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2005年11月20日

【 70号 】 成田到着 !!ご愛読ありがとう

 ~~~8月10日 成田国際空港到着 ~~~~~

 飛行機の4席を使って爆睡!!
 ぱっと目が覚めて、「あれれどこ?あ、飛行機の中か」。と、腕時計を見れば、5時間近くは眠ったようです。すごいですね。こんなに続けてしっかり眠ったのは、この旅の間ではじめてではないかしら?

 むっくりと起きてトイレへ立ち、ついでに熱い紅茶をもらって、ばっちり目を覚ましました。まだ、成田まで4時間くらいか。やはりまた横になって、時間をつぶして……。

 成田到着前の朝食は、しっかりいただきました。また元気になりました。

 夏まっさかりの成田国際空港へ到着です。明るくまぶしい日本の空です。頭はさえてバッチリです。
 万博ロシア館通訳コースチャのためにこのまま、万博長久手会場へ直行して彼のお姉さんからの預かり物を、渡してしまおう!!

 成田空港は広くて明るくってわかりやすくって、良いですね。日本入国もすべてがスムーズに行きました。そして、私は愛知万博へ直行!!です。

  ◇ ◇ ◇ ◇

 みなさま、ご愛読ありがとうございました。
 このカテゴリー「ロシア夏の旅」は、ちょうど70号を発行して終わります。


【 69号 】 さよなら。でもすぐ、また会いましょう

~~~~~8月9日 雨上がりのモスクワの夕方 シェレメチボ2国際空港・機内へ~~~

 大雨や渋滞に合い、ハラハラドキドキしながらやっと到着した空港。もう何度も到着、出発している愛すべき空港、でも世間には悪評の国際空港ロシアシェレメチボ2空港。
 私がはじめてこの空港へ降り立ったのは、2000年の夏だった。その出発前、日本で友人が「シェレメチボの荷物受取場所は、スリや置き引きがいます、十分に注意してください」と忠告してくれ、とっても緊張して飛行機を降りてきたものでした。
 天井は丸い筒が並び蜂の巣のようなデザインで、暗い。荷物受取のターンテーブルはちっとも動かないし、小さいお店はしっかり閉まっているし、荷物を運ぶことを仕事にしている男性たちが「運ぶよ、どうだい」とずっとそばに付いているし……。なによりもあまりにも殺風景で、「ここはどこ?国際空港??」。
 そんな初めて体験から、行くたびに明るくなり、宣伝看板も多くなりロシアの発展と比例してきれいになっていく愛すべきシェレメチボ国際空港です。
 入国、出発ロビーも、行くたびに明るいお店がたくさん出来て、時間をつぶすことも苦にはならないような、雰囲気です。ただ、イスは相変わらず少なく取り合いです。

~~~~~~~~~~~~~

 私たちが、その空港へ着いたのがいったい何時であったのか。まったく時計を見る余裕もなかったので知らないのです。ただシューラにすべて任せていました。
 でも時間が押していることはたしか。
 シューラとのお別れも、さらりと、「またすぐに会えるから」。でも、やはり涙が……。
 シューラは「早く行きなさい。またおいで」。
 「うん、グスン」。
 
 涙を拭いて、チェックインカウンターへ。いつも大きい荷物を持った日本人団体、出稼ぎに行くイカツイおっちゃん軍団やいかにもお金持ちさまら、多くの乗客で混雑するカウンター付近ががらがらです。カウンター女性が、手を振り「東京へ行く人、そこの日本人!こっちよ」とロシア語で私を呼んでいます。

 このとき、やっとハッとしました。ひょっとして飛行機が飛び立つ寸前なのかと。
 荷物の20キロ制限もクリア。いつもお願いしている座席指定もOK。パスポートコントロールも、数人が並んでいるが、きょうは窓口の方が多く開いているのですぐに順番が来て終わる。
 出発ゲート付近も人が少ない。いつもなら大勢の人がいて座るところもなく、嫌だけれど階段に座り込んでビールを飲みながら時間を待つのに、きょうはイスの方が待っている。きょうはもうビールを飲む要求もない。だって、さっきあんなにご馳走とワインをいただいたのですから!!

 すぐに出発ゲートへ。ここは出発ゲート前で荷物検査です。手荷物全部と靴も脱いで、検査機を通過させます。靴を入れる靴用の箱が用意されていたのがわからなく、ふつうの小荷物いれお盆(?)に靴を乗せようとして、怒られた。

 すでに搭乗ははじまっていました。

 そうそう、忘れてはならないマスク。私の飛行機内必需品です。マスクをすでにつけて乗り込みます。モスクワの空は雨上がりのキラキラと輝く太陽です。きれいです。「さようなら。でも、またすぐに来ます」。

 飛行機はガラガラでした。私の希望は、真ん中のシマの通路側席です。真ん中2つをあけて向こう側に女性が座っています。前の方に日本人団体が座っています。
 けっこう窓側が詰まっていて「窓側」を希望する人が多いらしい。私は、窓側でひとりなら良いけれど、隣りにたとえ知り合いでも、その人をまたいだりしてトイレへ行ったりの移動をするのは、とってもイヤ、何よりもイヤなのです。だからいつも通路側。新幹線でも通路側です。
 10時間近くの機内です。できるだけ快適に過ごしたい。
 
 前の座席の日本人グループから聞こえてくる日本語。久しぶりの日本語です。彼らは日本の朝日新聞を広げて言っています。「国会解散よ。総選挙よ。小泉さんどうなるのでしょうね」。

 日本はこれからどうなるのでしょうか、などとちょっとだけ思い巡らしたが、すでに睡魔が襲ってくる、乗り込んでホッと安心して、眠い。日本の今後については、日本で考えることとしましょう。

 知らぬ間に飛び立っていた。飲み物が配られたときに起きて「お水をください」だけ。その時に気が付いたけれど、2席むこうの通路側にいた女性がいない。大きいバックを空いている席に置いていたのが印象的だった、それだけを覚えているがいまはそのバックもありません。
 しばらくすると、日本人女性が、私に、「ここに座っていた人はどこへいかれましたか?ここ空きましたか?ここへ変わりたいのですが」とのこと。
 「彼女がどこへ行かれたかは私は知りません。どうぞご自由に」と伝えて、私はまたトロリトロリ。先ほどの日本人女性は空いた席に移動して見えるかと思ったが、そのままです。

 食事が配られてきた。が、満腹が続いているので、いままでではじめて食事はお断りしました。そして、空いている3席を使って、つまり4席に長々と横になりました。マスクをはめ、顔を隠すスカーフをかけて、毛布と枕を工夫して。
 
 そして、空の上、大爆睡です。
 


2005年11月17日

【 68号 】 モスクワ、さようなら

  ~~~~ 8月9日午後  モスクワを去る日~~~

 モスクワ市の北、全ロシア展覧会センターの大きい門に「再会」を誓って、シューラ運転の車は、私を後部座席に乗せて、一路モスクワ市の北西部に位置する、シェレメチボ空港へ走ります。
 「空港は近いところだよ」と言うシューラに任せて、私はモスクワの町をきょろきょろと見回して黙って座っているだけです。飛行機の出発時間は19時25分です。空港には、その2時間前には到着していたいので、このまま順調に走ればちょうど良い時間となる、そういう計算です。

 夏の火曜日は、さほども車の渋滞もなく、ほっと安心しているシューラです。ほとんど信号もないので気持ち良く走ります。
 風はさらに強くなってきました。だんだん暗くなってきました。と、降ってきました。

 まるで南の国のスコールか!急にたたきつける雨です。車のワイパーも追いつかず、前がほとんど見えません。でも走ります。怖いです。

 さすがに車全体のスピードは落ちてきてはいますが……。と、あるところで、車の流れがぴたりと止まりました。前方の見える車全部が止まっています。雨は少しだけ小ぶりになったような。しかし、ワイパー全開です。

 運転手は黙っています。
 ここだけの話しですが、シューラは、私の友人でもある彼の劇場関係者日本人をやはりシェレメチボ空港へ送っていくときに、道を間違えてしまい、空港へ着いたときにはすでに飛行機が飛びたってしまった、と言う、ニガーーーィ経験の持ち主です。
 それ以降、空港へ行く時には、余裕を持っていくようにしているようです。きっと、いまの彼の頭にはその時の情景が浮かんでいるのではないでしょうか。

 少し動き出しました。が、それはやはり少しだけ。そんな時間がどれくらい過ぎたでしょうか。

 雨が急にやみました。急に太陽が出てきました。なんと言うことでしょう。まぶしい光がフロントガラスに反射します。おおお!!車が、急に流れ出しました。すぐに全部の車が遅れを取り戻すように、ビュンビュンと走ります。

 空港の建物が見えてきて、ほっとしました。建物は見えてもまだ距離はあります。と、シューラが「大丈夫だよ」と言います。

 空港の前はいつもたくさんの車が駐車場を探したり、降ろしたり乗せたりで、車がくちゃくちゃ状態です。出発ロビー前はどこの空港でもそう言う景色ですが、ここはいつもくちゃくちゃ光景です。やっと入り口に近づいて、私に「先に下りて先に中へ入っていなさい。僕は止めるところを探して行くから」。

 トランクを下ろしてもらい、まず建物の中へ。ここは空港建物に入る全ての人がセキリュテイーチェックを受けます。混んでいます。ラインはひとつだけ。建物に入る人すべてが荷物をラインに乗せて、あの赤外線チェックを受けるのですよ。それなのに、ラインがひとつとは!!

 並んで待ってやっとチェックを受けて。私は空港通路というかホールで、トランクを開けて最後の詰め直しとロープ掛けです。「早くシューラ来てくれないかな」。セキュリティチェック場のラインは、2本になったようで、並んでいる列は短くなりました。が、そこにはシューラはいません。駐車場に苦労をしている模様。
 トランクは、毎度の旅でしっかりガードしてくれる、長さ5メートル弱、縛り上げることのできる器具が付いている優れもの強化ロープで十字掛けにしばります。男の人の力でぐっと縛ってもらうとうれしいのですが、と、苦労をしているとシューラがやっと到着です。

 トランク縛りを手伝ってもらい、私は「トイレに行きたい」と荷物を彼に預けて、トイレに走る。

 そして、とうとうシューラとお別れの時です。 …………。………。ありがとう、さようなら………。

 私はチェックインカウンターへ進みます。

 「東京行きはこっちよ」と声をかけてくれる係員です。カウンターの周りに乗客がだれもいません。


2005年11月09日

【 67号 】 Счастливцы (私たち幸せ者です)

 ~~~~8月9日 風の強いモスクワの午後 ~~~~

 1枚の写真がすべてを表しています。
       
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 人と人の出会いはすべて台本ができているものと、私は思っています。偶然はありません。
 「この人と出会うように、いままでのすべてが、ここへ向けて歩いてきた」のです。

 俳優は、ご馳走に大喜びです。そして、舞台や映画の仕事の話から、このパビリオンを使ってなにか新しい表現仕事のイメージが湧いてきたようです。その後、支配人と打ち合わせもしていました。

 私は、ご馳走を前にくらくらしながら、美味しいワインと幸福に酔い、ロシアと出会ってからのすべてが、ここに集まっていた感動にも溺れておりました。
 ロシア語できないし、ロシアについても無知ですし、こんな私にでも幸せを与えてくださるこころ広いロシアの友人たちは、ナントすごい素晴らしい人たちでしょう。

 マルレンさんは、「また、9月に日本へ行くよ。EXPOロシア館のあと片付けに行くよ」。
 それはとてもうれしいことです。

 では、読者の皆様には写真でごちそうをみていただきましょう。

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 漁業パビリオン内レストランですから、お魚料理です。大皿はお魚の盛り合わせです。
 満載キャビア。トマトに載ったチーズ、イタリア風です。
 ワインはどこのかな?わかりません。
 ジュースは「オレンジ・りんご・さくらんぼ、なにになさいますか?」って尋ねられて即答です。
 「日本ではめったに飲めない、さくらんぼジュースをください!」
 ワインと同じ色をしていますが、さくらんぼジュースです。不思議な甘さの美味しさです。

     別の角度からも、どうぞ。
 くだものの盛り合わせは本物です。
 各種パン。美味しそうですね。
      
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    メインもお魚料理です。
        
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 鮭の切り身のマヨネーズ焼きイクラのせ、付け合せは日本を意識して白ごはんにしてみました。
     =これ、ちょっと魚臭くって、わたしはつらかった。魚の臭いを和らげる、しょうゆかしょうがなどがありますともっと美味しくなりました。


   デザートはこれ。
            
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 デザート用にと、別バラを残しておりましたが、ダメでした。こんなに手の込んだお菓子なのに食べきれず、とても残念でした。


 ◇ ◇ ◇

 私たちはとても幸福な時間を過ごしました。マルレンさんにこころから感謝です。ありがとうございます。
 外は風が強くなってきました。雲の色もちょっと怪しくなってきました。
 「飛行機の時間が心配だから早めに空港へ行きなさい。またいつでも、モスクワにおいで。待っているよ」と優しいマルレンさんです。
 シューラともども熱くお礼を申し上げて、私たちは、一路シェレメチボ2空港へと走ることとしました。全ロシア展覧会センターがあまりにも広いので、次の機会にゆっくり見学することとします。

 もう、さようなら、モスクワです。
 が、そうは簡単に帰してくれない、モスクワです。   


2005年11月06日

【 66号 】 全展覧会センターとは?

 ~~~~8月9日午後 風が強くなってきたモスクワで~~~

 ロシア全展覧会センターの地図です。ロシア語ですが、広さとか建物の配置とかがわかります。
 いったいどんなところなのでしょうか?
 おなじみ「地球の歩き方」誌によりますと、
 “ ソ連時代は「ソ連経済発展展覧会場 ВДНХ」と呼ばれ、社会主義の宣伝に使われた。”
 そうです。

 愛・地球博ロシア館が配布していました、モスクワ市宣伝パンフレットによりますと、
 “1939年に開設されて、(略)敷地面積は238ヘクタールで大規模な展示館、公園、池、噴水、果樹園、農業実験場などを含む広い展覧会場になっています。”
 参考までに。愛知万博長久手会場は、158ヘクタール。瀬戸会場は15ヘクタールでした。

 続けて、モスクワ市宣伝パンフレットの中では、
 “毎年全ロシア展覧会センターでは146回あまりの展覧会・博覧会が開催されており、中には40回の国際展覧会も開催されています。一番人気のある展覧会は、『「花」国際的な展覧会』、『「黄金の秋」ロシア農工業展覧会などです。
 2002年には、博覧会国際事務局(BIE)の委員会は、万国博覧会を開催するのに最適な場所として認めました。今度の万国博覧会EXPO2015は、ここで開催されると期待されています。”

 つまり、上海万博の次の万博がここモスクワで、ここ全ロシア展覧会センターで開催されるかもしれません。

 さて、私たちは、マルレンさん運転の車に乗って、38号パビリオンに到着しました。

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    ( 写真は、ВВЦ のHPから借用しました。だから、雪が写っています。)

 漁業パビリオンです。が、いったいここには人がいるのでしょうか?レストランなどあるのでしょうか?
 人の気配もなければ、人が集まるような雰囲気も感じないのですが……。

 マルレンさんご夫妻とシューラとわたしの4人は、静かで少々暗いパビリオンに入り、階段を上り3階へ行きました。そこには~~!!


2005年11月05日

【 65号 】 マルレンさんとの再会

~~~~~ 8月9日 旅の最後の日 モスクワ全ロシア展覧会センターにて~~~

 「シューラ、ここはいったいどんなところ?ディズニーランド?」と聞けば、笑いながら、「ディズニーランドではないよ。ロシア、モスクワさ…」。「ふ~~ん」。

 巨大な門の周りにというか、そこまでも距離があるから近所といえるところには、新しい雰囲気の店がいくつか並び、花壇も宣伝塔も噴水もあり、人はいろんな方向にゆっくり歩いている。日本の小さなスケールで計ることができないほど、私には大きい会場と見えます。だって、いま、門の下にいても、門の柱1本も巨大で、柱の向こう側にだれかがいてもさっぱり見えませんから。


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(写真はВВЦのHPから借用しました。あまりに大きく私には写せませんでした)


 「マルレンさんはどこかなあ??」。

 シューラも、捜しています。彼は青いシャツの人を捜しているのでしょうが、私はマルレンさんを捜しているのです。

 万博ロシア館のモスクワ市担当。全ロシア展覧会センターの重要役職に就いています。マルレンとは、マスクス+レーニンからいただいたお名前とか、ソ連時代に生まれ育った人です。
 ロシア館には、開幕前から赴任して、6月17日のロシアナショナルデーを終えて帰国されました。その前に「僕の後任は、ユーリャだからよろしくね」とステキなユーリャさんを紹介してくれました。
 
 私がこのモスクワの旅に出るとき、ロシア館通訳のコースチャには、俳優シューラの家の電話番号を教えておきました。コースチャのお姉さんに会うために。
 私が旅に出発してから、コースチャ経由でユーリャさんがマルレンさんに連絡をしたようです。
 だからマルレンさんからシューラへ電話があり、「ぜひ、連れていっしょに展覧会センターへ来るように」とのことで、きょうが実現したのです。

 と、柱の角に、「アッ、マルレンさ~~ん」。熱い抱擁です。うれしくって涙がでました。

 青い縞のシャツを着て、最高の笑顔で迎えてくださいました。すぐにお隣りに寄り添う奥様をご紹介してくださって、私は、彼が日本で「妻のためにおみやげは真珠のネクッレスを買いたい」と言ってみえたことが頭に浮かんでいました。

 「さあ、僕の車に乗ってレストランへ行こう」。

 展覧会センター内は許されている車だけが走ることができるようです。そして、彼の車は、ニッサン車。シューラはそれを見て興奮していた。「あこがれの日本車だよ」。しばらく、日本車についてマルレンさんとシューラは話しています。

 すぐにレストランに着くと思ったのに、けっこう長く走っている。私にはまたまた驚きです。愛知万博の会場か東京ディズニーランドか、そんな広さのイメージを持っていたので、広いと言ってもそれほどではないだろう。が、それは小さい島国に住む私のイメージだけでした。

 広いのです。むちゃくちゃ広いのです。もう、あんぐりと驚いている私です。


2005年11月03日

【 64号 】 吉報!合格おめでとう


 ロシアの夏の旅の間、私の面倒をみてくれた俳優が、とってもすごいことをやってくれましたので、お知らせいたします。

 11月3日、モスクワに住む俳優、アレクサンドル ゴルシュコフ(愛称・シューラ)は、国立演劇大学演出学課の最終の試験や面接実技などに合格しました。

 おめでとう!!
 
 毎晩舞台にふつうに出演して、といことはその稽古にも追われます。
 そのあいまに、映画とかナレターとかもちょっとだけやります。
 他の劇場にも出演します。自分の劇団をつくり、芝居を創作しています。
  ===そんな過密なスケジュールの中でも、かって卒業した演劇大学の別の課に昨年再入学しました。
 「演出家を目指すために」と。
 
 偉大なる俳優シューラです。
 夢の実現にむけて大奮闘しましたね。

 もう一度、おめでとう。

 また彼のお芝居見たいなあ。
 もし、ユーゴザーパド劇場へ行く機会に恵まれている方。
 ぜひ、「巨匠とマルガリータ」、「検察官」、「結婚」、「ロミオとジュリエット」など ご覧ください。シューラの熱演がご覧いただけます。私もすぐにでも観劇の感激に合いに行きたいです。


【 63号 】 モスクワの北の町へ

~~8月9日 午後 モスクワやや風強し ~~~~

 午前中、買い物や荷物つくりやいろいろしていたら、あっと言う間に約束の時間が来てしまいました。12時、荷物を全部持って、部屋に忘れ物がないように点検してチェックアウトです。
 
 シューラは、ちょっと遅れて来ました。
 「仕事が遅くなっちゃった。水を持っていないか?」
 なんでも、「声」の仕事で、マイクの前にいたとか。「たくさんの読み物を読んだから、水が飲みたい」。
マイクの前の仕事はどんなものなのかは知りません。私が持っていたペットボトル水を一気飲みしました。
 
 以前彼は私に、「アッラ プガチョワ 愛の歌シリーズ・シューラ制作オリジナルテープ」を作ってくれたことがあります。世界にひとつの音楽テープです。俳優が語るプガチョワの歌への思いと歌が交互に入っている優れもの。
 その後、「俳優が読むロシア童話」のテープ制作をお願いしてあるのですが、まだ作られていません。
「ちょっと忙しいから」と言われて、私もそのままにしてあるのですが、いつか必ず吹き込んでもらいましょう。
 
 車に荷物を積んで、きゅうりやトマト、ネクタリンを渡すと「だれにもらったの?」「ひとりで買いに行ってきた」と言えば、「ひとりで!?」と、続けてなにか言ったがわからない。きっと「高いところで高いものを買った」と思っている、とわかる。まあいいじゃあないの。

 乗り込んだ車の助手席には、、「読んできた」という台本がバサッと置いてある。「これを全部読んだ」らしい。「難しいものなんだ」そうだ。

 風が少し強くなってきたモスクワの南の町から、クレムリンがある中央を通って、北の町にある「ロシア全展覧会センター(Всероссийский Выставочный Центр)へ。さて、なにがあるところでしょうか。
 マンモス展示場があり、それについてはロシア館スタッフが勧めてくれたので行ってみたいが、あとはさて?

 万博ロシア館の展示に「モスクワ市コーナー」があり、ВВЦから担当者がいく人かスタッフとして来日している。が、ВВЦについてはまったく知らない。何回もモスクワに来ているが、いつも南部の方をウロウロしているので、北の方は初めて。

 シューラの車は走る、走る。クレムリンが見えてきたら「よく見なさい。もう今回は見えないからね」。
今回もクレムリンには、ゆっくり行けなかったなあと思う。また今度です。
 火事で燃えてしまった「中央展示ホール」は再建されて新しくなり、町のシンボルとなるようです。
 「劇場前広場」をとおりながら「ボリショイ劇場」も改築工事がはじまり、テントがかけられています。
 「ツム百貨店」はテレビCMで「新しくなりましたよ。お買い物はツムで買いましょう」みたいにやってましたね。05年1月来た時にここへ寄って、あまりにも高いものばかりでビックリしたのすが、もっと高級品志向になっているのでしょうか。
 「ここKGBだって知っているよね」とシューラ。右手側にはごっついビルの旧KGB。急に車が混んできて、割り込んできたので危ない。こわい。

 04年1月シューラが出演したマヤコフスキー第2劇場の近く、地下鉄「スーハレスカヤ」のマクドナルドが見えてきた。「このマクドナルド来たよねえ」。「ああ、覚えているよ。熊の時だね」。
 そうです、熊の役のシューラだった。子どもたちのための年末年始サンタクロースと雪娘のお話し。おもしろかった。

 平和大通りに来ると、オスタンキノテレビ塔が見えます。南の方とはまったく違う景色です。モノレールがあり、もうВВЦですって。

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 どこをどう走ってたのかよくわからないが、車はすっごく大きい門の近くに止り、「さあ、マルレンを捜してください。僕は会ったことがないからね」。

 あまりにも大きい門です。見上げてクラクラしてしまいます。人もいろんな方向からたくさん歩いています。「この門で待ち合わせ。彼は青いシャツを着ているって言っていたよ」。


2005年10月30日

【 62号 】 お買い物に行きましょう

  ~~~8月9日 いよいよ帰国の日 朝のモスクワにて ~~~

 やっと満足に思う眠りから目覚めて時計を見れば、朝7時過ぎ。窓の外はきょうも晴天。やや風が強く吹いているようです。サリュートホテル5階からは周りの住宅街を見ることが出来ます。

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 まずは、久しぶりにお風呂へ入ろう。もっと熱い湯が欲しいところだけれど、これでもOKの湯に、日本からのハーブ入浴剤を溶かして、ゆっくりと入る。湯の中で本日の計画を考える。シューラは、12時に迎えに来てくれ、ロシア全展覧会センターへ行って、マルレンさんと再会して、その後展覧会センターのどこかパビリオンを見学して、そして空港へ。19時25分発の東京行きに乗って……。
 あとわずかなモスクワです。風呂上り、片付けながら見ていたテレビでは「日本の長崎は原爆記念日です。原爆から60年の夏です」と伝えていた。そうです。8月9日も世界はこの日を伝えて欲しい。

 朝食は1階のレストランでバイキング形式です。サラダにスープ、熱い料理、冷たい料理、くだもの、デザートなどたくさん並んでいる。贅沢だなと思う。あまり空腹感もないので軽く済ませて、外へ出る。

 ホテルから歩いて20分もかからないところが、ユーゴザーパドナヤ地下鉄駅です。その周辺はデパート、スーパーマーケット、大小の露店が並んでいます。シューラは「ひとりで歩いてはダメ」と言いますが、ナイショで歩いてみましょう。私のロシア語で買い物に挑戦です。

 道行くバスやトロリーバスや相乗りワゴン車がどれもきれいです。みな新車になったようです。夏だからでしょうか。サンクトペテルブルクでもそう思ったのですが、めちゃくちゃオンボロ車がとても少なくなったように見えます。ロシアの景気のよさでしょうか。

 デパートは開店したばかり。べつに欲しいものはないので、さらりと見て回るだけ。なんでも売っている。「ないものはない」と実感します。

 外の露店で、ハンガーにかかった女性用下着が、太陽の光のもとにさらされて売られている。その隣りでは、化粧雑貨が並んでいるし、靴屋も、鍋屋もきょう一日頑張って売りまっせと、ところ狭しと商品が並んでいる。残念ながら、購買意欲はないのでちょっとのぞくだけ。

 先日シューラと行ったスーパーのお菓子売り場で、万博スタッフのためにチョコレートとハルバというロシア人大好きお菓子を買うことにしましょう。
 背の高い売り場の女性に「チョコレート10枚お土産にします」。
 「どこから来たの?」
 「日本です。日本のお友達におみやげにするのよ」って言うと、
 「日本にはチョコレートはあるの?」
 日本のためにしっかり応えておかねばなりません。
 「もちろんあります。美味しいものあります」。
 彼女は「ロシアのチョコレートは美味しいのよ。他になにしますか?」
 とても笑顔のステキな優しい人です。

 いくつかお菓子を買ってお金を払ったら、小さいキャンデーを1つもらいました。とってもうれしかった。

 次はチーズの店をのぞいて、ひも状のスモークチーズを買いましょう。これなら少々日持ちもしますから日本へ持って帰れます。ここの女性も気持ちが良い人です。

 外へ出て露天の八百屋さんにならぶネクタリンを見つけました。サンクトペテルブルクで食べた瑞々しいあのネクタリンの記憶がよみがえり、また食べたくなりました。1キロいくらという表示で、お姉さんが袋にいれて量りにかけます。「10個頂戴な」。「○○ルーブルよ」と難なく買い物ができるかと思ったら、お釣りを彼女は間違えたのかどうか、少なく渡してくれます。あれ?
 「マーラ !」と抗議すると、無言で不足分をくれました。


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 次に美味しそうなトマトを買いましょう。
 「これ美味しいの?」
 「もちろんさ。さあ、どれだけ買うの?」、八百屋のおかみさん。
 「そうね。6個くらい」。と、言ったのに、おかみさんは
 きゅうりに手を伸ばして
 「こちらのきゅうりも買うでしょう?買いなさいよ」。
 商売上手のおかみさんのやり手に乗ってしまいきゅうりも買い、トマトも買いました。

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 生野菜を買って日本へもってきたの?と思われるでしょう。ちらりときゅうりなら日本へ持って帰ることができるかな?とは思ったもののそれは、いろんな意味で危ないのでやめました。
 昨日ご馳走になったシューラ宅へのお礼の品にしました。

 両手にかなり重いビニール袋をぶら下げて、モスクワ市民おばさんスタイルで歩いてホテルへ帰りました。ホテルの部屋ですぐに、ネクタリンを洗って口にしたのですが……、ああ、あのペテルブルクの朝のネクタリンには負けるモスクワネクタリンでした。


2005年10月29日

【 61号 】 余話 *** 犬の話し

 犬が大きいというべきか、犬も大きいというべきか。モスクワのあちこちで熊のような、犬が町をかっ歩してしております。もちろん小型犬も中型犬もいます。

 私は6月に日本で中型犬に足をかまれ、それから、すっごく犬が恐くなりました。

 モスクワで泊まっていたホテル近くの住宅街の犬達が、飼い主と散歩をしている光景には、ちょくちょく出くわして、そんなときは彼らと離れてそっと歩いていました。決して「おいでおいで」などと日本語でちょっかいを出しません。

 と、ある日、大きくって黒い犬が、若い女性と散歩をしていました。もうひとり後ろから歩く女性は小型犬を連れていました。小型犬が先に私に吼えてきました。いや~な感じ。

 と、黒い犬が突然、私めがけて走ってきました。「きゃあ~~~」と私は叫びました。
 と、若い女性も驚いたのでしょう。犬のひもをすぐに引き寄せました。犬はとても長い紐でつながれており、若い女性は携帯電話中でした。ホッと安堵したものの、もし、ここで犬に襲われたら私はどうなったことでしょうか。と、想像するのも恐いので想像しません。
 
 その日、テレビのニュースではきっと「町の犬を捕獲しているが、その犬達を保管する小屋?がもう犬でいっぱいだよ」みたいなニュースをしていました。“犬問題”も抱えているモスクワです。
 
 犬に襲われないように注意しましょう。
 狂犬病がまだ存在するロシアです。破傷風も恐いし。ナント言っても犬にかまれると強烈痛いです。と、経験者は伝えます!!


2005年10月28日

【 60号 】 余話*** 時差の話し

 夏の間のモスクワやサンクトペテルブルクと、日本の時差は5時間です。日本のほうが5時間早く1日がはじまります。私は時差の調整がとっても難しく、体内時計の調整は苦痛でなりません。

 だから、この夏の旅の間も、こんなこととなっていました。

 日本時間朝7時=あちらでは前の日、深夜2時。毎日深夜2時~3時、ばっちり目があいていました。身体が「朝ですよ、起きなさいよ~」と言います。

 日本時間夜12時過ぎ=あちらでは楽しい夕方7時ごろ。急に睡魔に襲われます。まさに電池が切れたように動けなくなります。

 旅の間の体内時計は、睡眠の時間がわかっていないようです。細切れ睡眠です。お酒で少し酔って寝ても、深夜に目がばっちり開いたりします。
 「たっぷり深く寝満足」という達成感!がちっとも得られません。いつも寝不足です。

 この旅は夏で太陽の光を浴びる機会も多く、体内時計調節に必至と言われる太陽光線はたっぷり浴びえていたので、元気にしていましたが、それでも、身体のどこかは「眠い」が続いていました。

 暗くて寒い冬の旅は、それはもっとたいへんです。時差は6時間です。演劇シーズンで観劇に出かけて芝居の幕が開くあちらの午後7時は、日本の深夜1時!!!睡魔との戦いです。
 だから、観劇の前に眠くならない工夫をいくつかしています。
 午後の時間をゆっくりする。午後の時間眠る。その後熱い風呂に入るなど。

 そして、旅の後半、帰国寸前になってやっと身体は、モスクワ時間を体得する気構えになるのですが、遅い!です。

 旅は相当にエネルギーを使います。時差もあわせて決してムリをしないで、自分の身体に正直に、いたわりながら楽しみたいものです。


2005年10月25日

【 59号 】 長い一日、ワインで酔って……。

~~~~~ 8月8日 夕方のモスクワにて~~~~~
 
 モスクワの中心地=クレムリンから東北のところあたりの大通りの一角に止めた車の中で、ユリアさんと私はお話しをしました。と言っても私の思考回路は停滞しておりまして、ユリアさんはロシア語と英語と両方で話してくれるのですが、「弟は日本語ができてもお姉さんは日本語できないのね」なんていう、お馬鹿なアタマになっておりました。シューラは?私たちを車においたまま「両替と買い物」に行きました。私が「両替!両替!」って何度も言っていたので、「僕が行ってくるから、ユリアさんと話していなさい」。

 しばらくして、シューラがケーキを買って戻ってきました。

 ユリアさんからは、愛する弟が好きだと言うロシアのお菓子とか飲み物を預かりました。そして「パパとママからの手紙も渡してください」とも。
 なんだか胸がキュンとなってしまいました。「大丈夫、早く必ず届けます」。

 シューラは私に「今度モスクワに来たらユリアやコスチャに会えるね、友だちが増えたね」とうれしそうです。ユリアさんと再会を約束して彼女とお別れしました。

 車は「さあ、僕の家に行くよ」と一気に走ります。早く家に着いてねと私は祈っていました。

 午後9時くらいです。シューラの家に到着です。もう何度も来ている彼の家。私はみんなへのあいさつもそこそこに、ずっとガマンしていた御用の部屋にまっしぐらです。「ああ、もうちょっとで危なかった。ホオ~~~」。

 シューラ夫婦と3人の子たちとシューラのママとで楽しい夕食会です。長男のアリョーシャが私をパソコンの前に呼んでくれます。「僕の写真を見て」。なんでも友だちとキャンプに行ったときの写真で、「湖と山がとてもきれい。友だちと遊んだよ」とうれしそうに見せてくれました。

 次男のジィーマ君は私が行くといつも照れているのです。「サンクトペテブルクへ行ったことあるの?」って聞いたら、「僕まだ行ったことないんだよ。行きたい」とちょっと悲しそうな顔していました。今度いっしょに行きたいなあ。連れて行こうかな。

 2歳のポーリャはちょこまかといろんなことをしています。私がペテルへ行く前にシューラが「ポーリャは猫が大好きなんだ」と言っていたので、サンクトペテルブルクの本屋でみつけて買ってきた「猫の絵本」を気に入ってくれたようです。が、それもつかの間で、そこらへんに置いたまま遊んでいます。

 俳優の娘ですね。パパは言葉の専門家として、ロシア語を何度も直しています。それになにか詩の一部でしょうか、彼女は暗誦して聞かせてくれました。きっとパパが教えたのでしょう。「2歳でロシア語をこんなにしゃべっているよ」と感動してしまいました。

 ワインを少しいただいたのですが、効いてしまってなにか途中から記憶喪失でした。でも覚えていることがあります。
 「またすぐにモスクワにおいでよ。待っているよ」。とみなさんが言ってくれたことです。

 何時くらいでしょうか。シューラに車で送ってもらい「お休みなさい。また明日」とホテルの前でお別れしました。ユリアさんからの荷物を抱えて、部屋に戻ってすぐに私は眠りました。きょうも長い一日でした。


【 58号 】映画撮影のあとは

~~~~8月8日 モスクワの夕方 ~~~~~~

 映画撮影の見学と言ましても、同じところにじっと座っていたわけではなく、撮影場所や角度が変わればそれについて、小さい移動をしていました。モニター画面を見に行ったり、撮影の近くに行ったりとしてました。なによりも、なにがどうなっていくのか、いつどうなるのかという、場を読めない状況は、緊張です。

 きょう見てきた場面は、きっと公開フィルムでは、ほんの1~2分もないような場面かと思います。
 主人公(監督兼俳優)が町の若者に悪さをされて、大事なかばんなどが燃やされるが、突然町のボスのような(俳優はイーゴリー)がやってきて若者達をやっつけてしまう…。そんな場面と見たのですが、公開フィルムではどのような……???

 モスクワの乾燥した夏の日でしたが、午後から気温が下がっていきます。終わった時はホント疲れてしまいました。シューラの車に乗り込んだときは、ホッとしたのですが、しばらくしゃべる(ロシア語)ことは面倒でした。シューラは逆にひと仕事終えて、ハイです。

 車はちょっとだけ走って、広い通りに出るとすぐに、ユリアさんが待っていました。彼女をすぐ車に乗り込んできました。シューラと映画の話しなどをしているのですが、どうもユリアさんも忙しそうです。日本へ万博へ行っている弟のコースチャに運ぶものを託されました。

 「今度はいつモスクワに来ますか?」

 ユリアさんに聞かれて即答はできないのですが、必ず再訪はします。
「そのときはぜひ、お会いしましょう」と固い約束をしました。


2005年10月22日

【 57号 】 映画撮影現場から (長文)

  ~~8月8日 モスクワやや涼しくなってきた午後~~~

 どれだけ時間が経っただろうか。俳優シューラ(アレクサンドル ゴルシュコフ)はかなり気合が入っているので、空きの時間も厳しい顔をしています。私のそばに来ても黙って座っているだけです。もう、付き合いも長いので、こういう時間には声をかけないほうが良いだろうことはわかります。

 また、場に付き、演技に入るとイタズラのデカイ少年になります。

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 私は、座っているだけではタイクツです。でも、でもどこにも行けません。そっとここを抜け出して、町の探検に行こうかな?黙って行っても、告げて行ったとしても、どちらでも彼が心配して演技の世界が壊れてしまいます。ここは彼のためにじっとガマンです。

 が、もうひとつだんだんガマンできない事態が私に起こりつつあります。困ったな~、どうしようかな~。そうです、これは生きていくうえで大事な大事なことです。ずっと外にいますし、あたりの様子もわかりませんし……。

 スタッフの女性たちはどうしているのかな?だれかに聞いてみようかな?

 と、撮影現場すぐ近くの事務所から、お姉さんたちがドアの前で見学しているのが目にとまりました。
 ロシア語で、「ごめんなさい、トイレを貸してください」とお願いをしましたら、気持ちよく「どうぞ、こちらよ」。助かりました。ホッとしました。生き返りました。
 「なんと言う映画なの?」とその事務所の若い女性に聞かれましたが、「私は知らないのです」と答えると不思議な顔をしてました。

 おなかも空いてきました。こういうとき日本はロケ弁だよなあ。時間はもう午後3時です。撮影現場はすっごく緊張感がいっぱいで、俳優たちもスタッフも休憩もありません。手の空いた人がお茶を飲んだり、どこかへ消えてはすぐ戻っていますが。

 シューラがそばに来て「昼食食べましょう」と言うので、私はてっきりどこかへ食べに行くのかなにかを買うのかと思ったので、「お金持っていないし」。きょうは両替をしなければルーブルを持っていないのです。ヘンな応えをしたのでシューラは苦笑しています。「お金は要らないよ」。エッ???

 ロケ弁でした。ロシア料理ロケ弁です。

 ロケバスの中には、各種お弁当が用意されていました。「好きな物を取っていいよ」。

 私は、そばの実(гречка)を主食に、豚肉とサラダの詰め合わせのパックとトマトスープにしました。パンは別にきりわけてあります。果実のパック詰めもあります。それらを手にして、シューラといっしょに現場からちょっと離れた、小さい公園のベンチに座って食べました。でも、シューラは出番を気にしているのがわかります。美味しいロケ弁ですが、ちょっと落ち着きなく食べました。シューラも大急ぎで食べてすぐに次の場面の撮影に入っています。

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 イーゴリさんがいよいよ登場です。彼は主役級でしょうか。彼用のイスがあり、メイクも衣装も彼専門に女性がついています。イーゴリーは、さっきまで短パンのお兄ちゃんでしたが、黒いスーツになって現場に入るとますます光ってきました。でも、彼の出番も少しづつ細切れです。

 待っているのが映画俳優でしょうか。緊張感と集中力の緩急自在さに敬服します。カメラの前に立つとピシッとサッと演技に入り、はずれるとさっと顔がかわり、でも、また役になるとすごい光を放ちます。これができなければ一流ではないのでしょうか。
 そんなことを、シューラやイーゴリーたちを見ていてわかります。演技の集中力はすごいものです。もちろん映画の撮影だけではなく舞台でも同じことです。

 だんだん風が冷たくなってきました。シューラがそばに来て「まだ終わらない。いまから別の場面を撮影して、また僕たちの撮影がある」とちょっと不満そうです。この後の約束のことを気にしているようですが、仕方がないですね。

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 さっきから暑い夏なのに冬服を着て見学している女性がいます。出演の女優さんでした。彼女の出番の撮影が、ちょっと向うの建物の前でされています。覗きに行きました。

 カメラは窓辺にたたずむ彼女と窓から手を振る彼女を写しています。もちろん、照明スタッフやいろんなスタッフが動き回っています。
 映画撮影スタッフも厳しい仕事です。緊張感の仕事です。照明スタッフのリーダーの動きがどんどん活発になってきました。機材も大きくなってきました。日が長いモスクワの夏でも、太陽の動きで明るさは一日中均等ではないからでしょう。照明スタッフの若い兄さんは午前中は、本を読みながらのんびりしていましたが、いまは忙しそうです。時々リーダーから厳しい声も飛んでいます。

 監督は自分も俳優をやっていますから、その動きはすごいものがあります。衣装係は気がぬけません。監督が俳優となるとさっとその場面の衣装に着替えさせます。監督はさっと俳優になり、役に変身です。役者の手に持たせる道具類もさきほどから、並らべられています。小道具係ですね。彼女はさっと役者の手に道具を持たせたり、離させたりを機敏に動いています。どうも革のかばんが監督は気にいらないようで、かばんを投げたり踏みつけたりして、“古く”しているのは小道具係です。

 また、撮影場面は変わりました。火が出てきましたよ。シューラがその火を点けるようです。
 悪ガキ君は、かばんや衣服を監督がやっている役がらから奪ってしまい、それらに火を放ち燃やしてしまいます。火が立ち上らねば画面的に面白くないからガソリン?でしょうか。火が大きく出ます。危ないなあ、と私は心配しています。

 その場面は火の勢いが問題なのか、かなり細かい指示が監督からでているようです。シューラがリハーサルを繰り返しています。もちろん危なくないように助監督がウラで細工をしています。おもしろいですね。こういうのがあって面白い映画ができるのですね。

 無事、火を使った撮影も終わりシューラの撮影も終わったようです。監督と熱く握手をしています。
 すぐにシューラは、事務方らしき女性のところへ行き、なにか書き物をしています。メイクを落としているとその女性がシューラになにか渡しています。本日の賃金です。いくらなのかは私の知るところではありません。そして、衣装の赤いシャツを「もらったよ」と嬉しそうにしています。

 私はすっかり疲れました。そして、そろそろまた要求があるのですが、もうここは引き上げるのでしばしガマンしましょう。時間は午後7時は過ぎていますが、まだまだ明るいモスクワです。でも、きょうはちょっと冷えます。日本でいう秋が近づいてきた夏の夕暮れのような気配です。

 「この近くでユリアが待っているよ」。ユリアさんは、万博ロシア館で通訳で働いているコースチャのお姉さんです。弟のために持って行って欲しいものがあると言いましたから、会わねばなりません。


【 56号 】 Внимание !! (ハイ 集中!!)

 ~~~~~8月8日 晴れの映画撮影現場 モスクワ ~~~~~

(この号、写真たくさん、重いです)

 きょうもすっきり爽やかな晴れです。でも、昨日よりはちょっと気温が低く、ビルの影などに吹く風には、秋の気配も感じます。空には白いモクモク雲が流れていきます。

 シューラの車は、モスクワ南部から中心部へ向かって走ります。ラッシュ時には渋滞しているこの大通りも午前10時を過ぎたこの時間はスムーズに走って、窓の外には、いくつか見慣れた景色があります。左手には以前泊まった「スプートニク」ホテル。好きなホテルです。親切な部屋係の女性や青い目のとても美形!!青年給仕がいましたね。
 有名なガガーリン像が見えます。
 レーニン像もあります。
 小さな教会が見えます。以前よりもきれいになっています。
 このあたりを右手に曲がってさらに行くと……、ダニロフスキー修道院とホテルがあります。ここのホテルはおすすめです。とても静かで落ち着いています。料理もとっても美味しい…。

 などと、もう私もかなりのモスクワ通です。クレムリンが見えてきたら、シューラは道端に止って地図を出しています。きょうの現場を捜しているのでしょうか?また、走り出したもののどうも自信がなさそう。でも、私にはどうすることもできないので、後ろの席で、また窓の外をきょろきょろと見ているだけです。

 都心の古い住宅街に入ってきたようです。「しばし待っていて」と彼は車を降りて、なにか捜しているような?いまも私はきょうはどんな撮影現場なのか、建物の中か外なのかさえもわかりません。行けばわかるので、聞きません。と、いうかシューラもわかっていないのじゃあないかな?そんなわけはないか。

 戻ってきたシューラは「ここで車を降りて」。

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 古い住宅街の中庭が、現場でした。すでに幾人かが集まっていますが、まだ仕事にかかろうという雰囲気ではありません。カメラ担当者が木組みの足場を組み立ています。が、他のメンバーはお茶をしながらおしゃべりです。シューラは私を幾人の人に紹介してくれました。
 「まあ日本から。ようこそ」。
 「日本のKitano (北野武)の映画を見たよ」
 「サムライ映画はたくさんあるのですか?」など、シューラの通訳?で交歓です。
 
 誰が俳優で誰が監督でなど、いまはさっぱりわかりません。

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 シューラはやっと落ち着いたようです。やっと笑顔になってくれました。

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 「きょうはここが終わったらユリアに会いに行って、それから僕の家で夕食だよ。明日は、マルレンに会いに行こう」。はい。彼の言うとおりにします。

 シューラが着替えてきました。他の俳優たちも集まってきました。それぞれの役割が動き出しました。俳優は向こう側に、スタッフはカメラの後ろに、見学者はもっと離れたところに、つまり私は用意された簡易イスに座って「見学していなさい」です。
 
 最初はカメラテストのようです。いく人かのスタッフがきりりと動き回っています。俳優たちもカメラの前で移動しながら発声準備もしているようです。シューラも何度も口をあけたり、身体を柔軟にしています。

 「Просто повезло」(和訳は「運が良かっただけ」という意味)という題名の映画撮影。

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 きょうの場面がどんな場面で映画の全体の中でどんな位置なのか、どういう設定なのか、さっぱりわかりませんが、こういう機会もそうそう経験できるものではないので、興味津々で見ていましょう。

 今まで集まっていた人が散り、空間ができて、ひとりが建物の向うへ行き、大きな声で
「Приготовились !!! Внимание !!!」 

 撮影現場に緊張感が走ります。それは見学者の私にもわかります。大きな声を出した彼は監督であり俳優でした。

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 監督が演じる、役の彼が、建物のこちらからあちらへ歩いて行くと、建物の影からシューラたち3人が彼を襲うのです。シューラは少年の役でしょうか。かなりデカイ悪ガキのようですね。1度撮影したらその度にモニターで確認です。シューラは私をよびます。モニターの中では、歩いてきた男をからかって襲う若い兄さん達の悪そうな顔が大写りでした。でも、俳優も監督も不満そうです。

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 それからその場面を何回繰り返して撮影をしたでしょうか?
 監督の大きな声での「Приготовились !!! Внимание !!!」 が繰り返されます。 

 

 途中雲が太陽をさえぎってしまったので、太陽待ちもあって、とても時間がかかっています。やっと「OK」となり次の場面へ。

 でも、先ほどの場面の続きではないようです。その後わかったのですが、いろんな場面の細切れ撮影なのですね。きょう、出演の俳優登場場面を写しておくというものでしょうか。だから、シューラはもちろん他の俳優たちも、次々に場面に合わせて監督の指示どおり動き回っています。

 その間に、メイクは俳優の顔を直したり、監督助手は、背景に写りこむだろう遠くにある資材置き場みたいなところまで走っていったり、照明係はいくつかの照明器具を設置したり、はずしたり。

 撮影が始まったころやってきた、ちょっとオーラの出ている男性、デカイ声で話している男性、私は注目させられた彼がそばにやってきて、「シューラからあなたのことは聞いています。あなたが日本から来てシューラはいつも喜んでいます。シューラは僕の親友です。僕はイーゴリーです。よろしく」と、おっしゃって。ちょっとドギマギしてしまったのですが、うれしかったです。そのオーラはやはり俳優でしたか。

            
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    《白いシャツは イーゴリ・赤いシャツ(衣装)は シューラ 演技で意見交換中》

        
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 住宅街での撮影ですから、住人や通行人らが見にきています。  
        ※次号に続きます。


2005年10月21日

【 55号 】 もう、また引越しました。

 ==== 8月8日 朝から晴れているモスクワで =====


 部屋は静かで助かったが、湯が出ない部屋ではこれもダメです。
 バイキング朝食を済ませてから、フロントへ行って、きょうはへらへら笑わずに、きりりとして「湯が出ない部屋は困る。すぐに変えて欲しい」と伝えたら、「湯が出ない?」と言いながら、すぐにどこかへ電話をしている。メンテナンス関係のところへか?
 
 「部屋をかわってください」とこれまた、あっさりと言ってくださった。でも、彼女の手と目はパソコンから離れずに、部屋を探している模様。何度か画面を変えている様子。と、「527号へ変わってください」。

 1830号室へ戻り、トランクへなにもかもつめてまた、引越しです。

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(1830号室からのモスクワ 中心部)


 3泊の連泊が日替わり部屋交代で、これもまたおもしろそうです。

 「どうか今夜はこの部屋で静かにしっかり眠れますように」と、まず湯の点検です。きりりと熱くはなっていないのですが、まあ大丈夫です。昨夜いた1830号室の下となるので、ホテル裏側で静かです。

 そんな騒動をしていると約束の時間です。急いで支度。でも、どんなかっこうで行けばいいのでしょうか?と、考えても持ってきている服をやりくりするしかないから、Tシャツの上に長袖カーディガンをはおり、帽子をかぶってでかけよう。

 1階に下りてフロントに行くと、先ほど部屋の交換手配をしてくれた女性が「湯はでますか?」と聞いてくれたので「ハラショー」と今度は笑って返事ができました。

 シューラがやってきました。部屋の交代を告げると「湯が出ない部屋はホテルの部屋じゃあないよ」と言い、私に「早く車に乗って」と促します。

 さて、どこへ行くのでしょうか?


【 54号 】 ぬるい!!

  ~~~~8月7日 遅い夕方というか夜の時間 でも明るいモスクワ ~~~

 2家族と私のにぎやかな夕食会も終わり、マラトやマリーナ、ダニエルとの再会を約束してまだ明るい外へ出ました。シューラの車に乗り、しみじみとまたまた、とっても長い一日を過ごしていると思った。

 シューラは「明日は映画の撮影に行こう。朝、10時にホテルへ迎えに行くよ」。
 ちょっとワクワクします。映画の撮影……、でもどこへ行くのでしょうか?スタジオかな?観光名所かな?美しい景色のところかな?
 「どこへ行くのですか?」
 
 シューラはひとこと「ぼくも知らない」と笑いましたが、それはウソです。ときどきウソを言います。

 車であっと言う間に、私のホテルサリュートに到着です。マラトの家はこのすぐ近くなのですが、私には位置がわかりません。目の前のあの建物は、マラトの家からも見えていた建物かな?あれの裏側かな?と、ちらりと考えた(だけだった)。

 部屋に戻って、まず1番にお風呂を入れよう。が、ぬるいのです。湯がどうしてもぬるい。すごいショックです。

 ピリッと熱めの湯に入って、手足を伸ばしたい。

 湯の温度は想像で、38度くらいかなあ?


【 53号】 すいか

 ~~~~~~8月7日 暑いモスクワの夕方 ~~~~~

 私はすいかが好きです。夏の暑い日の食べ物はすいかです。人生最後の食べ物のデザートくだものはすいかにしていただきたいと、所望しております。とりわけ甘く瑞々しいものにしていただきたい、と。

 だからモスクワの町のすいかハウスで、すいかの山を見たとき「買いたい、食べたい」となり、重さ10キロのすいかを買いました。2家族との食事会のくだものデザートのために。

 が、マラトは喜びませんでした。

 「(8月)いまごろのすいかは美味しくない。切ってあるから、病気になる」と言いました。

 モスクワあたりのすいかの美味しい時期は9月くらいらしい。
 道端で、洗ってもいないすいかに、汚い包丁を立てて切ると、そこからバイキンが入り込み、激しい腹痛を起こすらしい。
 
 ちょっとムッとなったシューラと私。
 なにかシューラがマラトへ言った。(私には理解できなかった。きつい口調だった)。
 マラトは洗面所へすいかを持っていき、かなり時間をかけて洗っている模様。そして、目の前で包丁を入れて切り分けてくれた。

 私は一番にいただいたら、あらまあ、ハズレ。甘いと言えば甘いけれど、ねぼけている甘さです。

 「お塩をください」。
 「なにするの?」
 「美味しくなりますよ」と塩を少しすいかにかけて食べると、甘さが引き出されてちょっと美味しくなりました。

 が、それを見ていた彼らは、驚きです。「そんなあ、すいかに塩?!」

 「日本ではすいかは切って売っているから、大丈夫だよ」と言ってしまったら、マラトは笑いながら「ここはモスクワだ」とのことです。そのとおりです。

 やはり、ぶどうが良かったかな?
 マラトは、すいかの残りをビニール袋に入れて、シューラに、お持ち帰りをさせました。


2005年10月17日

【 52号 】 マラトさん ご紹介しましょう


  ~~~~ 8月7日 午後 暑いモスクワにて ~~~~

                       
 マラト ダサエフさんは、シューラの親友で、モスクワ大学のある部署の研究者、ときどき運転手でも働いています。私は彼が好きだけれど嫌い、でも大好きです。とっても優しいけれど、思いがけず厳しくって、でも頼りになるインテリです。日本語はできません。

 いままでの私のモスクワの旅には、いつも運転手として空港への送迎、街の案内や買い物も付き合ってくれ、なにより私にロシア語を、きびしく教えてくれる先生でもあります。

 お嬢さんのディアナちゃんがまたとても可愛いのです。そのディアナちゃんがお姉さんになりました。6月半ば弟のダニエル君が生まれました。マラトとマリーナさん夫婦の長男です。マラトは家事と育児に多忙な夏です。彼らはモスクワ南西部の立ち並ぶ住宅街のなかの高層住宅4階に住んでいます。

 シューラとターニャ夫婦も「ダニエルを見に行くのは初めて」と、うれしそうです。アリョーシャとジィーマとポーリャも楽しそうにマラト宅を訪問です。ポーリャは2才。おしゃまな女の子です。「ダニエル、ダニエル」とお姉ちゃん風を吹かせています。

 マラトはかわいいダニエルを抱っこして、パパの顔で私たちを迎えてくれました。

 ダニエルとマリーナさんはとっても元気です。あれ?デァアナお姉さんがいません。
 「彼女は、Лагерь (ラーゲリ)に行っているよ」
 「エッ?Лагерь ?」 (どこかで聞いた単語?なんだったけ??)
  と、隣りにいたジィーマ君が私のノートに単語を書いてくれました。
 マラトは「さあ、辞書で調べて!!」。
 もうこれで私は「キャンプ」を覚えました。「収容所」の意味もありますが、ここではキャンプです。


   
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   (ジィーマ君です。マラトではありません)

 みんなが揃って、ダニエル君の誕生・私の再訪・ポーリャの誕生日(7月末)などいろんなお祝いをいっしょに、みんなでジュースで乾杯です。

 私の拙いロシア語をみんな聞いてくれます。彼らが話すロシア語を私は聞き漏らさずにしています。ノートを開いてときどきは筆記をしてもらいます。意味がわからず「あれ?」と思うと、そこには俳優がいます。演技で教えてくれます。それを見てみんなが笑って、とっても楽しいひとときです。

 ダニエル君はママに抱かれてご機嫌で、私を迎えてくれました。
 「はじめまして、ダニエル君」


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 2歳、言葉を覚えるのがとっても面白いときです。ポーリャが話すロシア語がおもしろくって彼女について聞いていましたら、シューラが「日本語を教えてやってよ」。でも、ポーリャはこの日本人を、まだちょっと恥ずかしく遠巻きに見ているのです。

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 たっぷりのサラダ・鶏料理・温野菜などのご馳走が並びます。デザートはマラトが「ぼくが作ったんだよ」と言う、平ボールで作られた甘いケーキです。その甘さが、さっきホテルの喫茶で仰天した大型ケーキにちょっと似ている。ナッツ系が細かく砕いて入っています。蜂蜜の甘さかな?なにの甘さでしょうか?
 「美味しい!!」 (また食べることに夢中で写真はありません。後悔!)

 マラトは「間単に作ったケーキだけれど、ぼくもこれ大好きだから」。
 「甘さはなに?」
 応えは、練乳でした。なるほど。

 私が買って持っていた10キロのすいかで、もめました。


2005年10月14日

【 51号 】 買い物に行きましょう

 ~~~8月7日 午後 暑いモスクワ ~~~~~

 約束の午後1時、ホテル1階に降りるとすでにシューラがいました。
 会うなり、「マルレンって知っていますか?」と聞かれて驚きました。
 
 「知っています。EXPOで名古屋に来ていた人。いまはモスクワにいるよ。ВВЦ(全ロシア展覧会センター)で仕事をしている人です。とっても優しい人ですよ」。

 「彼が君に会いたいって。電話があったよ」。

 マルレンさんから?私は彼には直接モスクワに来ることは伝えていないけれど、ロシア館のスタッフのだれかが連絡をしてくれたのでしょう。会いたいマルレンさんです、うれしいです。

 「そしてね、(コースチャのお姉さん)ユリアからも電話があって、明日会う約束をしたよ。彼女も君に会いたいって」。ユリアさんは先日お会いした時、「日本へ弟へ持って行ってほしいものがある」と言ってみえたので、もう一度会うことは予定していた。

 シューラは、「マラトの家に行く前にまず買い物をして、それから僕の家に行って、マラトの家に行こう」。私は「日本にいるロシア人から頼まれたものがあるから、それを買うつもり」。

 モスクワ市の南西部地域、ユーゴザーアパドナヤの地下鉄駅周辺のごちゃごちゃといろんなお店のある中のシューラのお気に入りお店へまず行く。

 天井の高いホールの中にそれぞれ専門店が入っているお店です。ドアを開けるとすぐにケーキ屋さんがあります。
 「マラトへのおみやげはケーキにしますか?」と聞くと、シューラの返事は「ケーキはいらないってマラトは言ったよ」と、言いながらシューラの目はケーキをあれこれ見ています。そして、「きょうはいらないけれど明日は買いましょう」ですって。明日はシューラの家での夕食会だから。

 お菓子売り場で私は頼まれたチョコレートを発見。万博ロシア館メンバーが「食べたい」と叫んでいたものです。「いま買うのですか?この店は安いけれど、次にここで買いなさい」。そうしましょう。

 他のお店なども覗きながら、お菓子や子ども達への小さいお土産などを買いました。

 外に売っているすいかを私は「食べたい!買いたい!」と叫び買いました。(1キロ10ルーブルだよ)の手書きの看板の下にある量りにスイカを乗せて、シューラが小声で言う「アゼルバイジャンの兄さん」に100ルーブル払いました。と、シューラは兄さんに「本当に赤いスイカかい?切って見せてよ」と言う。兄さんは水につけてあった包丁をすいかの頭に深く刺して器用に“四角すい型”を切り出しました。赤い色のすいかでシューラは納得していました。

 「赤色だと思って買うと黒いすいかもあるから」。ホントかな?

 買い物したいろいろと10キロのスイカを持っていても平気なシューラ。私は手ぶらで賑やかな市場方面へ。「ぶどうはどう?」と言う彼に、大きいすいかを指差して「もういらないよ~」と言ったあとで、(アッ、シューラはぶどうだったのね)と気がつく私でした。
 
 暑いです。夏の日です。でも名古屋の暑さにくらべりゃあ何のこともない。でも、暑い。

 そこからほど近いシューラの家に行く。もう何度も来ている集合住宅街です。古い住宅を壊して、少しづつ新しくしているらしく、いつ来てもご近所のどこかが工事をしているようです。「僕の家が新しくなるのはいつかなあ?」と、いつも言っていますが、まだまだのよう。

 外で遊ぶ5~6人の子ども達がいます。そのなかのひとりが私に手を振り笑っています。「だれかな?」シューラの次男のジィーマ君です。「うわあ、背が伸びた」10歳です。肩幅も広くなり少年らしくなりました。日本語で「こんにちは」とあいさつをしてくれます。「こんにちは」っと大きな声であいさつをすると彼らは笑います。

 集合住宅の1階にあるシューラの家。ドアをあけると妻のターニャさんが待っていました。女優として活躍しようと思っていたときにシューラと出会って結婚しちゃったので、「女優をやめた」という美人のターニャは、また大きくなっていました。ロシア女性はある年齢を超えると、大きくなってしまうのです。特に腰まわりとかが。

 シューラは私に氷を入れたりんごジュースを飲ませてくれました。私が氷をばりばり食べたら、ターニャは驚きます。「エッ!!氷を食べるのですか。エッ!!大丈夫ですか??」と。
 氷を使うというのは彼らの生活にあまりなく、シューラは舞台公演で各国に行っているのでこの氷入りを知っているけれど、ターニャにはとても不思議そうでした。

 子ども達とは時間の約束をしてあったのでしょうか。アリョーシャが帰ってきて、外で遊んでいたジィーマも家に入ってきて、ふたりは「暑いよ~」と言ってジュースを飲んでいます。シューラは3人の子のパパですから、もうひとり小さいポーリャは寝ていました。「彼女が起きたらマラトの家に行こう」です。
 


2005年10月13日

【 50号 】 ここはモスクワでした~!

~~~~~~ 8月7日 昼 モスクワにて ~~~~

 どれくらい眠っただろうかと、時計を見ると午前11時半。2時間くらい眠っていた。でも、どこかすっきりしない。きょうは足が痛い。6月に犬にかまれた傷跡がなんとなく痛い。靴をはくのをやめてサンダル履きとしておこう。

 ダラダラと用意しながら洗面所の湯がなんとなくぬるいのは、昼間だからかな?と気にしなかった。

 なんとなく空腹で、熱いお茶となにか甘いものが少しだけ食べたい。それと旅の手帳に旅日記を忘れないうちに書いておきたいから、ホテル1階の喫茶室へと行く。

 サリュートホテルは05年1月にも利用したところです。ホテルのあちこちが改装中ですが、喫茶室は1月と同じです。メニューやテーブルのセットの仕方も同じです。いま、私はモスクワにいますという緊張感はなく、以前に座ったところという意識のほうが強かったような。なんとなくそんな気分でメニューにあったケーキと熱い紅茶を注文した。

 少しだけ甘いものが食べたいのです。ここであまりしっかり食べるとせっかくマラトさんの家にお呼ばれに行くのに、ご馳走がたべられなくなると失礼です。

 しばらくして、運ばれてきたケーキを見てぎょっとした。甘いケーキ1切れが超特大です。「うわあ、ここはモスクワということを忘れていた~~」と、超特大ケーキを前にやっと?気がついたのです。ずっとなんとなくぼんやりしていたのが、目が覚めました。
 日本に多いこぶりケーキを見慣れた目には衝撃!!

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 これがまた美味しいのです。蜂蜜たっぷりの甘さと、いままで冷蔵庫に入っていた冷たさと、丁寧に作ってある美味しさです。が、全部食べられない!!どうしようか~~。
 
  ▽ ▽ ▽

 その後のこのケーキは波乱の2日間を過ごすのです。
 もったいないと苦しんだ私は、部屋にお持ち帰りにした。
 すぐでかけたので、シューラの家に持っていき、冷凍庫にいれてもらった。
 翌日またシューラの家に行った時、ケーキは冷蔵庫に移動していた。
 なにかに押されてぐちゃりとなってみるかげもない状態に変化していた。
 そっとゴミ箱へいれてしまいました。

 ああ、いまも思い出します、あの美味しさ~~。


2005年10月10日

【 49号 】 ああ、この部屋はダメ

  ~~~~8月6日 夜 モスクワにて ~~~~

 シューラたちと別れて、部屋に戻り、「さあて、この部屋に3泊だからトランクから荷物を出して」と、眠いけれどそれだけはしておきたかったから、トランクを開ける。が、まだ薄明るい外の様子が気にかかる。ホテルの前には大通りがあり、相変わらず車は多く、ビュンビュン走りその音が18階まで上がってくるのです。
 
 モスクワ南西部にあるこのホテルは、お気に入りの劇団ユーゴザーパド劇場のお隣りのようなもの、シューラの家にも近いということもありまして、ここを希望したのですが。一旦車の音が気にかかるとどうもねえ。窓はもちろんしっかり閉まりますが…。

 私はなにが大事と言って、車の音が聞こえない静かな環境が大好きです。この旅の前半に泊まった部屋は同じく大通りに面していてもこんなに車の音は聞こえなかった。なにか高さとか部屋のある角度とかに関係しているのだろうか。

 でも今夜は仕方がない。明日朝に、フロントへ引越しを申し入れよう。と決意して眠る。耳にずっと響く車の音……。

 明けて、8月7日、きょうも晴れ。朝から気温が高い。窓の下はこんな感じです。

   saryut 18f.jpg

 朝食はきょうはそれぞれに配膳されましたが、あまり食べたくない。やはり寝不足です。

 フロントに行き「部屋がうるさいので換えてほしい」と伝えると、すぐに「1830号に換わりなさい」とのこと、あまりにも簡単に引越しができて?ちょっと拍子抜け。フロント嬢からもっといろいろ言われるかもと予測していたのであります。

 今度の部屋は、反対側になります。たしかに静かです。住宅街が見え遠くにモスクワの中心部の尖塔がみえます。では、ここでもう一度眠りましょう。


2005年10月09日

【 48号 】 モスクワに戻ると…

~~~~~ 8月 6日 晴天のモスクワの夕方 ~~~~~

 モスクワシェレメチボ国内線空港の出迎え口は狭く、ひとめで迎えにきているかどうか、到着したかどうかなどわかります。シューラはきっちりしている人で、この飛行機の時間を私の目の前でメモして持っていましたから、間違いないでしょう。なにかあったのかしら?大渋滞にでもはまったのかしら?大きなトランクを持っているので、動き回ることはやめてじっと待っていることにしましょう。

 30分くらい待ったでしょうか。白いシャツを着て、妙に赤い顔のシューラがやってきました。「仕事が終わらなかった……」と。「さあ、車に乗って」。

 車に近づくとだれかが車の中にいます。若い青年のよう?「リョーシャだよ」とシューラ。

 アレクセイ(愛称リョーシャ)はシューラの長男です。とってもきれいな顔をした優しい彼です。会うたびに大きく成長しているのですが、きょうはいっそう青年になっていて驚きました。「こんにちは」と日本語であいさつをしてくれたリョーシャです。声もすっかり大人の声です。

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 「ペテルブルクはどうだった?レナは元気だったかい?」俳優シューラたちはペテルブルク公演のときレナに観光案内をしてもらい、レナもモスクワからやってきたユーゴザーパド劇場公演を楽しんだことがあるのです。
 「映画撮影の仕事が遅くなってしまった。リョーシャも映画に出演しているんだよ。きょうは、暑い外での撮影で何度も同じことの繰り返しだった……。さあ、サリュートホテルへ走るよ」。だから赤い顔をしているのですね。
 
 ホテルはついこの間出発したホテルですから、もう私は要領
はわかっています。今度の部屋は1805号、表側の大通りに面している部屋、ちょっと車の音がうるさいかな?

 ホテル下の喫茶で、3人で再会を喜びました。と、いうかシューラもリョーシャも撮影現場から駆けつけてくれたようで、お腹をすかせているようです。私も少々疲れたのでビールを飲んでくつろぎたい。

 「きょうの映画の撮影は短い時間の予定だったのに、何度も繰り返すからちょっと疲れたよ」。
 「なんていう映画ですか?」
 「『Просто повезло』という難しい映画なんだ」(簡単に運んだ)っていう日本語意味でしょうか?
 「日本で観ることができるかしら?」
 「ははあ~、それはどうかな??」
 「どんな衣装なのですか?」(私は役者の衣装が気にかかる)
 シューラもリョーシャも笑うのです。「さあて?」

 リョーシャが「日本語教えてください」と言う。
 「女の子は『ちゃん』でしょ?男の子は『君(くん)』でしょ?僕はまだ『君』ですか?」、おお、大人になりかけの青年らしい質問ですね。ここで『君(くん)』ですよと応えると彼のプライドが崩れそうです。と、いうよりももう立派な青年ですから、はっきりと応えましょう。
 「リョーシャは『さん』です。リョーシャさん」。
 とってもステキなホッとした笑顔を見せてくれました。

 「明日はマラトの家に行こう、マラトが待っているよ」。
 マラトとはシューラの親友で、私がモスクワに行く時いつも運転手をしてくれる優しい人です。6月に14年ぶりに長男が誕生したので、会いにいかねばなりません。
 「今夜はゆっくり眠りなさい。明日も午前中は寝ていなさい。13時に迎えに来るよ」。
 私は、ビールの所為もあるのでしょうが、すごく眠くてそれはシューラにもわかったのでした。


2005年10月08日

【 47号 】 3日間のペテルブルクだった。

 ~~~8月6日 晴天のサンクトペテルブルク ~~~~

 朝ダラダラとしながら部屋のテレビをつけるとTOPニュースは「日本の広島はきょう60回目の原爆祈念日です。広島では朝からたくさんの人が集まり慰霊式を行いました」と伝えています。そうです。全世界できょうはこのニュースを大きく伝えなければなりません。日本では毎年このニュースが小さい扱いとなっていくことに、こころを痛めている私は、昨年の8月6日は広島に、あの祈念式典場にいました。
 日本の方が5時間早く時間が進んでいますから、いま日本では午後2時くらいか。録画画面の広島も暑いようだ。きっと燃えるように暑い日本だろう。きょう、ここペテルは晴天の爽やかな日です。

 ゆっくりと贅沢な朝食を済ませ、そう言えば、前2日間早朝から奮闘していたので朝食も久しぶりです。その後ひとりで街を少しぶらぶら歩き、本屋に寄ってロシア語絵本を買う。出会った両替所に寄ろうとしたら、すぐ近くにちょっと怪しげ(に見えてしまう)お兄ちゃんたちが、たむろしているのが目に入り、ここではやめときました。

 ホテルの部屋に戻り、大爆発状態のトランクを整理するがあきらかに重い。飛行機に乗せるときに航空会社ともめるのは一番いやなので、「そうだ、レナに頼んで郵便で送ってもらおう」と決めて、風呂敷に厚手の服類などを包んだ。

 約束の午前11時にまずレナが元気にやってくる。昨夜家に戻ってから「少し本を読んだ」とか言っているし、私のためにおみやげを用意してきたとも。まあ元気なレナさん。
 オレクもやってきた。きょうも元気な笑顔です。彼は昨日も言っていたが、「いま家をリフォーム中で、(私を)家によぶことができずに申し訳ない。今度来た時はぜひ家にきて欲しい」と今日も朝から言っている。「家族も君に会いたいと行っている。今度はきっと会って欲しい」とも。うれしいですね。必ずお会いしましょう。

 さて、例の風呂敷を頼むとオレクは「すぐに送るよ。でもきょうは土曜日だからその荷物は職場(博物館)で預かっておくよ」と彼はその後風呂敷包みを面白がって持ってくれた。

 トランクをホテルに預け、ネフスキー通りを歩いて彼らの働く民族学博物館へ行きましょう。途中おみやげを買ったり、写真を写したりします。きょう、私は、ペテルブルクを16時55分の飛行機でモスクワに向かう。時間に余裕はないのだけれども……。

 晴天の気持ちが良い日です。きょうもタンポポの綿毛を大きくしたものが飛んでいます。そう言えば昨日ノブゴロドではまったく飛んでいなかったのは、曇天だったからだろうか。

 サンクトペテルブルク市の中心部にある彼らの博物館(ロシア民族学博物館)をゆっくり観る時間はありません。2002年冬に一度レナに会いに来た時に観たことがありますが、「今度来た時にはたっぷり時間をとり観るのだよ」と言うふたりです。たっぷりゆっくりと観たいものです。

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 隣りの「ロシア美術館」に行き、楽しみにしていたレーピンの「ボルガの舟曳き」を観に行く。感動しました。「君は夢があるかい?」とレーピンが問うたようだった。もっとゆっくりと彼と対話したかった。が、それも今度にしましょう。きょう会えることができたことを祝います。

 プーシキン広場でアイスクリームを食べ、3人でややゆっくり歩きながらホテルへ戻りました。オレクもレナもとっても忙しい人たちです。オレクは「僕の街をこうして歩き回るのが大好きだよ。でも、このところ忙しくって…、歩くことができてうれしいよ~」。
 ホテルからタクシーに乗り、空港へ向かう。タクシーが思いのほか早く着き時間の余裕は十分だった。空港のカフェで「昼食にしましょう」と3人でサラダなどやビールやワインでお別れの食事会としました。

 ここで、私たちは涙のお別れです。涙で困りました。丸いテーブルに3人は手を乗せて私のクロスした手をおふたりと固く握り合って、再会を誓いあいました。ああ映画の1シーンのような熱い別れです。

 モスクワへ飛ぶ飛行機はほとんど空気を運んでいました。ビジネスマン風男たちが少人数、私のすぐ前には、アツアツの男女と、ふたりの子どもを連れたご夫婦がいます。客室乗務員はビジネスマン達と顔なじみのようですし、この客数でお暇にしていました。

 少し軽く眠ったら、もうあっと言う間にモスクワです。モスクワシェレメチボⅠ空港に戻って来ました。午後6時半ですが、陽は高く暑くでも爽やかな風が吹いています。シューラが迎えにきているはずですが……、彼はいません。


【 46号 】 霧が生まれる瞬間

   ~~~~~8月5日 夕方~夜、 ノブゴロド~ペテルブルクへ ~~~

 サンクトペテルブルクへ戻るバスは午後8時過ぎに出発です。雨はすっかりあがり、西の空が明るくなっています。午後8時のノブゴロドです。

 バスに乗り、適当な席に座ったらオレクは「だめだよ。こちらだよ」。私は知りました。バスは座席指定だったのです。だから朝もみなおとなしく座ったのですね。真ん中あたりの窓側の席が私、その隣りにオレク、レナは通路をはさんでひとり置いて向こう側に座っています。

 バスは定刻に動き出しました。西の空が明るく真珠色に輝いています。しばらくバスの中で、ほっとして黙りこくっていました。流れる景色は、道の両側にいくつも続く林と農家と畑ばかり。

 途中、来た時に止ったトイレストップでまた止りました。今度は私たちだけですから、トイレを済ませて、しばらく余裕があって、周りを眺めました。花が咲いています。いま沈む前の太陽が一層輝いています。きょうは曇り、雨、雲、また大雨そして最後に見事な夕日を見せてくれるようです。気温もさがりませんでした。バスの中では半そでシャツでも大丈夫です。ノブゴロドで買ったシャツはきょうは着ることはないでしょう。

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 バスは一路ペテルへ向けて走ります。来た時と同じ道なのに、まったく違う景色に見えるのは夕日のせいでしょうか。

 少し目を閉じていたら、オレクが窓の外をみるように言います。

 霧が生まれています。バスや多くの車が走る道路のすぐ脇の林から、畑から、いままさに霧が生まれてきました。その美しいこと。バス中の客たちが興奮しています。走り行く道の両脇からどんどん生まれているのです。


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 私は「霧の中のハリネズミ」を思い出しています。友だちに会いにいくために、ハリネズミが霧の中でちょっと恐いものに遭遇しても、勇気を出して友だちのことだけを思って、会いに行く……。いま、大事な友だちに会いにきています。ロシアへ。会いたいとだけ思う愛しい友だちにいま会いに来ています。そして、こんなすばらしい時間を共有しています。

 バスが進むと同じく陽は暮れていきます。車の数が多くなるころバスは、サンクトペテブルクに近づき、地下鉄の駅に止りました。帰りは最終バスセンターですが、主な駅で止るようです。オレクは「僕はここで降りるからね。明日は午前11時ホテルに行くよ。明日また会おう」と降りていきました。

 レナと私は、繁華街に近い(だろう)場所で 降りると車はライトをつけて空は暗く、時計を見れば午後11時過ぎです。さすがにレナも私も疲れましたが、レナは私をホテルまで送ってくれます。
 路面電車に乗りました。「少しだけですが乗りましょう」と。電車の中で、青年たちがどかどか乗り込んできました。大きな図体で後ろから前に移動しています。と、そのうちのひとりが私に「○×*▽は、どこで降りるの?」って聞きます。レナに聞くのではなくてね。「はあ??」としているとすかさずレナさんが応えました。そしてレナは「あなたはもうここの人ですよ」って笑います。

 ホテルで、レナに別れのあいさつです。なんともステキな日をありがとう。レナはメトロに乗ってまだ30分以上かかって家に戻るのです。もう日もすっかり暮れた夏の夜のサンクトペテルブルクでした。


【 45号 】 小さく美しく。

    
   ~~~まだ 8月5日 夕方 ノブゴロドにて ~~~~

 まずは写真をみていただきましょう。

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   オレク博士と教会です。教会の小ささがわかっていただけますかしら。


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   教会のうら側にまわり、細長い窓はなお美しい、そして小さな緑色の銅製のドア。


           
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    緑色のドアは、もう、たまらなくすばらしい美しさです。造るのに失敗しちゃったようにも見えるけどれ、実はこうして造りたかったのかもしれない、と思わせる美しさです。


 残念ながら中には入れませんでしたが、次にはぜひ中に入りたいと思います。緑の草たちに囲まれた教会のまわりを歩きました。草は雨の水をたっぷりと含み、それはまた、生命のちからを感じました。
 オレクさん、レナさん。あなたたちに心から感謝します。あなたたちは最高です。

 小さな教会に「再会」を誓い、駅へと歩き始めると雨が落ちてきました。と、雨が突然のどしゃぶりです。うわ~~と3人は、軒下に逃げて、オレクは目の前に止った車の運転手に「駅へ乗せて行ってほしい」と声をかけたら、青年運転手は「おい、早く乗りなよ」。 
 なんということでしょう。雨は、私たちの歩くのを見ていたのでしょうか。楽しみにしていた教会に会えて満足しての帰り道に降ってくれるのですから、そうとしか思えません。
 出会った青年運転手は、好青年です。「またおいでよ」と私たちを笑顔で送ってくれました。その笑顔の可愛いこと。

 駅に着き、「まだ早いからお茶でも飲もうか」。と待合室奥にある喫茶店に入りました。本物のケーキを食べながら、私はオレクとレナに、感謝の言葉を伝えました。レナは、「あなたが来てくれたから私たちは休日を取り、ここにも来ることができ、私たちも楽しみましたよ、すべてあなたのおかげです」とこれまた熱いお言葉をいただき、うれしい限りです。

 オレクは「今度はいつ来るのか?」と問います。「あのね、それはだれもわからないことよ」。と、私は言いながら、またここに来ようとは、決めました。


【 44号 】 再びクレムリンに戻り、そして

 ~~~~~~~~8月5日 夕方 ノブゴロドにて ~~~~~~

 午後5時には「木造建築野外博物館」も閉館のようです。あちこちで、きょう一日の後片付けがはじまりました。私たちは、片付けるじゃまをするようにおみやげ屋を覗きながら、商売とは毎朝商品を並べて、毎夕こうして片付けることが大事な仕事なのだ、と手際のよい片付けに、妙に感心してしまった私です。若い男性(!)のいるお店で絵はがきを買い、声をかけてくれた中年男性のお店は冷やかしだけにしました。
 このあたりは、ロシアのおみやげで有名な大小たくさんの白樺細工ものがありますが、どうも、きょうの私は「買い物」エネルギーが湧き出てきませんので、静かです。

 路線バスに乗り、またクレムリンへ向かっているようです。途中、小さなりんごをバケツいっぱいに入れた若い夫婦が乗り込んできました。バスの中がりんごの匂いになります。オレクは彼らに声をかけています。
 オレクは、万博でも日本の各地へ出かけたときも、だれにもでにこやかに声をかける人です。少年のように興味津々で、なにも怖れずに、笑顔で声をかけています。彼に声をかけられたみんなもいつも笑顔で応えています。。
 ここでもりんごを抱えた夫婦は、笑いながらなにやらオレクに言っています。バスはやや乱暴な運転なのでりんごがこぼれるのではないかと、バケツの中が気になる私です。

 空はいまにも雨が降りそうですが、なんとか降らずに私たちの短い旅を応援してくれているようです。バスを降りてクレムリンの中をまた歩き、私はどこへ行くのだろうかと思うような思わないような、彼らに着いていくだけです。
 「ショートケーキ教会」と私が勝手によぶ教会のことは、彼らにうまく伝えられないので、言っていません。ここノブゴロドで、私が見たい教会があるとは、彼らは知りません。

 クレムリンを過ぎて橋を渡り振り向いて、美しい景色にやすらぎ、緑の並木道はりんごがまだ青い実をたくさん成らしています。静かな住宅街を3人は歩きます。とても静かな街並みです、あちこちに教会があります。

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 緩やかな坂を下りて目の前に現れた景色。こういうことってあるのですね。会いたかったショートケーキ教会が目の前にあります。スバラシイ。

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   恥ずかしげに1本の木に隠れて私たちの目の前に現れたこの教会は、スパサ プリオララジェニヤ(キリスト変容祭)聖堂です。1374年からここでなにもかもを見てきた教会です。
 ねえ、すばらしいでしょ?
                 


2005年10月06日

【 43号 】 木造建築博物館を歩く

  ~~~~~8月5日午後  ノブゴロド 晴れ・曇り・雨 ~~~~

 3人はちょっとお酒が入っておりますのでご機嫌です。タクシーでどれくらい走ったのでしょうか。下りたところは、静かな公園の入り口のようです。
 私は、彼らの後についていくだけですが、やってきたのは、ロシアの古い木造建築を集めた野外博物館です。私は、愛知県犬山市にある、「明治村」か「リトルワールド」にいるような錯覚気分です。
 でも、それらと違うのは圧倒的な静かさ。美しさ。

 並ぶ木造建物群。豪農・納屋・大小の教会・農家など、中に入ることができるところは、中も当時のままのように飾られている。そして監視役兼説明係の女性も民族衣装でいます。中に入れない建物は、入り口に説明が書かれています。

 ロシアの昔のいなかにタイムスリップしてしまいました。

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【 42号 】 食べて飲んで話して

   ~~~~8月5日 雨のノブゴロドにて、昼食風景~~~

 ノブゴロド市の中心部クレムリンの城壁のなかの洞窟の部屋がレストランとなっています。入った瞬間は「暗いなあ」と思ったのですが、だんだん目がなれてくると優しい自然光とテーブルのろうそくとすこしだけの電球の明るさが、とても美しい。

 「ここはロシア料理のレストランだよ」。「まず飲み物はなににしますか?」

 オレクはウオッカ、レナはバリザム(薬草酒。けっこうアルコール強し)、私はグルジアワインと注文し、私はシイィースープ、オレクたちは魚のスープ、ウハーを。私たちは、「美味しい、美味しい」と喜びながら、飲み、食べています。
 オレクはまたロシア料理についてのお話しをきかせてくれます。「このレストランの食器はロシアの様式を伝えている。ロシアでは、暖かい料理を入れた食器は必ず小皿に載せてテーブルに出すことです。テーブルに直に暖かい食器を置かないことです」。
 レナが注文した「きゅうりの蜂蜜かけ」が美味しくって興奮してしまいました。なんでもないきゅうりにトローリ甘い蜂蜜がかかっているだけのシンプルさですが、きゅうりも蜂蜜も美味しい。

 私は日本の箸についての話しをしました。特に、家族のそれぞれが箸を持っていることにレナは興味をしめしました。
 「パパにはパパの箸があって、それを違う人が使うのはいけない」。
 「箸にも神様がいるから大事にしなくちゃあ。マナーもいろいろ厳しいものがある」。
 などと言うと、オレクは「日本にいて、僕は箸の持ち方がみないっしょでとても美しいことを知っている。箸の持ち方だけの写真を何枚も写してきたよ」と、しばらく箸の話題で盛上がりました。

 そんな話しが進むとおなじく、それぞれお酒も食事も進み大満足です。でも、もう次の見学に行かねばなりません。レストランを出ると雨はやんでいました。
 クレムリンの前に止っていたタクシーに乗り、さて私はどこへ連れて行かれるのでしょうか。


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(食べて飲んで話してに、とっても夢中で写真のことをすっかり忘れてしまいました。レストランを出たところにいた、猫でがまんしてください)


2005年10月05日

【 41号 】 ソフィア聖堂で学ぶ

   ~~~~~8月5日 ノブゴロドにて 雨もよう ~~~~

 雨はちょっと遠のいているようで、その間に「上から街と教会を見ようよ」とオレクに手を引っ張られるように鐘撞堂の上にあがる。さきほどの花嫁達が写真を写していた建物が鐘撞堂です。下ではまた違うカップルたちが写真を写している。
 急な階段を上がったところに小さな売店があり、そこが入場券販売所のよう。オレクもレナも、赤い手帳を見せると受付の美人!!の女性はにっこりと笑って、私たちはもっと上がっていった。
 小さな場所と風の強さに驚き、でも、不思議なことに、建物の角をまがり方角を変えると風は穏やかになるのです。いまから行こうとしている、ソフィア聖堂を見る。オレクは「素晴らしいでしょ?」と私に問うのですが、ちょっと私にはわからないのです。
 教会の美しさというか、偉大さというか、歴史というか、価値というか、そういうものがわからず残念ですが、心に響くそのままを素直に受け止めるのですが、まだ、私には離れたところにある教会からの気を受けとめることはできない。

 どこかから甘い香りが風に乗ってやってくる。どこかから鳥の鳴き声が聞こえる。向うに見える河の美しさ。河の向うにも教会群があるし、ずっとむこうにも教会の尖塔が見える。

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 下りてソフィア聖堂に入る。私は帽子を被っているのでそのまま、レナはスカーフを被る。もちろんオレクは脱帽(もともと被っていないけれど)、それが大事なマナーです。静かに、静かに。

 教会の中は、美しいアカペラ聖歌が響き渡り、厳かに婚姻の儀式が行われいます。イコンに囲まれて私たちは、黙ってみています。


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 オレクは私を教会の上階へと連れて行ってくれます。そこは、静かで人もいない教会図書館のある階です。図書館は閉まっていますが、堂内へのドアをあけると、下で行われている結婚式の様子こそ見えないのですが声が響き渡ります。教会の天井画がとっても美しく見ほれます。

 オレク博士はスラブ学の専門家ですから、彼に教えていただきましょう。キリスト教がロシアに伝わってきた歴史を、彼は情熱的に語ってくれました。と、言っても聞く私のロシア語ちからがないので、とって残念なのですが、そこは偉大なるオレク博士です。私の持っているノートに書き込んだり、ロシア語辞典を引いたりし、優しい言葉を選んで話してくれます。

 ギリシアで生まれた正教がトルコ→イスタンブール→キエフに伝わり、988年ウラジミール公が国教としてキリスト教文化がますます広まっていった。ノブゴロドは、それ以前の862年に生まれた町で、バリャーク(スカンジナビアから東欧へ移動していた人たち=このあたりがオレク博士の専門研究分野らしい)たちの交易路の重要な町となって、キエフからのキリスト文化も早く盛大に根付いていった町だそうです。ちなみにモスクワは1271年にできた“新しい街”だそうです。
 ウクライナのキエフに1037年に出来たソフィア聖堂の後に続くように、1050年に建てられたノブゴロドのソフィア聖堂はビザンチン様式の教会です。当時のまま建物は残っているものの、ソ連という時代に教会は物置とか武器庫とか荒れ果てたままの時代があった証拠がいまも残っている。このソフィア聖堂の中には、まだ書かれて新しい絵もあれば、これから修復にかかるのだろうものもあった。

 オレク博士の講義はとっても魅力的で、私はずっと聞いていたいし、もっと教えて欲しい。が、その前にロシア語ちからがなければならない。口惜しい。熱く語るオレク博士は、またどうしてこんなに分かりやすく話してくれるのでしょうか。万博ロシア館で館内展示物の説明も、やさしく丁寧に説明をしてくれました。やはり人気の博士です。

 もっと教会内部を見たかったが、きょうは結婚式の多い日のようで、大勢の人で教会は混雑しています。私たちは、外へ出ました。雨がちょっと降ってきました。

 オレクは「たしかレストランがここにあるから、行こう。あれ?どこだったかな?ちょっと聞いてくるよ」と雨の中をどこかへ走っていった。レナは、「オレクは少年のように走るのよ」と笑っている。

 オレクが戻ってきて、雨が小ぶりになった瞬間、私たちはこのクレムリンの中の石のレストランへ入った。暗い不思議のレストランは、混んでいたけれど、まるで私たちが来るのを待っていてくれたように、ステキな席が空いていたのです。


2005年10月01日

【 40号 】 古い町の 花嫁と花婿と

 ~~~8月5日 ノブゴロド市にて 雨模様 ~~~~

 ちょうど3時間、予定とおり10時30分にバスはノブゴロドバスターミナルに到着しました。すぐにオレクはどこかへ走っていきました。私が知らなかっただけですが、帰りの切符を買いに走ったのです。レナは私に言います。「彼は少年のようでしょ。もう長い付き合いよ。とっても良い仲間です。おしゃべりで若い女性たちに人気者よ。いま、日本へ行っているジィーマも人気者よ。ジィーマは日本で元気にやっているかしら?」。
 レナが3月に電話をかけてきてくれたときも、「オレクも行くけれど、ジィーマも行くからね。ジィーマはいい人よ」と話していたのが印象に残っているが、ここでもまたジィーマ、ジィーマと言っているレナさんです。たしかレナの次男の名もジィーマさんです。

 「帰りは午後8時10分発だよ。さあ、クレムリンへ歩こう」。雨模様だけれど、小雨が降ったりやんだりで、いまのところ傘がいるほどではない。
 バスセンターから鉄道の駅前広場を通り住宅街へ。すぐにレナが「この店に寄りたい」と言う。そこは手編みの女性服を扱うお店です。小さいけれどセンスの良い手編み服と夏用のブラウスやTシャツも売っている。レナは手編み製品に興味があるようです。私は、ここで1枚の七部袖Tシャツを買いました。505ルーブル(2,000円ちょっと)のそれは、ロシア製ではないことは記憶している。財布に500ルーブル札はあったが、小銭の5ルーブルはオレクが支払ってくれました。ありがとう。

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 それほど寒くは感じないが、いままでのロシアの旅で経験しているが、急に気温が下がることもある。寒い思いはしたくない。寒くなったら、さっき買ったTシャツを着れば良い。

 茶色の壁に囲まれたクレムリンのそばまで来たら、オレクは「名古屋城に似ているでしょ。僕は名古屋城と同じと思うよ」とレナにちょっと自慢ぽく言っている。レナだって日本へ行きたくってたまらないのに、オレクとレナはとっても仲良しの同僚とわかります。かなり言いたいことを言い合っている雰囲気です。

 クレムリンの中は、広く静かで観光客も多くいます。木々の緑が美しく、穏やかな気が流れているノブゴロドで一番古い場所とオレクは言います。途中、「ロシア1000年記念碑」(この日本語呼び方は後日見た『地球の歩き方』誌から借用)をオレク博士から教えていただく。
 「ロシアの歴史です。歴史は時計回りに動くから時計回りで見なさい」。地球を模したのか円を中心にロシアの英雄達が並んでいる。ロシア史を知っているとものすごく面白いものだろう。誰が誰かなのか、無知な私は知らないが、その銅像に著わされた人物表現がとても素晴らしいものです。レナは、だれもが「生きていたときそのままよ」と言うので、「どうしてわかるのか?」と問えば、「歴史のなかに残っている彼らの仕事ぶりを調べてここにあるのよ」。支配者、軍人、宗教者、文学者、医者らと分かる人々。
 そして、私は日本で、もし、こんなのを造るとしたら誰に登場していただきますか?と、考えた。

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 ソフィア聖堂へと向かう途中結婚式の後の記念撮影中グループに出会い、そのひとりから「シャッターを押してください」と頼まれる。

 可愛いお嫁さん、ドレスも可愛い。お婿さん、若い。すぐにわかる彼らのパパとママたち、とてもうれしそう。そして、ちょっとおしゃれはしているが、それぞれ自由な服装の若い親戚や仲間たち。何枚も写真を写す。
 私が日本人でこの写真を日本で見せることを伝えたら、突然仲間のなかから日本語が聞こえてきて驚いた。「こんにちは。ありがとうございます。日本へ僕も行きたいです」。
 「まあ、日本語お上手ですね。どうして?」
 「ぼく、空手やりますから」。おおお、そうですか。
 オレクが「僕、日本へ行っていたよ。EXPOだよ」などと話すとその若者は驚いてオレクと握手をしている。
 
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 花嫁のパパが私に握手を求めてきた。とてもうれしそうです。日本語で「おめでとうございます」と言えば、パパはさらにうれしそうにしています。
 そんなまわりの様子など関係なく、花嫁と花婿は抱き合ってキッスをしまくっておりました。


【 39号 】 ノブゴロドは京都のような町らしい

 ※ サンクトペテルブルク早朝発の古都ノブゴロド行きバスに乗ったままでした。ごめんなさい。さあ、出発します ※

 ~~~~ 8月5日 曇り→雨→晴れ ペテルーー→ノブゴロドへ ~~~~


 バスの旅3時間、最初聞いた時はちょっとひるんでしまった。なかなか辛そうではないかと。
 が、最初に言ってしまうが、予想に反して快適でした。

 定刻に発車したバス、私は窓側に、隣りにはオレクさん、通路をはさんでむこうにレナが座ります。一目で観光客という人もいますが、地元の人たちも乗っています。

 決して悪い道ではないのですが、決してステキな乗り心地とはいえない揺れです。車内は冷房も入っています、寒いってほどではないけれど半そでシャツではちょっと寒いような。でも、隣りの半そでシャツのオレクは元気いっぱいです。

 彼は日本で万博で、出会ったときからいつもニコニコとしているステキな人です。いつも何でも答えてくれる知性のかたまりでフットワークも軽く、おしゃれでお髭の手入れも行き届いている人です。バスの中で彼は私に、いろいろなことを教えてくれます。日本語はできません。英語も機嫌の良いときは話していますが、得意はロシア語。ほかにウクライナ語やポーランド語やリトアニア語のよう、彼の専門はスラブ民族学ですから。

 まずはいまから行くノブゴロドについて教えてくれます。古代ロシア都市の内域(=ДЕТИНЕЦ)の町、ラドガ湖に面し、クレムリンと古い教会がある静かな町とのことです。「日本の京都だよ」。古くキリスト教が伝わった町でもあるそうです。どんな町なのでしょう。私はショートケーキ教会に会えることだけを考えていましたが、彼らは私をあちこちに連れて行きたいようです。私、幸せものですね。

 ペテルを出てすぐですが、日本のトヨタの工場が出来る町= ШУШАРЫ を通ります。「ここでトヨタが車を造る。トヨタの車ばかりが走るかな」とオレク。彼は日本でたしかトヨタ工場の見学に行っていると思うが、あまり車の話は聞いていない。私も興味がないから聞かなかったけれど。車窓からみた、工場が出来る町は、まだ広い広い平野でトヨタがやってくると風景は一変するのだろう。

 私たちはバスの後ろの方の席なので、前の人たちの頭が多く見えます。あらためていろいろな髪の色があるのだなあと、私は関心しています。すぐ前に座っている女性は、茶色+金色が光っている髪色、そうシューラもこの髪色だ。オレクに聞いてみる。「この色はなんと言う色ですか?」彼の答えは、もちろんロシア語ちからのない私へ、簡単に「ロシア人の髪色だよ。Русый とロシア語では言う」。
 その隣りの女性の髪色は、「Рыжий イギリス人の髪色だよ」。(ところがいまその色がどんな色なのか私の記憶にない……。) 
 生まれた赤ちゃんが、男の子か女の子か髪色と目の色がどんなか、が一番に伝えられ、私たちのように男の子か女の子かだけの簡単なことではすまない、ここはそんなところなのです。

 バスの外はいよいよ雨が降ってきて気温も下がってきました。長袖薄手上着を着てはいるけれど、これはちょっと寒くなるかな?イヤだなあ。

 途中、トイレ休憩に寄る。有料トイレは女性用が1個しかなく、ちょうどいっしょに到着した中国語(と思うが)圏の女性たちといっしょになって混雑している。レナは私の面倒をとってもみてくれる、子どもをトイレに連れて行くようにして、ドアをあけて、紙のありか流し取っ手のありかも先に教えてくれるのです。なんとも優しいレナでしょう。

 トイレの混雑で、外の景色とか深呼吸をする間もなくバスに乗りました。あと少しでノブゴロドです。
  


2005年09月16日

【 38号 】 ショートケーキ教会のある町へ

   ~~~~~8月 5日 サンクトペテブルクからノブゴロドへ ~~~~

 早くから朝があける北の町のホテルの部屋で、6時ごろ目を覚まし、大急ぎでバスの旅に出かける用意をします。窓の外の空はちょっと曇っており「ちょっと寒いかも?」と着るものに悩みます。が、あれこれ選ぶものもなく時間もないので、トランクに詰め込んできたちょっと厚めのパンツと長袖上着を着て、1階のフロントへ急いだ。

 6時30分きっかり、レナは待っていた。「おはよう、さあ、バス乗り場へ急ぎましょう」

 私は、昨夜から水分をとっていない。水が飲みたい、コーヒーが飲みたい。でも、急ぎます。市電に2駅くらい乗り、レナの後を歩きます。途中小さなお店が開いていて、中へ入ります。レナは「バスの中で飲みましょうね」とジュースでもを買うつもりだったようです。

 私は水・紙パック入りジュース・バナナ5本・ヨーグルトそしてネクタリンは1個だけ買いました。
 とっても水分を欲しがる私の身体ですから、店を出るとすぐにネクタリンにかぶりつき、むしゃむしゃと食っております。お上品なレナはちょっとイヤな顔をしていましたね。そのネクタリンの美味しいこと、瑞々しいこと。身体中に染み渡るネクタリンエキスです。「わあ~美味しい!!」。目も覚めましたね。元気がすぐにいっぱい出てきました。もう1個買ってくるべきだった!!  

 歩きながらネクタリンを食べ終わると、もうバスターミナルです。ここから各地にバスが出発するのですか。いくつか行き先別に看板が出ています。人も多くいます。売店もコーヒースタンドもあります。

 まだ出発までに余裕があります。コーヒースタンドで、コーヒーを飲んでホットしていると、白い半そでシャツのオレクがやってきました。笑顔のステキな人です。

 「半そでで寒くないの?」とレナが心配をしています。たしかに。気温が夏としては低いようですが、まだ早朝だからでしょうか?薄手長袖だけでちょっと心配をしている私です。もう1枚長袖シャツを着てくるべきだったかな?空は雨が降りそうです。

 「ノブゴロドはステキな町だよ。きっときょう良い旅ができるだろう」とオレクもレナもうれしそうです。オレクはノブゴロドの町に長期調査活動をしていたそうですし、ノブゴロド博物館には友人も働いており、彼も久しぶりに行きたかったノブゴロドのようです。レナももちろん、もう何度も行ったこともある町で「とっても静かな美しい町ですから、あなたに見せたいのです」。

 日本からレナに電話をしたとき、彼女は言いました。「ノブゴロド知っている?行きましょうね」と。もちろん知らない私ですが、その地名だけは記憶のなかにありました。
 「芸術新潮」2003年12月号の特集は「ロシア・イコンへの旅」です。発売と同時に買い、大事にしている本です。その表紙を飾り、特集記事でもとりあげられいるノブゴロド市内にある、「美味しそうな教会」と作者がなずけた小さな教会の写真が目に浮かびました。
 出発前とっても忙しかったので、「芸術新潮」を読み返すことができなかったが、表紙だけを見て、ここへ行けるかもと、期待をしたのでした。

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 生クリームで壁面を仕上げてあるようなショートケーキのような美味しそうな教会がある町、ノブゴロドへ、2年前に本の中で出会った町に、いまから出かけます。

 バスが停留所に入り、けっこう多くの人たちが乗り込むの見て驚き、運転手の貫禄のある姿に驚き、はたまたみなが座席の取り合いをしないことに驚いている私です。
 出発時間はしっかり守られて、朝の町をバスは郊外へと走ります。いまから3時間後にはノブゴロドです。


2005年09月14日

【 37号 】長い一日だったこと~


  ~~~~8月4日 夜 サンクトペテルブルク市にて~~~

 舟を降りて、さすがに疲れました。長い長い一日です。やっと太陽が沈みかけようかなというところです。オレクは「明日のバスの出発が朝7時半だからね」。と私を驚かせます。「エッ7時半!」

 それを聞いたからではないけれど、もう、きょうは十分で、明日に備えようと思う。

 レナもちょっとお疲れ気味です。口数も少なくなっています。オレクは相変わらずお元気です。

 ほんと長い一日でしたね~~~。ホテルまで送ってもらい、レナは「明日の朝は6時半にロビーに下りていらっしゃいね。バスは7時半ですからね」。「ハイ」と答える私です。

 お疲れ様でした。ありがとうございます。

 さあ、明日はノブゴロド市へ、バスの旅です。またなにが待っていることでしょう!!


【 36号 】 次回には行きたいところ

  ~~~まだ 8月4日 午後 サンクトペテルブルクにて~~

 舟に乗って遊びとても気持ちが良い最高の休暇です。水の上から見るこの町の美しさもよくわかりました。ちょっと前後しますが、きょう(8月4日)晴天のペテルの町を歩きながら、次回の訪問時は必ずこの建物の中に入りたいと、あらためて思う場所があります。

 ネフスキー大通りの中ほどにあるオストロフスキー広場、そこにはスくっと立つエカテリーナ2世の銅像があります。彼女の寵臣たち9人に囲まれ、サンクトペテルブルク町を見渡しております。

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 サンクトペテルブルクはピョートル大帝が都をつくり、エカテリーナ2世が都の華を咲かせてロマノフ王朝絶頂期をつくり34年間国内も外交も、文化芸術、生活の改善も軍事力増強による国土拡大もと、すすめていった女帝です。
 彼女にふさわしく、町の中ほどで、スクっと立っている姿は、いまも銅像になってもなお強烈に人をひきつけています。

 彼女の後ろにある建物は、アレクサンドリースキー劇場です。旧名は「プーシキンドラマ劇場」です。


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      (この写真では、オレクの後ろにある建物です)

  ここで芝居、ゴーゴリーの「検察官」を観たい。04年静岡市で彼らの来日公演を観ましたが、本場の本拠地のこの劇場でみたいものです。彼らの自慢の「検察官」を、ぜひ。次回にペテルを訪問する機会があれば、ぜひ!と決めている私です。


2005年09月09日

【 35号 】 舟に乗る 

    ~~ まだ 8月4日 サンクトペテルブルク にて ~~

     
 まだ、日が高く気持ちが良い。オレクは「舟に乗って、ペテルの運河めぐりをしよう」と言う。もちろんレナもすすめてれますし、私も賛成。でも、ちょっと寒くないかな?少し気温は下がってきたようで、日陰に入ると風の中にひんやりさを感じます。でも、行こう。

 エルミタージュ美術館からネフスキー通りに出て少し、裏手の静かな道も歩き、船着場へ。オレクは先に走って行き、「舟と交渉をしてくるよ」。

 オレクがうまく交渉したようです。小さい舟は3人の客を乗せて出発です。大型船、中型船など多くの船がある中で、なぜ小さい舟を選んだか。オレクは「大きい船は運河を巡れない。小さい舟でペテルらしい運河をめぐるのが良いのだよ」。

 「飲み物はどうだい?」と笑顔が可愛い船頭さんがすすめてくれます。「ビールを飲むかい?」とオレクが聞いてくれますが、いやいや、なにもいらない。
 船頭さんは「寒いかな、毛布だよ」とレナと私に毛布を貸してくれました。やはり水辺はヒンヤリなので、助かります。

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    (お名前をお聞きすることを忘れてしまいました)


 足元を毛布で包み、風で髪が乱れるのがいやでハンカチで包み込んで、左手側にレナ、右手にオレク、両手にサンクトペテルブルクのことならなんでも知っている案内人がいます。あれはなにこれはなに、と説明をしてくださって、ここでも贅沢なことです。

 あまりにも美しい空です。写真でどれだけお伝えできるでしょうか。

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       (運河からみるマリンスキー劇場)
         

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     (憧れのイサク寺院・なぜ、憧れ?答えは後日掲載します)

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      (オレクが言いました「名古屋城と同じく、シャチが屋根にあるよ」。)

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(エルミタージュ美術館です)
         
 いかがでしたか?青い空の下、私たちはとても楽しい舟の旅をいたしました。サイコーです。 


2005年09月08日

【 34号 】 ムーミンの正体

  ~~~~8月4日 午後 サンクトペテルブルク・エルミタージュ美術館にて~~

 「ムーミンを見に行こう」。ムーミン?あのムーミンかしら?
 オレクとレナについていくしかない。レナがなにか盛んに「大丈夫か?」とか「気分は良いか?」と気遣ってくれる。館内の蒸し暑いのは閉口しているが、まあ元気のつもりだけれど……。

 ある部屋に入ると人だかりの一角がある。それを見ると、なあんだ~~。
 スミマセン私のロシア語ちからがなくって。МУМИЯ のことでした。ムーミヤ=ミイラのことでした。ひとりでクスクスと笑ってしまいました。ムーミンはムーミヤでミイラのことだったのです。ゴメンナサイ。

 茶色の乾燥した人間のミイラです。眠っているような、かなり美しい状態です。写真撮影禁止です。ああ、だからレナは私を気遣ってくれたのですね。こういうのを観るのがイヤは人いますものね。

 でもはじめて見ます。これだけの美しいミイラとその周辺にかかわる展示物は、ちょっとすごいです。ここは、エジプトの部屋です。ミイラもすごいけれど、ミイラを入れていた木棺や石棺の美しさと精巧なつくりは、ちょっと身体が震えました。でも、どうしてエルミタージュ美術館がこのミイラを飾っているのでしょうか?

 冷房設備のない美術館です。蒸し暑くって、とても喉が乾いています。

 地下の小さい売店に行き、アイスクリームやジュースやコーヒーなどをそれぞれ注文して、小休憩。そこで、さきほどのミイラについて、ロシア民族学博物館職員ふたりに聞きました。

 ミイラの作り方をレナは教えてくれます。死体=王家の人々にさわることができるのは、限られたとても重要な人物だけで、彼は脳と腹を上手に死体から取り去る。油をたくさん使い体内を洗う1ヶ月くらいかかるらしい。そして木や布などを体内にいれておく。とりさった内臓も腐敗しないように油などを使い布で巻き別の保存するとか。そこで重要なのが「たまねぎ」?たまねぎをたくさん使うそうです。
 手足胴それぞれを布で巻き、木製棺に入れる。それを石棺にいれ、ピラミッドのなかに……。高貴な方が亡くなると死体をミイラに作る人と木製や石棺を作る人たちが棺をつくりはじめる。など優しい言葉を選んで教えてくれました。

 なぜ、エルミタージュ美術館にあるのでしょうか?オレクはそのあたりの専門家です。
 サンクトペテルブルク市をつくったピョートル大帝が、興味をもった世界のいろんなもののコレクション博物館=「クンストカメラ」にもともとあったものだそうです。その昔、いエジプトのミイラを売る商売人から買ったもののようです。ピョートル大帝さんもミイラに魅せられたようです。

 そして、ミイラつくりの技術はモスクワの赤の広場前にある「レーニンの墓」に眠るレーニンの死体を腐らせない技術に活かされているそうです。

 エルミタージュ美術館を出て、庭で写真を写しました。もう、時間は遅いのですが日がまだ高い。まだまだ遊べます。

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オレクは「さあて、船に乗って運河めぐりをするよ!」。いま何時なのでしょうか?もう私は時間も忘れています。      


2005年09月05日

【 33号 】 エルミタージュのまど

  ~~~~~8月4日 サンクトペテルブルクの午後 ~~~

 再会の喜びの杯を重ねていてはいけません。さあ、エルミタージュ美術館へ行きましょう。
 午後の晴天の町、美術館裏手の運河に面した道を私たちは歩いています。大型のタンポポの綿毛がかわらず飛んでいます。

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 エルミタージュ美術館にはいくつかの入り口があるようです。「関係者用出入口」とでしょうか、1枚のドアをあけて、受付のようなところがある小さいホールに来ました。、しばらく待ているととても可愛いお嬢さんがやってきて、オレクと熱く抱擁をしています。レナにも。そして、私にも。マリアさんはオレクの教え子だそうです。「とっても優秀な彼女に案内してもらいましょうね」。

 エルミタージュ美術館をロシアの文化芸術の叡智たち、大専門家たちといっしょに歩いています。美術に関しても無知なちっぽけなヤポンカの私です。なんだか、もったいなくって申し訳なくてすみません。

 世界の名作が目の前にあります。観る人のマナーを信じこんでいる展示のしかたです。手の届くところに世界の財産の名画が飾られています。
 美術館の窓が開いてレースのカーテンを揺るがして風がはいります。これも信じられないのですが、世界の絵画にふつうに光や風があたっています。
 窓の外のネヴァ河がとても美しいです。反対側エルミタージュの広場や建物ガ美しいです。オレクは、ある窓からの景色がとても好きな景色と言っています。空中庭園ですね、上の階にもかかわらず庭があります。「とても美しい景色だよ、ここから見る景色はとっても好きだ」。
 
 世界中から観覧客がおおぜい来ています。みなといっしょにこの美しい美術館を歩きます。場所によってはとっても混雑しているので迷子になってしまいそうです。そんな時、レナは私をしっかり捕まえていてくれます。でも、はぐれてしまいました。短い時間ですが、レナは私を探し出してホットしていました。私も当然です。ここで迷ったら、出口もわからないし。

 はじめてエルミタージュへ来た時、観客用のホールなどまだまだ雑然としていて、トイレなどはガイドも「ここのトイレはつかわないほうが良いです。お困りの時は別のところをご案内します」って、おっしゃるくらいでした。が。いまはトイレもまあきれいになり、照明もとっても明るくなり、インターネットカフェもあります。
 膨大の所蔵品の維持、管理、研究や修復などを仕事にしている人たちは大勢いるのでしょう。案内のマリアさんも超多忙そうです。仕事の連絡が入ったようです。お別れしました。

 多くの絵画や彫刻、装飾品、歴史的貴重な資料、部屋そのものが貴重な展示品でもあります。膨大のこの美術館の所蔵品の極々一部をみているだけです。

 「ムーミンを見るかい?」とレナもオレクも言います。「ムーミン?あのムーミンですか?」と答えて、内心、あのムーミンがエルミタージュ美術館にどうのように飾られているのでしょうか。それに、「石とか木とか、不思議なものもある」とのことです。興味津々の私です。
 「ムーミンの部屋に行こう」。


2005年09月01日

【 32号 】 ここはサンクトペテルブルク !

 
    ~~~8月4日 サンクトペテルブルクにて~~~
 
 時間はまだ午前中のことです。ホテルにチェックインをして着替えて、私はふたりに手をとられて、ペテルの町へ歩き出しました。

 ふたりは、この町で生きている人たちです。なにもかもを知っている人たちです。いつも私に話し掛けてくれます。私のロシア語能力も全開です。3人は、わいわいと町を歩きます。私たちは、エルミタージュ美術館へ向かって歩いています。

 ネフスキー大通りは、ペテルの繁華街です。行き交う車も、世界から訪れる人もたちも多い。それはモスクワも同じなのだが、どこか微妙に、イヤはっきりとサンクトペテルブルクの町の賑わいです。モスクワとペテルが同じであってはいけません。違ってあたりまえです。

 賑わう大通りを曲がると喧騒はウソのように静かな町となります。オレクは、建物の中庭に連れて行ってくれ、庭の静けさと落ち着きを私に伝えようとしてくれます。どうも、オレクさんの大好きな場面のようです。「ここで座ってビールを飲みながら、のんびりすると気持ちが良いよ」。

 また、大通りを歩きます。と、私はパスポートをホテルから受取ることを忘れたことに気がつきました。パスポート不携帯です。彼らに伝えると「心配いらないよ。オレクがいるから」とレナ。「僕に任せなさい」と、オレク。これは、大安心です。

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 町のところどころで写真を写して歩きます。そうそう、ここペテルでも風に乗って飛んでいます。タンポポの綿毛を大きくしたようなものが、たくさん飛んでいます。ちょっと幻想的な雰囲気です。妖精が私の周りを飛んでいるような、そんな錯覚をしています。


 あまりの気持ちよさに、もう何もかもを忘れている私です。日本が暑いって?万博だって?家族のことも仕事のことも、あれやこれやも、な~~~んにも私の頭にはありません。あるのは目の前の美しい町並みとオレクとレナの優しさと、青く素晴らし夏の空だけです。なんという幸せものでしょうか!涙が流れます。

 が、おなかも空いてきました。暑くって喉も渇いてきました。

 「食事しましょうよ。ビールを飲みましょうよ」の私の提案にふたりはすぐに答えてくれました。ネフスキー大通りに面したレストランに入りました。
 
 オレクは日本にいるときから「ペテルに来たら、ブリヌイのスメタナとイクラ添えをいっぱい食べさせるよ」と言っていました。私が「ブリヌイ大好き」と言ったからですね。
 ブリヌイとは、パンケーキのようなもので、もっと油濃いものですが、これにスメタナ(サワークリーム)をたっぷり載せて赤いイクラでもあれば最高です。

 もちろん、レストランでの注文は、それです。サラダも、冷えたビールも、です。あらためて再会の喜びを乾杯して、私たちはあれこれと近況報告です。

 オレクは日本から戻ってから、リトアニアの近くプスコフ湖方面を歩き回って研究活動をしているとか。「毎日とっても忙しいよ」。ちょうど研究論文のまとめにかかっているようだが、あまりわからない。
 「万博のみんなはどうしているのか?コスチャは?オリガは?アリョーシャは?」と次々と万博で寝食をともにした仲間のことを気使っています。

 「そうそう、モスクワでコスチャのお姉さん、ユーリャに会ったよ、きれいな人だよ」と伝えれば、「僕も会いたいな」。レナは静かにそんな話を聞きながら、「私も日本へ行きたいわ。日本に行くのが夢よ」。いつか日本でレナを歓迎したいと思う。

 日本とペテルはどれくらい距離が離れているのかしら?でもそんなことは関係ありません。私たちは、時間も距離も言葉も飛び越えて、いっしょの時間を仲良くしています。最高のひとときです。


2005年08月31日

【 31号 】 ふたりから大歓迎をうける

 
~~~~ 8月4日 朝 サンクトペテルブルクにて~~~

 ペテルで降り立った空港は、国内線ですからパスポート検査などはありません。すぐに、外へと出ることができます。出口のドアの横にレナがちょっとあちらを向いて立っていました。
 「レナ!レナ!!」と呼ぶと、彼女は満面の笑顔で抱きしめてくれます。頬にチュとしてくれます。
 私たち日本人には出会いや別れで、抱き合うとかKISSをするなどは抵抗がありますが、こちらではあったりまえです。もう、私もまったく平気です。
 
 ペテルの空は素晴らしい青空です。日本で言えば、5月の爽やかな晴天の日と同じでしょうか。気温はちょっと高めですが。

 「オレクも来るわよ。すぐに」と言うレナ。相変わらずに美しい人。
 と、目の前に白い上着の、オレクさんが、いました。

 「うわあ~~」とか言って彼は、私を大歓迎してくれます。
 5月22日夕方に名古屋駅で別れて以来です。だから、そんなにずっと会えなかった私たちではありませんが、ペテルで会うことができたのが、感動です。

 ここペテルの空港は、飛行機が運んでくれた荷物が出てくるのが、こうして出迎えの人たちと会ってからです。「荷物はオレクに任せておきましょう」とでも、レナが言ったのでしょうか。オレクがターンテーブルの前に行き、いまかいまかと荷物の出てくるのを待っています。まるで子どものように、「どんなチマダン(トランク)なの?色はどんなの?」と、彼は聞きます。目はターンテーブルを見ながら。その光景を見たとき、私はなんだか感激してしまいました。

 万博で、名古屋で、出会ったロシア人と、いま、彼の地元で会っている……。日本で会った外国人の母国で、再会するなどの経験をお持ちの方は多いでしょうが、「万博」というところが、醍醐味でございますよ。万博=愛・地球博が名古屋で開催されているから出会った人に、いま会いに来たのですからね。

 「アッ、その黒いのね」と、声をかけるとオレクは素早くとって、「サア、タクシーに」。彼はタクシーの運転手と交渉をして、私たちを後ろの座席に座らせて、とってもうれしそうです。

 タクシーの運転手に言っています。「この人(私のこと)は、日本から名古屋から来たのですよ。僕たちは、名古屋で会ったのですよ」。タクシーの運転手は、「日本は遠いよ」とか「名古屋、知らないね」とか言っているようです。

 町なかへと走る車中で、「明日はノブゴロドに行きたいが、いいだろう?明日はどこか行きたいところはあるのかい?」とレナもオレクも言います。「ノブゴロド行きます」と答えると、ふたりはうれしそうです。だって、もう、ノブゴロドに連れていくよ~ってムードいっぱいで、話してくれるのですもの。

 町の中心部に近くになったら、オレクはタクシーを降りました。「明日のバスの切符を買ってくるからね。ホテルで待っていてね。すぐ行くからね」。

 レナといっしょにホテル オクチャブリスカヤに到着しました。フロントに日本で手続きを終えてある「予約と料金支払済み証明書」を提出すると、ホテルの係員はパソコンで調べたり、なにやら書類を出してきたりして、そして「ここではありません」と言う。

 「エッ!!!」と驚く私にレナは、「もうひとつ『オクチャブリスカヤ』はあるのよ、あちらでしたネ」。

 ここで動くとオレクに会えなくなりますし、私の黒い重いチマダンもあります。「オレクをここで待ちましょう」とレナは言います。ロビーのイスに座り、待ちましょう。

 レナは言います。
 「オレクは日本へ行ったことがとっても良かったと、毎日のように言っているわ。あなたと会ったこともとても喜んでいるのよ。日本の話しを職場でいっぱい聞き、写真もたくさん見せてもらったのよ。いま、行っているジィーマも素晴らしい人だからね。彼ともたくさんお話ししてくださいね」。
 
 レナ、ありがとう、あなたと出会ったから、オレクにもジィーマにも出会えたのです、ありがとう。

 オレクが駈けてきました。「チマダンは僕に任せて、さあ、あっちのオクチャブリスカヤに行こう」。


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  ※※※ 2002年の冬以来のペテルです。明るい夏の空に美しい建物が光っています。どれも由緒正しき建物と、オレクが説明をしてくれましたが、ノートに書かずにいたのですっかり忘れました※※※


2005年08月29日

【 30号 】 ステキな友人たち

   ~~~~~ 8月 4日 サンクトペテルブルクにて~~~


 サンクトペテルブルク(以下ペテルと略します)の旅は、2泊3日と短いものですが、このおふたりがすべて用意してくださり、私のために超多忙な仕事の休みを取り、いっしょに楽しい旅ができ、私はとっても幸せものです。

 
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 ふたりは、民族学博物館の同僚です。レナは文化財修復学芸員、オレクはスラブ民族学博士です。
 そして、おふたりの同僚のジィーマ バラノフさんは、このころから万博閉幕まで、名古屋へ万博へ長期出張中です。彼はロシア民族学博士です。

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 エレーナとはじめて知り合ったのは、2000年の夏のことでした。その後も、モスクワやサンクトペテルブルクで、会いました。俳優のシューラも紹介しました。エレーナは優しく聡明な美人で、とっても大事な友だちです。日本語はできないエレーナが、ロシア語ができない私にいつも、なんでも教えてくれます。私も彼女に日本のことを伝えています。

 ことしの春のはじめ、エレーナは国際電話をかけてきました。

 「名古屋にEXPOロシアパビリオンに、同僚のオレクが行きます。オレクは5月末まで、7月からはジィーマが行きます。ふたりともとっても良い人ですから、お友だちになってやってね。ぜひ、EXPOで会ってね」。
 オレクもジィーマもレナの大事な同僚でお友だちです。と、いうことは、私の大事な友だちふたりが、万博で働いていると言ってもいいでしょう。だから、私は万博へ通っているのです。

 旅の話に戻りましょう。

 ペテルのプールコヴォ空港に、エレーナ(愛称・レナ)もオレクも迎えにきてくれました。再会を大喜びしました。
 そして、2日後の6日夕方、レナとオレクと私は、同じ空港の出発ロビーで再会を誓い涙の別れをしました。
 ドラマがいっぱいです。ありすぎます。8月はじめのサンクトペテルブルクは、夏の真っ盛りです。


2005年08月26日

【 29号 】 いざ ペテルブルクへ

    ~~~ 8月5日 モスクワ→サンクトペテルブルク ~~~

 早朝5時に、モスクワ南西部にあるホテル サリュートの ヤサシーナさんに「5時よ。約束のタクシーが来ています」と起こされ、追い出されて、私は、黒いトランクを引きながら、タクシーに乗りました。

 タクシーの運転手は、若くって、太い右腕のタットゥは、ちょっと下手っぽい動物のようなものが見え隠れしている。シャツの袖があり、その上が見えないので全体はわからない。
 彼は「どこへ行くの?」
 「シェレメチボ Ⅰへ連れて行って」。
 「ハラショー」。と、早朝のすいている道路をビュンビュン走らせて、空港へ私を運び、午前6時ごろに到着しました。
 
 飛行機は、午前8時15分発です。「やはり早く着きすぎてしまった」。

 シューラは「空港には早く着いていたほうが良い」と言い、午前5時に迎えの車を呼んだのですが、私は「早いなあ」と思っていたのですが。さて、待ち時間をどのように過ごしましょうか?狭い空港の中に座って待つ場所はないのです。トランクの上に座ると、私の重みでトランクが割れるかもしれないので、危険です。壁際に寄って、トランクにもたれて、ただ待つだけです。眠いです。

 昨夜、芝居が終わって、シューラは歩いてホテルまで送ってくれました。午後9時です。まだまだ外は明るくって、とっても不思議でした。冬ならば、芝居が終わっとき、いや、始まる時から外は真っ暗なのに…。明るい夜です。私には不思議です。とっても。でも、私は眠くて部屋につくなり、すぐに眠りました。そして、午前4時には起きていたのでした。

 「眠いから早くチェックインが始まらないかな。イスに座りたい」とばかり思っていました。

 待ちに待ってチェックインがはじまり、座席チケットをもらい、ながめながら混雑の中を待合室へ向かっていたら、後ろから先ほどチェックインカウンターにいた女性が、私の肩をたたき、指差しながら、「ゲートはこの階段をあがりなさい。そして○番で待っていなさい」と言ってくれました。とても親切で、優しくって、眠い私の身体が喜びました。シンセツヤさんに出会いましたね。

 トランクを預けたので、もう身軽です。待合室にはイスがあります。「30分間、よし、眠ろう」と決意して、バッグを抱えて眠りました。こういうところで眠るのはあまり好きではないけれど、仕方がないです。とっても眠いから。

 ここで眠ったのがあとをとっても楽にしてくれました。


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 (モスクワ シェレメチボ空港 Ⅰ 空港)

 搭乗した小さな飛行機は、一番前の席で、3列並びの真ん中です。1時間ちょっとの飛行ですから、我慢しましょう。右手の若者は新聞を読んでいます。左手側の女性の右手、つまり私のすぐとなりには、とても大きくてとがったデザインの指輪が光っています。こわいです。その手を動かすとき、どうぞ私には、あたりませんように。

 向こう側にも3列並びがあります。いかにもビジネスマン等ばかりです。空港待合室もそうでしたが、ほとんど男性ばかりでした。

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               (搭乗中です)


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       (到着したサンクトペテルブルクも青空です)


 飛行機は軽々飛んで、明るくまぶしい夏の朝の空を、あっと言う間に、サンクトペテブルクへ着いてしまいました。さあ、これから、サンクトペテルブルクの旅がはじまります。


2005年08月25日

【 28号 】 優しい人たち

 

   ~~~ 8月 3日 夕方 モスクワにて ~~~

 話しが前後します。
 私の旅の計画は、4日早朝からサンクトペテルブルクへ行きます。

 3日夕方、劇場へ行く前に一度、ホテルサリュートに戻りました。用件は「明日の朝のタクシーを予約しておこう」という、シューラの提案があったからです。

 当所シューラは「4日の朝早くも、僕がシェレメチボ 1 空港へ送っていくよ」でしたが、やはり朝が苦手な俳優は「ごめん、タクシーを呼んで行ってほしい」でした。

 ホテルのフロントの女性、ちょっとニワトリのような顔をしたちょっとコワソーナ女性です。「明日の朝のタクシーを予約したいのだが」とシューラ。

 コワソーナ女性、パソコンから目を離さずに言う。
 「あそこに電話があるから自分で予約して」。

 シューラ
 「明日の朝早いから、予約をしておきたいのですよ。それに、僕が乗るのではなく、この日本女性が乗るのですから」

 コワソーナ
 「電話を自分でかけるか、部屋担当女性に言ってください」。

 シューラ
 優しい口調で、「だいたい料金はどのくらいかかるのでしょうか?教えてください」(作戦を変えたのか?)
 「 (私には何を言ったのかわからなかったがなにかしらを彼女に言った)……」。

 コワソーナ
 やっと、こちらの顔を見て、
 「電話で聞いてみるわ」
 と、どこかへ電話している。

 コワソーナ
 「850ルーブルって言っているわ」
 
 シューラ
 「予約を頼みます。」

 コワソーナ
 ちらりと私を見て
 「じゃあ頼んであげるわ」
 また、どこかへ電話している。

 シューラは、にこにことその様子を見ている。

 コワソーナ
 「明日朝、5時に来てくれるわ。私が、明日の朝もここにいるから、あなた(私を見て)、この私のところへ来なさい。5時よ」。
 と、にこりとする。

 シューラ
 「ありがとう、とても感謝するよ」

 コワソーナ
 「いいえ、明日どこへ行くの?サンクトペテルブルク……、そう…」。

 コワソーナから、ヤサシーナに変身した彼女でした。


 そして、8月4日早朝5時前、4時半頃だったかしら、部屋に電話がありました。ヤサシーナからです。「起きていますか?5時にタクシーが来ます」

 そして、5時、ちょうど部屋を出ようとしたときに、また電話がありましたが、わかっているので、そのまま階下へ降りました。と、1階のエレベーター前で、ヤサシーナが待っていてくれました。
 「ほら、タクシーはあれよ。じゃあ、さようなら」。

 タクシーの運転手は、早朝にも関わらず、元気な若者です。トランクを運んでくれて、「どこへ行くの?」

 あれ?ヤサシーナは運転手にどこへ行くって言っていないのかな?

 「シェレメチボ 1 の方ね」。「はい、わかりました」。

 車は早朝ですから、びゅんびゅん走ります。1時間もかからずに空港へ着きました。運転手は「またモスクワへ来ますか?僕を呼んでください。僕の電話番号です」と名刺をくれました。「ありがとう」。

 850ルーブルを払おうと財布をみたらナント1000ルーブルしかありません。彼は、「おつりを渡します。ちょっと待ってね」とポケットやかばんを探したら、50ルーブルが出てきましたが、あと100ルーブルがありません。とっても感じの良い青年運転手ですから、お駄賃に100ルーブルをお渡しいたしました。
 


2005年08月24日

【 27号 】 夏の夜に観る芝居 2

  

  ~~~8月3日夕方 モスクワにて~~~

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 ロシア語の芝居です。本当は理解はできません。でも、楽しいのです。とっても。

 出演俳優は、ユーゴザーパド劇場の超ベテラン俳優ばかりです。7人の出演者すべてが、国家功労俳優陣です。ユーゴザパド劇場の29年間の歴史をつくって来た人ばかりです。
 主演のナウモフ氏、彼の飄々として、でもすっごく計算されつくされている演技は安心感があります。女優ガリーキナさん、小柄な身体からのパワーはすごい。同じく女優パドコパエーバさんは、グルジア国の功労俳優です。舞台に高い品格が表現されます。
 人気俳優グリシェチキン氏は、テレビも映画も他の劇団にも出演の多忙な俳優です。舞台に出てくるだけで、拍手が沸き起こる人気者です。私は彼の胸毛が苦手ですが。
 俳優デミドフ氏は、新しくこの劇団にやってきた俳優のようで、今回はじめてお会いしました。
 ワーニンさんは、どんな役でもこなせる役者です。多くの芝居に出演です。ご夫婦で俳優業です。
 ボリソフさん、ごく普通のロシアのおっさん風ですが、舞台に立つと華が咲きますね。

 こんな芸達者な面々が、稽古を積み重ねきょうを迎えたのです。はっきりとしたせりふ、美しい所作、ミリ単位まで計算されていると思う動き、秒単位まで身体に染み付いていると思うリズム。

 2時間ちょっとの1幕の芝居は、まだ荒いところも目立ちますが、この小さい劇場では、もったいない、もっと大劇場で、もっと多くの観客の心を一気につかむだろうエネルギーがあふれていました。

 シーズンにこの芝居を観たいと思う。次は俳優陣がどのようにもっと細やかに変化をしているかを見てみたい。

 ↑ 写真は終演後の舞台です。俳優も演出家ベリャーコビッチ氏も拍手喝采を浴び、花束がいっぱい届いていました。俳優ってステキな仕事ですね。俳優たちが大好きです。
 


【 26号 】 夏の夜に観る芝居  1

   
  ~~~ 8月3日 夕方 モスクワにて~~~

 「芝居は午後7時からだからね」とシューラは、車をやや急がせています。交通渋滞にはまってしまったらそれこそ、開演に間に合いません。どこをどのように走っているのかが、だいたいわかってきました。クレムリンが見え、ゴーリキー公園が見え、ガガーリンさんが空を目指している通りを走り……。私たちは、モスクワ南部にある小劇場 ユーゴザーパド劇場へと走っています。

 モスクワにはいくつ演劇専門劇場があるのでしょうか?いまこうして車で走っていても、いくつも「劇場」の看板を見ます。ほとんどの劇場が夏休み中です。
 ロシアの演劇シーズンは、だいたい9月半ばから翌年6月半ばくらいまで。一番俳優がノッテいるのは真冬です。氷点下の雪吹雪の夜にも、観客はワクワクしながら劇場へ足を運び、こころからお芝居を楽しみます。外の寒さも雪の汚れも、まったく感じない別世界の劇場で、人生を楽しみます。

 いまは、夏の盛りです。きょう、ユーゴザーパド劇場では新作発表です。昨日8月2日と3日の2日間だけの発表会です。チケットも公開販売をしていません。でも、公演は公表されていますので、私も日本から公演情報は知っておりました。

 昨日(8月2日)モスクワ着の飛行機が遅れなければ、劇場へ行っていたのですが、1時間遅れた飛行機ですから、劇場行きはきょうとなりました。

 演目は「重婚のタクシードライバー」 Слишком женатый таксист =アメリカ人作家 Р. Куни の作品です。シューラは出演しません。彼が出演していれば空港への迎えもいっしょに町を歩くこともできませんでした。

 さて、劇場へ到着しました。劇場前では、俳優たちと会いました。人気俳優 オレグ レウーシン(日本公演の『検察官』で主役を演じた俳優)や、オリガ イワノワ(『巨匠とマルガリータ』では妖艶なマルガリータを演じる女優)らと再会を喜びました。レウーシンがまたきれいになって輝いています。

 劇場の中はすでに観客が集まり、どこかから、この劇場の演出家 ワレリー ベリャーコビッチ氏が現れました。彼は観客にあいさつをしながら、私をみつけてくれました。「おお、よく来てくれました」と、熱く抱擁をしてくれました。尊敬する大演出家です。私もうれしくってたまりません。ちょっと体調を崩していた彼を心配していましたが、いまはとても元気で、だから新作が発表できるのですね。良かった。

 ベリャーコビッチ氏はシューラが幼いころから憧れていた演出家であり、シューラは演劇大学で演劇を学ぶ学生時代から「彼の芝居を演じたい」=つまり彼の劇団に就職したい=と願い、それは実現したのです。ロシアでは、演劇大学を出てプロの俳優であり、劇場演出家らに認めれらてはじめてその劇場に就職でき、きびしいけいこを通じて、役を得ることができる、まさに実力の世界です。

 どこやらの国のちょこっと可愛いからとか、大手プロに所属しているとか、金銭の力を振りかざして役につくとかで、俳優が生まれるなどの演劇界ではありません。

 ここの客席は120席ほどです。小さい劇場です。舞台が底にあって、客席が山になっています。一番前の席は、俳優がすぐ目の前で演じます。俳優の汗もつばも飛んできます。でも、はっきりと客席と舞台には、境界があります。

 この境界は、私たち観客が入ってはいけない越えてはいけない、ものです。が、芝居がはじまると、舞台と観客席がみごとにひとつになります。劇場全体がひとつになる感動がまた、たまらない。

 と、いう訳で、私がどれだけ、モスクワで芝居に酔っているかがお分かりいただけたかと思いますが、そろそろお芝居の中へ入りましょう。

 もちろん、ロシア語です。字幕もイヤホンもありません。


2005年08月21日

【 25号 】 ユーリャさんに会う

 
 ~~ 8月3日午後 モスクワにて ~~

 「人と人の出会いのチャンスは、活かすこと」と決めています。その出会いからまた次の出会いがはじまり、人生を豊かにしてくれることはこれまでもいくつかあります。
 私とロシアの出会いもいくつかのチャンスを逃さずに、厚顔無恥でつきすすんだからでしょう。こんなに楽しいモスクワの夏の旅を楽しんでいます。

 万博に通うのも、ロシアからの縁を得て、ロシアパビリオンスタッフにに優しくしていただいているからこそ、また新たな出会いもいただいているのです。感謝です。

 万博から生まれた新たな出会いを、いまからモスクワで体験します。

 シューラの車は、モスクワの南部から中心部を通り、北東部へ走ります。どこをどのように走っていても、マスクをつけて後ろの席にうずくまるように座っている私にはわかりませんが、どこもすっごくたくさんの車です。とうとう、ある通りで渋滞にはまってしまいました。約束の時間を超えてしまい、とうとうユーリャさんからシューラの携帯にきっと「いまどこですか?」とでも、電話が入りました。

 やっと渋滞をぬけた通りの路上駐車の車の間から、ひとりの小柄な女性がこちらを見ています。私はすぐにわかりました。コースチャのお姉さんのユーリャさんです。そうです、万博ロシア館で活躍する若手の通訳 コースチャのお姉さんです。

 なんでこんなに車が多い通りで、お互いにすぐわかるのかな?とシューラとユーリャさんの間の約束の仕方を不思議に思っていたけれど、無事に会えたことを喜びました。すぐに近くのピザ屋さんの外の席で、お話しです。黒い髪で優しい口元がコースチャにそっくりのきれいなお姉さんです。
 
 「日本へ行っている弟のことは心配ばかりですよ。通訳の仕事を上手にやっていますか?」
 「もちろん、彼は素晴らしい通訳です」。

 シューラはひとめユーリャさんを見たときからお気に入りの女性となったようです。彼らが何を話しているのか、私はわからないのですが、日本の話や芝居の話をしているようです。


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 短い時間でしたが、弟コースチャの無事(!)をユーリャさんにお知らせしたかった私の役割のひとつはかなえることができました。
 
 「またぜひ、会いましょうね、必ず会いましょうね」。そうです、またモスクワで、いや日本へもおいでください、お会いしましょう。シューラも「今夜は芝居を見に行くので、短い時間でごめんなさいね。また、あなたと会いましょう」。

 私たちを見送ってくださったユーリャさんも、人ごみの中にぱっと消えてしまいましたが、その時の町には優しい夏の夕方の風が吹いていました。


【 24号 】 ペリメニをご馳走になる

   
  ~~ 8月3日 モスクワで ~~

 猛暑の名古屋からやってきたばかりで、モスクワの夏は涼しいと言うよりもちょっと寒く感じるのです。25度くらいの気温は、冷房のよく効いた部屋にいるのと同じです。着るものに少々悩みますね。長袖のブラウスと軽い上着を着ています。暑くなれば脱げば良い。
 
 午後約束の時間、シューラは迎えに来てくれました。「いまから、リューバさんのところへ行こう。それからユーリャに会うよ」。昨日話していたのは、先にユーリャさんに会って、夕方リューバさんの家に行く予定でしたが。まあ、どちらでも私は、OKです。

 リューバさんとは、シューラのママです。シューラの家の近くに住み、私が行くといつもとても歓迎をしてくださいます。いつもお手製のペリメニをご馳走してくださいます。彼女はアパートの3階に住んでいます。窓の外の遠くには、レーニン大通りの行き交う車が見えます。以前は、「ホテル スポルト」のすくッと伸びた建物が見えたのですが、いまは壊されてありません。なによりも窓のすぐ下は、緑の木々が揺れています。夏の光も揺れて差し込みます。きれいです。

 「きょうのペリメニはちょっと大型よ」。そうですね、いつももっと小ぶりです。でも、これをつくるのにどれだけ時間をかけたのでしょうか?粉から皮つくりをして、中身の肉や野菜を詰め込んで、ふちをきれいにしっかり押えて……。でも、家族総出でペリメニを作るのも大事な家族の交流の時間です。
 わが日本では、家族が全員集まって料理を作るというシーンは、どうですか?ありますか?

    perimeni.jpg

    
 また、きょうのペリメニのソースは、「日本風にしたよ」とのことです。しょうゆとマヨネーズを合わせて、茹で上がって熱々のペリメニにかけていただきます。

 「名古屋のことがテレビで写るのよ。EXPOのことを見ると、私はすぐにテレビの前に行ってじっと見るわ。『日本・名古屋・EXPO』と、聞こえるとあなたを探すのよ」と、リューバさんです。おしゃれで、とっても可愛い声をしています。

 「シューラが交通事故にあってびっくりしたのよ。傷が大きくってね。手も足も傷があってね」と、言いながら大事な息子の額に手をやり、傷の具合を見ています。シューラは私に、右足を見せてくれました。足のあちこちに痛々しく傷が残っています。右上腕部にも傷があります。「顔の傷がここ(額)だけでよかったわ。目だったりしたらタイヘンでした」、とママらしくそっと傷をなでていました。


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 リューバさんは「そうだわ、ウオッカを飲みましょう」と、どこかからウオッカを持ってきました。そして、私は、あれよあれよと言う間に、3杯も飲んでしまいました。暑くなってたまりません。「失礼してブラウスを脱ぎます」。冬の寒いときに、カッとウオッカをあおるということを実感できました。身体の中から暑い、暑いです。

 その後、ケーキとお茶の時間も、あたしはウオッカの余韻を十分に残しています。身体がぽっぽと暑い、おしゃべりになっている、みょうに笑っている……。完全ヨッパです。

 「そろそろ、ユーリャに会いに行くよ。用意をして」とのシューラの声です。そうです、はじめてお会いする方に対して、失礼ですから、顔を洗って出直しです。

 リューバさんとはまた、3~5日後に会えます。「しばしのお別れです」。でも、熱い抱擁でお別れしてきました。

 車に乗り込んで、シューラに聞きました。「ユーリャの家に行くのですか?」
 「いいや、外で会うのだよ。彼女の家に近いところだよ」。はじめて会う人同士が、通りでどのように会うことができるでしょうか。たしかにお互い携帯電話を持っているものの……、さて、楽しみです。 


2005年08月17日

【 23号 】 ホテルの周辺をオサンポ

 
 ~~8月 3日 モスクワで ~~

 目覚めると外は明るい。でも、まだまだ起き出すには早い午前5時前。「もう一眠り」としたいところですが、日本時間が染み付いている私には、日本時間で昼のこの時間は「いつまで寝ているの!」と言う時間だから、身体は起きたがっている。しかたがない。起きるとしよう。

 それでも、時々横になったりしながら、朝食の時間になり、1階の指定のレストランへ行く。前回冬に来た時は、ひとりずつへのサービスだったが、きょうはバイキング形式いろんなものが豊富にならんでいる。うれしい。欲張ってたくさんお皿に取らないように気をつけて。サラダやチーズやスメタナ(サワークリーム)、カーシャ(お粥)やヨーグルトも美味しい。しっかり食べて満足です。

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  (ユーゴザーパド地区は住宅建設ラッシュです)


 午前中はホテルの近くを散歩しましょう。きょうは午後シューラが迎えに来てくれます。

    

 このホテルから5分ほど歩くと、シューラの劇団劇場、ユーゴザーパド劇場があります。ロシアでは、劇団は自分達の劇場を持っており、地方公演に行くこともありますが、シーズン中(9月~翌年6月ごろ)は、自分たちの劇場での公演を続けます。稽古場も持っていますから、劇場所属の俳優たちは、ほとんど自分達の劇場に住んでいるくらい長く生活をします。

 いまは夏休み中ですが、この劇団では、新作発表会をします。秋からのシーズンに発表する作品のお披露目会が、昨2日ときょう3日に行われることは、日本からも知っていました。シューラは出演しないのですが、もし見ることができればと、思っています。シーズン外ですから、ドアは閉まっています。もう、なんどもあけた劇場のドア。このドアを開けると別世界の芝居がはじまるのです。ワクワクします。

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 劇場のまわりには、赤い木の実が成り、虫が寄る花も咲いています。空は明るい夏の空です。北の国の町の短いけれどしっかりとした夏です。

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【 22号 】 友だちは、俳優

 ここで俳優シューラと私がなぜ知り合ったのかを、ご披露しましょうか。
 簡単に言いますと、「追っかけ」です。好きな歌手や俳優やタレントと呼ばれる人たちが行くところ行くところへ、せっせと付いていくファンを「追っかけ」と言います。
 2000年秋、シューラの属するモスクワユーゴザーパド劇場の来日公演がありました。名古屋にも来ました。ゴーゴリーの「検察官」を持ってきました。

 その芝居を見る前の日に、ロシアの俳優たちを囲む交流会がありました。そこで空いていた席に座った私の目の前にいたのがシューラでした。「大きな人」でしたが、嫌な感じではない人でした。

 翌日「検察官」のお芝居を見ました。もちろんロシア語のお芝居です。音声ガイドがありましたが、私は使いませんでした。ロシア語の勉強のために。まだ、ロシア語を学び始めて、5が月目のことです。

 舞台に登場したシューラ(その時は名前を知りませんでした)を見て、「あら、昨日、前の席にいた人」と注目をしましたら、それは素晴らしい演技です。なんというのか、私の身体にビンビン響くものがありました。「世の中にこんなにこころを解放してくれるものがあるなんて……」ととっても感動してしまいました。


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(『検察官』の舞台でオーシップを演じる アレクサンドル(シューラ) ゴルシュコフ ・ユーゴザーパド劇場ホームページからの写真)
 

 そして、どうしても「あの俳優と話しがしたい」と願うようになり、京都と東京へ追っかけたのです。とうとう、東京では、お話しができることとなったのですが、通訳なしです。でもでも、すべて通じました。彼のことがとてもわかりました。そして「今度はモスクワで、ぜひ僕たちのお芝居を見てください」と言われたことを、まともに聞きまして、モスクワへ行ってしまいました。
 
 それからもう何回、彼の芝居をモスクワで見ていることでしょうか。いまも、この瞬間も、彼の芝居を見たいと思います。ダイナミックです。エネルギーがあふれ出ています。でも細かく計算されて、細かい所作が美しいです。
 お付き合いをすると、優しくこころ使いも行き届く人です。それに頑固で、気難しく、芝居のためなら突き進んでいく一途な人です。

 と、いうわけで、私の敬愛する俳優シューラです。とても仲の良いお友だちは、俳優です。


2005年08月16日

【 21号 】さあ明日からはじまる

 
 ~~ 8月2日 モスクワで~~

 モスクワでのホテルは、モスクワ市西南地域にある「サリュート」です。前回も泊まりましたからもう勝手はわかります。シューラはフロントでの手続きの手伝いをしてくれ、部屋に荷物を入れ込んだらすぐに、1階の軽食堂で「また、来ましたよ」小パーティです。ふたりで、ですが。

 近況報告と旅の打ち合わせです。私はビールを飲み、シューラはオレンジジュースを飲んでいます。サラダや乾燥肉の薄切りなどをつまみながらです。あまり空腹感はないのですが、乾燥した空気で喉が渇きます。

 さっきから気になっているシューラのひたいの傷、ちょうど髪の生え際、もうかなり時間はたっているようですが、赤く大きく、目にとまります。「これどうしたの?」

 「交通事故。ひとりで、木にど~~んとね」。

 6月にナントカ通りで。ひたいをざっくりと斬ったようです。「まあ、俳優が~~!!」と私はそれを驚きました。「だから髪で隠してね。もう小さくなったよ」。と前髪で傷口を隠している。

 「事故にあって、2日間悩んでとても苦しかった。でも、3日目から分かったんだ。自分が引き起こしたことで、教えられたことだよ。車をダメにしたけれど、これだけで良かったと」。きっとシューラはそう言ったのです。ロシア語がわからないけれど、でも私はわかりました。

 その後、ひとりの女性に電話をしました。ユーリャさんへです。ユーリャさんは私がこの旅で会いたい人です。万博ロシアパビリオンの通訳で働くコースチャのお姉さんです。もちろんシューラが電話をしてくれ、ユーリャさんとの約束の日時や場所を決めてくれました。彼女は日本語はできません。私の拙いロシア語ではとっても失礼ですが、会うことができてとてもうれしいです。

 「明日、午後、会えるよ、僕は通訳するから。日本語知っているものね」と、シューラは言って笑います。たしかに知っていますよね。「ありがとう」「じゃあね」「わかりました」「おはようございます」「こんにちは」「はい」それに「○○○~~~○○~~」。これを空港で大きな声で言ったのよね。

 舞台公演の仕事は夏休み中ですが、なにかシューラも仕事があり、その時間との調節をしながら私の旅のプランが決まりました。

 ビールの酔いも手伝って、きゅうに睡魔に襲われてしまい、「もう眠いです」。やっと暗くなってきたモスクワ時間午後10時半ごろだったかな?「きょうはありがとう!!明日からもよろしくね」。シューラの家はここからすぐ近くです。彼が帰るの見送るのもやっとで、部屋に戻るなりバタンと倒れこみました。


2005年08月15日

【 20号 】「赤の広場」は、入れません

 
  ~~ 8月2日 モスクワで~~

 飛行機が遅れたので、待ちくたびれてどこかで寝ているのか?マラトとシューラは。

 タクシー運転手や迎えの人やなんだかよくわからん人たちが大勢いるその間の、私の左手側約8メートル先あたりで、白い服のやや大型ロシア男性が大きく動き、なんと日本語を言いながら、こちらへ向かってくる。
 日本語はナンテ言っているかは、未公表とします。ナイショ 。

 シューラです。俳優です。だから。いわゆる恥ずかしいことでも平気です。人ごみの中で大きな身振りでそんな大きな声で……。いっぱいの視線を感じながらも、「ああ、良かった、会えた」と、私はそれを喜びました。

 シューラひとりです。あれ?彼は車がトラぶっているとか、電話で言っていたが?「さあ、僕の車へ、へへへ、新しい古い車だよ。マラトはいないよ」。

            
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    (シューラ ゴルシュコフ です。俳優です。大型です)

 空港の駐車場の端っこまで、もちろんシューラがトランクを持って歩きます。あまりにも素晴らしい青空で、私は気分も良いです。
 
 車に乗り込むと、「飛行機が遅れたから残念ですね。僕はお芝居に行こうと思っていたから。市内見学に行きましょう」。

 そうそう、シューラは日本語ができません。だから、彼との会話は、すべてロシア語です。
 私は今回のひとり旅では、「日本人には会わない」と決めてきました。8日間の旅すべてをロシア語でやってみるのです。もう、これもなんども経験していますが、いままでも何とかやってきました。今回もきっと大丈夫です。

 気温は25度くらいでしょうか?気持ちの良い夏の風も吹いています。でも、私はここでも白いマスクです。これはシューラも承知しています。「のどのために、ごめんなさいね」。

 モスクワの中心部へ行きました。シューラは運転しながら案内してくれます。中心部の「ロシアホテル」は完全に解体されたようです。現場を取巻く看板が「ロレックス」のコマーシャルです。

 ボリショイ劇場も改築修理に入りました。隣のツムデパートにも、なにやらシート?がかけられています。ぐるりと回り、「赤の広場」へ入るために車をワシーリー寺院のところへ駐車して。と、シューラが言います。

 「きょうは残念です。『赤の広場』入れません」。

 大きく囲いがしてあり、ワシーリー寺院のそばにも行くことができません。仕方がない。
 
 このあたりで気が付いたのですが、風に乗ってタンポポの綿毛をもうちょっと大きくしたような綿毛がたくさん飛んできます。トーポリと呼ばれるポプラの木の一種の綿毛は、夏を告げるものと知っていますが、一応シューラに尋ねました。
 
 「これ、トーポリですか?」

 「トーポリは夏のはじめ。これは、うううんん なんて言ったかな?」が、答えは出ませんでした。

 もう、午後8時過ぎですが、日本で言えば夏の午後4時くらいかな?ちょっと日が西に傾いてはいるけれどまだまだ沈みそうにもないような、そんな明るいモスクワです。


【 19号 】シェレメチボ2空港 トウチャク ! 

 
 ~~8月2日 モスクワで~~

 まったく簡単に、モスクワシェレメチボ2航空へ着陸しました。実は降下をはじめたときも、また、ちょっと私は、うつらうつらしてしまったので、気が着いたら降りていました。


        
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      (到着したときのモスクワの空)

 私の白いマスクは飛行機が降りて、機内がもっともザワザワする時ほど、必要です。客がいっせいに、荷物を取り出したり、服を着たりするときのホコリなどは要注意です。どんな悪性微生物が飛んでいるか…。そんなことがとっても気になる私です。

 パスポートコントロールもきょうは、とてもすんなりです。さて、トランクをもらったら、いよいよモスクワ、です。が、このトランクがなかなか出てこないことは、もうよ~~~く知っております。いつもイライラ待ちます。だから、ここでトイレへ。

 日本人の女性グループもいっしょです。トイレ掃除の係の女性がロシア語で「あなたたちは中国人ですか?」って聞いてきました。「いいえ、日本人よ」と答えれば、「まあ、日本から、まあ」と驚いています。

 「私はタシケントから来たのよ」と彼女は言い、私が持っていた香水を付けてくれと言います。そして、「トイレの紙はあるかい?ほら、ここにあるよ」と、掃除道具入れからたくさん出してくれました。

 と、日本人グループの女性のひとりが私に「ドイツ語でありがとうってなんて言うのですか?」と聞きます。なんでドイツ語の勉強をモスクワのトイレでしなければならないのでしょうか?とても疑問に思えて、「あの、ここはモスクワですが……」って言いましたら、「あら、、モスクワだったわ、モスクワってドイツじゃあなかったわね。ソ連いやロシア語でありがとうってなんて言うの?」

 まあ、こんなオチもあってトイレの中も賑やかで、荷物レーンに戻り、「早く荷物よ、出てきておくれ!!」と祈ると、それは通じました。

 ナント私の荷物が2番目に出てきました。

 多くの待っている人たちの中を、とっても優越感いっぱいで、そそくさと荷物レーンを後にすると、機内でとなりの席だった青年が、すぐ近くにいて、「お元気で、さよなら」です。

 持込現金もなければ高価なものもなにひとつない我が身とトランクだけ。申告なし 出口では係の女性もちょっと目を合わせただけのフリーパスで、私は、入国出口を出ました。

 「タクシーどうですか?」といきなり日本語で声をかけられて驚き、あちこちから「タクシー」「タクシー」と、相変わらずのタクシー運転手の客引きには、いっさい関せず、私の目は、マラトとシューラを探します。が、彼らはいません。


【 18号 】機内で配布の出入国書を書く

 
 ~~ 8月2日 機内で ~~

 となりの席の彼との話しがはずむ途中、客室乗務員から「ロシア国出入国書」が配られた。相変わらずの小さいぺらぺら用紙に、書き込む場所も小さい。日本の旅行会社から書き方見本をもらっているので、それを見て書こうと思ったら、ありません。家に忘れてきたようです。
 それがなくとも書けるのですが、一箇所「ロシアでの滞在先」を記入しなければなりません。ホテル名を書けばいいのでしょうが、モスクワもサンクトペテブルクでのホテルも??と困り、ちょうど通りかかった、日本語達人の以前も乗り合わせた青年客室乗務員に尋ねました。

 「モスクワのホテルはどこへ泊まりますか?」
 「ええと、サリュートです。ユーゴザッパドナヤです」と答えると
 「僕の家のすぐ近くですよ。僕はあのあたりにきょう帰ります。アッ、大事な話しですね、モスクワのホテル名、サリュート と書いてください。それだけで良いです」。
 ご親切ありがとうございます。

 小さい紙をパスポートに挟み込み、もう、いつでも降りることができます。


【 17号 】となりの青年は

 
 ~~ 8月2日 機内で ~~

 モスクワへ飛ぶ機内でとなりに座った青年は、なにかグループで日本へ行って、何かをしてきた模様。ちょうど乗り込むときに、優勝カップと看板を持った幾人かといっしょだった。白いスポーツシャツに赤いジャージ上着ですからきっとスポーツチームだろうと、予想していた。

 そのグループのひとりと、となりあわせた。身体が大きい、若い青年だ。機内での長い時間の後半となって会話がはじまった。

 英語で「どこへ行くのですか?モスクワですか?仕事ですか?」と彼から声がかかった。
 私は「英語わかりません。ロシア語でお願いします。モスクワへ行くのですが、もう何回も行っていますから……」とロシア語で話したら、とっても彼が驚くので、また、私も驚いてしまった。

 「あなたたちはなにかスポーツグループで日本に?」

 「いいえ、僕たちは、コンピューターソフト関係の世界の集まりがあって、横浜で……」と彼は、一枚の紙をくれました。

 Imagine Cup 2005 と書かれています。

 ※後日わかる※帰国後調べたら、とっても大きな世界大会で、ロシアチームは、優勝しているではありませんか!!賞金が25,000ドル。そうそう、飛行機に乗り込むときに見たかかなり大きい優勝カップは、彼らに与えられた本物だったのですね。

 となりあわせた彼は、なかなかのイケメンです。それに、とてもわかりやすいロシア語と笑顔が、私をうれしくしてくれます。ちょうど読んでいた本がロシアでも人気の日本人作家村上春樹であることを伝えたら、彼はとっても喜んでいます。
 「村上春樹をみんなが読んでいます。日本人もみんなが読んでいますか?」
 ちょっと答えに詰まったが、「ええ、人気者です」とあいまいな返事をしてしまいました。と、いうか、私には細かい表現はできないので、こんな答弁でお許しをいただきましょう。

 続けて彼は、「また、日本へ行きたい。京都も大阪も行きたい。とっても忙しくって、東京と横浜だけだったから。名古屋ってどこですか?」

 ええ、名古屋を知らなくともいいですよ。簡単な地図を書いて名古屋の位置を教えると「今度は名古屋に行きます」って。

 そんな楽しい交歓をしているうちに、飛行機は徐々に高度を下げて、私は暑くなってきて、長袖を脱ぎ、髪を整えメイクアップをして、シューラとの再会に備えます。窓の外は明るい夏のモスクワ上空です。


2005年08月14日

【 16号 】 機内の必需品は マスク

 
 ~~ 8月2日 機内で ~~

 12時発となっているアエロフロート機は、成田空港からなかなか飛び立ちません。「ああ、これでは、モスクワ着は予定どおりとならない。迎えに来るシューラたちは、待つことだろうな」と思うが、もう仕方がない。だから、また、眠る。


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     (この飛行機です)

 私は喉が弱い。乾燥した汚れた空気は敏感にわかります。そしてすぐに喉を痛めます。だから、マスクを愛用します。飛行機でも、車でも、電車でも、春先は町でも。
 マスクは、自分の息が自分の喉を和らげてくれます。それに、汚れた空気をシャットアウトです。飛行機の中は、とても汚れた乾燥していますから、マスクは乗り込むときから着けて、飲み食いのときだけはずして、ほとんどずっと着けております。だから、今回もマスクは、私を助けてくれました。

 もうひとつは、眠る時は耳栓もあると静かで、なお楽ですから、愛用します。

 さて、マスクをはめて寝てばかりの私が次に眼をさましたのは、飲み物が配られるころでした。つまり飛び立ったのは、知らなかったようです。

 飲み物を配りながら、お客が何語使いかをチェックしていく役割の客室乗務員たち。私の列の担当は、どこかで見たことがある?う~~?? あ、思い出しました。今年1月にアエロフロートに乗ったとき出会った日本語が上手な男性客室乗務員です。

 「赤ワインとりんごジュースをください」(ロシア語)
 「はい。わかりました。はい、どうぞ」(日本語)

 「以前もお会いしましたね、ことしの1月だと思います」(日本語)
 「そうですか。お久しぶりです」(日本語)
 「お元気ですか?」(ロシア語)

 と、お互い笑いました。彼の日本語がとてもきれいです。私のロシア語はめちゃくちゃ下手です。

 ワインを飲んで、食事を全部たいらげて、私は本格的に眠りに入りました。
 
 でも、それから9時間。なんども起きました。起きては本を読んだり、ぼんやりしたり。

 でも、ついにお隣りの青年とおしゃべりもはじまりました。彼は、乗り込んできたときから前後にいる男女と身を乗り出して話しており、なにか大勢で日本へ来て、何かを日本でやったきてグループのようです。お揃いの赤いジャージの上着を着ています。
 私は、もちろん、お話しのときはマスクをはずしておりました。


2005年08月12日

【 15号 】旅慣れた女は、ひたすらネムル

 8月2日の朝もやはり暑い。昨夜からの荷物つくりも結局出かける寸前に片付く始末です。荷物の重さは許されている20キロにしっかりと押えて、ひと安心。
 午前5時40分ごろ、いざ出発です。

 名鉄電車急行で、中部国際空港へ。車内では眠くってうとうとしている。だからか、あっという間に着いてしまったと思う。名鉄電車を降りてすぐに空港チェックインカウンターがあるのはとても便利です。もっと混雑があるかと思えば、すんなりと順番がまわり、もう、モスクワまで荷物とはお別れです。

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 身軽になり、空港2階のスタバーでコーヒーを買う。かばんの中に出かけに突っ込んできた、マネケンのワッフルや万博ベルギー館で買ったクッキーやチョコレートを食べる。これで気分は落ち着いた。

 出国手続きもすんなりと順番が来て、すっごく余裕あり!です。免税店の香水売り場で、店員にいろんな香りを試させてもらい、やはり、パコ ラバンヌの香りが良いなとこれまた、良い気分となりました。

 が、その後の記憶がないのです。決して香水に酔ってしまって倒れたのではなく、飛行機に乗った瞬間から睡魔に襲われて、1時間ほど眠ったのです。
 成田へ到着する寸前に目覚めて、「あら、もう成田」。

 成田では、乗り換え便のチェックをもう一度受けます。このとき、私はいつもですが、席の希望を告げます。「真ん中のシマの通路側」を頼みます。窓側もその横も好きではありません。「お隣りはできましたら女性でお願いね」と言えば「それは、わかりませんので…」との答えは、ちょっとウソだと思う。いままですべて、「お隣りは女性で」はかなえられてきたけれども。と、言っても2分の1の確立のことですが……。

 
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     (成田国際空港の中で一番好きな場所)

 成田の出発ゲート近くの小食堂で、高い値のラーメンを食べる。やはり空腹で、機内食の時間までつらくなりそうで、ここでラーメンを食べておく。ちょっとのんびりしていたら、すでにアエロフローとは定刻12時出発で、客も乗り込んでいる。

 ここで、ロシア館のコースチャに電話とメールを送った。コースチャには、モスクワで迎えに来てくれる予定のシューラの自宅電話番号を知らせてあり、コースチャに「出発は●時ですから、シェレメチボ2空港は◎時ごろの到着です」をシューラに伝えて欲しかったから。

 モスクワと日本の時差を考えると、私が飛行機に乗り込む日本の昼12時は、モスクワの早朝でちょっと「いま日本を飛び立つよ」の電話はできないので、コースチャに助けてもらったのです。ありがとう。

 乗り込む寸前に長袖のシャツを1枚重ね着をした。冷房が腕や肩を冷やしてくれるのはあとがつらくなりそうだから。

 遅くに、乗り込んだ機内はほとんど満員です。私の席は希望通りの通路側ですが、となりは身体の大きいロシア語青年です。彼も3人並びの真ん中で、窮屈そうです。

 私は、席が落ち着いたらシートベルを締めて、早々に眠りの体制に入りました。うとうとして、もう空の上かと窓を見ると、ナントまだ地面がその先に見えています。これは遅れそうです。


2005年08月11日

【 14号 】どこで何をしていたのか?

 8月2日出発~10日帰宅までの旅の流れを、きょうはご報告いたします。

 ☆2日午前、中部空港からJALで成田へ。昼 アエロフロートロシア航空に。10時間乗り、モスクワ着は現地時間の19時ごろ。シューラが迎えに来てくれる。
 市内をちょっと回り、ホテルへチェックイン。
 モスクワの天気は、晴れ。気温は25度くらいかな。

 ☆3日午後、リュバさんに会う。お手製ペリメニをご馳走になる。
その後、町に出てユーリャに会う。19時からユーゴザーパド劇場で観劇。
 夏の気持ちが良い晴天の日です。

 ☆4日早朝、ホテルを出る。モスクワシェレメチボ空港Ⅰからサンクトペテルブルクへ。1時間ちょっとの飛行。
 ペテルの友人 レナとオレクが迎えに来てくれて、そのままホテルへ、チェックイン。
 エルミタージュ美術館を軽く巡る。その後小船に乗り、運河とネバ河を遊覧する。素晴らしい夏の空。

 ☆5日早朝、3人で、ロシアの京都と言われる「ノブゴロド」へバスの旅。ロシアについての勉強をしながら楽しく町めぐり。雨が降ったり止んだり。サンクトへ戻るときは素晴らしい夕景色となった。

 ☆6日は、サンクトの「ロシア美術館」でレーピンの絵に会う。レナとオレクと私は涙の別れで夕方、飛行機でモスクワへ戻る。モスクワでは、シューラが迎えてくれる。太陽の陽射しが強いが、爽やかな風が吹く。

 ☆7日は、シューラといっしょに共通の友人マラトのお宅を訪問する。マラトお手製ケーキが美味しい。暑い日です。

 ☆8日は、俳優シューラの映画撮影現場に同行して、映画撮影の様子を一日楽しむ。終了後、ユーリャにまた会い、再会を約束。その後シューラの家にておよばれする。陽射しの下は暑いが、日陰はすでに秋の風を感じる。

 ☆9日は、午後「全ロシア展覧会センター」で働くマルレンさんに再会して、ごちそうになる。風がとても強い日です。午後4時すぎマルレンさんとも再会を誓い、シューラが空港へ送ってくれる。
 途中激しい雨に見舞われるが、さっと止み太陽が顔を出す。
 19時半の飛行機で、9時間半後、10日、日本時間朝には、成田へ到着する。

 ☆10日、午前成田~品川~名古屋~万博会場へ。16時50分万博会場着。ロシア館へ行く。21時 帰宅する。
 
  こんなことしてました。では次号からはそれぞれのドラマをご報告いたします。


2005年08月10日

【 13号 】 帰ってきました!!

 ただいま!

 ものすっごっく楽しい旅でした。モスクワでもサンクトペテルブルクでも、どこでも、ひとつも嫌なこと、落ち込むこと、怖いことなどありませんでした。

 この旅でお話しをした人たち
 シューラ・ターニャ・ユーリャ・リョーシャ・オレク・エレナ・ジィーマ・リュバ・マリーナ・マラト・ダニエル・マルレン・(別)ターニャ・パリーナ・イーゴリ他

 出合ったすべての人たちが温かくって、優しくって私は何度涙を流したことでしょうか。

 追々こちらに報告を書いていきますね。

 しかし、暑いこと!しばらく時差ならぬ気温差に気をつけます。


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(最高に幸福なひととき。モスクワの北・全ロシア展覧会センター内のレストランにて。
  上は愛・地球博ロシアパビリオンで、出会った マルレンさんご夫妻。下は、俳優シューラとともに 4人での楽しいひとときでした 8月9日)


2005年08月02日

【 12号 】 では、行ってきます。

 モスクワとサンクトペテブルクへ、ちょっと行ってきます!!

 いま、2日午前1時半です。涼しい夜となっています。
 やっと荷物を詰めました。が、カギを閉めるまえに、要らないものを入れていると思われるので、再度ちょっと整理をするつもりです。

 少しだけ眠ったら、もう出発します。

 空港で朝のコーヒーを楽しみますね。飛行機に乗ったらワインを飲みますね。しばらく眠ったら、機内でロシア語の勉強をします。そして、窓の下に広がる大きなロシアの大地にごあいさつです。「また、来ました」と。

 モスクワには、シューラと運転手のマラトが迎えに来てくれます。すぐにホテルへ走ります。冬は劇場へ直行ですが、夏は、まだまだ明るい外をちょっと歩いてみましょうか。

 冷たいビールを飲みながら、シューラと旅の打ち合わせをします。シューラはとても時間の管理に厳しい人です。俳優は舞台を時間で動いている人ですから。
 明日のいまごろは……。

 私がルスをしている間の日本はどうなっているでしょうか?モスクワではテレビのニュースをチェックしておきますね。インターネットは、探してまで、やってみたいとは思わない。それよりも町を歩いたり、お話しをしていたい。

 今度書き込みができるのは、10日の夜の予定です。では、それまで、お元気で~~。

 ☆~~~~
  応援メッセージをたくさんいただきありがとうございます。とても勇気があふれます。
 今度は「旅日記風騒動記」を書いていきますね。ちょっとだけ待っていてください。
                                    ~~~~~~~~~~☆


2005年07月31日

【 11号 】 用意はまだですが……。

 私は早起き平気です。きょうも早くから動き出して、とうとうトランクを出して用意を本格的にはじめました。そして、午後10時現在、おみやげとか小間物は入れました。あと、洋服類は明日の夜にします。

 そして、2日は早朝トランクを引きずって、名鉄電車に乗り、セントレア空港へ行きます。開幕当時の見学には行ったことがありますが、あそこから飛び立つのははじめてで、うれしいですね。そして成田へ。そして、モスクワへ。

 が、ほとんど緊張感がなく、「海外旅行へ出かける」という気持ちはなく、すでに私の中では、モスクワはとても近いところなので、「ちょっとモスクワへ行ってきますよ」の感覚です。「ちょっと万博へ行ってきます」と同じかな?あっ、だから、パスポートなどを忘れないようにしなければなりません。

 旅の間の食べ物の心配もありません。「日本食がたべたくなった」ということもいままでなかった。寒い日に外を歩いていて、「こんなとき温かいラーメンを食べるとどれだけ幸せかな」と思ったことはあるけれど、ごはんも味噌汁も梅干にも執着はない、薄情な日本人です。
 モスクワで食べるものはすべて美味しいと思います。と、いうほどいろいろ食べ歩きはしてはいないけれど、「いやぁ、これはちょっと……」にはいままで、出会ったことはない。
 飲めないものはあります。ウオッカです。どうも、恐くって近づけません。
 だから、日本から食べ物はなにも持って行きません。

 クスリは用意しました。機内用に少しを、用意もしました。
 いつだたか、モスクワへ行く機内で、頭痛がはじまり、クスリを探したら見つからず。痛い頭で用意していたときを振り返れば、トランクに全部いれてしまったことを思いだして、よけいに頭痛がひどくなりました。
 そして、アエロフロート機内乗務員に「頭が痛いです。クスリは持っていませんか?」(ロシア語で)。ロシア版バファリン=錠剤が大きい=を「すぐに飲んでください」と、水とともにごくりと飲んですぐに効いてき、降りるころには元気が復活していました。

 そんな小物は用意したのですが、洋服は……。まあ、なんとかします、明日の夜。


【 10号 】 きょうは日曜日

 朝から蒸し暑い日です。夏のまっさかりです。こういう日は、風のとおる緑陰で本を読むと、とても気持ちが良いです。が、きょうの私は、本を読む時間も、テレビを見る時間もありません。
 きょうこそは、諸準備にまい進いたします。

 このごろのモスクワも暑いとのことです。が、この名古屋の暑さほどではないことでしょう。
 以前、夏のモスクワで、一日の気温差が大きくて、とても驚いたことがあります。昼間はTシャツで歩き回っていても、夕方からストンというくらい気温が下がり、あわてて長袖上着を着たものです。地元の人たちはそのとき毛糸セーターを着ている人もいたことに驚きました。

 そんなことも考えながら、さて、動き出しましょう。

 そうそう、昨日は、万博会場でなにかロシアへのおみやげを用意しようと思っていたのに……。飛んだ夜の混雑にはまり、なにも買えませんでした。でも、名古屋のデパートでは、万博グッズを山のように売っています。ちょっとあとで覗いてきましょう。デパートは大好きなので、あぶないかな。
 ハイ、こころします。あさって早朝、出発です。なのになにも用意されていないことを、しっかり自覚します。

 

 


2005年07月30日

【 9号 】 アッ! エッ? ふう~

 
 ↓ 8号の詳報です。

 金曜日は、旅行会社からビザの貼られたパスポートや航空券など、貴重品スピード便が送られてくる日です。自宅はルスなので、受取場所は職場へ。ところが、そういう貴重品と明記してあるものは、受取人本人に渡すべきでしょう。まず、朝それでちょっとカチンときて……。

 まあ、無事に手元にきたのだから、良しとしよう。
 その貴重品袋を開けると、赤い色が少々薄汚れて、過去のビザが何枚も貼られているのでふくらんでいる、私のパスポート。新しいビザが貼られています。とても愛しいものです。「また、行こうね」。ちょっとルン×2 となりました。

 同封の「旅程表」を見ると、「アッ!」、帰国日が申告日と違う。ルンは消えました。
 東京の旅行会社とのやりとりは、FAXもメールも電話でも何度も確認しあっているものですが…。

 飛行機搭乗日、つまりモスクワを離れる日と日本へ到着する日を、間違えて申し込んでいたのだろうか、エッ?そんな~。ここへ来て、そんな~。モスクワへも連絡をとって旅のプランを語り合ったのに、エッ?

 すぐに、同封の航空券やビザ、ホテルバウチャーを見てみると、ふう~、良かった。間違いなし。単純な「旅程表作成ミス」です。驚かせないでよ!!

 と、同時に仕事のやまが押し寄せているし、もうひとつ懸念事項もあって……。

 その懸案事項は、旅へ出る前になんとかしておきたいもの。お相手があり、なお公的機関届けなどが必要なもの、はじめて関わるものなどて、このところ、私は相当緊張していた。

 一番は、お相手も準備をしているかどうか。私が気をもんでも、向うがその気でなければ進まないもの。再度、確認をしてみよう。
 「どうですか?あなたの方のお気持ちを教えてください。私がすすめるべきでしょうか?」

 「いえ、要りません。大丈夫です」。すっごくホッとしました。

 依頼したり断ったりは、日常茶飯事あることですが、相手が「心配しているだろうな」という気を使いましょうね。依頼したことに変化が起きたら、すぐに連絡しましょうね。断る時は、一刻も早く断りましょうね。とくに海外へ行く人には。

 そんなこんなで疲れて、帰宅後ビールを飲んでしまったので、また、荷物は作れませんでした。
 


2005年07月29日

【 8号 】 いかん。眠い。だめです今夜も

 いやあいろんなことがあって少々お疲れです、私もたまにはこんな日もあるのです。

 ああ、眠いです。明日は万博へ行きます。ロシアの友人たちへの「EXPO AICHI」マークのお土産を買ってきます。

 と、いうわけで、おやすみなさい。いろんなことがあったので発表したいのですが、ああ、もうダメです。


2005年07月28日

【 7号 】モスクワへ電話をかけました

 このロシアの旅の目的のひとつは、モスクワのシューラに会うことです。シューラは俳優,,私は彼のお芝居が大好きでいつも見ていたい.。演劇シーズンの冬のモスクワ。彼の劇場にこのところ通っています。だから冬は彼はとても忙しく、ゆっくりお話しをすることもできません。いっしょに町を歩くのも時間が限られています。
 だから、彼の夏休み中に出かけていくのです。

 シューラに、決まった旅程を知らせる国際電話をしました。一番の大事は、モスクワに到着する飛行機の時間です。シューラはとても良い耳を持つ俳優です。私の下手なロシア語をそれも電話を通じたロシア語らしき言葉を聞き取ってくれます。

 「迎えに行くからね。そして、みんなで、遊ぼう!食べよう!しゃべろう!」なんとうれしいことでしょうか。私はとても幸福と思う瞬間です。

 そして、モスクワではじめて会うロシア人女性のところへ、シューラは私を連れて行ってくれます。
 そして、愛知万博ロシア館でお世話になっている「全ロシア展覧会センター」へ私が行きたいことも伝えると、「おもしろい所だよ。いつ行こうか?」とシューラも楽しそうです。

 おみやげのリクエスストも聞きました。いつもと同じリクエストです。私が行くことが楽しみなのか、私が持っていく「日本の魚」(缶詰や佃煮)が楽しみなのか。
 もちろん、私に会うことですよ。


  ロシア語ですが、シューラの紹介です。


【 6号 】 焦ってきた

 おはようございます。朝、ねぼけ頭で、カレンダーを見ていると、驚きました。
 8月2日ってすぐそこではありませんか!!

 トランクは我が家のいつものところにいつもどおり置かれたままです。彼は、また出番とは知らないようです。そういえば トランクのカギが、調子悪かったような…。
  
 でも、今夜もお出かけ予定のわたしです。


2005年07月27日

【 5号 】 今夜も用意できず

 もう7月も終わります。月日の経つことの早いこと。もうすぐ8月です。と、言うことは、すぐに、私は出発ですね。なのに、どうしますか?今夜はちょっとお酒を飲んでしまったので、もう寝ます。なんにも用意はできませんでした。

 毎回持っていく小物入れ箱があります。ホテルの部屋でお茶が飲めるように、電気湯沸し機とお茶セットや常備薬や入浴剤など身の回り品と石鹸などなど、細々としたものを入れてある箱は、前回の旅のままだから点検すれば、良い。
 衣服は、特別の席には行かないので、普段着を詰めれば良い。半そでもいるが長袖も入れてと。
 会う人たちへのおみやげ。これはちょっと問題ですが、万博へ行ってちゃちゃっとそろえれば良い。
 あとは、大事なお金を用意して、ノートに筆記具にお化粧品などは、機内持込バッグに入れれば良い。なあんだ、もう簡単ではないですか。出発前夜にトランクを作りましょう。← で、良いのか !!

 今回は、中部空港(セントレア)から、JALで成田へ飛び、アエロフロートに乗り換えます。セントレアで荷物を預けてしまいますから、機内持込携帯品をちょっと気をつけておきましょう。「アッ、あれはトランクにいれてしまったのだ」と嘆かないようにしましょうね。←と、自分に言い聞かせて。

 あっ。大事なことがあります。携帯電話を換えたのです。vodafone の3Gにですよ。最新機です。使い方がわかりません。これをマスターしなければなりません。

 もうひとつ大事なことがあります。カメラです。デジカメは便利ですが、私にはお気に入りにEOS KISSフィルムカメラがあります。EOSの美しい出来上がりは大好きです。前回のモスクワ行きでは、フィルムだけをたくさんトランクに入れておいて、EOSKISSを自宅玄関先に忘れてしまうという大失態をしてしましました。今回は、忘れないようにしましょう。その前に点検もしなければなりません。

 もうひとつ大事なこと。私は近視ですから眼鏡は必需品です。出発前には、めがね屋に行き、ねじのゆるみなどの点検をしてもらわねばなりません。

 それから、医者にも行きたいし。ちょっと痛いところがあってね。薬をもらって来たい。

 旅へ行く前に、暑中見舞いの葉書を書きたい。

 あらら、どうしましょう。やっぱりやらねばならないことがいっぱいありますね。明日と明後日で奮闘しましょうか。


2005年07月26日

【 4号 】 サンクトペテルブルクへ電話しました

 この旅でお会いしたいサンクトペテルブルクのお二人=エレーナさんとオレグさんは、同僚同士。サンクトペテルブルク民族学博物館で働くおふたりは、私が到着する日を待っていてくれます。

 エレーナの職場へ電話しました。電話の調子はとても良くすぐお隣りに電話しているみたいです。とてもうれしい。この国際電話は、私の旅の予定をエレーナに伝えるためにかけました。

 エレーナは「あなたをノヴゴロド(市)へ連れて行くわよ」と、笑っています。「ステキな街を見せたいから行きましょうね。オレグもそう言っているからね」。

 私の旅の運命は、彼らふたりが決めてくれました。

 ノヴゴロド市ってどこ?さっそく「地球の歩き方」を広げてみると~~~。
 ロシアの歴史発祥の地。ロシア文化発祥の地。サンクトペテルブルク市から電車で3時間くらいとか。楽しみですね。

 エレーナは電話口で「(サンクトペテルブルク市)プルコヴァ空港に迎えに行くからね。待っているから」と何度も言ってくれます。
 すでに私たちは何度も会って、いっしょに遊んで楽しんでいます。。言葉が通じ合わないようでも、じつはとっても通じ合っているエレーナと私です。

 ※ エレーナさんについての詳しくはここをご覧ください。


【 3号 】 海外旅行保険に入る

 某損害保険会社が近くにあり、すでに常連ですから、「いつもと同じもので」と言うとさっと書類を整えてくれます。

 世の中、どこでなにが起こるかわかりません。だから、海外旅行保険に入っておくべきと思います。
 全旅程を終えて家にたどり着いた時、「ああ無事に帰りました。保険がムダだったわ」と思えるのがとても良いことです。が、万が一のこと「保険が役立ったわ」となるときもあるかもしれません。

 モスクワの旅ではいつも運転手つきの車を利用します。運転手は、ちょっと口うるさいけれど親切で、教養あるマラトさん。今回も空港への送迎やモスクワ市内移動は彼の運転です。日本語はまったく知らないけれど、私の下手なロシア語をとても聞いてくれます。だから、彼にあちこちへ連れていってもらっても平気です。安全運転のマラトさんですが、保険に入っておきます。サンクトペテルブルクでも、友だちが私を乗せて運転するようです。保険に入っておきます。

 保険の手続きは終えました。これでひとつ準備は済みました。


2005年07月25日

【 2号 】 やっと旅程決定しました

 飛行機はお好きですか?
 私はけっこう好きです。これまでけっこう多く乗っているほうだと思います。飛行機のどうしようもないヒマさが好きです。もともとダラダラの人間ですから、飛行機の中のなんにもやることがない状態で何時間もが、良いのです。

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(↑ 名古屋空港 国際線 JAL成田空港行き 05年1月撮影:いまはもう、中部国際空港へ移転しました)

 成田~モスクワまでの10時間。いつも寝ています。だってヒマだから。もちろん本を読んだりもしますが、機内映画は見ないし、イヤホン音楽も聞きません。だって、いつも音が悪いとか、映像が乱れているとか、上映そのものをしていないとか。アエロフロートですから、それで良いのです。定時に飛んで定時に降りて、安全・安心の飛行を心がけてくだされば、それで良いのです。

 モスクワ~サンクトペテルブルク往復も飛行機にしました。朝一番のサンクト行きはビジネスマンたちで満員でしょうかしら。一度乗ったことがあり、大きな身体の彼らが、小さいイスに納まって1時間ちょっとの飛行の間を我慢している様子を見ていたことがあります。

 決まった旅程表を前に、ちょっとワクワクです。が、な~~んにも用意はできません。暑くってたまりません。台風が接近しており湿度が高くて、じっとしていても汗です。こんな夜は、もう寝ます。

 というわけで、苦手な旅の用意は、明日に延びました。いやなことは延び延びになっていくものです。


【 1号 】 新しい話題をスタートさせます

 旅の準備が下手で、いつも大慌ての大騒動で出かける、モスクワへの旅です。
 その準備の様子と、旅から帰ってからの旅の報告記を書きます。新しいカテゴリー「ロシアの夏の旅」をつくりました。
 万博の話題とともにこちらも、お楽しみください。気楽に楽しく書いていきたいです。さて、どんなものとなりますやら。

 1週間前のきょう、やっておくこと。
 ☆ なによりも、かかわりを持つイベントの後片付けです。集中して片付ければ3時間もあればできるかな?この始末ができれば、肩の荷が下りて、次の荷を乗せることができます。
 ☆ ロシアで出会う友人たちへの日本からのおみやげリストをつくること。

 さあ、今日も暑くなりそうです。庭のセミは早朝から元気にうるさく鳴いております。
 


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