2006年12月14日

●帯研(第25回)

帯研ももう25回目を迎えた。これもひとえに参加者のおかげである。欲も出てきたのでなんとか100回までは続けたいものだ。小話における不完了体現在形の用法についていろいろ考えたが、小話の地の文で現在形が使われるのは、歴史的現在のみならず、Представьте ситуацию.という文言を文頭で補えば分かりやすいのではないかと考えた。アカデミー文法(1980年版)でも触れられているように、歴史的現在(過去の動作を話し手の眼前で起こったかのように生き生きと表現する場合に現在形を用いる)のほかに、現在形は想像の動作にも用いられると記されている。Вообразитеなどを伴なって現在形が使われる例が挙げられている。小話では話し手は未来の出来事を眼前で起こっているかのように描く場合もあるわけであるからどうであろう。今回は簡単、簡潔なものを。
Любовь ушла, но она ещё об этом пожалеет.
設問1)オチが分かるように訳せ。

Posted by SATOH at 2006年12月14日 12:45
コメント

25回も授業を受けてきたんですね。毎回毎回必死でついていくので精一杯でした。こちらこそ一方的に教えていただくばかりで恐縮しております。同じことを何回か反復して出題していただくおかげで、今まで知らなかったことがどんどん(ぼちぼち?)頭に入ってきているような気がしています。100回はまたまた嬉しい数字です。気合を入れてかからねば!

設問1)“愛”(あい)が去った。でも彼女はきっとそのことを後悔するさ(ぞ)。

любовьに愛と人名(リュボーフィ)をかけているのでしょうか。「愛が終わった」(失恋した)と「リュボーフィは去っていった(彼と分かれた)と両方の意味のようにとれました。愛ちゃんにふられたボーイフレンドの負け惜しみととったのですが…実はこのアネクドートを、以前どこかで見たような気がするのであちこち探してみたのですが見つかりませんでした。ほんとにこんな簡単な意味ですか(笑)。
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その通りです。付け加えることはありません。私の訳は、
訳)愛は去った。でもまたそのことを愛は残念に思うさ。
解説)любовьとЛюбовь(人名)は主格と造格は同じだが、それ以外の格ではлюбвиとЛюбовиというように違うので注意が必要。テキストではその違いが出ないように文頭に来ている。

Posted by メイ at 2006年12月15日 23:25

100回と言わず200回300回と続けていただければと誠に勝手ながら望んでいます。
不完了体現在形の歴史的現在は劇的現在ともいいますよね。ロシア語でスポーツ中継は聞いたことがありませんがこれなども現在形を用いる感じですね。

「今回は簡単、簡潔な」というところに若干の不安を覚えましたが・・・

<和訳です>
愛は去ってしまった。が、きっとそのことを愛は残念に思うことになる。

この文章はЛюбовьがポイントになると思いました。「愛、恋人」という意味と女性の名前の「Любовь=愛」がかけてあるので意味がどちらになるかわからないところが面白いということでしょうか。「恋人が去ってしまってそれを思い出して悲しむことになる」という意味と「みずから去ってしまったことを悲しく思うことになる」と二つの解釈が成立します。相手にフられて悲しむのか、相手をフって自ら去ったことを「愛ちゃん」が残念に思うのか(後者の場合は必ずしも相手をフったとは限りませんが)、決め手がない宙ぶらりんな状態となります。ここは「愛」ついでに「残念に思う」を「愛惜する」にしようかとも考えましたがやりすぎですよね。

пожалеетはうっかり現在の意味で訳すところでした。完了体の現在変化形は未来を示すわけでした。個人的には「愛は去ってしまったが、今もそのことを悲しんでいる」としたほうが前後がつながるような気がするのですが、この場合はЛюбовь ушла, но она ещё об этом жалеет.でいいのでしょうか。また、ещёにちょっとひっかかりました。未来の内容と結びつく場合に「また~する」なのか「やはり~する→きっと~する」なのか、迷いました。「また」では2回目の行為になるのにこの文脈では1回目がはっきり示されていなかったので、強く可能性を示唆する「きっと」の意味で訳してみました。
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訳もオチもその通りです。これは完了体未来形ですから、明確な未来、つまり話者は必ずそうなるというニュアンスが出るのだと思います。現在形を使えば、「現在後悔している」という意味だけで、これを予定に取るのは無理があります。前にも書きましたが全ての不完了体が予定に使えるわけではありません。運動や動作を示す動詞は使えると思います(今どういうものが使えるかコレクション中です)が、感情を示す動詞はどうかなというところです。それは不完了体は、着手など自然な当たり前の動作を意味しますから、感情を示すということ事態、新しい情報を示すということですから、完了体の用法の範疇ではないかと思います。もしロシア語の本を読んでいて、感情を示す動詞で現在形で予定を示す例があれば、ご一報ください。上記の訳について感心したのは、受験英語で未来(will, shall)は「~だろう」という推測で訳す人が多いのに、それに惑わされず訳されていることです。こういう日本語に対する感覚が翻訳をする際には重要です。

Posted by takahashi at 2006年12月16日 12:19
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