まずくて
英語で話しかけたらすごくびっくりしたそうです。
「日本人なのに英語が話せない!」 オッサンは「西側先進国の人はみんな英語を話せる」と
思っていたんだそうです。
「アメリカの属国なのに英語が話せないなんて・・・」とすごくショックだったそうです。
大いなる勘違いですねぇ〜〜ちょんまげ、ゲイシャよりはまだいいですか。
ちゅうか、属国?まあ・・・汗。

それで、何回もそういうことがあり、車の中で無言の時間がめっちゃ気まずいので
「日本人に英語を覚えてもらうより自分が日本語を覚える方が早いかも」と思い、その彼に教科書なんかを借りて勉強をはじめました。

だんだん覚えてくると話してみたくて話してみたくてしょうがなかったらしいのですが、
まだ日本人が少ししかいない頃なので自衛隊の戦艦が寄港するという話をきくと
港に下りていってそのへん歩いている自衛官の人に「コンニチワー」と話しかけたりすると、
「なんや、おまえ、日本語できるんか〜」 ←なぜかいつもカンサイ人
とかいうオジチャンと意気投合して飲み歩いたりしたそうです。

はじめて日本に行った時も「早く日本語で話してみたくて」船から下りるなり
港をブラブラ歩いている二人連れの女の子を見つけ、
「オジョーーーサーーーーン!」と呼んだら、「二人とも走って逃げた。」というのは伝説です。
「だって辞書にジェブシカ=お嬢さん、って書いてあったんだも。」
まさに「体当たり外国語学習法」ですねーーーすばらしいっ! でもおすすめはしません。
「日本の女性は不思議ナ〜?と思った」そうです。 ←あなたが不思議です。

そんなこんなでなぜか日本の怪しいおっさん達にかわいがっていただいて、
今となっては「日本語ができてほんとにヨカッタ」らしいです。
「何回も日本に行くことができたし」、「仕事の研修もできたし」、「車も買えるし」

そうかー何回も日本に行けたしな〜、研修もできたし、車も買えたしなー
日本語ができるといろいろいいことがあるなーよかったなー
でもなんか忘れてないかなー?大事なこと、ホレ、ホレ。


<本日の夕ご飯>
ジャガイモのひき肉餡がけ、竜田揚げ、ざるそば

2004年7月14日(水) 今日はモデルハウス見学でも

曇り後晴れ。 8:00の外気温17℃、室内20℃、湿度65%

まだお湯が出てないというのに水まで時々止まります。
予告なしの断水は本当にイライラします。
たいがいどっかの部屋で修理かなにかしているのが原因なんですけど
あんまりしょっちゅうなので困ります。
みんなアパートの中はきばって改装するけど共有部分はまったく手付かずなので
外と中のギャップは広がるばかり。

それではウチのアパートにご案内いたしましょう。

ウチのアパートは約300世帯がすんでいます。
アパートの周りの街灯は立ってはいますがひとつも点いていません。
道のアスファルト、コンクリートは剥がれるがままで大きな穴ぼこだらけです。
階段・廊下の電灯も、ウチの棟(36戸)ではウチだけがドアの外に電灯を付けています。
おかげでみんな転ばずに歩けているはずです。
共有部分の暖房パイプは冬でもお湯が通っていません。
階段の手すりとか壁とか天井なんかは言うまでもなく落書き・破損・剥落など荒れ放題。
屋上は「犯罪が起こる危険」があるので立ち入り禁止。
アパート前の広場にある子供用の遊具は壊れたまま修理もされずにそのまま使っているし
第一、 住人の駐車場と化していて常時車が出入りするので危なくてしかたありません
(でもみんな遊ばせているけど)

エレベーターは「ボタンを最初に押した階一箇所しか止まらない」ので、何人か乗り合わせたら
「お宅何階?」と聞きあって下の階の人から順番に押す→降りる、押す→降りる、をしないと
自分のおうちに帰れません。
3階、5階、7階、とかいっぺんに押しても勝手に下から順番に止まってくれる
日本のエレベーターはおりこうさんなんですヨッ!
ありがたく思ってくださいッ!

すごく不思議な家があります。
ひとつの階には4軒部屋があってエレベーターと階段を真ん中に挟んで
左右に分かれているんですが、
ウチの下の階の左側の人は「エレベーターホールごと」自分の家にしているのです。
エレベーターホールの入り口に天井まで届くドアをつけて鍵がかかっているのです!
右側からエレベーターに乗るには鍵を開けてもらってドアを開けてもらうしかありません。
つまり左側2軒の家はエレベーターだけを使って出入りし、右側2軒の家は階段だけを
使って出入りしているのです。
まちがってその階を押しちゃったらいきなり人の家に降りちゃうのです。
いったい、どうなってるんでしょう?????
ちゅうかエレベーターはこのアパートの共有部分ですッ!
もうややこしすぎて考えたくありません・・・

アパートの棟の入り口には一応ボタン式のドアロックがありますが、
ドア自体が閉まっているのを見たことはありません。
モスクワなどでは常識の、「アパートの管理人のオバチャン」もいません。
浦でも高級アパートには管理人さんがいますけど普通のアパートで管理人さんが
いるところはまずないでしょう。
私がいままで行った中では一軒もありませんでした。
こんな浦でもスチュワーデスのような制服をきてメイプルのデスクに座ってニコニコ
お出迎えするような超高級アパートもあるんですよ(モチロン10万ドルでも買えません)

郵便ポストは一階にまとめてありますが、新聞があんまりしょっちゅう盗まれるので
オカーサンがキレてとるのをやめました。
戸別のポストというのはありませんし、新聞を戸別に配達なんかしてくれませんし。

さてもひとつびっくりしたのは新築のアパートは「完成後1年間はエレベーターを動かさない」
ということです。
まずアパートの完成という概念が日本とちょっと違います。
ロシアのアパートはイレモノだけ作ってあとはほとんどオーナーがやる場合が多いので
レンガむき出し、コンクリ打ちっぱなし、電気や水道もまだ、ゴミ用のダストシュートも
使用不可。
この時点でいちおう完成。
そこからオーナーが自力または他力で家を完成させるのです。
この時点でもしエレベーターを動かすとみんなが家具や工事道具の搬入にエレベーターを
使うため、あっという間にエレベーターがボロボロになってしまいます。
というわけで、みんな大汗かいて階段で家具なんか運んでいます。
「ほんとはこのときに一番エレベーターを使いたいのにぃぃぃぃー!!」でしょう。
人生甘くないです。

でも悪いことばかりでもないんですよ。
アパートの花壇は誰も管理しないので花好きなオバハンの「自由な表現の場」と
なっており、
みんな好き勝手しています。

このあいだ日本から帰ったらウチの前が「竜安寺」になっていました。
う。
うーーん・・・・。
石庭?
オバハン、妙心寺派だったんですか〜。
かなり、力作です。
ボロボロだった花壇の囲いもコンクリに自然石をはめこんで自腹で手作り。
こんな狭い花壇に贅沢な間隔で配置された石が豊かな空間を演出しています。

ゴミ臭い階段を逃げるように駆け下り外へ飛び出したとたん広がる清浄しい世界。
汗臭いバスから足をひきずるように帰ってきた我家でまず目にする静寂の空間。
心洗われますね。
給料が50ドルでもダンナがアル中でも女房に逃げられても子供がグレても
一瞬で救われる瞬間です。
ありがとう竜安寺。

今日は浦のアパートのお話でした、合掌。


<本日の夕ご飯>
ブリヌイ(イクラ、野菜、はちみつ、バレニエ、その他いろいろ)とインスタントスープ

※国宝・竜安寺 ↓
http://www.ryoanji.jp/

2004年7月15日(木) 語学の動機

曇りのち晴れのち曇り&霧。 
8:12の外気温17℃、室内21℃、湿度69%

朝ごはんを「夕ご飯」にするはずなのに二人とも寝坊してしまい、
オッサンは飛び出して行きました。

日本のニュースで「ロシアのKGB復活か」というニュースがさかんに出てくるので
なんか怖くなってオッサンにききました。
「なー、プーチンがKGB復活するってどうなん?なんか怖いわー
外国人が住みにくくなったりせんかな?」
「ダイジョブだヨ。なんかあったら日本に住んだらいいじゃん。」
え!
ほ・・ほんとうですか?
本気ですか?
本気なら・・・KGBばんさーーーーいッ!!
ありがとうー、KGB、ありがとう、プーたん。
おかげで日本に帰れます。 
いや、「なにかあったら」も困るんですけど・・

でもあとでよくきいてみたらニホンジンがイメージする「怖いKGB」が
そのまま復活するわけではないようです。
でも、
「アンタの好きな討論番組打ち切りになったんやで〜」
「え?そうなの?」
「そうそ、НТВ(NTVテレビ)のやつな。ニュース番組も中止になったし。
こんでНТВも辛口番組なんもなしやん」

ロシアでははっきりと言論統制があります。
じゃあ主要先進国にはないのかといえばそんなことはないでしょうが
ロシアでは「わかりやすく」それがあります。
今ロシアで「すごい映画がつくられている」と噂になっているのがありますが
KGBの後継機関、FSB(連邦保安局)の将校が国際テロと戦うという内容で、
アクションがすごくて「ロシア版ダイ・ハード」と前フリされています。
この映画に金を出しているのはFSBといわれていますけど、「強い国ロシア」の
プロパガンダであることは「わかりやすい」です。
そのわかりやすい映画の公開は今秋9月、タイトルは「リーチヌィ・ノーメル」です。
はい、それではみなさんご一緒に。

△  △  △  △  △

牛肉のしぐれ煮を炊いていましたところ、テレビからオゾーン!という名前が聞こえたので
振り返ってみると0−ZoneがМУЗ ТВ(ロシア版MTV)にゲスト出演していました♪
ひぇ〜生O−Zoneじゃ〜〜〜!!
アルさん(Arsenieくん)キモくないやん、フツーやん! ←PVではカナリちょっと・・・
三人ともロシア語でバリバリしゃべってました、カチューシャなんかも合唱してノリノリです。
ロシヤ人からするとイントネーションが少しヘンらしいですがそんなこと私には
どうでもいいし、第一、ロシア語がわからんちゅうねんッ!!
あーーあーーー0−Zoneはなにしゃべっとるんやーなんで笑っとんのやー
生まれて初めて「ロシア語ができたらいいのに!」と思いました。

ところでオッサンは毎日帰ってくると、
「今日はO−Zone(のPVをテレビで)見れた?」 ときくので
「うん2回」 とか答えると、
「じゃあ、今日も起きてたかいがあったネ」 といいます。
O−Zone見れなくても寝てはいないんですケド・・・・?

「O−ZoneがМУЗ ТВに出てたんよ〜ロシア語でふつうにしゃべってた」
「彼らはモルダヴィアだからロシア語ができるんだヨ。」
「O−Zoneなあ、МУЗ ТВのオネエチャンとノリノリでしゃべってたんやけど
何言ってるんかぜんぜんわからへんから残念やった・・・」
「ソウネー、ワタシもいなかったし残念ネ」
「私もO−Zoneの言ってることわかるように勉強しようかなぁー、ルーマニア語。」
「どしてそこでルーマニア語デスカッ!!!」

イヤ、マァO-Zone ルーマニア ダシ・・・。


<本日の夕ご飯>
実山椒入り牛肉しぐれ煮、ジムニー、トマトと卵の炒め物、味噌汁、ごはん

※リーチヌィ・ノーメル(Личный номер)↓
http://www.tlp.ru/films/07.html
※キモかったはずのアルさんは普通、という画像↓
http://www.o-zone-fanclub.as.ro/images/wettendass/23.jpg
※日本でO−Zoneと言ったらココ、KAGURAさんの不可思議音楽、サイコーです。
PVが見たい方もコチラ↓
http://fukashigimusic.web.infoseek.co.jp/Dragostea_Din_Tei-Lyric.html
※O−Zoneファンクラブ(ルーマニア)↓いや、別に入会はすすめてませんけど。
http://www.o-zone-fanclub.as.ro/

2004年7月16日(金) 思い出は美しすぎて

曇り。 8:18の外気温18℃、室内22℃、湿度67%

7月も半ば過ぎたのでいいかげん休暇のことを決めなければいけません。
(すでに飛んでいってしまった人も一名いますが・・・)

「なぁ、北の村へ行く話、どうなったん?」
「うん、ワタシは行きたいけどオトーサンが。」
「え、オトーサン行きたくないん?」
「オトーサンはこのあいだ村で勤めてたときの職場へ電話してみたんだって。
一緒に働いてた人で今も勤めている人がいるから電話をかわってもらったんだけど。
オトーサンはすごく懐かしくてやあ、元気ですか、すごく久しぶりですけど仕事はどうですか、って
ちょっとコーフンしてきいたんだけど・・・。
彼はほら、ちょっと人なつこいヒトでしょう。
でも向こうはすごくクールではいはい、そうですか、って感じだったから
オトーサンはとてもがっかりしてしまって・・・行く気が落ちちゃったみたい。」

う・・ん。その様子が目に見えるようでこっちも気落ちしてしまいました。

「今、北のほうへ旅行する人は、南の暖かい海とか都会の楽しみとかそういうだいたいの
ロシア人がしたいことを全部してしまって、もう行くところがないという人がわざわざ不便な所へ
贅沢で行くという感覚がある。
少数民族が住んでいるような所じゃなくてもうちの村へだってそう安いお金では行けないし。」

ソ連時代、開拓地の僻村に勤務すると給料は都市部の5〜6倍、
年金も普通より早くもらえたのでたくさんの人が出稼ぎに行きました。
村はそういう人の集まりだったのです。
だいたい10〜15年住んで、年金の受給資格ができると蓄えを元手に故郷へ帰ったり、
新たな都市部へと引っ越して行きました。
うちの家族はちょうどソ連が崩壊したゴタゴタの時にウラジオへ帰ってきましたが、
その村は資源開発をしていたところではなかったので新政府から見放され、
人もどんどん離れて、近くにあった小さな集落もすべて廃村になりました。
そいういうところはロシア中にたくさんあるそうです。
そうして都市と村との経済格差は広がるばかり、好きで残った人はいいのですが、
なにかの歯車にかみ合わずやむを得ず残った人達にとっては苦い暮らしです。

「ワタシも村を離れた友達には気軽に電話もするけど、村に残った友達には連絡し辛いヨ。
だからワタシは誰にも連絡しずに行く。期待して行って歓迎されなかったらさびしいじゃないか。
オトーサンもネ、あなたはいいタイミングで引っ越したからよかったですね、
ここは寒くて物価も高いけど私は引っ越したくてもお金がないし、とか、
誰も引っ越した、あそこも出て行ってしまった、とかそういうことを言われて・・・。
オトーサンは、北の村は私にとっていい思い出だからその思い出のままとっておきたいって。
だから行きたいけど行きたくないって。」

ちょっと、胸がつまって言葉がでませんでした。


<本日の夕ご飯>
鮭のクリームソースのフェトチーネ、トマトサラダ

2004年7月17日(土) 猿岩?

晴れ。 13:17の外気温26℃、室内25℃、湿度75%

オッサンは朝から通訳仕事に行ってしまったので、午後からオトーサンと
市場へ買出しにでかけました。

「何買うんだ?」
「今日はねえ、新鮮な魚があったら買います。漁師さんが売るやつ」
「そりゃけっこう、けっこう」

生イカが出ていて夏だなあーと感じます。
イカを買おうかなと思ったところへオジサンがトロ箱を下ろしはじめました。
カレイと・・・何?これは何?
なんかタチウオの口が長―く伸びたような、巨大サヨリのような細長くてでっかい魚があります。
「オトーサン、あれ何?」
「知らんなー海の魚だけど」

ロシアの魚はほとんど冷凍か、冷凍の解凍で売られているので
鮮魚があるときは贅沢いっていられません。
浦は海があるので、海、川の鮮魚がありますがそう種類は多くないし
いつでも買えるというわけでもないのです。
「オトーサン、これ買ってみよう」
と魚屋のオジサンの方へ近づくと、オジサンが気づいて一匹持ち上げました。
1メートルくらいか・・・
「2匹ください」
「2匹も買うのか?だいじょうぶか?」
「大丈夫だよぉ〜一匹はオトーサンへ」
「ワシはいらんぞ、ワシは。そんなヘンな魚はいらん」
オトーサンはオジサンに「どうやって食べるんだ?」と聞いていましたが、
オジサンは「焼いて食べる」と答えていました。
オトーサン、オトーサン、ロシアの魚屋にそんなこと聞いてもだめです、って。
絶対「焼く」しか言わしませんって。

最初ロシアへきたころオッサンと魚を買いに行くと日本でみたこともないような魚が
ようさんおりました。
この魚どやって食べるの?とオッサンにきいてもきいても「干すか焼く」しか言わんので
イライラしたんですけど、誰にきいてもそのとおりだったので今はききません。
そりゃまぁ、「まー、刺身か昆布〆で中骨はから揚げにしたら?」とか誰も言いませんよねぇ・・

このわけわからん魚がハズレだったらのために一応カレイも買っときました。
浦で年間通してもっとも多い生魚はカレイです。
見たところマガレイぽいのとマコガレイぽい2種類がありますけどロシア人はあんまり
気にせず同じトロ箱に入れて量り売りです。

そのあと野菜、くだものといろいろ買って最後に水を買いに市場の向かいの店に
行こうとしたらウエディングドレスの花嫁さんがたくさんいました。
店はЗАГС(ザクス・住民に関する諸々登録所で結婚登録もここでする)の横にあるんです。

「ここのЗАГСでママと結婚したんだよ」
「えー!そうなの?すごーい、ママきれいだったでしょうー」
「・・・悪い思い出だ」
「なんやそれー!」
と大笑いしながら帰ってきたんですがオトーサンは用事があるから、といってご飯を食べずに
向こうのアパートに帰って行きました。
たぶん・・あのヘンな魚を食べさせられたらかなわんと思ったんでしょう。

記念に写真を撮ってから包丁を入れると、うあぁ〜背骨が青いー!
アクリルみたいな透明のブルーの骨!
なんか作り物みたいやなー生き物って不思議やなー
身をこそげてちょっと食べてみたら、ちょっと魚臭いけどうまいやん!
旨みがあってイノシン酸がたくさんの白身、て感じ? ←わかりにくいなー
その場で刺身にひいてちょっと食べ、あとは酢しめとから揚げにすることにしました。

オッサンが帰ってきたので
「なあ、ちょっと今日買った魚見てん」
「あ、サルガンじゃん!」
「サルガン?」
「そうー夏になるとくるの。ほら、エジプトで潜ったときもいっぱいいたじゃん」
「え。覚えてへん」  ←泳げないのに潜って魚どころでなかった
オッサンは辞書を出してきて、
「えっと・・サルガン、サルガン・・あった、ダツだって。ダツって書いてある」
あ〜〜〜ダツってこの魚かあ〜〜
日本じゃあんまりおいしい魚ってきかないけどけっこうおいしかったです。

「あのな、お金もたずにロシアを歌うたって旅した日本の歌手いたやん、モスクワから
シベリヤ鉄道乗ってなぁ」
「あー知ってるヨーウラジオにきたきた。ブルームなんとか・・さよならー町のひと〜♪」
「あんた歌まで知っとんのかー。あゆビンボウな旅するやつな、最初にやって
バカ売れしたのが猿岩石。」
「サルガンセキ?」
「そう、さるがんせき」
「ソレデ?」  ←マジわかりませんよ、そりゃそうです

すいませんでした。


<本日の買い物>
サルガン2匹・220円、カレイ1`・140円、若鶏1羽・400円
白桃1`・140円、ネクタリン1`・120円、すもも1`・120円、
ラズベリー220g・160円、ブラックベリー220g・160円、
トマト1`・130円、きゅうり500g・40円、米3`・210円、パン粉500g・190円
バトン1本・40円、菓子パン6個組・45円、水10ℓ・120円

<本日の夕ご飯>
ダツの刺身、酢〆、から揚げ、鮭のから揚げ、ごはんとトマトサラダ

※進め!電波少年・猿岩石 極貧ヒッチハイクの旅
http://www3.airnet.ne.jp/saru/data/96/lp/index.html
http://www.elrosa.com/tisen/30/30614.html#001
※ロシアをストリートミュージシャンしながら横断したブルーム・オブ・ユース↓
http://homepage2.nifty.com/taisuke/bluem.html

2004年7月18日(日) アクローシュカ

曇り時々晴れ。 12:00の外気温29℃、室内26℃、湿度75%

この週末は天気もまあまあ、気温も高くて普通ならソッコー海なんですが、
オッサンは通訳仕事だし海先導係りのオカーサンは一人で休暇中。
オトーサンもヨメと二人で海というのもどうかと思った(かどうかは不明)らしく
結局午後遅く帰ってきたオッサンと二人でガレージにこもってゴゾゴソやっておわりました。

二人とも汗だくで帰ってくると思ったので、アクロシュカを作りました。
アクロシュカ(окрошка)というのはロシアの冷たいスープで夏の定番です。

ちなみにアクセントは「0」にあるのでアクローシュカがほぼ正しいですが、
沿海州の人は早口なので「アクローシュカ」などと悠長に言っとれません。
モスクワ人のように「アクロォ〜シュカ」などもってのほかです。
さっぱりアクロシュカ、です。
夏はさっぱりせんと。

さてこのアクロシュカ、そのまま出されたらクリーミーで酸っぱいさわやかなスープなのですが、
作り方を知ったらちょっと引くかもしれません。
最初食べたときポテトサラダが薄まったような味?と思ったんですけどまさかその通りだったとは!!
簡単に言えばポテトサラダをクワスで薄めたスープです。
日本の食べ物サイトに「これは激マズ!」と紹介されているのを見たことがありますが
そんなに悪くないと思います・・・が。経験者の方、いかがでしょうか?

しばらく前にオカーサンからクワスの原液を分けてもらってクワスを作っていたんですが、
肌寒くて飲む気にならずどんどん溜まるばかり。
酵母を死なせたくないのでエサ(黒パンなど)をやって作り続けていたのですがやっと出番がきました。
このクワスというのもまた賛否両論ありますが、うちで作っているのはまぁ・・悪くないと思います。
ビンの中でパン片が浮いたり沈んだりするのを眺めるのは心なごみます。
やはり生き物はなごみますね、猫とか小鳥とかクワスとか。

さて予想通り汗だくで帰ってきた二人にアクロシュカは大好評でした。
「オトーサン、これきのうのサルガンの骨だよ〜」
といってプラスチックのような青い骨を見せると、
「こんなヘンな骨を持った魚を食べても大丈夫か」というので
サルガンの押し寿司を無理やり食らわせましたところ、おいしい!と言ってガンガン食べてました。
こんな魚らしい魚でも最初はこうなんやから、タコやナマコを最初に食べた人は
勇気あるなーと改めて思いました。

お腹がいっぱいになったところでオッサンは選挙にでかけました。
2週間前にやった市長選の再選挙です。
相変わらずお腹がいっぱいにならないと大事なことを思い出せないようです。


<本日の夕ご飯>
サルガンの押し寿司、フライドチキン、アクロシュカ、にんじんときゅうりの浅漬け、
トマトサラダ

※ アクロシュカの作り方
材料:ジャガイモ、にんじん(あってもなくても)、きゅうり、ラディッシュ、
ハムかソーセージかゆで肉)、パセリやウクロップなどの緑もの、
スメタナかマヨネーズ、塩、コショウ、クワス

材料は全部小さいサイコロ切り。
ジャガイモとにんじんはゆでる(切る前でも切ってからでも)
全部の材料にスメタナかマヨネーズを入れて混ぜる。
そこへクワスをどぼどぼっと入れて塩・胡椒で味を整え、混ぜたらできあがり。
好みでパセリとかウクロップなどを浮き実にする。
最初から入れて混ぜても良い。
ヒェ〜〜!(またはオェ〜!またはナニコレ?)なスープです。

2004年7月19日(月) ひとこと私に言わせろ

雨後晴れ。 8:37の外気温21℃、室内26℃、湿度65%

オッサンが2時頃急に帰ってきました。
ドルの札束をぽんとテーブルに置いたのでびっくりしていると、
「偉いマフィアを殺っちゃったからネ〜。」
オッサン、それシャレになってへんで、しかし。

きのうの市長再選挙で前科モノのニコラエフというオジチャン(32歳?)が当選してしまいました。
この市長選挙はほんとになんというか、猿芝居というか、アホ丸出しというか、
中世のお話?というか、民主主義ってなに?というか、ロシアは共産主義を捨てて
資本第一主義、または資本至上主義になったのだ、と感じるというかとにかくまあ
そんなんありか?というような展開でございました。

2週間前に市長選挙があったのですがどの候補も50%以上の票獲得をできなかったので
首位、次席で再選挙をすることになりました。
首位は(元)マフィアと噂のニコラエフ候補、次席は国会議員のチェレプコフ候補です。
その六日後、チェレプコフ候補が家に帰ろうと自分の事務所から出たところ爆弾が爆発し
大ケガをして病院に運ばれました。
また、ニコラエフ陣営からチェレプコフ候補は選挙違反をしているという訴えがあり
あっという間にチェレプコフ候補は市長候補の資格を剥奪されてしまいました。
理由は選挙の際に国会議員であるということを宣伝に使った、というものです。

そこで3位のコプィロフ現市長が繰り上げになったのですが、コプィロフ市長はそれを辞退したため、
今度は4位のベレデニャ候補が繰り上げ。しかしベレデニャ候補もこれを辞退したので、
最終的に再選挙は首位のニコラエフ候補と5位のマルコフツェフ候補の戦いとなりました。

投票は、
□ニコラエフ候補
□マルコフツェフ候補
□どちらも支持しない
の3選択です。
チェレプコフ候補とコプロフ市長は同調して、
「ニコラエフに投票するな、どちらも支持しない に投票しよう!」と市民に呼びかけましたが
地元メディアはニコラエフ傘下なのでぜんぜん宣伝効果なし、きのうの投票となりました。
夜、花火があがっているのでなにごとかと思っていたのですが、ニコラエフ候補が当選した
お祝いだったそうです。

こ、こんなことでいいんでしょうか。
浦はどうなるんでしょう・・?
今でも相当ヘンなのに・・・。
クレムリンは何考えてるんでしょう・・・ちゅうかクレムリンは臑に傷持つ地方執政者を
歓迎しているというのはオッサンの弁です。
でもちょっとわかりやすすぎませんか、一体この選挙はなんなんだー
すべてのロシア好きの方を敵に回しても「この国はどうかしてるッ!!」と言いたいです。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆

銀行へ行っていたオッサンがオトーサンと一緒に帰ってきました。
さっきの大金は車の代金だったようです。
「そいえば、アルファバンクの貯金、どうなった?」
「あー今日満期だから行ったんだヨ。そしたらこのあいだのゴタゴタの時解約しなかった人には
残高に0.5%の現金ボーナスがついててトクしちゃッター!だからまた定期に入れたヨ。」
(ちなみに一年定期金利3.5%です)

そうですか。
一年後に潰れてないことを願いたいですけど。

「さあ、夕ご飯しよ」といって食べ始めたんですが、なんかいつもより「食いつき」が悪いんです。
撒き餌が足りなかったんでしょうか?
それともルアーの選択を間違った?
「なんか食ったな?」
「え。」
「なんか食ったやろ。」
「・・・実はオトーサンとチェブレキ食っちゃった」
「チェブレキぃぃ〜?」
「そ。猫のひき肉で石油の油で揚げたチェブレキ。貯金から1000ドル出したから
なんか食べようかなあーと思って」

そんな金で食べたのがチェブレキ(一個48円)では悲しすぎるで、オッサン。


<本日の夕ご飯>
ヴィシソワーズ、カレイの香草焼き、コーンとにんじんのサラダ、トマトとわかめの味噌サラダ

※浦市長選挙の話・7月10日
※アルファバンクのゴタゴタ・7月8日
※吐き気しそうなピロシキ、チェブレキの話・3月14日

2004年7月20日(火) 騙されても許す

曇り&霧のち晴れ。 8:41の外気温21℃、室内25℃、湿度66%

テレビに東京12:00時39.5℃という電光掲示板が映ってるんですけど・・・
どうなってますかーだいじょうぶですかー、日本!!

でも今日は浦もめっちゃ暑かったです。
おかげでクワスもモルスもあっという間にオッサンが飲んでカラになってしまいました。
なんせ汗だくです。
なんにもしてないのに汗だらだらかいておるんです。
日本でもひとりで汗だくで「とっても恥ずかしかった」そうなんですが。
ついに我慢限界になって扇風機を組み立てはじめました。
これまた汗だく。

今日はまた日本から仲良しのオジチャンがおみやげいっぱい持ってやってきたので
夕ご飯は焼きそばと納豆ごはんで大満足!
今回は焼きそば麺の生タマと納豆をたくさん持ってきてくれて感謝多謝だったのですが
75ℓのクーラーボックス2個転がして「駿河湾で今朝釣った」魚と寿司飯で
いきなりすし屋をしてくれるムチャなオジチャンとか、
「ウチで作ったコシヒカリ」を米袋ごと持ってきてくれるオジチャンとか
とにかくオジチャンたちにはいつもお世話になっておるんですが。

オッサンは納豆が大好きで、今回も「納豆もってきてクダサーイ。」と自分で電話して
持ってきてもらいました。
以前オッサンが日本から買ってきた納豆をオカーサンが腐っている、と捨ててしまい
臨戦態勢になったこともあります。

そんなこんなで大満足ごはんのあと、
「あ〜暑いと甘いものが食べたくなりまセンカ?」
「いや別に。」
「このマリーナ(きいちご)、どうするつもりデスカ?」
「ゼリーしよと思って今ゼラチン入れたところ」
「ゼラチンって何だっけ?」
「たんぱく質じゃない?」
「それって太りマセン、ってコト?」
「まだ固まってないから食べれませんってことッ!」
といったのですがゼリーになる前に全部なくなっていましたとさ。

◇  ◇  ◇  ◇  ◇

夜遅く用事ができて、街の中心のほうに出かけることになりました。
「外は涼しいから一緒に行く?」 というのでついて行ったのですが、
いつもと違う駐車場に車を入れたら帰り道、街灯がなくて真っ暗でした。

「暗くてこわい〜」  ←道が穴だらけなので見えなくてサンダルがはまるとこわい
「おばけがでるかもヨ〜〜」  ←いや、おばけはこわくないんです
と言ったかと思ったら急におどろおどろしいバリトンで、
「くらやみの中でェ〜若い夫婦が〜ここは昔墓地だとしらずにィ〜、
車庫にともしびがともってェ〜」
ともしび?車庫にともしびがともったら明るいからよろしいがな。
あ、人だまのことか?
「死んだのひとがァ〜死んだのひとのたましいがァ〜」
死んだ「の」ひと?
それこわくないし。ちゅうかおもろいやん!
と、そこに野良猫がギャォ〜と鳴いたので二人ともびっくりしてギャーと言いながら走って逃げました。

「はぁ〜おもしろいな〜。もうな、オッサン、私オッサンにだまされとったとしても許すわ」
「なんでワタシがだましマスカ?」
「そーじゃなくてなぁ、」
「ワタシはだましませんヨ。」
「だからそうじゃなくてッ!」
「はい。」
「もしオッサンが今の生活が全部うそだった、ごめんね、バイバイって言ったとしても
こんな毎日笑かしてくれて楽しく過ごせたからもうそれで満足、許す。」
「どしてワタシはウソを言いマスカ?」
「だからたとえばだっちゅうに」
「ワタシはだまさないヨッ!」
「そういう話とちゃうちゅっとるねんッ!」

オッサンにはちょっと難しすぎたかもしれません。


<本日の夕ご飯>
焼きそば、納豆ご飯

2004年7月21日(水) 「寝る」はなし

朝から晴れ。 7:40の外気温28℃、室内27℃、湿度68%

浦に豪華客船「パシフィック・プリンセス」が入港しました。
3万トンと小さいですがとっても美しいです。
オッサンによれば「毎年きている」そうですが、これは成田・関空から北京に飛んで
その後天津からプリンセスで出航して大連、上海、釜山、ウラジオ、広島と周る2週間の船旅というツアーです。
ちなみに料金はおひとり478,000円から。
名前だけ『客船』で中古車様にまみれて来なくても、豪華客船で優雅に浦にくることもできるんですよ。
いかがですか、ボーナスで。
大手の平均ボーナス84万とかじゃなかったですか?
自動車なんか100万超えたそうですねえ、半分でこれますよ、
まあ、中古日本車の行く末でも確かめてってくださいよ。
そんなのもらってる方はこんなところへ来ませんか。

△  △  △  △  △

朝8時、いきなり水が止まりました。
今日は朝からいい天気やから大物の洗濯をしようと思ってたのにッ!
イライラしていたら、
「水も止まったしネー、もうネンネしてクダサーイ、いってきまーす」
と言ってオッサンが仕事に出かけて行きました。
だいたいいつも「誰にもドアを開けないでネ、もう寝てネ」と言って出勤です。
というのもウチは出勤の順番がオトーサン→オッサン→オカーサンで、
その間隔が結構あいているのでオカーサンがわざわざ起きて朝ごはんを作ってくれるようなことはなく、
それぞれ勝手に何か食べて仕事に行っていました。
大人ばかりの家族でみんな働いてるとこはそういうのは普通みたいです。
だから「仕事もない=寝ていてもいい」のにわざわざ一緒に起きてご飯を作ってくれるというのが
何かとっても申し訳ないような気がするんだそうです。
それでワタシが出勤したらあとは好きなだけ寝てネ、ということらしいです。
あ・り・が・た・い・ですねーーーーー、奥さん。
思わず合掌です。
代わって欲しいですか?
はいはい、明日でも交代しますよ、帰国準備しときます。

そういえば「寝る」ことに関して日本と違うなーーと感じます。
日本では大人が昼寝とか夜寝る以外に寝ているとなんだか怠け者みたいな感じがありますが
ロシアでは「用事がなければ寝ていていいやろ」です。
ちゅうより、「用事がなければ寝てましょう」と言ったほうがいいか?
ウチもちょっとの空き時間があったらみんな即、寝てます。
「はぁ〜お腹いっぱい」       「寝れば?」
「あー疲れた」            「寝れば?」
「待ち合わせまで時間あるなー」 「寝れば?」 です。
ちょっとウトウトしたいのに・・20分だけ、20分、でもシュウトメの目が・・とかは「ない」んです!
あ・り・が・た・い・ですねーーーーー、奥さん。
やっぱり交代、決めましたか?

まぁウチはとくにユルユルの家なのですが、話をきくとどうもウチだけではないようですよ。
どうしてなんでしょうねー?
寒いからどれだけでも体力を消耗しないようにという先人の知恵なのでしょうか。

水は結局夕方まで出なかったのですが、「ねんね」もしませんでした。

△  △  △  △  △

オッサンから電話があり、
「オジチャンが大きいピザを買ってくれたから夕ご飯は少しだけ何か作っといて」
というのでスープとイモだけゆでておりましたところ、でっかいシーフードピザを抱えて帰ってきました。
「今日、土用の入りやからうなぎのかわりな」
「土用ってナニ?」
「うなぎ食べる日。」  ←ちょっとちがいます
 
10時過ぎくらいから電話がジャンジャカ鳴ってオッサンはずーっと電話で話していましたが、
日本語が聞こえたので日本からのようです。
たいがい一日に一回は誰かかれか電話してくるんですけど・・・
1:00過ぎたころ寝室に来て、
「今日の受付時間は終わりッ。もうFAXに切り替えちゃう!ほんとにィ〜〜ッ、
日本のオジチャンたちは寝る前にワタシの声をきかないと寝れないみたい。
・・・でもワタシの奥さんはバリバリ寝れるみたい。」
「は・・い?」 ←寝ている


<本日の夕ご飯>
シーフードピザ、アクロシュカ、茹で小芋のチーズがけ

※パシフィック・プリンセスで行く極東の旅14日間↓
http://yado489.com/funenotabi/schedule/w/w13.html
※パシフィック・プリンセス↓
http://www.cruise-vacations.co.jp/princess/fleet/pacific.html

2004年7月22日(木) サムライでいこう

晴れ。 8:39の外気温23℃、室内26℃、湿度61%

アテネオリンピックが8月13日からと迫ってきました。
ロシア選手団のマスコットがチェブラーシカになって、ユニホームのTシャツを着た
チェブを抱いたウスペンスキーさんがテレビに出ていました。
3位までに入った選手(メダリスト)はチェブのぬいぐるみと一緒に表彰台に上がるのです。

今回ロシア選手のユニホームは白×赤×青の国旗カラーが二色の組み合わせになった
シンプルでとっても素敵なやつです。
冬のオリンピックの時、ピーコいわく、
「今回ロシアはとっても素敵、ビンボウな国なのにとってもお金持ちに見えるのよネェ〜」
と言われた同じデザイナーによるものだそうです。
ああー覚えてます、冬、とっても素敵でした。
女子の白いマフ(毛皮の手温め)とか男子のウシャンカに黒い毛皮襟のキャメルのロングコート、
なんかもう、ロシアの「かっこいいところ」の匂いがぷんぷんしてました。

今回ロシアの女子のぴったりしたTシャツなんかは、3枚パック980円になりかねない
シロモノなのですが、この立体的なボディと小さな顔で十分ゴージャスになっております。
フォーマルは全身コレ真っ白のスーツですが、女子のプリーツスカートとハンチングが大変かわいらしく、
このアイテムにもかかわらず幼稚さを感じさせないところはサスガです。
男子の白いスーツもまぶしい素敵さです。
白いスーツといえば・・・誰かさん、白いスーツで日本においでになりました。

仲良しのオジチャンと一緒に駅に迎えにいったんです。
電車が停止して、中を歩いている人が電車の窓ごしにホームから見えたのですが、
ひときわデカイ人が・・デカイ人が・・・白いスーツの!!
夜の闇に浮かび上がる白スーツのガイジン。
しかも青空みたいなシャツ!!
しかも青のサングラス!!
こわーーーーー
われわれ二人は固まっておりました。

「やードウモ、ドウモ、コンバンワー」
「ははは、なんか怪しい中古車ブローカーみたいですね」 と、開口一番、怪しいオジチャンに言われ
「ちょっとその上着、脱いでくれへん?」 と私に言われ、
「?」
でも脱いだら、白×青で洗剤の箱みたいだったので
「やっぱ着といて」
「?」

そのあと安い居酒屋で一杯やったんですけどもう目だって目だってしょうがないので
早々にひきあげました。
あとでその話をしたら
「えー白いスーツはロシアでは普通ヨ〜。だめなの?でもこれで学会行っちゃった。」
「そういう格好の人おったかな〜?」
「う・・ん、いなかった・・かな?だけど大阪には白いスーツの人いっぱいいたヨ〜」
「大阪にはおんねん、あっこはな、ムラサキでもキーロでもようさんおんねん」
「?」

ところで、こういう世界中の国のヒトが集まるイベントを見ていつも思うのは、
男の「背広」というものは西洋人のために作られたものなんだなぁーということです。
特に横から見たときの厚みのある骨格を映すラインが美しいです。
そういうことでいえばオリンピックの代表選手は日本で一番「背広」が似合う男たちかもしれません。
しかしどうでしょう、ここは一発「紋付袴」でみんなが大好きなサムライでも。
日本男児で紋付袴が似合わない男性はいないと思います。
上様もバカ殿もそれぞれに素敵と思います。
ラストサムライもヒットしたし、布袋さんもサムライ姿のジャケットでなかったらここまで
売れなかったと思いますし、ロシアにも「サムライ」ビールありますよ、みんなサムライが大好きですから。

おっとサムライを不快に感じる国民感情もありました。
紋付袴がすべての国に好意を持って受け入れられる時が本当の平和なオリンピックなのかもしれませんね?
では一日も早く紋付袴を実現させなければ。
日本男児がいちばん男前に見える日を楽しみにしてます。

女子はどうしたらいいですかって?
オネエチャンのことには興味ありませんので何でもいいです。


<本日のひとり夕ご飯>
豚タマお好み焼き

※ロシア選手団とチェブ↓
http://www.athens-2004.ru/default.aspx?nic=team&mid=48&pid=90
※アメリカでブレイクしちゃった布袋寅泰・エレクトリック・サムライ↓ちなみにロシアでも発売
http://music.yahoo.co.jp/jpop/music_news/plantech/20040716/ptcent003.html
http://eplus.ebsgao.jp/p/TOCT-25355/
※クリンスコエのビール「サムライ」・味は日本のビールに似てますがこのモンゴル相撲のようなオジチャンはなに?↓
http://www.createbrand.ru/zap/47/tml?avn=38

2004年7月23日(金) 忘れられた映画

晴れ。 9:49の外気温24℃、室内26℃、湿度75%

「オハヨーゴザイマース、わ!それは何デスカ?」
「何って、腹巻やん。」
「ハラマキ?」
「そう、腹が冷えんようにな、こうやって巻くんじゃー」
「へー」
「オッサンは天然の腹巻あるからさぶくないやろ」
「そうですネェ、役に立ってマス。」

今日は日本からのお客さんが二人重なってしまって、どっちも大事なオジチャンだったので
仕方ないから仕事を休んでしまいました。
「・・・何かあったら携帯に電話してクダサイ」
職場に電話したあと、
「でも海の上だから電話されても行けないケドー。ハハハ」
どうやら釣りに行くみたいです。
「毎日うちにいなくてごめんネ、退屈してナイ?」
「大丈夫、うちにおるだけでもいろいろ忙しいねんで」
「今度映画でも行きマショウ」
「いいよ〜。最近なんか見た?」
「うん、日本帰ってるときネ、ひとりの時、一つ見たヨ」
「どんな映画?」
「えーと。外国のヤツ。タイトル忘れちゃッタ。」
「どんなん、それ」
「もとのタイトルどころかロシア語のタイトルも覚えてナイ・・・。」
・・・・・・・・・・・。

今度二人で行くならそんな映画はカンベン願いますー。


<本日のひとり夕ご飯>
カレイのから揚げ、トマトサラダ、ふりかけごはん

2004年7月24日(土) 魚は市場で釣る

曇り時々晴れ。 11:00の外気温26℃、室内25℃、湿度68%

今日もオッサンは朝から日本のオジチャン達と釣りに行ってしまったので
先週に引き続きオトーサンと市場へ買い物にでかけました。

中華材料を買いたかったのでちょっと遠い市場へ行きたかったのですが、
そこは家族にきらわれている「浦で一番汚い市場」なので言い出すのに勇気がいりました。
「なあオトーサン、スポルチーブナヤ行きたいねんけど」
「うむ。どうしてもないものだけ買ってあとは別の市場へ行くんならいいぞ」
「そうします。」
ということで車で連れて行ってもらいました。
オトーサンは荷物持ち係りです。
オッサンは何か買っても「コレ持って」と言わないと持ってくれませんが、
オトーサンはいつでもどこでも「ホレよこしなさい」と言って持ってくれます。
オッサンは全部の荷物を二人でどうやって配分して持つか考えますが、
オトーサンは可能なかぎり自分が持って余ったらこれを頼む、と言います。
オトーサンの勝ち。

中国人の店でいろいろ野菜を買ったんですが、オトーサンは見たことも無いものばかりなので
「コレは何だ?アレは何だ?」と質問攻めです。
サツマイモがありました。
「あ、これオカーサンが好きって言った甘い芋だよ、オトーサン。」
「オカーサン?おまえのママか?」
「ちゃうよ〜パパの奥さんだよ〜」
「あーあのオバサンか」
オバサンしか食べたことがないのもどうかと思ったのでオトーサンにも食べてもらおうと
思ってサツマイモを買いました。

調味料は中国語の発音がよくわからないのでメモに漢字で書いていってみせると
店の奥から出してきて売ってくれます。
極東は中国に接しているので急激な中国人と中国物資の流入があり、
政府は極東の中国化にぴりぴりしているけど私にとっては中国人さんありがとう、って感じです。

そのあと家の近くの市場へ移動しました。
こっちは生魚が多いところなのです。
「オトーサン携帯持ってる?オッサン釣り中やから何か釣れたか電話してみようか?
釣れてたら買わなくていいし」
「電話するまでもない。海に魚はいない」
「え、じゃどこにいるの?」
「市場にたくさん。彼も市場で釣って帰るだろう」
「じゃ、いい魚があるうち先に買っとかなきゃね」
「そういうことだ」

「さあ、オトーサン、新鮮な魚を買いましょうー」 ←鼻息フンッ
「お、ヨメよ、こっちこっち、カレイがある」
トロ箱にいろんなカレイがごちゃまぜに入ってます。
が、ひときわデカイやつが。
なんかいつもと違うカレイ?カレイ・・ん?顔が反対だー、ヒラメ?
「オトーサン、これカレイ?」
「うーん、ヒラメ風カレイと呼んでいるやつだが。砂底でなくて岩底にいるやつだ。
でも脂が少なくて人気ないぞ」
でもすごく太ってるし50センチはあると思う・・・
これで100円なら ま、即買いやな、そんで刺身。
「オトーサン、これ買います」
「おいしくないぞ」
「でも買ってみる」
先週に引き続き、またヨメはヘンな魚を買ったなーと思われたかもしれませんね。

家に帰ったらこれまた先週に引き続き、オトーサンは用事があるといって帰ってしまいました。
やっぱりヘンなカレイを食わされたらかなわんと思ったのでしょうか。
でもダツおいしかったでしょ、オトーサン。

夕ご飯にそのヒラメ風カレイ?を刺身にして食べていたらオッサンが帰ってきました。
「あ、なんか食ってる」
「そうー今日買ったヒラメ。いいやろ〜アンタ何食べたん?」
「今日はネエ、韓国料理。」
「そんで釣りはどうなったん」
「結構釣れたけど持って帰っても料理できないからっていうから一緒の船に乗り合わせた
ロシア人の家族にあげちゃった」
「オトーサンが、魚はどうせ市場で釣ってくるから、っていうんで買っといてよかったわ」
「コレナニ?」
「ホレ、これじゃ」 といって半身を持ち上げる。
「あーヒラメ風カレイかー」
「ヒラメ風カレイって意味がようわからんの」
「辞書、辞書、あー赤カレイって書いてあるヨ」
「赤カレイ?どうみてもこれは赤カレイちゃうと思うけど」
「カレイとヒラメの違いってナニ?」
「左ヒラメ右カレイって言ってな、顔が右か左かで違うっていうんやけど」
「ええー顔がどっちにあるかで変わるんデスカ!ロシアでは関係ないヨ」
「そやけど左に顔があるカレイもいてるから正確とちゃうなあ、
食ってるもんがちゃうから口や目の大きさが違うし味もちがうな」
「ロシアで一般的にカレイはこゆ小さくて脂少ないやつ、ヒラメは深海にいて
おっきくて脂のってるやつ、パルトゥスとか」
「でもパルトゥスはカレイの仲間やで。それに普通カレイよりヒラメの方が脂少ないんやで」
「どっちでもおいしかったらいいんじゃないんデスカ?」
「その通り」
「それよりこれ、食べてもいいデスカ?」
「どうぞー、こいつ顔左やけどなんか身はカレイってかんじやけど。」
「おーいしぃぃぃぃぃぃーーーい!!ね、ね、これ日本の回転寿司で食べたら
黒い皿のやつで安いとこでも200円はするでショウ〜」
「なんでそんな詳しいねんッ!!」  ←あきれ気味
「これいくらで買いマシタカ?」
「一匹100えん」
「ウラジオストクはいいとこネェ〜〜うれしいでしょうー?」
「言っとくけど魚だけおってもコレ食えへんねんで」
「はい。アリガトウゴザイマス。」

市場で釣った魚はオトーサンでなくオッサンの腹におさまってしまいました。
連れてってくれて荷物持ってくれてそんで食べずに帰るんだから
オトーサンってほんといい人。


<本日の買い物>
ヒラメ風カレイ・100円、カレイ・120円、
豆腐・20円、卵10個・90円、手作りバター・200円、牡蠣醤・200円、豆板醤・40円
大豆油5ℓ・600円、トマト100円、にんにく2個・50円、白桃1`・140円、
ネクタリン1`・120円、すもも1`・120円、菓子パン6個・60円、水10ℓ・120円、
しょうが、さつまいも、春菊、ほうれん草全部で300円

<本日のひとりご飯>
ヒラメ風カレイの刺身、味噌汁、ごはん

※中華市場の話・2月1日

2004年7月25日(日) 海軍の日

曇り時々晴れ。 9:39の外気温21℃、室内25℃、湿度59%

朝8時、いきなり水が出ません。

今日は「海軍の日」で軍港の街、浦は大きなお祭りです。
窓から海を見ると軍艦が4隻浮かんでいました。
しかし、お祭りなのに・・・水止まっていいですかッ!
あいかわらず湯も出てないし水まで無しじゃもう、暴れちゃうぞ。

オトーサンが
「今日はキノコを採りに行くか?」というので喜んで行くことにしました。
キノコ狩り、だーーーーい好きです、狩猟採集本能を満たします。
キノコといえば秋ですが、この時期からもう出るのでぼちぼち市場にも並んでます。
このあいだ市場でキノコを売っていたオジチャンに勧められたけどオトーサンは値段をきいて
「そんなら自分で採るからいらん」と言っていました。
今日は本当に自分で採る気になったみたいです。

朝早くお客さんを空港に送っていったオッサンと空港で待ち合わせをして三人で山へ行くことにしました。
約束の時間にオトーサンと二人で空港に行ったんですがオッサンの車は見えれど本人がおりません。
空港中探したんですが姿が見えなかったので国際線のところで待っていると
日本のオジチャン達といぃ〜調子で現われました。
どうやら近くのホテルのレストランで一杯やっていたみたいです。
酔ッパ酔ッパでハイテンションのオジチャン達をチェックインにぶち込んで、
パスポートコントロールを通り抜けるまでを見届けたら無事任務完了。
浦の国際空港は小さいので入り口のドアからチェックイン、税関、パスポートコントロールと
全部丸見え。 ←ちゅうかひとつの部屋で全部やってます。
何かモタモタしていたら飛んでいって通訳したりお手伝いしなきゃあかんので、
こうやって最後まで入り口から見届けます。

さあ〜〜〜お待ちかねのキノコ狩りですッ!うーーーれしぃーーーい!
去年オカーサンがバケツ3杯採ったというところに行ったのですが・・・・
ぜんぜんダメダメでした。
5本しか採れずにガックリ。
「今日は失敗!」というオトーサンの一声ですごすご帰ることにしました。
帰り道オッサンが、
「今日ヴァレリにレストランに招待されてるから」
「はああああー?何時?」
「9時」
ひぇぇぇぇぇぇぇーーーー!そゆことは最初に言っとかんかいッ!!!
ドロドロやんかうちら、時間無いし。のんきにキノコなんか採ってる場合とちゃうやん!
しかも渋滞してるし。←事故
大型コンテナ車が横転してビスタがくしゃくしゃになっている横を爆走して帰りました。
オトーサンにソッコーで夕ご飯を作って出し、トイレに駆け込んで出てきたら、
オッサンも一緒に食っていたので
「アンタ食っとる場合ちゃうやろ、はよ風呂入れ!」とバスルームにぶち込み、二人とも大慌てで出かけました。

店は海沿いにあるんですが今日は海軍のお祭りなのでもう、すごい人、人、車、車、犬。
やっとのことで車を停め、ヴァレリに電話すると彼も車を停めるところがなくて今探してるという返事でした。
「ところでなんでヴァレリが招待なん?」
「車買ったお祝い」
「あースパシオな、きたん?」
「そう、もう乗ってる。手数料なしでやったからネエ〜お礼にって。」

ゆっくり店の方へ歩いていくと花火が上がり始めました。
でも上がる間隔が・・・・
ドーン・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ドーン・・・・・・・・・・・・・
20秒くらいあります。
「なんやけち臭い花火やな〜もっと盛大にやらんかい、海軍」 ←海軍がスポンサーちゃうと思う。
「ダメダメ、どこの花火見たって富田林にはかないマセン。」
「とんだばやしぃ〜?PLか、よう知っとるな〜見たことあるん?」
「ありますヨ〜すごかったですヨ〜」
「花火芸術っちゅうくらいやからの」
そんな地域限定話をして花火を見ておりましたところヴァレリ夫妻がやってきたので
みんなで店に入りました。

ロシアのレストランはステージやダンスフロアがあって夜はショーをしたり生バンドの
演奏をしたりするところが多いのですがこの店もその一つです。
ここは人気店だし値段も高めだし今日は海軍の日だし、予約を入れるだけでも
結構大変だったと思うんですがヴァレリ、奮発です。
お客さんは海軍人とその家族が多かったですが、将校さんがお店からのサービス、とかいわれて
ステージでオネエチャンにパンツ一丁にされてました。
海軍のセーラー服を着たコンビがコサックダンスを踊ったり、
ピックアップ付きのバラライカで早弾きしまくるロックンバラライカのオジチャンとか、
往年のヒット曲を熱唱する地元歌手の兄さんとか、
きれえなオネエチャンたちのアイリッシュダンスとか
きれえなオネエチャンたちの股ぐりアクロバチックなダンスとか
きれえなオネエチャンたちのTバック看護婦コスプレダンスとか
きれえなオネエチャンたちの・・・・以下自粛。
で、兄ちゃんもねえちゃんもオジサンもオバサンも十分楽しめました。
(でもO−ZONEはなかったです)
ヴァレリ、ありがとうーーーー!!!!

うちに帰ったのは2時半くらいだったと思いますがなんかよく覚えてません。
覚えていない方が幸せということが人生にはままあります。


<本日の夕ご飯>
カレイの骨せんべい、野菜サラダ、レストランで中華料理いろいろ、お酒いろいろ

※世界一といわれる富田林市・PL花火芸術↓
http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Orion/4605/fire/pl.htm

2004年7月26日(月) バカな息子から目が離せない

晴れ。 23:26の外気温26℃、室内21℃、湿度25℃。

ゆうべヴァレリ夫妻にたんと飲ましていただき今日は完全に二日酔いです。
午後おそくヨロヨロと起き出して洗濯をしたり風呂入ったりして仕切りなおし、
ゆるゆると夕ご飯の支度をしていたらテレビで今夜9時10分から
O−ZONEの特番をやるという予告がッ!
俄然元気になりました。

よしよしよしっ、遅れないように目覚ましをセットしとこ。
そうそう、ビデオも撮っとかんとな、ビデオ、ビデオ?ビデオデッキが無いぃぃぃぃーー!!
ああ〜っ、オカーサンがシュマルコフカに持ってってしもたんやった・・・・。
オカーサン、恨みます。
気をとりなおして・・・通訳な、同時通訳。オッサン確保せな。
「え〜ワタシ〜?仕事で出かけるも。」
なにぃぃぃぃぃーー!!こんな大事なときに仕事ごときで出かけるなあッ!
死にそうでも待たしとけ!
「行ってきマース」と言ってオッサンも出かけてしまったので一人でテレビの前にちんと座ってO−ZONE見ました。

O−ZONEさんモスクワついたら飛行機の荷物がどっかいっちゃってたそうです。
お気の毒ですね〜よくあるんですよね、ロストバゲージ。
え?私?いくらファンでも荷物なんか盗りませんよ、荷物なんかより本人達を拉致します。
さてO−ZONEさんたちは着いたその日に赤の広場なんか行っちゃってお上りさん丸出しで素敵です。
ホテルはね、アエロスター、五つ星ですよ。
(ホテルガイドによればシングル一泊200ドル・・・。たいしたことないか)
オスタンキノ塔でノリノリでМУЗ ТВ(ロシア版MTV)の収録もしてました。
ライブ会場の「ビーチクラブ」ってほんまにどっかの川沿いに作った野外ステージなんですねえ、
お客さんはみんなビキニのおっぱいちゃんとかビキニのモッコリさんとか
ビキニで太鼓腹がモッコリのオジチャンとか。
4曲のカットをそれぞれすこしずつと最後にただ今大ヒットの「ドラゴステア・ディン・テイ」で大盛り上がり〜!
いいですね〜いろんなビキニさんもノリノリでした♪

ところで日本でヌマっているみなさま、大変お待たせいたしました。
ヨーロッパ中で大ヒットしているこのO−ZONEさんはすでに日本での活動契約を
済ませているそうです。
日本で「ヌマヌマ・イェイ♪」とくどいほど流れる日もそう遠くないはずです。
乞う、ご期待!!!!
ではそんなみなさんにこっそりお教えしましょう。
この曲は、「彼女」が「ピカソ君」を残して去ってしまう悲しい失恋の歌、
菩提樹の下の恋が君のまなざしを思い出させるんだ、という「悲しい失恋の歌」です。
決して「電話からはじまるラッキーな恋の歌」じゃありませんッ!!
いくらルーマニア語がわからなくてもそこんとこよぉ〜〜く覚えておいてください。
そしてプロモーションビデオを見てもいろいろ突っ込まないように。
貨物機(しかもアントノフ!)の翼の上でどしてラインダンスしてるんですか? とか
離陸の時はヤコブレフなのに飛んだらアントノフなのはどうしてですか? とか
ヘンなめがねであやしい視線なのはどっか壊れてるんですか? とか
ドラキュラになったりベトナム人になったり緑の宇宙人になったり
メキシコインディアンになってサッカーしてたりしてるのはなぜですか?とか
ボディビルダーのおにいちゃんがいっぱい落ちてくるのはなぜですか?とか
モルドバ国旗で金メダル万歳なのはロシアに対する挑発ですか?とか
失恋なのに始終めっちゃノリノリダンスなのはどうせルーマニア語なんか
わかんねーだろうから好きにやらしてもらうぜ、ちゅうことですか? とか。

・・・私ってO−ZONEのファンでしたっけ?
いやもうね、バカな息子から目が離せない親、ってかんじです。


<本日の夕ご飯>
麻婆豆腐、野菜サラダ

※たとえばそのドラゴステア・ディン・テイ(邦題・菩提樹の下の恋)のPV↓
http://mapage.noos.fr/martialro/ozone/video.html
http://specials.polydor-island.de/_real/o-zone/v/o-zone_dragostea_din_tei.ram

2004年7月27日(火) 使える男


曇り時々雨。 8:00の外気温20℃、室内23℃、湿度65%

夕方用事でオッサンと出かけた帰りにビールを買いました。
「ナニ買う?」
「いつも買わへんようなやつ買うてみよ」
「“ヤルピーヴァ”なんかドウ?」
「いいよ〜。ところでなんでヤルピーヴァなんかな?」
「ヤロスラヴリのビールだからじゃナイ?」
「へー。ヤルピーヴァでヤル気まんまん」 ←自分で言って恥ずかしかったです
ぎゃははははははははーーーーー!!!!
オッサン大笑いです。
大笑いですよ、大笑い。
こんなサイテーのダジャレで笑っていいですかロシヤ人?
ロシヤ人がロシヤに住んでいてよかったです。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆

ヤルピーヴァを買って家に向かっていたところ、向こうからアマガエルみたいなウエアを着た
マウンテンバイクの兄さんがものすごいスピードで走ってきました。
「あっ、ヴィーチャだ!!」 ←二人同時に叫んだ

ヴィーチャというのはオッサンの職場を担当しているエンジニアなのですがとても「物理学者」なのです。
ロシアでは「変わり者」のことを「物理学者」または「生物学者」といいます。
日本でもちょっと変わった人のことを「あの人学者だから」などといいますからおもしろいものですね。

さてヴィーチャはこの坂の町・浦でアシが自転車しかないというところからまず変わっています。
ちなみに坂でなくてもロシアで自転車はすごく少ないです。
しかもこの自転車はロシアに2台しかないという、中古日本車を軽く超えるようなお値段のシロモノです。
変形ロン毛や「??」な服もわかりやすく「変わって」いますし、50歳になったら
タイガの森に小屋を建ててひとりで暮らしたいというのもロシア人にしてみれば
ロマンというより「変わっている」という判断です。
職場では数多くの奇行、珍発言がみんなの仕事の手を止めるらしいのですが
そのへんは私にはわかりません。
しかしヴィーチャはさらりとみんなに貢献しているので、なくてはならない存在なのです。

職場の機器の大事な部品が壊れました。
ドイツの某大手企業の製品です。
保障期間内だったのでメーカーに連絡してとりよせることになりましたがこの部品は
消耗品なのでいずれは実費で交換しなければなりません。
一個8,000ドルです。
ヴィーチャを呼びました。
「ふむ。交換自体は簡単な作業だ。この部品はドイツで作ってるんじゃないはずだ。なんとかしてみる」
2週間後、
「部品の製造元はイギリスのメーカーだった。直接取り寄せた。」
といって自分で持ってきて交換し、
「はい、部品代400ドル。」 と請求書を置いていきました。
その数日後ドイツのメーカーから部品が届きましたがそのまま倉庫へ。

次回交換のとき8,000ドルの請求ってどうなるんでしょうねえ・・・??
そんなこわいこと・・・私に聞かないでくださいッ!

ヴィーチャ、使える「物理学者」です。


<本日の夕ご飯>
焼きそば、豆腐の中華風サラダ、アクロシュカ

ヤルピーヴァ↓
http://www.yarpivo.ru/beer/idp/

2004年7月28日(水) アスパラいんげんと今日の糧

雨&霧後晴れ。 7:50の外気温21℃、室内25℃、湿度71%

朝8時に水が止まって一日中出ませんでした。
お湯も5月1日に止まってもう三ヶ月近く経つんですが夏の修理にしてもひどすきます。
うちのアパートのすぐ下にあるアパートでは湯も水も止まったことはないというので
この地区だけみたいですが困りましたねぇ・・・水が急に止まるのは本当に困ります。
洗濯の途中で止まった時にゃもう力抜けますって・・・・。

@  @  @  @  @

O−ZONEが日本のFMでオンエアされていたという情報をもらいました。
いよいよですか〜〜O−ZONE!ついにジャパ・ヌマですねッ!
ここはひとつTV通販で「いますぐお電話」したら即ヌマヌマできるようにお願いしますヨ、タカタシャチョー。
ジャパヌぇっとジャパヌぇっと〜夢のジャパヌぇっとタカタ〜♪

@  @  @  @  @

オッサンが仕事の帰りに、「アスパラいんげん買ったから茹でてぇ〜」というので茹でました。
こっちに薄黄色いさやいんげんがあり、今の時期に良く出回っていてさやごと塩茹でして食べるんですが、
どうして「アスパラいんげん」という名前がついているのか不思議でした。
「なんでアスパラいんげんなんかな?」
「アスパラみたいな味ダカラ。」
「ウッソー!!どこがアスパラやねん!」
「アスパラみたいな味じゃん!」
「アスパラ食べたことある?」
「ありますヨ〜、緑のやつ。枝からぶらさがってる・・」
ぶらさがってる???

「アスパラはな、こう地面から生えとるはずやけどな?」 ←絵を書いてみせる
「アスパラは生えてるんデスカ!ずっとぶらさがってると思ってタ〜〜。」
脱力。

そんで「アスパラいんげん」ですが、私には100歩譲ってもアスパラの味はしません。
アスパラってウクライナから地中海にかけてあたりが原産らしいので
ロシアでも西のほうではよくあるんでしょうか?
こっちではほとんどありません、オッサンは一回だけ市場で見たことがあると言っていましたが
私は一回も見たことも食べたこともないですね〜。
冷涼な気候はきっとアスパラ栽培に適してるんじゃないかと思うのですが。
以前、日本向けに極東でアスパラを栽培して輸出するという話があったらしいのですが
どうなってしまったんでしょうか・・?
立ち消えになったかきれいさっぱり日本に輸出されてしまって地元に出回らないのか・・
うーん、アスパラ食べたい!アスパラかもーーーん!

@  @  @  @  @

夜になっても水が出ないので両親のアパートにシャワーを借りに行くことにしました。

オトーサンがテレビを指して、
「ほら、北の村の発電所だ」というので「どうしたの?」ときくと
今年は州の80周年記念なので地元のテレビ局が州に関する特別番組を作ったそうで、
それをビデオに録って友人が送ってくれたそうです。
村は最盛期5000人の人口があったそうですが、現在は2200人、
少し離れた地域の中心都市は2万人から現在は7000人になってしまったそうです。
私にとってはとっても田舎の町や店や学校なんかが映っているだけのものに見えますが
オトーサンとオッサンがときどき歓声をあげている様子を見てなんだか少し寂しい感じがしました。

シャワーを使わせてもらい、何か飲もうと冷蔵庫を開けるとほとんどカラ状態だったのでびっくりして、
「オトーサン、毎日ナニ食べてるのー?」 ときいたところ、
「毎日?神様が下さるものを食べているよ」 と言って笑いました。


<本日の夕ご飯>
カレイの香草焼き、ゆで卵とトマトのサラダ、茹でたアスパラいんげん(спаржевая фасоль)

※北の村の話7月16日
※初の日本語O−ZONEサイトオープン!「O−ZONE HALL」 ↓
http://www.o-zone-hall.net/

2004年7月29日(木) 本能の後は

晴れ。 8:13の外気温24℃、室内26℃、湿度70%

きのうは結局一日中水が出ませんでした。
今日も出ていません。

ゆうべオトーサンに、「明日よかったらご飯食べに来て」と言っておいたので、
夕方6時頃仕事から直接オトーサンがきました。
「オトーサン、水ねぇ今日も出なかったん・・・アッ!出た!!」
オトーサンは水と一緒にやってきたみたいです。
ほんとオトーサンっていい人。

みんなで夕ご飯を食べていたらシュマルコフカ(温泉保養所)のオカーサンから電話がかかってきました。
いよいよ明日はオカーサンが帰ってくる日です。
オトーサンが、オカーサンをシュマルコフカまで車で迎えに行くといいました。
え?オカーサン行く時はバスで行ったのに・・・?
シュマルコフカまでは片道4時間半。
仕事を終わってすぐ出て、トンボ帰りしても9時間の運転で帰りは深夜2時過ぎになるはずです。
オッサンが、
「バスだと昼のうちに出ないといけないから明日一日もったいないし、
次の日は海に行きたいから早く帰りたいしでオトーサンが迎えに行くって。」
オカーサン、そんなに海が好きですか。

「オトーサン、大丈夫?」
「もちろんだとも。夫が妻のところへ向かうのは本能だ。寝ていても車が勝手に着く。」

そうですか。
じゃ、シュマルコフカまでは本能に任せておけば安心です。
でもシュマルコフカで妻を乗せたあと無事家へ帰り着けるかっていうのが
すごく心配なんですけど・・・汗。


<本日の夕ご飯>
シマーとほうれん草のグラタン、豚角煮、春菊とハムのサラダ、サツマイモのポタージュ、サツマイモ甘煮、トマトサラダ

2004年7月30日(金) わかりやすい人

雨。 13:21の外気温19℃、室内25℃、湿度66%

お昼にシュマルコフカのオカーサンから電話がかかってきました。
「やっぱりバスで帰ることにしたから。夜10時にバスターミナルに着くから誰か迎えにきてって言っといて!」
ありゃ、オカーサンいったいどうしたんでしょうね?
さすがにあんな遠くまでオトーサンに迎えに来さすのはかわいそうと思ったんでしょうか?

帰ってきたオッサンにオカーサンのことを伝えたら、
「あ、ソウ?じゃオトーサンに電話してみる」 と言って電話しました。
「オトーサンの方にもオカーサンから電話があったらしい。自分がターミナルまで迎えに行くって。」
「そう?よかったやん。なんでオカーサン急にバスで帰ることにしたんかな?」
「今日むこうも天気悪いし、明日も天気予報が雨だっていってたから海へ行けないから
もう時間のことはどうでもいいんダッテ。」

オカーサン、そんなに海が大事でしたか。
そのわかりやすくてシンプルなところがちょっとうらやましいです。


<本日の夕ご飯>
シマーのフライ・タルタルソース、シマーとジャガイモの中華風炒、春菊の中華スープ、野菜サラダ

2004年7月31日(土) アレルゲンを突き止めろ

雨のち曇り。 11:00の外気温21℃、室内25℃、湿度71%

オカーサンの言っていた通り雨になりました。
この時期なら週末は自動的に海なのですが天気が悪くては仕方がないですね。
海どころか外出するのもおっくうらしく、オカーサンから、
「市場に行くんならなんか青いもの買っといて」
と電話がかかってきました。
なるほど。そんで買ったらこっちへ持ってこい、ということですね?
はい、はい、行きますよ〜どっちみちうちの分も買わなあかんし。

くだものなんかも持って向こうのアパートへ行ったらオカーサンはこんがり日焼けしてました。
日焼けしてるんですが・・脚があざだらけです。
「オカーサン、ここどしたん?」
「外に出ているといろいろあるのヨ」
そうですか〜七人の敵と毎日戦ってたんですね、無事のご帰還ご苦労さまです。
シュマルコフカは毎日天気がよくて気持ちよかったから満足だったそうです。
よかったね。

オカーサンが
「はい、これプレゼント」 と言ってかわいいTシャツを3枚もくれました。
見てみたら一枚はGAPです。
「え〜どしたの、これ?」
「シュマルコフカに行く前にTシャツ買おうと思って私のと一緒にアルチョムで買っといたのよ。
安かったけど輸出用のやつだからモノはいいはずよ」

浦の隣町、ウラジオ空港があるアルチョムは縫製工場がたくさんあるところです。
以前はベトナムからたくさんの若い女性がこの一帯の工場に出稼ぎにきていました。
その当時、アルチョムのバアチャンの家から学校に通っていたオッサンは、
通り道にある工場の窓からコッソリ中を覗いて
「うあ〜東洋人の女性がいっぱい〜きれいナー」 とうれしくなり、
工場を覗くのが日課となったそうです。  ←ヤバイ人ですね?
あ、オッサンは子供の頃から東洋人の女性がとっても好きだったんです。
初めての出会いは「日本のガムの包み紙」です。
オカーサンのお姉さんがその頃貨物船のレストランで働いていて、
日本へ行ったおみやげにもらったガムの包み紙に印刷されていた「帽子をかぶった二人の日本女性」を見て
「なんてきれいなんだ、よし、ワタシは大人になったら東洋人と結婚するゾ!」と
心に決めたらしいです。
よかったですねえ〜夢がかなって。
こんなところまできてくれるニホンジンはそういませんよ〜
ありがたいと思っとんか、え?コラッ!
えーと、そういう話じゃなくてですね、アルチョムには輸出向けの縫製工場がたくさんあるもんですから
いろいろ横流しの品も出回っていてこうやってめちゃ安く手に入れることもできるという話です。
オカーサンありがとう。
でもGAP、「KIDS」なんですねぇ・・KIDSでちょうどいいんです、私。とほほ。

◇  ◇  ◇  ◇  ◇

両親のところで結構ゆっくりして家に帰ってから簡単に夕ご飯を食べた後、
市場で買った野菜を整理しながら冷蔵庫に入れていたとき、イタリアンパセリをちょっと
ちぎって食べたのですがのどにすごい刺激が・・・
なんな、コレ?
と思っていたらのどが腫れてきて・・・
手のひらがちくちくするような刺激と共にすごくかゆくなってきて・・・
なんなーコレーーーー!!!
そのうち全身にブツブツがではじめてカユカユです〜〜ッ!

「うあーなんかアレルギー出たみたい、かゆい〜っ」
「何かナ?」
「たぶんパセリ。食べたときからヘンだったから」
「こんなひどいのパセリというかパセリになんか虫がついてたか農薬じゃないカナ?」

とりあえず錠剤を一個飲んでようすを見ましたが一向におさまりません。
「注射しようか」
といって注射器を探したんですけどこういうときに限って全部使い切りでありません。
「しょうがないナー、もうこれ飲んで」
なんですと?
注射液を飲むんですか?
「ダイジョウブだよ、効きが遅いダケ」
ほんまかー?もう治ればなんでもええわと思って飲んだんですがやっぱりよくなりません。
カユカユカユカユ〜〜かゆーい〜〜!!

「治りませんネエ、じゃ次、こっちの注射液飲んで」
またですか!また飲むですか。混ざってもダイジョウブなんですか?
「注射で打つ時もどうせ混ぜて打つんだからだいじょうぶデス。」
そうですか・・・

そのあとだんだん収まっていったのですが、結局午前4時頃までカユカユで寝付けませんでした。

「ニホンジンはすぐアレルギーがでますネエ〜」
すいませんね。
いままでこんなこと滅多になかったんですけどロシアにきてから時々あるんです。
もしかして「ロシアアレルギー」?


<本日の買い物>
インゲン1`・40円、トマト1kg・100円、きゅうり1kg・36円、
すもも1kg・120円、白桃1kg・100円、スイカ・240円、レモン一個・40円、
ラズベリー1kg・480円、ブルーベリー1ℓ・320円、
バジリコ2束・80円、イタリアンパセリ2束・80円、パセリ2束・80円、ウクロップ2束・80円、
卵10個・93円、パン67円、菓子パン・20円、米2kg・168円、日本製コーヒー豆・
400円、
ロシア製コーヒー豆・390円、紙ナプキン・65円、
若鶏一羽+モモ4本+手羽元500g・920円

<本日の夕ご飯>
スパゲティバジリコソース、野菜サラダ

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