はっさく1号の・・・
あんなことこんなことロシア 第5回

事故現場に直面したら・・?(後編)



ドライバーのおっちゃんが戻って来て、
「じゃ、行こうか。待たせたね。」と一言。
私: 「どうして救急車は病院に行かないんですか?あの人たちは
大丈夫なんですか?」
彼: 「うーん。中で治療してるんだよ。大丈夫。もう行こう。」
私: 「ねぇでもどうしてこんな高速道路のど真ん中に人が
立っていたんですか?こんなところ、第一どうやって入ったの??」
彼: 「ん?・・酔ってたんだよ。」
私: 「・・・・・・・・・。」
友人とその姉:(通訳後)「なっ・・・・・・・・・!!」(絶句)

事故が起きた瞬間からパトカー・救急車が来るまで、そして来た後の
一部始終を見るはめになった私達。その間約1時間40分。
日本だったら考えられない長さ。そして対応。

「ここがどういう国か解った?」とわたし。
勿論はるばる来た友人にこんな形でロシアを紹介することになるなんて
思っても望んでもいなかったけれど、
実際すべてを目の当たりにしてしまった以上もう何も言い様がない。
これはロシアの一面であって全てでは勿論無い。
私だってまだまだ知らないこと、理解していないことは山ほどあるし、
いい面だって沢山知ってる。
でもこの日見た一部始終の出来事は、確かに今のロシアの現実だった。

後日この話を大学である年配の先生にすると、彼女は
「救急車が遅いのは当たり前。私の母が危篤だった時なんてね、
呼んだけれど結局来なかったのよ。
待ったんだけど、結局来なかった・・。」と。
「え、それでお母様は・・・」
「・・・・・・・。」
「そんな・・!それって普通なんですか?」
「勿論普通じゃないわ!でもこういう国なんだもの。どうしろっていうの?」
「・・・・・・・。」

それにしても。空港へと向かうこの道路で、何度事故や
道路脇に止まって助けを求めている車を見たことだろう。
正直言って空港往復はもうあんまりしたくない位。

今回のこの事故現場を去って走っている時にも、
どうやら故障したらしく向かいに車を停めて助けを求めている若者がいた。
意外と結構停まってくれる人はいるのだけれど、
どうやら誰も助けられないらしく話を聞くとすぐにまた去っていく。
それを見て友人も「ひぇ〜ちょっとあの彼また飛び出して渡って来たり
しないでしょうねえぇ・・もうやだよ事故は。」
「でもうちらの運ちゃんが跳ねたんじゃなくてまだ良かったよね。」
そうその通り。もしあと何秒か遅く彼らが飛び出していたら、
間違いなく私達の運転手さんが跳ねていたのだから。

運転手の彼とは、友人らをホテルまで送った後いろいろと話して帰った。
彼はアゼルバイジャン出身だが、地元では仕事が無いのでモスクワに来て
もう18年にもなると言う。ここで結婚し、この日も
「奥さんと子供が待ってるんだ。帰ったらキスしてあげなきゃ!
今日は遅くなっちゃったからな〜。」なんて
ウキウキとパパの顔で言っていた。
もう事故なんて何もなかったかの様。
もう見慣れてるんだろうなー、と感じた。
私が日本出身だと知ると、
「日本人か。世界一幸せな国民だ。」と一言。
「えーどうしてそう思うんですか?」
「みんなそう思ってるよ。」

確かにそうかも知れない。世界一とは解らないけれど、
かなり幸せな方だと思う。
命の危険を真剣に感じたことが、日本であっただろうか。
冬に暖房が無くて亡くなっていく人々が、日本でいるだろうか。
物乞いをする小さな子供たちの集団が、日本でいるだろうか。
ここはまっさきに自分が家族が生きることを考えそのために生きていく社会。
余裕のあるのは、ほんの数パーセントの人々。

 寮に着くと思わず「着いたぁ・・生きてる・・。」と深い安堵のため息を
ついてしまった私を、彼はまたも笑って見ていた。
そして「俺はもう何年も運転手をしてるから、もう全部見たよ。
事故だって何度も見た。でもね、考えちゃいけない。
そんなこと考えながら運転してたら何もできないだろう。な?
とにかく考えないことだよ。忘れるんだ。じゃあな。元気でな。
また会うかもね。」
「はい・・・。さよなら。お元気で。」

その日私は、事故のショックもあったものの
無事部屋に帰ることが出来た安堵感も手伝って
「ああそういえばあの運転手さんの免許証は買ったものなのかな、
それともちゃんと教習所に通って試験を受けて取ったのかな。
どっちかな・・・。まあでもいい人だったな・・。」
などと思いを馳せながらゆっくりと眠りに落ちていった。

 思えば初めて目の前で人が跳ねられる瞬間を見てしまったのは
まだ日本にいた頃。大学のある神戸の、自分のアパートの前でだった。
かなりショックで半泣きになりながら両親と友人に電話して、
それでも落ち着かなくて夜はなかなか眠れず翌日も頭から離れなかった。
それに比べて今回はどうだろう。家に着いた安堵感ですぐに
眠れてしまったのだから、自分自身の感覚からしてあの頃とは大分
変わってしまっているという事になる。
それに気付いた時、少しだけ怯えた。

さて話は運転手さんに戻って。
彼は今も、モスクワ市内をあの超猛スピードで走り続けているのだろうか。
私としては、可愛い奥さんと子供たちのためにも
安全運転を心がけて欲しいものだけれど。



空港に向かう高速道路の真ん中でエンジン停止してしまった車。運転手がボンネットを開けて奮闘中です。耐用年数をとっくに過ぎた車をなんとかかんとか修理して使い続け、道が悪い上に運転も荒いので、道路での故障が耐えません。それが大きな渋滞の原因になります。(gonza)



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