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2006年03月01日

♪ 15号 ♪ ロシア文化フェスティバル 

 とうとう、3月となりました。春がすぐそこまで来ています。モスクワユーゴザーパド劇場来日公演もすぐそこまで来ています。

 彼らの来日公演は、「ロシア文化フェスティバル2006 IN JAPAN 」のひとつのプログラムです。

 1年間、日本で、いろいろなロシア文化に触れることができる2006年です。これだけたくさんのロシア文化に触れるチャンスは、素晴らしい一年です。これは十分に楽しまなければなりませんね。


2006年03月03日

♪ 16号 ♪ 言葉は壁でしょうか?

 ロシアからやってくる彼らの芝居は、もちろんロシア語で演じられます。「ロシア語でせりふを言われては、わからん」と多くの日本人が申されます。日本人の中のほんの一部のロシア語達人だけが、わかるだけですから、ご安心ください。まもなく来日、公演する劇場・アートスフィアに集まった観客のほとんどは、ロシア語せりふがわかりません。だから、字幕スーパーが用意されています。舞台の両脇に電光掲示板形式で、日本語訳が表示されるでしょう。

 ロシア語せりふがわからなくとも、ぜひ聴いてください。俳優の語るロシア語とせりふ回しを聴いてください。小さい声でのせりふも聴こえます。早口でしゅべるせりふは歌のように聴こえます。

 「ロシア語だからわからん」と、観客が言葉の「壁」をつくると、もう届きません。「どうせわからなんのだから、めったに聴けないロシア語を聴いてみよう」とか「俳優の声を聴いてみよう」とか「ちょっと知っているロシア語があるかも」など、「壁」を打破してみてください。せりふはわからないです。でも、聴いているとわかってきます。

 それは、俳優が心をこめて演じているからです。せりふが俳優の身体の中から発せられる俳優の心がこもった声だからです。

 「ロシア語芝居だからどうせわからんから、俳優を見て聴いていましょう」と、そんなノリで楽しんでください。俳優は、みんなかっこ良いです。手も足も長くって、顔が小さくって。でも、太目やオッサン顔やかなり年季の入った顔も。もちろん若手の惚れ惚れするだろう俳優もいます。

 お芝居は、楽しまなくちゃあ。それが一番大事です。客席に着いたら、大きく息を吐いて、リラックスしてください。とっても楽しい時間がすごせます。きっと。


♪ 17号 ♪ シューラだってバレエを踊る?

 シューラが演劇大学でバレエを習っている写真を見せてもらったことあります。ちょっぴり太目の彼ですが、タイツ姿で足をバアーにかけて上半身を折っています。荒川静香さんのワザ、イナヴァウワーのソリではありませんが、斜めに身体をそらしてのポーズの写真も見せてもらいました。とても柔軟な鍛えてある身体です。
 バレエも踊るなんて、ちょっぴり太めの彼からは、想像できない(失礼、ごめんなさい)、でも、俳優として「いつも身体を柔らかくしておかねばならない」と言っています。それは舞台で美しい動きを見せるために、ゼッタイに必要なことなのですね。

 舞台の上での俳優は、それはそれは、とても美しいです。来日公演でぜひ、キラキラ光る俳優たちを見てください。幸せになります。


2006年03月04日

47号 やっぱり厚かましく。

 ===1月6日 午前中===

 窓の外を眺めてひらめいたのは、「そうだ!SP Walker = Tさんを呼ぼう」でした。彼とは3日に会いましたね。初めてお会いしたのに厚かましくもご馳走になったり、送ってもらったりしました。
 彼は、「6日は民族学博物館へ行ってみようかな?」とおしゃっていました。さっそく電話をかけると、「はい、行きます」とのお返事です。さらに私は「ならば、タクシー代はお払いしますから、私のホテルへ寄ってください。荷物があるのです。運んで欲しいのです」。

 優しいTさんは、「はい、わかりました」。

 彼が到着するまでにシャワーを済ませ、おみやげを整理して万端整えているハズでしたが、ガリーナさんとおしゃべりしたり、猫と遊んだり、のんびりしてしまいました。
 
 なぜ、きょう民族学博物館へ行くこととなったのか。博物館の展示室は、1月1日は休みですが、冬休み中ということでオープンしています。研究職や技術職は休日ですが、やはり交代で出勤ということとなっていて、ジーマは「6日は出勤だよ」と言っていました。
 レナも「ジーマは博物館のことは何でも知っているから、彼から説明を受けるためには6日へ博物館へ行きましょう」とさかんに言っていました。

 Tさんがホテルへ来てくれました。ガリーナさんは「日本人男性がやってくる」と喜んで待っていましたから、歓迎をして彼にコーヒーを入れ、ちょっとお話しをしていたようです。

 ところで、昨日風邪をひいて寝込んでいたジーマは、きょうはいかがなのでしょう。心配です。もし、「ああ、きょうも寝ているよ」なんてこととなっていたら……。
 ジーマに電話をしました。「いま博物館へ行く途中だよ。何時に来るのかい?」。ああ、良かった。が、時間のことを電話で伝えるとかを予習していないので、とっさに出てきません。ここはSP Walkerさんに代わって、約束OKです。

 パンパンにふくれた小旅行かばんをTさんに持たせて、風呂敷包み入り紙袋は私が持って、ガリーナさんはそんなふたりを不思議そうに眺めながら見送ってくれました。では、博物館へ行きましょう。その前に、かばんにはなにが入っているのでしょうか?


2006年03月05日

48号 おみやげのテーマはお正月

===1月6日 午前 ===
 今回サンクトペテルブルクの友人たちにもっていったおみやげの一部とご紹介いたしましょう。
 お正月ですから、日本のお正月がテーマです。

 ▽お干菓子==羽子板、駒、絵馬、梅の花、松、竹などお正月ゆかりのおめでたいものが砂糖菓子となったもの。豪華木箱入り。
 ▽しめなわ==大小いろいろ。民族学者は日本のお正月を知りたがっています。
 ▽チョコレート==彼ら大好きなのです。
 ▽日本酒=2合びん、金粉入り。
 ▽いろいろな本。
 ▽折り紙など和紙。
 ▽お抹茶セット=おちゃわん、茶せん、茶さじなど
 ▽書道セット=すずり、墨、筆いろいろ、各種紙など
 ▽お友達から預かってきた彼らへのおみやげいろいろ。

 と、いうわけでこんなにたくさんです。だから、荷物がたくさんでした。

 ◇  ◇  ◇

 通りでタクシーをひろえば、「グルジアから来たから、『民族学博物館』なんて知らない」という運転手。 私は「グルジア!日本のお相撲さんにいるよねえ」と運転手に言うと、彼は大喜びしていました。「そうさ、日本で活躍しているねえ」。

 車で走っても、思いのほか時間がかかりました。ああ、よかった、歩いていこうなどと無謀なことしなくて、正解でした。
 民族学博物館の大きいなドアに付いている、小さいドアを開けました。
  


49号 ロシア国立民族学博物館 (1)

 ===1月6日 午後===

 ジーマとの約束の時間をちょこっと遅れて博物館に到着しました。

民族学博物館の写真集です。

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 写真では小さい建物のように見えていますが、実際はとても大きい、宮殿のような建物です。左隣りには、「ロシア美術館」があります。
    
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 新しくなっていた展示室です。2階から写しました。

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 妙に気に入ってしまった骨細工パノラマ。ロシアの北の地方に生きる人々の様子が活き活きと表現されています。

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 民族学博士 ジーマ アレクサンドルビッチ。学者とは、極めて広める人。そのとおりの人です。狩猟する人々のことを私たちに丁寧に説明をしてくれました。

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 ガラスケースに入っていて、反射してちょっと見づらいですが、ロシア東北の町のシャーマンです。

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 ロシアのゆりかごは、床や地面には置かないのです。こうしてぶら下げるものです。


2006年03月06日

♪ 18号 ♪ モスクワ・インターネット状況悪し

 俳優、いやロシア功労俳優シューラとは、メールのやりとりをしているのですが、このところ返事がない。あれれ?まもなくの来日にむけて、伝えたいこともあるのに……。
 がまんできず、きょう電話をしてみました。

 「インターネットは?メールは読んでいますか?」
 彼の声はちょっと困って。
 「調子悪いんだよ」。

 モスクワインターネット状況については、「ろしぴろ」のあちこちで詳しいですが、場所やお金のかけかたでいろいろなようです。シューラの通信状況がどうなのか?わかりません。うーむ、困りましたね。

 彼は「日本の天気はどんなのかな?」
 私は「寒いですよ。気温は10度くらいかな」と伝えると、「暖かいよ」と言う。

 まあね。モスクワにくらべりゃあ暖かいですが、でも、ことしの日本は寒いです。風邪などひかないでくださいね。みなみなさま。


☆ 23号 ☆ サンクトペテルブルクがちょっと近くなる

 旅と関係なく、フィンランドのことを調べようと検索していたら、「フィンランド航空」に入ってしまい、ステキなニュースをみつけました。

 すでにマスコミ発表されていますが、この6月からセントレア・中部国際空港から、ヘルシンキ直行便が飛び立ちます。名古屋から約10時間で、ロシアの隣りの国にフィンランドに降り立つのです。これはこれで、もちろんうれしい。が、ヘルシンキ空港での待ち時間が約5時間と長く、サンクトペテルブルク到着が、(現地時間)午後10時くらいとなっていました。←ことし1月経験スミ。

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(フィンランド バンター空港で待機中の関西国際空港行き)

 が、フィンランド航空、がんばりました!!増便で乗り継ぎスピードアップ!!午後6時ごろにはサンクトペテルブルクに到着するようになります。
 うれしいですね。これならば、我が家からSt.Peter.まで最短15時間で行くことができます。いままでは、21時間以上はかかっていたので、驚く早さになります。

 くわしくは、フィンランド航空日本語ホームページへ。


2006年03月09日

♪ 19号 ♪ 演出家 ベリャーコビッチ氏

 彼らの来日まで1週間となりました。もう、私も落ち着きません。
 あらかじめお断りしておきますが、この「マーミンカ通信」は、彼らの来日中は更新できません。つまり、3月18日~26日までは(たぶん)、お休みいたします。

 それまでに、たくさん書いていきます。

 では、きょうはユーゴザーパド劇団の創設者であり、すっごく魅力的な俳優でもあり、シューラの指導者でもあり仲間でもある、ワレリー ベリャーコビッチ氏の日本へ向けてのインタビューをご紹介いたします。天王洲アイルHPからです。こちらをクリックしてくださいね。

 「かっこ良い」と私たちは良く言いますね。それは見ていて安心できることが大きな要素です。「この人なら間違いをしない」と言う安心感、だからどこからも感じるゆるぎない自信、カリスマ性もあるかもしれません。それに少しのナルシシスト魅力もあるでしょう。
 ベリャーコビッチ氏は、まさに「かっこ良い男」です。大柄の身体中から溢れ出すエネルギー、圧倒されそうですが、それは包み込んでくれるような優しさに溢れています。

 俳優シューラは「ベリャーコビッチ氏は、偉大なる演出家。彼は天才。でも、口うるさい男、体重が重い男!」と自分より体重の重いベリャーコビッチ氏が、「やせないように祈っている」そうです。
 ベリャーコビッチ氏は、大病をして、げっそり痩せたときがあり、そのころのシューラは元気がまったくなかった。だから、いま再び元気を取り戻して、太ってきたベリャーコビッチ氏の大活躍がうれしくてたまらないシューラです。

 ベリャーコビッチ氏は「巨匠とマルガリータ」では、悪魔のボウランドを演じます。これが、もうたまらなくかっこ良いのです。お楽しみに!!


2006年03月13日

50号 ロシア国立民族学博物館 (2)

===1月6日 午後===

 サンクトペテルブルク市にある、ロシア国立民族学博物館(以下、博物館)について、少し学びましょう。
 おなじみ「地球の歩き方・ロシア04~05」誌には、観光おすすめ度☆☆で、たった2行で、「ロシア民俗学博物館」と表記してあります。
 最近発行の「るるぶ・ロシア」では、まったく登場しません。おまけにサンクトペテルブルク市内地図の、民族学博物館の位置には囲み記事が入り、博物館そのものが消えている!!

 日本の旅行会社などが企画するツアーには、この博物館見学は入っていません。隣りの「ロシア美術館」見学は、組まれていることもありますが。

 だから、私はみなさまに「民族学博物館」をご紹介したいです。

 1902年「ロシア博物館」の民族学部門として開設され、1934年独立の学術研究・文化的啓蒙の機関として、ロシアの中心的博物館となりました。ロシア国が誇る著名な民族学者、歴史学者、地理学者がこの博物館で働き、研究をしてきましたし、しています。
 この博物館の資料所蔵は、約50万点(2002年発表)、150余の民族の民族学的資料や写真などです。それは、東ヨーロッパ、シベリア、コーカサス、中央アジア、などの18~20世紀の貴重な資料です。

 60人の研究者と180人のスタッフ達がいま、博物館に所属しています。小学校から大学院まで多くの児童・学生達の勉強や研究の場となる博物館なので、所属する彼らは、常に教育者としても活躍します。世界的に貴重な資料も所蔵しているため、関わる世界各地の研究機関などとも共同して調査研究もしています。
  
 いまも収集の活動は積極的にすすめており、研究者たちはロシア国内各地をはじめ、世界各地へも資料収集や研究取材活動をしています。

 日本と関わりも大きく、とりわけアイヌ資料は、この博物館に多く所蔵されています。19~20世紀はじめサハリンと北海道で収集されたアイヌ資料は、約3000点、世界最大の量といわれています。が、残念なことにアイヌ専門研究員はいない。21世紀が近づいてきてやっと日本との共同資料調査などが進み、アイヌ資料が公となったのです。2001年5月には「島の人々ーアイヌ人」という展覧会も開催され大人気となりました。

 愛知万博には、この博物館所蔵の民族資料も数々展示されました。民族衣装・アクセサリー・道具・飾り物そして、人気でした「民族人形群」もこの博物館の重要な所蔵品です。

 宮殿のような博物館の建物の中は、荘厳ですが、明るく一部は新しくなっています。入場してすぐ目の前には、吹き抜けのホール。高い天井と惜しみなく使われている大理石の柱や床や壁。イベントホールです。これはすごいホールですよ。
 民族資料の部屋はいくつにも別れており、多年にわたって使われてきた温かみの残る道具類や家具類などが、テーマをもって並べられています。貴重な写真も豊富に展示されています。

 だいたいに英語説明文が付いています。求めれば展示説明を受けることもできるでしょう。

 ロシアの大地の豊かさや厳しさ、民族それぞれが大地とともに生きている息吹と情熱と、生きることの苦しさを和らげる工夫なども、展示説明がなくともよくわかります。
 寒いときの暖かくなる工夫、狩に生きる人たち、漁に生きる人たち、やすらぎのひと時に楽しむ舞踊や演劇、生活の1単位家族の役割、知恵や伝統など、生まれて死ぬまでのひとりづつの命。それらが延々とつながって文化・文明を作り出していることなど、「人間ってすごいなあ」と熱くなりました。
 日本とちょっと似ていると思ったり、まったく違うなあと思ってみたり。不思議なものや珍しいものもいっぱいあります。

 ぜひおすすめです。もし、サンクトペテルブルクで時間がありましたら、見学に行ってみて下さい。きっと満足されるはずです。
 


51号 ロシア国立民族学博物館 (3)

===1月6日 午後===

 私がこの民族学博物館にはじめて行ったのは、2000年7月のことでした。「扇のエレーナさん」を捜して寄った博物館でした。中には入らずに、入り口の警備員ボックスの脇の木のイスに座って、エレーナさん情報を待っていました。暗いなあ、が印象でした。

 2度目は、2002年1月寒い日でした。エレーナの仕事場は、博物館裏の建物、外の警備員の許可を得て、エレーナに着いて友人といっしょにそこへ行きました。
 エレーナの仕事は修復学芸員。だから仕事場は作業場です。彼女はその時、イコン収納箱を修復していました。「単に古い物を新しくすると言うことではないのよ。これが歩んできた歴史をしっかり見て、よみがえらせることよ」(通訳言う)。
 広い静かな部屋は、どんな難しい仕事も平静な心で、安心して仕事ができる気持ちのいい気が流れていました。当時の修復学芸員の賃金がいかに安いものかと、驚いてしまったものです。

 3度目は、2005年夏。と言っても中には入る時間がなかった。外から美しい建物をじっと眺めていたのでした。
 
 そして、2006年1月6日、偉大なる専門家に説明をしていただきながら、館内を楽しく見学したのでした。


2006年03月14日

☆ 24号 ☆ ラジオ深夜便 11時40分ごろ

 急ぎお知らせいたします。

 キリチェンコ マリアさんが、NHKラジオ深夜便「ナイトエッセー」のコーナーに出演しています。テーマは「道歌にみる日本」です。

 日本文化を語る、モスクワ生まれモスクワ大学で日本文学を専攻して、日本へ留学したマリアさん。合気道に出会い、そこからまた知った「道歌」(どうか)は、日本文化についての「大事な資料」と語られます。夜遅い時間ですが、ぜひお聞きください。もちろん、マリアさんは流暢な日本語で話されます。


52号 ロシア国立民族学博物館 (4)

===1月6日午後===

 大きな荷物を持って博物館の玄関に到着した、SPWalker=Tさんと私を待っていてくれたのは、ジーマです。昨日風邪をひいてセキをしていたので、私は心配でしたが大丈夫そうです。良かった。
 ここは地下にコートや荷物を預ける場所=ガルデローブがあります。冬はコートをここに預け、靴を履き替えたりして、手荷物も女性の小さいハンドバックぐらいが許されていますが、あとは預けなければなりません。
 女性といっしょにやってきた男性は、必ずゼッタイに、女性のコートなどを男性が係の人に預けること、そして預かりカードを管理しておくのが男性の役目ですからね。女性は、コートを男性に預けたら、もう堂々としていれば良いのですよ。でも、日本じゃあ、まったく慣れていないので、「スミマセン、ごめんなさい、ああ、それは自分で」などと、つい言ってしまうでしょうね。

 身軽になって、ジーマの案内で館内見学です。その前に私は、Tさんに「彼の説明を日本語に訳すことは必要ありません。通訳しないでください。説明のロシア語はわからないでしょうが聞いていますから。どうしても必要なときは、お願いしますから」。と伝えました。
 ジーマも同じように「彼女がわからないところだけ通訳してやって欲しい」とTさんに伝えたようです。

 2002年に見学した時は、公には休館だったのです。でも、子ども達の見学者や外国人小グループがいたのですが、館内は暗かったという記憶があります。きょうは明るくってずいぶんとイメージがかわりました。

 ジーマは私たちに説明をしてくれます。もちろんロシア語ですから、私にはところどころわかるようなもの。でも、それでも聞いていることが必要です。小舟で漁をする人々のことを説明しているジーマから「日本で岐阜の鵜飼で同じようにしていた、舟のかがり火の道具です。」と聞こえたとき、私はとってもうれしかった。彼が日本で体験したことが、即、彼の研究生活に反映されているようです。

 ロシアのしきたりも話してくれます。彼は、日本でも私にいくつか教えてくれました。それとあわせてご紹介いたしましょう。
 
 ひとつは、ドア越しのあいさつなどは厳禁です。ドアをバタンと閉めてしまえばしっかり「個」の世界が分かれます。その大事なドアをあけたまま人があちらとこちらに居るのは、ダメなことです。例えば、客が帰るときのお見送りは、玄関先ででも、ドアを閉めたままにしてお別れします。客が外へ出たらドアはすぐ閉めます。名残惜しくってドアを開けたまま見送るのは厳禁です。あるいは、家人が外へ出てドアを閉めてしまってお見送りするのは、OKです。
 部屋の中でも、ドア越しのやりとりはいけません。

 家のテーブルはその家の象徴ですから、テーブルの上に置くものと置いてはならないものの区別は厳しいです。また、傷をつけたり、焼け跡をつけたりも不吉なことが起こると伝えられています。
 帽子をテーブルの上に置くのは厳禁ですよ。熱い食器などは必ず下に受け皿を敷きましょう。

 赤い色は、元気がある若い象徴です。魔よけの色でもあり未来を示す色でもあるので、子どもや未婚女性や新婚は、赤い色を身に付けるようにするとか、家の中の大事な部分にも、赤い色で刺繍をした布で飾るなどして、幸福を招くようにすることが大事など。

 また、家族のだれかが亡くなった場合は、黒い衣服に身を包み、家の中のイコンも布でふさぎ、できるだけ暗くして、遺体も方角を気をつけて置く。

 など、どこか日本に共通する風習もあり「ああ、もっとロシア語がわかると良いのに」と思いながらも、ジーマの話しはとても興味深いものです。

 以前に見学した時は、まだ展示品も仕方も不十分だった別のホールもいまは明るく、わかりやすい展示となっていました。別のホールにも行き、2階にも行きました。展示の全部ではなく、ジーマは明らかに「選んで」見せてくれます。
 途中で、エレーナと彼女の甥っ子キーチャ君が合流しました。昨日の夜、やはりセキをしていて、心配をしたレナさんは、元気になっていました。彼らもいっしょにジーマの説明を聞きます。もちろんレナもここで働く人ですから、展示に関しては詳しく知っています。

 Tさんともども、博物館をめぐります。私たち昼の食事を済ませていないので、空腹です。私は、喉の乾きもかなりです。が、たくさんの展示物を回ります。


2006年03月16日

♪ 20号 ♪ いよいよ日本へ出発!!

 3月16日モスクワ時間夕方、モスクワ・ユーゴザーパド劇場ご一行さまは、成田行きJALに搭乗されます。成田到着は、17日朝です。そして、10日間の日本公演生活です。

 彼らは、出発前は超多忙となります。公演演目に関わるすべての道具を梱包、発送しなければなりません。すべて、劇場スタッフと俳優たちの仕事です。ゼッタイ日本公演日に間に合うようにしなければなりません。

 そう言えば、愛知万博の舞台で演劇公演をする某国の劇団が、衣装などの日本到着が公演日に間に合わなくって、私服で舞台に立ったそうです。もちろんプロ俳優ですから、私服でも芝居はできますが、それは大騒動して悩んでしまったことでしょうね。

 日本へ到着したらすぐに、道具から衣装、小物などすべてを劇場へ運び込み、点検して整えて、そして、けいこに入ります。

 無事の日本到着を願い、待っております。
 


53号 かぶりものの展覧会

 ===1月6日 午後===

 民族学博物館の、ある部屋で特別展を開催していました。

 かぶりもの=帽子の展覧会ですね。ロシア語には、帽子のつばにちょっと手をやってあいさつをする程度の(あまり親しい関係ではない)知合い」という意味の Шапочное знакомства という言葉があります。知合い関係を表現するこんなロシア語があることを夏に知りました。

   syapuka.jpg

 これは、2005年夏に民族学博物館の前で写した写真ですが、「帽子の展覧会」とともに、「帽子に手をかけてあいさつする知り合い」と書かれていて、その後その意味がわかりました。知合いとの親密度の表現としてとってもおもしろい言葉です。日本語にはない表現方法ですね。帽子の文化を持っている人たちだから生まれた言葉でしょう。
 
 夏の看板の展覧会が1月にもまだ開かれていたのが驚きでした。が、その展示のおもしろさもまた、驚きでした。素材は、厚地・薄地の布・動物の毛皮・動物の毛を紡いで糸にしたもの(つまり毛糸)・鳥の羽根・人毛!!もあります。もちろん頭の大きさ以上の大きさはないのですが、高さはいろいろです。
 飾りに着いているダイヤ・真珠・各種宝石などはきらびやかです。デザインは、実用的なものから、おしゃれもの、呪術的なもの、いつかぶるのかな?などいろいろありますね。ちょっとした帽子屋さんです。何を隠そう、わたし帽子が大好きでして、デパートの帽子売り場は大好きな場所なのです。だから、予期せぬ出会いのこの展示はワクワクうれしかったです。より詳しい写真はSpwalker さんのところにありますので、見せていただきましょう。

 ここにあった、日本のかぶりもの(帽子)はナント、日本髪かつらです。角隠しがついていますから花嫁のかつらです。いや、角隠しがかぶりものとなっていたのでしょうかしら?

     katura2.jpg
 
 いずれにしても、これヘンです。日本人が関わっていないから仕方がない展示の仕方ですから、こうなるのですね。あごにかかっている紐はなんですか?こうして使うわけないでしょ!!それに写真では見えないですが、日本髪にはヘアピンがあちこちに付いているのです。
 「1970年日本清水市」で収集したようです。
 ああ、もっときれいな日本髪を展示して欲しい!!美しい日本髪を世界の人たちに見て欲しい。
 でも、このことはジーマには言いませんでした。
 次の機会に言います。ちょっとある考えがありまして、それとあわせて。

 この展示室を出るときに、「展示感想記帳ノートになにか書いてください。日本語を書いてください」と展示室係の女性に声を掛けられました。ノートに日本語で感想を書いてきました。係の女性は「日本語はなんときれいな文字でしょうか。あなたが日本人だとジーマから聞きましたよ」とニコッと笑ってくださいました。

 民族学博物館のたくさんの展示を見て、うれしいです。そして、ジーマの仕事部屋でお茶をすることとしました。ジーマの仕事部屋?ある展示室のドアを開けて、ここからは一般の人は入れません。さあてどんなところでしょうか?さあ行きましょう。


2006年03月17日

54号 研究者の部屋にて

===1月6日 午後===

 多くの人々が見学に訪れる博物館展示室のとある部屋のドアを開けると、そこからは両側に同じようなドアがならぶ廊下、ジーマに付いて、右へ左へといくつかを曲がりながらたどり着いた部屋が、ジーマ アレクサンドロビッチの部屋です。「ゼッタイひとりでは迷子になってしまう迷路だよねえ」と日本語でTさんと話しながら、廊下をなんども曲がりました。途中で、ひとりの女性へ、ジーマは「日本からのお客さんだよ」とでも声をかけたようです。彼女は、私たちに笑顔を返してくださいました。
 クリスマスの飾りがされて、3つの机があり、みなでお茶を飲むコーナーもある部屋におじゃまいたしております。同室のスタッフはきょうはお休みでしょうか。3人が仕事をするのにちょうど良い広さで、天井の高いやはり静かな部屋です。研究活動なども、事務打ち合わせなども、この広さと静かさがあればすべてがうまく行くような、気持ちの良い部屋です。

 ジーマは紅茶を入れてくれます。レナが持ってきてくれた「ミニシュークリーム」をいただきながらのお茶タイムです。
 Tさんとジーマははじめて会いました。レナも3日にほんのちょっとだけ会っただけですから、あらためてTさんは自己紹介などというか、質問攻めにあっています。
 
 私は地下のガルデローブにあずけてきた、おみやげをここへ持ってきたい。ジーマやレナだけではなく、彼らの周りにいらっしゃる博物館の人たちに、お抹茶とお干菓子をご馳走したかったのです。だから道具類なども持ってきたのに。それに、墨で筆で、彼らに日本語を書いてさしあげたいから、その道具類も持ってきたのに。

 ひとりで地下に行くことはできません。遠いです。迷います。ジーマに連れて行ってもらいました。その間、Tさんとレナさんはお話しをして待っていてもらいました。

 運んできたおみやげ類を披露したら、「明日、ジーマの家での集まりに持っていきなさい。ここではいらないから」みたいなこととなってしまいました。でもどうしても、きょう見て欲しいのは、お干菓子なのですが……。

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 ジーマへその箱を渡しました。とても喜んで開けています。何枚もの包装紙に「日本だねえ」と笑い、やっと出てきたお正月干菓子を珍しそうに眺めて喜んでいます。

 午後5時も近くなってきました。「もう閉館だから、ここを出なくちゃあなりません。もう片付けよう」と広げたおみやげ類を、「明日ジーマの家でもう一度」となって彼に全部渡して、大急ぎで私たちは、博物館を出ました。
 
 もう暗くなってきている外でちょっとジーマを待って、レナとキーチャ君は「帰ります」と別れました。出てきたジーマに聞きました。「いつも5時には帰るのですか?」
 「いいや、明日は休みだから。早く閉まったのです」。なにか良いなあ。全部がいっせいに帰ってしまう職場って、いまの日本にあるかしら?と、思いながら博物館を後にしました。
 私の喉は渇いています。「ビールが飲みたい!!」と騒ぎましたら、ジーマとTさんは、賛成してくれました。


♪ 21号 ♪ みな無事到着!!!!

 
 
  17日朝、モスクワから、ユーゴザーパド劇場ご一行さま無事到着です。

  もう、うれしくって、私は、どうしましょう。


55号 きょうも楽しい一日でした。

===1月6日 夕方=== 


 夕方の繁華街のビール酒場へ寄りました。明日は1月7日ロシア正教のクリスマスで休日だからでしょうか。混んでいます。私たち3人は軽いつまみとビールで乾杯です。私は、好きなトマトのサラダなどでビールをぐい!です。
 ジーマは、TさんにEXPOでの日本体験などを話しているようです。私は、ぼんやりしています。突然ジーマが「今度は上海(しゃんはい)万博だね」と私に同意を求めてきました。なに、ジーマは上海にも行くのですか?上海ね……。私は行かないよ、たぶん。

 もう滞在6日目ですが、いまだに時差の調節ができず、24時間眠い私の頭です。どこかで、スカッとしたいのですが、滞在予定も明日まで、もう無理ですね。ビールを飲み干したらすぐに帰ります。大通りでTさんと別れて、ジーマといっしょに地下鉄の駅へ。
 
 明日はジーマの家におよばれに出かけます。ご家族が何人で、お友だちが何人か集まるらしいですが、私はよくわかりません。が、ジーマは今夜は用意にきっと忙しいことでしょう。「仕事が終わったらすぐ帰るよ」って家族と約束をしてみえるものだと思われます。だって、ジーマからは「帰りたい」モードがあふれているのですもの。
 そんなジーマですが、私を私のホテルの近くの地下鉄駅まで、つまり彼の家とは反対方向へ送ってくれました。ありがとう!!そして、申し訳ありません。

 もう迷わずにホテルへ戻ることができます。
 食堂で、ほっとして、ビールの酔いや一日の疲れがどっと出て、椅子に座りこんで、ボーっとしてお湯が沸くのを待っていました。なのに、なんだか妙にハイなガリーナさんが、「あらまあ、どうしたの?つかれちゃったの?」と言います。おしゃれもしています。「いいや、私ね、ビール飲んできたのよ」。
 「オオ、最高ね」と笑います。そして、ガリーナさんのお友だちがいらしているようで、ちょっとご挨拶をして、私はお茶を飲みました。

 今夜から泊まっている男性たちが食堂へやってきました。背が高くて細めで髪ふさの彼(A氏)、背が低くて丸くて髪がさびしい(B氏)のコンビです。
 「英語ができるかい?」とB氏。
 「いいえ、ロシア語ならばできます」なんて、大ウソを言ってしまいましたワタクシ。
 と、思いきりロシア語で、彼らは私に語りだしました。
 
 「車の売買で、ウラジオストック~モスクワ~サンクト~ウラルのエカテリンブルクへ行くのだよ」(らしい)。そして、日本車のことをいっぱい語りだしましたBさんです。
 「ああ、ごめんなさい。私、車のことわかりません」、ワタクシ。
 「日本から来たのだろう。車はいっぱい走っているのに」とでも言ったような笑った呆れ顔のA氏。
 話題をかえて、 「あなたは日本へ行ったことあるの?」とBさんに問えば、「日本はビザが厳しいよ!行きたいが行くことができない!」とちょっと目がマジになっているB氏。
 きっとなにか、過去に日本行きでトラぶったのでしょう。わかります。
 A氏は「ウラジオストックには日本人がたくさん来ている。僕らは日本へ行くことができない」。
 そんなこんなのお話しを彼らとしているうちに、私は疲れが出てきて、彼等もタバコが吸いたいようです。ここは禁煙なので、ドアの外へタバコを吸いに行くのですね。(とっても良いこと!)

 「じゃあおやすみなさい」と、部屋に戻って、ばったりとベッドに倒れこみました。きょうも充実の一日でした。まだ午後8時くらい。ほんとはガマンして起きていたほうが、良いのですが。きっと明日の朝も早起きしてしまうことでしょう。


2006年03月22日

発刊 1周年

 いつもこちらへ、あるいはタマに、おいでいただく読者のみなさま、
 なにかふらふらと迷い込んでしまった読者のみなさま
 

 この拙い「マーミンカ通信」が、発刊1周年を迎えてしまいました。つまり昨年の春先、そう、万博が始まろうとしているときに、発刊したのでした。
 思えば、まあ、月日の流れはなんとも早いもので、まるで昨日のことのように当初のてんやわんやを思い出します。そうやって騒ぎながら、370余号も、発行してしまいました。これも、みなみなさまのおかげでございます。ありがとうございます。

 で、いまですが、私の俳優が東京にいるのですよ!

 アレクサンドル ゴルシュコフ=シューラは、元気に東京生活を楽しんでいます。もちろん、出演の「巨匠とマルガリータ」の舞台を最高にすべき、喉を守り、風邪をひかないようにして、お腹を壊さないようにもしています。俳優は、身体で勝負!ですから。

 「ああ、日本は良いなあ、美味しいものがいっぱいあって。お寿司とラーメンと野菜炒めと肉まんと焼きブタと温泉卵とお味噌汁と卵焼き、ああ、日本は美味しいものがいっぱいですね」。と、大喜びをしています。

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 持ってきた衣装の前ボタンが芝居中にはじけないか、私は心配です。
 でも、俳優は私に言います。「日本人が小さいのはこんな美味しいご飯を毎日食べているからです。あなたは、毎日ロシアの料理を食べているのですか?」うーん?なんですと??

 1周年ですが、↑のような理由で、3月27日まで、発行はお休みさせていただきます。もちろん、コメントは大歓迎です。


2006年03月27日

♪ 22号 ♪ あら ?まあ、こんなところで

 モスクワユーゴザーパド劇場ご一行様は、桜が咲く寸前の東京へ降り立ち、観客達を興奮させて、桜が三分咲きとなった日に、また本拠地へ戻られました。
 私のお気に入り俳優シューラ ゴルシュコフは、そんな東京をすっごく楽しみました。

 ある日の夜のこと、ある駅の近くの日本食のお店で、シューラと私は遅い食事をしていました。その日は「マクベス」の公演の日でした。
 私たちとは離れた席に長く居た女性おふたりが席を立ち、引き上げる時、私たちの横を通りました。食事中のシューラを見て、「あら?あのう『巨匠とマルガリータ』に出てみえた俳優さんでは?あらまあ、私昨日見ましたよ。まあ、こんなところでお会いするなんて、まあ!!」と、驚きの声です。

 シューラはそんなときはすぐに俳優の顔となり、最高の笑顔を返していました。

 私もとっても驚きました。「巨匠とマルガリータ」が公演されたアートスフィアは、700ちょっとの席数で、3日間だけの公演です。食事をしていた場所は劇場から離れているし、その駅も都内でも静かなところで、ほとんど深夜です。そして、食事をしているシューラをみつけてくださって……。たしかに身体が大きい外国人ですから目立ちますが。同じ店でお会いできるなんて、まあ、なんともおもしろいことですね。
 シューラは私に言いました。「モスクワでは誰も声をかけてくれないよ。でも、ロシアのモスクワ以外の場所での公演とか外国公演に行くと、必ず街で声を掛けられるよ」と、うれしそうです。
 彼には「君は日本で有名なロシア人俳優です」と言ってあります。だってこうして私が紹介していますし、実際彼のファンは多くみえます。みなさんからおみやげもたくさんいただき、喜んでいました。
 
 俳優シューラは目立ちがり、恥ずかしさを知りません。俳優は5回目の来日です。今回は東京だけの公演です。そんな彼の日本滞在1週間騒動記と、私を酔わせた彼らのお芝居についても、ご報告いたします。


2006年03月28日

56号 オレグさん登場の日のはじまり

===1月7日朝====

 きょうまで、St.Peter.には、激寒はやってきてはいない。いつも同じような曇りのときどき雪が舞っているような日ばかりです。そして、もう、きょう一日遊びまわれば明日は帰国という日です。
 夕方は、ジーマさんのご自宅におよばれされています。その前に、オレグさんに会えそうですが。果たして……。そんな朝は、やはり早起きをしました。
 
 食堂で、今夜のジーマ宅でのおよばれに使うロシア語の勉強をしましょう。お茶を飲みながら、チョコレートを食べ、辞書をあちこちして単語や例文をノートに書いて、ひとりぶつぶつ言っていると、昨夜お話ししていたウラジオストックからの運転手A氏とB氏がやってきて、朝のごあいさつです。
 私が書いているノートをなにげにのぞくB氏に、手元にあった奈良東大寺の大仏殿の絵葉書を「日本の有名な大きいお寺ですよ」と差し上げると、「ウラジオにある中国料理店に似ているなあ」と言うので、ちょこっとムッとした私です。

 街の人々も起きだしたころ、エレーナに電話をしました。「きょう午後からは、ロシア美術館へ行きましょうね」と、決めていたのでその時間の確認です。
 その後、オレグさんの自宅へ電話しました。「おお、待っていたよ。きょうは会えるよ。明日帰るって?もっといると良いのに」などと、電話の向うでオレグさんは喜び、私はこちらでもっと喜んでいます。
 「13時に、ロシア美術館の前で会いましょうね」。うわあ、やっとオレグさんに会うことができる!!
 すぐにエレーナにまた電話をしたら、「ロシア美術館は、行けないかも……」と、言う。私も「オレグに会うことができる…」と言う。結果、午後遅くに民族学博物館で会うこととしました。

 13時の約束までは、もちろんゆっくり時間があるので、部屋でのろのろしておりました。ガリーナさん、A氏B氏が和やかに話し合っている声が遠くに聞こえる……、ちょっと眠ってしまった私です。

 早めに出て、ちょっとネフスキー通りを歩いてみようかと思いつつも、のらりくらりと用意をしているうちに、時間もギリギリか。地下鉄に乗って、繁華街の駅「ネフスキー通り」で降りる。実は空腹なのです。オレグさんといっしょに食事をしたいので、我慢しております。

 ロシア美術館の前に約束よりちょっと早めに到着したのですが、きょうは寒い。霧色の町というか、細かい雪のような雨というか雨のような雪が降っています。「早くオレグさん来て欲しい」。
 が、オレグさん、なかなかやってこない!私は彼の新携帯番号を知らない!!空腹でますます寒くなってきた……。


♪ 23号 ♪ 寿司に大喜びする

 「日本で寿司を食べることを楽しみにしている」といつもメールを送ってきていました。
 ある日のちょっと早い昼食時間、「寿司はどこにある?ああ、食べたい」。繁華街は休日で休みが多いのに、まるで彼のために開いていた小さな寿司屋をみつけて、のれんをくぐりました。
 いかにも職人のご主人が「外国人さん、お魚大丈夫でしょうかねえ、けっこういらっしゃるのですよ、『お寿司食べる』と入ってみえても、いざ魚を前にすると、『食べられない』という外国人さん」。
 私、「大丈夫です。なんでもきっと食べますから」。

 目の前でご主人が握る寿司のワザを見ながら、「彼の手は魔法のよう。寿司が生まれてきた」などと興奮してしまう。そして、「写真、写真、写真!!」。「モスクワでみんなに見せる」そうです。

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 ご主人から「何回、日本へ来ていますか?」と聞かれて、「5回目の来日」だと私が言うのに、「4回目だよ」と言い張りながら、寿司を食べるシューラです。寿司ネタになにもいやなものはないようで、全部美味しくって大満足で平らげました。魚のあらのおすまし汁も大喜びです。

 お店を出てしばらくしたら、「5回目の来日だったねえ」。1993年と96年~97年は「ロミオとジュリエット」、2000年私と出合った「検察官」「ロミオとジュリエット」「どん底」、2003年は「夏の夜の夢」「巨匠とマルガリータ」「かもめ」。そして今回が5回目の来日です。それから、あちこちで聞かれても「5回目です」と胸をはって言っていました。


2006年03月30日

57号 1月7日という日は

 ===1月7日 午後===

 きょう、1月7日は、ロシア正教のクリスマスです。ロシア正教がこの日をどのように祝うのかは、知らないけれど、この日にロシアにいる経験は、今日が初めてではありません。でも、St.Peter.では、はじめてですね。

 巨大なクリスマスツリーやロシア風サンタクロースが街のあちこちに飾られ、電飾が派手なモスクワ。それに比べれば、派手さのないSt.Peter.です。繁華街や橋の上には、それらしい電飾はありますが、どこか静かなものです。
 だからか、私は7日がクリスマスと言うことを朝、街へ出るまで、すっかり忘れておりました。昨日(6日)民族学博物館では「明日はクリスマスだからイベントがあるんだよ。だから遊びに来てくださいね」とジーマさんが言っていたのに。

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(ロシア美術館の前にある広場に立つプーシキン像)


 クリスマスの昼間の街は、人が多く出ています。子ども達の姿が目立ちます。家族揃って歩いている人が多いです。私も含めて外国人も多くいます。ロシア美術館の庭にも大きなツリーが飾られて、人が多く集まっています。ここでもなにかイベントがあったか、あるのでしょうか。

 約束の時間にオレグさんは来ないし、寒いので近くのヨーロッパホテル=St.Peter.の一番高級ホテルかな?に、逃げ込みました。そして、驚きました。あまりにもピカピカです。クリスマスの飾りも派手に、あちこちきれいです。着飾った人々が楽しそうに集まってきます。

 そんな姿を見ながら、ロビー横で、ジーマに電話をしました。「ジーマ、頼みがあるのです。オレグに連絡をして欲しい。私は寒くって外で待てないから、ヨーロッパホテルで待っていると連絡してください」。

 ばっちりロシア語で言えました。ジーマは「ああ、わかったよ、すぐに連絡するからホテルで待っていて」。ホットしました。

 ヨーロッパホテルの長い廊下、入り口のすぐ近くにあるイスに座って、オレグを待つこととしました。

 ホテルのクリスマスイベントに参加の親子連れが集まってきます。私が座っているイスは、ホテルのホールの荷物預かりのイスでした。だから、可愛い子ども達やパパママたちは、ここでコートを脱ぎ、ドレスの裾を直したり、髪を整えるのですね。そんな姿を見ながら、まあ手足が長いこと、顔が小さいこと、なんて可愛い子ども達でしょうか。きょうは彼らが飛び切りのおしゃれをする日なんだと、見惚れていました。

 オレグさん早く来てくれないかな……。と、向うから、あら、オレグさんです。ワイワイ言いながら、抱き合って再会を喜びました。そして、「どこへ行きたいかい?」「もうダメ、なにか食べたい」。

 私たちは、ホテルを出て、ネフスキー通りにある夏にも訪れた、レストランへ入りました。
 まずは「ウオッカ!!」と、言ったのは私です。


2006年03月31日

58号 ブリヌイとウオッカと電話?

===1月7日午後====

 オレグさんは、愛・地球博ロシア館にて、オープン準備から開幕早々の2ヶ月間を仕事されました。サンクトペテルブルク市生まれで、やはり勉強ばかりしてきた民族学者、専門はスラブ民族学。「人間が大好き」と言う人で、万博のとき、「並んでいる人たちを見学に行き、おもしろい発見もあったよ」。万博生活2ヶ月で、万枚という単位の写真を写して、「民族学者が見たEXPO」をテーマにサンクトペテルブルクで写真展を開催するそうです。
 
 人が大好きなオレグさんは、笑顔とおしゃべりも得意なちょっとロシア人のイメージを変える人です。いつも笑顔でニコニコです。だれとでもおしゃべりです。
 日本在住時も、日本語はできないのに、片言英語であちこちにお友だちをつくっていっしょに写真を写していました。万博閉幕間近のとき、ロシア館で知らない女性が「あのう、この写真の方(オレグさん)は、たぶんもうロシアへ帰られたことと思いますが、この写真お渡しする方法はございませんか?とっても良い人で、子ども達とも遊んでくださって…」。写真のオレグは、公園で子ども達やその母親たちと笑って写っています。もちろん、その写真は、同僚ジーマがサンクトペテルブルクへ持って帰りました。

 そんなステキなオレグと私は、4ヶ月ちょっとぶりの再会を喜び、ウオッカで乾杯です。ウオッカは一気飲みですね。「うーん、しみわたる~~」。美味しいです。すぐにカアアッッ~となって、身体の中から燃えます。温まります。

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 「ブリヌイのイクラ添え、スメタナもだね」。オレグはすでに私の好きな物を知っています。「もちろん!!」。私たちは、しばしいろんなことをお話ししました。拙い私のロシア語をきちんと聞いてくださる彼に感謝です。彼も優しいロシア語でていねいにゆっくり話してくれます。

 「日本から帰って、また各地へ仕事に行っていたよ。でも日本が一番良いなあ。同僚ジーマも日本を気に入っているよ」。
 その後、ついウオッカを3杯も重ねました。美味しくってたまりません。レモン水をわきに置いて、一気飲みです。

 と、オレグの携帯が鳴ります。「おお、ジーマからだよ」

 オレグとホテルロビーで会えた時すぐに、彼はジーマに「会えたよ、大丈夫だよ」と電話をしていました。さて、なんのご用でしょうか?

 電話を聞きながら、笑顔のオレグです。「ブリヌイ食べてるし、ウオッカも飲んでるよ」、などと言ってすぐに電話を終えました。「ジーマが、今夜は家でたくさん用意しているから食べるなって言ってるよ」と、笑っています。

 と、また電話です。「あれ、またジーマだよ」。と、すぐに「君と話したいそうだ」。

 電話口のジーマは「どれだけウオッカを飲んでいるの?あまり飲まないで。夕方、オレグと必ず来るんだよ」。「大丈夫、私たちウオッカなど飲んでません」。と明らかに酔い声で言っている私です。電話のむこうの呆れた顔のジーマが見えます。おほほほ、私たちご機嫌です。


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