2006年04月01日
♪ 24号 ♪ 「巨匠とマルガリータ」の舞台
お芝居でも映画でも、絵画も音楽もなんでもそうですが、いろんな感想があって良いものです。「よかった」と感動する人もあれば、「なにかわからん」「つまらん」「時間の無駄」など、100人が見れば感想は100個です。感想は正直であってこそ良いものです。
そこで一番大事なのことは、「認めあう」ことと思います。「あんな良いものが、なぜわからないの!」とか、「そんなこと知らないの」とか、「そう思うあなたは、ヘンですね」とか、そういうことは言ってはならない,「ああ、こういう感想を持つ人もいる」と、認めることがとても大事だと思います。
芝居との出会いは人生の縁ですから、楽しめば良いのです。とことん楽しめばそれが、芝居です。
さて、「巨匠とマルガリータ」は難しいです。新約聖書、ローマ帝国、悪魔、ソ連、モスクワ、言論弾圧、精神病院、予言、などキーワードがたくさんあります。
2003年5月、モスクワからやってきたユーゴザーパド劇場は、日本へ芝居ではじめて「巨匠とマルガリータ」持ってきました。観劇した多くの人々が度肝を抜かれたようです。舞台は、トタン板が7枚ぶら下がっているだけです。あとはなにもありません。俳優が手に持って出てくるのも、ボウランドの杖と医者のカルテ台と電話とテープと手品のトランプとピンポン玉くらいです。長編芝居にたったそれだけです。

私は、その来日公演の芝居を見る前に原作を読みました。1度目、さっぱり話がわかりません。2度目、ノートに登場人物の名前を書きながら、人間関係などを整理して読みました。でも、まだ理解できません。そして、5月にはじめて観劇したのです。俳優の声が聞きたくって、当時はイヤホンからの日本語訳をきかずに観劇したので、これまた理解はできません。が、「俳優を見て、聞いていましょう」と楽しみました。その後に、また原作を読み、前回よりはちょっとだけ理解できたようなものですが、さて。
モスクワへ行き、モスクワ南西部の住宅街のなかにあるユーゴザーパド劇場で、「巨匠とマルガリータ」をはじめて見たのは、2003年10月のことでした。そう、日本公演で見たあとでした。悪魔のボウランドを演じたのは名優アビーロフでした。怖い怖いボウランドでした。
この小劇場での「巨匠とマルガリータ」は衝撃でした。日本で見て知っているはずの舞台なのに、音も光も俳優の動きも、なにもかもが衝撃的でした。あまりのショックで、休憩時間にトイレで吐いてしまったほどです。
舞台に登場する悪魔ボウランドは、本物の悪魔か!その一味は滑稽さの中に恐怖と気味悪さを持っているし、それらに踊らされるモスクワ市民の狂気、マルガリータが悪魔の一味となってでも会いたい巨匠への愛、最後にモスクワの空を飛ぶ彼らの姿など、もうすっかりマイってしまったのです。
次にモスクワで見たのは、05年の1月でした。前回ほどではありませんが、ワクワクドキドキして芝居を見ていました。名優アビーロフはその前年に亡くなり、演出家ワレリー ベリャーコビッチが自らボウランドを演じました。教養高く隙がないボウランドです。すでに観劇3回目ですが、計算されつくした俳優の動きはとても美しいとあらためて感動しました。
そして、今回4回目、東京天王洲アートスフィア劇場で3月22日・23日は夕方から公演されました。私が見たのは24日午後からの舞台です。7000円のチケットはちっとも高く感じません。3時間30分の公演時間は、ちっとも長くありません。
28人の俳優たちのほとんどは、いくつかの役を掛け持ちします。かなり刺激的な肌もあらわなシーンもありますし、手品やどたばたも。ささやく俳優の声から怒鳴る声、なま歌にダンス、シリアス、グロテスク、コメディもあれば、せりふに日本語も取り入れています。
まったく俳優の技量の大きさ・深さを全部見せびらかしてくれます。マイッタです。
シューラの役は、夜の部では少しカットされたようです。夜の部をご覧になった方残念でした。が、24日午後の部は「日本には君のファンが多いから出番を多くしよう」と演出家、日本人スタッフからのお声もかかったとかで、十分に舞台で見せ場をつくっていました。
手品シーンと、あるシークレットシーンは、彼のお得意です。悪魔の一味に噛み付かれて吸血鬼になってしまう狂気も、またお得意なグロテスクさで、観客にうけています。
もうひとつお得意が女装です。太目の体系を巧くカバーできるおしゃれな衣装に、きれいな銀髪と大きいイヤリング、身体の割には細い足とハイヒールで踊るシーンは、かなり注目度が高い見せ場のひとつです。あとで聞けば「背中のファスナーが上がらなかった」とか。なぜでしょうねえ?(笑)
素晴らしい「巨匠とマルガリータ」の舞台です。日本で公演してくださってありがとう。いまも目に浮かぶトタン板の光です。また見たいです。何度でも見たいです。すっかり私は酔わされました。
♪ 25号 ♪ ユーゴザーパドの「マクベス」
モスクワからやってきたユーゴザーパド劇場は、シェークスピアの「マクベス」も公演しました。21日昼、25日昼・夜、26日昼と4回の公演を、観客の大拍手で終えました。
公演した劇場、東京天王洲アイル内「アートスフィア」劇場は、この「マクベス」26日昼公演を最後に、その看板を下ろしました。その最後の舞台を飾ったのがユーゴザーパドでした。
なんだか、感慨いっぱい。いままで何回も通った、アートスフィア劇場が終わりました。
私は、25日夜と26日昼の部を観ました。どちらも終演後は鳴り止まぬ拍手と「ブラボー」です。私ももちろん精いっぱいに拍手しました。そうせざるを得ないほどの興奮に包まれました。「マクベス」には、シューラは出演していません。モスクワでも見ていません、だから今回はじめての観劇です。
幕開きからもう大興奮です。重要な役回りの「3人の魔女」を、男優が上半身裸の後姿で演じます。3人は、舞台の常識を破って客側ではなく舞台の奥へ向かって、せりふを発します。当然、十分に声は観客へ届きます。頭の後ろに仮面をつけての背中での演技です。が、これがだんだん仮面がまさに顔となり、背中が乳房とみえたり、前上半身の動きそのものなのです。
おお、これぞ鍛えられた俳優だ!!

いまもまねして彼らの動きをやってみたけれど、腕は疲れるし、背中に緊張感を持たせるとは、腹筋背筋だけのチカラではないものがあるので、あったりまえですが、私には出来ません。
俳優シューラも後で「とても難しいもので、彼らは相当の努力をしている」。当然でしょう。
舞台は、4枚の360度回転する鉄の扉があるだけです。これが、時間も場所もあの世とこの世も分ける役割を持っています。赤い照明がとても効果的です。美しく怪しく……。
名優達の素晴らしい演技。名優とは役になりきった俳優そのものが、そこにいることだとわかります。
マクベス役の ワレリー アファナシェフさん。ロシア国・人民芸術家の称号を持つ名優中の名優です。舞台はもちろん、テレビ・映画でも大活躍です。いつだったかモスクワへ行ったときテレビをつけたら、彼がなにかのCMでニコリと笑い出演していました。在露のみなさんは、きっとテレビで映画で、彼にはお会いしていると思われます。
シューラが「僕の大好きな尊敬する俳優は、アファナシェフです」と言います。
アファナシェフの「マクベス」は、次々と人を殺していく狂気と錯乱を、観客の胸に直球で届けてくれます。私は、もうまたまた、心臓がバクバクするほどの興奮に包まれてしまいました。
マクベス夫人を演じるこれまた、すごい女優 イリーナ ポチェリシヴィリさん。モスクワで素(す)の彼女に会ったことがあるのですが、素でも花が咲いている真の女優です。
夫マクベスに殺人をけしかける妻の狂気はすさまじく、その怪しさは、これまた、私を苦しめてくれました。「ああ、あなたはナント恐ろしい」。が、どこかで女性同士としてでしょうか、その強さが理解できた私も、また狂気を持っているのでしょうか。

女優イリーナは、ユーゴザーパド劇場の舞台衣装デザイナーでもあります。この「マクベス」の舞台も、みな同じ色合いの布を豊富に使ったドレス=男性もドレス=ですが、家族毎に同じデザインをどこかにさらりと取り入れて、同族であることを観客に見せてくれます。他の演目でも彼女のデザイン衣装は、それだけでも芸術性の高い評価を得ているものです。
これはあとで、楽屋におじゃましたときに知ったことですが。男性たちが舞台で着ていた鎧(よろい)と見せる網目状の上着は、あれは本物の鉄の鎖できている本物の鎧です。重さは10キロはあるようなもの。うわあ~、こんな重いものを身にまとって、軽々と芝居をしていたのですか!!
「マクベス」も俳優たちはなにも手にしません。戦の場の刀も楯もありません。宴会の杯も酒もありません。王位を継承するネックレスと、マクベス夫人が狂死する場面のナイフだけだったでしょうか。でも、観客の目の前にはすべてが存在するのです。
シューラは以前「マクベス」の将校の役で出演していました。「出番が少ない役でしょ?」と聞いたら、彼はちょっと口を尖らせて、「はじまりのエピローグを語る重要な役だ」。だから、今回その役を演じたアンドレイ サンニコフさんへも惜しみなく拍手を送りました。
もうおひとり、モスクワでシューラの演劇大学仲間として紹介していただいた デニス ナグレトジノフさん。舞台から溢れるエネルギーを感じました。シューラにそれを伝えると、「彼にぜひ伝えて、大事なことだから」と。楽屋で日本のおみやげをお渡し、前述の鎧を見せていただいたのです。
芝居は誰でもできます。が、俳優は、だれもができるものではない。天の神様が与えた天性と、努力と指導者とそして、観客が育てるものと、「マクベス」の最高の舞台を見ながら、おおいに痛感しました。 ありがとう、素晴らしい舞台でした。
♪ 26号 ♪4月、5月の公演
3月17日~27日の10日間、日本の公演と交流と観光も楽しんだ、ユーゴザーパド劇場のご一行は、「ああ、もっと日本にいたいよ~」と言いながら、まだ寒いモスクワへ戻りました。
シューラからも「日本に居たのは短くって、とても残念だよ」とメールが届きました。
4月は、ロシア国内ウラル地方の都市への公演にでかけます。そして、5月はモスクワの本拠地で毎日公演です。
彼らが本拠地の舞台で、どんな演目公演をしているか、チケット代金はどのくらいかなどは、どうぞこちらをご覧ください。
ユーゴザーパド劇場は、もっている演目が多く毎日通えば、毎日違う演目を楽しむことが出来る劇場です。俳優には相当の力量を求められて、でもそんなことはけいこを積み重ねて、乗り越えてしまいます。彼らは、素晴らしいロシア演劇プロフェッショナル!!
2006年04月02日
59号 民族学博物館のクリスマス&騒動
===1月7日午後===
ウオッカを3杯も短時間で飲めば、確実に酔います。
ジーマからの電話のあと、いつレストランを出たのでしょうか?どこかへ寄ったようで、記憶にない建物の写真があるのですが。(↓ ここはどこでしょうか?)

気が付いたら、民族学博物館の中にいました。ここでも、クリスマスの催しが開かれています。SP Walkerさんもおいででした。オレクを紹介しました。写真を何枚か写したようです。白状しますが、あのときはめちゃくちゃでした。すみません。神聖なクリスマスの集まりにふさわしくないことがわかっていましたので、時には端っこの椅子におとなしく座り、でもやはり、うろうろと観て回っておりました。
民族学博物館の大理石ホールでは、クリスマス飾りと大人やこどもの聖歌隊の歌声、人形劇の舞台ができ子どもたちも大人たちも真剣に観ていました。
着飾った子ども達はかわいくってたまりません。若いお嬢さんたちも美しいこと。老若男女が集まっています。

オレクに、博物館の館長を紹介されました。光栄なことです。「素晴らしい集まりをありがとうございます」と彼に伝えると、「ありがとうは、きょう集まってきた人たちと歌っている彼らです」。
大理石の天井が高く広いホールは暖かいのです。しみじみ、ああサンクトペテルブルクにいるのだと、実感したのでした。
約束どおり、レナと会えました。もう、ここで彼女とは今回の旅ではお別れです。「またすぐ会えるからね」と言いながら、やはり涙です。面倒見が良すぎるロシアのステキなインテリ女性です。
彼女は私に「おみやげよ」と瓶詰めのロシア蜂蜜をくださり、うれしいかぎりです。以前もいただき美味しくって感動したのですもの。
この蜂蜜をオレグに預けました。と、そのとき、オレグは自分のかばんに蜂蜜を入れようとしてかばんを落としてしまいました。たいしたことがないと私は思っていたのですが、たいしたことが起きました。
そのかばんには、私へのおみやげだと、持ってきてくださったワインが入っていたのです。みごとにワインは割れてしまったのです。オレクは真っ青となっていました。かばんに入っていた彼のいろんな書類などもワイン漬けとなったのは、あとで見せてくれてわかりました。うわあ、悪かった!!
そんな騒動のなか、また、ジーマから電話です。
「早くおいでよ!!」のようです。オレクは「ああ、タクシーで行くよ~」。
2006年04月03日
☆ 25号 ☆4月1日全世界同時発売の日本酒
日本酒の酵母が宇宙を旅してきました。そしてその酵母は日本酒となって、4月1日に発売解禁となりました。酒酵母を乗せた宇宙船は、ロシアのソユーズでした。
ロシアの宇宙開発のニュースを聞くといつも思い出すのが、万博ロシア館に来ていた宇宙開発専門家たちの元気さです。「毎日仕事ばかりさ」と言い、仕事をすることが楽しくってたまらないような科学技師たちでした。宇宙開発のことを聞けば、きっとなんでも答えてくれるだろう大専門家たち。もちろん、ウオッカも大好きで、楽しいお酒の場所をつくってもくれました。
みんなどうしているかなあ?
土佐宇宙酒については、ここをご覧ください。
お酒好きな私はもちろん申し込みました。宇宙へ、ロシアの彼らへ、そんな思い巡らし栓を開ける日を楽しみにしています。
♪ 27号 ♪ 「みんな病気なのかい?」
来日5回目のロシア俳優がみた「驚きの日本」。たぶんシリーズでおとどけできると思います。きょうは、その1、日本の春の風物詩に俳優は、驚きました。
◇ ◇ ◇
「おしえて」「なに?どうしたの?」「どうしてみんなマスクしているの?」「春だから」。
東京の某駅のホームで、行き交う人々を見ながら、シューラは小さな声で言います。
「みんな病気なのかい?どんな病気なの?」
白いマスクをつけて歩く人が多く、それを見て驚くシューラです。そうですね、モスクワの、あれだけ多くの車と人たちで、大混雑する街でマスクをつけている人はひとりも見ません。私はモスクワの排気ガスがいやで、車の中でマスクをしていました。隣りの車の人とか、歩いている人たちが、ものすごく不思議なものを見るように車の窓越しに、マスク姿の私はみつめられてしまいましたっけ。
「日本の思い出にするから、マスクが欲しい。そして写真だよ」。

モスクワ市民のみなさん、空気の悪いモスクワですから、マスクをしたほうが良いですよ。
日本のマスク業界は、ロシアへマスクを売り込み、ぜひマスクを流行らせてよ。そうだ、マスクCMはシューラ出演で、どうですか?
2006年04月04日
60号 歴史的建物の中へ。
=== 1月7日 夕方 ====
さあ、ジーマの家に行きましょう。と、言っても私は知らないところですから、ジーマの同僚オレクといっしょに行きます。民族学博物館を出て、ホテルヨーロッパのあたりに来ると、サンクトペテルブルクの繁華街ですから、大勢の人がクリスマスの夕を楽しんでいるようです。人ごみをかきわけるようにして、ホテルの前に止っていたタクシーに乗り込みました。
ジーマは、愛・地球博のロシア館でのある日、「St.Peter.へおいでよ。僕の家においでよ。僕の家からイサーク寺院が見えるよ。ほら、ここが僕の家だから」と、たまたま手元にあった、St.Peter.の地図を指差しながら教えてくれました。「まあ、街なかにあるのですか」。そこは、ワシリースキ島のクンストカーメラのすぐ近くあたりです。
オレクは、「ジーマの家のあたりは、St.Peter.の古い街だから。僕の家のあたりは、ニュータウンだからね」と車の中で言っています。そして、「きょうは霧が出て、St.Peter.らしい、美しい夜だよ」と、とてもうれしそうです。
すぐに車は着いて、私たちは暗い建物の中に入りました。天井がすごく高くて、見上げて「はあ~」なんて言っている私。オレクは「古くて歴史のある建物だから」とか、ほかなにか私に教えてくれたようですが、私はわかりません。暗い階段を彼につかまって登ったら、ドアがあって「あれ何番だったかな?」。
ロシアの住宅はドアがいくつもあって、暗号番号カギとか、普通のカギとかをいくつか開けて玄関へたどり着きます。
携帯電話を取り出して「何番だったかい?」とでも聞いたようです。私は不思議なその建物の雰囲気がとても気になっています。なにか別の世界へ足を踏み入れてしまったようです。気味が悪いとか怖いとか、そんな気配ではありません。人が住んでいる暖かさとなにか重厚な雰囲気が感じられます。
ドアがあいて、迎えに出てくれた女性が「ああ、ようこそ」とステキな笑顔です。
「あら、ジェーニャさんですか?」。
ジーマのご自慢の美貌の妻、ジェーニャさんでした。「さあ、どうぞ、こちらのドアをあけてください」。
思い切りドアをあけました。そして、私のこの旅の最高の驚きが目の前にありました。
2006年04月07日
♪ 28号 ♪ 「パンは食べないのですか?」
3年ぶり5回目の来日公演のユーゴザーパド劇場の俳優たちです。俳優によってはもっと多数回の来日です。今回は「巨匠とマルガリータ」と「マクベス」そのどちらにも出演する俳優もいれば、どちらか1本だけ出演の俳優もいます。それぞれ役割もあるので、全員揃っての東京観光はムリですが、それぞれ、許される範囲で春の東京を楽しんだようです。
俳優シューラも「東京を散歩したい。日本らしいものを食べたい」と言い、かなり街を歩き回っていたようです。仲間同士だったり、ひとりだったり、私といっしょにもあちこち行きましたね。
まだ日本へ着いてすぐのころ、「日本の魚料理が食べたい」に、応えて居酒屋のようなところへ入りました。ここではビールは飲みません。「日本のビールは冷たいから、喉に悪いから、いやだ」そうです。お刺し身、焼き魚や鍋料理などを食べていたときです。
「日本人はパンを食べないのですか?ここはパンが置いていない。どうして?」
「パンも食べるけれど、私たちはご飯が大好きです。ここは日本食(レストラン)だからパンはない。ご飯ならあるよ」と応えると、「ご飯いらない」と不満そうです。「バターを塗ってパンを食べたい」と小さい声です。でも仕方がないです。
が、その後には、すっかりご飯が好きになりました。とくに、ご飯にナマタマゴ、おしょうゆをやや多めにかけて、ガツガツと食べるのが、ものすっごく気に入ってしまったようです。帰国寸前の日の食事の席では、私がパンを食べてロシア人は、「ゴハンクダサイ」でした。
2006年04月08日
61号 旅の最後に大イベント の 1
===1月7日 サンクトペテルブルクの夕方===
桜たよりが北上している日本で、いつまでも1月の旅の報告を書います。でも、まもなくこの旅も終わりますから、もうちょっとのお付き合いをどうかお願いします。
◇ ◇ ◇
St.Peter.はご存知のとおり300年の歴史の街です。郊外は戦争によって破壊されつくしたところもあり、いま開発が進んでいるところもありますが、街の中心部は300年の歴史をあちこちに残しているようです。ロシア皇帝たちが栄華を誇った街です。いまも昔もロシアの叡智が集まって、熟考され論議され訓練されなどして、世界へ発信されている街です。
ワシリー島ネバ河沿いには、サンクトペテルブルク大学をはじめ、学問研究施設がたくさんあり、どれもが歴史的な由緒ある建造物です。ジーマの住宅はその一角にあるアカデミー会員の家です。
招待されて、オレクといっしょにドアを開ければ、ナント大勢の人たちが集まっていました。みなの目が私をいっせいにみつめます。
「うああ~、どうしよう」です。

(緊張の中で写した2枚のうちの1枚。もう1枚は失敗だった)
私のなかでは、「ジーマの家族と友人たちと、まあ私をいれても10人くらいだろう」と勝手な想像をしていました。が、それは見事にはずれました。
何人集まっていたのでしょうか?いまもわかりません。大きなテーブルの上にはとってもたくさんの料理が並んでいます。ろうそくの火が揺れています。壁には大きな鏡があります。クリスマスの飾りもたくさんにぎやかに飾られています。その大きなテーブルをぐるりと男女が囲んでいます。
天井が高い部屋は、こんなに大勢が集まっていても窮屈ではなく、みなが余裕を持って座っています。そうですね日本で言えば、豪農の座敷をふたつぶち抜いて、座敷机をならべて宴会が行われているような、そんな景色を想像してください。我が家の狭い家ではまったく、あのようなことはできません。
わたしのために用意されていた椅子に座り、ポーッとぼんやりしていると、私のとなりのジーマのパパから自己紹介がはじまりました。おひとりずつ名前を言います。私は、ロシア語だったり、日本語だったりしながらごあいさつです。どなたがどんな方で、どのようなご縁があってここへとか、まったくわかりません。
いや、隣りの席のオレクが時折なにか言っていたのですが、緊張耳にはとどきませんし、ロシア語理解脳(みたいなところ)も緊張しています。
ぐるりと1周してきたときには、私の緊張も最高です。「うああ、もっといい服を着てくるべきだった」とか、「いやあ、お化粧を濃くするのだった」とか、「髪がくちゃくちゃになっている」とか。
テーブルの料理をジェーニャさんが取り分けてくださっても、緊張満腹で食べることもできません。
ワインを少しいただいだけで、緊張酔いのため、しばらくまた記憶喪失です。
ふっと我に返ったのは、ジェーニャさんが「日本のおみやげにいただいたお菓子です」と、昨日ジーマに預けたお干菓子を開けたときです。「アッ、ジェーニャ、まだ開封はあとだけれども……」と、口にはできませんでしたが、ジェーニャとジーマのうれしそな顔が見えました。
お菓子が出てしまえば、では日本から用意してきた、お抹茶をご披露しましょうか。
☆ 26号 ☆「大統領のカウントダウン」を観る
黄砂が降る土曜日の午後、ロシア映画「大統領のカウントダウン」を見てきました。日本語題はなぜか「大統領のカウントダウン」ですが、ロシアでは「Личный номер 」(個人番号)、2004年制作の映画は、3月末東京からはじまり各地で上映されていきます。
いくらロシア映画でも、たぶん見ないだろう分野の映画です。アクション映画は怖いのです。人が殺される場面がある映画は嫌いなのです。だから、あのひとことがなければ見ない映画です。
ひとこととは。

シューラとの東京散歩のときです。小さな映画案内板の1枚のポスターをみつけた、シューラは「アッ、ロシアの映画だ。この俳優、Алексей Макаров は僕の友だちだよ」。
映画ストーリーそのものは、よくある話しです。英雄が大好きな国の人には、おおうけするだろうな映画です。モスクワ劇場占拠事件、ベスラン学校占拠事件を背景にしてつくられています。怖い映画です。モスクワへ行くことがちっと怖いと思いました。
シューラの友人で、主役を演じる俳優アレクセイは、寡黙な強い男をなかなか好演です。どこかで会ったようなだれかに似ているようなと、ずっとそう思いながら見ていました。
多くの出演者のなかに、ユーゴザーパド劇場所属で、東京の舞台にも立っていた俳優をみつけました。「まあ、ナウモフさんではありませんか!」と画面に語りかけました。
他にもきっとどこかに知っている俳優たちが、ちょこっと出演していたのかも?と、エンドロールで捜そうとしましたが、それはムリでした。同じ名前の人が多いのです。
「大統領のカウントダウン」くわしくは、こちらへ。
2006年04月09日
62号 返礼 お茶を点てました
=== 1月7日夕方====
サンクトペテルブルク大学近くネヴァ河沿いに建つ歴史ある住宅の1室は、ロシアの叡智たちが集まるサロンです。そこをはじめて訪問した日本人は、まさかこうして集まるものとは知らずに日本からお抹茶道具を持参しました。簡単なものですが、茶せん・茶碗・茶さじ・ふくさ・ふきん・懐紙、そしてお茶と金粉です。
ジーマたちが働く民族学博物館のお仲間たちへ、ちょっと味わっていただければと、用意してきたのですが、お正月用のお干菓子もいっしょに。博物館よりも「ジーマの家に集まった人たちへ」のご披露となりました。
私が、「お茶を点てましょう」と用意をはじめると、みなの目が集中です。テーブルで作法もなく、簡単にお一人ずつに金粉入りお抹茶とお菓子を味わっていただきました。が、これって、タイヘンなのですよね。何杯点てたでしょうか?わかりません。
ジーマやオレグは、日本で本格的な茶道の様子を体験しているので、彼らがみんなになにか説明しているようです。
美味しいかどうかよりも、雰囲気だけでも味わっていただければ、私、日本人からの返礼でございます。
そして、私は次のステージも用意しておりました。
63号 やはりこれは日本人でなければ
===1月7日夕方====
お茶を点てながら、ジーマとジェーニャさんが席を立ったりして落ち着かない様子は見えました。いよいよ始まるのですね。
話はさかのぼります。
ジーマが、EXPOロシア館の閉館片付け仕事を終えた9月27日でした。夕方お会いしたとき、彼は「明日はおみやげを買いに行かねばならない。もう明日しかない」。
彼は来日早々から、「妻と長男へのおみやげは、着物を買う」と言っていました。「着物?それはとても高いもの、着るのも難しいもの」などを伝えると「じゃあ、あれはなんと言いますか?」
その後、あちこち街などを歩きながら、彼が欲しがっているものが、ゆかたと甚平であることがわかりました。私たちは、あちこち歩き回るのが忙しかったので、なかなか買い物へ行くことができませんでした。
彼がひとりでデパートへ行き、英語でやりとりして、高い買い物となってしまうことも予想できます。「いっしょに買いに行きましょう」とずっと言っていた私です。が、私もとうとう時間がとれなくなってしまいました。
「明日が最後ですね。うーん、困った、私は昼間は行くことができない」。
彼も困った顔です。
そのとき、パッと私に浮かんだのは、服部さんです。すぐに連絡をとると、「喜んでお付き合い致しましょう」。彼も私もとても、ホッとしました。
ロシア語通訳者とともに買い物へ行き、ご自分で選び納得して、ゆかたと甚平を買うことができ、「宿題が終わったみたい」と、服部さんへおっしゃったそうです。
が、「着方がわからない」ということは十分に予測できました。
この旅のはじまりのとき、私はジーマへ、「ゆかたを着せましょう、教えましょう」と伝えました。それがきょうとなりました。
きょう、早起きをして、ロシア語辞書をあちこちとめくりながら、いろんな単語をノートに書き写していたのは、ゆかたを着る時に関わる言葉でした。くるぶし、えりあし、脇、ひも、きつく、ゆるくなど、私の貧しいロシア語チカラでは、おぼつかないものです。
宴の席を立ち、ノートと辞書を持って別室へ行き、ジェーニャさんにゆかたを着せます。
「えりあしから10センチ開けてね」。
「胸はだらしなくしない」。
「くるぶしまで、短くとも長くともダメ」。
「帯は簡単にできるから」。
など、実際に着ながら、こうしてああしてなど日本語も交えて言いながら、ゆかたをきりりと着たジェーニャさんです。
長男サーシャ君も甚平を着せられました。これは簡単。ジーマも、着替えます。
私がテーブルに戻るとなにやら奥からジーマの声でみなに呼びかけて、みながちょっと集中しました。

登場です。ゆかたと甚平のご披露です。
みなから「ほほぉ~」と歓声です。
私は、ものすっごく愉快な光景で、失礼ながらひとり笑っていました。
「いよっ~、日本人!!」と、幸せいっぱいの彼らに声をかけていました。
2006年04月11日
♪ 29号 ♪ ウラー 3学年へ進級です。
ロシアの新学期は9月からです。いまごろは、進学や新入学の相談や進級などの時期のようです。俳優であり、演劇大学で演出学を学ぶ学生 シューラ ゴルシュコフから、うれしい便りが届きました。
「試験が全部終わったよ。3年生に進級できました!」
おめでとうございます!!
日本へ来ていたとき、モスクワにいる演劇大学の仲間たちに「連絡をとらなければならない」と気をもんでいました。大学では、ベリャーコビッチ教授のアシスタントのような役目もしていたようです。同級生達のほとんどは、若い俳優たち、シューラは先輩俳優ですから彼らの相談役のために、「連絡をしなければならないことがあるのだよ」。と、日本時間の深夜はモスクワへ電話をしていたようです。
「国際電話カードを買うところはどこ?」とシューラ。
「家族へ電話ですか?」と私。
「家族もそうだけれど、いまは若い仲間たちと話すことがたくさんあるのだよ。『シューラ早く帰ってきて』と言われているんだ」。
国際電話カードを使いきる電話時間となったときもあったようです。
ユーゴザーパド劇場でのけいこや出演、次回作の打ち合わせ、テレビや映画出演そして、自分も大学生、後輩の指導……。そんな忙しい毎日でもきっちりと勉強をしているシューラ。
こころから進級おめでとうと言います。あなたは立派な人です。
コースチャ へ
どうも私のメール受信の表示モードが、混乱していたようです。
3月22日、モスクワのコースチャから受け取ったキリル文字メールが「読めなかった」のですが、きょう、読むことができました。
コースチャは、EXPOロシア館の通訳として大活躍した、モスクワに住む現役大学生です。半年間の日本生活で、たくさんのことを学んで、ひとまわりもふたまわりも大きく成長して、モスクワへ戻りました。
やっと読むことができたメールは、「日本とかかわりを持っていたい」との彼の望みが、かなうらしいです。
コースチャ、ご存知のとおりに、いま日本は桜がきれいです。桜は、新しい人生のはじまりを応援してくれる美しい花です。日本人は桜の花に祝われて、新入学や就職などの新しい生活をはじめます。
日本語を学び、日本とかかわりを持って生きていくあなたのためにも桜は、咲いてくれました。



あれから、もう1年が経ちました。どうかお元気で、ご活躍ください。
あなたの新しい人生を応援に行きましょう。もうすぐね。
2006年04月15日
64号 旅の最後に大イベント 2
ここから読まれた方のために。
私はモスクワとサンクトペテルブルクだけですが、ロシアへの観光訪問は、複数回を重ねています。最初はツアーで行きましたが、回数を重ねるごとに一人旅もできるようになりました。英語はできません。ロシア語は、ほんとに少しだけ相手がゆっくり言ってくれればわかるときもあります。
いろんな宴、いや縁が重なり、モスクワにもサンクトペテルブルクでも、親しい友人たちのところへ、彼らに会いに行くことが旅の目的となってきています。
2006年1月2~9日帰国まで、サンクトペテルブルクの旅を楽しみました。
登場するジーマ・オレク・エレナ(またはレナ姐さん)は、ロシア国立民族学博物館で働く、ロシアの叡智の人々です。エレナからの紹介で、昨年の愛知万博にやってきたジーマとオレクと知り合い、おふたりとはとても楽しい日本の時間を過ごすことができました。
冬のサンクトペテルブルクを歩き回り、彼らから熱く歓待されて私の旅もいよいよ帰国前日の夜です。ジーマの家にご招待をいただきました。
彼の家は歴史的建造物で、彼のご家族はインテリぞろいで、大学関係者たちのサロンでもありました。1月7日はロシアのクリスマス、その集まりとあわせて「日本人がやってくる」とでも題したのでしょうか。おおぜいの人たちが、私を囲んでくださいました。そんな準備がされているとはまったく知らずの私は、服も化粧も髪もテキトーで、ジーマの家に行きました。
が、日本のお抹茶と道具を持って、ジーマの妻ジェーニャにゆかたを着せて、そしてもうひとつ日本から運んだものをご披露することとなりました。
===1月7日 夜 外の気温は0℃前後。ジーマ宅にて ===
大勢のお集まりのみなさんは、それぞれ席を代わっては交流をしてみえます。日本のお茶を飲み、ジェーニャのゆかた姿に拍手を贈りました。
さて、私はもうひとつ。日本から運んでどうしてもジーマやオレクにお見せしたかったものをいよいよご披露いたします。
テーブルの上を少々片付けてスペースをつくり、昨日ジーマに預けてあった風呂敷包みを開けました。なにがはじまるかと、みなの視線が注がれます。
すずりと墨に筆、下敷きに紙をたくさん。そうです、いまから書道の時間です。
まず、墨を擦ります。これにみなさんさらに注目です。「私がやりたい」ときれいなピンクの服の女性が、墨を擦ります。「服が汚れる……」と心配ですが、彼女はすずりに、墨に集中です。
墨ができ、白い半紙に何を書こうかな?漢字で「雪国」と書いてみました。次は「聖都」、そして「みなさんのお名前を書きます」。
カタカナ縦書きで、「ミーシャ」「アンドレイ」「ターニャ」「デニス」「ユーリー」などなど。次々と「私の名前は○○よ」と彼らは言います。私は、半紙を折り、字数を数えて、字の配分を整えて=つまりいい加減ではいやなので、きっとりと=心をこめて書きます。何人書いたことでしょう。「子どもの名も書いて」のリクエストもありましたね。
みな大喜びです。そして、ジーマからは「日本語のアルファベットを書いてほしい」と。
「いろは」としようか、でもわかりやすい「あいうえお」をひらかなで書いてみました。
これはけっこう時間もかかり、私もかなりヘロヘロとなりました。が、日本を知っていただく良い機会ができたものと、「持ってきて良かったなあ」と、トランクの重みも報われました。
私はこのとき、ロシアの『紙』はどのようにできてきたのか?をジーマに聞いてみました。と、お集まりのなかに専門家がいらしたのでした。
52号 NHKスペシャル 必見
万博ロシア館で通訳として、広報担当として活躍された オリガ コピヨーヴァさんは、NHKモスクワ支局通訳が本業です。日本へ送られるロシア関係のNHK放送には、なんらかかかわっての仕事をされています。
万博で彼女と知り合い、NHKのロシアからの報道には、いつも彼女のことを思い浮かべています。
4月のはじめモスクワの彼女へちょっと伝えたいことがあり電話をしました。
オリガさんが言います。「いま、チェルノブイリ関連番組をつくっています。仕事に追われています。しばらく忙しさは続きそうです。でも、5月には少し余裕ができそう」。
電話の向うのオリガさん、本当に忙しそうな声でした。
きっとこの番組つくりだったのでしょう。
NHKスペシャル 4月16日放送のチェルノブイリ事故から20年の現状ルポです。
「ソ連で原子力発電所が大爆発したようです」のニュース第一報から20年、なにが変わり、なにが変わらず、なにがあらたに起こっているのでしょうか。きっとこの番組で考える機会が与えられるでしょう。
♪ 30号 ♪ 「モスクワにありません!」
モスクワの有名劇場=劇団は、ロシア各地方公演への巡業公演もさかんにします。
ロシアは小さい都市や街にも、その街に根ざした劇場がいくつかあります。が、モスクワからやってくる人気劇場の公演は、人々の楽しみのひとつです。モスクワで活躍する有名な俳優が、出身地で「故郷に錦(にしき)を飾る」よう企画された地方巡業もします。
4月14日からモスクワユーゴザーパド劇場は、ウラル地方へ公演に出かけています。劇場の超人気俳優、オレク レウーシンは、エカテリンブルク市出身で彼の故郷では、「おらが街が産んだ人気俳優がやってくる!」と宣伝されて、「巨匠とマルガリータ」の公演がされます。
モスクワへ戻ってくるのは、4月26日。日本公演や地方公演で、本拠地モスクワをルスにする機会が多かったので、5月のユーゴザーパド劇場は毎日しっかり公演をします。過去、5月1日や9日のロシアの大事な休日は、公演もお休みがあったのですが、ことしはありません。
ですから、5月モスクワを訪問される方はぜひ、モスクワ南部のユーゴザーパド劇場での観劇をおすすめいたします。
◇ ◇ ◇
日本を訪問中(3月17日~27日)、ユーゴザーパド劇場のメンバー達は「ラーメンを食べる」ことが一番うれしいことでした。「ラーメンは美味しい!!」と大演出家ベリャーコビッチ氏をはじめ女優たちも大好きです。もちろんシューラも大好きです。2003年の来日時も「ラーメンが食べたい」といつも言ってました。今回も「ラーメンが食べたい」。
ある日の昼食を「なに食べますか?」と問えば、「モスクワにはラーメンはありません!!だからラーメン!!」 と、大きな声で言うのです。
下町の通りかかった中華料理屋に入り野菜炒めとラーメンを注文しました。
ラーメンも美味しくってたまらないようです。
が、ここでは、野菜炒めにも感動していました。
「これはモスクワで、シューラの家で食べますか?」と問えば、
「モスクワにはありません!今度モスクワで作ってよ」。
「モスクワには中国の油とかあるのかな?」
「しゅうゆは家にある。塩もある」。
「中国の油が大事なんだが、売っているかな?」
「日本から全部持ってきて作って!モスクワで食べたい」。

この野菜炒め写真は、「日本の思い出、忘れないよう」に、写しました。
いまごろきっと「日本で食べたラーメンの味が懐かしいなあ」とみんなで話題にしていることでしょう。
2006年04月17日
27号 ビーツ販売中 タカシマヤにて
ロシア料理で有名なボルシチには欠かせない大事なビーツが、名古屋JRタカシマヤ地下野菜売り場で売られています。
長野県産4個入り 100円です。
ボルシチの作り方レシピも入っています。

(ビー川 って読めるのですが…)
さあ、いまからまるごとゆでます !!
28号 甘くて美味しい 「シベリア」
ご存知ですか「シベリア」と言う名のお菓子。
ある日、我が家の近くの庶民的なスーパーのパン売り場の片隅で、立っていました。いや、以前から置かれていたのかもですが、これまでは気にも留めなかったのです。
ネットの中でこのシベリアをくわしく書いているページ (AHO's Room さん、ありがとうございます)。みつけて以来、「食べたいなあ」と思っていたのです。と、思ったときに発見。もちろん即、購入し、即、食しました。

(黒は小豆あん、緑はうぐいすあん。外はカステラ生地、焦げた皮も美味しいです)
名古屋中川区川原製菓製造 250円也
2006年04月24日
お知らせ
読者のみなさまへ。
「マーミンカ通信」は、しばらく更新できません。ごめんなさい。
どうしたかって? 私の愛用パソコンがとうとう運命を終えました。ただいま新機入れ替え中でして。
しばらくおまちください。
もうひとつのお知らせです。
5月はじめから、またロシアの春の旅へ出かけます。まだ、「サンクトペテルブルク冬の旅」の旅日記が終わらずに、”帰国”できていないまま、次の旅がはじまります。また大騒動で用意がはじまりました。
2006年04月26日
新しいパソコン
まるっと5年間、酷使に酷使を重ねたマイ・パソコン!ある日とうとう寿命を終えました。それはそれは静かにスーッとすべてが消えました。
この「マーミンカ通信」のフォームはバックアップを持っていましたので、いまこうして書き込みができることは、とてもラッキーです。
消えてしまったもの…メールアドレス・万博の写真の一部・過去いただいたメールで大事にしていたものなどは、もう存在しません。とても残念です。が、命までとられたのではありませんから、くよくよなんてしていません。
新しいパソコンがやってきて、驚いています。画面が明るく、大きく、音が静かで、通信が早くって…。まあ、いままでどんなおんぼろを使っていたのでしょうねえ。
メールアドレス帳も消えてしまいました。これからまた皆様のところをめぐって、アドレスを教えていただきましょう。
でも、もうすぐ旅に出てしまいますので、それはもっとあとになってしまうでしょうが。
モスクワもサンクトペテルブルクもずいぶんと暖かくなってきたそうです。日没も21~22時くらいとか。花がいっせいに咲く美しい季節が北の町に、まもなくやってきます。春はちゃんとどこにもめぐってきます。
2006年04月29日
65号 ロシアのクリスマスの夜
===1月7日夜 サンクトペテルブルク・ワシリエフ島 ジーマ宅にて ===
宮殿のようなジーマの家で、たくさんのご馳走で、大勢のジーマたちのゆかりの人たちをご紹介していただき、それはすばらしいひとときです。日本からのお菓子・お抹茶・書道具を持っていってことが、とても喜ばれてうれしいです。
ジーマもご機嫌で「ほら、こちらからイサク寺院の屋根が見えるよ」と私を窓側へ誘ってくれます。暗い外は、霧が降っています。ちょっと白夜のような白い霧、遠くに、イサク寺院の丸い大きな屋根がぼんやりと遠くに見えます。
その部屋は、ジーマたちご家族の研究室です。書斎とか学習室とかではなく、研究室です。広く高い天井の部屋は図書館のように本があり、大きく広いテーブルや小さいテーブル、いすも各種置いてあります。パソコンも3台くらいあったような。
研究者・学者とは、このような部屋から生まれて当然!!と納得してしまいました。
ジーマとオレクと彼らの友人アンドレイと私の4人は「外へビールを飲みに行こうよ」となりました。
にぎやかな集まりの後片付けは、それぞれがさっさと済ませています。集まればいつも、きっとこうしてどこででも、彼らは片付けてしまうのでしょう。ジーマも食器を片付けながら、出かける準備もしています。
ジェーニヤへお礼をして、再会を固く約束しました。かわいいサーシャにも。まん丸の青いおめめがパパそっくりです。
4人で外へ出ると、それはきれいな霧の街です。今夜はクリスマスの夜。街はにぎやかです。家族連れも若者のグループも、カップルものんびり歩いています。
大の男3人はとても陽気に「どこでビールを飲むのか」とわいわいやっています。「あの店はにぎやかだ」「あそこはビールはないかも」「前行ったのはどこだったかな」などと、日本の男性陣と同じ光景ですよ。
小さなビアホールに入ると若者のグループが楽しそうです。この島はサンクトぺテルブルク大学や芸術アカデミーなどのある島、学生たちも多く住む島です。
4人でビールで乾杯!3人のロシアのインテリたちは、ロシア語ができないひとりの日本人を大切に囲んで、日本の話し、中国の話し、ロシアのビールの話しなど盛り上がってしまいました。
「きょうはすてきなクリスマスおめでとう!!」と何度も乾杯を重ねて、私たちはとっても陽気な仲良し4人となりました。
67号 良き出会いに恵まれて
===1月7日 夜===
ビヤホールでそれぞれ1杯(かなり大きいジョッキ)を飲んで、「さあ、帰ろう」。
あのう、私はここで放り出されてしまって、ひとりで帰るのかしら??と、不安になったのは、一瞬。
ジーマは「明日はホテルへ迎えに行くよ。空港まで送っていくから」と、地下鉄の駅前で私たちとは別れました。
オレクは「ホテルまで送っていくからね」と私を安心させてくれました。私たち3人は、もう静かになってきた地下鉄に乗りこみます。
アンドレイは「またきっと会おうね」と、地下鉄の乗り換え駅で途中で別れました。
私のホテルまでの道を歩きながら、オレクは言いました。
「昨年ぼくはとてもうれしいことがいくつかあったのだよ。そのひとつが日本へ行ったこと。それは僕にはとってもすばらしいこととだった。日本は美しい、すばらしい国だと知ったことはとても僕の仕事に役立っている。そして、こうして日本人女性と知り合ったこともとてもうれしいことだよ」。
これは日本で語ったことですが、オレクは日本へEXPOへ行くように業務命令が出たとき、乗り気ではなかったそうです。日本は自分の研究対象外だったからでしょうか、日本に興味がいっさいなかったそうです。が、日本へ来てみたら、美しい景色と出会った人々の優しさに、「日本大好き」となってしまいました。
オレクが言ううれしい言葉が心にしみわたります。
もし、レナと出会わなければ、友情を高めてこなければ、私はオレクもジーマも出会わなかったでしょう。EXPOが名古屋近郊で開催されロシア館に足は運んだでしょうが、これほど多くの人たちとの出会いはなかったことでしょう。
レナと出会ったことに感謝して、オレクやジーマとの出会いに恵まれたことも感謝の気持ちいっぱいです。
サンクトペテルブルクの旅、最後の夜は優しいオレクに送られて、暖かい気持ちにあふれて幸せいっぱいでした。そして、冬なのに暖かい北国の夜でした。
2006年04月30日
68号 帰国は、太陽に送られて
===1月8日===
午前10時ジーマがホテルへ迎えに来てくれると言う。外は、いつもどおり曇り空の色。
ガリーナさんは「また、いつでもおいでなさい。サンクトペテルブルクが一番美しいのは、秋だから、秋に来て。夏は混雑するけれど、秋は静かよ」。
忘れ物がないように気をつけて、トランクの中に荷物をつっこむ。税関などで開けられたら、これを見た人は目がくらみすぎる!くらいの状態でふたを閉めて、完成。今回、ほとんど買い物らしい買い物をしていない。物欲がほとんどなく、買い物ぶらぶらもいっさいしなかった。
約束の時間にジーマはやってきた。車の運転手は昨日も会ったレナの夫氏。昨夜、ジーマ宅の集まりのときジーマに電話がかかってきて、時間や場所のやりとりをしていたのは、彼とだったのか。
車は、一路空港へ。と、雲が切れてどんどん明るくなってきます。太陽が雲の切れ間からめちゃくちゃ明るい光を発しています。「ああ、太陽だ」と私が言うのと同じようにジーマも「きょうはいい天気になるよ」とうれしそうです。
明るい太陽が、私を送ってくれるのでしょうか。空港へ到着するころは、春のひざしのように明るい光が差してくれます。「うーむ、残念。きょうも街を歩きたかった」と思っても、しかたがない。
レナ夫氏には車の前で別れをつげる。駐車場が混雑していますから。
ジーマは、私をチェックインゲートまで送ってくれます。「今度はいつ来る?待っているから。手紙をおくってよ」など、うれしいことを言ってくれますから、胸がキュウーンとしてしまいます。
「また、ぜひ会いましょう。すぐにまた来ますから」と、言いながら手を振って私は、フィンランド空港チェックインカウンターへならびました。
今回もなんの苦労も苦痛も恐怖もない、すばらしい旅となった。と、ぼわーんとしながら、チェックインを待ちます。やや込んでいて、職員は動き回っています。「通路側の席で」とリクエストをすると、「ええ、大丈夫ですよ」と言いながら、席の絵を描いてくれて、「この席で良いですか?」
まあ、親切なこと。チェックインのときは、パスポートを渡してほか細かいものをやりとりします。親切な彼女から受け取ったものは大事にひとまとめにして、先ほどから我慢していたトイレへ駆け込んで、ほっとしてから出国審査窓口へ。
「航空券も出しなさい」と言われて「はぁ?えっ!」とびっくりしてしまう。さきほど、フィンランド空港のカウンターでやりとりをした彼女からもらった一式を、いま提出したはずなのに、どうして??トイレに忘れた?そんなはずはない!
パスポートなどを戻され、「なんだ帰れないのか……」などとは思わず、すぐにさきほどのカウンターの前にいた男性職員に「チケットってどれですか?」
彼は、「持っていないの??」と不思議がっています。
と、先ほど担当した彼女が、「ああ、ごめんなさい。ああ、どうしましょう」とでも言うように、私のところへやってきて、チケットを渡してくれました。男性職員も彼女も「失礼しました。どうぞお気をつけて」と笑顔で送り出してくれました。
ここはロシアだけれど、フィンランドだと思った瞬間です。
無事に出国してしまい、ちょっと待っただけで機内の人となりました。静かな広~い空港には太陽が明るいです。
さよなら、サンクトペテルブルク!ありがとう、サンクトペテルブルク!!
** 1 ** 行ってきます!!
おはようございます。
新緑の5月、美しいさわやかな季節がやってきました。こんなすばらしい季節の日本をちょこっと留守にいたします。私の大好きな花、小手鞠(こでまり)の満開に送られて空港へ向かい、モスクワとサンクトペテルブルクへ行ってきます。
いろんなご縁で、、また彼の地へ行くことが許されました。あちこちご迷惑をおかけいたしますことお許し願います。
このカテゴリーは、「春の2都市を歩く」と仮題をつけました。
春を迎えたモスクワでは、小劇場観劇を楽しみます。もちろんシューラのお芝居を毎晩楽しみます。EXPO(愛知万博)ロシア館スタッフたちとも会いたいです。そして、この「ろしぴろ」の運営管理人、gonzaさんとひよこさんにも、お会いする予定です。
サンクトペテルブルクでは、のんびりと町を歩きましょう。春の花たちがきっと美しいことでしょう。ネヴァ河の鳥たちも美しい羽色となっていることでしょう。
もちろん、レナ姐さん、オレク、ジーマらにもお会いします。
5月17日ごろ戻ってきます。そして、また、あれやこれやの真実だけをこちらで書いていきます。その節は笑い飛ばして読み飛ばしてのお付き合いをよろしくお願いたします。
さあ、トランクに荷を詰めます。では、みなさんお元気で!