2008年10月11日

●新帯研 第34回

(ロシア正教古儀式派と日本)
 初期の正教の文書には書写の際の間違いなどもあり、ギリシャ正教とは異なった儀式が15世紀頃までに確立した。これを正そう(このほかにも総主教を世俗の権威であるツァーリより上に置くべきだという野心もあって)と総主教ニコンが1654年にСлужебник(奉事経)により、二本指での十字をきること、2度のハレルヤを唱えることなどを禁止し、ギリシャ正教のやり方(3本指での十字の切り方や3度のハレルヤを唱えることなど)に従わせるというお触れを出したことで、古儀式派старообрядстваが離脱した。古儀式派は大別して、機密(洗令、結婚、聖体、痛悔(懺悔)など)を行うには、主教職が必要であると見なす一派поповщинаと、不要だとみなすбеспоповщинаに大別される。この他に、去勢派とかボゴモールなどあるが、これは正教自体を認めない(宗派の指導者がキリストの生まれ変わりと信じるとか)、いわゆる異端(新興宗教といってもよい)なのでここでは論じない。поповщинаでは、主教が必要だが、1654年以降、主教職は迫害や加齢もあって、死に絶え、新たに主教職を探す必要に迫られた。その頃漠然と東に、古き伝統を持つ国があって、そこにニコン以前の正教を信じる人々が住んでいるという噂が古儀式派の間に流れた。18世紀後半беспоповщинаの修道士マルコが、オポニ王国Опоньское царствоにモスクワ、カザン、エカチェリンブルグ、クラスノヤールスク、グバニ(ゴビ?)を経由してオポニ王国に行ってきたと述べた。そこは白水境Беловодьеという海の向こうにあり、70の島々に住民は住み、島々の距離は500キロも離れているところもある。アシール語асирский языкを話し、179の古き正教の戒律を重んずる教会があり、総主教(アンチオキア系)、4人の府主教、主教もいる。冬は甚だしい寒さで、地震と雷がよくあり、ブドウやコメが実る。金銀が豊富で、外国人を国に入れず、どことも戦はしない。遠い遠い国であるという。ちなみに、アンチオキアというのは現アンタキアで、トルコにある町であり、アンチオキア総主教マカリーは2度モスクワを訪れ、ボルガも旅した。マカーリエフ修道院にも滞在したが、その近くは古儀式派の活動が盛んなところでもある。そのためアンチオキアという名が出てくるのかもしれない。
 1807年トムスク州の村人ボブリョーフがペテルブルグに来て、白水境にロシア人の古儀式派が住んでいるという情報を伝えた。国が許せば、ボブリョーフ自身がそこに出向いて古儀式派のロシア人を連れ戻すという。国は彼に150ルーブルを与え、出発させたが、その後杳として行方知れずとなった。1839年12月にポロームスキー森で捕らえられた浮浪者が尋問に答えて言うには、自分は日本国の住人で、古儀式派である。日本にはたくさんの古儀式派のロシア人が住んでいて、古儀式派の教会もあり、総主教も主教職もいると断言した。人口は50万人ほどで、だれもが租税を国家に納めなくてもよいという楽園だった。無論、これはたわごととして、この浮浪者はシベリア送りとなったという。これらはメーリニコフ(В лесах「森の中で」やНа горах「山で」の作者)の「古儀式派ルポ」に記されている。古儀式派が迫害を逃れて、一部は東に、シベリアや極東に移り住んでいったのは間違いないとされる。そういう人たちの話と極東にある日本が結びつき、さらに話者の願望が結びついてのおとぎ話になったのだろう。しかし、日本とは驚きだが、偶然かもしれないが、海の上に浮かぶ島、地震など似ているところもあるのは興味深い。今回の課題は、
Японец уезжает из СССР:
- Я осен полюбил Советский Союз. Это очен болсой страна, осен красивый язык. В первый год жизни в СССР я выусил 200 слов. На второй год зизни я выусил есе 400 слов; на третий год я выусил есе 500 слов и все они у меня вот здесь (стучит себя по голову) в ... зопе.
設問)和訳せよ。

Posted by SATOH at 2008年10月11日 06:46
コメント

またまたお久しぶりです。『ロシア人と日本観光案内』のご出版おめでとうございます。ロシア人に日本をご案内するのに大助かりの虎の巻ですね。しっかり読ませていただいております。

上記、ロシア正教のことは、私は全く興味がないので知らなかったのですが、江戸時代の日本(70の島々、地理的特徴、冬の寒さ、地震と雷、ブドウやコメ、金銀が豊富、外国人を国に入れず等々)が宗教者を通じて語られていたとは!しかもぴったり合っているのがおかしいですね。大黒屋光太夫の話や、公になっていない漂流民などもいるかもしれないので、すでにかなりの日本情報が露西亜にもたらされていたのでしょうか。

回答します。オチが最後のв зопе(в жопе/ケツに)にあり、この一言で、発音も悪いこの日本人が覚えたというロシア語がすべていいかげんだったことがわかります。あるいはロシア人がからかってでたらめなロシア語を教えたとも。

Posted by メイ at 2008年10月29日 22:36

回答の日本語訳をつけ忘れました。
最後に加えておいていただけると助かります。

日本人がソ連を発ちます。
「ワタシ、ソ連大好きなったよ。それ、ほんとに大きい国ね。言葉とーってもきれいよ。ソ連暮らし1年目に200言葉おぼえたよ。2年目はもちーと400の言葉ね。3年目はもっと500言葉おぼえたよ。ぜーんぶの言葉ほらここ(自分の頭をたたいて)…おケツに入ってるよ」
---------------------------------------------
オチもよく理解されて、訳も文句のつけようがありません。強いてコメントすれば、「日本人がソ連を発ちます」ですが、個人的には歴史的現在ですから、この場合は過去で訳した方がよいような気がします。そうでないと、空港かなにかでのインタビューのような(現在進行形のような)ような気がします。日本語にも歴史的現在があるのでだめというわけではないのですが、あくまで個人的な感想です。それとв жопеには下記のような意味もあるのでそれも関係しているのかもしれません。私の訳は、
日本人がソ連から帰国しました。「ソビエト連邦でえ好きです。えれえでっけえ国だし、えれえきれいな言葉だし。ソ連で暮らした1年目には200語覚えたっす。2年目にはもお400、3年目にはもお500覚えたっす。全部ここに(自分の頭を叩いて)けっつにおさまってまっす」
解説)осен = очень, болсой = большой, выусил = выучил, зизни = жизни, зопе = жопе。日本人の話すロシア語のなまりをからかっている。в (глубоком) жопе (= заднице) = в плохом месте, в безывыходной ситуации。

Posted by メイ at 2008年10月29日 22:50
コメントしてください