2007年01月20日
**100号** ありがとう。
2006年5月15日 サンクトペテルブルク~ヘルシンキ~関西国際空港~名古屋
サンクトペテルブルクプルコボ空港では、フィンランド航空ヘルシンキ行きがなぜか、遅れました。待合室でただ待つだけ。予定より40分くらい送れて乗り込んで、もうたまらなく眠くって、うとうとしている間に
ヘルシンキに到着です。
ここからがまた長い!待ち時間が5時間弱ですか。本を読んだりビールを飲んだり、音楽を聴いたり、ボーっとしていたり。いい加減へろへろとなったころ、やっと飛行機に乗れますねえ。
通路側の席で、ひとつ空いて向こうには金髪の女性が座っています。が、まわりにまったくかかわらず、眠ることにしました。が、いすの座り心地が悪くって、もともとあまり無いと言えるクッションが、へたっているというか、お尻の置き心地が悪く、大きなお尻の収め位置が決まりません。すっごくヘンな姿勢で、それでもグワッ~と言えるほどの、超超超爆発的睡眠です。死んでいたのかもしれませんね。
食べることは食べて。また、眠って。約9時間ちょっと。当然無事に、思いのほか早く、帰ってきてしまいました。大阪へ。空港の流れはスムーズで、「ああ、日本」を実感して。
到着一番の食事は、やはりお寿司です。入った空港内すし店。期待しすぎでめちゃまずく、「なんだこれ?!」と少々怒る。
隣に座っていた青年に「どこへ行ってきたの?」と問えば、「いまから行くのです」と言うので、「ああ、ここは帰国したばかりの人のため食堂階かと思っていた」と、言い、笑いました。
青年は「いまからフランスへ行って、あちらで仕事しながら、他の国にも行ってみようと思っています。モスクワですか?僕の計画に入っていないなあ」。
そうでしょう、たぶん。それで良いですよ。モスクワは、なじみが無い町でそれで良いです。行きたい人だけが楽しんでくれば良いのです。
「じゃあ、元気に行ってらっしゃい!!」
関空から特急電車「はるか」で京都まで。と、同じ車両にフィンエアーの日本人客室乗務員が乗り込んでいます。彼は、乗り込むとすぐに眠りました。全身がもうたまらない疲労モードで、だから眠るぞ!とばかりに。「お疲れ様ですね」。
京都で降りるときに彼に声をかけると、「またぜひ、フィンランド航空をご利用ください」。
ああ、名古屋まですぐに戻ってきました。
留守番していたみんなに「ありがとう」と言うと、「留守番もたいへんだよ」といろいろを報告してくれながら、うれしそうだったので、忘れられていなかったとこれもまたうれしかった。
みんな、ありがとう。
===読者のみなさまへも、ありがとうございます。を====
2007年01月16日
**99号** また、来るからね。
~~5月15日朝のサンクトペテルブルク・ホテルを発つ ~~~
なにも片付けずに眠ってしまったので、空が明るくなったと同時に、それはかなり早い時間ですが、起きだして、シャワーを済ませました。持っている生っぽい食料=パンとかピロシキなどを片付けるような朝食を済ませて。
「エイッ!」と声を出して、トランク詰めです。と、まだ8時前だというのに、レナが部屋にやってきました。
早い、早すぎ!でも、うれしいです。
レナはさかんに私のメンドウを見ることができなかったことをわびています。「仕事に家事にとても忙しかった」と。
大騒動する私のそばで彼女は、「今度はいつ来るか?」「美術館へ行こう」「ダーチャへ行こう」「学生たちと遊ぼう」など、どんどんお話をしてくれますが、私は荷物を作るのが忙しく、ロシア語を理解する頭が働かないので曖昧返事で、「ウン、そうだ」、「良いねえ」、「行こうよ」、「また来るから」などと、いい加減のようで真実を答えています。
すべてを片付けて、トランクとともに部屋を出るとき、窓からのぞいたネヴァ河は、やはりきれいで、そっと「またね」と伝えてきました。
ホテルロビーには、日本人団体がいます。軽くあいさつをすると「どこの団体ですか?日本旅行さん?」と聞かれて、「いいえ、ひとりで」と言うと、「まあ、ひとりでここまで、すごいですね」。
なんにもすごくないです。ひとりと言ってもこうして守ってくれる友だちがいつもいるもの。日本人のグループが騒ぐ輪の中、レナに「急いで、空港まで込んでいるらしいよ」と促され、彼女がつかまえてきたタクシーの運転手が私のトランクを持ち、私たちは駐車場へ走っていきました。
空港への道はやはり込んでいます。「もうすぐサミットだからさ」と運転手は朝から陽気で、「でも、込んでいるのは、少しだけで、すぐに早く走るからね」。運転しながら、さかんにレナとしゃべっています。しゃべりながら運転しています。と、彼の言ったとおりにある地点から、流れがスムーズになり「僕の言ったとおりだよ」。
空港の朝の光の中で、レナとお別れです。「また、おいでよ」。「もちろん、また来るからね」。
2007年01月08日
**98号** 旅の最後にはお礼を述べましょう
~~5月14日 サンクトペテルブルクで夜、明日は帰国です~~~~
ネヴァ河沿いのホテルに着いたころは、まだぼんやり明るいのですが時間はすでに、午後11時ごろです。明日の朝の出発の前には、トランクの整理をしなければなりません。ですが、旅の最後の夜は気分もかなり高揚しています。ホテルの移動、レーピン美術館、ダーチャ、海、戻って夕食会などと盛りだくさんのきょうの日程でしたから、当然体はとても疲れているのに、眠ることよりも、もっとここでの時間を肌で感じていたくなっています。

ぽわんと窓の外の暮れる街の様子を眺めていると、電話です。
私にこんなにステキな旅を体験させてくれる、そのきっかけを作ってくれた、レナからです。
「明日の朝、ホテルまで行くからね。空港まで送っていくから」と。
涙が流れます。どうしてこんなに優しく親切に温かくしていただけるのでしょうか。タオルを抱えて泣いてしまいました。
そして、もうおひとり、モスクワの俳優にも電話をしておかねばなりません。サンクトペテルブルクからは一度電話をしたのですが、俳優は「忙しいからあとで」、だったので、そのままでした。
「シューラ、ありがとう。明日帰ります」
「君は偉い。2週間ひとりでモスクワとサンクトペテルブルクへ行き、友だちとたくさん会って、とても偉いよ。なんの問題もないかい?大丈夫かい?」
「もちろん。とても素晴らしぃ毎日だよ」
「君はロシア語下手だけれど、とても上手になっているから。今度はいつ来る?ああ、いつでも僕はモスクワで待っているから。そして僕たちも日本へお芝居を持って行くからね」。
またまたタオルを抱えて泣きました。トランクの整理はそのままで、泣き寝入りでした。
2007年01月06日
**97号**お祝いの席にも
~~5月14日 サンクトペテルブルク、ジーマの家にて~~~~
一気にサンクトペテルブルクの街へもどってきたミーシャの車です。まだ陽は高いのですが夕方の時間です。ジーマの家の前で降ろされてしまいました。私は、ミーシャが私をこのままホテルまで送ってくれるものだと、思っていたのでしたから。
家の前で、ミーシャとは、お別れです。
「また、きっと、きっと会いましょうね!!」

(白樺の林の1本道を車は、快適に走りました)
「きょうは、サーシャの(生後)10ヶ月のお祝いをするから」と、ジェーニアがすぐ台所に立ちます。私は別の部屋で「ゆっくりしていてね」と言われて、サーシャとジーマと遊びます。と、ジーマのパパがおいでになりました。サンクトペテルブルク市の西の方の町に住むジーマのご両親は、可愛い孫のお祝いに、きょうはおじいちゃんが、かけつけてくれたようです。
ジーマとジーマパパは、あまりにもそっくりで、そしておじいちゃんはサーシャともそっくりで、DNA鑑定しなくとも血のつながりがわかります。
ジェーニアのパパとママは同居で、パパのユーリーさんはすでにジャガイモを茹でて待っていました。ママは仕事で外国へ行っているそうです。そして、私たちは、「サーシャ10ヶ月、おめでとう」のお祝いをしました。サーシャはやっとハイハイと伝い歩きがはじまったところですが、これからやんちゃ君になりそうです。まん丸お目目がキラキラ輝いています。
2週間の一人旅の締めくくりの夕食は、とても美味しく、とても素晴らしい時間となりました。

「タクシーでホテルへ帰ってね」と、ジーマたちは私を大通りまで送ってくれました。その道すがら、ジェーニアに聞きました。
「子どもは何人欲しいですか?」
「3人よ。3人の子と遊ぶのよ」と笑いながら彼女は答えてくれました。ああ、やっぱりね。彼らに幸せあれ!ですが、大丈夫です。幸せをどんどん作り上げていく夫婦でしょう。
道で抱擁して、再会を約束してお別れしました。
ジーマがキャッチしてくれた若者の運転の車に乗り込んで、私は涙をそっと拭きました。私も幸せです。いつもロシアの旅は幸せです。
**96号** フィンランド湾、海の景色
~~5月14日 サンクトペテルブルク郊外のダーチャにて 晴れ、気温低い ~~~~~
自分がいまいる幸せを信じられない。ずっと夢じゃあないかと思えてならない。
木々の中のしずかな別荘で、ささやかだけれど美味しくってたまらない食卓を囲み、ワインをいただきながら、なんだか素晴らしい出会いに感謝するしかない、幸福です。

(スミマセン。かなり食べてしまったあとの写真です)

(窓の向こうも木立が続く、静かな景色です)
「さあ、海へ行こう」と、私たちは出かけました。まだ少しだけ雪の固まりが融けずに残っている中に、春の花もさきはじめている林の中を通ると、目の前に砂浜が見えてきました。海です。
「あちら(右の方)がヘルシンキで、(左手側)こっちがサンクトペテルブルクだよ。海は日本にも通じているよ」。ミーシャは、私に気遣って日本のことを時々話題にあげてくれる人です。

(ヘルシンキはずっとこの向こうにあるそうです)

(サンクトペテルブルク方面はこちら、遠くに塔が見えますが…)
遠浅の海。この海で子どものころから泳いでいると言うジェーニアは、「夏においで、泳ぎましょう」と、誘ってくださって、またうれしいことです。ええ、泳ぎたいです、この海、フィンランド湾で泳ぎたいです。
海の水をちょっと手にとり、なめてみました。
塩からくありません!!塩味はしません!!!驚きました。日本の太平洋のあの塩分大盛りの味とはまったく違います。
砂浜をしばらく歩き、水鳥の景色も見て、ジーマたちのうれしそうな姿をみながら、あと10年もすればあの夫婦のまわりには、3人くらい子どもがいっしょに走り回っているのだろうの、景色も、目に浮かびました。

ジェーニアに聞きました。「昨年(2005年)夏はここに来ましたか?ジーマは(EXPOで)日本で、サーシャが生まれた(7月生まれ)から、どうでした?」
彼女は「ことしは、みんなで夏にここで遊ぶのが楽しみです。昨年は5月に来ましたね。こんな大きなお腹していたからね」と、お腹の周りを手で大きくして笑っています。幸せな時間です。
ジーマも「夏にはここで泳ごう、おいでよ」と、また誘ってくださって。どうしましょう。
別荘の食卓で、軽くお茶をして、片付けます。

(ロシアでは食卓テーブルは窓の下に置きます)

(冬もここで暮らせる暖房の設備もあるようですが「寒いところだよ」とことです。1階奥は書斎がありました。2階もお部屋がいくつかあるようです。立派な別荘です)
ああ、ここでひと夏を過ごすと、どれだけ細胞が活性化されるのでしょうか。絶対に人間がたくましく優しく賢く、そして愛あふれる人となります。
モスクワの俳優シューラのママのダーチャは、可愛いい小さな小屋でしたが、それはそれで、とても気持ちがよく、気に入りました。「夏に来て、木の実や果物の収穫を手伝っておくれ。少し行った池で泳げるよ。魚釣りもできるから、夏に来るのだよ」と、シューラのママからの熱いお誘い。
将来、シューラも建物を建てるといまは土地だけのダーチャ村の一角に彼はどんな建物を建てるのでしょうか?「僕のダーチャは、大きな建物にするから、泊まっていけば良いよ。夏の間、僕のダーチャにいれば良いから」と、誘ってくれましたね。
そして、この立派なダーチャにも「夏は、泳いで、森を歩いて、シャシリクをして遊ぼう」とジーマたちの誘い。
ええ、もちろん、全部のお誘いに遠慮なく、乗りますからね、きっと。待っていてください。
2007年01月03日
**95号**「別荘」と呼べるダーチャにて
~~~5月14日 サンクトペテルブルク郊外のダーチャにて ~~~~~
レーピンの家美術館から車でなお、ヘルシンキ方面へ。ほどなくして、ダーチャ村に入りました。日本で言えば、高級別荘地とよぶことができるところです。と、言いましても日本のそれにはまったく縁がない私ですから、写真等でみるだけの景色ですが。
いま目の前にあるサンクトペテルブルク郊外のダーチャ村は、「ここはどこかな?」と、私の知っているロシアの景色では、はじめてみるようなものです。いままでも、モスクワ郊外のダーチャ村などを車窓から見たことはありますが、それよりもぐっと広くゆったりして、それぞれの建物も手入れが行き届いています。
ロシア語の「Дача・ダーチャ」を日本語訳でみると、「別荘ですが、日本の別荘のイメージとは違い農作業小屋みたいなものです」と、書かれているものがあります。が、いま、目の前に広がっているのは、まさに別荘です。
広い自分の敷地を囲い、だいたい2階建ての大きな家があり、家のすぐ近くにはロシア式サウナの小屋もあって、本物の農作業小屋もある。そのような別荘がいくつもいくつも個性的に連なるダーチャ村の一角で、ミーシャは車を止めて、ジェーニアが、鍵を出して門を開け、ダーチャへの入り口が開きました。
「昨日掃除をしたからきれいよ」と、荷物を運びながら、ジェーニアさんもジーマもご機嫌です。私はただキョロキョロするだけです。


(サーシャを抱っこするジーマと妻のジェーニヤ、ミーシャと。大好きな友だちです!!)
2007年01月02日
**94号** イリヤ レーピン の家へ
~~~5月13日 サンクトペテルブルク郊外 にて 晴れ ~~~~~
ミーシャの運転で、後ろの席にジーマ・ジェーニアと小さいサーシャはパパのひざの上で、助手席に私で、一路「レーピンの家」に向かっているようです。いったいどんなところなのでしょうか、まったくわかりません。
イリヤ レーピンはこんな絵を描いています。きっとどこかで例えば絵画集とか教科書の中などで見覚えてのある絵ではありませんか?
私がはじめて彼の絵に出会ったというか、会いたくてロシア美術館で「ボルガの船曳」(貼り付けリンクの絵画集一番下にある絵)を見たとき、なぜかとても希望を感じて、心が晴れました。つらい中にある希望です。これを乗りきればきっと未来が開けるよ、という希望を絵の中に感じました。そんな軽いテーマではないのでしょうが、でも、そのように感じる絵でした。うれしかったです。
また、ロシア美術館の一部屋を飾る巨大な作品「議会」は、書き上げら得ている歴史上の人物それも大勢の個性がすべてわかる、表現力に体が震えるような感動をしてしまいました。
が、そのレーピンについての知識は皆無です。ジーマが「レーピンの家に行こう」と誘ってくれたときも、「どのレーピン?まさかあの絵描きのレーピンのことですか?」と内心思ったものでした。
サンクトペテルブルクの街からヘルシンキの方へ向かっています。左手に海が時々見え、右手側に線路が見える1本道を気持ちよく走ります。きっぱりと気持ち良い晴れの日ではありませんが、時々青空がのぞきます。気温は低く薄手コートにマフラーを巻いている私です。
車は、大型観光バスの止まる駐車場に入りました。
私は、日本の夏の海の家周辺の景色に似ていると思えてなりません。ずっとなにもない海辺の道で、突然、人家や喫茶店とか駐車場が出てきて人が集まっているのは、海の家です。まるでそんな感じの駐車場に止まると、少し歩きました。
目の前にとんがり屋根の木造の建物が見えます。私たちの前に入った団体さんと「いっしょに説明を聞いて」と、博物館管理員・学芸員・警備員などみんな兼ねているような青い上っ張りを着た女性が言うままにみなで付いて部屋に入ります。ロシア語の説明ですから、私には難しいのですが、時々ジーマたちが私を心配してくれる視線を送ってくれます。


レーピンは、自然に囲まれたこの家でたくさんの絵画制作もしていますが、家族や友人たちとも交流をしています。人が集まるサロンのような部屋もあれば、自然光は入るが、冬にはとても寒そうな部屋でいつも生活をしていたとも。壁にはもちろん彼の作品がいくつか掛けられています。デッサンのための小物類も当時のままでしょうか、置かれています。それらロシアの民族衣装や家具類は専門家ジーマたちは、興味津々です。
外をめぐると、まだ寒い景色の中に、それでも確実に春を感じて、彼らは喜んでいました。「花が咲いている」「木の芽が出ている」とでも言っているのでしょう。ジーマに抱かれているサーシャもご機嫌です。


※ ご注意
このレーピンの家美術館内には、トイレはありません。駐車場に新しくきれいな有料トイレがありますので、そちらで御用はお済ませくだい。
2007年01月01日
**93号** ホテルの移動、うんまあ!
~~~5月14日 サンクトペテルブルクの朝 ~~~~~~
ジーマの友人ミーシャが迎えに来てくれると言う。が、私はそのミーシャに会ったことがあるのだろうか?1月のジーマの家でのパーティ時にいらしていた方だろうか?もしそうならば、「はじめまして」の挨拶は失礼であるし、でも、記憶はないし……。と、そんなことを気にしながら、大急ぎで荷物の整理です。ガリーナホテルの自炊生活のために買い置きしていたものは、なるたけ私のおなかに納めました。
ミーシャが約束の時間を少々遅れてやってきました。最初はアジアの人かと思ったのです。小柄で肌の色もどこか浅黒く見えて、黒い髪にも見えて。初めてお会いする方です。彼は私にいきなり英語で語りかけてくれます。「いやあ、ロシア語で話してください」と言ってしまって、いきなり普通のロシア語で語りかけてくれまして、これはこれで困りましたが、なんだか明るくって、どこかアメリカ人みたいでもあります。彼の車は、ホフチンスカヤホテルへ。
ガリーナホテルの宿泊予約でのメールのやりとり時、完全に私が勘違いしてしまいました。15日朝、帰国ですから「15日まで」と予約をしなけらばならないのに、14日の夜も泊まるというつもりで、「14日まで」としてしまったのです。
しっかり確認をせず送りぱなしでやって来てしまいましたから、ガリーナさんから、「14日の夜はすでに予約がいっぱい」と言われたときは、ちょっとだけびっくりしました。
が、ガリーナさんの計らいで、ホテルを予約してくださって、それも……。
ホテルの部屋に入ってびっくりです。
目の前に、スモーリヌイ修道院がとても美しく見えます。ネヴァ河がこれまた美しいです。まあ、この部屋は最高のお部屋!!感激いたしました。

ミーシャは私の拙いロシア語を理解してくれる努力を惜しまずに聞いてくれます。が、彼が何者なのかさっぱりわかりません。何の仕事なのでしょうか。トヨタ自動車のことを言っているので、車関係かな?でも、いまは人の良さそうな親切な英語も堪能な若者です。
ジーマの家に行きます。そしてジーマたちとダーチャへ行きます。楽しみ、楽しみです。
2006年12月29日
**92号**なおも歩いて、宮殿広場と
~~5月13日夕方近く 晴れ サンクトペテルブルク中心街 ~~~~
朝からたくさん、たくさん歩きました。もうこの勢いでもっと歩いてみましょう。
ワシリー島とエルミターシュ美術館方面を結ぶ橋を渡り、美術館の前の「宮殿広場」をめざすことにしましょう。そうですね。40分くらいかしら?ネヴァ河を渡るときはさすがに寒いです。
宮殿広場は世界中の観光客がその広さと美しさに惚れ惚れする場所です。私にもたくさんの思い出があります。物乞いの子どもたちに付きまとわれたこと。白夜に馬車に乗って1周したこと。寒くって滑ったことなどなど。
9日の戦勝記念日にこの街に来て以来、気になってしかたがないものがあるのです。モスクワでもシューラが車のアンテナに飾ったりしていたし、街を歩く人たちが胸にも飾っていたのですが、そのときは気に留めなかったものですが。
それはリボンです。勝利のリボンとでも呼ぶのでしょうか。これが欲しくなりました。でも、もう私の目には飛び込んできません。だから、この写真でガマンしましょう。
黒い色と濃いオレンジ色の縞模様のリボンです。

戦勝記念日の日は、老若男女がそれぞれの飾り方でこのリボンを誇らしく体のどこかに飾っていました。
宮殿広場を歩きながら、この街は、観光客を迎えながら古さと新しい生活スタイルとの戦いを人々が強いられていることも知りました。
さきほど歩いてきたワシリー島。古い建物が並んでいます。旅人の目には、「まあ歴史ある美しい建物ですねえ」ですが、そこに住み続ける人々はいろんなメンテナンスにご苦労していることでしょう。それに観光客が乗っている大型バスがいっそう渋滞をつくり、観光客目当てのちょっと悪さを企てる人たちも集まって来ているし。
世界中の観光地がかかえる同じ悩みでしょうが、とりわけロシアの国は観光政策が遅れているのですから。住民たちがこの街に生きていることを誇りに持って、観光客を喜んで迎えてくれるようでなければなりません。観光客を嫌う観光地となってほしくは、ありません。歩きながら観光客のひとりの私は考えていました。


ネフスキー通りに出て、有名な超大型デパートのゴースツヌイ・ドボールを覗いてみましょう。
ここは1785年の建設、いったい何点の店が入っているのでしょうか。それはたくさん、たくさん入っています。1階は観光客用にロシア土産などもならんでいます。2階は衣料品などもあって、それは豊富な商品が陳列されています。別に買うものもないので、ウロウロしているとみつけてしまいました、大好きな帽子屋さん。夏用の軽い帽子をめちゃ安く買ってしまいました。
さすがに疲れてしまって、地下鉄で帰ることとしましょう。いったいきょう一日で何キロ歩いたでしょうか…。
**91号** サラダとジュリエン !
~~~5月13日 午後、サンクトペテルブルクのレストランで ~~~
ジーマとビールを飲んで、「じゃあ明日ね」と別れたあと、私は「クンストカメーラ」(ピョートル大帝記念人類学・民族学博物館)へ行ってみることにしました。
が、驚いてしまった。チケット売り場へ行くのがまず長蛇の列。その後の入場にも長蛇の列。すぐに、入場することはやめて、目の前にあったレストランで軽食を食べておくこととにしました。
ビールだけでは空腹で、なにか食べたくなってしまったのと、レストランの外にいた青年アシスタントの笑顔につられて入ったレストランです。

中途半端な時間だったこともあり、空いていました。大きな部屋でひとり。
注文したのは、サラダとジュリエンとお茶だけで、申し訳ありませんでした。

春一番に咲く花、ミモザを模したサラダです。丁寧に作られていてとても美味しかった。

ジュリエン、発音がむつかしく、俳優シューラがいつも厳しく教えてくれるのですが、うまく言えない、ジュリエン。きのこのクリーム煮オーブン焼きみたいな軽食です。

けっこうなお値段でございました。(1ルーブル約4円) + サービス料
**90号** 島を歩く、歩く。
読者のみなさま。
5月の旅の続きを書きます。あと少しで終わる5月の旅日記ですが、割愛することができないほどの幸福をみなさまにお知らせしたいので、しっかりと書いておきます。
【ここからお読みの方のために】
2週間の一人旅です。5月2日、日本を発ちモスクワで俳優たちと遊んだり、芝居を見たりの幸福な時を過ごし、サンクトペテルブルクには、ロシアの大事な「戦勝記念日」に、移動しました。
友人たちが熱く歓待してくれ、ひたすら彼らと街を歩きました。ジーマは、2005年EXPOロシア館で働いていた、ロシア民族学の権威。彼は「ダーチャへ行こう」と私を誘ってくれました。
きょう、5月12日はダーチャへ行く約束をしていたのですが、昨夜「ダーチャには行かない。散歩においで」と、彼の家のあるヴァシリーエフスキー島(長いので、こちではワシリー島)を歩くこととしました。
~~5月13日 サンクトペテルブルク・ワシリー島にて、晴れ~~~~
ジーマは、生後10ヶ月の長男サーシャを乳母車に乗せてやってきました。
「きょうは、(妻の)ジェーニヤがダーチャの掃除に行っているのだよ。ダーチャは冬の間閉めていたから汚れているからね。だから、ダーチャは明日行こう。きょうは島を散歩して、あとでお茶でも飲もう」。
サンクトペテルブルクのワシリー島は、サンクトペテルブルク大学もある島で、多くの観光客は、島の先端のロストラの灯台柱などがある位置から、対岸のエルミタージュ美術館やペトロハブロスク要塞を眺めています。メンシコフ宮殿もこの島に位置しているように、古い歴史のある島です。
晴れているのですが、気温が高くはなく、私には少々肌寒いので薄手コートを着ています。でも地元人ジーマは半そでTシャツで「きょうは、暖かいねえ」。
では、写真でごらんください。

(可愛いサーシャは天使、しあわせにしてくれる笑顔です)

(あれ?港がある!と驚いてしまった私です。が、考えればそうですね、サンクトペテルブルクはフィンランド湾に面している都市でした)

(港の目印のように金色屋根が輝く教会です)

(街は多くの人が住んでいますから車も多く走っています。ここも渋滞が日常的のようです。この日は休日のなので車は少ない)

(住宅街にある児童公園です)
2時間ほど歩き回りました。おもしろかったです。やはり暑くなってきました。
お茶でも飲もうの予定が、ナント街頭でビールとなりました。サーシャもご機嫌でした。
「明日朝は、ガリーナホテルに、友だちのミーシャが車で迎えに行くから。そして新しいホテルへ移動して、すぐに僕の家においで。まずは、レーピン博物館へ行って、それからダーチャへ行こう」。
こんなにしていただいて、ありがたいことです。もちろん喜んで参ります!!
2006年12月16日
**89号** 続きはまたあとで、必ず
愛する読者のみなさま、5月の旅の報告記が完結せず、まだサンクトペテルブルクをウロウロしている状態ですが、もう次の旅に出発してしまいます。
戻ってきましたら、「春の旅」の完結と、「クリスマスのロシア2都市」を起こします。
「クリスマスのロシア2都市」の目的はふたつです。
サンクトペテルブルクでは、オレクの誕生日をお祝いいたします。
モスクワでは、ユーゴザーパド劇場の30周年をお祝いいたします。
あとはクリスマス飾りが美しいだろう街を、またまた歩き回りたいです。短い時間ですが十分に楽しみ、その楽しさとうれしさの全部すべてを、読者のみなさまにお分けいたします。ちょっと待っていてください。
2006年12月11日
**88号** アカデミー会員の家
~~~5月13日 サンクトペテルブルク ワシリー島にて ~~~~~
ロシアでアカデミーと言えば、最高の英知が集まる研究機関です。世界的な学者たちが在籍したり、在籍しています。私は無知なので、ここで語ることはできませんが、国家として超エリートを育てあげ、次世代にも受け継がせていく、最高教育研究機関です。
またまた登場していただきますが、小町文雄著「サンクト・ペテルブルク」の書のなか、176ページに記載されています。引用させていただきます。
====
「路上の名物」の項
メンシコフ邸にならんで、ネヴァの川岸通り沿いには、科学アカデミー、ピョートル二世の宮殿、芸術アカデミー、アカデミー会員の家、海軍大学などがならぶ(略)。
たとえばアカデミー会員の家。ここには何代にもわたって世界的な大学者が住んだ。今でもペテルブルク大学の教授たちが住むアパートであるから、中へは入れない。ただ、この家の外壁には、なんと26枚(2000年現在)もの記念プレートがはってあるのである。
引用終わり ======
このアカデミー会員の家が、これですよ。古い建物ですが、手入れは行き届いています。ネヴァ河を見渡せて、その向こうには金色の屋根の、イサーク大寺院の屋根の輝きがここまで届いています。
ただ、いまは目の前を車がひっきりなしに通るので、表通りはちょっとうるさそうですが、中庭は静かで、太陽の日差しも部屋に入り込むようなつくりになっています。


ワシリー島の中でも一番便利な場所にあり、地下鉄も買い物も便利で、やはり最高の学者たちは、最高の居住空間を与えられて、研究活動に没頭している(した)のでしょう。
**87号** 歩けばあたる?
一気にたくさんUPしています。下へも見に行ってください。
~~~~5月13日 晴れ、ネバ河を渡ると ~~~~~~
サンクトペテルブルクと言えば、ネバ河です。いくつもの橋がかかるネバ河をわたるとそこが、めざすワシリー島です。
いま工事中のシュミット中尉橋を渡ろうとしたとき、私の横から海軍大学の学生たちの行進?に出会いました。さすがに正面からは写真を写せませんでしたから、後ろ姿をパチリです。海軍大学は超エリート大学ですからね、みんなすっごく賢いお顔立ちに、長い足とお背が高くて、後ろ姿だけでも魅力的です。彼らに付いて橋を渡ろうとしていました。




が、工事中の橋が上がっています。この光景は、サンクトペテルブルクの夏の夜の有名な景色です。巨大な橋がこうして、パカンと割れてしまうのかと、海軍さんのことは忘れて、見入ってしまいました。
いまは代わりの橋が架かっています。そこから見たネバ河。きょうも豊かに流れています。


**86号** オランダ島を1周する
~~~5月13日晴れ、歩くサンクトペテルブルク ~~~~
買いおいてある食材と美味しい黒いパンで朝食を済ませました。ガリーナに「きょうは、街をたくさん歩きます」と、伝えてさっさと部屋を出ます。
もう、方角も所要時間もわかってきたサンクトペテルブルク市内中心部です。歩いて、ジーマの住むワシリー島へ向かいます。
ここで、私とサンクトペテルブルクの旅、移動手段だけをちょっと振り返っておきましょう。
97年と99年は、少人数だったけれど団体ツアーでバスで市内を移動していました。渋滞にはまったり、バスを待つ無駄な時間を過ごしたりしました。
2000年、5人の旅だったので、地下鉄やタクシーで移動しました。車の渋滞とガラガラ状態が極端で、どのように何を使って移動するかを考えると、スムーズに動くことができると、わかりました。
2002年、ふたりだったので、歩きました。でも、冬の道は寒くって凍っていて、歩きにくく困りました。
2005年夏、歩くのも、運河めぐりで舟からも、地下鉄も利用して、町の地理がわかってきました。
2006年1月は歩きました。ひとりで小回りが利いたので、歩いて歩いて町をもっと知りたくなりました。
このような変遷を経て、今回の旅はもっと知りたいサンクトペテルブルクですから、歩くことをいとわずに、ひたすら歩きます。そして、歩きながらしっかり見てみたい場所へ、いまから行きます。
そこは、「オランダ島」とよばれるところ。
小町文雄著「サンクト・ペテルブルク」の文中57ページに「ニュー・オランダ島」の紹介がありますので、引用させていただきます。
===(運河をめぐる)ボートから見るのが最適の名所は、ニューオランダとよばれる、城のような昔の貯木場である。昔はここに造船用の材木を貯えて、のちに海軍省となった造船場に運んだ。ピョートル大帝がオランダで学んだ技術にしたがった施設なので、このようによばれた。モイカ(運河)の西端にある三角形の島で、石とレンガの高い塀に囲まれたものものしい施設である。
堂々たるアーチ状の門があり、木材を運び出すために、内部まで水路が続いている。ふつう、ボートは三角形の2辺を通るだけだが、私(小町氏)は内部まで入ったことがある。赤黒い石とレンガ、内部に茂るポプラの緑、周囲の水の青さが不思議なハーモニーを作り出していた。
===引用終わり。文中( )内は、マーミンカが追加しました。
私のオランダ島との出会いを記しておきましょう。
以前の旅でも出あって見ていたと思うのですが、はじめて意識して見たのは、2005年夏でした。運河めぐりで舟がこの茶色の建物の脇を通ったとき、少々不気味さを感じ、写真を写すこともやめた場所です。崩れたれんが、それに倒れ掛かった木々、建物は暗くガラスがあちこちで割れていて、どんな建物かもわからなかったところ。
2006年1月雪の中で歩いたとき、「もうこの建物は壊すよ」と教えれて、ふっとなにか大事なものが無くなっていくことを残念に思って、気味が悪いと言いつつ、もっと見ておきたいと願う。
ジーマに「オランダ島」について尋ねた。ジーマ アレクサンドルビッチ 歴史・民族学博士は、難しいロシア語で、私はあまり理解できなかったが、わかったことは、「歴史のある建物も古くなれば、壊してしまう。そしてそこに大レジャー施設をつくろうと言う。サンクトペテルブルクの町は大きく変わろうとしている」というような説明をうけて、彼の残念そうな様子とともに、「こりゃあ一大事」と、私のなかでは「もっと見ておきたい」との、見学熱が発せられ、興味が一層に駆り立てられたのです。
5月春のはじめの、オランダ島を写真でごらんください。日本語で紹介されているガイドブックなどには登場しない「オランダ島」です。もうすぐ壊されてしまうらしい「オランダ島」です。これは貴重な写真と、自負しております。






※※ 写りこんでいる時間は、日本時間です。現地時間は、マイナス5時間です。
2006年12月10日
**85号** うわっ!キリル文字メールが受信できる
~~~~5月12日夜、サンクトペテルブルクにて~~~~~
翌日13日は、ジーマとご家族といっしょに、ジーマのダーチャへ行く約束となっていましたが、ジーマは「もしかしたら、行かないかも。そのときは僕の家においで。夜にもう一度電話して、明日のことは伝えるよ」と、きょう午後に電話で連絡がありました。
夜、すっごく眠くなってしまったけれど、明日はどうなるのかしら?ジーマからの連絡を待っています。
私の携帯電話は、Vodafone 3G、ロシアの旅で重宝しています。電話を枕元に置いて、うとうとしてしまったら、メール受信です。「日本からかな?」。
と、ナント、ジーマから、キリル文字です。キリル文字が受信できるなんて、すっごく驚きました。内容は「明日はダーチャに行けないよ。僕の家においで」。
なんだかホッとして、すぐに深い眠りに就いたのでした。
**84号**予約が違いますよ
~~~~5月12日 サンクトペテルブルク、ガリーナハウスにて~~~~
自炊して、ガリーナさんと朝のコーヒーをいっしょに飲むのが約束。このガリーナハウスは、気持ちが良い部屋と、ねこちゃんと、美人の優しいガリーナさんが、私に良い旅の思い出を与えてくれます。めぐりあえて本当良かったと思います。博物館のエレナの紹介でした。彼女にも感謝です。
「あなたはいつまで、ここにいるの?14日の朝まででしょう?あなたは、メールで14日と送ってきましたよ」と、ガリーナさん。
「エッ?」すぐに予定表を確認すると、帰国日は15日です。
「15日朝まで……」、少々驚いて旅程表を彼女に見せると、「あらまあ」。
そして、私は、1泊ほかのホテルへ行くこととなりました。つまり、私が予約を勘違いで間違えてしまったです。ガリーナさんは、多人数の予約を入れていており、私は、ここを出なくてはなりません。
でも、本当にありがたいことに、ガリーナさんは「何にも心配しなくて良いのよ。あなたのホテルは私が予約してあげるからね」。
と、いうわけで、サンクトペテルブルク最後の夜は、ネバ河沿いのホフチンスカヤホテルで泊まります。
**83号** 美味しい黒いパン
~~~~5月12日 サンクトペテルブルクにて ~~~~~~
日本でロシアのパンをイメージすると「黒パン」とだれもが思うでしょう。旅人は、ホテルの朝食か軽食堂かレストランとかで、いろんなパンに出会います。買い物に出れば、街角の小さな店から、大型高級食料品から、地元の人しか知らないような看板も無い店から、と、いろんなパン屋があり、いろんなパンがゥ売られています。
もちろん、黒も茶色も白いパンもあります。小麦の国ですから、種類は豊富で形も○、◇、▽と多種にあります。
民族学博物館のオレクの研究室でゴチソウになった、黒いパンがたまらなく美味しかった。そのとき、「このパンはどこでも売っているよ」と教えられたので、包装袋をもらい、近くのスーパーで探してみました。
ありました。

オレクはこのパンに「バターをたっぷり塗って、塩をぱらりとかけると美味しいよ。コレステロールが上がるよ」と、笑いながら教えてくれました。
ホント、バターを塗ると両方がお口の中でとろけあいます。では、写真だけで想像してみてください。
**82号** 民族学博物館裏舞台
~~~5月12日 サンクトペテルブルクにて~~~~
春のサンクトペテルブルクです。確かに春です。が、どこかにまだ“本物”となっていません。薄手コートにマフラーをして街を歩いています。
12日は実質、休養日にしました。民族学博物館には行ったのですが、忙しく仕事をしている、修復学芸員のエレナの仕事場でお茶を飲み、彼らの仕事を見せてもらいました。それだけです。
写真を写し忘れましたが、いろんなものがなにげに置かれている、博物館の裏がわ。「アイヌの資料を調べている」と、エレナは日本の注連縄(しめなわ)状のものを見せてくれた。
「これ、古いからね。いま、勉強中よ」みたいなことも言っていました。
修復学芸員は、世界各地から集まるいろんな民族文化遺産などを観察して、調べて、壊れたものを直すだけではなく、出自からはじまり、どこでどのように使われていたのかを学んでいかねばならない、難しい仕事です。
修復学芸員はそれぞれ専門分野があるようで、エレナは家具調度品、手工芸品、宗教用具などにも詳しいようです。別の部屋では、衣装関係の修復学芸員が、ドレス様のものと針を手にして、細かい仕事をしています。
エレナの隣の作業打ち合わせ部屋では、上司が、板に白いペンキを塗っています。きっとすんごい有名人なのだろうと思われる彼は、「これはペイントではないよ、スメタナ(サワークリーム)だからね、美味しいよ」と、私を笑わせてくれました。小さな板が、どんどんと白くなっていきます。
でも、その間にいろんな人たちが部屋に出入りしてきます。話していきます。書類を持ってきます。電話がかかってきます。超多忙です。
この博物館の裏側の建物の1階にある、エレナの仕事場は、2002年にも来ました。そのときは、部屋こそ広いけれど、机とか椅子とか棚とかが、古いものばかりだった。茶色の壁が暗い印象だった。博物館そのものも暗くって、展示品も少なかったし、陰気な印象だった。
が、今回は調度品類が新しくなって、壁もきれいに白くなっている。電灯もたくさん点き部屋が明るいのです。
ソ連の後半時期から新ロシア誕生当時は、公的補助金などが薄くなってしまった博物館美術館劇場などは、みすぼらしかった。が、修復もまた、始まった時期でもあったのです。
特にいまは、ロシアの景気の良さがど~んと厚く押し寄せてきているみたいです。博物館がいろんな取り組みをして、展示品も見学する人も、多くなっているようです。
民族学博物館1階、正面にある巨大ホールでは、この日、「貸し会場にして、企業のパーティがある」と言ってました。
でも、エレナたち博物館裏方で働く人たちの賃金は、仕事に見合う賃金、生活できる賃金と改善されたのでしょうか。以前、衝撃の告白を聞いたのだから。
エレナは、私にお菓子をすすめてくれた。その甘いお菓子と紅茶を飲んで、垣間見た多忙な彼らの様子。彼らは仕事が好きでたまらないのです。情熱あふれる彼らに支えられてロシアの歴史は、よみがえっているのですね。よくわかりました。
2006年11月30日
**81号** 素晴らしい日本語を話すカーチャ
~~5月11日 夕方のサンクトペテルブルクにて ~~~~
きょうは暖かい。ネフスキー大通りを歩きながら、道端で売っているアイスクリームを買い、立ち止まって食べながら、大通りの様子を見ています。相変わらずの賑わいです。やはり国際的観光都市ですから、いろんな言葉が飛び交っているようです。
英語使いのグループは、あちこちで写真撮影です。行きかう歩行者がたくさんいる真ん中で、グループ記念撮影は、歩行者渋滞の現況ですが、そんなことかまわずに、ハイテンションでの撮影中です。
サンクトペテルブルクに住み、時々日本語通訳などをしているカーチャさんは、SP Walker 氏からの紹介で友人がこちらでお世話になったのです。そのお礼も兼ねてと私もぜひお会いしたかったのです。
約束は、ロシア美術館の前のプーシキン像のところで、18時にです。
プーシキン像の周りはいつも観光客や市民も待ち合わせとかに使っているようで、幾人かが人待ち顔をしていると待ち人がにこやかにやってきては、連れ立ってどこかへ消えていく。それを黙ってみているプーシキンです。
ロシア民族学博物館は、ロシア美術館の隣で、博物館で働く人たちはこのプーシキン像の前あたりを通勤の往復にも使っています。だから、ひょっとしてジーマが急ぎ足で通るかもしれないなぁと、思ったそのとき、木立の影からナント、ジーマが登場して、私はびっくりしてしまいました。
「ジーマ!!」
彼もびっくりです。
「どうした?」
「カーチャと待ち合わせよ」
ジーマは半そでTシャツ姿におなじみのリュックを背負い、早足歩きです。
「僕はきょうは用があってね。また電話してよね」。 さっさと急いで行ってしまいました。
ちょっと遅れてカーチャがやってきました。
初めて会うのですが、すぐにわかりました。
「こんにちは」と日本語で会話して、私たちは街を歩きながらたくさんいろんなお話をしました。カーチャの日本語はとても美しく、私はずっと日本人の若い女性とお話をしている、そんな感覚でした。
2006年11月24日
**80号** これでさっぱりな気分です
~~~5月11日 サンクトペテルブルクの午後 ~~~~~
SP Walker 氏 とは、1月にはじめてお会いしました。そのとき、お金を持たない私は、彼に夕食を食べさせていただきました。優しい人ですね、私は厚かましいですねえ。
いつかどこかで借りを返さねばならない。と、日本にいるときだって、ずっと気がかりで……。
きょうの昼食は、彼にご馳走いたしましょう。さきほど、ちょっと通訳もお願いしましたお礼もありますし。
ネフスキー通りに面した大衆的レストランで、「なんでも食べて、なんでも飲んで、なんでも遠慮せずに注文して」と、私は、ど~~~んと彼にお返しをいたしました。たぶん。
美味しいロシア料理を、満足、満腹でいただき、楽しいひと時でした。そして、夕方は、カーチャに会えるようにと、手配もしていただきました。感謝です。
友だちをたくさんつくりましょうね。出会いがあればあるほど、楽しい人生です。
2006年11月23日
**79号** ロシアアバンギャルドに惹かれる
~~~5月11日 午前 サンクトペテルブルク・ロシア美術館にて~~~
美術館の前の庭は、こちらでは早咲きのチューリップがきれいに咲いています。ライオンの銅像は、日本では、あるデパート前やあるマンション前に鎮座していますが、こちらでは、街のあちこちにおいでです。美術館の前にも、たぶん雌雄だろうと思われるライオン像が、私たちを歓迎してくれました。
エレナは、ロシアやヨーロッパ絵画の専門家学芸員でもあり、ご自分も絵を描く人だから、詳しい。一緒に歩いていると「あれを見なさい」「これは素晴らしい」「あっちへ行くと良い」などのアドバイスがたくさんあります。
そんなエレナに質問をしました。
「額と絵画の関係はいかに?」
「いろんなパターンがあります。まず絵があって、その絵を飾りたい人や買った人が好みで額を選ぶ場合もある。また、この額があるから絵を描いてくれとの、注文もある。絵描きが額を気に入らない場合もあるだろう。額が変わっていく場合もある。1枚の絵を額を変えていくと、どんな印象となるかの研究もある。絵と額の関係はおもしろいものですよ」。
いくつかの展示を回っていると、ロシアアバンギャルドの展示室へ入りました。いや~これはしびれます。パベル フィローノフ や カジミル マレビッチ など、惹かれてしまい、見入ってしまいます。
ロシアアバンギャルドについて、ご参考になるかと思われるこちらをぜひクリックしてください。
エレナは笑います。「私は彼らの絵は、頭が痛くなってくる。どうして、あのように描くのかしら。でも、好きな人が多いわね」。
心いっぱいに満足して、「仕事があってね。後でまた会いましょう」と言う、エレナと別れて、SP Walker さんと私は、あるところへご用に出かけました。大渋滞中のネフスキー通りを、ワゴン車の乗り合いバスに乗って、旅行会社へ私の滞在証明をもらいに行きます。
2006年11月22日
**78号** 歩いてロシア美術館へ
===5月11日 サンクトペテルブルク 曇り~晴れ====
昨日の地下鉄騒動に懲りてしまいましたから、歩いて行きましょう。SP Walker さんとエレナと会う待ち合わせの場所は、ロシア美術館前です。
私の見当では、歩いて1時間でいけると読んだ。だから、午前10時ホテルを勇んで出発。
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その読みは大正解!45分で到着して、時間をつぶしていたくらい。
きょうは曇り空で、気温は低くはなく寒さは感じない。だから1時間弱の早足歩きは、汗もまたかいてしまうほど。薄手コートを脱ぐとちょっと寒いし、着ると暑いなあと、それも歩きながら忙しかった。
ロシア美術館は、おすすめの美術館です。05年8月の旅で短い時間だけの入館で、レーピンの絵を楽しみました。願いはゆっくりのんびりと歩くロシア美術館でした。
門の前で、約束どおりの時間、SP Walker さんがやってきて再会のあいさつをしていると、むこうからエレナがやってきました。髪を短くしても彼女は相変わらず美しくって、まぶしいです。
チケットを買って入館して、3人であちこちを見てまわります。至福のひとときです。


2006年11月20日
**77号**自炊生活で見えた
===5月11日朝 晴れ サンクトペテルブルクにて ====
気持ちよく目が覚めて、「きょうも一日元気だ!!!」と起きだしました。
朝食は自炊で、買い置いてあるものでチャチャッとつくります。
今回は、サンクトペテルブルクの家庭の台所をご紹介しましようね。

台所のシンクはとても小さいというか狭いというか。お皿1枚を置いたらもういっぱいです。これがロシアの家庭の普通のサイズです。大きなお鍋とかオーブン鉄板とかどうやって洗うのでしょうか?

包丁類です。果物ナイフのような小さなナイフで器用に料理します。トマトや包丁が載っているのはガラス製の、まな板です。これもロシアの家庭の普通のものだ、そうです。
**76号** 白夜のはじまりのころ
==5月10日夜、サンクトペテルブルクにて ===
長編オペラ「ボリスゴドノフ」を全編見終えると午後11時を過ぎると知って、ちょっと驚くと同時に、やはり疲れてきました。朝の地下鉄騒動、メンシコフ宮殿見学、急ぎ足劇場行きなど、きょうもたくさん歩きましたもの。
2幕が終わったところで、途中退場です。午後10時前だったでしょうか。まだ明るい空です。でも終演の午後11時過ぎは暗くなります。やはり夜は夜なので、無理はしたくありません。「せっかくだから」と言う貧乏根性もありましたが、ここはきっぱりと劇場を後にしました。
ガリーナホテルまでは、歩いて20分もかかりません。が、やや疲れていたのでしょうか、道を1本間違えて思わぬ遠回りです。外はほんのりと暗くなってきました。ガリーナホテルの重いドアを開けたら、さすがにくたくたでした。
約束どおりにジーマに電話しました。
「いま、ホテルに戻りました。『ボリスゴドノフ』ありがとうございます」
「おお、無事に戻ったね。明日は博物館にまた来てくださいよ。おやすみなさい」とジーマ。
熱いお茶を飲んでホッとして、明日の予定をひとり確認です。明日(11日)は、サンクトペテルブルク在のF・Takashiさんに会う約束をしてあります。いっしょに民族学博物館のエレナに会って、できればカーチャに会いたいと思っているのです。
充実した一日でした。明日も良い日でありますように……。
2006年11月18日
**75号** マリインスキー劇場内写真集
===5月10日夜、サンクトペテルブルク、マリインスキー劇場にて===
何枚かの写真を、開演前とか休憩時間で写しました。

(客席天井にある立派な豪華なシャンデリア。重さはどれくらいだろう?落ちないかな?と見てました)

(緞帳を近くで見てみたいです。どのように出来ているのでしょうか?織物、刺繍、宝石とか縫い付けてあるのかな?)

(私のまっ向かいのバルコニー席です。きらきらで美しいでしょ)

(1階ひらば席とオーケストラピット)

(ロビーは各所にあります。階段が多いです。カーテンが新しくなっていました)

(チケットです。裏面には透かし模様が入っています)

(舞台の上から客席を、とは、ウソです。ロビーのガラスケースの中にあった館内模型です)

(売店で。サンクトペテルブルク名物ロモノソフ陶器のマリンカだけ発売(かな?)の茶器)
**74号** 汗かいてマリンカ
===5月9日夕方、マリインスキー劇場内にて====
手を引かれ足早に到着したマリンカ。開演20分前です。私の手を握って、私をここまで連れてきてくださった女性は、マリンカへご自分も入られる予定だったのか、あるはまったく違うところへ出かけるところだったのか、わかりません。
マリンカの入り口前で「ありがとうございます」と、日本式お礼の頭を下げたら、ちょっとびっくりした顔をして笑いながら、さよなら、お気をつけて と、私に言ってくださって人ごみの中に消えました。
感動しながらも、もうすぐ開演だからと焦る私は、日本人です。周りの人々はのんびりと外でタバコを吸ったり、ロビーで話していたり、誰かを待っていたり……。なのですが、本当に焦っている私、汗も流れています。日本でも劇場の席に落ち着くには時間がかかる私は、早めに席に着きたいのですが。
客席に行く前には、必ず金属探査機を通り抜け、ガードマン氏がカバンの中をあらためています。私はカバンはスルーで通されて、OK。
まずは自分の席を探さなければなりません。チケットの裏に情報があります。
1 ЯРУС
Правая сторона
Ложа № 3 Место 4

さてどこでしょうか?
1番 バルコニー
右方向
3番 ボックス
4番席
あちこちにおいでの劇場係員に聞くことが一番です。「あっちだよ」とでも言ったようですが、よくわからなかった。でも、指差した方向へ行き、もう一度別の係員に聞くと、すぐ近くに3番ボックスのドアはありました。鍵がかかってドアが開かない。うむ??
つまり開演時間は遅れているようです。待つしかありません。
近くのベンチで座って眺めていると、3番ボックス席のドアを開けようとしている人が幾人かいます。ちょっと東洋人ぽい顔でロシア語の親子。若いロシア女性は、私に「急いで走ったのよ、ビールを飲んだから、暑いわ」と、笑っています。私も汗の流れがやっと止まったところです。
やっと落ち着いたので、トイレへ行っておきましょう。
はじめてマリンカのトイレに入った1997年、ここのトイレはひどかったのですよ。私が利用した階のそのトイレだけではないはずですが、狭くってドアがぼろで、鍵が上手くかからず、手洗い所はカランが固くって水が満足でなく……。あのきれいな舞台で、どうしてこんなひどいトイレなのかと驚愕したのですが、その後、来るたびにきれいに、進化していっています。
今回は明るくドアもきれいになっていました。手洗い所のカランも変わっていました。混雑は同じでしたが。
各国の人々がそれぞれ開演を待っています。日本人女性3人グループがおいででした。インドのサリー姿の女性もおいででした。でも、顔を見ただけでどこの国からおいでとかは、わかりません。おしゃれをしている人もいれば、若い男女はごく普通の服装ですし、私もまったく普通です。着飾って来たい人はそうすれば良いですし、公衆のマナーに反していない服装であれば、それで良いと思います。長時間の座り姿勢ですから、それが楽であることも大事なことです。
ベルが鳴ってドアを係りの女性たちが開けて。私の4番の席は、舞台も近くとてもよい場所です。隣の5番席は、先ほど「ビールを飲んできた」と笑っていた女性です。私にひとことふたこと何かを言ってくれたのですが、わからなかった。と、彼女が立ち上がって、椅子を下げるようにしています。つまり、私に椅子を少し下げて、向きを軽く変えたほうが見やすいよ、と教えてくれたのです。ありがとう。また親切に出会いました。
ああ、マリインスキー劇場にいるのだわと、うれしくなります。あらためてチケットをよ~~く見ると、「値段300ルーブル」と刷り込まれています。日本円で、1200円です。でも、私は500ルーブルで買いましたが、なぜ500ルーブルだったのかは不明ですが、たぶんチケット屋のおばさんの、夕食のおかずを1品増やしてよ代、だったと思うのですが。
外国人料金でもなく安く買えました。うれしいかぎりです。2001年のオペラ「運命のちから」は、留学生に頼んで買ってもらったのですが、「外国人料金で1,200ルーブル(約4,800円)で、ごめんなさいね」と彼が申し訳なさそうにしていましったけ。
きょうの演目、オペラ「ボリス ゴドノフ」について。
るるぶ情報版「ロシア・サンクトペテルブルク モスクワ」本の“ロシア キーワード ミニ辞典”より引用させていただきます。
****
初演1873年。16世紀に実在した苦悩の皇帝ボリスの内面的視点から描いたロシアオペラの傑作。ボリスは皇太子ドミトリーを暗殺し皇帝の座を手に入れるが、偽ドミトリーが現れ民衆の反乱を促す。ボリスは罪の意識からドミトリーの幻影にとりつかれ、錯乱状態となり息絶える。ムソルグスキーによるロシア音楽特有の旋律が特徴。
以上、引用おわり
****
壮大な舞台です。奥が深く深く、天井が高く高く。
大勢が出演しています。民衆が本当に民衆と呼べる数です。
ゲルギエフ指揮の音楽はこれまた、素晴らしく心に響いてきます。
英語字幕が出ています。が、あるところから消えてしまいました。
そして、次々と登場するオペラ歌手たちには、ただただ聞き入り、魅入るばかりです。
**73号** マリンカとわたし
サンクトペテルブルクで知っているものは?と質問をすると、エルミターシュ美術館とマリインスキー劇場を挙げる回答がきっと多いことでしょう。
マリインスキー劇場は、ロシア語では、Мариинский Театр と表わし、「 И 」の文字が重なっていますから、その「И=イ」の音が大事で、マリンスキーにあらず、マリインスキーなのです。
日本では招聘会社が「マリンスキー劇場」と宣伝語句として登録しているようで、そこを中心に「マリンスキー劇場のバレエがやってくる」とか「あこがれのマリンスキー劇場」とか、「イ」抜きで通じていますね。

(新型バスとマリインスキー劇場正面)
愛称形も「マリインカ」か「マリンカ」どちらも使われています。私はマリンカとよびます。ロシアの旅14回も重ねている私とマリンカを、振り返っておきます。
はじめてのロシアの旅は、1997年6月サンクトペテルブルクへ10人ほどのツアーで。
何も知らず、ロシア語も読めず書けず、もちろん話しもまったくわからない、私。マリンカのなにかも知らない。いっしょに行った日本人女優のサンクトペテルブルクの仕事の関係で、急にマリンカのチケットが手に入るから、ならば行ってみようかと、ツアーメンバーみなでおしゃれをして出かけたのです。
演目はバレエ「白鳥の湖」。本格的バレエを見るのははじめて。もちろんロシアの劇場もはじめて。慣れないヘンなドレスを着て、すっごく緊張して2階だったと思うが上手側(かみて・舞台ひだり)の上から舞台全体が見渡せる良い席でした。
はじまった「白鳥の湖」、ただただ、その美しさにボ~~~~としてしまいました。舞台に白鳥がたくさんたくさん登場することも大感動です。外は白夜の季節で、バレエに酔い、白夜に酔った初マリンカでした。
次はその翌々日にバレエ「眠れる森の美女」です。席はこれまたびっくりの2階正面のいわゆるビップ席、世界の著名人たちがマリンカにおいでになると座られというお席で、ツアーメンバー一同、それだけで酔ってしまいました。
だから舞台がとっても見やすく、「眠れる森の美女」も素晴らしかった。が、眠る魔法が私も掛けられてしまったようで、場面のあるところから眠ってしまうという大失態も、これまた思い出です。
すごい贅沢です。こんな贅沢よろしいのでしょうか。なんという幸せものでしょうか。と、あちこちに感謝のマリンカでした。

1999年5月、またサンクトペテルブルクへ行く機会が生まれ、前のツアーと同じく、日本人女優とともにでかけ、マリンカにも行くことができました。
オペラ「ドンカルロス」を1階席で。1階席はつらいですね。段差のない平場に椅子がぎっしりと並んでいますから、前の席に大きい人が座ったりすると、かれらの肩越しの舞台です。また、その席が微妙に風が通り寒かったので、舞台に集中できなかった。それが思い出です。
バレエ「バヤデルカ」もそのツアーで観ました。このときの席は3階だったかな?とても良く舞台が見えて舞台を集中することもできました。
バレエは白人の肌の色、長い長い手足、細く長い首、小さい顔を持つ彼らの芸術だと痛感しました。
これは別のときの話しですが、白人は鼻の穴の形も違うから、バレエが美しいとおっしゃる方もいます。彼らは、鼻の穴が小さく林檎の種形だから美しいとの説です。なるほど。いま、ご自分の鼻の穴の形を見た想像した、あなた。そうです、私たちは丸く大きくって(笑)。
もちろん、日本人で東洋人でもバレエの現場で大活躍をして見える方や、いまこの瞬間もバレエのお稽古に必死となっていらっしゃる日本人も多くいます。どうか、がんばっていただきたいです。
この日のマリンカで、バレエ留学を目指す日本人のバレエ関係者にもお会いして、その後いっしょに食事もしました。細く長い手足と可愛いお顔の彼女。いま、どうしていらっしゃるのでしょうかしら?
次にマリンカへ行ったのは、2002年1月です。オペラ「運命のちから」です。当時留学していた知り合いに頼んで、チケットを買ってもらい、4人でいそいそと出掛けました。寒いときでしたが、劇場内は温かく、オペラは壮大で圧倒されるものでした。
なによりも、ロシアの劇場のレパートリー制にあらためて驚いたのでした。この壮大なオペラは、きょうだけの上演。昨日も明日も違い演目のバレエだったり、オペラだったり……。日本では、舞台つくりやバラシは、それだけで人も要ることで、金がかかることだから、回数を抑えたいところ。このロシアの国の芸術文化にかける情熱です。
ワレリー ゲルギエフが話題となっていた「運命のちから」でしたが、私たちは1幕だけ観て、劇場を後にして酒場に行ってしまいましたヮ。
そして、2006年5月10日は、オペラ「ボリス ゴドノフ」。マリインスキー劇場「白夜祭」のオープニングです。


2006年11月16日
**72号** マリインスキーまでの道のり
===5月10日 夕方のサンクトペテルブルク ====
街は夕方の帰宅ラッシュ。ジーマとナターシャも帰宅を急いでいるよう。
ネフスキー通りの地下通路で、ジーマとナターシャが「ここが良いわよ」というように、小さなチケット売り場のおばさんに声をかけている。そして「500ルーブルで安いよ。どうするかい?『ボリスゴドノフ』というオペラだよ」。
オペラよりも芝居が良いけれどもなあと、贅沢な気持ちを持ちながらも「ええ、それ買います」。
ジーマは「劇場が終わったら僕に電話をしなさい。ナターシャが途中まで送っていくからね」と言い、なぜか急いで地下鉄乗り場方面へ消えていきました。
ナターシャも急ぎ足で、でも私の歩みに合わせてくれながら、おしゃべりしながら、マリインスキー劇場(以後、略称のマリンカで)へ向かっています。
ナ;「ドイツへ行ったことあるの?」
マ:「ええ、ミュンヘンへ行ったことあるわ」
ナ;「私も行ったけれど、仕事だったから、博物館や美術館だった」
マ;「私はショッピングしたけれど…」
ナ;「夫がドイツ関係の仕事で、彼はドイツに詳しいから」
マ;「はあ、そうなの…」
ナ;「ドイツは近いから」
…
…
…
と、なぜかドイツ話題のナターシャさん。
途中で魚を売っているのを見つけた私が、近寄ろうとしたら、「きょうはだめ、時間がないからね」みたいなことを言われて、「あら私は買わないけれど…」と、思ったのでした。
この魚はサンクトペテルブルクの春の名物だとか、わかさぎのような鮎のような形にみえたが、近寄っていないのでわからない。魚が好きな私は、魚が見たかったのに。「小麦粉をつけて油で焼くと美味しいわよ」と、ナターシャ。
私がカバンから地図を出そうとして、カバンに手を入れたら、カメラを出すと勘違いして「きょうは時間が無いから写真は後にしなさい」とも、言われた。
たしかに、マリンカ開演時間は19時から。もう18時20分だから、ナターシャも焦っているようだ。でも、ないかな、早く帰りたいのかな。
センナヤ広場という地下鉄駅で彼女は、「ここからマリンカはすぐ近いから、ひとりで行きなさい。この運河に沿ってね……。じやあ、またね。そうそう、ジーマに必ず電話するのよ」と、走って地下鉄乗り場の人ごみに消えました。
言われたとおりに運河に沿って歩くと、だんだんさびしい道になっていくし、マリンカらしい建物も見えないし……。あれれ??
持っていた地図でマリンカを確かめてみるが、このあたりにあると思われる、あらら?
むこうからやってくるおしゃれをしている女性(仮称ターシヤ)に聞いてみることにしよう。
マ;「マリンカに行きたいのですがこちらでよろしいかしら?」
タ;「まあ、マリンカはここと違います」
マ;「どこ……?」
タ;「私についていらっしゃい」
マ;「以前にマリンカは行ったことがあるけれども」
タ;「すぐ近くよ」
タ;「日本人かい?ひとりかい?」
マ;「そうです」
と、ターシヤさんは、私の手を引いてくれる。
タ;「ほら車に気をつけてね。車が多いところだから」
マ;「ありがとうございます」
タ;「日本も車が多いでしょ」
タ;「日本の映画を見たことがある。サムライの映画、クロ???」
マ;「クロサワ?」
タ;「そうそう、クロサワ。サムライの映画、日本は興味あるけれど言葉がわからない」
ターシヤさんは私の手をまだというか、車が近づくたびに手を引いて、私を道の端っこに寄せてくれる。
タ;「マリンカはきょうからはじまるから。ゲルギエフは素晴らしいわよ。マリンカはすてきよ」
高級なウールのスーツに高級なバッグを持ち、髪飾りをさりげなく飾った奥様のターシヤ(仮名)は、私をマリンカのドアの前まで送ってくれました。ずっと手を引いて、です。すっごく感動してしまいました。
恐い街と言われるけれど、どこが恐いのですか?とも思えますねえ。こんな親切に出会うと街中の人たち全部が優しく美しい人たちと、固く信じたくなります。
**71号** 午後から夕方そして
==5月10日 午後 サンクトペテルブルク 民族学博物館 ===
多忙なオレクたちは、私のことも気にしているようだけれど、安心もしているよう。私が博物館のリピーターだから、少々放し飼いにしていても“困らない”だろうと、思っているようです。まあ、たしかにそうですが。
博物館の展示を見ながら、空腹がたまりません。さきほどオレクの部屋でのお茶と黒パンとクラッカーだけで満足するわけはありません(笑)。かえって消化器官が活発になって、空腹感が増します。
博物館のなかに喫茶室をみつけました。カツレツにポテトの付け合せとパンと紅茶で、満足です。
満足すると、外へ出たくなりました。博物館の外は、春の日差しがいっぱいです。コートを手にしてぶらぶら、いえ目的を持って歩きました。今夜どこかで観劇したくって、劇場のチケットを買うために、ウロウロします。
民族学博物館のあるあたりは、いくつかの劇場が集まっています。が、「本日休演」が多いのです。昨日の国民の休日の続きなのでしょうか。よくわからない。
あちこちをぶらぶらしながら、街の様子も楽みます。
寿司バーの多いこと。寿司バーは込んでいること。宣伝も派手なこと。お相撲さんを模した着ぐるみの金髪女性が、笑顔で「寿司バーにおいでよ」のチラシを配っています。異様な姿にくすくすと笑えました。
ふらふらと入ってしまった毛皮店。入ったとたんに女性店員が寄ってきて「なにか必要ならば言って下さいね」みたいに、私の動くすぐ後ろについてくるのです。私は毛皮は必要ないのですが、この際だからと、最高の毛皮コートを見てみましょう。さすがに本場、並んでいます、いろんな種類のいろんなデザインのものが。うわあ~、値札には、00000000といくつの0(ゼロ)が並んでいるのでしょうか?目がくらんだので、店を飛び出しました。
靴屋さんも覗いたら、バーゲンだったようで、込んでいた。
ケーキ屋さんは、甘い香りが店の外まで流れている。空腹ではなかったので、食指は動かず。
そんなこんなで結構歩いていると約束の時間で、あわてて博物館に戻る。言われたとおりに、玄関で待っていると、ナターシャさんが走ってやってきて「早く部屋に来て、ジーマが待っているから」。
研究室棟のオレクの部屋に行くと、オレクは席に居ず書類が広げられて入る。さっき乱れていたお茶用丸テーブルの上は片付いている。ナターシャは、帰り支度を整えている。さきほどは居なかったこの部屋の一番ボスの女性にご挨拶したら、絵葉書をくださった。
隣の部屋のジーマ、日本にいたときと同じく、リュック姿を背負って、帰り支度でやってきて、「マリインスキー劇場の切符を買いに行こう」と言う。
ナターシャもいっしょに、私は彼らにはさまれて、博物館を出ました。さて、どこへ買いに行くのかなあ?
2006年11月04日
** 70号 ** 民族学博物館へ
==5月10日、サンクトペテルブルク の昼 ====
サンクトペテルブルクは、モスクワより寒かった。外を歩くときは、日本で冬の終わりごろに着ているコートを着て、マフラーを巻いていた私です。
メンシコフ宮殿のカーチャさんに熱くお礼をして、オレクと私は、ネバ河沿いの通りに出てきた。
「歩いて民族学博物館へ行こう」と、言ってしまった私。オレクは「もう歩くのはイヤだよ」と言うように、私を路線バスに乗せて、ネフスキー通りの中心・ヨーロッパホテルのあるあたりで、下ろされた。
オレクは午後から、「書き物しなければならない」とか言っている。ちょっと焦っている感じ。だから、民族学博物館へ直行です。私、空腹だったのですが。
1月にここへ来て、ジーマの研究室へ入ったのは、博物館の中の関係者用通路を迷路のように歩いていったのですが、今回は外からです。
もう何度も来ている、研究室棟は、外で廊下の一角でタバコ喫煙コーナーがあります。と、言っても分煙できていないので、煙は舞っているけれど。
そのタバコ吸いグループの女性陣の中のおひとりと目があって、むこうから「こんにちは」(露語)と声を掛けられて。「あれ~?どこかで会った人、どこかで会ったことのある人、どこだったかな??」と、思い出しモード。
オレクの研究室スタッフは4人。隅の丸テーブルにお茶とパンとかお菓子とかが雑然と置かれて、「座ってお茶を飲んで。これも食べなさい。こんなものもあるのよ」と入れ替わり立ち代り、私を接待してくれる
いろんな人たち。あっ、わかった!! 1月ジーマの家でのパーティに集まってきた人たちだった。
さっきタバコを吸っていた人も、いま私にお菓子をすすめてくれた人も、お茶を持ってきてくれた人も、みんなすでに会っている人たちだった……。
オレクとお茶を飲みながら、彼が「これは美味しいパンだよ」と教えてくれた黒いパンを食べて、感動してしまった。この黒パンについては後日ご紹介しましょうね。
ジーマも顔を出して、「やあ、いまね図書館で用があるから。今夜はどうしますか?劇場へ行きたいでしょうか?ああ、僕は忙しいから…」と、本を手にしながら、足はもう外へ向いています。
オレクも電話がかかってきたり、スタッフがいろんなことを言っています。
“こりゃ、私はすっごくお邪魔”なので、「ひとりで博物館見てきます。夕方また来ます」と言って、博物館展示ホールへ、オレクの同僚のナターシャさんの案内で行きました。
ナターシャさんは、「夕方戻ってきたら、必ず玄関で連絡しなさい」と、まるで子どもに言っているように、易しくわかりやすく、言ってくれます。玄関の立ち位置まで教えてくれて。「ここで待っているのよ」と。
2006年11月03日
** 69号 ** メンシコフ宮殿 にて
※※ 急にたくさんUPしています。↓下のほうにも行って見てきてくださいね。
===5月10日午前のサンクトペテルブルク、ネバ河沿い 晴れ=====
オレクは、遅れた私を笑顔で迎えてくれて、私はホッとして汗を拭きました。「地下鉄がたくさんの人たちで……」と、伝えると「きょうはみんな仕事だからね。朝は込むからね」と、言いながらまた笑ってくれます。
メンシコフさんについては、小町文雄氏の著「サンクト・ペテルブルク」よみがえった幻想都市 171ページには「成り上がり再宰相メンシコフ」と書かれていますから、そこからちょっとご紹介しましょう。
メンシコフは、ピロシキ売りから、サンクトペテルブルクを造ったピョートル大帝の少年時代の遊び仲間となり、大帝に気に入られる人物になりました。大帝は「メンシコフが小間使い兼側女としていた美しい女性に目をつけると、有無を言わせずに彼女を取り上げてしまった」。そんな仲だったのですね。
メンシコフは、ピョートル大帝死後の後継者に皇后エカテリーナ(上記の女性)を「(新興貴族たち)の圧力のもとでエカテリーナの即位を決めてしまった」。大帝亡き後も失脚したくない、自分の地位が大事なのですよ。
エカテリーナ1世は2年間しか生きず、彼女亡き後また、メンシコフが「次の皇帝は11歳になっていたピョートル2世、当然ながらメンシコフはこの少年、ピョートル2世を自分の統制化におくよう、万全の措置を講じ、娘をその婚約者とした」、そんな成り上がりのやり手のメンシコフなのです。
ピョートル大帝は、自分の住まいを宮殿としては建てず、このメンシコフさんの邸宅=宮殿で、大勢を集めては毎晩どんちゃん騒ぎをしていたそうです。宮殿は、バロック様式の質実剛健な建物です。
宮殿はこんな外観です。(撮影は別の日)

さて、そんなメンシコフさんは、こんなお方です。背が高くって顔が長くって、とても目だっていたとか。

宮殿内は写真撮影は禁止です。グループごとにガイドがついて、細かい説明をしてくれます。
私は、幸せなことにガイド、カーチャさんとオレク博士がいっしょです。もちろんカーチャさんはロシア語での説明です。が、私もロシア旅人生活1週間は過ぎて、どんどん耳になじんでいるロシア語ですから、わからない単語とかいろいろあるけれど、なんとかなんとか付いていってますね。カーチャさんも丁寧にゆっくりと説明をしてくれます。
宮殿と言えども、当時は暖房設備もペーチカだけで、「とても寒かったのですよ」とカーチャさん。「日本は暖かいでしょねえ」とも。
ピョートル大帝の好みが宮殿の内部にも取り入れられ、オランダのデルフトブルーのタイルの部屋は驚きでした。万博のオランダ館の壁いっぱいに貼ってあった青いタイルと、同じです。

オレクに「万博のオランダ館 ↑と同じだね」と言えば、彼は「そうだ、そうだね」と喜んでいます。万博開幕当初のころ、オレクと私はいっしょに外国館をまわり、オランダ館はロシア館の近くということもあったけれど、何度も行ったのでした。
そして、私はわかりました。
前回サンクトペテルブルクに来たとき、わからなかった場所の意味が、このメンシコフ宮殿でわかったのです。それは、「新オランダ島」のことです。なぜ、オランダと名乗っているのかの疑問はわかりました。
※オランダ島については、後日UPしますね。
サンクトペテルブルクを造ったピョートル大帝は、この人工の街を、オランダに似せた街にしたかったのですね、それは相当に強い希望だったようです。「僕のあこがれは、オランダだよ、僕が造ったこの街はオランダにするのだよ、君たち!!」と毎日言っていたのでしょう。
そして、側近中の側近にオランダタイルで飾った部屋を作らせて、そこで遊んでいたのでしょう。
さて、メンシコフは、少年ピョートル2世に嫌われてしまい、シベリアに家族そろって流刑となってしまいました。相当あくどいこと、好き放題をしていたと想像できます。
ロシアの画家スリコーフの絵、「シベリアのメンシコフ」は、寒いシべりアで、何もかも無くしていらいらする彼と家族を写実的に描いています。ロシア人が好きな絵のひとつだそうです。

メンシコフ宮殿は、ソ連時代荒れに荒れていた。修復作業がまだ続いているのか。まだ日本人観光ツアーの対象にはなっていないようですが、静かで当時に思いを馳せることができる、歴史的な宮殿のひとつです。
歩きながら、オレクが「腰が痛い」とか「歩くのが疲れた」とか言うのが気になった私です。私はすこぶる元気です。
** 68号 ** 朝の地下鉄 ありゃりゃ
====5月10日 サンクトペテルブルクの朝 ====
朝食は、昨日買ってきた食材をつかって、サラダや卵焼きをつくって、コーヒーとクワスを飲んで満足。
メンシコフ宮殿へ行きます。民族学博物館のオレク博士が「君を案内したい。サンクトペテルブルクで大事な場所で、僕の教え子のカーチャが、ガイドをしているから、ぜひ行こう」。
メンシコフ宮殿は、ワシリー島のサンクトペテルブルク大学の近く。昨日、私が疲れて入った喫茶店の近くにあります。地下鉄に乗って最寄の駅、「Василеостровская 」まで行きましょう。 約束の時間に十分に間に合うようにと、早めにホテルを出て、地下鉄駅「технологичский 」まで7分ほど歩く。
ロシアも5月のはじめは連休続きです。特に大事な休日5月9日戦勝記念日を無事に終えて、街にはホッとした雰囲気と、連休明けの緊張感も感じます。地下鉄駅周辺に地下鉄利用者が多くって、ちょっとびっくりです。どんどん地下に下りて、どんどん地下から上がってきます。
サンクトペテルブルクの地下鉄には専用のジェトンと呼ばれる、硬貨を買い、自動改札機へ入れます。まずは、そのジェトンを買うやや混雑の列。あらかじめお金はポケットに入れてきたので、財布は見せずに買う。たくさんのジェトンを手にして、さてどこへ入れておこうか?肩にたすきがけのカバン中のポケットに入れるのを、日本では緊張感なく、人ごみの中でも平気でしているけれど、ここは、十分に気をつける必要のある街です。後ろを向き、さっと済ませ、カバンをかかえるようにして、ホームに来て、またもやびっくり。

人・人・人・人です。ぎょっとして、でも、約束の時間があるから、人ごみの中到着した地下鉄のドアが開いたので、乗り込もうとしたそのとき!
「どけっ、うろうろするな!!」とでも言われたのでしょうか。私に向かって何か言われ、何人かの人たちが押して、弾き飛ばされてしまい地下鉄の車両に体を打ちつけて、それでも人に押されて。
地下鉄のドアが閉まり、動き出そうとします。
私の生命力的判断だったのか、神様が手を差し伸べてくださったのか、はたまた見ていただれかが引っ張ってくれたのか、動き出す寸前の車両から、飛びのくことができました。一瞬のことです。もうちょっと、半秒でも遅れたら、車両に巻き込まれていたでしょうねえ。
体のどこかでザーッと、血の気が引くという現象がわかりました。
「日本人女性、サンクトペテルブルクの地下鉄に巻き込まれる」とニュースになったかも。日本人女性かどうかは、首にいつもつけている、識別ネームタグがはずれなければ、すぐにわかってくれるはずですが。
しばらく、ホームに立っていると、杖を持ったばあさんが私めがけて、杖を振り回すので、逃げて……。さっきから怪しい目つきは感じていたので、それはすばやく動けたが。そのばあさんは「金をおくれよ」と言っていたのだろう、きっと。
私に言っても、私はそれどころの状態でなく、気持ちを落ち着かせるのに、いっぱいいっぱいだったのです。近くにいた女性が、ばあさんにお金を渡してなにかを耳元で言ったら、ばあさんは、どこかへ行ったけれど。
私の気持ちは、複雑に揺れ揺れ状態。
地下鉄先頭車両へ移動して、少しでも待っている人が少ない乗車口へ。何台見送ったことでしょうか、やっと無事に乗り込み、ほっとするも、今度は乗り換え駅「Невский Проспект 」の混雑を想像するだけで、体がこわばります。
もう、地下鉄やめよう!!!
降りて地上に出たとき、緊張が解けてほっとして。
歩いて走るように歩いて、オレクが待つメンシコフ宮殿へ。途中オレクに電話をすると「大丈夫だよ。待っているよ」。
ネフスキー大通りをまっすぐ、旧海軍省の建物を左に、エルミターシュ美術館を右に、宮殿橋を渡り、20分以上くらいだったかしら?走るようにして、汗をかいて、オレクに会えました。ネバ河が目の前にあります。イサク寺院も河の向こう側で光っています。ああ、サンクトペテルブルク、です。
** 67号 ** オレク行方不明
~~5月9日のサンクトペテルブルク午後~~~
パレードは、私には残念ながら単なる眺めでした。パレードを歩く人たちのそれぞれの団体の象徴とか、顔ぶれとか、私にはさっぱりわかりません。が、パレードを見ている側の人たちの多くは、「あっ、だれがいるわ」とか、「おお、彼ら英雄だ」とか、「万歳、万歳」なのです。
「日本にはこんなパレードはない」と、ジーマに言えば、彼は、昨年8月15日にちょうど日本にいて、日本の敗戦記念日の雰囲気をちょっとだけ知っているので、「僕は日本の戦争の歴史を勉強したから、日本とは違うことは、よくわかるよ」。
サンクトペテルブルク市民のオレクもジーマもやや興奮してみています。拍手や掛け声や、私に「あれを見よ」と、少しでも見やすい場所を探してくれたりします。
が、その間、オレクの携帯は何度も鳴っているのです。オレクがジーマに何か伝えて、オレクは人ごみの中に消えました。「あれ?どこへ」。
しばらく待っても帰ってきません。パレードの最後にいままで沿道で見ていた人たちも参加して、ネフスキー通りを歩きます。「おお、この大通りを歩くチャンスだ」と、私もジーマとサーシャと彼の乳母車を押しながら歩きます。ちょっと頭の中では、ディズニーランドのパレードの後ろについていく気分となっています。でも、すごい人。大勢の人たちは、みなかなりハイテンション中です。一年に一度の大祭典ですから。
オレクはどこへ?ジーマは「彼はもう来ないよ、人がこんなにいるから……」と、いうわけで。
結局ジーマの家の近くまで歩きました。相当の距離です。
私はさすがに疲れてしまい、トイレの用もあり、どこか喫茶店でも入りたい。サーシャも疲れれてしまってぐずるので、ジーマパパも、帰宅を急いでいます。彼とは別れて、ひとり喫茶店に入って「ホット」する。
どれだけの距離を歩いたのでしょうか?このころの日没時間は午後10時くらいなので、陽はまだ高いのですが、もう夜の時間です。ああ、一日中歩いていたわね、と、喫茶店の椅子にどっかりと座って。
頭も足をぼんやりぐらぐら状態で、その後の地下鉄乗車中もぼんやりしていた。見る人が見ていたら、襲われる様な、まったく緊張感のない旅人でした。ああ、無事でよかったと、いまは思う。
ホテルに戻ると、ガリーナさんは「パレードはどうだったかい?楽しかったかい?」
「きょう、あなたはサンクトペテルブルクの街に居てよかったよ。とても幸福だよ」と言ってくださった。
「ありがとう、でもとても疲れたわ」。
眠る前にオレクに電話をして、明日の約束を決める。「無事かい?」「ええ、大丈夫よ」と、半分以上眠りながら、応えていたのだった。
2006年10月31日
** 66号 ** パレード !!
==5月9日 サンクトペテルブルク・ネフスキー大通りにて 晴れて気持ちが良い ===
オレクとジーマ、ふたりとも大事な友人。彼らはサンクトペテルブルクで生まれて、育ち、この街の歴史も含めて、ロシア・ソ連の歴史民族学研究者でもあります。この街のことはなんでも知っているふたりと、ジーマの長男可愛いサーシャといっしょに、戦勝記念パレードを見ます。
もうすでに通りの両方は人がいっぱい。日本じゃあ背が高いほうかなの私も、ここじゃあ小さい日本人で、人垣でみんなの頭しか見えない。いろんな頭毛の色があるのだなあ。赤ちゃんが生まれたときに聞くことが「男か女か?髪の色は?目の色は?」の人たちですものね。

戦勝記念も含めてロシアのパレードというものをはじめて見ます。まず、市長を中心とした、サンクトペテルブルク市などの、偉い人たちの集まりが歩いていきます。次々といったいどんなグループなのか私にはわかりませんが、「ああ、軍事国家だ」と痛感しました。わかります。みんなの誇りに満ちて、うれしくって「万歳」で、意気揚々としている姿は、戦勝国だからでしょう。
では、写真集といたしましょう。






2006年10月24日
** 65号 ** エルミタージュ美術館のまえで
~~~5月9日 午後、サンクトペテルブルク・エルミタージュ美術館前~~~~
戦勝記念日の集会のために、エルミタージュ美術館の宮殿広場は、閉鎖されています。だから、広場のまわりの柵囲い周辺は、人だらけ……。オレクとはぐれないように、気をつけて、「ジーマと待ち合わせの、美術館前」に行きます。
ネヴァ河の風をおおいに感じながら、美術館の入退場口でしょうか、人ごみのなかでジーマたちを探している、オレクと私です。
と、いました!!半そで姿のジーマ、赤い可愛いジャケット姿の美人のジェーニヤ、そしてふたりの愛息サーシャは乳母車の中で泣いています。
「ジーマ!」と大きな声で呼ぶと、彼らも気が付いてくれて、わずか4ヶ月ぶりの再会にみんなで大喜びしました。サーシャが大きくなって、ジーマはパパらしくなって、ジェーニヤはますます美しくって。彼らの先輩であり、親友でもあるオレクもまた大喜びです。
ジーマの自宅は、このネヴァ河シュミット中尉橋の近くですから、エルミタージュ美術館までは歩いて30分くらいかしら。あのエルミタージュ美術館に徒歩で行くことができ、赤ちゃんの乳母車を押しながら、家族そろっての散歩コースが、世界的超有名美術館前とは……、どういう幸せものたちでしょうか!

ジェーニヤは「いまからお芝居を観に行くから。また、会いましょうね」と、すぐにどこかへ行ってしまいました。ジーマがサーシャの乳母車を押して、オレクと私。
私たち4人は、ネフスキー通りで「戦勝記念日パレード」を見ることとしました。
オレクが生後10ヶ月のサーシャに言っています。
「サーシャは生まれてはじめてのパレード見学だね。良かったねえ。サンクトペテルブルクに生まれたのだから、しっかりと見なさいよ」と。
2006年10月14日
** 63号 ** 記念日おめでとう
~~5月9日午後のサンクトペテルブルク・ネフスキー大通りにて ~
最高に晴れています。風が気持ちよいです。と、またオレクに電話がかかって、聞くとはなしに聞こえてくるのは、おっ!ジーマのことです。電話相手は、ジェーニャみたい。
「ジーマとジェーニヤとサーシャは、エルミタージュの前に行くと言ってるよ」。わあ、うれしいジーマたちにもきょう会えます。
ネフスキー通りで、オレクはひとりの若い女性に声をかけられ、道を教えているようです。あまりやりとりはわからないので、ふたりのそばには寄らなかったら、急にオレクが腕を引っ張り彼女のところへ連れていかれました。
「日本人ですか?初めて会うわ」みたいなことを言われました。
若い女性は、きょうの戦勝記念日をサンクトペテルブルクで楽しむために、田舎からやってきたようです。小柄で全身たくましい!厚着がこの街の人ではないようなと、私でもわかりました。
どうもオレクと話している途中で、そばにいる私に興味を持ったのでしょう。きっとオレクが「あの人日本人」とでも言ったのでしょう。
「日本はとても遠いでしょ。日本は魚ばかり食べるのでしょ。ジャガイモは食べないのでしょ。みんな髪は黒いのでしょ」みたいに、彼女の知っている日本を聞いてきます。
それに応えているのは、オレクです。
「日本語を教えて」と言うので「こんにちは」と日本語で言ったら、目をまんまるにして、「キャー難しい」。
そんな好奇心旺盛な彼女とは、握手をして、通りで別れました。ひょっとしてこの後をずっと一緒に歩くのではないかと、内心思っていたのですが、安心しました。
ネフスキー通りからはずれて、静かな小さい通りに入る途中で、今度は「僕の教え子だよ」とオレクが言う、いかにも女子大生とその友人にばったりと会いました。オレクは、なにやら彼女たちを大笑いさせるようなことを言って、笑いながらすれ違っていきました。

(オレクおすすめの、サンクトペテルブルクらしい建物の中庭への入り口)
と、またオレクに電話です。「おっ、ナターシャだよ」。
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オレクの妻のナターシャさんからでした。(先ほどのナターシャは職場のナターシャですって)。
妻のナターシャさんは、某大企業の営業で働き、彼女も出張をすることが多い。などとオレクは日本滞在中に教えてくれました。「だから、いつも電話をするのさ」とも。
街を行きかう人たちの胸にあるリボン飾りが気になります。同じリボンは、モスクワで、シューラが車のアンテナに取り付けていました。なにかグループの目印かと思っていたのですが、どうも違うようです。なにかなあ??
オレクに質問です。
「きょうの記念日に言う『言葉』はありますか?例えば『おめでとう』みたいな……」
と、オレクは、しばらく考えています。なんで考えているのだろう。私の質問がわからなかったのかしら?いや、ちがうみたい。あきらかに何かを思い出しているみたい。
「С праздником !! 」 って言えば良いよ。でも若者は言わないかな。と、歩きながら、発音練習です。記念日おめでとう みたいな意味ですか。

エルミタージュを目指して歩いていますが、人がだんだん多くなってきました。ビールを手にして歩いてる人も多くいます。すでに出来上がって真っ赤になっている青年たちのグループがいます。遠くに長蛇の列をつくっている一角がみえます。公衆簡易トイレの前にできている行列です。ほらほらビールを飲むとそういうことになるのだからね。
** 62号 ** 運河に沿って
~~~5月9日 サンクトペテルブルク フォンタンカ運河沿い ~~~
サンクトペテルブルクの街の匂いは、モスクワとは明らかに違います。どこかに潮の匂いと、水の匂いがしています。モスクワはあまりにも排気ガス臭くって、嫌な匂いですから、違いは大きいです。でも、サンクトペテルブルクも車は多くって、どんどん排気ガスくさくなっているし、もっとひどくなっていくでしょう。
オレク リシェンコ 民族学博士は大学教授でもあり、超多忙な方です。ロシア国内はもちろん各国への調査研究活動の出張などが多く、その前後の準備も膨大な仕事量になっていると、言います。この時も、トルコへの調査活動に出かける寸前だったのですね。

急にオレクの携帯がかかってくるようになり、私は、運河の岸の柵にもたれて、しばらく彼の電話を待っているだけとなりました。
運河には魚が群れています。網をもってきたら、それこそ一網打尽が味わえると、見ていました。
運河を見ながら歩くときは、足元要注意です。歩道に、急に穴が開いていたり、レンガが壊れていたりします。転びそうになりました。
運河を見ていたら、後ろから声をかけられました。「すみません、○▽◇×はどこですか?」とロシア語で、背の高い男性です。「ごめんなさいね。私はわかりません」と、応えると、にこっと笑って彼は行きました。こちらに住んでいる人ではないな、とは直感で思ったのですが。
オレクの電話が終わって、彼が言うには…。
「トルコ行きの準備のために、明日会う人がいるから。ナターシャが準備をしてくれた」らしい。ナターシャってだれ?まあ、私には直接関係のない話しだから。



ネフスキー通りまで戻ってきたら、通りは記念日の雰囲気が一層盛り上がっています。パレードの準備が少しずつ始まっているのでしょうか。
2006年10月08日
** 61号 ** 運河も、また美しく
~~5月9日のサンクトペテルブルク フォンタンカ運河の上で~~~~
気持ちの良い晴天となり、街歩きも楽しくってすばらしい時間です。
ロッシ通りをぬけ、左側にある運河がフォンタンカ運河です。もう、運河めぐりの大小の船、舟が多くの客を乗せて走っています。みんな気持ちがよさそう!



** 60号 ** ロッシ通りの美しさ
~~~5月9日 午後、サンクトペテルブルクの街歩きから~~~~
59号のつづきです。
アレクサンドリー劇場の後ろというか裏側へ回ります。ロッシ通りと呼ばれる、サンクトペテルブルクでも古く一番美しい通りといわれるところです。
オレクは「ここに立ってみてごらん、一番美しいのはこの位置からだよ」。
なんだかとてもうれしそうなオレクです。自分の生まれ育った街を誇りに思い、その中でも美しいといわれる場所に、日本人女性を案内するのは、さぞやうれしいことでしょう。
万博のとき、私も体験しましたもの。名古屋だけでなく、京都や奈良、伊勢志摩をご案内して、私はとてもうれしかったから、オレクの気持ちが手に取るようにわかります。
さて、目の前の通りは、建築家カルル ロッシさんが、相当に力をこめて作り上げた建物群にはさまれた通りです。
ロッシ建築群は、この歴史ある街でいくつも見ることができます。エルミタージュ美術館の広場に立って、美術館を背にすると目の前にある、黄色の半円形の壮大な建物=参謀本部も彼の建築です。あまりにも横に広がって、どこがはじまりで、どこが終わりかわからない建物です。
私がいつか入ってみたい、先ほど正面をみてきたアレクサンドリー劇場。ロシア美術館ほか、ロッシ建築物は、サンクトペテルブルクを歩く私たちの目にいくつか入ってきているのです。
ロッシ通り、舞台美術のようで、いまから楽しい芝居がはじまるみたいです。美しいバレエかもしれません。こんなに美しい広がりのある空間を街の中につくってしまったロッシさんは、きっと楽しくおもしろく仕事をしていたのだろうと確信します。

この計算されつくした広がりの美しさ、この位置が「一番美しい位置だ」そうだが、うまく写真に撮れないのが悔しいかぎり。正面が、アレクサンドリー劇場で、右側は、ロシアバレエの殿堂ワガーノワバレエ学校です。

ロッシ通りでアレクサンドリー劇場を背にして。この位置の写真はあまり発表されていませんね。奥の丸い小さい広場が下の写真の撮影位置です。

建物が横に長く、丸い屋根のトンネルであちら側にぬけることができるのが、サンクトペテルブルクの建物の特徴と、オレクが教えてくれます。小さな丸屋根トンネルのむこうには、先ほど行ってきたカザン聖堂の屋根が見えて、この位置もとても美しく、し私はずっと立っていたかった場所です。
なんども書いていますが、5月9日、祝日のこの街は、車は少なく、歩いている人が多く、かなりぼんやり街を歩いていても、大丈夫です。が、後日ここをまた歩いて、びっくり仰天しました。平日はここ、ものすごく車が多い場所です。路上駐車の間を通り抜け、道を渡るのは、命がけ!!でした。
2006年09月26日
** 59号 **アレクサンドリスキー劇場前にて
~~5月9日戦勝記念日午後のサンクトペテルブルク~~~
エカテリーナ2世の銅像の後ろ側には、アレクサンドリースキー劇場があります。ことし創立250年という歴史がある大劇場です。所属する俳優たちも大勢います。ロシア国功労俳優や人民芸術家たちも大勢です。
ソ連時代はプーシキン記念ドラマ劇場と呼ばれていましたから、その名が日本では有名かもしれませんね。1836年、ゴーゴリーが「検察官」を初演発表した劇場です。チェーホフが、この劇場で、「かもめ」を初演発表したのは、1896年のことです。その後、これらの芝居は全世界へ広がっていきました。歴史の重みずっしりのアレクサンドリースキー劇場です。
今回の旅ではぜひともこの劇場でお芝居を、できれば「検察官」を見たくって、劇場の前に立っているだけで、ウズウズワクワクしています。が、残念です。休館日が続いていて、希望は叶いそうにありません。

オレクは「冬に来れば良い」とか、横で言っています。
劇場横の広場で子どもをつれたお父さんが、写真を写しています。子どもたちがあまりにも可愛いので私もお許しを得て、撮らせていただきました。オレクがお父さんと話しています。
「彼らは、○×*▽~から来たのだって。きょうは記念日だからね」。

そうです。きょうは、この国の人たちが偉大なる強い祖国ロシアを多いに意識する、5月9日戦勝記念日です。街はどんどん人が増えてきて、空はますます美しくなってきて、みなの心が高揚してきていることがわかります。
「劇場の向こう側へ行こう。まだまだ歩くよ、大丈夫だね?」と、オレク。
「ええ、もちろん!!歩きましょう」。
2006年09月24日
** 58号 ** エカテリーナⅡすくっと立って
~~~5月9日昼ごろのサンクトペテルブルク ネフスキー大通り~~~~
空は、すっかりさわやかな高い青い色。ネフスキー大通りは、人がさらに多くなってきています。
次は、エカテリーナ2世に会いに行くこととしよう。ネフスキー通りの真ん中あたりに位置するのだろうか、オストロフスキー公園の真ん中に彼女はいました。
部下を足元にして、すくっと立ち、サンクトペテルブルクの町並みをいまも、気を抜かずに見守っているエカテリーナ2世、あまりにも有名な銅像です。

青い空に立っているエカテリーナ2世の足元周りを囲む腹心の部下、9人です。
オレクが部下たちを説明してくれるのですが、私はロシア語わかりませんから、とてももったいないことですが、よく理解できません。悔しいです。
帰国後、エカテリーナ2世とポチョムキンの往復書簡を著した 「不思議な恋文」ユーラシアブックレット№23を読みました。メールも電話もない時代の手紙の役割を振り返らせてくれましたが、なによりも、エカテリーナ2世の心身の“強さ”を教えてくれる著書です。おすすめいたします。
エカテリーナ2世は1729年生まれで、波乱万丈の人生を1796年に閉じています。当時としては長く生きました。(驚!子どもを46歳で産んでいる)。亡くなってからことしは210年。
彼女は、15メートルの高さからひとりサンクトペテルブルクと世界を見渡し、行きかう人々を捕らえ続けながら、きっとこう言っていると思う。
「あなたたちがロシアの旅とサンクトペテルブルクへ惹かれる魅力をつくったのは、私よ。よーくみてごらんなさい。私が、いま生きるあなたたちへと残したものを、とことん堪能していきなさい。この街は騒いで通り過ぎる街ではないのよ!!」
「はい、謹んでそうさせていただきます」と、思わず応えてしまいました。
2006年09月14日
**57号 ** カザン聖堂 つづき
~~~5月9日、サンクトペテルブルク ~~~
いまこれを書いているのは、暑さもやっと収まった9月のこと。5月の2週間の旅から、わずか4ヶ月しか経っていないのに、もうずっとずっと以前のこととなってしまい、記憶もときどき消えている…。消してはならない記憶を補完するためにと、写真や記録帳は旅人の必携品で、できるだけ記録したはず。でも、記憶は消えていってしまう。
カザン聖堂の天井に咲いている花は、ずっとアカンサスの花をデザインしたもので、柱群の頂にあるアカンサスの葉と対になっているものと、思い込んでいました。この、通信を書くにあたって、あちこちのサイトを探したりして、その思い込みに確信を得ようとしたのですが、どうも、自信はありません。
56号掲載の写真、天井の花のデザインは、どう見ても菊科の花ですよね。マーガレットみたい。アカンサスの複雑な花型をどうデザインしたら、菊模様に似せることができるのかと、自分に突っ込みを入れてしまいました。
柱群に圧倒されて、その上部からあふれるアカンサスの葉の盛りの良さに圧倒されて、堂内の天井に咲く花に、また圧倒されて。
堂内の柱群にも咲く花があったと記憶しているが、これはアカンサスの花だったかもしれない。
カザン聖堂は、19世紀のはじめの建築で、当時芸術アカデミー総裁のストロガノフ氏がその指揮をしたとあります。ローマのサンピエトロ大聖堂をまねたとも。
サンクトペテルブルクを造る当時、ときの権力者は「この町を外国の美しい町に似せてみよう」と、町並みに、水の流れに、建築に、それらを取り入れ圧倒させて権力と金のチカラの偉大さを、見せ付けたのでしょう。建築当時は、どれだけきらびやかであったことだろうか。
歴史は流れて、ソ連という時代には、否定された宗教のために、いやあ、宗教だけでなく「美」そのものも施政者の思惑がらみで、ゆがめられていたかもしれない。教会は、破壊されたり、軍事倉庫や貯蔵庫などに使われたり、宗教否定の展示場ともなっていたそうで。だれもそれを否定しなかった時代が、歴史のなかであったことは事実です。
美を美として認めない、認めさせない、そういうゆがんだ時代は終えるときが来て、美を取りもどす勢いが復活しました。だれがなんと言っても、「きれいなものは、きれい。気持ちの良いものは、だれもが気持ち良い」のです!
ロシアの大地に生きる、人々の長~い歴史の間に植え込まれた熱い信仰心、抑えられていた彼らのDNAがみごとに復活して、いま教会群がどんどん、美しく輝きを取り戻しました。
カザン聖堂、あまりにもあったり前にネフスキー通りにあって、あったりまえに目に飛び込んできて、なぜか通りすぎてしまう寺院のようです。が、サンクトペテルブルクへお寄りの際は、いま一度じっくり見てやってください。
柱群からあふれるアカンサスの葉、彫刻群、天井の花々……、くれぐれも、聖母子のイコンにKISSをする正教徒のみなさんのお邪魔にならないように。
2006年09月12日
** 56号 **花咲く カザン聖堂
~~~5月9日 サンクトペテルブルク カザン聖堂へ~~~~
カザン聖堂、まだサンクトペテルブルクを訪問されていない方も、きっとどこかで写真などでご覧になったことがあると思います。
にぎわうネフスキー大通りに、両手を広げて包み込んでくれるような、でもどこか高尚な気高い気配も感じる黒茶色の寺院、カザン聖堂です。
「カザン聖堂」のHPの写真集をどうぞ、ご覧ください。 リンク先HPは、毎日更新されているようで、その時間中は「つながりません」です。
▽ ▽ ▽
朝兼昼食で満足して、「さあ、歩きましょう。では、最初は目の前のあのカザン聖堂へ」と、オレクと、ネフスキー通りを渡ります。さあ、オレク歴史民族学博士の出番です。
もう何度も目にしていて、かなり近づいてもいるのに、いままでカザン聖堂内に入る機会はありませんでした。
並ぶ回廊の柱群の均整のとれた美しさに圧倒される。当然、ロシア語で説明をどんどんしてくれるオレク。ううむ、ロシア語の理解チカラが欲しい。特にこの回廊を建築美で説明してくれています。
柱の溝彫りも美しいのですが、上を飾るアカンサスの葉の彫刻群もこれまた盛りが大きくて、なんとも美しいこと。
堂内は撮影禁止です。ロシア正教徒たちの祈りの場所は、静かにそっと堂内へ入れさせていただく気持ちで。まあ、一歩入って、その美しさにまたまた圧倒されて、なにをどう見たらよいのかさえわからなくなりました。
天井に花が咲いているのです。壁にも咲いていた記憶です。花?これ、アカンサスの花を模しているのでしょうか?

↑この写真は、聖堂の外側の中心上部に飾られているイコンと周りの彫刻群です。私たちには菊の花に見える多花弁の花、アカンサスの花かな?ここでは大きくデザインされていますが、堂内ではもっと小さく、デザインされた升目の中にひとつずつ入って、それが天井を覆っています。だからでしょうか、どこかちょっとだけ東洋の香りもして、私には、「うむロシア正教会かな?それとも、奈良のお寺かな?」と迷わせてくれるような気持ちでした。
そして、この写真からもお分かりいただけるかと思いますが、植物群がたくさん彫り込められています。
だから、カザン聖堂は、花咲いている聖堂と写りました。
オレクは、「ソ連時代は教会ではなかった。とてもひどいものだった。いまは、復活してきたからね。ほら、こんなに人が集まって、あちらにあるイコンはとても貴重なものだよ」。と、こんなことをおっしゃったようです。その貴重なイコンには近づくことはできませんでした。
ただただ圧倒される美しさに翻弄されていました。花咲くカザン聖堂へは、次回も訪問させていただきます。そのときは、ろうそくをお供えさせていただきます。
2006年09月09日
**55号** 朝兼昼食事はたっぷりと
~~~~5月9日 ネフスキー大通りで ~~~~
買い物の食料品などを冷蔵庫に入れて、すぐに街へ出発しようとすると、オレクとガリーナさんがなにか地図を見ながら話しています。ガリーナさんの紹介の旅行会社へ私の滞在登録のために出かけねばなりません。が、きょうは休日です。「明日行こう」。
地下鉄に乗って、繁華街へ。このときは地下鉄があまり混んでいないし、オレクがいたのでぼんやり乗っていたし…、あとあと起きる地下鉄での驚きは、予想もできないことでした。
ゴースツヌイドヴォール駅を降りると人が多くて驚きました。みんな休日のそれも特別な休日のために繁華街へ集まってきた人たちで、大混雑です。軍服姿の青年たち、おしゃれをしたご婦人たち、若い娘たちのにぎやかさ、それぞれのグループはうれしそうにしています。

まずは、「空腹だから食事をしたい」と私の願いをかなえていただくために、小さい軽いレストランへ入りました。ネフスキー通りに面して、店内は中国風の飾りがあって、壁が鏡でとても広く見えるけれど、さほどの広さではないレストラン、すでに何度も来ています。
よく考えれば、考えなくとも私の体が訴えています。昨日からまともに食事をしていませんから、空腹でたまりません。
オレクは「ブリヌイかい?それともスープと肉料理かい?」
「いいえ、まずサラダとワインね」。ここはサラダバーで、好きなサラダを一皿の量、選べます。トマトや豆のサラダです。好きなものを好きなだけ食べることが大事です。
メニューで目に留まったのが、ペンネです。好きなのですね、このごつさが。注文すれば、かなりの量ですが、それをぺろりと平らげました。もちろん、サラダも。グラスで注文した赤ワインも美味しくって。
呆れるように見ているオレク。またまた私の大食漢に驚いたよう。日本でもいっしょにたくさんの量を食べましたからね。
「ああ、美味しかった、元気になりました!!」。
旅は体力です。旅の途中では、食べるタイミングを失したり、食べたいものに出会わないなどもありますから、食べることができるときは、しっかり食べておくことが大事です。
水分もできるだけたくさん摂取すること。いまは水も豊富に売っていますから、あまり心配しなくとも良いですが、乾いた街を渇いたのどで歩くのは疲れます。
そして、トイレです。飲食の後、トイレを見つけたとき、すぐに用向きではなくとも、こうして気をつけておくと、困って苦しむことが減ります。
戦勝記念日でにぎわうネフスキー大通り。
これからの長い時間、私はこの通りと交わる小通りも歩き回りました。とても元気に歩きました。昨日夜は、早くよ~く眠ったこと。食事をしっかり摂ったこと。トイレも済ませたこと。水分を気をつけていたことなど、旅の体力は十分です。
**54号** 自炊生活なので。
~~~5月9日サンクトペテルブルクの午前~~~~~
ガリーナホテルと私がよぶガリーナさんの住まいの1室を借りて、台所、トイレ、お風呂、テレビなどは共有です。だから、ガリーナさんとも、他のお部屋の人たちとも、仲良くしなければなりません。
「まあ、早く到着したわね。きょうは記念日だから、荷物を置いたら街に行くのでしょう、とても面白い一日よ」と、ガリーナさん。
オレクにトランクを運んでもらって、私は街に出る用意をちゃちゃっとして。街に出る前にどうしてもオレクに手伝ってほしいことがあります。
1月もここに泊まっていました。台所が自由に使えるのですが、食材とか飲み水は自分で用意しなければなりません。1月は、買い物の場所もよくわからず、時間もなかったので、結局自炊らしいこともせずでした。
今回は、自炊もしたいですし、ここでのんびりする時間も欲しいです。

(ある日こんな料理をつくりましたよ)
「オレク、買い物に行きたいのです。水、果物、肉、パンなどを買いたいので手伝ってほしい」と、私。
「ああ、良いよ。マーケットは近くにあるかな?」と、オレク。
「トロイツキ聖堂の前にマーケットがあるわよ」と、ガリーナさん。
少し歩いて、外から見ただけではマーケットとは、わからない普通の建物の中にある、最初は小さいと見えたら、奥がぐっと広いマーケットでした。
入り口には「ダーチャでシャシリク(串刺し焼肉)をしましょう、売り出し中」で、炭、肉刺し鉄棒などのシャシリクセットコーナーがあります。
トマト、きゅうり、オレクおすすめのスメタナ(サワークリーム)、かなり肉厚のハム、マヨネーズ、パンやお菓子などいろいろ。ジュースはモルスとよぶロシアベリー系果実絞り(これ覚えておいてね、後に話題となります)。水はやや重いサイズ、「ビールはどうする?」「もちろん1本買います」などと、買い込みました。
荷物持ちは男性の仕事で、私は手ぶらで、ルンルンとしてホテルに戻りました。
途中、重い水をおろして汗を拭くオレクは、「日本人の男は、荷物を持ってくれないだろう」と、日本生活2ヶ月の体験から、真実を言って、笑いました。
2006年09月08日
**53号** 一番めの雨
~~~5月9日 サンクトペテルブルクの朝~~~~
私は早朝から奮闘しているので、もうすっかり長い一日なのですが、世間ではまだ朝も早い午前9時半ごろの空港です。でも、出迎えの人もそれなりに居て、タクシーの客呼びさんもそれなりに仕事しています。
オレクとの再会は、1月以来のことなので「わあ~久しぶり」というより、「また会いましたね」が、正しいみたい。でも、名古屋とサンクトペテルブルクの距離を思えば、再会はうれしいです。
オレクはしゃべりづめ。
「飛行機早く着いたね。僕も空港に早くついて、散歩でもと思っていたら、『モスクワから』とか聞こえて、ああ、早く来て良かったよ!タクシーが予約してあるよ。でも、まだ時間じゃあないから、待ってね。その前にトランクを取って来よう。ああ、あの赤いトランクかい。新しいじゃあないか、そうか新調したのかい。レナは、親戚で用があってきょうは会えないよ。彼女とても忙しい。ジーマはね、モスクワのオバサンが亡くなって、モスクワに行っているよ。たぶん、きょう帰ってくると思う。きょうはね、戦勝記念日だから、あとでパレードを見に行こうね。空腹かい?モスクワでは何食べた?また、ブリヌイを食べに行こう。そうそう、メンシコフ宮殿に行こう。僕の教え子が働いているから、案内してもらうよ。ところで、どこへ泊まるのかい?前と同じところかい?地図とか持っているかい?」
みたいに、わたしになにもしゃべらせず、オレクの独壇場。
「ああ、ガリーナホテルの地図はねェ……」とバッグの口を開けると、オレクがバッグを覗き込みます。まるで父親が子どもの持っているバッグを覗くように。
「オレク、だめ見ちゃあダメ」。あわてて私から離れて、
「ああ、ごめん。僕の娘かと思っちゃった。レディのバッグを覗いてしまって、失礼しました」
おいおい、私はあなたの娘ですか。ならば、オレク、あなたは何歳ですか(大笑)
ホテル地図を渡すと、手にして「タクシーを見てくるよ」と、走ってタクシーたまりのところへ飛んでいきました。やっとサンクトペテルブルクでの第1回目深呼吸をして、空を見ればまもなく雨が落ちてきそうな気配なグレーな空です。
オレクが戻ってきたら一台のタクシーがやってきて、大型体でおひげの運転手サーシャが、「おはよう、日本からおいでのお嬢様」。おほほ、そうですよ。
車に乗り込むと、運転手が「僕は日本にとても興味があって日本人のお客様が大好きだよ。昨日も日本人を乗せて○×*★○へ行った」と言い出して、オレクもまた、彼に「僕は日本に行っていたのだよ」と話し出し、ふたりのにぎやかなやりとりをぼんやりと聞いていました。道はそれほど混んでいません。ところどころ工事をしています。
「サミットの準備だよ。僕たちの街はどんどん変わっている」。
と、雨がさっと降ってきました。あらまあ、雨の戦勝記念日パレードかしら。車のワイバーが懸命に働きます。一瞬、ざあーと降ったら、ピタッと止みました。
「ああ、一番目の雨だねえ。きょうは良い天気になるよ。素晴らしい記念日だよ、お嬢さん」。
一番目の雨、朝の通り雨。晴天を呼ぶ雨。
「きょうは、街を歩こう。気持ちが良い晴天になるよ。すばらしい一日になるだろう」と、オレク。
車は、雨上がりの街の、印象的なトロイツキ聖堂を曲がり、ガリーナホテルの前で止まりました。
2006年09月02日
**52号 ** 激速 到着 !!
~~5月9日 モスクワ→サンクトペテルブルクへ ~~~
モスクワの朝はやや涼しくて、セーターの上に薄手のコートを羽織り、冬用のパンツを履きました。寒いほどではないけれど、どこかまだ寒気が居残って、「いつでも出て行きますよ」と言っているような、そんな日です。空はどこまでも青いのですが。
最後の客で乗り込んだ飛行機の席につくなり、私は、午前4時半からの3時間半の激戦に疲れて、ふう~と大きく深呼吸をしました。機内は満員。ほとんどがビジネススタイル。隣にだれが座っていようが関係なく、深呼吸に続けてぼ~~とする。すぐに飛行機は飛び立ち、ぐんぐん上昇していきます。
上昇とともに、ふつふつと、さきほどの500ルーブル事件が腹立たしい、これも上昇気分になってきます。真面目に正直に、なんの悪意も持たず、3人の子を育て、つましく生きている市民から、なんで金を巻き上げるのですか!!
「どこへ行く?」と、問われたシューラは、「飛行機に間に合わない」と応えてしまい、それが良いネタになって、おまわりAとKは、「飛行機に遅れたくなければ、金だね」とでも、言ったのです!!できるだけ穏便に終えたかった彼は、しかたなく1枚だけ持っていた500ルーブル札を差し出したのです。まったく!
機内では軽食とオレンジジュースが配られます。むしゃむしゃとゴクリと飲んで一息をつくと、すぐに片付けにきて、すぐに「まもなく到着です」のアナウンスです。
8時15分モスクワ発で、9時55分到着予定、なのにナント9時17分です。1時間で飛べるのだ!(そういう機種に変更されたのでしょうが、きっと)。
サンクトペテルブルクの空は、曇っています。予定より早く着いてしまい、迎えのオレクは果たして居るのでしょうか?飛行機を降りるとすぐに出口、国内移動だから、諸手続きもありません。出口のところで待つ迎えの人たちの中で、背が高くひとり目立つ男性がいます。
「うわあ~オレク!!」「PRIVET !!」
エッ?オレクはだれか?では、こちらを。
今回も、私はこの3人と遊ぶのです。楽しみです。わくわくします、どきどきします。すっかり500ルーブル事件はかなたへ行ってしまいました。
2006年09月01日
**51号** 町歩きはこの本を読みながら
~~~5月9日 サンクトペテルブルクに到着、 の前に ~~~
サンクトペテルブルクはことし1月、寒い季節に歩き、今回は同じところの春を見てみたい。これが目的です。
参考の図書は、中公新書「サンクト・ペテルブルク よみがえった幻想都市」小町文雄著 です。この本を持って、たくさん歩くこととしましょう。
私がはじめてサンクトペテルブルクを訪れたのが、1997年6月。その後、99年、2000年夏、02年冬、05年夏、そして06年1月に続けて、5月。今回が7回目なのに、いまだもってほとんど街の様子がわからないから、歩きながら少しでも街に近づきたいと思っています。
前述の著者・小町文雄さんは書の中で、「日本人の多くがこの町を『サンクト』と呼ぶようになった。サンクト・ペテルブルクでは長くて発音しにくいからと、後半をはしょってしまったのである。(中略)私は、こんなヘンな日本式略称を使うのはいやなので、ロシア人のように『ピーテル』とよばせてもらうことにする」と、書いています。

小町さんに異を唱えるのではありません。少ないですが、私の知っているロシアの人たちが「ピーテル」とよぶことを聞いたことがなく、言っているのかもしれないですが、私は聞こえません。私に聞こえるのは、いつも「サンクトペテルブルク」です。
私は、この素晴らしい街と、街を誇りに思う人々に敬意を表して、ここでは「サンクトペテルブルク」と表記させていただきます。
2006年08月30日
**50号** 早朝のモスクワ おまわりに怒 2
~5月9日早朝のモスクワ・シェレメチボ空港への道 晴天 ~
このつづきです。
斜め前のややおんぼろパトカー(モスクワの町を走っているパトとは違っていたと思われる。覆面パトだったのか)に、シューラ運転手は乗せられてしまいました。ロシア功労俳優とおまわり(敬称略)AとK、大、それも特大の男3人が、静かになにか話し合っているのが見えます。
私は、車の中で待っているだけ。きれいな晴天の空を見ていたり、住宅街の木々の芽吹きはじめた緑を見ていたり。
いっそう日本語で、「なにやっているのですか!早く行かないと飛行機に乗れないよ」と言いながら、あの車のドアを開けてみようか。とは、さすがにまったく思いません。なにをやっているのか?は気になっていたのですが、あまり緊迫感というか緊張感はわかず。ただ待っていただけです。
どれくらい待ったでしょう。ずっと男たち3人は、静かなのです。5分は過ぎました。もっと過ぎたと思われる。
パトの後部座席のドアが開いてAが降りて、同時にシューラも降りて、すぐに自分の車つまり私の隣の運転席に座り、「フショー」と聞こえました。
車を発進させるとき、Aは軽く手をあげてシューラに送ったようですが、シューラは無視していました。それを見て初めて、「おっ、これはなにかトラブルがあったのだ」と気がついた私です。
ずっと黙っているシューラ。車は、最初にUターンする前の道、つまりホテルを出てからずっとまっすぐ走ってきていた道を走ります。
急にシューラが話し出しました。
「500ルーブル取られたよ」
「はぁぁ~~~?」
「『署まで来てもらおう。書類を書いてもらおう。きょうは休日だ』と言った」
「はぁぁ~~??」
「飛行機に遅れると言ったら、金はあるかと言った」
「はぁぁ~???」
「金をここへ置けと言った。1000ルーブルとか言ったが、『無い』と言ったら……」。
「ここ」とは、車の座席と座席の間を指しています。おまわりは手を出さず、「ここ」にお金が置かれたのだという、言い訳のために「ここ」を指してたのでしょう。
はじめてシューラは、ものすごく悔しい気持ちをあらわにしました。
「あいつら…!!」とでも言ったようです。
500ルーブル(約2000円)は、男ふたりが郊外の町で、昼飯を満腹食べることができるくらいのお金です。
「どうして??」
私は車のルールをいっさい知らない。運転免許も車も持たないので、車に関することは一切わからないから、どうしてシューラが、つかまったのかもわからない。
「僕は、Uターン禁止区でUターンをした」と、ハンドルの片手を動かしながら私に言ったようだ。違うかもしれないが…。いずれにしても、なんらかの反則をしたと、おまわりらは、言ったのだろう。
しばらく無言の運転手。
500ルーブルは昨夕、シューラの家で話題になっていた金額。「モスクワは、もうなんでもどんどん値が上がる」とシューラママが言っていた。なにかが「500ルーブルでもうびっくり」で、しばらく「500ルーブル」話題だった。きっとシューラもそれを思い出しているのだろうと、思う。
まるでおまわりに500ルーブルを渡すためにUターンで戻ったみたいと、思ったが、それは言わない。
どんどん走って、でもずっと車の数は少なく、走りやすく空港へ無事に着いたのです。
あまり余裕の時間はないけれど、どうしてもいっしょにお茶を飲んで、シューラの気持ちを治めなければなりません。喫茶店で紅茶と軽いケーキを注文して、やっと絵顔が見えはじめたシューラです。
「また僕たちは日本へ公演に行くから、ベリャーコビッチ氏はいつも用意しているよ」
「そういえばベリャコビッチ氏に会わなかったわ」
「彼はいつもずっと先のことを準備している。いまはニジニノブゴロド市へ行って、次の公演の準備をしているよ」
「彼が元気になってよかったね」
「今度はどんな芝居をつくるの??」
「チェーホフかな?『ハムレット』も日本で公演したいな。『結婚』も『オセロー』も」。
やはり芝居の話をすると、にこやかになります。
ああ、時間が……。ばたばたとチェックインカウンターへ。
「またね。電話するよ~!」と、手を振りさようなら。
「サンクトペテルブルク行き乗客は早く、来てください!!」と地上乗務員の声。
ガラスの向こうのほうに居るシューラに手を振って、私は走って飛行機へのバスに飛び乗ったのです。
外は絶好の飛行機日和。
さあ、まもなく、サンクトペテルブルクです。
◇◇◇***
読者のみなさまへ。
5月2日から16日帰国の私の一人旅。モスクワ編は終わろうとしています。最後のこの「500ルーブル」事件だけが、大きなトラブルだったかしら?あとはなにもなく無事に、幸福に、過ごすことができました。
さあ、これからは、サンクトペテルブルク編です。また、いろいろと幸福がいっぱいありました。はじまりは、5月9日の戦勝記念日からです。
2006年08月28日
**49号** 早朝のモスクワ おまわりに怒 1
~~~~5月9日 早朝のモスクワ ~~~~~
昨夕のことを少しご報告しておきましょう。
ワインを少しいただいたら、もう眠くってたまりません。あんなに空腹だったのに、あまり食がすすみません。なのに、シューラもみなさんも「さあ、もっと飲みなさい」「ほら、もっと食べなきゃ」と、すすめます。もうタイヘンです。
しかし、どうも気分がさえないのでシューラに伝えました。「わかった、じゃあホテルへ送っていくから」。その言葉でちょっと安心と、とても申し訳ない気持ちでシューラの家族とは早めにお別れです。
またすぐに会えそうだから、別れのあいさつではなく、「また、明日ね」と言って、笑顔で再会を誓ってきました。
車に乗り込んですぐ、「明日は空港へ送っていくから、朝6時、ホテルの前に荷物を持って待っていなさい」と、シューラ。
「いいえ、いいです。朝早いから、タクシーで行くから」。
「出迎えに行ったら、送っていくのがロシアの決まり。朝6時だよ。遅れないで」。
もう眠くってたまらず、ホテルの部屋にもどるなりすぐに眠ってしまいました。
「荷物はトランクに入っていれば良いから、朝、全部片付けよう」と決めて、なにもかもそのままで、まるで死んだように眠ったようです。でも、生きていたので、早朝5時前に目覚めて「ああ、よく眠った」と満足して、「さあ、片付け、荷物つくりだ!!」と一気に荷物を作ったら、約束の6時は、すぐやってきました。
○ ○ ○ ○ ○
9日、きょうはロシアはとっても大事な記念日で休日です。「戦勝記念日」です。町は静かです。驚くほどの静けさです。早朝ということもあるでしょうが、車がほとんど居ません。サンクトペテルブルクへの飛行機は、モスクワ・シェレメチボ第2空港を午前8時15分の出発です。
ホテルの外へトランクを出して、顔をあげるとシューラの車がやってきました。
「おはよう!どうだい?頭痛は治ったかな?」
「もう大丈夫、昨夜はごめんなさい」
シューラは荷物も私も車へ押し込むようにいれると、「朝だから車は少ないが、空港は込むから、すぐ出発だ」。国内線空港へ急ぎます。
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車は静かな道をブンブン飛ばします。
道はどこまでも続いています。
道案内の看板も、CM看板も面白いです。
と、シューラ車を止めます。
「ちょっと待って。あれ??地図を見なくちゃあ」。
もう、何度も通っているはずなのに、どうも道に自信がない模様です。地図帳を見て、あたりの景色を見て、ハンドルを取ったかと思ったら、Uターンをしました。あれ??
少し戻って、住宅街の中でまたUターンです。と、目の前に止まっているパトカーがいます。住宅街のT字路みたいなところで、ひとりのおまりさん(仮にA)が外にいて、もうひとり(仮にK)がパト運転席にいて、止まっているのです。と、Aが、手を振りました。シューラは静かに止まりました。そして、静かに車を降りました。それがあまりにも静かなので、私はてっきり、「ああ、道を聞きに行くのね」と思ったのです。
と、シューラは、パトに乗るようにAに指図されているように見えます。Aは、私をちらりと見ました。
シューラはKの隣助手席、後部座席にAも乗り込んでいます。シューラはなにやらおまわりさんに拿捕されてしまったもようです。が、実のところ私には様子がさっぱりわかりません。
エッ~~~、私はサンクトペテルブルク行き飛行機に乗れるのでしょうか?
シューラは無事にここへ戻ってきて、運転ができるのでしょうか?
**48号** ロシア国功労俳優証明書
~~~5月8日午後、モスクワ、俳優シューラ宅にて ~~~~
俳優シューラの家には、もう何度も訪問をしています。モスクワではごく普通の、集合住宅1階の家。
前の訪問のときから変ったのは、台所の天井から吊り下げ道具で小型のテレビが設置されていることです。地震国日本では見るからに「危ない」テレビの置き方ですが、こちらは地震がないので、これも普通の置き方。
妻のターニャは「このテレビ、古いけれど大事なテレビなの。私はいつもいつも台所にいるでしょう。だからテレビをここへ持ってきたのよ」と、笑いながら言います。
すでにリビングにはテーブルもセットされ、シューラのママとその姉のナージャさんもお待ちでした。キルギスからやってきたナージャさんは「キルギスと日本は仲良しだから、あなたと私は仲良しよね」と、歓待してくださいます。日本の普通のおばさんみたいです。ちょっと体躯は大きいけれど。

(真ん中がナージャさん)
さっそく、テーブルについて、長男アリョーシャの誕生日会がはじまります。シューラのお言葉があって、続いてみなで「おめでとう!!」
アリョーシャは会うたびに大人になり、青年に成長していっています。ことしの9月からは、単科大学への進学も決まり、シューラもとても喜んでいます。
「さあ、食べなさい!」
「さあ、飲みなさい!」
ママ手作りのキルギス風ピロシキとぺリメニがどっさり。ターニャの3種のサラダもどっさり。どこ産のものかはわからなかったが、美味しいワイン。
ところが、私は頭痛~~!!
シューラがナージャさんと私に「お見せいたしましょう」と、棚から赤い小箱を下ろしました。
「僕はロシア国功労俳優(Заслуженный артист России ) になりました!!」


ナージャさんは、とてもうれしそうです。シューラママも、とても優しいまなざしでご自慢の息子を褒め称えています。もちろん、俳優シューラは、誇り高く、証明書と記念のメタルをご披露してくれました。それを見ながら、ナージャさんがシューラへ、かなり長くお祝いの言葉を贈っています。が、私はそのロシア語わかりません。シューラとママの瞳に涙が潤ってきました。ナージャさんの言葉の締めのひとつは、わかりました。「シューラ、たくさんの良い芝居をつくってね」。「俳優の君の幸福が、私の幸せだよ」。
2006年08月19日
** 47号 ** ああ、買い物
~~~5月8日午後、モスクワ南西部のショッピングセンターにて ~~~~~
オリガと別れるとすぐに、シューラの車へ。車では、長男リョーシャとパリーナちゃんが待っていました。リョーシャへ「誕生日おめでとう!!」と伝えると眠そうな顔で「ありがとう」。その顔は、仲間との誕生パーティで昨夜は遊んできましたね。
シューラが「オリガとなにか食べたのかい?僕の家では、サラダやピロシキやぺリメニとワインもあるからね」。「何も食べなかったよ」。
「ハラショー」で、車はちょっと走って、ショッピングセンター街の駐車場へ到着です。
買い物のスタイルは人それぞれですよね。私は荷物持ちはいて欲しいけれど、要るものを自分で決めてチャチャと買えば、それで終わり。自分の買い物に付き合ってもらうことも、人の買い物のお付合いも、あまり好きではない。特に、「あれが良いだろうかこれはどうだろうか」と迷う人との買い物は、とても嫌いです。「君はどう思うか?」と問われるのも応えられずに困ります。
シューラはというか、彼らの年代のロシアの人たちは、買い物にとっても慎重です。だから、シューラとの買い物は、私は、実は嫌いです。
日本でもモスクワでも、一緒に買い物をしたことは何度か経験していますが、時間がかかるのです。例えば、腕時計を買うとします。彼は欲しい腕時計の強いイメージを持っています。
まず1軒目のお店。イメージに合うものがあれば、今度はそれをくまなく調べます。店員にも聞きまくりますし、自分で手にして納得がいくまで吟味します。
「他の店にももっと良いものがあるかも」と、気に入ったものを一旦手放します。
他の店に行きます。そして、気に入らないと、また別の店にも行きます。「うむ、こんなものがあったのか、どうしようかな?こちらも良いけれど、さっきのあれも良かったなあ」と悩みます。
「もう一度、前の店に行ってみよう」と最初の店に戻ります。
最初に気に入ったのを再度手にして、「これは良いものだけれど、さっきのも魅力的」と悩みます。
「君はどう思うか?」
困ったものです。私の買い物ではないので、そのように意見を求められても、私は困るのです。が、なんらかを言わねばなりません。「そうね。さっきのほうが色がきれいだった」とでも言いましょうか。
「じゃあ、さっきの店に戻ろう」。
と、まあこんな具合な買い物シーンです。
「お金を使うのならば、納得満足のいく物にお金を使うこと」が彼らのポリシーです。
いわゆる「安物買いの銭失い」や「無駄使い」「結局要らないもの」など、そんな買い物をしないように、とっても慎重です。だから、思い切り時間がかかります。お付合いは疲れます。
きょうは、私は頭痛があるのです。足取りも重くなりますし、いらいらもしてしまう、そんな買い物でした。
モスクワの「秋葉原」と彼がよぶ電化製品ショッピングセンターは、日本のそういうお店と同じです。ないものはない、なんでもある店がいくつもいくつも並んでいます。シューラたちと離れて、パソコンショップでずらりと並ぶパソコンを見ていると、店員が「いかがですか?質問になんでも答えます」と私の顔をみて、続けて「日本人ですか?日本のHITACHI に友だちが働いています。僕も一度東京へ行きたい。大阪もありますね」などと、すっごくうれしそうに、ロシア語で語ってくれます。
「私のパソコンはHITACHIですよ」と言おうかな?と思ったけれど、いまはこういう会話エネルギーもやや萎えていますから、にこりと笑っただけの無愛想日本人を演じました。
時間をかけて満足いく買い物ができたので、彼らはニコニコです。私は空腹と歩き回った疲労感とやはり、まだ頭痛がズキズキです。でも、彼らに悟られまいと、にっこりを演じます。

※買い物は時間がかかってメンドウですが、俳優シューラは愉快です。
** 46号 ** 通訳で伝える芝居のこと
~~~ 5月8日昼 モスクワはくもり ~~~
セーターを着るほど寒くはない。でもセーターなしではちょっと寒い。着るものに悩ましい日です。この後もセーターを着たり脱いだりしていました。
シューラにオリガのことは昨夜に伝えてあり、彼も「NHKの知り合いを持ちたい」と言っています。
「ぼくは3月日本へ行っていました。日本で、「マクベス」と「巨匠とマルガリータ」の公演をNHKは録画していました」など、まったくの営業顔でオリガと話すシューラです。
せっかく通訳がいるのですから、私がこの間に見た芝居の感想などをシューラへ伝えてもらいましょう。
「『巨匠とマルガリータ』が、ちょっとおとなしくなったみたいですね」と、伝えると、シューラは「少し俳優たちに慣れがあるかもしれません。僕たちの自信作ですが公演回数も多く、俳優のテンションが落ちてしまうときもあるかも」と残念そうな顔で応えました。
「『夏の夜の夢』が若い舞台となっていましたね」
シューラは、今度は笑顔で「若い俳優が多く入ってきました。芝居はいつもそこに留まっているものではなく、いつも前進をしていくものと思っていますから」。
通訳がいて、外国からやってきた観客が俳優に感想を伝えることは、俳優と劇団のためにも、とても大事なことです。私のロシア語では、伝えらないことがいつも悔やまれるので、今回は、すっきりです。ありがとうオリガ!!
オリガと再会を約して、ホテルのロビーで別れました。またすぐに会えることでしょう。きっと。
2006年08月18日
** 45号 ** オリガとの再会
~~~~ 5月8日午前 やや冷えているモスクワ ~~~
モスクワに到着して、6泊目の朝の目覚めは、さわやかとならずやや重い気分で、窓のカーテンをあけたのでした。室温もいつもより低く、あわててパジャマの上に1枚を重ねて、洗面台へ。顔色も冴えない。
昨夜、あの日本酒もどきの悪口を言ったので、たたりか?はたまた、寿司の食い意地の後遺症か?
きょう午前中は、万博ロシア館通訳として知り合いお世話になった、オリガとの再会の約束です。午後は、買い物へ行ってから、シューラの家におよばれ、それともうひとつと多忙です。
そして、明日は早朝、サンクトペテルブルクへ飛行機で移動です。早朝とは、8時には空港にいなければなりません、逆算していくと、6時にはホテルチェックアウトですか。ああ、早いこと!
そんな緊張感いっぱいで、あまり食欲もないけれど、ホテル下のレストランで朝食です。きょうが最後かと思えば、別れの悲しさで涙が……、なんてことはいつもいっさいありません。「また、いつでも来ることができる」と思っていたほうがどれだけ楽しくなるか、それは旅のリピーターとして実感していることです。
いつでも「また次がある」と夢と希望と期待と展望を持って歩いていたほうが、楽しめます。
レストランもいままでになく、やや寒く感じるので、きょうはいつもより厚着をしなければならないようです。
約束の時間、オリガはご長男を伴ってホテルロビーに現れました。やはり、モスクワの景色にしっかりなじんでいるモスクワっ子ですねえ。俳優シューラが日本にいるときよりも、モスクワで見たほうが、穏やかな顔であると同じく、オリガも万博で見ていた彼女とは別人と思われるほど、優しいお顔です。
たしかに万博のアテンダント通訳は、超多忙でしたね。マスコミ取材・観客の対応・ロシア人アテンダントの世話・館内の雑事の日本人とのやりとり・休日の提案や準備や采配や、日本人との交流とかも……。オリガの場合、すでに日本での生活体験もある超ベテラン通訳だから、軽々とこなしていただろうけれども。でも、時にはお疲れでマイっていたときもありましたね。当然でしょう。
再会のあいさつ後、「さあ、車に乗ってください。長男の事務所がこの近くですから行きましょう」。車の中で、彼女は「日本から帰ってきたら、仕事はたくさんあって、休む間もありませんでした。特に、2月ごろから4月まで、チェルノブイリ関係取材や極東取材があって、いつもどこか出張でした」。NHKモスクワ支局通訳が本業の仕事で、ソ連崩壊前からNHKで働いているベテラン通訳のオリガです。モスクワから日本へ送られてくるロシア報道のウラには、オリガあり、でしょう。

長男が起業して大きく営んでいる、住宅床材販売会社。塗装のための薬剤の匂いが鼻に飛び込んできましたが、広いスペースといくつもある部屋は、順調な経営状況がわかります。落ち着いた白い内装の部屋で、長男氏が煎れてくれた美味しいコーヒーをいただきながら、あれこれと会話です。
この事務所の広い余裕のスペースは営業拡大にも十分対応できるゆとりがあり、「業界競争相手がたくさんいるから厳しい」とか言いながら、かなりやる気強気の経営者長男氏です。
事務所のロビーには、長男の友人という陶芸家の作品を展示しており、「日本で個展を開き、販売をしたい」から「どうですか、開いてくれませんか?またはどなたか紹介してくれませんか?」
「うむ、陶芸作品は日本人かなり厳しい眼を持っているので……」と、オリガの通訳で長男氏に伝えたら、「だから陶芸の本場日本で、ロシアの作家作品と、展示宣伝販売をしてみたい」。そのかなりの強気は、歓迎ですが、私はかかわりません。
作品の一部


「お気にいったものがあればおひとついかがですか?日本へ持っていけるように包みますが」。かなりやり手の長男氏。
「旅がまだこれからも続くので、また次の機会にでも」。と、残念ながら、私の購買意欲はわかない。このころから、きょう一日を悩ませてくれた私の頭痛がはじまっていたのです。
限られている時間であわただしく、すぐにホテルまで送ってもらい、オリガに俳優シューラを紹介したくって、ロビーでシューラがやってくるのをちょっと待ってもらいました。
やってきたシューラの第一声は、「昨日は薄着だったけれど、きょは厚着だね」。私のセーターを引っ張ります。
2006年08月11日
** 44号 ** 僕の欲しいもの 2
話しが前後して申し訳ないのですが、この旅に出る前に、シューラにメールを送り、「日本からのおみやげはなにをご希望ですか?」と尋ねました。
その応え。
1)Зелёный чай с жасмином.
ジャスミン茶が大好きなのです。モスクワでも買えるのはずですが、どうも日本で美味しいものと出あったようなのですが、どこのどんなものかは、わかりません。きっと中国系のジャスミン紅茶ではないかと思われますが、今回は、沖縄さんぴん茶の茶葉を試しに持っていきました。いまだ、味わいの評は聞いておりませんので、聞いてみようっと。
2) Рыба(консервы)
これは毎度おなじみの魚の缶詰です。もう毎回のご指名にあづかる福井県のある魚屋さん製造の「鯖の缶詰」がお気に入りです。「できるだけたくさん運んできて!」ですが、私の都合で数に制限ありです。
3) Майонез (нарисован мальчик)
今回はじめてのご指名の品です。マヨネーズ、モスクワにわんさかと売っているでしょうに。が、3月の来日時、劇団仲間が、日本のキユーピーマヨネーズの美味しさに狂喜したそうです。帰国後、妻のターニャさんに「日本のマヨネーズは美味しいと話したら、とても食べたいと言った」とのことで、今回のご指名となったのでした。また、劇団仲間B氏が、「あのマヨネーズを日本から持ってきて欲しい、また食べたい」と、おっしゃったとか。
モスクワのマヨネーズは、油が多い感じ、やわらかくてゆるゆるだから。キユーピーマヨネーズは卵が多いですから美味ですよね。
マヨネーズを渡すときに、キューピーのイラストを指差しながら、「これはキューピーと言うのよ」と言ったところ、彼らは「キューピー」を知らなかったのです。「へえ、キューピーって言うのか」と、劇団仲間とともに、「裸の少年」ではないのかと、笑っていました。
これも私の都合で数に制限をさせていただきました。
いつかトランクいっぱいキユーピーマヨネーズを入れて、劇団の仲間に配って、彼らに大喜びをしてもらって、最高の芝居を見せてもらおっとの魂胆はあるのですが。おほほほ。
ああ、いや、マヨネーズみやげがなくとも、彼らはいつも、最高に良い舞台を造ります。
2006年08月10日
** 43号 ** 「僕の欲しいもの」
~~~ 5月7日夜のモスクワ ~~~~
寿司屋を出ると風は冷たくなっていました。すっかり町は暗くなっています。ぶらぶらと私の泊まっているホテル方面へ歩いて戻りましょう。
5月7日は、シューラの長男の誕生日なのです!!その日にパパがふらふらしていて良いのか?長男アリョーシャは、17歳になりますから、もう大人です。「友人たちと朝まで誕生日パーティさ」ということで、パパはきょうは準備だけして必要ないそうです。
家族たちでの誕生日パーティは、明日の夕方に自宅で開かれます。私もご招待をされておりまして、明日も忙しい日です。
もう何度もモスクワへ来て、シューラや家族のために日本からおみやげを渡しております。最初のころは、「なにがよいのだろうか?」と悩みましたが、いまは、「なにが欲しいの?」と聞くことができます。
過去、「なにが欲しいの?」の応え。「日本の砂糖」、「うなぎ」、「きれいな小型プラトーク(スカーフ)」、「5本指の靴下」、「日本の模様のTシャツ」などのリクエストに応えてきました。
最近は、彼の子どもたちへのおみやげは、日本のお菓子をちょっとだけ持っていき、モスクワで子どもたちをつれて、買い物にいくことにしています。文房具とかおもちゃとか本とか、彼らが欲しいもので値段の折り合いがつくものを、現地調達が一番効率的です。
「明日はアリョーシャのために、誕生日プレゼントを買いに行こう」と約束になっています。
少々お酒も入ってご機嫌のシューラは「いま、僕の欲しいものはねえ」。
「ダーチャ!いまある土地に、建物を建てたい」。
「車!いまの車も走るけれど、新しい車がほしい」。
「家!大きい家が欲しい。子どもたちが大きくなって狭いから、大きな家がほしい」。
などと騒いでいます。
読者のみなさま、ロシアの俳優は、収入もよく派手な生活を送っているものと思ってみえますか?
いいえ。ほんの一部の超人気俳優が、ちょっぴり派手そうな生活を送っているくらいです。シューラをはじめ、多くの俳優たちは生活もやっとですから。ここであまり立ち入るのはいけないことですから、これ以上は申しませんが。
日々の生活を引き締めてつつましく暮らして、誕生日やお祝いごとには、ハレの日としてお金をかけるみたいな彼らの生活です。
ご存知のごとく、いま、ロシア、とくに都市部に住む人たちには景気が良い人も多く、消費活動が盛んです。町は「これ売っているよ」「これ買いなさい」「これくらい持ってなくちゃあ」とか、「欲しいもの」があふれかえっています。大型スーパーに行けば籠にあふれかえるほどの買い物をしています。たしかにシューラたちもたくさんの買い物をしましたが、それは、長男の誕生日やことし初のダーチャ行きや私の訪問などの理由があっての買い物だったことはわかりました。
しばらくしたら、シューラは、「欲しいものはたくさんある。けれど、みんなが健康でいつも顔を合わせていて、君も日本から来てくれて、子どもたちも大きくなって、それがとても大事だから。ダーチャも、車も、家も、要らないよ~」と、まじめにしっかりと言い切ります。
ちょっと胸にジーンときました。
「新しい芝居をつくって、お客さんがたくさん来てくれて、僕たちの芝居を楽しんでくれるのもうれしいことだよ」とも。やはり役者魂の人です。これからも良い芝居をどんどん見せてくれるでしょう。
2006年08月08日
** 42号 ** お寿司を食べながら
トイレに追いかけられては困ったね。電話を持ってドアのところから私を引っ張るシューラの電話口の応対で、サンクトペテルブルクのレナからのものとわかりました。
私は、9日の早朝にサンクトペテルブルク(以下サンクト)へ移動するのですが、細かいことの連絡をあちらで待つレナ、オレクやジーマに、まだしていないのでした。レナがしびれをきらして電話をかけてきてくれました。それも話しが早いシューラの携帯へ。
電話を渡されて、 「ああ、申し訳ないです」と、日本人らしく、電話しながら頭を下げている私。
「いま、どこにいるの?サンクトペテルブルクへは何時に着くの?こちらでみんなが待っているのよ」とレナが、早口で言います。
飛行機便名などくわしいことは、私の予定表を見ながらのシューラが、レナに伝えてくれました。レナは「迎えに行くのはオレクだから」と言ったようです。
トイレを済ませて席へ戻ると「オレクが待っているって。ジーマがダーチャへ行くと言っているって、レナも美術館へ行くって…」など、シューラは伝えてくれます。「友達が多くいると楽しくって忙しくって、でも良いよね」と、シューラもうれしそうです。
お寿司を食べながら、お酒を飲みながら私たちの話は盛り上がっていきます。私、ロシア語出来ないけれど、シューラの話は全部わかりますから。
お芝居の話し。
「シェークスピアは、僕たちの劇団は大好きな演目で、これからも充実させていくだろう。『ハムレット』をまた日本へ持っていきたい」。
「日本へは『結婚』も持って行きたい。せりふに日本語を取り入れて、日本語でもたくさん言いたい」。
私が日本語で、「結婚しましょう」と教えたら、ダメでしたね。俳優は、舌がこんがらがり言えません。「けっこん」が難しそうです。思わず笑ったら、「『結婚』の芝居はみんなが笑ってくれたら良いから、笑って欲しいから。日本へ持って行きたい」。
演劇大学の話し。
「演劇大学(GITIS)は、厳しくって課題がたくさんあり、いつも忙しい。でも、僕はもうなんでも早く片付けてしまうけれどもね」。
33歳で、演劇大学演出学科に再入学して、演出の勉強をしているシューラです。現役俳優として舞台に立ち、学生生活との両輪を、厳しいでしょうが、でも楽しんでやっているようです。
「18歳で入学したときは、朝早く家を出て、帰るのも遅く、毎日毎日、大学と課題や芝居のことで頭がいっぱいだったから。家族とも会う時間は少なかった。どうしても俳優になるためにと、勉強をたくさんしたのだよ」。
いつだったか、シューラのママが言ったことがあります。
「とても苦しい生活の中で、シューラを俳優にすることが私たちの夢だったのよ」。
ロシア語の話し。
「言葉は唇に乗せて言うことがとても大事。『イズベスチャ』(ロシアの新聞)が読めても、E-mail がロシア語で書けても、言葉が言えなければダメだから。ロシア語で話しなさい。いつもロシア語で話すこと。頭の中にあることを伝えることがとても大事なこと」。
これはシューラがいつも私に言ってくれることです。「間違っているかどうかも、言葉にしなければわからない。言葉にして伝えていけば、覚えていけるから」とも。
シューラは、俳優。ロシア語の最高の先生です。
「ロシア語単語には必ず、強く言う部分があるから、そこは強く発音をすることが一番大事。日本語は、強く言わないから、あなたたちは気をつけて、強く言うこと。(私の辞書を見ながら)ほら、力点が付いているこの印を守ることだよ」。
片手はこぶしをつくり、もう片方の手のひらに、こぶしを打ちつけながら、力点の強さを表現して教えてくれます。
「 Ж の発音は、下手だね。舌に力を持たせることだよ」。
「 Р は、巻き舌。これもいつも意識を持つこと」。
「 Л は、練習しなさい」。
「 Х は、唇に覚えさせること」。
など、俳優は厳しく教えてくれます。が、この生徒がふがいないので、いつも笑われてしまいます。
そして、必ずほめてもくれます。「必ず上手になっているから。いつも話しなさい。言いなさい」。
「良い先生に教えてもらいなさい。下手な先生では上手くはならない。上手な先生は、良い耳を持っている」とも。
お寿司を不味いとか、ヘンだとか、偽ものとか言いながら、モスクワ風韓国風日本風味のお寿司だから、こんなものかと妥協して食べてしまいました。お酒もロシアで飲む日本酒だから仕方がない、と言いながらも飲んでしまいました。
語らいは、とても楽しいです。と、「あのお、お支払いをお願いします」。キム君が請求書を持ってきました。
私たちは、二人で同時に「ギャッ!!」と叫ぶほど請求をされてしまいました。いっぺんに酔いを醒まさせてくれたので、帰り道はややどころか、かなり寒かったです。
シューラはそれでもご機嫌で、「今度は違う寿司屋へ行こう」。そうね、また行きましょう、安いところへね。美味いところへね。きっと。
** 41号 ** モスクワの寿司
~~~ 5月7日 夕方~~~
前号の続きです。俳優シューラと「寿司を食べよう」となって、寿司屋へ。寿司店の名前は伏せますが、モスクワ南西部、ユーゴザーパド劇場から歩いてもいける距離にある、ある建物の中の寿司屋です。
午後9時半近くで、ちょっと風が冷たく、やっと陽が沈んであたりがほんのり暗くなってきたころ、たそがれ時、建物周りには、なにか若者が集まっています。アジア人の顔つき、どこか懐かしく思うのはやはり私もその仲間ですから。
シューラは言いました。「ここは、韓国・朝鮮系の人たちが多く集まっているところだよ。君は彼らがなにを話しているかわかるかい?」
「いいえ。彼らの言葉は知らない」
「日本と近いよね。僕も彼らの言葉はわからない。韓国の演劇祭に行ったのはいつだったかな?」
ユーゴザーパド劇場は、韓国でも人気が高く、シューラも何度も韓国へ行っています。96年~99年は毎年韓国公演もあり。韓国の俳優たちとの共演舞台は、露韓ともに大きく話題になったそうです。
2002年8月には、コチャン演劇祭も出演しています。当時、追っかけて韓国行き、との計画は、頓挫してしまった私でしたが、彼らは、いろんなトラブルに遭遇して散々な目にあったとか。「来なくて良かったよ」と、言われたのがうれしかったとは、私には複雑な韓国思い出。
ああ、寿司屋の話題が進まない。では、お店に行きましょう。
店の入り口には、「はあ~~????」のマネキン人形、あまり驚いて写真を忘れてしまったのは、後悔です。ちょっと薄汚れた性別不詳の人形が着ているのは、暑い夏におっさんたちが着ている甚平上下セット、白地に絣に似た模様が、すでに汚れてまあ、気持ちが悪いもの。なんでこれがここに立っているのか。立てるならもっと美しくして欲しい……。
寿司屋の各テーブル席は、白いオーガンジー布が天井と隣との仕切りにもなるよう覆われ、なんとも怪しい、いや美しい。(イメージはこちら)
われらのテーブル担当の若者は、キム君。白いシャツと黒いズボンは、日本の高校生みたい。黒い短髪と私たちと同じ肌の色は、思わず日本語で声をかけたくなるのですが、「僕は日本語知りません」と言われてしまいました。もちろん、ロシア語は、シューラとさかんに「おすすめの寿司はこれが良い」「いや、あれも食べたい」ほか、私にはわからないやりとりもしながら、キム君は、まじめにテーブルアシスタントを務めています。
まずは、ビールです。「舞台を終えたあとのビールはとても美味しい」とうれしそうです。
「舞台の成功を祝して、かんぱい」

運ばれた寿司を見て、「これはロシア語でなんと言ったかな?」と悩んでいるのは、俳優シューラです。ゴマはあまり食べないので、知らないとか。「日本人はこれ好きでしょ?日本ではたくさん見たけれど、僕は食べないから……、あっ、思い出した、кунжут (クンジュート)、中国の油もあるね」。
ゴマ油のこと、俳優仲間のひとりが中国料理に凝っているらしいから。

さあて、お味は??
私はもう日本人をナン十年とやっていますし、もう何度も寿司を食べておりますし、各地を歩き回って寿司屋を探すのも好きですし、魚に関しては少々薀蓄も持っております。ですから、許せません!!
シャリが甘いところと、味のないところとあって、混ぜきっていないみたい。
海苔がねえ、品質悪しです。
ネタの新鮮さは、ありませんし……。
ああ、これが寿司の味と伝わるとなにか、怖いなあ。でも、目の前の人はバクバクと食べております。
「日本でたくさん寿司食べたから、僕は寿司を知っているから、まあ、まあかな」。
寿司の次は、うどんを食べました。温めた、だししょうゆにおぼれたうどんでした。
日本酒をたのみました。看板は日本では超有名な銘柄ですが、違います。これは超安酒です。そして、熱燗すぎです。ロシア語がわからなくシューラに説明できません。「日本酒は人膚が美味しい温度よ」。ああ、冷酒でも良かったかな、と、酒にこだわりながら飲んでみましたが、ああ、美味しくない。
途中、シューラの携帯電話がなりました。そこで私はトイレへ行くチャンスとばかり席を立ちました。と、シューラが電話をしながら笑いながら、トイレまで追いかけてきます。「君に電話だよ」。
※↓ こんなコメントが出ます。なぜなのかよくわかりません。続きはありません。
2006年07月23日
** 40 ** 俳優との語らい
===5月7日夜 モスクワ南西部にて ====
「結婚の申込み」を見終えて劇場の外へ出ると、午後9時ちょっと過ぎ、まだ外はじゅうぶんに明るくってちょっとびっくりです。俳優がやってくるまでその明るさのなかで、いま見てきた芝居の余韻に酔っております。少し風が冷たさを運んできていますが、いまは芝居の興奮で寒さは感じません。
シューラがとてもきれいな顔で、笑顔でやってきました。きれいとはお化粧を落として、念入りに洗面をしたからです。今夜は、約束通りにさきほど大熱演の人気俳優と日本からやってきた観客とで、芝居のあと、ゆっくりふたりで食事会です!!
以下会話で記載していきます。私はロシア語ほんのちょっとしかできません。シューラは日本語がまったくできません。お互い英語もできません。だから会話は全部ロシア語です。それを日本語に訳して載せますね。Sは、シューラが言う。Mは私です。
S=「きょうは車には乗ってこなかったよ。ビールを飲むためにね」。
M=「なに食べるの?お寿司にしましょうか」。
S=「良いねえ。僕もお寿司食べたい」。
と、話しながら、劇場近くの寿司屋へ向かって歩きます。
S=「(劇場観客席で)君がどこに座っていたか見えなかった、わからなかった」。
M=「エッ、私は手を降ったりしていたのに。花を渡したかったけれど、後ろの席だったからできなかった」。
S=「後ろの席からでも、『シューラに渡して』って花を前に送れば良いのだよ。『シューラ』って言えば、俳優たちは待っているから。花を俳優は欲しいのだよ。」。
それはかなり目立つことですが、今度からそのようにしましょうか。出来るかな?
M=「きょうは、アルバート通りを歩いたよ」。
S=「なにか高いものを買ったのかい?」
M=「いいえ、見ていただけ。でもおもしろかったよ」。
S=「昼食はなにを食べたの?」
ここで俳優からのロシア語講座です。Жと巻き舌Р について。
このことは後ほど詳しく掲載します。

仲人おばさん・ヒョクラを演じるマキシム
「あなた、4人から結婚を申し込まれているのよ。さあ、お選びなさいよ」。 アガフャを演じるシューラは、わざと男髪型です。
S=「きょうの芝居はどうでしたか?」
M=「とても素晴らしかった」
S=「(俳優)マキシムが久しぶりに演じたのだよ。彼は1年間くらいユーゴザーパド劇場に出ていなかったから。マキシムが芝居を忘れていた……。『結婚』そのものも、日本公演(3月末)以来、久しぶりに演じるので、きょうはけいこを長くやっていたのだ」。
ちょっと不満足そうな横顔です。
M=「マキシムもミーシャも上手だった。一番素晴らしいのは、シューラだよ!」
こう言って俳優の気分をかえましょう。
S=「『結婚』の日本公演の計画はないかな?日本へ行きたい。3月に行ったばかりだけれど、すぐにまた行きたい。日本でラーメン食べたい。ご飯に卵をかけて食べたい」。
おいおい、やはり目的は食べることかい?
そのほか、いろいろ話しながら、歩きながら、目的の寿司屋に到着しました。お店の前にぎょっとするものがあります。その後もぎょっとすることが多くて、おもしろかったですよ。
次号は、モスクワではじめての寿司体験記・ぎょっとする、これでも寿司か!編です。
** 39 ** 「結婚申込み」 観劇は感激
====5月7日 夕方 モスクワユーゴザーパド劇場にて ===
チケットは、3日に受け取っていたので、きょうの席はあらかじめ知っています。6列10番・後ろの真ん中では、動くことができないので、カーテンコールでのプレゼントはできません。
2時間に満たない芝居ですから、休憩もありません。私はもう何回この「結婚申込み」を見ていることでしょう。ゴーゴリーのお得意な、間違い・勘違い・思い込みが主題のお笑い劇です。

◇◇◇
あるところに気弱な独身オトコがおりました。こういう男にはいつも、口八丁な友達がいて「おまえ早く結婚しなければ。いつまでぐずぐずしているんだよ。そうだ仲人おばさんに頼んでみるよ」
独身オトコは、あまり乗り気はないものの、アガフィャと名乗る女性とお見合いをすることとしました。「気立てがよろしくって、可愛くって、お家柄も十分で、フランス語もおできになる賢い方ですよ、この機会を逃すと出会わない方ですから、ぜひ、お会いになってご結婚をお申込みなさいよ」と、仲人おせっかいおばさんと口八丁友人の言うままに、会うこととなります。
が、この仲人おばさん、あちこちにアガフィヤのことを言いふらしているので、見合いをしたいという男たちが他に3人、つまり4人の男たちが、アガフィヤへ結婚を申し込もうとするのです。
アガフィヤは「ああ、私は4人の男性から求婚をされて、どうしましょう。お相手はどなたがよろしいのかしら…」と、悩んでしまいます。
仲人おばさん、口八丁友達、気弱オトコと3人の男たち、そしてフランス語を話す美人のアガフィヤ……、それぞれが絡み合い大騒動。さて、いったいアガフィヤを射止める幸せものはだれでしょうか~。
◇◇◇

シューラの役は、ずばりアガフィヤです。
彼の体格を一層引き立てるグリーンのでかいドレスで舞台に登場すると、それだけで大笑いと拍手が起こります。どう見たって美人のお嬢様ではありません。目線や手の扱いや足の運び方は、女性になってやっていますが、あるところでは突然、男しぐさになって大笑い舞台になります。
彼女がドレスのすそを踏んでもち肌があらわになり、客席がぎょっと驚く大大爆笑が起こります。
舞台にドデッと倒れこむと、山のように大きいのでまた大爆笑です。
フランス語を駆使(?)すると、これまた大大大爆笑です。
日本の吉本新喜劇のような、志村けんのような、と思いながら見ていました。
超一流の喜劇です。この笑いは世界共通の癒し芝居です。俳優たちの計算されつくされた美しい舞台、いっさいの無駄を省いた舞台、観客の想像力を十分に引き出させてくれる快楽の舞台、それはもう芸術作品です。
拍手かっさいで終幕です。ああ、お花を渡したい、この席でなければ、大きな花束をアガフィアに贈るのに……。
▽ ▽ ▽ ▽
彼らのこの「結婚の申込み」=日本語では「結婚」と言っています=は、フランス・パリ公演やフランスアビニヨン演劇祭で大人気を得た作品です。
シューラがあるとき言いました。
「ゴーゴリーの作品はロシアの人々はみんな知っている。あちらこちらで何度も見ている。だから、他と同じことを演じることはいけないこと。ユーゴザーパド劇場らしいゴーゴリー作品を出していかねばならない」と。
また、「日本でもこの作品を公演したい。日本人にきっとわかってもらえる作品。男優が女性を演じるのは日本の歌舞伎の手法を取り入れたのだから、日本でこそ演じたい」。
私の夢のひとつは、この「結婚」日本公演のおっかけをすることです。日本中どこへでも付い行きます。早く来ないかそんな日が~。フランス公演があれば、行ってみるのも良いかな、初フランスをおっかけで、それも良いですね~。
2006年07月19日
** 38 ** 雨上がりのモスクワの空
これまでのことと、これからのことなどを短く。
5月2日モスクワに到着した、私の「2週間ひとり旅モスクワとサンクトペテルブルク・ロシアの2都市の春を歩く旅日記」は、まだ、モスクワ編の5月7日のところです。これからモスクワ騒動やサンクトペテルブルク1週間などと続いていきます。
5月7日日曜日の夕方は、モスクワ南西部にある、小劇場・ユーゴザーパド劇場で「結婚」の芝居を観ます。その前にモスクワの繁華街を歩き回ってきました。
▽ ▽ ▽
時計は、午後2時ごろ。1時間くらい前にまた雨がさっと降ったので、アルバート通りのお店の中で雨宿り。雨がやみ外へ出るとそれはきれいな空が広がっています。と、言いましても都会の狭い空。が、きれいなので思わず空を見上げながら、地下鉄駅へもぐりました。
そろそろ「ユーゴザーパドナヤ」へ戻りたいのです。
芝居は、午後7時から始まりますが、その前にホテルへ戻って、休憩をして観劇モードに気分を変えて、俳優シューラ主演の喜劇「結婚」を万全の体制で観劇したいから。
日曜日の午後の地下鉄は、それほど混雑もなく、乗客ものんびりと座っている雰囲気です。町の中心繁華街から、ユーゴザーパドナヤまでは約30分。地下鉄駅から歩いて劇場までは10分ほど。劇場を通り越して私のホテルサリュートまでは、7分ほどですから、ホテルには、午後3時に戻るつもりで、地下鉄を降りてからも、きれいな空の下、ぶらぶらとユーゴザーパドナヤ地域を歩いています。
途中、食料品によって、丸い日持ちがする甘い菓子=баранки(バラーンキ)と菓子パンみたいものとアイスクリームを買う。お店の女性たちが、親切でうれしかった。「袋は要りますか?」「アイスクリームのレジは、あそこですから」とにっこりと笑顔で教えらたり……。ロシアのお店で笑顔は売られていないと言われるのは、もう古い話しでしょう。
外は暑くもなく寒くもなく気分良く、買い物袋を振り回しながら、歌を歌いながら歩いて、ユーゴザーパド劇場の駐車場の脇を通ります。「あれ?シューラの車はない。来ていないのだろうか?きょうは、稽古があると言っていたが、あれれ?」
芝居が始まれば会えるのだから、それで良いから、いま居るのか居ないのかは、なにも問題ではない。
空は仰ぎながら、芽吹いたばかりの通りの木々をながめながら、ホテルへと。


◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎
ホテルでの小休憩は、体をとても楽にしてくれて、さあ、芝居にいくぞ~と、力をみなぎらせてくれました。開演間近の午後6時45分ごろ、また駐車場の脇を通って劇場の観客となりました。駐車場には、やはりシューラの車はありません。来ていない?そんなことは絶対にありえないことです。
2006年07月13日
** 37 ** アルバートでランチ
===5月7日(日)お昼 モスクワアルバート通り 曇り・雨・晴れ ===

2005年1月にはシューラといっしょにこの通りを歩きました。中央俳優会館は、俳優たちの誇りです。この写真、ご自分と会館がきれいに入る立位置にこだわりました。俳優はどこででも、写真撮影は、背景と光とにものすごくこだわります。
◇ ◇ ◇ ◇
ちょっと早い昼食は、間口が小さいので見落としそうなところにあるレストランへ。
05年1月に何気に入ったレストランでしたが、とても気持ちが良いサービスに、今回もリピートしました。
「はるか遠い王国カフェ」という意味か= тридевятое царство CAFE = シンボルマークは、 3/9 3の上に王冠が載っています。 きっとロシアの皇帝か、民話のなかのなにかをあらわしているのだと思うのですが、私はわからない。アルバート通り4番。店のドアをあけると、ちょっと東洋系顔立ちの美人支配人がにこやかに席を案内してくれます。
別にどうってことのないごく普通の椅子とテーブルの席は、以前と同じところに座りました。ガラス越しにアルバート通りを行きかう人々が見えるから。

(お店のカード)
ボルシチスープ、トマトサラダ、カツレツ、マッシュポテト、イタリア赤ワインと美味しいパン。もうこれだけで満腹なので、デザートは要らない。いや、ホントは目線の先にずっとあるガラスケースの中に並んでいるケーキの中から選んでみようかと、迷っていましたが、やめました。もう満腹で、美味しく食べることができそうになく、ケーキに申し訳ないから。
小さいカフェレストランと思っていたら、実は地下にかなり広いレストランホールがあって、旅行の団体がいくつか出入りしていました。トイレは以前は、1階の奥にあったところを案内されたのですが、今回はその地下のホール脇にあるところです。地下を増築したのでしょうか?
トイレは、とってもきれいな広い気持ちが良い場所で、ちょっと驚きました。日本の高級ホテルのそれみたい、です。
雨がちょっと降っています。「困ったなあ」と思いつつ、遊んでいる旅人のいい加減さで、ホントはなにも困っていない。雨がやむまでカフェから、外を見ていたのでした。これまた美味しい紅茶を飲みながら。
外へ出れば、雨はあがってきれいな青い空が広がっています。白い雲がいくつも流れます。そして、冷たい風が出て、寒いと感じます。が、平気でまた、町を歩きましょう。




(写真表示時間は日本時間。マイナス5をすると現地時間です。写真としては邪魔な表示ですが、記録記念としては貴重な表示です)
2006年07月11日
** 36 ** アルバート通りを歩く
===5月7日 日曜日、都心へ===
朝食は軽くとしておきます。きょうは、モスクワの繁華街アルバート通りにある、小レストランで昼食としたいから。それもあるけれど、やはり昨夜の語らいの余韻は、朝食の食欲を落としてくれました。
ゆっくり準備をしながら、「きょうの気温は20度です」のテレビの気象予報も目にして、服装も決めて。モスクワへ来てから、すでに6日目。寒いこともあるだろうと予想していたけれど、それは裏切られて?快適な気温の毎日です。が、空模様は、きょうはちょっと曇って雨でも降ってくるかもと心配です。
日曜日です。町は静か。車も少なく地下鉄への道の人通りも少なく、でも通りの向こうの教会には、人が大勢いるようです。
地下鉄の乗り場も車両も人は少なく、それでも鉄の塊の騒音は大きく、私たちをモスクワ南西部から中心へ運んでくれます。
「地下鉄はどこで降りようかな?」、どこで降りても歩くつもり。「レーニン図書館前」で降りて、もう何度も来ているので、見覚えの建物などを目印にのんびり歩きます。が、雨がさっと降ってきたら、急に気温が下がりました。
うむ、こういう気温の変化が、私は苦手です。スカーフを取り出し、肩にかけて、アルバート通りに入ります。日曜日のまだ早い時間の繁華街は、まだ静かですが、「これから人々がどっと押し寄せるよ」の緊張感が町全部にあふれています。
古いアルバート通りは、いまは高級品がならぶ商店街、歩行者天国、おみやげ屋さん通り、食べ物はなんでもあり、そんな通りです。昔は貴族の館が立ち並ぶ歴史ある通りです。モスクワを訪れる観光客は、ほとんどこの通りを歩くでしょう。私も何度も来て、歩いている通りです。
劇場も博物館も政府建物なども、この道の両側にいくつかあります。
そのひとつに、私がとっても気に入っている建物があり、それをまた見ていたいのです。その美しい建物は、

中央俳優会館です。俳優やアーチストのための事務所や、大小のホールや会議室、レストランなどすべて、俳優たちのためものが集まっている建物です。ユーゴザーパド劇場も創立記念などのお祝い会をここで催したこともあるそうです。
アルバート通りのほぼ真ん中あたりで、堂々と美しさを誇っているこの建物が大好きです。
高級おみやげ屋さんも覗き、いろんなおみやげを見ては、「おお、こんなに高い!!」と驚きに行きます。確かに道端で売っているマトリョーシカに比べると、上品でおしゃれできらきらもしていますが。
宝石屋も多いです。上記の中央俳優会館の1階には、金銀宝飾宝石販売店があります。高い敷居につまずかないよう、警備員の鋭い眼光に驚かないように、堂々と見ているだけ、です。
ぶらぶらしながら、ちょっと雨も気にしながら、道の両脇のお店とあちこち出たり入ったり。
そして、空腹になってきました。そろそろ昼食としましょうか。
** 35 ** gon&ひよさん との語らい
===5月6日モスクワの暖かい夜 ====
お芝居の終演後、劇場の前で俳優シューラに、gon(山本努さん)&ひよさん(吉田紀代さん)を紹介いたしました。シューラは俳優笑顔で、ロシア語万能のおふたりと楽しそうです。
「お芝居、気に入って、また来ますね」とおふたり。
「ぜひ、また観にきてください。チケットのことは心配しないで大丈夫、僕の名前を言って予約してください」とシューラ。記念の写真もちゃんと写しました。
シューラと私とは、明日の連絡です。
「明日は芝居のけいこだから、町へ行けない。気をつけて都心へ行っておいでよ」。もし、稽古がなければ、いっしょにモスクワの中心へ行ってみるつもりだったのですが、仕方がないです。
「芝居が終わったら、いっしょに食事しようね」。明日の芝居「結婚」は、2時間の短い芝居なので、終演後時間があります。お話しましょう。
ターニャさんと車に飛び乗って、俳優夫婦は子らが待つ自宅へと帰って行きました。
日本人3人は、私の宿泊ホテルの喫茶室の、テーブルと椅子の高さがまったく合わない席の、ふかふか椅子に埋もれるように座って、深夜1時まで語らいました。
なぜ、ロシアに興味を持ったのか?
なぜ、シューラと知り合ったのか?
なぜ、いま、モスクワに住んでいるのか?
モスクワ住まいの良いところと悪いところ……
などなど、次から次へと話しは尽きない私たちでした。
再会を約束して、深夜のモスクワ南西部のホテルサリュートの玄関で別れました。
おふたりがこのモスクワで懸命に生きている姿を見ました。幸多かれと後姿に願いました。
ああ、忘れるところでした。
私のために素敵なおみやげを用意してくださったお二人に心から感謝です。「巨匠とマルガリータ」テレビ放送のDVDです。私は飛び上がって喜びました。ありがとうございます。いまそのDVDは、友人の在日ロシア人が喜んで観ております。
私からのおみやげは、名前はデカイけれどちゃちなものでした。甘い「シベリア」、トランクでちょっと押されて形が崩れてしまったので、もっとひどくなってしまいました。
2006年07月06日
** 34 ** 「夏の夜の夢」の中の劇場
=== 5月6日夕方、モスクワで観劇中 ====
「とってもかわいい」、これはシューラが知っている日本語のひとつです。2003年、日本各地を「夏の夜の夢」で公演したとき、日本人へのサービスで劇中に、シューラの役のディミィトリーが、相手役のエレナへ言ったせりふです。
きょうの芝居の中でも、そう言ってくれるのではないかと、多いに期待したのです。が、いつもどおりに 「Прекрасно」 でした。ちょっと残念です。
妖精の王女チターニャの女優が変更されていました。体を張った大胆演技と個性で、舞台に女優の華やかさいっぱいの、ニーナはどうしたのでしょうか?
何度も見ているとつい、配役の違いなども見えてきて、それはそれで楽しめば良いのに、つい心配もしてしまいます。俳優たちは、他の劇場への移籍やテレビや映画への転出、俳優そのものの廃業などもあります。いろいろと理由はあるのでしょう、俳優も人生ですから。でも、ファンはたまらないものがありますよね。「ああ、あの俳優のこの役はもう見ることができないのか…」と。
後述=ニーナは、他の仕事のために、この時は出演できなかったそうです。
「夏の夜の夢」は、喜劇です。客席はときに大笑いです。笑いたくってこの芝居を観に来る人もいるのでしょうね。笑いが起きて、劇場中が明るい楽しい雰囲気になっていくと、俳優たちもますます乗ってきて、楽しさ倍増です。楽しいことは良いですねえ。
ロシア語がわからなくとも、俳優たちの身体表現のおもしろさ。かなり大きい派手なアクションです。音楽もにぎやかですし、照明も美しく的確です。
そうです。お祭りです。ベリャーコビッチ氏は「演劇は祭りだ」といつも言っています。
演じる人たちも楽しく演っていれば、観ている人も楽しくなって、そしてもっと大きな楽しさになります。劇場とは、祭りの会場です。だから、私は、劇場が大好きです。
「夏の夜の夢」は3時間ちょっとのお芝居です。カーテンコールも素敵な演出で、祭りの余韻をいっそう濃くして、舞台の明かりは消えます。観客たちは、大満足で客席を立ちます。
gonza さんもひよこさんも、十分に楽しまれたようで、にこにこと、とてもうれしそうです。
「これからも、ユーゴザーパド劇場へ通いますね」とひよこさん。
「ええ、ぜったいに何度も来てたくさん観てくださいね」と私。
劇場の外で、いま出演していた俳優、シューラを待ちましょう。ぜひ、おふたりを紹介しなければなりませんから。
** 33 ** 初夏の夜の真実
===5月6日 夕方 暖かいモスクワ・観劇「夏の夜の夢」===
幕開きが大好き。出演のほとんどの俳優たちが歌いながら、踊りながら舞台に並びます。その歌のリズムがしばらく頭に残ります。2003年の来日時には、「夏の夜の夢」を追っかけて、7回も見てしまったので、毎日頭の中はそのリズムが渦巻き、思わず唇もそれを歌っていました。
「夏の夜の夢」も、前に見た「検察官」も次に見る「結婚」も、「勘違い」や「思い込み」「とり違い」が、シナリオの筋で、それが観客も演者も引き付けるおもしろさです。
「勘違い」するのが大勢か、ひとりか、人のなせる業か、見えないものがさせることか。「とり違い」が、とんでもないものか、成り行きのものか、はたまた最初からか、最後に気が付くか……。それがシェークスピアやゴーゴリーの芝居が、世界各地で長きにわたり演じ続けられている、普遍的なものなのでしょう。
衣装がまたおもしろいです。シューラも演じる宮廷の男性たちがズボンを履いていません。ワンピースだけ、それもサイドカットが入っているものとか、透けているものとか。足が見えます。踊るとその上まで見えてしまいます。
そして、ほとんど裸の男女の妖精たち。葉っぱを模した隠し布があまりにも小さいので、彼らが踊ったりすると、思わず「アブナイ!!」、でも目はそのまま……。

町の職人たちの役は、ベテランの名優たち。劇中劇で演じる“下手”演技には、笑いながらその妙技の心地よさに、うっとりです。こちらは衣装なのか普段着なのか、もちろん衣装ですが、典型的おっちゃん労働者スタイルです。
若い4人の男女の恋の騒動、妖精夫婦の浮気騒ぎと妖精グループの騒動、職人たちの芝居つくりの騒動。3つの大騒動がきれいに丁寧にまとめられています。演出家ベリャーコビッチ氏の見せ技は、場面の転換と騒動の仕掛け人妖精ペックの役割では、と私は思います。
「ああ、こういうやりかたがあったのか」……。
観客たちや批評家たちに、その言葉を言わせる快感。それをベリャーコビッチ氏はもう何度も味わっていることでしょう。
「鬼才ベリャーコビッチのマジック」と呼ばれる、外国人のこんな私さえも引き付けて夢中にさせてくれる、超越した魅力的演出家、ワレリー ベリャーコビッチ氏と、同時代に出会えて、私は幸せです。
▽ ▽ ▽ ▽
彼の演出手法などは、NHK教育テレビ9日22時からの「芸術劇場」でご覧ください。
3月26日東京での「マクベス」公演が放送されます。
2006年07月03日
** 32 ** 小劇場でロシアの観客をみる
==5月6日夕方 モスクワ、ユーゴザーパド劇場にて ===
私は、繰返してモスクワを旅していますが、いまだにボリショイ劇場へは行ったことがありません。2001年1月に、ボリショイ劇場で開演されたバレエ「ジゼル」、オペラ「ナブッコ」のチケットをそれぞれ地元の日本人に買ってもらっていたのに、それをふってユーゴザーパド劇場へ行ってしまいました。
もちろんその貴重なチケットは無駄にはしていませんが、「あの大劇場に勝ったユーゴザーパド劇場」と周りは私を冷やかし、シューラは喜び、私は大満足でした。あれからボリショイ劇場は、「いつか行く気になった時にでも行こう」と決めていますが、さあ、それはいつでしょうか?
モスクワにはいくつも大小の劇場があります。ユーゴザーパド劇場ばかり通っているので、他の劇場のことを知らずにいます。
でも、フォメンコ工房のあの小さな空間と俳優たちの美しさ、チェーホフムハット劇場の客席空間と舞台の奥広さ、マヤコフスキー第二劇場の横に広い舞台と狭い楽屋、へリコンオペラの狭い空間で繰り広げられる壮大なオペラなどを、旅人ながら体験していることは、とても幸福なことです。
何度もユーゴザーパド劇場の客席に座り、ほとんどが地元の人たちだろう観客たちに囲まれていると、「ロシア人、あなたたちは……」の衝撃の場面に出会います。
恋人同士、デートの場所が観劇。ふたりは、公演中ずっと手を握るか、彼の肩に彼女はもたれているか、です。もうとても熱いです。男性は、結構タイヘンなんですね。そこまで熱くしていないけれども、ひとめで夫婦とわかるカップルも多いです。
男女のカップルは年代を問わず、男性の女性に対するエスコートが素敵です。冬はコートの管理は男性の役目です。座席へ導くのも男性の役目です。このあたりの男性のマナーを日本人男性はぜひ学んでおかなければ、こちらでは大きな恥になりますよ。また、日本人女性は、そんな男性のエスコートに慣れていないのでつい「自分で」とやってしまいますが、それはいっしょにいる男性に恥をかかせることとなりますから、堂々と男性に守ってもらいましょう。
日本の劇場では、とても希少なことですが、カップル以外での男性の客が多いです。ひとりでも、複数でも男性たちが観劇を楽しむのは、ごく普通のことです。「仕事帰りにみなで芝居に行こう」。いかがですか、あなたも明日から職場の仲間で観劇を……、困難至極でしょう、日本では。
客席の男女比は、その日の演目などにもよるでしょうが、ほとんどが5:5でしょう。
長い人生経験者たちも、心から楽しんでいることがわかります。
子供演目、たいていは休日の午後からの公演が多いですが、パパやママや爺爺や婆婆といっしょの子供たちでにぎやかです。それ以外の夜の公演も、もちろん演目によりますが、小学校3~4年生くらいからの子ども達も客席に座っていることもあります。
はじめてこの劇場へやってきた人たちも、いつもいます。
日本人にも出会います。フランス人にも会いました。英語圏の人もいました。
公演中に携帯電話がなることも、あります。音はしなくとも、暗い客席で携帯の明かりが光っていることもあります。
こんな客席ですが、芝居の公演中はだれもが舞台に集中です。その集中度は、「ぜったいに見逃すものか!」です。笑うときは、大笑い。ときに舞台の役者のせりふと掛け合いになって、役者もそれをうけてアドリブせりふとなって、笑いが起きていたり。
拍手や「ブラッボー」の声も公演中にもかかります。
そして、終演後のいわゆるカーテンコールでは、鳴り止まぬ拍手や、お気に入り俳優への花、なにかしらのプレゼントが客席から届き、いっそう劇場中はにぎやかになります。
終演後の劇場周辺は、顔をポットあからめた客たちだれもが、優しい笑顔で家路に急ぎます。
俳優の出待ちをする観客がほとんどいないことも、ちょっとおもしろい光景です。日本ならば、お気に入り俳優が楽屋から出てくるのを待って、俳優にサインをもらったりここでプレゼントを渡したりも普通ですが、ここは、劇場内だけでの完結なのでしょう、きっと。
「夏の夜の夢」は楽しいカーニバル芝居です。きょうも芝居が好きでたまらない人たちに囲まれて、しばし夢の世界で遊びましょう。
2006年06月30日
** 31 ** ゴン&ひよさん、はじめまして
===5月6日 夕方モスクワ、ユーゴザーパド劇場開演前===
女優カリーナの家から劇場まで、渋滞でちょっといらいらしていたのは、私だけで、運転手も同乗者たちも「こんなの当たり前よ」です。18時25分に劇場の前に到着して、ホッとしました。
俳優たちはすぐに楽屋へ。
ターニャには「きょうここで日本人に会うから」と告げてあるので彼女も劇場に入っていきました。
そうです。きょう、私は、この「ろしあんぴろしき」を作って立ち上げて管理している、モスクワ住まいのgonza さんと ひよこさんにお会いして、一緒に「夏の夜の夢」を見ます。とても楽しみにしています。
さあて、おふたりはどこかな?劇場の横の通りに日本人男性がおいででした。「あのう…」もうそれだけで、わかりました。「はじめまして、gonza さん!!」。
劇場のドアを開けるとそこには、日本人女性が。「はじめまして、ひよこさん!!」。
この「マーミンカ通信」は、gonza さんのデザインで、開設時には、おふたりにいろいろと細かいアドバイスメールをいただき、モスクワと名古屋でいくつかのやりとりをしました。なんとかオープンでき、今に至っているのはおふたりがあってこそです。
当所は、「こんな難しいものを!どうしたらよいのかわからない!!もっと親切にしてよ」などのキツイメールを送りつけてしまったという、経緯もあります。
そんなこんなで、おふたりにはどうしても謝って、感謝の気持ちをお伝えしなければなりません。モスクワでお会いしたかったのです。
「ユーゴザーパド劇場は未踏の劇場」と言うおふたり。ならば「ぜひ、劇場で、『夏の夜の夢』をいっしょにみましょう」。シューラに切符の手配と終演後にお二人を紹介する約束をして、gonzaさん、ひよこさんと、こうして会うことができました。
gonza さんは、私の小学校時代の担任近藤先生に似ている、と言ってもどなたもご存知ないでしょうが(笑)、優しい良い人オーラが発揮されています。ひよこさんは、優しく厳しく、実はとても優しい賢い美人です。
空腹とおっしゃるgonzaさんのために、劇場地下喫茶室で軽食を急いで食べてから客席に着きました。
彼らは舞台上手(かみて=右手)側の席で、私は下手(しもて=左手)側の席、ターニャは補助席に座ってます。きょうも満席で、シェークスピア作「夏の夜の夢」がはじまりです。
2006年06月26日
** 30 **女優カリーナは、多才な人
== 5月6日午後、モスクワ南西部 カリーナの家にて===
ユーゴザーパド劇場の人気女優、カリーナ ドイモントは、シューラの演劇大学同級生です。演劇大学では、スダコワ専任教授のもとで、朝から夜までの厳しい授業と課題・実習の大学生活。就職したユーゴザーパド劇場では、鬼才ベリャーコビッチ氏のもと、それは厳しく楽しい俳優生活を、ともにがんばっているふたりです。
楽屋生活をともに過ごすことは、寝食をともにして裸の付き合いで、深い厚い友情で家族以上のつよい絆があることと思われます。
「いつか君をカリーナの家に連れて行きたい」と、来日公演時に言ってくれたシューラです。その日が早く実現しました。

高層住宅の高層階の新しい住まいは、広いです。ロシアの人たちは、客に全部のお部屋を見せてくれます。「ここが寝室で、ここがママのお部屋で、ここがテレビのお部屋よ」と、おしゃれな小さな飾りがなにげに置いている部屋を見せてくれました。ピアノの先生をしているママは、「仕事で遠くへ行っている」とか。猫が「にゃぉ~」と迎えてくれました。
「さあ、召し上がれ」とカリーナが用意してくれたお料理の数々。
スープは、ボルシチ風味の具沢山スープです。豪華なスープです。「スメタナをたくさん入れてね」とカリーナ。最初の一口でその美味しさに飛び上がりました。
「美味しい」
「これはね、アファナシェフがレシピを教えてくれたのよ」。
「彼は料理もプロですね」
アファナシェフは、もうなんども「マーミンカ通信」にご登場いただいていますが、ユーゴザーパド劇場の大実力俳優、きめ細かい芝居で観客をうならせる俳優です。以前あるところで彼がギターを持って歌う場面に出会って、歌も上手い俳優と知りました。そして料理も天才か。
彼からのレシピを忠実に再現して、「これはあの人が教えてくれた料理」と誇らしく、作って盛ってくれるカリーナも、天才料理人か。サラダ、メインのチキンのハーブ焼き、ミキサーを使ってフルーツジュースなど、どれも美味しくって、感激・満足・満腹です。
女優 カリーナ ドイモントは、ユーゴザーパド劇場での人気女優です。出演作品も多くどれも主役か準主役です。
彼女の芝居を初めて見たのは、2000年10月の来日公演時です。シューラは「検察官」で、私と出会いましたが、カリーナは「検察官」には出演していませんから、名古屋や京都では知りませんでした。東京へ「ロミオとジュリエット」を観たときに、可憐な少女のジュリエットを演じていたのがカリーナです。「まあ、なんと可愛い女優さん」。
舞台が終わり、シューラを待つ間に楽屋近くで、間近にしてお会いしたとき、まあ、背が高い、まあ、小顔、まあ、きれいなお肌、まあ、足が長い……。と驚愕したのでした。女優オーラがピカピカでした。
モスクワで日本で、彼らの芝居を観るといつも出演しているカリーナです。
「夏の夜の夢」で、ふたりの男性から追っかけられる可愛い女の子を演じます。
「巨匠とマルガリータ」で、悪魔集団の怪しい魔女。ほとんど裸での舞台出演で、芝居の途中には、男性観客が大喜びする一瞬もあり、シューラ(役はバレヌーハ)に噛みつく場面もありです。
「ロミオとジュリエット」。可愛い幼いジュリエットが、ロミオに恋をして、大人の女性へと変化していくさまを演じています。名演技です。
「かもめ」「ドラキュラ」「人形たち」「ハムレット」「宿屋の女主人」などたくさんに出演していますから、あるインタビューでは、「楽屋に住んでいるみたいです」とおっしゃっていました。その通りだと思います。
彼女の新しい部屋には、彼女が描いたスケッチや写した風景写真や、上手に育てている植木鉢などがあります。ピアノも弾きますし、歌も歌いますね。ああ、女優とは多才な才能を持つ美しい人です。
「学生時代のビデオを見せましょう」と、テレビ室へ移動して、彼らの大学時代の貴重な映像を見せてもらいました。シューラが、写っています!青年のシューラです。
ビデオに写っている芝居は、子供のためのもののようです。カリーナがとっても可愛い少女の役。シューラはなにか、森の精みたいな役かな?他に幾人か俳優が出演しています。それを観ながら「○○だよ!」とカリーナとシューラで盛り上がり、私のことはかまわずに、彼らの世界で楽しみ笑っています。懐かしくその舞台を思い出しているようです。
が、そろそろ劇場へ行く時間です。きょう、彼らは「夏の夜の夢」に出演、ぜったいに遅れてはなりません。ばたばたと用意して、俳優たちは車に乗り込み、ユーゴザーパド劇場へ向かいます。
そうそう、あのチーズ巻きは、カリーナが名前を知っていました。
сулугуни グルジアのチーズの食べかただそうです。ひとついただきましたが、うーむ、濃いです。1パックを買わずに正解、ひとり旅の旅人が買うものではないです。すぐに食べてしまわねばならないものです。
2006年06月25日
** 29 **俳優は、こころの仕事のひと
===5月6日晴天のモスクワ南西部 でお買い物====
約束の時間より「渋滞で遅れちゃった」とシューラがやってきました。(妻の)ターニャもいっしょです。いまから行く、カリーナは彼らとはすっごく仲良し、「カリーナの家は、最近引越しをして広くなった。まだターニャは、そこへは行っていないのだよ」。ターニャはこの後もいっしょに「夏の夜の夢」のお芝居を見ます。子供たちはお留守番、もう大きいから「大丈夫だよ」。
地下鉄ユーゴザーパドナヤ周辺のマーケットで、カリーナへのおみやげの買い物をします。ターニャは、車の中で待っていてもらって、シューラと私で、ケーキとお菓子と花を買います。
歩きながらシューラが言いました。「昨日はお花をありがとう。昨日の芝居どうだった?」
「うん、良かったよ」。
「ダメだったでしょう。シャヘットが間違えた。彼は……。僕は気分が悪くなってしまった。でも、お花をもらってうれしくなったから、良かったよ」。
ははあん、昨日終演後、ちょっと難しい顔をしていたのはそういうことだったのですね。
「息が合う」のが舞台の上でとても大事なことです。俳優同士の息がぴったりあって、エネルギーが客席に飛んでくると、客席からもエネルギーを舞台に、俳優に送ることができます。そういう見えないもののやりとりこそ、生の舞台の醍醐味です。
間違いは、きっといくつもいままでもあることでしょう。相手とかみ合わないとか、相手がトチルのも舞台の上ではよくあることでしょう。それを客席に感じさせずに、芝居を続けていくのがプロでしょう。
シャヘットとのやりとりの間違いがわかる私ではありません。たぶん俳優同士だけがわかる間違いだったと、思っています。シューラは厳しい人だから、相手にも厳しいから。
贈った1本の花で、気分が良くなり元気になってくれればうれしいことです。
さて。
「たくさんケーキの店はあるけれど、ここは一番美味しい」と評判のケーキ屋はお客がいっぱいです。たくさん並ぶケーキの中から、「カリーナが好きなものはこれだよ」と、選びました。

ケーキ屋の隣にある、チーズ屋では、チーズ巻きみたいなものが気になります。伸ばしたチーズ板にハーブやミンチ肉や果物などのいずれかを包み込んで、海苔巻きの太巻きみたいな1本のままか、あるいは切り分けて種類を混ぜてのパック売りにしています。シューラに「これ名前はなんというの?」と聞いたら、「食べたいの?これも買って行こう。3本ください」とお店に言う。
「あれ?どうして?」
「カリーナと僕んちと君もホテルで食べると良いよ」
「だめです。ホテルではこんなにたくさんは食べられないから」
「食べられないの?冷蔵庫に入れておけば良いよ」
1本でも切り分けパックでも、とても量が多いですから、私がひとりで食べきる前に、固くなってまずくなってしまうことでしょう。
「あとでカリーナにひとつもらうから。カリーナとシューラとの2本買ってください」
これ名前はなんというのだろうか?もう一度シューラに聞くと「はは、僕知らないの」。そうですか。名前は知らなくとも食べることができますものね。あとで、ターニャかカリーナに聞いてみよう。

次は花屋さんです。
たくさん並ぶ花の中で、気に入ったのは、白いゆりの花です。いま、咲いている花とつぼみもあって豪華です。シューラは盛んに、「(紫の)アイリスもいっしょに入れると良い」と言いますが、私は赤いチューリップが気になって、花屋さんに「ゆりのここ(茎を指で指しながら)を切って、チューリップもいっしょに入れて」と言ったら、花屋さんが「ダメ、ゆりは長いままで。チューリップは短いからゆりと合わない」と言われちゃいました。
シューラも「切ってはダメ。長くそのままが良い。アイリスも入れよう」とさかんに言っています。
日本なら、ゆりの茎を切ってチューリップをアレンジしてくれるけれどもね……。と思っていると
「日本の花はみんな、短く小さくしている。ロシアは長くそのままが良いの」と日本で花束をもらうことが多い来日経験豊富な俳優らしい、ご意見を言われました。
そうです。日本はいけばな文化のある国です。小さくても豪華にできるのだから、とは、心で思っていても言いませんでした。「そうだね。ここはロシアだものね」。そして、長い茎のままでゆりを買い、アイリスはやめました。

(カリーナが短くカットして花瓶へ)
花屋さんで切って欲しかったのになぁと、ちょっとむっとしていた私です。私がむっとしていることを、気がついているシューラです。
そんな私に、「君の好きなりんごジュースを買って行こうね」。まあ、なんとも上手に気分を変えさせてくれますこと。さすが、こころの仕事の人ですこと。りんごジュースの紙パック入りを買いました。これ美味しいのですよね。もう、にこにこです。
カリーナが住む高層住宅街は、ユーゴザーパドナヤから車で15分くらいで到着しました。
** 28 ** ホテルは大事
===5月6日 モスクワ南西部 ホテルサリュートにて ===
モスクワには、すでに何度も行き、旅人としていくつかのホテルに泊まりました。
2001年1月、はじめてのモスクワ旅行で泊まったホテルは、「ブタペスト」。市内繁華街にあり足回りは便利です。が、朝食は、指定の時間にお部屋に届きます。若い男性が「おはようございます。ご朝食を持ちしました」。と、いうことはですね、私はそれ以上に早く起きて、身支度も整えて、ベッドメーキングもあたりも整えていなければ、ものすっごく恥ずかしい。だから、ちょっと困った毎朝でした。なので、嫌でした。
次は、「スプートニク」。ああ、いろいろ思い出のホテルです。けっこう好きでした。都心にも南西部にも中途半端な位置でした。朝食は、食堂で、各人に配膳されるときと、バイキングスタイルのときとありました。ミルクかゆ、美味しかった。
すっごい美少年の配膳係りの彼がいました。ぬけるような白い肌、真っ青な眼、金色の髪が白いコック帽の端っこから見えます。「君、このレストランにいるよりも、日本でテレビに出てごらん。すぐに話題の美少年になってしまいホクホクの毎日が送れるよ」と、言ってみたかった。泊まっていた毎朝の楽しみは彼に会えるかな?でも交代勤務だから次の日は、居なかったりして。
「ダニロフスカヤ」ホテルは、修道院内にあり、誰でも泊まれるホテルで、修道院で作られている食材などをレストランで使っているというところです。そのレストランでの朝食は、各自に配膳されます。紅茶やパン、ジャム、ハム、チーズなどはあらかじめセットされていますが、6つくらいのメイン料理メニューからひとつを選びます。泊まっていた1週間日替わりで楽しめました。飲むヨーグルト、スライスチーズ、ブリヌイなど美味しかった。
レストランメニュも、美味しさは感涙ものです。ボルシチをホフロマ塗りのスプーンでいただきます。丁寧に作られたサラダなど、きれいで食べるのが惜しいくらい。ちょっとお値段がそれなりですが。おすすめレストランのひとつです。
もちろんホテル客室もきれいで、静かで、窓からの眺めもそれは美しい、☆×4のホテルです。
地下鉄駅までちょっとだけ歩きますが、修道院回りに「お金をお恵みくださってお助けくださいな」の人たちが多くて、いつもつらかったところです。特にレストランで満腹になったあとなどは……。
モスクワ南西部の劇場に近いことが一番便利なホテルは「サリュート」です。最近はいつもここです、劇場から近いことがとても大事です。
ホテルの前は大通りが交差しているため車の騒音が24時間しています。うるさいです。が、音の伝わり方は、障害物があると遮られたり、反射したりと変化するということが、よ~~くわかるホテルです。
今回の部屋は、建物のL字型の曲がっている部分に位置するので、音がかなり遮られるのです。決して静かではありませんが、うるささはあまり感じません。
サリュートホテルは、2005年1月も8月も泊まりました。今回気が付いた大きな変化はエレベーターが新しくなっていたことと、シンボルマークが変わっていたこと、1回喫茶室がロビーから直接見えないように植木で目隠しができていたことと、前にも書きましたレストランの明るさです。


そんなサリュートホテルで迎える朝も、4日目です。バイキングの料理もまあ毎日同じようですが、それは平気です。さっさと済ませて、部屋でのんびりです。テレビの天気予報は「モスクワの気温は20度、晴れ」です。ハラショー。
小さな旅ノートはこの「マーミンカ通信」ネタ帳ですが、忘れないようにと書くことが、たくさんあります。ロシア語の復習もしておかねばなりません。~~~~と、思いつつまた眠ってしまいました。
2006年06月24日
** 27 ** 新車披露会
===5月5日 夜 モスクワ南西部 劇場の駐車場にて ===
劇場は、観客を追い出すようにして、さっさと電気も消して暗くなります。もちろん裏の楽屋は、俳優たちが居る間は明かりが灯っていることでしょう。
暗くなってしまった劇場の前で、シューラを待っていると、劇場の俳優専用駐車場のあたりがにぎやかに人が集まっているのが見えます。楽しそうな雰囲気です。「なにをやっているのかしら?」
シューラがニコニコとやってきました。手には、男性からの花と私からの花を大事に持っています。「昼間はコースチャに会えたかい?時間は大丈夫だったかい?地下鉄もわかったかい?」と質問攻めにされて、「みんな大丈夫だよ」と答えました。
「で、彼らはなにやっているの?」と、聞けば。
「リョーバが新車を買ったので、今夜はお披露目会だよ。おいで、ワインがあるよ」と駐車場の方へ。と言いましても、ホテルへ戻る通り道ですが。
この劇場の人気俳優で、ウラル地方出身で、シューラとも仲良しで、3月の来日時に誕生日を迎えたオレク レーウシンは愛称 リョーバ、女性ファンが多く独自のサイト(←やや重い)も持っています。
俳優やスタッフがどんどん集まってきて、ワインとジュースと、たっぷりのイチゴが振舞われています。シューラが「ワインとイチゴ、たくさんもらっていいよ」とワインを注いでくれて、それがとっても美味しくって。と、俳優コパロフが、「こうやって車にかけてお祝いするのさ、リョーバ、車にかけるよ。おめでとう」などと、コップのワインをいまにもボディにかけようとするので、リョーバは「こら、だめだよ!」と笑いながら、コパロフさんを押さえ込んで……。
車のタイヤのところへワインをかけて、ワインを飲み干して、それがお祝いで、車の無事を祈ることとなるそうです。。リョーバは私に、「良い車でしょ!前の車は、ほらあそこ、あれはもう売ってしまうよ。この新しい車とぼくと写真に写してよ」などと、とてもうれしそうです。

イチゴが美味しくって、乾いたのどに甘い果汁が沁みます。シューラもバクバクと食べていますが、私も負けずにいただきました。にぎやかな俳優たちの集まりは、なかなか崩れる様子はありません。

私は適当なところで、ホテルへ引き上げることとしました。シューラに告げると、「そうだね、もう遅いから。明日は、14時ホテルロビーに下りてきて。買い物をしてからカリーナの家に行こう」。
ワインで軽く酔い、ふらふらとホテルまで歩いて戻りました。寒くも、暑くもない気持ち良い夜です。 Спокойной ночи !!
2006年06月23日
** 26 ** 写真をお楽しみください
=== 5月5日 モスクワの夜 ====
サッカー応援などでお疲れでございましょうから、きょうは、写真集といたしましょう。

グリシェチキンの演じる ボウランド 私の苦手な胸毛が濃い、濃すぎます。
右にいる女優は、カリーナ。後ほど詳しくお伝えしますが、5月6日午後は、彼女の家で美味しい食事をいただきました。

小さい劇場の出入り口は、このドア1枚だけ。俳優たちは裏にある楽屋口からの出入りです。

ユーゴザーパド劇場の座席表です。階段状になっている、たったこれだけの座席です。手前から1列目、下が舞台という表記になっています。舞台から見た観客席の表示です(西洋式)。日本では、観客の側から見た座席表(日本式)で、舞台が上に表記されます。日本の一部の新しいホールなどが、この西洋式を取り入れていますが、日本式を見慣れた目には、混乱を招いています。
(「日本式」「西洋式」は、私の呼び方で、一般的にはなんというのでしょうか知りません)

小さい写真で恐縮ですが、シューラもボウランドを演じています。ユーゴザーパド劇場ではなく、別の小劇団では、シューラ演出で、出演で「巨匠とマルガリータ」を時々公開します。。
このボウランドは、怪しくって少々こっけいで、でもすっごく怖いです。

もう二度と会えない、怖いボウランド。名優・故アビロフです。
2006年06月21日
** 25 ** お花を渡すとき
===5月5日夜 モスクワのユーゴザーパド劇場にて===
「巨匠とマルガリータ」は3時間半に及ぶ芝居です。日本公演のときは、かなりカットして3時間くらいで演じたそうですが、モスクワの自分たちの劇場では思い切り演じきるので、アドリブなどで時間が伸びてしまうこともあるとか。
途中の休憩時間に、受付の花瓶に挿しておいたバラの花を客席に運んできて、2幕がはじまるときに、そっと足元に置いて楽しみました。2幕は、シューラの出番はあるのですが、暗い場面で踊っているだけです。でも、1幕目で表れたすべてが2幕目で結実するように、最後までスピードは落ちずにきれいな舞台が続いていきます。ボウランドの有名なせりふ「原稿は燃えないものだ」も、胸にずしりと響いてきます。もちろん私のロシア語理解力では、まったくせりふの細かいことが理解できず、本当はものすごく悔しくってたまりません。
「ああ、あなたたちそのせりふ、日本語でやってくれませんか」と思っているのですが、彼らはロシア語で演じるからこそ、これだけの胸を打つ芝居ができるのですよね。
芝居は感動を生んで、終えました。拍手喝采です。
俳優たちは、舞台に出てきて挨拶をします。さあ花を渡すときです。
私は、舞台の下手側(しもて=左手側)の端っこで、俳優たちが並ぶ様子を見てチャンスをうかがいます。出演の俳優が横に並び、頭を下げて、すぐに引っ込みます。1回目その様子を見ると、シューラは上手側(かみて=舞台に向かって右手側)に立っています。「まあ、あちらまで舞台を横切って渡しにいかねば」。観客は、「あの日本人らしき女性は俳優のだれに花をわたすのかしらねえ」と、注目していることがわかります。
2回目にシューラが舞台に現れたときに、観客たちの視線を背中にいっぱい受けて、バラの花を渡しました。日本語で「かっこ良かったよ、すばらしかったよ」と言いながら。
彼はとても素敵な笑顔で 「 Спасибо ! 」。
前に座っていたやはり花束を持っていた男性も立ち上がって、シューラに渡しています。客席から大きな拍手です。私はもう自分の席に戻らず(だってまた舞台の前を右から左へ移動しなけらばなりませんから)、上手側の柱のかげで、また拍手を贈りました。
客たちの興奮は治まらずいますが、客席には灯りがともり、芝居はもうすっかり終わりました。
観客たちはそれぞれに狭い通路を通り、外へ向かいます。だれもが素敵な笑顔です。
外は、もうすっかり暗くなっています。ドアの前でシューラを待ちましょう。
2006年06月17日
** 24 ** 「巨匠とマルガリータ」、きょうの出来は?
===5月5日夕方 ユーゴザーパド劇場にて===
劇場ドアが開いて、切符をもぎるところに立っていた女性は、昨日いっしょにダーチャへ行った、ニーカでした。「こんにちは」とあいさつをしたら、私が持っているバラを見て、「そこの花瓶へ入れておいてね」。バラを渡すのは芝居の最後の最後なので、花瓶に入れておきましょう。
「きっとシューラはいまごろ化粧しながら本日の役つくりに入っているのだろう」と、ちょっと思った私は喫茶室の美味しいアイスクリームとオープンサンドと紅茶で、小休憩です。昨日のダーチャ行きで太陽をしっかり浴びて時差の調節もスムーズにできたようで、日本時間深夜の時間ですが、きっと眠くはならないと思えます。が、念のため眠気防止シールを、こそっとこめかみに貼っておきます。
きょうの座席は前から3列目の下手側(しもてがわ)=舞台に向かって左手方向=の席です。きょうも満席、男性の姿も多いです。
幕開きで驚いたのは、きょうの配役がいくつか代わっていたことです。主役の悪魔のボウランドは、グリシェチキン が演じています。彼の演技力もすごいものがあって、この劇場だけではなく他の劇場や、テレビ・映画にも出演している有名な俳優です。正直私は彼が苦手です。なぜ?それはのちほど…。
ボウランド役は、以前はこの劇場の看板スター、アビーロフが演じていました。恐ろしい悪魔でした。本物の悪魔みたいに怖かったですね。2003年の来日公演は、アビーロフのボウランドが話題になりました。
大名優で人気者だった彼は、病気で亡くなってしまいました。この劇場の創設時期から活躍していた俳優で、内外に与えたショック大きかったです。その頃のシューラも元気がなかったです。
演出家ベリャーコビッチ氏が演じているボウランドは、インテリで怪しい色香たっぷりの悪魔です。カッコ良くってどきどきして観ました。ことし3月の来日公演は、ベリャーコビチ氏のボウランドでした。
マルガリータの役も代わっていて知らない女優です。いつも演じているオリガは、美人で声が良くって、舞台栄えのする立派な体格です。きょうはどうしたのかしら?
何度も書きますがユーゴザーパド劇場は、小劇場ですから俳優の人数も少ないです。でもすぐに舞台に上げることができる芝居の数は多く、ひとりの俳優が持っている役もたくさんあります。
その人の当たり役=この役はこの俳優でなければならない=というものもありますが、時には役が代わることもあります。いつもは演じないがいつでも演じられるようにと、俳優たちは相当な役割を持っています。だから、自分が舞台に立たない日でも、劇場にはいつも来て、他の役のけいこをしたり本番を見たりして、イザというときにも備えることができるのです。本当のプロですから。
先日の「検察官」の舞台では、市長の妻を演じたのは女優チュルバでした。あとでシューラが言うには、この役をいつも演じている魅力あふれるベテラン女優・イリーナが、軽い病気でここ数日舞台に立てなくってチュルバに変更されたそうです。チュルバは、かなり緊張していて、それは観客にも伝わりましたから、ちょっと残念でした。
「巨匠とマルガリータ」に戻って。
幕開きしばらくすると、俳優たち総出演の、ダンスパーティの場面。シューラが銀髪のかつらで、背中の開いたドレスにハイヒールの女装で、踊ります。ちょっと滑稽なこのステップがすばらしいです。大好きな場面です。
そして、芝居はいつもどおりエネルギッシュに、リズミカルにすすんでいきます。
が、が、どうも私には、ちっともちっとも「素晴らしい」との感動が産まれてこないのです。どうしてでしょうか?ええ、たしかにもう何回も観ていますから、私の側に緊張感がないのかもしれません。ええ、ボウランド役のグリシェチキンの胸毛は苦手ですよ。ええ、マルガリータは知らない女優ですよ。だからでしょうか?
シューラの演じるバレヌーハ、悪魔集団に乗っ取られて大騒動となる劇場の支配人。悪魔集団は劇場の管理者たちを混乱に引きずり込み、バレヌーハも発狂寸前に、悪魔のひとりに噛み付かれて、吸血鬼に変身させられてしまう、そんな役。彼の持ち味いっぱいの見せ場たっぷりです。登場するだけで拍手が起きています。きょうも熱演です。
バレヌーハとからむ、劇場経理部長リムスキーの役もきょうは代わっています。いつも演じているボリソフではなく、シャヘットです。
シューラの演劇大学同級生で、卒業後はポーランド国ブロツワフ市に居て、またモスクワに戻り俳優をやっているという、背の高いやせ型で日本語が上手い、シャヘットです。
3月の来日公演には来ていませんでした。シューラが言うには「マキシムは、多くの仕事があって、日本に来れないし、昨年からユーゴザーパド劇場にも出演していない」。だから、きょうの舞台に登場したのは、私はちょっとびっくりでした。
芝居は、それはきれいです。美しいです。余分なもの無駄なものはなにもない。なのに私が感じるこの不満足感、きれいすぎるからでしょうか。とても贅沢な悩みです。あまりにも上手すぎる芝居の前で、癒されすぎた心は、なにかしらの刺激のためにか、あら捜しを求めているのですから。
** 23 ** バラの花を持って
====5月5日 18時ごろ まだ明るい混雑のユーゴザーパド駅周辺 ===
俳優や歌手、舞踊家など舞台関係者へ花を贈る日本の風習では、「誰が誰に対してこの花を贈ってきたのか」を名札を立てて、人目のつくところへ飾ります。受け取った舞台人は、それはうれしいことですし、花を見る人々も心穏やかになります。時には「これは相当奮発した花飾り」と値勘定をしてしまったりして、楽しみます。
ロシアでの花を贈る・飾る文化に興味があります。花の本数は、奇数が基本で、1本だけ贈っても失礼ではないこととか、茎は長くしたまま贈ってもらい主が自分で長さを調節するとか、女性→男性、男性→男性もありとか、葬式の赤い花はソ連時代に流行ったとか……、花を贈るロシアも含めた各国の文化をちょっと検証してみようと、いま思っています。
さあて、俳優に贈る花を買い求めましょう。
町に花屋が多いです。ワゴン車に花を満載にして寒い季節でも、街角で売っている光景はこの国の人々も花が大好きと、わかります。サンクトペテルブルクよりもモスクワのほうが、人口当たりの花屋の数が断然おおいのじゃあないですか。と、ちょっとだけ歩いた旅人が見た目だけのものですが、花屋は多いです。
ユーゴザーパド地域の商店街にもいくつも花屋があります。出合った花屋。ドアを開けるとバケツの切花が満載、ブーケもたくさん作られ並べられている。
「こんにちは。俳優に贈る花を買いたいですが……」
「このあたりのバラはいかが?」
「うーむ、赤いバラか黄色か、それとも違う花か、どうしようかな?」とは、心の中で。
「ブーケもすてきでしょう」と笑顔の花屋の女性は、飾られているブーケを手にして見せてくれる。
「たしかに、きれいで豪華……、でも値が高いなあ」とは、心の中で。
「きょうは、このバラにします」と、ブーケはやめて、ちょっと紫ぽいピンクのバラを1本買う。すでにおしゃれにラッピングされているので、すぐに受け取り代金は、……、忘れてしまった。旅手帳にも書きとめていなかった。80ルーブルだったかな?320円くらいだったような。
マンモス展示場で、アリョーシャからいただいたおみやげの大きなビニール袋!!を下げ、バラの花を1本大事に持って、劇場へ歩いている。と、ハンドバッグの口が開いているではありませんか!
ぎょっとして、バッグの中を見ると…、なにも異常はなかった。なぜバッグの口が??
花屋でお金を出して、おつりをもらって、そのままバラの花に気をとられていて、バッグの口は閉めなかったのでしょう。花を持ったまま、バッグの口を開けたまま、隣の八百屋の店先や化粧品屋ものぞいていたのでした。あれだけ「スリに気をつけよ」と刷り込まれてきたのに、いつも細心の注意を払っているつもりなのに。スリさんと遭遇しなくて、ホントに良かった、その幸運を喜びます。
劇場の前に付けば、ちょうど劇場入り口ドアが開けられたところで、待っていた人々が劇場の中へと入っていくところでした。
2006年06月16日
** 22 ** 地下鉄の人々
===5月5日 夕方近くの地下鉄にて ===
5日は、金曜日。ロシアは、6日の土曜日に振替出勤にして、7・8・9日3連休となる、ロシアゴールデンウイーク(とは、呼びません)です。6日の土曜日も休日になるところもあって、「きょうの金曜日は、休みの前に仕事を片付けておく日」とかで、17時ちょっと過ぎに地下鉄の人となりましたが、混んではいません。
車内の人々見回してみると……。
5月のはじめ。寒い日もあったり暑い日もあったりで着るものに悩みます、日本でも、モスクワでも。私も旅の仕度は悩みました。きょう(5月5日)は、暖かい日です。1着だけ持ってきたシルクの長袖上着とスカートで大丈夫でした。
きっと彼らも悩んだことでしょう、きょうは、なにを着ようかな?と。人それぞれの服装が私に悩み具合を教えてくれます。
左隣の青年は、セーターを着ています。右隣の若い女性は、おへそが出ている短い半そでTシャツです。でも足元は毛皮が飾られたブーツですね。
前に座る女性たち。革のコートを着ている人。薄いブラウスの人。厚手の毛糸製半コートの人。12歳くらいの可愛い女の子ふたりは、ひとりは薄手セーターの上にGジャンと白いパンツ、もう一人は半そでTシャツにミニスカート。手にセーターを持っています。
濃いまゆげの男性ふたりは、旅の人でしょうか。かなりの厚着に、ふくれたカバン、包んだ荷物を持っていますから。顔がそっくりで、兄弟かな?とつい目がいってしまいます。
みなが帽子をかぶっていないことが、冬の必需品の「帽子はもう要らない春、5月だから」と、全員で決めてきたみたいです。
車内では、みな黙っています。というか、地下鉄の走行騒音で話しなどできません。本を読んでいる人が多いです。クロスワードパズルを解いている人も多いです。途中から乗り込んできた、かなり大型女性と小型男性は、数独(ナンクロ)に興じていました。
いつもおもしろく思うのは、みんなビニール袋を手に提げていることです。商品や商店のCMロゴ、または季節や景色のなど模様の厚手ビニール袋を手にしてます。布製やブランド品のトートバッグ(買い物袋)などを持っている人をみません。女性はハンドバッグを持っていますし、男性は肩からかける布製カバンやリュックサックの人も多いですが、手には、ビニール袋です。日本で多い紙袋はありません。
眠っている人は、あまりみかけません。と、ふたりの12歳くらいの少女のひとりGジャンちゃんが急に眠ってしまい、ちょっと美人台無しの寝顔。ミニスカ少女が肩をつついたり、足を押したりしても、眠っています。ユーゴザーパドナヤ駅到着。終点駅なので「お客さんはみな降りてください」。眠っているGジャンちゃんを起こすミニスカちゃん。耳元でなにかを言ったらは、Gジャンちゃんはパッと飛び起きていました。
「出口」への人のながれのまま付いて行き、外へ出れば、夕方の混雑風景がここにはありました。
空はまだまだ明るい18時。さあ、いまからユーゴザーパド劇場へ。「巨匠とマルガリータ」を観ます。俳優に贈るために、花を買いましょう。
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7月8日、オフ会開催
くわしくは、こちらへ
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2006年06月15日
** 21 ** 短い時間の再会
====5月5日 モスクワの午後 ====
今回の旅は、5月2日出発、同月16日に日本へ戻ってきた、ひとり旅でした。毎日毎日がいろんな出来事が山盛り満載でした。そのどれもがみなさまにお伝えしたいことばかり。ですから、この連続カテゴリー「ロシアの2都市、春を歩く」はかなり長編・長期連載となりそうです。お付き合いくださいね。
○ ○ ○ ○ ○
全ロシア展覧センター・マンモス展示場(パビリオン№71=ICE AGE)を楽しみ、事務室でお茶もごちそうになりました。そこでちょっとこんな会話が。
質問、私 「 日本から戻ってきてかわったことはありますか?」
答え、リョーシャ 「 なにもかわらないね」
答え、コースチャ 「ぼくは、いろいろかわりました」
リョーシャは、ロシアビジネスマン。日本での生活も仕事の一部でしたから、クールなお答えですね。私はちょっと期待しておりました。「日本様式を生活に取り入れているよ、畳の部屋をつくったよ」なんて……。が、みごとハズレでしたね。
コースチャは、現役の大学生で、かなり厳しい試験を経て万博ロシア館で、通訳仕事で半年間日本生活をしました。それが人生にいろんな変化をもたらすのは、当然でしょうし、そうであって欲しいものです。大学卒業後は、日本語が活用できる仕事に就く予定だそうです。(もういまは、決まっていると思われます)。
また、このマーミンカ通信を経て、日本人ビジネスマン氏と知り合い、モスクワで勤めたコースチャの通訳仕事は、ビジネスマン氏から高いお褒めをいただき、次の仕事も予約されているそうです。日本人ビジネスマン氏は、「良い通訳・コースチャ君に出会ったおかげで、モスクワでの仕事が開拓されました」。
私もとてもうれしいです。
万博ロシア館で後半のモスクワ市担当スタッフのユーリアさんは、同じ全ロシア展覧会センターの中で働いています。昨年8月にお会いしたマルレンさんの同僚です。ユーリアさんとは、奈良や伊勢、岐阜などいっしょに行きました。だから、今回とっても会いたかったのです。が、忙しそうで、お会いできた時間はほんの数分でした。
彼女のオフィスをちょっとのぞかせていただきました。机の前には、私が送ったクリスマスカード=キティちゃんがおしゃれをしてメリークリスマス=を飾っていてくれました。その隣には、万博記念スタンプ帳もありました。「日本へまた行きたい、けれど遠いわねえ」。
短い時間の再会でした。私も午後5時には地下鉄に乗ってモスクワ南西部にも戻らねばなりませんでしたから。もっと時間があれば、みなでお食事をしたかった……。また、次回にお会いしたときは、ぜひ!!熱い抱擁で、再会を約束しました。
コースチャといっしょに、地下鉄に乗ります。途中までは同じ路線です。「日本へ、またぜひ来てください。みんなが待っていますから」と、金属音がうるさい車内で大きな声で伝えました。
2006年06月10日
** 20 ** ICE AGE 展示場
===5月5日 午後のモスクワ・全ロシア展覧会センターにて===
モスクワ市の北に位置する広大な土地にソ連時代の建物が並ぶ、ここ全ロシア展覧会センターは以前にもご紹介いたしました。
広い敷地に展示場が点在するのは、昨年の愛知万博に少し似ている雰囲気です。
なぜここに私はいるのでしょうか?そう、万博のロシア館展示の大事なものはここからやってきたからから、です。それといっしょにやってきた愛すべき友人に会いたいから、です。
愛知万博の人気展示物のひとつは、冷凍マンモスでした。これは、ロシア連邦内サハ共和国所有のものをロシア館とはまったく違う場所にある冷凍庫展示室で、大事に展示したのでした。行列に並んであっと言う間の時間だけ、ご覧になった方も多いでしょう。そのひとりの私ですが、「まあ頭だけでかわいそう」って思ったものです。
が、ロシア館には、もうひとつのマンモスがいました。覚えていますか?骨格標本マンモスと子供マンモスのレプリカでしたね。当所は、「触っても良い」マンモスでしたから、大勢の人たちが、牙や骨に触れて「おお、マンモスだあ~」と喜びました。が、触ってもいいけれどぶら下がってみたり、引っ張ってみたりをしてはいけません。なのに、そうしてしまう人たちが続出して、ロシア館マンモスは「触らないでください」となりました。大事な財産・商品だから。
日本へやってきたマンモス骨格は、ここ全ロシア展覧会センターのパビリオン番号71番 ICE AGE の所有物です。マンモス骨格といっしょにやってきたのが、ここの職員、アレクセイ クルトイ です。別名マンモス リョーシャ。彼にも会いたかったから、コースチャとともに、パビリオン 71番に向かっています。
と、すでに入り口でリョーシャが待っていてくれます。よりマンモスに、じゃなく横に大きくなってしまったリョーシャです。

(日露通訳、コースチャ(左) と マンモス担当 リョーシャ)
リョーシャは万博開幕(05年3月25日)からしばらくして来日し、終了後の後片付けなどをしてモスクワへ帰りましたから、半年近くの日本生活でした。人々がわんさかと大勢押し寄せた万博ロシア館で、マンモスを守りながら、日本の生活もエンジョイしていました。モスクワに戻ったら、ほっとしたのでしょうか、大きく成長してしまい、驚きましたよ。
ICE AGE パビリオンは楽しいパビリオンで、ちょっと万博ロシア館に似ている雰囲気です。入り口にそびえ立つ、白熊と黒熊は、「本物だ~」と子供も大人にも人気です。私も彼らのふかふか毛皮を何度もなでました。顔は怖いけれどこの毛皮は、とても優しい感触です。
もう絶滅してしまったという、一角サイやシベリア狼などの剥製、マンモス牙や骨の部位は、いくつもいくつも展示されています。「たくさん持っていますから」。
日本へやってきて、さわられまくった骨格標本は、いまはアメリカへ出張中とか。でも、ちゃんと仲間がいて威風堂々展示されています。
ロシアの氷河期の大地に生きた動物たちを通して、広大なロシアの国を知らせるための教育的・観光的な役割も持っているパビリオン、子供たち学生たち、旅行者などへの企画展示、宣伝なども職員の仕事です。リョーシャも、これからの企画の責任者のようで多忙です。
お土産品コーナーもあります。映像展示室もあります。写真撮影もOKです。
モスクワにお出かけの際は、ぜひお立ち寄りください。パビリオン番号71番へ。
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オフ会のお知らせ
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2006年06月07日
** 19 ** 再会は地下鉄出口で
== 5月5日 午後 モスクワにて ===
昨日(4日)は夜遅く戻ってきて、なにもせずすぐに眠ってしまいました。
目が覚めたのと「暑い」と言ったのは同時かしら。外はすっかり明るく、車の音もひっきりなしに聞こえます。身支度をさっと整えて、1階のレストランで朝食です。
ミルクかゆが私のお気に入りです。バターが浮いているのですが、甘くってなんだか懐かしくてたまらないミルクの味とやわらかいお粥。元気がでます。
もうひとつ気に入っているのが、日本で言うところの「飲むヨーグルト」ですね。ここはあらかじめグラスに注がれておいてあるのですが、とても美味しいのです。
部屋に戻ってゆっくりのんびり。テレビの天気情報は「きょうのモスクワは22度くらいになるでしょう」。たしかに部屋も暑いが、平気です。きょう、万博ロシア館でお世話になったコースチャとアリョーシャとユーリアに会えることは、楽しみでわくわくして、少々の暑さなんて、日本の夏にくれべりゃなんのことです。
コースチャとの再会の約束の場所は、地下鉄BDHX の出口で、15時です。
では、ちょっとモスクワの地下鉄について。
大都市モスクワの地下鉄路線図です。街の中心部をぐるりと囲み、南北に走る線が多いですね。
「ユーゴザーパドナヤ」駅は、赤い路線1号線の一番南西部にある駅、終点・始発の駅です。バスなどに乗り換える人々も多く、いつもとても込み合う駅です。モスクワの地下鉄駅は、美術館みたいと旅行ガイドブックには書かれいますが、ユーゴザーパドナヤ駅構内は、宮殿どころかなんにもおもしろみのないただの「駅」です。
住宅建設がどんどんすすめられてる街で、駅の周りは、いろんなお店が大小いっぱいあります。大勢の人々が行きかいます。私がはじめてこの辺りへ行った2001年からことしの5年の間に急激な変化の街です。

(2005年8月撮影のモスクワ南西部建設ラッシュ風景)
地下鉄の入り口と地下横断道路がいっしょになっていて、混んでいます。地下鉄入り口のドアを開けました。と言うよりも前の人について、後ろから押される感じで、地下鉄駅に入り込みます。
予想は的中して、午後の時間なのにすごい混雑です。いや、なにか事故か事件でもあったのか?と思える人だかりに、一瞬ひるんでしまいました。が、よ~く見ればみんな切符を買い求める人の列です。
こちらの地下鉄の駅はすべて一方通行です。乗る人(入り口)降りてきた人(出口)の人の波はきれいに流れるのですが、切符を買うのにこの混雑は日本でみるずらりと並ぶ自動販売機での切符購入ではないからでしょうか。それよりなにより、ユーゴザーパドナヤ駅は狭いのですね。
最初はぐちゃぐちゃではじまった切符を買い求める人の波は、だんだん少しはきれいに並んでいきます。こういうところで一番気をつけることは、スリ !! 「だれもそばに来るな!!」オーラーを発光して、順番を待ち、小さな窓口に顔をつっこむようにして、中にいる女性に「5回乗車の券ください」と70ルーブル(約280円)を払い、さっと受け取ります。日本では、いまはもう懐かしい切符の対面販売です。
ちょっと見づらい写真でごめんなさい。

このカード式回数券を自動改札機に入れて、人の流れに沿って乗るエスカレーターは、スピードが早いと書くよりも、速いがただしいでしょうか。それは慣れるまでは怖いと思える速さです。ホームで待てばすぐに電車はやってきます。始発駅ですから座れます。
真っ暗の洞窟を鉄のかたまりが猛スピードで突き抜けていく、その中で乗客はひとつの点となって、目的駅を目指します。駅と駅の区間も長く、車内にはするどい金属音が走行中響き渡るのです。駅に止まるごとに聞こえる車内案内を聞き逃さないようにして、目的駅をめざします。
乗り換え駅では、人の流れがわかれるので気をつけて!出口の流れについていってしまい昇りエスカレーターに乗ってしまっては、もう引き返せない。キリル文字だけの案内板をよーーく確かめて。
今度は、オレンジのライン6号線に乗り換えます。降りた駅は、「チーストエ ブルドイ」、外へ出ずに構内を歩いて乗り換える駅は「ツルゲーネフスカヤ」です。ここでは、ラインによって駅名がかわりますから、これも注意が必要です。
乗り換えてすぐに、目的の駅「ヴェーデーエヌハー」駅です。降りるときには、切符の回収とかありませんので、出口を通ればもう、外です。
余談ですが、日本へやってきたあるロシア人。降車するときにも切符が必要だという、切符に対する緊張感を持ち続ける日本の乗り物のルールがわからず、いつも車内で切符をなくしてしまい、いつも降車時は怒られてしまったそうです。
にぎやかな地下鉄駅周辺です。「全ロシア展覧会場」へ続く道です。駅の周りには多くの店が立ち並び、待ち合わせの人々も多くいて、きょろきょろと、コースチャを探します。約束より10分早く着いたので、待ちましょう。と、「全ロシア展覧会場へ行きたいが、どの道だね?」、「◎▽×*は、どこか?」などと聞かれたり、私はそのたびに、「ごめんなさい、わかりません」と答えてばかりでした。
さわやかな五月晴れの気持ちが良い日です。地下鉄の出口から人が出てくるたびに背の高いコースチャを探せば、約束の時間ぴったりに、やってきたコースチャ!!再会を大いに喜びました。
2006年06月05日
** 18 ** ダーチャを見に行く?
===5月4日 夜 モスクワ南部の郊外で===
5月はじめの日没がはじまる時間は、21時半すぎくらいです。まだ明るい20時半ごろ、シューラが「さあ、帰るよ」と宣言し、飲み食いしたゴミを片付け、ダーチャから自宅へ持っていくものを車に積込み、火の始末と戸締りをしっかりして、ダーチャを後にします。
ミーシャの車が先に、シューラの車が続き2台は果たしてどこへ向かっているのでしょうか?1時間ほど走って目に見えるのは、広い原っぱといくつかのダーチャがずっと続く場所。ダーチャ村みたいなところでしょうか。もう日が暮れてきているので、いくつかのダーチャには明かりが点っています。真っ暗なダーチャ、新しく大きなダーチャ、まだ何も建っていない原っぱ、建てかけている途中のダーチャ……。
ミーシャとシューラのふたりは、原っぱの中をどこかへ歩いて行きます。後で知ったことは、このあたりがシューラの新しいダーチャ土地だということと、その近所には俳優仲間も集まっているということでした。もっと明るい時間に見たかったなあ。ふたりは、歩きながら話し込み、私たち女性陣はやや寒くなってきたので、車の中で待機。日が暮れるとあたりは急に真っ暗です。
彼らも「寒いなあ」と言いながら、車は再び動き出しかなり走るも、そのダーチャ村は延々と続く広大な土地です。街路灯などなく真っ暗です。久しぶりに真っ暗な道を走る体験をしました。で、やっぱり途中迷いました。シューラが、車が。
機転を利かしたミーシャの車の助けがなければ、一晩ダーチャ村から出られなかったかも。
モスクワに近づくとともに周辺は町の灯りでどんどん明るくなってきます。でも、車は順調に走っていますから大丈夫です。
きょうのダーチャ体験は、ロシアを知る上で貴重なものとなりました。
モスクワ市民ならではのいろんなしんどさがあるでしょう。が、そんな彼らもダーチャが好きならば、夏の日の長い一日、緑と花に囲まれのんびりと好きなようにしてよく、大地を耕し収穫もでき、家族そろって楽しい時間を過ごし……、これは生きるエネルギーが「復活」できます。しんどさなんて、吹っ飛んでしまいます。
もちろんダーチャ生活からもストレスが生まれているのも現実のようです。往復の車の大渋滞、ダーチャの維持管理、近隣トラブルなど諸問題もあるようです。
もっと大きいダーチャが欲しい。こんな不便なダーチャは要らない。古いダーチャより新しいダーチャが欲しい。農作業なんてやりたくない。そんな理由で、ダーチャにまつわる交渉や契約やもめごともあるようです。ダーチャの売買はさかんに行われています。看板や張り紙をあちこちで見ます。決して安い買い物ではありませんし、一生物の買い物となるので慎重であり、大胆にもなるでしょう。
いろんなことが体験できたとても良い一日でした。午後11時30分、もうしっかり夜。ホテル玄関に到着しました。
「明日は地下鉄に気をつけて乗って、15時、コースチャに会うのだよ。そして、『巨匠とマルガリータ』に遅れないように」と、優しいシューラは明日の私の行動を気遣ってくれました。
2006年05月31日
** 17 ** ダーチャ的食生活
=== 5月4日 午後 モスクワ南部郊外 ダーチャの庭で ====
とても気持ちのよい晴天の日です。半そでTシャツでいても寒くありません。
掃除や片づけが終わったら、「さあ、お茶にしますよ」。
ちょうど俳優仲間のミーシャとニーカがやってきました。ふたりは、さっそくお茶の席に座ります。
大判うす型アルメニアパン (лаваш)に、きゅうりとトマトに各種ハーブ、彼らの好きなマヨネーズをたっぷり入れて、くるくると巻いて、紅茶といっしょにいただきます。




その後は、みんなでダーチャの外へ散歩に出かけます。のんびり木立の中を歩きながらおしゃべりを楽しみます。歩いているうちに暑くなってきました、気温が相当あがっているようです。

戻ってくると、メインのシャシリークです。シューラとミーシャが仕切ります。炭が燃えて面白うそうなので、炭を触ったら、シューラに 「Не надо !!! 」と怒られちゃいました。

私がどうもよくわかっていないのですが、味付け肉ですか、これ?
これを串に刺して、熾って(おこって)いる炭の上に程よい距離を置いて、並べます。途中で、肉の入っていた容器の中の汁をかけます。



良いにおいがするので突然猫も参加してきました。


焼きあがると、串からはずします。ナイフを使い大皿にまず入れて、そこから各自に配膳します。これは女性がさわっても良いみたい。各自好きな食べ方でいいようです。マヨネーズの人、塩の人(わたし)、マヨネーズとケチャップの混ぜ合わせソース(ミーシャおすすめ)、ハーブをまぶして(これもわたし)など、好きなように食べます。
ああ、ワインもね。もちろん運転手はダメです。シューラもミーシャもワインは飲まず、クワスとかりんごジュースを飲んでいました。つまり、女性人はワインを楽しみました。
お肉が終わると、彼らの大好きな甘いケーキの時間です。たっぷりの紅茶とロールケーキやお菓子をいただきます。お湯をどこで沸かしているのかと思ったら、部屋の中にコンセントがあり、電気ポットを使っていました。

とても幸福な時間です。彼らのエネルギー源は、ダーチャだと、わかります。
家族そろって、ときには親戚や友人たちを誘って、ときには友人たちダーチャのところへも行ったりして、こうしてのんびりとした時間を過ごして……。

シューラは私に言いました。「ぼくは他のところにダーチャの土地があるのだけれど、まだ建物が建てられない。次の機会には、ぜひ新しいダーチャへ連れて行くよ」。
「私もダーチャが欲しい。買いたい。毎週飛行機で通うよ」と言ったら、「それは良い考えだ。もうホテルに泊まらなくても良いね」。と賛同を得ました。が、できるわけないじゃんか。

将来のユーゴザーパド劇場をしょってたつ、名優 シューラ(右)& ミーシャ です。
** 16 ** ダーチャの周辺は
=== 5月4日 午後 モスクワ南部近郊のダーチャで ===
ここは、田舎の小集落のはずれにある、ダーチャの集まりの一角です。
シューラたち家族はことしはじめて、やっとダーチャに来ることができたと言いながら、外の塀の鍵、建物の鍵も開けるとき、とても緊張していました。ひと冬、それもとっても寒かった冬をルスにしているダーチャに、なにか変化があっては困りますから。
最近は、ルスの間にだれかが住んでいたり、悪さをされていたり、ひどいときは、燃やされていたりもあるとか。ここへくる途中にも、火事で焼けてしまったダーチャを見てしまったのです。
ドアの鍵を開けたら、窓際に水の塊があって彼らはちょっと騒いでいたけれど、だいたい無事なようです。さっそく女性たちは、建物の中の掃除です。敷物も外へ出して、床もごしごしと洗うように拭いています。ベッドもありますから、布団も干します。
シューラは外回りの掃除や片付けです。木の枝や枯葉を処理したり、いすやテーブルを、これも洗うようにきれいにしています。お隣や管理者のところへあいさつに行っています。
水道はお隣と共同で使っています。お隣は、もう何度も来ているようで、おじさんは畑を耕し、たぶんじゃがいもを植えつけていました。

お芝居にたとえるならば、5月のはじめは厳しい冬の舞台は完全に終わり、春の舞台がはじまっていますが、まだ音楽が聞こえてきただけ、これから俳優たちが優雅にはげしく演じることがわかっています。春のエネルギーが大爆発をする、寸前の季節です。

木の枝にぶら下げたブランコは、ポーリャのお気に入りです。

ちょっとわかりにくい写真ですが、ネコヤナギがもうすっかり猫から葉っぱに変化したところです。
ダーチャの庭に、イチゴ畑があり、梨の木、りんごの木があり、野菜類を植えるのでしょう、畑もあります。が、きょうはまだなにも手をつけていない彼らです。
ダーチャの隣の丘を越えると、「魚釣りが楽しめる」と言っている池があります。

まだ、水は冷たそうですが、ここにも一気に春がやってきて、釣り人たちが群れるのはすぐのことでしょう。わたし、魚釣りが好きで、こういうところも大好きです。
** 15 ** ダーチャのシューラ
===5月4日 モスクワ南部の郊外 ===
ダーチャはロシア語、「別荘」と訳されることが多いです。私たちの持つイメージの、別荘とはちょっと違うのでしょうか?あるいは同じようなものなのでしょうか?さてどんなところなのでしょう。
いつか、ダーチャに行ってみたいと願っていました。願いはかない、今回の旅で、ふたつのダーチャ体験をしました。
そのひとつ俳優シューラの小さなダーチャを写真を中心にして、ご紹介いたしましょう。
俳優のダーチャです。演出、出演している「巨匠とマルガリータ」のポスターが、部屋の壁にあります。

ダーチャの外で、働くシューラ写真集です。




嬉々として働くシューラを見ることができて、楽しいダーチャの日でした。
次号では、このダーチャ周りの自然をお届けいたします。
2006年05月29日
** 14 ** まずは買い物
===5月4日 モスクワ郊外へ ===
朝、テレビのお天気番組は、「今日は暑くなります。モスクワでは21度になるでしょう」。
えっ、21度。これは暑いくらい。でも要注意です。すでに何度もモスクワに来ていますから、この季節の暑さは本物ではなく、いち日の気温差が大きくあることを知っています。
半そでTシャツを着て、薄手の長袖ブラウスとセーターもかばんに入れて用意しました。帽子とスカーフも。あとは、音楽CDと文庫本と少々の化粧道具とを入れて。
約束の午前10時。1階に降りると、きょうは俳優ではなく、農耕おっちゃんスタイルのシューラがやってきました。
車の後部座席には、妻のターニャともうすぐ3歳になるお嬢ちゃんポーリャがいて、シューラのママのリョーヴァさんは車を降りて私を待っていました。
「おはようございます」のあいさつで再会を喜びました。ポーリャが可愛く笑っています。
シューラは車の(日本車で言えば運転手席側)右前席のドアを開けて立っています。ならば私は左側へ行き思い切りドアをあけて、中へ座ろうとしてびっくりしました。ハンドルがあるから、です。
シューラもターニャもママも大笑いしています。
「きょうは君の運転か…」。
「まあ日本と間違えてしまった…、おほほ」。
あわててシューラが立っている右側に行き、本物の運転手はシューラです。
「いまから、買い物へ行き、それからダーチャだよ」
車は、朝のモスクワ南西部を走っています。そんなに渋滞はなく流れは順調です。車の中では質問攻めです。
「日本は暑いか?」
「日本は冬に雪が降ったか?」
「名古屋は雪が降るか?」
「桜は咲いているか?」
「ホテルの朝食はなにがあるか?」
私の拙いロシア語を彼らは聞いてくれます。時々シューラが運転しながら直して補足してくれます。
超大型スーパー、アシャーンに到着です。
「ダーチャに持っていくものを買う。長男の誕生日(5月7日)の用意を買う」と、シューラが書いたメモをターニャは手にして、超大型スーパーの中を買い物カートを押しながら、いろんなものを買っています。が、各人がそれぞれの買い物売り場へいってしまい、私はポーリャのお守りです。ポーリャと遊びながら彼女のロシア語を聞いていました。
いっぱいあるいろんなものを、ポーリャは片っ端から「これはなに?」「これは靴」「これはなに?」「これは帽子」みたいに、彼女はひとりでしゃべって楽しんでいます。

(巨大スーパーへ押し寄せる人々)

(ずらりと並んでいるケーキ)
超大型スーパーは、いろんな品ぞろえ、ないものはない、です。
客たちはみんなたっぷり買い物をします。
シューラたちも驚く買い物です。
車の後ろトランクに、いくつもの袋に入れたいっぱいの品を積んで、「ここから1時間でダーチャだよ」。
気持ちの良いさわやかな晴天の休日です。
シューラの家族はやっと休日がそろったようで、きょうは貴重な一日のようです。
「やっと休日だから、4日はダーチャへ行きたい。君にダーチャを見せたい」と言い、申し訳なかったけれど、コースチャに会う日を変更してもらったのです。
両脇に大小いろんなダーチャと農園が続く道路を走り、途中ダーチャ用品販売店で買い物をして、また走り、そしてぐるりと曲がったら、「ハイ、僕たちのダーチャです」。
2006年05月28日
** 13 ** 「検察官」を観る Ⅱ
==5月3日 夕方から夜 ユーゴザーパド劇場にて ===
お芝居の舞台は観客の想像力があって成り立ちます。目の前で演じられるのは、ウソの世界です。舞台の上で、役を演じる俳優が「ああ、昨日からなにも食べていないよ」とせりふを言っても、それはウソだとみんなが知っています。「馬の用意ができました」と言われても、それはウソだとみんながわかっています。でも、「あいつは偽者だったのか」とせりふが出たとき、客席のみなは「やっとわかったのかい?」と笑います。ウソなのにウソの世界に、入り込んでしまいました。観客はそれが楽しくってたまらないのです。遊びです。
ウソとわかっているものにどうして、こんなに喜ぶのでしょうか?これが演劇が持つ、観客の「想像力」を引き出させて遊ばせてくれる、おおいなる魅力なのでしょう。
想像させてくれない舞台、これほどつまらないものはありません。なぜ、観客に想像をさせることができない舞台が生まれるのでしょうか?
せりふで説明されつくしたり、俳優が動きすぎたり、逆に動かなかったり、衣装も含めてあらゆるところが汚く醜くなっていたり、芝居が下手で見ているのが不安になったり……、こういう想像力が剥ぎ取られるような舞台は観客は楽しめません。もう2度と見たくないものになります。
わたくし、この劇場の「検察官」は、日本で2回、モスクワできょうを入れて3回の計5回見ています。いつも発見があり、刺激があり、楽しくって、5回も見ても「もっと見たい」と思えます。
私に、大いなる楽しい想像力を与えてくれるのです。
「ああ、気持ちが良かった。素晴らしかった。俳優たち、ステキだったよ」と、終演時、観客は拍手を贈ります。「ブラボー」の声もかかります。
俳優たちは達成感に満ち溢れ、きらきらと輝いています。「俳優やっていて良かった」と彼らのいままでのすべての苦労が、観客からの拍手喝采で報われます。
大満足の観客の私、達成感にあふれる俳優のシューラ。私たちは、もう明かりを落とした劇場の前で、手を取り合って喜びました。「良かったよ~!最高だよ~」
私はホテルまで歩いて帰りました。飛び跳ねるように歩いています。素晴らしいお芝居の世界で十分に遊べて、うれしくってたまりません。
いいえ、お芝居だけでなく、こんなことを言ってくれました。
「明日は、ダーチャへ行こう。きっと暖かい日だから、シャシーリク(屋外での肉の串焼き)とワインで楽しもうよ」。
「何を着て行けば良いの?ダーチャははじめて行くから」。
「黒い服を着ておいで、そして君はなにもしなくって良いからね」。
化粧をすっかり落としても輝いているきれいな顔で、俳優は私に言いました。
ねっ、飛び跳ねてしまいますよね。
2006年05月27日
** 12 ** 「検察官」を観る Ⅰ
===5月3日 夕方 モスクワ ユーゴザーパド劇場にて ===

(シューラ演じる オーシップ )
ゴーゴリー作「検察官」。ロシアではあまりにも有名な話しで、大小新旧プロアマなどのあらゆる劇場で公演される作品です。今夜もどこかの劇場で公演されていることでしょう。
「だれでも知っている話しを、ほかと同じような芝居をしていたのではダメだ。新しいものをいつも作っていかなければいけない」とシューラは言ったことがあります。
それがロシアの芝居です。「僕たちは『検察官』をこういう作品にしました」と、観客の評価を得るのです。観客は、幼いころから芝居をいくつもいくつも見てきた人々です。つまらなけばはっきりと、「なんだい、これはつまらん」と言います。良くできていれば「ブラボー」です。
ユーゴザーパド劇場がつくった「検察官」は高い評価を得て、2000年秋、日本各地でも公演しました。そのときに私は出会ったのです。このすばらしい芝居はその後の私の人生を変えてくれたのです。
もしも、あのときこの芝居と出会わなかったら、私は……、いいや、私はこの芝居と出会う運命だったと、いまも強く思っています。
舞台の上のオーシップ役のシューラの指の先から “光 ” が出ているなどの感想を、友人のロシア人にロシア語訳をしてもらい、手紙にしてモスクワのシューラへ送ったのが、2000年10月のことです。
彼はそれを読み「僕の指からの光を見た日本人」と私に強い印象を持ったと、いうことをこの3月の来日時、はじめて教えてくれました。
きょうの舞台、配役がかわり女優のチュルバの演技は、緊張が観客に伝わってしまい少し残念です。先ほど喫茶室でひとり台本らしきものを読んでいたのは、こういうことだったのと、わかりました。
シューラが、一層しなやかでやわらかな演技となっています。これを円熟と言うのでしょうか。ああ、私にはシューラのすべてが、最高に上手く見えてしまいます。
2006年05月25日
** 11 ** “役” へとなっていく時間
== 5月3日 モスクワの夕方 ===
俳優シューラがいつどのように、きょう舞台で演じる役となっていくのかーーこの旅の途中で、私は彼に尋ねました。
ロシアの劇場は、レパートリー制の日替わり公演です。
たとえば、昨日こんな役を演じて、
「結婚」
きょうはこの役で舞台に立ち
「自殺者」
明日はこんなのを演じる
「じゃじゃ馬ならし」
これが当たり前です。
「シューラ、教えてください。あなたはいつ、どこで、きょうの役になるのですか?」
ロシア功労俳優は答えます。
「家ではダメ。演出家ベリャーコビッチも言うことだけれど、家はいろいろあるから、出来ない。劇場へ入り、鏡の前に座り化粧をしながら、きょうの役になるのです。台本に目を通したりするが、鏡の前の自分が変っていくことを見ることで、役になっていくのですよ」。
そして、ひとつのロシア語単語を教えてくれました。
“ ГРИМ ” 英語でいうところのメーキャップの意味ですが、ロシア語では、俳優やアーチストが化粧をすることをこの単語で言い、シューラは演劇大学で、 ГРИМ 専門コースも習得して、どんな役でも化粧でつくることができると言いました。
もちろん、鏡の前で化粧をしているだけで役になれるはずはなく、すさまじい稽古の積み重ねがあってこそです。そんなことはひとことも言わず、笑いながら、「最初は、こんな顔が鏡の前ではね、こんな顔に変化していくんだよ」と顔をいろいろ変化させ、この話しをしてくれました。
きょうの役は「オーシップ」。私がはじめて見たロシア演劇、はじめて見た俳優シューラ、そして惚れ込んだ役がこの「オーシップ」です。いまごろ、鏡の前で、オーシップに変身していっているのだろうと、想像しながら、私は一番前中央の客席に着きました。まもなく開演です。
2006年05月24日
** 10 ** 俳優たちとの再会
==5月3日 モスクワの夕方 ==
ホテルサリュートとユーゴザーパド劇場は、目と鼻の先の距離です。歩けば7分くらいでしょうか。劇場からホテルまでは、一方通行などあって遠回りになるのですが、ホテルから劇場まではすぐ、シューラの車は、ちょっと走っただけで劇場駐車場です。
俳優たちのために日本から持っていったおみやげは、チョコレートやキャンデー類です。軽くって数のあるもの、です。自他共に認める、私はユーゴザーパド劇場の”なじみ客”で”シューラの客”です。なじみ客は、俳優たちに必ず差入れおみやげを持って行くことがマナーです。手ぶらで行くことは考えられません。
旅の準備は、彼らへのおみやげはなににしようか?から、いつもはじまります。
シューラに「日本からキャンデーとチョコレートを持ってきたけれど……」と言うと、「まあ、子供みたいだね。ロシア人民芸術家・アファナシェフに、キャンデー?」と、きついこと言われました。たしかに。
劇場近くの食料品店で、俳優たちのお気に入りお菓子を買いましょう。それもできるだけ数を多くしなければなりません。シューラにおまかせです。
Берлинское (ベルリンスコエ)とよぶお菓子を3箱などを買い求めました。

(甘くって美味しい、ああ、いま食べたい)
劇場の開場は18時30分ですが、シューラといっしょなので早く劇場に入ることができました。
私は、チケットの手配をシューラに頼んでありますが、きっちりと定価で買い求めます。この小劇場には、俳優価格とか招待状は存在しないようです。だれかを特別扱いをしていては、120席ほどの小劇場は、運営できなくなります。
チケット担当者の女性たちは、私のことを覚えていてくれて素敵な笑顔です。
「以前はモスクワに住んでいて、いまは日本に住む日本人女性が、あなたたちに『よろしく』と言っておりました」と伝えると、「こちらこそ『よろしく』とお伝えください。またモスクワに来てくださいともね」。
劇場地下の黒い暗い喫茶室へ行きます。まだ一般のお客は入っておりません。俳優たちが好き好きにいすに座り、お茶や食事、タバコにおしゃべりにと、いくつかのグループができています。
ロシア人民芸術家 アファナシェフは、先の日本公演「マクベス」で圧倒する芝居を演じたすごい俳優。とても歌も上手い。シューラが尊敬する俳優でもあります。
功労俳優 レウーシンは、この劇場で一番女性ファンの多い、モテモテ俳優です。日本で誕生日を迎え、私は甘いお菓子をプレゼントしました。
タマーラは、この劇場で私が一番好きな女優です。とっても可愛い女優です。
その夫、ワーニンもいくつもの役を簡単にこなしてしまう、偉大なる功労俳優です。
ドーキンは、日本でちょっと声を痛めました。もう衣装を着けています。いつも笑顔で歓迎してくれます。
ザトーヒンは、「マクベス」の魔女役のひとり。日本公演の楽屋で、ひとり稽古する姿を見てしまいました。鬼気迫るものでした。
チュルバは、お茶を飲みながら、台本らしきものを読んでいます。
あら、先ほどテレビドラマに出演しているのかと思ったデニスです。シューラは「デニスの仕事のことは知らないよ」と言っていました。と、シューラがデニスに聞いています。
デニスの答えは「それは僕ではありません」。
18時30分、窓口の女性が喫茶にやってきて大きな声をかけます。「客を入れます」とでも言ったのでしょう。俳優たちは楽屋に引き上げます。シューラは、「化粧の時間だ。あとで」。
一瞬静かになった喫茶室がしばらくすると、再びにぎやかになります。
お客さんが集まり始めました。もうすぐ「検察官」の開演です。
2006年05月23日
** 9 ** 何を着るべきか
==5月3日 モスクワサリュートホテル~ ==
「暑~い」と目が覚めて、カーテンの隙間からの日差しと締め切った部屋の重い空気、遠くの車の音に、ああ、ホテルの部屋だったかと、気がつく。部屋の暖房はもう止まっているのですが、暑い。気温がかなり高くなっている模様です。
ああ、9時か。朝食へ行かねば!せっかく朝食付きで泊まっているのですもの、ちゃんと朝食はいただかねばなりません。ささぁと簡単に身支度をして、1階のレストランへ。
このホテル宿泊階へ入るには、エレベータホールの扉の前にいるガードマン氏に宿泊カードを見せなければなりません。そして、そのカードは、朝食許可書ともなっています。
レストランでそれを示すと、「どこでもいいから座ってください」。
このレストランは、以前は、各自に豪勢な朝食が配膳されていた。どうしてこんなに量が多いの?と疑問にもつような朝食だった。多くの客が残していたのですもの。いまは好きなものを好きなだけどうぞ、とバイキング形式で、食べるのが楽しくなりました。
これでもかの朝食だったころは、わざと暗くした濃い青いブランドが重苦しいレストランだったが、いまはカーテンを替えて明るくなり、照明も明るくなって外の光を取り入れて、気持ちが良い。
ハム・チーズ・各種サラダ・ヨーグルト・ミルク粥・かわいい小さなピロシキ・紅茶・オレンジジュースをのんびりといただきました。もちろんメニューはその他いろいろあります。
昨日、ホテルの部屋に入ってすぐに、コースチャに電話をして、「4日に必ず会いましょう」と約束をしました。その後、シューラは妻のターニャに電話をして、「いつダーチャへ行けるのか」を妻と確認していました。どうも昨日は、朝から出ていてそのまま私を空港へ迎えに来たようで、「私が来た」ことでの彼らの行動計画相談がやっとまとまったようです。4日にコースチャに会うことは難しくなりそう…。
そんなことを思い返しながら済ませた朝食です。
そして、私はもう一度眠ります。今夜は芝居を見に行きます。観劇中に眠るわけにはいきません。だから、いま眠っておき絶好調状態で劇場へ行きたい。
部屋に戻る途中、掃除係りの女性に「きょうは部屋の掃除は要らない」と告げて、ドアの鍵をしっかり閉めてカーテンも閉めて、ばたりとベッドへ。すぐに眠りにつきました。
…
…
…
どれくらい眠ったでしょうか。ますます外は日差しが強く、部屋は暑くなっています。
テレビを見ながら、トランクの整理です。持ってきたおみやげを、これはモスクワで、これはサンクトペテルブルクでと、分けて。きょう、劇場の俳優たちへ持っていくおみやげを出して…。
テレビでは、戦争ものドラマや兵隊たちのコメディ劇でしょうか、近づく5月9日の戦勝記念日を意識した番組ばかりのようです。その若い兵隊たちの生活をテーマにしたドラマを、横目で見ていたら、兵隊役のひとりがユーゴザーパド劇場の若い俳優デニスに、似ているように見え、「シューラに聞いてみよう」。
お風呂にもゆっくり入って、お湯が熱くって満足、満足です。
すぐに約束の17時になってしまいました。さて、何を着て行ったら良いのでしょうか?暑いのです。今回の荷物は、悩ましかった。寒いかしらとセーターやタイツ、手袋なども用意し、でも軽い薄手上着、ブラウスや半そでTシャツも忘れずに入れて。が、どうもいきなり、薄手ブラウスで出かけてもよさそうです。
俳優は時間にもうるさいので、遅れたら怒られます。急いで1階へ降りていったらちょうどシューラも着いたところです。
「どう、よく眠れたかい?」と、顔を覗き込まれたら、「その顔は良く眠った顔だ」。
でも、私のカバンには、眠気防止の魔法シール「眠気トールパッチ」が入っているのです。だって、芝居の始まる時間は日本時間深夜0時からです。そして、芝居は「検察官」、これを見るためにきょう、わたしはここにいるのです。眠ってはいられません。
2006年05月21日
** 8 ** モスクワ到着そして
==5月2日 モスクワ時間21時40分ごろ===
ヘルシンキ国際空港でモスクワ行きを待つ時間は、3時間ちょっと。長いような短いような時間でした。1月もここで長い時間待ったけれど、今回は外が明るいし、寒くもないからだろうか、ウツな気分での待ち時間ではありません。
ヘルシンキ~モスクワの飛行時間は1時間45分ですが、あっと言う間にモスクワに到着してしまいました。機内ではロシア入国カードが、黙って配られるのでもらい損ねないように注意しておきます。もちろん到着してから空港パスポートコントロール付近カウンターにも、そのカードは黙っておいてありますが、機内で書いておいたほうが、安心です。暗い空港だから。カードが置いていない可能性もあるから。
さて、モスクワの気温はいかに?私は、半そでTシャツに首にスカーフ、時々薄手コートを羽織って機内で過ごしていました。そんなに寒くなかったから。さあ、モスクワには夜到着なので、セーターを着るべきか。
シューラに会うのだからお化粧は念入りにしたいところだけれど、明らかに寝ぼけた顔、それもむくんでカサカサ乾燥肌になっている。くちゃくちゃ、ぺったんこヘアーにもなって、ああどうしようもない。
入国審査も荷物受取も、税関届けも必要がないので、すべてがスムーズに流れすぐに外へ出ることができました。
いつもどおり「タクシーどうかね?」「おいらのタクシーに乗らないかい?」のおっちゃんたちをはねのけて、さてシューラはどこに???赤いリボンのピンクのカーネーションの花束を持って、待っていてくれました。

私の第一声は「冷たいジュースが飲みたい」です。緊張が解けて、急にのどの渇きを感じ、これから市内までの車の渋滞を思うとすぐに、出発とはなりません。
冷たく美味しいオレンジジュースを飲み、彼にトランクなどの番をさせて、トイレへ行きすっきりして、「さあ、車に乗りましょう」。私はここでもマスクの着用です。
モスクワシェレメチボ空港は、飛行機の止まっているすぐ脇、金網フェンス越し一段低くなった位置を人が歩く公道となっています。飛行機ジェットエンジンの排気ガスがまともに、歩く人の顔の位置にあたるのです。なんとオソロシャ。
過去、モスクワ第一歩が、ひどい咳から始まるのはこの所為だったと気がついてから、マスクを着用しています。もちろん車の排気ガス対策のためにも。シューラは笑いながら「また、マスクだあ」と見ています。
セーターを着て薄手コートは手に持って車に乗りこんで、シューラは「今日は暖かいよ。車も少ないよ」。
と、いうことで、「モスクワ市内をドライブしよう」。日本時間深夜じゃあなくもう、3日の早朝の時間ですが、そんなことは考えちゃあだめ。車は快調に市内を走ります。
車の中で、日本から持っていったVodafone 3G携帯電話をロシア設定に直したら、コースチャからのメールを受け取りました。「着いたら連絡ください」と。
シューラが「本当にその電話、ロシアで使えるのか?(シューラの友人でもあり、私も知っているモスクワ在)マラト ダサエフに電話してみて」と言う。
電話をかけると、マラトは仕事で台湾に行っていると言う。妻のマリヤさんは、「ぜひ、家に来てね。子供たちが待っているわ」と優しい声をかけてくださって、うれしい。
電話は無事に通じます。
車は市内を走り、シューラは通りや名所を説明してくれる。私が「すずめが丘に行きたい」と言ったら、「ダメ、まったく違うところを走っているんだ」。高くそびえ立つ建物はモスクワ大学ではなかったのかな?まあ、いいや。
恐れていた渋滞はなくとても流れもよく、楽しいドライブを経て、モスクワ南西部のホテル・サリュートへ到着しました。もう、何度泊まっていることでしょうか。16階の部屋にトランクを入れて、さっさと身支度を一応整えて、1階の小レストランで遅い食事をしながら、旅の打ち合わせをシューラとしておかねばなりません。
俳優は、舞台の上での自分と相手とのやりとりは、時間と位置と動き方をしっかり確認しますから、とても厳しいのです。旅の日程も話し合いながら、日付ごとに時間と場所などの計画を、ノートにしっかりと書いておきます。ノートの書き方まで指示があります。
が、さすがに私はもう、エネルギーが切れました。「眠い!」
「明日は、ゆっくりしていなさい。17時に迎えに来るからね」。
それだけを聞いて、私は部屋に飛び込んでそのまま眠りました。
** 7 ** ヘルシンキ空港の静かさ
==5月2日 フィンランド時間 16時ごろ ヘルシンキ空港着===
だいたい定刻どおりに到着しました。ヘルシンキ国際空港は、乗り継ぎ待合室に入る前に手荷物などの検査場を通過します。かなり厳しいですが、職員の動きがきびきびして苦痛は感じません。
出発ゲートナンバー30番以降で出発を待つ人は、免税店やレストランなども備えた待合室で待ちます。パスポートコントロールを出れば=一旦フィンランド入国のスタンプをパスポートにもらえば、もっと広い空港内出発ロビーに行けます。
今回は、すぐにフィンランド入国をして、もっと広い出発ロビーの探索です。
ここはとっても静かです。大勢の人が行きかうのにどうしてこんなに静かなのでしょう。
インフォメーションカウンターが広くわかりやすいです。笑顔で対応してくれます。
ただし、ユーロ国ですから通貨はユーロです。ドルなどで支払いをしてもユーロでおつりが戻ってきます。それに、値が高い。免税店でもなにもお買い得感は、私にはありません。美味しいビールだけを飲んで、ちょこっと小間物を買って、また、私の出発ゲートに戻ってきました。さあ、2時間ほどを静かで明るく広いこの待合室でのんびりしましょう。

写真の左側にあるのは、手荷物用小型カート、その奥には子供だけを乗せるためのベビーカー(?)。左上の出発案内電光掲示板は各所にあります。右手奥には案内カウンター、左手奥はレストラン。明るく静かな出発ゲート30番以降の待合室です。
この静かさは、音を吸収する床材を使用しているのでしょう。靴音がしません。人の話し声も響きません。でも、なにか重要なことは確実に伝わるように思えます。静かさがこんな安らぐのかとうれしくなります。ふっと眠くなりました。
2006年05月19日
** 6 ** キシリトールはフィンランドから
==5月2日 フィンランド航空機内にて ==
お隣とその隣の女性の会話が聞こえてきます。どうも専門職のおふたりのようです。
「キシリートール」が会話の中から聞こえてきます。えっ??
キシリトールは、日本では1997年に認可された甘味料です。くわしくはここなどを読んでください。
その認可の前だから10年前か、日本へキシリトールを紹介している研究者とお会いしたことがあり、うむなに?キシリトール、と興味津々となりました。その後に、はじめて行ったロシア旅行の入り口がヘルシンキで、そこでガイドからまたキシリトールのことを教えてもらいました。「フィンランド語では、X の文字ではじまるキシリトールが、日本で認可されてうれしい」などと語っていました。
「キシリトール」と聞けば、いつもはじめてのロシア旅行やヘルシンキの町を思う浮かべていました。ロッテがCMでフィンランドの景色を流したころは、やや興奮したものでした。

(ヘルシンキで販売のキシリトールガム缶は、やっぱりムーミン模様)
そして、今回またヘルシンキへ向かう機内で聞こえる「キシリトール」に思わず、「あのう、キシリトールのご専門家でいらっしゃるのでしょうか?」と声をかけてしまいました。
やはりそのとおりで、ヘルシンキへ研修に出かけるとのことでした。しばし、キシリトール談義です。とくに、私が彼女たちと話していて同意したのが、「唾液」のこと。「唾液」は年齢とともに少なくなり、食生活の乱れ、喫煙、服薬などで減少してしまう。となると口腔内殺菌ができず、歯周病、口内炎などが多くなると言う。
「唾液の分泌を促すには、ガムそれも虫歯予防をしてくれるキシリトールガムを噛むこと」です。
機内食の時間をはさんで、私たちはすっかり仲良くなりました。もっと話していけば、お互い近くに住んでいて、どうもお互い共通の知り合いがいる模様なのです。世の中セマイと思う。
食事後にはしっかりとキシリトールガムを噛む私たち3人でした。
「ところでなぜモスクワへ行かれるのですか?」と問われて、「ハイ、ちょっと芝居を見に行ってきます」。
おふたりはのけぞっていました。「芝居ですか…」。「ハイ、私は夢中でして、まあ追っかけです」。
「ひゃあ~、そんな人がいるのですねえ」。
ええ、ここにおります。
2006年05月18日
** 5 ** 機内必需品・私の場合
==5月2日 ・ フィンランド航空機内 ==
飛行機は好き。平和に飛んでいるときは強くそう思う。揺れだすとイヤなもの。でも、落ちるときは落ちるわナと思う。けれど、ハイジャックされるのはイヤダ。飛行機が「ものすごく怖かった」という体験は、いまのところないのは幸いなことです。
だいたい機内で10時間くらいを過ごすのは人それぞれやりかたがあって、たとえ親しい関係でもあまり邪魔をしてはいけないと思う。飛行機など数え切れないほど乗っている海外旅行専門添乗員の知人は、「もうどしようもない苦痛の時間」と言い、話しかけられても嫌だと言う。
別の知人は海外生活もあり世界各地を旅する人、「貴重な勉強の時間。できるだけ行くところの知識を得ておく時間」と言い、ガイドブックを読み簡単な言葉も練習すると言う。
私は、隣の席にたまたまご一緒する人とは「10時間ほどよろしくお願いいたします」と最初にあいさつはかわして、あとはあまり交流をしない。私はいつも眠いから。まあ、なんとなく話し出すことはあるけれども。
降りるときには「気をつけて、いってらしゃい」と笑顔で別れれば、それで良いと思う。
機内での必需品。①ガーゼマスク=乾燥やほこりから身を守ります②フワフワざぶとん=お尻に優しい衝撃吸収体ざぶとん③目薬=これも乾燥から目を守るために④スカーフかマフラー=首筋が妙に冷えることがあります⑤リップクリームやハンドクリーム=乾燥に弱いのです。
フィンランド航空は、音楽イヤホンが壊れているような某ロシアで有名な航空会社とは違いますから、なかなか良い音で充実したプログラムの機内音楽設備があります。映画も日本映画上映や話題作も上映しているようです。機内映画は座席の場所によりますね。
文庫本なども持って読み続けることも以前はありました……。
いまは、とにかく眠いばかり。眠る工夫をなによりも整えてしまいます。
が、今回はお隣の女性ふたりの会話が耳に入ってきてしまい、興味あるその話題に乗ってしまい、しばらく私たちは盛り上がったのでした。飛行機は一路ヘルシンキへ。
2006年05月17日
** 4 ** 早朝の名古屋から関空へ
==2006年5月2日==
行ってきてから言うのもナンデスが、今回の旅は、何度も「止めようかな」と思っていたのです。どうしても行かねばならないわけではなかったから。
どこかでだれかの言う「止めたら」とか「行ってはダメだ」とか「来てはダメ」という言葉が聞こえたそのときは、潔く旅をとりやめるつもりだったのです。
が、どうしたわけかまったくそんな声も聞こえずに、ことはとんとん拍子に進み、トランクに物を詰め重いそれを引きずって、前日の腹痛さえも出発の朝は萎えていたから、早朝6時「行ってきます」といつも出かけるのと同じように、ドアを開けたのでした。
新幹線で新大阪、関空特急「はるか」に乗り換えて、あっと言う間に関空へ着いてしまいました。もちろん途中ウトウトしていたわけで、1月の関空経験で、もう場所も熟知しているからあっという間の出来事と思えたのです。
関空の出国手続き後の出発ロビーには、小荷物を載せるカートがありません!!これは困ったことです。もちろん、重いトランクなどはチェックインで機内用に預けますが、手荷物を持ってウロウロはつらい。私はリュックサックが重くっていやだった。その中には薄手コートとセーターが入っているのです。
連休週間だからか混んでいる空港内。本屋で「数独(すうどく)」本をお土産に買って、さっさとフィンランド航空搭乗ゲートへ。
飛行機内座席はいつものように「通路側」希望を申告しているので、あわてて機内に入る必要もありません。団体客の搭乗の混乱が終わってからゆっくりと機内へ。隣は女性2人連れのようです。
さあ、これから10時間ほどでヘルシンキ。また3時間半ほど待ってモスクワへ。モスクワ到着は、現地時間2日午後9時30分、俳優シューラが私を迎えてくれる!!
** 3 ** だいたいこんな行動でした
5月2日(火)、関西国際空港からヘルシンキ経由、モスクワ夜到着。

モスクワ南西部のいつものホテルへ。
3日(水)、ホテルでのんびりしながら、夕方、ユーゴザーパド劇場へ。「検察官」を見る。
4日(木)、俳優シューラと家族、仲間たちと

モスクワ郊外のダーチャへ。
5日(金)、モスクワ、全展覧会センター(BDHX)へ行き、EXPOロシア館で活躍だったスタッフたちと再会する。その後ユーゴザーパド劇場へ、「巨匠とマルガリータ」観劇。

6日(土)、女優カリーナさん宅へ。その後「夏の夜の夢」観劇。
この「ろしぴろ」主宰者gonzaさん、ひよこさんに会う。
7日(日)、モスクワ市内歩き回る。夕方はいつもどおり観劇。「結婚」を観る。

8日(月)、午前、EXPOロシア館通訳だったオリガさんに会う。
午後は、シューラ宅へ。頭痛にて早々に就寝する。
9日(火)、早朝飛行機でサンクトペテルブルクへ移動。
市内を歩き回り、戦勝記念日パレードなど見る。

10日(水)、博物館などをめぐる。
夕方からマリインスキー劇場・白夜祭開幕日「ボリスゴドノフ」へ。

11日(木)、ロシア美術館などへ。市内を歩く。
12日(金)、きょうはのんびりゆっくりと市内を歩き、再度ロシア美術館へも。夕食自炊する。

13日(土)、ワシリー島徒歩探索。

工事中の跳ね橋を通る。
14日(日)、フィンランド湾近く、森の中のジーマのダーチャへ。

15日(月)、帰国は、サンクトペテルブルクからヘルシンキへ。夕方関空へ飛ぶ。
16日(火)、関空へ早朝到着。無事帰宅。
と、まあこんな具合でした。あっという間の2週間でした。夢のなかの2週間でした。
2006年05月16日
** 2 ** ただいま!!!!
2週間の旅を終えました。「ただいま、みなさま!」。
なにも混乱はなく、すべてが順調、いや、うれしいハプニングは重なって、怖い思いや嫌な体験もいっさいありませんでした。
モスクワでは、郊外の小さなダーチャへ行くことからはじまり毎晩観劇し、サンクトペテルブルクは街を歩き回り、フィンランド湾の海辺のダーチャが旅の最後の日の盛り上がりでした。
春のはじまりのモスクワとサンクトペテルブルクの写真もたくさん写してきました。

タンポポが満開

山は芽吹く寸前
このカテゴリーの題名は「ロシアの2都市、春を歩く」といたします。
出会ったすべての人々に感謝いたします。
2006年04月30日
** 1 ** 行ってきます!!
おはようございます。
新緑の5月、美しいさわやかな季節がやってきました。こんなすばらしい季節の日本をちょこっと留守にいたします。私の大好きな花、小手鞠(こでまり)の満開に送られて空港へ向かい、モスクワとサンクトペテルブルクへ行ってきます。
いろんなご縁で、、また彼の地へ行くことが許されました。あちこちご迷惑をおかけいたしますことお許し願います。
このカテゴリーは、「春の2都市を歩く」と仮題をつけました。
春を迎えたモスクワでは、小劇場観劇を楽しみます。もちろんシューラのお芝居を毎晩楽しみます。EXPO(愛知万博)ロシア館スタッフたちとも会いたいです。そして、この「ろしぴろ」の運営管理人、gonzaさんとひよこさんにも、お会いする予定です。
サンクトペテルブルクでは、のんびりと町を歩きましょう。春の花たちがきっと美しいことでしょう。ネヴァ河の鳥たちも美しい羽色となっていることでしょう。
もちろん、レナ姐さん、オレク、ジーマらにもお会いします。
5月17日ごろ戻ってきます。そして、また、あれやこれやの真実だけをこちらで書いていきます。その節は笑い飛ばして読み飛ばしてのお付き合いをよろしくお願いたします。
さあ、トランクに荷を詰めます。では、みなさんお元気で!