2007年01月20日
**100号** ありがとう。
2006年5月15日 サンクトペテルブルク~ヘルシンキ~関西国際空港~名古屋
サンクトペテルブルクプルコボ空港では、フィンランド航空ヘルシンキ行きがなぜか、遅れました。待合室でただ待つだけ。予定より40分くらい送れて乗り込んで、もうたまらなく眠くって、うとうとしている間に
ヘルシンキに到着です。
ここからがまた長い!待ち時間が5時間弱ですか。本を読んだりビールを飲んだり、音楽を聴いたり、ボーっとしていたり。いい加減へろへろとなったころ、やっと飛行機に乗れますねえ。
通路側の席で、ひとつ空いて向こうには金髪の女性が座っています。が、まわりにまったくかかわらず、眠ることにしました。が、いすの座り心地が悪くって、もともとあまり無いと言えるクッションが、へたっているというか、お尻の置き心地が悪く、大きなお尻の収め位置が決まりません。すっごくヘンな姿勢で、それでもグワッ~と言えるほどの、超超超爆発的睡眠です。死んでいたのかもしれませんね。
食べることは食べて。また、眠って。約9時間ちょっと。当然無事に、思いのほか早く、帰ってきてしまいました。大阪へ。空港の流れはスムーズで、「ああ、日本」を実感して。
到着一番の食事は、やはりお寿司です。入った空港内すし店。期待しすぎでめちゃまずく、「なんだこれ?!」と少々怒る。
隣に座っていた青年に「どこへ行ってきたの?」と問えば、「いまから行くのです」と言うので、「ああ、ここは帰国したばかりの人のため食堂階かと思っていた」と、言い、笑いました。
青年は「いまからフランスへ行って、あちらで仕事しながら、他の国にも行ってみようと思っています。モスクワですか?僕の計画に入っていないなあ」。
そうでしょう、たぶん。それで良いですよ。モスクワは、なじみが無い町でそれで良いです。行きたい人だけが楽しんでくれば良いのです。
「じゃあ、元気に行ってらっしゃい!!」
関空から特急電車「はるか」で京都まで。と、同じ車両にフィンエアーの日本人客室乗務員が乗り込んでいます。彼は、乗り込むとすぐに眠りました。全身がもうたまらない疲労モードで、だから眠るぞ!とばかりに。「お疲れ様ですね」。
京都で降りるときに彼に声をかけると、「またぜひ、フィンランド航空をご利用ください」。
ああ、名古屋まですぐに戻ってきました。
留守番していたみんなに「ありがとう」と言うと、「留守番もたいへんだよ」といろいろを報告してくれながら、うれしそうだったので、忘れられていなかったとこれもまたうれしかった。
みんな、ありがとう。
===読者のみなさまへも、ありがとうございます。を====
2007年01月16日
**99号** また、来るからね。
~~5月15日朝のサンクトペテルブルク・ホテルを発つ ~~~
なにも片付けずに眠ってしまったので、空が明るくなったと同時に、それはかなり早い時間ですが、起きだして、シャワーを済ませました。持っている生っぽい食料=パンとかピロシキなどを片付けるような朝食を済ませて。
「エイッ!」と声を出して、トランク詰めです。と、まだ8時前だというのに、レナが部屋にやってきました。
早い、早すぎ!でも、うれしいです。
レナはさかんに私のメンドウを見ることができなかったことをわびています。「仕事に家事にとても忙しかった」と。
大騒動する私のそばで彼女は、「今度はいつ来るか?」「美術館へ行こう」「ダーチャへ行こう」「学生たちと遊ぼう」など、どんどんお話をしてくれますが、私は荷物を作るのが忙しく、ロシア語を理解する頭が働かないので曖昧返事で、「ウン、そうだ」、「良いねえ」、「行こうよ」、「また来るから」などと、いい加減のようで真実を答えています。
すべてを片付けて、トランクとともに部屋を出るとき、窓からのぞいたネヴァ河は、やはりきれいで、そっと「またね」と伝えてきました。
ホテルロビーには、日本人団体がいます。軽くあいさつをすると「どこの団体ですか?日本旅行さん?」と聞かれて、「いいえ、ひとりで」と言うと、「まあ、ひとりでここまで、すごいですね」。
なんにもすごくないです。ひとりと言ってもこうして守ってくれる友だちがいつもいるもの。日本人のグループが騒ぐ輪の中、レナに「急いで、空港まで込んでいるらしいよ」と促され、彼女がつかまえてきたタクシーの運転手が私のトランクを持ち、私たちは駐車場へ走っていきました。
空港への道はやはり込んでいます。「もうすぐサミットだからさ」と運転手は朝から陽気で、「でも、込んでいるのは、少しだけで、すぐに早く走るからね」。運転しながら、さかんにレナとしゃべっています。しゃべりながら運転しています。と、彼の言ったとおりにある地点から、流れがスムーズになり「僕の言ったとおりだよ」。
空港の朝の光の中で、レナとお別れです。「また、おいでよ」。「もちろん、また来るからね」。
2007年01月08日
**98号** 旅の最後にはお礼を述べましょう
~~5月14日 サンクトペテルブルクで夜、明日は帰国です~~~~
ネヴァ河沿いのホテルに着いたころは、まだぼんやり明るいのですが時間はすでに、午後11時ごろです。明日の朝の出発の前には、トランクの整理をしなければなりません。ですが、旅の最後の夜は気分もかなり高揚しています。ホテルの移動、レーピン美術館、ダーチャ、海、戻って夕食会などと盛りだくさんのきょうの日程でしたから、当然体はとても疲れているのに、眠ることよりも、もっとここでの時間を肌で感じていたくなっています。

ぽわんと窓の外の暮れる街の様子を眺めていると、電話です。
私にこんなにステキな旅を体験させてくれる、そのきっかけを作ってくれた、レナからです。
「明日の朝、ホテルまで行くからね。空港まで送っていくから」と。
涙が流れます。どうしてこんなに優しく親切に温かくしていただけるのでしょうか。タオルを抱えて泣いてしまいました。
そして、もうおひとり、モスクワの俳優にも電話をしておかねばなりません。サンクトペテルブルクからは一度電話をしたのですが、俳優は「忙しいからあとで」、だったので、そのままでした。
「シューラ、ありがとう。明日帰ります」
「君は偉い。2週間ひとりでモスクワとサンクトペテルブルクへ行き、友だちとたくさん会って、とても偉いよ。なんの問題もないかい?大丈夫かい?」
「もちろん。とても素晴らしぃ毎日だよ」
「君はロシア語下手だけれど、とても上手になっているから。今度はいつ来る?ああ、いつでも僕はモスクワで待っているから。そして僕たちも日本へお芝居を持って行くからね」。
またまたタオルを抱えて泣きました。トランクの整理はそのままで、泣き寝入りでした。
2007年01月06日
**97号**お祝いの席にも
~~5月14日 サンクトペテルブルク、ジーマの家にて~~~~
一気にサンクトペテルブルクの街へもどってきたミーシャの車です。まだ陽は高いのですが夕方の時間です。ジーマの家の前で降ろされてしまいました。私は、ミーシャが私をこのままホテルまで送ってくれるものだと、思っていたのでしたから。
家の前で、ミーシャとは、お別れです。
「また、きっと、きっと会いましょうね!!」

(白樺の林の1本道を車は、快適に走りました)
「きょうは、サーシャの(生後)10ヶ月のお祝いをするから」と、ジェーニアがすぐ台所に立ちます。私は別の部屋で「ゆっくりしていてね」と言われて、サーシャとジーマと遊びます。と、ジーマのパパがおいでになりました。サンクトペテルブルク市の西の方の町に住むジーマのご両親は、可愛い孫のお祝いに、きょうはおじいちゃんが、かけつけてくれたようです。
ジーマとジーマパパは、あまりにもそっくりで、そしておじいちゃんはサーシャともそっくりで、DNA鑑定しなくとも血のつながりがわかります。
ジェーニアのパパとママは同居で、パパのユーリーさんはすでにジャガイモを茹でて待っていました。ママは仕事で外国へ行っているそうです。そして、私たちは、「サーシャ10ヶ月、おめでとう」のお祝いをしました。サーシャはやっとハイハイと伝い歩きがはじまったところですが、これからやんちゃ君になりそうです。まん丸お目目がキラキラ輝いています。
2週間の一人旅の締めくくりの夕食は、とても美味しく、とても素晴らしい時間となりました。

「タクシーでホテルへ帰ってね」と、ジーマたちは私を大通りまで送ってくれました。その道すがら、ジェーニアに聞きました。
「子どもは何人欲しいですか?」
「3人よ。3人の子と遊ぶのよ」と笑いながら彼女は答えてくれました。ああ、やっぱりね。彼らに幸せあれ!ですが、大丈夫です。幸せをどんどん作り上げていく夫婦でしょう。
道で抱擁して、再会を約束してお別れしました。
ジーマがキャッチしてくれた若者の運転の車に乗り込んで、私は涙をそっと拭きました。私も幸せです。いつもロシアの旅は幸せです。
**96号** フィンランド湾、海の景色
~~5月14日 サンクトペテルブルク郊外のダーチャにて 晴れ、気温低い ~~~~~
自分がいまいる幸せを信じられない。ずっと夢じゃあないかと思えてならない。
木々の中のしずかな別荘で、ささやかだけれど美味しくってたまらない食卓を囲み、ワインをいただきながら、なんだか素晴らしい出会いに感謝するしかない、幸福です。

(スミマセン。かなり食べてしまったあとの写真です)

(窓の向こうも木立が続く、静かな景色です)
「さあ、海へ行こう」と、私たちは出かけました。まだ少しだけ雪の固まりが融けずに残っている中に、春の花もさきはじめている林の中を通ると、目の前に砂浜が見えてきました。海です。
「あちら(右の方)がヘルシンキで、(左手側)こっちがサンクトペテルブルクだよ。海は日本にも通じているよ」。ミーシャは、私に気遣って日本のことを時々話題にあげてくれる人です。

(ヘルシンキはずっとこの向こうにあるそうです)

(サンクトペテルブルク方面はこちら、遠くに塔が見えますが…)
遠浅の海。この海で子どものころから泳いでいると言うジェーニアは、「夏においで、泳ぎましょう」と、誘ってくださって、またうれしいことです。ええ、泳ぎたいです、この海、フィンランド湾で泳ぎたいです。
海の水をちょっと手にとり、なめてみました。
塩からくありません!!塩味はしません!!!驚きました。日本の太平洋のあの塩分大盛りの味とはまったく違います。
砂浜をしばらく歩き、水鳥の景色も見て、ジーマたちのうれしそうな姿をみながら、あと10年もすればあの夫婦のまわりには、3人くらい子どもがいっしょに走り回っているのだろうの、景色も、目に浮かびました。

ジェーニアに聞きました。「昨年(2005年)夏はここに来ましたか?ジーマは(EXPOで)日本で、サーシャが生まれた(7月生まれ)から、どうでした?」
彼女は「ことしは、みんなで夏にここで遊ぶのが楽しみです。昨年は5月に来ましたね。こんな大きなお腹していたからね」と、お腹の周りを手で大きくして笑っています。幸せな時間です。
ジーマも「夏にはここで泳ごう、おいでよ」と、また誘ってくださって。どうしましょう。
別荘の食卓で、軽くお茶をして、片付けます。

(ロシアでは食卓テーブルは窓の下に置きます)

(冬もここで暮らせる暖房の設備もあるようですが「寒いところだよ」とことです。1階奥は書斎がありました。2階もお部屋がいくつかあるようです。立派な別荘です)
ああ、ここでひと夏を過ごすと、どれだけ細胞が活性化されるのでしょうか。絶対に人間がたくましく優しく賢く、そして愛あふれる人となります。
モスクワの俳優シューラのママのダーチャは、可愛いい小さな小屋でしたが、それはそれで、とても気持ちがよく、気に入りました。「夏に来て、木の実や果物の収穫を手伝っておくれ。少し行った池で泳げるよ。魚釣りもできるから、夏に来るのだよ」と、シューラのママからの熱いお誘い。
将来、シューラも建物を建てるといまは土地だけのダーチャ村の一角に彼はどんな建物を建てるのでしょうか?「僕のダーチャは、大きな建物にするから、泊まっていけば良いよ。夏の間、僕のダーチャにいれば良いから」と、誘ってくれましたね。
そして、この立派なダーチャにも「夏は、泳いで、森を歩いて、シャシリクをして遊ぼう」とジーマたちの誘い。
ええ、もちろん、全部のお誘いに遠慮なく、乗りますからね、きっと。待っていてください。
2007年01月03日
**95号**「別荘」と呼べるダーチャにて
~~~5月14日 サンクトペテルブルク郊外のダーチャにて ~~~~~
レーピンの家美術館から車でなお、ヘルシンキ方面へ。ほどなくして、ダーチャ村に入りました。日本で言えば、高級別荘地とよぶことができるところです。と、言いましても日本のそれにはまったく縁がない私ですから、写真等でみるだけの景色ですが。
いま目の前にあるサンクトペテルブルク郊外のダーチャ村は、「ここはどこかな?」と、私の知っているロシアの景色では、はじめてみるようなものです。いままでも、モスクワ郊外のダーチャ村などを車窓から見たことはありますが、それよりもぐっと広くゆったりして、それぞれの建物も手入れが行き届いています。
ロシア語の「Дача・ダーチャ」を日本語訳でみると、「別荘ですが、日本の別荘のイメージとは違い農作業小屋みたいなものです」と、書かれているものがあります。が、いま、目の前に広がっているのは、まさに別荘です。
広い自分の敷地を囲い、だいたい2階建ての大きな家があり、家のすぐ近くにはロシア式サウナの小屋もあって、本物の農作業小屋もある。そのような別荘がいくつもいくつも個性的に連なるダーチャ村の一角で、ミーシャは車を止めて、ジェーニアが、鍵を出して門を開け、ダーチャへの入り口が開きました。
「昨日掃除をしたからきれいよ」と、荷物を運びながら、ジェーニアさんもジーマもご機嫌です。私はただキョロキョロするだけです。


(サーシャを抱っこするジーマと妻のジェーニヤ、ミーシャと。大好きな友だちです!!)
2007年01月02日
**94号** イリヤ レーピン の家へ
~~~5月13日 サンクトペテルブルク郊外 にて 晴れ ~~~~~
ミーシャの運転で、後ろの席にジーマ・ジェーニアと小さいサーシャはパパのひざの上で、助手席に私で、一路「レーピンの家」に向かっているようです。いったいどんなところなのでしょうか、まったくわかりません。
イリヤ レーピンはこんな絵を描いています。きっとどこかで例えば絵画集とか教科書の中などで見覚えてのある絵ではありませんか?
私がはじめて彼の絵に出会ったというか、会いたくてロシア美術館で「ボルガの船曳」(貼り付けリンクの絵画集一番下にある絵)を見たとき、なぜかとても希望を感じて、心が晴れました。つらい中にある希望です。これを乗りきればきっと未来が開けるよ、という希望を絵の中に感じました。そんな軽いテーマではないのでしょうが、でも、そのように感じる絵でした。うれしかったです。
また、ロシア美術館の一部屋を飾る巨大な作品「議会」は、書き上げら得ている歴史上の人物それも大勢の個性がすべてわかる、表現力に体が震えるような感動をしてしまいました。
が、そのレーピンについての知識は皆無です。ジーマが「レーピンの家に行こう」と誘ってくれたときも、「どのレーピン?まさかあの絵描きのレーピンのことですか?」と内心思ったものでした。
サンクトペテルブルクの街からヘルシンキの方へ向かっています。左手に海が時々見え、右手側に線路が見える1本道を気持ちよく走ります。きっぱりと気持ち良い晴れの日ではありませんが、時々青空がのぞきます。気温は低く薄手コートにマフラーを巻いている私です。
車は、大型観光バスの止まる駐車場に入りました。
私は、日本の夏の海の家周辺の景色に似ていると思えてなりません。ずっとなにもない海辺の道で、突然、人家や喫茶店とか駐車場が出てきて人が集まっているのは、海の家です。まるでそんな感じの駐車場に止まると、少し歩きました。
目の前にとんがり屋根の木造の建物が見えます。私たちの前に入った団体さんと「いっしょに説明を聞いて」と、博物館管理員・学芸員・警備員などみんな兼ねているような青い上っ張りを着た女性が言うままにみなで付いて部屋に入ります。ロシア語の説明ですから、私には難しいのですが、時々ジーマたちが私を心配してくれる視線を送ってくれます。


レーピンは、自然に囲まれたこの家でたくさんの絵画制作もしていますが、家族や友人たちとも交流をしています。人が集まるサロンのような部屋もあれば、自然光は入るが、冬にはとても寒そうな部屋でいつも生活をしていたとも。壁にはもちろん彼の作品がいくつか掛けられています。デッサンのための小物類も当時のままでしょうか、置かれています。それらロシアの民族衣装や家具類は専門家ジーマたちは、興味津々です。
外をめぐると、まだ寒い景色の中に、それでも確実に春を感じて、彼らは喜んでいました。「花が咲いている」「木の芽が出ている」とでも言っているのでしょう。ジーマに抱かれているサーシャもご機嫌です。


※ ご注意
このレーピンの家美術館内には、トイレはありません。駐車場に新しくきれいな有料トイレがありますので、そちらで御用はお済ませくだい。
2007年01月01日
**93号** ホテルの移動、うんまあ!
~~~5月14日 サンクトペテルブルクの朝 ~~~~~~
ジーマの友人ミーシャが迎えに来てくれると言う。が、私はそのミーシャに会ったことがあるのだろうか?1月のジーマの家でのパーティ時にいらしていた方だろうか?もしそうならば、「はじめまして」の挨拶は失礼であるし、でも、記憶はないし……。と、そんなことを気にしながら、大急ぎで荷物の整理です。ガリーナホテルの自炊生活のために買い置きしていたものは、なるたけ私のおなかに納めました。
ミーシャが約束の時間を少々遅れてやってきました。最初はアジアの人かと思ったのです。小柄で肌の色もどこか浅黒く見えて、黒い髪にも見えて。初めてお会いする方です。彼は私にいきなり英語で語りかけてくれます。「いやあ、ロシア語で話してください」と言ってしまって、いきなり普通のロシア語で語りかけてくれまして、これはこれで困りましたが、なんだか明るくって、どこかアメリカ人みたいでもあります。彼の車は、ホフチンスカヤホテルへ。
ガリーナホテルの宿泊予約でのメールのやりとり時、完全に私が勘違いしてしまいました。15日朝、帰国ですから「15日まで」と予約をしなけらばならないのに、14日の夜も泊まるというつもりで、「14日まで」としてしまったのです。
しっかり確認をせず送りぱなしでやって来てしまいましたから、ガリーナさんから、「14日の夜はすでに予約がいっぱい」と言われたときは、ちょっとだけびっくりしました。
が、ガリーナさんの計らいで、ホテルを予約してくださって、それも……。
ホテルの部屋に入ってびっくりです。
目の前に、スモーリヌイ修道院がとても美しく見えます。ネヴァ河がこれまた美しいです。まあ、この部屋は最高のお部屋!!感激いたしました。

ミーシャは私の拙いロシア語を理解してくれる努力を惜しまずに聞いてくれます。が、彼が何者なのかさっぱりわかりません。何の仕事なのでしょうか。トヨタ自動車のことを言っているので、車関係かな?でも、いまは人の良さそうな親切な英語も堪能な若者です。
ジーマの家に行きます。そしてジーマたちとダーチャへ行きます。楽しみ、楽しみです。
2006年12月29日
**92号**なおも歩いて、宮殿広場と
~~5月13日夕方近く 晴れ サンクトペテルブルク中心街 ~~~~
朝からたくさん、たくさん歩きました。もうこの勢いでもっと歩いてみましょう。
ワシリー島とエルミターシュ美術館方面を結ぶ橋を渡り、美術館の前の「宮殿広場」をめざすことにしましょう。そうですね。40分くらいかしら?ネヴァ河を渡るときはさすがに寒いです。
宮殿広場は世界中の観光客がその広さと美しさに惚れ惚れする場所です。私にもたくさんの思い出があります。物乞いの子どもたちに付きまとわれたこと。白夜に馬車に乗って1周したこと。寒くって滑ったことなどなど。
9日の戦勝記念日にこの街に来て以来、気になってしかたがないものがあるのです。モスクワでもシューラが車のアンテナに飾ったりしていたし、街を歩く人たちが胸にも飾っていたのですが、そのときは気に留めなかったものですが。
それはリボンです。勝利のリボンとでも呼ぶのでしょうか。これが欲しくなりました。でも、もう私の目には飛び込んできません。だから、この写真でガマンしましょう。
黒い色と濃いオレンジ色の縞模様のリボンです。

戦勝記念日の日は、老若男女がそれぞれの飾り方でこのリボンを誇らしく体のどこかに飾っていました。
宮殿広場を歩きながら、この街は、観光客を迎えながら古さと新しい生活スタイルとの戦いを人々が強いられていることも知りました。
さきほど歩いてきたワシリー島。古い建物が並んでいます。旅人の目には、「まあ歴史ある美しい建物ですねえ」ですが、そこに住み続ける人々はいろんなメンテナンスにご苦労していることでしょう。それに観光客が乗っている大型バスがいっそう渋滞をつくり、観光客目当てのちょっと悪さを企てる人たちも集まって来ているし。
世界中の観光地がかかえる同じ悩みでしょうが、とりわけロシアの国は観光政策が遅れているのですから。住民たちがこの街に生きていることを誇りに持って、観光客を喜んで迎えてくれるようでなければなりません。観光客を嫌う観光地となってほしくは、ありません。歩きながら観光客のひとりの私は考えていました。


ネフスキー通りに出て、有名な超大型デパートのゴースツヌイ・ドボールを覗いてみましょう。
ここは1785年の建設、いったい何点の店が入っているのでしょうか。それはたくさん、たくさん入っています。1階は観光客用にロシア土産などもならんでいます。2階は衣料品などもあって、それは豊富な商品が陳列されています。別に買うものもないので、ウロウロしているとみつけてしまいました、大好きな帽子屋さん。夏用の軽い帽子をめちゃ安く買ってしまいました。
さすがに疲れてしまって、地下鉄で帰ることとしましょう。いったいきょう一日で何キロ歩いたでしょうか…。
**91号** サラダとジュリエン !
~~~5月13日 午後、サンクトペテルブルクのレストランで ~~~
ジーマとビールを飲んで、「じゃあ明日ね」と別れたあと、私は「クンストカメーラ」(ピョートル大帝記念人類学・民族学博物館)へ行ってみることにしました。
が、驚いてしまった。チケット売り場へ行くのがまず長蛇の列。その後の入場にも長蛇の列。すぐに、入場することはやめて、目の前にあったレストランで軽食を食べておくこととにしました。
ビールだけでは空腹で、なにか食べたくなってしまったのと、レストランの外にいた青年アシスタントの笑顔につられて入ったレストランです。

中途半端な時間だったこともあり、空いていました。大きな部屋でひとり。
注文したのは、サラダとジュリエンとお茶だけで、申し訳ありませんでした。

春一番に咲く花、ミモザを模したサラダです。丁寧に作られていてとても美味しかった。

ジュリエン、発音がむつかしく、俳優シューラがいつも厳しく教えてくれるのですが、うまく言えない、ジュリエン。きのこのクリーム煮オーブン焼きみたいな軽食です。

けっこうなお値段でございました。(1ルーブル約4円) + サービス料
**90号** 島を歩く、歩く。
読者のみなさま。
5月の旅の続きを書きます。あと少しで終わる5月の旅日記ですが、割愛することができないほどの幸福をみなさまにお知らせしたいので、しっかりと書いておきます。
【ここからお読みの方のために】
2週間の一人旅です。5月2日、日本を発ちモスクワで俳優たちと遊んだり、芝居を見たりの幸福な時を過ごし、サンクトペテルブルクには、ロシアの大事な「戦勝記念日」に、移動しました。
友人たちが熱く歓待してくれ、ひたすら彼らと街を歩きました。ジーマは、2005年EXPOロシア館で働いていた、ロシア民族学の権威。彼は「ダーチャへ行こう」と私を誘ってくれました。
きょう、5月12日はダーチャへ行く約束をしていたのですが、昨夜「ダーチャには行かない。散歩においで」と、彼の家のあるヴァシリーエフスキー島(長いので、こちではワシリー島)を歩くこととしました。
~~5月13日 サンクトペテルブルク・ワシリー島にて、晴れ~~~~
ジーマは、生後10ヶ月の長男サーシャを乳母車に乗せてやってきました。
「きょうは、(妻の)ジェーニヤがダーチャの掃除に行っているのだよ。ダーチャは冬の間閉めていたから汚れているからね。だから、ダーチャは明日行こう。きょうは島を散歩して、あとでお茶でも飲もう」。
サンクトペテルブルクのワシリー島は、サンクトペテルブルク大学もある島で、多くの観光客は、島の先端のロストラの灯台柱などがある位置から、対岸のエルミタージュ美術館やペトロハブロスク要塞を眺めています。メンシコフ宮殿もこの島に位置しているように、古い歴史のある島です。
晴れているのですが、気温が高くはなく、私には少々肌寒いので薄手コートを着ています。でも地元人ジーマは半そでTシャツで「きょうは、暖かいねえ」。
では、写真でごらんください。

(可愛いサーシャは天使、しあわせにしてくれる笑顔です)

(あれ?港がある!と驚いてしまった私です。が、考えればそうですね、サンクトペテルブルクはフィンランド湾に面している都市でした)

(港の目印のように金色屋根が輝く教会です)

(街は多くの人が住んでいますから車も多く走っています。ここも渋滞が日常的のようです。この日は休日のなので車は少ない)

(住宅街にある児童公園です)
2時間ほど歩き回りました。おもしろかったです。やはり暑くなってきました。
お茶でも飲もうの予定が、ナント街頭でビールとなりました。サーシャもご機嫌でした。
「明日朝は、ガリーナホテルに、友だちのミーシャが車で迎えに行くから。そして新しいホテルへ移動して、すぐに僕の家においで。まずは、レーピン博物館へ行って、それからダーチャへ行こう」。
こんなにしていただいて、ありがたいことです。もちろん喜んで参ります!!
2006年12月16日
**89号** 続きはまたあとで、必ず
愛する読者のみなさま、5月の旅の報告記が完結せず、まだサンクトペテルブルクをウロウロしている状態ですが、もう次の旅に出発してしまいます。
戻ってきましたら、「春の旅」の完結と、「クリスマスのロシア2都市」を起こします。
「クリスマスのロシア2都市」の目的はふたつです。
サンクトペテルブルクでは、オレクの誕生日をお祝いいたします。
モスクワでは、ユーゴザーパド劇場の30周年をお祝いいたします。
あとはクリスマス飾りが美しいだろう街を、またまた歩き回りたいです。短い時間ですが十分に楽しみ、その楽しさとうれしさの全部すべてを、読者のみなさまにお分けいたします。ちょっと待っていてください。
2006年12月11日
**88号** アカデミー会員の家
~~~5月13日 サンクトペテルブルク ワシリー島にて ~~~~~
ロシアでアカデミーと言えば、最高の英知が集まる研究機関です。世界的な学者たちが在籍したり、在籍しています。私は無知なので、ここで語ることはできませんが、国家として超エリートを育てあげ、次世代にも受け継がせていく、最高教育研究機関です。
またまた登場していただきますが、小町文雄著「サンクト・ペテルブルク」の書のなか、176ページに記載されています。引用させていただきます。
====
「路上の名物」の項
メンシコフ邸にならんで、ネヴァの川岸通り沿いには、科学アカデミー、ピョートル二世の宮殿、芸術アカデミー、アカデミー会員の家、海軍大学などがならぶ(略)。
たとえばアカデミー会員の家。ここには何代にもわたって世界的な大学者が住んだ。今でもペテルブルク大学の教授たちが住むアパートであるから、中へは入れない。ただ、この家の外壁には、なんと26枚(2000年現在)もの記念プレートがはってあるのである。
引用終わり ======
このアカデミー会員の家が、これですよ。古い建物ですが、手入れは行き届いています。ネヴァ河を見渡せて、その向こうには金色の屋根の、イサーク大寺院の屋根の輝きがここまで届いています。
ただ、いまは目の前を車がひっきりなしに通るので、表通りはちょっとうるさそうですが、中庭は静かで、太陽の日差しも部屋に入り込むようなつくりになっています。


ワシリー島の中でも一番便利な場所にあり、地下鉄も買い物も便利で、やはり最高の学者たちは、最高の居住空間を与えられて、研究活動に没頭している(した)のでしょう。
**87号** 歩けばあたる?
一気にたくさんUPしています。下へも見に行ってください。
~~~~5月13日 晴れ、ネバ河を渡ると ~~~~~~
サンクトペテルブルクと言えば、ネバ河です。いくつもの橋がかかるネバ河をわたるとそこが、めざすワシリー島です。
いま工事中のシュミット中尉橋を渡ろうとしたとき、私の横から海軍大学の学生たちの行進?に出会いました。さすがに正面からは写真を写せませんでしたから、後ろ姿をパチリです。海軍大学は超エリート大学ですからね、みんなすっごく賢いお顔立ちに、長い足とお背が高くて、後ろ姿だけでも魅力的です。彼らに付いて橋を渡ろうとしていました。




が、工事中の橋が上がっています。この光景は、サンクトペテルブルクの夏の夜の有名な景色です。巨大な橋がこうして、パカンと割れてしまうのかと、海軍さんのことは忘れて、見入ってしまいました。
いまは代わりの橋が架かっています。そこから見たネバ河。きょうも豊かに流れています。


**86号** オランダ島を1周する
~~~5月13日晴れ、歩くサンクトペテルブルク ~~~~
買いおいてある食材と美味しい黒いパンで朝食を済ませました。ガリーナに「きょうは、街をたくさん歩きます」と、伝えてさっさと部屋を出ます。
もう、方角も所要時間もわかってきたサンクトペテルブルク市内中心部です。歩いて、ジーマの住むワシリー島へ向かいます。
ここで、私とサンクトペテルブルクの旅、移動手段だけをちょっと振り返っておきましょう。
97年と99年は、少人数だったけれど団体ツアーでバスで市内を移動していました。渋滞にはまったり、バスを待つ無駄な時間を過ごしたりしました。
2000年、5人の旅だったので、地下鉄やタクシーで移動しました。車の渋滞とガラガラ状態が極端で、どのように何を使って移動するかを考えると、スムーズに動くことができると、わかりました。
2002年、ふたりだったので、歩きました。でも、冬の道は寒くって凍っていて、歩きにくく困りました。
2005年夏、歩くのも、運河めぐりで舟からも、地下鉄も利用して、町の地理がわかってきました。
2006年1月は歩きました。ひとりで小回りが利いたので、歩いて歩いて町をもっと知りたくなりました。
このような変遷を経て、今回の旅はもっと知りたいサンクトペテルブルクですから、歩くことをいとわずに、ひたすら歩きます。そして、歩きながらしっかり見てみたい場所へ、いまから行きます。
そこは、「オランダ島」とよばれるところ。
小町文雄著「サンクト・ペテルブルク」の文中57ページに「ニュー・オランダ島」の紹介がありますので、引用させていただきます。
===(運河をめぐる)ボートから見るのが最適の名所は、ニューオランダとよばれる、城のような昔の貯木場である。昔はここに造船用の材木を貯えて、のちに海軍省となった造船場に運んだ。ピョートル大帝がオランダで学んだ技術にしたがった施設なので、このようによばれた。モイカ(運河)の西端にある三角形の島で、石とレンガの高い塀に囲まれたものものしい施設である。
堂々たるアーチ状の門があり、木材を運び出すために、内部まで水路が続いている。ふつう、ボートは三角形の2辺を通るだけだが、私(小町氏)は内部まで入ったことがある。赤黒い石とレンガ、内部に茂るポプラの緑、周囲の水の青さが不思議なハーモニーを作り出していた。
===引用終わり。文中( )内は、マーミンカが追加しました。
私のオランダ島との出会いを記しておきましょう。
以前の旅でも出あって見ていたと思うのですが、はじめて意識して見たのは、2005年夏でした。運河めぐりで舟がこの茶色の建物の脇を通ったとき、少々不気味さを感じ、写真を写すこともやめた場所です。崩れたれんが、それに倒れ掛かった木々、建物は暗くガラスがあちこちで割れていて、どんな建物かもわからなかったところ。
2006年1月雪の中で歩いたとき、「もうこの建物は壊すよ」と教えれて、ふっとなにか大事なものが無くなっていくことを残念に思って、気味が悪いと言いつつ、もっと見ておきたいと願う。
ジーマに「オランダ島」について尋ねた。ジーマ アレクサンドルビッチ 歴史・民族学博士は、難しいロシア語で、私はあまり理解できなかったが、わかったことは、「歴史のある建物も古くなれば、壊してしまう。そしてそこに大レジャー施設をつくろうと言う。サンクトペテルブルクの町は大きく変わろうとしている」というような説明をうけて、彼の残念そうな様子とともに、「こりゃあ一大事」と、私のなかでは「もっと見ておきたい」との、見学熱が発せられ、興味が一層に駆り立てられたのです。
5月春のはじめの、オランダ島を写真でごらんください。日本語で紹介されているガイドブックなどには登場しない「オランダ島」です。もうすぐ壊されてしまうらしい「オランダ島」です。これは貴重な写真と、自負しております。






※※ 写りこんでいる時間は、日本時間です。現地時間は、マイナス5時間です。
2006年12月10日
**85号** うわっ!キリル文字メールが受信できる
~~~~5月12日夜、サンクトペテルブルクにて~~~~~
翌日13日は、ジーマとご家族といっしょに、ジーマのダーチャへ行く約束となっていましたが、ジーマは「もしかしたら、行かないかも。そのときは僕の家においで。夜にもう一度電話して、明日のことは伝えるよ」と、きょう午後に電話で連絡がありました。
夜、すっごく眠くなってしまったけれど、明日はどうなるのかしら?ジーマからの連絡を待っています。
私の携帯電話は、Vodafone 3G、ロシアの旅で重宝しています。電話を枕元に置いて、うとうとしてしまったら、メール受信です。「日本からかな?」。
と、ナント、ジーマから、キリル文字です。キリル文字が受信できるなんて、すっごく驚きました。内容は「明日はダーチャに行けないよ。僕の家においで」。
なんだかホッとして、すぐに深い眠りに就いたのでした。
**84号**予約が違いますよ
~~~~5月12日 サンクトペテルブルク、ガリーナハウスにて~~~~
自炊して、ガリーナさんと朝のコーヒーをいっしょに飲むのが約束。このガリーナハウスは、気持ちが良い部屋と、ねこちゃんと、美人の優しいガリーナさんが、私に良い旅の思い出を与えてくれます。めぐりあえて本当良かったと思います。博物館のエレナの紹介でした。彼女にも感謝です。
「あなたはいつまで、ここにいるの?14日の朝まででしょう?あなたは、メールで14日と送ってきましたよ」と、ガリーナさん。
「エッ?」すぐに予定表を確認すると、帰国日は15日です。
「15日朝まで……」、少々驚いて旅程表を彼女に見せると、「あらまあ」。
そして、私は、1泊ほかのホテルへ行くこととなりました。つまり、私が予約を勘違いで間違えてしまったです。ガリーナさんは、多人数の予約を入れていており、私は、ここを出なくてはなりません。
でも、本当にありがたいことに、ガリーナさんは「何にも心配しなくて良いのよ。あなたのホテルは私が予約してあげるからね」。
と、いうわけで、サンクトペテルブルク最後の夜は、ネバ河沿いのホフチンスカヤホテルで泊まります。
**83号** 美味しい黒いパン
~~~~5月12日 サンクトペテルブルクにて ~~~~~~
日本でロシアのパンをイメージすると「黒パン」とだれもが思うでしょう。旅人は、ホテルの朝食か軽食堂かレストランとかで、いろんなパンに出会います。買い物に出れば、街角の小さな店から、大型高級食料品から、地元の人しか知らないような看板も無い店から、と、いろんなパン屋があり、いろんなパンがゥ売られています。
もちろん、黒も茶色も白いパンもあります。小麦の国ですから、種類は豊富で形も○、◇、▽と多種にあります。
民族学博物館のオレクの研究室でゴチソウになった、黒いパンがたまらなく美味しかった。そのとき、「このパンはどこでも売っているよ」と教えられたので、包装袋をもらい、近くのスーパーで探してみました。
ありました。

オレクはこのパンに「バターをたっぷり塗って、塩をぱらりとかけると美味しいよ。コレステロールが上がるよ」と、笑いながら教えてくれました。
ホント、バターを塗ると両方がお口の中でとろけあいます。では、写真だけで想像してみてください。
**82号** 民族学博物館裏舞台
~~~5月12日 サンクトペテルブルクにて~~~~
春のサンクトペテルブルクです。確かに春です。が、どこかにまだ“本物”となっていません。薄手コートにマフラーをして街を歩いています。
12日は実質、休養日にしました。民族学博物館には行ったのですが、忙しく仕事をしている、修復学芸員のエレナの仕事場でお茶を飲み、彼らの仕事を見せてもらいました。それだけです。
写真を写し忘れましたが、いろんなものがなにげに置かれている、博物館の裏がわ。「アイヌの資料を調べている」と、エレナは日本の注連縄(しめなわ)状のものを見せてくれた。
「これ、古いからね。いま、勉強中よ」みたいなことも言っていました。
修復学芸員は、世界各地から集まるいろんな民族文化遺産などを観察して、調べて、壊れたものを直すだけではなく、出自からはじまり、どこでどのように使われていたのかを学んでいかねばならない、難しい仕事です。
修復学芸員はそれぞれ専門分野があるようで、エレナは家具調度品、手工芸品、宗教用具などにも詳しいようです。別の部屋では、衣装関係の修復学芸員が、ドレス様のものと針を手にして、細かい仕事をしています。
エレナの隣の作業打ち合わせ部屋では、上司が、板に白いペンキを塗っています。きっとすんごい有名人なのだろうと思われる彼は、「これはペイントではないよ、スメタナ(サワークリーム)だからね、美味しいよ」と、私を笑わせてくれました。小さな板が、どんどんと白くなっていきます。
でも、その間にいろんな人たちが部屋に出入りしてきます。話していきます。書類を持ってきます。電話がかかってきます。超多忙です。
この博物館の裏側の建物の1階にある、エレナの仕事場は、2002年にも来ました。そのときは、部屋こそ広いけれど、机とか椅子とか棚とかが、古いものばかりだった。茶色の壁が暗い印象だった。博物館そのものも暗くって、展示品も少なかったし、陰気な印象だった。
が、今回は調度品類が新しくなって、壁もきれいに白くなっている。電灯もたくさん点き部屋が明るいのです。
ソ連の後半時期から新ロシア誕生当時は、公的補助金などが薄くなってしまった博物館美術館劇場などは、みすぼらしかった。が、修復もまた、始まった時期でもあったのです。
特にいまは、ロシアの景気の良さがど~んと厚く押し寄せてきているみたいです。博物館がいろんな取り組みをして、展示品も見学する人も、多くなっているようです。
民族学博物館1階、正面にある巨大ホールでは、この日、「貸し会場にして、企業のパーティがある」と言ってました。
でも、エレナたち博物館裏方で働く人たちの賃金は、仕事に見合う賃金、生活できる賃金と改善されたのでしょうか。以前、衝撃の告白を聞いたのだから。
エレナは、私にお菓子をすすめてくれた。その甘いお菓子と紅茶を飲んで、垣間見た多忙な彼らの様子。彼らは仕事が好きでたまらないのです。情熱あふれる彼らに支えられてロシアの歴史は、よみがえっているのですね。よくわかりました。
2006年11月30日
**81号** 素晴らしい日本語を話すカーチャ
~~5月11日 夕方のサンクトペテルブルクにて ~~~~
きょうは暖かい。ネフスキー大通りを歩きながら、道端で売っているアイスクリームを買い、立ち止まって食べながら、大通りの様子を見ています。相変わらずの賑わいです。やはり国際的観光都市ですから、いろんな言葉が飛び交っているようです。
英語使いのグループは、あちこちで写真撮影です。行きかう歩行者がたくさんいる真ん中で、グループ記念撮影は、歩行者渋滞の現況ですが、そんなことかまわずに、ハイテンションでの撮影中です。
サンクトペテルブルクに住み、時々日本語通訳などをしているカーチャさんは、SP Walker 氏からの紹介で友人がこちらでお世話になったのです。そのお礼も兼ねてと私もぜひお会いしたかったのです。
約束は、ロシア美術館の前のプーシキン像のところで、18時にです。
プーシキン像の周りはいつも観光客や市民も待ち合わせとかに使っているようで、幾人かが人待ち顔をしていると待ち人がにこやかにやってきては、連れ立ってどこかへ消えていく。それを黙ってみているプーシキンです。
ロシア民族学博物館は、ロシア美術館の隣で、博物館で働く人たちはこのプーシキン像の前あたりを通勤の往復にも使っています。だから、ひょっとしてジーマが急ぎ足で通るかもしれないなぁと、思ったそのとき、木立の影からナント、ジーマが登場して、私はびっくりしてしまいました。
「ジーマ!!」
彼もびっくりです。
「どうした?」
「カーチャと待ち合わせよ」
ジーマは半そでTシャツ姿におなじみのリュックを背負い、早足歩きです。
「僕はきょうは用があってね。また電話してよね」。 さっさと急いで行ってしまいました。
ちょっと遅れてカーチャがやってきました。
初めて会うのですが、すぐにわかりました。
「こんにちは」と日本語で会話して、私たちは街を歩きながらたくさんいろんなお話をしました。カーチャの日本語はとても美しく、私はずっと日本人の若い女性とお話をしている、そんな感覚でした。
2006年11月24日
**80号** これでさっぱりな気分です
~~~5月11日 サンクトペテルブルクの午後 ~~~~~
SP Walker 氏 とは、1月にはじめてお会いしました。そのとき、お金を持たない私は、彼に夕食を食べさせていただきました。優しい人ですね、私は厚かましいですねえ。
いつかどこかで借りを返さねばならない。と、日本にいるときだって、ずっと気がかりで……。
きょうの昼食は、彼にご馳走いたしましょう。さきほど、ちょっと通訳もお願いしましたお礼もありますし。
ネフスキー通りに面した大衆的レストランで、「なんでも食べて、なんでも飲んで、なんでも遠慮せずに注文して」と、私は、ど~~~んと彼にお返しをいたしました。たぶん。
美味しいロシア料理を、満足、満腹でいただき、楽しいひと時でした。そして、夕方は、カーチャに会えるようにと、手配もしていただきました。感謝です。
友だちをたくさんつくりましょうね。出会いがあればあるほど、楽しい人生です。
2006年11月23日
**79号** ロシアアバンギャルドに惹かれる
~~~5月11日 午前 サンクトペテルブルク・ロシア美術館にて~~~
美術館の前の庭は、こちらでは早咲きのチューリップがきれいに咲いています。ライオンの銅像は、日本では、あるデパート前やあるマンション前に鎮座していますが、こちらでは、街のあちこちにおいでです。美術館の前にも、たぶん雌雄だろうと思われるライオン像が、私たちを歓迎してくれました。
エレナは、ロシアやヨーロッパ絵画の専門家学芸員でもあり、ご自分も絵を描く人だから、詳しい。一緒に歩いていると「あれを見なさい」「これは素晴らしい」「あっちへ行くと良い」などのアドバイスがたくさんあります。
そんなエレナに質問をしました。
「額と絵画の関係はいかに?」
「いろんなパターンがあります。まず絵があって、その絵を飾りたい人や買った人が好みで額を選ぶ場合もある。また、この額があるから絵を描いてくれとの、注文もある。絵描きが額を気に入らない場合もあるだろう。額が変わっていく場合もある。1枚の絵を額を変えていくと、どんな印象となるかの研究もある。絵と額の関係はおもしろいものですよ」。
いくつかの展示を回っていると、ロシアアバンギャルドの展示室へ入りました。いや~これはしびれます。パベル フィローノフ や カジミル マレビッチ など、惹かれてしまい、見入ってしまいます。
ロシアアバンギャルドについて、ご参考になるかと思われるこちらをぜひクリックしてください。
エレナは笑います。「私は彼らの絵は、頭が痛くなってくる。どうして、あのように描くのかしら。でも、好きな人が多いわね」。
心いっぱいに満足して、「仕事があってね。後でまた会いましょう」と言う、エレナと別れて、SP Walker さんと私は、あるところへご用に出かけました。大渋滞中のネフスキー通りを、ワゴン車の乗り合いバスに乗って、旅行会社へ私の滞在証明をもらいに行きます。
2006年11月22日
**78号** 歩いてロシア美術館へ
===5月11日 サンクトペテルブルク 曇り~晴れ====
昨日の地下鉄騒動に懲りてしまいましたから、歩いて行きましょう。SP Walker さんとエレナと会う待ち合わせの場所は、ロシア美術館前です。
私の見当では、歩いて1時間でいけると読んだ。だから、午前10時ホテルを勇んで出発。
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その読みは大正解!45分で到着して、時間をつぶしていたくらい。
きょうは曇り空で、気温は低くはなく寒さは感じない。だから1時間弱の早足歩きは、汗もまたかいてしまうほど。薄手コートを脱ぐとちょっと寒いし、着ると暑いなあと、それも歩きながら忙しかった。
ロシア美術館は、おすすめの美術館です。05年8月の旅で短い時間だけの入館で、レーピンの絵を楽しみました。願いはゆっくりのんびりと歩くロシア美術館でした。
門の前で、約束どおりの時間、SP Walker さんがやってきて再会のあいさつをしていると、むこうからエレナがやってきました。髪を短くしても彼女は相変わらず美しくって、まぶしいです。
チケットを買って入館して、3人であちこちを見てまわります。至福のひとときです。


2006年11月20日
**77号**自炊生活で見えた
===5月11日朝 晴れ サンクトペテルブルクにて ====
気持ちよく目が覚めて、「きょうも一日元気だ!!!」と起きだしました。
朝食は自炊で、買い置いてあるものでチャチャッとつくります。
今回は、サンクトペテルブルクの家庭の台所をご紹介しましようね。

台所のシンクはとても小さいというか狭いというか。お皿1枚を置いたらもういっぱいです。これがロシアの家庭の普通のサイズです。大きなお鍋とかオーブン鉄板とかどうやって洗うのでしょうか?

包丁類です。果物ナイフのような小さなナイフで器用に料理します。トマトや包丁が載っているのはガラス製の、まな板です。これもロシアの家庭の普通のものだ、そうです。
**76号** 白夜のはじまりのころ
==5月10日夜、サンクトペテルブルクにて ===
長編オペラ「ボリスゴドノフ」を全編見終えると午後11時を過ぎると知って、ちょっと驚くと同時に、やはり疲れてきました。朝の地下鉄騒動、メンシコフ宮殿見学、急ぎ足劇場行きなど、きょうもたくさん歩きましたもの。
2幕が終わったところで、途中退場です。午後10時前だったでしょうか。まだ明るい空です。でも終演の午後11時過ぎは暗くなります。やはり夜は夜なので、無理はしたくありません。「せっかくだから」と言う貧乏根性もありましたが、ここはきっぱりと劇場を後にしました。
ガリーナホテルまでは、歩いて20分もかかりません。が、やや疲れていたのでしょうか、道を1本間違えて思わぬ遠回りです。外はほんのりと暗くなってきました。ガリーナホテルの重いドアを開けたら、さすがにくたくたでした。
約束どおりにジーマに電話しました。
「いま、ホテルに戻りました。『ボリスゴドノフ』ありがとうございます」
「おお、無事に戻ったね。明日は博物館にまた来てくださいよ。おやすみなさい」とジーマ。
熱いお茶を飲んでホッとして、明日の予定をひとり確認です。明日(11日)は、サンクトペテルブルク在のF・Takashiさんに会う約束をしてあります。いっしょに民族学博物館のエレナに会って、できればカーチャに会いたいと思っているのです。
充実した一日でした。明日も良い日でありますように……。
2006年11月18日
**75号** マリインスキー劇場内写真集
===5月10日夜、サンクトペテルブルク、マリインスキー劇場にて===
何枚かの写真を、開演前とか休憩時間で写しました。

(客席天井にある立派な豪華なシャンデリア。重さはどれくらいだろう?落ちないかな?と見てました)

(緞帳を近くで見てみたいです。どのように出来ているのでしょうか?織物、刺繍、宝石とか縫い付けてあるのかな?)

(私のまっ向かいのバルコニー席です。きらきらで美しいでしょ)

(1階ひらば席とオーケストラピット)

(ロビーは各所にあります。階段が多いです。カーテンが新しくなっていました)

(チケットです。裏面には透かし模様が入っています)

(舞台の上から客席を、とは、ウソです。ロビーのガラスケースの中にあった館内模型です)

(売店で。サンクトペテルブルク名物ロモノソフ陶器のマリンカだけ発売(かな?)の茶器)
**74号** 汗かいてマリンカ
===5月9日夕方、マリインスキー劇場内にて====
手を引かれ足早に到着したマリンカ。開演20分前です。私の手を握って、私をここまで連れてきてくださった女性は、マリンカへご自分も入られる予定だったのか、あるはまったく違うところへ出かけるところだったのか、わかりません。
マリンカの入り口前で「ありがとうございます」と、日本式お礼の頭を下げたら、ちょっとびっくりした顔をして笑いながら、さよなら、お気をつけて と、私に言ってくださって人ごみの中に消えました。
感動しながらも、もうすぐ開演だからと焦る私は、日本人です。周りの人々はのんびりと外でタバコを吸ったり、ロビーで話していたり、誰かを待っていたり……。なのですが、本当に焦っている私、汗も流れています。日本でも劇場の席に落ち着くには時間がかかる私は、早めに席に着きたいのですが。
客席に行く前には、必ず金属探査機を通り抜け、ガードマン氏がカバンの中をあらためています。私はカバンはスルーで通されて、OK。
まずは自分の席を探さなければなりません。チケットの裏に情報があります。
1 ЯРУС
Правая сторона
Ложа № 3 Место 4

さてどこでしょうか?
1番 バルコニー
右方向
3番 ボックス
4番席
あちこちにおいでの劇場係員に聞くことが一番です。「あっちだよ」とでも言ったようですが、よくわからなかった。でも、指差した方向へ行き、もう一度別の係員に聞くと、すぐ近くに3番ボックスのドアはありました。鍵がかかってドアが開かない。うむ??
つまり開演時間は遅れているようです。待つしかありません。
近くのベンチで座って眺めていると、3番ボックス席のドアを開けようとしている人が幾人かいます。ちょっと東洋人ぽい顔でロシア語の親子。若いロシア女性は、私に「急いで走ったのよ、ビールを飲んだから、暑いわ」と、笑っています。私も汗の流れがやっと止まったところです。
やっと落ち着いたので、トイレへ行っておきましょう。
はじめてマリンカのトイレに入った1997年、ここのトイレはひどかったのですよ。私が利用した階のそのトイレだけではないはずですが、狭くってドアがぼろで、鍵が上手くかからず、手洗い所はカランが固くって水が満足でなく……。あのきれいな舞台で、どうしてこんなひどいトイレなのかと驚愕したのですが、その後、来るたびにきれいに、進化していっています。
今回は明るくドアもきれいになっていました。手洗い所のカランも変わっていました。混雑は同じでしたが。
各国の人々がそれぞれ開演を待っています。日本人女性3人グループがおいででした。インドのサリー姿の女性もおいででした。でも、顔を見ただけでどこの国からおいでとかは、わかりません。おしゃれをしている人もいれば、若い男女はごく普通の服装ですし、私もまったく普通です。着飾って来たい人はそうすれば良いですし、公衆のマナーに反していない服装であれば、それで良いと思います。長時間の座り姿勢ですから、それが楽であることも大事なことです。
ベルが鳴ってドアを係りの女性たちが開けて。私の4番の席は、舞台も近くとてもよい場所です。隣の5番席は、先ほど「ビールを飲んできた」と笑っていた女性です。私にひとことふたこと何かを言ってくれたのですが、わからなかった。と、彼女が立ち上がって、椅子を下げるようにしています。つまり、私に椅子を少し下げて、向きを軽く変えたほうが見やすいよ、と教えてくれたのです。ありがとう。また親切に出会いました。
ああ、マリインスキー劇場にいるのだわと、うれしくなります。あらためてチケットをよ~~く見ると、「値段300ルーブル」と刷り込まれています。日本円で、1200円です。でも、私は500ルーブルで買いましたが、なぜ500ルーブルだったのかは不明ですが、たぶんチケット屋のおばさんの、夕食のおかずを1品増やしてよ代、だったと思うのですが。
外国人料金でもなく安く買えました。うれしいかぎりです。2001年のオペラ「運命のちから」は、留学生に頼んで買ってもらったのですが、「外国人料金で1,200ルーブル(約4,800円)で、ごめんなさいね」と彼が申し訳なさそうにしていましったけ。
きょうの演目、オペラ「ボリス ゴドノフ」について。
るるぶ情報版「ロシア・サンクトペテルブルク モスクワ」本の“ロシア キーワード ミニ辞典”より引用させていただきます。
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初演1873年。16世紀に実在した苦悩の皇帝ボリスの内面的視点から描いたロシアオペラの傑作。ボリスは皇太子ドミトリーを暗殺し皇帝の座を手に入れるが、偽ドミトリーが現れ民衆の反乱を促す。ボリスは罪の意識からドミトリーの幻影にとりつかれ、錯乱状態となり息絶える。ムソルグスキーによるロシア音楽特有の旋律が特徴。
以上、引用おわり
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壮大な舞台です。奥が深く深く、天井が高く高く。
大勢が出演しています。民衆が本当に民衆と呼べる数です。
ゲルギエフ指揮の音楽はこれまた、素晴らしく心に響いてきます。
英語字幕が出ています。が、あるところから消えてしまいました。
そして、次々と登場するオペラ歌手たちには、ただただ聞き入り、魅入るばかりです。
**73号** マリンカとわたし
サンクトペテルブルクで知っているものは?と質問をすると、エルミターシュ美術館とマリインスキー劇場を挙げる回答がきっと多いことでしょう。
マリインスキー劇場は、ロシア語では、Мариинский Театр と表わし、「 И 」の文字が重なっていますから、その「И=イ」の音が大事で、マリンスキーにあらず、マリインスキーなのです。
日本では招聘会社が「マリンスキー劇場」と宣伝語句として登録しているようで、そこを中心に「マリンスキー劇場のバレエがやってくる」とか「あこがれのマリンスキー劇場」とか、「イ」抜きで通じていますね。

(新型バスとマリインスキー劇場正面)
愛称形も「マリインカ」か「マリンカ」どちらも使われています。私はマリンカとよびます。ロシアの旅14回も重ねている私とマリンカを、振り返っておきます。
はじめてのロシアの旅は、1997年6月サンクトペテルブルクへ10人ほどのツアーで。
何も知らず、ロシア語も読めず書けず、もちろん話しもまったくわからない、私。マリンカのなにかも知らない。いっしょに行った日本人女優のサンクトペテルブルクの仕事の関係で、急にマリンカのチケットが手に入るから、ならば行ってみようかと、ツアーメンバーみなでおしゃれをして出かけたのです。
演目はバレエ「白鳥の湖」。本格的バレエを見るのははじめて。もちろんロシアの劇場もはじめて。慣れないヘンなドレスを着て、すっごく緊張して2階だったと思うが上手側(かみて・舞台ひだり)の上から舞台全体が見渡せる良い席でした。
はじまった「白鳥の湖」、ただただ、その美しさにボ~~~~としてしまいました。舞台に白鳥がたくさんたくさん登場することも大感動です。外は白夜の季節で、バレエに酔い、白夜に酔った初マリンカでした。
次はその翌々日にバレエ「眠れる森の美女」です。席はこれまたびっくりの2階正面のいわゆるビップ席、世界の著名人たちがマリンカにおいでになると座られというお席で、ツアーメンバー一同、それだけで酔ってしまいました。
だから舞台がとっても見やすく、「眠れる森の美女」も素晴らしかった。が、眠る魔法が私も掛けられてしまったようで、場面のあるところから眠ってしまうという大失態も、これまた思い出です。
すごい贅沢です。こんな贅沢よろしいのでしょうか。なんという幸せものでしょうか。と、あちこちに感謝のマリンカでした。

1999年5月、またサンクトペテルブルクへ行く機会が生まれ、前のツアーと同じく、日本人女優とともにでかけ、マリンカにも行くことができました。
オペラ「ドンカルロス」を1階席で。1階席はつらいですね。段差のない平場に椅子がぎっしりと並んでいますから、前の席に大きい人が座ったりすると、かれらの肩越しの舞台です。また、その席が微妙に風が通り寒かったので、舞台に集中できなかった。それが思い出です。
バレエ「バヤデルカ」もそのツアーで観ました。このときの席は3階だったかな?とても良く舞台が見えて舞台を集中することもできました。
バレエは白人の肌の色、長い長い手足、細く長い首、小さい顔を持つ彼らの芸術だと痛感しました。
これは別のときの話しですが、白人は鼻の穴の形も違うから、バレエが美しいとおっしゃる方もいます。彼らは、鼻の穴が小さく林檎の種形だから美しいとの説です。なるほど。いま、ご自分の鼻の穴の形を見た想像した、あなた。そうです、私たちは丸く大きくって(笑)。
もちろん、日本人で東洋人でもバレエの現場で大活躍をして見える方や、いまこの瞬間もバレエのお稽古に必死となっていらっしゃる日本人も多くいます。どうか、がんばっていただきたいです。
この日のマリンカで、バレエ留学を目指す日本人のバレエ関係者にもお会いして、その後いっしょに食事もしました。細く長い手足と可愛いお顔の彼女。いま、どうしていらっしゃるのでしょうかしら?
次にマリンカへ行ったのは、2002年1月です。オペラ「運命のちから」です。当時留学していた知り合いに頼んで、チケットを買ってもらい、4人でいそいそと出掛けました。寒いときでしたが、劇場内は温かく、オペラは壮大で圧倒されるものでした。
なによりも、ロシアの劇場のレパートリー制にあらためて驚いたのでした。この壮大なオペラは、きょうだけの上演。昨日も明日も違い演目のバレエだったり、オペラだったり……。日本では、舞台つくりやバラシは、それだけで人も要ることで、金がかかることだから、回数を抑えたいところ。このロシアの国の芸術文化にかける情熱です。
ワレリー ゲルギエフが話題となっていた「運命のちから」でしたが、私たちは1幕だけ観て、劇場を後にして酒場に行ってしまいましたヮ。
そして、2006年5月10日は、オペラ「ボリス ゴドノフ」。マリインスキー劇場「白夜祭」のオープニングです。


2006年11月16日
**72号** マリインスキーまでの道のり
===5月10日 夕方のサンクトペテルブルク ====
街は夕方の帰宅ラッシュ。ジーマとナターシャも帰宅を急いでいるよう。
ネフスキー通りの地下通路で、ジーマとナターシャが「ここが良いわよ」というように、小さなチケット売り場のおばさんに声をかけている。そして「500ルーブルで安いよ。どうするかい?『ボリスゴドノフ』というオペラだよ」。
オペラよりも芝居が良いけれどもなあと、贅沢な気持ちを持ちながらも「ええ、それ買います」。
ジーマは「劇場が終わったら僕に電話をしなさい。ナターシャが途中まで送っていくからね」と言い、なぜか急いで地下鉄乗り場方面へ消えていきました。
ナターシャも急ぎ足で、でも私の歩みに合わせてくれながら、おしゃべりしながら、マリインスキー劇場(以後、略称のマリンカで)へ向かっています。
ナ;「ドイツへ行ったことあるの?」
マ:「ええ、ミュンヘンへ行ったことあるわ」
ナ;「私も行ったけれど、仕事だったから、博物館や美術館だった」
マ;「私はショッピングしたけれど…」
ナ;「夫がドイツ関係の仕事で、彼はドイツに詳しいから」
マ;「はあ、そうなの…」
ナ;「ドイツは近いから」
…
…
…
と、なぜかドイツ話題のナターシャさん。
途中で魚を売っているのを見つけた私が、近寄ろうとしたら、「きょうはだめ、時間がないからね」みたいなことを言われて、「あら私は買わないけれど…」と、思ったのでした。
この魚は