2010年03月05日

●新帯研 第103回

ロシアの街でшиномонтажという看板を見かけることがある。ロシアのガソリンスタンドは給油専門でそれ以外のサービスをすることがない。タイヤがパンクして交換する場合にはшиномонтаж、故障ならремонтный заводと分業化が進んでいる。ユーザーには不便な限りと思うが、基本的にロシア人は日常の車の点検は自分でするのが普通なのであまり気にしないのかもしれない。ロシア人観光客でガソリンスタンドのピストル型給油装置が珍しいと言って写真を撮っていた人もいた。
江戸時代の奇譚や噂話、薬の処方などを記した耳嚢(根岸鎮衛)の巻之八に「チンカという病名の事」という記事があって、「歯茎など黒く成りて…其病ヲロシヤの地などは多く…」とあり、ツィンガーцинга(壊血病)のように思われる。治療法は「股の黒く成し所は針して血を取て吉し」とあるが、ビタミンCの不足からおこる病気ゆえ、これでは治らないだろう。それにしても著者の根岸鎮衛(1737~1815)は鎖国していた江戸時代の人だからその好奇心と知識欲には驚くほかはない。
(文学志望の君に贈るトルストイの言葉)
Пишите, когда приспичит.Когда чувствуете потребность писать, - пишите. Человек как чайник. Закройте чайник, - пар пойдёт носиком. Раз чай горячий!
書かねばと思ったら書きなさい。書く必要があると感じるときには書きなさい。人は急須のようなものです。急須の蓋を閉じると蒸気が口から出てきます。お茶が熱ければ。
今回の課題は、
- За что сняли Подгорного?
- За небрежность вместо «дублёнка» он сказал «дублёнька»
設問)訳せ。オチを別に解説してもよい。

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2010年03月07日

●新帯研 第104回

今回の話題は散漫。ロシア語の隠語ではшестёрка(標準語では6番)というと三下のことだが、これはカードゲームで価値の低い取札ということから来ている。別の説では革命前のтрактир(食事処、ロシア料理のレストラン)のボーイполовойの月給が1カ月6ルーブルであり、このボーイのことをそう呼んだという説もある。половойはチップで生計を立てるのが普通で店から給与をもらわない場合も多かった。日本語では陸(ろく)というのは、「平らなこと」から「まじめなこと、きちんとしていること、十分なこと」という意味になり、「ろくでなし」は「のらくらもの、役立たず」という意味なのはなぜかおかしい。
60年代末現在のトヴェルスカーヤ通りは、若者の間でそれまでブロドウェイБродвейと呼ばれていたのがストリートСтритと変わった。厳密にはゴーリキー通りの左側でプーシュキン広場からホテル「モスクワ」までを指した。
ロシアでは第1次世界大戦が始まったころから禁酒令が敷かれ、それを革命政府も踏襲してきたが、密造酒にからむ犯罪が増えたため、酒を飲まないように1918年5月1日工業用アルコールに毒を混ぜるという政令を発布した。Постановление о добавлении яда к техническому спирту, дабы неповадно было пить.しかし、それでも酒はなくならなかった。
今回の課題は、
Жена наставила мужу рога. Узнав об этом, он откинул копыта.
設問1)和訳せよ。
設問2)イギリスのことを英国、大英帝国と日本語では言いかえるが、ロシア語ではどうか?

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2010年03月11日

●新帯研 第105回

英語や中国語なら自動翻訳機が近い将来実用化することは間違いない。ロシア語に関しては技術的に可能でも、需要が少ないので、実用化する資金を誰も出そうとはしないし、多国語会話で若干使われる程度だろう。こういう自動翻訳機ができても外国語を勉強しようという人は減らないと思う。武道だって、幕末の一部の人を除けば、江戸時代ですら、武士のたしなみ程度でしかなく、現在は、武器としてなら銃器があるので、理詰めに考えれば不要なはずだ。ところが肉体を鍛錬することのほかに、精神性、特に哲学的なことをふまえて学ぶ人が多い。武道にも、柔道、空手、剣道、合気道などメジャーなものから、杖道、古武道などマイナーなものまでいろいろである。ロシア語もマイナーではあるが、ロシア文学の人気から見て精神的、哲学的観点から勉強しようとする人はなくならないと思う。語学をやればぼけない、特にロシア語はぼけに効くということが証明されれば、末長い人気が確実なものになるのだが。
 この頃江戸時代から幕末、明治に来日した外国人(ロシア人、イギリス人、アメリカ人、スイス人、イタリア人など)の著作(日本滞在記とか日本紀行の類)を読んでいる。日本の心とか日本らしさというものを知るためには、外国の影響の少なかった時代の日本を知るのがいいと考えた次第。同時代の日本人の日本に関する著述よりも、外国人の著作の方が現代のわれわれにとってわかりやすく説明されていると思う。馬も草鞋を履いていたとか、日本の猫は尾が短いとか、150年前の浅草にはコウノトリがいたなどどうでもいいことだが、それなりに面白い。そこで思うのだが、こういう記録(小説ではなく)をすべてコンピューターに入れ、CDグラフィックで再現できるようにすれば、いながらにして過去にタイムスリップできるようになるはずだ。今はまだ難しいかもしれないが、スーパーコンピューターの性能を考えれば、近い将来夢ではなかろう。日本のみならず、外国の文献もいれれば、世界史でタイムトラベルができるようになる。
今回の課題は、
Брежнев зачитывает приветствие делегатам съезда.
- Позвольте от имени Политбюро ЦК КПСС и от себя лично приветствовать делегатов, прибывших на...(пауза) Не может быть! (Начинает читать сначала.) - Позвольте от имени Политбюро ЦК КПСС и от себя лично приветствовать делегатов, прибывших на...(длительная пауза) Не может быть!!!
(Референт шепчет сзади.)
- Римскими, римскими читай!
(Брежнев заканчивает с облегчением.)
...на ⅩⅦсъезд ВЛКСМ!
設問)訳せ。

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2010年03月15日

●新帯研 第106回

私の著作も12冊となった。5年で11冊というのはまあまあハイペースだが、これも和露のコーパス(コンピューターで編集可能な語彙集)のために語彙収集を40年近く毎日続けているおかげである。露文和訳と和文露訳では、母国語が日本語なので私は個人的には和文露訳の方が難しいと思う。それでその修練用に和露のコーパスを作っているわけである。通訳やガイドのプロは自分なりの語彙集を持っていると思うが、私はできるだけ例文を入れるようにしている。初めは造船、鉄鋼と技術用語中心だったが、この20年はビジネスの交渉用ということで一般の語彙や表現が中心となって、今や6万2千項目に達した。コーパスには基本語彙は入れず、翻訳や通訳用にすぐには頭に浮かばないような表現が中心である。収録項目の90%には引用した個所が分かるようにしてある。たとえばГончаров 3-295であれば、ゴンチャローフ選集第3巻の295ページで、その個所には赤く線を引いてあるので、自分で書き写しのミスなどあればあとでチェックできるようにしてある。10年前モスクワに観光で来られた恩師の故飯田規和前東京外国語大学教授にコーパス(その頃2万ぐらいだったと思う)を作っていると話したところ、先生は岩波露和辞典を故新田実東京大学名誉教授と中心になって編集された方だけあって、ある時点で量が質に転化するよとおっしゃった。どのくらいでですかと聞いたところ、コーパスの中味が分からないから何とも言えないが、一般的に5万項目以上であろうとおっしゃったのを覚えている。通訳や翻訳の仕事のないときは毎日いろいろな分野(ちなみに今読んでいる本は革命前のモスクワ、ピョートル大帝の時代、ラスプーチン史料集、年鑑「日本」2009年度版、ポルノチャストゥーシュカ、革命前の民間療法など)のロシア語の本を5~6冊(各10ページ)を精読し、これはという表現があれば、エクセルでコーパスに入れている。ロシア語の表現を文でその場で和訳するので、露文和訳のいい練習にもなる。瞬間的にロシア語から日本語へ翻訳する練習になるし、長く続けると自分の日本語表現をも磨くことができる。そのためいい加減な和訳ではなく、自分にとってその時点で最高のレベルの和訳とするよう心がけている。
ほぼ露文解釈だけでロシア語を勉強する場合、文脈だけに頼る比重が大きく、文のイントネーション(抑楊)のフィードバックが想像を除けばない。露文解釈では通常考える時間は十分あるが、考える時間を十分に取りすぎるか、時間に制限を持たせないと逆に瞬間的に日本語やロシア語が出てこない。そのため、露文を見たら瞬間的に頭の中ででも日本語に直す訓練が必要である。こう書くと、自分はもっとレベルが上で、ロシア語そのまま理解できるから問題ないという人もいるが、それは違う。ロシア語の文献を利用するだけでならそれでいいかもしれないが、プロの通訳になるなら、頭の中でロシア語が分かったような気になっても、日本語が出なければ通訳ではない。そのための練習である。この他にも実戦会話での訓練が必要であることは言うまでもない。露文を読んで、まず力点をチェックし、徹底的な文法的解析の後、和訳して、訳の意味が分かっても日本語としておかしい場合は、露和に限らず、露露を総動員してよい日本語の訳になるようにする。そうすることによって、日本語の文章のブラッシュアップにもなる。今回の課題は、
Шагая по аллее, Штирлиц увидел огромную лужу.
- А по хую! – подумал он и смело шагнул. Лужа оказалась по уши.
設問)訳せ。

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2010年03月23日

●新帯研 第107回

ピョートル大帝は国内の工業振興にも熱心であった。しかしロシアの商品は品質面で輸入品にかなり落ちるため、関税を大幅に上げた。しかし、密輸や税関の汚職が増え、エカチェリーナ1世時代には関税を大幅に下げざるを得なくなった。このときに流行った言い回しとして、Таможня – там можно.(是彼地、直訳は「税関とはThere they can.(あそこではOK、つまり〔賄賂を出せば〕なんでもありだ)」というのがある。語呂合わせで思い出したが、19世紀のモスクワでは結婚式は5月と9月は避けたようである。理由は5月に結婚式を挙げると、 Всю жизнь будешь маяться.(生涯御(五)苦労に苦しむことになる)であり、9月ならВсю жинь будешь сентябрём смотреть = иметь хмурый, угрюмый вид)(生涯苦(九)汁を呑んだ顔をすることになる)ということからであるという。
革命前のロシアの商人は儲け第一主義で、顧客をだますことなぞ何とも思っていなかった。この発端はピョートル大帝時代にさかのぼる。膨大な軍費を補てんするために、税金を上げたということのほかに、役人に給料が払えず、1726年の政令では賄賂を公認せざるを得なかったのである。そのほかに商品はキャラバン(荷駄)で運ばれ、市場に集められる。そこで商売が行われるわけだが、商人は商品を残して別の場所に移動し、商人が市場に戻るのは1年後である。そのため取引は最初で最後という感じで行われるため、あらゆる手管を使い、安いものや粗悪なものをできるだけ高く売るという風潮が根付いたとされる。一方ソ連時代はといえば、クレームには誠実に対応してくれた。
それで思い出したが、金属の穴あけをする工具があって、英語では metal borer と言う。これを металлическая граница とロシア人の翻訳者が訳した。Век живи, век учись.でひょっとして新語か、知らない技術用語かと一瞬思った。すぐに間違いとは分かったが、どうしてそんな誤訳になるのか、4ヶ月ほど頭をひねった。あるとき若いロシア人から聞いたのは、borer に何らかの拍子にdが入ったborderと読み違えたのではないかと言う。それなら граница となるのも分かる。こういう謎解きのできる若い人もいるからロシア人も捨てたものではない。その人はさらに、Железная занавес(鉄のカーテン)という言葉があるくらいだから、金属の国境があってもおかしくはないなと笑っていた。まったく小話の世界である。今回の課題は、1992年に出版されたアルメニアラジオから。
- Может ли женщина забеременить от валериановых капель?
- Может, если Валериану не более 60-ти лет.
設問)訳せ。

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2010年03月31日

●新帯研 第108回

(всегда) стрелочник виноват(なんでも下〔の人〕が悪い)とか、делать/сделать стрелочником + 対格〔人〕(下〔の人を〕を悪者にする)という表現が口語ではあるが、この由来は、20世紀初頭のモスクワで路面電車にはстрелочник(転轍手)というのがポイント(線路の分岐するところで車両を別の線路に導くようにする機械、転轍機)を切り替える仕事をしていたわけだが、たまに忘れたり、タイミングが合わないことがあった。そうすると上司から叱責されるわけで、この叱責が3回目になると首になった。転轍手の給料は1カ月20ルーブルで、これにボーナスが3カ月、住宅手当が5カ月分つく。仕事は6~12時間で、そう頻繁には電車も来ないので、忘れることもあったろう。ガイドや通訳をしていると自分が悪くなくとも、なんとなくガイドや通訳のせいにされていると感じることもある。被害妄想気味だがВсегда гид-переводчик виноват.とならないことを祈る。
ロシア人をロシア語のインフォーマントとしてお願いするという場合があるが、原稿のチェッカーとなると、バイリンガルでないと無理だ。日本語の日常会話が流暢でもそれはバイリンガルとはいわない。ロシア人で日本語とロシア語のバイリンガルとは、日本語でも新聞やテレビはよく理解し、コンピューターを用いて正しく漢字変換もでき、日本語も書ける人を言う。ロシア語だけ読んで、そのロシア語らしさだけ問題にして、肝心の日本語の意味がよく理解できていないと、結局チェッカーとしての役目を果たせないことになる。そういう場合は、スペルミスや力点のチェックだけをしてもらえばよい。インフォーマントとしても、教育程度、出身地域、年齢、性別(一般的に女性に技術関係、男性に着物や化粧品を尋ねるという意味で)によって信頼度が違うということも忘れてはならない。
 人力車рикшаについては幕末の英国外交官アーネスト・サトウが1867年関と桑名を旅行したときに、人間が引く小型の無蓋の乗合馬車に大人が6人ほど乗っており、同行した医師のワーグマンが富田から桑名まで5マイル乗ったのが最初のころの人力車ではないかと述べている。1869年から日本で人力車が流行りだしたという。ロシアには人力車はなかったが、19世紀のモスクワの学生の間で贔屓の女優に対しては、馬車から馬を外して、自分が馬となって馬車を引きその女優(あるいは俳優)をモスクワ中引張りまわし、彼女あるいは彼の自宅まで送り届けたという。これをездить на студентах「学生に引かせて(馬にして)行く」と言った。1929年から31年コムソモールの中央委員会ビューロー委員だったチェモダーノフ(1903~37)の経歴に、13歳から働きだし、電信技手になる勉強をしていたときに革命を迎え、その後2年間消費協会モスクワ連合のエージェント・車夫агент-рикшаとして働いていたとある。お抱え運転手みたいなものか?これ以外ロシアやソ連に人力車があったかどうか筆者は知らない。没年から分かるように彼は銃殺された。
最近見つけた喫煙者への掛け口。Кури, кури, скотина – умрёшь от никотина.(喫えよ、煙せよ、ニコニコと、さすれば、くたばるニコチンで)。他の掛け言葉でЧасть речи , которая упала с печи и ударилась об пол, называется глагол(暖炉から落ちて床にぶつかった品詞は動詞という)のを見つけた。今回の課題は、
Поручик Ржевский и Наташа Ростова гуляют в парке.
- Поручик, вы любите романы? – спрашивает Наташа.
- Очень люблю, особенно, с введением.

Posted by SATOH at 11:52 | Comments [2]