2007年03月09日

●カザフスタン(人と言葉)その1

これは日本貿易会月報1996年7月号に掲載されたものである。

晴れた朝、窓越しに見えるアラタウの山々は頂の雪が陽に映え神々しくさえ思える。陰鬱な冬もようやく過ぎた5月はいっせいに緑が萌え出し、ウリュク(小さいアンズ)のピンク、サワーチェリーやリンゴの白い花が咲き乱れる。私の住んでいるアルマトゥイは人口120万、カザフスタンの首都である。街全体が坂の上に広がり、標高は日本の軽井沢と同じと言われている。

1. カザフ人

カザフスタンは多民族国家である。カザフ人が全人口の45%、ロシア人が35%で多数を占める。カザフ人は東洋系人種で、見たところは日本人と変わらないが、やや肩幅が広くたくましい感じがする。ロシア人とカザフ人は仲良く暮らしている。共通の言葉がロシア語のおかげか、こっちがロシアの悪口を言おうものなら、カザフ人のほうがむきになって反論するという他のCIS諸国ではあまり見られないようなことも起こる。
 カザフスタンは回教国と言われているが、隣のウズベキスタンなどと違って宗教色はほとんど感じられない。酒は自由に売っているし、コーランの朗唱の声も聞いたことがない。強いて言えば豚肉は食べないが、それでも市場では目を細めた豚がさらし首姿で笑っていたりする。回教国らしいと言えば、男の子は7~13歳くらいになると割礼を受け盛大に祝うということぐらいである。
 一度知り合いのカザフ人の誕生日に招待されたことがある。だいたい40も間際になって誕生日でもあるまいとは思ったが、一応午後5時開始というので10分前に着くように行ってみたところ、いたのは主人と弟の二人だけである。お客が来だしたのは7時ごろで、主賓が来たのはなんと8時であった。時間を間違えたのかと思い主人に問うと、これがカザフ流で偉い人ほど遅れてくるという。なるほど一番乗りというのは軽く見られたものだ。「これでも以前よりは早くなった。世の中せちがらくなったものだ」と主人は嘆いていた。出された料理は有名なベスバルマークという羊の肉の茹でたもので、直訳すれば「5本の指」、手づかみで食べるのが正式という。これにカズーという馬肉ソーセージ、マントゥイ(肉まん)であった。これでも羊1匹をつぶしているのだからたいしたものだが、珍味と呼ばれる羊の脳みそや目玉の料理が出なくてほんとによかった。
 街を歩いていると結構ロシア人の姿が目立つ。ロシア都の関係は9世紀にまでさかのぼれる。混血も多いせいか顔立ちは東洋人でも髪の毛が茶色だったりするひとが結構いる。「キプチャク人」(アヒンジャーノフ著)というカザフ人の先祖について書かれた本を最近読んだが、中国の史書によればカザフ人の先祖は、紀元前10世紀頃dinlin(またはting ling)と呼ばれ、なんと金髪碧眼のコーカソイド(ヨーロッパ系人種)だったという。これが近隣のモンゴル族やチュルク族(トルコ系諸族の先祖)と混血した結果、外見はすっかり東洋民族と同じようになったが、機嫌10世紀頃までは結構先祖返りがあったようである。その証拠に9~10世紀頃にしばしばルーシ人(古代ロシア人)と争ったカザフ人の先祖を、ロシア人はポーロヴェツ(藁色の髪の人)と呼んでいた。街を歩いているカザフの人の中にも、ひょっとしたら先祖返りの人がいるかもしれないと思うととても愉快だ。

Posted by SATOH at 2007年03月09日 19:44
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