2005年03月20日
創刊号 ロシアからの国際電話がはじまり
はじめまして。この偉大なるサイト「ロシアンぴろしき」への投稿コーナーにきょうからデビューいたしますマーミンカです。マーミンカはロシア語で,おかちゃんという意味ですね。子どもが「おかちゃん」と甘えて呼びかけるとても音の響きが美しい「マーミンカ」の単語がとても気に入っています。ただ、その「音」だけなので、実態は?甘えられるとどうしたら良いか困ってしまうので「甘えないで、しかっりしなさい」と、他人にはきびしいです。逆に自分には大あまなので、さて、新しく開店したこのブログがどこまでやれるかわかりません。
簡単な自己紹介です。名古屋生まれの名古屋育ち。でも両親は関西人で幼い時の記憶に名古屋弁生活はなく、どちらかというと関西言葉で、いつも大阪へ遊びに行っていた。が、いまや立派な名古屋人、名古屋弁使い、名古屋のことなら知っていることもかなり多い。
ロシアにはじめて触れたのが、ある大学に入学し第2外国語の履修科目を決める時のこと。
中国語・フランス語・ドイツ語・ロシア語から「どれにしようかな」。私の中ではどれもまったく知らない言語なので、1からはじめるもの。
まずドイツ語は、入学早々鼻についた男性が、ドイツ語の知識を自慢していたので、はずした。「教室でドイツ語をけっこう知っている人ばかりが集まって、私だけが初心者だったら恥ずかしい」。ドイツ語ぬける。
中国語は履修希望者が多くいて、なんだか賑やかでうるさそう。これもやめる。
フランス語は、「知っててもなにも役に立ちそうもない。私はおしゃれではないし」と、フランス=モードの国のイメージそのままの理由で、フランス語は気恥ずかしくってやめる。
ロシア語は、当時はソ連という国の言葉。「ソ連なのにロシア語とは、なにかありそう。ロシア語はまわりでだれも知らないから、だれも『なにか言え』とは言わないだろう。それに、みんな知らないもの同士でいっしょに出来る」との立派な理由で、ロシア語を履修することと決めた。
いやあ、面白い授業で夢中になる。まず文字を覚えるのがうれしかった。単語も覚えるのを競争のようにしていた。が、あるところでつまずいてしまった。つまずくどころか転んでしまった。語尾変化かはじまり、辞書を引いてもその単語がすんなりとない !! こんなことがあるとは、なんということか。
私のロシア語熱は急速に冷めて、あとは静かに余生を送っていた。その後の人生は、ロシア語からはきれいさっぱりと足も手も洗い、ごくふつうの静かな日々をまじめに生きていた。
ソ連という国が消えてロシア国が生まれたときも、ほとんど動揺もせず歓迎もせずの、ロシアははるか遠い国だった。
が、あるとき。それは1997年の春のこと。「サンクトペテルブルクへいっしょに行かないか?」と声をかけてくれる人があった。「そこは、えっと……?」「昔はレニングラードよ」。ああそうですか。「行ってもいいけれど、寒いでしょ。なにか食べるものあるの?」。
そして1997年6月にはじめてロシア国へ行ってしまった。あまりにもなにもかもが大きくって、大きな器の中で右往左往しているちっぽけな私だった。
2度目、1999年も誘われてサンクトペテルブルクへ行く。このとき、わが人生の過ぎ去りし日々を思い起こし、ガクゼンとなってしまった。
学生時代に学んだはずのロシア語がいっさいわからない。これでは、自分の青春を放棄してしまうことになる。あの時のロシア語へかけた時間や情熱、学んだそのものはなんだったのか。せっかく2度もロシアへ来ているのに、ロシア語がさっぱりわからないとは悔し過ぎる。
と同時に、モスクワへすごく行きたくなる。その理由はわからないが、「次はモスクワへ行く」と決めていた。
2000年1月、日本へ留学しているロシア人留学生に聞いた。「ロシア語で『あなた』はなんというのですか?」。お笑いください。それほどロシア語はしっかり忘れていたのです。
2月、その留学生にロシア語をはじめて教えてもらう。彼は文字のひとつずつを発音しながら教えてくれた。ここから、私のロシア語勉強第2楽章がはじまったのです。ロシア語教室が開かれていることを知り、ステキな先生ともめぐりあった。「学ぶ用意ができたとき先生が現れる」を実感した。
と、どうだろうか。脳みその奥の奥深くに、忘れ去られていたはずだったロシア語が、喜んで復活してくれたのです。あのキリル文字がなんの苦しみもなく、湧き出るがごとく、記憶のヒダからよみがえるのです。
ああ、若いとき、脳みそが柔軟なときに、学ぶとはこういうことか。だから、若者よ、学べ!!遊んでいる場合ではない、将来のためにいま、学べ!と言いたい。
同時に、2000年7月念願のモスクワ行きが実現し、同じ年の9月には、はじめてロシア演劇を日本で観て、それはそれは、大大大感動してしまいました。ある俳優の素晴らしさに惚れまくり、追っかけて、モスクワ通いもはじまる。俳優に手紙を書く。せっせと手紙を書く。もちろんロシア語。正確にはロシア語のようなものだか、下手なキリル文字と、解読不可能だろう文面の手紙を一日かかって書いて、俳優にファンレターです。
2005年1月には、11回目のロシア行き、ひとり旅もできるし、ロシア人の友人も得ることができた。ロシアからの国際電話もかかってくるようになった。
05年3月19日土曜日のこと。「ヒョウジケンガイ」の着信電話に出る。それは、サンクトペテルブルクに住むエレーナさんだった。
「名古屋へ同僚のオーリャが行く、ミーチャも行く。EXPOのために名古屋にしばらく住む。ぜひ会ってやってね」。もちろんロシア語での電話。えっ、万博に~~!!
何を隠そう、私はいっさい万博に興味がなかった。万博誘致開催に、反対の人も、賛成の人も、仕事が万博に関わっている人たちも、身の回りに多くいるけれど、私は興味がなかった。が、エレーナがかけてきたその電話で、がらがらと音をたてて興味なしの壁がくずれ、一気に万博だよ~モードに切り替わってしまいました。
開幕は、3月25日です。楽しみです。
せっかく私の地元で開かれる万国博覧会です。ろしぴろの読者のみなさまに、万博の様子をお伝えしましょう。まったくワタクシ勝手に通信です、万博は9月25日までです。まずはそこまで、お付き合いください。 どうか、みなさま、よろしく。
==自己紹介のつもりでロシア関係好きなもの
*俳優:アレクサンドル ゴルシュコフ、ルステム ユスカーエフ。
*場所:赤の広場 *食べ物:小麦粉でできているもの、乳製品
*感動した芝居:ゴーゴリー「検察官」、ブルガーコフ「巨匠とマルガリータ」
*ロシア語は、男女がはっきりしているのがすごく気持ちが良い。
*おすすめ観光スポット:サンクトペテルブルクは、 民族学博物館・夏の宮殿を海側からの景色
モスクワは、ダニロフスキー修道院・モスクワ河から見るクレムリン・ユーゴザーパド劇場
| 万博ロシア館と周辺を勝手に通信 通信員のマーミンカです! |
2005年03月25日
2号 友情それは、国籍も距離も時間も超えて成熟できるもの
この地球の歴史に比べれば人の命は、なんと短いことでしょうか。だから、ぼやぼやしてはいられない。これが、私の好奇心の源です。いま それをやらずにいつやるのか、現場を見ずして何を語るのか、です。
前号で突然登場した、エレーナさんのことをご紹介します。彼女との出会いも、距離と時間に関係なく出会うようになっていたと確信しています。
2000年夏のはじめてのモスクワへの旅。後半にサンクトペテルブルクへ行くことも計画していました。私にはじめてロシア旅行の機会を与えてくれた女優に、旅のちょっと前に電話をしましたら、「エレーナさんに会っておいで」と、言います。
女優が言うには、サンクトペテルブルクで「日本文化の夕べ」という企画で日本舞踊を舞ったとき、後で楽屋にやってきたロシア人女性が「日本舞踊の扇を見せてほしい」と英語で言い、扇にとても興味を示し女優を博物館に誘ってくれたそうだ。女優は短い滞在期間のまた短い時間に、博物館に行って彼女が扇を研究していること、いくつかコレクションを持っていることを知ったそうだ。
「会っておいで」と私に言ったものの女優は、そのロシア女性の名前がエレーナと大きな建物の博物館だけの、記憶しかないとか。
私のモスクワ~サンクトペテルブルクの旅には、日本に住むロシア人留学生が同行してくれた。彼に、「エレーナを捜して」というと、「あのですね、エレーナという名前はものすごくたくさんいます。それは無理です」。
でも、でも、いろんなめぐりあわせで、ロシア民族学博物館修復学芸員のエレーナ ヤンコフスカヤさんと会うことができたのです。一日スケジュールがずれていれば、彼女は出張中でした。親切な博物館受付係が気持ちよく対応してくれ、なによりも捜してくれた留学生のおかげです。
「扇やうちわ、扇子はおもしろい。博物館にある扇のルーツは日本にある。もっと知りたい日本のこと、扇のこと」。と熱く語られるエレーナさん。理知的な彼女の魅力に圧倒されたのだった。
「日本じゃあ、扇子もうちわも扇も、いっぱいあるから、エレーナさんに送ってあげよう」。旅から戻ってすぐに知り合いあちこちによびかけて、うちわ各種、扇子いろいろ扇も集めて、すごく沢山集まりダンボール合計4箱くらいになったかな、彼女のところへ送りました。
翌年もまた集めて送りました。と同時に私も日本のうちわや扇などの美しさに気がつきました。エレーナさんは、サンクトペテルブルク市内で「日本の扇たち展」という展覧会を開催しました。
エレーナさんの仕事は、ロシア各地から発見されたり、発掘されたりしている民族学的手工芸品の修復というなんだかすごいことやってます。民族学博物館の裏にある静かな工房のような部屋がエレーナさんの仕事部屋で、そこでは、私のようなものには、ゴミ?とは失礼ですが、知らないものにはなんの価値があるのか不明な古い物、壊れているものなどを元の姿に復元させるのです。細かい仕事です。単に指先の仕事ではなく、復元されるものが歩んできた道程をさぐり、誕生地まで探り出さねば修復はできないそうです。いやあ、私はただただ、すごい、そればかりしか言えません。
扇についてはロシア国内唯一の研究者です。クレムリン内博物館やエルミタージュ美術館などロシア各地に展示されている帝政ロシアの時代の女性たちのお使いだった扇の修復は、エレーナさんが関わっているようです。
その後、エレーナさんとは、冬のサンクトペテルブルクで、秋と冬のモスクワでもいっしょに町を歩いたりお芝居をみたりしました。「日本へ行きたいわ」が彼女の夢です。
ここからやっと万博通信に戻ります。
そのエレーナさんが電話をくれました。「エッ、エレーナが名古屋へやってくるのですか?」と聞きなおしました。とてもびっくりしました。が、同僚のオレグさんが2ヶ月間、ミーチャさんがその後で名古屋に来るとのことです。エレーナの同僚ならば、私の友だち(?)ならば会いに行かねばなるまい。万博の開幕を楽しみにしていました。
いよいよ開幕の3月25日。名古屋の町中、マスコミ、交通、デパートなどあちこちが大騒ぎの朝です。名古屋で多くの部数を要する新聞社は、開幕大特集版の発行です。が、その新聞の特集版企画の中にロシア語表記が間違っているのを発見してしまいました。
世界のことばで「こんにちは」を活字表記か直接関係者が書いた言語での表記をしているのですが、ロシア語のところが 『ЭДравствуйте!』 ではないですか。なんだか残念でならない。
影響力の大きい新聞の中で、こんな間違いがあることを、ロシアからおいでになった関係者が見て知った時には、どれだけ嘆かれるだろう。もちろん私はその発行新聞社へは、ご忠告の電話をしておきまいた。「新聞社ならしっかり調べなさい」と。
ますます、ロシアからおいでのみなさんに会いたくなった。オレグさんは、いったいどんな男性なのでしょうか?明日の土曜日、ロシア館へ行ってみよう、と決めました。
| 今回のレポの主人公(?) 愛知万博のロシア館 正面です! |
2005年03月26日
3号 オレグさん、はじめまして。
万博が開幕してはじめての土曜日です。混雑が予想されているのですが、私はそんなことにめげずに、会場へ、ロシア館へ行ってみます。我が家からどれくらいの時間がかかるか計ってみましょう。家のドアを出て、1時間後には会場内にいました。名古屋駅から直行バスの利用で、座って会場の東ゲートまで行けます。
いろいろ問題がある万博で、(この時は)お弁当持込禁止のために、入り口ではあきらかにそれらを持ってきてはいないかが目的の「荷物検査」もしています。これが係員も入場者も不慣れなために、多くの入場者を不快にさせています。私も「もう少し優しい接し方もあって良いのでしょう」。と入り口でプリプリになってしまいました。
が、大きく深呼吸をして、まずは「案内所」へ。
会場内の地図を広げて、「ロシア館へ行きたいのですが、どこですか?」
「一番遠くです。歩いては40分くらいです。ゴンドラに乗られると5分くらいで、降りてすぐです」。
「ゴンドラは無料ですか?」
「片道600円です」。
ロシアへの道のりは遠いこと。40分も歩くのですか……。きょうはゴンドラに乗りましょう。企業パビリオンには長蛇の列です。場内で働いている多くの人たちがすごく緊張していることもわかります。相当きびしいことを教育されているようです。
きょうは寒い。昨日初日は雪が舞った万博会場です。気温があがりません。コートは真冬ものを用意してきて大正解です。
ゴンドラを降りて、ちょっと行くと目的の「ロシア館」です。看板はロシアの人々の顔、自然、宇宙、大国ロシアの地図をデザインしており、周りにある他の国の雰囲気とはもう違う、ロシアらしい大看板です。
館内入り口の受付の青年に、「オレグさんに会いたいのですが…」(ロシア語)。
ロシア青年は、「呼んでまいります。お待ちください」(日本語)。
駆けつけてきたオレグさん、「いやあ、来てくれたのですか。エレーナが名古屋に友だちがいるから…、うれしいなあ」などたくさんのお言葉(ロシア語)。
オレグさんが、私の手をとり、引き連れられていったところは、ロシア館内の小舞台がある部屋。舞台では民族舞踊などが行われており、暗くだれが観客か出演者かなんだかよくわからない。音楽が響く中で、オレグさんが私にしゃべり続けている。「エレーナからあなたに渡すようにと言われて持ってきたCD、きょうは持っていないよ。エレーナの息子は活躍しているよ~~~」などを元気よく語ってくださっている。
と、後ろから私の肩をたたく人があり驚き振り返れば「一般の方ですか。今の時間は関係者だけですから、出ていただきたいのです」(日本語・通訳さん)。
私、「はあ?あのこの方がここに座って……??」。
オレグさん「良いよ、大丈夫だよ。座っていなさい」。
でも、どうも雰囲気が違います。サハ共和国から大統領らのVIPが来場しておりセレモニーがあるのだそうで、私が入る場所ではありません。
ロシア館内をざっと見渡すと、一応飾りはできているが、映像や説明用のコンピューターもまだ動いていない。日本語説明もないし…。機械・宇宙・鉱物など、私の苦手な固いもの系展示が目につく。館内暗い。電気をつけずに暗いのではなく壁を黒くしているから、正確には、黒い館内です。
オレグさんは「散歩へ行きましょう」と言うが、館内を出ていいのかしら?彼は仕事があるのではないかと、ちょっとだけ心配したが、もう彼は、外へ出られたことを喜んでいます。外へ出たかったようです。
ロシア館のお隣りは、ウクライナ館。まだ出来上がっていなくって、大きな荷物を運んでいる途中です。オレグさんと荷物運び中の男性が楽しげに話しています。館内はまだ見るようなものがない。
入り口の上の壁には、ウクライナ大統領ユーシェンコを誕生させた国民の集まりの写真パネルが飾られ、館内には「やったね ユーシェンコ」のオレンジの旗が飾られています。小さな喫茶室も開店するようです。
ウクライナのお隣りは、ポーランド館。ポーランド・ビェリチカ地底岩塩採掘坑を館内に造っている。世界遺産となっている地下の町のほんの一部の再現……。うむ、ポーランドは観光に力をいれているとわかります。
ロシア館の目の前にあるチェコ館。不思議な空間は、音と小さな光といっしょに生きている人間の生活に着目しているようで、自然の中の音や光を表現している。日本人スタッフが赤いスーツで案内してくれます。
ルーマニア館、アイルランド館、イギリス館、スイス館、ちょっと歩いて、チュニジア館、スペイン館、ヨルダン館などをオレグさんと回ります。どの国も実際行ったことはないが、国ごとにこんなに雰囲気が違うものだと痛感して、小さな世界旅行中です。
オレグさんと通りにあるベンチに座り飲み物を買って小休憩です。
彼は「日本の女性は荷物をたくさん持っているね。男は持たないね」。そうなんです。ママが子どもを抱っこして、子どものためのものが入ったカバンを肩にかけていても、いっしょにいるパパは手ぶらなんです。目の前にいるまさにそのとおりの家族をみながらの話しです。
「ロシア女性は怒るよ」。そうですか。「日本の女性は力持ちですからね。それに、日本女性はめったに怒りません。男性は力がないから荷物は持てません」。拙いロシア語で言うと、オレグさんにバカ受けしてしまいました。
オレグさんは、まだ日本へ来て3日目で、やや時差でお疲れのようです。「5月26日まで日本にいます。京都へ行きたいなあ」とのこと。さてどうなのでしょうか?行けるのでしょうか。
ロシア館に戻るとイベントは終了して、小ホールではロシア紹介の映像が流れています。英語字幕と日本語の説明で、ロシア語の説明はありません。
オレグさんは「わかるかい?」「はい。もちろん、わかります」。
彼は英語もちょっとだけ、日本語はさっぱりできません。だから、この映画はわからないらしい…。
| ロシア館と通りをはさんだお隣りのウクライナ館です。オレンジ色が目立ちます。 展示の様子は今度お知らせいたします。 |
4号 ロシア上級科学博士は初来日です。
オレグ リゥシェンコさんからいただいた名刺には、「ロシア民族学博物館上級科学研究博士」とあります。ロシア館内には、ロシア国内の100を越える民族の歴史や文化、伝統、習慣、民族衣装や工芸美術品を展示紹介しています。その管理をしているおひとりがオレグさんです。
ガラスケースの中に納められている、20世紀初めに制作された陶器(あるいは他の品質)できた人形25点ほどは、民族の顔立ち・髪型・衣装を現しており、必見です。あらためてロシアの雄大さと民族の多さを教えてくれます。これをオレグさんに説明していただくと、彼は専門家として熱く語ってくれるのですが、残念ながら通訳がいりますので、今度は通訳を連れて、教えていただきましょう。
オレグさんは「日本へ来ることを楽しみにしていました。京都へ行きたい。富士山を見たい。桜の花も見たい」と期待がいっぱいです。
専門のことも学びたいそうで、「名古屋にある博物館へ行きたい。神道のところへも行きたい」とのことです。
「ロシアからは何人が万博へ来ていますか?」
「全部で何人かな?今は、40人くらいかな?」。
館内は、ロシアの豊かな天然資源・人類と宇宙技術・ロシア民族の歴史・災害の観測と予防、災害処理・エネルギー、ナノテクノロジー・モスクワ市の紹介、おみやげコーナーなどあります。それぞれ専門家が集まっているとやはり相当の人数で、綿密な準備がされ今日にいたったのでしょう。
オレグさんともうおひとりとが、展示物でお話をしている横で、若い日本人男性が興味いっぱいにおふたりのお話しに耳を傾けています。私は「ロシア語おわかりになられますか?」と聞きました。
ちょうどコーヒーを飲みに行きたかったオレグさんと私でしたから、その日本人青年も誘い、ルーマニア館の中の喫茶室へ行きコーヒータイムとしました。
青年は大学でロシア語をまなんでいるそうです。将来が楽しみです。私のぶっつけ体当たりなロシア語ではなく、きっちりと正確で丁寧なロシア語を学ぶことはとても大切なことです。ロシア館へ足を運べば、ロシア語が学べます。臆せずどんどんロシア人スタッフに声をかけてみてください。でも、恥ずかしいですね。わかります。
オレグさんは、村上春樹さんのことがロシアでは大評判だと言います。私はロシアのお芝居のことを話します。「巨匠とマルガリータ」をロシアの方たちにもっと聞きたい知りたい私ですから、これからも多くのロシアと周辺の国のパビリオンに行き、その国のお芝居のこと、「巨匠とマルガリータ」のことを教えてもらおうと内心決めたのです。この機会を逃してはなりません。
すっかり暗くなった会場のロシア館看板は、なんのネオン飾りもなくいかにもロシア(首都モスクワを除く)の夜景風景で、これは良いです。
オレグさんは、私に「今度いつ来ますか?」
「そうですね。いまはわかりません。でもまた来ますからね」。
愛 地球博・万博の開催は賛否両論が激しくありました。開幕しても、弁当持参が禁止されていることへのきびしい批判が生まれています。ほかに会場内での食べ物が高価だとか、人気パビリオン予約方法がわかりにくいとかいろいろな問題があります。
あきらかに財界要請の万博です。これは会場のつくりを見てもわかります。企業パビリオンゾーンは入場口の近くで派手にドでかくあり、事前のマスコミ宣伝も何度も繰り返されています。莫大なお金が動いていること見て取れます。
外国館は、どこにどの国があるのか、なにがあるのかも、実際はあけてみてのお楽しみのようなものです。あまり宣伝もなく、だから話題も広がらず、きょうもどこも静かです。が、母国のことを日本へ、日本人へ諸外国へと知らせる大きな使命を持ち、そのために多額な税金を投入して出展している外国館です。そこで働く人たちは大きく気負っていることもたしかです。「もっとたくさんの人たちの見て欲しい。来てください」。彼等の熱い思いがわかります。
一層寒くなりました。体が冷えます。ロシアのように寒い国からみえた人たちでも「寒いよ」と、言っています。暑い国からお見えの方たちは、ぶるぶると震える会場です。夏に向かっての開会日程なので、暖房の設備はありません。
諸外国からお見えの方たちの健康を願い、私はゴンドラに乗り会場を後にしました。
| ロシアの民族学の英知 オレグ リゥシェンコ博士です。サンクトペテルブルクにお住まいです。 |
2005年03月30日
5号 マンモスはロシア館に大小2つも展示されています
きょうの夕刊2紙が万博会場ロシア館のマンモスのことを記事にしています。どちらも表現の違いはありますが▽ロシア館にもマンモスが展示されている▽ロシア館はすいているから、ゆっくりと見られること▽触っても写真もOKとのこと……。
この愛・地球博の展示目玉には、「シベリアの永久凍土から発掘された約18,000年前のマンモス」の頭部と足の一部の冷凍展示されています。場所は、会場内の真ん中センターゾーンにあるグローバルハウスです。毎日長蛇の列が続いているそうです。やっと観覧の資格を得ても、関係のない映像を見て後、観客は動く歩道に乗せられて、冷凍マンモスの前を通りすぎるだけです。
私はまだ見ていないのですが、さて見ることができるのでしょうか。
ロシア館に行けば、同じサハ共和国から掘り出されたマンモスの骨格標本と子どもマンモスの複製とマンモス時代の人間を表した展示がされています。
ここの骨格標本はどれだけでゆっくり見ていてもいいのです。写真撮影もOKです。
ロシア館にやってきた子ども達は「マンモスって象?」「これ象の骨なの、大きいね」「すごい牙でこわい」「きゃあびっくりした、このお人形(マンモスの時代の人たち人形)動くのよ~」と、マンモスの前は先日行ったときよりもずっと賑やかです。マンモスといっしょに写真に収まる人たちが多いです。
| マンモスはロシア館の人気です。 もう少し明るい照明をつけたほうがいいけれど。 裏側からも見ることができます。これは裏か写したマンモス骨格標本です。 |
| ロシア館の展示マンモスの下にあるお人形です。 なんだか可愛いのですが、ややくらいところにあり、 顔や体が左右に揺れるので、 びっくりしてしまいます。 「マンモス時代・ロシア劇場俳優たち」ですって。 |
掲載されている2紙を持ってロシア館へ行ってこよう。名古屋駅からの会場直行シャトルバス最終、18時30分に飛び乗り、会場では奮発してゴンドラに乗りました。夜の万博会場を上から見ると、きっと夏の夜は賑やかになることでしょう。いくつかの池があります。電燈もきれいです。が、今日も寒いこと。桜もまだまだつぼみが固い。
万博会場の広さがまだ、実感できない。でも、U の字の形のようになっている。ロシア館はUの字の底の丸い部分にあると思ってください。Uの字の上の部分が広がって、西と北に入出場ゲートが2箇所あります。離れて東ゲートもあります。ゴンドラは、北口から底の部分ロシア館の前近くまで運んではくれますが、4分間の乗車に600円です。それも片道。
でも、ロシア館は、底の部分なので両方の道から来ることもでき、「会場奥にある」と言うことはかえってわかりやすいです。たぶん。
午後7時20分ロシア館に到着して、すぐにオレグさんをみつけ新聞をお渡ししました。ロシア人スタッフも集まり、通訳さんもいっしょになってみんなで喜んでいます。通訳さんは「ロシア語に訳してみんなの見えるところに貼っておきますね。みんな喜びます。私は忙しいです」。と、笑っています。
オレグさんからご所望の、名古屋の地図をお渡しする。彼はとても喜んでくださった。
オレグさんは、エレーナさんから頼まれた私への預かり物をくださった。エレーナの次男は俳優であり歌手で、彼の歌のCDを持ってきてくれました。みんなに感謝です。
寒いロシア館内。小ステージではエンドレスでロシア紹介の映画が流れている。自然・鉱工業・宇宙開発・文化芸術・スポーツ・モスクワの町などなど、英語の字幕で日本語解説の映画は、いまのロシアがよくわかる。ソ連の時代があったことにはいっさいふれていないようですが。さて?
日本語解説をしている日本人男性プロアナウンサー氏の声はどこかで聞いたことがある声です。ちょっと思いをめぐらしてみたがわからない。
オレグさんたちの宿舎も万博会場近くになり、便利になり、地下鉄を利用してひとりで帰ることもでき、喜ばれています。まだこれから2ヶ月の日本生活、いろいろご不便はあるでしょうがお気をつけてください。
きょうの夜のロシア館は、8時過ぎに静かに閉館です。みなさまお疲れさまです。
| ロシア館です。夜はこんな照明です。 |