2005年10月01日
2号 ロシア語を学ぼう
私はロシア語が話せません。せいぜい知っている単語を並べて身振り手振りで会話?をしているようなものです。彼らが私にゆっくりと簡単なロシア語で話し掛けてくれれば、わかるときもあるがわからない時もある。ロシア語文字は?読むことはできるけれど、発音はダメですね。
ロシア語の専門教育を受けたこともなく、ここ3年ほどロシア語教室に通うも、まじめな受講生ではない。英語もできません。
そんな私が、日本語できないロシア人を連れて、京都や奈良などあちこち行ったし、いっしょに食べたし飲んだし…。もっと言えば、モスクワやサンクトをひとり旅したのです。
これは、優しく穏やかで耳の良いロシア人たちとめぐり合ってきたからです。私の下手なロシア語を聞いてくれようとしているからです。そして、いつも私を励ましてくれるからです。
きっと万博での世界大交流で、ロシア国とロシア語に出会った人たちも多いことと思います。ご存知のとおり、都市部では、英会話教室というのは、乱立していますね。イタリア語も人気、最近は韓国語、中国語も人気です。フランス語・ドイツ語・スペイン語教室も数は少ないものの、ときどき目につきます。
ロシア語は?
名古屋では、ある文化教室が「ロシア語初級講座」を開設したものの受講生が集まらず、開講できなかったこともあります。先生がいても生徒が集まらないロシア語……。
名古屋で唯一長い歴史をもつロシア語教室は、日本ユーラシア協会でのロシア語教室です。この10月から159期がはじまります。まったくロシア語はじめての人から、ロシア文学をロシア語で読む教室などレベルに合わせていくつもあります。
秋10月、新しく勉強をはじめるのにはふさわしい時期です。万博も終わったこの機会にぜひロシア語を学びましょう。
ユーラシア協会は万博ロシア館とも友情を高めてきました。
会場外での交流会をしたり、ロシア館見学会、ロシア語サロンにロシア館スタッフがゲスト出演したりなど楽しい万博生活でした。
ユーラシアとは、ソ連時代にソ連国を名乗っていた国々とも交流する団体です。だからロシア国だけではなく、ウクライナ・グルジア・アルメニア・リトアニアなどとも、万博では交流があった団体です。
日本ユーラシア協会愛知県連合会
電話 052-454-3693
【 39号 】 ノブゴロドは京都のような町らしい
※ サンクトペテルブルク早朝発の古都ノブゴロド行きバスに乗ったままでした。ごめんなさい。さあ、出発します ※
~~~~ 8月5日 曇り→雨→晴れ ペテルーー→ノブゴロドへ ~~~~
バスの旅3時間、最初聞いた時はちょっとひるんでしまった。なかなか辛そうではないかと。
が、最初に言ってしまうが、予想に反して快適でした。
定刻に発車したバス、私は窓側に、隣りにはオレクさん、通路をはさんでむこうにレナが座ります。一目で観光客という人もいますが、地元の人たちも乗っています。
決して悪い道ではないのですが、決してステキな乗り心地とはいえない揺れです。車内は冷房も入っています、寒いってほどではないけれど半そでシャツではちょっと寒いような。でも、隣りの半そでシャツのオレクは元気いっぱいです。
彼は日本で万博で、出会ったときからいつもニコニコとしているステキな人です。いつも何でも答えてくれる知性のかたまりでフットワークも軽く、おしゃれでお髭の手入れも行き届いている人です。バスの中で彼は私に、いろいろなことを教えてくれます。日本語はできません。英語も機嫌の良いときは話していますが、得意はロシア語。ほかにウクライナ語やポーランド語やリトアニア語のよう、彼の専門はスラブ民族学ですから。
まずはいまから行くノブゴロドについて教えてくれます。古代ロシア都市の内域(=ДЕТИНЕЦ)の町、ラドガ湖に面し、クレムリンと古い教会がある静かな町とのことです。「日本の京都だよ」。古くキリスト教が伝わった町でもあるそうです。どんな町なのでしょう。私はショートケーキ教会に会えることだけを考えていましたが、彼らは私をあちこちに連れて行きたいようです。私、幸せものですね。
ペテルを出てすぐですが、日本のトヨタの工場が出来る町= ШУШАРЫ を通ります。「ここでトヨタが車を造る。トヨタの車ばかりが走るかな」とオレク。彼は日本でたしかトヨタ工場の見学に行っていると思うが、あまり車の話は聞いていない。私も興味がないから聞かなかったけれど。車窓からみた、工場が出来る町は、まだ広い広い平野でトヨタがやってくると風景は一変するのだろう。
私たちはバスの後ろの方の席なので、前の人たちの頭が多く見えます。あらためていろいろな髪の色があるのだなあと、私は関心しています。すぐ前に座っている女性は、茶色+金色が光っている髪色、そうシューラもこの髪色だ。オレクに聞いてみる。「この色はなんと言う色ですか?」彼の答えは、もちろんロシア語ちからのない私へ、簡単に「ロシア人の髪色だよ。Русый とロシア語では言う」。
その隣りの女性の髪色は、「Рыжий イギリス人の髪色だよ」。(ところがいまその色がどんな色なのか私の記憶にない……。)
生まれた赤ちゃんが、男の子か女の子か髪色と目の色がどんなか、が一番に伝えられ、私たちのように男の子か女の子かだけの簡単なことではすまない、ここはそんなところなのです。
バスの外はいよいよ雨が降ってきて気温も下がってきました。長袖薄手上着を着てはいるけれど、これはちょっと寒くなるかな?イヤだなあ。
途中、トイレ休憩に寄る。有料トイレは女性用が1個しかなく、ちょうどいっしょに到着した中国語(と思うが)圏の女性たちといっしょになって混雑している。レナは私の面倒をとってもみてくれる、子どもをトイレに連れて行くようにして、ドアをあけて、紙のありか流し取っ手のありかも先に教えてくれるのです。なんとも優しいレナでしょう。
トイレの混雑で、外の景色とか深呼吸をする間もなくバスに乗りました。あと少しでノブゴロドです。
3号 万博 日焼け・ファッション・貧乏……
久しぶりに家にいる休日です。
いま名古屋の町の人々の会話は、「万博何回行ったの?」「トヨタ館へ行ったかい?」「万博終わって寂しくなったね」など、万博話題です。テレビでも各局が、総集編みたいなのを放送しています。見ながらちょっと悲しくなります。いろんなドラマがこの万博で生まれましたね。いろんなことがありました。
さて、私の顔は、日焼けて汚い顔です。夏の暑いとき汗っかきの私は、お化粧なんて流されてしまいほとんどスッピンで日焼け対策も追いつかなかったのです。そんな状態で会場内を歩き回ったり、並んでいたりしていました。日傘は人が多いところでは危なくて、後半は使いませんでした。帽子も汗で汚れてしまうので被りませんでした。
だから、いま、真っ黒な顔です。万博日焼けです。

万博ファッションという言葉も生まれました。なにしろ歩く万博です。歩きやすくどこにでも座れるファッションの人が多かったです。
多くの女性たちは、ズック靴にGパンや綿パンというパンツスタイル、Tシャツです。かばん類は肩に斜めがけで、歩き回ります。男性も同じく歩きやすき涼しいスタイルでした。
だから、スーツ姿とかワンピースにヒール靴で歩いているとかものすっごく目立つのです。「出演者かな?」「仕事で万博へ来た人たちでしょうね」とわかります。
夕方は「仕事帰りの万博」という人たちもいました。すぐにそれとわかります。男性はスーツのネクタイをゆるめて、女性は、かばんを手にかけて足元がミュールとか、ですから。
私は春先、まだ万博へ行くとは思ってもいなかったころ、1足のズック靴を買いました。とても歩き安くて重宝しております。万博以外もこの靴で歩き回りました。伊勢・奈良・京都・金毘羅さんなど。お疲れさま、愛用のズック靴に感謝です。
そして、わが経済状況は、万博貧乏となりました。これから財布も紐を締めるというか、財布の口をあけない作戦にでます。
交通費往復バスは、1500円、40回乗ったとして60,000円。会場内で飲んだビール、500円~1,000円をざっとで、15,000円以上か。ソフトクリームは300円、疲れたときにとっても美味でした。
ペットボトル持込禁止で、場内販売では1本150円。暑い時は飲まないわけにはいかない。
食事は、いろいろだったが、出費はあったのは確か。おみやげ類はほとんど買わなかったハズだが、やはりいろいろ買っているのは、積まれた万博関係もので、わかる。
さあ、肌の色を元に戻し、ちょっとシックな装いに心がけ、動き回らずに、静かに秋から冬を迎えようと思っては、いる。いまのところ。
【 40号 】 古い町の 花嫁と花婿と
~~~8月5日 ノブゴロド市にて 雨模様 ~~~~
ちょうど3時間、予定とおり10時30分にバスはノブゴロドバスターミナルに到着しました。すぐにオレクはどこかへ走っていきました。私が知らなかっただけですが、帰りの切符を買いに走ったのです。レナは私に言います。「彼は少年のようでしょ。もう長い付き合いよ。とっても良い仲間です。おしゃべりで若い女性たちに人気者よ。いま、日本へ行っているジィーマも人気者よ。ジィーマは日本で元気にやっているかしら?」。
レナが3月に電話をかけてきてくれたときも、「オレクも行くけれど、ジィーマも行くからね。ジィーマはいい人よ」と話していたのが印象に残っているが、ここでもまたジィーマ、ジィーマと言っているレナさんです。たしかレナの次男の名もジィーマさんです。
「帰りは午後8時10分発だよ。さあ、クレムリンへ歩こう」。雨模様だけれど、小雨が降ったりやんだりで、いまのところ傘がいるほどではない。
バスセンターから鉄道の駅前広場を通り住宅街へ。すぐにレナが「この店に寄りたい」と言う。そこは手編みの女性服を扱うお店です。小さいけれどセンスの良い手編み服と夏用のブラウスやTシャツも売っている。レナは手編み製品に興味があるようです。私は、ここで1枚の七部袖Tシャツを買いました。505ルーブル(2,000円ちょっと)のそれは、ロシア製ではないことは記憶している。財布に500ルーブル札はあったが、小銭の5ルーブルはオレクが支払ってくれました。ありがとう。

それほど寒くは感じないが、いままでのロシアの旅で経験しているが、急に気温が下がることもある。寒い思いはしたくない。寒くなったら、さっき買ったTシャツを着れば良い。
茶色の壁に囲まれたクレムリンのそばまで来たら、オレクは「名古屋城に似ているでしょ。僕は名古屋城と同じと思うよ」とレナにちょっと自慢ぽく言っている。レナだって日本へ行きたくってたまらないのに、オレクとレナはとっても仲良しの同僚とわかります。かなり言いたいことを言い合っている雰囲気です。
クレムリンの中は、広く静かで観光客も多くいます。木々の緑が美しく、穏やかな気が流れているノブゴロドで一番古い場所とオレクは言います。途中、「ロシア1000年記念碑」(この日本語呼び方は後日見た『地球の歩き方』誌から借用)をオレク博士から教えていただく。
「ロシアの歴史です。歴史は時計回りに動くから時計回りで見なさい」。地球を模したのか円を中心にロシアの英雄達が並んでいる。ロシア史を知っているとものすごく面白いものだろう。誰が誰かなのか、無知な私は知らないが、その銅像に著わされた人物表現がとても素晴らしいものです。レナは、だれもが「生きていたときそのままよ」と言うので、「どうしてわかるのか?」と問えば、「歴史のなかに残っている彼らの仕事ぶりを調べてここにあるのよ」。支配者、軍人、宗教者、文学者、医者らと分かる人々。
そして、私は日本で、もし、こんなのを造るとしたら誰に登場していただきますか?と、考えた。

ソフィア聖堂へと向かう途中結婚式の後の記念撮影中グループに出会い、そのひとりから「シャッターを押してください」と頼まれる。
可愛いお嫁さん、ドレスも可愛い。お婿さん、若い。すぐにわかる彼らのパパとママたち、とてもうれしそう。そして、ちょっとおしゃれはしているが、それぞれ自由な服装の若い親戚や仲間たち。何枚も写真を写す。
私が日本人でこの写真を日本で見せることを伝えたら、突然仲間のなかから日本語が聞こえてきて驚いた。「こんにちは。ありがとうございます。日本へ僕も行きたいです」。
「まあ、日本語お上手ですね。どうして?」
「ぼく、空手やりますから」。おおお、そうですか。
オレクが「僕、日本へ行っていたよ。EXPOだよ」などと話すとその若者は驚いてオレクと握手をしている。

花嫁のパパが私に握手を求めてきた。とてもうれしそうです。日本語で「おめでとうございます」と言えば、パパはさらにうれしそうにしています。
そんなまわりの様子など関係なく、花嫁と花婿は抱き合ってキッスをしまくっておりました。
2005年10月03日
4号 万博の人々 1 インタビュー
===この号から、万博で出会った人々をご紹介いたします。まず1番に登場していただくのは、ロシア館通訳 ピョートルさんです===

ピョートル ドボルヤンキン さん
はじめて彼にお会いしたのは、まだまだ静かだったころの万博、ウクライナ館でおみかけいたしました。日本語を話しているので、てっきりウクライナ館の通訳さんと思ったのです。
私が当時ロシア館に通っていたのはオレクさんに会うためでしたが、オレクさんとは反対番だったようで、ほとんど館内でおみかけしたことはありませんでした。
第1回目のフットサル大会の会場でお会いしたのです。そのとき彼が私の名を知っていたのに驚き、私はまだ、「ウクライナ館の人が応援に来たのね」と思い込んでいたのです。でも、どうも、ロシア館のみんなととても仲良しなので、ああ、ロシア館の通訳さんとわかりました。オレグさんにそっと彼のことをお聞きしたのです。
館内でお会いする機会も少なく、しっかりとお話したり、どこかへいっしょに出かけるなどの機会もなかったのですが、お会いすればいつも声をかけてくださり、いつも優しくしてくださったピョートルさんです。
ある日、「お茶をいかがですか?」と、休憩室で私に紅茶を入れてくださるそうです。「ええー喜んでいただきます」と喜ぶ私です。
と、ピョートルさん、「もう友だちだから、これで良いでしょ?」
これ、とは、彼が入れたあとの2番煎じの紅茶パックです。「あのう、私は濃い紅茶が好きです。それに友だちだからって、それはいやです」と、はっきり申し上げましたら、にこっと笑って新しい紅茶パックで入れてくださいましたね。「友だち」と呼んでくださったのは、とてもうれしかったのですが。
もう閉幕まじかの21日、彼とお話しする機会がありました。
◇なぜ日本語を勉強しているのですか?
大学ではじめて日本語を知って、6年間勉強しています。日本語を勉強する場所があったから日本語を知ったのです。
◇日本へは、このEXPOがはじめてですか?
いいえ、2002年から03年1年間留学していました。だから今回は2回目です。
◇では日本人と日本語を、より学ばれましたね。
ええ、日本人は言葉と態度が同じに出るということが、わかりました。「ああ、びっくりした」と言うときは、本当にビックリした顔をして身振りもそうしますね。おもしろいことです。
◇EXPO会場で見た日本人はいかがでしたか?
どうしてみんな、こんなにスタンプに興味をしめているのでしょうか?ぼくはわかりません。日本人、スタンプが好きなのですね。どうしてなのかしら?不思議です。
◇もうすぐEXPOも終わりますが、いまのお気持ちは?帰りたいですか?
帰りたいと、帰りたくないが、混ざっているような……。モスクワ大学の大学院で日本国際経済関係のテーマでレポートを書く予定です。まだ、日本で勉強したいです。いろんな人に会いたいのですが。
モスクワにいる両親にも早く会いたいですが、勉強ももっとしたいと、いま思っています。
◇最後に、EXPOで知った日本語はありますか?
「ありがちょう」って言うのですね。「ありがとう」の変化ですか?(笑)
ピョートルさんは、9月29日早朝、中部空港から、中国へ向かいました。中国を「ちょっと見てきます」とのことでした。また、お会いしましょうね。
5号 万博の人々 2 インタビュー
良い人です。大きな身体で、みんなからマンモスリョーシャと呼ばれている、クルトイ アレクセイさん (愛称はアリョーシャ)は、モスクワからロシア館の人気者マンモスとともに日本へやってきました。良い人です。

はじめてお会いしたのは、4月なかばごろだったでしょうか?
ロシア館のマンモスは当初は牙にさわってもよかったのですよ。ところが、人気であまりにも多くの人が激しく触るので、とうとう囲いができて触れなくなってしまいました。当時、ちょっとご機嫌だったオレグさんが、お客に牙を触らせようとして柵をはずしてしまい、担当のアリョーシャに怒られていました。それを見ていた私は、アリョーシャさん(その時は名前を知らない)が、きりりと恐い顔をしてマンモスをとても大事に守っていることがわかりました。

その後、オレグさんと名古屋市内見学に出かけるとき、オレグさんが「いっしょに行きたい人がいるのだけれど、良いかな?マンモス担当のアリョーシャだよ」と、3人で名古屋の町を歩きました。
海へも行きました。と、言っても彼が望んだ砂浜ではない岩場の海へ連れて行った私を、ちょっときつくにらんでいたアリョーシャでしたね。歩いて砂浜へ移動したらご機嫌でした。
ロシア館でお会いすれば必ずとても丁寧なあいさつをしてくださって恐縮していた私です。「モスクワに行ったら必ず『全ロシア展覧会センター』へ行きなさい。そこにある『マンモス展示場』は面白よ。」と、私がモスクワに行く前に地図をくれました。彼のすすめでそこへ行くつもりでしたが時間がなかった。
でも、今度はぜひ行きたいです。
9月のはじめ、彼にインタビューしました。
◇日本に住んでいかがですか?
4ヵ月半の日本生活です。とても良いところです。きれいですね。みんな優しいし、とても気に入っているよ。
◇休日には、日本各地へ行かれましたね?
若狭の海がとても良かった。きれいで気持ちがいい所だった。富士山にも登ったよ。広島から宮島にも行った。海はもう何回も行ったよ。

◇もうすぐモスクワに戻るでしょ。モスクワで何を1番にしたいですか?
ロシア式のお風呂に入りたいなあ。白いきのこ料理が食べたいなあ。
◇万博では、マンモスが人気ですが、マンモス人気についてどう思われますか?
マンモスラボの冷凍マンモスは写真を写してはだめ。ゆっくり見るのもできないが、ここロシア館では、ゆっくり見ても良いし、写真も良いから人気があってうれしい。マンモスは、100%みんなの話題になると思っていたよ。
◇マンモスを宣伝する仕事ですね?
宣伝するというか、マンモスで商売をするのです。マンモスをモスクワの展示場に置いているだけではダメです。もっと各国へ展示してほしい、新聞や本に掲載して欲しいなどと、マンモスの売り込みが仕事です。ソ連時代にはない仕事ですね。
今回日本でたくさんの新聞に掲載されたことは、とてもうれしいことです。
◇では、そんな日本で、このEXPOで覚えた日本語を教えてください。
「ありがとうございます」「ちょっと来てください」「おしてください」「お入りください」「やめてください」「わたし」「はい、どうぞ」「同じです」など、ロシア館の受付けやマンモスの管理をしていて覚えました。
◇日本は暑いでしょ?
(笑いながら) こんなに暑いのにみんな仕事しているのですね?海へ行けば良いのに……。
アリョーシャは、私にウオッカの飲み方を教えてくれた二人目の人です。彼の指導のもと美味しいウオッカを知りました。ありがとう!!
アリョーシャはとっても料理が上手いのです。日本の食材を駆使して立派なロシア料理をさっと作ってみなを大喜びさせているそうです。ある日、彼らの宿舎で、アリョーシャの料理をいただき感動してしまいました。もちろん、ウオッカもありました。(酔)

リョーシャ! また、ぜひ、いっしょにウオットカを飲みましょうね
2005年10月05日
【 41号 】 ソフィア聖堂で学ぶ
~~~~~8月5日 ノブゴロドにて 雨もよう ~~~~
雨はちょっと遠のいているようで、その間に「上から街と教会を見ようよ」とオレクに手を引っ張られるように鐘撞堂の上にあがる。さきほどの花嫁達が写真を写していた建物が鐘撞堂です。下ではまた違うカップルたちが写真を写している。
急な階段を上がったところに小さな売店があり、そこが入場券販売所のよう。オレクもレナも、赤い手帳を見せると受付の美人!!の女性はにっこりと笑って、私たちはもっと上がっていった。
小さな場所と風の強さに驚き、でも、不思議なことに、建物の角をまがり方角を変えると風は穏やかになるのです。いまから行こうとしている、ソフィア聖堂を見る。オレクは「素晴らしいでしょ?」と私に問うのですが、ちょっと私にはわからないのです。
教会の美しさというか、偉大さというか、歴史というか、価値というか、そういうものがわからず残念ですが、心に響くそのままを素直に受け止めるのですが、まだ、私には離れたところにある教会からの気を受けとめることはできない。
どこかから甘い香りが風に乗ってやってくる。どこかから鳥の鳴き声が聞こえる。向うに見える河の美しさ。河の向うにも教会群があるし、ずっとむこうにも教会の尖塔が見える。

下りてソフィア聖堂に入る。私は帽子を被っているのでそのまま、レナはスカーフを被る。もちろんオレクは脱帽(もともと被っていないけれど)、それが大事なマナーです。静かに、静かに。
教会の中は、美しいアカペラ聖歌が響き渡り、厳かに婚姻の儀式が行われいます。イコンに囲まれて私たちは、黙ってみています。


オレクは私を教会の上階へと連れて行ってくれます。そこは、静かで人もいない教会図書館のある階です。図書館は閉まっていますが、堂内へのドアをあけると、下で行われている結婚式の様子こそ見えないのですが声が響き渡ります。教会の天井画がとっても美しく見ほれます。
オレク博士はスラブ学の専門家ですから、彼に教えていただきましょう。キリスト教がロシアに伝わってきた歴史を、彼は情熱的に語ってくれました。と、言っても聞く私のロシア語ちからがないので、とって残念なのですが、そこは偉大なるオレク博士です。私の持っているノートに書き込んだり、ロシア語辞典を引いたりし、優しい言葉を選んで話してくれます。
ギリシアで生まれた正教がトルコ→イスタンブール→キエフに伝わり、988年ウラジミール公が国教としてキリスト教文化がますます広まっていった。ノブゴロドは、それ以前の862年に生まれた町で、バリャーク(スカンジナビアから東欧へ移動していた人たち=このあたりがオレク博士の専門研究分野らしい)たちの交易路の重要な町となって、キエフからのキリスト文化も早く盛大に根付いていった町だそうです。ちなみにモスクワは1271年にできた“新しい街”だそうです。
ウクライナのキエフに1037年に出来たソフィア聖堂の後に続くように、1050年に建てられたノブゴロドのソフィア聖堂はビザンチン様式の教会です。当時のまま建物は残っているものの、ソ連という時代に教会は物置とか武器庫とか荒れ果てたままの時代があった証拠がいまも残っている。このソフィア聖堂の中には、まだ書かれて新しい絵もあれば、これから修復にかかるのだろうものもあった。
オレク博士の講義はとっても魅力的で、私はずっと聞いていたいし、もっと教えて欲しい。が、その前にロシア語ちからがなければならない。口惜しい。熱く語るオレク博士は、またどうしてこんなに分かりやすく話してくれるのでしょうか。万博ロシア館で館内展示物の説明も、やさしく丁寧に説明をしてくれました。やはり人気の博士です。
もっと教会内部を見たかったが、きょうは結婚式の多い日のようで、大勢の人で教会は混雑しています。私たちは、外へ出ました。雨がちょっと降ってきました。
オレクは「たしかレストランがここにあるから、行こう。あれ?どこだったかな?ちょっと聞いてくるよ」と雨の中をどこかへ走っていった。レナは、「オレクは少年のように走るのよ」と笑っている。
オレクが戻ってきて、雨が小ぶりになった瞬間、私たちはこのクレムリンの中の石のレストランへ入った。暗い不思議のレストランは、混んでいたけれど、まるで私たちが来るのを待っていてくれたように、ステキな席が空いていたのです。
6号 万博の人々 3 インタビュー
ウクライナ館で人気のレストランシェフ、アリョーナさんにまた、出演していただきます。
私は彼女との約束が果たせなかったことが悔やまれます。
「お寿司を食べに行きましょう。日本食のレストランの厨房を見せてもらいましょう」と約束をしたのですが、彼女と私の休日というか時間が合わずに、実現しませんでした。私がちょっと工夫をすればできたのですが。お詫びに、私は彼女に会いに、ウクライナキエフにそのうち出かけようかと、いま思います。

(伊勢二見の海岸で、アリョーナ さん)
◇ウクライナレストラン人気ですね。
うれしいです。でも、こんなに並んで申し訳ないですが、こんなに並んで、みなさん大丈夫ですか。
(9月混雑の日にお話ししたのです)
◇ウクライナレストラン、大人気ですよ。美味しいから。
ありがとうございます。私たちは毎日とっても忙しく働いていますから。
◇美味しいです。私は大好きです。「冷たい谷間のスープ」はトマトやきゅうりが美味しいです。
日本はトマトもきゅうりもなんでも値が高くて、タイヘンです。トマトもっと安くして欲しいです。
◇もうすぐキエフに帰りますね?
ああ、帰りたくない。でも娘には会いたい。日本はとても良い国です。みんながとても優しい。きれい。明るい。私は日本が大好きです。
◇でもトマトは高い…
(笑って)そうです。トマトは高い!!
◇キエフに遊びに行きたい、と思っているけれど。
いつ来るの、いつでも来てね。キエフを案内するから必ず電話ちょうだいね。
◇ アリョーナ、ありがとう。いつかお会いしましょうね。必ず。
私もありがとう。万博も名古屋もとても素晴らしい。ありがとうございます。
2005年10月06日
【 42号 】 食べて飲んで話して
~~~~8月5日 雨のノブゴロドにて、昼食風景~~~
ノブゴロド市の中心部クレムリンの城壁のなかの洞窟の部屋がレストランとなっています。入った瞬間は「暗いなあ」と思ったのですが、だんだん目がなれてくると優しい自然光とテーブルのろうそくとすこしだけの電球の明るさが、とても美しい。
「ここはロシア料理のレストランだよ」。「まず飲み物はなににしますか?」
オレクはウオッカ、レナはバリザム(薬草酒。けっこうアルコール強し)、私はグルジアワインと注文し、私はシイィースープ、オレクたちは魚のスープ、ウハーを。私たちは、「美味しい、美味しい」と喜びながら、飲み、食べています。
オレクはまたロシア料理についてのお話しをきかせてくれます。「このレストランの食器はロシアの様式を伝えている。ロシアでは、暖かい料理を入れた食器は必ず小皿に載せてテーブルに出すことです。テーブルに直に暖かい食器を置かないことです」。
レナが注文した「きゅうりの蜂蜜かけ」が美味しくって興奮してしまいました。なんでもないきゅうりにトローリ甘い蜂蜜がかかっているだけのシンプルさですが、きゅうりも蜂蜜も美味しい。
私は日本の箸についての話しをしました。特に、家族のそれぞれが箸を持っていることにレナは興味をしめしました。
「パパにはパパの箸があって、それを違う人が使うのはいけない」。
「箸にも神様がいるから大事にしなくちゃあ。マナーもいろいろ厳しいものがある」。
などと言うと、オレクは「日本にいて、僕は箸の持ち方がみないっしょでとても美しいことを知っている。箸の持ち方だけの写真を何枚も写してきたよ」と、しばらく箸の話題で盛上がりました。
そんな話しが進むとおなじく、それぞれお酒も食事も進み大満足です。でも、もう次の見学に行かねばなりません。レストランを出ると雨はやんでいました。
クレムリンの前に止っていたタクシーに乗り、さて私はどこへ連れて行かれるのでしょうか。

(食べて飲んで話してに、とっても夢中で写真のことをすっかり忘れてしまいました。レストランを出たところにいた、猫でがまんしてください)
【 43号 】 木造建築博物館を歩く
~~~~~8月5日午後 ノブゴロド 晴れ・曇り・雨 ~~~~
3人はちょっとお酒が入っておりますのでご機嫌です。タクシーでどれくらい走ったのでしょうか。下りたところは、静かな公園の入り口のようです。
私は、彼らの後についていくだけですが、やってきたのは、ロシアの古い木造建築を集めた野外博物館です。私は、愛知県犬山市にある、「明治村」か「リトルワールド」にいるような錯覚気分です。
でも、それらと違うのは圧倒的な静かさ。美しさ。
並ぶ木造建物群。豪農・納屋・大小の教会・農家など、中に入ることができるところは、中も当時のままのように飾られている。そして監視役兼説明係の女性も民族衣装でいます。中に入れない建物は、入り口に説明が書かれています。
ロシアの昔のいなかにタイムスリップしてしまいました。


2005年10月08日
【 44号 】 再びクレムリンに戻り、そして
~~~~~~~~8月5日 夕方 ノブゴロドにて ~~~~~~
午後5時には「木造建築野外博物館」も閉館のようです。あちこちで、きょう一日の後片付けがはじまりました。私たちは、片付けるじゃまをするようにおみやげ屋を覗きながら、商売とは毎朝商品を並べて、毎夕こうして片付けることが大事な仕事なのだ、と手際のよい片付けに、妙に感心してしまった私です。若い男性(!)のいるお店で絵はがきを買い、声をかけてくれた中年男性のお店は冷やかしだけにしました。
このあたりは、ロシアのおみやげで有名な大小たくさんの白樺細工ものがありますが、どうも、きょうの私は「買い物」エネルギーが湧き出てきませんので、静かです。
路線バスに乗り、またクレムリンへ向かっているようです。途中、小さなりんごをバケツいっぱいに入れた若い夫婦が乗り込んできました。バスの中がりんごの匂いになります。オレクは彼らに声をかけています。
オレクは、万博でも日本の各地へ出かけたときも、だれにもでにこやかに声をかける人です。少年のように興味津々で、なにも怖れずに、笑顔で声をかけています。彼に声をかけられたみんなもいつも笑顔で応えています。。
ここでもりんごを抱えた夫婦は、笑いながらなにやらオレクに言っています。バスはやや乱暴な運転なのでりんごがこぼれるのではないかと、バケツの中が気になる私です。
空はいまにも雨が降りそうですが、なんとか降らずに私たちの短い旅を応援してくれているようです。バスを降りてクレムリンの中をまた歩き、私はどこへ行くのだろうかと思うような思わないような、彼らに着いていくだけです。
「ショートケーキ教会」と私が勝手によぶ教会のことは、彼らにうまく伝えられないので、言っていません。ここノブゴロドで、私が見たい教会があるとは、彼らは知りません。
クレムリンを過ぎて橋を渡り振り向いて、美しい景色にやすらぎ、緑の並木道はりんごがまだ青い実をたくさん成らしています。静かな住宅街を3人は歩きます。とても静かな街並みです、あちこちに教会があります。


緩やかな坂を下りて目の前に現れた景色。こういうことってあるのですね。会いたかったショートケーキ教会が目の前にあります。スバラシイ。

恥ずかしげに1本の木に隠れて私たちの目の前に現れたこの教会は、スパサ プリオララジェニヤ(キリスト変容祭)聖堂です。1374年からここでなにもかもを見てきた教会です。
ねえ、すばらしいでしょ?
【 45号 】 小さく美しく。
~~~まだ 8月5日 夕方 ノブゴロドにて ~~~~
まずは写真をみていただきましょう。

オレク博士と教会です。教会の小ささがわかっていただけますかしら。

教会のうら側にまわり、細長い窓はなお美しい、そして小さな緑色の銅製のドア。

緑色のドアは、もう、たまらなくすばらしい美しさです。造るのに失敗しちゃったようにも見えるけどれ、実はこうして造りたかったのかもしれない、と思わせる美しさです。
残念ながら中には入れませんでしたが、次にはぜひ中に入りたいと思います。緑の草たちに囲まれた教会のまわりを歩きました。草は雨の水をたっぷりと含み、それはまた、生命のちからを感じました。
オレクさん、レナさん。あなたたちに心から感謝します。あなたたちは最高です。
小さな教会に「再会」を誓い、駅へと歩き始めると雨が落ちてきました。と、雨が突然のどしゃぶりです。うわ~~と3人は、軒下に逃げて、オレクは目の前に止った車の運転手に「駅へ乗せて行ってほしい」と声をかけたら、青年運転手は「おい、早く乗りなよ」。
なんということでしょう。雨は、私たちの歩くのを見ていたのでしょうか。楽しみにしていた教会に会えて満足しての帰り道に降ってくれるのですから、そうとしか思えません。
出会った青年運転手は、好青年です。「またおいでよ」と私たちを笑顔で送ってくれました。その笑顔の可愛いこと。
駅に着き、「まだ早いからお茶でも飲もうか」。と待合室奥にある喫茶店に入りました。本物のケーキを食べながら、私はオレクとレナに、感謝の言葉を伝えました。レナは、「あなたが来てくれたから私たちは休日を取り、ここにも来ることができ、私たちも楽しみましたよ、すべてあなたのおかげです」とこれまた熱いお言葉をいただき、うれしい限りです。
オレクは「今度はいつ来るのか?」と問います。「あのね、それはだれもわからないことよ」。と、私は言いながら、またここに来ようとは、決めました。
【 46号 】 霧が生まれる瞬間
~~~~~8月5日 夕方~夜、 ノブゴロド~ペテルブルクへ ~~~
サンクトペテルブルクへ戻るバスは午後8時過ぎに出発です。雨はすっかりあがり、西の空が明るくなっています。午後8時のノブゴロドです。
バスに乗り、適当な席に座ったらオレクは「だめだよ。こちらだよ」。私は知りました。バスは座席指定だったのです。だから朝もみなおとなしく座ったのですね。真ん中あたりの窓側の席が私、その隣りにオレク、レナは通路をはさんでひとり置いて向こう側に座っています。
バスは定刻に動き出しました。西の空が明るく真珠色に輝いています。しばらくバスの中で、ほっとして黙りこくっていました。流れる景色は、道の両側にいくつも続く林と農家と畑ばかり。
途中、来た時に止ったトイレストップでまた止りました。今度は私たちだけですから、トイレを済ませて、しばらく余裕があって、周りを眺めました。花が咲いています。いま沈む前の太陽が一層輝いています。きょうは曇り、雨、雲、また大雨そして最後に見事な夕日を見せてくれるようです。気温もさがりませんでした。バスの中では半そでシャツでも大丈夫です。ノブゴロドで買ったシャツはきょうは着ることはないでしょう。

バスは一路ペテルへ向けて走ります。来た時と同じ道なのに、まったく違う景色に見えるのは夕日のせいでしょうか。
少し目を閉じていたら、オレクが窓の外をみるように言います。
霧が生まれています。バスや多くの車が走る道路のすぐ脇の林から、畑から、いままさに霧が生まれてきました。その美しいこと。バス中の客たちが興奮しています。走り行く道の両脇からどんどん生まれているのです。

私は「霧の中のハリネズミ」を思い出しています。友だちに会いにいくために、ハリネズミが霧の中でちょっと恐いものに遭遇しても、勇気を出して友だちのことだけを思って、会いに行く……。いま、大事な友だちに会いにきています。ロシアへ。会いたいとだけ思う愛しい友だちにいま会いに来ています。そして、こんなすばらしい時間を共有しています。
バスが進むと同じく陽は暮れていきます。車の数が多くなるころバスは、サンクトペテブルクに近づき、地下鉄の駅に止りました。帰りは最終バスセンターですが、主な駅で止るようです。オレクは「僕はここで降りるからね。明日は午前11時ホテルに行くよ。明日また会おう」と降りていきました。
レナと私は、繁華街に近い(だろう)場所で 降りると車はライトをつけて空は暗く、時計を見れば午後11時過ぎです。さすがにレナも私も疲れましたが、レナは私をホテルまで送ってくれます。
路面電車に乗りました。「少しだけですが乗りましょう」と。電車の中で、青年たちがどかどか乗り込んできました。大きな図体で後ろから前に移動しています。と、そのうちのひとりが私に「○×*▽は、どこで降りるの?」って聞きます。レナに聞くのではなくてね。「はあ??」としているとすかさずレナさんが応えました。そしてレナは「あなたはもうここの人ですよ」って笑います。
ホテルで、レナに別れのあいさつです。なんともステキな日をありがとう。レナはメトロに乗ってまだ30分以上かかって家に戻るのです。もう日もすっかり暮れた夏の夜のサンクトペテルブルクでした。
7号 万博の人々 エピソード 1
万博ロシア館へ長期出張しいるその間に、お誕生日を迎えることもあります。ロシア人たちは誕生日をみなでお祝いすることがとっても大事なことです。
ユーリンさんの誕生日の9月25日をみなお祝いしました。そしてこの日は万博も最終日の幕を降ろした日でもありました。だからいく人かの日本人もかけつけて、アリョーシャの料理でお祝いです。
その時の写真です。

日本でお誕生日を迎えたユーリン パブロビッチさんはとてもうれしそうに、ウオッカを飲み、酔いつぶれてさっさと寝てしまいました。
【 47号 】 3日間のペテルブルクだった。
~~~8月6日 晴天のサンクトペテルブルク ~~~~
朝ダラダラとしながら部屋のテレビをつけるとTOPニュースは「日本の広島はきょう60回目の原爆祈念日です。広島では朝からたくさんの人が集まり慰霊式を行いました」と伝えています。そうです。全世界できょうはこのニュースを大きく伝えなければなりません。日本では毎年このニュースが小さい扱いとなっていくことに、こころを痛めている私は、昨年の8月6日は広島に、あの祈念式典場にいました。
日本の方が5時間早く時間が進んでいますから、いま日本では午後2時くらいか。録画画面の広島も暑いようだ。きっと燃えるように暑い日本だろう。きょう、ここペテルは晴天の爽やかな日です。
ゆっくりと贅沢な朝食を済ませ、そう言えば、前2日間早朝から奮闘していたので朝食も久しぶりです。その後ひとりで街を少しぶらぶら歩き、本屋に寄ってロシア語絵本を買う。出会った両替所に寄ろうとしたら、すぐ近くにちょっと怪しげ(に見えてしまう)お兄ちゃんたちが、たむろしているのが目に入り、ここではやめときました。
ホテルの部屋に戻り、大爆発状態のトランクを整理するがあきらかに重い。飛行機に乗せるときに航空会社ともめるのは一番いやなので、「そうだ、レナに頼んで郵便で送ってもらおう」と決めて、風呂敷に厚手の服類などを包んだ。
約束の午前11時にまずレナが元気にやってくる。昨夜家に戻ってから「少し本を読んだ」とか言っているし、私のためにおみやげを用意してきたとも。まあ元気なレナさん。
オレクもやってきた。きょうも元気な笑顔です。彼は昨日も言っていたが、「いま家をリフォーム中で、(私を)家によぶことができずに申し訳ない。今度来た時はぜひ家にきて欲しい」と今日も朝から言っている。「家族も君に会いたいと行っている。今度はきっと会って欲しい」とも。うれしいですね。必ずお会いしましょう。
さて、例の風呂敷を頼むとオレクは「すぐに送るよ。でもきょうは土曜日だからその荷物は職場(博物館)で預かっておくよ」と彼はその後風呂敷包みを面白がって持ってくれた。
トランクをホテルに預け、ネフスキー通りを歩いて彼らの働く民族学博物館へ行きましょう。途中おみやげを買ったり、写真を写したりします。きょう、私は、ペテルブルクを16時55分の飛行機でモスクワに向かう。時間に余裕はないのだけれども……。
晴天の気持ちが良い日です。きょうもタンポポの綿毛を大きくしたものが飛んでいます。そう言えば昨日ノブゴロドではまったく飛んでいなかったのは、曇天だったからだろうか。
サンクトペテルブルク市の中心部にある彼らの博物館(ロシア民族学博物館)をゆっくり観る時間はありません。2002年冬に一度レナに会いに来た時に観たことがありますが、「今度来た時にはたっぷり時間をとり観るのだよ」と言うふたりです。たっぷりゆっくりと観たいものです。

隣りの「ロシア美術館」に行き、楽しみにしていたレーピンの「ボルガの舟曳き」を観に行く。感動しました。「君は夢があるかい?」とレーピンが問うたようだった。もっとゆっくりと彼と対話したかった。が、それも今度にしましょう。きょう会えることができたことを祝います。
プーシキン広場でアイスクリームを食べ、3人でややゆっくり歩きながらホテルへ戻りました。オレクもレナもとっても忙しい人たちです。オレクは「僕の街をこうして歩き回るのが大好きだよ。でも、このところ忙しくって…、歩くことができてうれしいよ~」。
ホテルからタクシーに乗り、空港へ向かう。タクシーが思いのほか早く着き時間の余裕は十分だった。空港のカフェで「昼食にしましょう」と3人でサラダなどやビールやワインでお別れの食事会としました。
ここで、私たちは涙のお別れです。涙で困りました。丸いテーブルに3人は手を乗せて私のクロスした手をおふたりと固く握り合って、再会を誓いあいました。ああ映画の1シーンのような熱い別れです。
モスクワへ飛ぶ飛行機はほとんど空気を運んでいました。ビジネスマン風男たちが少人数、私のすぐ前には、アツアツの男女と、ふたりの子どもを連れたご夫婦がいます。客室乗務員はビジネスマン達と顔なじみのようですし、この客数でお暇にしていました。
少し軽く眠ったら、もうあっと言う間にモスクワです。モスクワシェレメチボⅠ空港に戻って来ました。午後6時半ですが、陽は高く暑くでも爽やかな風が吹いています。シューラが迎えにきているはずですが……、彼はいません。
2005年10月09日
【 48号 】 モスクワに戻ると…
~~~~~ 8月 6日 晴天のモスクワの夕方 ~~~~~
モスクワシェレメチボ国内線空港の出迎え口は狭く、ひとめで迎えにきているかどうか、到着したかどうかなどわかります。シューラはきっちりしている人で、この飛行機の時間を私の目の前でメモして持っていましたから、間違いないでしょう。なにかあったのかしら?大渋滞にでもはまったのかしら?大きなトランクを持っているので、動き回ることはやめてじっと待っていることにしましょう。
30分くらい待ったでしょうか。白いシャツを着て、妙に赤い顔のシューラがやってきました。「仕事が終わらなかった……」と。「さあ、車に乗って」。
車に近づくとだれかが車の中にいます。若い青年のよう?「リョーシャだよ」とシューラ。
アレクセイ(愛称リョーシャ)はシューラの長男です。とってもきれいな顔をした優しい彼です。会うたびに大きく成長しているのですが、きょうはいっそう青年になっていて驚きました。「こんにちは」と日本語であいさつをしてくれたリョーシャです。声もすっかり大人の声です。

「ペテルブルクはどうだった?レナは元気だったかい?」俳優シューラたちはペテルブルク公演のときレナに観光案内をしてもらい、レナもモスクワからやってきたユーゴザーパド劇場公演を楽しんだことがあるのです。
「映画撮影の仕事が遅くなってしまった。リョーシャも映画に出演しているんだよ。きょうは、暑い外での撮影で何度も同じことの繰り返しだった……。さあ、サリュートホテルへ走るよ」。だから赤い顔をしているのですね。
ホテルはついこの間出発したホテルですから、もう私は要領
はわかっています。今度の部屋は1805号、表側の大通りに面している部屋、ちょっと車の音がうるさいかな?
ホテル下の喫茶で、3人で再会を喜びました。と、いうかシューラもリョーシャも撮影現場から駆けつけてくれたようで、お腹をすかせているようです。私も少々疲れたのでビールを飲んでくつろぎたい。
「きょうの映画の撮影は短い時間の予定だったのに、何度も繰り返すからちょっと疲れたよ」。
「なんていう映画ですか?」
「『Просто повезло』という難しい映画なんだ」(簡単に運んだ)っていう日本語意味でしょうか?
「日本で観ることができるかしら?」
「ははあ~、それはどうかな??」
「どんな衣装なのですか?」(私は役者の衣装が気にかかる)
シューラもリョーシャも笑うのです。「さあて?」
リョーシャが「日本語教えてください」と言う。
「女の子は『ちゃん』でしょ?男の子は『君(くん)』でしょ?僕はまだ『君』ですか?」、おお、大人になりかけの青年らしい質問ですね。ここで『君(くん)』ですよと応えると彼のプライドが崩れそうです。と、いうよりももう立派な青年ですから、はっきりと応えましょう。
「リョーシャは『さん』です。リョーシャさん」。
とってもステキなホッとした笑顔を見せてくれました。
「明日はマラトの家に行こう、マラトが待っているよ」。
マラトとはシューラの親友で、私がモスクワに行く時いつも運転手をしてくれる優しい人です。6月に14年ぶりに長男が誕生したので、会いにいかねばなりません。
「今夜はゆっくり眠りなさい。明日も午前中は寝ていなさい。13時に迎えに来るよ」。
私は、ビールの所為もあるのでしょうが、すごく眠くてそれはシューラにもわかったのでした。
2005年10月10日
8号 だから私たちは見ることが出来ました
もうひとつの話題「ロシアの夏の旅」へ掲載しようかなと迷いましたが、やはりこちらでご紹介いたしましょう。
万博ロシア館の人気の展示品のひとつは、小さいものでしたがロシア民族衣装人形たちでした。日本語説明が追いつかず「どれがどれだかよくわからない」と開幕当初は不評な声もありましたが、人形そのものは素晴らしく、多くの人たちが写真を写したり、じっと見入っていました。
この人形たちは、サンクトペテルブルク市にある「国立ロシア民族学博物館」からやってきました。日本人の観光コースにはなっていない博物館ですが、エルミタージュ美術館にも近く、ネフスキー大通りをちょっと奥に入った静かなプーシキン広場の奥にあります。
博物館が所蔵する人形たちは、ロシアと周辺国の民族の特徴的な風貌や衣装などを端的に正確に著わしているとして日本へやってきました。が、このお人形たちは日本へ来る前にはかなり傷んでおり、修復作業を終え美しい姿となってから飛行機に乗り、私たちの前にお目見えしたのです。
修復作業の中心となったのは、私の大事な友人レナ(エレーナ ヤンコフスカヤ)です。

20世紀のはじめに制作され、ロシア各地や外国にも展示されて移動のたびにあちこちが傷み、首の取れたもの、足がかけたものや衣装の色が変化してしまったものもあったようです。
レナは修復専門美術家として、また扇の研究家としてもロシア国内で有名な人です。モスクワクレムリン内やエルミタージュ美術館などで展示されている「扇」は、すべてレナの手により修復されて展示されているものだそうです。
修復作業ばかりではなく、自ら企画の「扇の展示会」をしたり、「扇を通して見る東西文化交流」とか「扇からみえる日本文化」などの講演活動や執筆なども行っています。
細かい仕事が得意で、私が一番驚いたのは、私への手紙に日本語住所を書いてきたことです。「日本語を細かく見て書いたわ」とのこと。絵のように美しく書かれてあって日本語住所表記です。驚きました。
8月、サンクトペテブルクの博物館前には大きく人形たちの看板が出ていました。レナは「この人形たちは私の命がかかっているのよ。日本へ彼らが行くために私は毎日とっても忙しく、またとても難しい仕事だったわ。私も日本へ、人形たちに着いて行きたかった」と、看板の前で語りました。
レナの親友で、万博にやってきた民族学者のオレクやジィーマは、もちろんこの人形たちをそれは大事にしていました。私にもとても丁寧に説明をしてくださいましたね。
そして彼らは、「レナへ伝えるため」と、万博会場の様子はもちろんロシア館内のことなどを写真やレポにしていました。レナは人形たちをよみがえらせ、信頼できる優秀な同僚に日本への夢も託して送り出したのです。
私はもちろんレナに伝えました。「この人形たちはロシア館の人気者です。日本人のため、世界の人のために、ありがとう」と。いつかレナの来日が実現する日のために、私はレナとの友情をもっと深めていきたいです。
【 49号 】 ああ、この部屋はダメ
~~~~8月6日 夜 モスクワにて ~~~~
シューラたちと別れて、部屋に戻り、「さあて、この部屋に3泊だからトランクから荷物を出して」と、眠いけれどそれだけはしておきたかったから、トランクを開ける。が、まだ薄明るい外の様子が気にかかる。ホテルの前には大通りがあり、相変わらず車は多く、ビュンビュン走りその音が18階まで上がってくるのです。
モスクワ南西部にあるこのホテルは、お気に入りの劇団ユーゴザーパド劇場のお隣りのようなもの、シューラの家にも近いということもありまして、ここを希望したのですが。一旦車の音が気にかかるとどうもねえ。窓はもちろんしっかり閉まりますが…。
私はなにが大事と言って、車の音が聞こえない静かな環境が大好きです。この旅の前半に泊まった部屋は同じく大通りに面していてもこんなに車の音は聞こえなかった。なにか高さとか部屋のある角度とかに関係しているのだろうか。
でも今夜は仕方がない。明日朝に、フロントへ引越しを申し入れよう。と決意して眠る。耳にずっと響く車の音……。
明けて、8月7日、きょうも晴れ。朝から気温が高い。窓の下はこんな感じです。

朝食はきょうはそれぞれに配膳されましたが、あまり食べたくない。やはり寝不足です。
フロントに行き「部屋がうるさいので換えてほしい」と伝えると、すぐに「1830号に換わりなさい」とのこと、あまりにも簡単に引越しができて?ちょっと拍子抜け。フロント嬢からもっといろいろ言われるかもと予測していたのであります。
今度の部屋は、反対側になります。たしかに静かです。住宅街が見え遠くにモスクワの中心部の尖塔がみえます。では、ここでもう一度眠りましょう。
2005年10月11日
9号 記録集を買う
名古屋を中心に多数の読者を持つ新聞社が「「愛・地球博 185DAYS」 保存版報道写真集=1050円を発行しました。
本屋に山積みというか平積みというか、やる気で売っております。
買いました。もし、ロシア館のスタッフとかが写っていたらうれしいな、とおおいに期待をして。
ネタバレしてしまいます。
ロシア館があるコモン4の空中撮影写真にかすかに写っているロシア館、それだけ、でございます。館内で人気のマンモスたちは,どこにも写っていません。冷凍のマンモスはいましたが。
167ページにわたる写真集内を何度も捜しましたがロシア館スタッフもおりません。観客の中に、私が紛れ込んでいないか?それもないようでございます。
185日を追って各日ごとに入場者数と特徴的イベントを掲載していますが、6月17日・ロシアナショナルデーの様子は、「ピャトニツキー民族合唱団」の写真はありますが……。それだけ、でございます。
10号 ペテルブルクへ電話をかけると…
「ロシアの夏の旅」47号で、サンクトペテルブルクからオレクが我が家へと送ってくれるとなった小包は、「ロシア郵便局」の青いダンボール箱に入って我が家に無事届きました。ぐるりと貼ってあるテープを開けてびっくり。すっごく恥ずかしくなってしまいました。
あのとき、風呂敷包みでオレクに渡し、「中を見られる可能性」も想定して洋服類だけにしたのですが、箱に入るように風呂敷包みは開けられて、風呂敷も真ん中にあります。
薄汚れた黒ズボン特にサイズ大が目立つ。なんだかタラタラもののヘンな上着。着古したブラウス。夏のロシアの旅にどうして必要かと思われる厚手セーター様のかぶりものなど。それらが箱に収まっていました。と、いうことはオレクに見られただけではなく、折りたたんで入れてくれたのですね。うわッ恥ずかしい。
まあ気を取り直して、オレクには、我が家に箱が無事に届いたことを伝えなけばなりません。
メールもいいけれどやはり久しぶりに声も聞きたいから、電話をかけます。彼の言う「僕のは優秀な携帯電話」に何度もかけても通じませんし、自宅もオルスか、まだ改築工事が終わらないのか通じません。
きょう、彼の職場=民族学博物館の彼の席へ電話をしました。
女性が出ました。
(私、ロシア語らしきロシア語のまねで)
「オレクさんを電話口までお願いします。日本からかけています」
(本物ロシア語で)
「オレクは、ここでは仕事をしていません。○×*+に行っています」
(私、地名らしきものがよく聞き取れなかったが、居ないことはわかったので)
「そうですか、わかりました。ありがとう」
(本物ロシア語女性、かなりやさしい声で)
「オレクが、○×*+から戻ってきたら伝えます」
(私、想定外の会話になると困るので)
「ありがとう、また電話します。さようなら」。どこかへ行っているのですかぁ…。
その勢いで、ジィーマにも電話しました。
サンクトペテブルク時間午前11時半頃。日本時間の16時半頃です。
彼からもらった名刺に書かれていた職場の電話番号へ。
2度ほどの呼び出し音で男性の声が。
(ロシア語で)
男=「こんにちは」
私=「こんにちは」 (ウン?ジィーマの声かな?)もう一度 「こんにちは、日本からかけています」
男=ちょっと間があって「アッ」と言った様な。
私=ジィーマだと確信して、日本語で、「ジィーマさん、こんにちは」
ジィーマ=「こんにちは」と日本語で返してくれるが、とても驚いている様子。
私=(以下ロシア語らしきロシア語?で)
「小包受け取りました。オレクに電話しているけれど、通じないから困ったわ」
ジィーマ=「彼はいまトルコ国へ行っているよ。いつ帰ってくるのかな?」
私=(そうだった、オレクはトルコへ研究で行くとか言っていたと、思い出した)
「そうですか、トルコへですか」。
ジィーマ=「小包は無事に着いたかい?大丈夫だったかい?」(ジィーマには、日本にいるときに小包の件は伝えましたから知っています)。
私=「まったく大丈夫でした。ところでジィーマ、どうですか?サンクトペテルブルクは美しい秋の季節でしょう?」
ジィーマ=「ああ、きょうはとっても良い天気で、暖かくて気持ちがいい日だよ」
私=「ああ、私わかります。知っています。秋はすばらしいですね」
ジィーマ=「来年はいつ来るのか?」
私=(あら?あの時に酔って言ったこと覚えている。ここは笑って) 「ふふふ」。
そのころからジィーマ博士が電話口でうれしそうに笑っていることがわかります。
私=閑話休題 「サーシャ(彼の長男)は元気ですか?」 大きく成長したでしょう?とき聞きたかったが、事前に勉強していなかったので、「元気」の表現となりました。まあこれでも良いですね。
ジィーマ=「ありがとう、みんな元気にしているよ。君からもらったおみやげも気に入っているよ。ありがとう」
私=「なによりです」。 (走って買いに行ったおみやげです!!)
ここからは 紙面の都合で・・・・・・・・・・・・略。
ジィーマ=「オレクに伝えておくよ」
私=「どうぞよろしくお願いいたします。また電話しますので、さようなら」
ジィーマ=日本語で「さようなら」。
私=「さようなら」 ガチャリ・・・
日本では冷静沈着、寡黙、なにがあっても平気なジィーマ博士。ところがこの電話の後半、彼はデレデレになって笑いながらの会話です。なぜでしょうね?
エッ?私はどうだったかって。もちろん、冷静に知っているロシア語を駆使することに精いっぱいでした。←ウソです。あまりジィーマさんが笑っているので、つられて笑っていました。
2005年10月12日
11号 万博の人々 4 インタビュー
この「マーミンカ通信」にもときどきコメントを寄せてくださる、内海さんをご紹介いたしましょう。

ロシア館の警備担当者です。ロシア館入り口で「お待たせしました。スタンプは右手にあります。スタンプをいらない人は左手に進んでください」と言いながら、お客さんに混乱がないようにとても上手に誘導していました。
ロシア人スタッフだけではなく館内で働く日本人スタッフからも熱い信頼を得ていることは、彼のお人柄でわかります。面倒見がすっごく良い人なのです。
◇ロシア館警備ご苦労様でした。暑いときもあってたいへんだったでしょう。
==いろいろ面白い経験をさせていただきました。ロシア館にあるマンモスが「冷凍マンモス」だと思い込んでいらっしゃるお客様、「冷凍マンモス」の時間指定観覧券を持ってきて入ろうとするお客様など、マンモス人気などの混乱もありましたね。
暑いときは僕たちも暑いですが、お客様も並んでいてとっても暑かったことでしょう。
長久手会場の一番奥にあるロシア館ですが、朝からけっこうお客様が多かったです。ゴンドラに乗って一気にロシア館のあるコモン4まで来る人や、隣りのEXPOドームのチケット配布後にロシア館にやってくるお客様とか一日中人のながれのあったところでした。
◇ロシア館ではじめてロシア人と会われたのですか?
==そうです。はじめて会ったロシア人です。最初は、ちょっととっつきにくい人たちかな?と思ったのですが、接してみるととっても人なつっこい人たちばかりで、うれしかったです。
◇ロシア館メンバーをあちこちにお連れしたそうですね?
==休日が会えばいろいろ行きました。最初は「天ぷら」、日本の食べ物でしょ。天ぷらを食べに行き、健康センターで温泉にも入りました。みんなとても喜んでくれ、その後も違うメンバーと行ったりしました。
◇天ぷらですか?
==ええ、日本料理なのでご紹介したかったのです。そしたら、今度はロシア人たちが「ボルシチ」を作ってくれました。初ボルシチでした。
◇いかがでしたか?
==美味しかったです。通訳のオリガさんが作ってくれたのです。ただ大事なビーツが名古屋にはなくって残念でしたが。
◇伊賀上野の忍者屋敷へも行かれたとか?
==ええ、また違うメンバーですが、みんな喜んで忍者になっていましたね。天ぷらも食べましたよ。ほかのメンバーも行きたいと言い出して、その後2回伊賀上野に行きました。
うなぎも食べました。みんな美味しいと好評でした、うれしいですね。
◇ロシア館のみなさん、あちこちで楽しまれてきっといい思い出いっぱいできたことでしょうね。
==僕たちも楽しみました。みんな良い人ですから、いっしょに居て楽しかったです。
◇ロシア旅行に行かれるとか?
==はい。行きたいです。せっかく皆さんと友だちになったのですから、ゆっくり時間をとって行きたいなあ。モスクワもサンクトペテルブルクも行きたいです。みんなに会いに行きたい。
内海さんは、日本人スタッフのまとめ役としてもご活躍です。彼のご尽力で楽しいスタッフ交流会も開かれました。次号ににてご報告しますが、さすが内海さん、面倒見がよくって行き届いています。
モスクワでサンクトペテルブルクで、いま内海さんを待っている人たちがいます。ぜひ初ロシア訪問が早く実現しますようにと祈っています。ありがとうございます。
12号 スタッフ、打ち上がる ↑

(ルパシカ店長さんを囲んで。写している内海さんは11号で顔写真をご覧ください)
10月10日夕方、ロシア館スタッフ日本人たち、留学生スタッフのマーシャ、総勢11人が名古屋市中区にあるロシア料理店「ルパシカに集まって楽しいひと時を過ごしました。
ロシア館で出会って、それぞれの持ち場で働いた人たちです。館内警備員さん、館内お掃除担当者さん、スタンプ押しのボランティアさん、出入り業者さん、万博協会員さん、通訳さんらが声を掛け合って集まりました。私の友人も私もちゃっかり参加させていただきました。いわゆる打上げ会というのです。
10日現在ロシア人スタッフ達は5人だけ残っており、まだ後片付けに忙しいようで参加はされませんでしたが、メッセージはいただきました。
寒い3月に開幕してから暑い時期を越えて、とうとう終わってしまった半年間のいろんな思い出を持ち寄って、そしてこれからの友情も誓い合っての楽しいつどいでした。あちこちに声をかけてみなを集めたのは、前号でご紹介の内海さんです。ありがとうございます。
「ロシア館での出会いだから、これからロシア語の勉強とか、ロシアのことをもっと知るとか、ロシア旅行に行くとか、きっとロシアとの縁が深まると思う」など、みなさんロシアを好きになったようです。
楽しい話に花が咲いたので、「今度はいつやるの?」って内海さんに言っておきました。
2005年10月13日
【 50号 】 ここはモスクワでした~!
~~~~~~ 8月7日 昼 モスクワにて ~~~~
どれくらい眠っただろうかと、時計を見ると午前11時半。2時間くらい眠っていた。でも、どこかすっきりしない。きょうは足が痛い。6月に犬にかまれた傷跡がなんとなく痛い。靴をはくのをやめてサンダル履きとしておこう。
ダラダラと用意しながら洗面所の湯がなんとなくぬるいのは、昼間だからかな?と気にしなかった。
なんとなく空腹で、熱いお茶となにか甘いものが少しだけ食べたい。それと旅の手帳に旅日記を忘れないうちに書いておきたいから、ホテル1階の喫茶室へと行く。
サリュートホテルは05年1月にも利用したところです。ホテルのあちこちが改装中ですが、喫茶室は1月と同じです。メニューやテーブルのセットの仕方も同じです。いま、私はモスクワにいますという緊張感はなく、以前に座ったところという意識のほうが強かったような。なんとなくそんな気分でメニューにあったケーキと熱い紅茶を注文した。
少しだけ甘いものが食べたいのです。ここであまりしっかり食べるとせっかくマラトさんの家にお呼ばれに行くのに、ご馳走がたべられなくなると失礼です。
しばらくして、運ばれてきたケーキを見てぎょっとした。甘いケーキ1切れが超特大です。「うわあ、ここはモスクワということを忘れていた~~」と、超特大ケーキを前にやっと?気がついたのです。ずっとなんとなくぼんやりしていたのが、目が覚めました。
日本に多いこぶりケーキを見慣れた目には衝撃!!

これがまた美味しいのです。蜂蜜たっぷりの甘さと、いままで冷蔵庫に入っていた冷たさと、丁寧に作ってある美味しさです。が、全部食べられない!!どうしようか~~。
▽ ▽ ▽
その後のこのケーキは波乱の2日間を過ごすのです。
もったいないと苦しんだ私は、部屋にお持ち帰りにした。
すぐでかけたので、シューラの家に持っていき、冷凍庫にいれてもらった。
翌日またシューラの家に行った時、ケーキは冷蔵庫に移動していた。
なにかに押されてぐちゃりとなってみるかげもない状態に変化していた。
そっとゴミ箱へいれてしまいました。
ああ、いまも思い出します、あの美味しさ~~。
2005年10月14日
13号 手紙を書きましょう
何度も書きますが、私はロシア語ができません。まったく知らないわけではないけれど、知りません。でも、得意があります。それは手紙を書くことです。ロシア語専門家やロシア語母国語の人たちがみれば噴飯しちゃうようなものでしょうが、ロシア語の手紙を書くのが好きですし、けっこう書いています。
この週末は住所を教えていただいたロシア館スタッフたちにお礼の手紙を書くつもりです。時間がかかりますが、一生懸命こころをこめて書きます。
日本語→ロシア語とロシア語→日本語の辞書をおいて、メモ紙に書き付けて変化形などを確認しながら下書きを書いて、きれいな便箋に清書、控えのコピーを残しておきます。そして封をして投函です。
お返事が届くとうれしいなあ。あら、取らぬ狸の皮算用しております(笑)。
【 51号 】 買い物に行きましょう
~~~8月7日 午後 暑いモスクワ ~~~~~
約束の午後1時、ホテル1階に降りるとすでにシューラがいました。
会うなり、「マルレンって知っていますか?」と聞かれて驚きました。
「知っています。EXPOで名古屋に来ていた人。いまはモスクワにいるよ。ВВЦ(全ロシア展覧会センター)で仕事をしている人です。とっても優しい人ですよ」。
「彼が君に会いたいって。電話があったよ」。
マルレンさんから?私は彼には直接モスクワに来ることは伝えていないけれど、ロシア館のスタッフのだれかが連絡をしてくれたのでしょう。会いたいマルレンさんです、うれしいです。
「そしてね、(コースチャのお姉さん)ユリアからも電話があって、明日会う約束をしたよ。彼女も君に会いたいって」。ユリアさんは先日お会いした時、「日本へ弟へ持って行ってほしいものがある」と言ってみえたので、もう一度会うことは予定していた。
シューラは、「マラトの家に行く前にまず買い物をして、それから僕の家に行って、マラトの家に行こう」。私は「日本にいるロシア人から頼まれたものがあるから、それを買うつもり」。
モスクワ市の南西部地域、ユーゴザーアパドナヤの地下鉄駅周辺のごちゃごちゃといろんなお店のある中のシューラのお気に入りお店へまず行く。
天井の高いホールの中にそれぞれ専門店が入っているお店です。ドアを開けるとすぐにケーキ屋さんがあります。
「マラトへのおみやげはケーキにしますか?」と聞くと、シューラの返事は「ケーキはいらないってマラトは言ったよ」と、言いながらシューラの目はケーキをあれこれ見ています。そして、「きょうはいらないけれど明日は買いましょう」ですって。明日はシューラの家での夕食会だから。
お菓子売り場で私は頼まれたチョコレートを発見。万博ロシア館メンバーが「食べたい」と叫んでいたものです。「いま買うのですか?この店は安いけれど、次にここで買いなさい」。そうしましょう。
他のお店なども覗きながら、お菓子や子ども達への小さいお土産などを買いました。
外に売っているすいかを私は「食べたい!買いたい!」と叫び買いました。(1キロ10ルーブルだよ)の手書きの看板の下にある量りにスイカを乗せて、シューラが小声で言う「アゼルバイジャンの兄さん」に100ルーブル払いました。と、シューラは兄さんに「本当に赤いスイカかい?切って見せてよ」と言う。兄さんは水につけてあった包丁をすいかの頭に深く刺して器用に“四角すい型”を切り出しました。赤い色のすいかでシューラは納得していました。
「赤色だと思って買うと黒いすいかもあるから」。ホントかな?
買い物したいろいろと10キロのスイカを持っていても平気なシューラ。私は手ぶらで賑やかな市場方面へ。「ぶどうはどう?」と言う彼に、大きいすいかを指差して「もういらないよ~」と言ったあとで、(アッ、シューラはぶどうだったのね)と気がつく私でした。
暑いです。夏の日です。でも名古屋の暑さにくらべりゃあ何のこともない。でも、暑い。
そこからほど近いシューラの家に行く。もう何度も来ている集合住宅街です。古い住宅を壊して、少しづつ新しくしているらしく、いつ来てもご近所のどこかが工事をしているようです。「僕の家が新しくなるのはいつかなあ?」と、いつも言っていますが、まだまだのよう。
外で遊ぶ5~6人の子ども達がいます。そのなかのひとりが私に手を振り笑っています。「だれかな?」シューラの次男のジィーマ君です。「うわあ、背が伸びた」10歳です。肩幅も広くなり少年らしくなりました。日本語で「こんにちは」とあいさつをしてくれます。「こんにちは」っと大きな声であいさつをすると彼らは笑います。
集合住宅の1階にあるシューラの家。ドアをあけると妻のターニャさんが待っていました。女優として活躍しようと思っていたときにシューラと出会って結婚しちゃったので、「女優をやめた」という美人のターニャは、また大きくなっていました。ロシア女性はある年齢を超えると、大きくなってしまうのです。特に腰まわりとかが。
シューラは私に氷を入れたりんごジュースを飲ませてくれました。私が氷をばりばり食べたら、ターニャは驚きます。「エッ!!氷を食べるのですか。エッ!!大丈夫ですか??」と。
氷を使うというのは彼らの生活にあまりなく、シューラは舞台公演で各国に行っているのでこの氷入りを知っているけれど、ターニャにはとても不思議そうでした。
子ども達とは時間の約束をしてあったのでしょうか。アリョーシャが帰ってきて、外で遊んでいたジィーマも家に入ってきて、ふたりは「暑いよ~」と言ってジュースを飲んでいます。シューラは3人の子のパパですから、もうひとり小さいポーリャは寝ていました。「彼女が起きたらマラトの家に行こう」です。
2005年10月16日
14号 ウクライナキエフから 電話
土曜日の夜、眠くってふとんに入って気持ちよく眠りの世界に入る瞬間に、携帯電話!
表示されている番号は長い。「うん、ロシアからか??」と「Алло!」で、出ると。
ウクライナ国キエフに帰った、アリョーナからでした。寝かかっている頭にロシア語電話はきつい。でも、なんとか内容がわかったつもり。でも本当に分かっているのかな?
私に課題ができました。
** でも、アリョーナ それって難しいデスヨ **
しかし、電話通信はものすごく進んでいるのですね。キエフからの声は、鮮明、すぐそこにアリョーナがいるような声の近さです。
2005年10月17日
【 52号 】 マラトさん ご紹介しましょう
~~~~ 8月7日 午後 暑いモスクワにて ~~~~
マラト ダサエフさんは、シューラの親友で、モスクワ大学のある部署の研究者、ときどき運転手でも働いています。私は彼が好きだけれど嫌い、でも大好きです。とっても優しいけれど、思いがけず厳しくって、でも頼りになるインテリです。日本語はできません。
いままでの私のモスクワの旅には、いつも運転手として空港への送迎、街の案内や買い物も付き合ってくれ、なにより私にロシア語を、きびしく教えてくれる先生でもあります。
お嬢さんのディアナちゃんがまたとても可愛いのです。そのディアナちゃんがお姉さんになりました。6月半ば弟のダニエル君が生まれました。マラトとマリーナさん夫婦の長男です。マラトは家事と育児に多忙な夏です。彼らはモスクワ南西部の立ち並ぶ住宅街のなかの高層住宅4階に住んでいます。
シューラとターニャ夫婦も「ダニエルを見に行くのは初めて」と、うれしそうです。アリョーシャとジィーマとポーリャも楽しそうにマラト宅を訪問です。ポーリャは2才。おしゃまな女の子です。「ダニエル、ダニエル」とお姉ちゃん風を吹かせています。
マラトはかわいいダニエルを抱っこして、パパの顔で私たちを迎えてくれました。
ダニエルとマリーナさんはとっても元気です。あれ?デァアナお姉さんがいません。
「彼女は、Лагерь (ラーゲリ)に行っているよ」
「エッ?Лагерь ?」 (どこかで聞いた単語?なんだったけ??)
と、隣りにいたジィーマ君が私のノートに単語を書いてくれました。
マラトは「さあ、辞書で調べて!!」。
もうこれで私は「キャンプ」を覚えました。「収容所」の意味もありますが、ここではキャンプです。

(ジィーマ君です。マラトではありません)
みんなが揃って、ダニエル君の誕生・私の再訪・ポーリャの誕生日(7月末)などいろんなお祝いをいっしょに、みんなでジュースで乾杯です。
私の拙いロシア語をみんな聞いてくれます。彼らが話すロシア語を私は聞き漏らさずにしています。ノートを開いてときどきは筆記をしてもらいます。意味がわからず「あれ?」と思うと、そこには俳優がいます。演技で教えてくれます。それを見てみんなが笑って、とっても楽しいひとときです。
ダニエル君はママに抱かれてご機嫌で、私を迎えてくれました。
「はじめまして、ダニエル君」

2歳、言葉を覚えるのがとっても面白いときです。ポーリャが話すロシア語がおもしろくって彼女について聞いていましたら、シューラが「日本語を教えてやってよ」。でも、ポーリャはこの日本人を、まだちょっと恥ずかしく遠巻きに見ているのです。

たっぷりのサラダ・鶏料理・温野菜などのご馳走が並びます。デザートはマラトが「ぼくが作ったんだよ」と言う、平ボールで作られた甘いケーキです。その甘さが、さっきホテルの喫茶で仰天した大型ケーキにちょっと似ている。ナッツ系が細かく砕いて入っています。蜂蜜の甘さかな?なにの甘さでしょうか?
「美味しい!!」 (また食べることに夢中で写真はありません。後悔!)
マラトは「間単に作ったケーキだけれど、ぼくもこれ大好きだから」。
「甘さはなに?」
応えは、練乳でした。なるほど。
私が買って持っていた10キロのすいかで、もめました。
15号 ジィーマさんが私たちに語ったこと
9月11日、ユーラシア協会愛知主催の「ロシア語サロン」=ゲストの得意分野をロシア語で語っていただくロシア語学習会=出演をしてくださったロシア館のドミトリー バラノフ博士(ジィーマさん)の講義内容がユーラシア協会HPでアップされました。
ジィーマさんはロシア民族学博士で、ロシアのインテリです。冷静で寡黙で、ちょっとした時間もなにか読み物に時間を使っています。が、スポーツマンでお茶目な人です。
名古屋に暑い2ヶ月間住まわれ、「暑くない」と言いましたよ。
仕事が休みの日は、街を歩き回り「歩くのが大好きだから」。
けっこうお酒も飲まれます。「ウオッカを飲むと忘れ物をする」とか。
そして好きな食べ物は「豚肉料理」と「甘いもの」ですが、太ってはいません。
「魚料理を食べましょう」と誘いましたが、激しく拒否されました。魚料理は、いっさい口にしないそうです。
そんなジィーマさん、鍛えた脚力ととても長い足で、歩くのが早く、私はいつも走るように彼と歩きました。

ごいっしょに、京都は2度、奈良、伊勢、香川金毘羅宮、岐阜、犬山市、名古屋市内など、とてもたくさん歩きました。そして、私はたくさん教えていただきました。ロシアのこと、ロシア語のこと。私のすばらしい先生です。もっとたくさん教えていただきたい、そのためには、私のロシア語チカラ向上が大切というこですが。
いま、秋の終わりのサンクトペテルブルクの街を歩いていることでしょう。そして、ロシア民族学博物館での仕事のほかに、アフガニスタン博物館再建支援活動や映画などの時代考証の仕事、大学での講義など、たくさんの仕事を精力的にこなされていることでしょう。
2005年10月18日
16号 万博の人 エピソード 2
ロシア館の裏方バロージャです。裏でコンピューターや音響関係の仕事をしていました。いっしょに海へ2度行きましたね。
「バロージャは日本滞在中に日本語を習っている」と伝え聞きました。
もう万博も終わりに近づいたある日、彼を見かけたので、後ろから日本語で声をかけました。
「バロージャ、お元気ですか?」
後ろを振り向いた彼は、笑いながら
「はい、元気です!!」
と、日本語で答えてくれました。
かっこ良いバロージャです

(海の帰り伊勢の駅で弁当を食べているバロージャです)
2005年10月19日
17号 万博の人 エピソード 3
とても笑顔のステキな、とっても美人です。見惚れてしまいます。

モスクワのハイドロメタルロジカルセンター局長のガリーナ博士です。エッ?具体的には、どんな仕事をしているのですか?気象学らしいですが仕事のことはお聞きしませんでした。
なにしろ私は彼女の美しさにマイってしまったのです。
またぜひお会いしたい。その美しい笑顔にお会いしたいです。
2005年10月20日
18号 手紙を3通投函しました。
このカテゴリー13号で表明しましたとおり、ロシア館で知り合った人たちへ、ロシア語手紙を書きました。3日間で航空便3通を投函しました。
投函してからですが、きょう手紙のコピーを、ロシア語の先生に「添削」をしてもらいましたら、あららあ、間違いがいっぱいです。
格変化ですね。ロシア語での表現方法ですね。単語のつづりですね。←つまり全部…!
でも、Молодец!! と、こんなロシア語チカラで手紙を書く勇気、出してしまう厚顔さを誉められた(?)ので気をよくしております。
しかし、ロシアで受け取る彼らは、ああ、悩まれることでしょうねえ。笑っちゃうことでしょうね。
彼らのために、今度はもっと上手に書きます。
▽▽▽====
手紙が着くモスクワやサンクトペテルブルクはもう氷点下の気温予想です。みんなどうしているかしら?
2005年10月21日
【 53号】 すいか
~~~~~~8月7日 暑いモスクワの夕方 ~~~~~
私はすいかが好きです。夏の暑い日の食べ物はすいかです。人生最後の食べ物のデザートくだものはすいかにしていただきたいと、所望しております。とりわけ甘く瑞々しいものにしていただきたい、と。
だからモスクワの町のすいかハウスで、すいかの山を見たとき「買いたい、食べたい」となり、重さ10キロのすいかを買いました。2家族との食事会のくだものデザートのために。
が、マラトは喜びませんでした。
「(8月)いまごろのすいかは美味しくない。切ってあるから、病気になる」と言いました。
モスクワあたりのすいかの美味しい時期は9月くらいらしい。
道端で、洗ってもいないすいかに、汚い包丁を立てて切ると、そこからバイキンが入り込み、激しい腹痛を起こすらしい。
ちょっとムッとなったシューラと私。
なにかシューラがマラトへ言った。(私には理解できなかった。きつい口調だった)。
マラトは洗面所へすいかを持っていき、かなり時間をかけて洗っている模様。そして、目の前で包丁を入れて切り分けてくれた。
私は一番にいただいたら、あらまあ、ハズレ。甘いと言えば甘いけれど、ねぼけている甘さです。
「お塩をください」。
「なにするの?」
「美味しくなりますよ」と塩を少しすいかにかけて食べると、甘さが引き出されてちょっと美味しくなりました。
が、それを見ていた彼らは、驚きです。「そんなあ、すいかに塩?!」
「日本ではすいかは切って売っているから、大丈夫だよ」と言ってしまったら、マラトは笑いながら「ここはモスクワだ」とのことです。そのとおりです。
やはり、ぶどうが良かったかな?
マラトは、すいかの残りをビニール袋に入れて、シューラに、お持ち帰りをさせました。
【 54号 】 ぬるい!!
~~~~8月7日 遅い夕方というか夜の時間 でも明るいモスクワ ~~~
2家族と私のにぎやかな夕食会も終わり、マラトやマリーナ、ダニエルとの再会を約束してまだ明るい外へ出ました。シューラの車に乗り、しみじみとまたまた、とっても長い一日を過ごしていると思った。
シューラは「明日は映画の撮影に行こう。朝、10時にホテルへ迎えに行くよ」。
ちょっとワクワクします。映画の撮影……、でもどこへ行くのでしょうか?スタジオかな?観光名所かな?美しい景色のところかな?
「どこへ行くのですか?」
シューラはひとこと「ぼくも知らない」と笑いましたが、それはウソです。ときどきウソを言います。
車であっと言う間に、私のホテルサリュートに到着です。マラトの家はこのすぐ近くなのですが、私には位置がわかりません。目の前のあの建物は、マラトの家からも見えていた建物かな?あれの裏側かな?と、ちらりと考えた(だけだった)。
部屋に戻って、まず1番にお風呂を入れよう。が、ぬるいのです。湯がどうしてもぬるい。すごいショックです。
ピリッと熱めの湯に入って、手足を伸ばしたい。
湯の温度は想像で、38度くらいかなあ?
【 55号 】 もう、また引越しました。
==== 8月8日 朝から晴れているモスクワで =====
部屋は静かで助かったが、湯が出ない部屋ではこれもダメです。
バイキング朝食を済ませてから、フロントへ行って、きょうはへらへら笑わずに、きりりとして「湯が出ない部屋は困る。すぐに変えて欲しい」と伝えたら、「湯が出ない?」と言いながら、すぐにどこかへ電話をしている。メンテナンス関係のところへか?
「部屋をかわってください」とこれまた、あっさりと言ってくださった。でも、彼女の手と目はパソコンから離れずに、部屋を探している模様。何度か画面を変えている様子。と、「527号へ変わってください」。
1830号室へ戻り、トランクへなにもかもつめてまた、引越しです。

(1830号室からのモスクワ 中心部)
3泊の連泊が日替わり部屋交代で、これもまたおもしろそうです。
「どうか今夜はこの部屋で静かにしっかり眠れますように」と、まず湯の点検です。きりりと熱くはなっていないのですが、まあ大丈夫です。昨夜いた1830号室の下となるので、ホテル裏側で静かです。
そんな騒動をしていると約束の時間です。急いで支度。でも、どんなかっこうで行けばいいのでしょうか?と、考えても持ってきている服をやりくりするしかないから、Tシャツの上に長袖カーディガンをはおり、帽子をかぶってでかけよう。
1階に下りてフロントに行くと、先ほど部屋の交換手配をしてくれた女性が「湯はでますか?」と聞いてくれたので「ハラショー」と今度は笑って返事ができました。
シューラがやってきました。部屋の交代を告げると「湯が出ない部屋はホテルの部屋じゃあないよ」と言い、私に「早く車に乗って」と促します。
さて、どこへ行くのでしょうか?
2005年10月22日
【 56号 】 Внимание !! (ハイ 集中!!)
~~~~~8月8日 晴れの映画撮影現場 モスクワ ~~~~~
(この号、写真たくさん、重いです)
きょうもすっきり爽やかな晴れです。でも、昨日よりはちょっと気温が低く、ビルの影などに吹く風には、秋の気配も感じます。空には白いモクモク雲が流れていきます。
シューラの車は、モスクワ南部から中心部へ向かって走ります。ラッシュ時には渋滞しているこの大通りも午前10時を過ぎたこの時間はスムーズに走って、窓の外には、いくつか見慣れた景色があります。左手には以前泊まった「スプートニク」ホテル。好きなホテルです。親切な部屋係の女性や青い目のとても美形!!青年給仕がいましたね。
有名なガガーリン像が見えます。
レーニン像もあります。
小さな教会が見えます。以前よりもきれいになっています。
このあたりを右手に曲がってさらに行くと……、ダニロフスキー修道院とホテルがあります。ここのホテルはおすすめです。とても静かで落ち着いています。料理もとっても美味しい…。
などと、もう私もかなりのモスクワ通です。クレムリンが見えてきたら、シューラは道端に止って地図を出しています。きょうの現場を捜しているのでしょうか?また、走り出したもののどうも自信がなさそう。でも、私にはどうすることもできないので、後ろの席で、また窓の外をきょろきょろと見ているだけです。
都心の古い住宅街に入ってきたようです。「しばし待っていて」と彼は車を降りて、なにか捜しているような?いまも私はきょうはどんな撮影現場なのか、建物の中か外なのかさえもわかりません。行けばわかるので、聞きません。と、いうかシューラもわかっていないのじゃあないかな?そんなわけはないか。
戻ってきたシューラは「ここで車を降りて」。

古い住宅街の中庭が、現場でした。すでに幾人かが集まっていますが、まだ仕事にかかろうという雰囲気ではありません。カメラ担当者が木組みの足場を組み立ています。が、他のメンバーはお茶をしながらおしゃべりです。シューラは私を幾人の人に紹介してくれました。
「まあ日本から。ようこそ」。
「日本のKitano (北野武)の映画を見たよ」
「サムライ映画はたくさんあるのですか?」など、シューラの通訳?で交歓です。
誰が俳優で誰が監督でなど、いまはさっぱりわかりません。

シューラはやっと落ち着いたようです。やっと笑顔になってくれました。

「きょうはここが終わったらユリアに会いに行って、それから僕の家で夕食だよ。明日は、マルレンに会いに行こう」。はい。彼の言うとおりにします。
シューラが着替えてきました。他の俳優たちも集まってきました。それぞれの役割が動き出しました。俳優は向こう側に、スタッフはカメラの後ろに、見学者はもっと離れたところに、つまり私は用意された簡易イスに座って「見学していなさい」です。
最初はカメラテストのようです。いく人かのスタッフがきりりと動き回っています。俳優たちもカメラの前で移動しながら発声準備もしているようです。シューラも何度も口をあけたり、身体を柔軟にしています。
「Просто повезло」(和訳は「運が良かっただけ」という意味)という題名の映画撮影。

きょうの場面がどんな場面で映画の全体の中でどんな位置なのか、どういう設定なのか、さっぱりわかりませんが、こういう機会もそうそう経験できるものではないので、興味津々で見ていましょう。
今まで集まっていた人が散り、空間ができて、ひとりが建物の向うへ行き、大きな声で
「Приготовились !!! Внимание !!!」
撮影現場に緊張感が走ります。それは見学者の私にもわかります。大きな声を出した彼は監督であり俳優でした。


監督が演じる、役の彼が、建物のこちらからあちらへ歩いて行くと、建物の影からシューラたち3人が彼を襲うのです。シューラは少年の役でしょうか。かなりデカイ悪ガキのようですね。1度撮影したらその度にモニターで確認です。シューラは私をよびます。モニターの中では、歩いてきた男をからかって襲う若い兄さん達の悪そうな顔が大写りでした。でも、俳優も監督も不満そうです。

それからその場面を何回繰り返して撮影をしたでしょうか?
監督の大きな声での「Приготовились !!! Внимание !!!」 が繰り返されます。
途中雲が太陽をさえぎってしまったので、太陽待ちもあって、とても時間がかかっています。やっと「OK」となり次の場面へ。
でも、先ほどの場面の続きではないようです。その後わかったのですが、いろんな場面の細切れ撮影なのですね。きょう、出演の俳優登場場面を写しておくというものでしょうか。だから、シューラはもちろん他の俳優たちも、次々に場面に合わせて監督の指示どおり動き回っています。
その間に、メイクは俳優の顔を直したり、監督助手は、背景に写りこむだろう遠くにある資材置き場みたいなところまで走っていったり、照明係はいくつかの照明器具を設置したり、はずしたり。
撮影が始まったころやってきた、ちょっとオーラの出ている男性、デカイ声で話している男性、私は注目させられた彼がそばにやってきて、「シューラからあなたのことは聞いています。あなたが日本から来てシューラはいつも喜んでいます。シューラは僕の親友です。僕はイーゴリーです。よろしく」と、おっしゃって。ちょっとドギマギしてしまったのですが、うれしかったです。そのオーラはやはり俳優でしたか。

《白いシャツは イーゴリ・赤いシャツ(衣装)は シューラ 演技で意見交換中》

住宅街での撮影ですから、住人や通行人らが見にきています。
※次号に続きます。
【 57号 】 映画撮影現場から (長文)
~~8月8日 モスクワやや涼しくなってきた午後~~~
どれだけ時間が経っただろうか。俳優シューラ(アレクサンドル ゴルシュコフ)はかなり気合が入っているので、空きの時間も厳しい顔をしています。私のそばに来ても黙って座っているだけです。もう、付き合いも長いので、こういう時間には声をかけないほうが良いだろうことはわかります。
また、場に付き、演技に入るとイタズラのデカイ少年になります。

私は、座っているだけではタイクツです。でも、でもどこにも行けません。そっとここを抜け出して、町の探検に行こうかな?黙って行っても、告げて行ったとしても、どちらでも彼が心配して演技の世界が壊れてしまいます。ここは彼のためにじっとガマンです。
が、もうひとつだんだんガマンできない事態が私に起こりつつあります。困ったな~、どうしようかな~。そうです、これは生きていくうえで大事な大事なことです。ずっと外にいますし、あたりの様子もわかりませんし……。
スタッフの女性たちはどうしているのかな?だれかに聞いてみようかな?
と、撮影現場すぐ近くの事務所から、お姉さんたちがドアの前で見学しているのが目にとまりました。
ロシア語で、「ごめんなさい、トイレを貸してください」とお願いをしましたら、気持ちよく「どうぞ、こちらよ」。助かりました。ホッとしました。生き返りました。
「なんと言う映画なの?」とその事務所の若い女性に聞かれましたが、「私は知らないのです」と答えると不思議な顔をしてました。
おなかも空いてきました。こういうとき日本はロケ弁だよなあ。時間はもう午後3時です。撮影現場はすっごく緊張感がいっぱいで、俳優たちもスタッフも休憩もありません。手の空いた人がお茶を飲んだり、どこかへ消えてはすぐ戻っていますが。
シューラがそばに来て「昼食食べましょう」と言うので、私はてっきりどこかへ食べに行くのかなにかを買うのかと思ったので、「お金持っていないし」。きょうは両替をしなければルーブルを持っていないのです。ヘンな応えをしたのでシューラは苦笑しています。「お金は要らないよ」。エッ???
ロケ弁でした。ロシア料理ロケ弁です。
ロケバスの中には、各種お弁当が用意されていました。「好きな物を取っていいよ」。
私は、そばの実(гречка)を主食に、豚肉とサラダの詰め合わせのパックとトマトスープにしました。パンは別にきりわけてあります。果実のパック詰めもあります。それらを手にして、シューラといっしょに現場からちょっと離れた、小さい公園のベンチに座って食べました。でも、シューラは出番を気にしているのがわかります。美味しいロケ弁ですが、ちょっと落ち着きなく食べました。シューラも大急ぎで食べてすぐに次の場面の撮影に入っています。

イーゴリさんがいよいよ登場です。彼は主役級でしょうか。彼用のイスがあり、メイクも衣装も彼専門に女性がついています。イーゴリーは、さっきまで短パンのお兄ちゃんでしたが、黒いスーツになって現場に入るとますます光ってきました。でも、彼の出番も少しづつ細切れです。
待っているのが映画俳優でしょうか。緊張感と集中力の緩急自在さに敬服します。カメラの前に立つとピシッとサッと演技に入り、はずれるとさっと顔がかわり、でも、また役になるとすごい光を放ちます。これができなければ一流ではないのでしょうか。
そんなことを、シューラやイーゴリーたちを見ていてわかります。演技の集中力はすごいものです。もちろん映画の撮影だけではなく舞台でも同じことです。
だんだん風が冷たくなってきました。シューラがそばに来て「まだ終わらない。いまから別の場面を撮影して、また僕たちの撮影がある」とちょっと不満そうです。この後の約束のことを気にしているようですが、仕方がないですね。

さっきから暑い夏なのに冬服を着て見学している女性がいます。出演の女優さんでした。彼女の出番の撮影が、ちょっと向うの建物の前でされています。覗きに行きました。
カメラは窓辺にたたずむ彼女と窓から手を振る彼女を写しています。もちろん、照明スタッフやいろんなスタッフが動き回っています。
映画撮影スタッフも厳しい仕事です。緊張感の仕事です。照明スタッフのリーダーの動きがどんどん活発になってきました。機材も大きくなってきました。日が長いモスクワの夏でも、太陽の動きで明るさは一日中均等ではないからでしょう。照明スタッフの若い兄さんは午前中は、本を読みながらのんびりしていましたが、いまは忙しそうです。時々リーダーから厳しい声も飛んでいます。
監督は自分も俳優をやっていますから、その動きはすごいものがあります。衣装係は気がぬけません。監督が俳優となるとさっとその場面の衣装に着替えさせます。監督はさっと俳優になり、役に変身です。役者の手に持たせる道具類もさきほどから、並らべられています。小道具係ですね。彼女はさっと役者の手に道具を持たせたり、離させたりを機敏に動いています。どうも革のかばんが監督は気にいらないようで、かばんを投げたり踏みつけたりして、“古く”しているのは小道具係です。
また、撮影場面は変わりました。火が出てきましたよ。シューラがその火を点けるようです。
悪ガキ君は、かばんや衣服を監督がやっている役がらから奪ってしまい、それらに火を放ち燃やしてしまいます。火が立ち上らねば画面的に面白くないからガソリン?でしょうか。火が大きく出ます。危ないなあ、と私は心配しています。
その場面は火の勢いが問題なのか、かなり細かい指示が監督からでているようです。シューラがリハーサルを繰り返しています。もちろん危なくないように助監督がウラで細工をしています。おもしろいですね。こういうのがあって面白い映画ができるのですね。
無事、火を使った撮影も終わりシューラの撮影も終わったようです。監督と熱く握手をしています。
すぐにシューラは、事務方らしき女性のところへ行き、なにか書き物をしています。メイクを落としているとその女性がシューラになにか渡しています。本日の賃金です。いくらなのかは私の知るところではありません。そして、衣装の赤いシャツを「もらったよ」と嬉しそうにしています。
私はすっかり疲れました。そして、そろそろまた要求があるのですが、もうここは引き上げるのでしばしガマンしましょう。時間は午後7時は過ぎていますが、まだまだ明るいモスクワです。でも、きょうはちょっと冷えます。日本でいう秋が近づいてきた夏の夕暮れのような気配です。
「この近くでユリアが待っているよ」。ユリアさんは、万博ロシア館で通訳で働いているコースチャのお姉さんです。弟のために持って行って欲しいものがあると言いましたから、会わねばなりません。
2005年10月23日
19号 万博の人々 5 インタビュー
やっと登場していただくことができます。5月ごろからこの「マーミンカ通信」に登場していただきたかったのに、私の都合で遅くなりました。ごめんなさい。
(インタビューは9月25日閉館したばかりのロシア館内で)

宮本英治さんです。
ロシア館内にはいくつか防犯監視カメラがありました。展示物の防犯監視もそうですが、広い館内で観客になにかあるとタイヘンですから、不特定多数が入場する場所にはこれらのカメラの役割は大きいです。
防犯カメラの技術者としてロシア館で働らき、ロシア館の若手ロシア人スタッフたちといつもいっしょにいた宮本さんです。
▽どれだけの期間ロシア館で働いたのですか?
==3月半ばから閉館まで。半年間です。ぼくは大阪から出張しているのです。
▽はじめて会ったロシア人ですか?
==そうです。ロシア語わからずタイヘンです。でも、なんとかなっていますが…。
▽じゃあ半年間で、ロシアとロシア人をしっかり勉強できましたね。
==いろんなこと覚えましたよ。彼ら半端じゃないですよ。お酒を飲めばとことん飲むし、遊びもとことんやるし……。ホントすごい人たちデス。
▽あちこち遊びに行ったのでしょう?
==僕もなにかと忙しいのですが、彼らと休みがあえば、あちこち行きました。彼らは、海が好きですね。若狭の海へ行ったのが一番面白かったかな。山のほうも行きました。関・高山とかね。交流会っていうかパーティもやりました。
▽食べて飲んで遊んで……、彼らと良い思い出いっぱいですね。
==そうですね。遊びました。そうそう、いっしょにおみやげなどの買い物へ行ったとき、彼らは “Made in Japan”にこだわるのですね。買い物もしっかり物を見て、しっかり考えて買っていました。
▽とても楽しい万博で楽しい仕事でしたね。
==最初は、どんなことになるかなと不安もあったのですが。一期一会の縁っていうヤツですね。飲んだくれ友だちが増えました。モスクワに会いに行かなければならないです。行くとウオッカをたくさん飲まされるだろうなあ。でも、きっと行きますよ。良い人だから会いにいかなければね。
宮本さん、ありがとうございます。
ロシア館のスタッフたちの街は、もう冬の季節を迎えます。でも彼らは平気でしょう。ウオッカをグビりとやって身体の中から温めて寒い冬も平気な彼らです。ときには日本でのこと思い出してくれているかしら?思い出すはずです。こんなに遊びまわった友だちがいる日本ですものね。
20号 万博の人々 6 インタビュー
名古屋で活躍するロシア語の先生に、ロシア館のことやロシア語のことを語っていただきました。

服部和(ハットリ カズ)さんです。(写真 左が服部さん。右はロシア館のユーリヤさん)
▽万博やロシア館との最初のかかわりはどんなものでしたか?
==名古屋で万博開催の話しが聞こえてきた時、私が気に入っている瀬戸市の海上の森(かいしょのもり)が壊されるのではないかと、反対でした。
計画がかわって、海上の森はなんとか守られて良かったのですが、あまり万博には関心がなかったのですが、万博はどんなものなのかな?と思って、一度は行くつもりでした。
▽はじめて行かれたのは?
==5月半ばになりました。ロシア国がこの万博に大きく力を入れていることと、本物を持ってきていることに感動しました。そして、ロシア館にはロシア人スタッフが大勢いることを知り、彼らのためになにかお手伝いできないかと思いました。
▽彼らのためにはとても必要なことです。
==そうですね。半年もこの名古屋で生活されるのですから、ぜひ気持ちよく快適に過ごしていただきたいと思いました。お買い物の手伝いでもできないかと思っていたのです
その後、名古屋に住むロシア人たちとともに、ロシア館スタッフのいく人かをお誘いし、ビール工場見学会へ行きました。みんなでビールを飲んで、ロシア館スタッフのみなさんがとても良い人たちとわかりました。
▽ナショナルデーも行かれましたか。
==はい。とてもすばらしいナショナルデーで感動しました。素晴らしかった。うれしかったです。
▽ロシア語の先生として、ロシア館への思いは強いものがありましたよね。
==もちろんです。ロシアが親戚というか大好きですから、なにか悪口とか言われたらショックです。だから、館内の見学者の感想などをお聞きするのが大好きです。
▽ユーラシア協会(愛知県連合会)ではロシア館見学会(8月はじめ)もされました。
==スタッフのみなさんに丁寧に説明をしていただき交流もできました。見学者のみなさんもとても喜んでいました。他の機会でも、ロシア館展示をみなさんが誉めてくださることはうれしいですし、ロシアのことを知ってくださるのはとてもうれしいのです。
▽ユーラシア協会恒例の「ロシア語サロン」(9月)には、ロシア館スタッフがゲスト出演され、通訳は服部先生でした。
==民族学者のジィーマ バラノフさんのお話しには、みな引き込まれました。とても良いロシア語サロンができました。サロンの後に岐阜の鵜飼に行ったのも楽しい思い出です。
▽万博訪問の最後の日はいつでしたか?
==9月17日の夕方行った時涼しくて、ああ、これで終わるのかとちょっと寂しくなりました。最後は24日で、もちろんロシア館へ行きました。もっと長く開催していて欲しかったですね(笑)。
▽ジィーマさんのおみやげのお買い物を助けていただき、彼は喜んでいました。
==大須の町やデパートを歩きました。お付合いできてうれしかったです。お帰りになる前日でしたが、「おみやげが買えて宿題を終えたみたいです」と、笑顔でホッととされていました。
ゲーム用品などにはいっさい関心をしめさないジィーマさんでした。
▽先生はなぜロシア語に惹かれたのですか?
==ロシア語の「音」に魅力を感じたのです。他の言語のどことも違う「音」でしたから。「ああいう言葉がしゃべってみたい」と強く思ったのです。
▽万博で、ロシア館見学で、ロシア語に興味を持った人も多いでしょうから、ぜひロシア語の魅力を語ってください。
==ロシア語ができればロシア人とお話しができます。ロシア文字が読めれば旅に行っても楽しみが増えます。ぜひ、勉強してみてください。人生が楽しくなりますから。
ありがとうございます。
服部先生は、ユーラシア協会でロシア語中級クラス(水曜夕方から)を教えてみえます。
「ロシア語ができるとロシア人とお話しができる」。まさにそのとおりで、ドキッとしてしまいました。もっと精進しましょう。もっとロシア人とお話ししたいと思う私ですから。
2005年10月24日
21号 万博の跡地は、工事現場となっていく
閉幕から1ヶ月。万博会場への立ち入り許可は外国人スタッフらも含めて25日までです。
すでに多くのパビリオンが壊しにかかっていますが、これから本格的に工事現場となります。もう終わりです。
秋が深まっている名古屋です。
2005年10月25日
【 58号 】映画撮影のあとは
~~~~8月8日 モスクワの夕方 ~~~~~~
映画撮影の見学と言ましても、同じところにじっと座っていたわけではなく、撮影場所や角度が変わればそれについて、小さい移動をしていました。モニター画面を見に行ったり、撮影の近くに行ったりとしてました。なによりも、なにがどうなっていくのか、いつどうなるのかという、場を読めない状況は、緊張です。
きょう見てきた場面は、きっと公開フィルムでは、ほんの1~2分もないような場面かと思います。
主人公(監督兼俳優)が町の若者に悪さをされて、大事なかばんなどが燃やされるが、突然町のボスのような(俳優はイーゴリー)がやってきて若者達をやっつけてしまう…。そんな場面と見たのですが、公開フィルムではどのような……???
モスクワの乾燥した夏の日でしたが、午後から気温が下がっていきます。終わった時はホント疲れてしまいました。シューラの車に乗り込んだときは、ホッとしたのですが、しばらくしゃべる(ロシア語)ことは面倒でした。シューラは逆にひと仕事終えて、ハイです。
車はちょっとだけ走って、広い通りに出るとすぐに、ユリアさんが待っていました。彼女をすぐ車に乗り込んできました。シューラと映画の話しなどをしているのですが、どうもユリアさんも忙しそうです。日本へ万博へ行っている弟のコースチャに運ぶものを託されました。
「今度はいつモスクワに来ますか?」
ユリアさんに聞かれて即答はできないのですが、必ず再訪はします。
「そのときはぜひ、お会いしましょう」と固い約束をしました。
22号 もう終わろう万博ネタ !???
↑ という題名をいままで何度も書こうと思っていました。ネタ帳を整理していましたが、ああ、まだ書けていないことがいくつかあるのですが……。そしてどうしても書いていきたいことがあるのですが。
スミマセン。「もうやめたら」と言うみなさんの期待を裏切って!!まだしばらくは、万博ネタが続きます。よろしいでしょうか。

万博は出会いでした。昨年のいまごろはまったく知らなかった人たちと万博を通じて知り合いになりました。名刺や携帯番号を交換した人たちも多くいますが、会場内でおしゃべりした人も、万博ネタプログで出合った人も含めれば、とても多くの人との出会いでした。
また、あまり交流がなかった人たちとも万博を話題に、これからのお付き会いが長く深くなるだろうと思われます。
私は限られていましたが、諸外国の人たちとの出会いもそれは貴重な経験です。
私にとってロシア館スタッフたちとの出会いは、ちょっとした人生の奇跡のようなものです。
いま、一番ここで書いていきたいことは、ロシア館スタッフたちが、いまそれぞれの持ち場に戻り、日本での経験体験がどんなものだったかを、ぜひ取材して報告したいのです。
それは私のロシア語チカラでは、かなり難しいことですし、ロシアの彼らもきっと多忙な生活で、すぐに返事をいただくということもタイヘンでしょうから、時間がかかると思われます。
でも、きっと万博&日本生活体験者の彼らのロシアでのいまを書いていきます。
だから、しばらくまだ、おつきあいください。
そして、ロシア語達人のみなさん、どうかちょっとお力を貸してやってください。
このロシア語もできないのに壮大なことばかりを考えている、マーミンカへ。
では、次号は私に大事にしていたペンをくださったあの人のことを書きましょう。
【 59号 】 長い一日、ワインで酔って……。
~~~~~ 8月8日 夕方のモスクワにて~~~~~
モスクワの中心地=クレムリンから東北のところあたりの大通りの一角に止めた車の中で、ユリアさんと私はお話しをしました。と言っても私の思考回路は停滞しておりまして、ユリアさんはロシア語と英語と両方で話してくれるのですが、「弟は日本語ができてもお姉さんは日本語できないのね」なんていう、お馬鹿なアタマになっておりました。シューラは?私たちを車においたまま「両替と買い物」に行きました。私が「両替!両替!」って何度も言っていたので、「僕が行ってくるから、ユリアさんと話していなさい」。
しばらくして、シューラがケーキを買って戻ってきました。
ユリアさんからは、愛する弟が好きだと言うロシアのお菓子とか飲み物を預かりました。そして「パパとママからの手紙も渡してください」とも。
なんだか胸がキュンとなってしまいました。「大丈夫、早く必ず届けます」。
シューラは私に「今度モスクワに来たらユリアやコスチャに会えるね、友だちが増えたね」とうれしそうです。ユリアさんと再会を約束して彼女とお別れしました。
車は「さあ、僕の家に行くよ」と一気に走ります。早く家に着いてねと私は祈っていました。
午後9時くらいです。シューラの家に到着です。もう何度も来ている彼の家。私はみんなへのあいさつもそこそこに、ずっとガマンしていた御用の部屋にまっしぐらです。「ああ、もうちょっとで危なかった。ホオ~~~」。
シューラ夫婦と3人の子たちとシューラのママとで楽しい夕食会です。長男のアリョーシャが私をパソコンの前に呼んでくれます。「僕の写真を見て」。なんでも友だちとキャンプに行ったときの写真で、「湖と山がとてもきれい。友だちと遊んだよ」とうれしそうに見せてくれました。
次男のジィーマ君は私が行くといつも照れているのです。「サンクトペテブルクへ行ったことあるの?」って聞いたら、「僕まだ行ったことないんだよ。行きたい」とちょっと悲しそうな顔していました。今度いっしょに行きたいなあ。連れて行こうかな。
2歳のポーリャはちょこまかといろんなことをしています。私がペテルへ行く前にシューラが「ポーリャは猫が大好きなんだ」と言っていたので、サンクトペテルブルクの本屋でみつけて買ってきた「猫の絵本」を気に入ってくれたようです。が、それもつかの間で、そこらへんに置いたまま遊んでいます。
俳優の娘ですね。パパは言葉の専門家として、ロシア語を何度も直しています。それになにか詩の一部でしょうか、彼女は暗誦して聞かせてくれました。きっとパパが教えたのでしょう。「2歳でロシア語をこんなにしゃべっているよ」と感動してしまいました。
ワインを少しいただいたのですが、効いてしまってなにか途中から記憶喪失でした。でも覚えていることがあります。
「またすぐにモスクワにおいでよ。待っているよ」。とみなさんが言ってくれたことです。
何時くらいでしょうか。シューラに車で送ってもらい「お休みなさい。また明日」とホテルの前でお別れしました。ユリアさんからの荷物を抱えて、部屋に戻ってすぐに私は眠りました。きょうも長い一日でした。
2005年10月26日
23号 万博の人々 エピソード 4
今回はブラドレーンさんをご紹介しましょう。
万博の後半にパビリオンで大活躍してみえました。女性たちにとっても優しくしていました。難しいお名前で覚えられませんでした。だからパビリオンでは呼びかけることもできずにたいへんに失礼いたしました。
万博閉幕後のある日、ジィーマさんの宿舎へ荷物の御用に行ったとき、おふたりが同室であることを知りました。
ブラドレーンさんは私に「台所の油汚れを落とす洗剤の名前を教えて」と聞かれました。もう部屋を空ける=帰国する日がまじかで掃除に必要だったのでしょう。
洗剤の名前よりもなによりも、彼の名前がしっかりアタマに入っていないので、呼びかけることができず、ちょっとドギマギしていました。ロシアの人たちはみんな名前を呼び合いますから。ナント言ってもそれまでパビリオンで何度も会っていますから。
彼が自分の部屋に入っていかれたときに、小声でジィーマさんに「彼の名前をここへ書いて」と私のノートに書いてもらいました。ジィーマさんは「 『Владлен 』っていうソ連時代の名前。難しい名前だよ」と小声で教えてくれました。
と、戻ってきたブラドレーンさんの手には、「洗剤の名を書いて」と紙とボールペンがありました。
彼の名前を覚えることにいっぱいだったわけで、瞬時に洗剤の名は思い浮かばず、「あとでジィーマさんとコンビニに行ってみてきます。ブラドレンさん」。
と、呼びかけたのですが、やはり下手だったのですね。「私には難しいあなたのお名前でして……、ごめんなさい」と正直に申し上げれば、
彼は持っていた紙に
Moscow Institute of Oceanology VLADLEN
と書いてくださいました。そして、いっしょに発音して、笑いました。

(パビリオンにて、9月25日撮影)
ボールペンを「おみやげにプレゼントするよ」。遠慮せずにいただきました。↑写真の胸にある万博記念のボールペンでした。ありがとうございます。ブラドレーンさん。
2005年10月27日
24号 2枚の写真
万博に通っては写真を写していました。とてもたくさんの写真がパソコンの中で、まだ整理できていません。いつかは整理をしなければなりません。
開幕すぐの4月はじめの コモン4(ロシア館はこのずっと奥にありました)

閉幕間近の9月末のコモン4

月日の流れのなかに織り込まれている私たちの人生、しみじみする秋の夜長です。
25号 3枚の写真
ウラジオストクもモスクワもサンクトペテルブルクも、すでに雪が降ったと伝わってきました。雪……。もう、冬ですか。
愛知万博 長久手会場の北ゲート 奥に見えるのはリニモ駅です。
5月=朝の入場者の列が終わったところなのでしょうが…。

7月17日(日)21万人の入場者の日

9月18日(日)28万人最高の人出記録の日

2005年10月28日
【 60号 】 余話*** 時差の話し
夏の間のモスクワやサンクトペテルブルクと、日本の時差は5時間です。日本のほうが5時間早く1日がはじまります。私は時差の調整がとっても難しく、体内時計の調整は苦痛でなりません。
だから、この夏の旅の間も、こんなこととなっていました。
日本時間朝7時=あちらでは前の日、深夜2時。毎日深夜2時~3時、ばっちり目があいていました。身体が「朝ですよ、起きなさいよ~」と言います。
日本時間夜12時過ぎ=あちらでは楽しい夕方7時ごろ。急に睡魔に襲われます。まさに電池が切れたように動けなくなります。
旅の間の体内時計は、睡眠の時間がわかっていないようです。細切れ睡眠です。お酒で少し酔って寝ても、深夜に目がばっちり開いたりします。
「たっぷり深く寝満足」という達成感!がちっとも得られません。いつも寝不足です。
この旅は夏で太陽の光を浴びる機会も多く、体内時計調節に必至と言われる太陽光線はたっぷり浴びえていたので、元気にしていましたが、それでも、身体のどこかは「眠い」が続いていました。
暗くて寒い冬の旅は、それはもっとたいへんです。時差は6時間です。演劇シーズンで観劇に出かけて芝居の幕が開くあちらの午後7時は、日本の深夜1時!!!睡魔との戦いです。
だから、観劇の前に眠くならない工夫をいくつかしています。
午後の時間をゆっくりする。午後の時間眠る。その後熱い風呂に入るなど。
そして、旅の後半、帰国寸前になってやっと身体は、モスクワ時間を体得する気構えになるのですが、遅い!です。
旅は相当にエネルギーを使います。時差もあわせて決してムリをしないで、自分の身体に正直に、いたわりながら楽しみたいものです。
2005年10月29日
【 61号 】 余話 *** 犬の話し
犬が大きいというべきか、犬も大きいというべきか。モスクワのあちこちで熊のような、犬が町をかっ歩してしております。もちろん小型犬も中型犬もいます。
私は6月に日本で中型犬に足をかまれ、それから、すっごく犬が恐くなりました。
モスクワで泊まっていたホテル近くの住宅街の犬達が、飼い主と散歩をしている光景には、ちょくちょく出くわして、そんなときは彼らと離れてそっと歩いていました。決して「おいでおいで」などと日本語でちょっかいを出しません。
と、ある日、大きくって黒い犬が、若い女性と散歩をしていました。もうひとり後ろから歩く女性は小型犬を連れていました。小型犬が先に私に吼えてきました。いや~な感じ。
と、黒い犬が突然、私めがけて走ってきました。「きゃあ~~~」と私は叫びました。
と、若い女性も驚いたのでしょう。犬のひもをすぐに引き寄せました。犬はとても長い紐でつながれており、若い女性は携帯電話中でした。ホッと安堵したものの、もし、ここで犬に襲われたら私はどうなったことでしょうか。と、想像するのも恐いので想像しません。
その日、テレビのニュースではきっと「町の犬を捕獲しているが、その犬達を保管する小屋?がもう犬でいっぱいだよ」みたいなニュースをしていました。“犬問題”も抱えているモスクワです。
犬に襲われないように注意しましょう。
狂犬病がまだ存在するロシアです。破傷風も恐いし。ナント言っても犬にかまれると強烈痛いです。と、経験者は伝えます!!
2005年10月30日
【 62号 】 お買い物に行きましょう
~~~8月9日 いよいよ帰国の日 朝のモスクワにて ~~~
やっと満足に思う眠りから目覚めて時計を見れば、朝7時過ぎ。窓の外はきょうも晴天。やや風が強く吹いているようです。サリュートホテル5階からは周りの住宅街を見ることが出来ます。

まずは、久しぶりにお風呂へ入ろう。もっと熱い湯が欲しいところだけれど、これでもOKの湯に、日本からのハーブ入浴剤を溶かして、ゆっくりと入る。湯の中で本日の計画を考える。シューラは、12時に迎えに来てくれ、ロシア全展覧会センターへ行って、マルレンさんと再会して、その後展覧会センターのどこかパビリオンを見学して、そして空港へ。19時25分発の東京行きに乗って……。
あとわずかなモスクワです。風呂上り、片付けながら見ていたテレビでは「日本の長崎は原爆記念日です。原爆から60年の夏です」と伝えていた。そうです。8月9日も世界はこの日を伝えて欲しい。
朝食は1階のレストランでバイキング形式です。サラダにスープ、熱い料理、冷たい料理、くだもの、デザートなどたくさん並んでいる。贅沢だなと思う。あまり空腹感もないので軽く済ませて、外へ出る。
ホテルから歩いて20分もかからないところが、ユーゴザーパドナヤ地下鉄駅です。その周辺はデパート、スーパーマーケット、大小の露店が並んでいます。シューラは「ひとりで歩いてはダメ」と言いますが、ナイショで歩いてみましょう。私のロシア語で買い物に挑戦です。
道行くバスやトロリーバスや相乗りワゴン車がどれもきれいです。みな新車になったようです。夏だからでしょうか。サンクトペテルブルクでもそう思ったのですが、めちゃくちゃオンボロ車がとても少なくなったように見えます。ロシアの景気のよさでしょうか。
デパートは開店したばかり。べつに欲しいものはないので、さらりと見て回るだけ。なんでも売っている。「ないものはない」と実感します。
外の露店で、ハンガーにかかった女性用下着が、太陽の光のもとにさらされて売られている。その隣りでは、化粧雑貨が並んでいるし、靴屋も、鍋屋もきょう一日頑張って売りまっせと、ところ狭しと商品が並んでいる。残念ながら、購買意欲はないのでちょっとのぞくだけ。
先日シューラと行ったスーパーのお菓子売り場で、万博スタッフのためにチョコレートとハルバというロシア人大好きお菓子を買うことにしましょう。
背の高い売り場の女性に「チョコレート10枚お土産にします」。
「どこから来たの?」
「日本です。日本のお友達におみやげにするのよ」って言うと、
「日本にはチョコレートはあるの?」
日本のためにしっかり応えておかねばなりません。
「もちろんあります。美味しいものあります」。
彼女は「ロシアのチョコレートは美味しいのよ。他になにしますか?」
とても笑顔のステキな優しい人です。
いくつかお菓子を買ってお金を払ったら、小さいキャンデーを1つもらいました。とってもうれしかった。
次はチーズの店をのぞいて、ひも状のスモークチーズを買いましょう。これなら少々日持ちもしますから日本へ持って帰れます。ここの女性も気持ちが良い人です。
外へ出て露天の八百屋さんにならぶネクタリンを見つけました。サンクトペテルブルクで食べた瑞々しいあのネクタリンの記憶がよみがえり、また食べたくなりました。1キロいくらという表示で、お姉さんが袋にいれて量りにかけます。「10個頂戴な」。「○○ルーブルよ」と難なく買い物ができるかと思ったら、お釣りを彼女は間違えたのかどうか、少なく渡してくれます。あれ?
「マーラ !」と抗議すると、無言で不足分をくれました。

次に美味しそうなトマトを買いましょう。
「これ美味しいの?」
「もちろんさ。さあ、どれだけ買うの?」、八百屋のおかみさん。
「そうね。6個くらい」。と、言ったのに、おかみさんは
きゅうりに手を伸ばして
「こちらのきゅうりも買うでしょう?買いなさいよ」。
商売上手のおかみさんのやり手に乗ってしまいきゅうりも買い、トマトも買いました。

生野菜を買って日本へもってきたの?と思われるでしょう。ちらりときゅうりなら日本へ持って帰ることができるかな?とは思ったもののそれは、いろんな意味で危ないのでやめました。
昨日ご馳走になったシューラ宅へのお礼の品にしました。
両手にかなり重いビニール袋をぶら下げて、モスクワ市民おばさんスタイルで歩いてホテルへ帰りました。ホテルの部屋ですぐに、ネクタリンを洗って口にしたのですが……、ああ、あのペテルブルクの朝のネクタリンには負けるモスクワネクタリンでした。
2005年10月31日
26号 滞在時間 1時間ちょっと
万博開催中のおもしろ話しです。
私の友人けいこさんは、ある世界的ロシア人ピアニストを世界各地へ追っかけている超エネルギッシュな女性です。

(けいこさん秘蔵のピアニストサイン入り公演パンフレット)
6月はじめ、豊田市で彼のコンサートがあるので、名古屋にやってくるというけいこさん。その前に電話をしてきました。
「せっかく名古屋に行くから、万博も行きたい」。
「名古屋に泊まるのですか?」
「いいえ、次の日、ピアニストは関東でコンサートがあるから日帰りで東京へ帰ります」
「それでは万博はちょっとムリですよ」。
彼女のスケジュールは、名古屋到着が午後1時ごろ。豊田市ホールでのコンサート開始が午後5時だから、4時半には席に着きたい。つまり、3時間半の時間に名古屋~万博長久手会場~豊田市ホールへと移動できないだろうかと言う。
私はやんわり断ったものの、超多忙な彼女が、もう一度万博へ来ることは無理だろうなと思う。
「万博行って見ますか?でも時間は少ないし、入場料金は4600円と交通費も、お金がかかりますよ」。
「お金は心配しないで。行きたい」。
では、短時間で万博へ突撃、まさに突撃することにしました。
名古屋に到着したのが午後1時。ピアニストに贈る花束、それも超特大を買って、名鉄メルサからの万博東ゲート行きバスに乗り込んだのは午後2時ごろ。彼女は、コンサート聴衆用衣装です。私も一応同行者として恥ずかしくないように、いつもの「万博コスチューム」とは違うものを着て。
その日は、晴れているけれど雷雲が動き回っている午後です。会場に着くとやはり心配していた雨が落ちてきた。雷も遠くで鳴っています。
ピアニストの出身国ロシア館にだけ行くのが目的ですから、「イザ、ロシアへ」とパンプスで会場を走るようにして、あのはてのロシア館へ向かいました。
ゴンドラなどの乗り物は乗り込むまでに込んだいたので、一番早いのは、この足だからと、私たちはとっても速く走り歩きです。と、見上げるとゴンドラが止まっていました。雷のためしばらく停止したとは、あとでわかったことですが、「ゴンドラに乗っていたら閉じ込められて泣いているよ」とけいこさん。
彼女は、大きい花束にたくさんのプレゼントが入っているだろう袋、おしゃれなバッグを持っていても、まったく平気で、歩きます、いえ、走ります。
ロシア館には、あらかじめ、通訳コースチャに連絡をしておき、「遠来のお客様に説明をしてあげてください」と頼んでおいたので、それは安心。
ロシア館到着が午後3時ごろ。もうふたりとも息を切らせ、汗と雨で濡れたものを拭く時間も惜しくて、すぐにコースチャに説明をはじめてもらう。
彼の丁寧な説明に、けいこさんも「おもしろいものがいっぱいあるから、もっと知りたい」と楽しそうです。が、時間はあっという間に過ぎてしまいます。
「ああ、時間がない。西ゲートまで歩いて15分以上はかかるし、雨も降っているから早めに……」と、いうわけで、もっと説明をしたがっていたコースチャには、とても悪かったけれど、私たちはまた急いでロシア館を撤退して、西ゲートに走りました。
ロシア館があんなに遠いところに位置しているのがとっても憎たらしいと思う。ロシア館滞在が40分くらい、ロシア館見学だけ。そんな万博行きとなったけいこさん。
西ゲートからタクシーに乗って豊田市へ。もっと近いかと思ったらなかなか遠くて、運転手が豊田市コンサートホールを知らなくて。ちょっと焦ったものの、開演にはじゅうぶんに間に合いました。
けいこさんはピアノコンサートを堪能して、あこがれの大ピアニストに「万博ロシア館のおみやげです」と、あのミニ滞在時間でもしっかり買いこんでいた「ロシア館マンモちゃんクッキー」を贈っていました。
追っかけする者の真髄です。だれよりも目立つおみやげをしっかり用意して渡したのですから。
偉いね。けいこさん。ホンマにあなたは最高、偉大なるピアニスト ミハイル プレトニョフ 様の追っかけ大ファンです。

(この日ではありませんが、偉大なるピアニストへ、プレゼントを渡すけいこさん)