2010年10月10日

●日本の心 第9回

(38) 「ヨーロッパ文化と日本文化」、ルイス・フロイス、岡田章雄訳注、岩波文庫、1991年
1585年にフロイス(1532~97)が著した彼我の違いを箇条書きにして訳者が注を加えたもの。日本には散歩の習慣はないとか、日本人は犬の肉を食べるとか、蹄鉄がなく藁靴を馬に履かせているなどとあるのは面白い。「完訳フロイス日本史」の日本とヨーロッパの違いについてまとめたものといえる。

(39) *「完訳フロイス日本史」(12巻)ルイス・フロイス、松田毅一・川崎桃太訳、中公文庫、2000年
ルイス・フロイスはイエズス会のポルトガル人宣教師であり、1563~92年および1595~97年に滞日した。足利義輝や義昭、織田信長、豊臣秀吉、大友宗麟、大村純忠、有馬晴信、細川ガラシアなどと面識を得たときの経験をもとにしている。本書は3部作4巻からなり338章(1,214枚)で、日本通史ではなく、1549~93年までのキリシタン布教という観点からの編年史であるが、文庫版では歴史的人物毎に編集し直している。第2巻から6巻が日本史という点からみるとより興味深い。鼻紙、灸がすでに当時使われていたことが分かる。通りや家も清潔というのも日本の特色であり、後代の外国人が述べているのと一致しているのが興味深い。非常に格調高い現代語訳である。

(40) *「日本切支丹宗門史」(3巻)、レオン・パジェス、クリセル神父校閲、吉田小五郎訳、岩波文庫、1938年
 フランスの日本研究家レオン・パジェス(1814~86)による日本史の1598年から1651年の部分の翻訳。1869年初出。これはカソリックの日本殉教史といえるが、ルイス・フロイスの日本史が1593年に終わっているので、ほぼこれを継ぐものと考えてもよい。両書に書かれていないこの間の有名な出来事としては1597年の26聖人の殉教がある。本書に書かれた処刑は非常に残酷な殺され方ばかりだが、処刑リストに入っていない年端もいかない子供まで、母親が天国に一緒に行けるようにと役人に突き出すというのは無理心中そのものであり、このようなことを許容する宗教というものの恐ろしさも同時に窺われる。これは当時のロシアにおいても古儀式派は自ら家に火をかけて信徒もろとも死ぬというのと同じである。迫害をしたのは加藤清正(法華経の信者であった)、有馬家、将軍家の意向を体した長崎奉行長谷川権六(キリスト教からの改宗者)などで、同じような狂信的宗教を信じるものや改宗者のほうが迫害の程度が強いことが分かる。1604年当時日本には123名(ビベロによれば信徒数は180万人)のイエズス会員がおり、1605年にはキリスト教信徒数は75万人とある。信者数が正しいかどうかは別にして、キリスト教への大量の改宗者が出たのは事実であり、このように大量の改宗者が出た理由を個人的に考えると、
・当時の庶民や武士の死生観を想像するに、死ねばあの世に行き、そこで子孫を見守る。そのため先祖を祀ることが重要で、家を絶やさないのが子孫の義務であった。これぐらいであとは死後どうなるのか曖昧模糊としていたが、キリスト教に受洗すれば天国に行けるとか未来における救済など死後の世界が体系だって具体的に教えられている。
・キリスト教は一夫一妻を主張し、蓄妾や衆道(男色)の禁止によって女性の支持を得た。
・キリスト教による悪魔祓い(当時狐憑きなどが女性の間には多かった)
・教会による喜捨の実施、らい病患者への手厚い介護
・最新の知識(天文、科学、数学)の紹介、教育の実践
・領主からのその領国での全員の強制改宗
・教義が仏教などに比べても論理的であること。
・僧侶の堕落(教義の知識もなく、金を取ることばかりを考え、僧侶が酒や男色にふけるなど)
・儀式の荘厳さ、きらびやかな衣装や聖具
・イエスの処刑(犠牲となって処刑されることに対する共感)
 同時に殉教者が多く出たのは、
・殉教すれば間違いなく天国にいけるという考え方が日本的な潔さと一致したこと。
・だれもがいつでも英雄になれるわけではないが、殉教者は死ぬことにより女性でも英雄になれると考えたこと。
・殉教に生きがいを見出したこと。
・先に苦労すれば後で報われるという考え方(それが死後であっても)
 1607年ヨハネ・ロドリゲス師が家康に謁見すべく江戸に行く途中で鎌倉大仏を見て、それが田んぼの中に放棄されや蝶の休場となっていたとある。日本のイエズス会出身で聖アウグスチノ会の日本人ニコラス修士は1597年ニコラス・メーロ師と共にローマに遣わされたが、途中モスクワで宗教上のことから1611年ニスナ(ニージュニー・ノーヴゴロドであろう)で処刑されたとある。これなどロシアに行った日本人では早い方であろう。幕末時代に言及されるパッペンベルグ(高鉾)島では、1617年伝道士アンデレア吉田とガスパル彦次郎が斬首され、遺骸は海中投棄された。

Posted by SATOH at 2010年10月10日 22:25
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