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2006年04月08日

61号 旅の最後に大イベント の 1

===1月7日 サンクトペテルブルクの夕方===

 桜たよりが北上している日本で、いつまでも1月の旅の報告を書います。でも、まもなくこの旅も終わりますから、もうちょっとのお付き合いをどうかお願いします。

 ◇  ◇  ◇

 St.Peter.はご存知のとおり300年の歴史の街です。郊外は戦争によって破壊されつくしたところもあり、いま開発が進んでいるところもありますが、街の中心部は300年の歴史をあちこちに残しているようです。ロシア皇帝たちが栄華を誇った街です。いまも昔もロシアの叡智が集まって、熟考され論議され訓練されなどして、世界へ発信されている街です。

 ワシリー島ネバ河沿いには、サンクトペテルブルク大学をはじめ、学問研究施設がたくさんあり、どれもが歴史的な由緒ある建造物です。ジーマの住宅はその一角にあるアカデミー会員の家です。

 招待されて、オレクといっしょにドアを開ければ、ナント大勢の人たちが集まっていました。みなの目が私をいっせいにみつめます。

 「うああ~、どうしよう」です。

dom 1.jpg

(緊張の中で写した2枚のうちの1枚。もう1枚は失敗だった)

 私のなかでは、「ジーマの家族と友人たちと、まあ私をいれても10人くらいだろう」と勝手な想像をしていました。が、それは見事にはずれました。

 何人集まっていたのでしょうか?いまもわかりません。大きなテーブルの上にはとってもたくさんの料理が並んでいます。ろうそくの火が揺れています。壁には大きな鏡があります。クリスマスの飾りもたくさんにぎやかに飾られています。その大きなテーブルをぐるりと男女が囲んでいます。
 天井が高い部屋は、こんなに大勢が集まっていても窮屈ではなく、みなが余裕を持って座っています。そうですね日本で言えば、豪農の座敷をふたつぶち抜いて、座敷机をならべて宴会が行われているような、そんな景色を想像してください。我が家の狭い家ではまったく、あのようなことはできません。

 わたしのために用意されていた椅子に座り、ポーッとぼんやりしていると、私のとなりのジーマのパパから自己紹介がはじまりました。おひとりずつ名前を言います。私は、ロシア語だったり、日本語だったりしながらごあいさつです。どなたがどんな方で、どのようなご縁があってここへとか、まったくわかりません。
 いや、隣りの席のオレクが時折なにか言っていたのですが、緊張耳にはとどきませんし、ロシア語理解脳(みたいなところ)も緊張しています。

 ぐるりと1周してきたときには、私の緊張も最高です。「うああ、もっといい服を着てくるべきだった」とか、「いやあ、お化粧を濃くするのだった」とか、「髪がくちゃくちゃになっている」とか。
 テーブルの料理をジェーニャさんが取り分けてくださっても、緊張満腹で食べることもできません。
 ワインを少しいただいだけで、緊張酔いのため、しばらくまた記憶喪失です。

 ふっと我に返ったのは、ジェーニャさんが「日本のおみやげにいただいたお菓子です」と、昨日ジーマに預けたお干菓子を開けたときです。「アッ、ジェーニャ、まだ開封はあとだけれども……」と、口にはできませんでしたが、ジェーニャとジーマのうれしそな顔が見えました。

 お菓子が出てしまえば、では日本から用意してきた、お抹茶をご披露しましょうか。


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