2006年09月18日
59号 万博会場は いま 2
大観覧車はだいたい12分くらいで一周をした(と思う)。かなり高いです。高度も値段も!!
整備され新しく開園する「愛・地球博記念公園」は、愛知県の公園ですから、万博の施設運営とは違います。それを、ハッと気が付かされたのが、トイレです。
万博会場内のトイレは、万博ロシア館ロシア人スタッフたちが、感動していた、広く美しく清潔で安全なトイレでした。掃除担当者も多く配置されていました。いま、一部公開された、記念公園のトイレは、違いますよ。違いにきっと驚かれると思います。ああ、もちろん確かめたのは女子用だけですが。
○ ○ ○
来年春には、公園全体(↑写真)が開園します。ロシア館などがあったところは、野球少年少女たちのために、使いやすい新しい野球場となります。万博の面影はなく変わっていくようです。
万博を開催するために、緑の山々や花々に人間の手を加えています。木々を伐採したのも事実です。いま、また元へ戻すといっても、それは公園の形として戻すだけで、万博開催前の状態の自然にはすぐには戻らないでしょう。2005年に、万博がここで開催された記念として、これから年月はかかるでしょうが、豊かな緑あふるる公園にしていきたいと、私は思います。
万博を心から楽しませていただいた、お礼の気持ちをこめて。
大観覧車から見た景色の遠くには、名古屋の町並みも見えます。私の住む町のすぐ近くで、半年間だけの期限付き、地球大交流が開催されたのは、とてもうれしいことです。建物はすっかり無くなってしまいましたが、記録と記憶は生きつづけます。
○ ○ ○
いまだから言える万博での話しふたつ。
☆現金紛失事件=開幕直後でした。会場内で現金を落としたか、捨てたか。捨てたことにして、私の中では決着しています。
現金入り封筒がカバンにあることは、会場内トイレで確認しました。「こうして現金を入れておくと落とす確率が多い」と、自ら知っておりました。
そして、あちこちのパビリオンを回ると、開幕当時は派手に配られていたパンフレットなどや、小間物買い物などで、カバンの中がぐちゃぐちゃなったので、途中でカバンの中を整理しました。紙類を捨てました。その記憶はあります。紙類は捨てたのです、
帰りのバスの中で、ハッ!!! ないではありませんか。現金17,000円入り銀行封筒は、どこへ…。泣けました。(万博落し物センターへは、一応届けました。「見つかれば連絡します」で、待っていますが、いまだ連絡はありません)。
☆(固有名詞伏字あり)
○ル○リ○館のヨーグルト=人気はバラの花の入ったヨーグルトでした。ガラスのコップに量は少なくてお値段はたしか500円だった。でも、ブル○リ○のヨーグルトですからね、売れまくっていました。
私、開幕直後、販売の日本人男性に聞きました。「遠く本国から運んで来たのですか?」
「明治ぶるがりあヨーグルト、知っていますか?」と、笑いながら、逆に聞かれました。ネタばれしちゃあダメですよ。
2006年09月17日
58号 万博会場は、いま 1
昨年9月25日に閉幕してから、はじめて万博会場の跡地を見学にいってきました。昨年3月から9月までの半年間、時に寒さや厳しい暑さにも、大勢の人ごみにも、いっさいめげずエッサホイサと自らに掛け声をかけて約40回も通った、名古屋郊外の長久手(ながくて)と瀬戸の丘陵地、愛知万博会場。
あの、大きなお祭り騒ぎを終えてから、約1年でどのように会場が変貌したのかを見たい。いまは、「愛・地球博記念公園」として、整備中で、7月にその一部が公開されました。
公開された公園の端っこにある、大観覧車。万博開幕中はいつも満員で乗ることができなかったので、どうしても乗りたいです。大観覧車から、万博の跡地がどのようなこととなっているのを見たい。
と、そんなわけで、暑さが収まった休日の午後、地下鉄で名駅~藤が丘(約25分)、そしてリニモに乗って(約12分)、るんるん気分で行って来ました。
↑曇っていた空は、カメラのレンズ越しには青かったのですね。この観覧車に乗りました。リニモ車中からの撮影。
万博開催中に、リニモに乗ったのは、たぶん2回だったと思う。あまりにも混雑といつも伝えられていたから。なによりも、我が家からリニモの乗車までは遠くて不便で、万博会場往復直通バスがとても便利だったから、それを愛用していました。
そして、いま。休日の午後乗り込んだリニモは、ほとんどガラガラで、運転席後ろに座り、子どものように窓の外を楽しみました。私、乗り物好きなのです。
おっと、運転手が居たのは、藤が丘から次の駅までのトンネルの中だけでした。写真の右側にある黒い半円型状のものが、運転席機械類。運転手は座るとこれを開けて運転し、離席時はしっかり鍵をかけていました。
無人走行するリニモ、そうでしたね。だから、万博中は一番前の席は子どもたちに人気の席でした。
リニモ、万博開催中は、超満員でとてもたいへんだった。いまはがらがらで運営がとてもたいへんそうです。乗ってやってください。
観覧車から見た、「コモン4」があった方角です。
奥に見える山のふもとの広がり、あのあたりがロシア館やポーランド館ウクライナ館などがあったところです。ああ、きれいさっぱりと消えてしまいました。
こちら側は、私が入退場口に愛用していた、東ゲート方面。あの緑の丘に沿って歩いたのですね。空にはゴンドラが動いていました。いまは駐車場となっているあたりは、一番広い入退場口だった北ゲートですか?
奥の白い屋根の建物、あの中にロシアサハ共和国からおいでになった、冷凍マンモスが展示されていたのです。将来は、室内プールになります。ここは、もともと愛知青少年公園、もとも、プールでした。そこを展示場にしたのです。
真ん中に見える池には万博期間中の毎夜、サルがそれも奇妙なサルが出没したのでした。
なんだこりゃ!? 驚かないでください。いま「万博閉幕から1年」で、愛知県民を中心とした万博ファンたちは、また盛り上がっているのです。閉幕1周年記念行事もたくさんあります。
そして、記念グッズも販売されています。
もう、どれだけの「万博関連ピンバッジ」が販売されているのでしょうか。1周年記念で、また新発売です。1個550円なり。
つづきます。
57号 内海さんご帰還
56号でお伝えしました、万博ロシア館警備担当だった内海さんが、無事にモスクワから戻ってみえました。「良い旅でした。9人のロシア館スタッフと会うことができました」と、さっそくメールが届きました。
内海さんのお土産話しが楽しみです。もちろん、こちらでもご紹介させていただきますね。
2006年09月03日
56号 ロシアの旅へ出発は内海さん
久々の万博ネタです。
万博ロシア館警備担当で、マーミンカ通信に何度も登場していただいています、内海さんが、とうとうロシアの旅へ出発いたします。
目的は、ロシア館へ仕事に来ていた、ロシア館スタッフたちと再会するためです。
初ロシアの旅は、モスクワだけの訪問だそうですが、どんな楽しみがまっていることでしょう。「楽しみ、楽しみ」と思ってでかけると、楽しみがやってきます。内海さん、楽しんで来てくださいね。そして、お気をつけていってらっしゃい。
帰国後はぜひ、報告会を開催いたしましょうね。
2006年07月01日
55号 ウクライナを応援しながら
7月1日は午前4時に起きて、テレビを見ました。そうです、ウクライナ×イタリアのサッカーです。
黄色のユニフォームのウクライナ選手団を見ながら、万博ウクライナ館で出会ったスタッフたちを思い浮かべていました。万博でも同じく彼らは、黄色のTシャツを簡単着ユニフォームに、黄色に青のライン入りスーツを正式ユニフォームとしていました。
青い空と黄色のひまわりをイメージしたという、青と黄のウクライナ。ロシア館の通りを隔てて隣にあり、開幕当所こそ静かだったのですが、レストランが人気をよび、去年の今頃はもう長蛇の列ができていましたね。ああ、思い出します。
ウクライナ館アテンダントだった、ダーニャ。どうしているかしら?
ウクライナ語、ロシア語、英語そして日本語がなに不自由なく使えて、「外国語を覚えるのはとても楽しいことで、万博はとても勉強になってうれしい。でも人が多すぎで、ちょっと困るけれどもね」などと言いながら、続けて「(ウクライナへ)帰国したら、ぜひイタリア語を勉強します。イタリアの国にとても興味を持ちましたから」。
人気のレストランで働いていた、アリョーナ、どうしているかしら?きっときっとウクライナチームの応援で声をからしてしまったかもしれませんね。「家族や友人が多くて、いつも集まる家だから」と言ってましたから。
あっ、ウクライナ負けちゃいました。残念です。
でも、良くがんばりました。
○ ○ ○ ○
そんなウクライナに興味津々の日にこんなお知らせも届きました。
名古屋でウクライナフェスティバルが、開催されます。以前ご紹介いたしました、ビターリーさんが大活躍されます
詳しくはこちらです。
2006年06月21日
54号 万博スタッフ集まる・4回目
18日日曜日は、夜10時(日本時間)キックオフの、日本×クロアチア戦の大注目の日です。その日程の前から計画していた、万博ロシア館日本人スタッフの楽しい交歓会は、キックオフの前に、ロシア料理レストランで開催されました。万博終了後から4回目となります。
私は、ロシア館でも万博でも仕事はしておりません。何度も通った観客のひとりとして、その集まりに行ってきました。
幹事は、いつもどおりに内海さん。こまめにみなに連絡を取って、ホントに面倒見が良い人です。
きょうのテーマは、私の5月のモスクワ・サンクトペテルブルクの旅の写真大公開ショー、内海さんと森さんからの報告発表などです。
内海さん、とうとうモスクワへの旅に飛び立つと言います。モスクワに住むロシア館スタッフたちとの再会へ、着々と準備をはじめました。はじめてのモスクワ行きをすっごく楽しみにしています。「あの人とこの人と会って話して、あそこへ行ってあれを見て」など、うれしそうに話しています。
森さん、来年はとうとうロシアへ留学するそうです。大学でロシア語を学ぶ彼女はロシア館スタッフに人気でした。モスクワかサンクトペテルブルクか、留学先はまだ未定だそうですが、どちらの場所にしても万博で知り合ったスタッフらが彼女を助けてくれるでしょう。
ロシア語の勉強に力を入れだした Yu子さん。万博があったからこそ、ロシアがいっそう身近になったと言います。
みんなロシアにますますどっぷりとしっかりと、はまりこもうと、しています。万博で、ロシア館で、ステキなロシア人スタッフたちと知り合ったからでしょうね。
「ああ、クロアチア戦がはじまっちゃう。急いで帰ろう!!」と、すっごく静かな町に驚き、みなはさっさと家路へと急ぎました。
2006年06月13日
53号 クロアチア、万博の思い出
ドイツ国で開催のサッカーワールドカップ、日本は初戦オースラトリアに負けました。日本中いや世界各地が、「あっ~~」とため息を発した瞬間を知りません。睡魔にすでに負けて寝てしまいました。
次は、クロアチアとの戦いですか。
クロアチアと言えば……、昨年の万博で私はとても気に入ったパビリオンでした。空を飛ぶ映像で、町の様子を見せてくれました。本当に飛んでいる錯覚にはまりました。
クロアチアと言えば……、万博で働く人たちの交流フットサル大会で、ロシアと初戦を戦ったのがクロアチアでした。結果は? もちろん、クロアチアの勝ちです。
ユニフォームをそろえて、軽やかな身のこなしで、気合がめちゃくちゃ入っていて、強かったクロアチアでした。
クロアチアと言えば……、万博報道に多く登場していました。にこにこといつも笑顔のアテンダントでした。日本語が上手でしたね。フットサル大会のときの彼らは、赤白のおしゃれなユニフォームで、これもまた、みなを注目させました。そして、第1回目の万博フットサル大会優勝チームとなったのでした。
クロアチア~~~、日本チームには、手ごわいと思われますが、そう思ってしまっては負けです。心ひとつにして、全力疾走でゴールを決めてくれ~~。
2006年04月15日
52号 NHKスペシャル 必見
万博ロシア館で通訳として、広報担当として活躍された オリガ コピヨーヴァさんは、NHKモスクワ支局通訳が本業です。日本へ送られるロシア関係のNHK放送には、なんらかかかわっての仕事をされています。
万博で彼女と知り合い、NHKのロシアからの報道には、いつも彼女のことを思い浮かべています。
4月のはじめモスクワの彼女へちょっと伝えたいことがあり電話をしました。
オリガさんが言います。「いま、チェルノブイリ関連番組をつくっています。仕事に追われています。しばらく忙しさは続きそうです。でも、5月には少し余裕ができそう」。
電話の向うのオリガさん、本当に忙しそうな声でした。
きっとこの番組つくりだったのでしょう。
NHKスペシャル 4月16日放送のチェルノブイリ事故から20年の現状ルポです。
「ソ連で原子力発電所が大爆発したようです」のニュース第一報から20年、なにが変わり、なにが変わらず、なにがあらたに起こっているのでしょうか。きっとこの番組で考える機会が与えられるでしょう。
2006年02月27日
51号 ロシア館日本人スタッフ集まる
日曜日の夜、名古屋市内で万博ロシア館に関わった日本人スタッフら7人で食事会です。閉幕後3回目の集まりです。
この会に行く前に、ロシアでのロシア人スタッフらの近況を知りたくって、モスクワのオリガさんと、サンクトペテルブルクのオレクさんに電話をしました。
::::オリガさん::::
「昨日まで、日本に近いハバロフスクで仕事をしていました。元気にしています。モスクワでも3月に、スタッフたちが集まる予定ですが、みな忙しいですから、どうでしょうか?モスクワは、寒いですが、暖かくなったら、ぜひ日本からみなさん遊びに来てください。お待ちしています。なつかしいです、日本。みなさんの顔が浮かびます。会いたいです」。
::::オレクさん::::
「ちょっと風邪をひいているけれど、元気だよ。同僚ジーマも元気に忙しくしているよ。日本は、もう暖かい?桜が咲くねえ。(しみじみ思い出している様子)。日本人のみなさん、ぜひ、サンクトペテルブルクへ来てください。待っています。夏は白夜だからねえ」。
◇ ◇ ◇ ◇
日本人スタッフらの集まりの席では、いろんなロシア情報が飛び交いました。「るるぶ」ロシア情報誌の紹介、ロシア料理の話し、モスクワの市場屋根崩壊の話し、すいか販売の仕方など……。
ロシア人スタッフ等とのメールや写真交換などの披露や、いまだから語るあのときの秘話なども。
極めつけは、ロシア館警備員だった内海さんの、マトリョーミン演奏です。
大型のマトリョーシカの内部は、不思議な装置が仕込まれていて、スイッチをオンして、ある位置に手をかざすと音階が奏でられるのです。
内海さんはロシア館の企画で、マトリョミンに出会い、購入してしまい講座にも通っているのです。演奏は、前回よりも音楽になってきました。次回の披露が楽しみです。
「これを持ってロシアに入国すると、怪しい物となるかなあ?」と内海さん。彼は、なるだけ早く、「ロシアへ、ロシア人スタッフに会いに行きたい」のです。

(内海さんのマトリョミン)
次回は「お花見でもしましょうか?」と再会を誓いました。
2006年02月26日
50号 ポーランドレストラン へ。
万博へ通っていて一番問題は、いつもどこで何を食べるかでした。ただしくは、どこでビールを飲むかですが。
何度か通ったポーランドレストラン。ロシア館の近くにあったこともうれしかったですが、料理はボリュームもあり、お値段もまあまあ。ビールも美味しくってごひいきにしておりました。万博後半には1時間待ちの行列が出来ていた人気レストランでした。開幕最初のころは、「さあ、お入りください」だったのにね。
このレストラン、ポロネーズが名古屋市内に昨年末ごろオープンしました。やっと行って来ました。ポーランド館で使っていたテーブル、イスはもちろんガラステーブルのカウンター、天井にあるワイングラス飾り収納、女性店員の衣装も同じ。メニューも万博当時よりも充実です。

(これは、万博ポーランド館内レストランでの、 ビエロギ 1200円でした)
が、が、が。もう少し店員配置を工夫して欲しかった。お酒呑みにとってですね、お代わりがなかなか運ばれないのは、たまらないことです。
友人たちと、しこたま呑んで、食べてしゃべっていたら、日本人オーナー氏ともお話しする時間も生まれました。
では、ここでオーナーにかわって宣伝します。
「ポーランドの味を日本で味わってください。主な食材も、調理人もポーランドからです。まだまだ、行き届かないところもありますが、これからは、店内にピアノも置きます。お菓子も工夫していきます。サービスも充実していきたいです。どうかみなさまおいでください」。
ポロネーズ、地図は、こちら。
あれ?「10月末オープン」となっていますね。もうしっかり営業中です。金・土・日は込み合いますので、「お代わり」が運ばれるのが遅くなってしまうようです。
2006年02月19日
49号 うれしい便り
このマーミンカ通信を通じて、ひとつの出会いがモスクワで生まれました。
愛知万博ロシア館の項を読んでくださった日本人ビジネスマン氏から、「モスクワでの仕事のために通訳コースチャさんを紹介していただけませんか?」とメールが届きました。
あちこち連絡をとり、お互いのスケジュールがうまく行き、ビジネスマン氏の通訳仕事を、コースチャが務めました。
「無事終えました。とても勉強になりました」とコースチャから連絡がありました。ステキなご縁が生まれて、とても良かったです。私もうれしいです。
※その後、日本人ビジネスマン氏からもメールが届きました。
「コースチャは優秀ですぐに専門的な仕事を覚えて、ロシア人との間でスムーズに商談ができました」。
2006年02月12日
48号 冬のオリンピック 2月11日開会
イタリアトリノオリンピック開会式、ごらんになりましたか?
私は、11日日本時間早朝、NHKラジオの開会式実況中継を半分寝ぼけて、布団の中で聞いておりました。なんだか盛りだくさんのことをやっているのだなあと。11日午後の時間、NHKテレビBS1での録画放送を見ました。とても感動しました。
イタリアは暖かい国だと思っていたら、冬季オリンピックが開催できるほど寒いところもあるのね。が、無知をさらけだしてしまいますが、はじめて知ったことです。
80の国と地域からの参加は素晴らしい。
入場行進を見ながら、はげしく万博を思い出し、なぜか涙を流しながら見ていました。
みんなおしゃれなこと。しっかり着こんで、見るからに暖かくして、楽しく笑いながら入場するすがたは、ステキです。帽子やマフラー、手袋はやはり大事な防寒用具ですね。
入場する国のいくつかは、愛・地球博でもパビリオンを出展していた国です。「ここのパビリオンは、あそこにあった」「あの展示を思い出す」「この国には入っていないなあ」など、万博通いをした私だからの、見方をしておりました。
ウクライナ選手団のチームカラーの、青い空とひまわりを象徴にした色合いは、万博のときと同じ。とても暖かいものです。
リトアニアの選手団の笑顔は、万博のリトアニア館で出会った青年たちのさわやか笑顔とだぶります。
トルコ選手団。ああ、トルコ館のあの癒される空間つくりに感動したことが浮かびます。
韓国と北朝鮮がひとつの旗をふたりで支えあい入場するのは、なんと素晴らしいことでしょうか。心から感動してしまいました。
日本選手団は、白い色を基調にして、ちらりちらりと見える赤色。日本らしい。
ロシアチームは、国旗を振りながら入場してきました。と、そのとき、我が家に来客が……。だから、しっかり彼らを見ることができませんでした……。 (リンクは期間限定です)
その後のセレモニーも、素晴らしい。
バレエダンサー・ロベルト ボッレさん。長い手足をもっと長くして踊ります。頭に飾った鶏冠は、トリノ(鶏の)オリンピックだからでしょうか。素晴らしいダンスです。彼は、昨年9月、愛・地球博会場でも踊りました。
きっと地元の人気俳優たちでしょう。中世貴族の扮装での演劇要素のパフォーマンスは、もっとしっかり見たかった。あのでかいスカートの下はなにだったのでしょうか?
F1カーが、狭い式典会場内を走ったのには驚いてしまった。選手席に落ちたりしたら、なんて不吉なことをちっと考えてしまいました。あなたも?
オノヨーコさんが登場して、また驚いてしまった。「イマジン」を訴えた。
聖火の点火、そうかそういう仕掛けだったのか。
オリンピック旗を運んだひとりは、ソフィア ローレン。ひぇ~。
もうひとりは、ケニアのノーベル平和賞受賞者、ワンガリ マータイさん。彼女も万博にやってきた。彼女が植えた幼木が、愛・地球博跡地でこれからぐんぐん伸びていくことだろう。
もう終わりかな?っと思ったら、ナント!!オペラ劇場ができてしまって、幕があくとそこには、イタリアの超大物歌手、ルチアーノ パパロッテイさんが登場して、そして素晴らしい歌声を聞かせてくれたではありませんか。またまたヒエ~~と驚きました。幕が下りても鳴り止まぬ拍手に、幕がちょこっとだけ開いたのは、テレビは、遠くからとらえただけでした。あの瞬間を見たかった。
万博とオリンピックとは違いがあるけれど、世界中の人々がお互い認め合い、愛し合い、語り合い、楽しみ、感動を共有しあうことができるのは、同じことでしょう。これからしばらく、忙しいですね。
どうか、どうか無事に滞りなく、平和なオリンピックであって欲しい。
2006年01月14日
47号 マーシャさんに会えます
万博ロシア館の通訳として活躍していました、留学生マーシャさんが、ロシア語でお話しをしてくださいます。これは、名古屋で唯一長年にわたってロシア語教室を開講しています、日本ユーラシア協会ロシア語委員会の主催による、生のロシア語を聞き、ロシアのことをもっと知ろうという、集まり「ロシア語サロン」です。
どなたでも、参加できます。ゲストのマーシャ=マリア スクリパチェンコさんは、日本語堪能ですが、ここではロシア語だけでお話しをしていただきます。でも、ご安心ください。通訳がつきます。
◇日 時 == 1月29日(日)午後2時~4時まで
◇場 所 == 日本ユーラシア協会会議室
名古屋市地下鉄「新栄」2番出口
新しいビル 民主会館 2階
名古屋市東区あおい1丁目22-26
◇お話しのテーマ == 「ロシアのおとぎ話」
マーシャがロシア語でお話しをします。その後交流会もあります。
◇参加費 == 800円 (ユーラシア協会会員600円)
◇参加ご希望の方は、事前にお電話ください。==
052-526-1150 日本ユーラシア協会 まで。
マーシャは「日本でロシア語を勉強している人やロシアに興味を持っている人たちとお話しできることはとてもうれしいことです。みなさんにお会いしたいです」と、おっしゃています。
2006年01月01日
46号 明けましておめでとうございます
また新しい一年がはじまります。
どうぞことしも、よいこといっぱいありますように。
ことしは、勉強したいです。
あまりにも知らないことが多すぎるので、勉強したいです。
2006年元旦
※30日~大晦日、万博がらみの驚き騒動。
その1 コースチャと電話でお話しできたこと。とても会いたいですねえ。
その2 トルコ館の日本語達人ヤーシンさんからメールが届いたこと。ステキなヤーシンさんは、私を覚えていてくださいました。うれしい。
その3 ジィーマさんからの依頼の品を大晦日に探す。が、時間切れで応えられず。
2005年12月30日
45号 良い一年でした。来年も!!
すごく忙しい。毎年いまごろ思うことは、年末の掃除は早くかかるべし。なのに、ことしも、ああ、なんたることか……。実は、旅の準備はまだなんです。あれこれは、トランクの周りにあるのですが、トランクに入れるのが、苦手なので、まだ。
でも、大掃除していると発見もあるのですねえ。買い置いていたグルジアワイン発見。「きゃあ~ワイン発見!ワインだ!ワインだ!!」と騒いだ声は隣りの家にまる聞こえだったと思う。お互いに、まど開けっ放して掃除していたから。暖かくって良かったから、掃除もはかどるでしょう。だから今夜はこれで酔いますゾ。で、酔いながら旅の用意をします。
みなさまありがとうございます。
いろいろお世話になりました。
ちょこっとだけお世話させていただきました。
みんな楽しかった。
良い一年でした。
来年ももっと楽しく生きましょうね。ありがとうございます。
2005年12月25日
44号 「 Merry EXPO 」
万博の各種記録本が名古屋の本屋では平積みで、どんどん売れていっています。
きょう、その中のひとつ、話題の本「Merry EXPO・Book of global exchenge 」=表紙はダンボールをリサイクルした手製本=1500円を買いました。
「あなたにとってしあわせとはなにですか?」と、世界23カ国で問い、その笑顔とメッセージを集めた本です。肌のいろも髪のいろもさまざまな子どもたちの笑顔が、とっても素晴らしい。そして、「しあわせ」が母国語で書かれています。
愛知万博・Merry EXPO についてはここをクリックしてください。
У меня сегодня день рождения ! Вот и все. (ロシアのこども)
きょうは誕生日!それがすべてよ。
世界のこどもたちに、穏やかな年末と、ことしよりももっとすてきな新しい年がやってきますように、と、この本からあふれる笑顔を見ながら、願っています。
2005年12月24日
43号 着物で行きたかった万博
寒い。こんな寒い日に、万博の記録映像をテレビで見ていた。ああ、あのころは暑かったのだ。暑くって、Tシャツによれよれパンツと運動靴がいつもの万博スタイルだった。暑い、歩く、どこにも座れる、混雑で汚れても平気、となると、毎回同じスタイルとなっていった。なによりもあの頃は暑かったのだった。
まだ万博が始まったばかりのころ、ロシア館に親子で着物姿の美しいおふたりが見えて、展示品を見ていらしゃったら、当時いたオレクさんが、得意の笑顔で彼女たちに近づき、記念写真をいっしょに写していた。と、通訳のコースチャもやってきて「着物の人と写真を写したい」と、かわるがわる写真を写しあっていた。彼らも彼女達もうれしそうだった。
それを見ていて、「きっと私も着物すがたで万博へ来て、みんなに見せましょ!!」と思っていた。が、結局、暑さや混雑で、着物での万博行きは実現できなかった。
あれよあれよと暑くなり、では、少しは涼しくなるころには非常な混雑で着物で歩く勇気がなかった。
が、着物で万博を歩いた人の楽しいブログを読むと、うらやましい。もうどうしようもないことだけれど。会場内でも真夏用着物で颯爽と歩く人たちはいく人がお見かけしたのですが、私はそうはなれなかったのでした。ああ。
42号 なごや民間大使を囲むつどい
万博ロシア館の通路をはさんだ隣りのパビリオンは、ひまわりと風車が太陽に映えるウクライナ館でした。思い出がいっぱいの私のウクライナ館です。
開幕すぐに行った時、まだ展示物もまばらで、レストラン開店もまだまだ未定となっていました。「何時と全てが整うのかしら?」。
ロシア館訪問の前後にいつも寄っていたウクライナ館。行く度に展示も人も充実していくのが、わかりました。若いスタッフが多く、明るい館内でした。
館内の小さい広場では、民族音楽や舞踊のコーナーもありました。レストランも人気でした。そこは9月には、待ち時間が1時間以上となる日もあるほども盛況で、ネットの中でも「美味しい」「懐かしい味」とか、話題になっていました。

私は、万博よりもずっと前、ウクライナ国ハリコフ市からやってきたバレエ団の人たちといっしょに遊んだこともあり、彼らが「私たちはロシア国民ではなく、ウクライナ国民です」と語ったことが強烈な印象となっていました。
それやこれや、ウクライナ国には、とても興味があります。
12月18日の午後、なごや民間大使として10月から活躍の、ベレジヌィイ ビタリーさんのお話しを聞く会に行ってきました。「麦畑と青空の国 ウクライナ」と題し、事前の応募受付で100人限定の集会です。ベレジヌィイさんは、万博ウクライナ館で通訳・アテンダントとしてもご活躍され、館内外でときどきお見受けした青年です。

では、当日配布された資料から、ウクライナについてちょっとお勉強しましょう。
▽面積はヨーロッパではロシアについでの広さ▽人口は4801万人(2004年)▽首都はキエフ▽民族は、ウクライナ人(77.8%)、ロシア人(17.3%)、ベラルーシ人(0.6%)、ユダヤ人など(2001年ウクライナ国勢調査資料)▽宗教はウクライナ正教・ウクライナカトリック教・ロシア正教など▽主要産業は、農業・機械・造船・鉄鋼業など。
ベレジヌィイ民間大使は、ウクライナの景色のスライドを映しながら、流暢な日本語で約1時間、母国をいろいろ紹介してくれました。なかでも、私が興味を持ったのは、言語の話しです。
ソ連から独立して1996年6月に制定されたウクライナ憲法では、国語はウクライナ語と決められているのですが、ロシア語などの使用も自由とされています。ウクライナ語は、ロシア語に比べて古代スラブ語の色彩を残し、ポーランド語と共通する語彙が多いとか。英語も若者達は学んでいます。
多くの国民が、ウクライナ語のほかに他言語を使いこなす人たちです。
万博ウクライナ館でお友たちになったダーシャさんが、ウクライナ語・ロシア語・英語・上手な日本語を使い、「イタリア語も勉強したい」と言い「多くの言葉を学ぶことはとても楽しいから」と言っていたことを、思い出しました。彼女はいまごろ、イタリア語の勉強をはじめていることでしょう。

(ウクライナ館レストランで働いていたダーシャさん)
「ウクライナ観光へおいでください」と、観光地の写真スライドを使いながら、民間大使は、とても誇り高く母国を語りました。
「ロシア発祥の地はウクライナです。古い歴史を持つ教会・宮殿・町と通りなど世界文化遺産ともなっており、ぜひ多くの人たちが訪れてほしいところです」。
ウクライナ国は、EUと隣接し、「EUをおおいに注目している」し、大国ロシアの動向も注視している国です。ウクライナ国がひまわりを国の象徴の花としているのは、「核弾頭が置かれていた場所に、『未来に平和』をの合言葉で植え続けているひまわりです。核の時代を終えてひまわりの花咲く平和をめざすウクライナです」。とべレジヌィイ民間大使は、お話しを締めくくりました。
その後、ウクライナのお菓子と飲み物の紹介・ウクライナ民謡と舞踊の披露もありました。
2005年12月18日
41号 きょうはオレグさんの誕生日
12月18日は、万博ロシア館の開幕準備からの2ヶ月間、桜と新緑の日本を楽しまれた、オレクさんの誕生日です。サンクトペテルブルク国立民族学博物館のスラブ民族学博士、ロシアのインテリですが、万博でお会いしたオレグさんは、気さくで陽気で、お酒が好きだけれど弱く、何でも知っているけれど時々ちょこっと言い加減(?)を言っちゃう、でもなかなかの好男子です。
いつのことか、どうしてなのか記憶にないのですが、私の手帳の「12月18日」のランには、「Олег Лысенко」と彼の字で書かれてます。「誕生日はいつ?」とでも話したときに手帳にかいてもらったのでしょう。夏のSt.Peter.の旅の帰りぎわ「今度はいつ来るの?僕の誕生日においでよ」。と言ってましたオレグさん。誕生日は過ぎてしまいますが、もうすぐ行きますからね。
オレグさんが大好きなものは「チョコレート」です。
「夜遅く、読んだり書いたりしているとき、チョコレートを食べるととても頭に良い。チョコレートは僕には大事なもの。日本にもチョコレートがたくさんあるからうれしい」。いつもかばんにチョコレートが入っていましたね。
日本での美味しいチョコレートを持って、もうすぐ行きますからね。待っていて。
オレグさんへ、あとで「おめでとう」電話をします。
2005年12月11日
40号 新年お祝いのカードを送る
万博期間中と言っても後半が多かったが、住所を教えていただいたロシア館とウクライナ館の人たちに、やっとカードを書いて送ることができました。14通のカードです。
富士山に登った人には富士山の写真カード、宮島に行った人には宮島風景で、金閣寺を喜んだ人には金閣寺を、と、送る人それぞれを思い浮かべながら、20通以上の日本風カードを買いました。
そして、
Поздравляю с Новым годом и с Рождеством !!
( 新年おめでとう、クリスマスおめでとう )
とそれぞれに書いて、万博で写した写真も1~2枚入れまして、11日投函しました。もっと早く用意して送るべきでしたが。まあいつかはあちらへ着きます。きっと私のことを思い出してくれるでしょう。
2005年12月10日
39号 泣ける年末かも
年末は「ことし一年を振り返って」などのテレビ番組や新聞特集がありますが、名古屋地域では当然、万博をはずしての「ことし一年」はありえません。
すでにはじまっていますが、万博の映像などがテレビ画面が流れます。と、泣けてくるのですよね。
そして、私は写真の整理をしています。と、泣けてくるのですよね。胸に溢れるものがいっぱいになります。写真のそのときがあざやかに浮かんできてしまいます。音も光も温度も。
このところこちらに写真を入れておりませんので、後追いですが、入れていきます。ときどき、バックしてみてください。
2005年12月01日
37号 「3人でモスクワへ行ってきました!」
ロシア館やウクライナ館で受付などのボランティアで活躍していた女子大生たちが、11月モスクワに行ってきました。
11月26日の「ロシア館に関わった人たち交流会」の席で発表された彼女たちの旅の様子をご報告いたします。
◇ ◇ ◇ ◇
《11月2日》中部国際空港からソウルへ。ソウルまで1時間30分。5時間待ち時間があって、ソウル~モスクワへは9時間です。着いたモスクワシェレメチボ2空港では、迎えの車に乗って有名なイズマイロボホテルへ。長い一日でした。
《11月3日》大学のロシア語教授の親戚にあたるパーシャさんといっしょに、万博で出会った、アレクセイヨルダンカデット学校へ出かける。カデットの少年たちとは、万博ロシア連邦ナショナルデーのときに出演した彼らです。校長先生や日本にやってきた彼らと会い、教室の様子やお茶をごいっしょにしたりして、とても愉快なひと時を過ごしました。彼らは学校の時間中でしたから、訪問再会は短時間でした。
その後モスクワの町へ。カラメンススコエは工事中でした。「赤の広場」は中に入れず残念です。
「ペリメニシュカ」というペリメニのお店で、美味しいたくさんのペリメニを食べました。
《11月4日》ボリショイ劇場新館で「くるみ割り人形」のバレエ鑑賞。終演後、ロシア館で通訳をしていたコースチャに会いました。いっしょにモスクワの中心部を歩きました。ヨーキーパーキーで夕食でした。
《11月5日》朝からパーシャさんと電車に乗ってモスクワ郊外の町、セルギエフパッサドへ行きました。窓から見える白樺林とダーチャが続くとても素晴らしい景色でした。この町の教会を訪ねて、その後マトリョーシカのお店に行き3人でたくさんのマトリョーシカを買いました。ひとりが6~7個買って3人だから18個くらいのマトリョーシカをパーシャさんが持ってくれました。
また、DVDやお菓子もたくさん買って大荷物でした。
その後、ロシア館で運転手だったワシーリーさんと会いました。
《11月6日》ワシリーさんとパーシャさんといっしょにモスクワ市内観光に出かけました。クレムリンを見て後にノボデビチ修道院で墓めぐりをして、雀が丘へ。たくさん歩いてモスクワ中心部へ。「ムームー」で昼食をしてまた歩きました。そしてその日の夕方、モスクワを後にしてソウルへ。
《11月7日》朝ソウルに着いて長い待ち時間でしたが、あまり気にならず、中部国際空港へ戻ってきたのは、夜でした。とても充実した楽しいモスクワの旅でした。
◇ ◇ ◇ ◇
秋のおだやかな美しいモスクワを歩き回った3人です。ロシア館で出会った人たちと再会を喜びあって、それもとても楽しい旅だったようです。ステキな3人です。
「また行きたい!!」と元気におしゃっていました。
2005年11月27日
36号 名古屋在 ロシア館スタッフ達交流会 2回目
暖かい11月26日の夕方、ロシア館で働いていた人たちが集まりました。10月に続いて2度目の集まりです。
場所は今回も地下鉄東別院駅近くのロシア料理店「ルパシカ」にて。
集まった11人は、この日を楽しみにしていました。今回の一番の報告は、「私たち3人はモスクワへ行ってきました!!」です。
万博ロシア館でボラで活躍していた3人は、ロシア語を大学で学んでいます。担当教授からのすすめもあって、11月はじめにモスクワへ行き、万博で出会った人たちと再会をしてきたそうです。
素晴らしいモスクワの秋を楽しみ、とても有意義なステキな旅ができたことが、報告されました。
そしてもうひとつは、マトリョミンなるものの実物登場でした。
アッ、もうひとつ、発表がありましたね。
詳細は次号へ続きます。
2005年11月22日
35号 万博の人々8 インタビュー
このマーミンカ通信を読んでくださって、メールをくださり、ロシア館ではじめてお会いした女性YU子さんにあらためてインタビューしました。
◇はじめて万博へいかれたのはいつですか?
==5月3日です。
◇期間中何回行かれましたか?
==33回です。その半分以上をロシア館に寄りました。

(夏の盛りの万博会場)
◇ロシアと出合ったのはいつ?どうして?
==ソ連時代ですが、タシケントやタマルカンドに行ったことがあるのです。シベリア鉄道にも乗ってとても楽しい思い出です。また「森は生きている」のお芝居を見て感動したこともあり、バイカル湖にも興味があります。
◇ロシア語は?
==ロシア語を聞くととてもうれしいです。ロシア館でロシア人たちがお話しをしているのが聞こえてくるとうれしかったです。何を話されているのかは残念ながらわかりませんが。でも、ロシア語を勉強して、いつかロシアでみなさんとお話しがしたいです。
◇はじめてお会いしたのが7月の末でしたよね?
==そうですね。ロシア館前で待ち合わせて、ロシア館で遊んで(笑)。暑くってビールが美味しかったですね。たくさんおしゃべりしてたくさん歩きました。夜のパレードが大混乱した日でした。いまは思い出です。
◇サンクトペテルブルクからおいでになったジィーマさんと会われたました。
==ジィーマさんがロシア館の民族関係の展示を説明してくださったとき、とても気になることをおっしゃったので、次にロシア館へ行ったときは、通訳さんにもお願いして詳しく教えていただきました。とてもていねいで素晴らしい民族学博士とお話しができてうれしかったです。
◇ジィーマさんと私との3人で京都へ行きました。楽しかったですね。
==誘っていただき、うれしかったです。とても楽しかったです。竜安寺、仁和寺それと金閣寺。こころが和みました。ジィーマさんがどこでも興味深く見学される様子は、日本人としてもうれしかったです。
◇ロシア館での手伝いもされました。
==受付のお手伝いを少ししました。ロシア館で働く日本人たちとも交流ができて、お友だちが増えました。みなさんには、またお会いできる機会がありそうでうれしいです。
◇万博は終わったのですが、その後はいかがですか?
==ロシアにもロシア語にも民族学にも、興味がいっそうわいてきました。いつかきっとロシアに行きたいです。行きます!!
YU子さんはロシア語の勉強に励んでみえます。いつかロシアへ行くためにの大きな目標を持っています。ジィーマさんに、「ロシアに来ればロシア語上手になりますよ。きっとロシアでお会いしましょう」って最終日に言われてポーッとしていたYU子さん。
きっと彼女は遠くない将来に必ず実現させると思います。
2005年11月20日
34号 いまさらですが、残念でならないこと。
万博期間中、それはたくさんの大小の催しが開催されていました。それら催しの宣伝方法などは万博協会を通じてマスコミなどへアッピールをしていたようです。地元の新聞やテレビ局は「明日の万博」とか「きょうの予定」とか、多くの取組の宣伝をしていました。協会のHPにも掲載されてもいました。
ロシア館もナショナルデーはすばらしく大人気でした。が、その宣伝はとても遅くなりました。バレエの出演者や演目などを知りたがるバレエファンは、あちこちで情報を集めていました。
私は、いくつか「マーミンカ通信」でご紹介しました。あまり宣伝もされず、「知る人ぞ知る」ようなものとなった、とっても素晴らしい企画がロシア館であったのです。
それは、9月14~16日間ロシア館内外で開かれた「サンクト・ペテルブルクの日」です。
愛知万博はまたの名をTOYOTA万博です。TOYOTAといえばサンクトペテルブルク(以下略してSP)への車両組立て工場建設です。SPではTOYOTAのお膝元での万博をとても意識しているようでした。SPはいま、日本のトップ企業の多くが注目している場所です。
「愛知万博サンクトペテルブルクの日」では、ビジネス関係交流もまずはあったようです。
▽座談会「SPー国際的な観光事業最大の中心地」ー主催・日本語通訳ガイド会社「パートナー」
▽ビジネス会議「水素エネルギー開発の展望」-主催・連邦国家ユニタリー・エンタープライズ「船舶電子工学テクノロジー中央科学研究大学」
▽ビジネスセミナー「SPへの事業進出について」-主催・SP投資戦略プロジェクト委員会・SP市経済開発・産業政策・商業委員会
など、経済交流も開催されました。かなり専門分野の交流ですからそれなりの方たちがご出席なさったのでしょう。
ロシア館内では、SPの文化芸術企画も催されました。こちらは万博へ入場されたみなさんが無料で楽しめるものです。ロシア館内の狭いホールでの開催です。。いったい何人の人たちが鑑賞できたのでしょうか? なぜ、もっと大きいホールでもっと多くの人たちに観て、聴いていただくようにしなかったのでしょうか。
SPファンとしましては、とても悔やまれる出来事でした。そんな文化企画があったことを今更ですがお伝えしておきます。アッ、私ですか?もちろん行きました!!
◇陶芸体験教室・アート体験教室(ロシア館前庭で)。
これについては知りませんでした。
◇声楽アンサンブル 「ラジュネストヴァ」 代表 オリガ ストプネーワ
素晴らしいアンサンブルです。年季の入ったプロ達の公演です。最後には会場のお客たちも舞台あげての楽しい企画もありました。
◇バレエ レオニードヤクブソン名称「舞踊小品」劇場
ソリスト ロシア功労芸術家の ウラジミル・アドジャモフとエレナ・グリニョワのふたりによるバレエ
◇子ども舞踊「ロヴェスキニ」による舞踊と合唱のひととき
可愛い子どもたちの歌と踊りです。最後には日本の柔道を意識した舞踊を見せてくれました。
◇「テレム カルテット」 公演
とても素晴らしい。もっと聴いていたかった。彼らのCDを買ったのに、どこを探しても出てこない。ということは買ってどこかへ忘れてしまったのでしょうか。このカルテットは、ジィーマさんの友人たちでもあるそうです。
こんなに素晴らしい企画でした。
では、私が舞台の端っこから写した写真をご覧いただきましょう。
(ひどい写真で、ごめんなさい)。

奥の男性はこの日の司会者 手前の女性は通訳

バレエダンサーズ。ものすごっく色ぽくってドキドキしてました。

テルムカルテット 素晴らしい音楽です。
そして、当日ロシア館で配られたレア物です。

33号 ウクライナのお話しを聴きましょう
名古屋周辺にお住まいの方に朗報です。
「マーミンカ通信」31号でお知らせいたしました、名古屋国際センター民間大使のウクライナ出身、ベレジヌィ ビタリーさんがお話しをされます。万博ウクライナ館で人気者だったビタリーさんにまたお会いできます。

「麦畑と青空の国ウクライナ」
日 時 12月18日(日)午後2時~4時
場 所 名古屋国際センター 別棟ホール
参加費 800円 (賛助会員は400円) 当日払い
定 員 100名
主 催 財団法人名古屋国際センター
申し込み・お問い合わせ 052-581-3755
国際センター 交流協力課
ただし、朝9時~夕方6時までの間に電話を。
そして、もうひとつ、申し込み受付は
12月11日からです。先着順です。
お話し・試食タイム・ウクライナ民謡・民族舞踊などあります。
このちらしを見たとき、私は興奮してすぐに、国際センター交流協力課へ電話しました。
「ウクライナのビタリーさんのお話しを聞きたいのです。明日の日曜日ですね、まだ申し込めますか?」と。電話口の係の人が「はあ???」。
と、私、「明日の日曜日でしょ?」と言いながら、ちらしをもう一度よく見ますと、なんと12月でした。
「スミマセン。先行し過ぎでした」。
電話番号や日程などお間違いのないように!!
2005年11月14日
32号 3色の、熊とチェブラーシカと
30号に書きました、モリコロは実はすごい人気者でした。最初は「ちょっと不気味」とか、「あえて可愛いものではない逆キャラがおもしろい」とか言われていました。
が、万博人気とともに彼らの人気はうなぎのぼりにのぼっていきました。ずっと「嫌い」を通していた私もとうとう最後の最後には、モリゾー人形を買ってしまったのですから。
が、もう万博を終えて2ヶ月。彼らは、もうどこにもいません。一応キャラクター商品も販売されていないはずです。
名古屋駅にあるデパート、JRタカシマヤはこの冬、熊のキャラクターを発表しました。色は青と赤と白です。11月9日発売と同時に、赤色ちゃんと白色ちゃんは、完売ですが、青色ちゃんは売れ残っています(14日現在)。とてもすごい人気商品です。12月半ばにはまた3色揃うらしいです。欲しいなあ。モリコロより魅力的です。



なぜ、こんなことを書いているかと言えば、ナントはるばる離れているロシア国でも、3色の人形がもうすぐ発売されるそうです。あちらは、トリノ冬季五輪のロシアチームキャラクターです。
熊ではなく、ロシアアニメの人気者、チェブラーシカです。日本にも多くのファンがいるチェブちゃんです。万博ロシア館にも映画撮影に使われた本物が、そっと展示してありました。
3色のチェブちゃん、とても可愛いものでしょうね。これも欲しいけれど日本では、買うことはできないかしら?ロシア国内と、イタリアでは販売があるようです。
と、これは、ロシア国サンクトペテルブルク市にお住まいの、SP Walker さんご紹介情報です。ありがとうございます。
31号 なごや民間大使ご紹介
名古屋駅からほど近い場所に名古屋市の国際センターがあります。名古屋と周辺に住む外国人たちの情報交換や交流の場として、定着しています。
国際センターの第37代・なごや民間大使は、ウクライナのビタリーさんです。
万博ウクライナ館でいつも通訳で館内の人気者だった彼です。とっても流暢な日本語と優しい笑顔です。いつかきっとゆっくりお話しをお聞きしたいです。
ウクライナのこと教えていただきましょう。
30号 名古屋名物電飾には、いません。

名古屋の冬の名物となった、名古屋駅ツインタワーの電飾ツリーがはじまりました。
多くの人たちが楽しんでいます。写真を写しています。聞こえてくるのが「、モリ・コロはいないのかな?」です。
モリコロとは、愛知万博のキャラクター、モリゾウとキッコロです。私は実は彼らは好きではなかった。万博終了とともに、「森へ帰った」ので、彼は見事に町のあちこちから消えてしまいました。でも、ときどき人気につられて商戦場には復活するとかの意気地のない彼らです。
もちろん、この星座を現した電飾に、モリコロは、まったくいません。
ああ、もう年末ですか……。きれいな電飾ですよ。
2005年11月05日
29号 万博の人々7 インタビュー
きょう、ご紹介します女性は、大のマトリョーシカファン。ここではマトちゃん(以前はKさん)とよびましょう。
名古屋近郊の町に住み、主にウイークディの昼間に万博へ、ロシア館へ通い、全期間入場券を使った回数は何回か、つまり何回万博へ行ったのか「覚えていない。20回は行っていると思う」と言うマトちゃんに、万博が終わったある日お会いしました。
☆マトリョーシカとの出会いは?
=大阪万博のとき、もちろん私は小さい時ですよ。おばが「ソ連館のおみやげ」と買ってきてくれたのが、マトリョーシカでした。その可愛いいこと、きれいなことが、とっても印象に残っています。その後、いつもマトリョーシカが気になっていました。
☆この愛知万博ロシア館にもたくさんマトリョーシカはありました。
=もう、開幕を待っていました。はじめて万博へロシア館へ行った日は、4月10日でした。まだ観客が少なく空いていました。おみやげコーナーには、たくさんマトリョーシカが並んでいたのがうれしくって、長い時間ロシア館にいました。ずっとマトリョーシカを見ていました。
☆もちろん買ったのでしょう?
=ええ、もちろんです。全部買いたいと思ったほどです。が、それはできない(笑)。5ピースのきれいな衣装で美人のお顔で、後姿もきれいなマトリョーシカを買いました。お気に入りのものになっています。

(万博でロシア館で買った後姿に天使がきれいなマトリョーシカ)
☆わたしとはじめてお会いしたのが、ロシアナショナルデーの時でした。
=ロシア民謡をはじめロシア音楽・バレエなど大好きですから、ナショナルデーはとても楽しみにしていましたし、EXPOドームで楽しめて最高のひと時でした。
あのあともマトリョーシカに会いにロシア館へ行きました。万博へ行った時は、いつもマトリョーシカに会いに行く時でした。
☆ロシアへは、行ったことはあるのですか?
=まだです。でもきっと行きます。
☆ロシア語は、どのように勉強しているのですか?
=ラジオやテレビロシア語講座とか、独学です。昼間教えてくれる先生はいませんか?いま、ロシア語も勉強したいです。
☆ロシアに行ったら、マトリョーシカを買い占めるのですか?
=そうしましょうか(笑)。以前は、「買いたい」「手にしたい」という要求でしたが、最近は、万博後ですが、「見てみたい」に変ってきました。
だから、いまは、本場のマトリョーシカのいろんなものを見てみたい。高級品も古典物も大きいものも小さい物も、どんなものでも見てみたいです。
もちろん、行けば買うでしょうね。きっと。
☆ご自慢のマトリョーシカは?
=私は野球も大好きです。野球を語らせたら一晩でも二晩でも話します。マトリョーシカでもそうですが。その大好きなものをふたつをあわせて、日本に住むロシア人女性につくってもらったものがあります。制作をお願いした彼女は野球をまったく知らないから、野球のことをいろんな工夫で伝えて、作ってもらいました。世界でたったひとつの「私のためのマトリョーシカ」です。

再掲ですが、これがご自慢のマトリョーシカです。
☆ロシア館とマトリョーシカ、なにかおもしろい話しはありませんか?
=おみやげコーナーで、「アッ、これ、ナント言う名前だったかしら?」と、仲間同士でお話ししている人たちに「マトリョーシカと言いますよ」と、何度も教えました。
おみやげコーナーには、「マトリョーシカ」という看板があまり目立たなかったです。
それと、万博後半は、けっこうお値段が高くなっていましたよ。最初から見続けている私の目には、それははっきりとわかります。
☆万博での出会いはマトリョーシカのほかには?
=もちろん、万博ロシア館の人たちにはとても親切にしていただきました。拙いロシア語であいさつすると笑顔を返してくださったマンモス担当のアリョーシャさん。ナショナルデー以降お世話になったコースチャさん。そして、すっかりお友だちとなったオリガさん。もちろんいっしょに写真を写した人、バイカル湖や鉱石類の展示説明をしてくださった方たちなど、どなたも親切で、忘れられません。
ロシア館だけでなく、アフリカ共同館内で知り合ったケニア国の若い女性とはメル友です。英語でやりとりしています。
☆☆☆ ありがとうございます。マトちゃん。
こんなにマトリョーシカが大好きさんにお会いしたのははじめてです。それにマトリョーシカからロシアに興味を持って、ロシア語やロシアの旅へも夢を持っている人がいるのは、うれしい限りです。これからもお友達でいましょうね。
2005年11月03日
28号 万博の人々 エピソード 6
今度モスクワへ行くとき、もしこの人に声をかけずに黙っていたら怒られます。
通訳として広報担当として大活躍だったオリガさんは、閉会してすぐ帰国前日、私に電話をしてきました。
「もう、帰ります。今度はいつモスクワへ来ますか?いつでもモスクワに来る前に必ず連絡してください。もし黙っていたら、私は怒りますから」。
その一言で、「もう万博は終わった」と実感してポロリと涙した私でした。

オリガ コピエーバさん。{カテゴリー「ロシア館と周辺勝手に通信」 27号にも登場いただきました)
日本へ来て、歯痛に苦しみ、「モスクワへ帰りたい」。
ご家族が夏の休暇に日本へやってきて万博などを見学して、帰られたら、「ああ、モスクワに帰りたい」。
でも、万博閉幕寸前には、「まだ帰りたくないです。もっと名古屋に居たいです。とっても親切な人ばかりです。ああ、帰りたくない」。
モスクワNHKの通訳として大活躍です。NHKのモスクワからの放送(ニュースやドキュメンタリーなど)には、オリガさんの仕事ありです。注目しています。
そして、もちろん怒られたくありませんので、モスクワへ行くときは、連絡します!!
27号 万博の人々 エピソード 5
今回のご紹介は、ロシア館モスクワ市担当のユーリャです。
いっしょに、伊勢市・奈良市・岐阜の鵜飼など楽しみました。
ロシア館出口にあった、写真撮影人気スポットモスクワ市コーナーの担当者でしたから、お会いになった方も多いと思います。聡明さと行動力が溢れ、いつも勉強をしているユーリャです。

ユーリャ スミルノワ さん。本職は、モスクワ全展覧会センター企画担当です。
「幼い子どもを連れた人、車椅子の人などが、とても多く見学に来るこの愛知万博のことは、モスクワに持って帰っておおいに研究したい」。
「トイレの数や清潔さなど、とても驚きます。モスクワでも役立てたいことです」。
「たくさんの人が黙って長く並ぶことは、モスクワではできないでしょう」とも。
奈良へ行ったとき、鹿に紙の端っこを食べさせ、不思議な形になった紙を「ステキな記念です」とうれしそうにしていました。いまごろ、その紙を取り出しては、日本のことを思い出しているかしら?そんなヒマもないほど、多忙な毎日かもしれません。仕事のできる人のところに仕事は集まるから、ユーリャはモスクワでもとても忙しい人でしょう。
もちろん、またモスクワでお会いしたいです。
2005年10月31日
26号 滞在時間 1時間ちょっと
万博開催中のおもしろ話しです。
私の友人けいこさんは、ある世界的ロシア人ピアニストを世界各地へ追っかけている超エネルギッシュな女性です。

(けいこさん秘蔵のピアニストサイン入り公演パンフレット)
6月はじめ、豊田市で彼のコンサートがあるので、名古屋にやってくるというけいこさん。その前に電話をしてきました。
「せっかく名古屋に行くから、万博も行きたい」。
「名古屋に泊まるのですか?」
「いいえ、次の日、ピアニストは関東でコンサートがあるから日帰りで東京へ帰ります」
「それでは万博はちょっとムリですよ」。
彼女のスケジュールは、名古屋到着が午後1時ごろ。豊田市ホールでのコンサート開始が午後5時だから、4時半には席に着きたい。つまり、3時間半の時間に名古屋~万博長久手会場~豊田市ホールへと移動できないだろうかと言う。
私はやんわり断ったものの、超多忙な彼女が、もう一度万博へ来ることは無理だろうなと思う。
「万博行って見ますか?でも時間は少ないし、入場料金は4600円と交通費も、お金がかかりますよ」。
「お金は心配しないで。行きたい」。
では、短時間で万博へ突撃、まさに突撃することにしました。
名古屋に到着したのが午後1時。ピアニストに贈る花束、それも超特大を買って、名鉄メルサからの万博東ゲート行きバスに乗り込んだのは午後2時ごろ。彼女は、コンサート聴衆用衣装です。私も一応同行者として恥ずかしくないように、いつもの「万博コスチューム」とは違うものを着て。
その日は、晴れているけれど雷雲が動き回っている午後です。会場に着くとやはり心配していた雨が落ちてきた。雷も遠くで鳴っています。
ピアニストの出身国ロシア館にだけ行くのが目的ですから、「イザ、ロシアへ」とパンプスで会場を走るようにして、あのはてのロシア館へ向かいました。
ゴンドラなどの乗り物は乗り込むまでに込んだいたので、一番早いのは、この足だからと、私たちはとっても速く走り歩きです。と、見上げるとゴンドラが止まっていました。雷のためしばらく停止したとは、あとでわかったことですが、「ゴンドラに乗っていたら閉じ込められて泣いているよ」とけいこさん。
彼女は、大きい花束にたくさんのプレゼントが入っているだろう袋、おしゃれなバッグを持っていても、まったく平気で、歩きます、いえ、走ります。
ロシア館には、あらかじめ、通訳コースチャに連絡をしておき、「遠来のお客様に説明をしてあげてください」と頼んでおいたので、それは安心。
ロシア館到着が午後3時ごろ。もうふたりとも息を切らせ、汗と雨で濡れたものを拭く時間も惜しくて、すぐにコースチャに説明をはじめてもらう。
彼の丁寧な説明に、けいこさんも「おもしろいものがいっぱいあるから、もっと知りたい」と楽しそうです。が、時間はあっという間に過ぎてしまいます。
「ああ、時間がない。西ゲートまで歩いて15分以上はかかるし、雨も降っているから早めに……」と、いうわけで、もっと説明をしたがっていたコースチャには、とても悪かったけれど、私たちはまた急いでロシア館を撤退して、西ゲートに走りました。
ロシア館があんなに遠いところに位置しているのがとっても憎たらしいと思う。ロシア館滞在が40分くらい、ロシア館見学だけ。そんな万博行きとなったけいこさん。
西ゲートからタクシーに乗って豊田市へ。もっと近いかと思ったらなかなか遠くて、運転手が豊田市コンサートホールを知らなくて。ちょっと焦ったものの、開演にはじゅうぶんに間に合いました。
けいこさんはピアノコンサートを堪能して、あこがれの大ピアニストに「万博ロシア館のおみやげです」と、あのミニ滞在時間でもしっかり買いこんでいた「ロシア館マンモちゃんクッキー」を贈っていました。
追っかけする者の真髄です。だれよりも目立つおみやげをしっかり用意して渡したのですから。
偉いね。けいこさん。ホンマにあなたは最高、偉大なるピアニスト ミハイル プレトニョフ 様の追っかけ大ファンです。

(この日ではありませんが、偉大なるピアニストへ、プレゼントを渡すけいこさん)
2005年10月27日
25号 3枚の写真
ウラジオストクもモスクワもサンクトペテルブルクも、すでに雪が降ったと伝わってきました。雪……。もう、冬ですか。
愛知万博 長久手会場の北ゲート 奥に見えるのはリニモ駅です。
5月=朝の入場者の列が終わったところなのでしょうが…。

7月17日(日)21万人の入場者の日

9月18日(日)28万人最高の人出記録の日

24号 2枚の写真
万博に通っては写真を写していました。とてもたくさんの写真がパソコンの中で、まだ整理できていません。いつかは整理をしなければなりません。
開幕すぐの4月はじめの コモン4(ロシア館はこのずっと奥にありました)

閉幕間近の9月末のコモン4

月日の流れのなかに織り込まれている私たちの人生、しみじみする秋の夜長です。
2005年10月26日
23号 万博の人々 エピソード 4
今回はブラドレーンさんをご紹介しましょう。
万博の後半にパビリオンで大活躍してみえました。女性たちにとっても優しくしていました。難しいお名前で覚えられませんでした。だからパビリオンでは呼びかけることもできずにたいへんに失礼いたしました。
万博閉幕後のある日、ジィーマさんの宿舎へ荷物の御用に行ったとき、おふたりが同室であることを知りました。
ブラドレーンさんは私に「台所の油汚れを落とす洗剤の名前を教えて」と聞かれました。もう部屋を空ける=帰国する日がまじかで掃除に必要だったのでしょう。
洗剤の名前よりもなによりも、彼の名前がしっかりアタマに入っていないので、呼びかけることができず、ちょっとドギマギしていました。ロシアの人たちはみんな名前を呼び合いますから。ナント言ってもそれまでパビリオンで何度も会っていますから。
彼が自分の部屋に入っていかれたときに、小声でジィーマさんに「彼の名前をここへ書いて」と私のノートに書いてもらいました。ジィーマさんは「 『Владлен 』っていうソ連時代の名前。難しい名前だよ」と小声で教えてくれました。
と、戻ってきたブラドレーンさんの手には、「洗剤の名を書いて」と紙とボールペンがありました。
彼の名前を覚えることにいっぱいだったわけで、瞬時に洗剤の名は思い浮かばず、「あとでジィーマさんとコンビニに行ってみてきます。ブラドレンさん」。
と、呼びかけたのですが、やはり下手だったのですね。「私には難しいあなたのお名前でして……、ごめんなさい」と正直に申し上げれば、
彼は持っていた紙に
Moscow Institute of Oceanology VLADLEN
と書いてくださいました。そして、いっしょに発音して、笑いました。

(パビリオンにて、9月25日撮影)
ボールペンを「おみやげにプレゼントするよ」。遠慮せずにいただきました。↑写真の胸にある万博記念のボールペンでした。ありがとうございます。ブラドレーンさん。
2005年10月25日
22号 もう終わろう万博ネタ !???
↑ という題名をいままで何度も書こうと思っていました。ネタ帳を整理していましたが、ああ、まだ書けていないことがいくつかあるのですが……。そしてどうしても書いていきたいことがあるのですが。
スミマセン。「もうやめたら」と言うみなさんの期待を裏切って!!まだしばらくは、万博ネタが続きます。よろしいでしょうか。

万博は出会いでした。昨年のいまごろはまったく知らなかった人たちと万博を通じて知り合いになりました。名刺や携帯番号を交換した人たちも多くいますが、会場内でおしゃべりした人も、万博ネタプログで出合った人も含めれば、とても多くの人との出会いでした。
また、あまり交流がなかった人たちとも万博を話題に、これからのお付き会いが長く深くなるだろうと思われます。
私は限られていましたが、諸外国の人たちとの出会いもそれは貴重な経験です。
私にとってロシア館スタッフたちとの出会いは、ちょっとした人生の奇跡のようなものです。
いま、一番ここで書いていきたいことは、ロシア館スタッフたちが、いまそれぞれの持ち場に戻り、日本での経験体験がどんなものだったかを、ぜひ取材して報告したいのです。
それは私のロシア語チカラでは、かなり難しいことですし、ロシアの彼らもきっと多忙な生活で、すぐに返事をいただくということもタイヘンでしょうから、時間がかかると思われます。
でも、きっと万博&日本生活体験者の彼らのロシアでのいまを書いていきます。
だから、しばらくまだ、おつきあいください。
そして、ロシア語達人のみなさん、どうかちょっとお力を貸してやってください。
このロシア語もできないのに壮大なことばかりを考えている、マーミンカへ。
では、次号は私に大事にしていたペンをくださったあの人のことを書きましょう。
2005年10月24日
21号 万博の跡地は、工事現場となっていく
閉幕から1ヶ月。万博会場への立ち入り許可は外国人スタッフらも含めて25日までです。
すでに多くのパビリオンが壊しにかかっていますが、これから本格的に工事現場となります。もう終わりです。
秋が深まっている名古屋です。
2005年10月23日
20号 万博の人々 6 インタビュー
名古屋で活躍するロシア語の先生に、ロシア館のことやロシア語のことを語っていただきました。

服部和(ハットリ カズ)さんです。(写真 左が服部さん。右はロシア館のユーリヤさん)
▽万博やロシア館との最初のかかわりはどんなものでしたか?
==名古屋で万博開催の話しが聞こえてきた時、私が気に入っている瀬戸市の海上の森(かいしょのもり)が壊されるのではないかと、反対でした。
計画がかわって、海上の森はなんとか守られて良かったのですが、あまり万博には関心がなかったのですが、万博はどんなものなのかな?と思って、一度は行くつもりでした。
▽はじめて行かれたのは?
==5月半ばになりました。ロシア国がこの万博に大きく力を入れていることと、本物を持ってきていることに感動しました。そして、ロシア館にはロシア人スタッフが大勢いることを知り、彼らのためになにかお手伝いできないかと思いました。
▽彼らのためにはとても必要なことです。
==そうですね。半年もこの名古屋で生活されるのですから、ぜひ気持ちよく快適に過ごしていただきたいと思いました。お買い物の手伝いでもできないかと思っていたのです
その後、名古屋に住むロシア人たちとともに、ロシア館スタッフのいく人かをお誘いし、ビール工場見学会へ行きました。みんなでビールを飲んで、ロシア館スタッフのみなさんがとても良い人たちとわかりました。
▽ナショナルデーも行かれましたか。
==はい。とてもすばらしいナショナルデーで感動しました。素晴らしかった。うれしかったです。
▽ロシア語の先生として、ロシア館への思いは強いものがありましたよね。
==もちろんです。ロシアが親戚というか大好きですから、なにか悪口とか言われたらショックです。だから、館内の見学者の感想などをお聞きするのが大好きです。
▽ユーラシア協会(愛知県連合会)ではロシア館見学会(8月はじめ)もされました。
==スタッフのみなさんに丁寧に説明をしていただき交流もできました。見学者のみなさんもとても喜んでいました。他の機会でも、ロシア館展示をみなさんが誉めてくださることはうれしいですし、ロシアのことを知ってくださるのはとてもうれしいのです。
▽ユーラシア協会恒例の「ロシア語サロン」(9月)には、ロシア館スタッフがゲスト出演され、通訳は服部先生でした。
==民族学者のジィーマ バラノフさんのお話しには、みな引き込まれました。とても良いロシア語サロンができました。サロンの後に岐阜の鵜飼に行ったのも楽しい思い出です。
▽万博訪問の最後の日はいつでしたか?
==9月17日の夕方行った時涼しくて、ああ、これで終わるのかとちょっと寂しくなりました。最後は24日で、もちろんロシア館へ行きました。もっと長く開催していて欲しかったですね(笑)。
▽ジィーマさんのおみやげのお買い物を助けていただき、彼は喜んでいました。
==大須の町やデパートを歩きました。お付合いできてうれしかったです。お帰りになる前日でしたが、「おみやげが買えて宿題を終えたみたいです」と、笑顔でホッととされていました。
ゲーム用品などにはいっさい関心をしめさないジィーマさんでした。
▽先生はなぜロシア語に惹かれたのですか?
==ロシア語の「音」に魅力を感じたのです。他の言語のどことも違う「音」でしたから。「ああいう言葉がしゃべってみたい」と強く思ったのです。
▽万博で、ロシア館見学で、ロシア語に興味を持った人も多いでしょうから、ぜひロシア語の魅力を語ってください。
==ロシア語ができればロシア人とお話しができます。ロシア文字が読めれば旅に行っても楽しみが増えます。ぜひ、勉強してみてください。人生が楽しくなりますから。
ありがとうございます。
服部先生は、ユーラシア協会でロシア語中級クラス(水曜夕方から)を教えてみえます。
「ロシア語ができるとロシア人とお話しができる」。まさにそのとおりで、ドキッとしてしまいました。もっと精進しましょう。もっとロシア人とお話ししたいと思う私ですから。
19号 万博の人々 5 インタビュー
やっと登場していただくことができます。5月ごろからこの「マーミンカ通信」に登場していただきたかったのに、私の都合で遅くなりました。ごめんなさい。
(インタビューは9月25日閉館したばかりのロシア館内で)

宮本英治さんです。
ロシア館内にはいくつか防犯監視カメラがありました。展示物の防犯監視もそうですが、広い館内で観客になにかあるとタイヘンですから、不特定多数が入場する場所にはこれらのカメラの役割は大きいです。
防犯カメラの技術者としてロシア館で働らき、ロシア館の若手ロシア人スタッフたちといつもいっしょにいた宮本さんです。
▽どれだけの期間ロシア館で働いたのですか?
==3月半ばから閉館まで。半年間です。ぼくは大阪から出張しているのです。
▽はじめて会ったロシア人ですか?
==そうです。ロシア語わからずタイヘンです。でも、なんとかなっていますが…。
▽じゃあ半年間で、ロシアとロシア人をしっかり勉強できましたね。
==いろんなこと覚えましたよ。彼ら半端じゃないですよ。お酒を飲めばとことん飲むし、遊びもとことんやるし……。ホントすごい人たちデス。
▽あちこち遊びに行ったのでしょう?
==僕もなにかと忙しいのですが、彼らと休みがあえば、あちこち行きました。彼らは、海が好きですね。若狭の海へ行ったのが一番面白かったかな。山のほうも行きました。関・高山とかね。交流会っていうかパーティもやりました。
▽食べて飲んで遊んで……、彼らと良い思い出いっぱいですね。
==そうですね。遊びました。そうそう、いっしょにおみやげなどの買い物へ行ったとき、彼らは “Made in Japan”にこだわるのですね。買い物もしっかり物を見て、しっかり考えて買っていました。
▽とても楽しい万博で楽しい仕事でしたね。
==最初は、どんなことになるかなと不安もあったのですが。一期一会の縁っていうヤツですね。飲んだくれ友だちが増えました。モスクワに会いに行かなければならないです。行くとウオッカをたくさん飲まされるだろうなあ。でも、きっと行きますよ。良い人だから会いにいかなければね。
宮本さん、ありがとうございます。
ロシア館のスタッフたちの街は、もう冬の季節を迎えます。でも彼らは平気でしょう。ウオッカをグビりとやって身体の中から温めて寒い冬も平気な彼らです。ときには日本でのこと思い出してくれているかしら?思い出すはずです。こんなに遊びまわった友だちがいる日本ですものね。
2005年10月20日
18号 手紙を3通投函しました。
このカテゴリー13号で表明しましたとおり、ロシア館で知り合った人たちへ、ロシア語手紙を書きました。3日間で航空便3通を投函しました。
投函してからですが、きょう手紙のコピーを、ロシア語の先生に「添削」をしてもらいましたら、あららあ、間違いがいっぱいです。
格変化ですね。ロシア語での表現方法ですね。単語のつづりですね。←つまり全部…!
でも、Молодец!! と、こんなロシア語チカラで手紙を書く勇気、出してしまう厚顔さを誉められた(?)ので気をよくしております。
しかし、ロシアで受け取る彼らは、ああ、悩まれることでしょうねえ。笑っちゃうことでしょうね。
彼らのために、今度はもっと上手に書きます。
▽▽▽====
手紙が着くモスクワやサンクトペテルブルクはもう氷点下の気温予想です。みんなどうしているかしら?
2005年10月19日
17号 万博の人 エピソード 3
とても笑顔のステキな、とっても美人です。見惚れてしまいます。

モスクワのハイドロメタルロジカルセンター局長のガリーナ博士です。エッ?具体的には、どんな仕事をしているのですか?気象学らしいですが仕事のことはお聞きしませんでした。
なにしろ私は彼女の美しさにマイってしまったのです。
またぜひお会いしたい。その美しい笑顔にお会いしたいです。
2005年10月18日
16号 万博の人 エピソード 2
ロシア館の裏方バロージャです。裏でコンピューターや音響関係の仕事をしていました。いっしょに海へ2度行きましたね。
「バロージャは日本滞在中に日本語を習っている」と伝え聞きました。
もう万博も終わりに近づいたある日、彼を見かけたので、後ろから日本語で声をかけました。
「バロージャ、お元気ですか?」
後ろを振り向いた彼は、笑いながら
「はい、元気です!!」
と、日本語で答えてくれました。
かっこ良いバロージャです

(海の帰り伊勢の駅で弁当を食べているバロージャです)
2005年10月17日
15号 ジィーマさんが私たちに語ったこと
9月11日、ユーラシア協会愛知主催の「ロシア語サロン」=ゲストの得意分野をロシア語で語っていただくロシア語学習会=出演をしてくださったロシア館のドミトリー バラノフ博士(ジィーマさん)の講義内容がユーラシア協会HPでアップされました。
ジィーマさんはロシア民族学博士で、ロシアのインテリです。冷静で寡黙で、ちょっとした時間もなにか読み物に時間を使っています。が、スポーツマンでお茶目な人です。
名古屋に暑い2ヶ月間住まわれ、「暑くない」と言いましたよ。
仕事が休みの日は、街を歩き回り「歩くのが大好きだから」。
けっこうお酒も飲まれます。「ウオッカを飲むと忘れ物をする」とか。
そして好きな食べ物は「豚肉料理」と「甘いもの」ですが、太ってはいません。
「魚料理を食べましょう」と誘いましたが、激しく拒否されました。魚料理は、いっさい口にしないそうです。
そんなジィーマさん、鍛えた脚力ととても長い足で、歩くのが早く、私はいつも走るように彼と歩きました。

ごいっしょに、京都は2度、奈良、伊勢、香川金毘羅宮、岐阜、犬山市、名古屋市内など、とてもたくさん歩きました。そして、私はたくさん教えていただきました。ロシアのこと、ロシア語のこと。私のすばらしい先生です。もっとたくさん教えていただきたい、そのためには、私のロシア語チカラ向上が大切というこですが。
いま、秋の終わりのサンクトペテルブルクの街を歩いていることでしょう。そして、ロシア民族学博物館での仕事のほかに、アフガニスタン博物館再建支援活動や映画などの時代考証の仕事、大学での講義など、たくさんの仕事を精力的にこなされていることでしょう。
2005年10月16日
14号 ウクライナキエフから 電話
土曜日の夜、眠くってふとんに入って気持ちよく眠りの世界に入る瞬間に、携帯電話!
表示されている番号は長い。「うん、ロシアからか??」と「Алло!」で、出ると。
ウクライナ国キエフに帰った、アリョーナからでした。寝かかっている頭にロシア語電話はきつい。でも、なんとか内容がわかったつもり。でも本当に分かっているのかな?
私に課題ができました。
** でも、アリョーナ それって難しいデスヨ **
しかし、電話通信はものすごく進んでいるのですね。キエフからの声は、鮮明、すぐそこにアリョーナがいるような声の近さです。
2005年10月14日
13号 手紙を書きましょう
何度も書きますが、私はロシア語ができません。まったく知らないわけではないけれど、知りません。でも、得意があります。それは手紙を書くことです。ロシア語専門家やロシア語母国語の人たちがみれば噴飯しちゃうようなものでしょうが、ロシア語の手紙を書くのが好きですし、けっこう書いています。
この週末は住所を教えていただいたロシア館スタッフたちにお礼の手紙を書くつもりです。時間がかかりますが、一生懸命こころをこめて書きます。
日本語→ロシア語とロシア語→日本語の辞書をおいて、メモ紙に書き付けて変化形などを確認しながら下書きを書いて、きれいな便箋に清書、控えのコピーを残しておきます。そして封をして投函です。
お返事が届くとうれしいなあ。あら、取らぬ狸の皮算用しております(笑)。
2005年10月12日
12号 スタッフ、打ち上がる ↑

(ルパシカ店長さんを囲んで。写している内海さんは11号で顔写真をご覧ください)
10月10日夕方、ロシア館スタッフ日本人たち、留学生スタッフのマーシャ、総勢11人が名古屋市中区にあるロシア料理店「ルパシカに集まって楽しいひと時を過ごしました。
ロシア館で出会って、それぞれの持ち場で働いた人たちです。館内警備員さん、館内お掃除担当者さん、スタンプ押しのボランティアさん、出入り業者さん、万博協会員さん、通訳さんらが声を掛け合って集まりました。私の友人も私もちゃっかり参加させていただきました。いわゆる打上げ会というのです。
10日現在ロシア人スタッフ達は5人だけ残っており、まだ後片付けに忙しいようで参加はされませんでしたが、メッセージはいただきました。
寒い3月に開幕してから暑い時期を越えて、とうとう終わってしまった半年間のいろんな思い出を持ち寄って、そしてこれからの友情も誓い合っての楽しいつどいでした。あちこちに声をかけてみなを集めたのは、前号でご紹介の内海さんです。ありがとうございます。
「ロシア館での出会いだから、これからロシア語の勉強とか、ロシアのことをもっと知るとか、ロシア旅行に行くとか、きっとロシアとの縁が深まると思う」など、みなさんロシアを好きになったようです。
楽しい話に花が咲いたので、「今度はいつやるの?」って内海さんに言っておきました。
11号 万博の人々 4 インタビュー
この「マーミンカ通信」にもときどきコメントを寄せてくださる、内海さんをご紹介いたしましょう。

ロシア館の警備担当者です。ロシア館入り口で「お待たせしました。スタンプは右手にあります。スタンプをいらない人は左手に進んでください」と言いながら、お客さんに混乱がないようにとても上手に誘導していました。
ロシア人スタッフだけではなく館内で働く日本人スタッフからも熱い信頼を得ていることは、彼のお人柄でわかります。面倒見がすっごく良い人なのです。
◇ロシア館警備ご苦労様でした。暑いときもあってたいへんだったでしょう。
==いろいろ面白い経験をさせていただきました。ロシア館にあるマンモスが「冷凍マンモス」だと思い込んでいらっしゃるお客様、「冷凍マンモス」の時間指定観覧券を持ってきて入ろうとするお客様など、マンモス人気などの混乱もありましたね。
暑いときは僕たちも暑いですが、お客様も並んでいてとっても暑かったことでしょう。
長久手会場の一番奥にあるロシア館ですが、朝からけっこうお客様が多かったです。ゴンドラに乗って一気にロシア館のあるコモン4まで来る人や、隣りのEXPOドームのチケット配布後にロシア館にやってくるお客様とか一日中人のながれのあったところでした。
◇ロシア館ではじめてロシア人と会われたのですか?
==そうです。はじめて会ったロシア人です。最初は、ちょっととっつきにくい人たちかな?と思ったのですが、接してみるととっても人なつっこい人たちばかりで、うれしかったです。
◇ロシア館メンバーをあちこちにお連れしたそうですね?
==休日が会えばいろいろ行きました。最初は「天ぷら」、日本の食べ物でしょ。天ぷらを食べに行き、健康センターで温泉にも入りました。みんなとても喜んでくれ、その後も違うメンバーと行ったりしました。
◇天ぷらですか?
==ええ、日本料理なのでご紹介したかったのです。そしたら、今度はロシア人たちが「ボルシチ」を作ってくれました。初ボルシチでした。
◇いかがでしたか?
==美味しかったです。通訳のオリガさんが作ってくれたのです。ただ大事なビーツが名古屋にはなくって残念でしたが。
◇伊賀上野の忍者屋敷へも行かれたとか?
==ええ、また違うメンバーですが、みんな喜んで忍者になっていましたね。天ぷらも食べましたよ。ほかのメンバーも行きたいと言い出して、その後2回伊賀上野に行きました。
うなぎも食べました。みんな美味しいと好評でした、うれしいですね。
◇ロシア館のみなさん、あちこちで楽しまれてきっといい思い出いっぱいできたことでしょうね。
==僕たちも楽しみました。みんな良い人ですから、いっしょに居て楽しかったです。
◇ロシア旅行に行かれるとか?
==はい。行きたいです。せっかく皆さんと友だちになったのですから、ゆっくり時間をとって行きたいなあ。モスクワもサンクトペテルブルクも行きたいです。みんなに会いに行きたい。
内海さんは、日本人スタッフのまとめ役としてもご活躍です。彼のご尽力で楽しいスタッフ交流会も開かれました。次号ににてご報告しますが、さすが内海さん、面倒見がよくって行き届いています。
モスクワでサンクトペテルブルクで、いま内海さんを待っている人たちがいます。ぜひ初ロシア訪問が早く実現しますようにと祈っています。ありがとうございます。
2005年10月11日
10号 ペテルブルクへ電話をかけると…
「ロシアの夏の旅」47号で、サンクトペテルブルクからオレクが我が家へと送ってくれるとなった小包は、「ロシア郵便局」の青いダンボール箱に入って我が家に無事届きました。ぐるりと貼ってあるテープを開けてびっくり。すっごく恥ずかしくなってしまいました。
あのとき、風呂敷包みでオレクに渡し、「中を見られる可能性」も想定して洋服類だけにしたのですが、箱に入るように風呂敷包みは開けられて、風呂敷も真ん中にあります。
薄汚れた黒ズボン特にサイズ大が目立つ。なんだかタラタラもののヘンな上着。着古したブラウス。夏のロシアの旅にどうして必要かと思われる厚手セーター様のかぶりものなど。それらが箱に収まっていました。と、いうことはオレクに見られただけではなく、折りたたんで入れてくれたのですね。うわッ恥ずかしい。
まあ気を取り直して、オレクには、我が家に箱が無事に届いたことを伝えなけばなりません。
メールもいいけれどやはり久しぶりに声も聞きたいから、電話をかけます。彼の言う「僕のは優秀な携帯電話」に何度もかけても通じませんし、自宅もオルスか、まだ改築工事が終わらないのか通じません。
きょう、彼の職場=民族学博物館の彼の席へ電話をしました。
女性が出ました。
(私、ロシア語らしきロシア語のまねで)
「オレクさんを電話口までお願いします。日本からかけています」
(本物ロシア語で)
「オレクは、ここでは仕事をしていません。○×*+に行っています」
(私、地名らしきものがよく聞き取れなかったが、居ないことはわかったので)
「そうですか、わかりました。ありがとう」
(本物ロシア語女性、かなりやさしい声で)
「オレクが、○×*+から戻ってきたら伝えます」
(私、想定外の会話になると困るので)
「ありがとう、また電話します。さようなら」。どこかへ行っているのですかぁ…。
その勢いで、ジィーマにも電話しました。
サンクトペテブルク時間午前11時半頃。日本時間の16時半頃です。
彼からもらった名刺に書かれていた職場の電話番号へ。
2度ほどの呼び出し音で男性の声が。
(ロシア語で)
男=「こんにちは」
私=「こんにちは」 (ウン?ジィーマの声かな?)もう一度 「こんにちは、日本からかけています」
男=ちょっと間があって「アッ」と言った様な。
私=ジィーマだと確信して、日本語で、「ジィーマさん、こんにちは」
ジィーマ=「こんにちは」と日本語で返してくれるが、とても驚いている様子。
私=(以下ロシア語らしきロシア語?で)
「小包受け取りました。オレクに電話しているけれど、通じないから困ったわ」
ジィーマ=「彼はいまトルコ国へ行っているよ。いつ帰ってくるのかな?」
私=(そうだった、オレクはトルコへ研究で行くとか言っていたと、思い出した)
「そうですか、トルコへですか」。
ジィーマ=「小包は無事に着いたかい?大丈夫だったかい?」(ジィーマには、日本にいるときに小包の件は伝えましたから知っています)。
私=「まったく大丈夫でした。ところでジィーマ、どうですか?サンクトペテルブルクは美しい秋の季節でしょう?」
ジィーマ=「ああ、きょうはとっても良い天気で、暖かくて気持ちがいい日だよ」
私=「ああ、私わかります。知っています。秋はすばらしいですね」
ジィーマ=「来年はいつ来るのか?」
私=(あら?あの時に酔って言ったこと覚えている。ここは笑って) 「ふふふ」。
そのころからジィーマ博士が電話口でうれしそうに笑っていることがわかります。
私=閑話休題 「サーシャ(彼の長男)は元気ですか?」 大きく成長したでしょう?とき聞きたかったが、事前に勉強していなかったので、「元気」の表現となりました。まあこれでも良いですね。
ジィーマ=「ありがとう、みんな元気にしているよ。君からもらったおみやげも気に入っているよ。ありがとう」
私=「なによりです」。 (走って買いに行ったおみやげです!!)
ここからは 紙面の都合で・・・・・・・・・・・・略。
ジィーマ=「オレクに伝えておくよ」
私=「どうぞよろしくお願いいたします。また電話しますので、さようなら」
ジィーマ=日本語で「さようなら」。
私=「さようなら」 ガチャリ・・・
日本では冷静沈着、寡黙、なにがあっても平気なジィーマ博士。ところがこの電話の後半、彼はデレデレになって笑いながらの会話です。なぜでしょうね?
エッ?私はどうだったかって。もちろん、冷静に知っているロシア語を駆使することに精いっぱいでした。←ウソです。あまりジィーマさんが笑っているので、つられて笑っていました。
9号 記録集を買う
名古屋を中心に多数の読者を持つ新聞社が「「愛・地球博 185DAYS」 保存版報道写真集=1050円を発行しました。
本屋に山積みというか平積みというか、やる気で売っております。
買いました。もし、ロシア館のスタッフとかが写っていたらうれしいな、とおおいに期待をして。
ネタバレしてしまいます。
ロシア館があるコモン4の空中撮影写真にかすかに写っているロシア館、それだけ、でございます。館内で人気のマンモスたちは,どこにも写っていません。冷凍のマンモスはいましたが。
167ページにわたる写真集内を何度も捜しましたがロシア館スタッフもおりません。観客の中に、私が紛れ込んでいないか?それもないようでございます。
185日を追って各日ごとに入場者数と特徴的イベントを掲載していますが、6月17日・ロシアナショナルデーの様子は、「ピャトニツキー民族合唱団」の写真はありますが……。それだけ、でございます。
2005年10月10日
8号 だから私たちは見ることが出来ました
もうひとつの話題「ロシアの夏の旅」へ掲載しようかなと迷いましたが、やはりこちらでご紹介いたしましょう。
万博ロシア館の人気の展示品のひとつは、小さいものでしたがロシア民族衣装人形たちでした。日本語説明が追いつかず「どれがどれだかよくわからない」と開幕当初は不評な声もありましたが、人形そのものは素晴らしく、多くの人たちが写真を写したり、じっと見入っていました。
この人形たちは、サンクトペテルブルク市にある「国立ロシア民族学博物館」からやってきました。日本人の観光コースにはなっていない博物館ですが、エルミタージュ美術館にも近く、ネフスキー大通りをちょっと奥に入った静かなプーシキン広場の奥にあります。
博物館が所蔵する人形たちは、ロシアと周辺国の民族の特徴的な風貌や衣装などを端的に正確に著わしているとして日本へやってきました。が、このお人形たちは日本へ来る前にはかなり傷んでおり、修復作業を終え美しい姿となってから飛行機に乗り、私たちの前にお目見えしたのです。
修復作業の中心となったのは、私の大事な友人レナ(エレーナ ヤンコフスカヤ)です。

20世紀のはじめに制作され、ロシア各地や外国にも展示されて移動のたびにあちこちが傷み、首の取れたもの、足がかけたものや衣装の色が変化してしまったものもあったようです。
レナは修復専門美術家として、また扇の研究家としてもロシア国内で有名な人です。モスクワクレムリン内やエルミタージュ美術館などで展示されている「扇」は、すべてレナの手により修復されて展示されているものだそうです。
修復作業ばかりではなく、自ら企画の「扇の展示会」をしたり、「扇を通して見る東西文化交流」とか「扇からみえる日本文化」などの講演活動や執筆なども行っています。
細かい仕事が得意で、私が一番驚いたのは、私への手紙に日本語住所を書いてきたことです。「日本語を細かく見て書いたわ」とのこと。絵のように美しく書かれてあって日本語住所表記です。驚きました。
8月、サンクトペテブルクの博物館前には大きく人形たちの看板が出ていました。レナは「この人形たちは私の命がかかっているのよ。日本へ彼らが行くために私は毎日とっても忙しく、またとても難しい仕事だったわ。私も日本へ、人形たちに着いて行きたかった」と、看板の前で語りました。
レナの親友で、万博にやってきた民族学者のオレクやジィーマは、もちろんこの人形たちをそれは大事にしていました。私にもとても丁寧に説明をしてくださいましたね。
そして彼らは、「レナへ伝えるため」と、万博会場の様子はもちろんロシア館内のことなどを写真やレポにしていました。レナは人形たちをよみがえらせ、信頼できる優秀な同僚に日本への夢も託して送り出したのです。
私はもちろんレナに伝えました。「この人形たちはロシア館の人気者です。日本人のため、世界の人のために、ありがとう」と。いつかレナの来日が実現する日のために、私はレナとの友情をもっと深めていきたいです。
2005年10月08日
7号 万博の人々 エピソード 1
万博ロシア館へ長期出張しいるその間に、お誕生日を迎えることもあります。ロシア人たちは誕生日をみなでお祝いすることがとっても大事なことです。
ユーリンさんの誕生日の9月25日をみなお祝いしました。そしてこの日は万博も最終日の幕を降ろした日でもありました。だからいく人かの日本人もかけつけて、アリョーシャの料理でお祝いです。
その時の写真です。

日本でお誕生日を迎えたユーリン パブロビッチさんはとてもうれしそうに、ウオッカを飲み、酔いつぶれてさっさと寝てしまいました。
2005年10月05日
6号 万博の人々 3 インタビュー
ウクライナ館で人気のレストランシェフ、アリョーナさんにまた、出演していただきます。
私は彼女との約束が果たせなかったことが悔やまれます。
「お寿司を食べに行きましょう。日本食のレストランの厨房を見せてもらいましょう」と約束をしたのですが、彼女と私の休日というか時間が合わずに、実現しませんでした。私がちょっと工夫をすればできたのですが。お詫びに、私は彼女に会いに、ウクライナキエフにそのうち出かけようかと、いま思います。

(伊勢二見の海岸で、アリョーナ さん)
◇ウクライナレストラン人気ですね。
うれしいです。でも、こんなに並んで申し訳ないですが、こんなに並んで、みなさん大丈夫ですか。
(9月混雑の日にお話ししたのです)
◇ウクライナレストラン、大人気ですよ。美味しいから。
ありがとうございます。私たちは毎日とっても忙しく働いていますから。
◇美味しいです。私は大好きです。「冷たい谷間のスープ」はトマトやきゅうりが美味しいです。
日本はトマトもきゅうりもなんでも値が高くて、タイヘンです。トマトもっと安くして欲しいです。
◇もうすぐキエフに帰りますね?
ああ、帰りたくない。でも娘には会いたい。日本はとても良い国です。みんながとても優しい。きれい。明るい。私は日本が大好きです。
◇でもトマトは高い…
(笑って)そうです。トマトは高い!!
◇キエフに遊びに行きたい、と思っているけれど。
いつ来るの、いつでも来てね。キエフを案内するから必ず電話ちょうだいね。
◇ アリョーナ、ありがとう。いつかお会いしましょうね。必ず。
私もありがとう。万博も名古屋もとても素晴らしい。ありがとうございます。
2005年10月03日
5号 万博の人々 2 インタビュー
良い人です。大きな身体で、みんなからマンモスリョーシャと呼ばれている、クルトイ アレクセイさん (愛称はアリョーシャ)は、モスクワからロシア館の人気者マンモスとともに日本へやってきました。良い人です。

はじめてお会いしたのは、4月なかばごろだったでしょうか?
ロシア館のマンモスは当初は牙にさわってもよかったのですよ。ところが、人気であまりにも多くの人が激しく触るので、とうとう囲いができて触れなくなってしまいました。当時、ちょっとご機嫌だったオレグさんが、お客に牙を触らせようとして柵をはずしてしまい、担当のアリョーシャに怒られていました。それを見ていた私は、アリョーシャさん(その時は名前を知らない)が、きりりと恐い顔をしてマンモスをとても大事に守っていることがわかりました。

その後、オレグさんと名古屋市内見学に出かけるとき、オレグさんが「いっしょに行きたい人がいるのだけれど、良いかな?マンモス担当のアリョーシャだよ」と、3人で名古屋の町を歩きました。
海へも行きました。と、言っても彼が望んだ砂浜ではない岩場の海へ連れて行った私を、ちょっときつくにらんでいたアリョーシャでしたね。歩いて砂浜へ移動したらご機嫌でした。
ロシア館でお会いすれば必ずとても丁寧なあいさつをしてくださって恐縮していた私です。「モスクワに行ったら必ず『全ロシア展覧会センター』へ行きなさい。そこにある『マンモス展示場』は面白よ。」と、私がモスクワに行く前に地図をくれました。彼のすすめでそこへ行くつもりでしたが時間がなかった。
でも、今度はぜひ行きたいです。
9月のはじめ、彼にインタビューしました。
◇日本に住んでいかがですか?
4ヵ月半の日本生活です。とても良いところです。きれいですね。みんな優しいし、とても気に入っているよ。
◇休日には、日本各地へ行かれましたね?
若狭の海がとても良かった。きれいで気持ちがいい所だった。富士山にも登ったよ。広島から宮島にも行った。海はもう何回も行ったよ。

◇もうすぐモスクワに戻るでしょ。モスクワで何を1番にしたいですか?
ロシア式のお風呂に入りたいなあ。白いきのこ料理が食べたいなあ。
◇万博では、マンモスが人気ですが、マンモス人気についてどう思われますか?
マンモスラボの冷凍マンモスは写真を写してはだめ。ゆっくり見るのもできないが、ここロシア館では、ゆっくり見ても良いし、写真も良いから人気があってうれしい。マンモスは、100%みんなの話題になると思っていたよ。
◇マンモスを宣伝する仕事ですね?
宣伝するというか、マンモスで商売をするのです。マンモスをモスクワの展示場に置いているだけではダメです。もっと各国へ展示してほしい、新聞や本に掲載して欲しいなどと、マンモスの売り込みが仕事です。ソ連時代にはない仕事ですね。
今回日本でたくさんの新聞に掲載されたことは、とてもうれしいことです。
◇では、そんな日本で、このEXPOで覚えた日本語を教えてください。
「ありがとうございます」「ちょっと来てください」「おしてください」「お入りください」「やめてください」「わたし」「はい、どうぞ」「同じです」など、ロシア館の受付けやマンモスの管理をしていて覚えました。
◇日本は暑いでしょ?
(笑いながら) こんなに暑いのにみんな仕事しているのですね?海へ行けば良いのに……。
アリョーシャは、私にウオッカの飲み方を教えてくれた二人目の人です。彼の指導のもと美味しいウオッカを知りました。ありがとう!!
アリョーシャはとっても料理が上手いのです。日本の食材を駆使して立派なロシア料理をさっと作ってみなを大喜びさせているそうです。ある日、彼らの宿舎で、アリョーシャの料理をいただき感動してしまいました。もちろん、ウオッカもありました。(酔)

リョーシャ! また、ぜひ、いっしょにウオットカを飲みましょうね
4号 万博の人々 1 インタビュー
===この号から、万博で出会った人々をご紹介いたします。まず1番に登場していただくのは、ロシア館通訳 ピョートルさんです===

ピョートル ドボルヤンキン さん
はじめて彼にお会いしたのは、まだまだ静かだったころの万博、ウクライナ館でおみかけいたしました。日本語を話しているので、てっきりウクライナ館の通訳さんと思ったのです。
私が当時ロシア館に通っていたのはオレクさんに会うためでしたが、オレクさんとは反対番だったようで、ほとんど館内でおみかけしたことはありませんでした。
第1回目のフットサル大会の会場でお会いしたのです。そのとき彼が私の名を知っていたのに驚き、私はまだ、「ウクライナ館の人が応援に来たのね」と思い込んでいたのです。でも、どうも、ロシア館のみんなととても仲良しなので、ああ、ロシア館の通訳さんとわかりました。オレグさんにそっと彼のことをお聞きしたのです。
館内でお会いする機会も少なく、しっかりとお話したり、どこかへいっしょに出かけるなどの機会もなかったのですが、お会いすればいつも声をかけてくださり、いつも優しくしてくださったピョートルさんです。
ある日、「お茶をいかがですか?」と、休憩室で私に紅茶を入れてくださるそうです。「ええー喜んでいただきます」と喜ぶ私です。
と、ピョートルさん、「もう友だちだから、これで良いでしょ?」
これ、とは、彼が入れたあとの2番煎じの紅茶パックです。「あのう、私は濃い紅茶が好きです。それに友だちだからって、それはいやです」と、はっきり申し上げましたら、にこっと笑って新しい紅茶パックで入れてくださいましたね。「友だち」と呼んでくださったのは、とてもうれしかったのですが。
もう閉幕まじかの21日、彼とお話しする機会がありました。
◇なぜ日本語を勉強しているのですか?
大学ではじめて日本語を知って、6年間勉強しています。日本語を勉強する場所があったから日本語を知ったのです。
◇日本へは、このEXPOがはじめてですか?
いいえ、2002年から03年1年間留学していました。だから今回は2回目です。
◇では日本人と日本語を、より学ばれましたね。
ええ、日本人は言葉と態度が同じに出るということが、わかりました。「ああ、びっくりした」と言うときは、本当にビックリした顔をして身振りもそうしますね。おもしろいことです。
◇EXPO会場で見た日本人はいかがでしたか?
どうしてみんな、こんなにスタンプに興味をしめているのでしょうか?ぼくはわかりません。日本人、スタンプが好きなのですね。どうしてなのかしら?不思議です。
◇もうすぐEXPOも終わりますが、いまのお気持ちは?帰りたいですか?
帰りたいと、帰りたくないが、混ざっているような……。モスクワ大学の大学院で日本国際経済関係のテーマでレポートを書く予定です。まだ、日本で勉強したいです。いろんな人に会いたいのですが。
モスクワにいる両親にも早く会いたいですが、勉強ももっとしたいと、いま思っています。
◇最後に、EXPOで知った日本語はありますか?
「ありがちょう」って言うのですね。「ありがとう」の変化ですか?(笑)
ピョートルさんは、9月29日早朝、中部空港から、中国へ向かいました。中国を「ちょっと見てきます」とのことでした。また、お会いしましょうね。
2005年10月01日
3号 万博 日焼け・ファッション・貧乏……
久しぶりに家にいる休日です。
いま名古屋の町の人々の会話は、「万博何回行ったの?」「トヨタ館へ行ったかい?」「万博終わって寂しくなったね」など、万博話題です。テレビでも各局が、総集編みたいなのを放送しています。見ながらちょっと悲しくなります。いろんなドラマがこの万博で生まれましたね。いろんなことがありました。
さて、私の顔は、日焼けて汚い顔です。夏の暑いとき汗っかきの私は、お化粧なんて流されてしまいほとんどスッピンで日焼け対策も追いつかなかったのです。そんな状態で会場内を歩き回ったり、並んでいたりしていました。日傘は人が多いところでは危なくて、後半は使いませんでした。帽子も汗で汚れてしまうので被りませんでした。
だから、いま、真っ黒な顔です。万博日焼けです。

万博ファッションという言葉も生まれました。なにしろ歩く万博です。歩きやすくどこにでも座れるファッションの人が多かったです。
多くの女性たちは、ズック靴にGパンや綿パンというパンツスタイル、Tシャツです。かばん類は肩に斜めがけで、歩き回ります。男性も同じく歩きやすき涼しいスタイルでした。
だから、スーツ姿とかワンピースにヒール靴で歩いているとかものすっごく目立つのです。「出演者かな?」「仕事で万博へ来た人たちでしょうね」とわかります。
夕方は「仕事帰りの万博」という人たちもいました。すぐにそれとわかります。男性はスーツのネクタイをゆるめて、女性は、かばんを手にかけて足元がミュールとか、ですから。
私は春先、まだ万博へ行くとは思ってもいなかったころ、1足のズック靴を買いました。とても歩き安くて重宝しております。万博以外もこの靴で歩き回りました。伊勢・奈良・京都・金毘羅さんなど。お疲れさま、愛用のズック靴に感謝です。
そして、わが経済状況は、万博貧乏となりました。これから財布も紐を締めるというか、財布の口をあけない作戦にでます。
交通費往復バスは、1500円、40回乗ったとして60,000円。会場内で飲んだビール、500円~1,000円をざっとで、15,000円以上か。ソフトクリームは300円、疲れたときにとっても美味でした。
ペットボトル持込禁止で、場内販売では1本150円。暑い時は飲まないわけにはいかない。
食事は、いろいろだったが、出費はあったのは確か。おみやげ類はほとんど買わなかったハズだが、やはりいろいろ買っているのは、積まれた万博関係もので、わかる。
さあ、肌の色を元に戻し、ちょっとシックな装いに心がけ、動き回らずに、静かに秋から冬を迎えようと思っては、いる。いまのところ。
2号 ロシア語を学ぼう
私はロシア語が話せません。せいぜい知っている単語を並べて身振り手振りで会話?をしているようなものです。彼らが私にゆっくりと簡単なロシア語で話し掛けてくれれば、わかるときもあるがわからない時もある。ロシア語文字は?読むことはできるけれど、発音はダメですね。
ロシア語の専門教育を受けたこともなく、ここ3年ほどロシア語教室に通うも、まじめな受講生ではない。英語もできません。
そんな私が、日本語できないロシア人を連れて、京都や奈良などあちこち行ったし、いっしょに食べたし飲んだし…。もっと言えば、モスクワやサンクトをひとり旅したのです。
これは、優しく穏やかで耳の良いロシア人たちとめぐり合ってきたからです。私の下手なロシア語を聞いてくれようとしているからです。そして、いつも私を励ましてくれるからです。
きっと万博での世界大交流で、ロシア国とロシア語に出会った人たちも多いことと思います。ご存知のとおり、都市部では、英会話教室というのは、乱立していますね。イタリア語も人気、最近は韓国語、中国語も人気です。フランス語・ドイツ語・スペイン語教室も数は少ないものの、ときどき目につきます。
ロシア語は?
名古屋では、ある文化教室が「ロシア語初級講座」を開設したものの受講生が集まらず、開講できなかったこともあります。先生がいても生徒が集まらないロシア語……。
名古屋で唯一長い歴史をもつロシア語教室は、日本ユーラシア協会でのロシア語教室です。この10月から159期がはじまります。まったくロシア語はじめての人から、ロシア文学をロシア語で読む教室などレベルに合わせていくつもあります。
秋10月、新しく勉強をはじめるのにはふさわしい時期です。万博も終わったこの機会にぜひロシア語を学びましょう。
ユーラシア協会は万博ロシア館とも友情を高めてきました。
会場外での交流会をしたり、ロシア館見学会、ロシア語サロンにロシア館スタッフがゲスト出演したりなど楽しい万博生活でした。
ユーラシアとは、ソ連時代にソ連国を名乗っていた国々とも交流する団体です。だからロシア国だけではなく、ウクライナ・グルジア・アルメニア・リトアニアなどとも、万博では交流があった団体です。
日本ユーラシア協会愛知県連合会
電話 052-454-3693
2005年09月29日
1号 「ありがとう」はやすらぎのことばですね
9月25日で愛知県で開催されていた万国博覧会は終わりました。
私が毎回通ったロシア館での様々を開催中できるだけリアルタイムに書くつもりでした。が、間に合いませんでした。でも書いておきたいです。が、全て過去形になるような文章は、実は好きではありません。過去のことですが、未来につなげていけるような文章を書いておきたいのです。
新しいカテゴリーをつくります。いままでの「愛知万博ロシア館周辺を勝手に通信」を、発展させて、「ありがとう 万博とロシア館ほか」と、題名をつけました。
万博を中心にロシア館ほかなどでも出会った、人・自然・文化・芸術・感動などを書いていきますね。どうぞよろしくお願いいたします。
☆☆☆☆☆ 9月25日のこと ☆
閉幕日、もちろんなにがあっても会場へ行くつもりです。でも、あまり並びたくない。愛用の名古屋駅メルサバスセンターからのシャトルバス、開幕当初は、バスの方がたくさん並んで客を待っており、2~3人を乗せだけでも出発したこともありました。が、後半は、客が長蛇の列で1時間以上待ちという状況も多々ありました。
込むだろう時間をはずして行こう。
朝、家でゆっくりお茶を飲み、家人の「万博が終わったら家の片付けをせよ」との提言を素直に聞き、「きょうは、帰ってくるのか?帰ってこれるのか?相当の混雑になるのではないか?」。
「はい、必ず帰ってきますよ。(いつも帰ってきている!!)客を帰らせなければ万博は終わらんし」。「そうだね、関係者は打ち上げができないな。関係者は今夜大打ち上げだろう」など、酒好き人が考える路線はとってもわかりやすい。
さて、午前10時55分メルサ到着。おお、バスが私たちを待っている。すんなりバスに乗れる。11時バスは東ゲートにむけて発車。バスの席はほとんど埋まっている。でも、きょうはいつもとちょっと違う。「万博行きスタイル」とは違う、ビジネススタイルでの万博行きの人、主に男性が目につく。閉幕式などのセレモニー参加者だろう。
後ろの席の会話が聞こえてくる。「はじめて万博へ行くのです。まあ、会場がどんなものか見ておこうとおもいましてね」と、男性の声。その隣りの男性はビジネススタイル。「東京から閉会のためにきたのです。あるパビリオンに関わる仕事をしてまして。万博をやっている時よりも、開幕前の仕事が忙しかったですが……」などと話されている。
バスの窓からの景色は、高速道路の高い位置から見える名古屋の東へ向かう町並み。この景色を何回見ただろうかなど、すでに私の胸は「グチュグチュになりそう」モードです。
バスは、予定通り40分ほどで東ゲートのバス駐車場へ。東ゲートの様子はバスを降りたときに見える。と、なんにも込んでいないではありませんか!!警備員に「きょうは空いてますねぇ?」と問えば「いいえ、ほんの30~40分前まで、ここはタイヘンでした。その波が過ぎたところですよ」と真っ黒に日焼けした顔の汗を拭いています。
「長い間ご苦労様でしたね。あと、今日一日ご苦労さまです」と声をかけると、彼は、「ありがとうございます」と元気に返してくれました。
東ゲートをくぐったのはメルサを出てから45分後です。早い!!さあ、ロシア館を目指して歩きます。
~~この間はまた追って~~
ロシア館で手伝ったりして、私の万博最後の日が終えようとしています。午後7時ロシア館のドアも閉ざされました。日本人スタッフと少しお話しができ再会を約束して、私は、午後8時会場を後にしました。場内では、まだまだ賑やかにお別れセレモニーが催されています。
何度も歩き回った空中回路=グローバルループは、木製の足に優しい通路です。歩いていくと万博の景色全部を堪能できます。きょうは、ここをゆっくり歩いておきたい。人ごみの中をのんびり歩いて東ゲートへ向かいましょう。
会場にまだまだ多くいる人たちの顔がとても優しく見える。
会場内で働く人たちが「ありがとうございます」と声をかけてくれる。案内係・警備員・ボラの人たちも。トイレに入れば掃除担当の人も「ありがとうございます」と声をかけてくれます。つい、私も「いつもきれいにお掃除をしてくださってありがとうございます」と。
東ゲートの前では、担当職員たちが並んで、客との写真に収まったり、握手をしたり…。客もだれもが「ありがとう。ごくろうさまでした」と彼らに声をかけています。もうすでに涙ぐむ職員もいます。
「ありがとうございます」
「こちらこそありがとうございます」
このやりとりが溢れていました。これはすごいことです。と、同時になんとも優しい空気が流れています。こんなに人が集まっているのに、です。
「ありがとうございます」。最高の癒しのことばです。やすらぎを与えることが出来るし、与えられる言葉です。
「ありがとうございます」。大事にしたい言葉です。
東ゲートからバス乗り場まで、私の頭の中は「ありがとう」で溢れていました。もちろんあちこちから聞こえてくるのです。バス乗り場整理担当の若者達からも、客から彼らへも。バスの運転手にも。彼からも。客同士も……。
万博最後の日は、「ありがとう」が溢れている日でした。 そして私ももちろん「万博、ありがとう」です。