2005年10月03日
4号 万博の人々 1 インタビュー
===この号から、万博で出会った人々をご紹介いたします。まず1番に登場していただくのは、ロシア館通訳 ピョートルさんです===

ピョートル ドボルヤンキン さん
はじめて彼にお会いしたのは、まだまだ静かだったころの万博、ウクライナ館でおみかけいたしました。日本語を話しているので、てっきりウクライナ館の通訳さんと思ったのです。
私が当時ロシア館に通っていたのはオレクさんに会うためでしたが、オレクさんとは反対番だったようで、ほとんど館内でおみかけしたことはありませんでした。
第1回目のフットサル大会の会場でお会いしたのです。そのとき彼が私の名を知っていたのに驚き、私はまだ、「ウクライナ館の人が応援に来たのね」と思い込んでいたのです。でも、どうも、ロシア館のみんなととても仲良しなので、ああ、ロシア館の通訳さんとわかりました。オレグさんにそっと彼のことをお聞きしたのです。
館内でお会いする機会も少なく、しっかりとお話したり、どこかへいっしょに出かけるなどの機会もなかったのですが、お会いすればいつも声をかけてくださり、いつも優しくしてくださったピョートルさんです。
ある日、「お茶をいかがですか?」と、休憩室で私に紅茶を入れてくださるそうです。「ええー喜んでいただきます」と喜ぶ私です。
と、ピョートルさん、「もう友だちだから、これで良いでしょ?」
これ、とは、彼が入れたあとの2番煎じの紅茶パックです。「あのう、私は濃い紅茶が好きです。それに友だちだからって、それはいやです」と、はっきり申し上げましたら、にこっと笑って新しい紅茶パックで入れてくださいましたね。「友だち」と呼んでくださったのは、とてもうれしかったのですが。
もう閉幕まじかの21日、彼とお話しする機会がありました。
◇なぜ日本語を勉強しているのですか?
大学ではじめて日本語を知って、6年間勉強しています。日本語を勉強する場所があったから日本語を知ったのです。
◇日本へは、このEXPOがはじめてですか?
いいえ、2002年から03年1年間留学していました。だから今回は2回目です。
◇では日本人と日本語を、より学ばれましたね。
ええ、日本人は言葉と態度が同じに出るということが、わかりました。「ああ、びっくりした」と言うときは、本当にビックリした顔をして身振りもそうしますね。おもしろいことです。
◇EXPO会場で見た日本人はいかがでしたか?
どうしてみんな、こんなにスタンプに興味をしめているのでしょうか?ぼくはわかりません。日本人、スタンプが好きなのですね。どうしてなのかしら?不思議です。
◇もうすぐEXPOも終わりますが、いまのお気持ちは?帰りたいですか?
帰りたいと、帰りたくないが、混ざっているような……。モスクワ大学の大学院で日本国際経済関係のテーマでレポートを書く予定です。まだ、日本で勉強したいです。いろんな人に会いたいのですが。
モスクワにいる両親にも早く会いたいですが、勉強ももっとしたいと、いま思っています。
◇最後に、EXPOで知った日本語はありますか?
「ありがちょう」って言うのですね。「ありがとう」の変化ですか?(笑)
ピョートルさんは、9月29日早朝、中部空港から、中国へ向かいました。中国を「ちょっと見てきます」とのことでした。また、お会いしましょうね。
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マーミンカさん、久々の書き込みです。
人物紹介のシリーズとのことですから、それに合わせて私の交流体験を書き込みたいと思います。
ピョートル君とは開幕直前の3月23日に初顔合わせでした。急遽決まったロシア館での仕事の初日に、通訳の1人として紹介されたのですが、その際のとても親しみやすい笑顔を覚えています。
当初は展示の日本語表記が間に合わず、開幕後しばらくの間は彼をはじめ通訳の方々の翻訳を、より滑らかな日本語にする作業を手伝ったりしました。技術的な知識や専門用語を伴う翻訳は、彼らをもってしても大変だったようで、たまたま私が過去に学んでいたことが思いのほか役立ったみたいです。結果、短期間にかなり親しくなれました。そして今思えば、入場者が非常に少なかったから出来たことで、閉幕直前のような状況だったとしたらそんな余裕はなかったし、彼らとの距離も開いていたままだったろうと思います。
そういえば確か4月14日だったと思いますが、ピョートル君他2名のスタッフと一緒に天ぷらを食べ、その後温泉(健康センターですが)へ行ったことがありました。彼らには新鮮な体験だったろうし、私にとっても実に面白い体験でした。その後、彼らだけでも何度か温泉へ行っていたようです。また、彼は7月6日に伊賀忍者屋敷へ一緒に出かけたメンバーの1人でもあります。そんなこんなで、ロシア館のスタッフの中でもかなり親しく交流できた1人でありました。もっとも私の場合ロシア語ができないので、自ずと日本語のできるスタッフ(≒通訳)に偏ってはいましたけれども。