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2005年08月01日

130号 夜のオールスターショーは中止となりました

 すさまじかった7月30日土曜日の夜のそれぞれのゲート付近。私は、命の危険を感じました。前は全然動かないのに、後ろから人がどんどん詰めてくる恐怖。逃げ道のない恐怖です。
 万博協会は、正式の夜のショーは中止と発表しました。7月29日の金曜日の夜からはじまり、そのときもうすでに混乱が起きていたようですが、もっと人出が多くなることはわかっている、土曜日の夜の大混乱。

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 ちょっと想像すればわかると思うけれども、どうなのでしょう。多くの人たちが帰るために集中する、北ゲートの上で、ちょっと不思議なナイトショーを催すとどうなるか。大混乱が想像できなかった、主催者には、抗議しておきます。

 それと、東ゲートのエスカレーターの混雑具合も恐怖です。2機のエスカレーターを動かして、バス乗り場へのお客のうち、車イスやベビーカー以外のすべてをエスカレーターに乗せます。どんどん、乗せますが、前の人との距離をとりません。あれは危険です。もし、急に動きが止まるとどうなりますか?大転倒事故発生ですよ。前後の人との距離を十分にとって、エスカレーター以外の通路も確保しておく必要がありますね。そういう誘導をしてほしいものです。

 ちょっと万博には行くことができませんが、夏休みも真っ盛り、暑さもまっさかり、どうか無事で楽しい万博を過ごしてくださいね。

 モスクワのテレビを点けたら「日本で、EXPOで ○●◎;@~×・×・。がありました」なんて、恐い映像とともに流れないでくださいね。

 では、今度万博へ行くのは、8月13日かな?その時を楽しみにしています。


2005年08月02日

【 12号 】 では、行ってきます。

 モスクワとサンクトペテブルクへ、ちょっと行ってきます!!

 いま、2日午前1時半です。涼しい夜となっています。
 やっと荷物を詰めました。が、カギを閉めるまえに、要らないものを入れていると思われるので、再度ちょっと整理をするつもりです。

 少しだけ眠ったら、もう出発します。

 空港で朝のコーヒーを楽しみますね。飛行機に乗ったらワインを飲みますね。しばらく眠ったら、機内でロシア語の勉強をします。そして、窓の下に広がる大きなロシアの大地にごあいさつです。「また、来ました」と。

 モスクワには、シューラと運転手のマラトが迎えに来てくれます。すぐにホテルへ走ります。冬は劇場へ直行ですが、夏は、まだまだ明るい外をちょっと歩いてみましょうか。

 冷たいビールを飲みながら、シューラと旅の打ち合わせをします。シューラはとても時間の管理に厳しい人です。俳優は舞台を時間で動いている人ですから。
 明日のいまごろは……。

 私がルスをしている間の日本はどうなっているでしょうか?モスクワではテレビのニュースをチェックしておきますね。インターネットは、探してまで、やってみたいとは思わない。それよりも町を歩いたり、お話しをしていたい。

 今度書き込みができるのは、10日の夜の予定です。では、それまで、お元気で~~。

 ☆~~~~
  応援メッセージをたくさんいただきありがとうございます。とても勇気があふれます。
 今度は「旅日記風騒動記」を書いていきますね。ちょっとだけ待っていてください。
                                    ~~~~~~~~~~☆


2005年08月10日

【 13号 】 帰ってきました!!

 ただいま!

 ものすっごっく楽しい旅でした。モスクワでもサンクトペテルブルクでも、どこでも、ひとつも嫌なこと、落ち込むこと、怖いことなどありませんでした。

 この旅でお話しをした人たち
 シューラ・ターニャ・ユーリャ・リョーシャ・オレク・エレナ・ジィーマ・リュバ・マリーナ・マラト・ダニエル・マルレン・(別)ターニャ・パリーナ・イーゴリ他

 出合ったすべての人たちが温かくって、優しくって私は何度涙を流したことでしょうか。

 追々こちらに報告を書いていきますね。

 しかし、暑いこと!しばらく時差ならぬ気温差に気をつけます。


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(最高に幸福なひととき。モスクワの北・全ロシア展覧会センター内のレストランにて。
  上は愛・地球博ロシアパビリオンで、出会った マルレンさんご夫妻。下は、俳優シューラとともに 4人での楽しいひとときでした 8月9日)


2005年08月11日

131号 成田から直行 !

 久しぶりに、愛 地球博へ行きました。モスクワからの帰りに寄ってみたのです。

 成田からの直行です。成田でのことをちょこっとご報告いたします。

 成田空港内の「JR切符売り場」へ行き「愛知万博の会場 ” 万博八草”までの乗車券をください」と言いましたら、ナント「そんな駅はありません」とか「名古屋から岡崎へ行ってバスで(万博へ)いかれたらどうでしょうか?」。
 私がルスの間に、万博への交通手段が変わったのか!!とマジに思いました。
 「そんな……。それはちょっとおかしいことですね」と言えば、「この売り場はJRの代理店であるから、特殊切符は売りません。JRの売り場へ行ってください」。

 HU~~~~。

 JRの売り場へ行けば。
 「万博ですか?名古屋で切符を買われたらいかがでしょうか?名古屋で売っているでしょう」

 ああ、これが国際空港でのJRの対応です。残念です。

 と、別の係員がご存知でした。「万博八草まで販売できます」。

 ホッ~~~。

 そんな体験!をしながら、成田~品川~名古屋~万博八草~リニモで「万博入り口」へ。久しぶりに万博会場へ。夏休みの夕方です。とても多くのお客様で混雑しています。

 ロシア館へちょっと用があり、成田から直行したのです。その用を済ませて肩の荷を降ろすことができました。


【 14号 】どこで何をしていたのか?

 8月2日出発~10日帰宅までの旅の流れを、きょうはご報告いたします。

 ☆2日午前、中部空港からJALで成田へ。昼 アエロフロートロシア航空に。10時間乗り、モスクワ着は現地時間の19時ごろ。シューラが迎えに来てくれる。
 市内をちょっと回り、ホテルへチェックイン。
 モスクワの天気は、晴れ。気温は25度くらいかな。

 ☆3日午後、リュバさんに会う。お手製ペリメニをご馳走になる。
その後、町に出てユーリャに会う。19時からユーゴザーパド劇場で観劇。
 夏の気持ちが良い晴天の日です。

 ☆4日早朝、ホテルを出る。モスクワシェレメチボ空港Ⅰからサンクトペテルブルクへ。1時間ちょっとの飛行。
 ペテルの友人 レナとオレクが迎えに来てくれて、そのままホテルへ、チェックイン。
 エルミタージュ美術館を軽く巡る。その後小船に乗り、運河とネバ河を遊覧する。素晴らしい夏の空。

 ☆5日早朝、3人で、ロシアの京都と言われる「ノブゴロド」へバスの旅。ロシアについての勉強をしながら楽しく町めぐり。雨が降ったり止んだり。サンクトへ戻るときは素晴らしい夕景色となった。

 ☆6日は、サンクトの「ロシア美術館」でレーピンの絵に会う。レナとオレクと私は涙の別れで夕方、飛行機でモスクワへ戻る。モスクワでは、シューラが迎えてくれる。太陽の陽射しが強いが、爽やかな風が吹く。

 ☆7日は、シューラといっしょに共通の友人マラトのお宅を訪問する。マラトお手製ケーキが美味しい。暑い日です。

 ☆8日は、俳優シューラの映画撮影現場に同行して、映画撮影の様子を一日楽しむ。終了後、ユーリャにまた会い、再会を約束。その後シューラの家にておよばれする。陽射しの下は暑いが、日陰はすでに秋の風を感じる。

 ☆9日は、午後「全ロシア展覧会センター」で働くマルレンさんに再会して、ごちそうになる。風がとても強い日です。午後4時すぎマルレンさんとも再会を誓い、シューラが空港へ送ってくれる。
 途中激しい雨に見舞われるが、さっと止み太陽が顔を出す。
 19時半の飛行機で、9時間半後、10日、日本時間朝には、成田へ到着する。

 ☆10日、午前成田~品川~名古屋~万博会場へ。16時50分万博会場着。ロシア館へ行く。21時 帰宅する。
 
  こんなことしてました。では次号からはそれぞれのドラマをご報告いたします。


2005年08月12日

【 15号 】旅慣れた女は、ひたすらネムル

 8月2日の朝もやはり暑い。昨夜からの荷物つくりも結局出かける寸前に片付く始末です。荷物の重さは許されている20キロにしっかりと押えて、ひと安心。
 午前5時40分ごろ、いざ出発です。

 名鉄電車急行で、中部国際空港へ。車内では眠くってうとうとしている。だからか、あっという間に着いてしまったと思う。名鉄電車を降りてすぐに空港チェックインカウンターがあるのはとても便利です。もっと混雑があるかと思えば、すんなりと順番がまわり、もう、モスクワまで荷物とはお別れです。

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 身軽になり、空港2階のスタバーでコーヒーを買う。かばんの中に出かけに突っ込んできた、マネケンのワッフルや万博ベルギー館で買ったクッキーやチョコレートを食べる。これで気分は落ち着いた。

 出国手続きもすんなりと順番が来て、すっごく余裕あり!です。免税店の香水売り場で、店員にいろんな香りを試させてもらい、やはり、パコ ラバンヌの香りが良いなとこれまた、良い気分となりました。

 が、その後の記憶がないのです。決して香水に酔ってしまって倒れたのではなく、飛行機に乗った瞬間から睡魔に襲われて、1時間ほど眠ったのです。
 成田へ到着する寸前に目覚めて、「あら、もう成田」。

 成田では、乗り換え便のチェックをもう一度受けます。このとき、私はいつもですが、席の希望を告げます。「真ん中のシマの通路側」を頼みます。窓側もその横も好きではありません。「お隣りはできましたら女性でお願いね」と言えば「それは、わかりませんので…」との答えは、ちょっとウソだと思う。いままですべて、「お隣りは女性で」はかなえられてきたけれども。と、言っても2分の1の確立のことですが……。

 
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     (成田国際空港の中で一番好きな場所)

 成田の出発ゲート近くの小食堂で、高い値のラーメンを食べる。やはり空腹で、機内食の時間までつらくなりそうで、ここでラーメンを食べておく。ちょっとのんびりしていたら、すでにアエロフローとは定刻12時出発で、客も乗り込んでいる。

 ここで、ロシア館のコースチャに電話とメールを送った。コースチャには、モスクワで迎えに来てくれる予定のシューラの自宅電話番号を知らせてあり、コースチャに「出発は●時ですから、シェレメチボ2空港は◎時ごろの到着です」をシューラに伝えて欲しかったから。

 モスクワと日本の時差を考えると、私が飛行機に乗り込む日本の昼12時は、モスクワの早朝でちょっと「いま日本を飛び立つよ」の電話はできないので、コースチャに助けてもらったのです。ありがとう。

 乗り込む寸前に長袖のシャツを1枚重ね着をした。冷房が腕や肩を冷やしてくれるのはあとがつらくなりそうだから。

 遅くに、乗り込んだ機内はほとんど満員です。私の席は希望通りの通路側ですが、となりは身体の大きいロシア語青年です。彼も3人並びの真ん中で、窮屈そうです。

 私は、席が落ち着いたらシートベルを締めて、早々に眠りの体制に入りました。うとうとして、もう空の上かと窓を見ると、ナントまだ地面がその先に見えています。これは遅れそうです。


2005年08月13日

132号 ジィーマさんと会う&手伝う

 夏休み真っ只中の13日、愛 地球博へ行ってきました。暑いので、午後からのんびり出かけました。昨日、ジィーマさんへ電話をして、彼がきょうはパビリオンで仕事をする日と聞いていたので、ロシア館へ行けば、会えます。
 
 ジィーマ=バラノフ ドミトリーさんが来日してほとんどすぐに、私が旅へ出てしまったので、彼とはゆっくりお話しをしていません。きょうは、ジィーマさんとお話しをしよう!です。

 すんごく混んでいるいるだろうと予想して出かけたが、すんごく、ではなかったように見えたが、わからない。(後で、13万人の入場者とわかる。予想に反して少ない!)
 のんびりと歩きながら、途中でビールを買い、ポテトフライをつまむ。夏の休日だ~と思いながら。

 長久手愛知県館の「地球タイヘン講演会」をまた観る。やはり、なにかよくわからないが、「生の舞台」だけを評価しましょう。きょうは、舞台からパラパラと巻く花びらを終演後拾ったら、ナント細かい芸当がされていて驚きましたよ。さくらです。

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 そこを出て、「藤田屋の大あんまき」(超ローカルな甘いお菓子を売っていた!)を買い、食べながら、場内を1周するループに出て、サア、ロシア館へと歩き出すと、眼の前を、ジィーマさんがひとり歩いているではありませんか!!
 
 「どこへ行くのですか?」と後ろから声をかけると彼もびっくりです。「休憩時間だから、散歩です」。

 人ごみの中を歩きながら、日本へ来て3週間の彼の感想などを聞いてみました。
 まずは、万博のほかのパビリオンがなかなか観ることが出来ないことを残念がっていました。ロシアパビリオンも他のパビリオンも、いつも大勢が並びますから、難しそうですね。休日をつかって富士山登山を試みたそうです。「きれいでとっても良かった。すばらしかった」と、おしゃっています。


 「日本の夏は暑いでしょう?」と問えば「いいや、平気ですよ」。そのとおりのようです。約40分くらいでしょうか。ロシア館までを歩いて、私は汗をかいて「暑~う!」と騒いでいても、ジィーマさんはまったくふつうな顔でした。

 その後しばらくしてから、ジィーマさんはロシア館入り口の「スタンプ押し」の仕事です。ちょこっと彼の写真を写しておこうとそこへ行ったら、そのまま、ずっと居着いてしまいました。ひきりなしにやってくる大勢のお客様にスタンプを押す仕事を楽しみながらしているジィーマさんと、お客さんのやりとりを助けていたりしました。ボランティアですね。


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 観客 Aさん 「ロシア館ですね?冷凍マンモスありますか?」=いいえ、ここではありません。

 観客 Bさん 「ソフトクリーム売っていますか?」=いいえ、ここは売っていませんが、どうしてですか?と問えば、青年は「ボク、ソフトクリームを全部食べてみようと思っているのです。だから、ロシアのソフトクリームはどんなのかな?と思って」。残念ですね。ロシア館でソフトクリームを売ると、ロシア人たちがみんな食べてしまうから(笑)。

 観客 Cさん 「あのう、ロシア語教えてください」=私は専門家でありませんから。でも、どうしてですか?「万博ですから各国の言葉を知りたいからです」とノートには各国語がびっしりと書かれています。
 カタカナでロシア語ではなんと言うかを書いて欲しいとのこと。例えば「あなたを愛しています」「値段が高い」「お久しぶりです」「ありがとう」「さよなら」などなど。
 約1時間くらいかけて、ジィーマさんの助けも得て、ロシア語の試験のような時間を過ごしました。なかなかおもしろかった。
 
 途中でひとりの日本人青年が「ロシア館すばらしいですね。僕すっかり気に入りました。また来ます」。とうれしいことも。

 スタンプを押すジィーマさんは、「日本人は『ありがとう』と言いながら、頭を下げて、いつも笑顔で、穏やかですね」。たしかに、私もそう感じます。暑い中をはるばるロシア館までやってきて、並んで入り、「スタンプ押してください」と、ノートを出す人たちが大勢。でも、みんなにこやかです。いいぞ、日本人!!と思いました。その笑顔を壊してはいけないですね。
 
 ジィーマさんには日本語で、「スタンプどうぞ」と「スタンプここです」と教えて差し上げるとすぐに覚えられました。

 そして、明日は、京都をご案内することとなりました。暑くって人が多い京都ですが、楽しみましょう。
 


2005年08月14日

【 16号 】 機内の必需品は マスク

 
 ~~ 8月2日 機内で ~~

 12時発となっているアエロフロート機は、成田空港からなかなか飛び立ちません。「ああ、これでは、モスクワ着は予定どおりとならない。迎えに来るシューラたちは、待つことだろうな」と思うが、もう仕方がない。だから、また、眠る。


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     (この飛行機です)

 私は喉が弱い。乾燥した汚れた空気は敏感にわかります。そしてすぐに喉を痛めます。だから、マスクを愛用します。飛行機でも、車でも、電車でも、春先は町でも。
 マスクは、自分の息が自分の喉を和らげてくれます。それに、汚れた空気をシャットアウトです。飛行機の中は、とても汚れた乾燥していますから、マスクは乗り込むときから着けて、飲み食いのときだけはずして、ほとんどずっと着けております。だから、今回もマスクは、私を助けてくれました。

 もうひとつは、眠る時は耳栓もあると静かで、なお楽ですから、愛用します。

 さて、マスクをはめて寝てばかりの私が次に眼をさましたのは、飲み物が配られるころでした。つまり飛び立ったのは、知らなかったようです。

 飲み物を配りながら、お客が何語使いかをチェックしていく役割の客室乗務員たち。私の列の担当は、どこかで見たことがある?う~~?? あ、思い出しました。今年1月にアエロフロートに乗ったとき出会った日本語が上手な男性客室乗務員です。

 「赤ワインとりんごジュースをください」(ロシア語)
 「はい。わかりました。はい、どうぞ」(日本語)

 「以前もお会いしましたね、ことしの1月だと思います」(日本語)
 「そうですか。お久しぶりです」(日本語)
 「お元気ですか?」(ロシア語)

 と、お互い笑いました。彼の日本語がとてもきれいです。私のロシア語はめちゃくちゃ下手です。

 ワインを飲んで、食事を全部たいらげて、私は本格的に眠りに入りました。
 
 でも、それから9時間。なんども起きました。起きては本を読んだり、ぼんやりしたり。

 でも、ついにお隣りの青年とおしゃべりもはじまりました。彼は、乗り込んできたときから前後にいる男女と身を乗り出して話しており、なにか大勢で日本へ来て、何かを日本でやったきてグループのようです。お揃いの赤いジャージの上着を着ています。
 私は、もちろん、お話しのときはマスクをはずしておりました。


2005年08月15日

【 17号 】となりの青年は

 
 ~~ 8月2日 機内で ~~

 モスクワへ飛ぶ機内でとなりに座った青年は、なにかグループで日本へ行って、何かをしてきた模様。ちょうど乗り込むときに、優勝カップと看板を持った幾人かといっしょだった。白いスポーツシャツに赤いジャージ上着ですからきっとスポーツチームだろうと、予想していた。

 そのグループのひとりと、となりあわせた。身体が大きい、若い青年だ。機内での長い時間の後半となって会話がはじまった。

 英語で「どこへ行くのですか?モスクワですか?仕事ですか?」と彼から声がかかった。
 私は「英語わかりません。ロシア語でお願いします。モスクワへ行くのですが、もう何回も行っていますから……」とロシア語で話したら、とっても彼が驚くので、また、私も驚いてしまった。

 「あなたたちはなにかスポーツグループで日本に?」

 「いいえ、僕たちは、コンピューターソフト関係の世界の集まりがあって、横浜で……」と彼は、一枚の紙をくれました。

 Imagine Cup 2005 と書かれています。

 ※後日わかる※帰国後調べたら、とっても大きな世界大会で、ロシアチームは、優勝しているではありませんか!!賞金が25,000ドル。そうそう、飛行機に乗り込むときに見たかかなり大きい優勝カップは、彼らに与えられた本物だったのですね。

 となりあわせた彼は、なかなかのイケメンです。それに、とてもわかりやすいロシア語と笑顔が、私をうれしくしてくれます。ちょうど読んでいた本がロシアでも人気の日本人作家村上春樹であることを伝えたら、彼はとっても喜んでいます。
 「村上春樹をみんなが読んでいます。日本人もみんなが読んでいますか?」
 ちょっと答えに詰まったが、「ええ、人気者です」とあいまいな返事をしてしまいました。と、いうか、私には細かい表現はできないので、こんな答弁でお許しをいただきましょう。

 続けて彼は、「また、日本へ行きたい。京都も大阪も行きたい。とっても忙しくって、東京と横浜だけだったから。名古屋ってどこですか?」

 ええ、名古屋を知らなくともいいですよ。簡単な地図を書いて名古屋の位置を教えると「今度は名古屋に行きます」って。

 そんな楽しい交歓をしているうちに、飛行機は徐々に高度を下げて、私は暑くなってきて、長袖を脱ぎ、髪を整えメイクアップをして、シューラとの再会に備えます。窓の外は明るい夏のモスクワ上空です。


【 18号 】機内で配布の出入国書を書く

 
 ~~ 8月2日 機内で ~~

 となりの席の彼との話しがはずむ途中、客室乗務員から「ロシア国出入国書」が配られた。相変わらずの小さいぺらぺら用紙に、書き込む場所も小さい。日本の旅行会社から書き方見本をもらっているので、それを見て書こうと思ったら、ありません。家に忘れてきたようです。
 それがなくとも書けるのですが、一箇所「ロシアでの滞在先」を記入しなければなりません。ホテル名を書けばいいのでしょうが、モスクワもサンクトペテブルクでのホテルも??と困り、ちょうど通りかかった、日本語達人の以前も乗り合わせた青年客室乗務員に尋ねました。

 「モスクワのホテルはどこへ泊まりますか?」
 「ええと、サリュートです。ユーゴザッパドナヤです」と答えると
 「僕の家のすぐ近くですよ。僕はあのあたりにきょう帰ります。アッ、大事な話しですね、モスクワのホテル名、サリュート と書いてください。それだけで良いです」。
 ご親切ありがとうございます。

 小さい紙をパスポートに挟み込み、もう、いつでも降りることができます。


【 19号 】シェレメチボ2空港 トウチャク ! 

 
 ~~8月2日 モスクワで~~

 まったく簡単に、モスクワシェレメチボ2航空へ着陸しました。実は降下をはじめたときも、また、ちょっと私は、うつらうつらしてしまったので、気が着いたら降りていました。


        
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      (到着したときのモスクワの空)

 私の白いマスクは飛行機が降りて、機内がもっともザワザワする時ほど、必要です。客がいっせいに、荷物を取り出したり、服を着たりするときのホコリなどは要注意です。どんな悪性微生物が飛んでいるか…。そんなことがとっても気になる私です。

 パスポートコントロールもきょうは、とてもすんなりです。さて、トランクをもらったら、いよいよモスクワ、です。が、このトランクがなかなか出てこないことは、もうよ~~~く知っております。いつもイライラ待ちます。だから、ここでトイレへ。

 日本人の女性グループもいっしょです。トイレ掃除の係の女性がロシア語で「あなたたちは中国人ですか?」って聞いてきました。「いいえ、日本人よ」と答えれば、「まあ、日本から、まあ」と驚いています。

 「私はタシケントから来たのよ」と彼女は言い、私が持っていた香水を付けてくれと言います。そして、「トイレの紙はあるかい?ほら、ここにあるよ」と、掃除道具入れからたくさん出してくれました。

 と、日本人グループの女性のひとりが私に「ドイツ語でありがとうってなんて言うのですか?」と聞きます。なんでドイツ語の勉強をモスクワのトイレでしなければならないのでしょうか?とても疑問に思えて、「あの、ここはモスクワですが……」って言いましたら、「あら、、モスクワだったわ、モスクワってドイツじゃあなかったわね。ソ連いやロシア語でありがとうってなんて言うの?」

 まあ、こんなオチもあってトイレの中も賑やかで、荷物レーンに戻り、「早く荷物よ、出てきておくれ!!」と祈ると、それは通じました。

 ナント私の荷物が2番目に出てきました。

 多くの待っている人たちの中を、とっても優越感いっぱいで、そそくさと荷物レーンを後にすると、機内でとなりの席だった青年が、すぐ近くにいて、「お元気で、さよなら」です。

 持込現金もなければ高価なものもなにひとつない我が身とトランクだけ。申告なし 出口では係の女性もちょっと目を合わせただけのフリーパスで、私は、入国出口を出ました。

 「タクシーどうですか?」といきなり日本語で声をかけられて驚き、あちこちから「タクシー」「タクシー」と、相変わらずのタクシー運転手の客引きには、いっさい関せず、私の目は、マラトとシューラを探します。が、彼らはいません。


【 20号 】「赤の広場」は、入れません

 
  ~~ 8月2日 モスクワで~~

 飛行機が遅れたので、待ちくたびれてどこかで寝ているのか?マラトとシューラは。

 タクシー運転手や迎えの人やなんだかよくわからん人たちが大勢いるその間の、私の左手側約8メートル先あたりで、白い服のやや大型ロシア男性が大きく動き、なんと日本語を言いながら、こちらへ向かってくる。
 日本語はナンテ言っているかは、未公表とします。ナイショ 。

 シューラです。俳優です。だから。いわゆる恥ずかしいことでも平気です。人ごみの中で大きな身振りでそんな大きな声で……。いっぱいの視線を感じながらも、「ああ、良かった、会えた」と、私はそれを喜びました。

 シューラひとりです。あれ?彼は車がトラぶっているとか、電話で言っていたが?「さあ、僕の車へ、へへへ、新しい古い車だよ。マラトはいないよ」。

            
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    (シューラ ゴルシュコフ です。俳優です。大型です)

 空港の駐車場の端っこまで、もちろんシューラがトランクを持って歩きます。あまりにも素晴らしい青空で、私は気分も良いです。
 
 車に乗り込むと、「飛行機が遅れたから残念ですね。僕はお芝居に行こうと思っていたから。市内見学に行きましょう」。

 そうそう、シューラは日本語ができません。だから、彼との会話は、すべてロシア語です。
 私は今回のひとり旅では、「日本人には会わない」と決めてきました。8日間の旅すべてをロシア語でやってみるのです。もう、これもなんども経験していますが、いままでも何とかやってきました。今回もきっと大丈夫です。

 気温は25度くらいでしょうか?気持ちの良い夏の風も吹いています。でも、私はここでも白いマスクです。これはシューラも承知しています。「のどのために、ごめんなさいね」。

 モスクワの中心部へ行きました。シューラは運転しながら案内してくれます。中心部の「ロシアホテル」は完全に解体されたようです。現場を取巻く看板が「ロレックス」のコマーシャルです。

 ボリショイ劇場も改築修理に入りました。隣のツムデパートにも、なにやらシート?がかけられています。ぐるりと回り、「赤の広場」へ入るために車をワシーリー寺院のところへ駐車して。と、シューラが言います。

 「きょうは残念です。『赤の広場』入れません」。

 大きく囲いがしてあり、ワシーリー寺院のそばにも行くことができません。仕方がない。
 
 このあたりで気が付いたのですが、風に乗ってタンポポの綿毛をもうちょっと大きくしたような綿毛がたくさん飛んできます。トーポリと呼ばれるポプラの木の一種の綿毛は、夏を告げるものと知っていますが、一応シューラに尋ねました。
 
 「これ、トーポリですか?」

 「トーポリは夏のはじめ。これは、うううんん なんて言ったかな?」が、答えは出ませんでした。

 もう、午後8時過ぎですが、日本で言えば夏の午後4時くらいかな?ちょっと日が西に傾いてはいるけれどまだまだ沈みそうにもないような、そんな明るいモスクワです。


2005年08月16日

133号 ジィーマさんと歩く京都 Ⅰ

 ジィーマ バラノフさんはサンクトペテルブルク市から7月末にやってきました。愛 地球博ロシアパビリオンの民族文化展示物の管理者です。3月~5月末までみえた、オレグさんの同僚ですから、彼が帰国後、たくさんの日本の思い出をジィーマさんに語り、写真をみせて、日本の各地を紹介したようです。

 だから、ジィーマさんはとてもたくさんの日本での希望を持ってみえます。そのひとつが「京都へ行くこと」です。日曜日、出かけました。

 サンクトペテルブルクからモスクワ~フランクフルト~中部空港へと入国されたので、「新幹線には、はじめて乗ります」とすでに、興味津々の様子です。

 京都の町は、曇りで思いのほか気温が低くて、助かりました。ちょっと雨も落ちてきますが、気になることではありません。まずは、「三十三間堂」へ。ジィーマさんは英語も達者ですから、英語パンフレットや説明板を丁寧に読まれいます。圧倒される仏像を黙ってしっかり眺めています。ジィーマさんはロシア国内だけではなく、諸外国の博物館の所蔵品整理などのために出張仕事もされ、最近ではアフガニスタンでの長期の仕事をされたそうです。

 仏像に差す自然光について、仏像を見る日本人の視線についてなどを拙いロシア語で説明をしたつもりですが、そんなことは私の説明を待たずに、すでにご存知のことだったと、いまは思います。

 おそなえもののお下がりのりんごをいただきました。三十三間堂を出て、道を歩きながらりんごを丸かじりしながら、ジィーマさんは言います。
 「この道がとてもおもしろいです。お店がおもしろいですね。建物にも興味あります」と写真を写しています。私にはあまりにも、ふつうの景色ですが。
 でも、わかります。先日行ったサンクトペテルブルクの町並みを振り返れば、京都の小さな町の細い道路の両脇にびっしり立つ民家。その間にある、また小さなお店が商品を外に並べて、静かに客を待つ。店先ののれんが風に揺れるのも、ぜったいにサンクトペテルブルクには、ない景色です。
          ==つづく==


134号 ジィーマさんと歩く京都 Ⅱ

 (これは8月14日のことです) 


 京都の北へと向かう。大原三千院をめざします。京阪電車から叡山電鉄と乗り換えます。たった1両の電車がのんびりと住宅街を走り、濃い緑の山のふもとを目指していきます。
 大原三千院は、5月の新緑のころ、ジィーマさんの先輩同僚オレグさんをお連れしたところです。まったく同じルートで、同じ場所で昼食にしました。ジィーマさんは、「魚は食べない。卵も食べない。野菜とくだものとパンにお肉が良い」とことですが、このあたりにはそのご希望にお応えできるレストランはありません。「好きなものは、ロシアのスープ シイィー (野菜のスープ、私も好きです)」とのことです。きっと、食べたくってたまらないことでしょうね。お察しいたします。

 寺の前の食堂でビールとごはんとおでんとおそばの昼食をゆっくりいただきました。と、思わず話もはずみます。ロシア語辞書を真ん中にはさみ、ノートと鉛筆があっちへいったりこちらへ来たりしながらの会話です。

 ジィーマさんから「日本の数字の嫌われるものと好かれるものはなにですか?」という民族学的質問が寄せらました。
 「『四』と『九』ですね。『死』と同じで『苦』とも同じだから」。私の一生懸命の説明をわかってくれました。話しながら、彼の聡明さに感服いたしました。

 「じゃあ、好きな数字は?」
 「『八』ですね。末広がりですから」と言いたいのですが、「末広がり」を身振り手振りで説明しましたが、さて?わかっていただけたのかしら?

 ジィーマさんは、「僕の数字は「8」です」。と紙に、彼がこれまでの人生でいろんなところで、「8』の数字とかかわりを持ったという不思議を教えてくれました。これは、おもしろい話しです。

 その後、大原三千院の静かな庭をしばし眺め、日本の畳と衝立についての質問にうまく答えられずに、申し訳なく思い、歯軋りする私です。でもジィーマさんはニコニコと静かに、黙ってしっかり観察をされています。

 庭の緑がもう盛りをすぎたようです。ふっと秋の近さを感じました。 ==つづく==


【 21号 】さあ明日からはじまる

 
 ~~ 8月2日 モスクワで~~

 モスクワでのホテルは、モスクワ市西南地域にある「サリュート」です。前回も泊まりましたからもう勝手はわかります。シューラはフロントでの手続きの手伝いをしてくれ、部屋に荷物を入れ込んだらすぐに、1階の軽食堂で「また、来ましたよ」小パーティです。ふたりで、ですが。

 近況報告と旅の打ち合わせです。私はビールを飲み、シューラはオレンジジュースを飲んでいます。サラダや乾燥肉の薄切りなどをつまみながらです。あまり空腹感はないのですが、乾燥した空気で喉が渇きます。

 さっきから気になっているシューラのひたいの傷、ちょうど髪の生え際、もうかなり時間はたっているようですが、赤く大きく、目にとまります。「これどうしたの?」

 「交通事故。ひとりで、木にど~~んとね」。

 6月にナントカ通りで。ひたいをざっくりと斬ったようです。「まあ、俳優が~~!!」と私はそれを驚きました。「だから髪で隠してね。もう小さくなったよ」。と前髪で傷口を隠している。

 「事故にあって、2日間悩んでとても苦しかった。でも、3日目から分かったんだ。自分が引き起こしたことで、教えられたことだよ。車をダメにしたけれど、これだけで良かったと」。きっとシューラはそう言ったのです。ロシア語がわからないけれど、でも私はわかりました。

 その後、ひとりの女性に電話をしました。ユーリャさんへです。ユーリャさんは私がこの旅で会いたい人です。万博ロシアパビリオンの通訳で働くコースチャのお姉さんです。もちろんシューラが電話をしてくれ、ユーリャさんとの約束の日時や場所を決めてくれました。彼女は日本語はできません。私の拙いロシア語ではとっても失礼ですが、会うことができてとてもうれしいです。

 「明日、午後、会えるよ、僕は通訳するから。日本語知っているものね」と、シューラは言って笑います。たしかに知っていますよね。「ありがとう」「じゃあね」「わかりました」「おはようございます」「こんにちは」「はい」それに「○○○~~~○○~~」。これを空港で大きな声で言ったのよね。

 舞台公演の仕事は夏休み中ですが、なにかシューラも仕事があり、その時間との調節をしながら私の旅のプランが決まりました。

 ビールの酔いも手伝って、きゅうに睡魔に襲われてしまい、「もう眠いです」。やっと暗くなってきたモスクワ時間午後10時半ごろだったかな?「きょうはありがとう!!明日からもよろしくね」。シューラの家はここからすぐ近くです。彼が帰るの見送るのもやっとで、部屋に戻るなりバタンと倒れこみました。


2005年08月17日

【 22号 】 友だちは、俳優

 ここで俳優シューラと私がなぜ知り合ったのかを、ご披露しましょうか。
 簡単に言いますと、「追っかけ」です。好きな歌手や俳優やタレントと呼ばれる人たちが行くところ行くところへ、せっせと付いていくファンを「追っかけ」と言います。
 2000年秋、シューラの属するモスクワユーゴザーパド劇場の来日公演がありました。名古屋にも来ました。ゴーゴリーの「検察官」を持ってきました。

 その芝居を見る前の日に、ロシアの俳優たちを囲む交流会がありました。そこで空いていた席に座った私の目の前にいたのがシューラでした。「大きな人」でしたが、嫌な感じではない人でした。

 翌日「検察官」のお芝居を見ました。もちろんロシア語のお芝居です。音声ガイドがありましたが、私は使いませんでした。ロシア語の勉強のために。まだ、ロシア語を学び始めて、5が月目のことです。

 舞台に登場したシューラ(その時は名前を知りませんでした)を見て、「あら、昨日、前の席にいた人」と注目をしましたら、それは素晴らしい演技です。なんというのか、私の身体にビンビン響くものがありました。「世の中にこんなにこころを解放してくれるものがあるなんて……」ととっても感動してしまいました。


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(『検察官』の舞台でオーシップを演じる アレクサンドル(シューラ) ゴルシュコフ ・ユーゴザーパド劇場ホームページからの写真)
 

 そして、どうしても「あの俳優と話しがしたい」と願うようになり、京都と東京へ追っかけたのです。とうとう、東京では、お話しができることとなったのですが、通訳なしです。でもでも、すべて通じました。彼のことがとてもわかりました。そして「今度はモスクワで、ぜひ僕たちのお芝居を見てください」と言われたことを、まともに聞きまして、モスクワへ行ってしまいました。
 
 それからもう何回、彼の芝居をモスクワで見ていることでしょうか。いまも、この瞬間も、彼の芝居を見たいと思います。ダイナミックです。エネルギーがあふれ出ています。でも細かく計算されて、細かい所作が美しいです。
 お付き合いをすると、優しくこころ使いも行き届く人です。それに頑固で、気難しく、芝居のためなら突き進んでいく一途な人です。

 と、いうわけで、私の敬愛する俳優シューラです。とても仲の良いお友だちは、俳優です。


【 23号 】 ホテルの周辺をオサンポ

 
 ~~8月 3日 モスクワで ~~

 目覚めると外は明るい。でも、まだまだ起き出すには早い午前5時前。「もう一眠り」としたいところですが、日本時間が染み付いている私には、日本時間で昼のこの時間は「いつまで寝ているの!」と言う時間だから、身体は起きたがっている。しかたがない。起きるとしよう。

 それでも、時々横になったりしながら、朝食の時間になり、1階の指定のレストランへ行く。前回冬に来た時は、ひとりずつへのサービスだったが、きょうはバイキング形式いろんなものが豊富にならんでいる。うれしい。欲張ってたくさんお皿に取らないように気をつけて。サラダやチーズやスメタナ(サワークリーム)、カーシャ(お粥)やヨーグルトも美味しい。しっかり食べて満足です。

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  (ユーゴザーパド地区は住宅建設ラッシュです)


 午前中はホテルの近くを散歩しましょう。きょうは午後シューラが迎えに来てくれます。

    

 このホテルから5分ほど歩くと、シューラの劇団劇場、ユーゴザーパド劇場があります。ロシアでは、劇団は自分達の劇場を持っており、地方公演に行くこともありますが、シーズン中(9月~翌年6月ごろ)は、自分たちの劇場での公演を続けます。稽古場も持っていますから、劇場所属の俳優たちは、ほとんど自分達の劇場に住んでいるくらい長く生活をします。

 いまは夏休み中ですが、この劇団では、新作発表会をします。秋からのシーズンに発表する作品のお披露目会が、昨2日ときょう3日に行われることは、日本からも知っていました。シューラは出演しないのですが、もし見ることができればと、思っています。シーズン外ですから、ドアは閉まっています。もう、なんどもあけた劇場のドア。このドアを開けると別世界の芝居がはじまるのです。ワクワクします。

       yugozapad.jpg


 劇場のまわりには、赤い木の実が成り、虫が寄る花も咲いています。空は明るい夏の空です。北の国の町の短いけれどしっかりとした夏です。

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2005年08月18日

135号 秋を感じる万博 !!

 仕事帰りに万博会場へ寄るということも、地元で開催されているからこそ出来ることです。
 会場到着が19時ごろになっても、私は行きます。

 17日、昼間のぼわーーっとした暑さは消えて、ちょっと涼しさを感じる夕方、いままでは万博会場に着いてもまだ「明るい」時間だったのに、もう、陽が落ちてしまった。どこかから、虫の音も聞こえてくる。「ああ、秋が来た」と感じたのです。

 愛・地球博もあと、48日かな、あと少しです。もっと精力的に歩き回ろう!!


2005年08月20日

136号 ジィーマさんと歩く京都 Ⅲ

 (これは8月14日のことです)


 京都の繁華街へ大原から下りてきました。私の好きな先斗町を歩きましょう。

 先斗町といえば「バー ナカニシ」での大人のお酒の時間です。今回もジィーマさんと短い時間を楽しみ、彼はなつかしいロシアのビール「バルチカ」に喜んでいました。

 狭い道の両端に並ぶお店の個性溢れる意匠を黙って眺めながら、時々写真を写しているジィーマさんの足のむくままに、歩くこととしましょう。先斗町から祇園の賑わいへ、やはり土曜日の京都の夕方は、そぞろ歩きとは呼べない賑わいです。店先の打ち水、風鈴、のれんの涼やかさなど、私も京の夏に、惚れ惚れしました。
 
 ジィーマさんは妻へのおみやげを「ゆかた」と決めているようです。時々すれ違うゆかたの女性を、ながめています。着物にこだわる私は、「夏の着物とゆかたは違う」ことを知ってほしくって、彼に説明をしています。さすが京都ですね。夏着物の女性たちも多くいて、ジィーマさんは「あれは夏着物ですか?それともゆかたですか?」と聞いてきます。簡単な見分け方を教えます。「襟元と足もとが違いますよ」。

 民族学の権威で、自国のことはもちろん諸外国文化の研究者のジィーマさんです。すぐに、もっとちがう一番大事な、品格をわかってくださったようです。「着物をもっと見たい」。今度はぜひ、着物を見に行きましょう。

 京都の町の人ごみを歩きやや疲れたご様子です。さあ、帰りましょう。「今度は奈良へ行きたいなあ」とのご希望は早くかなえましょう。万博は、もうすぐ終了ですから。


137号 ウオッカに酔う

 ある日の夕方、ロシア館で友人と会う。彼を誘って、「ウクライナ館でビールしましょう」。

 ウクライナ館レストランの屋外席には、ロシア館のメンバーとその友人らしき男性が、笑って語らっている。友人らしき人はロシア語はもちろん日本語も達者で、私たちを同じテーブルに誘ってくださり、4人で「乾杯」です。

 彼は関西からやってきた在日で、「きょうはじめて万博へ来て、きょうはじめて彼に会って、とってもうれしいです。みんな素晴らしいですから、とっても良い気分ですよ」と、こころから楽しそうです。

 「エッ、おふたりは、きょうはじめて会ったのですか?そうとは見えないですね」と言えば、「通じ合うものがあれば、回数ではないでしょう」との答えです。そう、そのとおりです。

 ついに、ウオッカが登場してきました。日本のどこに家にもあるしょうゆ差しのガラス瓶に入っています。「これなに?『ロシアの水』ですか?」。答えは「その通り!」です。

 とうとう私も誘われて、飲んでしまいました。美味しいウクライナウオッカを。

 ウオッカは、絶対一気飲みです。唇や歯茎や舌に飲ませてはいけません。「せいのを!」でクイッツといきましょう。そしてすぐに、パンをひとかじり。

 その後話しははずみ、私はいい気もちで、話しが理解できなくとも楽しくって、うれしくって。と、同じくモスクワ生活もある友人は、「ここは日本ではないですね。モスクワにいるみたい」とご機嫌です。

 そんな楽しい夜を過ごして、「ああ、万博」と思ったヨッパの私でした。


2005年08月21日

【 24号 】 ペリメニをご馳走になる

   
  ~~ 8月3日 モスクワで ~~

 猛暑の名古屋からやってきたばかりで、モスクワの夏は涼しいと言うよりもちょっと寒く感じるのです。25度くらいの気温は、冷房のよく効いた部屋にいるのと同じです。着るものに少々悩みますね。長袖のブラウスと軽い上着を着ています。暑くなれば脱げば良い。
 
 午後約束の時間、シューラは迎えに来てくれました。「いまから、リューバさんのところへ行こう。それからユーリャに会うよ」。昨日話していたのは、先にユーリャさんに会って、夕方リューバさんの家に行く予定でしたが。まあ、どちらでも私は、OKです。

 リューバさんとは、シューラのママです。シューラの家の近くに住み、私が行くといつもとても歓迎をしてくださいます。いつもお手製のペリメニをご馳走してくださいます。彼女はアパートの3階に住んでいます。窓の外の遠くには、レーニン大通りの行き交う車が見えます。以前は、「ホテル スポルト」のすくッと伸びた建物が見えたのですが、いまは壊されてありません。なによりも窓のすぐ下は、緑の木々が揺れています。夏の光も揺れて差し込みます。きれいです。

 「きょうのペリメニはちょっと大型よ」。そうですね、いつももっと小ぶりです。でも、これをつくるのにどれだけ時間をかけたのでしょうか?粉から皮つくりをして、中身の肉や野菜を詰め込んで、ふちをきれいにしっかり押えて……。でも、家族総出でペリメニを作るのも大事な家族の交流の時間です。
 わが日本では、家族が全員集まって料理を作るというシーンは、どうですか?ありますか?

    perimeni.jpg

    
 また、きょうのペリメニのソースは、「日本風にしたよ」とのことです。しょうゆとマヨネーズを合わせて、茹で上がって熱々のペリメニにかけていただきます。

 「名古屋のことがテレビで写るのよ。EXPOのことを見ると、私はすぐにテレビの前に行ってじっと見るわ。『日本・名古屋・EXPO』と、聞こえるとあなたを探すのよ」と、リューバさんです。おしゃれで、とっても可愛い声をしています。

 「シューラが交通事故にあってびっくりしたのよ。傷が大きくってね。手も足も傷があってね」と、言いながら大事な息子の額に手をやり、傷の具合を見ています。シューラは私に、右足を見せてくれました。足のあちこちに痛々しく傷が残っています。右上腕部にも傷があります。「顔の傷がここ(額)だけでよかったわ。目だったりしたらタイヘンでした」、とママらしくそっと傷をなでていました。


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 リューバさんは「そうだわ、ウオッカを飲みましょう」と、どこかからウオッカを持ってきました。そして、私は、あれよあれよと言う間に、3杯も飲んでしまいました。暑くなってたまりません。「失礼してブラウスを脱ぎます」。冬の寒いときに、カッとウオッカをあおるということを実感できました。身体の中から暑い、暑いです。

 その後、ケーキとお茶の時間も、あたしはウオッカの余韻を十分に残しています。身体がぽっぽと暑い、おしゃべりになっている、みょうに笑っている……。完全ヨッパです。

 「そろそろ、ユーリャに会いに行くよ。用意をして」とのシューラの声です。そうです、はじめてお会いする方に対して、失礼ですから、顔を洗って出直しです。

 リューバさんとはまた、3~5日後に会えます。「しばしのお別れです」。でも、熱い抱擁でお別れしてきました。

 車に乗り込んで、シューラに聞きました。「ユーリャの家に行くのですか?」
 「いいや、外で会うのだよ。彼女の家に近いところだよ」。はじめて会う人同士が、通りでどのように会うことができるでしょうか。たしかにお互い携帯電話を持っているものの……、さて、楽しみです。 


【 25号 】 ユーリャさんに会う

 
 ~~ 8月3日午後 モスクワにて ~~

 「人と人の出会いのチャンスは、活かすこと」と決めています。その出会いからまた次の出会いがはじまり、人生を豊かにしてくれることはこれまでもいくつかあります。
 私とロシアの出会いもいくつかのチャンスを逃さずに、厚顔無恥でつきすすんだからでしょう。こんなに楽しいモスクワの夏の旅を楽しんでいます。

 万博に通うのも、ロシアからの縁を得て、ロシアパビリオンスタッフにに優しくしていただいているからこそ、また新たな出会いもいただいているのです。感謝です。

 万博から生まれた新たな出会いを、いまからモスクワで体験します。

 シューラの車は、モスクワの南部から中心部を通り、北東部へ走ります。どこをどのように走っていても、マスクをつけて後ろの席にうずくまるように座っている私にはわかりませんが、どこもすっごくたくさんの車です。とうとう、ある通りで渋滞にはまってしまいました。約束の時間を超えてしまい、とうとうユーリャさんからシューラの携帯にきっと「いまどこですか?」とでも、電話が入りました。

 やっと渋滞をぬけた通りの路上駐車の車の間から、ひとりの小柄な女性がこちらを見ています。私はすぐにわかりました。コースチャのお姉さんのユーリャさんです。そうです、万博ロシア館で活躍する若手の通訳 コースチャのお姉さんです。

 なんでこんなに車が多い通りで、お互いにすぐわかるのかな?とシューラとユーリャさんの間の約束の仕方を不思議に思っていたけれど、無事に会えたことを喜びました。すぐに近くのピザ屋さんの外の席で、お話しです。黒い髪で優しい口元がコースチャにそっくりのきれいなお姉さんです。
 
 「日本へ行っている弟のことは心配ばかりですよ。通訳の仕事を上手にやっていますか?」
 「もちろん、彼は素晴らしい通訳です」。

 シューラはひとめユーリャさんを見たときからお気に入りの女性となったようです。彼らが何を話しているのか、私はわからないのですが、日本の話や芝居の話をしているようです。


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 短い時間でしたが、弟コースチャの無事(!)をユーリャさんにお知らせしたかった私の役割のひとつはかなえることができました。
 
 「またぜひ、会いましょうね、必ず会いましょうね」。そうです、またモスクワで、いや日本へもおいでください、お会いしましょう。シューラも「今夜は芝居を見に行くので、短い時間でごめんなさいね。また、あなたと会いましょう」。

 私たちを見送ってくださったユーリャさんも、人ごみの中にぱっと消えてしまいましたが、その時の町には優しい夏の夕方の風が吹いていました。


2005年08月22日

138号 ジィーマさんと歩く 名古屋の町

 万博期間中の私の休みの日は、全部万博とロシア館のために使おう!!と決めています。あと、1ヶ月で、その間の私の休みは、ほんのわずかしかありません。愛・地球博の閉幕は、9月25日です。もう、すぐです。

 ジィーマさんの赴任は万博の後半です。ロシア館スタッフがすでに行ったことがあるところでも、ジィーマさんはまだ行ったことがありません。

 名古屋市内をご案内しましょう。8月20日土曜日のことです。

 JR名古屋駅の待ち合わせ場所は、「時計の下」です。ここで会って、「ノリタケの森」へまず行きます。
高級洋食器製造販売のノリタケです。日本ではじめて洋食器をつくったノリタケです。名古屋駅から近く、いま名古屋の人気スポットです。

 洋食器の国からいらした方には珍しくもない洋食器でしょうが、どこか日本風のそれを興味深くご覧です。しかし「高い値段ですね」。そうですね。

 その後タクシーで、「徳川美術館」へ。入館する前に、まず昼食を。中華料理店に入りました。ジィーマさんは、肉と野菜がお好きですから、注文はそういう料理です。「中国ペリメニ」と言って、水餃子と焼き餃子、茄子の肉炒め、豚肉の天ぷら、そしてビールですね。大満足です。
 その後、徳川美術館へ。徳川家の財宝を展示している美術館です。最近規模を大きくして展示物を充実させています。
 ジィーマさんは、展示の英語説明を英語→ロシア語辞典をかばんから出してページをめくりながらの観覧です。それも丁寧に丁寧に。美術専門学芸員でもあるジィーマさんが見る、日本の江戸文化芸術
はいかがなものなのでしょうか?「大きい美術館ですね。立派です」。でも、ジィーマさんが働く「ロシア民族学博物館」に比べたらとっても小さいものですが。

 徳川美術館から少し歩いて、「大曽根」(OZONE)から地下鉄に乗って「八事」(YAGOTO)へ移動しました。八事の墓地霊園へ行くために。途中のコンビニでアイスクリームを買って食べたら、私たちはとても元気になりました。

 八事の霊園は山から山へ、大小新旧の墓地が並んでいます。私のロシア語では、細かいことをお伝えすることができません。とても申し訳なく思いながらも、いろんな方法で伝え合いました。

 私がモスクワのノボディビッチ修道院内の墓地で見た墓地と、この名古屋の八事の墓地との違いは、写真があるかどうかだと伝えたら、ジィーマさんは、もっとするどい発見をしていました。

 私は墓のひとつずつを「この墓は、○○年◎月××日に死んだ人です。◇才で亡くなっています」と読んでいました。と、ジィーマさんは私に聞きました。「この墓に眠る人の誕生日は書かれいるのか?」と。

 そうです。モスクワで私が見た墓のどれもが、(例)「ここに眠るのは、アンドレイ アンドレビッチ アンドオ  ○○年◎月×日に生まれ、○○年◎月××日に亡くなった」と彫られています。

 おおお。私は気がつきませんでした。日本のお墓には生年月日は彫られていません!!

 動物の立て札が、墓地内道路ごとに建てられているのを発見したのはジィーマさんでした。「このウサギの看板は、なにですか?」
 八事の墓地には、一応区画の1区とか2区とかあるのですが、あまりにもお墓が多いので、お墓のある区割りごとに動物の名前をつけています。1区のウサギ地域の奥にある墓とか、3区のカンガルー地域にある墓とか、蟹地域の高いところにある墓とか。なぜ動物かはわかりませんが、ここは動物名での区分となっています。

 そして、「ロシアの住所表現は、通りにある住宅と言うが、日本は、通りに囲まれた地域の何番目という表現をするのですね」と、この動物看板からわかってくださったのです。

 八事霊園の山からは、万博ロシア館メンバーの宿舎近くに立つ、東山タワーが見えます。八事地域と東山地域は、近いと言えば近い距離です。ジィーマさんは、「歩いて帰ります。僕たちロシア人は歩くことが大好きです。タワーを目標に歩いて帰ります」とおっしゃり、夕方の八事の町で、私たちは分かれました。

 ※翌日「昨日はどうでしたか?歩くの時間はどうでしたか?」と聞きましたら、「平気でした。早く着きましたよ」、とのお返事でした。
 


2005年08月23日

139号 携帯電話紛失 騒動記

 21日の日曜日夕方に近い午後、万博会場へ入りました。通算28回目くらいかな?

 最近気に入っている「地球タイヘン大講演会」の江古野守博士(名古屋の劇団「劇座」所属俳優が演じる愛すべき博士)にまず会い、彼が撒くさくらの花びらを拾い、そこに博士の似顔絵が押してあり喜んでしまいました。

 ロシア館に行き、次の小旅行の計画の打ち合わせをしました。心無い人の言動にややムッとしたり、ジィーマさんが私の下手なロシア語を聞き取ってくださるのでうれしくなったり、声をかけてくださったスタッフの名前を思い出せなくって、失礼をしたり……。

 打ち合わせを無事終えて、いつもどおりに東ゲートからバスに乗り、我が家へ。家に着いた時に、「あれ、ケータイがないけれど…」と思ったが、眠くって「朝捜そう」。

 月曜日の朝、万博へ持っていったかばんの中も、着ていた服のポケットにもケータイはない。あれれ。

 仕事をしながら?昨日のケータイの記憶をさぐると、ロシア館で天気予報を見た、場内を歩きながら途中で時間を見た、バスに乗る前にトイレへ寄った。あれれれ、トイレの棚に置き忘れたか……。それとも、ほかで??

 万博協会テレホンセンターへ電話をするが、なかなかつながらない。困ったね。

 何度目の挑戦でやっとテレホンセンターにつながり、そこから「忘れ物センター」に回してもらう。

 「携帯電話の特徴を教えてください」。

  ==「ボーダーフォンの新しい機種、東芝製です。赤いです」。

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 「ストラップや待ちうけ画面について教えてください」

  ==「ストラップは、えっと鈴です。小さな金色の鈴です。待ちうけ画面は、朝顔の写真です」と、きっぱり答えられた。というか、へんなおっさんの待ちうけ画面(どんなんでしょ)にしていなくて良かったと内心思った。

 と、電話の向うの女性は、「そのような携帯電話がセンターに届いているようです。が、いま、この電話があるところにその電話があるわけではありませんので、確かめましたら、もう一度お電話しますので、連絡先電話番号を教えてください」

  ==「エッ、ありそうですか、うれしい。連絡先は、090 … あっ、携帯電話がないのにケータイの番号を言ってもダメですね」と、笑われてしまいました。

 「必ず確認して電話をしますので、お待ちください」。

 なんとも親切な対応に感謝です。待つこととしましょう。

 そうですね。夕方近くだったでしょうか。電話がかかってきました。もう一度特徴を伝えましたら、ぴったり一致する携帯電話でした。

 ==「受取に行きます。明日行きます」。

 そして、23日火曜日仕事を終えてすっ飛んで行きました。万博会場内北ゲート「お忘れ物センター」へ。行ってびっくりです。

 「~~~の忘れ物をしました。きょうの午後◎◎パビリオンあたりで」。
 「これと同じものを落としたらしいです。ありませんか?」
 「携帯電話受取に来ました」(私といっしょだヮ}
 
 その間もスタッフが、かばんとか傘とか、紙袋とかを持って「忘れ物センター」へ入ってくる。

 これだけ人が集まれば、当然忘れ物落し物をいろいろあることでしょう。

 そして、私の携帯電話は無事戻りました。やはりバスに乗る前にご用に寄ったトイレの棚にあったそうです。親切な方が発見してくださったのですね。そして、親切な対応で早く手元に戻って、うれしいです。

 皆さん、ご迷惑をおかけしました。ありがとうございます。感謝です。


2005年08月24日

【 26号 】 夏の夜に観る芝居  1

   
  ~~~ 8月3日 夕方 モスクワにて~~~

 「芝居は午後7時からだからね」とシューラは、車をやや急がせています。交通渋滞にはまってしまったらそれこそ、開演に間に合いません。どこをどのように走っているのかが、だいたいわかってきました。クレムリンが見え、ゴーリキー公園が見え、ガガーリンさんが空を目指している通りを走り……。私たちは、モスクワ南部にある小劇場 ユーゴザーパド劇場へと走っています。

 モスクワにはいくつ演劇専門劇場があるのでしょうか?いまこうして車で走っていても、いくつも「劇場」の看板を見ます。ほとんどの劇場が夏休み中です。
 ロシアの演劇シーズンは、だいたい9月半ばから翌年6月半ばくらいまで。一番俳優がノッテいるのは真冬です。氷点下の雪吹雪の夜にも、観客はワクワクしながら劇場へ足を運び、こころからお芝居を楽しみます。外の寒さも雪の汚れも、まったく感じない別世界の劇場で、人生を楽しみます。

 いまは、夏の盛りです。きょう、ユーゴザーパド劇場では新作発表です。昨日8月2日と3日の2日間だけの発表会です。チケットも公開販売をしていません。でも、公演は公表されていますので、私も日本から公演情報は知っておりました。

 昨日(8月2日)モスクワ着の飛行機が遅れなければ、劇場へ行っていたのですが、1時間遅れた飛行機ですから、劇場行きはきょうとなりました。

 演目は「重婚のタクシードライバー」 Слишком женатый таксист =アメリカ人作家 Р. Куни の作品です。シューラは出演しません。彼が出演していれば空港への迎えもいっしょに町を歩くこともできませんでした。

 さて、劇場へ到着しました。劇場前では、俳優たちと会いました。人気俳優 オレグ レウーシン(日本公演の『検察官』で主役を演じた俳優)や、オリガ イワノワ(『巨匠とマルガリータ』では妖艶なマルガリータを演じる女優)らと再会を喜びました。レウーシンがまたきれいになって輝いています。

 劇場の中はすでに観客が集まり、どこかから、この劇場の演出家 ワレリー ベリャーコビッチ氏が現れました。彼は観客にあいさつをしながら、私をみつけてくれました。「おお、よく来てくれました」と、熱く抱擁をしてくれました。尊敬する大演出家です。私もうれしくってたまりません。ちょっと体調を崩していた彼を心配していましたが、いまはとても元気で、だから新作が発表できるのですね。良かった。

 ベリャーコビッチ氏はシューラが幼いころから憧れていた演出家であり、シューラは演劇大学で演劇を学ぶ学生時代から「彼の芝居を演じたい」=つまり彼の劇団に就職したい=と願い、それは実現したのです。ロシアでは、演劇大学を出てプロの俳優であり、劇場演出家らに認めれらてはじめてその劇場に就職でき、きびしいけいこを通じて、役を得ることができる、まさに実力の世界です。

 どこやらの国のちょこっと可愛いからとか、大手プロに所属しているとか、金銭の力を振りかざして役につくとかで、俳優が生まれるなどの演劇界ではありません。

 ここの客席は120席ほどです。小さい劇場です。舞台が底にあって、客席が山になっています。一番前の席は、俳優がすぐ目の前で演じます。俳優の汗もつばも飛んできます。でも、はっきりと客席と舞台には、境界があります。

 この境界は、私たち観客が入ってはいけない越えてはいけない、ものです。が、芝居がはじまると、舞台と観客席がみごとにひとつになります。劇場全体がひとつになる感動がまた、たまらない。

 と、いう訳で、私がどれだけ、モスクワで芝居に酔っているかがお分かりいただけたかと思いますが、そろそろお芝居の中へ入りましょう。

 もちろん、ロシア語です。字幕もイヤホンもありません。


【 27号 】 夏の夜に観る芝居 2

  

  ~~~8月3日夕方 モスクワにて~~~

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 ロシア語の芝居です。本当は理解はできません。でも、楽しいのです。とっても。

 出演俳優は、ユーゴザーパド劇場の超ベテラン俳優ばかりです。7人の出演者すべてが、国家功労俳優陣です。ユーゴザパド劇場の29年間の歴史をつくって来た人ばかりです。
 主演のナウモフ氏、彼の飄々として、でもすっごく計算されつくされている演技は安心感があります。女優ガリーキナさん、小柄な身体からのパワーはすごい。同じく女優パドコパエーバさんは、グルジア国の功労俳優です。舞台に高い品格が表現されます。
 人気俳優グリシェチキン氏は、テレビも映画も他の劇団にも出演の多忙な俳優です。舞台に出てくるだけで、拍手が沸き起こる人気者です。私は彼の胸毛が苦手ですが。
 俳優デミドフ氏は、新しくこの劇団にやってきた俳優のようで、今回はじめてお会いしました。
 ワーニンさんは、どんな役でもこなせる役者です。多くの芝居に出演です。ご夫婦で俳優業です。
 ボリソフさん、ごく普通のロシアのおっさん風ですが、舞台に立つと華が咲きますね。

 こんな芸達者な面々が、稽古を積み重ねきょうを迎えたのです。はっきりとしたせりふ、美しい所作、ミリ単位まで計算されていると思う動き、秒単位まで身体に染み付いていると思うリズム。

 2時間ちょっとの1幕の芝居は、まだ荒いところも目立ちますが、この小さい劇場では、もったいない、もっと大劇場で、もっと多くの観客の心を一気につかむだろうエネルギーがあふれていました。

 シーズンにこの芝居を観たいと思う。次は俳優陣がどのようにもっと細やかに変化をしているかを見てみたい。

 ↑ 写真は終演後の舞台です。俳優も演出家ベリャーコビッチ氏も拍手喝采を浴び、花束がいっぱい届いていました。俳優ってステキな仕事ですね。俳優たちが大好きです。
 


2005年08月25日

140号 ロシア館のこれから行事予定

 ああ、万博もあと1ヶ月でおしまいです。
 今年の秋は、とりわけすっごく寂しくなります。


 ロシアパビリオンのこれからの行事は以下のとおりです。

 9月6・7日   ロシア石油とガスの日
 9月8日     円卓会議=21世紀のユーラシア輸送体系
 9月8・9日   トムスク州の日
 9月14・15日 サンクトペテルブルクの日
 9月25日  ああ、閉幕でーす。


【 28号 】 優しい人たち

 

   ~~~ 8月 3日 夕方 モスクワにて ~~~

 話しが前後します。
 私の旅の計画は、4日早朝からサンクトペテルブルクへ行きます。

 3日夕方、劇場へ行く前に一度、ホテルサリュートに戻りました。用件は「明日の朝のタクシーを予約しておこう」という、シューラの提案があったからです。

 当所シューラは「4日の朝早くも、僕がシェレメチボ 1 空港へ送っていくよ」でしたが、やはり朝が苦手な俳優は「ごめん、タクシーを呼んで行ってほしい」でした。

 ホテルのフロントの女性、ちょっとニワトリのような顔をしたちょっとコワソーナ女性です。「明日の朝のタクシーを予約したいのだが」とシューラ。

 コワソーナ女性、パソコンから目を離さずに言う。
 「あそこに電話があるから自分で予約して」。

 シューラ
 「明日の朝早いから、予約をしておきたいのですよ。それに、僕が乗るのではなく、この日本女性が乗るのですから」

 コワソーナ
 「電話を自分でかけるか、部屋担当女性に言ってください」。

 シューラ
 優しい口調で、「だいたい料金はどのくらいかかるのでしょうか?教えてください」(作戦を変えたのか?)
 「 (私には何を言ったのかわからなかったがなにかしらを彼女に言った)……」。

 コワソーナ
 やっと、こちらの顔を見て、
 「電話で聞いてみるわ」
 と、どこかへ電話している。

 コワソーナ
 「850ルーブルって言っているわ」
 
 シューラ
 「予約を頼みます。」

 コワソーナ
 ちらりと私を見て
 「じゃあ頼んであげるわ」
 また、どこかへ電話している。

 シューラは、にこにことその様子を見ている。

 コワソーナ
 「明日朝、5時に来てくれるわ。私が、明日の朝もここにいるから、あなた(私を見て)、この私のところへ来なさい。5時よ」。
 と、にこりとする。

 シューラ
 「ありがとう、とても感謝するよ」

 コワソーナ
 「いいえ、明日どこへ行くの?サンクトペテルブルク……、そう…」。

 コワソーナから、ヤサシーナに変身した彼女でした。


 そして、8月4日早朝5時前、4時半頃だったかしら、部屋に電話がありました。ヤサシーナからです。「起きていますか?5時にタクシーが来ます」

 そして、5時、ちょうど部屋を出ようとしたときに、また電話がありましたが、わかっているので、そのまま階下へ降りました。と、1階のエレベーター前で、ヤサシーナが待っていてくれました。
 「ほら、タクシーはあれよ。じゃあ、さようなら」。

 タクシーの運転手は、早朝にも関わらず、元気な若者です。トランクを運んでくれて、「どこへ行くの?」

 あれ?ヤサシーナは運転手にどこへ行くって言っていないのかな?

 「シェレメチボ 1 の方ね」。「はい、わかりました」。

 車は早朝ですから、びゅんびゅん走ります。1時間もかからずに空港へ着きました。運転手は「またモスクワへ来ますか?僕を呼んでください。僕の電話番号です」と名刺をくれました。「ありがとう」。

 850ルーブルを払おうと財布をみたらナント1000ルーブルしかありません。彼は、「おつりを渡します。ちょっと待ってね」とポケットやかばんを探したら、50ルーブルが出てきましたが、あと100ルーブルがありません。とっても感じの良い青年運転手ですから、お駄賃に100ルーブルをお渡しいたしました。
 


141号 スタンプを集めるのが楽しい

 来月の25日には幕を閉じる万博……、万博にハマッタ多くの人たちはいま、とても複雑な心境なのです。すでに寂しくなっております、と、ともにこれからの1ヶ月をどのように楽しむかとも、作戦を練っています。
 私もそのひとりです。これからの1ヶ月はまじめに愛・地球博を楽しもうと思っています。

 愛・地球博は、スタンプ博でもあります。各パビリオンの出入り口にはスタンプが置いてあります。自分で押したり、アテンダントさんに押してもらったりします。

 押してもうらノートは人それぞれですが、私は万博協会発行の500円のスタンプ帳を最初のころ買ったのです。が、ずっと集めずにいました。


     
         
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 ですから、これから集めるだけ集めることにします。

 ロシアファンとしては、やはり気になるロシア館のスタンプは、大きい。

     
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 他館のはこんな感じです。

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 ロシア館の入り口で「スタンプドーゾ」って言っている、ジィーマさんに会われましたらぜひ、お声をかけてあげてくださいね。

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2005年08月26日

【 29号 】 いざ ペテルブルクへ

    ~~~ 8月5日 モスクワ→サンクトペテルブルク ~~~

 早朝5時に、モスクワ南西部にあるホテル サリュートの ヤサシーナさんに「5時よ。約束のタクシーが来ています」と起こされ、追い出されて、私は、黒いトランクを引きながら、タクシーに乗りました。

 タクシーの運転手は、若くって、太い右腕のタットゥは、ちょっと下手っぽい動物のようなものが見え隠れしている。シャツの袖があり、その上が見えないので全体はわからない。
 彼は「どこへ行くの?」
 「シェレメチボ Ⅰへ連れて行って」。
 「ハラショー」。と、早朝のすいている道路をビュンビュン走らせて、空港へ私を運び、午前6時ごろに到着しました。
 
 飛行機は、午前8時15分発です。「やはり早く着きすぎてしまった」。

 シューラは「空港には早く着いていたほうが良い」と言い、午前5時に迎えの車を呼んだのですが、私は「早いなあ」と思っていたのですが。さて、待ち時間をどのように過ごしましょうか?狭い空港の中に座って待つ場所はないのです。トランクの上に座ると、私の重みでトランクが割れるかもしれないので、危険です。壁際に寄って、トランクにもたれて、ただ待つだけです。眠いです。

 昨夜、芝居が終わって、シューラは歩いてホテルまで送ってくれました。午後9時です。まだまだ外は明るくって、とっても不思議でした。冬ならば、芝居が終わっとき、いや、始まる時から外は真っ暗なのに…。明るい夜です。私には不思議です。とっても。でも、私は眠くて部屋につくなり、すぐに眠りました。そして、午前4時には起きていたのでした。

 「眠いから早くチェックインが始まらないかな。イスに座りたい」とばかり思っていました。

 待ちに待ってチェックインがはじまり、座席チケットをもらい、ながめながら混雑の中を待合室へ向かっていたら、後ろから先ほどチェックインカウンターにいた女性が、私の肩をたたき、指差しながら、「ゲートはこの階段をあがりなさい。そして○番で待っていなさい」と言ってくれました。とても親切で、優しくって、眠い私の身体が喜びました。シンセツヤさんに出会いましたね。

 トランクを預けたので、もう身軽です。待合室にはイスがあります。「30分間、よし、眠ろう」と決意して、バッグを抱えて眠りました。こういうところで眠るのはあまり好きではないけれど、仕方がないです。とっても眠いから。

 ここで眠ったのがあとをとっても楽にしてくれました。


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 (モスクワ シェレメチボ空港 Ⅰ 空港)

 搭乗した小さな飛行機は、一番前の席で、3列並びの真ん中です。1時間ちょっとの飛行ですから、我慢しましょう。右手の若者は新聞を読んでいます。左手側の女性の右手、つまり私のすぐとなりには、とても大きくてとがったデザインの指輪が光っています。こわいです。その手を動かすとき、どうぞ私には、あたりませんように。

 向こう側にも3列並びがあります。いかにもビジネスマン等ばかりです。空港待合室もそうでしたが、ほとんど男性ばかりでした。

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               (搭乗中です)


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       (到着したサンクトペテルブルクも青空です)


 飛行機は軽々飛んで、明るくまぶしい夏の朝の空を、あっと言う間に、サンクトペテブルクへ着いてしまいました。さあ、これから、サンクトペテルブルクの旅がはじまります。


2005年08月28日

142号 会場に3時間 18万分の1

 これから、できるかぎり、万博会場内の写真を写しておこうと決めて、いざ、万博へ出発です。
 と、言ってもきょうは、午後から仕事があって、往復の交通事情などを考えても、会場内でいることができる時間は、3時間くらいか。
 
 もうひとつ、ロシア館のメンバーに会う約束もあって、東ゲートからいつもどおり歩いて、ロシア館へ向かう。思えば、開幕当時はこの距離が遠くって、ゴンドラ=600円に乗ってしまったり、IMTSと呼ばれるトヨタ自動車開発の未来のバス=200円にも乗ってしまったが、いまは、鍛えたこのたくましい両足で、歩きます。

 が、暑い。が、空がとってもきれい。が、人が多い。

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   ※※ この日の入場者は、18万4千人で、開幕以来 2番目に多い入場数でした ※※

 東ゲートから入場する前には、10分の待ち時間。手荷物検査と金属探知機を通る“検査”があるからです。もう何度も経験しております私が見ますに、かなり、ざるでございます。

 さて、ロシア館へ。暑いです。体温が上昇していることがわかります。「熱中症」に注意です。首にタオルを巻いて歩きます。人ごみの中では使えませんが、日傘も使います。
 もし、イタリア館がすんなり入れるのならば、「踊るサチュロス」を見ようかと近寄るが、まったく不可能というか、待つ列が長くって。きょうはダメです。また、今度にしましょう。

 リビア館へ、ここは、先日万博会場周辺に局地的な降雨があり、唯一浸水してしまったお気の毒なパビリオンです。「お見舞い」のつもりで、ピアスを買いました。


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 ロシア館の前は長蛇の列ですが、お隣りのリトアニア館は、きょうはすんなり入れそうです。と、入り口の前で、組みひもと切り絵の実演販売中です。わたし、こんなのものすっごく弱いのです。つい、衝動買いをしてしまうのです。で、やはり買いました。
     


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 リトアニア館の展示の中にあまり知られていませんが、リトアニア演劇についての展示があります。もう一度見ておきたかったのですが、そのあたりには人が滞留しており、やめました。また、次の機会に必ずみてきましょう。

 ロシア館のジィーマさんに会い、明日の日曜日にみんなで行く「伊勢の旅」の確認をしてきました。館内もあいからず大勢のお客様です。おみやげ屋さんもにぎわっています。冷房の効いた館内でちょっと身体を休ませて、でも、のんびりしている時間はありません。

 人ごみの中を帰ることとしましょう。慌てずのんびりと歩きながら東ゲートへ戻りましょう。「きょうは確実に記録の出る入場者数だろう」と思えます。グローバルループと呼ばれる場内を1周する木の道は、人がいっぱいです。でも、7月の21万人入場者のときと比べれば、少ないです。

 東ゲートへ到着したら、「案内所でロボットの案内嬢が動いています。ぜひお立ち寄りください」と誘われて、開幕当所から人気のロボットさんに会いました。

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 日本語・英語・中国語・韓国語はおなはしできるそうです。万博会場内に関する質問に答えてくれるそうです。では、質問しましょう。

 「ここ(東ゲート)から、ロシア館まで歩いていくと、何分くらいかかりますか?」
 
 彼女の返答。

 「ロシア連邦パビリオンはコモン4にあります。勉強不足でごめんなさい。わかりません……」。つまり歩いて何分かかるかは、わからないというお答えでした。あのね。もうすぐ閉幕です。勉強しておきなさい!40分かかります。

 さっさと退場して、名古屋へ戻るバスに乗ります。当然、これから入場する人たちもおおぜいいます。暑いですから気をつけてね。       


2005年08月29日

【 30号 】 ステキな友人たち

   ~~~~~ 8月 4日 サンクトペテルブルクにて~~~


 サンクトペテルブルク(以下ペテルと略します)の旅は、2泊3日と短いものですが、このおふたりがすべて用意してくださり、私のために超多忙な仕事の休みを取り、いっしょに楽しい旅ができ、私はとっても幸せものです。

 
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 ふたりは、民族学博物館の同僚です。レナは文化財修復学芸員、オレクはスラブ民族学博士です。
 そして、おふたりの同僚のジィーマ バラノフさんは、このころから万博閉幕まで、名古屋へ万博へ長期出張中です。彼はロシア民族学博士です。

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 エレーナとはじめて知り合ったのは、2000年の夏のことでした。その後も、モスクワやサンクトペテルブルクで、会いました。俳優のシューラも紹介しました。エレーナは優しく聡明な美人で、とっても大事な友だちです。日本語はできないエレーナが、ロシア語ができない私にいつも、なんでも教えてくれます。私も彼女に日本のことを伝えています。

 ことしの春のはじめ、エレーナは国際電話をかけてきました。

 「名古屋にEXPOロシアパビリオンに、同僚のオレクが行きます。オレクは5月末まで、7月からはジィーマが行きます。ふたりともとっても良い人ですから、お友だちになってやってね。ぜひ、EXPOで会ってね」。
 オレクもジィーマもレナの大事な同僚でお友だちです。と、いうことは、私の大事な友だちふたりが、万博で働いていると言ってもいいでしょう。だから、私は万博へ通っているのです。

 旅の話に戻りましょう。

 ペテルのプールコヴォ空港に、エレーナ(愛称・レナ)もオレクも迎えにきてくれました。再会を大喜びしました。
 そして、2日後の6日夕方、レナとオレクと私は、同じ空港の出発ロビーで再会を誓い涙の別れをしました。
 ドラマがいっぱいです。ありすぎます。8月はじめのサンクトペテルブルクは、夏の真っ盛りです。


2005年08月30日

143号 ジィーマさんのお話しを聞く会 開催のお知らせ

名古屋市にある日本ユーラシア協会愛知県本部では、万博ロシア館で働く ジィーマ バラノフさんをゲストにして、「ロシア語サロン」を開きます。

 ロシア語でジィーマさんに語っていただきます。通訳もいますので、ロシア語が分からない方も大丈夫です。申し込みもお問い合わせも、日本ユーラシア協会愛知県本部へ、お気軽にどうぞ。


2005年08月31日

【 31号 】 ふたりから大歓迎をうける

 
~~~~ 8月4日 朝 サンクトペテルブルクにて~~~

 ペテルで降り立った空港は、国内線ですからパスポート検査などはありません。すぐに、外へと出ることができます。出口のドアの横にレナがちょっとあちらを向いて立っていました。
 「レナ!レナ!!」と呼ぶと、彼女は満面の笑顔で抱きしめてくれます。頬にチュとしてくれます。
 私たち日本人には出会いや別れで、抱き合うとかKISSをするなどは抵抗がありますが、こちらではあったりまえです。もう、私もまったく平気です。
 
 ペテルの空は素晴らしい青空です。日本で言えば、5月の爽やかな晴天の日と同じでしょうか。気温はちょっと高めですが。

 「オレクも来るわよ。すぐに」と言うレナ。相変わらずに美しい人。
 と、目の前に白い上着の、オレクさんが、いました。

 「うわあ~~」とか言って彼は、私を大歓迎してくれます。
 5月22日夕方に名古屋駅で別れて以来です。だから、そんなにずっと会えなかった私たちではありませんが、ペテルで会うことができたのが、感動です。

 ここペテルの空港は、飛行機が運んでくれた荷物が出てくるのが、こうして出迎えの人たちと会ってからです。「荷物はオレクに任せておきましょう」とでも、レナが言ったのでしょうか。オレクがターンテーブルの前に行き、いまかいまかと荷物の出てくるのを待っています。まるで子どものように、「どんなチマダン(トランク)なの?色はどんなの?」と、彼は聞きます。目はターンテーブルを見ながら。その光景を見たとき、私はなんだか感激してしまいました。

 万博で、名古屋で、出会ったロシア人と、いま、彼の地元で会っている……。日本で会った外国人の母国で、再会するなどの経験をお持ちの方は多いでしょうが、「万博」というところが、醍醐味でございますよ。万博=愛・地球博が名古屋で開催されているから出会った人に、いま会いに来たのですからね。

 「アッ、その黒いのね」と、声をかけるとオレクは素早くとって、「サア、タクシーに」。彼はタクシーの運転手と交渉をして、私たちを後ろの座席に座らせて、とってもうれしそうです。

 タクシーの運転手に言っています。「この人(私のこと)は、日本から名古屋から来たのですよ。僕たちは、名古屋で会ったのですよ」。タクシーの運転手は、「日本は遠いよ」とか「名古屋、知らないね」とか言っているようです。

 町なかへと走る車中で、「明日はノブゴロドに行きたいが、いいだろう?明日はどこか行きたいところはあるのかい?」とレナもオレクも言います。「ノブゴロド行きます」と答えると、ふたりはうれしそうです。だって、もう、ノブゴロドに連れていくよ~ってムードいっぱいで、話してくれるのですもの。

 町の中心部に近くになったら、オレクはタクシーを降りました。「明日のバスの切符を買ってくるからね。ホテルで待っていてね。すぐ行くからね」。

 レナといっしょにホテル オクチャブリスカヤに到着しました。フロントに日本で手続きを終えてある「予約と料金支払済み証明書」を提出すると、ホテルの係員はパソコンで調べたり、なにやら書類を出してきたりして、そして「ここではありません」と言う。

 「エッ!!!」と驚く私にレナは、「もうひとつ『オクチャブリスカヤ』はあるのよ、あちらでしたネ」。

 ここで動くとオレクに会えなくなりますし、私の黒い重いチマダンもあります。「オレクをここで待ちましょう」とレナは言います。ロビーのイスに座り、待ちましょう。

 レナは言います。
 「オレクは日本へ行ったことがとっても良かったと、毎日のように言っているわ。あなたと会ったこともとても喜んでいるのよ。日本の話しを職場でいっぱい聞き、写真もたくさん見せてもらったのよ。いま、行っているジィーマも素晴らしい人だからね。彼ともたくさんお話ししてくださいね」。
 
 レナ、ありがとう、あなたと出会ったから、オレクにもジィーマにも出会えたのです、ありがとう。

 オレクが駈けてきました。「チマダンは僕に任せて、さあ、あっちのオクチャブリスカヤに行こう」。


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  ※※※ 2002年の冬以来のペテルです。明るい夏の空に美しい建物が光っています。どれも由緒正しき建物と、オレクが説明をしてくれましたが、ノートに書かずにいたのですっかり忘れました※※※


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