2006年12月11日
**86号** オランダ島を1周する
~~~5月13日晴れ、歩くサンクトペテルブルク ~~~~
買いおいてある食材と美味しい黒いパンで朝食を済ませました。ガリーナに「きょうは、街をたくさん歩きます」と、伝えてさっさと部屋を出ます。
もう、方角も所要時間もわかってきたサンクトペテルブルク市内中心部です。歩いて、ジーマの住むワシリー島へ向かいます。
ここで、私とサンクトペテルブルクの旅、移動手段だけをちょっと振り返っておきましょう。
97年と99年は、少人数だったけれど団体ツアーでバスで市内を移動していました。渋滞にはまったり、バスを待つ無駄な時間を過ごしたりしました。
2000年、5人の旅だったので、地下鉄やタクシーで移動しました。車の渋滞とガラガラ状態が極端で、どのように何を使って移動するかを考えると、スムーズに動くことができると、わかりました。
2002年、ふたりだったので、歩きました。でも、冬の道は寒くって凍っていて、歩きにくく困りました。
2005年夏、歩くのも、運河めぐりで舟からも、地下鉄も利用して、町の地理がわかってきました。
2006年1月は歩きました。ひとりで小回りが利いたので、歩いて歩いて町をもっと知りたくなりました。
このような変遷を経て、今回の旅はもっと知りたいサンクトペテルブルクですから、歩くことをいとわずに、ひたすら歩きます。そして、歩きながらしっかり見てみたい場所へ、いまから行きます。
そこは、「オランダ島」とよばれるところ。
小町文雄著「サンクト・ペテルブルク」の文中57ページに「ニュー・オランダ島」の紹介がありますので、引用させていただきます。
===(運河をめぐる)ボートから見るのが最適の名所は、ニューオランダとよばれる、城のような昔の貯木場である。昔はここに造船用の材木を貯えて、のちに海軍省となった造船場に運んだ。ピョートル大帝がオランダで学んだ技術にしたがった施設なので、このようによばれた。モイカ(運河)の西端にある三角形の島で、石とレンガの高い塀に囲まれたものものしい施設である。
堂々たるアーチ状の門があり、木材を運び出すために、内部まで水路が続いている。ふつう、ボートは三角形の2辺を通るだけだが、私(小町氏)は内部まで入ったことがある。赤黒い石とレンガ、内部に茂るポプラの緑、周囲の水の青さが不思議なハーモニーを作り出していた。
===引用終わり。文中( )内は、マーミンカが追加しました。
私のオランダ島との出会いを記しておきましょう。
以前の旅でも出あって見ていたと思うのですが、はじめて意識して見たのは、2005年夏でした。運河めぐりで舟がこの茶色の建物の脇を通ったとき、少々不気味さを感じ、写真を写すこともやめた場所です。崩れたれんが、それに倒れ掛かった木々、建物は暗くガラスがあちこちで割れていて、どんな建物かもわからなかったところ。
2006年1月雪の中で歩いたとき、「もうこの建物は壊すよ」と教えれて、ふっとなにか大事なものが無くなっていくことを残念に思って、気味が悪いと言いつつ、もっと見ておきたいと願う。
ジーマに「オランダ島」について尋ねた。ジーマ アレクサンドルビッチ 歴史・民族学博士は、難しいロシア語で、私はあまり理解できなかったが、わかったことは、「歴史のある建物も古くなれば、壊してしまう。そしてそこに大レジャー施設をつくろうと言う。サンクトペテルブルクの町は大きく変わろうとしている」というような説明をうけて、彼の残念そうな様子とともに、「こりゃあ一大事」と、私のなかでは「もっと見ておきたい」との、見学熱が発せられ、興味が一層に駆り立てられたのです。
5月春のはじめの、オランダ島を写真でごらんください。日本語で紹介されているガイドブックなどには登場しない「オランダ島」です。もうすぐ壊されてしまうらしい「オランダ島」です。これは貴重な写真と、自負しております。






※※ 写りこんでいる時間は、日本時間です。現地時間は、マイナス5時間です。
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