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2007年02月18日

光太夫さんで、より日露の交流を

 大黒屋光太夫さんは、ご存知の通り、1782年に伊勢白子の港から船で、江戸へ向かっていたのに、北のアリューシャン列島に漂流してしまった船乗りさんです。その後の彼と彼をとりまく人々のいろんな運命がいくつか重なり、日本の歴史とロシアの歴史にも名を残す人となりました。

 光太夫さんが当時のロシア女帝エカテリーナ2世に謁見でき、日本へ無事に戻ってきたのは、白子の港を出てから10年後のこと。その間にどれだけご苦労されたことでしょうか。ロシアの地を少々知る人たちは、あの過酷な自然の中で生き続けていた彼の強い運命に思いを馳せてくださると思います。「日本へ帰りたい」の強い思いがあって、ロシア語も学び、ロシアの人々とともに生きて笑って泣いて闘っていたから無事に戻ってこられたのだと思います。

 光太夫さんが江戸に戻り、歴史的には隠されていた、「故郷へ戻る=40日間」が近年明らかになり、また鎖国の時代に外国へ行った「罪人」の扱いも、事実ではないことも明らかになったと言われています。
 だから、地元鈴鹿市伊勢若松地域では、堂々と胸を張って、光太夫さんを町の英雄としています。以前は小学校の一角に、整理もされず置かれていた光太夫さんの資料を、町の人々の情熱で2005年秋に記念館を作り上げたのは、素晴らしいです。無料で公開していることも拍手を贈りたいです。

 記念館は「光太夫さんが覚えたロシアの文字を覚えよう」と、キリル文字でのあいうえお表記印刷物にしています。ロシア全土の地図で都市名もいれて光太夫さんの足跡を入れています。サンクトペテルブルク郊外の夏の宮殿の写真とエカテリーナ2世に謁見できた広間の写真も飾っています。
 また、「ロシア科学アカデミーにある光太夫さんの愛用品」のレプリカのすずりと扇も置いています。ロシアがいっぱいある記念館です。

 私は、サンクトペテルブルクで科学アカデミー・クンストカメーラ(人類学・民族学博物館)に行き、光太夫さんのみやげを見てきたのですが、展示は地味なものです。
 地元伊勢若松の人たちは、サンクトペテルブルクに興味を持っている人たちも多くいるようです。子どもたちもロシアのことをもっと知りたがっているようです。
 私はこれから、光太夫さんとともに、三重県鈴鹿市とロシアサンクトペテルブルク市がもっと交流できるとおもしろいことだなあと考えているところです。

 ああ、大黒屋光太夫さんは、いまの私たちに日露交流を呼びかけているようです。

 伊勢若松の地元の人たちは、「北槎聞略」=帰国した光太夫からの聞書集の学習会も定期的に開催していると知りました。これもすごいことです。

 春の旅は、伊勢若松を歩き、光太夫さんたちが船出した白子の港をたずね、美味しい穴子料理でお腹も満足させる、そんな旅をおすすめいたします。

 近鉄名古屋駅~急行「伊勢若松」まで730円、約50分ほど。伊勢若松から徒歩15分で、記念館。途中は案内板もあり、わかりやすいです。


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Comment on "光太夫さんで、より日露の交流を"

マーミンカさん、こんばんは。よっしです。
マーミンカさんのご紹介のロシアに流れ着いた日本人というお話を読んではっとして、先日購入したNHKラジオ・ロシア語講座2月号に確かそんな記事が載ってたようなとうろ覚えの記憶をたよりに、2月号を読み直してみますと、98ページに☆日ロ文化交流史の本を読もう☆という記事がございまして、そこに光太夫のことがちょこっと書かれていました。(『北槎聞略』)
そこには三重県伊勢の人だとはひとことも書いていなかったのですが、こんなご近所の人だったとは、マーミンカさんのご紹介で親近感がわきました。

  •   よっし
  • 2007年02月18日 19:14

 ぜひ、おでかけください。

  •   マーミンカ
  • 2007年02月19日 06:30

マーミンカさんこんばんは。「おろしや国酔夢譚」を読みたいと思いつつまだ読んでいません。大黒屋光太夫にはとても興味があるのです。

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