2005年12月01日
☆ 8号 ☆ 「ボルシチパーティはいつ?」
このところ毎年冬に、職場で「ボルシチ」を大鍋に大量に作りみんなでワイワイと食べます。美味しいワインやパンと、たっぷりのサワークリームも用意して、「ボルシチパーティ」です。
が、出来上がったものは、「ボルシチ」には二つくらい足らない「ボルゴ」みたいなものですが、なかなか人気なのです。
きょう、いろんなことがあって、そんなことをすっかり忘れているところに「いつやるの?ボルシチパーティは?」と声をかけられてしまいました。
きょうから師走。寒くなってきました。そうですね、そろそろボルシチパーティを企画しましょう。
37号 「3人でモスクワへ行ってきました!」
ロシア館やウクライナ館で受付などのボランティアで活躍していた女子大生たちが、11月モスクワに行ってきました。
11月26日の「ロシア館に関わった人たち交流会」の席で発表された彼女たちの旅の様子をご報告いたします。
◇ ◇ ◇ ◇
《11月2日》中部国際空港からソウルへ。ソウルまで1時間30分。5時間待ち時間があって、ソウル~モスクワへは9時間です。着いたモスクワシェレメチボ2空港では、迎えの車に乗って有名なイズマイロボホテルへ。長い一日でした。
《11月3日》大学のロシア語教授の親戚にあたるパーシャさんといっしょに、万博で出会った、アレクセイヨルダンカデット学校へ出かける。カデットの少年たちとは、万博ロシア連邦ナショナルデーのときに出演した彼らです。校長先生や日本にやってきた彼らと会い、教室の様子やお茶をごいっしょにしたりして、とても愉快なひと時を過ごしました。彼らは学校の時間中でしたから、訪問再会は短時間でした。
その後モスクワの町へ。カラメンススコエは工事中でした。「赤の広場」は中に入れず残念です。
「ペリメニシュカ」というペリメニのお店で、美味しいたくさんのペリメニを食べました。
《11月4日》ボリショイ劇場新館で「くるみ割り人形」のバレエ鑑賞。終演後、ロシア館で通訳をしていたコースチャに会いました。いっしょにモスクワの中心部を歩きました。ヨーキーパーキーで夕食でした。
《11月5日》朝からパーシャさんと電車に乗ってモスクワ郊外の町、セルギエフパッサドへ行きました。窓から見える白樺林とダーチャが続くとても素晴らしい景色でした。この町の教会を訪ねて、その後マトリョーシカのお店に行き3人でたくさんのマトリョーシカを買いました。ひとりが6~7個買って3人だから18個くらいのマトリョーシカをパーシャさんが持ってくれました。
また、DVDやお菓子もたくさん買って大荷物でした。
その後、ロシア館で運転手だったワシーリーさんと会いました。
《11月6日》ワシリーさんとパーシャさんといっしょにモスクワ市内観光に出かけました。クレムリンを見て後にノボデビチ修道院で墓めぐりをして、雀が丘へ。たくさん歩いてモスクワ中心部へ。「ムームー」で昼食をしてまた歩きました。そしてその日の夕方、モスクワを後にしてソウルへ。
《11月7日》朝ソウルに着いて長い待ち時間でしたが、あまり気にならず、中部国際空港へ戻ってきたのは、夜でした。とても充実した楽しいモスクワの旅でした。
◇ ◇ ◇ ◇
秋のおだやかな美しいモスクワを歩き回った3人です。ロシア館で出会った人たちと再会を喜びあって、それもとても楽しい旅だったようです。ステキな3人です。
「また行きたい!!」と元気におしゃっていました。
♪ 1号 ♪ ユーゴザーパド劇場が来日します !!
きょう、12月1日から新しいカテゴリーをはじめます。
モスクワの人気劇場、「ユーゴザーパド劇場」が来年3月半ばに来日します。持ってくる演目は「マクベス」と「巨匠とマルガリータ」の2本です。
私の俳優アレクサンドル ゴルシュコフももちろん、来日します。2003年5月の来日公演以来です。
電話口のシューラはそれはとてもうれしそうに教えてくれました。私は何度も「プラウダ?プラウダ?」と確認をしていました。「プラうダ!!」と電話の向うで俳優は明るく元気に答えてくれました。
彼らの来日に関するいろいろをここで書いていきます。お楽しみに~~。
1号 また行ってきます(たぶん)
新年早々にサンクトペテルブルクへ行ってきます。その準備がはじまりました。
どんな旅になるのでしょうか?私はとても楽しみにしております。
ごいっしょに楽しんでくださいませんか?
ワクワクしながら、ここへいろいろ書き込んで行きますね。
お楽しみに~~。
2005年12月06日
♪ 2号 ♪ 原作を読んでおこうかな
来年3月の来日……それはもうすぐのことです。いやあ、困ったなあ……。と、でも、うれしくってひとりニヤニヤしながら、本屋でぐるぐる本を見ていた。
彼らが持ってくる「マクベス」。ご存知シェークスピア悲劇もの。私はずっと以前に読んだが、あまり覚えていないので、これを機会に読み直し!です。角川文庫から380円で出版されています。
「マクベス」には、シューラは出演しません。
もうひとつ持ってくる「巨匠とマルガリータ」は、群像社刊・上下刊各1800円(税別)です。こちらは、夢中で読んでまだ4回目ですが、もっと読み深めたい作品です。
シューラは、劇場支配人ベルヌーハの役です。ぜひ舞台でご覧ください。ものすごくシューラらしい役回りでございます。
来日公演の詳しい日程などはまだ未発表です。もちろん決まり次第ここで発表いたします。
2号 サンクトペテブルクからの電話
5日(月),日本時間夜10時ごろ、サンクトペテルブルクのエレーナから電話がありました。それは、とっても幸せになる電話でした。あちらでの準備がとても順調に進んでいるようです。とてもうれしいデス。
「なにが欲しい?」
「ブリヌイが食べたい」
電話の向うでエレナが笑っています。
「わかったわ。ブリヌイたくさん食べてね」。
ブリヌイは、パンケーキのようなものですが油がたっぷりでかなり高カロリー。ブリヌイにたっぷりのサワークリームを塗って、赤いイクラをたっぷりのせていただきます。ああ、楽しみ。また大きくなってしまうけれど、まあ良いか。
今回は食べることも楽しみですが、一番のメインは、「ロシア国立民族学博物館」の徹底見学と周辺博物館、美術館見学です。さあて、地図を広げて、冬のサンクトペテルブルク見学の構想を練りましょう。
2005年12月07日
☆ 9号 ☆ 福岡県をちょこっと訪問する
12月のはじめの、福岡県へ遊びに行ってきました。北九州と大宰府、博多を歩きました。
大宰府市に新しく出来た「九州国立博物館」へも行ってきました。10月16日にオープンしたばかり。全国からの来館者で賑わっています。
ここの展示目的は「古来より交流の窓口であった九州の地で、アジアとの文化交流と日本の文化の独自性に注目した、新しい博物館を目指します。楽しく学べる、教科書よりもわかりやすい展示でご紹介いたします」。
そのねらいどおりに、なかなかおもしろい展示の工夫と子ども達にもわかりやすい(だろう)説明文の書きかたです。ただ、暗い展示室で、展示物にだけ明りを当てる方法は、私にはちょっと……。
思い出します。万博ロシア館の展示の仕方と同じですね。
博物館は、朝鮮半島や中国、琉球などとの交流の様子はよくわかります。が、残念ながら、ロシアとの交流の展示は、どこにもありませんでした。だから、博物館での“出会ったロシア”は、ありませんでした。残念です。
日本には国立博物館はいくつありますか?東京・京都・奈良・そしてここ九州の4館です。これを多いとするか少ないとするか。数の問題もありますが、展示物の充実も大事です。オープンから日も浅く、展示物が借り物も多い、九州博物館です。今後もっと充実をされることをのぞみます。
さて、私が、博物館を歩いていたころ、福岡の町では「福岡国際マラソン」が開かれていました。とても寒い日でした。風が冷たく強く吹いて、雨も降ったり雪も舞ったりとする、寒い寒い日でした。
寒い日のマラソンに1着ゴールをしたのは、ウクライナ国からやってきた、ドミトロ バラノフスキー (26歳)選手です。あとのマスコミインタビュを読むと「ウクライナではマラソンは2時間11~13分台が“一流”らしい。彼はそんな国から2時間8分29秒で走り抜けて、この記録を政府が認めてくれて支援をしてくれることを願っている」とのことです。
私はこのニュースを見て驚いた。万博ロシア館に来ていた、後半いっしょに遊びまわったジィーマ バラノフさんと同姓同名(ウクライナ読み)でのバラノフキー選手です。ジィーマさんも趣味は「走ること」です。
バラノフスキー選手は、オレンジ革命から1年経ったウクライナ国に戻って、誉め讃えられているかしら?
福岡から名古屋への飛行機は、強風の中部セントレア空港にかなり危なく降りた。セントレア空港開港以来の多くの欠航便が続出した日でした。にもかかわらず、他空港へも回らず着陸できた幸運を喜びます。
※しかし、中部空港?セントレア空港?名古屋セントレア空港?中部名古屋空港?セントレア? まだ呼び方が統一されていない空港です。
2005年12月08日
3号 ビザのこと
いままで何度もロシア国へ行っているがすべて、観光ビザでの入国でした。
観光ビザは、「私○○は、何月何日から何日までの何日間、あなたの国へ“観光”で参ります。旅程をお届けいたします。滞在中のホテル料金も前払いしておりますので、そこへ必ず泊まります。帰国の交通機関切符も買ってあります。ですから、決められている料金をお支払いいたしますので、ビザという名の領収書を発行して、旅のお取り計らいねがいます」。というようなもの。
ビザというものがないと、ロシア国に入国できません。ビザの種類はいくつかあるようですが、それぞれ細かい取り決めがあります。
観光ビザの場合、ホテルに泊まることが旅の大前提です。泊まるホテルは、「○○がビザのとおり、滞在しております」と、国のしかるべきところへ届けます。だから、どこのホテルでもOKでもありません。まして、観光ビザで行って、知り合いのところへ泊まるなどはできないこととなっております。一応…。
今回、私は、招待ビザで行きます。St.Peter.の友人たちが、招待のための手続きに奔走してくれました。
招待してくれる友人が住むSt.Peter.のしかるべき機関に、「私の友人○○を何月何日から何日まで招待したい」というような書類を書きます。友人○○を証明する○○のパスポート記載事項+他の情報も書類に書き込みます。その手続きは、とても面倒だと思います。
もちろん、招待の期間も大事なことです。いつからいつまで滞在するのかも届けなけばなりません。
幾日かの期間を置いて、ロシア国が発行する招待状が出来上がったら、招待する人はその原本を○○に送ります。届いた招待状を持って○○は、自分のパスポートとともに、在日ロシア大使館(領事館)に届けます。ここは代理人が届けてもOKですから、旅行会社がやってくれたりします。
幾日か経ち、やっと招待ビザが発給されて晴れて旅に出ることができます。
そして、○○がSt.Peter.に到着した暁には、「ちゃんと来ましたから面倒みておきます」「言いつけは守ります」(?)と、招待する人とされた人で、届けにいかなければなりません。
というように、招待状ビザはとても面倒なことです。招待する人が、それらの面倒を喜んでしてくれるような間柄であることが大前提です。
でも、滞在中は、招待する人の家に泊まったり、招待する人といっしょに国内の他の地に行ったりできる“自由”があります。高い値段のホテルを利用することもなく、旅ができます。
と、いう訳で、はじめて、招待ビザで、私はSt.Peter.へ行きます。
もちろん、招待状のために奔走してくれたのは、エレーナとジィーマとオレグの3人です。大好きな3人です。とてもうれしいことです。感謝です。
4号 航空券のこと
当然のことですが、ビザには、滞在期間が大事です。
観光や個人招待旅行などは、往復飛行機チケットの手配も大事なことです。航空券もお相手が用意してくれる招待もあるでしょうが、私の場合は、日本での用意です。
年末年始はカレンダーの並びが良いのか、長期休暇がとりやすいようで、海外旅行が大人気でもう早くから人気観光地への航空券は売切れです。
なによりも、早くから航空券のことは心配していました。いつもの旅行会社に依頼すれば、「残念ながら、アエロフロートの成田~モスクワ往復は満席です」との返事をもらい、とてもショックをうけたときもありました。
が、フィンランド航空で予約ができました。関西空港~ヘルシンキ~St.Peter.往復です。
招待状をのために、このチケット予約の詳細もSt.Peter.の友人たちに伝えました。私の滞在期間の裏づけとなります。
ヘルシンキ周りSt.Peter.行きは久しぶりの旅程です。はじめてSt.Peter.へ行った時がこの旅程でした。ヘルシンキ国際空港はわかりやすい空港です。明るく、木の床で、静かな空港です。
と、ナント!!ヘルシンキ空港まで迎えにきてくれるようです。ナント!!オレグさんが。
この知らせが届いたとき、うわあ~~~と、声をあげて驚いちゃっいました。
いやあ、今度の旅もきっとおもしろいです。もう、おもしろいことがはじまっています。
2005年12月09日
♪ 3号 ♪ シューラからの手紙
郵便受けに届いた航空郵便。それは見慣れた俳優シューラからの手紙です。
「オオッー」。すぐに封をあけると思い切りキリル文字筆記体。シューラの書き方はとても読みやすくわかりやすいけれど、それでも読み解くのはタイヘンです。「筆記体は書き手の癖をいち早くとらえて、目が慣れること」と以前にロシア語の先生に教えてもらいましたが、なに?全部くっついているし。
では、いまからゆっくり読みます。
☆ 10号 ☆ 「モスクワ郊外のゆうべ」ほか
きょうはロシアとの出会いが3つあった日です。
■名鉄電車の駅でポスターをポワンと見ていたら。
「リトルワールド」のポスターでした。世界のスープのフェステイバル月間です。「世界3大スープの第一はロシアのボルシチ」とあります。うむむむ。
■ご用ではじめてお会いした男性。彼がかばんから取り出したノートがちょっと目に入ったら。
表紙にキリル文字が書かれています。と、「ロシア語を3年ほど習ったのです」とおっしゃってびっくりです。「そうですか。私も……」と言いますと、私以上にビックリ仰天する彼でした。ふふっ。
■夜のNHKラジオをプチッとすると。
流れてくるロシア語版「モスクワ郊外の夕べ」。続いて「ボルガの舟歌」。なかなかステキ。
2005年12月10日
39号 泣ける年末かも
年末は「ことし一年を振り返って」などのテレビ番組や新聞特集がありますが、名古屋地域では当然、万博をはずしての「ことし一年」はありえません。
すでにはじまっていますが、万博の映像などがテレビ画面が流れます。と、泣けてくるのですよね。
そして、私は写真の整理をしています。と、泣けてくるのですよね。胸に溢れるものがいっぱいになります。写真のそのときがあざやかに浮かんできてしまいます。音も光も温度も。
このところこちらに写真を入れておりませんので、後追いですが、入れていきます。ときどき、バックしてみてください。
2005年12月11日
40号 新年お祝いのカードを送る
万博期間中と言っても後半が多かったが、住所を教えていただいたロシア館とウクライナ館の人たちに、やっとカードを書いて送ることができました。14通のカードです。
富士山に登った人には富士山の写真カード、宮島に行った人には宮島風景で、金閣寺を喜んだ人には金閣寺を、と、送る人それぞれを思い浮かべながら、20通以上の日本風カードを買いました。
そして、
Поздравляю с Новым годом и с Рождеством !!
( 新年おめでとう、クリスマスおめでとう )
とそれぞれに書いて、万博で写した写真も1~2枚入れまして、11日投函しました。もっと早く用意して送るべきでしたが。まあいつかはあちらへ着きます。きっと私のことを思い出してくれるでしょう。
2005年12月12日
5号 St.Peter.からの招待状
※※ サンクトペテルブルクと正しく表記すべきですが、ちょっと長いの以後、St.Peter.と表記させていただきます。
きょう我が家の郵便BOXに、国際宅配便のFEDEXの「届けましたがルスでした」カードが入っていました。
おおお!St.Peter.からの私の招待状です。先週7日に「招待状できました。特急便で君の家に送ったよ」とメールが届きました。待っておりました。
前述のとおり、年内のビザ申請の届けについて在日ロシア大使館は、16日金曜日が締め切りです。私の招待状がSt.Peter.から届きしだい、私のパスポートとともに、申請に行かなければばなりません。いつもの旅行会社に代理申請をしてもらいます。なにがなんでも16日には申請窓口に届いていなければなりません。
明日FEDEXから受け取って、すぐに旅行会社に送ります。
ロシア国立民族学博物館に働く3人に心から感謝します。とても忙しいインテリゲンチヤの3人が、きっと連絡をとりあって、私のためにと時間を割いてくださったとは、うれしい限りです。
なんの知恵もない、チッポケナヤポンカ、ロシア語も満足にできない私のために、大奮闘をしてくれました3人へ。ありがとうございます。
ああ、とってもうれしすぎます。こんな幸福、どうしましょうか。
2005年12月13日
☆ 11号 ☆ 朝日新聞元モスクワ支局長にお会いする
夕方突然、「朝日新聞の元モスクワ支局長の話が聞けるよ」と連絡が入る。それはなにをおいても駆けつけて、お話しをききたい。
1978年~83年、1800日間のモスクワ特派員としての新聞記者生活もさることながら、その前に、新聞記者をしながらのロシア語学習と語学留学体験を語られたのはとても興味深いことでした。現在は中部大学国際関係学部教授の高山智(たかやまさとし)さんのお話しです。
「71年朝日新聞の語学留学生制度によって当時の所属部長の推薦で、ソ連へ留学をめざすが、当時のソ連側の交換条件を受け入れることが困難で、ブルガリアでのロシア語学習をめざした。が、手続きに時間がかかり、ユーゴスラビアに3ヶ月住む。やっとブルガリアに入ることができ、国立ソフィア大学で、とても有意義なロシア語学習ができた。9ヶ月間という限られている留学生を個人指導も受けるなど、学ぶ環境はとても良かった」。
そもそも早稲田大学の2外でロシア語を始めて、ロシアにあこがれた青年時代。「シベリア物語」の映画を見て、スターリン礼賛のそれよりもロシアの自然に感銘をうけたのがあこがれの元だったそうです。
内勤の新聞記者となったときに、ロシア語を工夫して勉強をし、経済部記者となって、トクダネ記事も書き、それが語学留学制度の活用に推薦されることとなったそうです。「勉強もさることながら、仕事も一生懸命している」と認められての留学となったそうです。
高山さんが特派員生活を送ったモスクワは、「おもしろい時期だった」そうです。ソ連が硬直・停滞していた時代から、変化の波が激しく押し寄せた時期だった。また、アメリカがカーター大統領からレーガン大統領になり、ソ連を「悪の帝国」と言い、クレムリンの言うことを国民は黙ってきいているだけと、宣伝されたが、モスクワに住んで、取材活動をして、それはちがうとわかる。指導者批判、このままではダメだ、ナントカしなくちゃという人々が動き出した、そういう「おもしろい時期」だったのです。
高山さんは、「ゴルバチョフは突然出現した指導者でなく、すでに70年代から用意されていた」と熱く語りました。
私は思いました。やはりどんな場面でも「用意されたときに先生が表れる」のです。高山さんは、そうおっしゃいませんでしたが、彼のお話しのすべてはまさにそのとおりを語られました。
高山さん、ありがとうございます。とても有意義なお話しを聞くことができました。また次の機会が早く実現することを願っております。
2005年12月15日
6号 いまは暖冬のSt.Peter.らしい
師走の日本は寒い。雪国では、すでに豪雪となっている。日本では、一晩で40~60㎝の雪が降るなんて、St.Peter.やモスクワの人たちは信じられないでしょう、きっと。
その逆で、St.Peter.が暖冬だとは、信じられないでしょう?彼の地のこのところの気温が±0度前後とか。まあなんと暖かいことでしょう。
でも、そのほうが旅人は楽ですが。勝手言えば、雪はそれなりに降って欲しい。それなりの雪景色のSt.Peter.が、見たい。でも、道は凍っていては困るのです。ひとりで歩けない!
2005年12月18日
41号 きょうはオレグさんの誕生日
12月18日は、万博ロシア館の開幕準備からの2ヶ月間、桜と新緑の日本を楽しまれた、オレクさんの誕生日です。サンクトペテルブルク国立民族学博物館のスラブ民族学博士、ロシアのインテリですが、万博でお会いしたオレグさんは、気さくで陽気で、お酒が好きだけれど弱く、何でも知っているけれど時々ちょこっと言い加減(?)を言っちゃう、でもなかなかの好男子です。
いつのことか、どうしてなのか記憶にないのですが、私の手帳の「12月18日」のランには、「Олег Лысенко」と彼の字で書かれてます。「誕生日はいつ?」とでも話したときに手帳にかいてもらったのでしょう。夏のSt.Peter.の旅の帰りぎわ「今度はいつ来るの?僕の誕生日においでよ」。と言ってましたオレグさん。誕生日は過ぎてしまいますが、もうすぐ行きますからね。
オレグさんが大好きなものは「チョコレート」です。
「夜遅く、読んだり書いたりしているとき、チョコレートを食べるととても頭に良い。チョコレートは僕には大事なもの。日本にもチョコレートがたくさんあるからうれしい」。いつもかばんにチョコレートが入っていましたね。
日本での美味しいチョコレートを持って、もうすぐ行きますからね。待っていて。
オレグさんへ、あとで「おめでとう」電話をします。
2005年12月19日
☆ 12号 ☆ 大雪の名古屋から
寒い~、大雪、ナント名古屋では23センチの積雪を記録して58年ぶりの大雪です。
はじめて出かけるモスクワの冬の旅=2001年1月=いったい何を履いて行けば良いのだろうかと思い悩んでいた(?)ときに、日本の雪国の小さな町の靴屋で見つけた、金2千円のブーツ。
寒いモスクワの旅でとても重宝しました。暖かく、軽く汚れも平気でおまけに滑らないブーツ。
それからの毎年のモスクワ他への冬の旅ごとに、トランクに入れて出かけました。でも、このところの暖冬や雪が降っていなくて、旅先では履く機会がなかったブーツ。
きょう、名古屋で出番です。こんな日こそ役立っております。

お住まいのところによっては、まったく珍しくもないでしょうが、雪国名古屋からの写真です。



↓ これは12月18日夕方撮影
2005年12月22日
7号 名古屋で寒さ体験デスカ?
12月となったら、待ってましたというように寒くなった日本列島です。11月には「長い秋」とか「紅葉が遅い」とか言っていのに、どうですか。一気に真冬です。
名古屋は、1947年以来の大雪(18~19日)がまだ消えてもいないのに、同じような雪雲の流れで、22日~23日も大雪となりそうです。いや、すでに大雪です。(ただいま22日22時)。18日よりも積もってしまうのではないかしらと思える降りかたです。
St.Peter.への旅の準備をそろそろはじめますが、毎年1月にモスクワに観劇の旅にでかけているので、もう用意ものんびりと構えています。が、体調管理はとても気をつけています。風邪をひかないように気をつけています。▽人ごみの中にできるかぎり行かない▽マスクを着けて外気刺激を避ける▽うがいに手洗いをこまめに▽暖かくして寒さを避けるようにするなど。しかし、この寒さ……。コワイです。
みなさまもお気をつけてくださいね。
23~25日の3連休、あれやこれやとやっておかなければならないことがあるけれど、どうでしょうか?まずは、明日朝の雪かきです。
2005年12月23日
☆ 13号 ☆ 破れた 靴 !!
雪が降った朝。庭と公道の雪かきをおもしろがってやっていた。☆12号☆でご紹介した、靴を履いて調子に乗って。
と、ジワリと足に冷たさを感じるではありませんか。ハッとして、靴を見ると、甲のあたりに小さな割れ目というか裂け目というか。ほとんど靴箱にいた靴が突然の出番で、それも過激に動き回ることを仰せつかって、破れてしまったのでしょう。足首周りには、ふわふわのあったかボアが貼ってあるので、雪の中でも寒くなんかない、とっても良い靴なのに。
今度のSt.Peter.行きに、出番をもってもらおうと思っていたのですが、遠い国で働く前に、名古屋の雪の中で、そっと生涯を終えたようです。
モスクワの雪の中を何度か歩いた靴です。寒かったけれどとってもきれいなモスクワ、雪景色のクレムリン。ユーゴザーパド劇場にも何回も……、思い出いっぱいの靴です。
足が濡れてもその靴を履いたまま、雪かきやご近所散歩をしていましたら、破れはどんどん大きくなっていきました。
2005年12月24日
42号 なごや民間大使を囲むつどい
万博ロシア館の通路をはさんだ隣りのパビリオンは、ひまわりと風車が太陽に映えるウクライナ館でした。思い出がいっぱいの私のウクライナ館です。
開幕すぐに行った時、まだ展示物もまばらで、レストラン開店もまだまだ未定となっていました。「何時と全てが整うのかしら?」。
ロシア館訪問の前後にいつも寄っていたウクライナ館。行く度に展示も人も充実していくのが、わかりました。若いスタッフが多く、明るい館内でした。
館内の小さい広場では、民族音楽や舞踊のコーナーもありました。レストランも人気でした。そこは9月には、待ち時間が1時間以上となる日もあるほども盛況で、ネットの中でも「美味しい」「懐かしい味」とか、話題になっていました。

私は、万博よりもずっと前、ウクライナ国ハリコフ市からやってきたバレエ団の人たちといっしょに遊んだこともあり、彼らが「私たちはロシア国民ではなく、ウクライナ国民です」と語ったことが強烈な印象となっていました。
それやこれや、ウクライナ国には、とても興味があります。
12月18日の午後、なごや民間大使として10月から活躍の、ベレジヌィイ ビタリーさんのお話しを聞く会に行ってきました。「麦畑と青空の国 ウクライナ」と題し、事前の応募受付で100人限定の集会です。ベレジヌィイさんは、万博ウクライナ館で通訳・アテンダントとしてもご活躍され、館内外でときどきお見受けした青年です。

では、当日配布された資料から、ウクライナについてちょっとお勉強しましょう。
▽面積はヨーロッパではロシアについでの広さ▽人口は4801万人(2004年)▽首都はキエフ▽民族は、ウクライナ人(77.8%)、ロシア人(17.3%)、ベラルーシ人(0.6%)、ユダヤ人など(2001年ウクライナ国勢調査資料)▽宗教はウクライナ正教・ウクライナカトリック教・ロシア正教など▽主要産業は、農業・機械・造船・鉄鋼業など。
ベレジヌィイ民間大使は、ウクライナの景色のスライドを映しながら、流暢な日本語で約1時間、母国をいろいろ紹介してくれました。なかでも、私が興味を持ったのは、言語の話しです。
ソ連から独立して1996年6月に制定されたウクライナ憲法では、国語はウクライナ語と決められているのですが、ロシア語などの使用も自由とされています。ウクライナ語は、ロシア語に比べて古代スラブ語の色彩を残し、ポーランド語と共通する語彙が多いとか。英語も若者達は学んでいます。
多くの国民が、ウクライナ語のほかに他言語を使いこなす人たちです。
万博ウクライナ館でお友たちになったダーシャさんが、ウクライナ語・ロシア語・英語・上手な日本語を使い、「イタリア語も勉強したい」と言い「多くの言葉を学ぶことはとても楽しいから」と言っていたことを、思い出しました。彼女はいまごろ、イタリア語の勉強をはじめていることでしょう。

(ウクライナ館レストランで働いていたダーシャさん)
「ウクライナ観光へおいでください」と、観光地の写真スライドを使いながら、民間大使は、とても誇り高く母国を語りました。
「ロシア発祥の地はウクライナです。古い歴史を持つ教会・宮殿・町と通りなど世界文化遺産ともなっており、ぜひ多くの人たちが訪れてほしいところです」。
ウクライナ国は、EUと隣接し、「EUをおおいに注目している」し、大国ロシアの動向も注視している国です。ウクライナ国がひまわりを国の象徴の花としているのは、「核弾頭が置かれていた場所に、『未来に平和』をの合言葉で植え続けているひまわりです。核の時代を終えてひまわりの花咲く平和をめざすウクライナです」。とべレジヌィイ民間大使は、お話しを締めくくりました。
その後、ウクライナのお菓子と飲み物の紹介・ウクライナ民謡と舞踊の披露もありました。
☆ 14号 ☆ ウクライナの歌と踊りと
12月18日、名古屋市国際センター別棟ホールで開催された、なごや民間大使のウクライナのベレジヌィイ ビタリーさんのお話しを聞く会の後半は、ウクライナ民謡と舞踊が披露されました。
きょう出会った「ロシア」ではないのですが、ロシアにも大きな影響を与えているウクライナの歌と踊りをご紹介します。
民謡などを歌ったグループは、日本ユーラシア協会の会員のなかにある合唱団「ミール」です。「ミール」とはロシア語で「平和」です。ユーラシア諸国の民謡などをできるかぎり原語で歌うという合唱団です。今回、歌ってくださったのは、
「広きドニプロの嵐」「月の明るい夜」「キエフの鳥の歌」「愛おしいお母さん」の4曲です。伴奏と指揮・指導は、名古屋青年合唱団の合唱専門家先生たちが援助しています。(合唱団員募集中です)。
民族衣装=これはロシア民族のものですが=を着て、とても楽しそうに歌っています。男声の高低が音域ぐっとを広げて合唱の表情が豊かになります。

舞踊は、ウクライナからの留学生おふたりが、とても表現力豊かに踊ります。アンドリーさんとオレーナさんです。男性は勇敢な力強さを現し、女性はしなやかな美しさを現しています。
大阪からかけつけてみえたのは、趣味でフォークダンスを踊っているという竹山ご夫妻です。ウクライナ女性のシンボル花の輪を髪に飾り、若さの象徴の赤い刺繍のブラウスとスカートで軽やかに踊ります。

ウクライナといえば、コサックダンスです。14~16世紀に生まれたコサック集団の男たちが、勇ましく力強く強靭で柔軟な身体を使い、誇り高く舞い上げるコサックダンス。ヨッパの男たちが祝宴の騒ぎの中で踊りまくったので、本当は大勢の男たちで見せて欲しいのですが、きょうは名古屋の吉田さんが全男性を代表して勇ましく踊りました。
(動きが激しくって写した写真はどれもボケボケでした。ごめんなさい)
そして、最後には参加者の多くが輪になって、踊ります。簡単なリズムとステップで全員があっと言うまにひとつの大きな輪ができました。

コサックダンスを踊った吉田さんは「ダンスはみんなすぐに友達になります。どんなところでもいつでも、みんなと踊りましょう。世界交流がとても楽しいものだと、私たちは愛知万博で学びました。これからもいろんなところで踊りましょう!!」と、おっしゃいました。そのとおりです。
外は、雪が降っている、とてもウクライナな日でした。みなさん、ありがとうございます。
♪ 5号 ♪ 演出学課 クラスメート
ロシア演劇の俳優たちも、向学心のかたまりの人たちです。「もっと巧くなりたい。もっと極めたい」。そのためにはどうしたら良いのかを、いつも学んでいる人たちです。ロシア国のほとんどの俳優たちは、厳しい演劇大学を卒業し、舞台活動は、毎日毎日が稽古と実践の日々です。
垣間見るシューラの生活も、舞台が中心で家族といっしょに遊びに出るなどは、夏休みくらいと言っています。毎日午後7時からの舞台を終えて帰宅するのは深夜。それからきょうの一日に区切りをつけて遅い夕食、そして明日の準備、せりふ覚えや創造の時間……。翌朝は、起きてすぐに大学へ。いま、彼は演出学課の学生ですから、厳しい課題をこなしています。その合間には、他の仕事などもこなします。おお、なんと多忙なことでしょうか。
担当教授は、彼らの劇団、ユーゴザーパド劇場の主宰・演出家のワレリー ベリャーコビッチ氏です。ベリャーコビッチ氏も超多忙。演出家・脚本家・大学教授・俳優といくつも肩書きを持つ、エネルギッシュで魅惑的な人です。シューラが心から尊敬しているベリャーコビッチ氏。彼に教えられる幸運、それをとても喜んでいます。

(ユーゴザーパド劇場HPより、許可済み転載写真です)
演劇大学演出学課担当ベリャーコビッチ教授クラス写真です。真ん中の下の緑シャツが、シューラです。
さて、この写真から、あなたはどんな物語を思い浮かべますか?どんな場面でしょうか?俳優は何を現していますか?ひとりずつの性格までわかりますか?
そんなことを多いに想像するのが演劇です。答えはいくとおりもあって、見る側の想像はとても自由です。心を豊かにしれくます。楽しい遊びです。
想像させてくれないような芝居は、もう芝居ではありません。創造をさえぎる芝居ほどつまらないものはありません。観客を遊ばしてくれないなんて、ツマラナイ。
ユーゴザーパド劇場来日公演舞台=「マクベス」と「巨匠とマルガリータ」を観て、大いなる想像の世界で遊びましょう。そして、それはきっとわたしたちのこれからの人生をゆたかにさせてくれるでしょう。
43号 着物で行きたかった万博
寒い。こんな寒い日に、万博の記録映像をテレビで見ていた。ああ、あのころは暑かったのだ。暑くって、Tシャツによれよれパンツと運動靴がいつもの万博スタイルだった。暑い、歩く、どこにも座れる、混雑で汚れても平気、となると、毎回同じスタイルとなっていった。なによりもあの頃は暑かったのだった。
まだ万博が始まったばかりのころ、ロシア館に親子で着物姿の美しいおふたりが見えて、展示品を見ていらしゃったら、当時いたオレクさんが、得意の笑顔で彼女たちに近づき、記念写真をいっしょに写していた。と、通訳のコースチャもやってきて「着物の人と写真を写したい」と、かわるがわる写真を写しあっていた。彼らも彼女達もうれしそうだった。
それを見ていて、「きっと私も着物すがたで万博へ来て、みんなに見せましょ!!」と思っていた。が、結局、暑さや混雑で、着物での万博行きは実現できなかった。
あれよあれよと暑くなり、では、少しは涼しくなるころには非常な混雑で着物で歩く勇気がなかった。
が、着物で万博を歩いた人の楽しいブログを読むと、うらやましい。もうどうしようもないことだけれど。会場内でも真夏用着物で颯爽と歩く人たちはいく人がお見かけしたのですが、私はそうはなれなかったのでした。ああ。
8号 着物を持っていこうかな?
出発まであと少し。そろそろ本格的に用意をしましょう。
いま、迷っていることがあります。着物を持っていくべきかと。
これまでも着物で、赤の広場に立ち、クレムリンを歩き、ユーゴザーパド劇場とフォメンコ劇場にも、サンクトペテルブルクでは、エルミタージュ美術館やマリンスキー劇場へも行った事があるけれど、着物の着付けができる人がいつもそばにいたから、持って行っても簡単に着ることができた。
時間がかかっても、ひとりでなんとか着ることはできるだろうが、鏡があるだろうか。それが気になるところ。全身が映る鏡があり裾あわせを見ることができなければ、とても着ることはできないし…。
ジィーマさんが「着物でエルミタージュ美術館を歩いたことがあるって?へえ、僕も見たかった」。だからホントはお見せしたいのですが。
ずっと考え中です。
2005年12月25日
9号 おみやげ用意完了!
やっと寒気団が名古屋からはずれてくれたのだろう、穏やかな日曜日です。寒いけれど、これまでのことを思えば暖かく感じます。
St.Peter.へのおみやげは、きょうすべて用意できました。あとは、トランクに詰めて、OKですが。
民族学者たちに日本のお正月を伝えることが、今回の旅の目的のひとつです。
きょうからは、ロシア語で、日本の正月をどう伝えるのか、さあ勉強します。
44号 「 Merry EXPO 」
万博の各種記録本が名古屋の本屋では平積みで、どんどん売れていっています。
きょう、その中のひとつ、話題の本「Merry EXPO・Book of global exchenge 」=表紙はダンボールをリサイクルした手製本=1500円を買いました。
「あなたにとってしあわせとはなにですか?」と、世界23カ国で問い、その笑顔とメッセージを集めた本です。肌のいろも髪のいろもさまざまな子どもたちの笑顔が、とっても素晴らしい。そして、「しあわせ」が母国語で書かれています。
愛知万博・Merry EXPO についてはここをクリックしてください。
У меня сегодня день рождения ! Вот и все. (ロシアのこども)
きょうは誕生日!それがすべてよ。
世界のこどもたちに、穏やかな年末と、ことしよりももっとすてきな新しい年がやってきますように、と、この本からあふれる笑顔を見ながら、願っています。
2005年12月30日
45号 良い一年でした。来年も!!
すごく忙しい。毎年いまごろ思うことは、年末の掃除は早くかかるべし。なのに、ことしも、ああ、なんたることか……。実は、旅の準備はまだなんです。あれこれは、トランクの周りにあるのですが、トランクに入れるのが、苦手なので、まだ。
でも、大掃除していると発見もあるのですねえ。買い置いていたグルジアワイン発見。「きゃあ~ワイン発見!ワインだ!ワインだ!!」と騒いだ声は隣りの家にまる聞こえだったと思う。お互いに、まど開けっ放して掃除していたから。暖かくって良かったから、掃除もはかどるでしょう。だから今夜はこれで酔いますゾ。で、酔いながら旅の用意をします。
みなさまありがとうございます。
いろいろお世話になりました。
ちょこっとだけお世話させていただきました。
みんな楽しかった。
良い一年でした。
来年ももっと楽しく生きましょうね。ありがとうございます。