2006年02月01日
30号 歩くの大好き~ 3
===1月4日午後===
ジーマ バラノフさんは、ロシア国立民族学博物館ロシア民族部門主任です。ロシア第2の都市サンクトペテルブルクで生まれ育ち、サンクトペテルブルク大学卒業の歴史学準博士です。歴史民族学者として研究・執筆・講演活動、博物館収蔵品管理、大学助教授、マスコミ出演、映画監修、ロシア各地研究取材旅行、アフガニスタン博物館再建支援ロシア派遣メンバー、そして愛知万博ロシア館文化部門責任者も務められました。ロシアのインテリです。
ホントはワタクシなどとはお付き合いされるような方ではありません。いまこれを書いていても、もったいないし申し訳ないと思います。敬意を表して ВЫ でおよびしなければならない方です。が、そこはもう仲良しさせていただいているので ТЫ でよんでいます。
たまたま友人の同僚で、名古屋においでになってご縁をいただいたのですが、ホント私などがこうしていっしょに歩くのは……、もったいないことです。
彼の趣味は「歩くこと」。万博の2ヶ月間の休日にはあちこち歩き回ってました。私といっしょには、四国琴平町・奈良市内・京都市内×2回・伊勢市内・名古屋市内・犬山市など。他には、山口県秋吉台や名古屋近辺海岸なども歩き回リ、富士山頂上までも登られたのです。
そんなジーマさんは、生まれ育ったSt.Peter.が大好きです。わかります。なんでも知っていることでしょう。
St.Peter.といえば世界的に有名なエルミターシュ美術館ですが、今回は見学の時間はありません。ここは短い時間で急いで見学するようなところではありません。十分な余裕を持って、ゆっくりゆっくりと楽しむところです。「きょうはここまで、明日はまた続き」というように楽しむところです。
だからきょうは、宮殿広場を歩くだけ。石畳は凍っていてひとりでは歩けません。この広場の中心に立つアレクサンドルの円柱は、何のささえもない自重だけで立つというもの。47・5メートルの高さです。地震のない国だからできるものですねえ。

広場は世界からの観光客が大勢楽しんでいます。はじめてここへ来た時、子どもが手を出してきて「お金ちょうだいよ」って言ってきて驚いたところです。2000年夏、ここで馬車に乗りました。2005年夏ここをオレクやレナと歩きました。いろんな思い出いっぱいです。きょう、また新しい思い出ができそうです。

ジーマさんは歩きながら、建物の説明をしてくれます。ロシア語が全部わかると良いのに、残念です。でも、わかるところもあるのだからうれしいです。広場を突っ切って私たちは、ネヴァ河を渡ります。昨日、レナさんと寄ったペトロパブロフスク要塞が右手がわに見えます。左手にはいまから行くバシリエフスキー島にある有名な建物群が見えます。夏には、跳ね橋となる宮殿橋を渡ります。
2006年02月02日
31号 St.Peter.は、こんな街
===1月4日 午後====
ジーマさんの出身大学サンクトペテルブルク大学の裏手方面を歩いています。雪がかなり残っていますが、そんなに寒さは感じません。大学では「試験中だよ」とのこと。新年早々に試験なのですか。校舎からいく人かの女子大学生が出てきます。ジーマは「僕はここで学んでいたのだよ」。ちょっと横顔をのぞくと後輩達に暖かいまなざしを贈っていました。
彼が歩くところへついていくだけですが、この街が、「勉学」にとてもふさわしい街であることが伝わってきます。下手なロシア語でそれを伝えるとジーマは「学生たちは勉強しなければならない」と言ったようです。私の中では勉学意欲がむくむくとわいてきました。こんな気持ちは、ちょっと久しぶりです。勉強したい、それがなんでも良い、むちゃくちゃ集中して先達たちの導きを仰ぎたいものです。
どこかから海のにおいもします。住宅街の建物は、高さ制限があるので3階建てくらいです。だから空が広いです。静かです、それはさびしい静かさではありません。動きがあるのですがそれらが音を発していないと言うか静思さの街です。冬の夕方のグレーな暗さは美しく私の心に染みます。暗いですが、こういう色合いもあって良いと認めましょう。
ジーマに私は聞きます。
「目の前にある河はなに?」
「あれは小ネヴァ河」。
「その向うにはスポーツスタジアムですね?」
「あそこはとても美しい場所だよ」。
「街が静かですね」
「ああ」。
学者ジーマ バラノフさんが生まれ育った街は、とても素晴らしい街です。好きになりました。
2006年02月04日
♪ 9号 ♪ 俳優はステキな商売
突然ですが、私は子供のころ、脚本家か演出家になりたかった。小学校の学芸会(いまはそうよばないらしいが)で、自分が舞台に出るよりも、事前にいろんな準備をするのがとてもおもしろかった。台本をつくるのがそれはおもしろかった。ちょっとした本を読めばそれを舞台台本に書き換えるなんて大好きな少女だった。女優にはなりたいなどとは、まったく思わなかった。
いま、もし、もしも、「いまやりたい職業をさせてあげます」ということができれば、脚本書いて、演出して……。なんて。
とは言うものの、演劇の世界の厳しい現実は「ああ、そんな道を歩かなくってよかった」と思う。
私がはじめてシューラに会った時は、彼は俳優の顔ではなく、ひとりのロシア男だったのです。それも太目が目立つ、でも、オーラは十分でした。
出会った翌日に彼らの「検察官」を見て、舞台に登場したオーシップ役の彼を見て「ガクゼン」としてしまいました。その巧さとカッコよさにです。「あれれ、昨日はボサボサ頭にタラリンシャツに半ズボンで、仲間たちとワイワイ言っていたけれど……、どういうカッコよさだろう!!」
歩き方の美しさ、これはすごい。手の指の1本1本も光り、わからないロシア語のせりふが訓練された俳優の言葉で心に伝わりました。
うわあ、俳優だ!! いくつもの顔を持つ俳優をそこに見ました。役になりきるという真剣勝負している俳優の美しさを知りました。そして、芝居が終わり、エンディングに登場するときの俳優たち、満たされた幸福感あふれる顔を見るのが大好きです。

シューラは、今回の来日公演では、「巨匠とマルガリータ」に出演します。モスクワでの舞台写真です。(ユーゴザーパド劇場HPより、許可済み掲載)
劇場支配人ヴァレヌーハの役です。ドキドキする役です。
「巨匠とマルガリータ」は、たくさんの登場人物で、ロシア人の名前の難しさで、最初はなにがどうなって、だれがだれだか、私は理解できなかった。キリスト処刑あたりの話となるといまも、まだ理解できないけれど……。(読み足らん!)
が、ものすっごくワクワクとして読みました。特にヴァレヌーハ登場あたりは、ドキドキでした。
ユーゴザーパド劇場の総力をあげての来日公演です。ぜひ、俳優のかっこ良さとシューラのヴァレヌーハをご覧ください。
来日公演についての詳しくは、「アートスフィア」で検索してください。
32号 美味しいピローグを食べながら
=== まだ1月4日 午後====
住宅街の通りの一角に、「美味しいピロシキ屋さんがあるよ」というジーマ、そのお店のドアを開けました。日本のごく普通の喫茶店のように丸いテーブルとイスが並び、もうひとつ奥は、ちょっと大き目の四角のテーブルもいくつか並んでいます。けっこう混みあっていますし、列をつくって注文をしています。
「なにを食べる?」とジーマが聞きます。
「肉はやめて、りんごとチーズとキャベツと……、ビール!!」
「ビールはないよ。紅茶かコーヒーか」
なかなか列は短くなりませんが、ピローグはカウンターの後ろの厨房からどんどん出来上がり、女性店員が切り分けて、客の注文に答えています。
ピローグとは、ピロシキの大きいものをイメージしてください。ピロシキは、ロシア各地域や民族や家庭それぞれでいろんなものがあります。丸いおまんじゅうのようにして、中身は肉・野菜・きのこなどを入れ分けてつくるものや、三角の形にするものや、円や三角やもみじなどいろんな形でとても小さいものなど、それはいろいろあります。
ここサンクトペテルブルクは、オーブンの鉄板いっぱいに焼いて切り分けて食べるものが、ピロシキです。
「あっ、ビールもあるよ」とジーマ。「うれしい」とわたし。
空気が乾燥しているので、私はとても喉が渇きます。水も欲しいけれどまずビールが飲みたいのは、ノンベエだからではない、です。
注文の品をテーブルに運んで並べて、私たちは「いただきます」。
私がいつも持っているノートにジーマが書いてくれました。

(左側) ,Ватрушка ==== Пирог с творогом (右側) Брусника ==== Ягода
私たちが食べているピロシキは、チーズ(左側)と木苺(右)です。とても美味しいです。
食べながら、私たちはとても楽しくお話ししました。
万博が終わっても、ロシア館にかかわりをもった、名古屋近辺の人たちは、集まって仲良くしていることを伝えると、ジーマはとてもうれしそうに「それは良いことだね」。
日本のお正月のこと、ロシアのクリスマスのことなどにも話しはすすみます。特に彼が興味を持っている数字のもつ意味については、万博で来日中にも話した「(日本では)4は死と、9は苦と同音」ということをしっかり覚えて見えて(博士です、当然ですね)、12月29日には正月の飾りはしてはならないと言う私の話しは、納得してみえました。ホント悔しいです。私にもっとロシア語ちからがあれば、もっとお伝えできるのに……。
私が10月に送った手紙のことを聞きました。その手紙を「受け取ったよ。日本の手紙だね」とメールが彼から届いてその意味がわからなかった私ですから。
「日本の手紙ってどういう意味ですか?」
にこりと笑って答えません。
「私はとても下手な手紙を書きました。わかりましたか?」
またにこりと笑って答えません。
と、
「手紙は心です。心が大事です。書いてください。また、書いて送ってください、待ってます」。
もう大感動です。うれしいです。もちろん、「ええ、書きます。手紙をたくさん書きます」。
それから日本語についての話し。日本へ来て日本語を見聞きし、「興味を持ったよ。僕の苗字の『バラン』は日本語では何と言いますか?」
「それは『ひつじ』です」。彼はなんども「ひつじ、ひつじ」と繰り返しています。
「日本語のアルファベットを教えて欲しい」。
「あいうえお、かきくけこ……」とノートを破って日本語で書いて見せました。身を乗り出して興味をしめされます。「とてもおもしろい!」
が、私は書いていてあまりも汚い字なので彼にそれを渡すわけにはいきません。恥ずかしいです。
「今度、また書きますから」。彼はその汚い紙きれを欲しがっていましたが、「ダメダメ」とすぐにかくしました。
ロシア語での話しはお互い「???」のところもあっても、それでも良いのです。お互いに「相手は何を伝えたいのか?」と「どうしたら相手に伝わるのか?」と、身体中の機能を使っての会話は、楽しいです。言葉となった瞬間に心も伝わりあいます。いま、ジーマの話しは全部わかります。
さあ、長居をしました。「行きましょう」。
「その前にトイレへ行って来ますね」。また歩きますから、ここで用を済ませないと、あとで、もしものたいへんになりますから。
が、トイレでたいへんが……。
33号 大事なことです。
===1月4日 午後 お店の中で ===
いまからお伝えいたしますことは、これからロシアを旅しようとか暮らそうとかなさる方には、とても重要なことです。もちろんロシアで生活されておみえの方たちも、いつも心していらしゃることのひとつでしょうが、今後ともお気をつけてくださることをお願いいたします。
なんて、もったいつけて……。
トイレのカギはかけましょう。カギが壊れているトイレは困ったこととなります。気をつけましょう。
美味しいピロシキ屋さんのトイレは、ちょうどカウンターのすぐ近くです。ドアがあけると、手洗いかインターバルがあり、もう1枚ドアがあってトイレがあるものと、だいたいの人はそう思うでしょう。
勢いよくドアを開けました。「きゃあ~」
見てはならない姿勢の女性がそこにいました。そうです。そのトイレは、ドアの向こうが用を済ませる個室だったのです。ドアを開けた私も驚き、開けられてしまった彼女も驚きました。
もちろん、すぐにバタンとドアを閉めた私です。すぐ中からは、カギをカチャカチャしている音が聞こえてきました。
ちょっと待つと中の彼女は何事も無かったように、ドアをあけて出て行きました。
私は、事前学習しています。中に入りドアを閉めたら、すぐカギをかけます。
さあて、長いウールのスカートは暖かいな、よいしょ………、(ダメダメ想像しないで)と、そのときドアが、ドアが、開いてしまいました!!!! ドアの向うには女性がビックリ立っていました。そしてそのときの私は、さきほど自分が見てしまった彼女と同じような………、「いやああ~~」。
カギはどうも壊れているのです。しっかり奥まで差し込んたつもりだったのですが、はずれてしまうようです。と、いうか、確認不十分でした。
なによりもですね、この地では、トイレのドアをノックするという習慣がありません。ドアノックをしても中の人は、それに応えてノックで返答をする習慣もありません。
ドアを開けられたくなければ、(普通あけられたくない!)カギをしっかりとかけておくこと。カギがかかっていれば開けない。たぶん開けられない。カギが大事です。
これがここの決まりです。しっかりと覚えておきましょう。ここは日本とは違います。
そんなことがあったとは、ジーマには伝えず、店を出て私たちはまた歩きます。私は「今後要注意」と歩きながら自分に言い聞かせておりました。
♪ 10号 ♪ ロシア語の先生は、俳優
はじめてシューラに会った2000年秋、私はまったくロシア語はできなかった。勉強をはじめたばかりで、知っている単語などはごくごくわずかで、語尾変化も単数複数も何にも知らない。
その後、いろんなことがあって、ロシア語がちょこっとだけわかるところも増えてきた。それはとてもうれしいことです。
シューラとは、もう何度も会っています。会う度に俳優は私に言います。
「ロシア語で話しなさい。君が話したいことを話すのです。口に出しなさい」と。
シューラは巻き舌が苦手で子どもの頃は特別に指導されていたと言います。ロシアの俳優たちは、演劇大学で厳しいロシア語教育をうけます。演劇大学に入学するまでに俳優経験をつんでいる学生たちが、なお厳しい教育をうけてプロの俳優となるのですから、彼らのロシア語はすごいものです。舞台から声の大小にかかわらず、劇場中に届くロシア語せりふが芝居には大事なもののひとつですから。
シューラは「話しなさい。聞いているから話しなさい。君が何を言いたいのか知りたいから」と、いつも言います。
話すことは、前提に聞くことです。私の目の前にいるこの人は、いま何を伝えたいのか?と、知ることでもあります。そして、私はこの人に、何を伝えたいのか?どう伝えたらいいのか?
下手でも良いから「話すこと」と言う俳優は、私に、ロシア語でのコミニュケーションの世界を造ってくれるロシア語の大先生です。
間違ったロシア語を言うと、言い直してくれます。ときに発音指導は厳しいです。ばっちりと正しく返事ができたりしたら、めちゃくちゃほめてくれます、うれしいです。
そんな俳優シューラが知っている日本語は「ありがとう」「こんにちは」「さよなら」「とても可愛い」「じゃあね」「わかりました」くらいです。でも、日本人の熱いファンがいることが、彼はとても自慢なのです。日本人の熱いファンは、私ひとりではありません。彼の来日を待っている人は多くみえます。
※みなさまお会いしましょうね!
34号 歩くの大好き~ 4
===1月4日 暮れてきた夕方===
「歩いて帰りますか?」「はい」。
私はいつも返事は日本語の「はい」です。ジーマも知っている日本語のひとつです。
ヴァシリエフスキー島の繁華街でしょうか。人通りの多い通りを歩きます。かなり大きい市場の建物や教会やしゃれた喫茶店もあります。「芸術アカデミー」の横からまたネヴァ河が見えてきます。
「今度はこちらの橋を渡ります。いま工事中ですからね」。その橋は、シュミット中尉橋です。橋の幅を広げる工事のために別の橋を造るとか。きょうは工事はお休みなのでしょうか。重機械は動いていません。橋の上は車のとおりが激しいです。私はやはりときどき滑っています。が、ジーマも滑っています。
厳しい街です。大人の男性でもつるつると滑っています。外を安全に歩けない、これは相当のストレスです。
外を歩くと、地雷があるのではないか、空爆があるのではないかなどの恐ろしい危険へのストレスは、想像するだけでも震えてしまいす。厳しい自然と対峙するストレスは、工夫によって回避、軽減もできるでしょうが、そうもできない厳しいつらさもあるでしょう。そんなことを思えば、名古屋あたりで寒い冬の日でも、防寒さえ整えればシャカシャカと歩き回れることは、幸福です。
厳しい自然の街に生きる人々が、自然と常に対話していることもわかります。例えば、雪国の人たちが雪をいくつもの種類にわけてよぶこともそうですし、雲の流れで、天候の具合がすぐわかるなども自然といつも対話しているから……、シャカシャカ歩き回る冬の名古屋の街で、どれだけ自然と語り合っているだろうか……、などと歩きながら考えていました。
夏に、小船でめぐった運河から見た景色が、冬には地上からはどんなふうに見ることができるのか、今回の旅は、それができれば良いと思ってます。いま、それを見ることができます。私がそのように伝えたわけでないのですが、ジーマが歩くところは夏に楽しんだ運河に沿っている、道です。
「ロシアは蜂蜜の匂いがしますね」と言えば、驚いています。ここサンクトペテルブルクは、蜂蜜と海のにおいが混じっているのですが、モスクワは蜂蜜と残念な排気ガスの臭いです。「日本はしょーゆの臭いでしょ?」と、問えばうなずいて笑っています。
街は暗くなってきました。右手がわに茶色の建物が見えます。夏に運河から見た横に長い建物ですが、運河からの景色は廃墟でちょっと気味が悪かった。まだ、こちらの通り側はそれほどでもないのですが、古い建物はいったいどんな歴史があるのでしょうか?後で地図を見ると「新オランダ島」とあります。
夏にはオレグが説明をしてくれました。「もうすぐ壊す建物」はわかりましたが、ロシア語が理解できずわかりません。いまジーマが説明してくれます。「歴史のある建物で、とても僕には興味深いもの。いまは誰も入ってはいけない。もうすぐ壊す」らしい。その前段の歴史の部分がわからなかった。
モイカ河を渡ります。「夏に船で働いていた(船頭やガイドの)彼らはいま、何をしているのですか?」と問えば、まるで、そんな質問はじめてだなとでも思われたのか、ジーマが笑うのです。「彼らは……、さあてどうしているのか?知らないなあ…」。
右手には川幅の狭い、クリューコフ運河です。ここも夏に小船で楽しんだところです。と、いうか小船だから通ることができる幅しかありません。いくつもの橋もあります。
マリンスキー劇場が見えてきました。開演前の入場者と車が混雑する時間です。やっとマリンスキーの位置がわかりました。いままでここへ来るには車を使い、街の中心からどのくらいの距離なのかなど、わからなかった。黙って思い巡らしてました。「この距離ならば白夜のころならホテルへ歩いて帰ることができるな」。ああ、また白夜のころ来たいです。ジーマはぐるりと建物を1周して、見せてくれました。
また、歩きます。途中、「ちょっと休憩ね」と水を飲み深呼吸。左手に教会の塔が見えます。ニコライ聖堂の白い塔です。夏に船頭さんが、スピードを緩めて「きれいな教会です。見てくださいね」。すくっと伸びた塔が青空にきれいでした。きょうは、もう暮れた冬空のなか、静かにたたずんでいます。
橋を渡り、ジーマは右手に折れて細い道へ入ります。観光客などが寄らない住宅街なのでしょうか。さきほどの大学などのある地域とはまた違う静かさです。乳母車を押すパパとママがゆっくりと散歩です。凍っている運河の上の小さい橋を渡ります。
ジーマは「小学生のころこの近くに住んでいた」そうです。だから彼には庭です。
私の宿が近づいてきました。「お店で買い物をしたい」と伝えて出合った小さな店で、大きいボトルの水・ヨーグルトいろいろ・ウオッカなどを買いました。私がジーマに希望を伝えれば、店員とのやりとりは彼が仕切ってくれます。日本で私がそうだったように。もちろん買い込んだ品物を持つのは、男性の役割です。先に買った辞書もずーとジーマが持って歩いています。
歩いていて気になったのがときどきジーマがする乾いたセキ。「コン、コン」と。
私はいたって元気です。寒くもないし、足も痛くもないし、もっと歩いても良いかな?ですが、宿に到着しました。
「明日また電話しなさい。ゆっくりと休むのですよ」。優しいジーマさん!!
「ありがとうございます。また明日!」と日本人はぺこりと頭を下げます。
ジーマはまた歩いて帰ったのかな??
私は達成感と快い疲労感で、買ってきた水をがぶがぶと飲み、部屋で手足を伸ばしてくつろぎました。寒くはありません。
2006年02月08日
35号 温かな部屋のなか
===1月5日 朝====
たくさん歩いた日の夜は、ぐっと深く眠り、パッと目を覚ましのは、ナント午前2時。まったくゥ。まだ日本時間で生きています。こちら時間は夜中ですから、もう一度眠るしかありませんが、しっかりは眠れず、トロトロしながら、とうとう朝を迎えました。
私がはじめて冬のモスクワに行った2001年。俳優シューラ宅へおよばれに行き、はじめてロシアの家庭の冬の暖房を知りました。地域集中暖房です。お湯のパイプが壁にそって走っていて(見えるところや見えないところもあるようです)、各部屋は当然、台所、トイレ、廊下も暖かく、湯は台所もお風呂も洗面台もいつも出ています。湯のパイプはくねくねとお風呂場などにあり、洗濯物はそこへかけておけば、一晩で乾いてしまう「快適」さを知りました。
ただこれも問題はいくつかあるようです。が、室温25度くらいで、部屋の中ではTシャツか薄いブラウスですごせる快適さは、うらやましいです。
日本の名古屋の我が家の、寒さと暖房の貧困さを痛切に知りました。ストーブの前だけ暖かくって、暖房をしていない部屋やトイレなどは寒いし、ストーブは部屋を狭くし、危険が伴います。火事も心配です。冬の洗濯物は乾きが悪いし、お湯も設備が自前なので、出るところと出ないところがあるのは各家庭いろいろで、冷たい水で仕事をしている人たちも多くいます。とても寒い日本です。
それに一番温度が低い位置の畳にふとんを敷いて眠ります。もちろんベッドも使いますが、さほど温度はかわりませんし、ベッドでも布団は厚くします。

(ガリーナホテルのお風呂と洗面所)
さて、ここガリーナホテルも、暖かいです。一番暖かいのはお風呂場。台所も暖かいです。私の部屋はちょっと他に比べれば涼しい(?)ですが、気になりません。ただ、ベッドの掛け布団が毛布1枚は、寒いです。と、いうか、いつも重い布団をかけて眠るのが常なので、毛布1枚では軽すぎてダメです。もう1枚毛布を掛けています。
朝、起きてしばらくパジャマにカーディガンを羽織っています。が足元は寒いですから気をつけて。
さあ、きょうは午後3時に、レナと待ち合わせて、楽しみにしている「人類学・民族学博物館(クンストカメーラ)」に行きます。レナやジーマたちが働いている「民族学博物館」と兄弟関係?みたいな博物館です。レナは「あなたに会わせたい人がいるから、必ず3時に入り口に来るように」と言っていました。場所は知っています。昨日ジーマと歩いた、サンクトペテルブルク大学の近く、ネヴァ河沿いです。
歩いていこう。きょうも歩きましょう。
2006年02月10日
♪ 11号 ♪ チケット好評販売中です
モスクワから、ユーゴザーパド劇場が来日します。「マクベス」と「巨匠とマルガリータ」を持ってやってきます。
彼らの来日は、2003年5月以来です。「巨匠とマルガリータ」と「夏の夜の夢」と「かもめ」を持って来日し、神戸・大阪・奈良・岐阜・豊橋・名古屋・東京そして仙台と約1ヶ月旅をしました。とくに東京天王洲アイルのアートスフィア劇場での公演は大人気でした。日本初公演の「巨匠とマルガリータ」は、
満員御礼状態でした。
私も行き損なってしまいました。ちょっとのんびりしていて、さあチケットを買いましょうと思ったときは、もう完売でした。
ロシア演劇ファン、はじめてロシア演劇を観てみようかと思われているみなさん。早めに切符を買いましょうね。いまは座席の数だけの切符を販売します。「立ち見」というのはありません!!
くわしくは、アートスフィアチケットセンターへ
東京都品川区東品川2-3-16
電話 03-5460-9999 (10:00~18:00)
ホームページはここをクリックしてくださいね。
==リンクは、アートスフィア劇場の掲載許可を得ております。==
「ああ、チケット買っておくのだった」と後悔なさいませぬように。お早めに。
2006年02月11日
☆ 18号 ☆ 答えましょう。100問。
有名な100問シリーズのなかのひとつ。
「ロシア好きに100の質問」を答えました。こちら。
回答にかなり時間がかかってしまい、疲れてしまった。答えてからちょっと考えた。私は「ロシア好き?」なのかな?
2006年02月12日
♪ 12号 ♪ ロシアの公演方法
モスクワユーゴザーパド劇場だけではなく、ロシアでのほとんどの劇場演劇公演は、日替わり公演となっています。レパートリー制です。日本語こちらへ。
日本のように、「女優○○出演・なんちゃら・1ヶ月公演」とか、「3ヶ月、ロングラン公演中」など、ひとつの芝居がひとつの劇場で毎日公演などは、ロシアではほとんどないでしょう。
ユーゴザーパド劇場とは、劇場の建物の名前であり、演劇集団の名前であり、会社の名前?でもあります。俳優シューラは、そこに就職をしている俳優です。彼の職場がユーゴザーパド劇場です。
例えば、「ロミオとジュリエット」の公演は、ひと月に1~2回あるかどうかです。きょう、公演されても明日はたぶん公演されません。もちろん公演スケジュールは、2ヶ月前に発表され、チケットが販売されるので、ファンたちはいつもチェックしています。
出演の俳優たちは、毎日自分の「役」が違うわけです。昨日は、悲劇の「ロミオ」、きょうはコミカルな「熊」、明日は爆笑喜劇の「女役」など。それは、高度な演劇技術を持っていることも必要ですが、一番大事は、「心のつくりかた」です。毎日出番が終われば、きょうのことは忘れて、明日のことを創るわけですから、「前だけ」を見ての俳優活動です。もちろん、毎日全力投球の全身全霊を舞台にかけるわけですから、その「心のつくりかた」は、私など想像ができない厳しいものでしょう。
レパートリー制で公演できるロシアの演劇のレベルは相当なものなのです。
俳優たちは、基本的に芝居のことだけを考えていれば良いのです。例えば、衣装担当者は、俳優が楽屋に入ったときには、その日の俳優の衣装・小道具などはすべて楽屋に用意されています。
公演チケットを俳優が売り歩くこともありません。宣伝・チケット管理などは担当者の仕事です。
俳優は最高の演技を見せることが大事な仕事です。
いつも思うのです。シューラの頭の中と身体には、いくつの役があって、どれだけのせりふが入っているのでしょう。なんにも覚えられない私のオバカ頭では、想像を絶するものです。
36号 歩くの大好き~ 5
===1月5日 午前中===
きょうは、ひとりで歩くし、昨日の自分を振り返り滑ってばかりで危険を実感したので、用心しましょう。日本から持ってきた、「靴に簡単装着どんなところでもすべらない」器具を着けて、さあ行きましょう。
外へ出て、昨日と同じような天候と気温なのでありがたいです。これがすっごく寒かったら、大幅に予定を変更していたことだろう。なによりも「滑らない」ことと、車には十分に気をつけることを自分によく言い聞かせて歩く。ここで事故にあったら、もう泣くになけないし、エライ騒動になってしまう。もちろん高額な旅行保険に入ってきてはいるのですが。使わなくって済ませたいものです。
さて、きょうはどのルートを歩こうかな?と歩き出し、昨日ジーマと歩いたところを逆に歩きながら考えることとしよう。
住宅街の細い道を歩いていると、向うからやってきた1台の乗用車が私の目の前で止るものだから、どうしたのか?と驚いた。ここで私の知り合いはいないわけでないが、車が止まってくれるとは考えられない。私と向かいあうように止って運転手が降りてきた。もちろん知らない男性。なにか?
なんでもなかった。彼は私に目もくれず車から荷物を降ろして、住宅の中に消えたのでした。ただ、彼が車を止めたかったところを私が歩いていただけでした。でもそのタイミングというか、距離というか、勘違いを思わず笑いました。
行き当たったファンタンカ運河は凍りつき、釣師4人くらいが氷の上で釣りをしているのです。それを上から見ていた少年たち3人くらいが大きな声でなにやら言ったら、氷上の釣師が少年たちをにらみ返して、少年たちは笑いながら、走ってどこかへ消えていった。その氷上釣師の写真を写そうと思ったのですが、この雰囲気ではちょっとイヤなので、カメラは引っ込めました。
昨日ジーマと歩いた道をまた歩いている。教会の屋根が見えてきた。入ってみようかな?と入り口をなんとなく探すが見当たらない。どうも反対側にあるようです。このあたり、昨日は気がつかなかったが雪がかなり積もっていて歩きにくい。反対側に行くというか、入り口を探そうという積極的な気持ちが湧いてこないのです。
雪の積もり方が歩く道でいろいろあるのは、道の下に温水パイプが走っているかどうかでかわるそうです。このあたりは温水パイプが道の下にはないのかな?積雪15センチくらいありそう。

寒さは感じない。細かい雪が降ったりやんだりしている。きょうはブラウス+毛糸ベスト+上着+長いマフラーをぐるぐる巻きにしての厚着に毛皮コートを着ている。厚着だったなあと思ったが、これがあとで大正解になったのです。
マリンスキー劇場が見えてきました。ダフ屋さんでもいないかな?この劇場には、いったいどれだけの大小の道具とあらゆる衣装があって、何人くらいの人たちが働いているのでしょうか。
劇場裏手に近づくと、ドアの1枚が開いて若い女性たちのグループが建物から出てきました。ナント長い手足でしょうか。きれいに結い上げてある髪の色は様々です。なんか感じるオーラに「きっと踊り子さんたちだ」と思ったのです。これから稽古がはじまるのでしょうか。10人くらいの若い美しい女性たちから笑い声はなく、短い言葉を仲間同士やりとりしながら、私を追い越して行きました。
まだ開演時間には早いのでダフ屋さんらしき人はいないようですが、いく人かの人たちが劇場前に立っています。きょうの出し物は「白鳥の湖」ですね。いいなあ。今回観劇もバレエ鑑賞も、予定に入れられない。いつも夕方に出歩くことが多そうだから。もうひとつは、予定が未定だから。次に来た時は、ゆっくりバレエもお芝居も観ましょう。

劇場を背にして道路を渡るのですが、どうも、車線が日本と違うのがこわいです。2車線ならば、日本では右側をまず注意して、左側へとなりますが、ここは左をまず注意です。ぼんやり歩いているとタイヘンなこととなってしまいます。
日本へやってきたロシア人も最初、「車が反対から来て怖い」などと言ってましたね。
途中、道を尋ねられることもしばしばあります。背の高い女性が「◎×**、どこですか?」
どこを歩いていても、行き会った人たちに尋ねるのはとても良いことだと思うのですが、私には尋ねてもダメですよ。
モイカ河を渡り、左手に見えてきた茶色の建物=新オランダ島の「もう壊す」という建物が目にとまる。今度きちんと、これのいわれを地元の人に聞いておこう。このあたりで、暑くなってきた、厚着してきたからです。歩きながら、コートの下を脱ぐわけにもいかないし、きっと脱いでしまえば寒くなると思う。
やはり、歩きにくい。路面が凍っていたり雪が積もっていたり、こんなところ歩くのは、疲れてしまう。
48号 冬のオリンピック 2月11日開会
イタリアトリノオリンピック開会式、ごらんになりましたか?
私は、11日日本時間早朝、NHKラジオの開会式実況中継を半分寝ぼけて、布団の中で聞いておりました。なんだか盛りだくさんのことをやっているのだなあと。11日午後の時間、NHKテレビBS1での録画放送を見ました。とても感動しました。
イタリアは暖かい国だと思っていたら、冬季オリンピックが開催できるほど寒いところもあるのね。が、無知をさらけだしてしまいますが、はじめて知ったことです。
80の国と地域からの参加は素晴らしい。
入場行進を見ながら、はげしく万博を思い出し、なぜか涙を流しながら見ていました。
みんなおしゃれなこと。しっかり着こんで、見るからに暖かくして、楽しく笑いながら入場するすがたは、ステキです。帽子やマフラー、手袋はやはり大事な防寒用具ですね。
入場する国のいくつかは、愛・地球博でもパビリオンを出展していた国です。「ここのパビリオンは、あそこにあった」「あの展示を思い出す」「この国には入っていないなあ」など、万博通いをした私だからの、見方をしておりました。
ウクライナ選手団のチームカラーの、青い空とひまわりを象徴にした色合いは、万博のときと同じ。とても暖かいものです。
リトアニアの選手団の笑顔は、万博のリトアニア館で出会った青年たちのさわやか笑顔とだぶります。
トルコ選手団。ああ、トルコ館のあの癒される空間つくりに感動したことが浮かびます。
韓国と北朝鮮がひとつの旗をふたりで支えあい入場するのは、なんと素晴らしいことでしょうか。心から感動してしまいました。
日本選手団は、白い色を基調にして、ちらりちらりと見える赤色。日本らしい。
ロシアチームは、国旗を振りながら入場してきました。と、そのとき、我が家に来客が……。だから、しっかり彼らを見ることができませんでした……。 (リンクは期間限定です)
その後のセレモニーも、素晴らしい。
バレエダンサー・ロベルト ボッレさん。長い手足をもっと長くして踊ります。頭に飾った鶏冠は、トリノ(鶏の)オリンピックだからでしょうか。素晴らしいダンスです。彼は、昨年9月、愛・地球博会場でも踊りました。
きっと地元の人気俳優たちでしょう。中世貴族の扮装での演劇要素のパフォーマンスは、もっとしっかり見たかった。あのでかいスカートの下はなにだったのでしょうか?
F1カーが、狭い式典会場内を走ったのには驚いてしまった。選手席に落ちたりしたら、なんて不吉なことをちっと考えてしまいました。あなたも?
オノヨーコさんが登場して、また驚いてしまった。「イマジン」を訴えた。
聖火の点火、そうかそういう仕掛けだったのか。
オリンピック旗を運んだひとりは、ソフィア ローレン。ひぇ~。
もうひとりは、ケニアのノーベル平和賞受賞者、ワンガリ マータイさん。彼女も万博にやってきた。彼女が植えた幼木が、愛・地球博跡地でこれからぐんぐん伸びていくことだろう。
もう終わりかな?っと思ったら、ナント!!オペラ劇場ができてしまって、幕があくとそこには、イタリアの超大物歌手、ルチアーノ パパロッテイさんが登場して、そして素晴らしい歌声を聞かせてくれたではありませんか。またまたヒエ~~と驚きました。幕が下りても鳴り止まぬ拍手に、幕がちょこっとだけ開いたのは、テレビは、遠くからとらえただけでした。あの瞬間を見たかった。
万博とオリンピックとは違いがあるけれど、世界中の人々がお互い認め合い、愛し合い、語り合い、楽しみ、感動を共有しあうことができるのは、同じことでしょう。これからしばらく、忙しいですね。
どうか、どうか無事に滞りなく、平和なオリンピックであって欲しい。
37号 橋のこっちとあっちで
===1月5日 午後====
サンクトペテルブルクといえば、ネヴァ河と運河があり、いくつもの橋がある街です。いくつの橋があるのか?サンクトペテルブルク市が愛知万博で配布した資料で、ちょっと調べてみましたら。
“水の割合は市の領域のおよそ10%を占める”そうです。
“サンクトペテルブルク市には郊外も含めて、約550の橋があり、そのうち22橋は、開閉橋です”と、紹介されています。開閉橋とはこんなのです。(SP Walker さんからお借りしました)
いま私は、ネヴァ河にかかる大きな橋のひとつを渡ろうとしています。昨日も渡った、シュミット中尉橋です。夏の深夜には真ん中から割れて、河を渡る船を通すここも開閉橋です。
橋の幅をもっと幅を広げるために、工事に入っています。橋のこちら側からあちら側を見てみましょう。むこうは、昨日歩き回った、ワシリエフスキー島のほうです。古い町並みです。建物の高さ制限がされていますから、空が広いですね。

橋を渡ったら、ネヴァ河で冬の水鳥たちが遊んでいました。見えるのは、アングリースカヤ通りの町並みです。イサク聖堂などはここに写ってはいませんが、左側のほうにあります。

ネヴァ河、私にはいろんな思い出がある河です。
はじめて、サンクトペテルブルク市にツアー観光で来た時。1997年の白夜のころです。泊まったホテルは、ネヴァ河とアレクサンドルネフスキー橋が見下ろせる巨大ホテルの6階でした。開閉橋を見たく、夜中に起きだして、開閉の一部始終と早い夏の朝がやってくる景色を見ました。まったくすごくスケールが大きくって、驚いてしまいます。あれは一度は見ておいてもいいでしょう。車が整然と止まるのが、なにか別の世界にいるようでした。
そのツアーで、別の日、添乗員が「ネヴァ河を船に乗ってホテルまで帰りましょう」とみなを誘ってくれたのですが、その頃の私は、船がイヤだった。その申し出を断り、ひとり、チャターバスで移動したのでした。なぜ、船がいやだったか。いまはもう覚えていないが、ともかくもイヤだった。ネヴァ河にあまり興味がなかったのかな?
有名な「青銅の騎士像」前あたりのネヴァ河は、夏には大型遊覧船の船着場で賑わいます。2000年夏の旅は、ここから、St.Peter.郊外の「夏の宮殿」まで水中翼船で行くことにしました。船は、なかなか快適でした。ネヴァ河は大きく、水が豊かでフィンランド湾につながるという位置がわかりました。噴水で有名な夏の宮殿は、海からも見ることができ、それもまた美しいものです。とても気に入った景色です。
同じ2000年夏、サンクトペテルブルク大学近くのレストランで夕食を食べ、夏の日が沈むのが遅く、ネヴァ河沿いを食後の散歩したのですが、だんだん冷えてきて寒くなってきてしまい、震えました。昼間は平気だったTシャツ1枚ではダメでした。だから、ネヴァ河の景色は、あまり覚えていない。その後のロシアの旅では、気温の急激な変化に気をつけるようになりました。
2005年の夏、ネヴァ河クルーズをオレクとレナと私は楽しんだ。オレクは、「河から見る僕の街は素晴らしいよ」とご機嫌だった。
いま、ネヴァ河は、冬の色濃く静かです。このあたりは凍ってはいません。
2006年02月13日
38号 「エッ」 と、びっくり、その1
=== 1月5日 午後===
午後3時に、「人類学・民族学博物館」(以下、クンストカメーラ)の前で、エレーナさんと待ち合わせです。ジーマもいっしょに行くようなことを言っていたような?
ジーマに電話をしました。
電話に出たジーマは、寝ていたようです。ヘンな声で、そして、いきなりセキこみ「ひどいんだよ。コン、コン。また、電話するよ」。
「エッ!」と驚く私。
昨日、彼はときどきセキをしていました。にもかかわらず、たくさん歩きましたね。
なんだか、申し訳なく、シュンとしてしまった私です。
2006年02月14日
39号 クンストカーメラ と わたし
=== 1月5日 午後 ====
シュンとしてても、空腹は襲ってくるしトイレのご用もあるし、なにより座りたくなって、近くの軽食堂に入ることにしました。親切な店員と美味しいピロシキやサラダなど、きれいなトイレ…、ホットしました。ここは、ワシリエフスキー島の繁華街の一角です。ガラス張りの店から行き交う人々を見ていると、なんだか、ホームシックになってきました。
来ました。旅は大好きですが、どこへ行っても必ずある時間、ホームシックに襲われるのです。そのときがきょうのようです。「そうか、そうか」と自分を認めてやって、決して抗わないのが、この不安定さを乗り越える私の策です。
とか、なんとか言いながら、レナ姐さんが待ち、「会わせたい人」に会えるのも楽しみな、クンストカーメラへ行きましょう。
ネヴァ河沿いに戻り、有名なエルミタージュ美術館を河の向こう側に見る宮殿橋を目指して歩きます。クンストカメーラの入り口は、長い列ができています。昨日もこの列を遠くから見ました。ジーマに聞いたのです。「この人たちなにやっているの?」
「クンストカーメラに入る人たちだよ。いまは、学校は冬休み、仕事は新年休暇だから、大勢の人たちが来ている」。
レナさんはどこにいるのだろうか?きょろきょろ探すと、レナさんも探していたようで、ばったりと会ってお互いに笑えましたね。
「タクシーで来たのか?」って。「いいえ、ホテルから歩いて来たよ」。「ウンまー!」レナさんの青い大きな目がいっそう大きくなりました。
このエレーナ ヤンコフスカヤさんは、ここ、クンストカーメラで展覧会を開いたのです。それは、私と多くの日本人たちが大きく関わっているものです。ロシアと日本の「友情のあかし」の展覧会でした。
ここへ来ることができて、私はうれしい。ワクワクしています。レナさんが「サーシャがあなたを待っている。とってもステキなサーシャだよ」。ナント、ステキなサーシャ(男性!)ですか。いっそうワクワクです。
※リンクが直接貼り付けとなりません。以下のように進んでくださって、ご覧ください。
Top が出てきましたら --→ 左側から Exhibitions を選び ---→ 並んでいる英語に怯えずに In House Exhibitions Archive 画面から ---→ The Charm of The Japanese Fan をクリックしてください。 お手数をおかけいたしました。
この The Charm of The Japanese Fan を ご覧いただきたいのです。
おまけですが、私もこんなことやってました。
2006年02月15日
♪ 13号 ♪ メイド イン ジャパン 「マクベス」
シェークスピア劇を「能楽堂」で観ました。「マクベス」です。
ご存知の方も多いでしょうが、「りゅーとぴあ」制作、構成・演出は栗田芳宏氏。マクベスを演じるは、歌舞伎界の魅力的注目株のおひとり、市川右近さん。マクベス夫人は、市川笑也さん。
着物に白足袋、日本語で能舞台の上での動きの「マクベス」劇です。
大事な「魔女たち」、そうか、そのように演出するのですか!!なかなか魅力的で舞台にぐんぐん引き込まれました。マクベス夫人のせりふまわしが、ちょっと崩れる場面もあったけれど。
「マクベス」、世界中で演じられるシェークスピア劇です。きょうの能舞台の上では、日本の「マクベス」となっていました。せりふは原作に忠実です。刀は、おお、そうでましたか。日本の「マクベス」です。
さて、次は、モスクワから日本にやってくる、ユーゴザーパド劇場の「マクベス」です。こちらはどんなふうに、狂気が舞台に繰り広げられるのでしょうか。ユーゴザーパド劇場の「魔女たち」は男優たち、らしい!
ユーゴザーパド来日公演 くわしくはここへ。 (許可済みリンクです)
40号 はじめましてサーシャさん。
===1月5日 午後3時すぎ===
クンストカーメラともよばれるのは、「人類学・民族学博物館 ; Музей Антропогии и Этнографии им. Петра Великого 」です。「地球の歩き方」には、この博物館も、ジーマたちがいる国立民族学博物館 ; Этнографический Муэей も、 表記を“民俗学”としています。日本語の問題ですが、 Этнограф にふさわしいのは、民族誌学ではありませんか?Фольклор 、 нород または нация の表記なら、民俗学でも正しいかな?と思いますが。私は「Этнограф 」は民族誌学あるいは単に民族学と表記していきます。
建物は、またまたSPwalker 氏撮影のここをご覧ください。下の大判写真、右手側、青緑色の真ん中に塔がある建物が、クンストカーメラです。 もうひとつ正面からはアエロフロート機内誌表紙にもありました。
つまり、私は写真を写していませんでした。
列をつくっている入り口は、この建物の正面むかって左側にあります。が、さすが!国家公務員博物館職員(という呼び方が正しいのかは不明ですが)のレナさんです。ちょうどこの建物の真ん中の小さなドア=職員・関係者入り口でしょうか=から、中にいる人を呼び出せば、「どうぞ、お待ちしていました」と、すぐに中へ入ることができました。一般の入場者はここからは、入れません。
入ってすぐの狭いスペースでコートや帽子などを脱ぎます。私が靴にはめていた←参考写真…「簡易着脱すべりません」(みたいな)のを見た、レナさん「まあ、日本人ですね。それはとっても素晴らしい!!帰るときに私にください」と、言います。
と、階上から、男性が降りてきました。
黒いセーターと長い足に黒いズボン、お若いけれど銀色の髪がとてもきれいなサーシャさんです。ちょっとスマップの稲垣さんを西洋人にしたような雰囲気のサーシャさんは、日本語で「こんにちは」とあいさつをされたので、驚きました。またまたロシアのインテリにお会いすることができました。
2006年02月19日
49号 うれしい便り
このマーミンカ通信を通じて、ひとつの出会いがモスクワで生まれました。
愛知万博ロシア館の項を読んでくださった日本人ビジネスマン氏から、「モスクワでの仕事のために通訳コースチャさんを紹介していただけませんか?」とメールが届きました。
あちこち連絡をとり、お互いのスケジュールがうまく行き、ビジネスマン氏の通訳仕事を、コースチャが務めました。
「無事終えました。とても勉強になりました」とコースチャから連絡がありました。ステキなご縁が生まれて、とても良かったです。私もうれしいです。
※その後、日本人ビジネスマン氏からもメールが届きました。
「コースチャは優秀ですぐに専門的な仕事を覚えて、ロシア人との間でスムーズに商談ができました」。
41号 ああ太陽。
ここでちょっとサンクトペテルブルクの太陽が昇る時間と沈む時間を、お伝えしましょう。
日の出 日没
1月 1日 8:59 16:07
3日 8:58 16:09
5日 8:57 16:12
9日 8:55 16:18 以上が私の滞在中です。
1ヵ月後の2月
2月9日 08:08 17:20
では、3月は?
3月 9日 07:01 18:20 1ヶ月で2時間の違いが!
4月9日 06:40 20:23 もう夜が明るい!!
5月9日 05:30 21:23
白夜のころは?
6月9日 04:47 22:11
6月21日 04:44 22:18 この日は夏至です。
7月9日 04:57 22:11
8月9日 05:49 21:19
9月9日 06:49 20:03
だんだん夜が長くなってきます。
10月9日 07:47 18:45
11月9日 07:52 16:34
12月22日 08:58 15:58 この日は冬至です。
このように太陽が出ている時間が冬と夏では、大きく違います。冬はいつも曇り空です。だから、夏の太陽の光を全身に浴びることが大好きな彼らなのですね。
私が滞在中の短い時間、太陽にはお会いできませんでした。とっても恋しかったです。
2006年02月20日
42号 博物館見学は……
=== 1月5日 午後のこと。人類学・民族学博物館にて ===
すてきなアレクサンドル シニィツィンさん。愛称でお呼びしてサーシャさん、彼ととても楽しい時間が過ごせました。
結論から申し上げますと、見学時間は10分だけでした。
15時にお会いして、サーシャの部屋でつい時間がすぎてしまいました。「きょうは17時閉館ですから」と言われて、あわてて観にいったのですが、その時間がたった10分、それも「日本コーナー」だけを観ました。
◇ ◇ ◇
サーシャの部屋は展示室奥のドアを開けたところです。もちろん、一般の見学者は入れません。サーシャは、私たちに美味しい紅茶とチョコレートを出してくださって、「ほらこれを記念に差し上げます」と、カレンダーをいただきました。
サーシャが監修した「日本の金物」がテーマのロシア語と日本語のクンストカーメラ製作・販売のカレンダーです。「まあ珍しいものをありがとうございます」。
サーシャはこの博物館の「日本担当」です。だから、少し日本語ができ、来日経験も何度もあるようです。彼の仕事机周りは、日本ものがたくさんあります。畳が壁に立てかけてあり、そこには、ポスターやきつねのお面が飾ってあります。
エレーナとサーシャは、久しぶりに会うのでしょうか、彼らのおしゃべりも盛んです。彼らの話しの内容はちょっとわかりませんが、お互い信頼しあう仕事仲間ということは、十分にわかります。
サーシャがお湯を沸かしに行っている間、エレーナは、「彼はとても忙しい人なのです。博物館や家で書き物をしたり、調べたり。日本も他にも旅に行ったりするし。きょうは、会えてよかった。約束してあったからね」とにこりと笑います。
サーシャは、パソコンの画面を見せてくれました。クンストカーメラの日本もの収蔵品の一部を見せてくれるようです。日本刀・よろい・掛け軸の絵画はいくつか。いろいろ見ていると、古い日本の絵葉書も出てくるし、誰かが書いた古い手紙、茶の湯道具、日本髪の飾り、相撲の軍配も。
「これは何を現しているのですか?」とサーシャから聞かれました。
相撲の軍配に書かれているのは、「北斗七星」です。私はすぐわかりました。あれ?サンクトペテルブルクでは、この星は見えないのかな?「北斗七星」はロシア語でなんて言うのかな?でも、紙に「Hokutositisei」と、書くとサーシャはうれしそうです。
パソコンの画面の中の日本画のなかに、絵の中の絵に「雪舟」がでてきました。「まあ、雪舟の絵ですね」とサーシャに伝えれば彼が大喜びです。「そうですか、雪舟がいるのですか、とてもおもしろくなりました」。
エレーナも画面を見ながら「寒くないかい?」と私に何度も聞いてきます。
たしかにここは、暖かくはないです。足元からひやっと冷えます。が、私はきょう、厚着をしてきました。靴下も厚手靴下です。だから「寒いなあ」とは、感じません。
エレーナはとうとう、「ああ、寒い」と言いながらスカーフを肩にかけています。
「もう時間があまりありません」となって、慌てて「日本コーナー」を観にいきました。ここは、日本人の私にはとっても驚きの展示品です。
そして、有名な大黒屋光太夫が、日本から持ってきたと伝わる「扇とすずり」が小さいガラスケースの中にありました。
2006年02月21日
43号 大黒屋光太夫が残したものは
人類学・民族学博物館にて
Кунсткамера クンストカーメラ は、写真機の種類ではありません。ロシア語です。「昔の珍品・美術骨とう品などの陳列所」という意味を持っています。だから、ここは、ヘンなものがいっぱい展示してあるらしいです。

展示室へ入った瞬間から、アヤシイィ?空気に呑まれてしまった私は、写真を写すこともできませんでした。ここが日本コーナーで、です。↑ 博物館のホームページから写真をお借りしました。
大黒屋光太夫さんゆかりの品は、左側手前の外にある小さなガラスケースの中にあります。展示されているのは、扇とすずり。破れて骨の折れた扇は、しっかり記憶に残っているのですが、すずりの記憶がまったくありません。説明文もあったかな?あいまい記憶です。
なによりも、ここではいろんな衝撃をうけてしまって、いまも考え込んでいます。
これで良いのか!これが日本で良いのか!!
私以外の、見学中の人たちはとても熱心に、見ております。特に人気が、「サムライ」です。サムライ武具の前に並んで写真を写しています。
エレーナが、「おもしろい展示でしょう?」と私に賛同をもとめてきました。が、私は「まあ素晴らしい」なんて、ゼッタイ×10以上 に、言えません。
このことについては、また後日ここに書きましょう。
大黒屋光太夫 資料 1 ロシア語 光太夫資料については、サーシャが書いています。まだ、しっかり読んでいないのですが、エルミターシュ美術館にも光太夫資料は、あるようですね?
☆ 19号 ☆大黒屋光太夫 の出身地へ
冬の終わりが近づいてきた日曜日、大黒屋光太夫記念館を訪ねました。
名古屋から、近鉄電車急行に乗って40分ほどの伊勢若松駅で降りると、駅前には光太夫さんのブロンズ像があります。この光太夫さん、帽子が……。当時の日本には帽子文化は入っていないし、ロシアの帽子文化は、このデザインではないし。まるで、光太夫さんは南の島から戻ってきたみたい。が、私の第一印象でした。
近くの緑芳寺には、光太夫さんがロシアでエカテリーナⅡからいただいたという当時のカペイカ貨幣を模したメダル(?)とロシア文字の書き物。寺の宝として大事にされているのがわかります。
次は、2005年11月13日オープンしたばかりの「大黒屋光太夫記念館」へ。光太夫さんが、ロシアから戻ってきて「江戸で幽閉生活」ではなく、「かなり自由」にしていたのはないかと、最近は言われているそうです。
地元には、いくつか光太夫さんの書やロシアみやげが個人の所有などで散逸しているとか。地元が持っている資料などを、近くの小学校で15年ほど管理していたそうですが、それも困難となり、光太夫さんを愛する地元の人々の熱い情熱で、昨年やっと記念館開館にこぎつけました。今後この記念館が、貴重な資料の収集と管理をして、この大事なものを未来へ残していく決意のあらわれです。
地元では、いままでもこれからも光太夫さんは、愛されているのです。
記念館の新春企画展は「光太夫がかいたロシアの文字」です。光太夫さんが、62歳に書いた「福寿」は ФУКЖЗЮ と書かれているようです。1812年当時のキリル文字のデザイン文字ですが、なかなか美しいです。
光太夫さんが72歳で書いた 「イロハ48文字と洋数字」のキリル文字が、これも美しいです。
その後、近くの魚料理店で昼食をして、造り酒屋さんへ。ここで「大黒屋光太夫」と名のついた、米焼酎を買いました。中味よりもそのボトルデザインが、駅前でみた光太夫さんのブロンズ像と同じでとてもおもしろい。「今度、サンクトペテルブルクのクンストカーメラに持って行こう」と決めたのでした。
光太夫さんはじめ17人の船乗り仲間は、米や木綿を積んで江戸へ出帆したのは、1783年12月13日。三重県東側の唯一の紀州藩地・白子の港。その港には、光太夫さんの記念モニュメントが海を見て静かに建っています。10個の石積みは、光太夫さんの波乱の10年間を表したものとか。
こうして巡ってきて、1月にSt.Peter.で、大黒屋光太夫の縁あるものと出会っている私は、光太夫さんとご縁ができているとずっと思っていました。
はるか遠いサンクトペテルブルクでは、光太夫さんはきっと精力的にロシアとロシア語を勉強したのだと思います。あそこは知的な向学心の街だから。そして、できる限りに「日本」を彼の地の人々に伝え、それはきっと評判となったことでしょう。インテリたちが次々と光太夫さんから日本を学んだと思います。 なによりも光太夫さんは、とても大事にされていたことでしょう。ロシアの人々はお客様が大好きな優しい人々だから。
エカテリーナⅡに謁見したとき、光太夫さんは、彼女の手の甲にキッスをしたと言う。10年もロシアにいれば身につけなければならないマナーですから、驚くことでもないけれども。
光太夫さん日本に戻り、老いてもときに、猛烈にロシアが、サンクトペテルブルクが懐かしくなった時もあったことでしょう。ちょっと違うけれど、いま私が彼の地が懐かしいのと同じかな?
サンクトペテルブルクのインテリ、サーシャ、ジーマ、エレーナやオレクたちを三重県伊勢若松に、連れてきたいですね。 (万博の時には、まだ博物館はオープンしていませんでした。)
お世話になった地元のみなさま、貴重な日曜日にご親切をありがとうございます。
ごいっしょいたしましたみなさま、お世話になりました。
2006年02月22日
☆ 20号 ☆ 新垣 勉氏の歌声
ちょっとムリヤリのロシアつながり?かな。お許しを。
2月21日、愛知県芸術劇場コンサートホールで開かれた、新垣勉(あらがきつとむ)氏の「命どぅ宝」のコンサートへ行ってきました。
私は、THE BOOMの宮沢和史氏(MIYA)に心酔しているので、MIYAが新垣さんに贈った「白百合の花が咲く頃」も聴きたくって。
MIYAは昨年のいまごろ、モスクワをはじめヨーロッパ各地で公演をしておおいに話題となり、その後彼の「島唄」は、一層世界に広がっていきました。新垣さんもMIYAの世界での活躍を紹介されました。「モスクワでも」と語られたのは、私のためかしら。
新垣さんの歌声は最高です。なによりも「心」がビンビンと伝わってきます。「陽はすでにガンジス川から」が最初の曲です。彼が歌った瞬間から涙があふれました。その後も何度か涙があふれました。
最後にはびっくり報告がありました。
新垣さん、ご結婚されたのですって!!!テレながら「5~6年のお付き合いがありまして……」、会場からは「おめでとう」の声援も飛びました。
MIYAが作詩作曲の「白百合の花が咲く頃」。しびれました。これからじわじわと伝わっていく歌だと思います。みなさまもよろしく!!
2006年02月23日
44号 「エッ」と、びっくり、その2
===1月5日 夕方===
クンストカーメラには、また、次の機会にゆっくり来ましょう。たった10分間の見学では、ダメです。でも、サーシャと仲良くなれたことは、ありがたいことです。
午後5時に、博物館はすべて電気を消して、職員たちも帰宅するようです。サーシャとエレナと私の3人は「地下鉄の駅まで歩きましょう」とネヴァ河にかかる宮殿橋を渡り、エルミターシュ広場を横切り、裏道のようなところから、賑やかな明るい通りを経て、St.Peter.で一番の大通り、ネフスキーへ。
と、書くとのんびりと冬の暮れた街を3人で楽しく歩いているみたいでしょ?
ところが……!!
サーシャは「子どもと約束があるんだ」
エレーナは「寒いです。コン、コン」。セキが出てきたレナさんです。とても寒そうです。
そんなわけで、ふたりはとても早足歩き。私はエレーナにつかまって引っ張られるように早足歩き、ときどき滑りながら。帰りは、あの「スベラーズ?」は靴に装着しなかった!!
でも、私は元気です。
地下鉄駅前でサーシャと再会を約束して、さようなら。
エレーナのセキがどんどんひどくなっています。私はもっと歩きたかった、できればゆっくりと。
「レナ、おみやげをあなたに渡したいから、ホテルまで来て欲しい」と、きょう会った時から伝えていました。クンストカーメラを出るときも「彼女のホテルまで行きます」とサーシャに言っていたレナさん。
でも、彼女のセキがつらそうなので、地下鉄に乗って、私のホテルまで行くこととなったのですが。夕方の混んだ地下鉄で、レナのセキはますますひどくなってきます。
ちょっと横道にそれますが、ロシアじゃあ、マスクをだれもしません。マスクをはめるのは、お医者さんくらい、らしいです。街で、地下鉄のなかでマスクなどはめていたりしたら、全員から注目!!です。
マスクをはめたほうが良いですよ。ロシアの大都市にお住まいのみなさん。混んだ地下鉄の中で、隣りにセキをコンコンする人がいれば、あっと言う間に、みんな風邪菌に感染です。それに、防寒するにもマスクは役立ちます。
と、いう私は、ポケットにマスクがあるのですが、着けていません。一度外を歩いているときにマスクを装着したら、ものすごい視線をあびまくってしまい、そういうのはダメなのです。
みんなで着けたらこわくない、マスクですね。
ホテルの近くの駅で降りたら、レナが「もう、ホテルまで行かない。ひとりで帰ることできるでしょう。さようなら」と、さっさと彼女は戻ってしまったのです!
ここの地下鉄改札は、乗車する人と降車する人、つまり地上から来た人、出る人では、ホームからもう道がしっかり違います。日本のようにごちゃごちゃでも、改札まできてまた、戻ることはできるでしょう。ここではできません。
なぜか。降車する人は、もう切符や定期を出さなくともフリーで外へ出ることができるからです。だから、乗る人がフリーで地下鉄に乗らないように、エスカレーターも人の流れも、しっかり一歩通行です。
私、ホテルまでの道順知らないのよ~~。
♪ 14号 ♪ モスクワから吉報が届きました
読者のみなさま。

2月22日、モスクワユーゴザパド劇場の俳優、シューラ (アレクサンドル ゴルシュコフ)に、ロシア国・功労俳優の名称が授与されました。これからは、単に俳優ではなく、必ず、ロシア国功労俳優 の冠が着きます。 ロシア国・功労俳優 = Заслуженный артист Россия
とても名誉あるものです。きっとご本人も大喜びでしょうが、私もうれしくってたまりません!!
やっぱり、私がほれ込んだ俳優は、サイコーです。
来日が一層待ち遠しくなりました。もうすぐです。「巨匠とマルガリータ」に出演します。ところで、切符は買われましたか?くわしくはこちらへ。
☆ 21号 ☆ 「るるぶ」ロシア特集
「るるぶ情報版」14号は、ロシア…モスクワ・サンクトペテルブルク・黄金の輪・ノヴゴロド です。1260円。2月15日発売。るるぶコーナーを持っている書店にはたぶん並んでいると思われます。
さっそく2冊買いました。さっそく中を開いて、ちょっと興奮してしまいました。豊富なきれいな写真、記事情報もたくさんあります。食べ物やウオッカやロシアの歴史も……、これ一冊でロシアのいまがずいぶんわかります。おすすめです。
なぜ2冊買ったのか。
1冊をモスクワの日本語ガイド通訳の、キム コースチャに送りました。日本でこういうガイドが売られていて、それを見てモスクワに行った人が、「『るるぶ』に載っていた○○が欲しい」といわれたときに、ガイドさんが、「あれですね」と即答できると、ポイントアップです。
コースチャさん、モスクワへ行く旅人がきっと多くなりますよ~~。
私も「るるぶ」を見ていて、もう、また行きたくってたまらなくなりました。どうしようかしら。
2006年02月26日
45号 ときにはこんな夜もありまする
===1月5日夕方====
地下鉄の駅から地上へ出ればそこは記憶にない、交差点の町です。幸いなことは、このあたりが雪が積もっていたり、道がガチガチに凍り付いていたりしていないだけです。でも、暗い…。
目印は、トロイツキー教会です。が、暗くてどこにあるかも見えません。
しばらく歩き回り、自分の位置を定めようとしました、暗さに目が慣れるのも待って。道行く人々は、夕方の帰宅を急ぐ人々です。なにも恐くはないです。たしかに緊張はしていますが、なんとかなるだろう、ですから恐さはありません。
道行く女性に聞きました。「トロイツキー教会はどちらでしょうか?」
彼女は優しく丁寧に教えてくれました。もう、安心です。教えられたとおりに、教会を目指して歩くと、なんだこんな近くにあったのね、です。修復作業中だからでしょうか、まったく灯りが消えている教会でしたから、私は見えなかったのです。
が、ここからがまた、あれれでした。
ガリーナホテルがわかりません。あとで思えば、まったく違う道を歩き回っていたのです。
このあたりは静かな住宅街。長く並ぶ住宅に沿って、道も長く伸び、それが何本も並行しています。知らないものが、1本道を間違えると戻るか、向うの交差する道に出るまで歩くしかありません。地元の人たちは、きっと横道を知っていることと思います。
暗い、だれもいない、雪が積もって凍り付いている道、なによりも「ここで転ぶものか!!」だけの決意で、記憶の「16番」を探します。住宅のぼんやり電気の灯った番号表示と、愚かな私の記憶だけを頼りに歩きます。
そのときは緊張ですが、実はこれをかなり楽しんで歩いている私でした。ドキドキがけっこう好きそうです。ただ、疲れてきてしまって歩くのイヤにはなりましたが。
どれだけ歩いたことでしょうか。途中、ズルッと滑り、あわや!!とか、途中、ぬっと現れた男性にビックリしたり、そして彼に道を尋ねられしまって……。
汗をかくほど歩いて、「ああ、あった16番」と声に出して、ほっとひと安心です。
部屋にやっと戻って、水をがぶがぶ飲み、お茶を沸かしていると。
ジーマもレナも風邪をひき、オレクにも会えないし。もう、サンクトペテルブルクから出て、ヘルシンキへ行こうかという気持ちになってしまいました。ヘルシンキから大阪への航空券はそのまま活かして、8日まで、ヘルシンキを楽しもうか。
よーし明日朝、電車に乗ってヘルシンキ入りしようと、荷物も整理してしまいました。途中で、とても眠くなり「よーし早起きしよう」と眠ってしまいました。
50号 ポーランドレストラン へ。
万博へ通っていて一番問題は、いつもどこで何を食べるかでした。ただしくは、どこでビールを飲むかですが。
何度か通ったポーランドレストラン。ロシア館の近くにあったこともうれしかったですが、料理はボリュームもあり、お値段もまあまあ。ビールも美味しくってごひいきにしておりました。万博後半には1時間待ちの行列が出来ていた人気レストランでした。開幕最初のころは、「さあ、お入りください」だったのにね。
このレストラン、ポロネーズが名古屋市内に昨年末ごろオープンしました。やっと行って来ました。ポーランド館で使っていたテーブル、イスはもちろんガラステーブルのカウンター、天井にあるワイングラス飾り収納、女性店員の衣装も同じ。メニューも万博当時よりも充実です。

(これは、万博ポーランド館内レストランでの、 ビエロギ 1200円でした)
が、が、が。もう少し店員配置を工夫して欲しかった。お酒呑みにとってですね、お代わりがなかなか運ばれないのは、たまらないことです。
友人たちと、しこたま呑んで、食べてしゃべっていたら、日本人オーナー氏ともお話しする時間も生まれました。
では、ここでオーナーにかわって宣伝します。
「ポーランドの味を日本で味わってください。主な食材も、調理人もポーランドからです。まだまだ、行き届かないところもありますが、これからは、店内にピアノも置きます。お菓子も工夫していきます。サービスも充実していきたいです。どうかみなさまおいでください」。
ポロネーズ、地図は、こちら。
あれ?「10月末オープン」となっていますね。もうしっかり営業中です。金・土・日は込み合いますので、「お代わり」が運ばれるのが遅くなってしまうようです。
2006年02月27日
51号 ロシア館日本人スタッフ集まる
日曜日の夜、名古屋市内で万博ロシア館に関わった日本人スタッフら7人で食事会です。閉幕後3回目の集まりです。
この会に行く前に、ロシアでのロシア人スタッフらの近況を知りたくって、モスクワのオリガさんと、サンクトペテルブルクのオレクさんに電話をしました。
::::オリガさん::::
「昨日まで、日本に近いハバロフスクで仕事をしていました。元気にしています。モスクワでも3月に、スタッフたちが集まる予定ですが、みな忙しいですから、どうでしょうか?モスクワは、寒いですが、暖かくなったら、ぜひ日本からみなさん遊びに来てください。お待ちしています。なつかしいです、日本。みなさんの顔が浮かびます。会いたいです」。
::::オレクさん::::
「ちょっと風邪をひいているけれど、元気だよ。同僚ジーマも元気に忙しくしているよ。日本は、もう暖かい?桜が咲くねえ。(しみじみ思い出している様子)。日本人のみなさん、ぜひ、サンクトペテルブルクへ来てください。待っています。夏は白夜だからねえ」。
◇ ◇ ◇ ◇
日本人スタッフらの集まりの席では、いろんなロシア情報が飛び交いました。「るるぶ」ロシア情報誌の紹介、ロシア料理の話し、モスクワの市場屋根崩壊の話し、すいか販売の仕方など……。
ロシア人スタッフ等とのメールや写真交換などの披露や、いまだから語るあのときの秘話なども。
極めつけは、ロシア館警備員だった内海さんの、マトリョーミン演奏です。
大型のマトリョーシカの内部は、不思議な装置が仕込まれていて、スイッチをオンして、ある位置に手をかざすと音階が奏でられるのです。
内海さんはロシア館の企画で、マトリョミンに出会い、購入してしまい講座にも通っているのです。演奏は、前回よりも音楽になってきました。次回の披露が楽しみです。
「これを持ってロシアに入国すると、怪しい物となるかなあ?」と内海さん。彼は、なるだけ早く、「ロシアへ、ロシア人スタッフに会いに行きたい」のです。

(内海さんのマトリョミン)
次回は「お花見でもしましょうか?」と再会を誓いました。
☆ 22号 ☆ マースレーニッツア
きょうから、ロシアでは、マースレーニッツアがはじまります。
冬の終わりを感じる2月の終わりから3月はじめにかけてのこの期間は、「ブリヌイを食べるお祭り期間」です。宗教的に言えば、精進期(断食期)に入る前の「いっぱいいまのうちに食べておきましょう期」みたいなもの。
※※ このあたりは、もっと詳しく書いて、別の号でUPします。
油をたっぷり使って焼くブリヌイ。フライパンで丸くたくさん焼いて、スメターナをたっぷりつけて、みんなでたくさん食べます。そして、歌って踊っての楽しいひとときを過ごします。
町の中には、祭り飾りや屋台も出て、楽団や舞踊団が賑やかに盛り立てます。もうすぐ春ですよ!という祭りなのですね。
私はブリヌイが大好きです。スメタナをたっぷりつけたブリヌイを、思い切り食べることが許される、マースレー二ッツアは、魅力的です。でも、確実に太ります。
2002年のマースレーニッツアの様子(「ろしぴろ」内、ひよこさん投稿記事より)
2006年02月28日
46号 明けた朝には。
===1月6日 朝===
「早起きしよう」の決意をしなくとも、日本から来て日の浅い旅人は、いやでも早起きができます。
昨夜決めていた「もうヘルシンキに行こう」。だから、もう荷物を持ってサンクトペテルブルクを引き上げる……?
いいえ。目覚めたら、そんなことすっかり忘れてしまいました。きょうは、ジーマたちの「民族学博物館」へ行きます。オレクも帰ってきます。レナには、お礼を申し上げなければなりません。大事な彼らをそのままにして、私がヘルシンキでもどこへでも、行ってはなりません。
昨日、レナが「朝食にしなさい」と渡してくれた包みを開けると、ピロシキが入っています。熱いコーヒーにミルクをたくさん入れて、ピロシキを食べたらすっごく元気が出てきました。いつもどおり、ガリーナさんとおしゃべりをします。
「テレビでは、アメリカ映画やアニメが多くなって、とてもイヤだ。アメリカのものは、騒々しい、きれいではない。ロシアの映画やアニメはとてもおもしろいから。遠慮しないでテレビを見てね」。
テレビは、台所のとなりのホールにあって、イスがいくつも並ぶくつろげるスペースですが、いままでテレビは見ていない。
「きょうは、もう一組お客さんが来ますよ」。と、ガリーナさん。さて、どんな方でしょうかしら。
きょうも外は曇り空。町は静かです。どのようにして、民族学博物館まで行くこととしようかな。たくさんの荷物=おみやげなどを持って、それもたくさんで重い。抱えて歩いて行こうか……。ちょっとムリ。タクシーか。まだひとりでタクシーを拾う、という経験はないから、ちょっとねえ。
窓から外を見て、しばらく考えていました。と、パッとひらめきが……。