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2005年11月20日

【 70号 】 成田到着 !!ご愛読ありがとう

 ~~~8月10日 成田国際空港到着 ~~~~~

 飛行機の4席を使って爆睡!!
 ぱっと目が覚めて、「あれれどこ?あ、飛行機の中か」。と、腕時計を見れば、5時間近くは眠ったようです。すごいですね。こんなに続けてしっかり眠ったのは、この旅の間ではじめてではないかしら?

 むっくりと起きてトイレへ立ち、ついでに熱い紅茶をもらって、ばっちり目を覚ましました。まだ、成田まで4時間くらいか。やはりまた横になって、時間をつぶして……。

 成田到着前の朝食は、しっかりいただきました。また元気になりました。

 夏まっさかりの成田国際空港へ到着です。明るくまぶしい日本の空です。頭はさえてバッチリです。
 万博ロシア館通訳コースチャのためにこのまま、万博長久手会場へ直行して彼のお姉さんからの預かり物を、渡してしまおう!!

 成田空港は広くて明るくってわかりやすくって、良いですね。日本入国もすべてがスムーズに行きました。そして、私は愛知万博へ直行!!です。

  ◇ ◇ ◇ ◇

 みなさま、ご愛読ありがとうございました。
 このカテゴリー「ロシア夏の旅」は、ちょうど70号を発行して終わります。


【 69号 】 さよなら。でもすぐ、また会いましょう

~~~~~8月9日 雨上がりのモスクワの夕方 シェレメチボ2国際空港・機内へ~~~

 大雨や渋滞に合い、ハラハラドキドキしながらやっと到着した空港。もう何度も到着、出発している愛すべき空港、でも世間には悪評の国際空港ロシアシェレメチボ2空港。
 私がはじめてこの空港へ降り立ったのは、2000年の夏だった。その出発前、日本で友人が「シェレメチボの荷物受取場所は、スリや置き引きがいます、十分に注意してください」と忠告してくれ、とっても緊張して飛行機を降りてきたものでした。
 天井は丸い筒が並び蜂の巣のようなデザインで、暗い。荷物受取のターンテーブルはちっとも動かないし、小さいお店はしっかり閉まっているし、荷物を運ぶことを仕事にしている男性たちが「運ぶよ、どうだい」とずっとそばに付いているし……。なによりもあまりにも殺風景で、「ここはどこ?国際空港??」。
 そんな初めて体験から、行くたびに明るくなり、宣伝看板も多くなりロシアの発展と比例してきれいになっていく愛すべきシェレメチボ国際空港です。
 入国、出発ロビーも、行くたびに明るいお店がたくさん出来て、時間をつぶすことも苦にはならないような、雰囲気です。ただ、イスは相変わらず少なく取り合いです。

~~~~~~~~~~~~~

 私たちが、その空港へ着いたのがいったい何時であったのか。まったく時計を見る余裕もなかったので知らないのです。ただシューラにすべて任せていました。
 でも時間が押していることはたしか。
 シューラとのお別れも、さらりと、「またすぐに会えるから」。でも、やはり涙が……。
 シューラは「早く行きなさい。またおいで」。
 「うん、グスン」。
 
 涙を拭いて、チェックインカウンターへ。いつも大きい荷物を持った日本人団体、出稼ぎに行くイカツイおっちゃん軍団やいかにもお金持ちさまら、多くの乗客で混雑するカウンター付近ががらがらです。カウンター女性が、手を振り「東京へ行く人、そこの日本人!こっちよ」とロシア語で私を呼んでいます。

 このとき、やっとハッとしました。ひょっとして飛行機が飛び立つ寸前なのかと。
 荷物の20キロ制限もクリア。いつもお願いしている座席指定もOK。パスポートコントロールも、数人が並んでいるが、きょうは窓口の方が多く開いているのですぐに順番が来て終わる。
 出発ゲート付近も人が少ない。いつもなら大勢の人がいて座るところもなく、嫌だけれど階段に座り込んでビールを飲みながら時間を待つのに、きょうはイスの方が待っている。きょうはもうビールを飲む要求もない。だって、さっきあんなにご馳走とワインをいただいたのですから!!

 すぐに出発ゲートへ。ここは出発ゲート前で荷物検査です。手荷物全部と靴も脱いで、検査機を通過させます。靴を入れる靴用の箱が用意されていたのがわからなく、ふつうの小荷物いれお盆(?)に靴を乗せようとして、怒られた。

 すでに搭乗ははじまっていました。

 そうそう、忘れてはならないマスク。私の飛行機内必需品です。マスクをすでにつけて乗り込みます。モスクワの空は雨上がりのキラキラと輝く太陽です。きれいです。「さようなら。でも、またすぐに来ます」。

 飛行機はガラガラでした。私の希望は、真ん中のシマの通路側席です。真ん中2つをあけて向こう側に女性が座っています。前の方に日本人団体が座っています。
 けっこう窓側が詰まっていて「窓側」を希望する人が多いらしい。私は、窓側でひとりなら良いけれど、隣りにたとえ知り合いでも、その人をまたいだりしてトイレへ行ったりの移動をするのは、とってもイヤ、何よりもイヤなのです。だからいつも通路側。新幹線でも通路側です。
 10時間近くの機内です。できるだけ快適に過ごしたい。
 
 前の座席の日本人グループから聞こえてくる日本語。久しぶりの日本語です。彼らは日本の朝日新聞を広げて言っています。「国会解散よ。総選挙よ。小泉さんどうなるのでしょうね」。

 日本はこれからどうなるのでしょうか、などとちょっとだけ思い巡らしたが、すでに睡魔が襲ってくる、乗り込んでホッと安心して、眠い。日本の今後については、日本で考えることとしましょう。

 知らぬ間に飛び立っていた。飲み物が配られたときに起きて「お水をください」だけ。その時に気が付いたけれど、2席むこうの通路側にいた女性がいない。大きいバックを空いている席に置いていたのが印象的だった、それだけを覚えているがいまはそのバックもありません。
 しばらくすると、日本人女性が、私に、「ここに座っていた人はどこへいかれましたか?ここ空きましたか?ここへ変わりたいのですが」とのこと。
 「彼女がどこへ行かれたかは私は知りません。どうぞご自由に」と伝えて、私はまたトロリトロリ。先ほどの日本人女性は空いた席に移動して見えるかと思ったが、そのままです。

 食事が配られてきた。が、満腹が続いているので、いままでではじめて食事はお断りしました。そして、空いている3席を使って、つまり4席に長々と横になりました。マスクをはめ、顔を隠すスカーフをかけて、毛布と枕を工夫して。
 
 そして、空の上、大爆睡です。
 


2005年11月17日

【 68号 】 モスクワ、さようなら

  ~~~~ 8月9日午後  モスクワを去る日~~~

 モスクワ市の北、全ロシア展覧会センターの大きい門に「再会」を誓って、シューラ運転の車は、私を後部座席に乗せて、一路モスクワ市の北西部に位置する、シェレメチボ空港へ走ります。
 「空港は近いところだよ」と言うシューラに任せて、私はモスクワの町をきょろきょろと見回して黙って座っているだけです。飛行機の出発時間は19時25分です。空港には、その2時間前には到着していたいので、このまま順調に走ればちょうど良い時間となる、そういう計算です。

 夏の火曜日は、さほども車の渋滞もなく、ほっと安心しているシューラです。ほとんど信号もないので気持ち良く走ります。
 風はさらに強くなってきました。だんだん暗くなってきました。と、降ってきました。

 まるで南の国のスコールか!急にたたきつける雨です。車のワイパーも追いつかず、前がほとんど見えません。でも走ります。怖いです。

 さすがに車全体のスピードは落ちてきてはいますが……。と、あるところで、車の流れがぴたりと止まりました。前方の見える車全部が止まっています。雨は少しだけ小ぶりになったような。しかし、ワイパー全開です。

 運転手は黙っています。
 ここだけの話しですが、シューラは、私の友人でもある彼の劇場関係者日本人をやはりシェレメチボ空港へ送っていくときに、道を間違えてしまい、空港へ着いたときにはすでに飛行機が飛びたってしまった、と言う、ニガーーーィ経験の持ち主です。
 それ以降、空港へ行く時には、余裕を持っていくようにしているようです。きっと、いまの彼の頭にはその時の情景が浮かんでいるのではないでしょうか。

 少し動き出しました。が、それはやはり少しだけ。そんな時間がどれくらい過ぎたでしょうか。

 雨が急にやみました。急に太陽が出てきました。なんと言うことでしょう。まぶしい光がフロントガラスに反射します。おおお!!車が、急に流れ出しました。すぐに全部の車が遅れを取り戻すように、ビュンビュンと走ります。

 空港の建物が見えてきて、ほっとしました。建物は見えてもまだ距離はあります。と、シューラが「大丈夫だよ」と言います。

 空港の前はいつもたくさんの車が駐車場を探したり、降ろしたり乗せたりで、車がくちゃくちゃ状態です。出発ロビー前はどこの空港でもそう言う景色ですが、ここはいつもくちゃくちゃ光景です。やっと入り口に近づいて、私に「先に下りて先に中へ入っていなさい。僕は止めるところを探して行くから」。

 トランクを下ろしてもらい、まず建物の中へ。ここは空港建物に入る全ての人がセキリュテイーチェックを受けます。混んでいます。ラインはひとつだけ。建物に入る人すべてが荷物をラインに乗せて、あの赤外線チェックを受けるのですよ。それなのに、ラインがひとつとは!!

 並んで待ってやっとチェックを受けて。私は空港通路というかホールで、トランクを開けて最後の詰め直しとロープ掛けです。「早くシューラ来てくれないかな」。セキュリティチェック場のラインは、2本になったようで、並んでいる列は短くなりました。が、そこにはシューラはいません。駐車場に苦労をしている模様。
 トランクは、毎度の旅でしっかりガードしてくれる、長さ5メートル弱、縛り上げることのできる器具が付いている優れもの強化ロープで十字掛けにしばります。男の人の力でぐっと縛ってもらうとうれしいのですが、と、苦労をしているとシューラがやっと到着です。

 トランク縛りを手伝ってもらい、私は「トイレに行きたい」と荷物を彼に預けて、トイレに走る。

 そして、とうとうシューラとお別れの時です。 …………。………。ありがとう、さようなら………。

 私はチェックインカウンターへ進みます。

 「東京行きはこっちよ」と声をかけてくれる係員です。カウンターの周りに乗客がだれもいません。


2005年11月09日

【 67号 】 Счастливцы (私たち幸せ者です)

 ~~~~8月9日 風の強いモスクワの午後 ~~~~

 1枚の写真がすべてを表しています。
       
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 人と人の出会いはすべて台本ができているものと、私は思っています。偶然はありません。
 「この人と出会うように、いままでのすべてが、ここへ向けて歩いてきた」のです。

 俳優は、ご馳走に大喜びです。そして、舞台や映画の仕事の話から、このパビリオンを使ってなにか新しい表現仕事のイメージが湧いてきたようです。その後、支配人と打ち合わせもしていました。

 私は、ご馳走を前にくらくらしながら、美味しいワインと幸福に酔い、ロシアと出会ってからのすべてが、ここに集まっていた感動にも溺れておりました。
 ロシア語できないし、ロシアについても無知ですし、こんな私にでも幸せを与えてくださるこころ広いロシアの友人たちは、ナントすごい素晴らしい人たちでしょう。

 マルレンさんは、「また、9月に日本へ行くよ。EXPOロシア館のあと片付けに行くよ」。
 それはとてもうれしいことです。

 では、読者の皆様には写真でごちそうをみていただきましょう。

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 漁業パビリオン内レストランですから、お魚料理です。大皿はお魚の盛り合わせです。
 満載キャビア。トマトに載ったチーズ、イタリア風です。
 ワインはどこのかな?わかりません。
 ジュースは「オレンジ・りんご・さくらんぼ、なにになさいますか?」って尋ねられて即答です。
 「日本ではめったに飲めない、さくらんぼジュースをください!」
 ワインと同じ色をしていますが、さくらんぼジュースです。不思議な甘さの美味しさです。

     別の角度からも、どうぞ。
 くだものの盛り合わせは本物です。
 各種パン。美味しそうですね。
      
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    メインもお魚料理です。
        
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 鮭の切り身のマヨネーズ焼きイクラのせ、付け合せは日本を意識して白ごはんにしてみました。
     =これ、ちょっと魚臭くって、わたしはつらかった。魚の臭いを和らげる、しょうゆかしょうがなどがありますともっと美味しくなりました。


   デザートはこれ。
            
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 デザート用にと、別バラを残しておりましたが、ダメでした。こんなに手の込んだお菓子なのに食べきれず、とても残念でした。


 ◇ ◇ ◇

 私たちはとても幸福な時間を過ごしました。マルレンさんにこころから感謝です。ありがとうございます。
 外は風が強くなってきました。雲の色もちょっと怪しくなってきました。
 「飛行機の時間が心配だから早めに空港へ行きなさい。またいつでも、モスクワにおいで。待っているよ」と優しいマルレンさんです。
 シューラともども熱くお礼を申し上げて、私たちは、一路シェレメチボ2空港へと走ることとしました。全ロシア展覧会センターがあまりにも広いので、次の機会にゆっくり見学することとします。

 もう、さようなら、モスクワです。
 が、そうは簡単に帰してくれない、モスクワです。   


2005年11月06日

【 66号 】 全展覧会センターとは?

 ~~~~8月9日午後 風が強くなってきたモスクワで~~~

 ロシア全展覧会センターの地図です。ロシア語ですが、広さとか建物の配置とかがわかります。
 いったいどんなところなのでしょうか?
 おなじみ「地球の歩き方」誌によりますと、
 “ ソ連時代は「ソ連経済発展展覧会場 ВДНХ」と呼ばれ、社会主義の宣伝に使われた。”
 そうです。

 愛・地球博ロシア館が配布していました、モスクワ市宣伝パンフレットによりますと、
 “1939年に開設されて、(略)敷地面積は238ヘクタールで大規模な展示館、公園、池、噴水、果樹園、農業実験場などを含む広い展覧会場になっています。”
 参考までに。愛知万博長久手会場は、158ヘクタール。瀬戸会場は15ヘクタールでした。

 続けて、モスクワ市宣伝パンフレットの中では、
 “毎年全ロシア展覧会センターでは146回あまりの展覧会・博覧会が開催されており、中には40回の国際展覧会も開催されています。一番人気のある展覧会は、『「花」国際的な展覧会』、『「黄金の秋」ロシア農工業展覧会などです。
 2002年には、博覧会国際事務局(BIE)の委員会は、万国博覧会を開催するのに最適な場所として認めました。今度の万国博覧会EXPO2015は、ここで開催されると期待されています。”

 つまり、上海万博の次の万博がここモスクワで、ここ全ロシア展覧会センターで開催されるかもしれません。

 さて、私たちは、マルレンさん運転の車に乗って、38号パビリオンに到着しました。

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    ( 写真は、ВВЦ のHPから借用しました。だから、雪が写っています。)

 漁業パビリオンです。が、いったいここには人がいるのでしょうか?レストランなどあるのでしょうか?
 人の気配もなければ、人が集まるような雰囲気も感じないのですが……。

 マルレンさんご夫妻とシューラとわたしの4人は、静かで少々暗いパビリオンに入り、階段を上り3階へ行きました。そこには~~!!


2005年11月05日

【 65号 】 マルレンさんとの再会

~~~~~ 8月9日 旅の最後の日 モスクワ全ロシア展覧会センターにて~~~

 「シューラ、ここはいったいどんなところ?ディズニーランド?」と聞けば、笑いながら、「ディズニーランドではないよ。ロシア、モスクワさ…」。「ふ~~ん」。

 巨大な門の周りにというか、そこまでも距離があるから近所といえるところには、新しい雰囲気の店がいくつか並び、花壇も宣伝塔も噴水もあり、人はいろんな方向にゆっくり歩いている。日本の小さなスケールで計ることができないほど、私には大きい会場と見えます。だって、いま、門の下にいても、門の柱1本も巨大で、柱の向こう側にだれかがいてもさっぱり見えませんから。


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(写真はВВЦのHPから借用しました。あまりに大きく私には写せませんでした)


 「マルレンさんはどこかなあ??」。

 シューラも、捜しています。彼は青いシャツの人を捜しているのでしょうが、私はマルレンさんを捜しているのです。

 万博ロシア館のモスクワ市担当。全ロシア展覧会センターの重要役職に就いています。マルレンとは、マスクス+レーニンからいただいたお名前とか、ソ連時代に生まれ育った人です。
 ロシア館には、開幕前から赴任して、6月17日のロシアナショナルデーを終えて帰国されました。その前に「僕の後任は、ユーリャだからよろしくね」とステキなユーリャさんを紹介してくれました。
 
 私がこのモスクワの旅に出るとき、ロシア館通訳のコースチャには、俳優シューラの家の電話番号を教えておきました。コースチャのお姉さんに会うために。
 私が旅に出発してから、コースチャ経由でユーリャさんがマルレンさんに連絡をしたようです。
 だからマルレンさんからシューラへ電話があり、「ぜひ、連れていっしょに展覧会センターへ来るように」とのことで、きょうが実現したのです。

 と、柱の角に、「アッ、マルレンさ~~ん」。熱い抱擁です。うれしくって涙がでました。

 青い縞のシャツを着て、最高の笑顔で迎えてくださいました。すぐにお隣りに寄り添う奥様をご紹介してくださって、私は、彼が日本で「妻のためにおみやげは真珠のネクッレスを買いたい」と言ってみえたことが頭に浮かんでいました。

 「さあ、僕の車に乗ってレストランへ行こう」。

 展覧会センター内は許されている車だけが走ることができるようです。そして、彼の車は、ニッサン車。シューラはそれを見て興奮していた。「あこがれの日本車だよ」。しばらく、日本車についてマルレンさんとシューラは話しています。

 すぐにレストランに着くと思ったのに、けっこう長く走っている。私にはまたまた驚きです。愛知万博の会場か東京ディズニーランドか、そんな広さのイメージを持っていたので、広いと言ってもそれほどではないだろう。が、それは小さい島国に住む私のイメージだけでした。

 広いのです。むちゃくちゃ広いのです。もう、あんぐりと驚いている私です。


2005年11月03日

【 64号 】 吉報!合格おめでとう


 ロシアの夏の旅の間、私の面倒をみてくれた俳優が、とってもすごいことをやってくれましたので、お知らせいたします。

 11月3日、モスクワに住む俳優、アレクサンドル ゴルシュコフ(愛称・シューラ)は、国立演劇大学演出学課の最終の試験や面接実技などに合格しました。

 おめでとう!!
 
 毎晩舞台にふつうに出演して、といことはその稽古にも追われます。
 そのあいまに、映画とかナレターとかもちょっとだけやります。
 他の劇場にも出演します。自分の劇団をつくり、芝居を創作しています。
  ===そんな過密なスケジュールの中でも、かって卒業した演劇大学の別の課に昨年再入学しました。
 「演出家を目指すために」と。
 
 偉大なる俳優シューラです。
 夢の実現にむけて大奮闘しましたね。

 もう一度、おめでとう。

 また彼のお芝居見たいなあ。
 もし、ユーゴザーパド劇場へ行く機会に恵まれている方。
 ぜひ、「巨匠とマルガリータ」、「検察官」、「結婚」、「ロミオとジュリエット」など ご覧ください。シューラの熱演がご覧いただけます。私もすぐにでも観劇の感激に合いに行きたいです。


【 63号 】 モスクワの北の町へ

~~8月9日 午後 モスクワやや風強し ~~~~

 午前中、買い物や荷物つくりやいろいろしていたら、あっと言う間に約束の時間が来てしまいました。12時、荷物を全部持って、部屋に忘れ物がないように点検してチェックアウトです。
 
 シューラは、ちょっと遅れて来ました。
 「仕事が遅くなっちゃった。水を持っていないか?」
 なんでも、「声」の仕事で、マイクの前にいたとか。「たくさんの読み物を読んだから、水が飲みたい」。
マイクの前の仕事はどんなものなのかは知りません。私が持っていたペットボトル水を一気飲みしました。
 
 以前彼は私に、「アッラ プガチョワ 愛の歌シリーズ・シューラ制作オリジナルテープ」を作ってくれたことがあります。世界にひとつの音楽テープです。俳優が語るプガチョワの歌への思いと歌が交互に入っている優れもの。
 その後、「俳優が読むロシア童話」のテープ制作をお願いしてあるのですが、まだ作られていません。
「ちょっと忙しいから」と言われて、私もそのままにしてあるのですが、いつか必ず吹き込んでもらいましょう。
 
 車に荷物を積んで、きゅうりやトマト、ネクタリンを渡すと「だれにもらったの?」「ひとりで買いに行ってきた」と言えば、「ひとりで!?」と、続けてなにか言ったがわからない。きっと「高いところで高いものを買った」と思っている、とわかる。まあいいじゃあないの。

 乗り込んだ車の助手席には、、「読んできた」という台本がバサッと置いてある。「これを全部読んだ」らしい。「難しいものなんだ」そうだ。

 風が少し強くなってきたモスクワの南の町から、クレムリンがある中央を通って、北の町にある「ロシア全展覧会センター(Всероссийский Выставочный Центр)へ。さて、なにがあるところでしょうか。
 マンモス展示場があり、それについてはロシア館スタッフが勧めてくれたので行ってみたいが、あとはさて?

 万博ロシア館の展示に「モスクワ市コーナー」があり、ВВЦから担当者がいく人かスタッフとして来日している。が、ВВЦについてはまったく知らない。何回もモスクワに来ているが、いつも南部の方をウロウロしているので、北の方は初めて。

 シューラの車は走る、走る。クレムリンが見えてきたら「よく見なさい。もう今回は見えないからね」。
今回もクレムリンには、ゆっくり行けなかったなあと思う。また今度です。
 火事で燃えてしまった「中央展示ホール」は再建されて新しくなり、町のシンボルとなるようです。
 「劇場前広場」をとおりながら「ボリショイ劇場」も改築工事がはじまり、テントがかけられています。
 「ツム百貨店」はテレビCMで「新しくなりましたよ。お買い物はツムで買いましょう」みたいにやってましたね。05年1月来た時にここへ寄って、あまりにも高いものばかりでビックリしたのすが、もっと高級品志向になっているのでしょうか。
 「ここKGBだって知っているよね」とシューラ。右手側にはごっついビルの旧KGB。急に車が混んできて、割り込んできたので危ない。こわい。

 04年1月シューラが出演したマヤコフスキー第2劇場の近く、地下鉄「スーハレスカヤ」のマクドナルドが見えてきた。「このマクドナルド来たよねえ」。「ああ、覚えているよ。熊の時だね」。
 そうです、熊の役のシューラだった。子どもたちのための年末年始サンタクロースと雪娘のお話し。おもしろかった。

 平和大通りに来ると、オスタンキノテレビ塔が見えます。南の方とはまったく違う景色です。モノレールがあり、もうВВЦですって。

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 どこをどう走ってたのかよくわからないが、車はすっごく大きい門の近くに止り、「さあ、マルレンを捜してください。僕は会ったことがないからね」。

 あまりにも大きい門です。見上げてクラクラしてしまいます。人もいろんな方向からたくさん歩いています。「この門で待ち合わせ。彼は青いシャツを着ているって言っていたよ」。


2005年10月30日

【 62号 】 お買い物に行きましょう

  ~~~8月9日 いよいよ帰国の日 朝のモスクワにて ~~~

 やっと満足に思う眠りから目覚めて時計を見れば、朝7時過ぎ。窓の外はきょうも晴天。やや風が強く吹いているようです。サリュートホテル5階からは周りの住宅街を見ることが出来ます。

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 まずは、久しぶりにお風呂へ入ろう。もっと熱い湯が欲しいところだけれど、これでもOKの湯に、日本からのハーブ入浴剤を溶かして、ゆっくりと入る。湯の中で本日の計画を考える。シューラは、12時に迎えに来てくれ、ロシア全展覧会センターへ行って、マルレンさんと再会して、その後展覧会センターのどこかパビリオンを見学して、そして空港へ。19時25分発の東京行きに乗って……。
 あとわずかなモスクワです。風呂上り、片付けながら見ていたテレビでは「日本の長崎は原爆記念日です。原爆から60年の夏です」と伝えていた。そうです。8月9日も世界はこの日を伝えて欲しい。

 朝食は1階のレストランでバイキング形式です。サラダにスープ、熱い料理、冷たい料理、くだもの、デザートなどたくさん並んでいる。贅沢だなと思う。あまり空腹感もないので軽く済ませて、外へ出る。

 ホテルから歩いて20分もかからないところが、ユーゴザーパドナヤ地下鉄駅です。その周辺はデパート、スーパーマーケット、大小の露店が並んでいます。シューラは「ひとりで歩いてはダメ」と言いますが、ナイショで歩いてみましょう。私のロシア語で買い物に挑戦です。

 道行くバスやトロリーバスや相乗りワゴン車がどれもきれいです。みな新車になったようです。夏だからでしょうか。サンクトペテルブルクでもそう思ったのですが、めちゃくちゃオンボロ車がとても少なくなったように見えます。ロシアの景気のよさでしょうか。

 デパートは開店したばかり。べつに欲しいものはないので、さらりと見て回るだけ。なんでも売っている。「ないものはない」と実感します。

 外の露店で、ハンガーにかかった女性用下着が、太陽の光のもとにさらされて売られている。その隣りでは、化粧雑貨が並んでいるし、靴屋も、鍋屋もきょう一日頑張って売りまっせと、ところ狭しと商品が並んでいる。残念ながら、購買意欲はないのでちょっとのぞくだけ。

 先日シューラと行ったスーパーのお菓子売り場で、万博スタッフのためにチョコレートとハルバというロシア人大好きお菓子を買うことにしましょう。
 背の高い売り場の女性に「チョコレート10枚お土産にします」。
 「どこから来たの?」
 「日本です。日本のお友達におみやげにするのよ」って言うと、
 「日本にはチョコレートはあるの?」
 日本のためにしっかり応えておかねばなりません。
 「もちろんあります。美味しいものあります」。
 彼女は「ロシアのチョコレートは美味しいのよ。他になにしますか?」
 とても笑顔のステキな優しい人です。

 いくつかお菓子を買ってお金を払ったら、小さいキャンデーを1つもらいました。とってもうれしかった。

 次はチーズの店をのぞいて、ひも状のスモークチーズを買いましょう。これなら少々日持ちもしますから日本へ持って帰れます。ここの女性も気持ちが良い人です。

 外へ出て露天の八百屋さんにならぶネクタリンを見つけました。サンクトペテルブルクで食べた瑞々しいあのネクタリンの記憶がよみがえり、また食べたくなりました。1キロいくらという表示で、お姉さんが袋にいれて量りにかけます。「10個頂戴な」。「○○ルーブルよ」と難なく買い物ができるかと思ったら、お釣りを彼女は間違えたのかどうか、少なく渡してくれます。あれ?
 「マーラ !」と抗議すると、無言で不足分をくれました。


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 次に美味しそうなトマトを買いましょう。
 「これ美味しいの?」
 「もちろんさ。さあ、どれだけ買うの?」、八百屋のおかみさん。
 「そうね。6個くらい」。と、言ったのに、おかみさんは
 きゅうりに手を伸ばして
 「こちらのきゅうりも買うでしょう?買いなさいよ」。
 商売上手のおかみさんのやり手に乗ってしまいきゅうりも買い、トマトも買いました。

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 生野菜を買って日本へもってきたの?と思われるでしょう。ちらりときゅうりなら日本へ持って帰ることができるかな?とは思ったもののそれは、いろんな意味で危ないのでやめました。
 昨日ご馳走になったシューラ宅へのお礼の品にしました。

 両手にかなり重いビニール袋をぶら下げて、モスクワ市民おばさんスタイルで歩いてホテルへ帰りました。ホテルの部屋ですぐに、ネクタリンを洗って口にしたのですが……、ああ、あのペテルブルクの朝のネクタリンには負けるモスクワネクタリンでした。


2005年10月29日

【 61号 】 余話 *** 犬の話し

 犬が大きいというべきか、犬も大きいというべきか。モスクワのあちこちで熊のような、犬が町をかっ歩してしております。もちろん小型犬も中型犬もいます。

 私は6月に日本で中型犬に足をかまれ、それから、すっごく犬が恐くなりました。

 モスクワで泊まっていたホテル近くの住宅街の犬達が、飼い主と散歩をしている光景には、ちょくちょく出くわして、そんなときは彼らと離れてそっと歩いていました。決して「おいでおいで」などと日本語でちょっかいを出しません。

 と、ある日、大きくって黒い犬が、若い女性と散歩をしていました。もうひとり後ろから歩く女性は小型犬を連れていました。小型犬が先に私に吼えてきました。いや~な感じ。

 と、黒い犬が突然、私めがけて走ってきました。「きゃあ~~~」と私は叫びました。
 と、若い女性も驚いたのでしょう。犬のひもをすぐに引き寄せました。犬はとても長い紐でつながれており、若い女性は携帯電話中でした。ホッと安堵したものの、もし、ここで犬に襲われたら私はどうなったことでしょうか。と、想像するのも恐いので想像しません。
 
 その日、テレビのニュースではきっと「町の犬を捕獲しているが、その犬達を保管する小屋?がもう犬でいっぱいだよ」みたいなニュースをしていました。“犬問題”も抱えているモスクワです。
 
 犬に襲われないように注意しましょう。
 狂犬病がまだ存在するロシアです。破傷風も恐いし。ナント言っても犬にかまれると強烈痛いです。と、経験者は伝えます!!


2005年10月28日

【 60号 】 余話*** 時差の話し

 夏の間のモスクワやサンクトペテルブルクと、日本の時差は5時間です。日本のほうが5時間早く1日がはじまります。私は時差の調整がとっても難しく、体内時計の調整は苦痛でなりません。

 だから、この夏の旅の間も、こんなこととなっていました。

 日本時間朝7時=あちらでは前の日、深夜2時。毎日深夜2時~3時、ばっちり目があいていました。身体が「朝ですよ、起きなさいよ~」と言います。

 日本時間夜12時過ぎ=あちらでは楽しい夕方7時ごろ。急に睡魔に襲われます。まさに電池が切れたように動けなくなります。

 旅の間の体内時計は、睡眠の時間がわかっていないようです。細切れ睡眠です。お酒で少し酔って寝ても、深夜に目がばっちり開いたりします。
 「たっぷり深く寝満足」という達成感!がちっとも得られません。いつも寝不足です。

 この旅は夏で太陽の光を浴びる機会も多く、体内時計調節に必至と言われる太陽光線はたっぷり浴びえていたので、元気にしていましたが、それでも、身体のどこかは「眠い」が続いていました。

 暗くて寒い冬の旅は、それはもっとたいへんです。時差は6時間です。演劇シーズンで観劇に出かけて芝居の幕が開くあちらの午後7時は、日本の深夜1時!!!睡魔との戦いです。
 だから、観劇の前に眠くならない工夫をいくつかしています。
 午後の時間をゆっくりする。午後の時間眠る。その後熱い風呂に入るなど。

 そして、旅の後半、帰国寸前になってやっと身体は、モスクワ時間を体得する気構えになるのですが、遅い!です。

 旅は相当にエネルギーを使います。時差もあわせて決してムリをしないで、自分の身体に正直に、いたわりながら楽しみたいものです。


2005年10月25日

【 59号 】 長い一日、ワインで酔って……。

~~~~~ 8月8日 夕方のモスクワにて~~~~~
 
 モスクワの中心地=クレムリンから東北のところあたりの大通りの一角に止めた車の中で、ユリアさんと私はお話しをしました。と言っても私の思考回路は停滞しておりまして、ユリアさんはロシア語と英語と両方で話してくれるのですが、「弟は日本語ができてもお姉さんは日本語できないのね」なんていう、お馬鹿なアタマになっておりました。シューラは?私たちを車においたまま「両替と買い物」に行きました。私が「両替!両替!」って何度も言っていたので、「僕が行ってくるから、ユリアさんと話していなさい」。

 しばらくして、シューラがケーキを買って戻ってきました。

 ユリアさんからは、愛する弟が好きだと言うロシアのお菓子とか飲み物を預かりました。そして「パパとママからの手紙も渡してください」とも。
 なんだか胸がキュンとなってしまいました。「大丈夫、早く必ず届けます」。

 シューラは私に「今度モスクワに来たらユリアやコスチャに会えるね、友だちが増えたね」とうれしそうです。ユリアさんと再会を約束して彼女とお別れしました。

 車は「さあ、僕の家に行くよ」と一気に走ります。早く家に着いてねと私は祈っていました。

 午後9時くらいです。シューラの家に到着です。もう何度も来ている彼の家。私はみんなへのあいさつもそこそこに、ずっとガマンしていた御用の部屋にまっしぐらです。「ああ、もうちょっとで危なかった。ホオ~~~」。

 シューラ夫婦と3人の子たちとシューラのママとで楽しい夕食会です。長男のアリョーシャが私をパソコンの前に呼んでくれます。「僕の写真を見て」。なんでも友だちとキャンプに行ったときの写真で、「湖と山がとてもきれい。友だちと遊んだよ」とうれしそうに見せてくれました。

 次男のジィーマ君は私が行くといつも照れているのです。「サンクトペテブルクへ行ったことあるの?」って聞いたら、「僕まだ行ったことないんだよ。行きたい」とちょっと悲しそうな顔していました。今度いっしょに行きたいなあ。連れて行こうかな。

 2歳のポーリャはちょこまかといろんなことをしています。私がペテルへ行く前にシューラが「ポーリャは猫が大好きなんだ」と言っていたので、サンクトペテルブルクの本屋でみつけて買ってきた「猫の絵本」を気に入ってくれたようです。が、それもつかの間で、そこらへんに置いたまま遊んでいます。

 俳優の娘ですね。パパは言葉の専門家として、ロシア語を何度も直しています。それになにか詩の一部でしょうか、彼女は暗誦して聞かせてくれました。きっとパパが教えたのでしょう。「2歳でロシア語をこんなにしゃべっているよ」と感動してしまいました。

 ワインを少しいただいたのですが、効いてしまってなにか途中から記憶喪失でした。でも覚えていることがあります。
 「またすぐにモスクワにおいでよ。待っているよ」。とみなさんが言ってくれたことです。

 何時くらいでしょうか。シューラに車で送ってもらい「お休みなさい。また明日」とホテルの前でお別れしました。ユリアさんからの荷物を抱えて、部屋に戻ってすぐに私は眠りました。きょうも長い一日でした。


【 58号 】映画撮影のあとは

~~~~8月8日 モスクワの夕方 ~~~~~~

 映画撮影の見学と言ましても、同じところにじっと座っていたわけではなく、撮影場所や角度が変わればそれについて、小さい移動をしていました。モニター画面を見に行ったり、撮影の近くに行ったりとしてました。なによりも、なにがどうなっていくのか、いつどうなるのかという、場を読めない状況は、緊張です。

 きょう見てきた場面は、きっと公開フィルムでは、ほんの1~2分もないような場面かと思います。
 主人公(監督兼俳優)が町の若者に悪さをされて、大事なかばんなどが燃やされるが、突然町のボスのような(俳優はイーゴリー)がやってきて若者達をやっつけてしまう…。そんな場面と見たのですが、公開フィルムではどのような……???

 モスクワの乾燥した夏の日でしたが、午後から気温が下がっていきます。終わった時はホント疲れてしまいました。シューラの車に乗り込んだときは、ホッとしたのですが、しばらくしゃべる(ロシア語)ことは面倒でした。シューラは逆にひと仕事終えて、ハイです。

 車はちょっとだけ走って、広い通りに出るとすぐに、ユリアさんが待っていました。彼女をすぐ車に乗り込んできました。シューラと映画の話しなどをしているのですが、どうもユリアさんも忙しそうです。日本へ万博へ行っている弟のコースチャに運ぶものを託されました。

 「今度はいつモスクワに来ますか?」

 ユリアさんに聞かれて即答はできないのですが、必ず再訪はします。
「そのときはぜひ、お会いしましょう」と固い約束をしました。


2005年10月22日

【 57号 】 映画撮影現場から (長文)

  ~~8月8日 モスクワやや涼しくなってきた午後~~~

 どれだけ時間が経っただろうか。俳優シューラ(アレクサンドル ゴルシュコフ)はかなり気合が入っているので、空きの時間も厳しい顔をしています。私のそばに来ても黙って座っているだけです。もう、付き合いも長いので、こういう時間には声をかけないほうが良いだろうことはわかります。

 また、場に付き、演技に入るとイタズラのデカイ少年になります。

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 私は、座っているだけではタイクツです。でも、でもどこにも行けません。そっとここを抜け出して、町の探検に行こうかな?黙って行っても、告げて行ったとしても、どちらでも彼が心配して演技の世界が壊れてしまいます。ここは彼のためにじっとガマンです。

 が、もうひとつだんだんガマンできない事態が私に起こりつつあります。困ったな~、どうしようかな~。そうです、これは生きていくうえで大事な大事なことです。ずっと外にいますし、あたりの様子もわかりませんし……。

 スタッフの女性たちはどうしているのかな?だれかに聞いてみようかな?

 と、撮影現場すぐ近くの事務所から、お姉さんたちがドアの前で見学しているのが目にとまりました。
 ロシア語で、「ごめんなさい、トイレを貸してください」とお願いをしましたら、気持ちよく「どうぞ、こちらよ」。助かりました。ホッとしました。生き返りました。
 「なんと言う映画なの?」とその事務所の若い女性に聞かれましたが、「私は知らないのです」と答えると不思議な顔をしてました。

 おなかも空いてきました。こういうとき日本はロケ弁だよなあ。時間はもう午後3時です。撮影現場はすっごく緊張感がいっぱいで、俳優たちもスタッフも休憩もありません。手の空いた人がお茶を飲んだり、どこかへ消えてはすぐ戻っていますが。

 シューラがそばに来て「昼食食べましょう」と言うので、私はてっきりどこかへ食べに行くのかなにかを買うのかと思ったので、「お金持っていないし」。きょうは両替をしなければルーブルを持っていないのです。ヘンな応えをしたのでシューラは苦笑しています。「お金は要らないよ」。エッ???

 ロケ弁でした。ロシア料理ロケ弁です。

 ロケバスの中には、各種お弁当が用意されていました。「好きな物を取っていいよ」。

 私は、そばの実(гречка)を主食に、豚肉とサラダの詰め合わせのパックとトマトスープにしました。パンは別にきりわけてあります。果実のパック詰めもあります。それらを手にして、シューラといっしょに現場からちょっと離れた、小さい公園のベンチに座って食べました。でも、シューラは出番を気にしているのがわかります。美味しいロケ弁ですが、ちょっと落ち着きなく食べました。シューラも大急ぎで食べてすぐに次の場面の撮影に入っています。

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 イーゴリさんがいよいよ登場です。彼は主役級でしょうか。彼用のイスがあり、メイクも衣装も彼専門に女性がついています。イーゴリーは、さっきまで短パンのお兄ちゃんでしたが、黒いスーツになって現場に入るとますます光ってきました。でも、彼の出番も少しづつ細切れです。

 待っているのが映画俳優でしょうか。緊張感と集中力の緩急自在さに敬服します。カメラの前に立つとピシッとサッと演技に入り、はずれるとさっと顔がかわり、でも、また役になるとすごい光を放ちます。これができなければ一流ではないのでしょうか。
 そんなことを、シューラやイーゴリーたちを見ていてわかります。演技の集中力はすごいものです。もちろん映画の撮影だけではなく舞台でも同じことです。

 だんだん風が冷たくなってきました。シューラがそばに来て「まだ終わらない。いまから別の場面を撮影して、また僕たちの撮影がある」とちょっと不満そうです。この後の約束のことを気にしているようですが、仕方がないですね。

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 さっきから暑い夏なのに冬服を着て見学している女性がいます。出演の女優さんでした。彼女の出番の撮影が、ちょっと向うの建物の前でされています。覗きに行きました。

 カメラは窓辺にたたずむ彼女と窓から手を振る彼女を写しています。もちろん、照明スタッフやいろんなスタッフが動き回っています。
 映画撮影スタッフも厳しい仕事です。緊張感の仕事です。照明スタッフのリーダーの動きがどんどん活発になってきました。機材も大きくなってきました。日が長いモスクワの夏でも、太陽の動きで明るさは一日中均等ではないからでしょう。照明スタッフの若い兄さんは午前中は、本を読みながらのんびりしていましたが、いまは忙しそうです。時々リーダーから厳しい声も飛んでいます。

 監督は自分も俳優をやっていますから、その動きはすごいものがあります。衣装係は気がぬけません。監督が俳優となるとさっとその場面の衣装に着替えさせます。監督はさっと俳優になり、役に変身です。役者の手に持たせる道具類もさきほどから、並らべられています。小道具係ですね。彼女はさっと役者の手に道具を持たせたり、離させたりを機敏に動いています。どうも革のかばんが監督は気にいらないようで、かばんを投げたり踏みつけたりして、“古く”しているのは小道具係です。

 また、撮影場面は変わりました。火が出てきましたよ。シューラがその火を点けるようです。
 悪ガキ君は、かばんや衣服を監督がやっている役がらから奪ってしまい、それらに火を放ち燃やしてしまいます。火が立ち上らねば画面的に面白くないからガソリン?でしょうか。火が大きく出ます。危ないなあ、と私は心配しています。

 その場面は火の勢いが問題なのか、かなり細かい指示が監督からでているようです。シューラがリハーサルを繰り返しています。もちろん危なくないように助監督がウラで細工をしています。おもしろいですね。こういうのがあって面白い映画ができるのですね。

 無事、火を使った撮影も終わりシューラの撮影も終わったようです。監督と熱く握手をしています。
 すぐにシューラは、事務方らしき女性のところへ行き、なにか書き物をしています。メイクを落としているとその女性がシューラになにか渡しています。本日の賃金です。いくらなのかは私の知るところではありません。そして、衣装の赤いシャツを「もらったよ」と嬉しそうにしています。

 私はすっかり疲れました。そして、そろそろまた要求があるのですが、もうここは引き上げるのでしばしガマンしましょう。時間は午後7時は過ぎていますが、まだまだ明るいモスクワです。でも、きょうはちょっと冷えます。日本でいう秋が近づいてきた夏の夕暮れのような気配です。

 「この近くでユリアが待っているよ」。ユリアさんは、万博ロシア館で通訳で働いているコースチャのお姉さんです。弟のために持って行って欲しいものがあると言いましたから、会わねばなりません。


【 56号 】 Внимание !! (ハイ 集中!!)

 ~~~~~8月8日 晴れの映画撮影現場 モスクワ ~~~~~

(この号、写真たくさん、重いです)

 きょうもすっきり爽やかな晴れです。でも、昨日よりはちょっと気温が低く、ビルの影などに吹く風には、秋の気配も感じます。空には白いモクモク雲が流れていきます。

 シューラの車は、モスクワ南部から中心部へ向かって走ります。ラッシュ時には渋滞しているこの大通りも午前10時を過ぎたこの時間はスムーズに走って、窓の外には、いくつか見慣れた景色があります。左手には以前泊まった「スプートニク」ホテル。好きなホテルです。親切な部屋係の女性や青い目のとても美形!!青年給仕がいましたね。
 有名なガガーリン像が見えます。
 レーニン像もあります。
 小さな教会が見えます。以前よりもきれいになっています。
 このあたりを右手に曲がってさらに行くと……、ダニロフスキー修道院とホテルがあります。ここのホテルはおすすめです。とても静かで落ち着いています。料理もとっても美味しい…。

 などと、もう私もかなりのモスクワ通です。クレムリンが見えてきたら、シューラは道端に止って地図を出しています。きょうの現場を捜しているのでしょうか?また、走り出したもののどうも自信がなさそう。でも、私にはどうすることもできないので、後ろの席で、また窓の外をきょろきょろと見ているだけです。

 都心の古い住宅街に入ってきたようです。「しばし待っていて」と彼は車を降りて、なにか捜しているような?いまも私はきょうはどんな撮影現場なのか、建物の中か外なのかさえもわかりません。行けばわかるので、聞きません。と、いうかシューラもわかっていないのじゃあないかな?そんなわけはないか。

 戻ってきたシューラは「ここで車を降りて」。

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 古い住宅街の中庭が、現場でした。すでに幾人かが集まっていますが、まだ仕事にかかろうという雰囲気ではありません。カメラ担当者が木組みの足場を組み立ています。が、他のメンバーはお茶をしながらおしゃべりです。シューラは私を幾人の人に紹介してくれました。
 「まあ日本から。ようこそ」。
 「日本のKitano (北野武)の映画を見たよ」
 「サムライ映画はたくさんあるのですか?」など、シューラの通訳?で交歓です。
 
 誰が俳優で誰が監督でなど、いまはさっぱりわかりません。

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 シューラはやっと落ち着いたようです。やっと笑顔になってくれました。

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 「きょうはここが終わったらユリアに会いに行って、それから僕の家で夕食だよ。明日は、マルレンに会いに行こう」。はい。彼の言うとおりにします。

 シューラが着替えてきました。他の俳優たちも集まってきました。それぞれの役割が動き出しました。俳優は向こう側に、スタッフはカメラの後ろに、見学者はもっと離れたところに、つまり私は用意された簡易イスに座って「見学していなさい」です。
 
 最初はカメラテストのようです。いく人かのスタッフがきりりと動き回っています。俳優たちもカメラの前で移動しながら発声準備もしているようです。シューラも何度も口をあけたり、身体を柔軟にしています。

 「Просто повезло」(和訳は「運が良かっただけ」という意味)という題名の映画撮影。

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 きょうの場面がどんな場面で映画の全体の中でどんな位置なのか、どういう設定なのか、さっぱりわかりませんが、こういう機会もそうそう経験できるものではないので、興味津々で見ていましょう。

 今まで集まっていた人が散り、空間ができて、ひとりが建物の向うへ行き、大きな声で
「Приготовились !!! Внимание !!!」 

 撮影現場に緊張感が走ります。それは見学者の私にもわかります。大きな声を出した彼は監督であり俳優でした。

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 監督が演じる、役の彼が、建物のこちらからあちらへ歩いて行くと、建物の影からシューラたち3人が彼を襲うのです。シューラは少年の役でしょうか。かなりデカイ悪ガキのようですね。1度撮影したらその度にモニターで確認です。シューラは私をよびます。モニターの中では、歩いてきた男をからかって襲う若い兄さん達の悪そうな顔が大写りでした。でも、俳優も監督も不満そうです。

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 それからその場面を何回繰り返して撮影をしたでしょうか?
 監督の大きな声での「Приготовились !!! Внимание !!!」 が繰り返されます。 

 

 途中雲が太陽をさえぎってしまったので、太陽待ちもあって、とても時間がかかっています。やっと「OK」となり次の場面へ。

 でも、先ほどの場面の続きではないようです。その後わかったのですが、いろんな場面の細切れ撮影なのですね。きょう、出演の俳優登場場面を写しておくというものでしょうか。だから、シューラはもちろん他の俳優たちも、次々に場面に合わせて監督の指示どおり動き回っています。

 その間に、メイクは俳優の顔を直したり、監督助手は、背景に写りこむだろう遠くにある資材置き場みたいなところまで走っていったり、照明係はいくつかの照明器具を設置したり、はずしたり。

 撮影が始まったころやってきた、ちょっとオーラの出ている男性、デカイ声で話している男性、私は注目させられた彼がそばにやってきて、「シューラからあなたのことは聞いています。あなたが日本から来てシューラはいつも喜んでいます。シューラは僕の親友です。僕はイーゴリーです。よろしく」と、おっしゃって。ちょっとドギマギしてしまったのですが、うれしかったです。そのオーラはやはり俳優でしたか。

            
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    《白いシャツは イーゴリ・赤いシャツ(衣装)は シューラ 演技で意見交換中》

        
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 住宅街での撮影ですから、住人や通行人らが見にきています。  
        ※次号に続きます。


2005年10月21日

【 55号 】 もう、また引越しました。

 ==== 8月8日 朝から晴れているモスクワで =====


 部屋は静かで助かったが、湯が出ない部屋ではこれもダメです。
 バイキング朝食を済ませてから、フロントへ行って、きょうはへらへら笑わずに、きりりとして「湯が出ない部屋は困る。すぐに変えて欲しい」と伝えたら、「湯が出ない?」と言いながら、すぐにどこかへ電話をしている。メンテナンス関係のところへか?
 
 「部屋をかわってください」とこれまた、あっさりと言ってくださった。でも、彼女の手と目はパソコンから離れずに、部屋を探している模様。何度か画面を変えている様子。と、「527号へ変わってください」。

 1830号室へ戻り、トランクへなにもかもつめてまた、引越しです。

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(1830号室からのモスクワ 中心部)


 3泊の連泊が日替わり部屋交代で、これもまたおもしろそうです。

 「どうか今夜はこの部屋で静かにしっかり眠れますように」と、まず湯の点検です。きりりと熱くはなっていないのですが、まあ大丈夫です。昨夜いた1830号室の下となるので、ホテル裏側で静かです。

 そんな騒動をしていると約束の時間です。急いで支度。でも、どんなかっこうで行けばいいのでしょうか?と、考えても持ってきている服をやりくりするしかないから、Tシャツの上に長袖カーディガンをはおり、帽子をかぶってでかけよう。

 1階に下りてフロントに行くと、先ほど部屋の交換手配をしてくれた女性が「湯はでますか?」と聞いてくれたので「ハラショー」と今度は笑って返事ができました。

 シューラがやってきました。部屋の交代を告げると「湯が出ない部屋はホテルの部屋じゃあないよ」と言い、私に「早く車に乗って」と促します。

 さて、どこへ行くのでしょうか?


【 54号 】 ぬるい!!

  ~~~~8月7日 遅い夕方というか夜の時間 でも明るいモスクワ ~~~

 2家族と私のにぎやかな夕食会も終わり、マラトやマリーナ、ダニエルとの再会を約束してまだ明るい外へ出ました。シューラの車に乗り、しみじみとまたまた、とっても長い一日を過ごしていると思った。

 シューラは「明日は映画の撮影に行こう。朝、10時にホテルへ迎えに行くよ」。
 ちょっとワクワクします。映画の撮影……、でもどこへ行くのでしょうか?スタジオかな?観光名所かな?美しい景色のところかな?
 「どこへ行くのですか?」
 
 シューラはひとこと「ぼくも知らない」と笑いましたが、それはウソです。ときどきウソを言います。

 車であっと言う間に、私のホテルサリュートに到着です。マラトの家はこのすぐ近くなのですが、私には位置がわかりません。目の前のあの建物は、マラトの家からも見えていた建物かな?あれの裏側かな?と、ちらりと考えた(だけだった)。

 部屋に戻って、まず1番にお風呂を入れよう。が、ぬるいのです。湯がどうしてもぬるい。すごいショックです。

 ピリッと熱めの湯に入って、手足を伸ばしたい。

 湯の温度は想像で、38度くらいかなあ?


【 53号】 すいか

 ~~~~~~8月7日 暑いモスクワの夕方 ~~~~~

 私はすいかが好きです。夏の暑い日の食べ物はすいかです。人生最後の食べ物のデザートくだものはすいかにしていただきたいと、所望しております。とりわけ甘く瑞々しいものにしていただきたい、と。

 だからモスクワの町のすいかハウスで、すいかの山を見たとき「買いたい、食べたい」となり、重さ10キロのすいかを買いました。2家族との食事会のくだものデザートのために。

 が、マラトは喜びませんでした。

 「(8月)いまごろのすいかは美味しくない。切ってあるから、病気になる」と言いました。

 モスクワあたりのすいかの美味しい時期は9月くらいらしい。
 道端で、洗ってもいないすいかに、汚い包丁を立てて切ると、そこからバイキンが入り込み、激しい腹痛を起こすらしい。
 
 ちょっとムッとなったシューラと私。
 なにかシューラがマラトへ言った。(私には理解できなかった。きつい口調だった)。
 マラトは洗面所へすいかを持っていき、かなり時間をかけて洗っている模様。そして、目の前で包丁を入れて切り分けてくれた。

 私は一番にいただいたら、あらまあ、ハズレ。甘いと言えば甘いけれど、ねぼけている甘さです。

 「お塩をください」。
 「なにするの?」
 「美味しくなりますよ」と塩を少しすいかにかけて食べると、甘さが引き出されてちょっと美味しくなりました。

 が、それを見ていた彼らは、驚きです。「そんなあ、すいかに塩?!」

 「日本ではすいかは切って売っているから、大丈夫だよ」と言ってしまったら、マラトは笑いながら「ここはモスクワだ」とのことです。そのとおりです。

 やはり、ぶどうが良かったかな?
 マラトは、すいかの残りをビニール袋に入れて、シューラに、お持ち帰りをさせました。


2005年10月17日

【 52号 】 マラトさん ご紹介しましょう


  ~~~~ 8月7日 午後 暑いモスクワにて ~~~~

                       
 マラト ダサエフさんは、シューラの親友で、モスクワ大学のある部署の研究者、ときどき運転手でも働いています。私は彼が好きだけれど嫌い、でも大好きです。とっても優しいけれど、思いがけず厳しくって、でも頼りになるインテリです。日本語はできません。

 いままでの私のモスクワの旅には、いつも運転手として空港への送迎、街の案内や買い物も付き合ってくれ、なにより私にロシア語を、きびしく教えてくれる先生でもあります。

 お嬢さんのディアナちゃんがまたとても可愛いのです。そのディアナちゃんがお姉さんになりました。6月半ば弟のダニエル君が生まれました。マラトとマリーナさん夫婦の長男です。マラトは家事と育児に多忙な夏です。彼らはモスクワ南西部の立ち並ぶ住宅街のなかの高層住宅4階に住んでいます。

 シューラとターニャ夫婦も「ダニエルを見に行くのは初めて」と、うれしそうです。アリョーシャとジィーマとポーリャも楽しそうにマラト宅を訪問です。ポーリャは2才。おしゃまな女の子です。「ダニエル、ダニエル」とお姉ちゃん風を吹かせています。

 マラトはかわいいダニエルを抱っこして、パパの顔で私たちを迎えてくれました。

 ダニエルとマリーナさんはとっても元気です。あれ?デァアナお姉さんがいません。
 「彼女は、Лагерь (ラーゲリ)に行っているよ」
 「エッ?Лагерь ?」 (どこかで聞いた単語?なんだったけ??)
  と、隣りにいたジィーマ君が私のノートに単語を書いてくれました。
 マラトは「さあ、辞書で調べて!!」。
 もうこれで私は「キャンプ」を覚えました。「収容所」の意味もありますが、ここではキャンプです。


   
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   (ジィーマ君です。マラトではありません)

 みんなが揃って、ダニエル君の誕生・私の再訪・ポーリャの誕生日(7月末)などいろんなお祝いをいっしょに、みんなでジュースで乾杯です。

 私の拙いロシア語をみんな聞いてくれます。彼らが話すロシア語を私は聞き漏らさずにしています。ノートを開いてときどきは筆記をしてもらいます。意味がわからず「あれ?」と思うと、そこには俳優がいます。演技で教えてくれます。それを見てみんなが笑って、とっても楽しいひとときです。

 ダニエル君はママに抱かれてご機嫌で、私を迎えてくれました。
 「はじめまして、ダニエル君」


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 2歳、言葉を覚えるのがとっても面白いときです。ポーリャが話すロシア語がおもしろくって彼女について聞いていましたら、シューラが「日本語を教えてやってよ」。でも、ポーリャはこの日本人を、まだちょっと恥ずかしく遠巻きに見ているのです。

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 たっぷりのサラダ・鶏料理・温野菜などのご馳走が並びます。デザートはマラトが「ぼくが作ったんだよ」と言う、平ボールで作られた甘いケーキです。その甘さが、さっきホテルの喫茶で仰天した大型ケーキにちょっと似ている。ナッツ系が細かく砕いて入っています。蜂蜜の甘さかな?なにの甘さでしょうか?
 「美味しい!!」 (また食べることに夢中で写真はありません。後悔!)

 マラトは「間単に作ったケーキだけれど、ぼくもこれ大好きだから」。
 「甘さはなに?」
 応えは、練乳でした。なるほど。

 私が買って持っていた10キロのすいかで、もめました。


2005年10月14日

【 51号 】 買い物に行きましょう

 ~~~8月7日 午後 暑いモスクワ ~~~~~

 約束の午後1時、ホテル1階に降りるとすでにシューラがいました。
 会うなり、「マルレンって知っていますか?」と聞かれて驚きました。
 
 「知っています。EXPOで名古屋に来ていた人。いまはモスクワにいるよ。ВВЦ(全ロシア展覧会センター)で仕事をしている人です。とっても優しい人ですよ」。

 「彼が君に会いたいって。電話があったよ」。

 マルレンさんから?私は彼には直接モスクワに来ることは伝えていないけれど、ロシア館のスタッフのだれかが連絡をしてくれたのでしょう。会いたいマルレンさんです、うれしいです。

 「そしてね、(コースチャのお姉さん)ユリアからも電話があって、明日会う約束をしたよ。彼女も君に会いたいって」。ユリアさんは先日お会いした時、「日本へ弟へ持って行ってほしいものがある」と言ってみえたので、もう一度会うことは予定していた。

 シューラは、「マラトの家に行く前にまず買い物をして、それから僕の家に行って、マラトの家に行こう」。私は「日本にいるロシア人から頼まれたものがあるから、それを買うつもり」。

 モスクワ市の南西部地域、ユーゴザーアパドナヤの地下鉄駅周辺のごちゃごちゃといろんなお店のある中のシューラのお気に入りお店へまず行く。

 天井の高いホールの中にそれぞれ専門店が入っているお店です。ドアを開けるとすぐにケーキ屋さんがあります。
 「マラトへのおみやげはケーキにしますか?」と聞くと、シューラの返事は「ケーキはいらないってマラトは言ったよ」と、言いながらシューラの目はケーキをあれこれ見ています。そして、「きょうはいらないけれど明日は買いましょう」ですって。明日はシューラの家での夕食会だから。

 お菓子売り場で私は頼まれたチョコレートを発見。万博ロシア館メンバーが「食べたい」と叫んでいたものです。「いま買うのですか?この店は安いけれど、次にここで買いなさい」。そうしましょう。

 他のお店なども覗きながら、お菓子や子ども達への小さいお土産などを買いました。

 外に売っているすいかを私は「食べたい!買いたい!」と叫び買いました。(1キロ10ルーブルだよ)の手書きの看板の下にある量りにスイカを乗せて、シューラが小声で言う「アゼルバイジャンの兄さん」に100ルーブル払いました。と、シューラは兄さんに「本当に赤いスイカかい?切って見せてよ」と言う。兄さんは水につけてあった包丁をすいかの頭に深く刺して器用に“四角すい型”を切り出しました。赤い色のすいかでシューラは納得していました。

 「赤色だと思って買うと黒いすいかもあるから」。ホントかな?

 買い物したいろいろと10キロのスイカを持っていても平気なシューラ。私は手ぶらで賑やかな市場方面へ。「ぶどうはどう?」と言う彼に、大きいすいかを指差して「もういらないよ~」と言ったあとで、(アッ、シューラはぶどうだったのね)と気がつく私でした。
 
 暑いです。夏の日です。でも名古屋の暑さにくらべりゃあ何のこともない。でも、暑い。

 そこからほど近いシューラの家に行く。もう何度も来ている集合住宅街です。古い住宅を壊して、少しづつ新しくしているらしく、いつ来てもご近所のどこかが工事をしているようです。「僕の家が新しくなるのはいつかなあ?」と、いつも言っていますが、まだまだのよう。

 外で遊ぶ5~6人の子ども達がいます。そのなかのひとりが私に手を振り笑っています。「だれかな?」シューラの次男のジィーマ君です。「うわあ、背が伸びた」10歳です。肩幅も広くなり少年らしくなりました。日本語で「こんにちは」とあいさつをしてくれます。「こんにちは」っと大きな声であいさつをすると彼らは笑います。

 集合住宅の1階にあるシューラの家。ドアをあけると妻のターニャさんが待っていました。女優として活躍しようと思っていたときにシューラと出会って結婚しちゃったので、「女優をやめた」という美人のターニャは、また大きくなっていました。ロシア女性はある年齢を超えると、大きくなってしまうのです。特に腰まわりとかが。

 シューラは私に氷を入れたりんごジュースを飲ませてくれました。私が氷をばりばり食べたら、ターニャは驚きます。「エッ!!氷を食べるのですか。エッ!!大丈夫ですか??」と。
 氷を使うというのは彼らの生活にあまりなく、シューラは舞台公演で各国に行っているのでこの氷入りを知っているけれど、ターニャにはとても不思議そうでした。

 子ども達とは時間の約束をしてあったのでしょうか。アリョーシャが帰ってきて、外で遊んでいたジィーマも家に入ってきて、ふたりは「暑いよ~」と言ってジュースを飲んでいます。シューラは3人の子のパパですから、もうひとり小さいポーリャは寝ていました。「彼女が起きたらマラトの家に行こう」です。
 


2005年10月13日

【 50号 】 ここはモスクワでした~!

~~~~~~ 8月7日 昼 モスクワにて ~~~~

 どれくらい眠っただろうかと、時計を見ると午前11時半。2時間くらい眠っていた。でも、どこかすっきりしない。きょうは足が痛い。6月に犬にかまれた傷跡がなんとなく痛い。靴をはくのをやめてサンダル履きとしておこう。

 ダラダラと用意しながら洗面所の湯がなんとなくぬるいのは、昼間だからかな?と気にしなかった。

 なんとなく空腹で、熱いお茶となにか甘いものが少しだけ食べたい。それと旅の手帳に旅日記を忘れないうちに書いておきたいから、ホテル1階の喫茶室へと行く。

 サリュートホテルは05年1月にも利用したところです。ホテルのあちこちが改装中ですが、喫茶室は1月と同じです。メニューやテーブルのセットの仕方も同じです。いま、私はモスクワにいますという緊張感はなく、以前に座ったところという意識のほうが強かったような。なんとなくそんな気分でメニューにあったケーキと熱い紅茶を注文した。

 少しだけ甘いものが食べたいのです。ここであまりしっかり食べるとせっかくマラトさんの家にお呼ばれに行くのに、ご馳走がたべられなくなると失礼です。

 しばらくして、運ばれてきたケーキを見てぎょっとした。甘いケーキ1切れが超特大です。「うわあ、ここはモスクワということを忘れていた~~」と、超特大ケーキを前にやっと?気がついたのです。ずっとなんとなくぼんやりしていたのが、目が覚めました。
 日本に多いこぶりケーキを見慣れた目には衝撃!!

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 これがまた美味しいのです。蜂蜜たっぷりの甘さと、いままで冷蔵庫に入っていた冷たさと、丁寧に作ってある美味しさです。が、全部食べられない!!どうしようか~~。
 
  ▽ ▽ ▽

 その後のこのケーキは波乱の2日間を過ごすのです。
 もったいないと苦しんだ私は、部屋にお持ち帰りにした。
 すぐでかけたので、シューラの家に持っていき、冷凍庫にいれてもらった。
 翌日またシューラの家に行った時、ケーキは冷蔵庫に移動していた。
 なにかに押されてぐちゃりとなってみるかげもない状態に変化していた。
 そっとゴミ箱へいれてしまいました。

 ああ、いまも思い出します、あの美味しさ~~。


2005年10月10日

【 49号 】 ああ、この部屋はダメ

  ~~~~8月6日 夜 モスクワにて ~~~~

 シューラたちと別れて、部屋に戻り、「さあて、この部屋に3泊だからトランクから荷物を出して」と、眠いけれどそれだけはしておきたかったから、トランクを開ける。が、まだ薄明るい外の様子が気にかかる。ホテルの前には大通りがあり、相変わらず車は多く、ビュンビュン走りその音が18階まで上がってくるのです。
 
 モスクワ南西部にあるこのホテルは、お気に入りの劇団ユーゴザーパド劇場のお隣りのようなもの、シューラの家にも近いということもありまして、ここを希望したのですが。一旦車の音が気にかかるとどうもねえ。窓はもちろんしっかり閉まりますが…。

 私はなにが大事と言って、車の音が聞こえない静かな環境が大好きです。この旅の前半に泊まった部屋は同じく大通りに面していてもこんなに車の音は聞こえなかった。なにか高さとか部屋のある角度とかに関係しているのだろうか。

 でも今夜は仕方がない。明日朝に、フロントへ引越しを申し入れよう。と決意して眠る。耳にずっと響く車の音……。

 明けて、8月7日、きょうも晴れ。朝から気温が高い。窓の下はこんな感じです。

   saryut 18f.jpg

 朝食はきょうはそれぞれに配膳されましたが、あまり食べたくない。やはり寝不足です。

 フロントに行き「部屋がうるさいので換えてほしい」と伝えると、すぐに「1830号に換わりなさい」とのこと、あまりにも簡単に引越しができて?ちょっと拍子抜け。フロント嬢からもっといろいろ言われるかもと予測していたのであります。

 今度の部屋は、反対側になります。たしかに静かです。住宅街が見え遠くにモスクワの中心部の尖塔がみえます。では、ここでもう一度眠りましょう。


2005年10月09日

【 48号 】 モスクワに戻ると…

~~~~~ 8月 6日 晴天のモスクワの夕方 ~~~~~

 モスクワシェレメチボ国内線空港の出迎え口は狭く、ひとめで迎えにきているかどうか、到着したかどうかなどわかります。シューラはきっちりしている人で、この飛行機の時間を私の目の前でメモして持っていましたから、間違いないでしょう。なにかあったのかしら?大渋滞にでもはまったのかしら?大きなトランクを持っているので、動き回ることはやめてじっと待っていることにしましょう。

 30分くらい待ったでしょうか。白いシャツを着て、妙に赤い顔のシューラがやってきました。「仕事が終わらなかった……」と。「さあ、車に乗って」。

 車に近づくとだれかが車の中にいます。若い青年のよう?「リョーシャだよ」とシューラ。

 アレクセイ(愛称リョーシャ)はシューラの長男です。とってもきれいな顔をした優しい彼です。会うたびに大きく成長しているのですが、きょうはいっそう青年になっていて驚きました。「こんにちは」と日本語であいさつをしてくれたリョーシャです。声もすっかり大人の声です。

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 「ペテルブルクはどうだった?レナは元気だったかい?」俳優シューラたちはペテルブルク公演のときレナに観光案内をしてもらい、レナもモスクワからやってきたユーゴザーパド劇場公演を楽しんだことがあるのです。
 「映画撮影の仕事が遅くなってしまった。リョーシャも映画に出演しているんだよ。きょうは、暑い外での撮影で何度も同じことの繰り返しだった……。さあ、サリュートホテルへ走るよ」。だから赤い顔をしているのですね。
 
 ホテルはついこの間出発したホテルですから、もう私は要領
はわかっています。今度の部屋は1805号、表側の大通りに面している部屋、ちょっと車の音がうるさいかな?

 ホテル下の喫茶で、3人で再会を喜びました。と、いうかシューラもリョーシャも撮影現場から駆けつけてくれたようで、お腹をすかせているようです。私も少々疲れたのでビールを飲んでくつろぎたい。

 「きょうの映画の撮影は短い時間の予定だったのに、何度も繰り返すからちょっと疲れたよ」。
 「なんていう映画ですか?」
 「『Просто повезло』という難しい映画なんだ」(簡単に運んだ)っていう日本語意味でしょうか?
 「日本で観ることができるかしら?」
 「ははあ~、それはどうかな??」
 「どんな衣装なのですか?」(私は役者の衣装が気にかかる)
 シューラもリョーシャも笑うのです。「さあて?」

 リョーシャが「日本語教えてください」と言う。
 「女の子は『ちゃん』でしょ?男の子は『君(くん)』でしょ?僕はまだ『君』ですか?」、おお、大人になりかけの青年らしい質問ですね。ここで『君(くん)』ですよと応えると彼のプライドが崩れそうです。と、いうよりももう立派な青年ですから、はっきりと応えましょう。
 「リョーシャは『さん』です。リョーシャさん」。
 とってもステキなホッとした笑顔を見せてくれました。

 「明日はマラトの家に行こう、マラトが待っているよ」。
 マラトとはシューラの親友で、私がモスクワに行く時いつも運転手をしてくれる優しい人です。6月に14年ぶりに長男が誕生したので、会いにいかねばなりません。
 「今夜はゆっくり眠りなさい。明日も午前中は寝ていなさい。13時に迎えに来るよ」。
 私は、ビールの所為もあるのでしょうが、すごく眠くてそれはシューラにもわかったのでした。


2005年10月08日

【 47号 】 3日間のペテルブルクだった。

 ~~~8月6日 晴天のサンクトペテルブルク ~~~~

 朝ダラダラとしながら部屋のテレビをつけるとTOPニュースは「日本の広島はきょう60回目の原爆祈念日です。広島では朝からたくさんの人が集まり慰霊式を行いました」と伝えています。そうです。全世界できょうはこのニュースを大きく伝えなければなりません。日本では毎年このニュースが小さい扱いとなっていくことに、こころを痛めている私は、昨年の8月6日は広島に、あの祈念式典場にいました。
 日本の方が5時間早く時間が進んでいますから、いま日本では午後2時くらいか。録画画面の広島も暑いようだ。きっと燃えるように暑い日本だろう。きょう、ここペテルは晴天の爽やかな日です。

 ゆっくりと贅沢な朝食を済ませ、そう言えば、前2日間早朝から奮闘していたので朝食も久しぶりです。その後ひとりで街を少しぶらぶら歩き、本屋に寄ってロシア語絵本を買う。出会った両替所に寄ろうとしたら、すぐ近くにちょっと怪しげ(に見えてしまう)お兄ちゃんたちが、たむろしているのが目に入り、ここではやめときました。

 ホテルの部屋に戻り、大爆発状態のトランクを整理するがあきらかに重い。飛行機に乗せるときに航空会社ともめるのは一番いやなので、「そうだ、レナに頼んで郵便で送ってもらおう」と決めて、風呂敷に厚手の服類などを包んだ。

 約束の午前11時にまずレナが元気にやってくる。昨夜家に戻ってから「少し本を読んだ」とか言っているし、私のためにおみやげを用意してきたとも。まあ元気なレナさん。
 オレクもやってきた。きょうも元気な笑顔です。彼は昨日も言っていたが、「いま家をリフォーム中で、(私を)家によぶことができずに申し訳ない。今度来た時はぜひ家にきて欲しい」と今日も朝から言っている。「家族も君に会いたいと行っている。今度はきっと会って欲しい」とも。うれしいですね。必ずお会いしましょう。

 さて、例の風呂敷を頼むとオレクは「すぐに送るよ。でもきょうは土曜日だからその荷物は職場(博物館)で預かっておくよ」と彼はその後風呂敷包みを面白がって持ってくれた。

 トランクをホテルに預け、ネフスキー通りを歩いて彼らの働く民族学博物館へ行きましょう。途中おみやげを買ったり、写真を写したりします。きょう、私は、ペテルブルクを16時55分の飛行機でモスクワに向かう。時間に余裕はないのだけれども……。

 晴天の気持ちが良い日です。きょうもタンポポの綿毛を大きくしたものが飛んでいます。そう言えば昨日ノブゴロドではまったく飛んでいなかったのは、曇天だったからだろうか。

 サンクトペテルブルク市の中心部にある彼らの博物館(ロシア民族学博物館)をゆっくり観る時間はありません。2002年冬に一度レナに会いに来た時に観たことがありますが、「今度来た時にはたっぷり時間を