2008年03月24日

●新帯研 第15回

高炉(俗に言う溶鉱炉)доменная печьを口語でдомнаというが、エレンブルグの自伝を読んでいたら、彼が1932年Кузнецкий комбинатで働いていたときに、労働者たちが少しでも動かない機械を牛馬のように鞭打ったりしたと書いていた反面(取って代わられるかもしれないという機械に対する本能的恐怖か、大したことはないという侮蔑の表現か?)、Домна Ивановнаやдядя Мартын(мартеновская печь平炉、これは日本にはもうない)と呼んで慈しんでいたという。今回の課題は、
Жена чукчи:
- Почему такие анекдоты ходят про нас?
Чукча: Да потому, что мы вот (стучит по столу).
Жена: Кто там?
Чукча: Сиди, я сам открою.

Posted by SATOH at 2008年03月24日 16:23
コメント

チュクチのアネクドート。いつもちょっとひっかかっています。ブロンド美人のほうは心から笑えるのですが。考えようによってはアネクドートの出所は不明で責任がないだけにこわいときもありますね。
 机をたたいたのは、木のように堅い頭、つまり、でくの坊という意味ですか。それを妻は誰かがノックしていると勘違いすると、夫は自分がたたいた音なのに、「自分がドアを開ける」と言って結局はチュクチ人であることを証明したというオチでしょうか。いまいちよくわかってないのかもしれません。

チュクチ人の妻 「どうして私たちのことをアネクドートであんなふうに言うのかしら」
チュクチ人     「ああ、つまりはだな。俺たちゃほら」(机をたたく)
妻           「どなた?」
チュクチ人     「いいよ、座ってて。俺が開けるから」
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その通りです。基本的にオチの理解はほぼ完璧なレベルのようです。あとは語彙力をつけるだけです。世の中には語彙はよく覚えているものの、ロシア人の日常生活の常識がよく理解できず、ロシア人と話をしても深く懐に入っていけない人が多いことを考えれば非常に立派です。語彙の数を増やすことはそれほど難しいものではありませんが、オチを理解できるかどうかはその人の資質や人生経験の深さが関係してくるもので難しいものです。ただこれも努力次第です。メイさんのように努力を続けてゆけば道は開けるといういい例です。私の訳は、
チュクチの妻曰く、「どうして私たちについてそんな小話がはやっているのかしら?」
チュクチ曰く、「おれたちって、これだから(テーブルを叩く)」
妻、「どちらさま?」
チュクチ、「すわってろ、俺が自分で開けるから」

Posted by メイ at 2008年03月28日 23:54
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