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2005年12月13日

☆ 11号 ☆ 朝日新聞元モスクワ支局長にお会いする

 夕方突然、「朝日新聞の元モスクワ支局長の話が聞けるよ」と連絡が入る。それはなにをおいても駆けつけて、お話しをききたい。

 1978年~83年、1800日間のモスクワ特派員としての新聞記者生活もさることながら、その前に、新聞記者をしながらのロシア語学習と語学留学体験を語られたのはとても興味深いことでした。現在は中部大学国際関係学部教授の高山智(たかやまさとし)さんのお話しです。

 「71年朝日新聞の語学留学生制度によって当時の所属部長の推薦で、ソ連へ留学をめざすが、当時のソ連側の交換条件を受け入れることが困難で、ブルガリアでのロシア語学習をめざした。が、手続きに時間がかかり、ユーゴスラビアに3ヶ月住む。やっとブルガリアに入ることができ、国立ソフィア大学で、とても有意義なロシア語学習ができた。9ヶ月間という限られている留学生を個人指導も受けるなど、学ぶ環境はとても良かった」。

 そもそも早稲田大学の2外でロシア語を始めて、ロシアにあこがれた青年時代。「シベリア物語」の映画を見て、スターリン礼賛のそれよりもロシアの自然に感銘をうけたのがあこがれの元だったそうです。
 内勤の新聞記者となったときに、ロシア語を工夫して勉強をし、経済部記者となって、トクダネ記事も書き、それが語学留学制度の活用に推薦されることとなったそうです。「勉強もさることながら、仕事も一生懸命している」と認められての留学となったそうです。

 高山さんが特派員生活を送ったモスクワは、「おもしろい時期だった」そうです。ソ連が硬直・停滞していた時代から、変化の波が激しく押し寄せた時期だった。また、アメリカがカーター大統領からレーガン大統領になり、ソ連を「悪の帝国」と言い、クレムリンの言うことを国民は黙ってきいているだけと、宣伝されたが、モスクワに住んで、取材活動をして、それはちがうとわかる。指導者批判、このままではダメだ、ナントカしなくちゃという人々が動き出した、そういう「おもしろい時期」だったのです。

 高山さんは、「ゴルバチョフは突然出現した指導者でなく、すでに70年代から用意されていた」と熱く語りました。

 私は思いました。やはりどんな場面でも「用意されたときに先生が表れる」のです。高山さんは、そうおっしゃいませんでしたが、彼のお話しのすべてはまさにそのとおりを語られました。

 高山さん、ありがとうございます。とても有意義なお話しを聞くことができました。また次の機会が早く実現することを願っております。


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