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ピョートル大帝のロシアの思い出

〜第6回〜

コロ助寺-フリョーノヴァ・スモレンスク州−


 スモレンスクには列車で来た。
 かなり離れたところから町の城壁が見えた。小高い丘に町のクレムリンがあるからである。

 この町は「当たり」やな、と思った。ウロウロしがいのある町、こぎれいな町、そしてなによりあまり知られていない町、それを見つけたとき僕はとても嬉しい。
その心理は例えばミスチルがブレイクする前から知ってたんや、となぜか誇らしげに言い張る人のそれに似ているかもしれない。


 たしかにいい町であった。市街地の建物は歴史の趣を感じさせるものが多かったしいたるところに銅像、モニュメントがあって楽しめた。
ロシアの西端に位置する町であるため、町の歴史は西側からの侵略に対抗する歴史であったともいえる。河沿いの丘の上にあるこの町は要塞としての機能を一番期待されて造られたと思われる。なるほど町の歴史モニュメントはナポレオン戦争に関するものばかりであった。そしてスモレンスクはソ連の対独戦争勝利に貢献した「英雄都市」のひとつでもある。

勇ましいモニュメントも見処。 クレムリン(城壁)が残るスモレンスク




 しかしながらスモレンスクは時間がなくて町をブラブラするのも数時間だったし、いくつかある博物館にも行けなかった。じっくり観光しがいのある町だったのに残念な限りである。あと町の電話局にインターネットサービスがあったのだが、ロシアのインターネットサービスは英語、ロシア語しか使えないのだけど、スモレンスクでは日本語が読めた。書くのは英語、ロシア語だけだったが、久々の日本語活字に他愛もなく心癒されたものだった。


 そんなスモレンスク観光の時間を割いてまで僕が向かったのはスモレンスク郊外のフリョーノヴァというところである。
この場所、前から知っていたわけではない。スモレンスクで購入した町の観光絵葉書集にひときわ異彩を放つ建物があって、それがフリョーノヴァにあったのである。スモレンスクのバスセンターから郊外行きのバスに乗って約30分、距離にして約20キロである。


 スモレンスク市街を出てしばらく幹線道路を機嫌よく走ってたバスは横道に入り、田舎のさびれた、でも一応は舗装されてる道を走りだした。そして見えてきたのは森の上にちょこんととびだした黒タマネギ。だが終点フリョーノヴァのバス停はすでに舗装がなかった。ド田舎というわけである。

 クローバーの咲く野原の道を黒タマネギを目印に進み、やっと目的地到着。

スモレンスクから更に20km。
コロ助寺遠景。
ピョートル大帝を駆り立てた「それ」は、在った。

 写真で見るより生の迫力は比べるべくもない。見れば見るほど異様である。この建物は教会であるからキリストの絵(厳密にいえば、色つきの石などをちりばめたモザイク画)があって一向に構わないのだが、なぜ入り口に描いたのだろう?
 ロシアの寺院建築については全く知識がないのでなんとも言えないのだが、僕が見た限りでは建物の表面は白や水色やはだ色やレンガ色やら単色で、絵というのはこれっきりである。そのかわりロシアの教会の内部の壁面は「これでもか」とばかりに聖書をモチーフにした絵で埋め尽くされている。耳なし芳一状態である。


 この寺は立ち入り禁止だったので中は見れなかったがどうなっているんだろう?本尊ともいうべきキリストを入り口に配置してしまったので中は逆に白い壁面だけだったりするのだろうか?入り口のプレートを見ると、この建物は教会であると共に貴族の墓所でもある。そして建てられたのは1904年。20世紀初頭で日露戦争があった頃である。


 あとで調べてみると、ここに領地を持っていた貴族が芸術家の有力なパトロンであったので、ここはちょっとした芸術サロンだったそうな。そしてこの教会とそのそばの建物は貴族の保護を受けた芸術家たちが設計したものだそうだ。そして教会の入り口のキリストは、モスクワのトレチャコフ美術館にも展示されているリョーリフという画家の手になるものだそうだ。

 時まさに帝政末期。アヴァンギャルド芸術が盛んだった時期でもある。当時の新鋭の芸術家たちは従来の寺院建築の様式にも反逆を試みた、ということであろうか?ということはこのフリョーノヴァは伝統を否定する芸術家たちの「不良の場」であったといえるだろう。ちと苦しいな・・・。



フリョーノヴァのバス停。
バス停とは思えない…。「ロシア誰もいない風景」。

 このフリョーノヴァは教会とそばの建物以外に見るべきものはなにもなく、商店、人家すら見当たらないので30分もすれば観光終了である。


 さて帰ろうかと思ったら、帰りのバスは2時間後。いくら僕がヒマ人でもそれはつらかったので、バスで来るときに通ったささやかな集落まで行けばもう少しバスも多いだろうと思って1,2キロ歩いて集落に着くと、案の定バスが待ってたのでそのままスモレンスク市街に戻った。






 フリョーノヴァから近所の集落まで歩いたとき、ちょくちょく教会のほうを振り返ったのだが、来るときにバスから見えたとおりてっぺんの黒タマネギしか見えない。


 この黒タマネギに妙な懐かしさを覚えた僕はその原因を考えてみたのだが、「このタマネギ、コロ助(キテレツ大百科)のちょんまげやん!」と思った瞬間、ロシアの田舎道でひとり大爆笑してしまったナリ。藤子先生、ごめんなさいナリ。


スモレンスク:モスクワの西420キロに位置する人口35万人の都市。スモレンスク州の州都。
モスクワからの経路:バス便はモスクワ発スモレンスク行きという便はない。ミンスク行き等ベラルーシ方面の便の途中下車となる。
列車はモスクワ・ベラルーシ駅からスモレンスク行きの列車がある。

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