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〜映画「父、帰る」でヴェネチア映画祭金獅子賞受賞!〜

アンドレイ・ズビャギンツェフ監督来日記者会見
初監督作がヴェネチアでグランプリ、日本での公開も決定して大注目のアンドレイ・ズビャギンツェフ監督来日記者会見の模様をレポートして参りました。(2004/7/5 おがぴょん)
2004/7/5 スペースFS汐留にて
司会進行:沼野充義さん/通訳:吉岡ゆきさん
監督は今回が初来日だそうですが、日本の印象は?
成田からホテルのある渋谷まで、車で高速を使って移動しました。日本は初めてのはずなのに見たことがあるような気がする…と思っていたら、それは、タルコフスキーの「ソラリス」の風景だったのです。(※「ソラリス」は東京でロケが行われています)
それ以降は全部初めてのことばかり。日本での公開が決まって、大きなプレゼントをもらったような気持ち。嬉しいです。
邦題は「父、帰る」となっていますが、もっと他の意味も?
はい。「Возвращение(帰還)」にはいくつもの意味が込められています。父が帰る、子供が家に帰る、ドイツの記者の話では、「偉大なるロシア映画の伝統が戻ってきた」、神話上の「永遠に、どこかに戻っていく」など。
カンヌで「魂の旅」と簡潔に表現してくれた人もいました。が、キリスト教の伝統が一般的でない日本では、こういった宗教的な意味合いはわかりづらいかもしれない。父親=キリスト、といったような宗教的なシンボルも多く出てくるのですが…どうでしょうか。
多くの場合、処女作では理解されないことを恐れて説明過剰になりがちなのに、この映画はそうではない。見終わった後でも解決されない謎が山ほど残されています。最初の脚本ではもっと沢山のエピソードがあってそれを削っていったのですか?
今の質問が、過去のプレス内容から引用したのでなければ(笑)、この映画を深く理解してくれているということなので非常に嬉しく思います。芭蕉とその弟子・去来の会話を引用して、答えにしたいと思います。
或る、月についての俳句を、芭蕉と去来が批評している。
去来:この句は素晴らしい!月のすべてを語りつくした完全な俳句だ。
芭蕉:それは違う。私の考える広がりを残していないから。

沼野さん:謎が謎のまま残される、それが現実の世界。この世界は謎だらけなのだ、ということをこの映画は教えてくれるのですよね。(突然ですが、司会の沼野さんのコメントを入れさせていただきました。すみません。なんだかとても的を射た表現だったので…)
【注!少々ネタバレあり】
この映画では、子供達は自分の気持ちを頻繁に口にしますが、父親の気持ちは一切表現されていないようです。父親は次の3場面でどんなふうに思っていたのか教えていただけますか。
@車中でイワンが「あんたナシでうまくいってたのに、なぜ今帰ってきたのか。それに急に旅行に行こうなんて」と問い詰められたとき。→父:「ママに言われたから…」
Aイワンが隠していたナイフを出したとき→父:「イワン、誤解している」
B塔の最上部に外側からのぼり、→父:「ワーニャ、お前…」

どれも他のシーンとは違い、父親としてのとまどいが感じられるような気がします。が、どの場面も父親が発言しようとしているが続きが言えない状況になってしまうのです。彼は何を言いたかったのか知りたい。それとも、これも謎のまま?

では、一緒に考えてみましょう。
日本語はわからないのですが、英語字幕では必ず指示していたことがあります。父親が弟のほうを呼ぶときは、必ず「イワン」。これは、ドライできつい感じ、大人同士のような関係を表しています。が、最後Bの場面で初めて「ワーニャ」と呼ぶ。「ワーニャ、息子よ…」(「Ваня, сынок…」)。更に、ここで「сын」ではなく「сынок」を使っているところ、今までとは明らかにイントネーションが違うというところなどで、「隠していた感情の噴出」を表現しているのです。
ヨーロッパというか、キリスト教の伝統的な考え方として、「愛はことばではなく、行いである」つまり、自己犠牲が究極の愛情であるというような思想があります。この映画の中で「父親」を「キリスト」と重ね合わせるシーンが何度か出てくるのは、こういった思想を暗示しているとも言えるのです。
「父の存在」がテーマですが、監督にとっての「父」とは?
はー。(←ためいき)今までの中で一番重くてつらい質問だ…(笑)これに返答すると必ずフロイト的解釈をされるでしょうからね。実生活で、私の父親は、私が6歳のときに蒸発してしまった。私にとっての「父親」は、というと、不在・喪失・カルマといったことの繰り返しになってしまい、個人的で重くなってしまうのです。
これは今までで初めて受けた質問だったけど、思い返してみると、シナリオを見てから、撮影をし、映画が出来上がるまで、私は自分が「父なし子」であると思い浮かんだことが一度もなかった。つまり私は、フロイト的人間ではないということなのでしょうね。

最後に。
映画のプロモーションで各国をまわりましたが、今回の日本での記者会見は、雰囲気もよくて、非常にすばらしい質問がいくつも出て嬉しかった。どうもありがとう!


【感想】
日本がとても気に入って、毎日和食ばかりだったというズビャギンツェフ監督。頭の回転が早く、質問にはぺらぺらと雄弁に答えてくれる印象でした。

これが初監督作品だということなのですが、同日の試写会で初めてこの映画を見て、あまりの“大御所監督の映画”ぶりにビックリしました。観客放任主義というか、明かされない謎が多すぎる(T-T)。
なぜ突然、12年ぶりに帰ってきたのか?今まで何をしていたのか?頻繁に電話する相手は誰なのか?島で掘り出した箱の中身は?…など、ストーリーの鍵と思えるような部分は一切明かされないままエンディングを迎えてしまうのです。
でもこの兄弟の立場に立ってみると、私達観客と同様、父親についてはわからないことだらけなわけで、「世界は謎だらけ」という沼野さんのコメントに頷くばかり。2人はこれからの人生で、父親の素性とか仕事とか、いろいろたくさん想像しちゃうんだろうなぁ…あ、私もか。というような感じでしょうか。

個人的には、この映画が日本で公開された時、「帰還=“父親の権威”の復権」だとか、「父親たるものこうあるべき」、だというような批評が多く出たらちょっとイヤだなぁ…と思いました。映画自体が素晴らしいために、この父親の「ワイルドで、無骨で、少し悪い人っぽい」といったような面が魅力的に映ってしまうのではないかと。私だったら、12年もの不在の謝罪も説明もないこと、また、わけもわからず暴力を振るわれたり置き去りにされたりすることは納得いかん!と思うからです。
男の子にとっての「父親」の見方はまた全然違うのかもしれないし、また、“父親=キリスト”に重ねたシーンなども多くみられることから、単に、何か権威のシンボルといったような描かれ方であるのかもしれません。
しかしこの映画は、私のような「こんなお父さんはイヤだ」という考えも、勿論「これが父親のあるべき姿だ」ということも主張してはいません。ストレートな教訓やメッセージが感じられないところ、このあたりにハリウッド映画との違いを強く感じました。

なお、兄アンドレイ役のウラジーミル少年は、映画の完成試写の直前2003年6月、友人と出かけたラドガ湖(映画のロケ地でもあります)で亡くなったそうです。「ココで撮影したんだぜー」なんて感じで湖に遊びに行ったのでしょうか…。改めて、ご冥福をお祈りいたします。
【編集後記】
記者会見、初体験の私…せめてテープレコーダーぐらい持って行けばよかった(T-T)。撮影は自前のデジカメだし。。。と後悔することだらけでしたが、監督も会見の中で言っていたように、非常に内容の濃い記者会見で、参加することができて本当に楽しかったです。
ご招待いただいたアスミック・エースさん、本当にありがとうございました!

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ご来場いただいた皆さま、ありがとうございました!
第9回 JICロシアンフェスタ


昨年に引き続き、ロシぴろも出店させていただきました。

前日の夜、
家でつくった「1/10スケールモデル」(^-^;)
当日のお店の様子
新作CDや、難あり品の大特価コーナーなど。
  コンサートの出番を待つ大使館の子供達も…
フェスタ参加者の皆さんも、
たくさんの方々にご来店いただきました!

ご来店いただいた皆さま、本当にありがとうございました!
来年度開催予定の「第10回JICロシアンフェスタ」にも出店を予定しています!
ご期待ください!!


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