2006年01月01日
46号 明けましておめでとうございます
また新しい一年がはじまります。
どうぞことしも、よいこといっぱいありますように。
ことしは、勉強したいです。
あまりにも知らないことが多すぎるので、勉強したいです。
2006年元旦
※30日~大晦日、万博がらみの驚き騒動。
その1 コースチャと電話でお話しできたこと。とても会いたいですねえ。
その2 トルコ館の日本語達人ヤーシンさんからメールが届いたこと。ステキなヤーシンさんは、私を覚えていてくださいました。うれしい。
その3 ジィーマさんからの依頼の品を大晦日に探す。が、時間切れで応えられず。
10号 では、行ってきます。
とうとう出発時間が迫ってきました。なのにいつもながらのんびりしております。必需品の毛皮コートのボタンホールの糸がほつれているのを発見して、縫い付けたり、靴紐を変えるはずだったが買い置きがないかあちこちさがしていたり…。と騒動しておりますが。
St.Peter.へ電話をすると、気温はマイナス2度くらい「寒くないよ」とか。「町はとってもきれいだからね」とか。「4日には民族学博物館でなにか『お楽しみ』があるからね」とか。
荷物の重さ20キロを守るために結局着物はやめました。
そのかわりですが、「茶道」と「書道」を体験していただこうと、それぞれのお道具を入れました。
お正月お干菓子と金粉とお抹茶、道具は茶せんと茶さじにお茶碗も。
お習字道具は、筆と紙は多く、すずりはひとつ、墨もすっていただきましょう。
お正月ですから、しめ縄とお節料理も味わっていただくために、「黒豆」も持っていきます。
荷物をヨイショと運んで、2日関西空港から、出発し、St.Peter.空港にあちら時間の夜到着です。ジィーマさんが迎えに来てくれます。(喜)
では、行って来ます。 ※9or10日、またこちらでお会いしましょう。
2006年01月09日
11号 はい、ただいま!!
行って来ました。St.Peter.へ。
お会いしてきました、オレグさん、ジィーマさん、エレナさん。St.Peter.の彼らは「日本は雪が2メートル?どうしているのか?」と驚いています。
彼らの町St.Peter.は、温かでした。気温も、出会ったすべての人たちのハートも。
またまた全編幸福です。大幸福です。
では、旅日記を書いていきます。ときどきお寄りくださいまし。
2006年01月12日
12号 こんなことしてきました。
大まかにですが、旅の概略のご報告です。
■1月2日==早朝6時、自宅から関西国際空港へ。関空→ヘルシンキ。待ち時間長くあり。ヘルシンキ→St.Peter.着は、現地時間22時ごろ。ジィーマの迎えでガリーナホテルへ。
■3日==レナが迎えに来てくれて、出かける。レナの家で昼食。ペトロパブラフスク要塞へ。夕方、レナと別れ、在St.Peter.日本人男性と夕食する。
■4日==ひとりで町を歩く。ジィーマと落ち合い、その後約5時間町を歩く。
■5日==ひとりで町を歩く。レナと落ち合い、クンストカメーラ博物館へ。夜も歩く。
■6日==ジィーマの案内で、ロシア国立民族学博物館見学。
■7日==オレクに会う。民族学博物館へ。夕方ジィーマの自宅へおよばれに。
■8日==St.Peter.→ヘルシンキ。また待ち時間長くって。ヘルシンキ夕方→関空へ。
■9日==朝、関空到着。ゆっくりして後自宅着15時。
13号 熱い友情!
05年8月にもSt.Peter.へ行きました。わずか5ヵ月後にまた行きました。
なぜ? すてきな友人3人が待っているからです。会いたいからです。
ジィーマが万博を終えて、名古屋を離れる時に「必ずSt.Peter.へおいでよ。待っているよ」。それを真にうけて……。
理由はなんであれ、チャンスは活かして、正月早早に出かけることとしました。招待状の手配から、彼らへの諸連絡は、ちょっとロシア語専門家に手伝ってもらいましたが、ほとんど自分でてきました。ロシア語メールのやりとりも、この旅の準備ではじめてやりとりし始めました。
よくできました。と、自分をほめます。
St.Peter.在住で、素晴らしいブログ主 SP Walker 氏へは、旅の前にメールを送りました。「困った時はいつでも電話ください」と優しい彼は電話番号を教えてくださり、うれしかったです。困った時に連絡するなんて甚だ失礼なことなので、困っていない初日に電話をして、夕方お会いしました。始めてお会いしたのです。結局は、いくつか助けていただきました。ありがとうございます。感謝申し上げます。
彼にお願いして通訳していただいた場面もありますが、他は全部このわたくしの下手ロシア語です。
私がすごっくわかった場面もあれば、????の場面もあればです。
が、お相手が????の部分もいっぱいだったことでしょう。
でも、とっても楽しかったのです。いっぱいお話しできたような。いや、もっともっとお話ししたかったです。
最後には、「ロシア語訳宿題」をもらってきました。これはかなり難しいのですが、どうしてもやってみたいものですから、やります。
距離も時間も、言葉も飛び越えて、私たちは一層に熱い友情を高めました。またの再会を誓いあいました。涙涙涙のお別れでしたが、それは、また会うための始まりです。
2006年01月14日
47号 マーシャさんに会えます
万博ロシア館の通訳として活躍していました、留学生マーシャさんが、ロシア語でお話しをしてくださいます。これは、名古屋で唯一長年にわたってロシア語教室を開講しています、日本ユーラシア協会ロシア語委員会の主催による、生のロシア語を聞き、ロシアのことをもっと知ろうという、集まり「ロシア語サロン」です。
どなたでも、参加できます。ゲストのマーシャ=マリア スクリパチェンコさんは、日本語堪能ですが、ここではロシア語だけでお話しをしていただきます。でも、ご安心ください。通訳がつきます。
◇日 時 == 1月29日(日)午後2時~4時まで
◇場 所 == 日本ユーラシア協会会議室
名古屋市地下鉄「新栄」2番出口
新しいビル 民主会館 2階
名古屋市東区あおい1丁目22-26
◇お話しのテーマ == 「ロシアのおとぎ話」
マーシャがロシア語でお話しをします。その後交流会もあります。
◇参加費 == 800円 (ユーラシア協会会員600円)
◇参加ご希望の方は、事前にお電話ください。==
052-526-1150 日本ユーラシア協会 まで。
マーシャは「日本でロシア語を勉強している人やロシアに興味を持っている人たちとお話しできることはとてもうれしいことです。みなさんにお会いしたいです」と、おっしゃています。
♪ 6号 ♪ チケット販売がはじまります
年があけて、すぐに普段の生活に戻ると、3月はすぐそこに来ていることがわかります。
3月といえば……。いやあ、もうすぐ来日しますねえ。シューラがやってきますねえ。
モスクワユーゴザーパド劇場来日公演チケット販売が、1月21日からはじまります。
くわしくは、こちらをご覧になって、お早めにチケット購入してくださいね。
14号 フィンランド航空で。
今回の旅は、成田~モスクワ往復アエロフロートチケットが買えませんでした。フィンランド航空にしました。フィンエアーは、私の「はじめてのロシア行き」に利用し、なかなか気に入りなんの不安もないので、少々値段が高いことは問題ですが関空からヘルシンキまで飛び立つこととしました。
=== 1月2日 のこと ====
2日早朝、名古屋~京都~関空と列車を乗り継ぎ9時半に到着した関空は、思いのほか空いていて、チェックインもスムーズです。家を出てすぐに気が付いた忘れ物があります。腕時計です。はめていなくともなんとかなるけれど、携帯電話でなんとかなるけれど、やはり腕時計が欲しい。関空免税店で一番安い腕時計を買いました。この時計が、フィットしてとても気に入ってしまいました。もちろん旅の間とても役立ちました。

しっかり持ってきた大事なものがあります。マスクです。空港・機内の必需品です。風邪予防や乾燥対策など、ゼッタイのおすすめ品です。300円くらいのガーゼマスク。これには助けられます。
定刻どおりの出発です。フィンエアーの客室アテンダントたちは、離陸・着陸時は黒い革手袋を装着して「気を入れてます!!」と見せてくれます。いや、見せるためにそうしているのではありません。1番に安全のためです。前回乗ったときもこの黒革手袋にマイってしまったのですが、今回もとても“安心”出来る気持ちをもらいました。
座席前のポケットには、ペットボトル水=エビアン180ミリがあらかじめ入っています!!
隣りの席には、フィンランド語を話し、日本語を少しだけ話す白人女性が座っています。「どこへ行くのですか?」と聞かれたので「サンクトペテブルクよ」と日本語で答えれば、なにかとても驚く彼女です。「私は行っていないわ」。
周りを見れば、日本人団体が多くいます。斜め前の席の女性たちは「地球の歩き方・イタリア」です。あとで知り合った女性たちは「スペインへ行くのよ~!」。どうも、各旅行会社のツアー団員たちです。添乗員氏が、席を回ったりしています。機内は満席です。
ロシア語はどこからも聞こえてきません。なんだかさびしいので、眠ります。
食事タイムに起きて、ワインをもらい温かい肉料理をいただきました。日本そばもついています。隣りのフィンランド女性は「これはわさびですね。辛いですね」と言い、その隣りの男性に「食べるな」とでも言ったようです。ふたりともわさびを皿の下に隠しました。
満腹になり、また眠ります。映画もイヤホン音楽もさすがフィンエアーです。とても音が良いし、画質がきれいだし。途中、トイレに立って、配膳室のところをのぞくとナント!!オレンジジュース・りんごジュース・ウーロン茶・水が飲み放題、塩味のプリッツエルが小袋に入ってとり放題!!すっごくうれしいです。

ロシアのA航空会社に乗ったとき、水だけだったよ。ペットボトルがドンと置いてありその横に紙コップが置いてあっただけだった。
F がこんなにできるのに、なぜ A はできないのかなあ? 何て考えても疲れるのでまた眠る。ロシア国上空を飛んでいる。窓のそばではないので下の景色は見えないが、見ている人たちがそれなりに興奮をしている。まっ白でどこまでも続く大地の上には赤い太陽もいつまでも続いている。
10時間ちょっとのフライト。着陸2時間前にまた食事。配られたのはカレーライスです。辛口です。苦手です。でも食べてしまいました。が、ずっと口の中はカレーでした。これはちょっと × でした。
機内での10時間は、うつらうつらしながらです。眠いけれどしっかり眠ったような爽快感はありません。と、言っても不快感もなくの機内でした。
ヘルシンキ到着は、現地時間15時20分です。降りるとすぐに乗り継ぎチェックです。怪しい物を持って空港内に入っていないかをボディチェックをうけて、待合室へ入れます。ヘルシンキ空港の案内板には、日本語も書かれており「ここはどこかな?」です。
さあて、この待合室というかホールで4時間30分待ちます。
まずはなによりもビールです。諸般の事情で機内でビールは飲まないので(←狭いトイレは嫌い)、ずっと待っていました。あれ?でも何語で注文すれば良いのかな?わからないけれど、「ピーバ ダイチェ」で通じました。おつまみは小袋で売っていたピーナッツにして、ドルで支払い、ユーロのおつりをもらいました。そうです。フィンランドもユーロ国でした。
美味しいビールでした。そして、やっとあたりを見回すと、広くって清潔で静かな空港です。余分な音がなにもない空港です。そして、係員たちが笑顔です。その笑顔のステキなこと。心のないマニュアル笑顔ではありません。余裕の笑顔です。疲れが吹っ飛びます。
待合室の一角に「子ども遊び部屋」があります。ガラス張りの部屋には清潔な遊び道具があり、子供たちはキャッキャッと遊んでいます。が、その声は外には少しだけ聞こえるだけです。
荷物カートとは別に子供用乗り物があります。それが可愛いし、ちょっと旗が立ったような「目印」は子供が乗っていることが誰の目に明らかな乗り物です。これは子どもを連れて空港内を移動するにも安心ですね。余談ですが、成田などで見かける大きなトランクの上に子どもを乗せて移動するのは、極めて危険です。
ヘルシンキ発サンクトペテルブルク行きは、19時55分発。乗る前にサンドイッチで腹ごしらえです。先ほどおつりでもらった10ユーロを使いきろうと思って。
本を読んだり、音楽を聴いたりしてはいたものの、ああ、長い待ち時間。少々飽きてきました。少々寒くなってもきました。
St.Peter.の空港へは、ジィーマが迎えに来てくれます。なんだかすでにドキドキしている私です。会って最初に何を言うべきかと予習もしておきます。
やっと「St.Peter.へ行きのお客さまはご搭乗口へお集まりください」とフィンランド語放送が入り、アッ、それは私は聞き取れませんが、わかりました。だってすでに搭乗口にいるのですもの。
お客は少しだけです。チケットをもぎって、機内へのバスは1回だけで全部のお客を運びました。機内に入るとロシア語で、「自由席です。ご自由にどうぞ」。
おお、ロシア語です。エッ!自由席です。それほどがらがらでした。
そして、すぐに飛び立って「シャンペンをお配りします」。シャンペンも好きです。が、かなり緊張してきた私です。注がれた美味しいシャンペンがなぜか全部飲めません。
すぐに着陸です。でも出発が遅れたので、到着は予定のSt.Peter.時間21時50分を20分ほど遅れました。
St.Peter.プルコヴォ空港です。モスクワのあの蜂の巣天井のシェレメチボ空港とは違い、明るい空港です。パスポート検査もすぐに終えて、荷物はもうストップしているターンテーブルの上で、すでに私を待っています。私はもう一刻でも早くジィーマに会いたくって、荷物を「ヨイショッ!!」と引きおろし、出口へ。
税関審査などに届けるものはいっさいないし、現金も最小額しか持っておりません。が、出口はどこだろうか?トランクを持って、アッチかな?コッチかな?としていると、デカイ身体の空港職員男性ふたりが、指差して「アッチから出なさい」。
アッチへ行ったらその向うに、迎えに来ている人々の顔がありました。何人かの顔の中にはジィーマの顔はありません。 ………?
少し離れたところで、ちょっぴり恥ずかしそうな笑顔で立っているジィーマです。私は駆けつけました。ふたりで飛び上がって、いや冷静沈着なジィーマは飛び上がりません。私だけが飛び上がって、再会を喜びました。結局何も言えません。
「さあ、車へ」。
「アッ、あの、トイレはどこ?」
再会を喜び合った私の最初のことばは色気がありませんでした。
St.Peter.は、暖かいです。細かい雪が降っていますが、冷たい風は吹いていません。名古屋のこのところの寒さに比べたら、「うああ!暖かい」と思わず言っていました。
さあ、旅が始まります。
2006年01月15日
15号 ここはどこ?の夜
空港の外で待つ車には、ジィーマの友人氏(お名前を忘失し失礼千万。お許しを)が運転手です。私と会ったことを彼は飛び上がらんばかりに喜んでいます。暗くってあまりお顔も見えないのですが、「ようこそ」「待ってましたよ」「ジィーマから聞いていますよ」「名古屋は遠いですね」など、たくさん話し掛けてくれながら運転手は、夜のSt.Peter.の中心地へむけて走っていきます。
ジィーマもうれしそうです。9月の末にお別れしたばかりですから、そんなにお久しぶりではないのですが、彼の町で会うことは、お互いにうれしいです。
「名古屋は寒いかい?」「雪は降っているのかい?」「家族は元気かい?」「ロシア館の日本人達はみんな元気かい?」「君の友だちも元気かい?」と質問攻め。
「ええ、みんながジィーマさんによろしくって言ってます」。
「名古屋はとても寒いわ」。
「日本の北の方は雪が2メートルですよ」……、
私はロシア語で答えます。ウン、順調にロシア語世界突入です。
が、とても大切なことが、わからない。ここはどこ????
隣りに座るジィーマ……、万博ロシア館?
夜の街を走る車……、名古屋?
飛行機で降り立った……、モスクワ?
どうもSt.Peter.らしい……、が、身体は位置情報を修得していない。
そんな混乱アタマ状態。もうひとつの混乱が、いまから行くホテルはどんなところ?
今回は、ホテルの予約などはエレーナに任せていました。彼女のメールアドレスを知らないので、12月半ば、ジィーマに「ホテルの情報を教えて」とメールをしましたが、ジィーマの返事は「エレーナがわかっているから心配いらない」とのことです。そうです。到着すればわかるのです。行けばわかるのです。
年末30日、ジィーマからのメールは「頼みがあるのだけれど、日本のカメラレンズを買ってくれないかな?」
それは、とてもわかる内容でしたが、なにせ時間がない。私が、探す時間がない。
車の中で「カメラレンズは、1ヶ月前に言ってくだされば探せたけれど、今回は答えられない」と伝えると、「カメラレンズが欲しいのは、ボクなんだ。心配要らないし、そうだよね時間がなかったね」と、応えたのは運転手氏でした。そうでしたか……。また、次の機会にでも。
そうこうしているうちに、St.Peter.の中心地、トロイツキー寺院の近くで車は止まり、ジィーマはメモ用紙を取り出し、ロシアの建物ではあたりまえの住宅入り口の番号キーを押して「ここの2階がガリーナのホテルだよ」。静かな古い町並みの住宅街。雪が積もりいまも細かい雪が降っている。ジィーマはぼんやり灯る明りの中で、ドアキーの操作をしている。
ああ、いま、私はSt.Peter.にいます。
16号 Фосольは、インゲン豆、涙する夜
静かな住宅の2階にあるガリーナホテル。なにもわからない私はジィーマについていくだけ。
ドアを開けたら、とてもステキな女性が待ってくださいました。これから1週間お世話になるガリーナさんです。彼女は思い切りロシア語で話し掛けてくれます。エッツ??なんて??でも、ときどきわかるのが、逆につらい。
ジィーマが「彼女はロシア語もわかりますから、大丈夫です」なんて言っているし。おっと、それは違うよ~~!!
ジィーマとは玄関で別れました。「ありがとう、またね」。「いつでも電話しなさい」。
まずは静かな部屋に通されて、ガリーナさんから「(共同で使う)台所もお風呂もトイレもテレビもみんなあなたのお部屋よ。ご自由に。楽しみなさいね」。
トランクとバッグそれともうひとつ、ジィーマから受け取った袋があります。
車の中で「(妻の)ジェニャがつくったサンドイッチだよ。そして、ファソリ(インゲン豆)とサラダ。ティーカップとスプーンも入っているよ」。
ジェニャさんとは、出発の前に電話で「会いたいですね」とお話しはしました。
出発寸前にジィーマに「旅の間、ティースプーンとティーカップを貸して欲しい」とメールでお願いしておいたのです。果たしてホテルがどんなところかわからないから。せめてお茶を飲むことだけは自由にしたかったから。
ジィーマから受け取った袋には、カップやスプーンどころか、お皿大小・フォーク・ナイフ・テーブル敷布・紙ナプキンたくさん、紅茶ティーパックたくさん。みかんとチョコレートもいくつか。
そしてお肉とサラミのサンドイッチ、パックに入れたジャガイモサラダと白いんげん豆の甘い煮物(日本のそれと同じ!!)が入っています。

《部屋の鏡の前に並べて。写りこんでいる時計は止まっているので時間は正しくないです》
もう、大感動です。これを感動しない心でどうするか!!です。
ありがとうジィーマ。あなたがご家族にどれだけ私のことを語ってくださっているか、それを見てわかりました。身に余るご好意に感動して涙ぽろぽろで、美味しい豆を食べました。静かに静かに外は雪が降っていますが、到着したばかりの私の心はとても温かく、豊かになりました。
日本で私はどれだけジィーマを助けることができたのかな?彼に感動を与えるなどできたのかな?とも、ちょっと思いながらも、とてもうれしい気持ちのまま眠りにつきました。
♪ 7号 ♪ ロシアサンタさんは役者がやってます
ロシアでは長い期間クリスマスを楽しみます。
町の飾りや家や職場もけっこう長い間、クリスマス飾りをしています。
クリスマスイベントも盛んで、街頭や劇場・ホテルやデパートなどのイベントはもちろん、大金持ちの主催パーティなどに登場するのが、ロシア版サンタさん=Дед Мороз と 雪娘=Снегурочка です。ふたりはペアで登場します。そして、歌ったり踊ったりをします。きれいな衣装でそれはステキなサンタさんと可愛い娘さんです。
これらを演じるのは、たいてい俳優です。俳優の冬のアルバイトのように、あちこちに出掛けるのです。
ユーゴザーパド劇場の俳優、シューラは年末年始、これを演じておりました。連れている雪娘は、女優経験もある妻のターニャさんです。そして、彼らはフランスのパリへ、出張出演しておりました。だから、私はモスクワに行かなかったのです。
2006年01月16日
17号 レナ姐さんは、画家でもあります
==1月3日 あさ===
やはりロシア時間の深夜=日本時間の早朝=に、目がパチッと覚めてしまいました。ちょっと寒いし、喉が渇いているしで、起きてしまいました。もちろんすっきりした目覚めではありませんから、またベッドにもどり、うとうとしながら暗い朝を迎えました。午前9時を過ぎても空は、まだ暗いです。
ガリーナさんが美味しいコーヒーを入れてくれ、「日本人もここへ泊まるのよ。友人には日本語の先生もいるし、日本とロシアを行き来している人もいるから日本のことはよく知っている」とかを、ロシア語でたくさん話してくださるのですが、私の頭は、眠っているのでロシア語どころか日本語であっても、理解困難状態であります。

(ホテルの食堂兼私の勉強室でした)
レナは予定の午前10時より早くやってきました。
「いやあ、こんにちは~~」と言うことばで半年ぶりの再会を喜びました。
「さあ、外へ行くから、早く用意をしなさい。博物館へ行きましょう」と言うので、もひとつすっきりしない寝ぼけアタマとカラダで急いでの用意です。
ガリーナさんが「カギを渡すから、持って行きなさい」、「ここのドアのカギはこうしてね、ちょっと難しいかな」と、カギの使い方練習をしてカギを渡されて、レナと外へ出ます。
昨夜の雪は積もっているし、道はバリバリに凍っているのでレナの腕に腕をからませて、地下鉄駅まで歩く。レナは日本語は知らない。私のロシア語も多いに怪しい。けれど私たち、分かり合えるときはしっかり分かり合えるのです。
レナは、「オレグは日本で、万博で、写したたくさんの写真を博物館の仲間たちに見せてくれた。とてもきれいだった。興味深いものです」。
「ジィーマも博物館での日本報告会では、『エレーナの友人の日本人女性とあちこちを歩き回ってとても勉強になった』と言ったのよ」。
「ふたりとも、あなたのことばかり言っているし…」。
アッ、その「友人の日本人女性」とか「あなたのこと」とは、ワタクシのことですね。うれしいですねえ。
中心地から東北方向のレナの家へ。バスと地下鉄で行きました。そのあたりの町には、10センチくらい雪がしっかり積もっているので驚きです。
なんとなく覚えている。2000年夏はじめてここへ来た時のことを。住宅と住宅の間の庭が子ども達の遊び場となって、声が住宅の壁に跳ね返っているのは、あの時と同じです。
レナは「夫と息子ふたりと甥っ子がいるから、家の中は『男ばかり』。きっとまだ寝ているから」と言いながら部屋に通してくれました。たしかに……。彼女の長男は、俳優であり歌手であり、「稽古に出かけている」。次男は、学生、起こされてボサボサ頭でごあいさつ。夫氏は、台所でなにか調理中だったようだ。甥っ子はかわいい13歳。
レナの部屋と廊下に油絵が何枚かかかっています。「これは、美味しいくだものを忘れないように描いた」とか「花を描いてみたのよ」。「秋の景色」「ダーチャの景色」など。レナは画家でもあります。
そして、彼女の仕事机の前には、日本から送ったうちわが飾ってあり、書棚には「扇の研究」のファイルが何冊もあります。私が送った日本語の「日本のうちわ」=彼女の資料本もあります。
読者のみなさまが、ロシアの博物館・美術館などで、ヨーロッパやロシア皇帝たちが使っていた「扇」をご覧になる機会があるかと思いますが、それらはきっと、このエレナ ヤンコフスカヤが、修復をしたものでしょう。ロシアでの扇の研究家第一人者のエレナは、すんごい人なのです。
が、私にはレナ姐さんです。面倒見がよくって、少々うるさいくらいで、そして、「日本人男性とお友だちになりたい」が、彼女の願いです。だから、私が口にした、SP Walker さんを「すぐに電話して会いましょうよ」となりました。レナ姐さん、おもしろい。
2006年01月17日
18号 寒さと雪と時差と服装
きょう(17日)、モスクワもサンクトペテルブルクも、気温は昼間でも氷点下20度くらい。うわあ~~、寒い。
◆私がSt.Peter.にいた2日~8日までの間、だいたい最低外気温はマイナス2度くらい。つまり、温かでした。寒暖の感じ方は、その時の身心の具合が大きく左右するので、それでも寒い時もあれば、もっと低くても暖かいときもあるのですが、私は「うああ寒い~~」と思ったことはなかったです。とても幸運なことです。
◆2001年から毎年冬に、モスクワやSt.Peter.へ行っていますが、私が滞在中はいつも暖かいのです。最低気温が氷点下10度くらいを体験したくらいです。雪が横なぐりに降るのも体験しましたが、「もう寒くってたまらない」と言う体験は、おかげさまでありません。とても幸運なことです。
◆日本は大雪が降る国です。北国の2~4メートルの積雪は、暖かい名古屋にいてもわかりません。が、モスクワやSt.Peter.の人たちもわからないと思います。雪が違います。St.Peter.で雪の中歩きましたが、細かな細かな雪がさらさらと降っています。たしかにあっと言うまに積もっていましたが、気温が低いほど、さらさらなので、服に着いても、払うのも簡単です。
車には、歯ブラシの親玉のようなブラシが積んであって、それで車の屋根の雪をさらっと落としています。いつも雪が降っているし、なかなか融けないのですが、20センチも積もれば大騒ぎです。「日本では2メートル???」と信じられない顔の北国の人たちでした。
◆モスクワとSt.Peter.は同じ時間です。日本との時差は、いまは6時間です。この6時間は、日本のお昼12時にやっと朝の6時です。St.Peter.で動き回る時間は日本時間の午後遅くから深夜の時間です。でも、これを考えていると時差の調節はできません。しっかりと現地時間に合わせて「日本では…」とは考えないことです。
そしてなによりも、太陽の光を浴び体内時計を調節するのが、時差ボケの解消の一番の方法です。が、冬のSt.Peter.では太陽が……、今回もずっと太陽が顔を出しませんでした。だから時差調節ホントにつらかったです。いつも眠かった。
◆室内は暖かいです。が、これも建物や部屋に寄ってばらつきがあります。どこでも足元は冷えますから、足元防寒は大切ですね。
◆私は大体こんな服装をしておりました。半そで下着に長袖ブラウスと毛糸セーターなど、ウールのスカート、厚手タイツにもう一足靴下を履いて。そして外へ出るときは、マフラーで首周りをしっかり防寒し、手袋と帽子はゼッタイに必要です。
◆2000年、冬のモスクワへ行こうと計画していたとき、毛皮のコートを大奮発しました。日本で、デパートで、悩みに悩んで買いました。「ロシア産のリスです」と言われて、ホントのところ「何匹のリスが使われているのか?」とゾットしたのですが、着てみればその暖かさに感服です。ですから、毎冬彼の地へ出かけることが出来るようになりました。

(ネヴァ河を背にして。こんなかっこうで歩いていました)
◆きょうあたり、St.Peter.の町は、暗く凍えていることでしょうねえ。ネバ川は全部凍りついたことでしょう?これからしばらくが、ロシアでも日本でも厳寒期です。身体に気をつけましょうね。
~~~そして、きょうはジーマさんの誕生日です。 おめでとう !!~~~
19号 携帯電話の話し
日本で普段に使っている3G携帯電話を持っての旅でした。後半とても役立ちました。というか前半は、日本で使い方を教えてもらった某携帯電話会社の店員さん、あなたの言ったこと間違っていたので、うまくいかずに困りました。(自分、読めよ、説明書!!)
さて請求金額はどれだけになるのでしょうか?ドキドキです、あちこち掛けましたぁ。
▽レナさんが言いました。
「携帯電話が盗まれるから、町で地下鉄で、ゼッタイに見せてはダメよ。あなたのは日本のものだから、狙われるわよ」。
▽ジーマさんが言いました。
「携帯電話持ってきたんだ。良いねえ。僕に電話してよね」と二コリ。
▽オレクさんが言いました。
「僕の電話は新しいから。番号も変えたから。前のは……」。どうも無くしたらしい。どうしたのでしょうかしら?そして、日本では女子が持つような赤い可愛いNOKIA機種となっていました。
▽某携帯電話会社の店員が言った方法で、SP Walker=T氏に電話をしました。はるか遠くで日本人男性の声が聞こえますが、どうもうまくつながりません。何度も挑戦しましたが同じです。はるか遠くから聞こえる男性の声、「もしもし!!」。それだけ。あれれ?
その後、T 氏と会った時
ワタクシ:「電話がヘンでしたね。何度もかけてごめんなさい」。
T 氏 : 「いいえ、電話は先ほどがはじめてですよ。それまでまったくありません」。
ワタクシ:「では、あの声はだれだったのか?日本語の男性……?」
T 氏 :「日本へつながったのかも?」
ワタクシ : ドキン !!!!!
2006年01月18日
20号 昼食とダーチャの話しと
===1月3日 ひるのこと ====
レナ姐さんの家では、「昼ごはんをどこで食べるか」と夫婦で行ったりきたりしてます。台所のテーブルか、別の部屋にテーブルを出すのがよいだろうか?のようですが、結局レナ姐さん夫婦と私の3人は、台所のテーブルを囲むこととなりました。
台所はけっこう暖かくて、窓辺に緑がたくさん置いてあります。驚いてしまったのは、シンクの狭さです。そうですね、日本の公共施設にあるトイレの手洗い陶器くらいの、大きさというか狭さというか、それが台所のシンクです。これじゃあお鍋も洗えないような…。いくつかのロシアの家庭を見たなかで、一番小さいシンクです。でも、調理台はけっこう広く、また、台所部屋の広さも家族がしっかりテーブルを囲むことができます。テーブルは小さいけれど。あるモスクワの家庭では、テーブルを四方囲むともう部屋中人だらけになる狭さでしたが。
レナ姐さんは「私の好きな肉料理を召し上がれ」と冷蔵庫から、肉のゼリーよせをだしてくれました。切り分けて、皿にとり西洋辛子を添えていただきます。(この料理の名前は、下のコメント欄で、アリェーニさんが教えてくださっています)。
勇んでいただいたのですが、ゴメン!!レナさん。この肉のにおいがどうも苦手で……。

(これが肉料理です。冷たいのです。切り分けてお皿にとりわけます)
パンとスメタナをいただきながら、夏の彼らのダーチャの生活を写真を見ながら話してくれました。
レナ姐さんは、郊外にかなり大きなダーチャ(セカンドハウスとでも言いましょうか)を持っており、「木の実をたくさん摘むのが大好き」と写真の中では、バケツのいっぱいの赤い木の実を見せてくれました。ふわふわの緑の草の上で子ども達と遊ぶ様子の写真は、とっても楽しそうです。
いま、冬の季節。太陽はほとんど顔を出さず、暗くて寒くって。だから、太陽の季節には、もうその光を全部吸収してしまうから!という大胆不適な決意を持つ彼らです。太陽と大地と自然の中に人間がすっぽりと溶け込んでしまう生き方に徹します。もちろん海辺、水辺も大好きです。
レナさん「夏にダーチャ行きましょう!」と私を誘ってくれました。とっても魅力的ですが、ご家族がのんびりする大事な時間に外国人がウロウロしては申し訳ないと思うのですが。
レナの夫氏は「日本は黒いパンがあるのか?」「日本にスメタナはあるのか?」「日本の酒が飲みたいなあ」など、はるか遠き東の国日本に興味津々のようです。おみやげに日本酒を持ってきてよかった。(このときはまだお渡ししていなく、後日お渡ししたときに彼は大喜びされました)。
「さあ、そろそろ出かけるわよ~」とレナさん。どこへ行くのか私はわからない、彼女はきっと私に伝えているのだろうが、私が理解していないのだと思う。
「どこへでも連れっていってもらいましょう」と、ここでは独立心はまったくありません。
甥っ子のキーチャ君(13歳)もいっしょにいざ。どこへ行くの??
21号 ペトロパブロフスク要塞を歩く
===1月3日 午後===
レナの家近くのバス停から小型乗合バスに揺られて、10分ほど。地下鉄駅前で降りる。まったくどこなのかわからず悔しい。

(レナの家の近く)
地下鉄は深く、エスカレーターに長い時間(2分くらいかな?)乗っている。レナが言います。「休日だから人が少ない」。
地下鉄車内で彼女は私の腕をひっぱり、「アレ見てよ」という仕草。見ればそこには、若い女性が立ったまま顔をパタパタとしてその後口紅を出して…。レナ姐さんは、いやな顔をして、「地下鉄の中で恥ずかしい」とでも言いたそうです。
「日本も同じよ」と言えば、「まあ、日本人も…」と呆れた顔をしている。言わなくともよかったかな?もう、言っちゃった。
地下鉄を降りて外へ出て歩きはじめれば、見たことがある景色がだんだん近づいてきました。
そこは、サンクトペテルブルク誕生の地=ペトロパブロフスク要塞でした。観光客がいっぱいです。以前ここへ来た時は暑い夏で、要塞の周りネヴァ河畔では、老若男女がほとんど裸のようにして日光浴をしていた。が、きょうは雪がときどき風に乗って降ってくる。暗い日。でもそんなに寒くはない。
要塞内をレナ姐さんは案内してくれます。まずは教会。ロシア帝国の皇帝たちが埋葬されている。人が多くって敬虔な気持ちにはなれないし、キーチャ君がはぐれてしまったし……。もっと静かな時にまた来よう。

外に出て、周りを歩く。ベビーカーを押して散歩をしている若いパパとママを多く見ます。どんなに寒くとも家族で散歩に出るのが大好きな人たち。子どもはベビカーの中で毛布でぐるぐる巻きになっている。歩きはじめた子たちもちょこちょこと雪の上を歩いている。コロコロに着膨れしているが、なんとも可愛いこと。
ここの博物館の中で「サンクトペテルブルクの歴史展」が開かれており、これを観ることが一番の目的だったのです。レナが修復した扇たちが展示されているからです。

(19世紀フランスの扇・修復した人の名は表にでませんが、エレーナ ヤンコフスカヤさんです)
が、かなり長い行列ができています。私は鮮やかに、愛知万博の景色を思い出しました。
2006年01月19日
22号 厚かましく生きています。
※写真を過去分、入れました、下の方へも見に行ってやってください。
===1月3日 夕方===
列に並んでいると、ナント「本日は16時に終了します」と連絡が入った模様です。レナ姐さん、さっそく窓口へなんらかの抗議のようです。私は、外で待っているだけ。
暗いです。もう日が暮れようとしていますが、暗さが日本の夕方とは違います。
夏は白夜のサンクトペテルブルク。23時くらいまで明るく、空気の中に繊細なレース網が織り込まれていると感じた私の白夜体験。それはとても美しいものです。
冬はまったく反対に、暗くって……。
目的の展覧会は、レナ姐さんの奮闘にも関わらず、きょうは「ムリ」とのことで、あきらめました。要塞内をぶらぶらして、入ることができる建物などに入ってみます。以前ここへ来た時は、まだまだ荒れており、あちこち改修工事も行われており、決して「きれい」とは思えなかった。とりわけトイレ。「2度と、入らない・入ることができない」トイレでした。が、今回は、驚いた!!有料ですが、広くって明るくってきれいで、紙も備わっているのです。

(そのトイレ内に貼ってありました。トイレは ↑こうして使いましょうネ!)
さて、レナは、「日本人男性に早く会いましょう」と、うれしそうに、また電話をしています。02年冬に、サンクトペテルブルクに当時留学していた日本人男性(N氏)と、はじめて私は会いました。レナもいっしょに会ったのです。その時も、会うべき彼との約束の場所などは、レナと彼とが連絡を取り合っていました。N氏とレナはその後友情を育てあって、レナはN氏の面倒をしっかり見たそうであります。
今回もレナは「St.Peter.で日本人同士がはじめて会うのはとてもおもしろいではありませんか!」とうれしそうです。
地下鉄駅入り口で、T氏と会うことができました。レナは彼にあいさつをして、再会を約束して、キーチャ君を連れて帰宅しました。
T氏と私は、近くの軽食堂に入りました。私は、財布に、ルーブルがありません。朝からずっと「両替・両替」と言っていたのに、とうとう夕方になってしまいました。昼食があの肉のゼリー寄せだったので、ほとんど食べていません。空腹でした。
だから、はじめてお会いした SP walkar =T さんに、たくさん食べさせていただきました。そして、私のロシア体験を、しゃべりまくりました。「話があちこちへいくけれど、付いてきてくださいね」。
おまけに、私のホテルまで送っていただきました。ありがとうございます。
23号 旅人よ独立すべし!
===1月3日 夜===
携帯電話の正しい使い方を SP Walke = T 氏に教えていただいたので、もう大丈夫です。声が聞きたいオレクの携帯電話をよびますが、つながりません。あとでわかったのですが、私の知っている番号はもう彼は使っていなかった。彼はフィンランドにいると言う。会えるのだろうか?まあ、なるようにしかならないから、会えたら最高にしあわせとしましょう。
ジーマさん自宅にも電話をする。電話に出た男性をジーマだと思い込んで、「明日会えますか?本屋さんへ行きたいのですが……」と言ったら、電話口で彼は笑う。「はあ??」
いやあ、恥ずかしい。ジーマさん妻ジェニャさんのお父上でした。あまりびっくりしたのでその後、電話をかわったジーマに肝心なことを聞くのを忘れてしまった。「携帯の番号を教えて」が、一番大事な用件だったのに。明日また電話しよう。気をつけて確かめて話すこと!
きょうは、まったく、独立していない依存の一日でした。明日は、しっかり自分で歩くこと。まずは両替をして、町を歩こう!と決めた。ホテルにある地図を見ているうちに、眠くなる。日本は深夜だなあと、思ったらもうガマンできない睡魔に襲われる。
24号 外は寒くないかな?午前中
===1月4日 午前中===
また朝早く目が覚めてしまう。音楽を聴きながらダラダラと朝を待つ。冬は朝10時くらいまで暗いから、「いつ起きたらいいのだろうか?」。白夜のときには23時くらいまで明るく「いつ眠ったらいいのだろうか?」……ここは、そんな町なのですね。
そして、わずか2日目で、私はこの町は「学問」をする町とわかりました。静かで美しく落ち着いて、貴意高く、なんと言ったらいいのだろうか。知識欲が満たされるような街です。この街では、俗っぽいことをしているのは、とてももったいないのではないかと、思っています。

《お宿の近くのトロイツキー教会。青い屋根が遠くからでも見えるのですが、修復中でした》
だからでもないでしょうが、朝早く起きて、食堂のテーブルで書き物をしたりロシア語単語を調べたりしています。と、猫ちゃんが入ってきました。これまた貴婦人のような猫さんです。ガリーナさんの愛猫ですね。日本語で「猫ちゃんおいでぇ」と言っても通じません。と、思い出しました。万博ロシア館の通訳コースチャが教えてくれたことです。
「ロシアでは猫を呼ぶとき、『кис-кис 』(キスキス)ってよぶのですよ」。だからよんでみました。「кис-кис」。と、なんと猫ちゃんが「ニャ」と返事をしてくました。ロシア猫です。
ガリーナさんは、美味しいコーヒーを入れてくれて、しばらくいろいろおしゃべりです。もちろんロシア語です。わたしにとっては、とても貴重な時間です。細かい意味がわからないところがあっても、まず聴くことです。聴いていればわかってきますから。
「犬は毎日外へ連れていかなくちゃあいけないでしょ。犬は吼えるでしょ。だから、猫が良いのよ」。
「砂糖はあまり身体によろしくない。ロシア人砂糖大好き。私は砂糖よりも甘味料をコーヒーに入れている」。
「日本の本は、左から右へ開く。それはとってもおもしろい。ロシアは必ず右から左よ」。それは文字のかき方が縦書きか横書きかによるのですが、でもそうですねえと私も関心する。
ガリーナさんのおかげで頭がさえてきました。そろそろ出かける準備をしましょうか。
と、レナ姐さんから電話がありました。まずはガリーナさんと話しています。そして私にかわりました。
レナ:「きょうは、どうするの?」
ワタクシ:「ひとりで歩くから。大丈夫よ。ジーマにも会うから」。
レナ:「地下鉄では、かばんに気をつけるのよ。大きなかばんはやめなさいね。携帯電話も出してはだめよ。お店ではお金を払ったレシートをもらいなさいね。なにかあったらすぐに電話しなさいよ」。
ありがとうレナ姐さん。
次はジーマへ電話しました。きょうはちゃんとジーマです。
「きょうは散歩します。あとで電話しますから携帯番号教えてください」
私は、ロシア語数字の聞き取りがまだ苦手です。とくに、「4=четыре」と「6=шесть」が反対になってしまうというオバカですから、聞いているだけでは 「шесть=4」と「четыре=6」となりそうです。
ワタクシ:「英語で教えてください」。ジーマは英語も得意ですから、大丈夫です。
ジーマ:「two, three,six,five,two …… 」。
ワタクシ:すぐにロシア語で繰り返します。「два , три , шесть ,пять ,два ……」
ジーマ:「отлично !!」 (たいへんよくできました!!)
すぐに教えられた番号へかけてみました。自分の携帯をとったジーマが大喜びしています。
そんなことをしながら、お昼も過ぎました。外は寒そうではありません。それでも防寒はしっかりして、出かけることしましょう。地図をよく見て、めざすは「イサーク寺院」です。
2006年01月20日
♪ 8号 ♪ お誕生日おめでとう
1月20日は、俳優シューラの誕生日です。おめでとうございます。
5日前に、EMSで「お祝いカード」と手紙とささやかなプレゼントを贈りました。
知り合ってから、6回目のお誕生祝いができます。うれしいです。
2006年01月21日
☆ 15号 ☆ 大寒波 !
ご存知のとおり、ロシアを大寒波が襲っています。氷点下30度がず~~~と続く世界って、どんなのか?わかりません。
心配で、モスクワのシューラの家に電話しました。彼は古い住宅の1階に住んでいます。以前冬に行った時、寒かった。
「マローズでしょう?どうですか?」
「はは、寒いよ~。でもニチボーさ」
ニチボー、ロシア人がとてもよく使うことば。「平気さ」「大丈夫」「なんのこれしき!」

《 ニチボーな 俳優 シューラ !》
そうでしょう。ロシア人こんな寒さでへこたれないです。
でも、心配です。それで、在日ロシア人に聞きました。
「こんな大寒波のときに、お見舞いする言葉はあるのですか?」
「お見舞い?ふつうお見舞いしないけれど…。まあ、『元気でね』か『外では気をつけてね』かな。その時の話しのながれでしょうねえ」。
やはりロシア人、これしきの寒さはニチボーなので、見舞いをする必要はない、らしい。
2006年01月22日
25号 歩くの大好き~!その1
===1月4日 午後===
ホテルの建物から外へ出て、すぐに広い道に出る。この時に、周りをしっかり確認して振り返るなどして、ホテル周辺の風景を見ておけば、その後、あれれの事が起きなかったハズ。
あまり寒くないし、道も凍っているところもあるが、そうでないところもあって、私ひとりでも歩けるから、良かった。慌てずゆっくり歩いていこう。イズマイロフスキー通りをまっすぐ行けば、イサーク寺院にぶつかるから大丈夫です。
フォンタンカ運河は凍っている。この運河は、夏に小船で通ったところです。

途中,両替所があったので、入ってみる。ドアをあけてすぐ前の窓口にいた女性は、ドッキリ胸の谷間くっきりで、爪を磨きながら、「両替は、1番の窓口よ」。
1番の窓口の細身の若い男性は、手際よく勘定してくれ、両替は無事終了。ドアをあけるときもう一度見たら、さきほどの爪磨き女性は、まだ懸命に磨いておりました。
また、歩き始めてすぐに、女性に道を聞かれる。「×◎*+はどこですか?」。「私は知りません」。と言って過ぎようとすれば、「あなた中国人ですか?」と聞かれて、「いいえ」。「韓国人?」「いいえ、日本人です」。
その女性は、なにか不思議なものをみるようにして、行ってしまいました。
しかし、暗い。曇り空の重いグレーの色が暗い。
ビールを飲みながら歩く若者。(そっと距離をとる)
年配の女性二人がのんびりと肩を並べて歩いている。(追い越します)
小学生低学年の子どもを連れているパパは、若い。(パパかな?)
いく人かとすれ違う。
車道は、観光バスもいくつか通る。(さすが観光都市です)
タクシーとわかる車が走っている。(まあ、わかりやすくなっている)
やはり排気ガスで空気は悪い。(モスクワほどではないが)

《車の屋根の向うに見えるのがホテルアストリアです》
などなど、あちこちきょろきょろして歩くと、目の前にイサーク寺院の大きく丸い屋根が見えてきました。その右手側には、アストリアホテルの茶色の建物も見えてきました。
私、アストリアホテルで、お茶をするのが、今回の旅の目的のひとつ、旅先でびっくりゼイタクをしてみたいのです。アストリアホテルに泊まることは、私には出来ません。だってここは超高級老舗ホテル、喫茶室でお茶をするだけでも、ゼイタクです。
2006年01月23日
26号 イサーク聖堂はあこがれ
===1月4日 午後===
歩いて約40分でイサーク聖堂前に到着しました。凍りついたり雪が残っていたりする道をひとりでゆっくり歩いてきたので、時間がかかりました。途中写真を写したり、景色に見入ってもいましたが。夏ならばきっと20分ほどの道のりではないかしら?地図で計れば1・6キロメートルくらいです。
40分間は、寒くはないけれど、顔が冷たくなってきました。
目の前には、圧倒する大きさのイサーク聖堂があります。何度もSt.Peter.へ来ていますが、まだここには入っていません。このイサーク聖堂は私の大きなあこがれであり、とても大事な場所です。
私のロシアへの旅は、まだこれからも続きます。きっと続けます。でも、いつかは最後のロシア行きとなるときがあるはずです。その時にこの聖堂のドアを開ける!と決めています。だから、まだ入ってはいけません。入れません。まだ、まだずっと先です。それはいつなのか……、だあれもわかりません。
いま目の前にある本物のイサーク聖堂は、観光客が大勢入っていきます。入ろうと思えばすぐ入れますが、私はここから見ているだけです。
27号 アストリアホテルにて。
===1月 4日 午後===
イサーク聖堂を眺めながら、アストリアホテルへ入ります。館内はさすがに高級ホテルの風が吹いています。思いのほか明るくて、最近きっと改造でもしたようです。まずはトイレへ。おお!明るく広くきれいです。
館内にある小さなカウンターだけの店でSt.Peter.の街の地図と劇場案内雑誌を買いました。
1階の喫茶室に入る前に、ジーマさんに電話をかけました。
「アストリアの1階だね。30分後には着けるよ」、の返事にうれしいです。私自身もほめてやりたいです。こうして、ロシア語だけでロシア人と会う約束ができるようになりました。
2003年1月までは、通訳さんがいなければ旅はできませんでした。その後、体当たりひとり旅を6回も重ね、、なんと言っても万博ロシア館をはじめ、いままで出会ったロシア人らからたくさん教えられて。もちろんまだまだ。もっとロシア語チカラを付けましょう。
喫茶室はだれも客がいません。女性店員がヒマそうでした。
美しいロモノーソフ陶磁器の青い色茶器での紅茶は、まあまあ。フルーツケーキは、小柄で甘く美味しい。満足です。お代は、日本の高級ホテル喫茶店での紅茶とケーキ、やや安いか同じくらいかな?
静かな窓側の席で紅茶をいただきながら、地図に見入っていましたら、目の前に、ジーマさんが「Privet !」と登場しました。呼び出しておいてなんですが、びっくりしてしまいました。それほど地図の世界に入り込んでいた私でした。
「ヴァシリエフスキー島を歩きましょう。途中で美味しいピローグを食べましょう」とジーマ。
私は「まずは本屋へ行きたい。辞書が欲しいのです」。
私たちは外へ出ました。ジーマは「イサーク聖堂は行きませんね」。そうです、ジーマは知っているのです。私のイサーク聖堂への思いは、万博のときに伝えました。下手なロシア語で伝えたことを覚えていてくれました。
そして、私たちは途中ちょっと休憩もありますが、ここから5時間、街を歩きました!!!
2006年01月24日
☆ 16号 ☆ 大阪を歩く
寒風の吹く休日、プーシキン美術館展=大阪市中ノ島の国立国際美術館と、国立民族学博物館=吹田市万博公園に出かけました。歩いた、歩いた!!
プーシキン美術館展は、モスクワにあるプーシキン美術館からはるばるやってきた素晴らしい絵画たちの展覧会です。本場プーシキン美術館へは、何度も行っており、大好きな絵が1枚あります。たぶん日本へやってきてはいないだろうけれど、その絵が気になるので、どうしてもこの展覧会を観たかったのです。
が、並んでいる絵画からは、ロシアよりもフランスの臭いがプンプンです。それはそのとおり、フランス近代絵画をロシア人コレクター・モロゾフさんとシチューキンさんのふたりが蒐集したものですから。
私のお気に入りピカソの絵「玉乗りの少女」は、モスクワでお留守番のようでした。
でも、この展覧会にこんなに多数の絵画が出張してしまうと、モスクワのプーシキン美術館は、さてどんなこととなっているのでしょうかと、気にもなります。
出口付近には、お決まりのおみやげ屋さんがあります。ここで売っていた、ロマノーソフ陶器は、きれいでした。が、聞こえてくる「ロシアのものですがアメリカに工場がある」とか「サンクトペテルブルクってどこですか」には、ちょっとねえです。
マトリョーシカや琥珀も売っており、ここだけはロシアを意識していました。
その後、大阪万博跡地にある、国立民族学博物館へ、地下鉄とモノレールを乗りついで行きました。
世界各地の民族資料があり、地域別にわかれて展示の仕方もわかりやすいのですが、ロシアがない!!ヨーロッパ地域の展示がややさびしいです。中央アジアとして、キルギス、ウズベクなどは紹介されています。アイヌの展示もかなり充実しています。サハリンアイヌやクリルアイヌなどの民族資料が展示されていますが、それがいま地球の上でどのあたりとなるのかは、わかりません。
係員に「なぜロシアものがないのですか?」と聞くと「専門家がおりませんので」とか。それはとても残念です。
ここでも帽子などの「かぶりもの」の展示があり、それはサンクトペテルブルクの民族学博物館と同じでおもしろい。
かなりゆっくりと楽しみながら、あらためて日本は「紙」の国とわかります。和紙が生活に多く利用されていることが、あまりにも日常で私たちは気がつかないのですが、この博物館の日本の祭りの展示などは、それを教えてくれます。
この博物館のおみやげ屋でもロシアものはマトリョーシカです。人気ですねえ。でも、お値段がちょっと……。万博ロシア館みたい。
2006年01月26日
28号 歩くの大好き~2
===1月4日 午後====
ジーマといっしょに、ネフスキー大通りの本屋さんへ向かって歩いています。と、なんでもない、いままでひとりでなんとか歩いてきた薄く氷の張っているところで、ズルッと滑ってしまったワタクシです。
これはまさに緊張が解けてしまった証拠です。名古屋あたりで普段に歩いているつもりとなり、なによりも、隣りにジーマがいるのですっかり安心してしまい気がユルユルとなって、ツルッといってしまったのです。
「スコーリスカ」と声をかけれられます。「滑ったね」「滑るよ」「つるつるだよ」「だから気をつけてね」などの意味を持つ言葉ですが、その後何度もジーマから言われました。つまり何度も滑ってしまったのです。
靴ですか?日本で4年くらい前に買ったドイツデザインの短ブーツです。かなりお気に入り。あまり寒くはないので、これにしました。
向かう本屋さんで買いたいものは、「ロシア語英語辞書」と「ロシア語ロシア語辞書」です。ジーマといっしょならきっと良いものが買えると思います。
2006年01月28日
☆ 17号 ☆ St.Peter.へ行く友人に
知り合いAさんが、「ちょっとSt.Peter.へ行ってきます」と言う。ならば、ぜひ会って来て欲しい私の友人たち、ぜひ見てきて欲しい民族学博物館、熱く熱く紹介いたしました。先日私が、アストリアホテルで買った英語版地図もプレゼントしちゃいました。知る限りのアドバイスをいたしました。
すぐに、St.Peter.の友人たちにもメールをしたら、「もちろん、喜んで会いましょう」とうれしい返事が届きました。Aさんも「民族学博物館興味ありますから」と、おおいに期待しています。
Aさんからの旅の報告を聞くことが楽しみです。気をつけていってらっしゃい。
2006年01月31日
29号 本屋さんで
===1月4日午後 ====
滑りながらも、ネフスキー大通りに出ました。急に車が多くなり、人がたくさん歩いています。
「ここが大きい本屋だよ」、入った本屋は、明るく広く、本がぎっしり並んでいます。ジーマが店員に聞いて「辞書のコーナー」はすぐそこでした。
万博ロシア館で、ロシアからやってきたスタッフたちは、ロシア語ー英語 の辞書を手にしていました。ポケットサイズのそれは使いやすそうです。日本ではというか、名古屋では売っていません。「欲しいな」とスタッフに聞いたら、「モスクワなら本屋に普通にありますよ」。そうでしょうね。
「(辞書は)このあたりに並んでいる」と言いながらジーマが何点かを取り出してくれます。「私は初級だから、小学生用のようなもので・・・」。と、書棚を見ると、さすがにたくさんあります!
「日本語ーロシア語はどうですか?」
「それは持っているし・・」
「日本について書いているロシア語のこんな本があるよ」
「いやあ、私は日本のことみんな知っているし・・」←これはウソ
などと言いながら、ロシア語ー英語辞書(40,000語・93ルーブル≒370円)と、初級ロシア語ーロシア語辞書(478ページ・75ルーブル≒300円)が買えました。
本の値段が安いでしょ。私たちから見れば安いのですが、地元から見れば「ずいぶんと高くなってしまった」なのです。
「ほかに欲しいものは?」
「お友だちに”詩集”を買いたいけれど、彼が欲しいものがいまわからない」
「じゃあまた来ましょう」。

外へ出れば「さあ、まずはエルミターシュへ行きましょう」。ジーマはさっさと歩きます。長い足だからでしょう。ホントに長い足です。しみじみ眺めるのでした。