ロシアの生活・音楽・映画・アニメ情報サイト
「ロシアンぴろしき」トップへもどる

2007年05月10日

☆ 14号 時差調節に夜の風も良いもの

 12月17日夜のサンクトペテルブルクにて

 日本との時差5時間の国に到着して、すぐに夜の街を歩き少々冷たい風にあたり、好きなものをしっかり食べ満腹になり。これでこの旅をきっと元気に過ごすことができると確信しました。

 ジーマは「明日は、ミーシャの店に行こう。博物館のような面白いお店だよ」。そして、「君たちは地下鉄で帰りなさい。僕はこちら側、君たちはあちら側だからね」と、いうわけで、歩いてきた道の下の地下鉄です。

 深い深いサンクトペテルブルクの地下鉄。駅の装飾などそれぞれ個性的ですが、要注意の場所でもあります。悪いことをしてしまう人たちはどこにでも居て、スキを付いて被害に合う可能性もありますから。手荷物は抱きかかえるようにして、ポケットの中は空にして、Y子さんとふたりで乗り込みました。
 たった1駅だけです。地下鉄を降りて地上に上がればすぐ、「モスクワホテル」です。

 ホテルの部屋に入るなり、やはり眠くってたまりません。なにもやる気がなく眠るために。明日からの旅を楽しくすために。おやすみなさい。


2007年04月13日

☆ 13号 ブリヌイは美味しくって元気になります

 ~~~12月17日夜のサンクトペテルブルク 軽食堂にて ~~~~~~


 ロシアの人々は「ブリヌィ」が大好きです。ブリヌィとは、簡単にご説明しますと、小麦粉を溶いて、丸く焼いたもの。お好み焼きの台をもっと厚みを持たせたようななもの。うーむちょっと違うかな?油をたっぷり使います。
 そのままでも、お好きなものを巻いたり乗せたりして、むしゃむしゃと食べます。

 ブリヌィは家庭でも、街頭でも、レストランでも、専門店もあって、いつでもどこでも食べることができるもの。私も大好きです。

 ジーマに連れて行かれたブリヌィのお店は、カウンター越しに、注文を告げて席に自分で運んで食べるところ。蜂蜜、ロシアのチーズトボログ(柔らかいふわふわチーズ)、イクラなどをはさんで、そしてサラダも注文して、紅茶とともにいただきました。これが美味しくってたまりません!!
 
 写真を写すことも忘れて食べてしまいました。お隣でY子さんはやや緊張しながら、「まだ体が慣れないからいまたくさん食べるのはちょっと……」と言いながら、熱いお茶を飲んでいました。旅に出れば自分の体は自分で守ることが大事です。隣で「美味しい美味しい」とむしゃむしゃ食べる人は、それが元気の元なのです。

 ジーマは、お茶を飲みながら、目の前でうれしそうにしています。優しく熱く、とても魅力的なジーマです。この人との知り合いなれたことは、私の誇りです。

 拙いロシア語を駆使して、いろいろ話していて、私は思い出したことがあり、彼に聞いてみました。

 「日本で放映された映画『ククーシュカ』に、ジーマの名前を発見しましたよ」。

 ジーマの目がきらりと光って、「あの映画は、民族学博物館が多いにかかわり、僕の仕事だよ」。
やっぱり!私がエンドロールでみつけた、Дмитрий Баранов は、正しかったのです!!
 ジーマはロシア国歴史民族学博士。ロシアのことならなんでも知っています。そして、秋には、中国へも出張もされ、「中国と日本は違うということがよくわかったよ」と教えてくれました。「中国はどこへ行かれたのですか?」と尋ねたのですが、彼の応えた中国の都市のロシア語呼びがわからず、少々困りました。


2007年04月12日

☆12号 お久しぶりです。ジーマ博士

 ~~~~12月17日 夜のサンクトペテルブルクにて ~~~~~


 空港到着は、18時30分、冬のその時間はもう真っ暗です。到着したばかりの時差も位置もまだ調節が整っていない私はいつもどおりに「ここはどこ?いま何時?」の状態です。

 タクシーは少々荒い運転で暗い街を走るぬけていきます。私は後ろの席でちょっと目をつぶって、ちょっと疲れを取って。Y子さんは助手席にすわり「なんだか恐い運転だった」と後で語っていたけれど、たしかにビュンビュンと走って、ホテルへ運んでくれたのだった。

 ホテルの前でトランクからトランクを下ろしてくれた運転手。そのときに、車トランクを覗いて、忘れ物がないかを確認するべきだった。

 ホテルチェックインもすんなり手続きをして、急いで部屋に入り、また急いで部屋から出て、ロビーで待っていてくれるだろう、ジーマさんに会おう。

 1階ロビーは、依然来たときとは様子がすっかり変わってしまっている。狭くなっている。工事でもしているよう。

 ジーマさんは私たちを待っていてくれました。

 「こんにちは!」と、Y子さんは愛知万博の閉会日05年9月25日の以来1年ぶり。私は、06年5月に会っていますから、半年振りです。

 「モスクワはどうだったかい?」
 「芝居は見てきたかい?」
 「いつからロシアにいるのかい?」

 あらあ、ジーマさん勘違いしている。私もジーマにしっかり日程とか連絡していなかった。この旅を決めた11月半ばにメールしたくらいだったかしら。

 「いいや、私たちはいま、ロシアに到着したばかり、モスクワは後で行くの」と、下手くそロシア語で伝えたら、ジーマは笑っていました。

 「さあ、ブリヌイを食べに行こう」とジーマ。私たちは、「ジーマの家に行くのかしら?」とも考えつつ、彼に付いて、ホテルを出ました。そこで気が付きました。ホテルの外壁を工事しています。

 「ブリヌイの美味しい店があるのだよ、ちょっと歩いてね」とジーマ。お家へ行くのではありませんでした。

 ネフスキー通りは、日曜日の夕方で人通りも少なく、そんなに寒くなくでもそれなりに風は冷たくって、私は、首周りの防寒を怠って外に出てきたことを後悔しながら、でも、うれしくってジーマについて歩きます。

 うわあー、私は、また来ましたよ。サンクトペテルブルク!!


2007年04月01日

☆11号 タクシーに乗る。

~~12月17日サンクトペテルブルクの夜~~~~

 空港の出口あたりには、タクシー運転手らがたむろしています。サンクトペテルブルクは観光地ですから世界各地からやってくる観光客を相手にするタクシー運転手たち。以前はまさに客引きで、空港に到着したばかりの人々の袖を引っ張るように自分のタクシーに乗せたがり、値段もべらぼうに高く請求するとかで、大きな問題となっていました。さすがに自浄努力で「明るくわかりやすいタクシー」みたいな目標をかかげて、不当な客引きは無くなったようです。
 が、元締め親分はそれなりに存在して、「お客さんタクシー必要かい?どこまで行くのか?」と、タクシーを探す客をみつけると、寄ってきます。
 
 私はもちろんタクシーに乗る予定でしたから、地図を持って「このホテル。『モスクワホテル』へ行きたい。で、おいくらでやってくれますか?」と、客引き元締め親分風なおっちゃんと交渉です。
 「70ドルだよ」。
 「エッ、めちゃくちゃに高い」。
 「そうかい。ちっとも高くないよ。じゃあ乗らなくても良いよ」。
 と、つまり親分風おっちゃんが強気で、なんだかたまらずイヤでした。

 それが高いのか安いのかを判断する材料など、いま到着してばかりの客にそれはありません。
 私の頭のどこかには、「ふたりで70ドルか、ひとり35ドルなら、まあ、仕方がないか」と案外あっさりと妥協の風が吹きました。
 Y子さんには、「ここは私にまかせて」と、あらかじめ後ろで待っていてと言ってあります。

 「わかった。70ドルで行きましょう」と、OKをすると、運転手役の背の高い男性が飛んできて、私たちのトランクをさっさと車のトランクに入れました。
 こうして、どこか納得はしていないけれど、闘いもしないで穏やかに、車に乗り込みました。
 
 いざ、サンクトペテルブルク市内にあるモスクワホテルへ。
 私がはじめてのロシア旅行で泊まったホテルです。その後も幾たびか利用し、2002年以来です。


2007年03月27日

☆10号 サンクトペテルブルクは寒くない

==2006年12月17日(日)18時半、サンクトペテルブルク到着 ===

 もう何度この空港に降り立ったかしら?覚えていない。入国手続きもすぐ終え、荷物もすぐに出てきてくれて、万事うまくいってロシア入国です。外に出ての第一印象は、「寒くない、思いのほか暖かい」のです。ちょっとだけ薄く雪のあとは残っています。
 すぐに、ジーマさんに電話をしました。日本から「空港へ到着したら電話しますから」と伝えてあります。

 「ジーマ、いま空港に到着しました。1時間後くらいにホテルロビーで会えますか?」
 「ああ、待っていたよ。1時間後だね、ホテルで会おう」。もちろんロシア語会話で、電話は日本でいつも使っている携帯電話です。携帯電話がこうして使えるようになってとても便利になりました。

 空港からホテルまでは、タクシーで行きましょう。同行のY子さんに伝えました。
 「タクシーの交渉をするから、黙っていっしょに居てね」と。こちらでは、タクシーは交渉なのです。○○へ行きたいから幾らを払ったら連れて行ってくれるのか?と。旅人が集まる空港のタクシー乗り場は、不当に高い値段を言ってくる可能性がありますから、要注意の場所です。
                         


☆9号 再開。春が来るのに冬の旅の旅行記

 ご無沙汰をお許しください。

 もうみなさまに見離されてしまったことでしょうが、私の中ではとても気になっている、旅日記の続きの掲載です。再開させていただきます。

 12月17日にヘルシンキに着いたところでした。では、続きます。

 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 ヘルシンキ空港で、サンクトペテルブルク行き便に乗り換えます。待ち時間が1時間です。格段に早くなりました。うれしい限りです。
 
 ちょっと戻って。私はこの旅に、日本酒をサンクトペテルブルクの友人にもモスクワの友人にも、おみやげとして渡したかった。トランクに入れるのは心配で、出発当日にセントレア空港で、日本酒900ml瓶を買って手に持ち飛行機に乗り込もうと思っていたのです。
 が、事前に調べると、ヘルシンキ空港で乗り換え時に、水ものはすべて没収されると知り、驚いてしまったのです。セントレアで買って、ヘルシンキで没収されてしまのは、絶対イヤなことです。だから、後日また書きますが、おみやげに用意したお酒はトランクに入れたのでした。「トランクには割れ物を入れないでください」と片方で言っているけれど、片方では「水のものはトランクへ、手荷物にしないでください」という矛盾が起きています。テロ事件が起きて飛行機の旅はとても厳しいものとなりました。

 乗り換え待合室に入る前の、手荷物と客の体は機械を通り、なお係員の目の検査も受けます。係員も大勢居て「見逃しませんよ!」です。

 私は、自分のための香水を手荷物カバンの中にいれていました。資生堂の新商品できれいな瓶に入って、まだ新しいのでお気に入りの箱にも入っています。若い男性係員は、「これはナンだ?香水??」と手にして、箱から瓶を出してその瓶を光に透かして匂いを嗅いで、備え付けの小さいビニール袋へ入れました。そのときに、箱を捨てようとしました。
 「あっ、それはダメです。捨てないで」と、私は日本語で言ったのです。
 「なに?箱じゃあないの。捨ててダメか?」とでも言われたようですが、私は彼が箱をくちゃっとつぶすのではないか、捨て去ってしまうのではないかと、指差して騒ぎました。だから、彼は「要るのか」と返してくれましたけれど。

 そんな騒ぎをして、待合室に到着して30分間ほどの時間ですが、お店をのぞいたりコーヒーを飲んだり。ヘルシンキと言えば、サンタクロースの国フィンランドの玄関ですから、きっとツリーもクリスマス飾りも派手にあらるだろうと思っていた私ですが、空港の飾りは北欧センスできれいです。

             IMG_0010.JPG

             
              IMG_0011.JPG

    
 
 乗り換え便チェックインカウンターで渡すべきものが消えてしまい、慌てた私でした。この後もそういう騒動を起こしていました。ちょっと謎です。要るべきもがすっと消えてしまう魔のスポットに入っていたようです。
 空港職員の前でカバンの中身を全部出す勢いで探しだして、無事に飛行機に乗せていただきました。
フィンランド時間16時20分、私たちを乗せて、飛行機はサンクトペテルブルクへ飛びます。北の街には、現地時間18時10分着です。フィンランドとサンクトペテルブルクとの時差は、1時間。飛行機に乗っている時間はわずか1時間だけです。ついでにですが、日本とサンクトペテルブルクの時差は冬時間で6時間あります。もちろん東にある日本が進んでいます。サンクトペテルブルクに到着する時間は日本の深夜です。


2007年02月07日

☆8号 航空機内における気圧変化を見る?

 :::12月17日 フィンランド航空でヘルシンキへ ;;;;

 ちょっと難しいタイトルです。何度も飛行機に乗っていますが、飛行機が空を飛ぶこともなぜなのか、わかりません。どうして飛ぶのでしょうか?ふしぎですねえ。と、いうほど、私はこういう部分はまったく興味がなく、「偉い人たちが大勢で仕事をしているから飛ぶ」と理解しています。

 飛行機に何度も乗り、恐い体験はありません。が、想像してみると恐いことはいくつかあります。もし、隙間があって外気が入ってきたら、どうなるのかしら?機内気圧調整が壊れてしまったらどうなるのかしら?トイレのバキュームが壊れてしまったら困ってしまうし、どうなるのかしら?など考えてしまったら飛行機には乗れません。
 
 飛行機は好きです。機内ではもうなにも出来ないので座っているしかないから、好きです。

 フィンランドエアーは、時間とおりに出発しました。なんの不安感もなく順調に飛んでいます。機内は空いていますから、席を3つも取って眠ることもできます。映画も音楽も良い音で、レパートリーも充実しています。フィンランドポップやクリスマスソングなどを聴きながら、ときどきしっかり眠りながら、過ごしています。
 楽しい機内食では、無料でビールもワインも飲めるのがうれしいですね。

 小物もサンタクロースをデザインして、おしゃれ。フィンエアーは、良いですねえ。好きですよ。

                  IMG_0005.JPG

                 
                  IMG_0007.JPG
                 

 順調に飛行中です。私が手に持っているポテトチップスの袋が、だんだん膨らんできました。その膨らみ方がおもしろく注目です。と、同時に、私たちの体のどこかも、このように膨らんでいるのかな?との思いをめぐらせても、います。

                    IMG_0004.JPG
               

 そろそろヘルシンキも近くなってきたころ、袋はとうとう最高の膨らみです。もし、パ~~ンと破裂したら、あたり一面にポテトチップスが飛び散るのではありませんか?急に恐くなりました。
 もし、もしもですよ。あなたがこれから楽しむ海外旅行への機内で、突然破裂音がして、突然頭からポテトチップスが降ってきたら……。私なら怒ってしまいます。
 あたりのお客様へ迷惑をかけると大問題。

                    IMG_0008.JPG

                    

 客室乗務員を呼びました。
 「どうされましたか?」と何か、私の身に異変でも起きたのではないかと、日本人乗務員は顔を覗き込みます。
 ポテトチップスの袋を見せて、「これ爆発しそうなので心配です」。

 「大丈夫です。破れません。下におりましたら小さくなりますから」と、冷静沈着な体験に基づくご意見を述べられました。笑いを抑えながら。
 そう言われても心配で、でも、どこかおもしろくって、いつどのように破裂しても被害を最小限に食い止めるべく、目をそらしませんでした。

 が、そうこうしているうちに、もうヘルシンキです。高度を下げていくとともに、袋は少しずつ縮んでいきます。パンパンだったものが小さくなっていくのですから、あちこちがシワシワっ~となっていきます。

 だいたいもとのように戻ったころ、ヘルシンキ空港に着陸です。着陸があまりにもスムーズで、エッ、もう地上?と驚いてしまいました。ヘルシンキも暖かそうです。雪の景色はなく、ちょっと残念。

 機内でこんなに楽しませてくれたポテトチップス袋は、その後も数奇な運命をたどったのです。


2007年02月05日

☆7号 飛行機に乗る前に

 ::::12月17日(日)セントレア空港 & 国際線出発ロビーあたり :::::

 
         IMG_0002.JPG

 空港は空いています。旅行シーズンがオフのときでしょうか。でも、クリスマス前で「世界のクリスマスを見に行くツアー」などが人気と聞きつけたので、ひょっとして、出発ロビーあたりは込んでいるのだろうか、と案じては、いたのですが。人は少ないです。
 空港内あちこちのクリスマスツリー飾り、日本のツリーは、絶対、外国文化ものまねの頂です。一生懸命飾り立てているけれど、似合わない、納まっていない、ヘンです。でも、12月25日夜には片付けて一気にお正月飾りをするので、許します。
 と、へそまがりな思考は、旅に出る高揚感がなせること。独特な緊張感はあたりが妙に冷静に見えるときもあって、いつもこの出発寸前の空港風景は、大好きです。

 フィンランド航空は、もう何度も利用しています。が、セントレアからはじめての利用、2006年6月からの就航ですから、いつかは利用するつもりでしたが、こんなに早くそのときが来るとは、うれしいなあ。

 出発時間は11時55分。チェックイン後、コーヒーを飲みましょう。

                  IMG_0003.JPG


 出発ゲート近くのスタバーで、熱いコーヒーを飲んでホッと一息。ふだんは買わないのに、ポテトチップスを一袋買ってしまった。以前シューラが言っていた「日本のポテトチップス美味しいね」の言葉が、急に頭に浮かんだから。
 このポテトチップスは、楽しい飛行機の旅のおともになってくれたのです。それは愉快でしたよ。次号お楽しみに。

     


2007年02月03日

☆6号 セントレア空港は近い!が、駅は。

::: 2006年12月17日朝、中部国際空港(セントレア) へ :::

 晴れ。トランクはきっかり20キロにしたかった。ちょっとオーバーかな。手荷物はなるたけ小さくまとめた。それらを持って、セントレア空港へ、名鉄独占電車に乗っていきましょう。名鉄電車がトラブルと、空港行きは大きく影響がでます。名鉄は空港までを特急電車をなにより優先させて走らせています。快速急行も走っています。
 名鉄名古屋駅はめちゃくちゃに使いにくいことで有名な駅です。

     rosen1_07.gif

 ↑の路線図とおり、いくつかの路線が名古屋駅に集中しています。いまは隣の金山駅にも分散させていますが、それはそれは使いにくい駅です。

 国際空港への出発駅ですから、東西の人々が大きなトランクを持って集まります。多くの人たちは、トランクを引きずり、階段を昇降しています。駅の改築は、無理やりの位置にエスカレーターを造りましたが、残念なことに客に知らしめていません。
 構内英語放送あるの?聞いたことはないけれども駅員は英語対応出来る人は配置されていました。
 ホームが微妙にカーブしていて、電車との隙間が大きく開いている場所もあります。注意を促す日本語放送がいつも流れていて、自分に必要なものが聞き取れません。当然日本語がわからない人たちは、あちこちでウロウロしています。
 なによりも、いったい自分は、ホームのどの位置からどの電車に乗ったらよいのかがわかりません。この駅は、乗り間違いをしてしまうという恐怖の駅です。地元の私でも間違い多数あしです。
 もっと恐ろしいのは、普通電車に多いのですが、ときどき待っている位置に止まってくれないことです。連結車両が短い場合があり、4両と、待っていると2両編成が来たりして驚いてしますう、そんなホームです。
 

 私たちの旅。まず飛行機出発時間から逆算して、電車の時間は午前9時に。あらかじめ座席指定券を購入しておき、当日混乱しないようにと準備をしておきました。
 余裕を持って指定の電車に乗り込みました。Y子さんも隣に座るはずなのに、来ません。乗り遅れたのかしら?と気をもみました。乗り遅れても電車は何本も出ていますから、なんとかなるでしょう。名古屋の次の金山駅から、Y子さんは乗り込んできました。安心。
 
 彼女ははじめての、冬のロシア旅行をとても緊張して準備をしていました。時々電話やメールでお互い連絡をとりながら、この日を楽しみに待っていたのです。
 私は、リピータの貫禄でなにも慌てず、一番の心配事は、家で飼っている老犬が弱っていることで、1週間のうちに永久の別れとならないようにと、それが心配です。その犬は、いま、元気に無事に、節分を迎えています。長生き14歳老犬です。

 セントレアまでわずか30分。名鉄セントレア駅から空港へも、空港内も、いっさいの段差がなく、トランクにも、運ぶ人にも優しい快適さです。日本中全部の駅が、バリアフリーで、こういう造りであると、街を歩くのが楽しくなるだろう。これからますます高齢者が増えていく日本と公共交通機関の課題です。
 あまりにも簡単に、空港へ着いてしまいました。大好きな飛行機に乗れます!


☆5号 日露、芝居のチケット

 12月半ばには、ボルコフ劇場の来日公演に行くつもりで、チケットはすでに買っていました。そもそもこの公演が東京であるから、東京へ、その間にモスクワへ、というちょっと大胆思い付きが、旅へのはじまりでした。
 諸事情で結局は、モスクワ行きを優先させてしまい、買ってあった2週続けてのチケットをどうするのか。買ったままで行かずに、席を空けたまま無駄とするのは、いけないことです。
 さあて、どうしましょうか。

 モスクワからは、俳優シューラが「僕たちの劇場のチケットはどうしますか?」とメールで聞いてくれます。ユーゴザーパド劇場は、地元で大人気の劇場です。2ヶ月前からの販売ですが、前売りでほぼ完売してしまいます。
 俳優の権力(?)などチケット販売では通用しません。俳優とチケット販売管理者とは、まったく仕事が違います。日本のように、俳優が営業活動をしたりチケットを持って宣伝したりは、ロシアには、ありません。俳優は俳優業に専念し、チケット管理者は厳しく仕事を全うします。俳優がチケット管理者に申し込んでおくとチケット管理者は、預かっておいてくれます。
 最近は劇場への専用メールで、世界中からチケットが注文できますが、俳優が友人ですから、そこは彼に頼むべきです。それに俳優は、自分の出演するものは、客に多く見て欲しいものです。
 
 ボルコフ劇場のチケットは、東京に住む友人たちが買ってくれました。とても助かり良かった。ありがとうHさん、Nさん。
 今回はモスクワにわずか3日間の短い滞在で、その間のユーゴザーパド劇場は、シューラの出演舞台が1本しかありません。残念ながら1本だけを予約し観劇するlことにしました。私たちが帰国する予定の日の夜がシューラの主演作品なので、彼は「もう1日延ばして、僕の芝居を見なさいよ」とも連絡もありましたが、それは難しいです。残念です。

 これで、懸案事項は解決です。さあ、トランクに荷物を詰めてっと。旅がはじまります。


2007年02月01日

☆4号 旅の出発の前のいろいろ

 ご存知のとおり、ロシアへの旅行は諸手続きがいります。ロシア国に旅行しますからどうぞ許してくださいませ、と願い届けるものです。まずは旅程をしっかり決めること。飛行機を予約すること。訪問地と宿を決めること……。そしてそれらをもとにヴィザの申請と受け取りです。面倒ですが、これをしなければロシアへの入国はだれもが許されません。

 もし私に時間もふくめてのゆとりがあれば、自分で予約とかチャレンジしてみたいところですが、たった1週間の旅に費やす労力ではないと判断して、すべて旅行会社におまかせしました。

 このところはひとり旅でしたが、友人Y子さんをお誘いしました。Y子さんとは、2005年の愛知万博のときに出会い、まだ新しい友人です。ロシアがとてもお好きだそうで、ロシア語も勉強されています。電話で「1週間ですが、ごいっしょにロシアへ行きませんか?」とお誘いしたら、即答で「行きたいです」。

 でも、私はわがままです。私はロシアの旅のリピーターです。会いたい友人も多くいます。私はロシア語できません。それらをY子さんにはあらかじめ伝えました。「私はあなたの通訳はできません。私は私の楽しみ方をしたいです。私を頼りにせず、ご自分でご自分が楽しむ旅をつくってください。いつもいつもごいっしょできるわけではありませんから」と。かなり厳しいことを最初に伝えました。

 それを快く承知してくださり、一人旅×ふたり、みたいなことで行くこととしました。ロシアへの旅の諸手続きから、Y子さんは自分で奮闘しました。

 そして、肝心な、モスクワの俳優のスケジュール。「パリの公演から戻ってくるのは12月18日夜、その後は稽古と公演がある」との連絡がありました。
 12月18日は、サンクトペテルブルクのオレクさんの誕生日です。友人エレーナの同僚で愛知万博スタッフで来日して、3ヶ月間いっしょにたくさん遊んだオレクさん。いままでもこの「マーミンカ通信」に何度もご登場いただいているオレクさんの誕生日です。ぜひ、会いたいです。

 などなど、やっと日程を決めることができました。12月17日出発で24日帰国です。
 さきにサンクトペテルブルクへ行き、オレクたちに会ってからモスクワへ。成田からのアエロフロート往復で使うよりも、中部国際空港(以下、セントレア)からのフィンランド航空で、ヘルシンキ経由を利用したほうが、時間的にとても楽になります。というわけで、05年2月開港のセントレアを往復利用することとしました。

 これでロシアへの旅の準備はできました。あとは出発日を待つだけです。


2007年01月26日

☆3号 ホテルが…ない??

 いつも、毎日のようにモスクワで舞台出演している俳優が、モスクワを離れている、そのときに出かけてへ行くのは、イヤです。
 私のほうは、12月の半ばが良いのですから、こりゃあうまくいかないかと、ちらりと思いました。

 旅行会社に、ホテルの予約を依頼しました。まだ日程が確定していないのですが、「モスクワはホテル不足でめちゃくちゃ高い値段になっている」と聞いていたので、行きたいあたりの様子を教えてもらうと。

 もう、びっくりです。
 「モスクワ市内は、1泊3~5万円です。安いところは、モスクワ市内からはずれます」と、恐ろしい返事です。なにより、日程が決まらなければ、旅行会社も正式に動けませんから「少しでも早く正式予約を入れてくださいね」と、おなじみの私の担当者は、言います。続けて「モスクワ市内の旅行関係は、いま、すっごく強気でね、安いことを言う客は来るなみたいな雰囲気で商売しています。仕事がらみでモスクワへやってくる世界の客が多く、ごちゃごちゃ言うツアー客は、あまり喜ばない」と、裏話も、教えてくれるのです。担当者は、「高い料金に見合う部屋とか料理とかサービスとなっていないのが、もうひとつの問題です。ソ連時代そのままの部屋で料金設定が、ウン万円とか言うのですよ」。彼女、電話のむこうで怒ったり、愚痴ったりです。
 
 もちろん、私は1泊3万円、なんて払うわけありません!きっと安いところがあるはずです。もうひとつ、私には安いだけではなく、場所の指定もあります。モスクワ南西部でなければなりません。ユーゴザーパド劇場に近いホテルでなければなりません。

 カレンダーと財布とを目の前に、考え込んでいました。そして、もうひとつ大事なことを忘れているところでした。あっ、12月18日は……。  次号に続きます。


2007年01月24日

☆2号 行きたいなぁ、モスクワ

 2006年12月17日出発、帰国は24日の旅日記をいよいよ始めます。時期的にちょうどクリスマス前ですから、カテゴリの題は「クリスマス前の2都市(サンクトペテルブルク+モスクワ)」といたしました。さあて、なにが起きることでしょう。

 ☆☆☆……

 06年5月の2週間の旅はたいへんに満足で、もうしばらくどこへも行かないつもりでした。10月のはじめまで、そのように思っていました。が、諸雑多なことがいっぱい押し寄せてきて「ああ、休憩しなければやってらない」。それは日増しに強くなってきます。

 同じころでしょうか。東京で、ロシア国立ボルコフ劇場公演にいってみる事を決めました。早々にチケットも手配して、そのときを待つ楽しみもあります。が、それは2週つづけて東京へ出かけることです。
 2週続けてか……。じゃあその間にモスクワへ行くことができるじゃあありませんか!すでに買ってあるボルコフ劇場のチケット、12月16日(土)に観劇して、翌日成田からモスクワへ。23日(土)朝、モスクワから戻ってきたら、その足でまたボルコフ劇場へ行き、東京へ泊まり翌日曜日に名古屋へ戻る。うん、これはとても良い計画だ!!!

 東京でのホテルも予約しました。いつもの旅行会社にアエロフロートの予約も依頼し、予定通りの便がOKでした。またまた順調に旅ができそうです。

 そして大事なこと。モスクワの俳優に電話をして、伝えました。
 「私、モスクワへ行きます」と。
 俳優は、ちょっとくぐもった声で「そのころ、ぼく、フランスへ行くのだよ」。


2006年12月25日

☆1週間で2都市かけめぐり

 みなさま、こんにちは。

 12月17日中部国際空港からヘルシンキ経由でサンクトペテルブルクへ。そして、20日にモスクワへ移動して、24日、中部国際空港へ戻ってきました。

 旅の目的は、実は十分にかなえられませんでした。が、それは複線で、本線はいつもどおりに楽しい良い旅ができました。

 では、なにをしていたのかを簡単にご報告。時間はすべて現地時間です。

 17日(日)朝、自宅から中部国際空港へ。我が家から近くなって、うれしい。機内でのんびりと眠るばかり。夕方、サンクトペテルブルク到着。寒くない。「名古屋に吹いている風のほうが冷たいや」が、空港から外へ出たときの第一印象です。
 ホテルへチェックインして。すぐに会いにきてくれたジーマといっしょにネフスキー通りを歩き風に当たる。これが時差の調節に役立って、あとがとても楽だった。ブリヌイをたくさんゴチソウになり、旅の第1歩が元気にスタートしました。

 18日(月)、旅の目的、オレクの誕生日なのですが、なんとも残念なことにオレクは、エジプトへ仕事に出かけてしまって、誕生日イベントもなく、オレクにも会えず。
 雪が降って冷たい。が、ネフスキー通りを歩きながら、街の中心地へ。「血の上の教会」「カザン聖堂」などを観る。
 夜は5月に会っているジーマの親友、ミーシャの店、ロシア骨董品店へ行きました。ロシアの歴史や生活文化などをすっごく勉強させていただいた。楽しかったね。

 19日(火)、晴天。2時間タクシーをチャーターして、市内見学です。その後、超高級ホテルの喫茶で、のんびりくつろぎ元気になる。ジーマの職場、国立民族学博物館へ。夜は、ジーマの家におよばれに。ミーシャもやってきて楽しいひとときを過ごす。

 20日(水)、サンクトペテルブルク発モスクワへ。モスクワも良い天気です。到着後のモスクワ国内空港ロビーで、迎えに来てくれる予定の人を待つこと2時間半。「大渋滞で進めなかった」とのこと。それは、俳優シューラです。私の来露を喜んでスケジュールを工夫してくれた。夕方は、シューラの運転でモスクワ市内見学。が、またまた大渋滞。いろいろ困ったね。

 21日(木)、かなり気温が下がっている寒い日。午後の時間までホテルの部屋で、テレビを見ながら、手紙を書いたりクリスマスカードを書いたりお昼寝をしたりして、のんびり過ごす。夕方近く、シューラのご自宅で楽しいひとときを過ごす。もう何度も訪問しているので、みんなで言いたいこと言っている。

 22日(金)、午前中、ホテルのご近所を散歩する。ホテル前の道が大渋滞中。それに巻き込まれたシューラがまた遅れてやってきた。ユーゴザーパド劇場へいっしょに行き、多くの俳優や偉大なる演出家ベリャーコッビッチ氏にごあいさつができる。
 シューラも出演の「ワリプルギエバの夜」をはじめて観劇する。芝居後は、俳優シューラと「ご馳走を食べるゾ」とレストランへ行く。外は雪。酔っていたからかな、私は転んだのでした。

 23日(土)、大渋滞に巻き込まれないよう朝早く空港へ向かい、空港で長く待つ。乗り継ぎのヘルシンキ空港でもまた待つ。やや遅れて飛び立った飛行機は、中部空港で「滑走路が混雑していますのでしばらく旋回をします」となり、30分以上伊勢湾上空を飛ぶ。
 到着後すぐに、中部空港名物「飛行機の見える温泉」に行く。旅の汚れ、疲れを温泉で全部洗い流してから自宅に戻る。
 満足、満足の旅ができました。
 
 ~~~~~~

 今回は、ロシアの旅はじめての友人と行きました。はじめてのロシア、それも冬のロシアを彼女も十分に楽しんだようです。なによりもふたりとも元気に過ごせましたね。良かったね。
 オレクには会えなかったけれど、「またきっと会いに行こう」と思う。
 シューラの芝居は本当に良かった。もっと観たい。おみやげにすごいものをいただいてしまった。日本にひとつしかないのではないか!感涙中です。
 だれとも、「さよなら」でお別れしていない。「またすぐ会おう」と、泣かずに別れてきました。

 私は普通の労働者です。何度も旅を繰返せば貯金も底をついてしまいました。旅のやりくりも円安のご時勢で非常に財布は厳しく、かなりのけちけち旅です。
 でも、お金では買えない熱い大きなものをいっぱい胸にして、元気に戻ってきました。そして、すぐに「次を、未来を」と、考えてしまっています。
 
 シューラとは以前から語り合っていることですが、 「私たちは、夢を持つこと、計画を持つこと、友だちを持つこと、そして、いつも笑顔で居ること。それが大事さ」。

 今回も、旅の神様に心より感謝いたします。ありがとうございます。
 


-->